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2007年12月11日 (火)

中国の鋼鉄刀剣・9 ~隋唐(2)~

 遣隋使・遣唐使という人達は、何をどう考えて、危険きわまりない荒海を渡り、中国へ渡ったのだろうか。我が日本という国は四方を海に囲まれているので、新しい文化や技術を学ぼうとした新進気鋭の人達はみんな、こういった危険を冒してきた。

 危険と遭遇する確率が高いということは、ただの頭でっかちや、理論だけの人間にはクリアできない壁があるということである。人間、最後は体力勝負という部分があるが、飛行機でひとっ飛びという現代と比べれば、さぞかし難関であったろうと思う。

 そして不思議なことだが、古代には広大な海原や、途方もない陸路(それが砂漠だったりすれば、海と大差ない。昔、大学時代に、フェニキア人について調べたことがあるが、この海洋民族は、実は砂漠の民に起源を持つという。砂漠も海も似たようなものだったのだろう)を渡って、世界中を旅するような人達がいたらしい(日本の縄文式土器そっくりのバルデビア土器が、地球の裏側のペルーから見つかったりするのだから)。

 古代の人達は、少なくとも私なんかよりもはるかに、忍耐強く、気長に、そして大変な勇気と、それを裏付ける体力と、きっと現代に来ても驚くようなレベルの発達した明晰な頭脳を持って、危険極まりない旅を続けていたにちがいない。ただひたすら、尊敬するだけである。

 ということで、今日は『中国の鋼鉄刀剣』の9回目。中国の鋼鉄刀剣の最高峰となる、唐代である(剣はすでに武器としての主役の座を刀に譲っているが)。日本から遣唐使が盛んに派遣され、多くの文化を学び、どんどん日本へ持ち帰っていた頃のお話だ。

   *   *   *   *   *   *

第二節 唐代刀剣

☆ 唐刀

 唐は武力で隋を滅ぼした。さらにその後の一連の大規模な戦役を経て領土を広げ、当時では世界最大の版図を獲得するにいたった。唐の最盛期の軍隊は、兵種は多様、人数は膨大で、装備は優れ、非常に剽悍に戦った。

 唐軍の戦法は歩兵・騎兵の混成であり、軽騎を主力とし、機動作戦をもって相手を霍乱、殲滅するものであった。もちろん騎兵、歩兵ともに柄の短い長刀を武器にしており、唐刀は唐代を通して、内外の戦に使用され、同時に中国と東アジアの冷兵器(火器に対して刀、槍、矛などを冷兵器と呼ぶ)の発展に、大きな影響を与えた。

☆ 唐刀の形と種類

 唐・玄宗が編纂を命じた『唐六典』は、唐の開元26年に完成したが、その中の「武庫令」に唐初期の刀の分類が記載されている。「刀に4種あり、一に儀刀、二に障刀、三に横刀、そして四にbai刀」とあり、さらにそれぞれの役割についても、儀刀は儀礼用の刀で、みな龍鳳環(刀首の環に龍や鳳凰のデザインがある)を持っている。隋代にいたりこれらを金銀で装飾した。

 障刀は護身用の刀であり、横刀はいつも身につける「はい刀」であって、横刀という名称は隋代からできた。bai刀は長刀で、歩兵が騎馬兵の、馬を斬るためにもちいたものである(日本にもこれよりかなり後で「斬馬刀」ができた。大三島の大山祇神社には山中鹿之助らが実際に用いた、刃渡り180㎝を越えるものが奉納されている。興味がある方は「しまなみ街道」を通られる際に立ち寄ってみられるといい。驚愕すること請け合いである)。

 これとは別に唐代には短柄刀として、刀身が湾曲した彎刀というものもあった。以上儀刀は純粋に儀礼のみに使うもの。護身用の障刀は形状が不明で、実戦で使われた横刀、長柄で両手で使ったであろうBai刀、および彎刀がこの時代を代表する刀といえる。

☆ 横刀

 当時の唐軍の装備として一般的なものは、短柄兵器は横刀、遠距離を攻めるには弩、長い柄を持ったものとしては槍を使った。中でも横刀は最も普及率が高く、8割以上の兵士が装備していた。騎兵・歩兵の全てが横刀を装備していたと考えられている。

 唐軍の軍規は厳しいもので、宿営地では兵士は常に横刀を帯びていなければならないと、『唐律疏議・巻八・衛禁律』にもある。また横刀は武器というだけではなく、将兵の位を表すものでもあった。

 唐横Photo刀その一

 この刀は全長が1mを超える。刀の背は丸く、最もぶ厚いところで1cmある。弾性がずば抜けてすぐれており、千年以上の時間を経てなお、可曲自在である。  

 日本で征夷大将軍となった坂上田村麻呂のはい刀「黒漆太刀」の形状は、唐横刀その一ときわめてよく似ている。大変貴重なものなので、日本政府によって「重要文化財」に指定されてPhoto_2いる。

