刺客!
「風xiaoxiao(嘯の口へんを取って、草冠)xi易水寒 壮士一去xi不復還」 漢字がないので何のこっちゃわからない。日本の書き下し文で書いたほうが分かりやすいかと思うので、書き下そう。あまりにも有名な一節である。
「風はしょうしょう、易水寒し、壮士一たび去って復た還らず」 これは『史記』、「刺客列伝」に残る荊ke(車へんに可。日本では「けいか」と呼ばれる)が、秦の始皇帝を暗殺に向かう時、残した歌だとされている。ちなみにこの人物は、それまで周囲の耳目を気にせずに、感情の赴くままの生き方をしており、その有様から「傍若無人」という言葉が生まれたような人であった。
彼は燕の太子、丹の要請を受けて、準備不十分のまま始皇帝暗殺に赴き、失敗。始皇帝に斬殺された。これは燕の太子、丹の臆病から起こった失敗のように、司馬遷は「刺客列伝」の中で伝えている(語れば長くなるので、興味がおありの方は、『史記』をご覧いただきたい)。
「士為知己者死、女為説己者容」(士は己を知る者のために死し、女は己をよろこぶ者のためにかたちづくる)という有名な言葉を残した予譲は、彼の最初の主人、智伯の仇を討つために、趙襄子を付け狙った。暗殺に失敗して捕らえられた予譲を、趙襄子は自分に仕えないかと許し、予譲は趙襄子に使えたが、再び彼の命を狙い、失敗する。
そこで趙襄子も「もうこれ以上は許せぬ」と言うと、予譲は「せめてあなたの衣服をいただきたい」と言う。趙襄子が自分の衣服を渡すと、これに3度切りつけ、「これであの世の智伯に申し訳が立つ」と、自分の剣の上に身を伏せて自殺する。彼は元の主人、智伯と二度目の主人、趙襄子の両方に義理を立てて死んだ。
その他、聶政(韓の厳仲子に復讐を依頼され、孝を尽くすべき母親が死んだあと、厳仲子の仇、侠累を討つ)、専諸(伍子xu・・・・・・「ごししょ」、「屍を鞭打つ」「日暮れて道遠し」などの言葉を残した人物によって、呉の公子。光に推挙され、彼のために呉王を暗殺。その時斬殺される。ちなみに呉の公子光は、後の呉王こうりょ・・・・・・漢字を探すのが嫌になっちゃった)、曹沫(魯の将軍で斉に3度敗れ、会盟で斉の桓公の首に匕首をつきつけ、戦で負けて奪われた土地を全て取り返した)らが『史記・刺客列伝』では紹介されている。
ここで「刺客」とは何ぞやである。刺客とはある目的の為に、ある人物を消すという非合法な手段を請け負った人物であり、任務に失敗すれば当然死に、成功しても世の中で表舞台には立ちにくいという共通点を持つ人達のことである。
先の「衆議院選挙」では、ある人物の公約を果たすために、「刺客候補」なるものが大勢登場し、その人物の人気のせいか、殆どがどのような形でかは知らないが、大部分は現在、国会議員さんをされている。
まあ「時の人」から指名されれば、誰だって心は動くだろう。それは私みたいな、政治素人の凡人にでも理解できる。またそれで当選したとしても、議員さんは議員さんであって、他の議員さんに対して劣等感を持つ必要はないと思う。
けれども、いつまでも「刺客」意識しか持っていなければ、悲惨である。「刺客」は相手を倒すという任務に成功した瞬間から、倒すべき相手がいなくなっているからだ。誰かにとって代わったのなら、本来自分が倒した相手がすべきだった仕事以上のことをやらなければ、その場にとどまってはいけない。「刺客」は「刺客」であって、政治家でも、権力者でもないのだから。
ましてや選挙では「刺客」として当選しても、次の選挙は、自分が狙われる側になることを考えなければならない。選挙は『史記』に描かれた大昔とは違い、殺し合いではないのだから。だから次に自分の歩むべき道をちゃんと探し出して、「自分の能力や価値」を上げておく努力をしていなければ、今度は自分の身を守ることができないだろう。
でも、仲には着実に「自分の歩くべき道」を探している議員さんもいるみたいだし、こんなことを、ド素人の私が心配する必要はないだろう。政治家としての適性も持たないまま(適性は「自分で作るもの」と、私は考えているが)、いつまでたっても「刺客」意識のままの人は、自然に淘汰されていくだろうから。
いつまでたっても進歩しない人ほど、大した役職でもないのに、テレビや週刊誌などによく登場して、自分をアピールしているように、私には思えるけどね。劇場型の政治は、誰かさんが目指した手法だろうけど、それは大衆の前で派手なパフォーマンスを繰り広げ、自分に有利に世論を操作しようとしただけだったんだろうけどね。
でもそれは誰もができることじゃない。その証拠に「後継者」は見事に失敗しちゃったじゃないか。人は自分のやりかたを貫かなければ、他人のやり方を「借り物競争」しても、いい結果にはつながらないと思うよ。そして自分のやりかたを確立するには、どうしても「経験」が必要になる。だからたとえ「刺客」として政界にデビューした人でも、今は目立つことなく、ちゃんと勉強を積んでいる人の中から、ホンモノの政治家が現われると、私は考えているよ。
「時代の仇花」って言葉があるけど、自分の存在をアピールしたくて、ただただマスコミに派手に出回っている人には、10年後の自分が見えているのだろうか。政治家が「国家百年の計」を語らなければならない人物なら、派手なパフォーマンスよりも、今、自分がやらなければならない勉強の方に、力を注いでいるように思うね。
『史記・刺客列伝』に紹介されている「刺客」は、誰も皆、それなりに美しい。でもそれは、自分を捨てて目的の為に生命をかけたから美しいのであって、目的は自分の保身と名誉欲なんかだったら、誰の目にも美しくは映らないよ。ちょうど「美しい国」などとわけのわからないことを言って、とても美しくない終わり方をした「プリンス」と言われた人物と同じだ。
「刺客」意識が消せないのなら、どこまでも「刺客」として生きるしかない。でも「刺客」は、自分の姿の全てをさらした瞬間から、任務の遂行は難しくなっているからね。私はかつて、「刺客」を請け負う集団が、歴史上存在したのではないかという仮説から発達して、身体運用の観点から、どう動けば最も「刺客」として成功しやすいかを調べていたことがある。
その時分かったことは(相手は剣道の有段者。初段とか二段とかのレベルではない。時々本ブログに登場していただいているM君でもない)、ごく当たり前の動きを、ごく当たり前にした時、その動きは誰から見ても「目立たない」ものになって、任務を完了して、生還できる可能性が高いという結論に達した。だからなんでも同じように、「ごく当たり前」であることが大切だということを、最も大切なんじゃないかなと考えるようになった。
それでも人は、自分に歩ける道しか歩けないから、ド派手なやりかたしかできない人もいるだろう。それはそれでいい。刺激はこの世に話題を提供してくれるから。犯罪にならに程度にやってくれれば、いいんじゃないかな。でも「刺客」として生き続けるのは、なかなかしんどいことだと思うよ。何せ、一度自分の正体がバレてしまったら、今度は狙われる側になるんだから。


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