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2008年10月31日 (金)

『中国の鋼鉄刀剣』・26 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(6)~

 中国の鋼鉄刀剣ファンのみなさま、今晩は(夜、打っているもので。朝ご覧になる方には、「お早うございます」、昼間にご覧の方には「今日は」と置き換えてください)。久しぶりでございますが、そうそうに始めようと思います。

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『中国の鋼鉄刀剣』・26 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(6)~

○ 嘉慶皇帝御制佩刀

 この刀Photoは鞘も柄も純金をちりばめた鉄製であり、花と葉のレリーフで飾られている。金の工芸技術は非常に高度である。鞘は景泰藍(チンタイラン:銅製の七宝焼き)で、隙間なく宝相花で覆われ、大層豪華である。

 木製の柄は黄色い紐でまかれており、飾り紐も黄色い紐でできている。

      ☆        ☆        ☆

☆★☆Photo_2白虹刀のたどった経緯と清の滅亡☆★☆

 白虹刀は道光皇帝の御制である。道光29年(紀元1849年)第六王子奕斤(言へんに斤、yijin,えききん)への特賞として賜ったものである。

『清史稿・列伝八』によれば、恭親王奕斤は宣宗の第六子であり、文章の大家であると同時に、武事にも秀でており、槍法28勢、刀法18勢を制定したので、宣宗はこれを賞し、「槍は棣華協力、刀は宝鍔宣威。以て白虹刀を奕斤に賜う」とあPhoto_3る。

 奕斤(紀元1832年~1898年)は愛新覚羅氏、道光帝の第六子である。紀元1853年(咸豊3年)9月、太平天国北伐軍が畿南に迫ったとき、咸豊帝は奕斤に命じて、軍機大臣に代わって命を行うようにと、先帝より佩刀として賜った、白虹刀を贈り、威厳を添えた。

 それに続き、1860年英仏連合軍が北京を攻略したおり、彼は全権大使として英仏と交渉にあたり、「北京条約」を締結した。また1861年、命を受け、国事を司る衙門の総理となり、咸豊帝の死後、議政王となって軍機処および総理衙門を掌握、清朝の政治・外交および洋務運動に指導的な役割を果たした。

 1865年、慈禧太后(いわゆる西太后)の邪推を受け、議政王およびその他一切の職務から追放され、再び復帰したものの、総理衙門大臣、軍機大臣などの職の権限は弱まった。

 1884年、中仏戦争の時、慈禧太后によってまたも解雇されたが、1894年、日清戦争中にまたしても復活、総理衙門大臣、軍機大臣になり、軍務、政治を担当した。戊戌変法の初に病死している。

 奕斤は清朝の中にあって、世界に目を向けた一番の人物であった。彼が推進した洋務運動の成果は非常に大きく、海外から艦砲を輸入し、当時の最新式の陸海軍の編成に努め、近代的な軍の整備や、民間企業の立ち上げを奨励し、西洋に学ぶことを勧め、科学技術や語学に堪能な人材を育成し、駐外公使や留学生の派遣に貢献した。こうして中国はゆっくりと近代化への道を歩み始めたのである。

 洋務運動を推進した結果、道光帝や咸豊帝が想像もしていなかったような変化が起こっていた。奕斤は賜った白虹刀に相応しい活躍をしていたのである。

 奕斤の死後、その孫、愛新覚羅溥偉は、光緒24年(紀元1898年)、恭親王を継いだとき、同時に白虹刀も継承した。溥偉の子は『我知道的溥偉(私の知っている溥偉)』の中で白虹刀に伝奇的運命と不遇を回想している。

「私は1923年、大連に生まれた。我が家がいかに北京から流落し、大連に至ったかについて、ざっと述べよう。 昔、咸豊帝から恭親王奕斤に賜ったものの中に、白虹刀があった。それは現在言われているように『尚方宝剣(切り捨て御免の剣)』的な威厳を持っていた。これは誰の許しも必要とせず、人を切って捨て、後で報告すればよいという特権の象徴である。かつてこの刀は、実際にそのように使われたという噂もあるが、私は見たことはない。

 後に白虹刀は私の父、溥偉の手に移った。光緒帝はその死に臨み、摂政王載feng(さんずいに丰)に袁世凱を殺すようにと命じた。私の父は、この白虹刀で袁世凱を殺すと答えたが、後世の歴史家はみな知っているように、清朝内部でぐずぐずしているうちに、袁世凱を殺すどころか、彼は大総統にまで出世するにいたった。

 私の父は袁世凱の報復を恐れ、青島もドイツの租界地へ逃れた。第一次世界大戦後、青島は日本に占領されていたが、1922年に民国に返還されていたのである。それから共和制に反対する動きがあり、父は復権のために大連へと帰ってきていた。

 その間この刀は大連の収蔵家の手元に置かれていたはずである。我々の家族は青島という海に近いところに住んでいたので、潮気が強く、刀に錆が出てはいけないと考えていたからだ。 後に刀研ぎ師……彼はミシンによくにた道具を使っていたが……に研いでもらったところ、白虹刀はまだ美しかった。

 父は1936年に亡くなったが、我が家は依然として清王室の規定にしたがい、私はまだ三つの伝家の宝を持っていた。咸豊帝の密諭と大閲御用の黄糸腰帯の紫宝石と白虹刀である。私は溥儀が長春に赴くにあたり、彼について行ったのである。

 ところが長春で白虹刀を抜こうとしたのだが、昔「宝鍔宣威」と呼ばれ、聖なる宝物とみなされていた白虹刀は、親王の子孫の手を渡り歩いているうちに、意外にも鞘の中で錆びついて、鞘から抜くことができなくなっていたのである。清という国の滅亡の原因は数多あるが、これもその中の一例であるかも知れない。このような有様でが、清の滅亡は避けがたいものであったといえよう。

 武を好み、武力によって天下を取った民族であっても、このような姿勢になってしまっては天下を保つことは難しい。先祖から伝えられていた宝刀を粗略に扱っていたのでは、中国の文化と伝統をどうしてリードしていくことができようか。これが列強の侵略を跳ね返すことができなかった理由の最大のものの一つである。

 清初の先達はこういったことを許さない人たちだった。もしも彼らが刀を鞘から抜かなかったら、果たして中国を統一することができたであろうか。乾隆帝はかつて「下馬必亡!」と訓示したことがある。馬の背で天下を得た者は、馬から下りれば必ず亡ぶ。戦い取った天下は、戦うことを忘れれば必ず天下を失うのである。不幸にして清末の皇族たちは馬から下りてしまったが、彼らがもし馬に乗り続けていたらどうなっていたであろうか。

 今日の中国でも、人々は安逸を追及するばかりである。だが真実は今も昔も変わりはない。下馬必亡! およそ中華愛国の武人たる者は、この言葉を熟慮してみる必要があるのではないだろうか。

     *      *      *      *

 著者の愛国心がよくわかったところで、少し長くなったのと用事があるので、今回はこのあたりでとめておきますね。

2008年10月30日 (木)

万物流転、再びっ!!

 2~3年前に腐った池で遊んだのを数日前に書いたが、見てみたいと仰る方がおられるので、別段隠すほどのものでもないから公開してしまおう。ただあくまで遊び半分でやったことなので、記録をとっていない(記録癖のある私なのだが、あまり忙しくなったり、他のことに興味が移っていたりすると、いい加減になってしまう。実はこれも自分で「やろう」と思って始めたことではなくて、人に頼まれてやったことだから、大して乗り気ではなかった。

 まあそれまでに手に入れていた方法論を、そのまま適用しただけのことで、だからもう既に記録を取る必要もなかったんだね。どうせうまくいくに決まっているから。これは何をやっても同じだが、「当たり前」のことは、人はわざわざ記録を取ったりしない。「ナンバ」の本当の姿が消えてしまい、珍妙な「ナンバもどき」が流行したのと同じだね。

 水の中に有機養分が多すぎる場合、これを水の中から取り除く必要がある。機械を使ったり、化学的な方法でもできなくはないだろうが、お金がかかるし、つきっきりにならなければならない。私は面倒くさがりやだから、そんなことをする間があったら寝ていたい(俗に、「果報は寝て待て」と言うが、まさにその通り)。

 水中の物質を取り除くことができるものといえば、一番に考えられるのが抽水性の植物である。これは根を水中に沈め、植物体の何割かを空気中に出している植物のことだ。こういった植物は、水中の養分で自分の体を作るので、抽水性の植物が繁茂するようだと、水中から有機養分が除去されていると考えてよい(我が家のアロちゃんの水槽の上には、面倒なのでポトスを植えているが、一年で数百mに伸びる。実はこいつの処理に苦労するくらいである)。

 それPhotoがスイレンという植物を採用した理由だった(花も綺麗だし)。もう一つはこの池は夏にはよく日が当たるけど、冬には日が当たらないという、半年遅れの冷暖房完備モノであった。いくら魚や水草であっても、あまりに水温が高くなれば、死んだり、枯れたりする。そこでまず水面に影を作りたかったのである。冬にはスイレンの葉は枯れて見えなくなってしまう(だいたいの水草はそうだが)。水中に入る光の量を調節する意味もあったのだ。

 実はこれについて失敗もある。面倒なので、ヒシを大量に持ち込んだのであるが、ヒシは案外高水温に弱い。一年目は殆どが夏に溶けてしまった。けれどもその時に一緒に少しだけ持ち込んだトチカガミという植物が水面を覆うくらい繁茂して、結果的にはこれが水温上昇を抑えることになり、遅ればせながらヒシも少しずつ根付き始めた。これもあと2年ほどすれば、まあまあになっていくだろう。

 要するPhoto_2に、そこが飼おうとしている生き物にとって快適になるようにしていけばいいだけのことであって、そんなにもの凄いことをしているわけではない。腐り癖のついた池の50tも水というのは、ちょっと量的にしんどい部分もあったけどね。

 水草水槽をやって失敗しやすいのは、水草を少しずつ植えていくやり方だ。入れるたびに溶けていってしまう。この「溶ける」という現象にも意味はあるのだが、最初から失敗したくなければ、どっさりと入れることだ。でも50tの水には、スイレン30株でも少なく見えたけどね(理想を言えば50株以上、100株もあればバッチリだろうが、それだけどうやってスイレンを手に入れるかが問題だ)。

 こうしておいてオオカナダモ(アナカリス)とか、フサモとかを入れる。水の腐る作用を弱めておいて、一気に水中の酸素量を増やしてやるのである(オオカナダモは光合成の働きが非常に強い)。水中の溶存酸素量が増えれば、魚を入れることができるし、水中でも嫌気性のバクテリアよりも好気性バクテリアの方が活動しやすくなる。ご存知のように好気性バクテリアの働きが強ければ、腐敗は起こりにくくなる。

 とにかく最初に植物をどっさり入れてやることである(あまり汚い川などで生えている水草は不可。汚い川には汚い状態になる条件が整っているので、汚くなる癖まで持ち込んでしまうからだ)。そして1週間も待てばかなり水中の環境は改善されている。そこへ比較的汚染に強い魚を入れてやる。これも面倒だったので、キロ単位で豪快に入れてやった。

 あとは掃除屋さんとして巻貝の類や、エビの類を入れてやる。これまたキロ単位である。汚れがあまり多いと、それを餌としている動物でも時として負けてしまうことがあるからだ。そして最後に、入れた動物が自然繁殖できるように、繁Photo_3殖に必要なものがあれば入れてやる。タナゴにドブ貝とか、ヨシノボリに平たくて丸い小石とかである。だいたいの魚はスイレンの根元とか、オオカナダモが茂っているあたりとか、抽水性の水草の根元とかで殖えるけど。 

 それがカキツバタだったりする。もちろんショウブもそう。花が綺麗で産Photo_4卵床になったりするもので、水中の養分を取り出してくれるものなら、こういった富栄養の水を改善するには大変効果的だ。だから稲でも良かったといったのは、養分の消費量がべらぼうに多いから(その分、水が綺麗になりやすい)だ。

 だから最初は何日かしんどい目に遭ったけど、あとは勤勉な植物さんが全部やってくれたんだよ。植物さんのお手柄で、私の手柄ではない。

 化石によると、最初に陸上に上がってきたのは植物だという。植物が陸上をすみ易い環境に変えPhoto_5ていった。そして遅れること1000万年、昆虫の仲間が陸上に進出してきたと言われている。私はこの順番を忠実に守っているだけである。

 植物は動けない代わりに素晴らしい能力を持っているからね。だからまず植物の能力を活かしてもらって、その後でゆっくりと動物を入れていく。それだけのことである。だから我が家の水槽には病気も入らない。健康な状態の動物は、病気になりにくいからね。

 ようするに水辺の環境をそのままマネして再現しているだけ。子供の頃から何度も川には嵌って、時には頭から突っ込んで裸眼で見たりしていたからね。あとは少し、人間様が見たときに「ほっ」とするものや、綺麗だと感じるものを、好みに応じて植えるだけだよ。

 動物は入れるたびに、何日間か、生きているか死んでいるかを観察することはするけど(まだ環境が整っていなければ、当然死ぬから)、この時は殆ど死ななかったなあ。何百、何千と入れた割には、まずまずだったね。最初に入れたツチフキだのカマツカだのは、もう30㎝くらいにはなっているんじゃない?(最初はほんの数㎝だった)

 あとはゴミだとか、ブルーギルだのブラックバスだの、ライギョだのが入らなければいつまでもバランスは崩れないと思うよ。(だから花が咲く植物を一番に入れた)

 ついでにこの池は30年近く昔に作られたものだそうである。気に食わない点がいくつかあるので、新たに池を作られる方は参考にしていただきたいことがある。まず第一には、水は水道水でいいから、水中に出るようにしないことである(そうなっている!)。噴水のように、空中を飛ばして水に入るようにしてもらいたい。

 空中を飛ぶことによって塩素はなくなりやすくなるし、落下して水面を叩くことで、酸素を取り込みやすくすることができる(マイナスイオンが発生するかどうかは知らない)。それから水が速く流れるところと、よどむところを作ること。深さも浅い、深いをつけて。どんなものにも自分に適した環境がある。自然界であれば自分で自分に適した環境を探して移動できるが、閉鎖空間ではあらゆる環境を準備するのが人間の役割である。もちろんくねくねと曲がった細い水路などもあったほうがいい。

 水は流れることで他のものを洗い流す。所謂「禊」効果を持つわけだ。よどんでばかりの水は容易に腐ってしまうが、ある時(ある所)では速く、またゆっくりと流れることで、自らを浄化していく(もちろん、バクテリアの働きなどで)。細かいことを言えばまだまだあるけれど、ざっとこの程度かな。

 あ、そうそう。最初のうち、枯れた植物などをどうするかということであるが、全部は取り除かなくてもいいと思うけど、状況次第で、気に食わなければ取り除いても構わない(枯れて溶けることで、水に必要な物質を溶かすことも!あるから。いつもそうとは限らないけどね)。

2008年10月29日 (水)

カップ麺1個400円? あっ、そう!

 ぼんぼん宰相がやらかしてくれたそうだ。28日、参院外交防衛委員会で、民主党の牧山弘恵議員の、カップ麺の値段を尋ねるという素敵な質問に、迷回答をしたらしい(ニュースで何度も流されたから、私も見た)。おいおい、大丈夫か? 今は平安時代でもなければ江戸時代でもないんだぞ。議会制民主主義の世の中なんだ。議員さんは国民の代表として政治を行っているだけなんだぞ。そんなに庶民の感覚に疎くてどうする?

 言うまでもなく食べ物は、生きるうえで最も大切なものの一つである。そしてカップ麺は(最近の私はできるだけ食べないようにしているが)庶民が昼ごはん代わりとか、ちょっとした夜食に食べる、最も身近な食べ物の一つだ。こんなものに対する基礎知識の欠如は、いかがなものかな。そうでなくとも先日スーパーに出向いたばかりじゃなかったの? あれはお得意のパフォーマンスで、本当のところ何も見てなかったんじゃないの? こう言われても文句は言えないところだね。

 私はマンガやアニメが好きだからといって、この人が庶民派だなどと思ったことはない。庶民感覚があるとも思っていなかったが、モロ露呈しちゃった形だね。この民主党の議員さんは、なかなかやるね!

 日本のマンガやアニメが好きだからといっても、政治家としては、それを明かす必要はまったくないはずだ。政治家が明かす以上は何か魂胆があると見たほうがいいかも知れない。それは自分の人気を上げるため、ではないかと私ならば思うね。

 実は日本のマンガやアニメは、海外で素晴らしく人気がある。私は中学生時代、漫画家になろうかと思っていたことがあるので、少しマンガの勉強をしたことがあるが、間違いなく日本のマンガのクオリティは世界一だと思う。きっと手塚治虫さんらをはじめとする、今までのマンガ家の諸先生方が努力された結果だと思うが、あそこまで質が高ければ、どんな業界にだってファンの人たちはいる。

 事実、日本のマンガやアニメは、世界中に出ていって大活躍だ。ドラえもんなんか何カ国語喋れるのかわからない。それだけ多くの国々で放映されているということだ。(中国版は主題歌を陳慧琳が歌っていた)ドラえもんだけでなく、私が知らないような日本アニメもバンバン放映されている(あまりに数が多くて、日本では見たことがないようなものもある。アニメ放映時間帯と、私がテレビを見る時間帯が合わないもので)。

 ならそういうアニメやマンガを好んでみてくださる外国の方々に、日本の庶民の生活がわかるかと言っても、判れというのが無理だろう。違う社会で、異なった生活をしているからだ。時々海外へ行っていて、日本語の意味と外国語に翻訳されたことが全く異なったことを喋っていてビックリするもとがあるが、あれはあちらにはない風習とか、ないものについて喋ったとき、その国で通用する、当たり触りのないものに置き換えて翻訳しているせいなんだよね。

 だから日本のマンガやアニメのファンでも、必ずしも日本は理解できていない。それと同じことが言えるんじゃないかな、このアニメ・マンガおたくを自称する人も。まあ「おたく」と自称することにも、政治家である以上、何らかの計算があるんだろうけどね。

 昨日のことを蒸し返してしまうけど、女子マラソンの高橋尚子さんは、プロとしての走りが見せられないから引退すると言った。「プロとしての走り」がどのようなものなのかは彼女に尋ねなければわからないけど、きっと今までの実績から言って、見ているものに感動を与えるような走りなんじゃないかと思う(かつての彼女の走る姿がそうだったから)。

 ではプロの政治家とは何なのだ? 途中で政権を放り出したり、その場その場の思いつきで好き勝手やったり、自分の子供をどんどん政治家にして世襲制にしたり、国民の気持ちはそっちのけで政党間での争いに狂奔したり。まさかこれがプロの政治家じゃあないよね?

 少なくとも「主権在民」を謳うこの国の政治家ならば、国民の大多数を締める、いわゆる庶民の生活は理解できているのが前提なんじゃないの? 庶民と感覚を共有することは最低限度必要とされる条件じゃないかなあ。

 私は総理が行かれるという、高給ホテルのバーのお酒の値段を知りたいとは思わない。それは私が暮らしている社会とは縁遠いものだからだ(今まで一度だけ、某社長に連れて行ってもらったことがある。シングル一杯、万がつくようなお酒をいただいたが、悲しいかな有難すぎて舌が痺れて、味がちっともわからなかったよ。分不相応なことをするとこういうことになる…)。

 でもなあ、カップ麺1個が400円くらいか… そういう感覚で全て考えておられるんだよね、きっと。ということは今のままではカップ麺1個が400円する社会になっていくということだ、この人がいる間にね。収入は減っていく一方だろうに……

 そういえば前の瓢箪を横から潰したような総理の時、「ゴールデンウィークにガソリンの値上げをするとは思わなかった」と発言した閣僚がおられましたな。彼はガソリンスタンドの皆さんが、どれほど苦しいやりくりをしていたのかを知らなかったのだろう。

 庶民はみんな、毎日いろんなことでやりくりしているんだよ。それを知らないで、選挙の時ばかり「お願い」をして回られても、煩くて迷惑なだけなんだがなあ。

 我々の周囲にはまだまだたくさんの、プロ意識を持った人がいる。所謂庶民の中にである。そういった人たちは、経営が苦しくってもできるだけ値上げを控えて頑張っていてくれたりする。テレビに中で「不安をなくすために政治をしている」なんてCMを流したりする暇があったら、少しは世の中のレートを知って、もうちょっと現実的に庶民が喜ぶことをしてもらいたいものだ。

 実際、カップ麺1個400円になったりしたら(他のものもそれに相応しく値上がりするだろうから)、「不安をなくす」どころではなくなるよ。食べるものを買うことが難しくなるんだから。

2008年10月28日 (火)

往く人来る人

 女子マラソンの高橋尚子さんが、とうとう引退されたのだそうである。国民栄誉賞はおいといても(これは他人様がくれるものだから。当然、それをくださる方たちの思惑も絡んでいるわけで。だからといって高橋尚子さんにその資格がないと言っているんじゃないからね。戦後の日本陸上競技界で、オリンピック金メダルなんて画期的以上のものだから。私が総理大臣でもあげたと思うよ)、彼女が出場するというだけで、そのレースに人々の耳目を集め、レース展開に興奮させられるような凄い選手だった。

 肉体は一秒一秒確実に変化していく。それはある時点から「老化」という、あまり聞きたくない現象になっていく。どんな人であっても、衰えという減少から逃れることはできない。それを技術や駆け引きやらでなんとかクリアしていても、体力が衰えていくことは絶対的な真理だから、どんな選手でもいつかはやってくることだ。

 畑は違うが、ロッキー・マルシアノというプロボクシング・ヘビー級世界チャンピオンがいた。彼は引退するまで50戦50勝(43KO)という超人的な戦績を残した人で、1956年に「もう戦う相手はいない」と言って引退したのだが(前年、アーチー・ムーアとの防衛戦で防衛している)、私が持っている古いビデオには、引退会見の席上彼が「もう何試合かだったら、まだいい試合をお見せできると思うが」と話しているシーンがある。

 この言葉から想像すると、やはり彼も徐々に衰えていくということは感じていたのではないかと思う。幸か不幸かボクシングは二人でやるものだから、対戦相手があまりいなくなればいい試合は見せられない。マラソンは大勢ではしるものだから、そんなことはないけどね(でも絶頂期のQちゃんが、圧倒的な強さを持っていたのは事実だ。ちなみにこのロッキー・マルシアノがヘビー級の王座についた試合は、ジョー・ウォルコットがチャンピオンだった。初回にダウンを奪われて不利な戦いを強いられたマルシアノは、13回に一発の右フックで逆転KOをやってのける。このパンチがなんと「スージーQ」という。同じQちゃんなのである。意外なところに共通点があったので、強引に話を結びつけてしまった)。

 かと思うと驚いたのはWBCの監督が、読売巨人軍の原辰徳監督に決まったんだね。いや私としては、星野仙一氏はないと思っていたけれど、原監督とはびっくりである。まあアジア予選が読売新聞の主催らしいから、そっちから考えればそんなに意外じゃないのかも知れないけれど。世の中、なかなか先が読めないよね。

 ただWBCは厳しい戦いになるだろうね。今年のオリンピックを見た限りでは、勝つのは至難の業のようにすら思えるが、どんなものだろうか。やはり勝負は蓋を開けてみないとわからないのだろうか。でも試合の前にベストメンバーを集め、ベストの状態にもっていくということが必要だから、なかなか大変だろうね。

 楽天の野村監督がなんか言っていたみたいだけど、私には「ちょっとやらせてみろや」と言っているみたいに聞こえていたね。表向き辞退するような発言もあったらしいが、「どうしてもあなたしかいない」と、門前に3日くらい座り込んだら、案外受けてくれたのかもしれないけど、まあ原監督で決まったのだから、それで頑張っていただくしかないね。

 私も日本人だから、応援はするよ。(私個人が応援したところで、見事なほど大勢に影響は全くないが)もしも勝てたら、そりゃあものすごく株があがるよ。今シーズンのペナントの大逆転どころではないよ。そうしたら本当に「来る人」(あるいは「来たーっ!人」)になれるよ。

 かくいう原辰徳監督だって、1995年に現役選手として引退している。それから後の指導者としての道を今歩いているわけだ。できたら高橋尚子選手も、引退しても、実り多い人生を歩いていけるといいね。これまた応援したい(何度も言うけど、私個人が応援しても、へのツッパリにもならないかも知れないけど)。

2008年10月27日 (月)

善戦

 あっちっち! ちょっと練習して帰ってきて、プーアール茶を淹れて飲もうとしたとたん、あまりの熱さに驚いてしまった。いや、今年の熱湯は熱い!(これは今は亡き、父の決まり台詞であった)

 私の父は、炎などで火傷しそうになったりすると、決まって「今年の火は熱い」とか、「今年の熱湯は熱い」だとか喚いていた。では昨年のはどうだったのかと言うと、やっぱり熱かったそうである。熱いと感じたときが一番熱かっただけのことであって、父の迷言には、意味不明なものが非常に豊富であった。

 一番受けたのは、「濡れ雑巾の乾いたの」というのがあった。濡れ雑巾は濡れた雑巾であって、乾いてしまえばただの雑巾である。こういうことをわざわざ言うところが大変面白かった。でも身体をねじらないなどという表現も身体操法界にはあるから、よく考えると、そんなに異常ではないかも知れない。

 え? どういう意味かよくわからないって? 「身体をねじらない」という言葉は、身体をネジっている人が言う言葉だよね。身体は普通にしているとねじれていないから、「ねじる」って言葉は当然ある。でも「ねじらない」って言葉は、いつもねじれているか、ねじるのがあたりまえになっている人の言葉だからね。つまり、普通にさえしていれば、身体は真っ直ぐになっているので、普通の状態と、ねじるって言葉しか必要ないんだよね。

 まあそんなことはどうでもいいのだが、チェンジかも? などと書いてしまったので、結果について書かなくてはならないような気がしている。昨日行われた岡山県知事選(一騎打ち)である。結果は現職の石井氏が、ちくわ笛の達人、住宅氏を6万票ほどの差で破って、見事四選を果たしたらしい。

 らしいというのは今回の知事選には、私は行かなかったからである。私はほとんど選挙にはかかさず行っているのだが、今回のはどうにも行く気にならなかった。ということはどちらにも投票したくなかったということだ。

 理由は数日前に本ブログで書いたので繰り返さないが、結果だけを見ると住宅氏は予想通り大善戦をしたようである。なぜそういう予想をしたかと言うと、当日選挙に行けない人が事前に投票するわけだが、それが多かったからである。

 だいたい選挙などというと、現職が有利なのは当たり前だ。だから現職が優勢なら、支持者もそんなに選挙に行こうという熱意を表さない。だが「どげんかせんといかん」と、どこかの知事の合言葉みたいな気持ちが有権者に出てくると、なんとか投票して現状を打開しようとするものだ。

 だから事前に投票した人は、チャレンジャーのほうにたくさん投票したのではないかと、私は推理していた。もしも投票日に台風でも来たら、ひょっとしたら大番狂わせがあるかも、なんて思っていたぐらいである。

 ところが朝から雨模様ではあったが、昼過ぎには雨も上がり、まあまあの投票率(43.78%、私が最低限度必要だと思っている50%には遠い、とおい)になってしまった。その結果の6万票差というのは、決して住宅氏の負けという感じはしない。むしろ、現職でありながら、現知事にはかなりの批判があったのだろうと思っている(今日のニュースではへらへら挨拶をしていたが)。

 だいたい当日の岡山県の有権者数は1567386人であったそうだから、そのうちの43.78%が投票にいって、36万票くらいしか取れていないということは、ヘタをしたら120万は反対しているのかも知れないということだ。でも私みたいに、どちらにも投票したくないから行かなかった人もいるだろうから(事実、私の周囲にはそういう人が少なくなかった)、間違っても県民の皆様に無条件に指示されていたなんてことは考えない方がいい。

 だいたい総選が絡んでいるので、どの政党も候補者を立てなかった。これも私には不思議だったが。政権を狙っている某党などは、まずここで幸先よく勝ち馬に乗っておいて……なんてやるといいのになと思っていたのに、動かなかった。もしかして「勝ち馬」が見えなかったの? 

 だったら自分のところから有望な候補を立てればいいのに。もしその人が魅力的だったら、私だって投票に行ったかも知れないよ。先日の「チェンジかも?」で失礼な(?)ことを申しあげたけど、ちくわ笛の達人さんだって、何人か候補者が立ち(4~5人)、その中の一人であったなら、決して違和感はなかったからね。(もしかしたら票を入れたかも)でも一騎打ちだと、どうしても目立ちすぎちゃうもん。

 なんか動いたほうがいいのではないかという時には動かないで、動く必要がないときには動いて変な流れを起こす変な人たちだが、純粋に勝負という見方をすれば、そういうことになる。私はあまり興味がない世界の話だから、詳しくは書かないけど。

 まあとりあえず、新人候補は私は大善戦したと感じた。けっこう頑張ったんだね。それと横綱相撲ができなかったところに、今の岡山県の問題点があるように思ったよ。すんません、いつもなら私も立派に投票に行ったのだが、今回はもし行っても、自分の名前を書くとか、オバマと書くか、マケインと書くか、候補者以外の人の名前を書くしかないと思っていたので、敢えて棄権させていただきました。重ねて御免なさい。

 敗れたとはいえ、大善戦した住宅さん、またちくわ笛の音でも聞かせてくださいね。今度は政治面での話もまじえながら、ちくわ笛を演奏してくださると、4年後は取れるかも……

2008年10月26日 (日)

万物流転っ!!

