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2008年11月29日 (土)

『中国の鋼鉄刀剣』・31 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(10)・軍用刀3~

 久しぶりに、1日に2つ打つことにします。暇なわけじゃないんだけどね。でも忙しければよけい、打ちたくなるんだよね。学生時代も、試験前になるといつも小説が読みたくなったりした。普段読んでないものでもである。普段読んでないくらいなのだから、読まなくてもよさそうなものなのに…… やっぱりこれは一種の「逃避」なんだろうね。

 でも忙しいかPhoto_11らこそ、一きりつきそうなところまでやっときたいんだよね。あああ、なんと因果な性分なんだろう。でもそれが私なんだよね。

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『中国の鋼鉄刀剣』・31 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(10)・軍用刀3~

☆ 牛尾刀……牛尾刀」については『皇朝礼器図式』には記載がない。刀身は湾曲して牛の尾に似ている。刀頭は幅広で、切っ先は上にはね、多くの場合血槽を持っている。柄は比較的長く、両手で握れるようになっているものもあり、多くは下に湾曲している。砍刀に比べれば牛尾刀は軽いが、長さ自体は短くはなっていない。形は全体的に優美であり、配飾に凝ったものが多い。

 牛尾刀でもっとも早く現れたのは、民間、biao(金へんに票)局…旅客や貨物を送り届けたり、その護衛をしたりする一種の運送業者…、武館、護院などで、使う人間も下僕や人に使える家来のようなものが一般的であった。

 その戦い方は、すくいあげるようにして切りつけたり、跳ね上げるようにして刺すというもので、殺傷力はきりつけるようにして使う砍刀ほどではなかったが、使うに容易で動かせやすく、持ち歩くに便利で、一定レベルの技術さえ持っていれば簡単に使いこなすことができた。そういう理由でこの刀は、武を習う者の多くが用いていた。

 牛尾刀は清晩期には制式武器となり、下級役人、小役人、役所の小間使い、捕り手などの佩刀として使われるようになったが、これを装備した軍隊は多くはなかった。

★清中晩期牛尾刀二把……下のものが少し早い時期の乾隆後期のものではないかと思われる。2本ある血槽のうち、下のものは七星によって分けられている。銅製で円式の装具を持ち、楕円形の平鍔である。Photo_3

 上のものは広いものと狭いものの2本の血槽を持ち、銅製で四弁形の縁を折り返した鍔をもち、円式の把箍と刀首をしていて、龍紋が浮き彫りにされている。このデザインの雰囲気から考えて、少し古い時代のものかも知れない。

 これら2刀Photo_2は鍛折が細かく、非常にすっきりとしており、血槽も規範通りで、配飾に凝っており、清代の軍用牛尾刀の中では逸品とすべきものであろう。(上に示したぎざぎざ模様のものは、下の刀の背である)

☆ 大刀……清晩期前の軍隊での「大刀」の概念は、長杆で大きな刃を持つ、ちょうど偃月刀(えPhoto_4んげつとう。日本では三国志の関羽雲長が使う刀として有名だが、残念なことに三国時代にはこのような刀はなかった)のようなものであった。短柄で大刃の刀は、片手で持つものは撲刀、両手で用いるものは寛刃pian(扁の右にリ)刀と呼び、「大刀」とは呼ばなかった。

 嘉慶年間には内乱が頻発し、八旗や緑営の戦闘力は急激に低下した。そこで清王朝は団練(地主階級の武装組織。宋代から民国初年にかけて存在した)に頼って反乱を平定するしかなく、さまざまな地方の武装勢力が力をつけていった。咸豊3年(紀元1854年)、曾国藩(最近、中国でその存在が高く評価されている人物。この人物の見直しが早ければ、中国の発展は100年は早まったであろうといわれる。ちなみに私も彼の本を数冊購入している)が太平天国の建湘軍を撃破した際の兵の多くは、各県で訓練を受けていた郷民出身者である。

 この種の地方軍は、短期間であわただしく編成されたため、武器はそれぞれが持ち寄ることが多く、中央政府は彼らに制式戦刀を配布するだけの力を持っていなかった。団民の多くは、それぞれの地方で使われている武器を使用しており、その中でも短柄寛刃砍刀(片手で使うもの)は、製造が簡単で、安価に作ることができ、使いやすいうえに威力があったので、もっとも一般的な武器になった。また清末から民国初期にかけての近代の大刀といえば、基本的に双手寛刃砍刀((両手で使うもの)のことを指している。

 大刀は環首と箍首の二種に大別できるが、前者の方が数は多い。刀鍔は銅や鉄で作られ、伝統的な縁を折り曲げた楕円形あるいは四弁形のものの他に、W字形とかS字形、護手とつながってD形をなすものなどが現れ、接近戦でより有利な戦い方ができるように変形していった。

 刀身もやや短めになり、刀頭の幅は刀根よりは広いものの、その広さを減じていき、切っ先の造りも誇張したものではなくなり、鋭く斜めになっていたものから、平たいものへと変わっていった。柄のつくりは更に簡単なものになり、刀茎を二つの木片または竹ではさんだものを、紐・皮・木綿・などで巻いたものになり、刀首の鉄環と刀茎は、多くは一体として作られ、紅色の絹布がくくりつけられていた。この刀の使い方は簡単であり、もっぱらその強力無比な切りつける方法が用いられていた。

★ 清晩期Dlou空金銭紋飾「馬到成功」m銘牛尾大刀…… 刃長66㎝、牛尾刀には珍しく魚頭のような形をしている。刀頭の形は凶猛であり、手に持った感じでは使いやすく、重心が安定している。刀身の両側には3本の血槽が平行してあり、その形状は伸びやかで、血槽の両側には金銭紋飾の透かし彫りがある。金銭には銅黄がはめ込まれ、細工は精細である。刀根の両側には「馬到成功」の銘が刻み付けられている。刀柄には「S」字形の銅製の護手があり、護手の上にも金銭紋飾の透かし彫りがあって、独特の雰囲気を出している。

★ 清晩期「馬到成功」銘牛尾大刀……刃長67.95㎝、柄長21.27㎝、重さは1048.93gである。刀身の造型には牛尾刀の特徴を持つが、刀頭な鋭く尖りながらも厚みを失わず、猛烈なたたき切る使い方にPhoto_9適しており、牛尾刀の刀頭が軽く薄く作られているのとは明らかに異なっている。

 刀背付近に2本の血槽があり、そ の形は標準的で、刀身は研磨されているが鍛紋はきめが細かく、刃口は嵌鋼構造をしている。鉄製の護手を持ち、これは楕円形で縁を折り曲げたものである。刀身の片面には「馬到成功」と彫られ、もう一Photo_10方の面には龍が掘り込まれていて、刀でには「指日高昇」と掘り込まれている。

 これらは清中・晩期の軍用刀によく使われた縁起を担いだ言葉で、早く軍功を立てたり、勝利を得ることができるようにと祈念された言葉であった。刀首は環形で刀茎と一体に鍛えられている。柄は一般的な大刀よりも長く、鞘も反っている。

 この刀は牛尾刀の特徴を持ってはいるが、形はどちらかといえば大刀に近い。おそらく清中晩期砍刀から牛尾刀へ、あるいは大刀へと変化していく移行期の産物であるのだろう。

      ☆      ☆     ☆

 清晩期の軍隊と各種地方の武装勢力が用いていた大刀は、種類も多く、規格も異なっていた。これはそれらの由来がさまざまであったことに起因している。清末から民国初期にいたるまで、官が指定して製造した少量のものを除けば、多くは民間で私的に造ったもの、あるいは兵士たちが自分で準備したものである。今のところ、清末民初の大刀形成発展期にもっとも大きな問題は、軍用に作られたものなのか、それとも民間で造られたものかの判別がしにくいということであり、その中の最大の原因は、これらの大刀が作られたのは混乱した状況で急ぎ造られたためであろうと思われる。本書ではそれについては「民間刀」の章で重点的に取り上げてみようと考えている。

☆ 順Photo_5……切りつけて戦うことを目的とした戦刀 以外でも、清軍の先鋒の左右の軍には短刀が配備されていた。その名を順刀という。順刀は平時には工具をして用いられ、ものを切り裂いたり、掘ったりに使われたりしていたが、戦時には敵を殺すこと、敵の首を取ることなどにも使われた。左翼の順刀は約38㎝、刃の形は剣とよく似ており、真ん中に脊がある。右翼のはやや短く、鋒は尖っており、脊はない。(図の上は右翼順刀、下は左翼順刀)

★ 清軍Photo_7前鋒左翼営順刀……全長38㎝、切っ先は剣のように尖っており、『皇朝礼器図式』の中にある、清軍前鋒左営順刀と基本的に合致している。刃の両側には2本の平行血槽があり、まっすぐに切っ先まで伸びている。刀背には脊があり、刀柄まで続いていて、柄は原mao(リベット締め)で柄にとめられており、その技法には独特の工夫が凝らされている。鞘も原型をそのまま留めており、鉄製の部品も完全な状態に保たれている、刀は全体的にすっきりとした形をしていて、清軍制式順刀の中でも逸品である。

★ 清軍Photo_6前鋒右翼営順刀……この刀の作りは素朴で、刃に血槽はなく、刀体は分厚い。刀背の三分の一のところから脊が起こり、柄まで続いている。柄はリベット締めで硬い木製の柄に留められている。鞘は木製で外は黒い鮫皮で包まれ、その保存状態は大変よい。鞘上の鉄製部品は精細で、この刀も作りは簡単に見えるが、念入りに造られており、外見の小ささのわりに大きな印象を与える。

      *      *      *      *

 やっと軍用刀が終わりましたぞ。やはり用途によって、ぜんぜん形状が違いますな。これまた刀剣といえば、相手を突いたりきったりすることができればいいという一般論ではわからない(かも知れない)ことですな。

 どんなものにも基本的認識はあると思う。でもその基本的認識だけしか知らなければ、それは決して現実には使い勝手がよいなどということはない。使われる状況によって、一番適した形状をしていなければ、使いやすくはないというのが本当のところだろう。

 これは身体運用でも同じだ。一般的な身体の機能がどれほどバランスよく開発されていようと、それだけでどんな状況でも十分に通用するということはない。それぞれの人がやらなければならないことによって、使われる機能は異なる。バスケットボールをする人はバスケットボールの練習をしなければ使えるようにはならないし、サッカーの人はサッカーをしなくては使い物にならない。格闘をする人間は、どんなに身体をバランスよく開発したとしても、格闘をしないで強くなるなどということはあり得ない。それは道具の進歩や分化がすでに物語っている真実だと思う。Photo_8 

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ざまァ見ろ! メタボ!!