 坂上田村麻呂の祖先は漢の霊帝の子孫と言われており、阿知使主と称した。曹魏が帝位を簒奪するにおよび、7姓17県の人々を引き連れ、朝鮮半島経由で日本に亡命したといわれ、延暦 23年(西暦804年)、征夷大将軍に任じられたといわれているが、これは大唐の貞元20年にあたる。

 唐横刀そPhoto_3の二

 この刀はさらに驚くべき長さを持っている。刃渡りが110㎝を超え、刀の背は「人」字形である。最も分厚いところは1㎝を超え、鉄製で円形の鍔を持っている。刀茎は両手で持つように設計されており、尾部に穴が開けられて」いる。これは柄を固定するために用いられたのだろうと思われる。

☆ 彎刀

 唐軍の兵士の中には、横刀以外に彎刀を持つものもいた。これは西域の諸族が用いていたものが入ってきたと考えられている。このタイプの刀は、唐中後期から頻繁に使われるようになり、『安史の乱』では唐軍とウイグル族を除き、突厥、契丹など西北遊牧民族の武装はこれであった。

 騎馬民族と彎刀の生産は大きな影響を与え、次第に唐軍もそれを重視するようになって、伝統的直刀は彎曲しはじめ、長さも短くなっていき、彎刀が軍事力の主力になっていったのだが、騎兵にはなおさらこの傾向は強かった。

☆ 唐製大刀と唐様大刀

 隋剣と唐刀は、中国鋼鉄兵器の最も優れた時期を演出した。それは周辺のアジア諸部族・・・北は外蒙古から南はベトナム、西はパミール高原から東は朝鮮、日本にいたるまで、大きな影響を与えた。

 中でも日本の武士刀(いわゆる日本刀)の工芸は非凡であり、叩き切る力および見事な装飾は、世界中の好事家の垂涎の的となっている。ただこの日本刀の原型も、実は唐代の大刀である。

 唐の開元、天宝の盛時には、大勢の日本人が遣唐使として中国にやってきていた。遣唐使には唐製の刀を日本に持ち帰るだけでなく、刀匠について刀造りを学ぶものもいた。彼らが日本へ持ち帰ったものを、「唐大刀」と言い、日本へ帰国した後、唐大刀を模して作ったものを「唐様大刀」と呼ぶ。

 このような刀は、最初は皇室や貴族が身につけたが、奈良時代(西暦710~782)以降、更に大量に「唐様大刀」が製作され、武士階級にまで普及していった。これらは大きく2種に分類でき、一つはきらびやかな装飾を施された貴人用のもの、もう一つは実戦用のものである。

 ここで「刀が彎曲したのは、日本刀が起源である」という説があることだが、現実には日本へ唐大刀が伝えられる頃には既に彎刀は中国で造られており、それが日本刀の中で発展したと考えるほうが自然である。これは既に述べた「彎刀」と、後で述べる「橘夫人奉物」に関係した記述を参考にしていただきたい。

 隋剣、唐大刀および唐様大刀は、日本政府によって「国宝」とされ、現在も原型を保ったまま、皇宮、大きな神社や博物館に保存されている。すでに載せたが、隋剣や四天王寺の「丙子椒林」剣、七星剣、正倉院の水龍剣などである。さらに唐大刀と考えられているのが、正倉院の「金銀平脱横刀」「金銀鈿庄唐大刀」さらには鹿島神宮の「直刀」などである。

 金銀平Photo_4脱横刀

 柄長14.9㎝、鞘の長さが39.1㎝、刃の長さは35.2センチ。刀身は平らで真っ直ぐ、切刃造りである。刀茎は刀身より狭く、前が広く、後ろが狭くなっている。尾には孔が開けてある。 刀柄は沈香木製で、鞘は黒漆を塗り、その上に金銀の箔で唐鼻、唐草、流雲、走獣のデザインがある。柄と鞘は銅を巻いて純金で飾っているなどきらびやかである。

 金銀Photo_5鈿庄唐大刀

 この刀は全長97.8㎝、刀の長さは78.2㎝、刃の幅は3~2.2㎝、直刀で切刃造りである。刀の先端は両方に刃がついている。刀の造りは非常に良質であり、装飾も華美である。日本や欧米の研究者の中にも、この刀は中国製であると認識している者もいる。

 金銅黒Photo_6漆装唐直刀

 鹿島神宮所蔵の「直刀」で、一部の学者が「唐大刀」だと認識しているものである。製造は8世紀初めであると予想され、一説に西暦704年の作という。これは日本の慶雲元年である。この刀で最も驚くべきことは、全長が256㎝、刃だけで223㎝もあるということだ。背は真っ直ぐで切刃造りである。 刀鍔は明らかに漢の剣格の形を継いでいる。 