 昔々私が好きだった川があった。川といっても、そんなに大きな川ではなかった。せいぜい幅が2~3mくらいで、残念なことに一部はコンクリートで固められていた。それでも山が近いせいか、水はけっこうきれいで、初夏にはホタル(ヘイケボタル)が舞ったりして、なんとも趣のある風情であった。

 ちなみに今では私が行ける範囲で見かけるホタルは、みんなゲンジボタルになってしまった。私がご幼少のみぎりには、私の家の近所にはヘイケボタルしかいなかった。当時の私は大きいというゲンジボタルなるものを、ぜひ一度見てみたいと思っていたくらいである。

 それが今は圧倒的にゲンジボタルが多いから、きっと人為的にホタルを移動させたのではないかと想像しているが、小さく光も若干弱いヘイケボタルにも、なんともいえない風情があって、今となっては懐かしい。

 その川にはもちろん様々なタナゴがいた。今となっては絶滅危惧種になっているものも、天然記念物になっているものもいた。また田植えの時期になると、ナマズが田んぼに産卵し、とても可愛らしいナマズの稚魚(食性はあまり可愛くなかったが。なにしろ大喰らいで)が、一丁前に髭を振りながら泳いでいたりして、けっこう心が安らいだものだった。

 この川に異変が起こったのは、隣接した空き地に養鰻場ができたときだ。養鰻場というのは読んで字のごとく、ウナギを養殖するところである。きっと稚魚はヨーロッパあたりから仕入れていたに違いない。

 本来なら川に行って捕まえてくればいいウナギを養殖するということは、川で捕まえられるウナギでは間に合わないということを意味している。だから養殖ウナギは天然ウナギに比べて、長さが短く、よく太っている。これはたくさんの餌を与えられ、短期間で商品にされるためである。

 つまり自然界に生きているウナギよりもはるかに大量の餌を、短期間に詰め込まれているわけだが、もちろんウナギの胃袋だってブラックホールではないから、食べ残しができる。この食べ残しがその川にあふれ出したのである。

 野生動物は禁欲的ではない。たとえ自然界とは違う餌でも、流れてくればなんでも食べる。その川はみるみる魚が集まってきて、大きな魚がうようよ泳いでいる状態になった。時々養鰻場を脱走(脱泳?)したウナギも、養鰻場からの排水がおちる穴の真下に、ずーっと口を開けたまま上をむいて餌が口に入るのを待っていた。

 川に魚が増えたから良さそうなものだが、そうは問屋が卸さなかった。次第に川の澄んだ水が濁ってきたのである。この川の浄化能力を超えた有機物が流れ込んだ結果、一時的に魚は増えたが、水質が悪くなり、増えたはずの魚がそこを離れだした。そしてそこから100mくらい離れた、流れの速い用水に移動していた。

 流れが速いということは物質が素早く運ばれるということを意味している。つまり富栄養でも腐敗する時間がないということだ。残念なことに養鰻場の横はそれほど流れがなかったから、酷いときには腐臭がするようになっていた。食べ物が多すぎて魚たちが食べきれなくなった時、川は死んでいったのである。

 食べ物は放置しておくと腐る。動物たちが食べるということは、腐らせないという意味もある。だから自然界では食べ残しがない状態が望ましい。食べ残しがあれば、そこが流れが弱ければ弱いほど、腐敗につながりやすい。

 そして食べ残しがないということは、いつも軽い飢餓状態にあるということだ。何か食べられるものがそこに出現すると、即食べられてしまうほど、腐敗という現象は起こりにくい。逆に食べ残しがあれば、案外短期間で腐敗が起こる。こうして水質が悪くなると、生物には生き難い環境になるから、ますます食べる動物が減る。すると食べ残しが増える。また腐るといった悪循環になっていく。

 養鰻場ができてから川の水が濁りだすのに3ヶ月ほど要した。そして腐り始めるのに8ヶ月くらいかかったかな(これには季節が関係するので、状況次第で時間は変化するだろう)。そのうち養鰻場でウナギに病気が発生して、この養鰻場は潰れたのであるが、その頃にはこの川も回復不能な状態になっていた。

 さらに追い討ちをかけるように、川にコンクリの蓋をする工事が始まったことによって、この川は完全に死んでしまった。今となっては魚も滅多に見ることができない川になってしまった。ここまでわずかに数年の出来事である。きっと今更、コンクリの蓋を取っても、もとには還らないであろう。

 以前、誰が作ったのかは知らないが、50tもの水が入る池が腐るので、これを何とかしてほしいといわれたことがある。最初はここで鯉を飼いたいという希望を言われたのだが、私は言下に拒絶した。というのは鯉には鯉ヘルペスという病気があり、こいつが入ると一夜にして全滅という悲惨なことが起こるからだ。ましてや腐り癖のついた池に、いきなり魚を入れても死んでしまうだけである。

 そこで全面的にバックアップしてもらうことを条件に、取り掛かったのは、まず最初に水が腐らない状態にすることであった。いろいろとアイディアはあったが、私はとりあえずニロチカの近藤店長に頼んで、スイレンを入れてもらった。それも5株や6株ではない。30株である。園芸店で売っているようなちまちましたのでなく、地下茎が私の腕よりも太いくらいのものだ。

 そしてこれを、知人の休耕田から譲ってもらった田んぼの土を、衣装ケースに入れてスイレンを植えて沈めた。これには主な理由が三つある。まず田んぼの土には大変有能なバクテリアが住んでいて、水質を安定させる方向に働くこと。第二に田んぼの土は養分に富んでおり、大量に肥料を必要とするスイレンにとって根付きやすいこと。第三に一度根付きさえすれば、スイレンは大量の養分を必要とするから、水中の栄養分をどんどん消費することである(そして放置しておけば腐敗してしまうはずの物質で、自分の身体を成長させ、綺麗な花をつける)。これについては最初、よほど稲を植えてやろうかと思ったくらいである。稲もスイレンに負けないくらい大飯喰らい(養分をたくさん必要とする)だからだ。

 こうしておいて、これまた田んぼの土を鉢に入れ、オオカナダモを45ℓのゴミ用ポリバケツで数杯取ってきて植え、水中に沈めた。ここからは鯉を除く魚(だいたい日本原産のもの、一応外来魚はなし)を入れ始め、ヤマトヌマエビを大量に入れ、カワニナをこれまた大量に入れ(だから今ではきっとホタルの幼虫でも生きていけると思うよ)た。メダカなどは千匹はいっていないけど800匹くらいは入れた。ほかにタナゴの繁殖のためにドブガイなどもかなり入れたりした。

 そうしているうちに、生えているガマを見たことがないという人などがいたので、これも植え、岡山県南なのにイグサを知らないなどと言う人がいたので(私がほんの幼少時代、岡山県南はイグサの産地として超有名だった)イグサを植え、そうこうしているうちに、最初にスイレンを入れたとき、「おまけ」としてつけてくれたカキツバタに加え、私が「お館さま」と呼んでいる方がショウブを何株も持ってきてくださったりで、なかなかにぎやかになっていった。

 そうこうしていると、驚いたことに水に腐り癖があったころには寄り付かなかったヒヨが水浴びに訪れ始め、カラスなどは私を見て「ここは自分の縄張りだから、入ってくるな」と威嚇し始めるありさま(いったい誰のおかげだと思っている?)。最終的には、ちかくの川を縄張りにしていたカワウまでがやってき始めた(こいつに食われた魚もかなりいるに違いない。なにしろカワウは大食漢だから)。

 こちらとしては、できるだけ「自然」に近づけたかっただけだから、カワウについては大目にみてあげることにし、もし魚の減りようが酷かったら対策を考えるつもりでいたが、幸いなことになんとかバランスが取れるところで止まったらしい。

 今年は中を見ると、いろいろな魚の稚魚が泳いでいるし、魚に見つかりにくいところにはミジンコが泳いでいる。エビは死ぬと独特の色を呈するが、これは全然見あたらず、入れた魚がかなり巨大に成長しているのが確認できた。

 まだまだ水中の栄養分がギリギリのところまでは減らせていないが、あと数年このままにしておいてもらえれば、なんとかギリギリでちょうどバランスが取れるのではないかと思っている。大切なのは、魚を飼って、餌をあげたら寄ってくるようにすることではない。放っておいてもうまく回せるってことだと、私は考えている。

 これは今まで私が水槽の中でやってきたことを、50tの腐り癖がついていた水でやったことだが、今のところ完璧に私のやりかたが正しいと証明してくれている(ここ2年数ヶ月、まったく手をかけていないのに、なんとかやっていけている)。要するに富栄養が多くの場合問題を引き起こしやすいということである。

 私が言うと人様に叱られるかもしれないが、飽食と言われて様々な問題が起こった。朝ごはんを食べない人とか、好き嫌いが激しすぎる人とか、肥満とか、その他様々な問題である。けれども何とかその日を生きていくに足りるだけのものしかなかった時代、果たしてこんな問題は起こっていたのだろうか。

 やはり人には「知足(足るを知る)」が大切なのかもしれない。そうすればたまのご馳走がご馳走に見えてくるし、感謝の念だって強くなる。毎日がご馳走だったら、ご馳走が当たり前になってしまうから、なかなか感謝も出来にくいしね。こう考えると、案外、自転車操業の方がいいのかも知れないと思えてしまうけどね。

2008年10月25日 (土)

お手軽中華・7 ~太刀魚、トマトのスープ、ポテトなどなど~

 先日途中で時間切れになって紹介できなかったのから始めましょう。ちなみに何度も繰り返している通り、中華(中国で作られているという意味で)を紹介しておりますが、健康を考えると材料は日本産のものを使うことをおすすめしております。

 ちなみに我が家では中国茶と、日本で入手できないもの以外は、基本的に日本産しか口にしないようししています(価格は高いけど、安全には代えられないから)。これは別に中国産だけに適用しているルールでなくて、アメリカ産なんかにも原則として適用しております。

 私自身はアメリカ産農作物のポスト・ハーベスト農薬問題以来、あの国の農産物輸出に対する基本姿勢を信用していませんし、BSEなんかの関連でも、全然信用できないと思っております。何かが起こってから当惑したり腹を立てたりするより、疑わしいものは使わなければよいと考えておりますが、それでもきっと十分ではないでしょう、悲しいことですが。

 日本産の材料を使えば、当然現地のものとは味が異なるはずです。だからそれを自分に合うように改良していけばいいと考えております。だからあくまで紹介しているのは原型であって、中華料理の礼賛をするつもりはありません。あくまで自分が作る料理(そんな暇もなかなかないのですが)のバリエーションを増やしているだけなんですね。

 もし試みにお作りになって、いろいろと気がついたところがございましたら、お知らせくださいね。基本的に私が最も好んでいるのは和食ですからね。でもそれ以外の料理も和食にない長所があったりするので、それを少し取り入れてみようと思っているだけですから。

 ということで太刀魚料理からでしたな。Photo

 これは『清蒸帯魚』という。「太刀魚の蒸し物」でござる。材料は新鮮な太刀魚750g(何度も言うが、いったい何人前?)、葱のぶつ切り、生姜のスライス、塩、料理酒各適量。

Photo_21.太刀魚は内臓を取り出し、洗った後ぶつ切りにし、深めの皿に入れ、葱のぶつ切り、生姜のスライス、料理酒(紹興酒とか白酒など)、塩を混ぜた液の中に浸しておく。

2.十分漬かったら、太刀魚をせいろう(蒸し器)に入れて、強火で20分ほど蒸す。

3.魚肉に十分熱が通り、身が真っ白になったら取り出し、生姜や葱を取り除いて完成。

 ちなみに私はあまり太刀魚を食べない(母は好きである)。中国では比較的よく使われるそうだが、留学生のLさんに聞くと、「日本に来るまで、こんな新鮮な太刀魚が食べられるとは思わなかった」ということであった。内モンゴルのフホホト出身であるが、大学は武漢である。今まで食べたことがないくらい新鮮な太刀魚に、彼女は感動したそうである。

98  次は『煎帯魚』である。「太刀魚の炒めもの」ですな。

 材料は新鮮な太刀魚500g(何人前だ?)、葱のみじん切り、おろし生姜、胡椒、塩、醤油、料理酒、サラダ油各適量だそうな。

1.太刀魚は皮を剥き、内臓を取り去り、頭と尻尾を捨てて5㎝くらいの幅で切っておく。

2.切った太刀魚の身をボールに入れ、葱のみじん切り、おろし生姜、胡椒、塩、醤油、料理酒を混ぜたものに浸して味をつけ、味がついたら太刀魚の切り身の表面に小麦粉を均一に振っておく。

3.フライパンとか中華なべとかに油を入れ、7分目くらいまで加熱し、太刀魚の切り身を入れて両面が黄色になったら取り出し、皿に盛り付ける。食べるときサンショウをかけてもよい。     味付け次第では、なかなか食べれそうな気がする?

Photo_3  これはスープものですな。『番茄肉糸湯』で「トマトと豚肉の千切りのスープ」という感じである。

 材料はトマト150g、豚肉150g、ピーナッツ油、料理酒、化学調味料、塩、ゴマ油、葱のみじん切り、千切りにした生姜各適量。

1.豚肉Photo_5は洗って千切りにする(豚肉って洗うんだっけ? まあ洗う気持ちもわからないではないけど)。

2.トマトは洗った後皮を剥き、一口大に切る。

3.鍋の中に油を入れ、4分目くらいまで加熱し、葱のみじん切りと千切り生姜を入れ、それに清湯と千切りにした豚肉とを入れ、強火で加熱し、トマトを入れよく加熱した後、ごま油と化学調味料、塩を加え、味を調えてから器に移して完成。    なんだか美味そうな気がしてきた……

Photo_4  まだまだ続く…… 『排骨炖白菜』、「豚の骨付きあばら肉と白菜の煮込み」である。

 材料は、白菜500g、豚の骨付きあばら肉400g(いったい何人前だ?) 香菜のぶつ切り(ぶつ切りというより、大きめに切っておく)、葱のみじん切り、サンショウ、塩Photo_6、化学調味料、ピーナッツ油各適量。

1.白菜を洗って適当な大きさに切っておく。骨付きあばら肉も一口サイズに切っておく。

2.鍋に適量の水を入れ、沸騰してから骨付きあばら肉を入れて煮続ける。出たアクは取る。八分目くらいまで煮あがったら取り出しておく。

3.中華なべに油を入れて加熱し、サンショウ、葱のみじん切りを入れて香りを出し、白菜を柔らかくなるまで炒める。その後で骨付きあばら肉と煮汁を入れ、塩を化学調味料を加えてから弱火でじっくりと煮込み、香菜をふりかけ、器に盛り付ければできあがり。   ん~、ちょっと淡白かも……?

Photo_7  ここらでちょっとスナック風に。『干bian土豆糸』、ちょっと辛めの千切りジャガイモを揚げたもので、「ポテト・シュレッド」くらいの名前になるかな。なお私の「ちょっと辛め」というのは、人によっては、とても辛いこともあるそうなので、辛さについては責任が持てない。

 材料はジャガイモ300g、唐辛子をぶつ切りにしたもの50g、塩、化学調味料、ピーナッツ油、葱をぶつ切りにしPhoto_8たもの、各適量。

1.まずジャガイモをよく洗い、千切りにした後、水に浸しておき、でんぷんの粉々感をなくした後水からあげて、しっかりと水分を取っておく(でないと次の作業で熱い目に遭う)。

2.鍋に油を入れて加熱し、適当な温度になったら千切りにしたジャガイモを入れ、金色になったら取り出して、しっかりと油を切っておく。

3.中華なべ、あるいはフライパンなどに少し油を敷き、葱のぶつ切りを入れて香りをつけ、ぶつ切りにした唐辛子を加え、栗色になったらさきほどのジャガイモを入れ、塩と化学調味料を入れてよくかき混ぜ、さくさくになったら出来上がり。   一般にポテトチップスなんかでは塩味が基本だけど、塩+唐辛子というのがなかなかいいかも。ただし唐辛子50gというと、なかなか少なくはない。最初は控えめでもいいかな……?

Photo_9 『板栗紅焼肉』、「栗と豚肉の醤油煮込み」でございますな。

 材料は皮つきの豚三段肉750g(いったい、何人前?)、栗の剥いたもの300g、水溶き片栗粉25g、料理酒、醤油、葱のみじん切り、おろし生姜、鶏出汁のスープ、塩、色づけ用の砂糖、ピーナッツ油、八角、桂皮各適量。

 なお色づけ用の砂糖は、かつて私が啤酒鴨に挑戦したときに焦がしすぎた、熱した油の中に砂糖を入れ、わずかに煙が立ち始めたときがベストになるもので、これはまったく甘みには関係なく、単純に茶色の色をつけるための技法である。Photo_10

1.まず皮付きの三段肉を一口大に切る。切ったあと、鍋で色付け用の砂糖を使い、色がついたら取り出しておく。あまりおくと、こげ茶色から真っ黒になってしまう。(私の経験から言えること)

2.再び鍋に油を入れ加熱し、葱のみじん切り、おろし生姜を入れて香りを出す。これに料理酒、醤油、鶏出汁のスープを入れて加熱しながら、ふたたび三段肉をこの中に入れるた後、塩、化学調味料、八角、桂皮を入れて加熱し、しばらくしたら弱火にする。

 3.鍋にさらに油を入れて加熱を続け、栗の剥き実を入れる。栗に熱が通り、三段肉に十分熱が通ったら、水溶き片栗粉を加えてとろみを出し、完成。   なんとなく時間の読み方が勝負になりますな。私の経験ではそんな感じである。でも慣れたらそんなに難しくはないだろうね。

Photo_11  さて今回の最後の逸品は、お粥である。循環系を活性化し、お肌をみずみずしくするのに良いお粥なんだそうな。『山楂桃仁粥』、「サンザシとクルミのお粥」である。

 材料はサンザシ10g、クルミ10g、蓮の葉っぱ(あんなもの、食えるんだ!)二分の一枚、うるち米100g(普通の米で可)。

1.サンザシ、クルミ、蓮の葉っぱは十分に洗った後、細かく切る。鍋に入れて水を加え、煮ておく。

2.ここへうるち米を入れて更に煮続け、粥状になったら出来上がり。   なんとなくほかに調味料がほしいような気が……

 今回はいろいろとバリエーションを加えてみました。中には案外簡単に挑戦できるものもあると思います。私も暇ができたら挑戦してみようっと。

2008年10月24日 (金)

チェンジかも……?

 今朝の新聞を見ると、一面にでかでかと「新薬師寺に巨大金堂」という文字が躍っていた。なんでも8世紀中ごろの金堂跡が、奈良教育大構内で見つかったのだそうである。なんと東西54m、南北27mというから、現代のヘタな体育館よりも大きい。

 聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后が建てさせたというのだが、今から1200年以上も前に、よくもまあこんな巨大な建造物ができたものだと感心する(そういえば出雲大社も復元図なんかを見ると、ちょっと凄いですね! もしあれが現代に同じものを作られても、私は決して登りませんよ!)。

 皇后の夫も気遣う気持ちが建てさせたのかどうか、そんなことは私には関係ないことだけれど、仏教を信じる気持ちが強かったから、このような巨大建造物を建てることになったのではないだろうか。信じてもいないもののために、人は大変な労力、費用、時間なんかはかけないからね。

 ちなみに私はエジプトのピラミッドも、ただ奴隷が鞭打たれながら作ったものばかりとは考えていない。あれだけのものは、さぼったら罰として人の肉体に苦痛を与えるものの結果としてはできないんではないだろうか。そこには何か彼らの利益になるものがあったり、大きな喜びにつながるものがなければ。

 奴隷を鞭でシバキ殺しても、大勢の奴隷が「あ~、どうせあたしら奴隷ですよ。生きておっても何の楽しみもありません! 殺したければ殺してくださってかまいません! さあ殺せ! 今殺せ! すぐ殺せ!」と居直ってしまったら、どうしようもないもんね。反抗的な奴隷は殺しても、あまり数が多くなれば、労働力そのものが減少していくわけだし。これ、チャールトン・へストン主演の『十戒』なんかを見ても、もろ感じたことだよ(ほかに獣を労働力として使ったのではないかと、私は思っているけど)。

 だから信仰の力とか何かが根底にあって、それを上手に纏め上げたのが為政者だったり高僧だったりするんじゃないかなあ。何もないところで何かを成し遂げるのは大変難しいけれど、何かがあったり起こったりしたときに、それを上手にコントロールしていけば、ビックリするようなことが起こるもの。

 歴史なんかを見てもみんなそうじゃないかな。特に王朝がしょっちゅうひっくり返った中国なんて、皆そうでしょ。世の中が乱れ、治安が悪くなると、大勢の悪党が登場し、その中から天下を治めるような人材が現れたり、盗賊を討伐した人間の中から天下を治める人物が現れる。世の中が乱れていないときは、それなりの秩序があるから、少々の才能では天下うぃ取れないんだよね。

 秩序がびしっとしているときは、「大才小用」って言葉もあるとおり、才能ある人でもつまらないことに使われてしまうんだよね。きっと現代の我が国にも、「自分は大才小用されているな」と感じている人は多くいるんじゃないかと想像するけどね。

 ところが同じ新聞の岡山県版を見ると、この日曜日に行われる県知事選挙について「投票率アップへ、若者に届けっ!!」というのが出ていた。投票にいくように、劇画風のポスターを採用したのだそうである。

 私もこのところ目についたこのポスターを、「選挙へ行こうっ!」ってキャンペーンでは珍しいかも、と感じていたが、残念なことに、たいていの選挙では国民・県民・市民の権利であり義務を欠かしたことがない私が、どこか熱くなるものを感じないんだね。

 気の毒だから言わないほうがいいのかも知れないけれど、候補者に魅力がないっ! 今回4選を目指すI氏と、ちくわ笛の達人S氏の一騎打ちだけど、はっきり言って4選目で公務員の給与を減らし続けているI氏には、害を蒙っている人も少なくないんじゃないだろうか。多くの公務員は変な事業を始めたりしなかったと思うよ。前の頑固な馬鹿知事が始めたテーマパークが大赤字を出したもの、殆どの公務員の意思とは関係なく始められたことだろうし、赤字を出し続けている様々な事業も、公務員が始めたものは少ないんじゃないか。むしろ政治家の皆さんがおはじめになったものが殆どなんじゃないかと思う。

 議員さんは「落選すればただの人」なんだそうだけど、議員でいたころ始めた事業が大赤字を出したのなら、責任がないとはいえないんじゃないかなあ。でも落選したり引退したら責任は追及されないで、実際には赤字を出すことなど一切しないで、ただただ目の前の仕事を毎日コツコツとやっているだけの者に、赤字のしわ寄せがきちゃうんだよね。これじゃ誰だって魅力を感じない。

 対するS氏も、ちくわ笛では人は踊らないと思うよ。お顔を見れば「好人物」なんだろうけど、政治だからねえ。そうすると経験がないことが不安材料になるんだよね。財政的に逼迫しているといわれている岡山県の財政を再建するには、これから学習している間はないのではないかと思えるよ、私には。

 だから何となく今回の知事選には、気が重いんだよね。両方ともに魅力を感じないから。投票したい人が候補でいなかったら、きっとほとんどの人は投票場へ行かないと思うよ。当然、投票率も下がるわな。選挙にだって、大昔の人が巨大建造物を作ったときのような「熱」が必要なんじゃないかな。

 だからここで提案したいんだけど、投票率がある一定(50%くらいがいいところかなあ)を越えなかったら、その選挙は無効としたり、当選したほうも「暫定議員」とか「暫定知事」にしたらいかがだろうか。

 だって投票率が50%でも、得票率が60%だったら、実際は有権者の30%しか支持していないわけだからね。投票率が35%ぐらいで、仮に90%の得票率だったとしても、支持しているのは31.5%でしょ? もしも有権者の本音を皆に聞いていったら、反対票の方が多かったりして。

 選挙という制度は、まあまあ人を納得させるものだとは思うけれど、当選・落選という結果だけでなくて、投票率で、その選挙自体の意味を問ってもいいんじゃないかな。投票率があまりに低いということは、候補者全員が魅力的でなく、支持されていないという証拠なんだから。ポーカーで言ったら「全部チェンジっ」て奴だね。手元のカードにろくなのがなくて。

 つまりそんな選挙で当選したって、そんな人は多くの人が認めていないよということだね。だから選挙には、「当選・落選」という選択肢のほかに、「選挙に行く気にもならなかった」という、重たい選択肢もあるということを、そろそろ誰かが言い出してもいいんじゃないかなあ。

 私? 私は自分のことで十分忙しいですから、言い出したりはしないけどね(と言いながらブログに打ってりゃ、世話はない……)。

2008年10月23日 (木)

お手軽中華・6   

 先日、実に怖い目に遭った。というのは私が車を運転していた時のことである。前の車があまりのろのろ行くので、誰が運転しているのだろうと思って、前の車のルームミラーを覗き込んだ。だが一度として私とドライバー氏との目が合わない。

「えっ、こりゃルームミラーでなくて、サイドミラーを使ってんのかな?」と思った私は、サイドミラーを見て、再度驚いた。なんとたたんだままだったのである。この人は後ろなどまったく見ないで運転していたのだ。まあ基本的に、前と横をしっかり注意して運転していれば、あまり事故にはあわないとは思うけど。

 さすがに焦れて、片道2車線になった瞬間に抜いたけれど、そしたらおばさんがハンドルにしがみつくような恰好で運転していた。さも運転が上手だというように、交通ルールを無視して右折車線に入っている車のさらに右(つまり対向車線)に出て、信号待ちをしているものをみんな追い越していくのもどうかと思うが(しかも抜いた際にわざわざ信号待ちをしている車のドライバーの顔を覗き込むようにして通っていく)、ハンドルにしがみついて、「神のご加護」で走っているのも恐ろしいよね。

 まあ皆で安全運転を心がけましょう! 健康でなければ美味しいものも食べられませんから。

 ということで、お手軽中華もはや6回目である。お手軽なのはいいが、それ以上に私が忙しくて、とても実際に作ったりできないのが悩みだ。

 そろそろ牡蠣の水揚げが始まったのだそうだ。私は牡蠣が好きである。そこで今日は牡蠣のスープから話を始めよう。23

『牡黄白菜湯』、日本語なら「牡蠣と白菜のスープ」というところか。材料は牡蠣200g(もちろん剥き身)、白菜の中心部の黄色な柔らかいところ100g、大豆もやし50g。葱のみじん切り、千切りにした生姜、化学調味料、塩、ごま油、清湯(鶏やブタを湯通ししたときの汁)各適量。

1.まず牡蠣を洗い、沸騰した水の中に入れ、水を捨てる。白菜は中心部を取り洗っておく。大豆もやしは洗った後、沸騰した湯の中をくぐらせ、上げておく。

2.鍋を火にかけ、清湯を適量入れる。強火で沸騰したら牡蠣と生姜の千切りを入れ、10分ほど煮込む。その後で大豆もやし、白菜を入れ、中火で約2分間煮続ける。

3.塩、化学調味料、ごま油を入れて味を調えた後、葱のみじん切りを振りかけて完成である。26

『蒜香牡蠣湯』、訳せば「ニンニクと牡蠣のスープ」である。美味そう!材料は牡蠣(当然剥き身)200g、豆腐250g、塩、化学調味料、葱のみじん切り、ニンニクをスライスしたもの、生姜をスライスしたもの、水溶き片栗粉、植物油各適量。

1.豆腐は洗い、サイの目に切っておく。牡蠣の身も洗ったあとスライスしておき、水溶き片栗粉をつけておく。

2.鍋の中に植物油を入れ、五分目くらい加熱しておき、ニンニクスライス、生姜スライスを入れて炒め、香りを出しておく。それに水を加え、豆腐を入れ、牡蠣の身のスライスを入れて強火で10分間煮こむ、

3.塩と化学調味料で味を調え、水溶き片栗粉を薄くかけてとろみをつけたら出来上がりである。なんか火傷しそうだけど、美味そうな……!

26_2  ついでのことに、精がつきそうなところで、『酸菜泥鰌湯』を紹介しておこう。これはそのまま訳せば、「漬かりすぎた白菜の漬物とドジョウのスープ」である。白菜の漬物は、ちょっと放っておくとすぐに酸味が出てしまうので、知っておくと便利かも(責任は取りませんぞ!)。

 材料はドジョウ400g(いったい何人前なんだ?)、漬かりすぎた白菜100g、鶏卵1個、赤ピーマン1個。化学調味料、塩、植物油、香菜を大きめに切ったもの、生姜をスライスしたもの各適量。

1.ドジョウは殺しで洗って、適当な大きさに切っておく(可哀想に。子供の頃からよく知っているだけに、どんな死に方をするか瞼に浮かぶ!)、漬かりすぎた白菜はざっと流水であらって水分を取り、千切りにしておく。卵は別のお椀にといておき、赤ピーマンはヘタと取ってから洗い、これまた千切りにしておく。

2.生姜スライスと赤ピーマンの千切りを油で炒め、香りを出した後適量の水(いったいどれくらいなのか、書いてない!)を加えて強火で加熱し、漬かりすぎた白菜の千切りを入れて煮、酸味を出す。これにドジョウを加え、5分程度煮てドジョウが煮えたら弱火にし、といた鶏卵を入れ、塩、化学調味料で味を調えた後、香菜をふりかけて出来上がりである。

 残念、本日は木曜日で練習がある。時間が来てしまった! 太刀魚の料理などを紹介しようと思っていたが、次回に譲りたい。

2008年10月22日 (水)

メタボの逆襲っ!