 私の趣味の血液検査に行ってきた。趣味というかなんというか、昨日取り上げたコントロールテスト同様、何かを客観的データーとして取るのは、私の性癖のようなものである。厳密に言えば血液検査だけではわからない身体の異常もあるのだが、だいたいのことは血液検査で調べることができる。

 昨日その結果をもらってきたが、へへんっ! どんなもんだいっ! 正常値というのがある程度の幅をもたせて設定してあるが、どれもこれも見事に「正常値のど真ん中」でございましたのよ。誰だ? 私のことを「メタボ」と呼んだのは?

 確かに体型はメタボに見えるかも知れない。だが測定した数値が(体重とウェスト以外)メタボでないことを雄弁に物語っている。人を外見で判断してはならないと、小学生時代とか、ほんの小さな子供の頃から教えてもらっていなかったのかな?

 私は「メタボ」という言葉を作って流行させたのは、ちょっと太めの人に対する差別ではないかと思っていたぞ。しかもその中には「病的な」といういやな響きが感じられる。冗談じゃない、人はおいしいものをたくさん食べれば太って当たり前なのだ。太れない方が、身体の機能に異常を来たしている恐れがある。

 消費カロリーと摂取カロリーのバランスの問題であって、その人がやや太り気味であっても、その人が果たさなければならないことが十分できていれば、なんら人様から非難されなければならないことはない。いくらスタイルがよくっても、何にもできなかったら何の意味もないんじゃないか。

 老人医療費がどうのこうのと、ここでもメタボという言葉を作った人間に、わけのわからない抵抗があったように思う。それは屁理屈である。やや太めの人が病気になりやすいって本当か? それならばやせたお年よりはみな健康なのか? 自分に都合のいいデータばかりを我田引水的に引用しても、それは科学ではなく似非科学というものに分類されるべきだぞ。

 科学的データというものは、客観的に記録され、客観的に解析され、客観的に説明されるから科学的なのだ。そこに「我欲」が介入したら、それはすでに「曲学阿世」と同じで、すでに科学ではなくなっている。

 だいたい身長も年齢も、体型も体質も何もかも無視して、よくもメタボだなどという言葉を作ったものだ。どうしてそういった差別用語になりかねないようなことをやすやすと言い出すのだろうか。医者は社会常識がないといった、これまた常識が「?」がつく大臣がいたけれど、似たもの同士といわれてしまうよ、こんなことをやっていたら。

 もちろん私の友人のお医者さんのように、「あれは官と企業と学が一緒になったお金儲け」と看破して、「無意味」と断言される方もおられるが、それでも医者の一部に、科学を自分たちの欲のために曲げる人がいただけで、医者は信用ならんと言われだすもとを作ってしまうんじゃないか?

 よくよく考えて、ものを言ってもらいたいものである。役所を動かすということは、税金が使われているということだからね。それで「大して根拠がありませんでした」では、納税者はおさまらないよ(私のいる岡山市では、「メタボ検診」なるものが、大真面目に実施されていた。腹が立つのでその間は健康診断なるものには行かなかった。ぷんぷん!)。それで久しぶりに行ったのが昨日出た結果である。

 念のためにもう一度繰り返しておく。体型とメタボは大して関係はない。関係があるのは生活の仕方と栄養摂取(これも生活の一部だが)である。摂取カロリー数より消費カロリー数が少ないかったら、トイレで未消化・吸収されない栄養分を大量に排泄しているか(限りある資源の無駄使い)、どこかの臓器が調子を落としているかである。

 痩せていればそれで健康ではない。朝のバラェティ番組など、カロリー数が少なければ「ヘルシーな食品」などと呼んで盛り上がっているが、本来ヘルシーとは活動力を与えてくれる食品を指すべきで(状況にもよるが)、カロリーが低ければよいのなら、真水ばかりを飲んでいればよい。こんなところから大間違いを犯しているのに、まだ気がつかない(のだろう。訂正しようとしないところを見れば)。

 健康なのは、「もっとも活動しやすい状況にあること」である。WHOも健康の定義をしているが、活動しやすければ十分健康だということが理解できれば、しなくてもいいダイエットなどに狂奔する必要もなくなる。時間も労力も、もっと建設的なことに使える。

 さて生活習慣だが、やはり運動は望ましい。身体的な状況しだいで、運動ができない人もおられると思うが、できるのであれば、少しでも運動をすることは、心身ともに健康な状態に近づける上で効果が大きい。私などはマグロかサメみたいな生き物だから、運動していないとすぐに不健康になってしまう。当然これは機嫌を悪くし、精神衛生上も好ましくない状況を生み出す。私の場合は運動(仕事としての運動でなく、ストレス解消としての運動)の質と量で、自分の健康状態をコントロールしている。

 それに休息は大切だ。休息すると、疲労したり、運動によって傷んだ部位は大急ぎでその箇所を補修してくれようとする。特に睡眠時にである。だから寝ないでトレーニングだけやっていたら、これは回復させないで消耗だけさせているから、簡単に人間はくたばってしまう。

 もちろん補修するには材料が必要だ。それが食事である。自分の行うトレーニングで失われやすい栄養素がわかっていれば、当然その栄養素を多めに摂取する。当たり前のことである。ここでも手に入る食材を食べていれば、自然に身体はできてくるなどと「自然」に甘えていてはいけない。身体で不足しがちな栄養素は、必要なだけは摂取する努力をすべきである。

 要求しているのは我々の身体であり、それは外界の状況には関係ない。手に入らないのだから仕方がない、などと開き直ってしまえば、昔、難病にかかっていた人に「薬が高価で手に入らないから」と言っていたのと同じである。必要なものがなければ、できるはずのこともできない、それだけのことである。必要なものが自然に摂取できれば、自然でもいいが、自然な状態では入手できなかったら、不自然だろうが何だろうが、手に入れなければどうしようもない。

 必要なものは躊躇なく入手しなければならない。これは何事でも同じである。だからお酒でも同じである。たとえば私なんかだったら、風邪を引いたかな?と感じたら、風邪薬よりは熱燗を飲む。基本的に風邪薬はないという。であれば身体を活性化して、そして休息をとるのが一番だろう。幸いなことにお酒は熱燗(お茶に近いくらい)にするとアルコールも飛んでくれるから、悪酔いしにくくなる。それで身体を暖めてぐっすり寝て、それで風邪を撃退することも少なくない。

 完全に風邪を引いてしまった時には、これまた躊躇しないでお医者さんにかかる。「薬は毒だ」などと言って、絶対に薬などは飲まないなどと我を張ったりはしない。身体が楽になれば、それだけ身体へのダメージは少ないから、回復が速くなるし。

 何事でも意固地になるほうが、人の心身を縛って、自由な思考や行動を妨害しますからね。まあその典型が、さきのメタボ騒動だったわけで(私の中ではすでに過去のことになっている)。太ることは罪か? 私はメタボと騒ぎまくった人間にそう言いたい。

 そりゃ私だって、動きにくければ少しは落とすけどね。でもさっきも言ったように、「もっとも活動しやすい状態」を目指して行うだけだから、なんでもかんでも体重が減れば喜ぶわけではない。

 そこで提案である。太っても動き回れる身体はほしくはありませんか? 年をとっても動き回れる動き方を知りたくはありませんか? そんな合理的な動き方を知りたい人に最適の本が、『あなたにもできる! 超人の動き』なんだよね!

 私は「超人」は「人」であって「神様」でも「妖精」でも「悪魔」でもないと思っている(例のクリプトンから来た、空を飛ぶクラーク・ケントじゃないよ)。「人」がやっていることは、当然「人」にできる動きで、それは合理性の極致にあるだけのことだ。それは考えようによっては、普段我々が何の気なしにやっている動きよりもわかりやすかったりする。

 意外に思われるかもしれないけど、超人的な動きであればあるほど、科学の法則に見事に裏付けられている傾向が強い。超人の技って、こういう共通点があるんだよね。何よりも科学法則に忠実に行われているという。それに対して普通の動きでは、「無駄」という名の余計なことをたくさんやっているんだよね。それに気づいたら、ものすごくわかりやすい。

 自分のやっている技に神秘性を持たせようとする人は、「科学では説明できない」とか「科学的には解明できないだろう」とか言う人もいるようだけれど、我々が生きている世界の中で起こるさまざまな現象を、解明するためにさまざまな法則が見つけ出されたんだから(法則は見つけ出されたものであり、作り出されたものではない)。

 だから誰だってすばらしい動きをすることはできる。自然界にもともと存在する法則にのっとって動くことを覚えればいいわけだから。進歩すればするほど、物事は単純になっていくというのは、こういうことを指しているんだけどね。Photo

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2008年11月28日 (金)

コントロールテスト

 昔々、選手の地力と競技会でのパフォーマンスとの相関関係を調べるために、年に3回、定期的にコントロールテストというものを行っていた頃がある。コントロールテストというのは、ある人間のさまざまな能力を測定することであって、コントロールテストの特定項目が試合でのパフォーマンスと強い相関関係を示したとすると、選手強化に有効な要素として考えることができるからである。

 早い話が、あるテスト種目で高い数値を出す選手が、きまって特定競技や種目で高いパフォーマンスを示すとしたら、選手を選抜することも簡単になるし、強化のポイントが明確になるということだ。

 もちろんこれは私のお師匠さまの、K先生の発想を譲り受けたもので、K先生は海外の文献に長年触れてこられた方なので、きっと研究の進んだ海外での研究データもあったのであろう(事実、あった。私の海外の論文集を読んでいて、何度となくお目にかかったことがあるから)。