銀飾Photo_7嵌宝石唐短刀

 日本人が唐から持ち帰ったのがすべて直刀だったというわけではない。正倉院には一対の唐短刀が奉じられており、この短刀が彎曲しているのである。説明では「橘夫人奉物」とあるが、この「橘夫人」は聖徳太子妃であり、光明皇后の母である。この刀は、刀柄と刀身は同じ方向に彎曲している。鍔はない。柄頭は銀で覆われている。鞘も銀細工で包まれており、唐草と花と、様々な宝石で飾られている。

 聖徳太子は西暦621年に亡くなったが(私の記憶では622年のはずだが・・・)、これは唐の高祖の武徳4年にあたる。橘夫人がこの短刀を奉納したのは、これより何十年か早かったと思われるから、やはり唐初のことであろう。これからわかることは、やはり彎刀は中国で生まれたということではあるまいか。ただし日本では彎刀を導入したあと、その発展が素晴らしく加速されていったことである。  

  これらが唐大刀であるか、日本で作られた唐様大刀であるかは、依然議論の的であるが、これらの刀についての日本の神社や博物館の説明では、製作年代や製造法についての記述が曖昧である。

 日本の一部には、これらが「唐様大刀」であるとする(つまり日本で造られた)説を唱える人もいるが、日本等の源流について、著名な学者である清水橘村が1932年に出版した『刀剣大全』の中で、日本の古刀は中国から高麗を経てやってきたと述べている。周先生の訳によれば、「わが国古代の衣食住や工芸美術、様々な技術はみな中国から伝来したものであり、刀剣は本邦では特有の進化をしたけれども、初期のものは中国から伝わってきたPhoto_8と考えるべきであろう」 この言葉は当たっており、事実に近いのではないかと思われる。

☆ 唐剣

 唐代は勇猛で進取の気風があった時代である。その中で唐刀は漢以降千年近くにわたって続いていた刀の環首を変えてしまった。これは剣においても同様であり、春秋期に始まった1500年に及ぶ剣の形を変えてしまった。この時作り出された剣の形は後世に受け継がれ、現代に至っている。

 剣の形状は細長く、全体に飾りが施されている。剣頭は火炎状で、剣格は長く反りPhoto_9返っており、蝶のような形の護手になっている。剣首は三耳雲頭形になっているが、これは日本の興福寺にある「持剣天王像」にその特徴がよく表現されている。

   *   *   *   *   *   *

 文明の発達は様々な進歩を起こす。それによって我々の生活は、いろんな影響を受けるのだが、特に生命の奪い合いの場である戦場で使われるものは、最も優れた技術が反映されただろう。例えば武器が発達すれば防具が発達する。防具が発達すれば、武器だって発達する。

 また武具によって、戦法は大きく変化するだろう。戦法の変化は、また新しい武具を生み出すだろうし、それによってまた戦法も変化するに違いない。

 昔『西太后』という映画を見た。そこでは清末の奇妙な戦争シーンが出されていた。中華思想に凝り固まって、新しい戦い方と武器に対する研究と、研鑽を怠った清軍が、最新式の火器を主体にしたヨーロッパの軍隊に、青龍刀をかざして突進し、狙い撃ちにされてばたばた倒されていくシーンだ。

 きっといくつかは本当にあった話なんだろうと思う。時代錯誤的な戦術のお陰で犬死したそういった兵士の中にも、きっと状況によっては英雄的な活躍をした人だっていたんじゃないだろうか。

 時代の先端ばかりを狙って、自分を見失う必要はさらさらないけど、現実については、真正面から見なければならないことって、結構あるよね。それは武器なんて血なまぐさい話だけに限ったことだけではなくて、最近、低下が叫ばれている日本人の学力だって同じだもの。

 世界のトップレベルにいるという安心が、ある意味「中華思想」的な作用をしていなかっただろうか。人間の社会は基本的に、進歩しようとするものだ。その中で進歩しなくなったら、当然落ちていくわな。まして「ゆとり」だなんぞと世迷いごとを言い出したら、落ちていくなんてもんじゃすまないよ、きっと。

 平和ボケは政治だけじゃなくて、いろんな面で起こり得る現象だ。それは何を見ても分かる気になればわかってしまうくらい簡単だよ。でも「ゆとり教育」だなんぞとタワケタことを拭いた御仁には、何を見ても何も気づかないんだろうけどね。

 人は罪を犯せば罰せられる。こういった基本的大方針で進路選択を誤った御仁がのうのうとしているのは、ちょっと解せないね。まあ思考停止しているから、誰かが肉体的に傷ついたりしなければ、罪を犯したことにはならないんだろうけどね。

 でもよく考えてみると、昨今の「産地偽装」なんて、食中毒一つ出していないんだよ。それに対して「ゆとり教育」を提唱した御仁は、日本人の学力を下げたわけだ。言ってみれば脳みそが食中毒を起こしたようなものだ。

 頭脳ってのは、人によっては刀剣のように、人生を生きる武器になるものだ。その武器をなまくらにしてしまった人は、昔ならきっと厳罰だったと思うよ。刀剣の発達の歴史を考えていたら、こんなことに気がついてしまった。さあどうする?

 

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