 我が家では新聞は3紙購読しているが(その分、古新聞が溜まるのが3倍速い)、今朝はどの新聞にもイエティの足跡が発見されたと出ていた。約20㎝くらいらしいから、ヒトでいうと子供くらいだ。

 これにはいろいろな説が唱えられているけれど、実物を捕らえた人はまだいないので、実在しているかどうかはまだ不確かである(らしい)。直立して歩けばまあ未発見の類人猿かなにかだろう。でも足跡というからには、点々と並んでいてほしいものだが、どの新聞にも足跡一つしか掲載されていなかった。

 恐竜の足跡化石なんか、延々と続いていたりするんだけど、イエティの足跡には、なかなかそんなものが見つからないよね。歩行したのなら、連続してあると思うのだが。そして足跡の並び方から歩き方とかスピードとかも推測できたりするから、ぜひ連続した足跡を見つけていただきたいものだ。

 それよりも私が朝から膝を打って賛同したのは、岡山の地元紙である『山陽新聞』である。30面に「病院言葉57語言い換え」というタイトルで、患者さんに難解だったり、誤解されやすかったりする言葉が言い換えられたという記事があった。

 中でも「メタボ」については、健康診断に言った病院で、看護婦さんたちも肥満=メタボというような話し方をしていたので、いい加減頭へ来ていたのだ(そういうことで、今年は健康診断に行っていない。病院側もこういったことには気をつけてもらわなくてはならない)。

 記事によれば「誤解、混同がないよう明確に説明」と書かれた中に、「メタボリックシンドローム」ってのがあって、「内臓の脂肪がたまることにより、さまざまな病気を引き起こす状態。内臓脂肪症候群、代謝症候群」となっている。

 これならば私も許してつかわそうと思う。私は皮下脂肪は現役時代に比べれば(現役引退後も10年間は体脂肪率が二桁になったことは一度としてなかったが)増えてはいるが、内蔵脂肪という奴は、溜まりやすく、消費しやすいという特性があって、定期的に運動をしているせいか、今まで私の身体で異常を引き起こしたことは一度としてないのである。

 へへん、ざまあかんかん! これによって、男性で腹周りが85㎝以上、女性で90㎝以上というわけのわからない基準が消えるのではないか。身長が2mある人だったら。腹回りが85㎝なんかだったら気の毒なほど細いし、生来骨格ががっちりした人だっているからね。その人の健全な生活に必要な腹回りが85㎝を越えていることだってあるだろう。そんなのまで無視してしまうからね、単純な数値信仰は。

 記事によれば「血圧、中性脂肪、血糖値の二つ以上が高いという基準がある」という説明も付け足されたらしい。そんなことまで言ってもらえたら、私なんか完全にメタボではなくなるよ。だいたいそんな言葉があろうがなかろうが、私は身体が動き続ける限りは、いつまででも定期的に、身体が喜ぶ程度の運動はしていくつもりだからね(できないと、大変機嫌が悪くなる)。

 これでわけもわからないで、ただ体重を落とせばいいなどという誤った考え方まで消えていってくれたらいいのだけれど。自分の体重すらコントロールできない人間はダメ人間だなんて、アメリカかどこかから来た考え方でしょ。体重をコントロールする暇などないくらい働き続けている人に対して失礼な考え方だと思うよ。

 世の中にはいろんな立場の、いろんな体質の、いろんな考えの、いろんな環境に生きる人がいるわけで、それを型に嵌めた価値観で推し量ろうとする、その根性が気に食わないのは、きっと私だけではないだろう。

「人は外見ではわからない」と言うけれど、体型だってその一例だと思う。単純なデブだと思ったら、とんでもなく素早かったりすることもあるし、いかにもスポーツ万能に見える人が、実はさっぱりスポーツができないなんてこともあるわけで、少なくとも科学界の端っこにでもいる人ならば(医学界なんて、もろ科学だよね)本質を見て言ってもらいたいね(さすがにお医者さんにはこういう人は、私の知る範囲ではいなかったけど。I先生など、明らかにメタボは意図的に作られた言葉だと仰っていたし)。

 脂肪がつきすぎて動きにくければ、ハムスターだって運動する。私にだってハムスター程度の頭はあるよ。外見だけであれこれ言われるのは、もうたくさんだ。ちゃんと中身を見て言いなさい!

2008年10月21日 (火)

八百長疑惑???

 大相撲界が八百長疑惑でてんやわんやらしい。何故なんだろうかねえ? 勝負ごとだから、なんとなく割り切れない決着のつきかたは往々にしてあるもんだけど、それが裁判沙汰になるんだから、さすがに「国技」?

 昔々、プロ野球にも「黒い霧」問題というのがあった。我が岡山県出身の素晴らしい投手がその中に含まれていて、プロ野球界を永久追放になった。凄い投手だったんだけどね。今、別のことで話題になることが多い、星野仙一さんなんかの一つ下だったかなあ(記憶が曖昧。当時の岡山県は投手王国だったから、プロ野球で各球団のエースになる人も結構いた)。

 勝負の世界は厳しい世界だからこそ、どんな優秀な選手であっても、八百長をやったら許さないといった厳しい態度で臨んでいるんだろうと思う。でもその時に追放されたM投手のアンダーハンドスロー、私は追放後も見たかったよ、本当はね。

 相撲は「国技」と言われているから(正式には「国技」の定義がしっかりとしていないので、「国技」というわけではないんだそうだ)、そのあたりはよけい厳しいのかも知れないね。でもなあ、天下の横綱と大関の優勝決定戦(本割でなく)が、裁判沙汰になったりするのかねえ。

 もともと八百長という言葉自体が相撲界の隠語だったという。タニマチの八百屋長兵衛さんが、何とかいう親方に囲碁の勝負で手心を加えてやり、いい気分にしておいてうまく付き合ったというところから出ているらしいが、まあ接待マージャンとか、接待ゴルフとかでは往々にして見かける光景だろう。

 ただ本職の相撲で手心を加えていないんだから、笑い話で済ませられるよね。本職はやっぱり勝負の世界だから、親子兄弟でも手心を加えてはいけなんだろうね。そういえば私も青春時代、師匠からそんなことを耳にたこができるくらい聞かされたような気がする。

 私事で恐縮だが、私の現役時代最後の試合も納得がいかないものだった。なにしろ決勝しか考えていなかったので、怪我をしないで安全運転で決勝までトーナメントを勝ち抜こうと思っていたから、無理をしないで延長戦で相手が疲れたところをしとめるか、決定的ポイントを取ればいいわ、くらいに考えてやっていたら、なんと言うことか相手に旗が上がりやがんの!

 たまげたことに、その時に相手方に旗を上げた中には、私よりもはるかに経験の浅い連中がいた。そのレベルで本当の試合展開がわかっていたのかどうか(私は判るはずがないと思っている)。そんな連中に審判をさせる主催者の態度がふざけていたのだが(今は何処で何をしているんだろう、この時審判をした連中。たぶんケツ割りしたんだろうなあ)、そんなんでも判定は判定、選手は従わなければならない。

 そうそう、陸上の指導していた時にも酷いことをされたことがあるよ。私のところの中学1年生の女子選手が走り幅跳びで好記録を出した。審判数が少なかったので、この時踏み切りの判定をしていた審判は、なんとこの試合の審判長だったT。一旦白旗を上げた(セーフの印)のに、記録がコールされた瞬間、赤旗に変えた(ファウルということ)。

 この時はさすがに私も詰め寄ったよ。そうしたら「中学校一年生がこんな記録が出るはずがない」だって。激怒もんだったよね。でもなんとか全国大会の出場資格だけは取った。そのまま国立競技場での全国大会へ出たのだが、この時は踏み切り板の30㎝も後ろから踏み切るとんでもない跳躍ながら、ちゃんと全国準優勝したよ。でも記録的には県の予選での記録が惜しかったなあ。いい記録だったんだけど。

 これなんて八百長なんてもんじゃないよね。嫉妬(自分がいい選手を作れないから)が原因のインチキだと思うよ。勝負の世界に嫉妬は付き物だ。けれど嫉妬を自分を高める原動力に変えたものだけが勝ち残ったり、勝負の場に出続ける資格を得る。

 まあ大相撲の世界は閉鎖社会だから、今頃になっていろんなことが言われているようだが、心身ともに才能豊かな人たちが、苦しい稽古を積んで、切磋琢磨して形成している社会だろうから、私は当人たちの言うことを信じてあげたいね。

 勝負だって、いつも両者が最高の闘志溢れる状態とは限らない。そういったときには、時につまらない決着のつきかたもあるだろう。でもそれは八百長ではないと思うね。そして最高の状態のときにチョンボすることだってある。それだってやろうと思ってやったのでなければ、見ている人間がどんなにがっかりしたとしても、八百長ではない。

 いつも最高の勝負を見せるのがプロだろうと言われれば、確かにそうなのかも知れないけれど(お金を取っているんだから)、人間のやることだから、そうはいかないことだってある。難しい問題だけど、厳しい稽古を積んで何年もやってきた人たちが、「あれは八百長ではなかった」と言っているんだから、私的にはそう信じてあげたい気がするね。もちろん、他人にそう強要するつもりはないし、自分の見解が一番正しいとも思っていないよ、念のため。

 八百長するために厳しい稽古を積む人は、そんなにいないと思うよ(プロレスがそうだという人もいるだろうが、これまた私はプロレスは勝敗よりも、鍛え上げた肉体の躍動を見せるのが第一になっている人もいるので、セメントでないからといって、それをどうこう言うつもりはない。何でも見て楽しければ、立派なプロだからね)。

 どんなものでも高度に専門化されているもの(それが競技であれ、社会集団であれ)は、一般の常識ではわかりにくいこともあるのではないだろうか。私はそれも含めて楽しんであげればいいんじゃないかと思っている。

 でも大相撲に私が願うことが一つある。できたら強い日本人の横綱に出てきてほしいものだ。今回の裁判なんかより、私にはそちらの方がよほど大切だと思える。お願いしますよ、心身ともに大横綱と呼ぶに相応しい人の育成を!

2008年10月20日 (月)

お手軽中華・5 ~これからの季節・からだがあったまるものが~

 今日の岡山南部は、あろうことか積乱雲なんかが発生していた。もう夏は終わったんだと喚いても、雲は知らぬ顔の半兵衛である。それどころかぽつぽつと落ちてきた水滴で、私の車は豹柄になってしまった。

 降るなら降る、降らないなら降らないできっぱりとしてもらわないと、こちらも都合がある、と思ったが、もちろん雲は知らん顔である。仕方がないからこちらも知らん顔をしたが、知らん顔合戦ではこちらに勝ち目はない。自然界は偉大である。

 そろそろ寒いなと感じる日もあるので、少し温かめの中華(家庭料理)を紹介してみたい。簡単に作れるものばかりだが、材料が手に入らない場合は、だまってみていてくだされ。私もそろそろ材料を揃えて、実際に作ってみて、「何でも実験癖」に入れなければならないと思っているんPhotoだから。

 さて昨日載せそこねたお粥が一つあった。もの凄く簡単である。 名前は『大米葱白粥』。お米と葱の白根のお粥である。この名前を聞いただけでもできそう? だ。

 材料は、お米50g、葱の白根25g。私的にはお塩が少しほしいところだが、本には出ていない。

1.まずお米をとぎ、葱を洗っておく。

2.鍋(お粥には土鍋が適している)に水を500ml入れ、お米を入れて加熱し、粥状にする。

3.葱の白根を大胆にぶつ切りにし、粥を鍋から出す直前に入れ、少し煮て完成である。

 一応医食同源の中国のものなので、漢方的な解説はついていて、発汗を促進し、寒気を取り、解毒作用があるのだそうな(何度も言いますが、生命が大切な人は、材料は日本産のものを用いられたほうが無難です)。でも私的にはやはりお塩を少しふって食べるのが美味そうに思うんだがねえ。

Photo_2  さてと、魚料理である。上海料理などだと、結構甘いようなイメージが強いけれど、これなんかどうだろう。名前は『枸杞鱸魚湯』という。日本風にやくせば「くことスズキのスープ」?とでもなるんだろうか。

 だいたいスズキという魚は出世魚で、成長につれて名前が変わる。セイだとかセイゴだとかいうのはスズキだが、子供を言う。以前私が60㎝ほどのを釣ったとき、「ほりゃ、スズキだ!」と言ったところ、「そんなん、スズキであるもんか! セイゴじゃ、セイゴ!」と一発で却下されたことがある。まあセイゴなんだろうけど……

 材料はスズキ300g(もしもこのサイズで、写真のような形をしていると、セイゴとすら言ってもらえないかも)、まあセイゴと言ってもらえばいいところだろう。フッコは無理だね(関西ではスズキは、セイゴ→フッコ→スズキと成長につれて名前が変わる)、クコ50g、大根80g。葱、塩、化学調味料適量。

1.まずスズキは〆たあと、よく洗って、身体の両面に包丁で斜めに切れ目を入れる。鍋に油を入れ、少し熱を通しておく。クコは洗い、大根は洗ったあと短冊に切っておく。

2.土鍋の中に適量の水を入れ、スズキ、大根、葱のぶつ切り、生姜のスライスを入れたあと暫く強火で過熱し、その後弱火でスープの色が乳白色になるまで煮る。それからクコを加えて少し煮た後、塩と化学調味料を加えて味を調えて出来上がりだそうである。Photo_3

 ついでだからもう一ついってみよう。これは『鮒魚炖豆腐湯』という。訳すと「フナと豆腐のスープ」くらい? でも今の日本で安心して食べれる鮒が手に入るかなあ。Photo_4私は入るけど…… 日本も結構環境汚染が進んでいるからね。

 材料はフナ250g、豆腐100g、葱のみじん切り、生姜のスライス、塩各5g、料理酒15ml、化学調味料少々。 Photo_5

1.フナは鱗を取り、内臓を取って洗っておく。豆腐は短冊状に切り、沸騰した湯をくぐらせておく(こうすると豆腐が崩れにくくなる)。

2.鍋を火にかけ、油を入れて熱し、フナを入れて両面が黄色になった頃、豆腐、生姜スライス、料理酒、水を適量加え、暫く強火で加熱した後、弱火にして20分ほど煮込む。その後、塩、化学調味料を加え、葱のみじん切りを散らして完成。

 う~ん…… でもあっちっぽいよ。Photo_6

 スープは中国にはいろいろあるけど(なぜかしら料理の最後の方に出て来る。理由を中国の人に尋ねてみたら、最後にスープを飲むことで、どの人にも満腹感を味わってもらうためではないか、とのことだった)、こんな家常菜(家庭料理)だったら、案外日本のものと近いよね。

 こいつは『文蛤豆腐湯』という。そのまま訳せば「ハマグリと豆腐のスープ」である。材料はハマグリ400g(何人前作るんだ?) 豆腐200g、油菜(チンゲンサイで可)50g。

1。ハマグリはよく洗っておく。豆腐は水洗いし、沸騰した湯の中に入れた後、取り出して豆腐は適当な厚みに切っておく。油菜は水に20分ほど浸しておき、そのあと洗っておく(どうやらこれは、水分が抜けて萎れているかららしい)。

2.鍋の中に清湯(鶏やブタなどを茹でたときにできる汁。茹でたものの出汁が出ている。家庭でも簡単に作れるが、保存が難しく、3日も取っておけば臭くなる。でも鶏の皮なんかで作ってみるのもいいだろう)をいれ、強火で沸騰させ、その中に豆腐、ハマグリ、生姜の千切り(入れすぎると苦くなるよ!)を入れて沸騰させ、その後弱火にして30分ほど煮続ける。

3.油菜を入れて少し煮込み、適量の塩、化学調味料、胡椒を加えて味を調え、完成。

 なんとなく簡単にできそうだけど、30分も加熱し続けるんだねえ。

Photo_7  これも簡単で美味しい?みたいなので、紹介しておこう。これから寒くなると身体が温まるのが一番だからねえ。風邪ひいたかな? と思ったら温かいものを食べて、風呂で念入りに温まって、さっさと寝てしまえば、たいていのPhoto_8場合風邪をひかないですむからね。

 名前は『luo卜糸蛋湯』。日本風に言えば「千切り大根と鶏卵のスープ」というところか。

 材料はダイコン250g、鶏卵2個、ニンニク数粒。ごま油、塩、食用油適量。Photo_9

1. ダイコンは葉っぱと尻尾を切り取り、千切りにしておく。鶏卵はどんぶりの中で攪拌しておき、ニンニクはみじん切りにしておく。

2.鍋に食用油を入れて加熱し、みじん切りにしたニンニクをさっと通して香りを出す。そこへ千切りのダイコンを加え、適量の清湯(上の清湯の作り方参照)を加えたあと沸騰させる。

3.数分煮た後、鶏卵をといたものをいれ、少ししてからゴマ油、塩、化学調味料で味を調えて完成である。

 私はよく思うのだが、スーパーなどでお刺身を買うと、ダイコンが大量についていてなかなか消費しきれない(味噌汁の具として利用するとまあまあ美味しいけど)。こういったダイコンを使ってみてはいかがかと思ったりする。

 さあてと、今日はハトムギを買ったので、また何かに使ってみようっと!

2008年10月19日 (日)

お手軽中華・4 ~お粥だよっ! お粥6種~

 私は昔からお粥が大好きではなかった。だいだい消化器が弱ったときにお粥を食べることが多いと思うが、我が家のお粥は白米のお粥で(だいたいの家では、あまり違わないと思うけど)、梅干なんかを添えて食べるのが一般的だった。

 長じて各地でいろいろなお粥を食べることがあったが(朝粥など)、お粥は入れるものによって様々なバリエーションを楽しむことができることを知った。今では訪中したときには、朝ごはんの半分以上はお粥をいただくようになっている。

 ただ本ブログで紹介しているのは、レストランで出される中華粥ばかりではない。家庭料理もあれば、料理本の著者が奇をてらって載せたのではないかと思うものもある。だから味は保証できない。それぞれが自分で工夫を凝らして、自分のお気に入りを作る土台にでもなればと思っている。

 ということで、今回はお粥中心である。いつものように、生命が大切な人は、材料は日本産のものを使った方がいいと(私は)思う。さらに化学調味料を用いるのは、中華では当たり前になっているようなので、そのまま書いておく。

Photo  『香菇牛肉粥』。これはシイタケと牛肉のお粥である。材料は牛肉100g、シイタケ150g、お米150g、塩、化学調味料適量。

1. まず牛肉は小さなサイの目に刻んでおく。シイタケは水中で洗った後、小さく刻んでおき、米はといでおく。

2.鍋(お粥は土鍋がいいと思う)に水を入れ、米を入れた後沸騰させ、刻んだ牛肉、シイタケを入れて弱火でお粥状になるまで煮込み、最後にお塩と化学調味料で味を調えて、できあがり。

 Photo_2

『叉焼皮蛋粥』。 チャーシューとピータンの粥である。材料はチャーシュー250g、お米150g、ピータン1個、塩、化学調味料適量。

1.チャーシューは小さく刻み、ピータンはかわを剥いて洗ったあと、小さなサイの目に刻む。お米はといでおく。

2.鍋に水を入れ、沸騰してからお米を入れる。煮あがるのを待って刻んだチャーシューを入れ、ピータンを加えたあと、少し煮込んでから塩を加え、化学調味料で味を調えて、完成である。Photo_3

『香蕉菠luo粥』。バナナとパイナップルのお粥。さすがに私には「おぞい」が、とりあえず紹介しておこう。材料はお米100g、ハトムギ50g、パイナップルの果肉200g、バナナ2本、氷砂糖適量。(あ~、おぞい、おぞい)

1.お米とハトムギは洗って、水の中にい時間ほど浸しておく。

2.バナナは皮を剥いたあと刻み、パイナップルは刻んでおく。

3.鍋に水を入れ、沸騰させ、お米とハトムギ、刻んだバナナとパイナップルを入れたあと、弱火で煮込み、最後に氷砂糖を加えて(あ~っ、おぞい!)味を調えて(整うのかしら?)出来上がり。Photo_4

『皮蛋痩肉粥』。ピータンとヒレ肉のお粥である。何のヒレ肉かは書いていないので、ヒレ肉ならなんでもいいのではないかと思うが、一応中華ではブタが使われることが多いので、ブタヒレでいいのではないか?

 材料は、お米100g、ヒレ肉120g、ピータン2個、塩、料理酒(中国では蒸留酒で、紹興酒おか安い白酒を使うことが多い)、ごま油、サラダ油、白胡椒適量。

1.ヒレ肉をサイの目に切り、ピータンはかわを剥いたあと、洗ってから同じくサイの目に切っておく。

2.お米をとぎ、鍋に入れたあと、水を1300mlいれ加熱する。

3.それからヒレ肉、ピータンの中に塩、料理酒、ごま油、サラダオイル、白胡椒をいれてよくかき混ぜた後、煮立った粥の中に加え、弱火でさらに煮立てて完成。(うまそうな感じはするんだけどなあ……)Photo_5

『鶏糸粥』。鶏肉の千切り粥である。これもなかなか美味そうに思うのだが。

 材料は、お米300g(何人前作るっちゅうんじゃ?)、鶏の胸肉100g、葱のみじん切り、香菜、塩、化学調味料、胡椒、料理酒各適量。

1.鍋に水を入れ、鶏の胸肉と料理酒を入れて強火で加熱し、沸騰後弱火にしてゆっくりと鶏肉を煮たあと取り出し、千切りにしておく。

2.お米をとぎ、香菜は洗ったあと小さく刻んでおく。ここで香菜はコリアンダーを使う手もあるが、日本に留学している女性に尋ねたところ、三つ葉でも案外いいのではないかという答だった。

3.(土)鍋に水を入れ、お米を入れて沸騰させた後、千切りにした鶏肉いれ、塩、化学調味料、胡椒をいれて加熱し、上にみじん切りにした葱と香菜をふりかけて完成。

Photo_6 『薏仁糙米粥』。ハトムギと玄米のお粥である。なんかあっさりしてそう。脾臓を元気にして、肺を潤し、利尿作用があり、腫れを収めるんだそうだが、私は漢方には専門的な知識がないので、よくわからない。

 材料はとても簡単、ハトムギと玄米が各50gである。たったこれだけ!

1.玄米とハトムギを洗っておく。

2.鍋に水を入れ、ハトムギと玄米をいれ、強火で沸騰させる。

3.しばらくしてから弱火にし、ハトムギと玄米が粥状になったらできあがり。あまりに簡単なので、本当に大丈夫なのかと思うけれど、食べ方で加減してみたらいかがであろうか。塩を加えるとか、モロミを添えるとか、漬物と一緒に食べるとか。

 本物は中国産の原料を用いるべきなんだろうけど、私は生命の危険を少なくしたいので、日本産のものを用いるのを重ねておすすめする。もちろん味覚は文化の一部なので、当然うまい不味いは個人によってもことなるだろうし、国民性もあると思う。そこで食べられるように、漬物とかモロミとか塩とかを加えるのは、反則にはならないのではないだろうか(何をもって反則とするかは問題であるが)。

2008年10月18日 (土)

『戦国の竜虎』・40 ~第八章 以逸待労(5)~

 土曜日曜の昼前ぐらいから、テレビをつけると必ずと言っていいほど、「おいし~いっ!」という黄色い声が何度となく繰り返される。私がよく名前も知らないようなタレントが、料理を食べているシーンが放映されているのだが、私の食卓を見てみると、いつも通りの我が家の朝食である。

 日本各地には素晴らしい料理人がたくさんおられ、しかも日夜創意工夫をこらされているので、そういった料理が美味しいのは、私もよく知っている。でそういうところへロケに行けば、それなりの番組が出来るんだろうね。でもテレビの中で騒いでいるタレントさんは、本当に味がおわかりなのだろうか。

 私は彼女らの年頃のとき、とにかくたくさん食べることがご馳走だった。トレーニングで身体を激しく使っていたから、食事もとにかく味より量優先がった。そして何をいただいても、それなりに美味しかった。味優先になったのは、実はここ10年ほどのことである。人間、明日のことはわからないから、何でも食べることができるうちに、せいぜい美味しいものを食べておこうという考え方になったのだ。

 そして今では、美味しいものを少量ずつ、いろいろといただくことをモットーにしている。でもなあ、テレビの中の黄色い声は、本当言うとあまり歓迎していないね(いかにも味がわかったふうなことを言う、年配のタレントさんの言葉もあまり信じていないけど)。

 他人にあれこれ教えてもらわなくても、私の味覚は私のものである。誰が美味しいと言わなくても、私が美味しいと感じればそれで十分。きっと私の身体が必要としているから美味しく感じているのだろう。だから旅行などでも、行った先で入ったレストランで(あるいは飲み屋、小料理屋などなど)、シェフや板さんに、「おすすめは何ですか?」と聞いて、それを食べるだけで十分である。

 私はタレントの評論はあまり気にしない。こういった番組を制作しておられる方には悪いかもしれないが。その時私が美味しいと感じるものに出会えれば、それで十分満足である。

 ということでそろそろ始めよう。今日は『戦国の竜虎』の第40回目。「第八章 以逸待労」の完結である。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・40 ~第八章 以逸待労(5)~

【5】以逸待労の計

 魏の軍営では焚き火を囲んで兵士たちが車座になって座っていた。彼らは龐涓(ほうけん)に斉を再度討伐することを進言したものの、いくら攻めても臨淄は落ちそうもなく、いくら罵詈讒謗を浴びせても孫臏(そんびん)の本営には動きがなく、いささか疲れていた。兵士の一人が吹く笛の音は、彼らの望郷の念をかきたてるばかりであった。

「家が恋しいかPhoto_3?」

「うん」

 あの婚礼には龐涓を呼ぶと約束した若い兵士と、龐涓に再度斉攻撃を進言した伍長が話していた。伍長の言葉に、若い兵士は素直に頷いていた。伍長も、斉に引き返しさえすれば、すぐにでも戦になり、そこで斉軍をさんざんに打ち破れるものと、単純に考えていた。

 だが戦は彼が考えているほど単純なものではなかった。彼が凱旋して晴れ姿を見せようと考えていることなど、戦の駆け引きや流れの中では、まったく取るに足りないものでしかなかった。

「まったく斉の腰抜けどもには困ったもんじゃ。叩こうにも叩けん」 伍長がため息をついたときだった、若い兵士が目の前で絶叫して倒れた。彼の背中には矢が突き立っていた。

「夜襲じゃっ! 夜襲じゃぞっ!」 周囲から兵が騒ぐ叫び声が上がった。たちまち車座になっていた兵士たちは散らばり、迎撃しようと隊形を取り始める。弓兵が並び、暗闇の中に矢を射掛けるが、正確に敵を捉えていないため、効果はまったくわからなかった。反対に焚き火の明かりを受けている彼らは、斉の夜襲隊からは丸見えだった。

 矛や長剣を構えてはいても、暗闇からいきなり飛んでくる矢は防げない。弓兵が放とうとする矢も、同士討ちを恐れてやたらと射掛けることはできない。それに暗闇に射掛けても、見えない的には当たらない。

 暗闇かPhoto_9ら飛んでくる矢が、大勢の魏兵を倒していた。そしてこれまた闇の中から、何十という松明が魏軍の帳に投げ込まれ、たちまち火事が起こる。

「斉軍が来たぞ! 斉軍の夜襲じゃっ!」 一人の将軍が叫んでいた。 その顔を見ると、魏軍の服装をまとった田国である。孫臏はただでさえ敵味方が判別しにくい夜襲部隊に、わざわざ魏兵の服を着せたのである。

 味方かPhoto_8と思って傍に駆け寄ってきた魏兵を、田国は長剣で切り捨てる。不意を襲い、しかも紛らわしい攻撃に、魏軍はなすすべがなかった。彼らはほんの小さな部隊だったが、少数であるがゆえに周囲は皆敵で、誰彼かまわず切りかかり、矢を射掛けることができたのである。逆に魏軍は大軍であるがゆえに、同士討ちを避ける心が働いて、満足に守ることもできなかった。

 夜が明ける頃、次第に明かりの中で惨憺たるありさまが次第に明らかになった。燃やされた帳があちこちに点在し、その間に殺された魏の兵士たちの骸が転がっていた。龐涓はそのありさまを見て言葉を失い、立ち尽くしていた。生き残った兵士達は、死んだ兵士を担架に乗せて運んでいる。

 一人のまだ顔にあどけなさが残る若い兵士の死骸が運ばれていくのを見て、龐涓は声をかけPhotoた。

「ちょっと待て」 

 婚礼には龐涓を招くと約束した、あの若い兵士であった。龐涓は彼の額にかかっている乱Photo_5れた髪を掻き揚げてやった。彼の心には、悔しさと悲しみと、怒りがごちゃ混ぜになって湧き上がっていた。

「おろせ」 多くの骸が運ばれている中で、またも龐涓は担架を停めさせた。それは彼に斉に取って返すよう進言したあの伍長であった。彼もまたあの乱戦の中で生命を落としていたPhoto_2のだ。

 龐涓はしゃがみこむと彼のだらりと垂れ下がった手を胸の上においてやる。そしてその冷たくなった手を握り締めた。わしはこの者たちの期待に応えることができなかったばかりか、生命まで失わせてしもうた。彼の胸から押さえつけていた感情があふれ出そうとしていた。

「兄弟、すまない……!」 多くの魏軍の兵士たちが見守る中、龐涓は男泣きに泣いていた。彼は人前で涙を見せる男ではない。だが怒りと悲しみと悔しさが、ついにこの鋼鉄の心を持っているのではないかと思える男の心を開けてしまった。龐涓は立ち上がると腰の長剣を抜きPhoto_4放った。

「おのれ、孫臏っ! この恨み晴らさでおくべきかっ! わしも魏の龐涓じゃっ!」 彼は長剣にかけて、彼らの仇を討つと誓ったのである。

      *      *      *      *

 翌朝、孫臏のいる斉の本営の前に、魏の大軍が勢ぞろいした。 これから斉の本営を攻撃し、雌雄を決しようというのである。この時代の中国では、まだ大平原に騎馬を展開する、大規模な騎馬戦は行われていない。その代わりに歩兵主体の戦が主流であった。

 魏軍は先に小Photo_6さめの楯を構えた兵士が並ぶ。彼らは左手に楯、右手には長剣を握っている。それが何列か続いた後ろには、長い矛を構えた兵士が続く。こうして柵が築かれている斉の陣を攻撃するのである。

 対する斉の陣では、柵のすぐ後ろに弓兵がずらりと弓矢を構えて待ち受 けている。押し寄せてくる魏軍が柵Photo_7にたどり着く前に、いかに兵力を失わせるかが彼らの役割である。そしてその背後にはやはり矛を構えた兵が控えている。

 整然と行進してきた魏軍が、弓矢の射程距離に入ると、指揮している将軍の「殺せ(sha)」という号令と同時に駆け出す。彼らは矢から後続部隊を守り、一国も早く柵にまでたどり着くのが任務である。そうして策に到達したあとは矛の番である。

 だが斉軍の矢はばたばたと魏兵を倒していく。それでもその中から魏兵は柵にたどり着くや、矛を柵の間から突っ込み、策のすぐ後ろにいる斉兵を攻撃する。斉の矛隊も負けじと応戦する。この時代の矛は、横にも刃が飛び出しており、これを柵にひっかけて柵を引き倒すこともできる。そうはさせじと斉の矛が魏兵をつき返す。

 柵を巡る攻防が続いている間に、魏の後続部隊から、数本の木を横に並べてつないだ、細い筏のようなものを持った兵士が駆けてきた。これを柵に立てかけて、その上を兵士が登り、斉陣に侵入しようというのである。

 それを伝って一人、また一人と、魏兵は斉陣に侵入するが、陣の内側は斉兵だらけである。たちまち何人もで魏兵を切り倒してしまう。柵をめぐる攻防は熾烈を極めたが、なかなか破れそうになかった。

 この様子を近くの小高い丘の上で見守っていた龐涓のもとに、一人の間者が馬に乗って急を伝えにやってきた。

「龐元帥!」 間者は馬から下りる間も惜しんで報告した。

「龐元帥、田忌が出てきましたぞ! 我らの本営を目指しておりまする!」 龐涓は表情も変えなかった。むしろやっと出てきたかと腹の中で思ったくらいである。

「どれくらいじゃ?」 彼は詳細を知りたがった。犄角の備えである以上、当然片方が総攻撃を受けていれば、もう一方は救援に来る。もっとも一般的な戦い方である。そして彼は田忌が出て来るのを待っていたのだ。