 だが私はK先生が実施されていたものを少しだけ変形させた。私のところで実施していたトレーニングや、技術に合わせて測定種目を変えたり、増やしたりしたのである。ものごとは総合的に見ようと思ったら、さまざまな観点で観察することが望ましい。ひとつのものでも、一方向からしか見なかったら平面的な姿しか見えてこないけれど、多方向から見れば、立体的な姿が見えてくる。さらにそれに時間軸を絡めていくと(それには継続的にデータを取ることが大切だけど)、将来の姿が予測できたりする。

 おかげで数年した頃、次の競技会で出せる記録が、ほぼ正確に予測できるところまできた。夢のない話だと笑うなかれ。予測した記録がきちんと出るようにするのも、なかなか大変なことなのだ。しかもつまらない記録ではない。その選手のベストか、それに近い記録での話である。

 私のところでは通常20種目のテストを行っていた。そして冬季トレーニングなどでは、冬季トレーニングに入る前(ちょうど先週くらいかな)に一度、コントロールテストをやっておく。次は4ヶ月後である。ちょうど冬季トレーニングが終わって、プレシーズンの気合が入りかける頃だ。そしてシーズン真っ只中で、ちょっと空白があくときに、もう一度行う。

 私の発想は、冬季トレーニングでは「穴ができないように」という考え方をしていた。バランスよく鍛えておく。ちょうどチャートを描いたら、さまざまなコントロールテストの結果が円に近づくようにしていくのである。冬季トレーニングから偏った練習をしていたら、バランスの崩れが「故障」や「怪我」につながる危険性もあるからだ。

 そしてシーズン真っ只中でもう一度、コントロールテストを行うのは、選手が取り組んでいる種目に相応しく、数値が変化しているかどうかを見るためである。身体にはさまざまな機能があるが、どの機能もバランスよく発達してさえいれば、必ず優れたパフォーマンスが得られるわけではない。

 それぞれの種目や競技によって、必要とする機能は異なる。シーズンベストなどが出るときには、必ず取り組んでいる種目に相応しい機能が突出してきていて、あまり重要でない機能は衰えていることがある(たいていの場合そうであった)。だからその調子を見ていかなければならない。必要な機能が突出して、あまり関係ないものが衰えるのは当たり前とは言っても、ある程度以上にバランスが崩れれば、やはり調子が狂うことがあるからだ。

 時々プロの選手などでも、絶好調だったはずなのに、突然スランプになったりすることがある。これはバランスの崩れが、限度を超えてしまったからではないかと思われる。スランプというのは陥りさえしなければ、いろいろと不要なことを考えないですむ。不要なことを考えるのは、悩むことによってあれこれといじくりすぎ、元の状態よりもはるかに始末が悪い迷路に迷い込む危険性がある。

 だからスランプなるものに陥らせないことが、私の場合には自分の責任だと考えていた。もちろんプラトーはあるよ。何事でも、記録が伸びにくい時期はやってくる。それは次の次元に進むにはまだ要素が十分に足りてないときに起こる現象だ。こういうときは焦らず、腐らず、自分のするべきことをやっていれば、いずれ一気に伸びるときがくる。プラトーとスランプの見分け方は、ちゃんと知っていなければならない(ちなみに、現在の私でもプラトーはきっちりやってくる。そういうときは腐らずに、やるべきことを継続するだけだ。そのうちしっかり違う次元が見えるようになってくるから)。

 このやり方は、コントロールテストの結果が日記のように、ちゃんと記録されるので、自分が把握しやすいという長所がある。私はA型なので(なんら科学的根拠がないかも知れないけど)、なんでも記録して分析するのが好きだから、このやり方はずいぶん私に合っていたのではないかと思う。

 いずれにしても、こういったやり方は、非常に失敗が少ない伸ばし方である。そして取り組む種目(競技)によって、どんな能力がもっとも相関性が高いかなども知ることができた。身体のどんな機能も同じくらいバランスよく発達した人間よりも、あまり関係ない機能は平均以下でも、関係ある機能が高い人間が競技の場では勝ちを収める場合が多い。

 自然であれば勝負に勝てるとは限らない。その競技、その環境、条件などに一番適したものが勝ちを得ることができる。そして競技者として必要なのは、その場の環境や条件に、瞬時にして適応し、自分の中の機能を100%発揮できるような能力ではないかと思う。すると何が必要かはだいたい見えてくるよね。

 ようするPhotoに心身ともに融通がきく状態でなければならないということだ。融通がきく心身は、すばやく状況に適応して、自分のできることをすばやく選択し、それを発揮できるマックスで放出する。これは相手が途方もない化け物でないかぎり(普通人がゴジラに挑戦するような場合は論外だ)、勝つ可能性が高くなるよね。実はこういう状態だと、身体が発揮できるエネルギーも大きくなる。 大きなエネルギーは大きな仕事ができるから、結果もそれについてくる場合が多いんだよね。

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http://www.bk1.jp/webap/user/SchAuthorBibList.do?authorKana=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%AA+%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7&adultFlg=0&authorId=110004223100000&author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE+%E5%90%9B%E7%BE%8E

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8F%AC%90X%81@%8CN%94%FC/list.html

http://www.bk1.jp/category/21000000000000000000

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfDispListPage_002.jsp?action=new&dispNo=001001002011&page=2

https://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?author=%82%AB%82%DD%82%E6%82%B5

2008年11月27日 (木)

基本の考え方

 基本練習ってのがあるよね。どんなスポーツをしても当然あるし、武道・武術、その他の格闘技はもとより、活け花、お茶、書道などなどの芸事でもやはり重視される。学問を見てみてもやはり基本は大切だ。基本という土台なくして、何をやっても巨大な建物は建たない。

 でも何事をやっていく上でも、一番「だるい」のもまた基本である。なんでだるいのかというと、おおむね単調なものが基本とされている場合が多いからだ。なぜかというと、単調なもの、単純なものほど誤魔化しがきかないからだ。複雑なことをやると、けっこう誤魔化せる。でも誤魔化しで作った土台など、手抜き工事と同じで、どこかでぼろが出ることが多い。

 自分で何かをしようと取り組み始めたのであれば、基本をきっちりやるのは、本人の責任であろう。人に言われてしているのでなければ、本当は自ら進んで、心血を注いで基本練習を積み上げなければならないのだが、やっているうちに、ついたいぎになったりして注意散漫になったりする。時には「回数」だけをやってそれでお終いなんてことになったりする。

 いや、私もそうでした。基本に時間はかけたけど、本当に心が入っていたかなあ、と思い返すと、昨日も告ったように、若かったころには「基本」の意味さえ、ろくに理解していなかった。でも師匠が「基本が大切だ」と仰るので、「きっとそうなんだろう」と疑いもせず、長い間、回数だけはけっこうこなした。

 それだけでも効果が上がったことはある。やはり回数をやっていると、無駄な動きが取れてくる、結果速くなったり、威力が上がったりした。「うん、これで基本が大切」と言われるのか、などと当時は一人で納得していたころがある。でも本当はそんな甘いもんじゃなかったんだけどね。

 基本の意味がわかれば、基本の練習は何よりも重大な練習ではないかと思う。本当にその競技なり芸事なりの基本(基本の設定の仕方が大切だけど。何を持って基本とするかは、基本を設定する人の大きな責任だと思う)をみっちりやりこんでいれば、いきなり応用に入っていけるほどの効果がある。

 いやむしろそんな基本でなければ、正しい基本練習とは言えないのではないかと思う。それが各競技や習い事での基本だと思う。でも私はその基本を練習する前の、動作を構成する要素を学ぶのも、これまた基本を支える基本ではないかと考えている。

 たとえば立っていて、両足を動かさないで左右を向く場合、体幹を捻っても向けるし、私の著書の中に頻繁に出てくる「転体」という、体幹をよじらない方法でもむくことができる。向くことができるが、ではどうやればそれができるのかについては、今まであまり触れられてこなかったのではないだろうか。

 実はこれが「ナンバ」を構成する要素のうち最大の要素なのだが、今回『あなたにもできる! 超人の動き』には、その簡単な導入から練習の仕方を述べておいた。そしてこれは身体の捻る(捻腰の動きと表現しています)動きよりも、腰などを壊すことなく、はるかに大きな仕事ができる動きである。

 この「転体」は、それ自体は技でも技術でもないけれど、この動き方を覚えて、自分の動きの中にこの動きが入るだけで、威力ははるかに大きくなる(科学的な理由は『あなたにもできる! 超人の動き』の中で述べています)。これは動きを構成する要素の中の重要な部分が優れたものに変わったため、建物全体が少しずつよくなっていったからだ。

 土台が変わったのなら、できることなら建物も建て替えたいところだ。私もかつての動きから大々的に身体運用という建物を建て替えるのに、長い時間をかけた。現役の頃から、現役を退いても筋トレを熱心にやっていたが、動きの質を変えるために、筋力を使う動きを自分の生活の中から追放していった。

 朝起きるときにでも、腹筋を緊張させないように気を使ってみたり、身体を起こすにも、腕立て伏せにならないように気を使ったりした。それまでが筋トレでできた身体だったから、日常生活の中でも筋力に頼った動きをしがちになっていたんだね。その習慣を矯正するのに、少し神経質かな?と思うくらい気を使った(現役を引退していたから、こんな思い切ったことができたのかも知れない)。

 筋力に頼って動いている人には、筋力に頼った基本がある。でも筋力に頼らない動き方には、それとは異なった基本がある。それまでが筋力頼みの基本だったから、それを根本的に改善するには、なかなか根気が必要だったが、それでも次第に「おおっ! こう身体を使ったらいい感じじゃない」なんて体験を無数に繰り返して、自己満足ではいけないから、毎週木曜日のNWOの練習を一緒にやってくれるメンバーにチェックしてもらって、少しずつ基本を構成する基本を変えていった。

 それもある程度以上の質と量に達したとき、一気に「あれもできる」「これもできる」という感じが出てき、やってみなければ気がすまない性質なので、時には休日返上でやったりした。何人かでなければできないものは、時間的に都合がつくときにしか試せないからである。

 そうした中でさまざまな気づきがあった。基本的な動作を構成する基本の本質が変われば、それまでできなかったことが突然できるようになることがある。だが基本の基本が変わったとしても、すぐにはできないことも確かにある。それはやろうとすることに、特殊な技術が(あるいは身体の使い方の微妙な調節……これだって技術なんだが)必要だったりするときだ。

