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2007年11月 8日 (木)

補完機能

 朝、通勤中の車の中でテレビを見ていると、相変わらず政治の話を取り上げている。それは悪いことではない。私は日本の国民だし、政治とは無関係に生きることは出来ないし(参加すると言っても、せいぜい選挙に行くくらいのものだが)。でもどうして政治家の皆さんは、人が喋っているのを押しのけてまで喋ろうとするのかなあ。

 どの人も、ご自分の主義主張を持っておられるのはわかるけど、そして番組には時間の制約があることもわかるけれど、どこぞの町内会よりもレベルが大して高くないような、人が喋っているのを打ち消すような話し方には、あまり好感が持てないね。人が話しているときはちゃんと聞こうよ。それからご自分の意見を語られればいいんじゃないかな。聞きにくくっていけない。

 さて先日の参院選で大勝利をあげた民主党の小沢代表が、辞めると言ったり、辞めないと言ったりで、いろいろと苦しんでおられるようである。私は幸か不幸かこの人を存じ上げないが、一つの大きな政党の代表は、とんでもない重責なのだろうと想像する。 

 考えてみれば誰でもわかると思うけど、どんな優れた人間だって、個人の能力には限界がある。だから何をしようとしても、腕のいい、気心の知れた助手は、絶対必要だよね。誰かが補完してさえくれれば、別に「恥を忍んで」なんて悲しいことを言わないでもすんだのだろうにね。

 もちろん私は、民主党がどうのこうのと言っているんじゃないよ。以前も本ブログで書いたように、私は自分に暮らしやすい、夢が叶えられる国にしてくれるのなら、どの政党でもかまいやしないんだから(多くの日本人は私と同じじゃあないかな?)。ただ物事に取り組んでいく上で、人の動きに興味があるから、つい気になってしまうよね。

 誰かがサポートしてくれると、我々は随分動きやすくなる。後に述べるが、私の周囲には、いろんなサポートをしてくれる人がいるので、本当に助かっている。こういったサポートをしてくれる人には、いくら感謝したってし過ぎと言うことはない。ほんとにありがとう!

 ある集団がもしも、都合だけで固まっているだけの集団だったとしたら、そして本心は皆「俺が、俺が」と思う人達ばかりだったら、きっと何があっても、誰もサポートしないというような形で表に現われると思うけど、こういう組織ほど壊されやすいものはないよね。「利」で釣られたら、きっと仲間でも簡単に裏切ると思うよ。まあ「仲間」とは思っていないかも知れないけど。

「利」で釣られた人間の末路は大体決まっている。こんなことは歴史の勉強をしていれば簡単に予想できる。「利」をちらつかせて相手の集団を分断するってことは、その次に来るのは「各個撃破」だよね。集団だとなにかと攻めにくいけれど、バラバラになったら身を守れないもの。「利」で釣ったりはしないけど、「各個撃破」という戦法は、野生のオオカミだって、狩りを行うときに使う戦法だから、ちょっと賢い人だったらみんな使うよ。

 本来「チーム」というものは、ある目的を達成するために、メンバーがお互いに補完しあうところからスタートする。「自分さえよければ、それでいい」なんて考え方からは、絶対にチームはできない。スポーツなんか見たらよくわかるね。野球にしたって、サッカーにしたって、その他の多くのチームスポーツにしたって、ポジションがある競技は、最初から「補完」を考えているから、ポジションがあるわけだ。その中でさらに誰かがミスをしたときでも、他のメンバーがそれを補えれば、とてもいいチームということになる。

 職場でも同じだよね。○○部とか△△課とかがあること自体、「補完」を考えてのことで、更にポジションを細かく分けるために、係長とか課長とか部長とか、平とかが決まってくるわけじゃない。これだって部長のチョンボをカバーできるような課長がいれば凄いことになるよね(現実問題として困難なことが多いだろうけど)。でも平を庇う上役は、結構いるよ。これだって、チームがいいチームになっていく上では大切なことだろうと思う。

 私は、「イエスマン」ばかりで出来たチームは最初から信用しない。前の内閣がそうだったって、週刊誌か何かに書いてあったけど、まあ「お友達」と言われていたから、そんなところがあったのかも知れない。なんで「イエスマン」ばかりのチームが良くないかと言えば、「ノー」という側の人材の観点がなくなるからだ。

 もちろん「イエスマン」の集団を率いるリーダーは、物事が調子よくいっているときには、いい気分だろうと思う。でも流れが悪くなった時には、大変なモロさを露呈することが多い。どうしてだろうか。理由は簡単である。「ノー」を言う人は、「イエス」しか言わない人が持っていない観点を持っているからだ。

「ノー」と」はっきり言うからと言って、その人がチームの目的に反対しているわけではないだろう。例えば日本の政治を考えたら、誰だってこの国をよくしようと言う気持ちは持っておいでだろう。大目標が同じということは、その人はただの「反対のための反対」をしているわけではあるまい(そうあってほしいものだ)。ただその人の観点で見たときに、何らかのデメリットが見えるから、「ノー」と言うのではないだろうか。

 すると、「ノー」という人はリーダーの敵なのではなくて、犯しやすいミスを指摘してくれる、かけがえのない存在だということになる。「イエスマン」集団が好きな人は、このあたりを勘違いしていることが多い。「イエスマン」集団は、「ノー」といえる人が指摘している欠点を責められたら、案外簡単に失敗したり負けたりしてしまうものなんだ。

 だから私は、私のことを思って「ノー」と言ってくれる人を、とても大切に思っているよ(言われた時には「むっ」とすることはあるけどね。まだまだ修行が足りないもので)。だって本当に私のことを思ってくれなければ、私の気分を害するような「ノー」までは言ってくれないもの。反対に私に迎合ばかりするような人には、かえって警戒しているよね。何かを狙っているんじゃないかとね。

 だから私は今、人間関係に関しては、極めて恵まれた状態にあると言える。だって平気で私に「だめです」とか、「やらないほうがいい」なんて言ってくれる人が、身近に大勢いるもの。ブンブンですわ。

 今回の辞任発言を慰留に走ったのにしても、私の目には(あくまで「私の目」ですよ)、「今辞められたら、自分たちでは支え切れない」と言っているようにしか見えなかったもんね。そんなだったら、最初に、補完してあげればよかったのに。その方がはるかに見ていて気持ちがいいし、多くの人が肯定的に見ると思うよね。

 密室とやらで何がどうなったのか知らないけれど、某氏が「雨降って地固まる」と言っていたけど、本当に「雨」程度だったのかね。私みたいな見方をしたら、この集団の本質が露になった大事件だったと思うんだけどね。屋台骨が揺れたんだよ。これが家だったら、防災の観点から、リフォームしなきゃだめかもしれない状態かも知れないんだよ。

 まあ私は、周囲に「ノー」も「イエス」も言ってくれる人達がいるので、幸せなことこの上ない。私がしたいと思ったことでも、「ノー」と言われたら、考え直したり、工夫したりすればクリアできるのだから。これって随分、優れたトレーニングになっていると思うよ。周囲の人達に、伸ばしていただいていると感じている。ただひたすら、感・謝!

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