「大勢おりまする。二万は下らぬかと」 龐涓はにやりと笑った。とうとう田忌を誘い出したのだ。孫臏の陣はたやすくは落とせないであろう。だが田忌ならば今まで何度も打ち破っている。

「よし! 生かして返すな! 反転じゃ! 田忌を攻めるっ!」 自分の立てていた作戦がやっと有効に機能すると思って龐涓は、孫臏の本営攻めの予備軍のようにしていた軍を、一気に臨淄方面に向かわせる。当然、最初からこちらが主力軍である。彼はまず田忌を各個に撃破するつもりだった。ただその為には全速力で彼らの退路を断たねばならない。城内へ逃げ込まれたら、またしてももとのこう着状態に戻ってしまうからだ。その間孫臏の本営を攻撃している軍は、孫臏に足止めを食わせるだけで十分である。

      *      *      *      *

 孫臏の帳に田国が飛び込んできた。

「軍師、龐涓が退いていきますぞ!」 だが孫臏は眉一つ動かさなかった。軍図を指差し即座に答える。

「おそらく田将軍が攻撃しているのだろう」 田は不思議そうな顔をした。

「どうしておわかりになるのですか?」 孫臏の顔に笑みが浮かんだ。

「龐涓は簡単に負けを認めるような男ではない。背後からの攻撃でも受けなければ、簡単に引いたりはせぬ」 孫臏も龐涓の性格を読みきっている。それを聞いて田国も小さく頷く。

「軍師、我らはいかがいたしましょう? やつらを背後から攻撃しましょうか?」 これも犄角の備えの常道である。だが孫臏は許可しなかった。

「いや。やはりここは、動かざること山の如しじゃ。彼らが疲れきるを待とう」 魏軍があちこちへと戦の追って走り回っている間、ずうっとじっとしていて鋭気を養うのである。走り回っていればどんな強兵でもそのうちへばってくる。そうしてその強さが斉兵よりも下がったときが決戦のときなのである。孫臏はそれを待っていた。

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 龐涓自らが率いる大軍は全速力で駆けていた。亀のように甲羅に閉じこもっていた田忌がやっと出てきたのである。こちらを徹底的に叩いておけば、臨淄の防衛ができなくなる。そして犄角の備えが崩れる。そうしておいて孫臏の本営軍と決戦するのである。

「急げ! 田忌を臨淄に逃げ込ませるでないぞ!」 馬上から大声で命令する龐涓自身も急いでいた。とにかく今は田忌を叩くこと。そのためには彼を逃がしてはならなかった。

 だがその頃すでに田忌は臨淄に全軍を引き揚げさせていた。彼は城外へ打って出たようなふりをし、その実、臨淄周辺で停止し、龐涓の軍が反転してこちらに向かっているという報告を受けた瞬間、さっさと臨淄城内でと引き揚げたのである。

      *      *      *      *

 臨淄の城門の上で田忌と禽滑は談笑していた。並んで城外をゆっくりと見渡し、また笑う。彼にとっては会心の作戦行動であった。

「虚虚実実、真真假假じゃ。軍師、この言葉の意味、この田忌、しかと学びましたぞ。ははははは……」 田忌だけでなく禽滑も声をあげて笑っていた。田忌は一応、威王の命に従うふりをして、龐涓が孫臏の本営を攻め始めたという報と聞いてすぐに出陣したのである。これで威王の命に従ったことになる。そして龐涓来るの報を入手するやいなや、さっさと引き揚げた。彼は一兵も損じることなく、龐涓の大軍を走り回らせ、疲れさせたのである。

 彼のこのたびの行動は、威王の命に従いながら、孫臏の基本方針にも適うものだった。彼らは至極満悦していた。

      *      *      *      *

 気の毒なのは「田忌来る」の報をもたらした魏の間者であった。彼は魏の本営で龐涓の前に跪かされていた。周囲には諸将がそろっている。

「その方の此度の誤報、どのような罪に当たると思う?」 間者は恐れ入っていたが、必死で弁解する。

「元帥、私はこの目で田忌が出撃したのを見ております。誰が途中で引き揚げるなどと思いましょう」 だが龐涓の返事は冷たかった。

「その方、目は良いかもしれぬが、頭のほうはからっきしじゃの」 間者に大切なことは情報を集めることだが、もう一つは集めた情報の真贋を判断することである。彼は田忌の動向を探りに潜入していた。だから彼は田忌が出撃するのを見てすぐに報告に帰ってきた。もしそうでなければ、本当に田忌が龐涓の背後を衝いたときには間に合わなくなるからだ。だがその後、田忌は兵を退いた。それを読めというのは、一介の間者には難しいことだったかも知れない。

「元帥、次の機会には絶対に手柄をたててごらんにいれまする」 間者は必死で自己弁護した。だが彼を見る龐涓の目は冷たいままだった。

「ふん。お前には次はない。連れて行け。この者を切り捨ていっ!」 すぐに帳の中に二人の兵士が入ってくる。

「元帥、お願いでございまする! 元帥、助けてくださりませ! 元帥、元帥…!」 助命嘆願を続ける間者を、兵士達は左右両側から引き立てていく。今回の戦ではどこか龐涓の感情があらわになりすぎているような気がした。もちろん、戦の始まりが彼が辱めを受けたことだったからかも知れないが。公孫閲は、今までにない不安を感じていた。

「明朝、一番鶏で飯を食う。準備をして命を待て」 龐涓は居並ぶ将軍たちに命じた。

「はっ!」 居並んだ将軍達は返事をすると、それぞれの持ち場に帰っていく。だが傍らでこの様子を眺めていた公孫閲が、少し間を置いてからやっと口をはさんだ。

「元帥、明日決戦をするのでございますか?」 龐涓は不機嫌そうな顔で公孫閲を見た。わかりきっておるではないか。

「どういうことじゃ?」 その質問に公孫閲は答えなかった。そして一見関係ないことを喋り始める。

「やはり、最初に孫臏を殺しておくべきでございましたな」 公孫閲は努めて穏やかに言ったが、龐涓はその言葉を聞きとがめた。きっとした顔になって公孫閲を見る。

「その方の言いようじゃと、わしでは奴の相手ができぬと聞こえるが」 龐涓はプライドの高い男である。そのような侮辱を最も嫌う。

「いいえ、そうではございません。今の天下で孫臏と互角に渡り合えるのは、やはり元帥お一人でございましょう。ですが此度の戦は、どうも勝てるように思えませぬ。我が軍の兵士たちは、疲れ切っておりますぞ」 それが現実であった。いつになく感情的になってしまった龐涓は、そんなことさえ条件の中に入れていないように見えた。

「では、軍を退けというのか?」 公孫閲は、今回の龐涓は退くことなどかけらも思わないのだろうなと、諦め顔で言った。

「それは元帥がお決めになることでございます」 その通りである。だが龐涓はその言葉も気に食わないように、公孫閲の顔を睨んでいた。だが龐涓はばかではない。それどころか大変に優秀な男である。公孫閲の言葉には合理性があった。そして龐涓も合理的だったからこそ、ここまで天下に名を轟かせてきたのだ。

      *      *      *      *

 孫臏の帳の中で、孫臏と田国が囲碁に興じていた。自分の碁石を弄びながら孫臏が言う。

「田将軍、明日あたり龐涓は退くに違いない。そなたは全軍を率いて追撃してもらいたい。どのように叩けばよいかは、存じておろうな?」 孫臏は暇さえあれば、将軍たちに兵法を教えている。

「わかってございます。我らは鋭気を養うております。龐涓の魏軍は、疲労困憊しておるでしょう。必ずや勝てまする。ですが軍師、なぜに追撃だけをお命じならるのでしょう? 奴らの行く手を遮り、追撃隊とで挟撃すれば、徹底的に叩くこともできましょうに」

 彼も孫臏から学び取った兵法で彼なりに考えていた。だが彼は本来、勇猛果敢な将軍である。一気に勝敗を決したがる癖があった。確かに挟撃すれば派手な戦果は得られそうに思える。だが孫臏は『孫子の兵法』にある言葉を借りて、挟撃しない理由を説明した。

「孫子は言うておる。帰師にはとどむること勿れ、と。魏軍は帰国したいという気持ちで一杯じゃ。もしそれを邪魔しようとすれば、彼らは窮鼠ネコを噛む状態になろう。必死で抵抗されたは、我が軍も手痛い被害を蒙るかも知れぬ。じゃから此度は追撃だけにしておくのじゃ」

 田国は頷いた。兵法は人間を動かして運用するものである。人間を動かすには、人の心を知らねばならない。故郷へ帰ろうとする人間は、それを邪魔しようとするものとは、疲れ切っていても死力を尽くして戦うだろう。たとえ勝ってもこちらの被害が大きくなるというのである。

 これは今は強大な魏国であるが、その勢力を次第に弱らせていき、逆に斉は地力をつけておいて、勝てるようになった時に決戦をするという、一番最初に孫臏が威王に拝謁したときに述べた基本方針をそのまま反映したものであった。一度に一か八かの勝負をするのではなく、手堅く勝ちを得るものである。兵法とは基本的にそういうものなのだ。

      *      *      *      *

 翌日からの追撃戦は、戦と呼ぶほどでもなかった。あまりに一方的になってしまったのである。退却していく魏軍の最後尾から叩いていく。こうなると帰郷を焦る心とあいまって、魏軍の退却は敗走から潰走へと変わっていった。

 最終的には魏軍は、武器も軍旗も投げ捨てて我先にと逃げ帰ったのである。

      ☆      ☆      ☆      ☆

『以逸待労』は『孫子の兵法』から出た言葉であり、『三十六計』の第四計である。自分は鋭気を養っておき、敵には奔走させて、疲労困憊した敵軍を打ち破るというものである。敵軍を不利な状況に置き、味方は出来るだけ有利な状況にしておいて当てれば、勝利を得ることはたやすい。

 孫臏は「動かざること山のごとし」でこの以逸待労を行い、再び龐涓を打ち破った。さて龐涓もこのままで黙って引っ込んでいるはずもなく、捲土重来、いかに孫臏に戦いを挑むか、第九章 無中生有 をご期待願いたい。

                   (第八章 完)

      *      *      *      *

『以逸待労』で一番に思い出すのは、前にも書いたかも知れないが、1974年、10月30日、キンシャサの奇蹟と呼ばれている、ジョージ・フォアマン対モハメド・アリの対戦である。最初から大変な不利を伝えられていたアリは、フォアマンに打たせるだけ打たせておいてから、打ちつかれたフォアマンを第8ラウンド、僅か2回のワン・ツーで大逆転ノックアウトしてのけた。

 だいたい老練な人を相手にすると、こういうことはよくあることだけどね。まあ、そんなこんなで、兵法の勉強になることは、いくらでもあちこちにありますな!

2008年10月17日 (金)

『戦国の竜虎』・39 ~以逸待労(4)~

 マッサージに医療効果はあるのか? あるものもあれば、ないものもあるだろう。だが心霊手術的な効果を期待すると、私としてはやはり眉に唾をべとべとになるくらいつけたくなる(よけい見えないじゃないか!)。

 でも「指圧のこころは母心」といった人もいたので、気持ちいいのは私は好きだけどね。まあそんなことよりも、『戦国の竜虎』である。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・39 ~以逸待労(4)~

【4】流言に惑う

「大王、まずうございまする」 心配そうな顔をした鮑大夫(ほうたいふ)が威王(いおう)の前に出ていた。

「またか。今度は何じゃ?」 毎度毎度、ろくでもない話題ばかりを言上されたら、誰だって面白くはない。だが威王も斉の君主である。聞きたくない報告でも聞かないわけにはいかなかった。

「孫臏(そんびん)の本営で、兵糧が焼かれたそうにございます。兵の士気が落ち、救援の兵を差し向けねばもちそうもないと」 何度となくありもしない不利な情報が寄せられるということは、それは敵が情報戦をしかけてきている証拠なのだが、戦の経験がない鮑大夫にはそのあたりの呼吸は読めなかった。敵が仕掛けた罠に面白いように嵌ってしまう。

「そなた、それを誰から聞いた?」

「街じゅうで噂してございます」 街じゅうで噂しているということは、基本的にその話の出所がわからないということである。そのような重要な情報で出所が不確かだということは、敵の謀略とPhoto断定してまず間違いない。だが鮑大夫は落ち着かない様子であった。

「ふん。それは敵が流した偽情報じゃ。孫臏は出陣に際して余に言うた。本営の兵糧は十二分にあるとな」 これまた戦経験のない威王がそれを否定しようとする。だが威王は確信を持って言っているわけではない。彼は味方の軍が不利だという情報を聞きたくない気持ちが強かった。

「ですが大王、聞くところによりますと、彼は魏の間者に兵糧を焼かれたとのことでございます」 もしもそうなら、威王からの使いが孫臏の本営と行き来できるような状態なら、必ず正式な報告が入るはずである。だが経験がないということは悲しいことだ。いくら肉体的に年齢を重ねていても、そちらに関してはずぶの素人であり、子供となんら変るところはなかった。

「まことか?」 威王は聞き返した。彼はまだ孫臏を信頼しきってはいなかった。だから彼からの報告よりも、噂を信じようとしたのである。

「みなそのように噂しておりまする」 もう威王は、それが噂だという言葉も耳に入らないようであった。

「すぐに田忌を呼べ」

「御意」 

 三人言いて虎をなす、と言うが、まさに虎がいるはずばない市場に虎が出現しようとしていた。ちなみにこの「三人言而成虎」という諺のもととなったのは、龐涓(ほうけん)の甥、龐葱(ほうそう)が魏の恵王に言上した言葉である。

 多くの人間が同じことを言い出せば、それが荒唐無稽な話であったとしても、人は次第にその言葉を信じるようになっていくといった意味である。ちなみに龐葱もこの物語で遠からず登場し、活躍する魏の将軍である。

      Photo_2*      *      *      *

 緊急のことなので、田忌は平服のままの参内であった。

「孫臏のこと、聞いておるか?」 

「聞いておりまする。あれは流言にございまする」 田忌は自信を持って即答した。彼は孫臏を信頼していた。そして様々な状況から判断して、軍師が兵糧を焼かれたはずがないと信じていた。彼には逆に威王が惑わされることの方が理解できなかった。

「万一事実であったら、いかがする?」 だが田忌は笑顔で答えた。

「軍師は兵糧を最も重視して おります。万が一にも兵糧を焼かれるなどというへまは犯しませぬ」 腹が減っては戦はできぬ、という言葉があるとおり、食料を保証できることは将帥としての最低限度の条件である。食料と大義名分があればこそ、生命を的に戦わねばならない戦場へ、兵士たちを、勇気凛々赴かせることができるのだ。

「じゃがたとえ虎であっても、油断することはあるものじゃ。万一孫臏が油断したとしたらどうするのじゃ?」 屁理屈である。ほとんど答える値打ちすらないようなものだが、威王は君主である。田忌は丁寧に答えた。

「万が一そういうことでしたら、直ちに知らせが参ります」 孫臏は本来慎重な性格をしている。全軍を危機に陥れるかもしれないようなことには、何重にも手を打っている。

「聞けば龐涓の囲みは水も漏らさぬそうではないか。万一孫臏からの使者が途中で殺されていたら何とする」 何度でも万一を使う。これでは屁理屈同士を戦わせているのと変らない。だが返答する田忌の顔には、笑みさえうかんでいた。

「ありえませぬ。孫臏のもとには一人の衛士がおりまする。前の戦では、田国とともに何千という敵軍の真っ只中で龐涓を生け捕りにした者にございます。その者の剣の技量であれば、どのような囲みであっても突破してしまえまする。孫臏は真の窮地に陥れば、必ずやこの者を使うでしょう」

 田忌は鐘離春をよく知っている。彼女の性格も、剣の技量もである。だが威王は彼女の名前は知っていても、彼女については何も知らないも同然であった。自分の部下をよく知ることは、適材適所のための最低限度の条件だが、残念なことにこの王は戦に興味がないのと同様、自軍の情報にも疎かった。

「どのような手練であっても、手足は二本ずつしかないぞ。猛虎も群狼には勝てんというではないか。もしその者が大勢に取り囲まれたらいかがするのじゃ」 口先の理屈だけで話を進めていけば、必ずこういったことになる。まさに時間の無駄であった。

 田忌は鐘離春を知っている。彼女はそうやすやすと敵に取り囲まれたりするようなへまは打たない。だが威王にとっては兵士の顔は全て同じに見えていた。それぞれの兵士には全て異なった顔があり、全てが個性を持っていて、全てが異なる能力を持っていることを知らなかった。

 さらに威王は戦がわからないわりには、戦って勝つことに拘るところがあった。戦を知らないから却ってそうだったのかの知れない。そこでまたしても無理難題を出そうとしていた。

「余の思うところはじゃ、兵糧を焼かれたのが嘘でも真実でも構わぬ。そなたに一隊を率いて龐涓の背後を衝いてもらいたいということじゃ。龐涓も背腹に同時に敵を迎えるは厳しかろう。一つには孫臏への負担を減らすことにもなろう。二つ目は混乱に乗じて彼の本営に人を遣わすこともできよう。こうすれば真実の状況もつかめるというものじゃ。どうじゃ、余のこの妙計、孫臏の智謀にも勝ろうが」 

 素人が得意にわかりきった策を述べていた。釈迦に説法もいいとこである。この程度の策ならば孫臏でなくとも田忌でもやっている。だがそれを口に出せないのが臣下の辛いところでもあった。

「大王の御策、見事でございまする。ですが臨淄を出る際に軍師との取り決めがございまする。それは固く守って、打って出ずということでございます」 魏軍を疲れさせ、自軍は鋭気を養わせるのであれば、当然のことだ。そして戦でやってはならないことは、あらかじめ打ち合わせたことを勝手に変更してしまうことである。他のものは打ち合わせに従って行動しているのに、自分が勝手に変ったことをしたのでは、作戦が根底から変ってしまう。

「その時はその時、今は今であろうが。孫臏とてその時は兵糧を焼かれるなどとか考えておらなんだろう」 だが田忌も譲らなかった。

「兵糧は焼かれておりませぬ」 だが威王はもう目の前にある戦よりも、屁理屈で勝つことに夢中になっていた。

「田将軍、言いたくはないが、その方は何度も龐涓に敗れておろう。それはその方の優柔不断に原因があるぞ。出兵はすでに余が決めたことである」 明らかに不機嫌な顔で言い放つ。軍権はすべて田忌と孫臏に預けたということも、すでにこの王の頭にはなかった。

「大王、それこそ龐涓の思うつぼでございまするぞ」 田忌は泣きそうな顔で言った。

「うるさい。余の決定じゃ」 ならば威王自身が兵を率いて出陣すればよさそうなものだが、この王にはそんな意識はかけらもなかった。自分は命令するだけの存在であり、後は臣下が生命をかけてやるものという認識しかなかった。

「大王……!」 わからず屋の君主を持ってしまった臣下は、いつも損な役回りばかりをさせられる。威王は戦の経験がない。それゆえに戦に対して傲慢であった。実戦を知らないものが、実戦を経験したものに傲慢に振舞うことは割合よく見かけるシーンである。威王は横をぷいと向いたまま、もう田忌の顔を見ようとすらしなかった。しかたなく田忌は返事をした。

「わかりました」

      *      *      *      *

 田忌は頭を抱えて王宮から戻ってきた。いくら君主の命令でも、国が滅びるかもしれないようなPhoto_7命令は聞きたくない。臨淄の城門の上から禽滑とともに城外を見下ろしながら、禽滑に相談した。

「禽先生、いったいどうしたらいいと思う?」 禽滑の意見は明快である。彼の主人は田忌であり、威王ではない。主人に最もよい判断をさせるために謀士は存在している。だから彼は田忌にとって最もいい結果が出るように進言するだけだ。

「軍師が仰ったようにすべきでございましょう」

「じゃが大王は既に決定されたのじゃぞ」 だが禽滑は蛙の面に何とやらであった。

「大王は仰いませんでしたか。およそこの戦に関しては、すべて大将軍と軍師に判断を委ねると」 威王はそんな理屈が通る相手ではなかった。基本的に王族として我儘放題に育てられたからであろう。

「じゃがのう、何と言うても、王は王じゃからの」 田忌は弱りきっていた。

「ですが軍師の作戦に齟齬をきたしては誰が責任が取れまするのか?」

「わしが取るしかあるまいの」 田忌の答えに禽滑はもどかしそうに批判した。これは一人の人間が責任を負えるような問題ではない。

「将軍が責任を負うと仰られても、ことは斉国全体のことでございますよ」 本来そのために王が存在するはずなのだが、状況判断すらまともにできない王とあっては、国の将来のことなどに責任が負えるはずもなかった。ここは覚悟を決めて、最初の孫臏との約束通りやるしかないと田忌は思った。田忌は呻くように言った。

「こうなっては軍師の本営が無事であることを祈るばかりじゃ」 孫臏の本営には万に一つも間違いがあろうとは思わなかったが、それでも田忌は孫臏と本営の無事を祈らないわけにはいかなかった。

      *      *      *      *

 威王が立ち上がった。つかつかと鮑大夫のほうに歩み寄る。

「どうしたのじゃ?」

「田忌はまだ動いておりませぬ」 鮑大夫は田忌がまだ出陣していないと報告に来たのである。威王は怒りをあらわにした。

「あの馬鹿者めが! 余の命に逆らうか! 兵権を取り 上げてやる!」 だが鮑大夫はそう叫ぶ威王を押し止めた。

「大王、おPhoto_5怒りになってはなりませぬ。大敵を前に将軍を換えるなど、百害あって一利もありませぬ」 つまらない報告をしたわりには、鮑大夫は威王を宥める。

「余がせっかく良計を授けてやったに、それを用いようともせぬ。あのような優柔不断の男を用いて何の益があろう!」 威王は腹立ち紛れに不平不満を口にする。人材を登用するなら疑うな、疑うくらいなら用いるなと言ったのと同一人物とは思えなかった。我儘な君主の欠点がまともに露呈していた。それに比べればつまらないことを報告してばかりの鮑大夫の方がまだましだった。

「大王が将軍を換えることがあるとしても、それは今ではございませぬ。龐涓が去ったあとになさってくだされ。今、田忌と孫臏を除いて、誰が龐涓の相手ができましょう。大王には今少しのご辛抱をお願いしたく存じます」 だが威王の怒りはおさまっていなかった。

「もしも孫臏の本営が落とされたら、余は真っ先に、田忌の首を取る!」 そんなことを臣下に言ってもしかたがないことなのに、軽はずみな発言であった。もとはといえば自分の腹が据わっていないばかりに招いた事態である。だがそんな反省を威王に求めるのは無理どいえた。

      *      *      *      *

 帳の中で公孫閲と龐涓は座り込んで思案していた。彼らの読みでは、もうそろそろ臨淄から田忌が出撃してきていなければならなかった。だが城門は閉まったままで、開く気配すら見せない。

「ちょっと田忌を低くみておりましたな」

「いや、低く見ていたのではない。買いかぶりすぎておったのじゃ」 公孫閲の言葉に、龐涓は負けず嫌いを隠そうともせず言った。相手の性格や頭脳の程度を読むのは兵家の基本である。だPhoto_4が今回の龐涓は読みを外していた。

「買いかぶっておったですと?」

「ふん。奴は城を出て戦うこともできぬ小物よ!」 龐涓は酒の入った器をとり、ぐいっと一息に飲む。

「そうでございますか…… で、何かよい思案でも?」 酒を口にした龐涓を見て、公孫閲が尋ねた。

「ない」 策がないからと言って、飯を食ったり、酒を飲んだりしてはならないという法はない。むしろ必要なのは気分転換であるのかも知れなかった。公孫閲は元気づけるように笑った。

「そうでございますな。まあ、美味いものでも食べられてはいかがでしょう。ものを食べれば、いい案の一つや二つ、出てこないとも限りませんからな」 龐涓が公孫閲の顔を見て笑った。

「そうじゃの。飲まず食わずでは、案も出てこぬわ。一緒に飲もう!」 龐涓が公孫閲に杯を進めた。二人は杯を合わせて一気に飲み干す。考えてもいい案が浮かばないときには、気分転換が一番である。それに攻めているのは自分たち魏軍であって、斉は守るのに汲々としているという自信もあった。

「それはよろしいですな。いただきましょう」

      *      *      *      *

 田国が自分の帳の中で長剣の手入れをしていた。武士の当然のたしなみとして彼も自分の武器の手入れを怠ったことはない。そこへ珍しく孫臏が入って来た。

「田国将軍」

「おう、これは軍師。いらっしゃいましたか。どうぞおかけください」 わざわざ立ち上がって孫臏に席を進める。

「将軍はさぞ戦いたいのであろうな」 孫臏は笑いながら話しかける。田国の手入れの行き届いた長剣を受け取り、感触を楽しむかのように動かしてみる。

「はい。私には敵軍を目の前にしていながら、戦わず、毎日罵られているのに我慢できません。奴らは我らを臆病者と罵ります。よほど出て行って叩き斬ってやろうかと思いますが、大局Photo_6を考えればここは動くわけには参りませぬ。軍師、ほんの少しでいいですから敵に一撃食わせてやりたいのですが、いかがなものでございましょう」 孫臏は長剣を田国に返した。田国はどうせ無理でもともとという気持ちで、襲撃を孫臏に願い出てみた。だが孫臏はそしらぬ顔で傍らの弓を手にとり、弦を引き絞って射るまねをし、ため息をついた。

「実は田将軍、私も同じ思いなのだ。戦場で思い切り戦うことができたらなあと、いつも考えている。だが私の脚ではなあ、この脚では戦場に出ることはかなわぬ」 田国は孫臏の心を知り、思わず下を向いた。この一見学者風の軍師にも、熱い兵家の血が流れているのだ。そして自分の熱い血をたぎらすことは一生できそうにもないのである。彼はそっと杖を孫臏に返した。

「よし、わかった。今晩、一つ夜襲をかけてみようか」 田国の顔がパッと明るくなった。

「軍師、まさかおからかいではないでしょうな?」 田国の言葉には喜びが溢れている。孫臏も笑いながら答えた。

「私は軍営にあっては冗談は言わない」

「ようしっ! 軍師。どのようにやりますか?」 田国の全身から歓喜があふれ出していた。彼は純粋に戦うことを愛する将軍だ。戦うことは何よりの喜びだった。

「うん。そこでじゃ……」 孫臏は田国の肩を叩くと、綿密に夜襲作戦を伝えた。彼は田国の帳に来て夜襲を思いついたのではない。最初から田国に夜襲を命じるつもりで来ていたのである。だが魏軍は、孫臏は出てこないものと決めてかかっている。敵の不意に出で、不備を攻めるのである。

                 (つづく)

      *      *      *      *

 やっと戦でございまするな。本篇を読まれて、なかなか戦が始まらないなあとお感じではないだろうか。実は私もそうだったが、実際は戦は策の結果として生じるものでしかなく、完璧に策がかかったなら戦が存在しない場合だってある。

 特に孫臏の使う『孫子の兵法』は、百戦百勝は善の善なるものにあらずという考え方で書かれているものだから、戦う前に勝負をつけるのを最大の良手としている。そして廟算なきは戦うにあらずとも言っている。つまり戦うときはまず先に勝ちてのち戦うのであるから、必ず勝つんだね。

 だから戦に持っていくまでが最大のポイントといえますな。打つ私は大変だけど。次回は第八章の最終回でございまする。ご期待のほどを。

2008年10月16日 (木)

『戦国の竜虎』・38 ~第八章 以逸待労(3)~

 秋深し、隣の客は、柿喰う客だ。

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『戦国の竜虎』・38 ~第八章 以逸待労(3)~

【3】犄角の備え(きかくのそなえ)

 臨淄の城門を、大勢の兵士達が隊列を組んで出ていっていた。これから彼らは孫臏(そんびん)に率いられ、本営を築くために出て行くのである。孫臏は龐涓(ほうけん)を迎撃するにあたり、臨淄城単独での篭城戦を避けた。

 本来篭城とは、援軍の予定があって行うものである。援軍のあてがなければ、篭城という戦法は周囲との連携も断たれ、食料の補給も断たれた緩慢な滅亡を意味する戦い方である。現段階では斉に援軍をすぐに送ってくれそうな国は見当たらなかった。

 唯一趙は孫臏の囲魏救趙の計で救われた恩義があるから、援軍を送ってくる可能性があったが、残念なことに今の趙には、援軍を出す余力はありそうになかった。先の魏との戦で邯鄲を包囲されたおり、孫臏は魏の兵力を弱体化させるつもりでなかなか援軍を出さなかった。そのため、趙軍も大きな痛手を蒙っていたのである。

 そのため斉は一国で魏の大軍を迎え撃たなければならなかった。そこで孫臏は臨淄を田忌にまかせ、自身が遊撃軍として城外に本営を築くことにしたのである。これは牛の角が二本あるのに喩えられ「犄角(きかく)の備え」と呼ばれる。片方に攻撃が加えられたら、もう一方が援軍になることで、敵の圧力を一箇所で受けることをなくす陣の敷き方である。Photo

「田将軍、これで臨淄の城内はすべて将軍の言うことを聞きます」 臨淄の城門を出たところで孫臏は田忌に語っていた。

「軍師、安心してくだされ。あとはわしがぬかりなくやっておくのでな」 禽滑も輔佐するであろうから、臨淄はなんとかやっていけるであろう。

「私が発ったら、鄒忌(すうき)は許してやってほしい」 孫臏はさらし者の刑を受けている相国のことを口にした。

「じゃが、三日はおろか、まだ一日もたってはおらんが」 田忌は孫臏の言葉に聞き返した。だが孫臏のやっていることには全て計算があった。もちろんそれは孫臏の計算であって、すべてが彼の計算どおりいくわけではなかったが。

「私は罪を犯せば大夫でも容赦しないということを、みなに知らせたかっただけなのです。それさえわかれば、それ以上のことをするつもりはありません」 要するに鄒忌はいい見せしめにされたのである。だが見せしめは、それ以上多くの人間を罰する必要をなくす作用もあるので、ここでは一番効果的な方法ではないかと思われた。国家が存亡の危機にあるときに、一人ひとりに馬鹿丁寧にすべてを説明する間はない。