 競技とか現実に要求される動きの中で、専門性が高い動きには、こういった技術が必要とされるものが少なくない。動きの質が変わったからといって、走る練習なくして走るのが大して速くはならないように。泳ぐことだって同じである。動きの質を変えても、泳ぐ練習をしなくては速くは泳げない。

 動きの質が本当に変わったのなら、専門的な練習をした時に、それまでどうしても越えられなかった壁が、壁でないくらい軽々と突破できていればいいのだが、それまでのパフォーマンスとおっつかっつであった場合には、動きの質も変わっていない可能性がある。

 我々が現実に行う動きは常にシビアだ。練習した結果、目的としたことができるようになっていれば、その練習は正解で、もしもその大本に基本練習の変更があるのなら、それはその時点での正しい基本練習を掴んだということを意味している。逆に何の変化もなければ、ちょっと残念なことを意味しているので、もう少し何かを試してみなければならない。

 実は私の毎日の練習も、こういうことの繰り返しなんだよね。自分が歩いている道は、誰にでも語ることができる。そして成果があがったやり方は、何度も検証してから公開することがある。こうすると一人の人間が歩いた後に道ができるからね。その道は、きっと私と同じようなことを考えている人なら誰でも歩ける道になっているはずだ。

 なぜならば私は「科学」という手法を踏襲しているから。「科学」は我々が学校で習ったものであって、それは何処で習っても、誰から習っても、いつ習っても同じものだからだ。つまり共通の基礎知識をベースにしているんだよね。この基礎知識もまた、基本と呼ぶに相応しいかも知れない。ま、私が使っている基礎知識なんてだいたい中学生なみか、せいぜい高校1,2年生Photo くらいのものだけどね。

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2008年11月26日 (水)

特許

 今日は気分がとってもココアなので、ココアをやや濃い目に淹れて飲んでいる。私は中国茶を愛飲するが、別に中国茶しか飲まないわけではない。日本茶も大好きだし、紅茶だって嫌いではない。今は原稿を打つ時ぐらいしかコーヒーは飲まなくなったが、これだって学生時代、物凄く凝りまくったことがある。

 その日、その時で、身体のほしがるものを飲めばいいと思っているが、幸いなことにお酒は夕飯の時ぐらいしかほしくならない。都合のいい身体になったものだと思う。その代わり毎晩飲んでいるけどね(要するに習慣になってしまった?)。まあそれで毎日を楽しく生きていてば、それでいいんじゃないかと思っている。

 ところでこの飲むものであっても、飲むものに関する知識が少なければ、それぞれの場合の最適品を選ぶ範囲が狭くなってしまう。たとえば水と日本茶くらいしか飲んだことがない人は、気分によって飲み物を変えるといっても、水かお茶かのどちらかである。なにしろ知らないのだから、選びようがない。たくさん知っているからこそ、選ぶ悩みと楽しさが味わえるのである。

 これはいろんなことに関して言える。情報がたくさんあれば、その中から必要な情報を、状況に合わせて引っ張り出して使うことができるだろう。でも情報が僅かしかなければ、選ぼうにも選びしろがない。レストランへ行って食事を摂る場合でも、ナイフもフォークも、スプーンもお箸もあれば、その中で食べるものや使い勝手がいいものを選べるが、お箸しかなければ、肉がでようがスープが出ようが、お箸で食べる以外ない。

 あれこれ食べたくてもメニューがおにぎりと漬物しかなければ、選ぶわけにはいかない。気に入ろうが入るまいが、あるものを食べるしかない。でもバイキング形式だったら、あるものの中から好きなものを選んで食べれるので、あれこれ食べれて楽しい(太ってしまうけど)。でも時々、好き嫌いの激しい人や、子供の頃からあれこれ食べてこなかった人を見ると、たくさんの種類の中から、ほんの少しだけを選んで食べている。見ていて寂しい。

 これだって情報がたくさんある人の方が、選択の自由度が大きいことと繋がるような気がする。そういえば学生時代やらされた勉強だって似たようなものかも知れない。一つの問題を解くにしても、一つしか方法を知らなければ、いつまでたってもその方法に固執せざるを得ない。多くの方法を知っていたら、その場その場で最も使いやすい方法を選ぶことができる。

 思考方法だって、様々な物事の見方とか考え方とかを知っていれば、何種類もの思考方法を使えるし、一つの方法が挫折したとしても、また他の方法で何度でもチャレンジすることができる。この何度となくチャレンジすることもまた素晴らしい結果に繋がる。チャレンジすることがまたも精度の高い、多くの情報を与えてくれるからだ。

 自分の身体で得た情報は、最初は自分でしか使えない。それでも確実に自分を支えてくれる。何度となく同じことを繰り返していると、人間は同じことを繰り返しているようでも、毎回、まったく同じことはできないから、そのことをするための一般的な情報がごまんと手に入る。この中から毎回の共通点を引っ張り出せば、それが「要素」となっていることに気づく。

 この「要素」は多くの人に共通して有効な場合が多い。それは何人もの人間で同じことを行うことで確認してもらうことによって、より多くの人間にも通用する「要素」になっていく。なんだかわかりにくいかもしれないけど、例えば受験勉強だって同じようなものだよね。あそこの学校に行くのなら、こんな成績とこんな要素が必要だ、なんて受験の世界では当たり前のように言われている。これだってより多くの合格者(入試に合格するといった行為をした人間)の共通項を引っ張り出した結果、言えることだよね。

 なんでも考え方は似たようなものだ。何かがやりたい、その「何か」が、既に人が達成したことなら、達成した人の共通項を引っ張り出して、まずそれを満たすようにする。足りないところはそれから工夫すればいい。最初から「俺は俺だけのやりかたしかしない」なんて我を張っていると、合理的なやり方をした時に僅かな時間で手に入るものが、大変な長い時間がかかってみたり、永遠に手に入らなかったりする。これが「我流」の陥りやすい欠点である。

 だから伝統あるもの(それが芸術であれ、武術なんかであれ)は、まず稽古・稽古で、「これだけは逃せない」ポイントを習得させる。これを修行という場合もある。そしてここでは共通の「要素」は、「基本」と言われることもある。私など練習していて、「やはり何をやっても基本は同じだなあ」と感じることがあるが、悲しいかな私が若い頃は、人よりも「基本稽古」はたくさんやったのではと思っているけれど、「基本」の意味がわかっていなかった。

 その部分を教えてくれる人がいなかったように思う。もちろん、教えてくれなければわからないというのでは、情けないのだが、若い頃は私も若干指示を待っていたようなところがあったかも知れない。これは先へ先へと勝手にやっていて、叱られた経験があったからだろうと思う。

 先へ先へと自分勝手に進んでいていけないことがあるのは、私も否定しない。十分な基礎・基本が出来ていない状況で先の高度なものに取り組むと、その時に自分が持っているものだけでなんとかしようと焦るあまり、自分で出来るように変えてしまうのである。これは自分勝手な解釈であり、それには客観性とか普遍性とかが伴わないことが多い。。そしてこれは確かな師匠についていないと犯しがちな問題であろう。

 だから師につくことは大切だと思う。かりに師匠の方が弟子よりも(老いて)弱かったとしても、自分を客観的に見てもらえる人がいなければ、なかなか自分を効果的に向上させていくことは難しい。時々、一人で強くなった達人・名人がいたりするが、それでも師匠がいたほうが有利なことが多い(師匠は「人格」が要求されるけれどね。自分より優れた弟子を育てることができたことを誇りに思えるような人であればいい)。

 まあいろいろと努力をすれば、それだけ自分のための情報がたくさん入り、自分をよりよくしていくためのチャンスは増える。でも時々いるんだよね。私もかつては素晴らしい指導者のところを見学させていただいたし、今でも素晴らしい選手の、素晴らしい動きは、チャンスがあればできるだけ見るようにしているが、自分が見たものをよく理解していないのに、それをいかにも自分が発明・発見したようにやっている人がね。

 私はまずその練習方法を自分がやってみて、自分のところの練習と水と油になっていなければ、慎重に挿入するところを考えてから使わせてもらったものもある。いくら「いいなあ」と思っても、水と油だと判断したら、密かに私の脳みその引き出しにしまっておいて、使わなかったものもある(引き出しにしまっておくのは、またどこかでそれが使えることがあるかも知れないから)。

 練習方法や表に現れてしまう技術は隠せない。だからこんなものでは特許は取れない。時々こんなもので特許をとったように、「俺の練習だ」などと言う人がいるけど、少なくとも私のところではそんなことは言わないことにしている。するといるんだよね、私のオリジナルを、自分のもののような顔をして世間様に紹介する人が。

 言っておくけど、自分のもののような顔をして紹介することも私は今のところ、腹を立ててはいない。私の目的は、人類社会に対する貢献だからだ(『あなたにもできる! 超人の動き』にもそう書いているはずである)。一人の人間が研究したものは、その人やその人の仲間が消えたらそれで消えていくのは寂しい。もしもそれに値打ちがあるのなら残っていき、発展させてほしい。私はそういう希望を持っている。だから結構「秘伝」的なことも、隠さず公開している。

 だいたい同じ人間だからね。どとかで同じような発想をする人はいると思うし。例えばエジプトでピラミッドを作った人は、紛れもない建築の天才だろう。でも同じようにメキシコやなんかでマヤ文明なんかのピラミッドを作った人たちもいる。昔それで大西洋にアトランチス大陸があったなんて夢物語を言った人がいるが(そこからピラミッド建設の技が、アフリカとアメリカに伝わったんだそうな)、これは歴史を時間軸で考えられない単細胞な思考だよね。

 紀元前2000年紀のエジプトと、せいぜい紀元後数世紀のマヤとの間にある3000年近い時間差をどのように解釈しているのかわからない。私はこれは3000年という時間を超えて、同じ発想をする二人の人間がエジプトとマヤに現れたために起こった現象だと考えている(最古のエジプトのピラミッドは、マヤのような階段状のピラミッドである)。

