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2007年11月 9日 (金)

中国の鋼鉄刀剣・4 ~第二章 秦・漢:漢刀(2)~

 まともに仕事をしていれば、誰だってしんどい。しんどくたって、自分の好きなことはやりたい。好きだからこそできるのだが、それでも確実に疲労する。疲労するから嫌だと思い出したら、「お前の好きはその程度か?」と、自分の中で自分を嘲る自分が見えてくる。

 なんで仕事以外に疲れるようなことをするのだろうか。それはやっぱり自分が伸びていく実感があるからだろうね。金はなくなる、時間はなくなる、疲労は溜まるじゃあ、いくら私がアンポンタンでもやらなくなってしまうと思う。でも伸びてるなと感じたら、節約して金を作る、必死で時間をひねり出す、疲労はなんとか適当に折り合いをつけていく。

 人間という奴は、不思議な生き物である。好き・嫌いは説明できないことも少なくないが、好きだったら解決できる問題はいくらでもある。反対に嫌いなことだったら、理由は作ってもやらなくなる。やっていると突然、頭痛は起こる、腹痛は起こる、トイレは近くなる、神経痛は起こる(時々、肋間神経痛が起こったりする。まったく心当たりはないのだが)、三叉神経が疲れて、目を開いていられなくなる・・・

 昔私が甘いものが食べられなかったPhoto_4頃、岡山の「大手饅頭」というのを3つ食ったら、頭痛が起こった。この時は脂汗が出たりして大変だった。そういえば今は亡き親父は、子供の頃玉葱の天ぷらが苦手で、食べると頭痛が起こったそうである。やはりこういった不要な形質は、しっかり遺伝している。

 さてさて久しぶりに『中国の鋼鉄刀剣』でもやってみますか。今回は4回目、漢刀のパート2である。あくまで本ブログは皇甫江氏の書かれたものの紹介であるから、適当にすっとばしていこうと思う。欲しい人は本ブログあてにコメントでもしてくだされば、出版社を紹介しますよ、たぶん。力作だから、刀剣に興味がある人は、是非、お手元に1冊、といった本である。

  * Photo  *   *   *   *   *

『服刀』

 服刀は比較的希少な短刀であり、環首漢鋼鉄刀に加えられることが少ない。長さは一般的に30~40㎝で、幅は狭く、直刃である。刀柄や刀鞘は玉具で飾られていて、精美なもので、外観は楕円形である。刀鞘と刀首には孔があり、腰からつるすことができるようになっていて、主に装身具としてつかわれていたが、いざという時には護身の道具としての役目も持っていた。

 早い時期から流行った刀で、王侯貴族が身につけたもので、『漢書・九十六上・西域伝』に「山に鉄あり、自ずから兵を作る。兵に弓・矛・服刀・剣・甲あり」と記録されているものである。後世日本の短刀が、この服刀の形と構造を伝えている。

 Photo_2 『環首刀の構造と連結方式』

 現存する環首鉄刀の大部分は出土品であり、錆に覆われていて腐食具合が著しく、刀柄、刀身、刀首が一体になってしまっていて、はっきりと境界がわからなくなったものも多い。その中でも最初から一体になった状態で作られたものは見分けやすい。

 まず最もよく見かけられるものは、刀茎と刀身が一体になったものであり、環首は別に作られて、あとから加熱して打ちつけながら、溶接されたものである。二番目は、環首を別に、柄の幅に合わせて作り、そのまま加熱して溶接したもの。三番目は比較的稀にしか見ないが、環首は別につくり、刀柄の先端を曲げて取り付けたもので、茎は焼きいれがなされていない。この刀刃は異常に硬く丈夫で、漢代の熱処理技術が非常に高水準であったことを物語っている。第四の方法は、刀茎と環首を一体製造するもので、刀身にはめ込んで溶接し、その後、目釘で固定するもの。第五番目のものは、刀柄、刀身、刀首を完全一体鍛造するもので、環首内側に、デザインが施してある。Photo_3

『漢鋼鉄刀の外装と配飾』

 環首刀はいくらかは残っているが、外装まで残っているものは極めて稀である。最も完全な形で残っているものは、河北省満城の漢・劉勝の墓から出土した金環刀で、この刀の環首は金箔で覆われており、木の鞘は朱の漆を塗った麻が巻きつけられていた。

 劉勝は中山王であったが、飾りたてているだけではなく、前漢初期の環首鉄刀15としての実践的な特徴も残している。ただし身分相応の装飾としては、環首の金箔、鞘を金帯で巻き、茎は2つの木片が挟み込まれており、それを織物で巻いていた。