 もちろん鄒忌の孫臏に対する恨みは深くなったであろう。人間の世界に生きるものとして、こういった難しさは常にある。だが今は戦のときである。孫臏は先を急がなければならなかった。

「わかった。では軍師の申されるようにしておこう」 それを聞いて孫臏は傍らの鐘離春の方を振り向いてから言った。

「ではよろしゅうお願いいたします。では」 彼は頭を下げ、鐘離春は剣を持ったPhoto_2手で抱拳の礼をする。

「身体には気をつけてくだされよ」 田忌と禽滑も抱拳の礼をした。

「行け」 田忌と禽滑は去っていく彼らの後姿を見送った。

      *      *      *      *

 寝床の中で鄒忌がうなされたいた。彼は孫臏らが発った後、すぐに許されて家に帰ったが、彼は熱を出していた。自分のうわ言で目を覚ます。

「おのれ、孫臏、許さんぞ! 絶対に許さん!」 彼の妻が慌てて駆け寄ってきた。

「あなた、あPhoto_3なた。どうしたの?」 額に手を当てると相変わらず発熱したままだった。いつもは豪勢な屋敷の中で暮らしている鄒忌には、日中、大道の柱に縛り付けられ、晒し者にされることは心身ともに耐えがたく、病を発していたのである。

「孫臏もむごいことを……」 彼の妻は恨めしげに言った。彼女の夫はいやしくも斉の相国である。夫に布団をかけなおしながら、彼女もまた孫臏を怨んでいた。

      *      *      *      *

 本営にいる孫臏の帳の中では、孫臏が将軍たちを集めて状況と、戦術の説明をしていた。彼らの中心には敵味方の予想される陣が箱庭のように作られていた。

「ここが臨淄でここが我らの本営じゃ。こうしておけば臨淄とこの本営とで相呼応して戦うことができる。もしも龐涓が我らの本営を叩こうとすれば、臨淄の田将軍がその背後を襲う。もしも龐涓が臨淄に兵を向ければ、我らがその背後を襲う。一度に両方を叩こうとするには、Photo_4どちらにも兵力が不足する。このように構えて彼を迎え撃つのじゃ」 これは一般的な犄角の備えの用い方である。だが孫臏が考えているのはその先にあった。龐涓も凡庸な将領ではない。通り一遍の戦術では破られてしまう。

「心配することはない。龐涓は軽挙妄動するような男ではない。おそらく様々な策を弄して我らを引っ張り出そうとするであろう。じゃがここは動かぬことじゃ。『孫子の兵法』で言う、近きをもって遠きを待ち、逸をもって労を待つじゃ。魏軍は遠路をやってくる。そのうちおいおいと疲労困憊してくるであろう。 それまで我らは固く守って討って出ぬことじゃ。兵糧が心もとなくなれば魏軍も士気は低下するであろう。それから決戦をするのじゃ。こうすればいかに魏の兵が精鋭揃いといっても、必ず打ち破ることができる」  

 田国をはじめとする将軍たちは、孫臏の説得力のある言葉を頷きながら聞いていた。

「軍師、わかりました。龐涓が疲れきるのを待って、総攻撃をかけるのですな」 田国が同意の言葉を発する。彼はすっかり孫臏の信奉者になっていた。この軍師と供に戦うのであれば、絶対不敗という信念を持っているかのようだった。

「その通りじゃ。おのおのそれぞれの持ち場に戻って準備をしてもらいたい。龐涓もそのうちやってくるじゃろう」

「はっ!」 囲魏救趙の時には作戦は秘密にしなければならなかった。それは彼らが赴く先がすでに軍機密に属することだったからだが、今回は違った。彼らは侵略してくる龐涓を待ち受けるのである。こういう時は作戦の概略を諸将に示し、しっかりと理解させておくことが重要になってくる。必要なことを、必要なときに、必要とされるようにやっていく。それが現実を重視する兵家の当たり前の行動であった。

      *      *      *      *

 蝋燭の火を見つめる龐涓がいた。彼も机の上に碁石を並べ、作戦を考えていたのである。そばには先ほどから後ろ手に手を組んで歩き回っている公孫閲がいる。

「公孫先生」 帳の入り口で、兵士が声をかけた。

「なんじゃ?」

「元帥はいつお食事にされるのでしょうか?」 龐涓は思案の真っ最中である。公孫閲ですら声をかけていない。

「もう少し待て」 だが龐涓は彼の言葉をさえぎった。

「いや、今喰おう。たっぷりと持ってまいれ」 良策が出てこないときには、飯でも食うに限るとでも言いたそうな顔だった。兵士は「はい」と答えて下がる。

「どうでございます? よい案は浮かびましたか?」 公孫閲は龐涓のほうに歩み寄った。

「やつらは亀の子のように甲羅に手足を引っ込めておる。やつらに手足を出させるにはどうすればよいかじゃ。わしは明日、孫臏の本営を迂回して、臨淄を包囲してやろうと思っておる」 だがそれは一般的な犄角の備えでは「飛んで火にいる夏の虫」というやつである。

「ですが元帥、それでは孫臏に背後を衝かれはしませぬか?」 だが龐涓は笑った。

「わしも囲魏救趙をやってPhoto_5みようと思っての」 だが公孫閲は心配していた。彼らが相手にしているのは孫臏である。並みの将ではない。

「しかし彼は兵法を熟知しておりますぞ。そうやすやすとは策にかかりますまい」 龐涓はしかし声を挙げて笑った。戦は優れた策でなければ相手に勝てないものでもない。まして相手の中で最も難攻不落な部分を攻めて勝つ必要もない。いつだって、どんな戦だって、綻びが生じるのは一番弱いところからである。

 まして彼は敵国の内情まで調べ上げていた。斉には威王という文人王がいて、戦に無知なわりにあれこれと口を差し挟んでいることは、すでに彼は知っていたのである。いくら孫臏が策にかからなくても、彼の主君の威王が嵌れば、どうすることもできなくなるはずだ。

「奴はかからんでも、威王はいくらでもかかる。斉王が奴に失敗させるのじゃ」 孫臏はまだ威王を制しきっていない。彼はよく威王とその取り巻きに足を引っ張られている。龐涓はそれを利用しようとしていた。

      *      *      *      *

 投石機がPhoto_6臨淄の城壁を攻撃していた。巨大な岩が空中を飛び、城壁にいる斉兵を押しつぶす。魏の弓兵が雨あられと矢を射かけ、それにばたばたと斉兵が倒れる。その後長い梯子が城壁にかけられ、それを勇敢な魏兵が駆け上っていく。 

 だが斉兵もそれを黙ってみているわけではない。城壁の上に積み上げていた大岩を投げ落とし、梯子を上ってくPhoto_7る魏兵を地面に叩き落す。魏軍は次々に兵を繰り出して攻めるが、太公望以来長い年月を生き延びてきた斉の国都は落ちそうには見えなかった。

 孫臏は机の上に碁石を並べ、現在の戦況を分析していた。彼のもとには逐一戦況が報告さPhoto_8れる。そこへ田国がやってきた。

「軍師、龐涓の大軍が臨淄を包囲しております。なぜ救援に行かないのでございますか?」 本来、犄角の備えというのは、このようなときに相呼応して敵を攻撃するものである。ところが孫臏は動こうともせず、笑った。

「ふ…… 『孫子の兵法』にはこういう言葉がある。動かざること山のごとし……とな」 だが性急な田国はなおも質問する。

「ですが、臨淄を落とされるようなことがありましては、申し開きができませぬぞ」 けれども孫臏は余裕の笑みを浮かべていた。

「臨淄には大将軍がおる。龐涓もそうやすやすとは落とせんじゃろう」 彼は自軍の兵士は徹底的に動かすまいと考えていた。逆に敵の兵士には、徹底的に動いてもらうつもりであった。

      *      *      *      *

 魏の本営では、龐涓が城攻めの命令を出したまま、立ち上がってあれこれ思案していた。そこに公孫閲が入ってくる。

「元帥、孫臏は依然として動きませぬ」 檻の中のクマのようにうろうろしている龐涓に報告する。

「よし。臨淄攻めをもう五千人増やせ」

「はい」Photo_9 頷いて出て行こうとした公孫閲を呼び止める。

「いや、一万じゃ。一万増援しろ」

「わかりました」 孫臏としてはこうやって盛んに攻めたてているように見せたかった。こうしておけば孫臏は出て来なくても、城攻めの勢いに怯えた威王が、彼に背後から攻撃せよと命令するに違いないからである。陣から出てくればただの野戦である。そうなれば精強なであり、兵力に勝る魏軍に利がある。

      *      *      *      *

 新手を加えたPhoto_11魏軍は、またしても臨淄の城壁に迫った。城壁を登りきる兵士も現れる。じりじりと魏軍が押し始めるが、城壁の上では圧倒的に斉軍が多い。登ってはきたけれど、そこで多勢の斉軍によって切り倒される。ただし斉の大夫たちの中には、目の前で繰り広げられる白兵戦に恐れをなすものも出始めた。

「大王、状況はよろしゅうございませぬ。いくら撃退しても、倒せば倒すほど、魏軍は増えてきまする。臨淄は遠からず守りきれなくなるでございましょう。 孫臏に早く救援に駆けつけるようにと命じられてはいかがでございましょうか」 鮑大夫は威王の前に報告に現れた。傍には鄒忌が立っている。威王に代わって彼が答えた。

「鮑大夫、現在孫臏は軍権は田忌と孫臏にある。大王とて口出しはできんのじゃ」 彼は王が軍権を手放すことの問題点を明らかにしようとしていた。鮑大夫も実戦は知らない。軍権が田忌と孫臏にあってうまくいかないのであれば、すぐに王の手に戻せばいいと、単純に考えてしまう。危機に臨んで命令系統に乱れがあってはならないと、最初に孫臏が口にした定石が早くも覆されようとしていた。

「大王、彼らかPhoto_10ら兵権を取り戻されてはいかがでございましょう? 孫臏は臨淄の危機を何とも思ってはおりませぬ。彼にはこの斉を守ることより、何か他の考えがあるのではないでしょうか」 だが威王も王である。即座にこの言葉は拒絶した。

「言うでない。人を疑うくらいなら用いぬがよい。用いるのであれば疑うでない。特に大敵が目の前におるときにはな」 だが田忌と孫臏を登用したのは威王であって鮑大夫ではない。彼は再び反論した。

「ですが、孫臏は日和見を決め込んでいるように動きませぬぞ。この臨淄にもしものことがあれば、いかがいたせばよろしいのでございましょうか?」 最後の方は傍にいた相国に言っていた。何とか助言をしてくれと言っているのである。鄒忌が鮑大夫に代わって言う。

「大王……」 だが威王は最後まで言わせなかった。

「わかっておる。余が彼に出陣要請を出す」 威王は不機嫌そうな顔をして答えた。

      *      *      *      *

 三人の宮衛が孫臏の本営目ざして馬を飛ばしていた。威王からの急使である。孫臏の帳に到着すると、先頭の宮衛が威王からの使いだとの言葉を伝え、背後にいた二人から割符を受け取って自分のとあわせ孫臏に手渡す。これで自分が本物の威王からの使いということを証明したのだ。

「軍師、大王から至急、救Photo_12援の兵を出すようにとの要請でございます」 だが孫臏の口から出たのは、まったく関係がなさそうな言葉だった。

「そなたたちは、どこの門から参った?」

「北門でございます」

「帰りに危険はありそうか?」

「いいえ。北門の魏軍は、ただ見せ掛けで包囲しているようでございました」 本当に臨淄を落とそうというのであれば、どこもがちがちに固めているはずだ。つまり龐涓には本気で臨淄を落とす気がないということである。

「そうか、では王宮に帰り、大王にそのようにお伝えしてくだされ」 だが使いの宮衛もそのようななぞなぞのような言葉を伝えるわけにはいかなかった。

「でも軍師、救援要請については、どのように大王にお伝えすればよろしゅうございましょう?」

「そなたが北門の様子をお伝えすれば、私がいつ出動するかが大王にはおわかりになる」 出撃するつもりはなかった。だからたとえ威王が自分の言葉の意味を理解できようが出来まいが、彼にとっては大した問題ではなかった。

「さようでございますか」 だが彼もなんとなく威王では理解できず、また何か難題を言ってくるという気がしていた。

「そうじゃ、今少し待て。大王にお伝えしたいことがある。勝ちを知る者には五あり、その中の一つにこうある。将帥の才能ありては、君王牽制すべからず、じゃ」 軍権を預けた者を信用しないで、あれこれ口を差し挟むのではないと言っているのである。

「わかりました」 本当にわけのわからない、部下の足を引っ張ってばかりの王じゃ、と孫臏は腹の中であきれ返っていた。これでは外にいる魏軍より、味方のはずの威王の方がよほど厄介ではないか。

      *      *      *      *

「まだ孫臏は動きませぬな。どうしたものでしょう。奴は一日延ばしにして、我らの兵糧が尽きるのを待っておるのでしょうか? 兵糧が尽きれば我らとて撤退せぬわけにはまいりませぬ。臨淄包囲には大軍が必要でございますし、大量の兵糧を必要でございますからなあ」 公孫閲は現実的な問題を語っていた、長期的に異国に遠征していて最も困るのは、こういった物資の問題である。だから龐涓もそれは根本的な問題として、すでに言及することすらしなかった。

「うん。わしはここでは孫臏の本陣を攻めてみようかと考えておる。今度は田忌がおびき寄せられるかも知れぬ。彼の背後には威王はおる。威王は策にかかるはずじゃ。そこで出てきた田忌を殲滅する。そうすれば臨淄は戦わずとも自滅するであろう」

「ですが、万一田忌が出て来なかったらいかがなされまする?」 反対の状況も提示するのが謀士の仕事の一つでもある。そうすることで主人の考えから欠点をなくしていくのである。

「孫臏の本営を包囲したあと、臨淄城内に間者を潜り込ませるのじゃ。彼らに孫臏の本営の兵糧が尽きたと噂を流させる。動揺させれば田忌はきっと救援に出て来るであろう」 これもまた囲魏救趙であった。使うのは軍ではなく言葉だが。

「しかし孫臏Photo_13の本営には兵糧は大量に蓄えてあるそうですぞ。少々の噂では田忌むは動きますまい」 孫臏が一人斉に加わることで、それまでなら簡単にかかっていた計が通用しにくくなっていた。

「間者に、孫臏は間者に兵糧を焼かれたと流させればよい」

「しかし、はたして田忌がそれを信じますかどうか……」 公孫閲は尚も心配そうだった。だが龐涓の狙いは最初から田忌ではなかった。

「わしは田忌など最初から考えておらん。威王がかかってくれればそれでよいのじゃ」 龐涓は斉の最大の弱点を標的にしていた。

             (つづく)

      *      *      *      *

 賢人を上手に部下として使える人間は、すでにその人も賢人であるというが、まさにその通りですなあ。逆に少々賢くても、他人を上手に使えなければ、十分愚か者と言えるわけでございますが、兵法の勉強の基本の一つに、こういったところはあるでございましょうな。

2008年10月15日 (水)

『戦国の竜虎』・37 ~以逸待労(2)~

 ジクロルボスですかな、また被害が出ちゃったそうで。我が国は食料自給率が低いから、どうしても近くの国から食料を輸入しなけらばならないのはわかるんだけど、今、農家ではない人の中に、農業をやってみたい人がかなりいるらしい。でも農家でなければ農地は買えないらしいので、そんな人は人から土地を借りたりして作っているという。

 堅苦しい法律や、時代遅れになりつつある法律は改正して、そんな人のために、農家でなくても農地が簡単に購入できるようにならないかな? もちろんそれだけで食料自給率が劇的に上がるなんて能天気なことは考えていないけど。

 でも時々そういった人が作った農作物をいただいて、食べて驚くことがあるよ。美味いんだね、これが。美味いってことは北大路魯山人も言っているように、栄養を保証している。健康に作られた作物は健康な身体を支えると、私は思っているよ。

 ロシアンルーレットじゃあるまいし、毒にいつあたるのかと怯えながら、海外からの輸入品を食べるよりは、国内で、見知った顔の人が作ったものをいただく方が、はるかに有難いよ。だいたいコミュニケーションも取れるしさ。(コミュニケーションがないから、毒入りのを平気で作れるんじゃないかな。コミュニケーションがあって意図的に毒入りにすることも、なくはないだろうけど……これは明らかな殺人を狙っている)

 とまあそういうことで、そんなお国の2300年以上のお話でござりまする…… 

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・37 ~以逸待労(2)~

【2】孫臏、軍権を握る

 魏の大軍が再び斉Photo領を侵していた。今度は他の三カ国はいないが、目的意識が統一されているだけに、士気は高かった。もう同盟国をあてにするような弱腰ではない。そのまま臨淄に直行し、雌雄を決する勢いである。

 龐涓(ほうけん)来る!の知らせは、すぐに臨淄の威王のもとに寄せられた。やっと四カ国の連合軍を撤退させたと思ったら、またすぐに龐涓が単独で攻撃してきたのである。この知らせに威王はすぐさま田忌(でんき)と孫臏(そんびん)を呼んだ。国と国との駆け引きだけなら他の臣下でもできる部分はあるが、実際に他国が軍をもって押し寄せたとなると、それに対応できるのは、孫臏と田忌を置いていなかった。

「龐涓という男には、信義は ないのか! 先に二度と我が国境を侵さぬと誓っておりながら、その舌の根も乾かぬうちに、早Photo_2や押し寄せて来おった。もう許せぬ! 今度こそきゃつと雌雄を決してくれるわ! 余が勝てば、魏の中原制覇も夢と消える。きゃつが勝てば我が国はお終いじゃ。負けるわけにはいかぬ」

 威王の怒りは大きかった。だが戦に関しては彼には何の力もない。すべては臣下を頼むだけである。田忌は背後の孫臏を振り返ってから答えた。

「大王、我ら両名、肝に銘じておりまする」 だが孫臏は注文をつけた。この王のもとで戦うには、いくつも保険をかけておかなければならないことは、前の戦で十分にわかっていた。

「大王、国の存亡を賭けた一戦を迎えるにあたって、ひとつお願いの議がございまする」

「龐涓に勝てるのであれば、一つといわず、十でも願いは聞いてつかわす」 一般にこのような安請け負いをする人間は信じてはならないのだが、斉の最高権力者は威王である。その言葉に従うしかない。だが自分の条件を厳しく要求しておかねば、またいつ、とんでもないことを言い出すかわかったものではなかった。

「此度の戦は国をあげての大戦となりまする。その為には命令系統を統一しておかねばなりませぬ。そこで恐れ多いことではございますが、すべての兵権を田忌大将軍と私めにお授けください。さすれば斉の全軍を思うように動かすことができまする」 

「よろしい。そなたの申すようにしよう」 これは大変な権力を要求しているのだが、威王は簡単に認めた。簡単に認めるということは、ことの重大さに気づいていないということである。こういう人間はえてして、自分が与えたはずの権力に口を差し挟むものだ。

「さらに大夫の方々にも、我々の命に従っていただかなくてななりませぬ。誰に何を担当していただくか、どこをいつやっていただくか、それに兵糧のこともございます。我が命に従わぬ者は、先に処罰した上であとから大王にご報告ということがあるやも知れませぬ。それもお許しいただきたく存知まする」

 厳しい要求である。さすがに田忌も孫臏の顔を見た。威王も返答に窮する。本来戦を全く知らない威王には、戦の厳しさは理解できない。前回の戦でも、彼が孫臏の身柄を引き渡すことに同意したから、孫臏は危ない橋を渡らなければならなかったのだが、多少、それが心に引っかかってはいるものの、その重大さには威王はほとんど気づいていなかった。

「そこまでせねばならんのか?」

「はい。戦は国の大事でございます。軍隊だけで勝てるようなものではございませぬ。特に此度のような大戦ともなりますれば、斉の上下内外が一致協力して当たらなければなりませぬ」 威王は迷った。だが今のこの状況をなんとかできる者がいるとすれば、目の前にいる孫臏以外考えられなかった。

「よろしい。そなたの願い、許してつかわす」

      *      *      *      *

 翌日の朝議で、田忌と孫臏に大権が与えられたことが発表された。田忌大将軍からその旨が大夫たちに申し渡される。

「この国家の存亡のときに、軍師とわしは大王より命を受け、軍と大王の臣下をPhoto_6率いて強敵を打ち破らなければならん。大夫の方々に希望するのは、わしと軍師の命に従い、一致協力して龐涓を打ち破るために力を貸してほしいということじゃ」 ここまで喋って田忌はあとのこまごまとしたことは孫臏に譲った。

 孫臏が最初に名をあげたのは、鄒忌(すうき)であった。この男が要らぬことを威王に吹き込んだために、彼は龐涓に引き渡されるところだったのである。

「鄒相国」

「聞いておる」 鄒忌は顔も上げずに答えた。まるで孫臏など眼中にないかのような振る舞いである。

「鄒相国。一歩前に出て、命をお聞き願いたい」 孫臏は重ねて要請した。言葉使いは丁寧だが、そのきつい語調に、他の大夫たちは顔を見合わせた。

「聞いておると言うておる」 しつこいと言わんばかりの言い方である。

「鄒相国、なぜに前に出ぬ?」 鄒忌は顔を上げた。その目には孫臏に対する敵意が燃えていた。

「その方は大夫ではない。わしに前に出て命を聞けと命令する権利はない」 敵意の中に明らかに孫臏を蔑んでいるような色が混じっている。

「私は大Photo_5王に命を受けておる。私の命は大王の命だと考えていただきたい。鄒相国、前に進み命を聞いてくださらぬか?」 孫臏も相国の面子を思ってか、依頼の口調になっている。そのやり取りを威王は隣室で聞いていた。

「わしは相 国じゃ。この斉では一人の下、万人の上に位置しておる。わしに命令できるのは大王だけじゃ。思うにその方、思いもかけず大権を手に入れ、龐涓との戦を口実に、わしに私怨を晴らそうと難癖をつけておるのであろう」

 彼も昔は斉に尽くした功臣である。だが今や、自分の地位や権勢を脅かす者を貶めることしか考えない、小物に成り下がっていた。国難に際して田忌や孫臏に協力する姿勢をいち早く示せば、斉は一致団結して龐涓に対することができる。孫臏はその体制が作りたかったのだが、このプライドが肥大しすぎて周囲の情勢が見えなくなってしまった男にはわからなかった。

「私は難癖をつけているのではない。相国が命に従っておられぬだけじゃ」

「命に従わねば、それがどうしたというのじゃ」 こうなってはただの口げんかだ。だが今は口げんかしているときではない。一刻も早く龐涓迎撃の態勢を作らなければならない。

「命に従わねば斬られて当然である。だが鄒相国は斉の功臣であるゆえ、死罪は免除する。宮衛!」

「ここに!」 宮衛が二人すっ飛んでくる。

「鄒忌を連れてゆけ。広場に晒すこと三日じゃ!」 宮衛は顔を見合わせた。彼らとて相国を捕縛したりさらし者にした経験はない。大夫たちもざわめく。

「何ということを! 相国を晒し者にするというのでござるか。軍令であれば山をも崩すとは言うが、我らは兵士ではないぞ」 だが孫臏はお構いなしだった。強敵を目の前に、存亡をかけた戦が始まろうという時に、例外は認めるわけにはいかなかった。

「諸公には耳がおありか? 鄒忌を連れてゆけ。街に晒すこと三日である。命に背く者は斬る!」 一度発した命令は、どんなことがあっても執行させる。それが兵家としての孫臏のやり方であった。彼はすでに最初の戦いで、軍営において曹将軍を斬首のうえ晒し首にしている。その結果、斉軍の軍紀は非常に厳重に守られるものになり、強敵、魏軍を散々に打ち破っている。だがぬるま湯の朝廷しかしらない大夫たちには驚愕であった。

「はっ!」 宮衛が抱拳の礼をして鄒忌を両側から捕らえ、連行しようとした。その時、見かねたのか、威王が隣室から姿を現した。

「しばし待て!」

「大王」 田忌と孫臏が抱拳の礼で迎える。

「孫軍師、鄒忌は余と余の国の功臣じゃ。晒し者などにはできぬ」 威王自身が助け舟を出していた。孫臏を龐涓に渡そうとしたときとは全く違う。やはりこの王は文人であった。自分と同じ匂いのする人間を好むのである。

「大王、鄒相国を罰せねば、軍令が厳正に執行されませぬ。軍令が厳正に執行されないで、いかにして戦に勝とうというのでございまするか?」 頭を下げたまま孫臏が反論した。ことは国のあり方、戦に対する基本姿勢であった。ここで緩んでしまうようでは、戦に勝つことなど覚束ない。

「じゃが…… じゃが、何とか罰を軽うすることはできんのか? 相国じゃ、面子もある」面子を考えていて勝てるほど、龐涓は弱い敵ではない。だが、もう威王は、この戦に勝てなければ自分の国は滅んでしまうと言ったことを忘れていた。

「私は相国の面子を立てることはできまする。ですが龐涓は私の面子など考えてはくれませぬ。戦に勝とうと思うのであれば、面子などに拘っていてはなりませぬ」

「余の面子であってもか?」 こうなると屁理屈以外の何物でもない。誰の面子であっても戦に勝つためには関係ないということすら、威王には判断ができないのである。すでにその物言いは斉の君主たるに足りなかった。自分の国を守らせるために田忌と孫臏に大権を預けたはずなのに、その理由を忘れて口先だけの議論に走ろうとしていた。あの時孫臏は念を押したはずである。先に斬り捨てて、後で報告することもあると。

「大王が斉の国が立ち行かなくなりましてもよいのであれば、大王の面子を立ててもようございまする」 威王の顔に怒りの色が浮かんだ。何事によらずこの王には、戦というものに対する現実感が足りなかった。

 本来ならば臨淄が四カ国連合軍に包囲されたとき、龐涓の孫臏を差し出せという要求に応えることに賛成した相国は、有無を言わさず斬られても仕方がなかった。孫臏が私怨で動く人間であれば当然そのようにしたであろう。だが彼は相国が功臣であるからという理由で斬らなかったのである。

「ふん。勝手にするがよかろう」 威王は捨て台詞を吐いて隣室に引っ込んだ。孫臏は曽祖父孫武が呉王の前で練兵をして見せたとき、言うことを聞かなかった呉王の寵姫二人を切って捨てたときもこのようであったのではないかと思っていた。理論としての兵法は好きでも、現実の兵法は好まない人間はいる。国が破れるのは嫌でも、国を守るために必要なことをしている人間を好まぬ王もいる。

 だが現実には机上の空論しか好まない人間でも、支持を得なければ力を発揮することはできない。実務派と理論派の間にはいつの世でも埋められない溝がある。

「では私の命を執行させていただきまする」 退出する威王の背中にそう言い、孫臏は宮衛に命じた。「連れて行け!」

「はっ!」 両腕を宮衛にPhoto_3捕まえられながら、鄒忌は振り返って孫臏を罵った。

「孫臏、ただですむと思うなよ! 覚えておれ!」 連れ去られる鄒忌を見送りながら、孫臏は改めて大夫たちに命を下した。

「では大夫たちに命ずる」 連れ去られる鄒忌に目を奪われていた大夫たちが、孫臏の方を向き直った。

「高大夫」 一人の年配の大夫が一歩進み出る。

「ここに」

「そなたには城内の兵糧の管理を任せたい。田大将軍の命なしには何人たりと兵糧を動かさぬように監視していただきたい」

「わかりました」 彼は鄒忌と仲がよい。だが目の前で孫臏のやり方を見、素直にしたがった。

「晏大夫」

「はい」 孫臏とそう年が違わなさそうに見える大夫が進み出た。

「そなたには弓矢の製造と、武器・馬車の修理をお願いしたい」

「わかりました」

「鮑大夫」

「ここにござる」 これまたもういい年の大夫が進み出る。

「そなたは城内の屈強な若者たちに武器を配り、十二隊を編成していただきたい。田大将軍の命があり次第、その指揮下に入れるようにしておいていただきたい」

「わかりました」

 鮑大夫は鄒忌と並んで。威王に仕えること長期にわたる大夫である。そして時には自分の信念に生命をかける硬骨漢であったが、素直に従った。

「その他の方々はそれぞれ自宅で待機していただき、大将軍の命があり次第、それにしたがっていただきたい」 その他の大夫たちは揃って抱拳の礼をした。

「わかりましてございまする」 これでようやく龐涓の大軍を迎え撃つ準備ができたのである。

      *      *      *      *

 臨淄の大道につながる広場で、鄒忌は太い柱に括りつけられていた。そばに二人の兵士がついている。鄒忌は生まれたこんな辱めをみたのは初めてであった。道行く人が次第に集まってくる。

「見てみろPhoto_4。ほら、見てみろよ」 遠慮なく鄒忌を指差しながら喋っている男がいる。鄒忌の傍らには彼の罪状が記された立て札がある。鄒忌はあまりの恥辱に、今にも死んでしまうのではないかと思うくらい怒りがこみ上げていた。

「こらこら。あっち行け! 」 見張りの兵士達は鄒忌の気持ちを慮ってか、集まってくる群衆を追い払おうとしたが、そんなことは何とも思わず次第に人だかりができていた。

「おいおい。相国でさえ罪を犯したらこんなに街でさらし者にされるんだ。孫臏ってやつは親族だって許さないそうだぞ。誰でも罪を犯したら許さないらしい。これだったらあの龐涓にも勝てるかも知れんな」 そんな声が耳に入るが、生まれて初めての恥辱に、鄒忌は顔を上げることもできなかった。

 くそっ!孫臏めっ!今にわしの生命を奪っておかなんだことを後悔させてやる。そういったどす黒い考えが鄒忌の頭の中に浮かんでいた。

                  (つづく)

      *      *      *      *

 なかなか戦にこぎつけるまでが大変である。これは当たり前で、いかに戦国時代とは言え、いつも戦ってばかりいたわけではないからである。国には様々な仕組みがあり、軍隊もその中の一つに過ぎない。だいたい「腹が減っては戦ができぬ」という言葉もあるように、食料を作ってくれる人がいなくては何もできないのである。

 それについては政を行う者も必要なわけで、当然数多くの大夫たちは、そちらの仕事を担当する人だっている。きっと歴史上名を残すことがなかった有能な大夫たちが大勢いたに違いない。「良民は兵にならず」というが、兵にならなかった良民もたくさんいたことだろう。そしてこういう人はだいたい歴史には名前を残してはいない。

 それにしても斉の威王は「威」王という割には、結構なボンクラである(少なくとも、そう描かれている)。やることなすことまったくピンボケで、救いようがないという感じだ。こんな上司に仕えたら、きっと過労死する人がたくさん出るんじゃないかと思うのだが、私的に見ると彼は孫臏が好きではなかったのではないだろうか。臨淄を捨てるなんて物騒なことを口走ったりするからね。

 でもまあ戦国時代というくらいだから、どうしても戦があるわけで、仕方なく戦争の専門家を雇わなければならなかったのかも知れないよね。いかに文化で歴史に貢献しても、国を滅ぼされたら暗愚な君主だと言われるだろうしね。それでもやはり自分と同じような鄒忌が好きだったんだと思う。

 後にこの時のことを怨みに思った鄒忌は孫臏に復讐するのであるが、それはまたの機会にしたい。とりあえずは迫り来る龐涓を、いかに孫臏が相手にするかという点であって、乞うご期待でござる。

2008年10月14日 (火)

『戦国の竜虎』・36 ~第八章 以逸待労(1)~

 昨日ヒシの実を採取に行った帰りに、『夢百姓・石村農園』にお邪魔してレモングラス・ティーをいただいてきた。ついでにラベンダーのブーケを買ってきて仕事場に飾ったので、今仕事場はラベンダーの香りで一杯である。もしかしたらこのまま時間旅行に行ってしまいそう?(わからない人は、筒井康隆原作『時をかける少女』を参照のこと。ちなみにこの秀逸な作品は何度かドラマ化されたが、私はやはり大林信彦監督の角川映画版…1983年… この時一緒に封切りされたのが、松田優作・薬師丸裕子の映画版『探偵物語』だった…と思う。どちらも良かった!)