 人間であれば同じ発想をする人は必ず出る。だから私は自分が考え付いたものでも、独り占めしようと考えたりはしていない(私の作った練習方法に、自分の名前をつけて宣伝していた人がいても怒ったりはしていないで……実話)。ただし、本質をよく理解してから広めてほしいとは願っている。それに本にはできるだけわかりやすく書いていると思うし(理論も練習法も)。だっていい動きをみなさんに確かめてもらいたくて書いているんだもんね。

 もうずいぶん前のことだが、ナンバブームが起こった時、思い出すのもいやなことが起こった。私はじっくり研究して、これでもう大筋は間違っていない、という自信がつくまでは公表したくなかったものが、私が考えているのとはまったく異なったかたちで出たのである。もちろん研究を続ける分には一向に構わないし、むしろ同じことを研究している仲間だと思うくらい、私はおめでたい人間なのだが、間違ったことが流行すると迷惑する人が出て来る。それで「ああ、ナンバってつまらない」と言われたら、まじめにこつこつ研究している人にも悪い。いい研究を続けておられる人はいるんだよ、実際に。

 よく私は変な練習方法を考え付いたりするし、それを他の人がやっているのを見ても別に「俺のものを!」などとは思ったりしないのだけど(そういった欲が乏しい人間のようである)、公開しようと思われるのなら、できたら本質的なところまで理解してからにしていただきたいと思っている。もちろんトレーニング器具に関しても、いくつもアイデアは持っている。だが今ではこれは私の頭の中から出さない。特許が絡んでくるので、そうなると面倒だから(こういった問題に縛られるのが煩わしい。だから一生公開しないかも知れない)人目に触れないようにしている。

 いいものはいい。そしていいものは、いいもの同士の生存競争でますます磨かれていく。だからできるだけ多くの皆さんが試してくださって、それで少しでも活動するのが楽になったり、パフォーマンスが向上したりするお手伝いができれば望外の幸せだと感謝するに違いないよ、私という人間は。Photo

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2008年11月25日 (火)

『主観』と『客観』・9 ~勝敗~

 例えば何人かでかけっこしたとしよう。ある子は成長も速く、力任せで走って勝った。ある子は教えられたきれいな走り方をしたけど、惜しくも2位だった。ある子は成長の段階に相応しい走りをして敗れたとする。いったい誰に一番将来性があるのだろうか。

 私は自分の経験や、選手の指導を通していろんなことを感じたが、今の私に言えるのは、三番目の子かなあ。もちろん、小さい頃から、指導してはならない、競技をやってはいけないというのではないよ。大切なのはどの方向を向いているかだから。

 実際に競技によっては、幼くして開始しなければ間に合わないものもある。そんな競技で「幼いうちは技術練習をしてはいけない」とか「幼いから競技会に参加させてはならない」などと言っても、意味がない。

 比較的成長してから取り組むべき競技と、幼い頃から英才教育を施さなければならない競技はある。そこで自分の美意識かなにかを原点とした年齢制限を加えても、いい方向には進まないだろう。何かを決定する時には、様々な要素を考えなければならないが、一番考えてはならないものは、競技とは関係ない人間の都合だ。

 以前「たかが選手が」と言って総スカンを喰らった人がいたが、これは競技している人を無視して、自分の美意識(欲?)だけを反映させた言葉を吐いたからだ。プレーヤーを一番大切にすることが大切だ(プロスポーツの場合は、スポンサーだとかファンだとかにも気をつかわなくてはならないかも)。

 さて、上記の三人のかけっこで、一番将来性がなさそうに感じるのは(あくまで一般的にだよ)、力任せで勝った子ではないだろうか。でも中にはいるんだよ、よくもまああんなけったいな走り方で速く走れるなあって人が。かけっこってのは、いかに速くフィニッシュラインを越えるかで決まるからね。

 二番になった技術的にきちんと動いているという子にしても、その動きがその子の成長にぴったりと合えば、その時は強くなるかも知れないね。幼いなりに成長の段階に合わせた走りをした子については、いつ専門的な動きになっていくかだろう。

 はっきりしているのは走って速い動き方は確かにある。自然に大きくなっただけでは、なかなか人類最速にはなれない。スピードが出るには、それぞれの人間の体格・体質によって、動きはきっちりある。その動きができた時、その人のできる最速に到達する。

 あとはそれぞれの人間の最速どうしが競い合った時、誰の最速が勝っているかの競争だ。この、それぞれの人間がそれぞれの人間なりの最速にいたる道を、主観的な努力と考えることができる。そしてそれぞれの最速を比較して、その中で最速を決めた時、これは客観的な競争ということができる。

 現実にはおたがいがそれぞれの最高になっとくがいくパフォーマンスができて、それを比べることは難しい。人間は生き物だから、例えば決勝に8人残ると考えて、8人が8人とも最高の自分を発揮できるとは思えない。勝負の駆け引きなんて、相手に実力を発揮させないことも含まれているからね。まあそこに勝負の面白さや難しさがあるわけだけど。

 成長に見合った自然な動きでは最速になれないから、人は練習して、自分が最速に近づける動きになるように努力する。自然だから最速だというわけではない。犬や猫でもどの個体もが速く走れるわけではない。速い個体もいれば、そうでない個体もいる。彼らでさえトレーニング次第の部分はある(サラブレッドは血で走るというけれど、あれだってきちんとトレーニングしているんだからね!)。つまり自然では最速にたどり着けないのである。

 格闘技なんかでも同じことが言える(走ることだけが特別なわけではない)。成長に応じた自然な動きだけでは、とくに格闘の練習をしてきたものには歯が立たない。自然な動きは自然かもしれないけど、格闘に必要な動きも「自然」な程度しかできない。「不自然」なほど凄い動きをするものには、どうしても劣ってしまう。これは当たり前だ。

 もちろん「不自然」な動き方をした人は、歳を喰ってからその負債を支払わなければ成らなくなるかも知れないけどね。これをよく「職業病」とか、「古傷」などという。でもその場での勝敗は、より勝負(それがかけっこであれ、他のスポーツであれ、格闘であれ、なんであれ)に適した動きができるものが勝つ。それが勝負の世界の鉄則である。

 だから時には「自然」に動いている人よりも、筋肉もりもりの筋トレをしたマッチョが勝つことだってある。筋肉はそんなについていなくても、より勝つための要素を満たしている者が勝つのは当たり前だ。つまり勝負の世界では「自然」だのなんだのという言葉が通用しない世界なのである。

 だから野生の世界では「戦い方」が異なるんだからね。ネズミがネズミの動きをして行うのは、キツネと戦うことではなく、巣穴へ逃げ込むことだろう。もしも隠れることができない広場に、1対1でネズミがキツネと向かい合ったら、ネズミに勝つ術はない。それが現実である。

 でも地中でネズミとキツネが出合ったら(起こりにくいシチュエーションだが…)、これはよくわからなくなる。でも身動きが取れなければ圧倒的不利だから、ネズミが勝ってしまうかも知れないね。

 つまりいくら自分的に自然に動けたからといって、それが勝ちにつながるわけではない。自分的に自然に動ければ、主観的にはいい感じだし、そこそこいい結果に繋がるだろうけど、それが他人を上回るパフォーマンスを収めない限り、こと勝負の場では相手に勝ることはできないのである。

 もしも客観的に見て優れた動きが他人に勝てる動きだとすれば、それはその状況、目的に最も適した動きということであり、するとある特定の目的に適した動きの練習をしなくてはならないということである。こういった具体的な動きに発展・応用できない動き方は、それ自体がどれほど優れているように見えても、普遍的な意義ある動きとはいえない。

 まあ、人と何も競い合う必要がない人であれば、主観的な動きを追い求めていけばいいだろうが、人と競い合おうという気持ちがある人であれば、主観的に自分の動きを高度にしていくだけでなく、自分が目的としたものに、どのように反映させていかなければならないかと、真剣に取り組んでいかなければならない。

 昔、私のチームの選手で、「試合には勝てなかったけど、自分なりに頑張れたから満足」と言った選手がいて、私はとても嫌な気分を味わったことがある。お前のやっているのは「競技」なんだよ、と言いかけたが、途中で思いとどまった。私がこの人に思ったのは、「ああ、競技者に向いていないな」である。向いていない人に厳しいことを言ってもお互い気まずい思いをするだけだからだ。

 一番気に食わなかったのは「満足」という言葉である。「満足」してしまったら、その程度の動きで進歩しないということではないか(事実その選手は伸びが悪かった)。「競技」ってのは、自分と競い合ってくれる人と切磋琢磨して、自分を伸ばしていくものなんだ。競技者以外の人はそこまで自分に厳しくする必要はないと思うけど、競技者ならば当然なんだよね。

 身体運用上の『主観』と『客観』の関係はこんなようになっている。『主観』で止めるもよ し、『客観』まで入ってもいいけど、『あなたにもできる! 超人の動きには、正確に『主観』を捉えることができる直接的な方法を、いくつも載せております。まだまだ私の研究は続いているし、まだ進化を続けているけれどね。この方面だけは、私は貪欲だから。Photo

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2008年11月24日 (月)

時間はすべてを解決してくれるか

 私は「時間がすべてを解決してくれる」と言われたことがある(本ブログでも言及したことがあったかな?)。その時は、「ふうん……」と思っていたが、今は明らかにこの言葉は「逃げ」ではないかと思っている。

 時間は全てのものを押し流していくだけである。去って行った時間は二度と再びもどっては来ない。だからこそ時間は貴いのである。これは「青春は二度ない。だから青春は貴い」というのと同じだ(もちろん、青春に限らず、それぞれの一瞬が全て貴いわけだが)。

 まあ時間が薬という意味で時間が解決してくれるものといえば、「失恋の痛手」くらいだったろうか。物事に失敗した記憶は、確かに時間が風化させてくれることもある(してくれないこともある)。これは嫌なことでも同じだろう。でも先日、世間を騒がせた「テロか?」と思われた、厚生省ОBを狙った殺人傷害事件のように、子供時代にペットを保健所で処分された(容疑者談)のが理由だったら、時間は彼の心の痛手を、ちっとも風化させていなかったことになるのだが……