 環首鉄刀では刀身と刀茎との境界がはっきりしておらず、この種の直刀には護格がないのではないかと思われていたが、前に取り上げた120㎝の長刀を見ていただければ、青銅製の護格があることに気づかれると思う。

  ただしその形は三角形をしており、剣の場合の菱形と区別することができる。日本等をよくご存知の方には、日本刀のつくりとよく似ていることに気づかれるかも知れない。

 陳先生所蔵の漢環刀は、二つの柄をタガで止めて一個の鞘口にしたものがある。タガの材質は錫の合金であり、端のタガの上には「米」の字の模様が刻まれている。16

 後漢成立以降、刀の鍛造と装飾は次第に凝ったものになり、環刀には文字が刻まれたり、金で象眼されたり、刀環にも様々なデザインの彫刻が施されるようになった。環刀の飾りもますます多くなり、次第に「はい(人偏に凧に似た字)刀制度」が出来ていった。『後漢書』などにも記載があるが、階級によって『環』『室』の材料、色彩、紋飾などに明確な規定があったことがわかる。残念なことは、それらの現物が残っていないということである。17

『漢鋼鉄刀剣の製造技術』

 1950年代以降、中国内ではかなりの漢代の鋼鉄刀剣が出土した。鉄は腐食しやすいので、大分は保存状態が良くなく、ボロボロになっていたし、これらは国家の重要文物であったため、簡単かつ基本的な調査さえ行えないようなありさまであった。

 それでも各地の冶金研究機構の努力で研究が進み、漢代の鋼鉄冶煉技術が、発達した科学的土台の上に成り立っており、漢代の錬鉄工業や鍛鋼技術、それに熱処理技術などは、当時の世界最高水準に到達していたということが明らかにされた。

一、原材料。大部分の漢代の刀剣は、原始的な鉄を鋼に変えたものであるか、鉄と鋼をあわせたものである。前漢初期に作られたものは、鉄鉱石を精錬して折り曲げながら鍛えた、炭素含有量の低いものであったが、それでも前漢後期に作られた炒鉄は、既に鋼の範疇に入るものであり、それまでの鉄剣の概念を覆すものになっていた。

二、鍛造術。前漢から後漢にかけて、鉄製刀剣の質は、原材料の質的向上と、鍛錬技術の発達を基盤にして、飛躍的の向上した。繰り返し折り曲げて鍛えていくという基本的な鍛造法を行っていく中で、非金属の混ざり物を少なくし、材質を均質化していった。

 後漢の初期の百煉鋼技術は、原材料をなんども折り曲げて鍛えることで、刀剣の品質を向上させたが、その代表作的なものが「sa(川という字の真ん中に横一。三十という意味の字)jian(さんずいに束に似た字。こんな字、辞書にもないよ)」環首長刀である。刀身には錯金火焔模様と紀年銘文が刻まれており、鑑定によれば高炭素鋼を繰り返し折り曲げて鍛えている。刀身の硅酸塩の混ざり物は明らかな層になっており、これが約30層ほどあることから、刀身の銘文にある「sajian」の通り、30回折り曲げて鍛えたということを示している。

 sajian、五十jian、百煉も百煉技術に属している。これは当時としては最新の技術に属するもの19で、一つの炒鉄を何度も繰り返して鍛える方法だったが、これだけが漢代の鋼鉄刀剣を作る際の最高技術というわけではない。この技術を土台にして、何種かの鋼鉄を複合する技術が現われたからだ。すなわち含有炭素量が異なる鋼を何層にもして、一体にして鍛え、激しい衝撃などが加わった時にも折れたりしないようなものを作り出した。これは多くの漢代の刀剣で見られる技術である。

三、熱処理と焼きいれ。漢代の優れた鋼鉄刀剣には、かならず熱処理と焼きいれの工程が必要とされた。これは刀剣製造の最後に行われる、もっとも重要な工程である。焼入れのために刀剣を水に入れる際、優秀な力量を持った刀匠が判断しなければならない。漢代には局部的焼入れ技術が現われただけでなく、より成熟した焼入れ技術である、敷土焼きいれ技術も生まれた。

四、研磨術。刀剣の研磨は、二つの重要な意味を持っている、一つは合理的に刃をつけること であり、刀剣に刃をつけるのは、それぞれの刀剣によって異なるので、専門の磨ぎ師の手で行わなければならない。二つ目は装飾的な意味合いである。正確な研磨技術は、刀剣の美を高め、熱処理の成果を最高の形で引き出す。漢代は刀剣の研磨技術が発達したが、鑑定士は刀剣を見るだけで、正確に鑑定することができた。もちろんそれには十分な経験を積む必要があったが。