『夢百姓・石村農園』は私もちょくちょく(きわめてたまにしか行かないけど)顔をのぞけるハーブ農園でございまする。HPを立ち上げたとお母さん(お姉さん?)が仰っていたので、ここに掲載しておきまする。

 http://yume-hyakusho.jp/

 興味のある人は是非行ってみてくださいね。東岡山駅のほぼ真北で、歩くとしんどいけど、車ならほんの数分ですから。

 さてさて、前回までの『戦国の竜虎』では、龐涓が田国将軍に押さえつけられて、喉元の匕首を突きつけられたままという苦しい態勢だったので、一刻も早く楽な姿勢にしてあげないと、と思いながらも時間が取れませんでした(分量からもわかるように、これを打つには、さすがに時間がかかります)。今もそんなに暇ではないのですが、なにしろ龐涓が可哀想なので、とりあえず人に馬乗りになられている(紀元前のマウントポジションだ!)姿勢からは解放してあげたいと思います。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・36 ~第八章 以逸待労(1)~

【1】龐涓反転

 失意の撤退であった。戦は負けてはいなかった。事実、四カ国の連合軍は斉の辺境の城をいくつも落とした。そしてついに孫臏(そんびん)の身柄を手に入れると思った瞬間、逆に龐涓(ほうけん)の方が、満座の中で囚われるといった大失態を犯してしまったのである。

 斉は田国、田忌将軍以下、わずかの兵で乗り込み、千を数える連合軍が見守る中で龐涓を捕らえ、失った城や領地を全て返還すること、即時撤退して二度と斉との国境を侵さぬこと、などの屈辱的な条件を飲ませた。そして捕らえた龐涓を人質に、まんまと重囲から引き上げたのである。

 確かPhoto_4に圧倒的な勝ち戦であったはずなのに、魏の大軍は虚しく引き揚げていた。戦果は何一つとしてなく、龐涓が恥をかいただけに終わった。彼は馬車に陪乗している公孫閲(こうそんえつ)に語りかけた。

「わしに飛び掛ってきた斉の将軍が二人おったであろう。そのうちの一人は、そなた知っておったのではないか?」 やばい質問である。公孫閲は気がつかなかったふりをすることに決めた。

「田国(でんこく)でございますか? あの手紙を持って参った」 彼としては鐘離春の名前は絶対に口にしたくなかった。

「いや、ちがう。もう一人の方じゃ」 ほらやっぱり来た。公孫閲は一切知らないふりを続けることにした。実は彼は鐘離春(しょうりしゅん)に気がついていた。だがもし彼が鐘離春に気がついて彼らの計を頓挫させてしまうと、孫臏を魏から逃亡させるのに彼が協力したことがばれてしまう。そうなると当然龐涓は彼に罰を与えるであろう。基本的には謀叛と同じであるから、死刑である。彼はそうはなりたくなかった。

「もう一人…でございますか? 元帥はもう一人の方をご存知だったのですか?」 龐涓は公孫閲を疑いの眼で見ていた。

「あれは鐘離春じゃ」 そなたも気づいておったのではないか? という顔をして龐涓は彼の顔を見ていた。公孫閲は、まさかという顔をして笑ってみせる。

「なんですと? 鐘離春? それはありますまい」 龐涓は公孫閲を追及はしなかった。その代わり彼がそう確信した理由を話した。

「わしはあれから斉軍に間者を放って調べさせたのじゃ。あれは鐘離春じゃ。間違いない」龐涓は怪しいと思ったことを調べるのに躊躇しない。彼もまた当代超一流の兵家である。情報がどれほど大切なものかは骨身にしみて知っている。

「そう…ですか。でも、どうしてわからなかったんだろう…?」 ことさらに自分は全く気づかなかったようなふりをしてみせる。今となってはそれしかなかった。気づいていて何もしなければ、敵の策に加担したのと同じだ。だから公孫閲は気がついていたと認めるわけにはいかない。

「そなたが気づいておったら、こうはならなんだものを…」 龐涓は明らかに意味ありげな顔をして公孫閲Photoを見ていた。公孫閲はすまなさそうな顔をして下を向く。気まずい雰囲気が彼らが乗っている馬車の上を覆う。公孫閲は憂鬱だった。魏までの道のりはまだ長い。いつまた龐涓が話を蒸し返すかわからない。彼は話題を変えることにした。龐涓の気持ちをほかに集中させなければならない。

「元帥、元帥ともあろう方が、敗北 をお認めになるのでございますか?」 ここは一つ彼を焚きつけて、彼の専門分野である戦に意識を持っていかせるのがいい。

「どういうことじゃ?」 案の定、龐涓は食いついてきた。彼はプライドの高い男である。負けを認めるのは絶対にいやな男だ。公孫閲は彼にもう一度、雪辱戦をさせることで、自分に向けられた疑惑の目を払拭しようとしていた。

「私にはわかりませぬ。なぜ此度はこうもあっさりと引き上げなさるのか。今取って返して斉を攻めれば、孫臏とてすぐには対応できないでございましょう」 それはそうであろう。やっとのことで四カ国連合軍を撤退させたばかりなのである。ほっとして気が緩んでいるのが普通の人間であろう。

「うむ。じゃが、わしにはまだ機が熟しておらんように思えるが……」 龐涓の懸念もわからないではない。魏軍の士気は高くはなかった。そしてもう一つ気にかかることがあった。斉軍の主力は殆ど無傷のままで残っているのだ。低い士気のまま無傷の主力とぶつかることは、有利な戦いは期待できない。

      *      *      *      *

 斉・魏の国境にまで撤退してきていた。魏軍は黙々と歩いている。勝ち戦の凱旋とは違って、兵の声が聞こえない。ただ重苦しい空気が数万の魏軍全体を覆っていた。その中で一人の伍長が斉魏の国境を示す石碑のところで、つ、と立ち止まった。伍長とは軍の最小単位である、五人の部隊の長である。多くの場合は戦に参加した経験の豊富な者が務めていた。

「伍長、もう魏ですよ。どうして立ち止まるんですか? 早く帰りましょう。奥さんも待っているに違いありません」

 だがその伍長は、怒ったような目を自分の部下の若者に向け、持っていた矛を預けると暫く斉の方向を見つめ、それから腰の剣を抜いて斉領に投げ捨てた。そして部下から矛を取り上げるようにして受け取ると、再び歩き出した。

 彼は悔しかったのである。龐元帥に仕えてから、彼はほとんど負け戦を知らなかった。戦えば必ず勝ち、そのたびに彼は帰郷して自分の手柄話を家族や近所の人々に話して聞かせるのが常だった。だが今回は負けてはいないのに、手ぶらで帰らなくてはならないのである。彼が投げた剣は斉の土に突き刺さったまま、そPhoto_2の横を魏の兵が通り過ぎていく。この剣は彼の捲土重来の意思そのものであった。

 我が身は魏へ帰る。ただの伍長には軍の決定方針にあれこれ口を差し挟むことはできない。だがそれでも彼は、自分の剣だけでも斉に残しておきたかった。今に斉の奴らを打ち破るときがくる。それまでは彼の剣がここで持ち主の帰りを待っているのだ。

 これは魏の兵士たちの多くの思いを象徴したものであった。彼らは誇り高く精強であった。それゆえにくたびれもうけの骨折り損に終わった今回の斉遠征は我慢ならなかった。

      *      *      *      *

 魏領に入って最初の野営であった。臨淄から魏領まで、直線距離でも500㎞を越える。軍が一日に移動する平均的な距離は30中国里(20㎞弱)というから、片道だけでもほとんど一ヶ月を要する道のりであった。

 彼らは自国の領土へ生還できたことを祝って、踊り歌っていた。歌も踊りも素朴なものである。ただ焚き火を囲んで、みんなで踊り、歌う。「はい、はいはいはい……」歌詞も単純なら振り付けも単純で、誰でもが歌い踊れるようになっている。

 身体を左右に揺らせ、足踏みをし、くるりと向きを変え、また歌う。若い兵士達が歌い踊るのを、少し年長の伍長が何人か並んで見守っていた。そこへ驚いたことに龐涓がのそりと姿を現した。そして何も言わず、踊り続ける兵士たちを見守っている。

 龐涓は兵士たちの素朴な踊りと歌声を聞いているうちに、知らず知らずのうちに頬が緩んできていた。そしていつもの厳しい表情ばかりを浮かべている顔に、なんとも言えない笑みが浮かんでいた。凱旋の時には気がつかなかった兵士たちの本当の姿に触れた気がした。少し離れたところで、兵士たちが踊っているのを見ていた伍長の一人がそれに気づいた。

「龐元帥……」 踊りに夢中でそれに気づかない兵士たちに知らせる。「龐元帥が来られたぞ! 元帥のおなりじゃ!」 この声に振り向いた兵士たちは、一斉に拱手をする。「元帥っ!」 それに右手を挙げて答え、つかつかと兵士たちの輪に入っていく。

「おお、みんな座ってくれ」 自らどかっと腰を下ろす。すぐ左手には、彼の到来にいち早く気がついた伍長が腰を下ろすが、他の兵士たちはどうしたものかと座りあぐねている。それに気づいた龐涓は再び声をかけた。「みんな、楽にしてくれ」

 この言葉につられるように龐涓のすぐ右に腰を下ろした若い兵士が、恥ずかしそうに龐涓を見ている。龐涓もその顔を見て笑いかける。ただの一兵卒と元帥とが、こんな近くで親しく交わることは、普段ならばまずないことである。顔に幼さが残る若い兵士は、口を開くこともできなさそうだったので、龐涓から笑顔で話しかけた。

「魏に着いたぞ。嬉しかろう?」 若い兵士も釣られたように笑顔で答える。

「それは当然でございます。母の顔を見ることができますから」 脇にいた同僚の兵士が茶々を入れる。

「それときれいなかあちゃんもな」 

「出鱈目を言うな。俺はまだ嫁をもらっておらん。お前こそ嫁に会えるのが嬉しいんじゃろう」 ちょっとむきになったように答える。茶々を入れた兵士も笑いながら答えた。

「おう、俺もまだじゃ。嫁をもらうのは、これからじゃ」 

「お互いじゃの」 なんの変哲もない会話なのに、周囲の兵士たちが沸いていた。龐涓はそれをにこにこと笑いながら聞いている。彼らはまだ嫁もいないような若さだった。これから何度か戦に出、それでいくらか手柄でも立てることができれば、少しはましな生活ができるようになるかも知れない。そうして嫁を娶っていくのである。それにしても若い兵士は、ただ若いというだけで陽気だった。そういった兵士たちを率いて自分は戦っているんだなあと、龐涓の心の中に湧き上がってくるモノがあった。

「嫁をもPhoto_14らうときには、ぜひわしに知らせてくれ」 それを聞いた若い兵士は、嬉しそうに笑って答えた。

「はい。元帥には真っ先にお知らせしますよ! 元帥に来ていただいて、我が家の秘蔵の酒を召し上がっていただきます!」 龐涓も笑顔で答える。

「そうか。忘れてくれるなよ! 約束したぞ!」 

「もちろんでございます」 今度は左に座っていた、最初に彼に気がついた伍長のほうを振り向いた。笑顔で話しかける龐涓は、こうしてみるとなかなか魅力的な男であった。

「家族は何人いる?」

「嫁と息子が二人おります」 彼はさきほどの兵士よりはかなり年かさに見えたが、家を持っていた。

「そうか、待ち遠しいのう。お前の息子じゃ、きっとよい兵士になってくれるじゃろう」 伍長も同意する。

「私も待ち遠しゅうございます」

「お前が帰ったら、家族は喜ぶじゃろうな?」 だが伍長はそんなに嬉しそうではなかった。

「家族は喜びますが、私はあまり嬉しゅうございません」 伍長は素直に自分の感情を述べていた。

「久しぶりの家であろう。どうして嬉しゅうない?」

「家に帰ったとて、何を話しまする? 勝ち戦じゃったと手柄話の一つもしますか? それとも負けたと? どう言ったところで、私の胸のもやもやは晴れてはくれませぬ」 龐涓の胸にグサリとくる一言であった。

 彼は自分の大業のために戦をしていた。だが彼の野望のために、手足となって戦ってくれている兵士たちにもそれぞれの思いがあったのである。彼の指揮下で、彼とともに戦い、戦に勝つことで大きな喜びを感じていたのだ。龐涓は彼らにとって大きな希望だったのである。それを知って今更のように、今回の斉との戦での失敗の痛みが、想像以上の重さを持って甦ってきた。

「元帥、正直に申し上げてよろしゅうございますか? お腹立ちになりませぬか?」 龐涓は地面を見つめていた目を、伍長に向けた。

「お前を起こる? わしが腹を立てているのは、わし自身に対してじゃ。わしがへまをしたばっかりに、その方らに悔しい思いをさせてしもうた。皆にすまんと思うておる」 彼は兵士たちに頭を下げていた。だがそれを伍長が遮った。

「とんでもございませぬ、元帥。我らは元帥に従ったお陰で、何度となく勝ち戦の味を知りました。魏の兵は元帥のお陰で、どの国の兵よりも強うございます。此度、たまたま運悪く孫臏の企みにかかったとは言え、元帥の軍が敗れたわけではございませぬ。もし元帥がここで斉に取って返し、斉軍と戦えと命じられますなら、我ら喜んで斉軍を打ち破ってごらんにいれまする」

 伍長の悔しい気持ちは、龐涓が想像したよりもはるかに強かった。彼らは龐涓を信頼していた。龐涓に従ってどこまでも戦い、勝ち続けるつもりであった。伍長の言葉を一人の若い兵士が引き継いだ。

「元帥、我らはこのまま引き下がるつもりはございません。臨淄に引き返し、攻め落としてやりましょう!」 彼の声はその他の多くの兵士の声を誘った。

「元帥、斉の奴らに思い知らせてやりましょう!」

「元帥、我らを斉に連れて行ってくだされ! このままで帰りとうはございませぬ!」

「元帥、斉を叩きましょう!」

「そうだ! 元帥、斉をやっつけましょう!」  兵士たちは口々に、引き返して斉を叩こうと龐涓に申し立てた。その声は瞬く間に大合唱となって龐涓の周りを包んだ。拳を突き上げ、龐涓に雪辱戦を促す。

 大勢の若い兵士たちが口々に叫ぶ声に押されるように、龐涓は立ち上がっていた。彼の心と目にPhoto_3熱いものがこみ上げてきていた。

「みな…… 本当にありがたいことじゃ…… この龐涓、皆に礼を言う!」 魏国元帥である龐涓が兵士たちに抱拳の礼をして応えていた。彼の目から涙が伝っていた。これを見てさきほどの伍長が言った。

「元帥、たった一言でようございます。斉を攻めよ、と。元帥が命を下されたら、我らは生命など惜しゅうはございません。斉に取って返して、恥を雪ぎましょう!」 だが龐涓は首を横に振った。

「じゃが斉には行けぬ」 

「なぜでございます? 天下に信を失くすからでございますか?」 龐涓はゆっくりと言った。

「そうではない。わしは天下に信を失くすことなど屁とも思っておらん。わしが恐れておるのは、みなに信を失うことじゃ」 これは龐涓の本音であった。彼には他国にどう思われるかよりも、自国の兵に信用を失う方をはるかに重大な問題だった。

 たった今、多くの兵士たちによって、打ちひしがれていた心は励まされた。だが帰国するのは彼が全軍に命令したことである。兵士たちの中には本当は帰国を喜んでいる者もいるだろう。そういった中で言を左右にすることは、兵士たちの信を失うことにつながる。だが伍長は食い下がった。

「なぜでございます?」

「みなも長く家を空けていよう。みなの家族も、その方たちのことを案じていよう」 兵士にも家族はいる。両親がいて、嫁子供がいて、そして兵士がいる。家族の支えがあってこそ戦場での手柄もある。それを龐涓は熟知していた。だが伍長の気持ちは変らなかった。

 彼は手柄なく帰郷することもいやだったが、実は龐涓の心情を思っていたのである。天下の龐涓ともあろう者が、孫臏の小手先の計略にかかって、戦うことなく引き揚げねばならなかったのだ。伍長にはその傷ついた龐涓の心を思いやる気持ちも強かった。彼にとって龐涓はただの司令官ではなかった。彼にとって龐涓は崇拝の対象ですらあったのだ。ただそれを口にするのは口幅ったい。だから自分に置き換えて語ったのである。家に帰っても手柄話ができないと。

「勝利の栄誉なく家に帰ったところで、我らはどの面さげて家族に会えますか? 元帥、どうか我らを率いて斉と戦わせてくだされ。斉を打ち破れば、我らとて大手を振って帰れまする!」 龐涓は彼を取り巻く大勢の兵士たちを見回した。

「じゃが、その方たち全員が斉に取って返し、斉を打ち破ることを希望しておるのか?」 この問いかけに、伍長は叫び声を上げた。腰の剣を抜いて天を刺す。

「兄弟、斉に取って返そう! 斉軍に目にもの見せてやろう!」 それに兵士たち全員が呼応する。みな伍長にならって剣を抜き、天を刺しながら叫ぶ。

「おうっ! 目にもの見せてくれようっ!」 兵士たちの雄たけびは、魏軍の陣の中をどんどん広がって行った。

                (つづく)

      *      *      *      *

☆第八章の主な登場人物☆Photo_5

 孫臏(そん・びん):斉の軍師。『孫子の兵法』を著した孫武の曾孫。後に『孫臏兵法』を著す。曽祖父の孫武を孫子と呼ぶのに対して、斉孫子と呼ばれることもある。

 鬼谷子のもとで失われたと思われていた『孫子の兵法』を受け継ぐ。魏の元帥・龐涓とは師兄弟(師兄:先輩にあたる)。一人『孫子の兵法』を受け継いだことに嫉妬した龐涓の計略にかけられ、臏刑(びんけい:膝蓋骨を削られる刑にかけられる)に処せられるが、魏から斉に逃亡でき、軍師として斉王に仕え、龐涓率いる魏軍を打ち破り始めている。Photo_6

 龐涓(ほう・けん):魏の元帥。鬼谷子のもとに学び、鬼谷子門下では孫臏と並び、双璧と言われた。孫臏とは義兄弟の契りを結んでいたが、『孫子の兵法』を一人だけ受け継いだ孫臏に嫉妬し、鬼谷子への復讐の意味もあって、孫臏を魏におびき寄せたあと、計略に陥れ臏刑に処した。彼の心にはいつも師匠・鬼谷子に言われた「手に入らないものは、どうしようと手にはいらない」という言葉があり、その言葉を否定するために『孫子の兵法』を手に入れようとする欲求がある。つまり彼は孫臏と戦いながら、師匠に復讐しているのである。Photo_7

 田忌(でん・き):斉の大将軍。

 斉の軍権を一手に握る。斉王とは一族である。かつて龐涓と数回戦い、すべて敗れているが、これは彼の優柔不断な性格のためと言われている。孫臏が配下に加わることで兵法によって戦を行うことを覚え、彼に師事しているような日を送っている。孫臏の最大の理解者の一人であり、孫臏も魏を脱出した後は彼の屋敷で暮らしている。外見は豪傑であるがその実繊細な神経の持ち主であり、優しい。Photo_8

 公孫閲(こうそん・えつ):龐涓の謀士。

 天下無敵の剣の使い手であり、同時に龐涓の謀士を務めている。鐘離秋に恋をし、孫臏が魏にいては彼女を得られないことから、龐涓にわからないように、孫臏の魏脱出に際しては全面的な協力をした。

 姜氏斉から田氏斉に変る時、斉を追放された人間の一人であり、天下を流浪しているときに龐涓に拾われている。Photo_9

 斉の威王(せいのいおう):田氏斉の三代目の王。

 文人であり、臨淄に多くの文人を呼び集めて住まわせ、斉の文化的隆盛を演出した。だが軍事には暗く、孫臏を軍師に任命するも、その才を存分に活用しているとは言いがたい。前章では龐涓の脅しに屈し、孫臏を人質に出そうとした。本章でもその名(迷)君主ぶりは、遺憾なく発揮され、物語を面白くする。

Photo_10  禽滑(きん・かつ):田忌の謀士。

 墨翟(ぼく・てき…通称、墨子ぼくし)に学び、田忌に仕える。頭の回転が早く、弁舌が爽やか。

 かつて孫臏救出に魏へ赴いたとき、その弁舌の冴えには龐涓も脱帽し、彼を配下にと希望した。Photo_11

 鄒忌(すう・き):斉の相国。

 威王に仕える功臣だが、田忌が大将軍に任命され、権勢が大きくなり始めると、嫉妬から田忌の足を引っ張ることに狂奔しはじめた。孫臏が田忌の陣営に加わることになって、彼の権勢には衰えが見えてきた。Photo_12

 田国(でん・こく):斉の将軍。

 斉の王族につながる名門出の将軍。勇猛果敢をもってなり、孫臏の最初の出陣では反抗したが、あまりにも見事な采配ぶりに、一転して孫臏を崇拝しはじめる。前章では鐘離春とともに敵陣の真っ只中で、龐涓を生け捕りにする大活躍を見せている。Photo_13

 鮑大夫(ほう・たいふ):斉の大夫。

 斉の威王に仕える功臣。お目付け役的なことを進んで行い、文人を好む威王好みで、評論はするが、自らの行動は得意としていない。けれども……

2008年10月13日 (月)

お手軽中華・3

 ロスアンゼルスで三浦和義氏が自殺したと、最近ニュースで騒いでいる。「疑惑の弾丸」とか言われて騒がれたのは、もう20年も前のことで、サイパン(?)で身柄拘束されるまで長い間忘れていたが、その間も捜査を続けていた人がいたわけだ。

 でも自殺とはなあ。これで真相は永遠に闇の中だ、などといった論調のマスコミが多いけれど、できたら真相究明は今後も続けてもらいたいと思う。裁かれるべき人がいなくなったと思ったら究明しないのでは、真実に対して失礼なことだろう。

 私はほんの外部の、何も関係ない人間だけど、真実は知りたい。あれだけ騒ぎが大きくなったのだから、うやむやのままで終わらせてもらってはこまる。本来私などが知る必要がなかったことだが、知らされてしまった今となっては、中途半端はいやだと思う。

 ロスアンゼルス市警といえば、現実ではないけれど、『刑事コロンボ』の後輩にあたる人たちであろう。せめてコロンボなみに、しつこく真実を究明していただきたいと期待している。それにしても自殺とはなあ……

 ところでいい秋日和であった。こうなるとどうしても食欲の秋である。食べ物の話題に私の頭は飛んでしまう。ここのところ食べ物の話題が多すぎるような気がするが、私の周囲に「お手軽中華」を書け、書け!とせっつく人もいるので、アイデアを考える手間も省けるので、今日も横着をこかせてもらおう。

 まず今回は餅2種から始めよう。あちらでは餅といっても、日本でいう餅ではない。日本で言う餅は、あちらでは年糕(niangao)という。あちらの餅は小麦粉でこねて、薄く円盤状に延ばして、平鍋(フライパンで代用可)で焼くか蒸すかした食べ物の総称である。言ってしまえばチヂミみたいなものである。

 最初はPhoto「芹菜葉餅」である。なおあちらでは日本でいうセリは水芹という。ただの芹はキンサイで、セロリに似たせり科の植物である。(セロリで代用可という話だったので、あえて掲載した)私の記憶では、私は何度かあちらでこれを食べている。味はさほど個性的ではなかったらしく、強い印象はない。

 材料は、小麦粉500g、チンサイ(セロリでも可)300g、鶏卵2個、塩適量ということである。

1. まず最初にチンサイを洗い、湯の中で3~4分湯がいた後、絞って水分を取っておく。それを小さく刻んでおく。

2.  ボールの中に小麦粉を入れ、適当量の水を加え、鶏卵をいれてよく混ぜ、さらにこれに刻んだキンサイをいれて、適当量の塩を加えてよくかき混ぜ、平底鍋にこれを薄く敷いて焼く。適当に火が通ったらひっくり返し、両面が黄金色になれば出来上がり。きわめて簡単であPhoto_2る。

 次は「南瓜黄金餅」。材料はカボチャ500g、コーンスターチ250g、小麦粉150g、塩、葱のみじん切り、醤油、化学調味料適量である。

1. まずカボチャを洗い、中身を取り去り、おろし金で糸状におろす(刺身のつまにダイコンの糸状のを作るとき使うおろし金を使うとよい)。次にボールの中に入れ、これにコーンスターチ、小麦粉、みじん切りの葱、塩、化学調味料、醤油、水を各適量加え、とろとろの薄い糊状になるまで混ぜる。(写真の色から見て、醤油はほんの少ししか入れていないように見えるが、あくまで適量だから、個人個人の好みで変るのであろう)

2. 平底鍋に食用油を少量(大匙一杯くらい)入れた後加熱し、おたまで1を薄く円く広がるように敷き、弱火で黄色になるまで焼き、適当に焼けたらひっくり返し、表裏をこんがり焼いたら出来上がり。

Photo_3 次は「金針菇蝦仁羹」である。訳せば「エノキダケと蝦の優しいスープ」くらいかな? スープは中国では種類がやたらと多い。時々私には食べられないようなものもあるが、美味しそうなものだけ取り上げてみる。その中の一つである。

 材料は、剥きエビ50g、エノキダケ50g、油菜心20g(チンゲンサイで代用可。小さいのを使う。それでも大きいと思ったら、切って使う)、葱の細切り、生姜の細切り、塩5g、化学調味料、水溶き片栗粉適量である。

1.エビは洗って背ワタを取る。エノキダケは洗って石つきを取る。チンゲンサイも洗っておく(必要に応じて、切っておくとよいかも)。

2.鍋を火にかけ、油をいれてあたためた後、細切り葱と、細切り生姜を入れ、炒めて香りを出す。

3.鍋に剥きエビとチンゲンサイを入れ、少し炒めた後、水を加え、エノキと塩を入れて煮る。沸騰後、化学調味料を入れ、一番最後に水溶き片栗粉を加え、とろみがでたら完成。この料理のポイントは、エノキは新鮮なものを使うことと本に書いてあるが、まあ日本では新鮮でないという心配は不要だろう。

 さて日本料理に似たものがあったので、こいつも紹介しておこう。日本ではアサリの酒蒸しという料理があって、私が大学時代、研究室から千葉県へ潮干狩りに行ったことがあった。この時は網でできた袋にアサリを入れて持ち帰ったのであるが、あの袋は外見よりもはるかに大量のアサリが入る。

 帰宅後、砂を吐かせるために容器に移し替えたとき、あまりの多さに驚いて、大家さんから友人連中に配りまくったけれどなお残りが多くて、しばらくはアサリばかりを食べ続けたことがあった。暫くはアサリの顔(どこがアサリの顔かは知らないが)も見たくなかったけれど、あの頃こういうのを知っていれば、また変った味のものが食べられたのになあと思う。Photo_4

 これは「辣炒蛤蜊」と言う。日本語にすれば「アサリの唐辛子炒め」ぐらいであろうか。原料はアサリ500g、鷹の爪、生姜のみじん切り、塩、落花生油(普通の食用油で代用可)各適量。

1.まずPhoto_5アサリは砂をしっかりと吐かせておいてから(日本のスーパーで売っているアサリでも、砂を吐かせていると書いておきながら、全然砂を吐いていないもののあるので、一晩は砂を吐かせたほうが無難か)洗う。鷹の爪は千切りにしておく。

2.鍋に油をいれ加熱し、生姜のみじん切りを入れて香りを出した後、千切りにした鷹の爪を入れて香りと辛味を出しておき、それに洗ったアサリをいれて加熱する。アサリが完全に開いたら更に盛り付け、出来上がりである。 Photo_6

 さて今回の最後は、私には絶対に食べられないものである。だが面白そうなので紹介しよう。中国のお粥はいろんなものがあり、それぞれの人が好きなものを食べられる(レストランなんかでは)。左のは「麦片粥」という。日本風に訳せば、「オートミールの牛乳粥」とでも言おうか。私は牛乳は体質的に受け付けないので、この手のものは一切食べないようにしている。

 材料は、オートミール120g、牛乳150ml、砂糖100g。

1.鍋に水250mlをいれ、強火で沸騰させた後、オートミールを入れる。その後弱火にして3~4分加熱する。

2.それから牛乳、砂糖をいれ、ゆっくりとかき混ぜながら沸騰するのを待つ。沸騰したら火を止め、お椀に盛って出来上がり。

 まあ栄養的にはいいんだろうけど、私には甘いお粥はどうもね(乳児にはいい?)。でもいつも言うことだけど、材料は日本のを使いましょう。生命が大切だと思ったら。メラミンは不要である。

2008年10月12日 (日)