 やはり何事かをなす人間は、時間が過ぎていくにまかせるようなことはしないのではないだろうか。時間はお金で買えない。しかし時間で金を稼ごうとする人間はいる(こういう人には、時間が長くなれば長くなるほどお金がもうかるので、長く引っ張りまわされることがある)これもいい場合もあるのだろうが、よくない場合もあるだろう。そういえば昔、国会で牛歩戦術ってのがありましたな。決定を遅らせるという戦法だ。

 もちろん時間を調節する方法はある。物事が達成できるかどうかの鍵は、「天の時、地の利、人の和」という言葉からもわかるように(原点は孟子の「天時不如地利、地利不如人和」で、天の時よりも地の利が大切であり、地の利よりも人の和の方が大切、という意味だが)、何事もタイミングが合わなかったらうまくはいかない。

 だから自分の側の準備が整うまで時間稼ぎをしたり、相手が弱まるまで時間稼ぎをしたり、相手の準備が整う前に勝負をつけるためにすぐに行動したりなどなど、時間調節をすることはPhotoあるだろう。でも項羽が趙救援のために宋義に従っていたとき、46日もの間日和見をして趙救援に腰を上げない宋義を斬った結果、彼が天下とりの筆頭に躍り出たような歴史的事実もある(司馬遷『史記』項羽本紀)。

 この時、宋義は、趙を攻 撃する秦の猛将章邯将軍が趙のju(金へんに巨)鹿(きょろく)に趙王を包囲しているのを見て、すぐに救援に赴けば自軍も損害が大きくなる。趙を攻め滅ぼせば、趙も必死で抵抗するから、秦軍の損害も大きくなり、疲弊したところへ攻撃をかければ勝てると主張して、すぐに救援に行こうとする項羽を抑えるのである。その時の台詞は「夫被堅執鋭、義不如公。坐而運策、公不如義(およそ堅を被り鋭を執りては、義は公にしかず。坐して策をおこなうは、公義にしかず)」である。

 一見正論っぽいが、これは中国人に多い「狡い計算」だと言われている。一見正しそうに見えても、人は生き物である。戦続きでよれよれになっているように見える兵でも、勝ち戦の勢いに乗ったら何が起こるかわからない。上の宋義の言葉は、悪く解釈したら、「お前なんかただ肉体的に強いだけのアンポンタンじゃないか。私はそんなアンポンタンはやらないよ」という意味だよね。しかも宋義はこの直後に、「二度とこのようなことを話すものがいたら斬る」とまで言っているのである。

 結果は歴史であるからもうわかっているが、腹を立てた項羽は宋義を斬り、全軍を率いて趙を救援し、当たるところ敵なしの勢いであった章邯軍を破ってしまうのである(もちろん、秦王朝内の権力争い……例の宦官・趙高や李斯が暗躍していた頃である……の結果、章邯将軍が戦意を喪失していたという幸運もあるのだろうが)。

 時間は過ぎ去ったら戻ってはこない。従ってその時の自分にできる最高の決定をして、あとは時間を惜しんで努力するだけである。人の上に立っていながら努力を惜しむものは、宋義のように排除されても仕方がないのが、時間の流れに支配されているこの世の理だろう。

 これは身体運用を考える上でも興味深い事柄である。「時間が全てを解決してくれる」という考え方に立てば、「長い間練習していれば、いつかはできるようになるだろう」ということになる。これはなにも中国に限ったことではなく、私が子供の頃、私の周囲のいろんな人たちから聞かされた言葉だ。小学校の先生もその中にいたはずだ。

 ところが現実を見てみると、同じように練習しているはずなのに、どんどん差がついていくのである。上手になる人はどんどん上手になっていくのかも知れないが、上達しない人の中には、数年も同じ事をやっているのに、まったく上達しているように見えない人もいた。

 スポーツなんかだったらまだいい。技術的に上達していなくても、成長に伴って体力が向上するから、すこしはパフォーマンスも向上する。けれども芸事だったら体力的な成長ではなかなか向上してくれないからね。「あいつ、いつまでたっても伸びないなあ」「向いていないんだろう」なんて会話が、周囲の大人の間でされていたのを、私は聞いたことがあるぞ。

 今の私には、もっと決定的なことが言える。身体運用であろうが何であろうが、目的達成のための全ての要素ができた時には、目的は当たり前のように達成できているということだ。逆に、目的達成のための要素が満たされなければ、何十年努力しようが、目的は達成できないということである。

 やりかたによって、年数が全てを解決してくれる場合もあるが、何百年頑張ろうと、要素が足りない努力であれば、解決などは覚束ない。簡単に言えば、やり方が大切なのであって、年数が全てを解決したりはしないということである。

 もう一つ大切な観点がある。もしも何かの動きをしなければ目的が達成できない場合、生育暦の中でそのための要素が全て身についてしまえば、その人は特殊な練習をしなくても、普通に目的を達成してしまうことができる。こういう人はこの「普通にできる」ことを「自然にできる」と捉えることが多い。

 人は生育暦の中で、知らないうちに身についたことには意識(記憶)がないから、「自然」とか「普通」とかしか感じない。だからこういう人が口にする「普通」とか「自然」が、自分にとっても同じものを意味していると思わないほうがいい。ある人にとっての「普通」は、他のある人にとっては「普通」ではないし、ある人の「自然」が必ずしも自分にとっても「自然」になっていないことはよくある(拙著『動き革命』で述べてあります)。

 でもどうしてもその動きがやってみたかったら、どうすればいいだろうか。そこに「練習」というものがどうしても必要になってくるのだ。この場合の練習は、目的達成のための要素を満たす行為と言える。だから練習しないで伸びるなんてことは、普通の我々のような人間にはあり得ない現象なんだね。

 だからそれを「普通」とか、「自然」とか考えないほうが、誤解を招かないでいいかも知れない。自分にとっては練習しなければ手に入らないものは、今の自分にとって「普通」でも「自然」でもない。もちろん練習を継続していけば、身体も変化してくるから、「自然」とか「普通」の意味するところも変っていくけどね。

「普通にできる」とか「自然にできる」というのは結果であって、最初からそれを求めると様々な問題が発生する。一番いいのは、「普通」とか「自然」とかを考えないで、自分の理想を求めて、ただひたすら熱心に練習する方がいい。その方がかえって、「普通」とか「自然に」とかに早くたどりつくことができたりする。

 もし本当に何もしなくても何でもできるのなら、生まれたままの幼児を放置しておけばいい。おっぱいをあげないと生きていけないのなら、おっぱいだけあげていればいい。あやす必要もなければ、教育する必要もない。

 私は大学時代に、親御さんが何らかの理由で、授乳以外放置していたヒトの記録フィルムを見たことがあったが、その人は中学生になろうかという年齢なのに、満足に歩くこともできなければ、視力も聴力も弱かった(小学校へ上がるころから、リハビリをしていたのにである!)。言葉を喋ることもあまりできなかった。

 ヒトはトレーニングなしには人間になっていけない動物である。その時私は、幼児の頃から私を育て、あやしてきてくれた両親や兄弟、周囲にいた人たちに、心の中で感謝していたよ。どうであれ、とりあえず人語を解し、普通の暮らしは出来るようにしてもらっていたからね。

 神経は刺激と、その変化によって発達する。適切な刺激と、その変化を与えられれば、人間の神経は素晴らしく発達する(こともあるだろう)。でもそれがなければ、ヒトは人間になっていくことすら難しい生き物なのだ。時に「子供は素晴らしくいい動きをする」なんて言う人もいるが、動きの高度さにおいては成人の足元にも及ばないレベルである。それは取りも直さず、トレーニング(日常生活もトレーニングである)が絶対に必要だということを意味している。

 偶然、私の傍にいてくれたのが、動きの研究などやったことがない両親だったり、農業をしていた祖父や、近所の人たちだったから、そういった人たちを師匠としてトレーニングした結果が、普通の人(? 自分が普通だった自信はないが)になることができた。幸いなことに武術やスポーツの世界と出会うことで、「今の動きではいいパフォーマンスに繋がらない」と感じて、動きの研究に入って少しでも上をと、努力する方向に今でも進んでいるけれど、これって子供の頃なら誰でもやっている、周囲からの学習を、いい加減歳をとったのにまだ継続しているだけのことじゃないの?

 もしも本当に単純に「時間が全てを解決してくれる」のなら、120歳のおじいちゃんは無条件に、地球上の誰よりもこなれたいい動きをしていたはずだ。でも時間はそうはしてくれない。動きを研究し、何か価値あるものを掴んだ人だけが、自分の動きを変えていくことができる。優れたものに触れて、今の自分と何処が違うのかに気づいた人間だけが、自分を変えていくことができる。正しい解決法を見つけた人は、きっと案外短時間でものごとを激変させていくことだろうし、大して価値のあるものを見つけることができなければ、何十年やっても生理的な変化以上のものは起こらないだろう。

 時間はただ流れていくものだ。だから時間に問題解決を委ねてしまう考え方には、私は賛成できない。むしろ問題を解決する鍵は常に自分にある。自分がなにかに気づくこと、それこそが問題解決には決定的な影響を持つ(これは誰かに何かを気づかせてもらうことも含む。手段はどうあれ、自分が気づくことができれば、何かが起こる)。

 もしもその気づきが、自分の背骨になるようなものから発生している時には、あとは努力をするだけでいい。その努力は工夫を呼ぶ。ヒトは爪や牙の変わりに大脳を発達させた。大脳を使って工夫することは(夢想したり妄想したりすることではないよ)、ヒトが自分の持つ最大の武器を活用していることだ。そうして問題は解決に向かって動き出すのだと思っていPhoto_2る。私はそういった人のお手伝いをしたい。

 http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3&f=O

  http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/s?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp_27%3A%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&field-author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&page=1

  http://www.bk1.jp/webap/user/SchAuthorBibList.do?authorKana=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%AA+%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7&adultFlg=0&authorId=110004223100000&author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE+%E5%90%9B%E7%BE%8E

  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8F%AC%90X%81@%8CN%94%FC/list.html

 

2008年11月23日 (日)

