思考停止・18 ~山不動~
ココログさんがメンテナンスとかで、昨夜せっかく打ち終って、さあ載せようとしたとたん、わずか15分くらい遅くて、全文が消えてしまった。えらいくたびれ儲けだった。はあああああ~・・・・・・
さて今回も前回と同じく、先日の参院選ネタで一発。記憶が新しいうちに書いておかないとね。
1989年にあった参院選でも、今回と同じように、野党のS党が大躍進した。私はすでに選挙権があったので、かなり印象に残っている。その時に大勝利したS党のDさんが、有名な「山が動いた」という言葉を使われた。
ここで言う「山」が何を意味していたのかは、今でもよくわからないが、とにかく信じられないほどの大勝利だったので、ありえない「山が動く」という表現を使ったのだろうか。マドンナなんて言葉がやたらと安っぽく使われ、「マドンナって言葉の意味がわかって使っているんだろうか」とも思った。
現実には「山」が動いたのだろうか。地質学的には当然、山は動いているし、高くなったり、低くなったり、できたり消えたり、たまには噴火したり、時には大爆発したりすることは、今では常識だが。それでも昔から、山は動かないとされてきた(中国には泰山という山があり、こいつが動いたりしないから言われたのではないか)。
これを孫武子(孫子)は『孫子。軍争篇』で「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 難知如陰 不動如山 動如雷ting(その疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとし。侵掠すること火のごとく、知り難きこと陰のごとし。動かざzること山のごとく、動くこと雷てい・・・・・・雨かんむりに延・・・・・・のごとし)」と例えに使ったのだ。これはあくまで軍勢の動かし方を例えただけで、現実に山が動くとか動かないとかが重要なのではない。
もしも山が動いて見えたら、一般的には目が異常を起こしているか、血圧がヤバイか、体調がメチャ悪くなっているかであろう。できるだけ早く、お医者さんに行って看てもらったほうがいい。でも動かないはずの山が動いて見えたとなると、ちょいと良くないことが起こるかもしれない。
というのも1989年の「山が動いた」時も、翌1990年の選挙でもS党は快進撃をしたものの、ほどなく様々なミスが出、すぐに衰退が始まった。現在では党名が変わっているし、代表も変わってしまったが、この頃の勢いは何処にも見えない。もしも国民を「山」だと感じていたのなら、見事にこの人が感じていたように、「山」は動いてなかったことになる。
多くの人達が感じていることかも知れないが、少なくとも私個人は、投票の際「住み心地の良い日本」を作ってくれそうな人に投票することにしている。最近は「比例代表」なんてよくわからない制度もできているが、しかたないから一番暮らしやすそうな日本を作ってくれそうな政党を書くことにしている。
私は某政党の某候補(当選しちゃったから、もう議員と呼んでいいの?)みたいに、ここ3年間も選挙に行っていないなんてズボラはしていない。よほど特殊な事情がない限り、国民の権利であり義務である選挙は、サボったりしていない。忙しくてもできるだけ時間を作って投票するようにしている。
私は私なりに、この国を愛している。特別な愛国教育なんかは受けていないが、どの国よりも、私が生まれて育ったこの国が好きだし、大切だと思っている(まあ選挙みたいに、大した労力を必要としないことすらやっていない人を候補にしたり、国会議員にしちゃったりするのだから、ため息が出るけどね。国民の権利と義務を普段から行使しない人間が、当選して議員になった瞬間から、まともなことができるかどうか心配だけどね。当選直後に出ていたテレビ番組ではあまりまともなことを喋っていなかったし。権利はたっぷり使うけど、義務はさっぱり果たさないなんてことがないようにしてほしいね。人間は「変わる」ことができる生き物だから、今後を期待しよう。私の予想が外れることを祈ってるよ)。