 広州南越王墳墓から出土した磨剣石(砥石)を見ると、当時の王侯がどれほど刀剣の研磨を重視したかがわかる。実際、漢鋼鉄刀剣や青銅刀剣の研磨はとても複雑で、高い能力が必要とされた。刃口の鋭さだけでなく、線条分明についてでもある。漢および漢以前の刀剣の断面は、多くは多角形であり、往々にして大きな丸みをもつ王溝を持ち、刃口はそれと平行に凸辺を持っていて、その幅は1㎜程度である。このような刀剣の研磨を行うには、高い研磨技術が必要とされた。

 1974年額済納河流域から出土した漢簡には、6枚の刀剣鑑定の竹簡があった。どれにもここに述べたようなことが書いてあったが、「白堅」の似文字は何度となく使われていた。これは焼きいれの際に生じる馬氏体で、隋唐では霜雪と呼ばれたものである。

↑漢簡:其逢如不見白堅未至逢三部所而絶此天下利(善剣なりという意味である)18 20

←漢環首刀の研磨

 研磨後の刀身表面(切断面ではない)。炭素含有量が異なる鋼鉄が層になっているのがはっきり見てとれる。色が浅いものは高炭素鋼。黒いものは低炭素鋼あるいは錬鉄。

←環首長刀

 長さ67㎝。幅2.3㎝。厚み6㎜。

 鋼鉄を様々に組み合わせて鍛え上げた刀身は、剛柔いずれの性質も備え持っており、弾性に優れ、弓上に曲げても、手を放せば、即座にもとの真っ直ぐな状態に戻る。

  *   *   *   *   *   *

 あ~、しんどっ!

 こんなことやってたら、身がもちまへんので、本当に紹介するつもりしかないので、次回からダイジェスト版にしちまいますね。ほんと訳していると、著者の気合が乗り移ってきて、ついついやりすぎてしまうけど、本当は見たい人はみんな買ってやってちょうだい。誰でもそうだけど。物書きは自分の本が売れることが嬉しいものだから。

 次回から、歴史的背景を、その中で刀剣がどう変わっていったか。そしてその時代で私が「あれっ」と思ったものとか、これはきれいだなあと思ったものしか載せないようにします。そうでもしないと、半年は軽くかかっちゃうもの、紹介だけなのに。

 さて、この時代の日本はどのような有様だったかというと、AD57年に倭の奴国が、光武帝に貢物をし、金印を受けたとされている。倭国の大乱はAD146年頃から190年頃だといわれているから、卑弥呼が現われる数十年前というところですな。

 そんな時代に、昭和初期に作られた日本刀よりも弾性に優れた刀剣を作っていたわけだから、確かに古代の中国恐るべしである(ということは、日本人の学習能力も恐るべし、ということでもあるけどね)。実は現在私は唐代のところを翻訳しているけれど、唐代には遣唐使に出た日本人は、唐刀剣およびその作り方の勉強を盛んにやっているんだよね。そして「唐大刀」とか「唐様大刀」とかを盛んに導入したり、日本国内で作っているわけだけど、これがまた出来がいいらしい(この本の中では、性能について触れてはいないが。まあ現代日本に来て、日本の国宝だとか、重要文化財を曲げたりものに叩きつけたりしたら、即強制送還されるだろうから、無理もないけど)。

 私は日本人だから、日本との関係が知りたいという欲求が強いので、とりあえず先を急ぐことにする。ただこの著者の皇甫江という人も、日本刀は高く評価していることは明らかだ。なぜならば、性能を語るとき、いつも比較に出すのは、日本刀だからである。

 やっぱり日本人って優秀なんだよね。いくら「模倣が旨いだけで独創性にかける」なんてことを言われたって、そこまで一つのことを深めていけるのは、日本人の特性として素晴らしいと思うよ。世の中には独創性もなければ、模倣すらできない人間なんて山盛りいるんだから。

 私は日本人の「模倣」は、ある種の「独創性」ではないかと考えたりしているんだけどね。だって面白い文化を創っているよ、日本人は。最初は「かぶれる」人が出てきても、最終的には日本スタイルになっているもの。これって日本人の強靭な魂がやっていることだと思うよ。私は日本が大好きだが、やっぱり日本人は本質的に、日本人的美徳に溢れているからだと思うね。

 今までも何冊となく、いろんな国の人が書いた本を、原書で熟読したことがあるけれど、外国のものに触れるたびに、日本の素晴らしさを感じることが多い。これって私的には、立派な愛国的な行為に変わっているんだね。この国に生まれてよかったよ。本当に。

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