必要な時に、必要なことを、必要なだけやる

 まあこの時期にのんびりしたい、などと思っているのが根本的に間違っているような気もするのだが、それでものんびりしていたい時ってのはあるよね。自分がのんびりしていようと思ったらImg150テコでも動かないチャーにゃん(我が家では「猫名詞」という言葉がある。固有名詞あるいは一般名詞の後ろに「にゃん」がつくだけだが。ちなみに母は「かあにゃん」、私は「ぶーにゃん」である)でも、今朝は外の野良猫どもの動向が気になるのか(ちょうど交尾期にさしかかった奴がいて、うるさい)、台所のスレンレスの上を忙しそうに歩いていて、足を滑らせた。

「がさっ」という音に振り向いて、ちょうど朝食中の私と母はそっちを向く。ちょうどチャーにゃんと目が合った。「見たな!」明らかにその目はそういっていたが、残念なことに体勢を立て直そうとして、再び足を滑らせた。右の後足は流しに落ちたまま、チャーにゃんは暫く人間たちとにらみ合いを続けた。猫はプライドが高い動物なので、自分の失敗を他人(それがヒトであっても)に見られるのを極度に嫌う。

 その後、トンっと床に飛び降り、さっさと台所を出ていった。私と母は「暫くあれは帰ってこないぞ」などと話し合って笑っていた。チャーにゃんの記憶から、足を滑らせたことが消え去るまで、帰ってくる気はないはずだ。人間でも失敗した場所にはなんとなく帰って行き難いものだ。猫だってそのあたりは同じらしい。

 それから魚の水換えである。私の体調がどうであろうが、生き物を飼っている以上、こちらには責任がある。魚だって「どうしても私の家で飼ってほしい」と切望してやってきたわけではないから、飼っているこちらが、快適に生きていただけるよう、ベストを尽くさなければならない。それは骨折していようが、脱臼していようが、風邪をひいて40℃の熱があろうが同じである。これって私の必要ではなくて、お魚さんたちの必要なんだよね。

 そうして仕事場まで出かけようとしていたら、姉夫婦が久しぶりにやってきてくれた(家で会うのは本当に久しぶりである。来てはいるのだろうが、私はたいてい忙しく外を走り回っている。いったいどうしてこんなに忙しいのだろうかと、不思議に思う。その割には「貧乏暇なし」なんだよ。どこかで必要でないことをやっているんだろう。

 仕事場でお世辞にも得意とは言えない仕事に取り組む。文字を書くのである。自慢ではないが私は「恥(はじ)」はかくけど、「文字(もじ)」は書けない。恥はやはり嬉しくないので、今朝のチャーにゃんのように「見ィ~たなぁ~」って顔になる。いやこの歳になって知る、文字を書くことを練習しておけばよかった! あの頃は必要を感じなかったのだけど、今は必要を感じる。人は先が読めないからなあ。

 若い頃は言ってたんだよね。「文字なんて、他人が読んでくれたときに、何を書いているかがわかればいい」なんてね。でも一歳とってみると、カッコよくサラサラって麗しい文字が書ける人って、カッコイイよね。私が同じようにサラサラってやったら、「ミミズ腸ねん転流」の書体にしかならないよ。ところどころが太陽に照らされて干からびていたりしてね。断末魔のミミズである。

 それからアトミックカフェへ。やたらとモモスタ(モモタロウスタジアム、岡山県営陸上競技場)近辺が混雑している。地元のサッカーチームがJ-2に上がるか上がらないかで盛り上がっているのである。大混雑だけど、そういったサポーターさんたちがいるお陰で、盛り上がるんだよね。サポーターさんたちは、チームにとって絶対に必要だ。

 いつもの倍ちPhotoょっとかかってアトミックカフェに到着。あらあ~、道が混雑しているわりには、お客さんが少ないんだよね。私としては嬉しかったけど。先週からランチを一渡りすることにしたので、今日はハンバーグランチである。 へへへ…… ここの食事を食べていると、ダイエットなんて親不孝な行為(!?)が馬鹿らしくなるよ。美味しいものを食ったものが勝ち!

 気分よく召し上がっていると、サッカー観戦から引き揚げてくる途中なのか、グラウンドコートを羽織った人々の群れ。う~ん、この時期のサッカー観戦には、グラウンドコートは不可欠だろうね。私が始めてグラウンドコートを着用し始めた頃は、みんなグラウンドコートを奇異な目で見ていたんだけどね。必要なものはいずれ市民権を得る?

 そのうち、奇妙な足音がする。下駄のようにも思われるが、下駄ではない。振り返るとウェスタンブーツを履いた女の子が二人、若いお父さんに連れられて入ってきたのである。う~む、足音から想像したところでは、体重60㎏よりは軽くはないと思ったのに、二人とも20㎏もなさそう。えらい勘違いだ。今朝の足を滑らせたチャーにゃんなみに恥ずかしがらなければならない。

 行動はいかにも子供なんだよ。漫画を探してしょっちゅう歩き回るから、そのつどなんともいえない大きな、そして体重を何倍にも感じさせるような派手な音が響く。まあいいけどね。好きでやっているのなら。昔私もアスファルト道を鉄下駄を履いて歩いて、とても恥ずかしかった経験があるからね(凄いんだ、この音が)。その時はっきりわかったことは、鉄下駄で足腰を鍛えるのは、アスファルトの上でもコンクリの上でも、はたまた床の上でもないということだ。だからそれ以後二度と、アスファルトに鉄下駄の組み合わせはやらなかった。

 なんでもお似合いというのがある。よく私は、何でも、必要な時に、必要なことを、必要なだけ、必要なようにやればいいと言っているが、これは人の成長と身につけるものに言い換えれば、子供の時は身体の様々な能力が発達している時で、動くことによって開発を行うから、ファッション的にもそういったことを考えた方がいいと思う。

 きっとあの若いお父さんは、ブーツを履いた女性が好きなんだろうなあ。あの幼さでブーツを履かせていたら、きっと早くブーツに適応してブーツの似合う女性になるに違いない。そうそう私が今日感心したのに、まだ幼稚園にも上がってなさそうな幼い男の子が、両親らしい人に手を引かれて、ネクタイをピシっとしめて歩いていたことがある。

 あの男の子は大人になったら、ネクタイなんかちっとも煩わしいとは思わない人になるんだろうなあ。間違っても私みたいに、「ネクタイが頚動脈を締め付けて、脳に血液が回らなくなるから、心臓が頑張りすぎて高血圧になる」なんてことを喚きだしたりはしないんじゃないだろうか(本当にそうらしいんだけどね)。

 今の世の中は、どうしても「勝ち組・負け組」って価値観が強いから、必要な時に、必要なことを、必要なだけ、必要とされるようになんて言わないよね。人がやっていない時に、人がやっていないことを、必要とする以上に、我武者羅にやるってケースも少なくないんじゃないかな。

 一例を挙げると、人がトレーニングなんて知らない頃から、大して必要でもない筋トレを、とてもそこまで要求する必要があるのかというくらい、我武者羅にやる、なんちゃって。結構こういうことってあるんじゃない? 勉強だって似ているよね。人が遊びたい盛りで、勉強などしていない時から、大して必要でもない難しいことを、必要とされるよりもはるかに多く、とにかく我武者羅にやる。

 それで勝てればいいけど、勝てない人も結構いるんじゃないかな。もちろんそれらが全て間違っているとは言わないよ。格闘技界なんか見ていると、幼い頃から家の手伝いをしていて重たいものなんかを持っていた人が、強くなっていたりするからね。でもこれは筋トレとしてやったわけじゃないよね。

 周囲から必要とされてやった仕事だよね。トレーニングではないから、いろんな動かし方をしたりしたんだろうね。それはとても貴重な体験だろうと思う。そしていろんな動かし方といったら、一番は「遊び」だ。人間は楽しいとなると限度知らずだからね。

 私なんかが子供だった頃、遊びをやりすぎて筋肉痛になったことなんか、何度だってあるよ。でも面白いからまたやる。また筋肉痛になる。でも筋肉痛になるってことは、筋トレになっていない? こうやって発達してしまった筋肉は、ホンモノだろうね。

 生活の中で必要に迫られてついちゃった筋肉は、それはもう生活の一環ですからね。その人がその人であるために必要な筋肉とも言い換えることができますな。だから私はこんな筋トレを否定しているわけではないんだよ。

 よくあるじゃない。「筋力なんか使っちゃいけません」なんていう人が、でもその人が旅行かなんかに行く時、スーツケースをぶら下げるよね(えらい人だったら自分で持たない?)。力を使わなかったら、そのスーツケースは持てますか? 持てるわけないよね。だから筋力だって、必要な時、必要なだけ、必要なように出せばいいんだよ。まあできるだけ小さめの力で済ませるようにした方がいいけど。

 まあそんな考え方をしていると、またしても幼い姉妹がガタガタと音を立てて歩き回った。お出かけの時だからお洒落なんだよね。でも普段はもっと動きやすい靴がいいよ。もっともっと動きやすい状態で、動き回ったほうが、きっといろんなことができるようになっていい女になれるかも(責任は持ちませんが)。

 私だってハンバーグランチを食べて、ココアを飲んで、『中国刀剣』を流し読みして(清代の民間刀に、素敵な双刀がありましたが、この姉妹の足音のお陰で脳みそがガタガタになってしPhoto_2まった)、ふーっと一息ついたほうが遥かにいい仕事ができるかも知れないし。

 そうそう先週アトミックカフェで食べたのは、ピザでした。その前がトンカツランチだったっけ。 私のスタイル(ピザの上はタバスコで真っ赤ッ赤)で美味しくいたPhoto_4 だきました。これは先週の必要だったんだよ。

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3&f=O

2008年11月22日 (土)

ヒトの能力・5 ~ヒトの能力は不思議だ……~

 ヒトはリラックスしていないと、様々なことで障害が出る。このリラックスという言葉もいろいろな解釈があって、将来的には現在言われているリラックスを、いくつかの言語に分けなければならないと思うほど複雑だと思う。

 あれこれ自分勝手に命名すると、物事が複雑になりすぎたりすることもあるが、様々な概念を持つ(あるいは解釈できる)言葉を、一つの単語で言い表していると、誤解や曲解が起こる原因になることが少なくないと思う。