私は日本を、「住み心地のよい国」にしてほしい。「美しい」のなんのと言ったって、「美意識」やら「美の基準」やらは個人個人でかなり差があるから、そんな抽象的なことではなく、「明日、あさって、一ヵ月後、一年後、十年後、百年後の生活を心配しなくてよく、やりたい事・・・・・・私はあまり危ないことをしようとは思っていないので・・・・・・が自由にできる国」を作ってさえいただければ、それで十分だ。
今回の社保庁の件でも、まさにその点が問題にされているわけでしょ。私だって近い将来、私の記録がきちんとなっているかどうかを確認するつもりだよ。今は私よりも急がなければならない人が大勢いらっしゃるから、遠慮しているけどね。徒に社保庁の職員さん、を忙しくしたくないだけだ。
政治家さんたちは、果たして私(たち?)が、「住み心地のいい日本」を望んでいることをご存知なのだろうか?選挙で「勝った」「負けた」なんて騒いでいるのを見たり、先述のように「山が動いた」なんてはしゃいだりしている人を聞いたりすると、この人達は何をしたいの?と考えてしまう。私(たち?)は、彼らが「勝ったり負けたり」するために投票をしているのではないのだ。本当は私(たち?)はどちらが勝っても、大した問題じゃない。「住み心地がいい日本」を作ってくれる政治家や政党が政権を握ってくれているのだったらね。
世の中を動かす上で力を持っているのという点では、圧倒的に政権政党が強い。現実に法令を整備し、指揮を取っているからだ。だから多くの選挙で、現役議員さんが強いんでしょ。今回はひっくり返ったわけだけど、それは政権政党がやっていることが、有権者に激しく批判(拒絶?)されたってわけでしょ。
でも「勝った」「勝った」って浮かれていると、今度は勝ったと浮かれている側が現実に直面しなければならなくなっているわけだから、そこで有権者を納得させられる活動ができなければ、またしてもひっくり返されるってことが起こるわけだよね。今回の選挙は、ちょっと異常だったしね。
スポーツなんかでも似たようなことがあるんだよ。ちょいと例を挙げてみよう。ある競技で、ある地域が滅法レベルが高く、その地域の代表になれば即、全国大会の優勝候補ってことがあったとしよう。この地域で行われる代表権を得る試合は、本当に「勝ち進まなければ」ならない。
反対にその競技のレベルがとんでもなく低い地域があったとしたら、そこで行われる試合は「どちらも弱いけど、負け損ねてしまった」チームが代表に選ばれることがある。この「勝ち進んで最後まで負けなかったチーム」と「負け損ねてしまったチーム」は表面上は同じ、「地区代表」だけど、実質は全く違うものだよね。
現代の日本は各種スポーツが盛んだから、こんなことなないのだろうけど(詳しくは知らない)、選挙だって似たようなことが起こるよね。「投票しようにも、入れたい人がいないから、仕方なくこの候補に投票した」なんてケースがね。
まあ「勝った」「勝った」って喜んでみたり、20年近く前に「山が動いた」なんてしょうもないキャッチコピーを考えたりしているようではダメだね。「勝った」わけじゃあないだろう? 表立って活動する資格を貰っただけでね。しかも自分だけで勝ったわけではないだろう? 多くの有権者にチャンスを貰っただけでね。
「とりあえずあんたたちcでやってみなさい」って言われただけで、その結果がうまくいきそうでなければ、またチェンジするだけなんだけどね。選挙で政党間の勢力分布が変わったくらいで、どうしてそんなに喜ぶのかな? 私にはちょっと理解ができない感覚だね。選挙の結果は、実は結果なんかじゃなくて、ただの通過点なのにね。
陸上競技で言ったら、ラップを取っただけのこと。それで勝負がついたわけではない。だいたいゴールは、「住み心地のいい日本」にどれだけ近づけるかだしね。それだってただの「状態」だから、どんどん変化するし・・・・・・
つまりゴールのないレース(人類滅亡の日まで)のラップの取り合いをしているだけなんだけどなあ。誰か気がつかない? あ、気がついたら誰も政治家なんかになりたがらなくなる? それはそれで大問題だなあ。まあ皆さん、頑張ってくださいね。私には投票に行ったり、税金を納めるくらいしか能がないけれど。


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