美酒鍋っ! ~西条の酒祭り~

 いい秋Photo晴れに誘われPhoto_2て、広島県は西条で行われている『2008酒祭り』に行ってまいりました。なんでも日本全国から900種類もの名酒が出品されるということで(一つにつき、2ccしか呑まなくっても、全種類呑めば1升になるという計算になる)、「おいおい、だいじょうぶかよ」と思いながらの参加でございました。

 でも案ずPhoto_3る必要はなしPhoto_4。昨日から開催されているということで、もうなくなっていたのも多く、そんなには呑めなかったから。それに会場が若干狭く(できたらあの2倍くらいの広さがほしい)、そのわりに参加者が多いので、 身動きが取れない。

 一度に一種類を呑むのは、小さなぐい飲み一杯である。ほんの僅かだが、それでも何杯か呑んでいるうちに酔っ払ってくる。そうするとカチャン、カチャンという音が時々響いてくる。ぐい飲みを落として割る人がいるのだ。まあ狭いところで立ち飲みだから、無理もないけどね。(私は酒飲みの端くれとして、落としたりはしないけど)   

 最近は海Photo_5外でも日本酒はPhoto_6高く評価されているとかで(私は詳しくは知らないけど)、外人さんの姿もたくさん見かける。もちろん長いこと日本におられれば、当然日本の文化にも触れるわけで、文化の一つとして日本酒にも出会うだろう。そしてこのところの日本酒のレベルアップもあって、当然それが好きになる人だって出るんじゃあないだろうか。

 まあPhoto_7そんなこんなで、適Photo_8当に味わってから酒ひろばを退散して、酒蔵めぐりをした。なんとあまりよく知らなかったが、ここ西条は酒蔵が集まっておるのだ。そして酒祭りに合わせて、各酒蔵の見学ができたりする。ぞろぞろ歩いていく人について歩くだけで、酒蔵の高い煙突が何本も見えてくる。しかも露店を出している店もあって、なかなか楽しい。

 祭り祭Photo_9りしたお祭りは、Photo_10時によってはうざかったりするが、すでに派手なイベントは終わってしまっているのか、私にはちょうど心地よかった。そして私は祭りの露店めぐりが大好きなのである。別に買い物をしなくても(今日は、したよ)。 なにも騒ぐのが祭りだとは、私は思っていない。日本中の名酒が集まれば、騒がなくっても、もうすでに立派な祭りである。周囲に露店が出ていればPhoto_11、私にはそれで十分すぎる。 

 だから路地から路地へ歩くことも、道に迷いさえしなければ苦痛ではない(どころか情緒を感じたりする)。どこだったか、酒に関する思いを有名人が綴った言葉を並べたプレートが飾ってあったところがあった。人それぞれ、酒には様々な思いがあるものだ。そして呑むときの気分によって、酒は随分違ったPhoto_12ものにPhoto_13なる。

 でもこんなのがあって驚いたなあ。ソフトクリームにお酒がどう関係しているのだろうと興味があったので、当然食べた。ソフトクリームを作るときにお酒を練りこむのだろうか? でもアルコールが入っているから、そうは簡単に問屋が卸しPhoto_14てくれまいにと思っていたら、ソフトクリームの上からお酒をかけてくれた。残念なことに、この時は酔ってしまっていたので、味の違いはよくはわからなかった。Photo_15ちなみに左が地酒ソフト、右は大吟醸ソフトである。

 それよりもなによりも、私には酒の仕込み水があったのが嬉しかったね!こんな感じでカップに汲んで呑むことができる。いいお酒は仕込み水の性質をそのまま反映しているというが、私は昔から水には興味があった(魚を飼っている関係だろう、きっと)。さっそく飲 んでみた。 左の水は素敵な軟水で、とてもまろやかだった。右のも柔らかではあったが、キリっとした切れ味が、とても私好みであった。この水でご飯を炊いたらどうなるんだろうか。

 なんて楽しんだのだが、楽しむ前に腹ごしらえをした。すきっ腹にアルコールは悪いからである。お世話になったのは『銀亭』さん(東広島市西条大坪町)。本日は酒祭りなので、「美酒鍋」のみの営業ということであった。

 本来お酒を仕込むには大勢の人手がいる。そういった人たちのための「まかない」に使われたPhoto_16そうであるが、ここでは私が聞いたとおり(覚えている通り。聞き逃していたり、忘れているところは平にご容赦を)を載せておこう。

 まず材料である。 スライスしたニンニク、豚肉(バラ肉)、砂肝、ピーマン、玉葱、ニンジン、エノキダケ、長ネギ、白菜と塩、それからお酒といったところで、昔は何でも入れていたとのこと。これは大方の鍋と同じだ。

Photo_17  ちょっと変っているのは、加熱した鍋にいきなりニンニクを入れてるところである。これも酒蔵で「まかない」にしていた時は、昼はニンニクを入れなかったとのこと。これはニンニクを入れると、酵母が死んでしまうという理由からだったそうな(たしかにニンニクには殺菌作用がありそうだ)。だからニンニクを使うのは、夕食バージョンであるらしい。Photo_18

 それから豚肉を入れ、ついで砂肝を入れる。これを少し火を通した後、板こんにゃくを適当に切ったものを入れ、塩を少々振りかけてからよくかき混ぜる。私が見た限りでは、ここはかなり念入りにされていた。その次がいよいよ「美酒鍋」と呼ばれる所以である。Photo_19

 ここから酒を入れる。酒を入れる前の段階で、胡椒を加える店もあるそうだが、『銀亭』さんのは塩だけであった。酒を入れる前の段階では、ただの肉を炒めただけのもののような感じがする。そしてここに胡椒を入れたら、ますますその感は強くなるだろう、きっと。Photo_20

 それからピーマン、長ネギ、ニンジン、タマネギ、エノキダケを入れる。(確かこの順番だったと思う。もしかしたらニンジン、タマネギ、エノキダケのあたりの順番が、ニンジン、エノキダケ、タマネギだったかも知れない。でもまあ熱の通りにくいものを先に入れるのは定石だよね)Photo_21

 最後に白菜を入れ、よく上下が入れ替わるように混ぜる。どの野菜もシャキシャキ感を残すのでなく、どちらかといえばよく熱が通った状態にした方がいいのだそうである。ここで少し野菜をかき混ぜながら時間をかけて待つ。Photo_22

 野菜がしんなりした段階でスープを飲んでみると、野菜の甘みが出ていて甘い。だがここで塩をもう一度、少し振りかけてやり、万遍に混ぜてやる。するとスープの味が一転して、キリっとしてくるのである(味見をさせてくれた)。Photo_23

 そして全体がしんなりしたら、できあがり! ここまでも何度となく、丁寧に鍋の中身をひっくり返してやる。こうしてどの野菜も同じくらい柔らかくなるようにする。 ポイントは、絶対に豚肉とタマネギを欠かしてはならないことなんだそうな。

Photo_24 あとはいただきます!だけである。肉の旨みと、野菜の旨みが溶け合い、それがシンプルな塩味とあいまって、なかなか優れた鍋である。

 確かに途中で胡椒を入れてもいいかもしれないし、人にとってはわずかにタレ(柑橘類系の)を使ってもいいかも知れない。これで今年の冬は食べる鍋のバリエーションが一つ増えた。

2008年10月11日 (土)

お手軽中華・2

 お手軽中華の第二回めである。ここで紹介しているのは、私的に見て「お手軽」なので、たいていの人にも作れそうなものがほとんどだと、私は考えている。でもあちらの本の記述は、本当に簡単にしか解説してくれていないので、微妙な点はそれぞれの人で、ご自由に研究してくださいという魂胆が見え見えだ。

 でも私的には、それもまた嬉しい。暇ができたら絶対に作ってやろう、なんてものもある。でもなかなか暇が出来ないので(暇があったら、すでに『何でも実験癖』シリーズに入っていることだろう)、鬱憤を晴らす感じでここに載せている。

 とりあえず、今回の一つ目である。Photo

「辣子鶏」という名前がついている。日本風に訳せば「唐辛子鶏」というところか。材料はPhoto_2 洗った鶏1羽、ラード100g、鷹の爪20g、卵白1個分、砂糖、水溶き片栗粉、料理酒、醤油、生姜の薄切り、葱のみじん切り、化学調味料、塩(各適量、この適量というやつが曲者だが。人によって適量はかなり差がある。美味しさもまたこの適量の影響を大きく受けてしまう。作り手に味の責任を負わせるには巧妙な手である)。

1.Photo_3  まず鶏を一口サイズに切る。そしてボールに醤油、料理酒、化学調味料、塩、卵白、水溶き片栗粉を入れてよく混ぜ、一口サイズに切った鶏肉をその中に入れて下味をつける。またこの時、鷹の爪を適当に切っておく(だいたい1個を2つか3つに切る)。

2. 次に器に、塩、醤油、水溶き片栗粉、砂糖を混ぜたものを作り、味を調整しておく。

3. 鍋にラードを入れ、6分目くらいまで加熱し、下味をつけた鶏肉を入れ、少し炒めてから取り出し、大部分の油を捨てる。少し残った油にスライスした生姜とみじん切りにした葱および鷹の爪を入れ、香りが出たら再びさきほど取りだしておいた鶏肉を入れて炒める。

4.3に2を入れて混ぜながら加熱し、とろみが出たら、最後にごま油を数滴加えて完成。

 う~ん、美味そう。おなかが減ってきちゃった! ビールにあいそうですな! なおここで料理酒といっているのは、あちらではだいたい蒸留酒であって、紹興酒や安い白酒を用いることが多いらしい。

 次は誰にでも作れそうなチャーハンである。(厳密に言えば米の種類が日本とは異なるので、味わいはかなり違うことが多い。岡山の『大吉』の店長は、かつて私が中国から米を買って帰ったとき、見事に本場中国の味を再現してみせてくれた。本場で中国の炒飯を食べたことがないのにである。その腕と感覚は大したものだ)Photo_4

「什錦炒飯」という名前がついている。日本風に訳せば、「何でもチャーハン」といったところか。

 材料はご飯が200g、マッシュルームと孟宗竹の筍各25g、グリーンピース、ニンジン各25g、塩、胡椒(各適量)。

Photo_51.マッシュルームと筍は切っておく。ニンジンは小さな賽の目に切り、湯を通しておく。

2.鍋に油を入れ加熱、マッシュルーム、グリーンピース少々と、ニンジン、筍を入れて強火で少し炒める。

3.ご飯を入れて中火にし、しゃもじでかき混ぜながら(中国ではこういうとき長いしゃもじを使う)炒め、その後、塩コショウを加えてムラができないようにかき混ぜて出来上がり。(好みで刻み葱を入れたほうが美味しいような気がする)

 まあチャーハンだから、冷や飯を使うなんてことができれば、たいていの具材でそこそこにはできそうだが……

 ついでに私もめったにあちらでは食べたことがないが、サラダが出ていたので、一つ紹介しておこう。Photo_6

名前は「香蕉鮮果沙拉」となっているから、「バナナとフレッシュフルーツのサラダ」ぐらいかな。

 なにしろ何でも一度は過熱した油をくぐらせるようなイメージがあって(きっと消毒なんかのため?)、フレッシュフルーツなんかはカラオケに行ったりすると、突き出しで普通に見かけるけれど、レストランなんかではあまりPhoto_7 お目にかかったことがなかった。で、どんなのを紹介しているのかなあと興味があったのだが、あれまあ、これは簡単! 誰にだって出来ちゃうよ。

 材料:イチゴ30g、バナナ1本、リンゴ1個、オレンジ1個、プチトマト2個、フルーツ用マヨネーズ150g、レモン汁少々。

1.バナナは皮を剥き、円く切る。オレンジは皮を剥いた後、花びらのように切っておく。イチゴはヘタを取って洗った後、二つに切る。プチトマトは同じく洗浄後、真っ二つに切っておく。

2.リンゴは洗った後、皮を剥き、芯を取り、小さく切ってお皿に入れた後、レモン果汁をかけておく(写真のレモン果汁は、レモンにしてはエライ色がついているように感じるが、」そこは中国のこと。少々のことは気にしない。もちろん我々が日本で作るときは、絶対に日本産の材料にこだわりたいものである)

3.2の上に1で準備したバナナ、オレンジ、イチゴ、プチトマトを綺麗に盛り付け、上からマヨネーズをかけて完成。

 こうしてみると、さほど日本との差はないよね。まあ料理本に載せられるくらいだから、けっこうハイカラなのかなあ。でもこれだったら日本人でも作ってみる気になるでしょ。もちろん私だって、自分が作ってみようと思わないものまでは載せるほど暇じゃないけどね。

 またそのうち、お粥特集でもしてみようか…… なんてね。

2008年10月10日 (金)

お手軽中華・1

 前回の訪中では、私の好きな歴史本は当然買ったが、こればかりではあまりにもワンパターンなので、食事のたびに一緒に行ってくれた人に作り方を聞きまくる(服務員に尋ねても、彼女らは忙しいので、わけのわからない日本人なんかにかまっていられない)くらいだからいっそのことと、料理の本を10冊以上買い込んできた。

 なかなか忙しくて読む暇もないのだが(中国からの留学生が「貸して」などと言って、持って帰ったりもする)、先日の大分では、夜が暇だったので(岡山にいたら夜だって忙しい)、ボッケーっとしながら読んでいた。

 もうちょっと暇ができたら、何でも実験癖にしようと思っているのだが(大失敗して、「食材に謝れ!」と言われるかもしれないけど)、暇つぶしにいくつか紹介してみよう。もちろん、これを読んだ皆さんの中で、挑戦してみようと思う方は遠慮なく挑戦していただきたい。ただ私がまだ実験していないので、お味のほうは保証できないよ。

 もう一つ、日本では手に入らない食材もあるけれど、日本にも中国にもある食材ならば、できるだけ日本産の食材を使うことをおすすめする。理由はいまさらここで述べる必要もないだろう。だいたい私の知っているかの国の留学生なんか、日本料理の安全性を完全に信用しているからね(母国のは信用していない、見事なぐらい)。

 私としては、少しくらいおかしな形態の料理が出ても気にはならないのだが、一般に日本では次のようなものは大変嫌がる人もいるので、作らないほうが無難だろう(私の周辺でも、そのあたりの事情は同じである。従って紹介するだけ面倒なので、割愛させていただく)。どうしても知りたい人は、個人的に申し出ていただきたい。もし暇があったら、個人的にお教えするかも知れない。Img065

 こいつは「棒棒鶏」である。我が国でもだいぶ前にこのような製品が発売されていたと記憶しているが、なんとなくペンギンがうつ伏せになったようなフォルムには愛嬌もあるが(ちなみに私的にはたいして抵抗がない。ただ尾頭付きの魚は当たり前のように食べる日本人も、四足とか二本足のものには抵抗があるようである)、「いや~っ」と言った人が私の周囲に多かったので紹介しない。Img067

 こいつは「竹筒鶏」という。大変美味しそうな色をしているのだが、後足と鶏冠のついた頭がなんともはや…… で、やはり私の周囲では「いや~っ」と言った人が多かったので没にする。個人的に知りたい人は、個人的に連絡してくだされ。気がむいたら翻訳しないで送ると思う。でも日本だとなかなかこういった形で食材が入手できないよね。Img068

 こいつは「辣味鳳爪」という。鶏の爪と唐辛子、葱、生姜、花椒、醤油、酒、白糖、塩、だし汁、化学調味料(中華では化学調味料を使うのが常識)、落花生油で、作り方もそんなに難しくはないのだが、やはり「いや~っ」ととの声が多かったので、紹介はよそう。こんなものを何十回も見て、すでに私の感覚がずれてしまっているかも知れないからね。

 でやっと本日の料理を紹介する。中華ではお粥の種類が多い。中には「うへ~ぇ」という味のものもなくはないが(下顎が床まで落ちてしまいそうなイメージ)、ちょっと洒落たものもなくはない。そこで今日紹介の一品である。これはきっと気に入る人もいるんじゃないかと思う。Img064

「南瓜小米粥」という。南瓜はナンキン、つまりカボチャですな。小米は粟(アワ)でございます。だからわかりやすく言えば、カボチャ入りの粟のお粥である。

 材料は、カボチャ150gとアワ250g、それにお水適量(当たり前か)。たったそれだけ! 

 まずアワを洗う。混じり物などは丁寧に取ること(中国のはきっと、いろんなものが混じっているのだろう)。洗ったあとはいったん水を切っておく。カボチャは洗って種などを取り除いたあと、一口大に切っておく。

 次に鍋に水を入れ、アワ、カボチャの切ったのを入れ、最初は強火で沸騰させた後、弱火にしアワがやわやわと煮あがり、カボチャが柔らかくなって、粥状の粘りができたら出来上がりなんだそうな。

 きっと胃がもたれていたりしたらいいかも知れないね。それから本には書いていないけど、食べるときにはお好みでお塩ぐらいを少し入れてもいいんじゃないかな。これってヘルシーっぽいよ。(ただし用いた材料が日本産であった場合のみ)

2008年10月 9日 (木)

居酒屋

 今年は凄いね。ついに化学の分野でもノーベル賞の受賞者が、日本人から現れた。国民の科学離れという危機が叫ばれている中、素晴らしいことである。いつだったか、ノーベル賞受賞を何かの競争のように思って、妙なことを口走った総理大臣がいたが(今年、次男に跡目を譲って引退発表をしたらしい。どうもこの人のやることはズレている)、この人にとっては何でも「勝ち」と「負け」しかなかったんだろうね。

 いい研究は人と競争でやるものではないと思う(新製品の開発などは、激しい競争らしいけど)。それぞれの人が、自分に適したペースで、着実に進めていけばいいと思うので、賞か何かを狙ってやろうというのは、邪道なような気がする。もちろん何事にでもライバルの存在は、ある意味自分を活性化してくれるので、いたほうが励みになることもあるが、これも勝った、負けたという評価のされ方は方向違いだと思う。

「勝ち」「負け」だと、誰も負けたくはないだろうから、どうしてもアンフェアな手を使う人が出てくるだろうし。それにどちらかが(あるいは両方とも)傷つくこともあるしね。研究の目的はいろいろあっていいけど、人を不幸にだけはしてほしくないよね。

 最近は美味しい日本酒が増えた。どこへ行っても、「おすすめのお酒はありますか?」と尋ねると、かならずそこそこのお酒が飲める。これは造り酒屋さんの研究の賜物ではないかと思う。私の父が盛んにお酒を飲んでいた頃は酷かったよね。

 私がお酒を覚えたのは20歳の誕生日からだけれど、それから父が好んで飲んでいたお酒を何度か(数えるほどだけど)もらったことがある。はっきり言って大変不味かった。父が亡くなった後も、残っていた父愛飲のお酒をいただいたけれど、3勺(50ml弱)ほど呑んだだけで気分が悪くなっていた。当時はお役所がお酒の品質を均一化するとかなんとかで、美味しいお酒が作れなかったのかも知れない。

 よくやることだけれど、お役所は上に合わせてくれないで、下に合わせてくれることが多いからね。でもいろんなことがあって、今はそこらじゅうに美味しい日本酒が一杯ある。我々はそこそこ以上に美味しいお酒のなかから、自分に一番いいものを選べるから、幸せである。

 居酒屋でもこういうお酒を置いているところが増えてきたのではないだろうか。私は居酒屋で飲むことが少ない人間だけど(ほとんど車で移動するので)、居酒屋ではその店お奨めのものを飲む。昔ながらの大量生産のお酒を出してくれる店ならば、名酒でなくても結構だ。第一、居酒屋の雰囲気が嫌いではないからね。

 最近など、無性に居酒屋に行きたいことがある。忙しくて時間が取れないから、ただ我慢するだけだけど。リーズナブルなお値段の料理をあれこれ頼んで、ビックリするほど美味しいわけではないけれど、それなりに馴染んだ味のお酒を呷って、ほんのちょっとだけ憂さを忘れる。

 店によって様々な味がある。自分が好きでない店には行かなければそれでいい。でもどこの店もそこそこに楽しませてくれるから嬉しい。呑んでいるといろんな話が耳に入ってくる。最近は会社の上司の悪口を肴に呑んでいる人もあまり見かけなくなったけど、本当は口から出すことで心の洗濯をしていたんじゃないかと思うよ。

 口から出さないでおくと心の中に溜まっちゃうからね。少しずつ小出しにしていれば、爆発は起こらないけど、溜まったら大爆発ってこともあるからねえ。犯罪なんかしそうに見えない人でも、大爆発したらやりかねないもの。だから私は居酒屋はそういった爆発防止には大きな働きを持っているんじゃないかと考えていたよ。人はきれいなだけでは生きていけないからねえ。

 私の趣味の一つは魚を飼うことだが、上手に飼うポイントは綺麗な水槽じゃないもんね。いかに濾過槽を作るかだよ。時々水換えしたときに濾過槽まで洗う人がいるようだけど、これは「見た目の綺麗さ」に拘って魚を殺すパターンだね。濾過槽には、ろ過しなければならない物質が溜まるわけだから、あまり綺麗なはずがないんだよね。

 居酒屋も社会の中である種の濾過槽じゃないかと私は思っているけど、少々の悪口は許される空間なんじゃないかな。大将はそれを聞いても、上手に受け流しているしさ。見事な話術だと思うよ。相槌を打っても、相手にエスカレートさせないしさ。で店を出る頃にはいい気分で、家に帰って寝て起きたら、また一日働く元気が回復しているし。まるで濾過槽を通って出てきた水みたい。

 居酒屋ってのは、私は社会に凄い貢献をしていると思うけどねえ。それなりの料理をいかにリーズナブルなお値段で提供でき、いかにお客さんにくつろいでもらうかなんて、普通の人ではつい我が出てできないんじゃないかな(これは私に限るのかな?)。

 こういう方面の研究や競争は、今はどうなのかな。一日の労働でいろんな汚れをつけたり、疲れた人間をクリーニングしたりリフレッシュしてくれたりするんだから、ライバル店なんかの悪口は、少なくともお客さんには言わないよね(私は聞いたことがない)。「勝ち」「負け」は当然、各店の間であるんだろうけど、そんな生存競争のいやらしさを感じさせないところが凄いと思うね。

 またのんびりと、居酒屋さんで楽しむ時間を持ちたいもんだね。

2008年10月 8日 (水)

プロ転向

 ノーベル物理学賞、お三方が同時に受賞ということである。日本の理論物理学の分野は、まったくもって凄まじい。現在の日本の理科・科学離れを考えてみると、誇らしい反面、ちょっと不安になってしまう。でも多くの人が、思考や計算などといった作業を要する、理科から離れたとしても、やっぱり理科命とばかりに研究を続けてくださる方々はおられるんだろうなとも考える。

 最先端と一般の差が開いていくのかなあ、という見通しも漠然とあるが、理想的なことを言えば、広大な裾野を持った山は高くなりやすいので、私としては一般的な人たちの理科離れもなんとかしなければならない問題ではないだろうかと思う。

 そのほかでは今朝の新聞やニュースを見ると、俳優の緒方拳さんがなくなったのだそうだ。楢山節考なんて有名な作品にもご出演になっているが、私が一番印象に残っているのは、NHKの大河ドラマ『太閤記』である。織田信長を高橋幸治さんが演じられた時の、主役・日吉丸、木下藤吉郎から羽柴筑前をへて豊臣秀吉になっていく、礼の出世ストーリーである(年齢がバレちまいますが)。

 ほんの子供だったころの私の記憶に残っているくらいだから、名演だったのだろうなと今となっては漠然とした記憶しかない。でも信長が本能寺で明智光秀に討たれたという報告を聞いたときの演技は、今でもちゃんと覚えているよ。信頼しきっていた殿を討たれたショックを熱演されていた。

 史実がどうなのか、それは歴史の分野である。信長を討ったのは光秀でも、光秀に信長を討たせたのは誰か。今までいろんな説が唱えられていて、私も興味があるから、何冊かは読んだ。その結果私が持った印象は、明智光秀という人の人物像だけである。

 教養が高く、当時の武士としては珍しい種子島(火縄銃)の名手であり、信長の命令に忠実だった人が、突然、自分の主人を討ったのだ。もちろん様々な説は残されているが、こんなものはあまり信用できない。なぜかというと、光秀を討った秀吉が、彼のいい噂を残さず、必要以上に悪く言っているに違いないからだ。

 歴史は勝った者が作るから、負けた側の言い分は消されたり、改悪されたりする。光秀は主人を何度か変えているから、このあたりにも何か理由が見えるかも知れない(そんなことを言ったら、秀吉だって最初から信長に仕えたわけじゃないしね)。

 戦国の世を行き抜き、世に名をあげようとする人物なら、天下に名を残せる環境を選ぶのは当然である。だから主人を変えるのは仕方がないことだろう。主人に力量がなければ、自分も一緒に滅びなければならないから。だから有能な人物の下には、有能な人材が集まり、無能な人物の下からは人材はいなくなる。家柄だけを誇る無能な人物の下に集まるのは、その人物の家柄を利用しようとする人間だけだろう。

 しかし光秀ほどの武将が、信長を討った後のことまで考えないで動いただろうか。信長に何を命令されてもそつなくこなしてきた男が、青写真もないような行動をするだろうか。私はありえねえと思う。だから彼を利用して信長を殺させた裏幕がいて、この黒幕は信長を殺したあと、光秀が織田軍団に取って代わるようであれば、きっと黒幕でなくて世の表に姿を現したと思う。

 まあ光秀クラスの武将だから、そんなに信用できないものには使われないと思うので、犯人探しは、だいたい尊い方向を向いてしまうんだがね。現実的な武力を持たないで、命令だけで人を動かせる人間なんて、そんなに多くはいないと思うから。そしてそそのかして大成すれば「位」を与えてその人物を抱き込んでしまう。

 いろいろとまことしやかな話が多いので、私はこのあたりの話も嫌いではないね。特に「ときはいま あめがしたしる さつきかな」 なんて連歌の会で詠ったなんて話なんか、もう絶対に、誰かがこじつけに使った話としか思えないよ。織田軍団でも一、二を争う有能な武将が、そんなチョンボをするわけがない。そんなチョンボをする人間に、信長みたいな男が、最初に城持ちの部下にするわけがない。残された光秀の肖像画を見ても、ありえねえと思いますよ。馬鹿じゃないからね。むしろ飛び切り頭が良かったみたいに見えるし。それなりに重厚だし。

 ここ数日、プロに転向するのしないのと騒がれている柔道家とはレベルが違いすぎるよ。あれだけテレビの前で(きっと)深い考えも見通しもない発言を繰り返しているわけでしょ(発言させているマスコミもマスコミだが。まだ彼は21歳の青年だ。あまり弄繰り回してやっては大成の妨げになると、本ブログでもいつか書いたとおり)。プロ転向だって、そんな深いこと考えないで言っただけかもしれないじゃない。

 そりゃテレビ局は、アマチュアでオリンピックの金を目指すよりは、プロの格闘家になってもらって、視聴率を上げるのに貢献してもらいたいかもしれないけどさ。彼にとっては一生の問題だし、彼の周辺の人たちだって大変だと思うよ。

「面白い」となると何でも電波に乗せてしまう。放言で放送していいのは、職業として電波に乗ることを選んだタレントさんたちをはじめとして、そんなにたくさんはいないと思うんだがね。スポーツ選手や、格闘選手で、話をさせても面白い人はいるけど、それを面白おかしく扱うのは、私はどうかと思うね。

 そういえばお笑いタレントさんでも、素人さんを取り上げて笑いを取るなんて、それは自分に芸がないといっているようなもんだよ。プロの芸人さんたちが十分なお笑いを提供してさえくれれば、別にタレントさん以外から笑いを取る必要はないと思うんだけどねえ。

 でまだプロ転向するとかしないとか煮え切らないわけでしょ。そりゃ本人だって悩むと思うよ。最終的にプロでやりたくてもね。だってまだ21歳だよ。普通ならこれから大学を卒業して社会へ出て、いろいろ経験を積みながら勉強していかなければならない年齢じゃないか。人の人生を弄ぶのは、私はかわいそうだと思うね。(自分からタレントさんになると希望しているのなら、話は別かもしれないけど)

 テレビ界って、これだけたくさんのタレントさんたちがいて、まだたくさんデビューしているのに、タレントさん以外からもたくさんの人を芸人さんあつかいしたいのかねえ。私にはよくわからないよ。(たまに出るのはいいよ。自分の専門分野なんかで)

 と思ったら日本プロ野球界を経由しないでアメリカに行きたがっているアマチュアの選手に、ぺナルティを作ったんでしょ? 大変だよね。なかなか自分の好きな職場を選ぶこともできないんだね。こういう時にはなんかアドバイスしてあげてもいいんじゃないかな。

2008年10月 7日 (火)

油屋モデルっ!

 今となっては昔のことだが、(これは今昔物語か?)今年の七月、道後温泉に足を伸ばした。これも大方の人が知らないことだが、私は本当は大変な温泉好きである。本当は暇と金があったら、ずうっと温泉に浸っていたいような人であって、これで朝酒をやれば、小原庄助さんになってしまうが、残念なことに朝酒は嫌いである。(ちなみに朝寝は大変好きである)

 朝酒を飲むと、なかなか醒めないで、一日を棒に振ってしまったような後悔しか残らない。よほど美味しいお酒でも、夕方以降でなければ呑みたくない(その代わり、晩酌は毎晩であって、休肝日などというものは設けてない。私が晩酌をやらない日は、よほど体調が悪いと思ってくれて差し支えない)。

 さて温泉の最高の使い方は、温泉とマッサージのインターバルトレーニングだと、これまた固く信じている。もう随分前になるが、山陰の某有名温泉に行った時、ちょうとマッサージチェアのお試し期間とかで、マッサージチェアが何台か並んでいた。

 そこで私は湯船につかること30分、あがってマッサージチェアに座ること15分というのを3回連続で繰り返した。あれは気持ちよかった。身体の中心がぐにゃぐにゃになったような気がするくらい、疲れがとれた。一番悔しかったのは、帰りの車の運転でもう一度背中が凝ってしまったことである。

 さて7月の道後温泉は、ちょうど一週間後に姉夫婦と我が母上たちが行くということであったが、私もあちこち行っている割には、こういった身体にいいことは経験していない。用事があって行く時は、だいたい用事が終わり次第速攻で帰るので(帰れば帰ったで、何かしら用事が待っている)、あまりのんびりできたことがないのである。(そういう意味では兵庫のY様のお招きの合宿で、温泉に入れてもらったことがある。この方はいつもこういったことにまで気を配ってくださるので、とても有難いと感謝している。一度など、合宿先から午前4時前にでて、そのまま岡山に出勤したことがあるくらいだ。この時は通勤距離は200㎞くらいだったけど。でも気持ちよかった。大感謝!)

 この夏の道後温泉では、道後温泉駅前で足湯を楽しんだ後(私は、普段はあまり足湯を好まない。これは私が冷え性とは無縁の存在だからであろうか。中国でも足裏マッサージは最初にかなり徹底的に足を暖めるが、最近はこれも全然行かなくなった。帰って火照って夜不眠になるからである)、例の『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルとなった、建物を見学した。

Photo  見学というと私の場合たいていは写真を撮影する。ちなみに前に立っている女性はまったくしらない人だった(私も撮影の邪魔になっていたのだが、この人は携帯電話を片手に、ここからなかなか移動されなかった。旅ではこういったことはお互い様なので、とりあえず無視させていただくことにした)。

 せっかく油屋のモデルなので、周囲をぐるっと回って撮影したのが、次の写真である。Photo_2 Photo_3 Photo_4 どれが一番、『千と千尋~』に出てくる油屋に似ていますか? 本来の私ならば中に入って、ユバーバがいるかどうか確かめるところだが(いたらいたで怖い。射なければいないで拍子抜けするかも知れない) 、ファPhoto_5ンとは勝手なことを考えるものである。

 でここをぐるりと回ってから、商店街にいってお土産店に行った。そこでであった手長の招き猫が気に入って、帰りには買って帰ろうと思ったのだが、見事に忘れ、次の週にここを訪れた母に、左右一対の大きな手長の招き猫を買ってきてもらった。(ちなみに手長の招き猫は遠くの幸運を、普通の招き猫は近くの幸運を招くのだそうである)

 参考までに、手長の招き猫とは、手が耳よりも高く上げられたものをさし、普通のは耳よりも手が低い。時々両手を上げた招き猫もいるが、実際にはネコは両手(前足)をあげないので、あり得ない姿らしい。漫画家の某さんがそんなことを言っていたような気がする。

 母のお陰で、今は私が買ってきそびれた招き猫も、我が家で立派に幸運を招いている。これでご縁がつながった?(ちなみに巨大なので、いくらお金を入れても貯まったような音がしないけどね) 我が家には手長のお招きさんばっかりが、3対もいるよ。みんなそれぞれにいい仕事をしてくれていると、私は信じている。

 でも油屋のモデルがなかったら、きっと一番大きな奴にはめぐり合えなかったと思う。そうしてみると、この油屋モデルも大切なご縁を結んでくれたような気がして、有難く思えるのが不思議である。こういうのも旅の楽しみの一つかな。

2008年10月 6日 (月)

大分に行っておりました

 どうもどうもでございます。ちょっくら大分に行っておりました。ちょうど国体(チャレンジ国体というのだそうだ)が開催されておりまして、いろいろと絡みもあったりするので、車を転がして行っておりました。疲れた~っ!

 たまにいつも見ているのとは異なった景色を見るのは、気分転換ができていい。でもよく他人に言われるように、「いろんな所へ行けていいなあ」というのは、まったく的外れだから、この際はっきり言っておくことにしよう。

 試合で行くときは、試合に言っているわけで、観光に行っているわけではない。集中しているときは写真も撮影したりしない。だから試合であちこちに行ったわりには、記念写真がない。私の場合は「目的意識」に集中するところがあるので、目的以外のことには何の興味も湧かないことが多い。

 人生、けっこう道草を食ったわりには、こういうことでの道草は食わない主義なんである。そういえば子供の頃、道草をよく食ったものだが、道草を食うときも真剣に食ったような記憶がある。もしかしたら家に帰ったり、学校へ行ったりするのがおまけだったりして。

 最近は本ブログのネタ探しもあって、写真を意識して撮影することにした。すると今度は写真が目的になって、肝心のことがお留守になったりする(ことはありません。さすがに年を食ったせい?)。

 九石ドPhotoームは一昨年の全日本実業団でもお邪魔したから、今回が二度目だった。でも国体となると、いろいろ飾りつけられたりしていて(これは何処で行う、いつの国体でも共通だねえ)華やかさがある。

 正面はこんな感じだった。だいたい国体というと、こういったところを背景にして記念写真を撮影する人が多いんだけど、今回はさほど多くはいなかったように感じたなあ(いなかったわけではないよ)。せっかく真ん中に、トトロと見間違えそうになる「メジロン」がいたりしたんだけど。

 でサブグラウンドあたりをうろうろしていたら、110mH日本記録保持者の谷川聡選手(現在では先生とお呼びした方が適切かも)とばったり会ってしまった。「あ、こりゃまた失礼ばかりしております」ということで、しばし歓談したのであるが、私が情けなかったのは二日目の朝である。

「おはようございます」 とどこかで聞いた声がした。私は自分の仕事のことばかりを考えてあるいたせいもあるが、まったく気がつかなかったのである。だいたい自分の目的しか考えられない単純な脳みそのせいもあるんだが。

「あ、これはこれは」 ということで、ひたすら恐縮であったが、ご存知の方もおられるかも知れないが、谷川選手は長身である。私が少しうつむき加減で考え事をしながら歩いたら、私の視界には彼の顔は入ってない! 昔、長身の外人さんなんかとどつきあいをしたとき、普段見ない高さに顔があって、やりにくくて困った経験があるが(これは目線が上を向くので、姿勢そのものがいつもとは違ってしまうからであって、ほとんど誰でも同じようにやりにくさを感じるものだろう)、ちょうど私の視界に入らなかったんである。谷川さんには大変失礼をした。この場をかりてお詫びします。

 逆に谷川さんからは私がらくらく見えたわけで、これから想像できるのは、私が見ている世界と、長身の人が見ている世界とは、だいぶ違うんじゃないかなあ。俗に高いところに登れば登るほど、広い世界が見えるというが(私も昔よく言った。純粋な高さであっても、ものごとのレベルの高さであっても、高く上がれば上がるほど、世界は広いなあと感心することが多いから)、目線の高さって大切だと思う。

 自分に見えなかったものが見えたとしたら、これはこれで、それまでの自分を変えてくれる可能性があるわけだからね。おなじ理由で、いろんなところへ行って、いろんなものを見るのも同じような可能性があるよね。

 普段Photo_2の私は、「見慣Photo_3れているはずのものの中に新しい発見」を探して生きているようなところがある。だから自分のトレーニングコースでの風景なんか、ほとんど毎日、感動しているよ。 

 でもたまによそへ行って、その土地の人にとっては当たり前の風景を見ても、これまた感動もんなんだなあ。よく私が言うことだけど、ある人にとっての当たり前は、他の人にとっては当たり前なんじゃないからね。Photo_4

 これは九石ドームのサブグラウンドだけど、誰か偉い人が来たのかなあ。左手に人が列を作っているだろう? こういうのだって「へえ、偉い人が来るときはこんなことをするんだ」などと感心したりする(こんなガードだったら、すぐに襲撃できるなどと不穏なことを考えてはいけません)。ちょうどこの時は、仲良しの山口県の指導者と立ち話をしていた。Photo_5

 国体だなどと言っても、プロのある人気競技ではないから、観客はあまり多くない。九石ドームはとても素晴らしい競技場なのだが、その素晴らしさ(大きさ)が逆に弱点となって、ガラガラに見えてしまうんだよね。(そういえば、大阪の世界陸上のとき、織田裕二が一人で熱くうたっているのに、観客がガラ~ンとしていたっけ)

 それで主催者としては、観客を動員したりするんだよね。Photo_6 岡山国体でも同じだったもん。マイナー競技の予選なんかだと、本当に客が入らないもんね。特に会場が市街地から遠かったり、平日だったり、天気が悪かったりすると最悪である。

 で地域の学校の生徒に「見学」を依頼したりするんだよね(私は同じことを、ソウル近くで行われた、テコンドーの世界大会で見たことがある。会場が体育館だったので、比較的少ない人数…それでも数百単位?…で間に合ったみたいだったけど)

 学校なんかに依頼すると、みんな制服だから一発でわかる。ま、だからそれが間違っているとは思わないけどね。自分から見ようとしないでも、誰かに連れていかれて見せられてしまった場合でも、普段と違うものを見ると、頭には刺激があって、いいことが起こる場合があるから。Photo_7 Photo_8

 私にはいろいろが面白かったよ。せっかくの別府湾も手前に停めてある、工事作業用の車のお陰で、美観が台無しになっていようと、湯布院の手前でいかにも機嫌悪そうに、頂上を雲で隠してしまった山を見ようと、日ごろ見ない景色を見Photo_9ることは、やPhoto_10っぱり感動だった。Photo_11

 それどころ か、車を運転 していると、どんどん過ぎ去っていく、その辺の景色も、楽しかった(本当は眠かったので、必死に運転していたのだが)。 ま、岡山のとはまったく違った感じを与える九州の山を、久しぶりに見ただけでも、私には大きな収穫だったような気がするけどね。

2008年10月 3日 (金)

一旦停止!

 この忙しい朝に、シルバーマークの車がのろのろと、自転車よりもゆっくり走っていた。私はちょうどその二台後ろを走っていたのだが、感心なことにこの爺さんは、一旦停止のところで停止した(案外、のろのろ運転に人は、停止しないことがある)。

 それからゆっくりと発進したのだが、なんとその時には、郵便屋さんの車が、すぐ横まで来ていて、慌てて止まった。郵便屋さんの車だから、特に安全に気をつけていたのだろう。でなかったら衝突してしまうよ。

 いったい何故、一旦停止のところで止まったのだろうか? 交通規則でそう決められているから? 割合年配の方はそう考える方が多いような気がする。規則だからそうするってね。交通取締りのお巡りさんも、同じような傾向が強い。事故なんてまず起こりえないような場所で、物陰に隠れて取り締まりをしたりするからね。

 もちろん、事故が起こらない場所なんてのは、地球上には存在していないから、そういう場所で取り締まることにも、意味はあるだろう。でも事故を予防するのなら、もっと取り締まるのに適した場所があるようにも思うけどね。

 まあ、それは別の問題だから、この一旦停止のおじいさんの話に戻ろう。規則だから止まる。それはそれで結構なお話である。でもそれで発進して他の車にぶつかりそうになったら、なんのための規則遵守かさっぱりわからないんじゃないかな。

 規則さえ守っていれば、事故は起こらないかというと、案外起こったりするんだよね。大切なのは、なぜその規則ができたかだと思うんだ。安全のために出来た規則だったら、安全が第一で、規則に従って行動することはその次だと、私なんかは考えるんだがね。

 ま、私としては、こういった人の行動に巻き込まれないことが一番だね。だって事故っといて、「私は規則どおり一旦停止して出ました」なんていわれたら、なんとなくこちらにも責任がかかってきそうじゃない。そんな人のために支払うお金も、費やす労力や時間も、私には残念ながらないから。

 その次の交差点で、こんどは横合いでハンドルを手放して、一所懸命お化粧をしている、うら若い女性がいた。あなり夢中にしておられたので、私は譲ってあげようかと思っていたんだけど、やっぱり譲らないことにした。だって他の車が動き出したのに、この女性はまだ一所懸命「顔を作って」いたもの。

 待ってあげて、その結果、事故ったり、流れがわるくなったら、今度はこちらの責任だからね。こちらも余分な時間がかかるし。ケース・バイ・ケースだよね。移り変わる情勢に対応するということは、身近なことでは、実はこんなことなんじゃないかと思っている。

2008年10月 2日 (木)

モンスター?

 もうだいぶ前のことになったが、某お祭りに行った時のことである。臨時駐車場に車を止めるようにしたあったのだが、突然、男のどすのきいた喚き声が聞こえてきた。どうしたのかと思ってみていると、その男の車の前に、ぴったりと車が横付けにされて、動かすことができないでいる。それに怒って怒鳴っていたのだ。

 そのうちその車の持ち主の女性が帰ってきた。当然男は怒りをぶつける。最初はそれに謝っていた女だったが、それでも男は怒鳴り続ける。「謝っているんだがらいいでしょうが」という論調であったと記憶している。

 私がもしこの男の立場だったらどうしただろうか? 怒ったのは間違いない。たださっさと動いてもらえば問題はないので、動いていただくほうを優先したのではないかと思う。でも謝ればいいんだろう? という態度だったら誰でも頭に来てしまうよね。だいたい駐車場だって、私は祭り会場からは多少遠かったけど、ちゃんと空いていたしね。少し歩く気になれば、こんなトラブルは起こらなかったはずだ。

 最近こういうケースが多い。先日も常識のない駐車に激怒したばかりだが、今日もそうである。私の借りている駐車場に山口ナンバーの車が停まっている。LAV4L 山口300 ぬー4○-6△である。お互いお金を払って駐車しているのだから、私がいないからと言って、本来そこの空間は私が借りていることになっている。どうしてわざわざこういうところに停めるのであろうか。ほかにいくらでも空いている場所はあるというのに。

 ということは、ここの誰がどういう時間帯に駐車しているかを知らない人間がやっていることになる。旅の恥は掻き捨てというやつだ。他所へ行ったら何をしてもいいというわけではない。他所へ行った時ほど、気をつけて行動すべきなのに、どうしてこんなにも無責任なことをするのだろうか。

 無責任は政治家のセンセイ方だけで十分だ。我々庶民は助け合って生きるべきなのに、こんなことをやられたら、いやになってしまうじゃないか。

 そうそう、総選挙間近ということもあって、政治家のセンセイ方がテレビで討論したりしているが、どうして相手の言うことを聞いてから反論しないのかね。とにかく相手に言い勝ちさえすればいいとでもいいたそうな、我も我もと喋りたがる様子には、嫌気がさすよ。みんな国民はテレビで見ているのだ。

 子供たちだって見ている。ということは国のトップの人たちがあんな無茶な討論をしていたら、みんなそれを真似するということだよ。少しは考えてほしいよ。本当のモンスターは誰? モンスターは誰が作っている? 

2008年10月 1日 (水)

『戦国の竜虎』・35 ~第七章 擒賊擒王(5)~

 鬱陶しい雨が上がって、青空が広がった一日でございましたが、外ではイナゴが産卵しておりました。気がついたら、もう「実らなければならない季節」になっているのですな。そういえば稲穂も随分頭を垂れてきたし。

 実るほど、頭を垂れる 稲穂かな。 腐るほど 頭を上げる ○△□×☆(お好きな言葉をお入れください)。努力をしなかったり、社会貢献のできなかった人間(どころか害を与えた人たちさえいる)には、あまりいい実りがないのが妥当に思えたりするのでございますが、こういった矛盾が少ない国ほど、いい国になっておりませんかな?

 ということで、総選挙も近いらしい。みんなで本当に国民のためを考える人だけを選びましょう。毛並みとか名前とかに騙されないで。私もサボらないで投票に行きます。国民の権利であり、義務だからね。

 などと言いながら、『戦国の竜虎』第35回。第七章の完結でござりまする。これでもまだ全体の五分の一きてないんだけどね。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・35 ~第七章 擒賊擒王(5)~

【5】擒賊擒王の計

 魏軍の陣営に数騎の斉の将兵が現れた。門衛が矛を構えて止める。

「待て。何しに来た」 たちまち魏兵が集まり、構えた矛が周りを取り囲む。

「龐涓元帥に会いに来た。斉王の使者じゃ」 田国とその配下の兵士たちであった。孫臏を引き渡すという名目の使者である。馬からひらりと下りると、田国は部下に自分の馬の手綱を預ける。門衛の伍長が言った。

「では剣Photo_3を渡していただこう」 田国は左手で剣を外すと、それを押し付けるように渡す。それから案内の兵についた、陣の奥に向かった。

 龐涓は本陣で威儀を正して待ち構えていた。一国の 使者である。形式だけでも威儀を正しておかねばならない。帳の左右両側に、矛を手にした兵士を並べ、帳の中、龐涓の前には左右に分かれて魏の将軍たちが整列している。その一番奥まった正面に、龐涓がどっかと腰を下ろしていた。使者としてやってきた田国を威圧できるものならしてしまおうという考えである。

 だがそのくらいのことで気後れするような田国ではなかった。まるで味方の軍の中を歩いていPhoto_4るような風情である。平然と龐涓のいる帳に入ると、拱手の礼をする。拱手とは相手に敬意を表して胸の前に両手を出すものである。

「龐涓元帥、我が君は孫臏の身柄を引き渡すことに同意なされた。ついてはこれがその条件である」 鎧の脇から手紙を取り出して、差し出す。それを龐涓のすぐ左前に立っていた将軍が受け取り、龐涓に手渡す。彼はそれを机の上に広げ、時間をかけて慎重に読んでいた。そうして暫くして顔を上げ、田国の顔をねめまわすように見てから言った。

「斉王の要求は多すぎるな」 だが田国も負けてはいなかった。

「多くはなかろう。本当を言えば、その程度の条件より、孫臏の身柄の方がはるかに重要じゃ」 それを聞いて龐涓が言う・

「みたところ、斉は孫臏を引き渡したくはなさそうじゃの」 当たり前である。龐涓の本音が孫臏を手に入れることだということは、すでに割れている。その本音を喜んで受け入れる馬鹿も腰抜けも、すくなくとも今の斉軍の中にはいなかった。

「斉のために、仕方なく行う身柄引き渡しじゃ」 それを聞いて龐涓はにやりと笑った。

「まあよいわ。帰って斉王に伝えよ。条件は呑んだとな。ただし落とした城は返せん」 駆け引きである。落城させた城は返さない。これはよく言われることである。城を落とすには犠牲が出ているからだ。犠牲になった兵のためにも、奪った城は返せないといわなければ、死んだ兵士と親しいものは納得すまい。

 だがどちらも相手の要求を簡単に呑むわけにはいかなかった。あまり簡単に呑んでしまうと、その裏を考えられてしまう。簡単に呑むということは、裏に策略があるということだ。龐涓にしても、最初からどんな条件もすべて呑んでしまったら、軽く見られてしまうだろう。それは最初から目的が孫臏だと告白しているようなものだ。それどころか、彼を手に入れたあと、即座に斉攻撃を再開する予定だということもバレてしまうかもしれない。だが田国も簡単には引き下がらなかった。彼は簡単に引き下がっては、裏に孫臏の策があるとかんぐられる。

「龐元帥、我が君は、どの条件もすべて呑まなければ、孫臏は引き渡せんと仰せじゃ」 田国はこれ以上一歩も譲歩しないといった態度であった。彼はしばし考え込んだ。

「わかった。呑もう」 言いながら斉王からの条件を書いた手紙を、ぞんざいに投げる。その仕草はまるで「こんなものに何の意味がある」とでも言いたげであった。

「では龐元帥以下三国の将軍たちの立ちあいのもと、明日、孫軍師を引き渡そう」 田国は龐涓の顔を真っ直ぐに見据えて答えた。

「よろしい。それではしかるべき時刻に、しかるべき場所に出向こうではないか」

「では失礼する」 田国の態度には、これっぽっちも卑屈なところがなかった。それどころか、龐涓を相手に実に堂々と渡り合ったといえよう。

      *      *      *      *

 孫臏の本営では、孫臏、田忌、禽滑、田国が頭をつきあわせて、擒賊擒王の計の最終チェックが行われていた。なにしろ大勢の敵軍の中で、僅かな人数で計を行おうというのである。わずかなミスも許されない。地形、天候、人間、その他のあらゆる要素を考えて対策を練っていなければならない。

「孫先生」 聞きなれた声がして一同は、ああ、鐘離春かと振り返り、再び孫臏の机の上に目線を戻す。だが四人とももう一度、鐘離春を振り返った。そこにはいつも彼らが見慣れている鐘離春はいなかった。呆れたように四人とも彼女のほうに歩み寄る。

「田将Photo軍、いかが?」 そこには付け髭をつけ、将軍の装いをした鐘離春がいた。

「おう、見 事じゃ! 将軍に見えるぞ」 田国が笑顔で田忌を見る。

「そうじゃな! 立派な将軍じゃ!」 田忌も白い歯を見せて同意し、孫臏の方を見た。彼は何も言わないで、二度、三度と頷いた。だが禽滑だけが反対する。

「私には感心できませぬな」

「どうして? どこが気に食わないのじゃ?」 田忌が禽滑を問いただす。

「龐涓に見抜かれないように、もっと扮装を凝らした方が…… それとも私が変ってまいりましょうか……?」 禽滑は彼女を見ながら言った。

「だから、言ってるでしょ。龐涓はあたしをよく知らないって。それに誰が女が将軍に化けると思う?」 鐘離春が食って掛かる。この二人が言い合いを始めると、両者とも子供っぽくなってしまう。

「万一ばれたら?」

「万一もばれないわ!」

「もしも……?」 田忌が割って入った。この二人が言い合いを始めると、いつまででも言い合い続ける。

「わしでも彼女とはわからん。禽先生、今は言い争っているときではない。すくなくともお前よりは彼女の方が適していると思う」

「私もそう思う。彼女の扮装は満点だよ。ばれっこない」 田忌の言葉に田国も同意する。

「どうしてみんな私を信用してくれないのかねえ」 禽滑は腐りきる。

「信用していないのではない。現実的なことを言おう。彼女の剣術はそなたよりもはるかに優れている。禽先生、今は言い争っている時間はないのじゃ。これはもう決まったことじゃ」 禽滑はプライドを傷つけられた顔になった。だが彼が鐘離春に行かせたくなかったのは、彼女を愛していたからだった。愛する女にそんな危険なことをさせるわけにはいかない。それはこの場にいる誰もが知らなかった、彼の本心だった。

「鐘離姑娘、これは一対一の戦いではないのだよ。敵軍が何重にも包囲した中で、虎の口から牙を抜こうとするぐらい危険な任務なんだ。くれぐれも用心してくだされよ」 だが鐘離春は眉一つ動かさず即答した。

「わかっているって」

      *Photo_8      *      *      *

 人の身長の倍くらいの台の周囲を、魏、楚、韓、燕の軍隊が取り巻いていた。台の上にはすでに龐涓をはじめ各国の将軍たちが陣取っていた。台に上るための緩やかな坂の両側には、右手には楚の兵士が、左手には韓の兵士たちが、矛を持って並んでいPhoto_9る。四カ国の国旗がはためく中、龐涓は孫臏が来るのをいまかいまかと待っていた。

 公孫閲は腹の中で思っていた。「孫臏、こうなってしまっては、私が魏から逃がしたのも無駄になってしまったな」 だが彼は孫臏の口から、彼が魏を逃亡した際の真相が語られるのを恐れていた。彼は孫臏を逃がすことで、最愛の鐘離秋を娶った。彼女との幸せな生活への執着は強かった。

 各人の思いが交錯する中、二台の馬車がやって来た。前の馬車に は、田忌と田国が乗っており、後ろの馬車には孫臏と鐘離春がいる。緩い坂の前で馬車は止まり、孫臏は杖をついてゆっくりと馬車を降りた。そして僅かな気の迷いも見せないで、坂へと一歩一歩歩いて行く。

 その左右のすぐ後ろに、田国と鐘離春が扮装した将軍が歩く。坂の手前で田国が孫臏の片方の肩を支えようとする。

「止まれ!」 魏の将が彼らを止めた。坂の左右に並んだ兵たちが、一斉に矛を合わせる。ちょうど矛で作ったトンネルのようだった。「孫臏を引き渡しに来たのだな?」 田国が一歩前に出た。

「そうじゃ。大将軍の命によって、孫臏を龐元帥にお引き渡しする。わしは大将軍から、軍師を龐元帥ご自身に引き渡すよう言い付かっておる」 それを聞いた龐涓は即座に台上から命令する。

「上がってこさせろ」

「武器をこちらへ。預からせていただく」 魏将の言葉に、田国と鐘離春は片手で剣を外し、その将Photo_6に預けた。「よし!」 その言葉が合図であったかのように、坂の左右の兵たちは矛を引く。

 その間をゆっくりと孫臏、田国、鐘離春の三人は登っていく。馬車に乗ったままの田忌が固唾を呑んで見守っている。三人の足取りには、いつもと変ったところはない。平然と落ち着き払って歩を進める。

 そのうちに公孫閲の目が、孫臏の右後ろを歩いていた将軍に止まった。「似ている、誰かに似ている」 その目線を感じて、鐘離春が目線を逸らす。公孫閲の右手が剣の柄にかかり、抜きかける。「間違いない、鐘離春だ」 だが彼はそれを口に出さなかった。そして抜きかけた剣を鞘に戻す。

 孫臏はPhoto_7落ち着き払って登ってくる。表情には余裕すら感じられる。そして後ろには田国将軍と鐘離春。これで何も起こらないはずがなかった。だが公孫閲の本心は、ここで孫臏には龐涓に捕まってほしくはなかった。彼は自分の家庭と生活が大切だった。そのためには孫臏には永遠に龐涓に捕らえられては困る。だから彼は目をつぶることにした。彼さえ騒ぎ出さなければ、これが孫臏の計略だとは、まだ誰も気づいていなかった。

 いかに田国と鐘離春が勇敢でも、これほど取り囲まれては龐涓を殺したりはすまい。そんなことをすれば、彼らも生命がなくなるからである。龐涓が殺されず、孫臏が生きたまま龐涓に捕まらない。これが公孫閲にとって最も望ましい結末だった。そうすれば彼の幸せな生活はまだ続くからである。公孫閲がそう考えている間にも、三人は台の上に上がりきり、龐涓の前に立った。

「龐元帥、ご確認いただきたい。確かに孫臏本人でござろう?」 龐涓は一二歩、孫臏のほうに歩み寄った。

「師兄ですかな?」 それに孫臏にやりと笑って応じた。

「お前には兄弟子さえ区別できんようになったか?」 笑みさえ浮かべて対応する孫臏に、龐涓は反論した。

「あなたはいつも、兵は詐をもって立つと言っておらなんだかな? そのようなことを言う男に、確かめるのは当たり前じゃろうて」 龐涓が軽く笑う。それに合わせて孫臏も笑い始めた。最初は小さかった笑い声が、次第に大きくなり、最後には横を向いて笑い続けようとした。

 それが合Photo_11図だったのだろうか。田国が一歩踏み出すと、拳を固めて龐涓の横っ面を力一杯殴ったのだ。思いもかけない時に強烈な一撃を喰らって、龐涓はひっくり返った。そのチャンスを逃すはずもなく、田国は龐涓の上に馬乗りになると同時に、脇に隠し持っていた匕首を抜いて彼の首筋に突きつける。

 それを見た魏将が動こうとした瞬間、倒 れる龐涓の腰からいち早く長剣を奪い取った鐘離春が横なぎに払う。まったく一瞬の早業であった。そして駆けつけようとした各国の将軍達を、龐涓に馬乗りになった田国が叫ぶ。

「動くな! 動けば龐涓の生命はない!」 四カ 国の将軍達は一瞬にして凍りつくPhoto_10。倒された龐涓は憤懣やるかたないといった顔で、田国を見上げているが、勇猛果敢な田国に押さえつけられ身動きすることすらできない。いち早く駆けつけかけた二人の将軍を切り倒した鐘離春がゆっくりと正面を向いた。そして公孫閲を見る。

 せっかくの大勢の兵隊が、一歩も動くことができないでいた。無数の矛が構えられたまま、何Photo_5の役にも立たないで虚しくゆれている。

「わしを殺したら、おのれら、一人として生きて帰れんぞ!」 孫臏がゆっくりと、田国に組み伏せられた龐涓に近づいてきた。

「我らは誰一人として、生きて帰ろうなどとは思うておらん。お前の部下 が私を殺すのが早いか、私がお前を殺したあとお前の部下に殺されるかだけであろう。それより、その方こそ死にたくなければ、これから私が言う条件を呑むしかない」

「なんじゃ、その条件というのは?」

「その一、四カ国の軍勢は直ちに退くこと。その二、お前の奪った城は全て返還すること。その三、二度と斉の国境を侵さぬこと」 そのような条件は呑めるはずがなかった。彼は人一倍自尊心が強い。しかも四カ国の軍勢が見守っている中である。「どうじゃ? 呑むか、呑まんのか?」

Photo_12 龐涓はだが悔しそうな顔をしてもがくばかりであった。田国はまるで岩のように彼を押さえつけて逃さない。それを見て孫臏は揶揄するように言った。

「龐涓、その方は常々、大器になると申しておったな? 今ここで、私の手の中で生命を落としたのでは、大器になるどころではないの」 どうしようもない状況の中で、龐涓は怒りと恥辱で顔がどす黒くなるくらい紅潮していた。暫く待っても返事がないのを見極めた孫臏が、事もなげに田国に命令する。

「しかたがない。田将軍、殺れ」 田国の手に力が入る。龐涓は喉元に突きつけられた匕首を見た。こんなところで、このような無様な死に様をすることは、彼も望むところではなかった。そしてまたしても孫臏に敗れたのを認めるしかなPhoto_2いと悟った。

「…… わかった… 条件を呑もう…」

                   ☆      ☆      ☆      ☆

『擒賊擒王』は『三十六計』中の第十八計である。その意味するところは、敵の首領を捕らえることで、敵の態勢を崩してしまおうというものである。これは特に敵方が、ワンマンであった場合には効果的である。

 どんな集団であっても、リーダーや支柱的な存在はいる。そういった存在を捕らえることができれば、相手方かすぐには対応できない。そこを衝いて自分側に有利になるよう、ものごとを進めるのである。

 孫臏はこの計を用い、龐涓率いる四カ国の連合軍を退け、斉の危機を救った。だがこれによって満座の見守る中で大恥をかかされた龐涓が黙っているはずもなく、必ずや孫臏に雪辱しようとするはずである。

 この後、二人を巡る情勢がどのように変化し、二人の間に何がどのように展開されるか、次章『以逸待労』を乞うご期待!

                      (第七章 終わり)

      *      *      *      *

はあああ~。やっと七章が終わりました。頭を使うもんですから、寝てから夢を見る、見る。頭脳労働をしたときの特徴ですな。きっと寝ている間に、昼間受け取ったさまざまな刺激を生理整頓しているんでしょう。

 でも私はそういうの、嫌いじゃないんだよね。今晩、どんな夢が見られるかって楽しみだよ。でもその為には、寝ないとね。睡眠時間を確保しましょう。睡眠は健康の源です。みなさんも睡眠はしっかりとってくださいね! ではまた。

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