 たとえば立ち方などを指示するときに、「足を肩幅に開いて立って」という言葉をよく聞くが、この「肩幅」だって、足のどの位置が肩幅になっているかによって、身体の動き方に大きな影響を与える。当然こういった重要なことは『あなたにもできる! 超人の動き』に収録してあるけれど、こういった部分を曖昧なままにして進めると、伝えられていくうちに、人はよく伝言ゲームのような現象を起こすので(途中で、それぞれの思惑や、思い込み、勘違いなどなどといったものが混じってくる)、元の姿からはかけ離れたものになってしまう危険性(可能性?)が出て来る。

 空手などでは○○立ち、△△立ちなどといった、立ち方に名前がつけられていて、それを指導者がきちんと教えていくといった方法をとっていた。これは見事な工夫だと思う。その立ち方になれば、その立ち方でできる動きを覚えることができるからだ。立ち方一つをとっても、いい加減にやっていたら滅茶苦茶になってしまうことに気づいた、大昔のどこかの誰かが考えたことかも知れない(これは日本人かも知れないし、外国の人かも知れない)。

 それにその人の個性が絡んでくると、立ち方一つでも個人個人で一番動きやすい立ち方は微妙に異なってくるだろう。もちろんそこまでたどり着くには、きちんと基本を身につけた後で、個人個人の試行錯誤が必要だ。試行錯誤しない人間に進歩はない。獣や猛禽には爪や牙、嘴や翼といった武器があるが、ヒトにはそういった武器でなく頭脳が与えられている(誰が与えたのかは知らないけれど)。その頭脳を使わないということは、ヒトの持つ最大の武器を封印していることになる。自分の武器を封印したまま戦わなくてはならなければ、勝敗はもう見えている。

『孫子の兵法』にいう、「知己知彼百戦不殆」である。人は獣ではない(獣のように戦わなければならないこともなくはないけど)。実際に戦うとなれば相手のことを知って、当然自分のことを熟知した上で戦うのが「ヒトとしての最も合理的な戦い方」であろう(でなかったら『孫子の兵法』が、古今を通じた名著と呼ばれることもなかったろう)。

 リラックスという言葉から、話が横へ進んでしまったが、ヒトの身体は不思議である。心身に緊張がなければ、そして寝具や睡眠の環境がその人に適していれば、夜はぐっすり眠れるはずなのだが、最近の私は眠りが非常に浅かった(歳か?)。それが一昨日の事故から何故か爆睡できるのである。

 ありゃりゃ、とうとう頭をやっちまったか! ご心配なく。私の頭は一円玉なので、これ以上崩せない。なんだか全身にあった緊張が、瞬間的なそれ以上の緊張が襲ったので、切れちゃったのかなあ。

 もちろん、身体運用上のリラックスと、睡眠時のリラックスとは全く状態が異なる(だから言葉をPhoto作らなければならないのでは、と言っているのだ)。睡眠時のリラックスは脱力系のリラックスであり、身体運用時のリラックスはそうではない(詳しくは『あなたにもできる! 超人の動きを参照してくださいね)。

 お陰で今朝は目が覚めなかった。昨夜は『刑事コロンボ・歌声の消えた海』を見ながら寝たはずなのだが、『刑事コロンボ』を「寝た」状態(つまり見ているはずが寝てしまっていてほとんど見ていない状態)だったらしく、朝一度トイレに起きて「こりゃいかん、見とかにゃ」と思ったら、またしても爆睡していた。しかも全身に力が入らないぐらいの深い眠りだ。

 それがなんともまあ心地よくって、起きたら午前11時前。あ~、びっくりした。こんな睡眠は久しぶりだ。午後から用事がなければ、一日中寝ていたところだ。なんでこんなに眠れちゃうんだろう? もしかして事故で、私が気がつかないような微妙なところが壊れて、それを修理するために身体が睡眠をほしがっている? 言うまでもなく人間が自分の身体を補修するのは、睡眠時だからね(だから睡眠不足のままトレーニングばかり行うと、実際には効果が薄いことがある。酷い場合には故障したり、怪我したりということにつながることもある)。

 なんにせよ、身体が睡眠を欲しているのだから、ただひたすら寝ていれば良い。だが浮世の付き合いはなかなかそうはさせてくれない。でも今回はちょっとばかり根性を入れて寝るよ。気合を入れて寝る(気合を入れると、緊張して眠れないけどね。実は気合を入れるというのは、よく緊張に偏ることがあるんだよね)わけだけど、気合を入れて緊張を取るなんて、少々矛盾したことをやらなければならない。

 でもきっと今は爆睡できると思うよ。私の身体がそれを切実に求めているから。きっと何かを治してほしいんだね。素直に従っとこ。

2008年11月21日 (金)

科学的思考のススメ・25 ~擬似科学やオカルト……~

 本日の産経新聞朝刊に「疑似科学やオカルト」というテーマで、「なぜだまされるのか?」とタイトルを打った記事があった。私は結構、産経新聞の科学関連の記事が好きである。竹内薫さんの記事も、とても好きだ(ちゃんとインターネットでも「お気に入り」に登録してある)。それは科学が科学として理解され、市民権を得ることを望んでいるのではないかと思えるような記事が多いと感じているからである。

 本日の記事で最初に取り上げられている「スプーン曲げ」、これが超能力でもなんでもないことは、割と早くから知られていた。だってスプーンは曲がるのに、鉄筋は曲がらないとか、もっと細い縫い針はまがらないとか、そんな現実はユリ・ゲラーブームの後、私なんかはごまんとぶつかったもの。

 あの人の言うことだから、きっと本当だろうと他人を信用して、自分で検証することが「だまされない」ためには大切だと述べているが、ご心配なく。他人の言うことを信じはするけれど、自分で確かめなければ気がすまない人生を歩めば、私みたいになれますって。

 例えば空手をやっている頃、お師匠様は「一つ型を5000回から1万回やらなければ使えないよ」と言われていたので、実際に一万回以上やった型はいくつかあるよ。でもなかなか使えるようにならなかったけどね。これは今では、それを見ていちいち指導してくださる、しっかりした「目」を持った指導者がいなかったからだと思っている。やっているうちに、次第に我流に陥っていったんだろうけど、若い頃には気がつかなかったんだね、それに。

 こんなことはまだまだあるよ。漫画で有名になった、親指一本で逆立ちして、歩くというやつ。これも私はすぐ師匠を信用した。「まず三本指で300回腕立て伏せができるようになりなさい。次はそれで1分間逆立ちができるようになりなさい。そうしたら歩けるようになっている」 私は心の中で「押忍!」と決心していた。こいつを見事にやってみようじゃないかと。

 それから一所懸命三本指(親指と人差し指、中指ですよ。これが人差し指、中指、薬指だと死ぬほどきつくなります)で毎日腕立て伏せをやった。当時は毎日、腕立て伏せなら少なくても1000回はやっていた頃なので、三本指300回に到達するのは、さほど困難ではなかった。そして逆立ちである。これはきつい。それでも毎日努力を続ける行為は尊い。1ヶ月ほどでなんとか1分逆立ちが出来るようになった。

「よしよし、これで三本指逆立ち歩行ができるぞ」私は腹の中で舌なめずりをしていた(何故舌なめずりしたのか、今となっては記憶が定かではない)。まず三本指で逆立ちをする。そして右手を一歩前に出した瞬間、全体重を支えていた左手の、中指の付け根から手首にかけて、掌が裂けたのかと思うほどの激痛が走り、あえなく潰れてしまった。今でもあの時の激痛は憶えている。

 逆立ちして歩くということは、片手が空中にある時は、支えている方の手に全体重がかかるのである。それは当たり前のことだが、お師匠様の言葉を信じるあまり、考えてみもしなかった。失敗してわかる「現実」の壁である(ただし足で歩く場合は、片足が空中にあっても、支持足に全体重がかかるとは限らない。これについては今回の『あなたにもできる! 超人の動き』に述べている)

 もちろん今ではそれでお師匠様を怨んだりはしていない。それどころか「指導がうまい人だったなあ」と感心している。私もそれに気がつくのに時間がかかったが、間違いなく指導はうまかった。だって三本指で逆立ち歩行をするために空手なんかやっていたわけではないからね。要するに強くなればよかったわけだ。強くするためには嘘でもなんでもいいから、具体的な目標を掲げよう、という手法だったのではないだろうか。

 そしてそれは今となっては私の中で、「目的意識を見失ってはいけない」という主義に変って生き延びている。例えばスポーツの体力トレーニングなんかで、パフォーマンス向上のために筋トレをやったりするじゃない。男の子だったら20歳前後から30代までは筋肉がつきやすい時期かもしれないから、パンプアップした筋肉を見とれてしまうんだよね(経験者は語る……)。鏡の前で力瘤を出して、はいポーズなんてね。

 で、気がついてみたら自分がやらなければならないトレーニングの方がお留守になっていて、結果的にはパフォーマンスが落ちていたるすることがあるんだよね。これって「目的」を見失った証拠。もしあの三本指逆立ち歩行に失敗した時、「それじゃあ片手で三本指腕立て伏せから始めて、片手三本指倒立を両手できるようにして……」とやっていたら、きっと私も三本指逆立ち歩行は出来るけど、そんなに強くない人間になっていたと思う(だからといって、そんなに強くはなかったけどね)。

 言ってしまえば三本指逆立ち歩行ができるだけの、芸人で終わってしまったのではないかと思う。(確かに三本指逆立ち歩行の練習をして、突きは強くなっていたからね。本来の目的は達成していたわけだ。つまり本来の目的を忘れないようにといった教えだったのかも知れない)

 やってみればいいんだよね、なんでも。もちろん他人にできても、自分にはできないこともあるよ。人間は顔も違えば体格も違う、性格も違えば、体質や年齢も違う。ある人にはできるけど、この人にはできないってことは必ずある。私はそれを「個性」ではないかと思っているけど、やってみないとわからないことはやってみればいい。特に若いうちは。年齢を重ねると、回復力がついていかないしねえ(どうも最近、歳を感じているのか、この手の弱音が多い?)。

 20台の頃やっていた練習なんかやったら、確実に寿命を縮めるよ。早死にするために練習しているわけではないから(トレーニングの目的が大切ですな!)、そんな無茶をする気はない。体調に合わせて練習は変る。年齢に合わせても当然、練習は変る。変えないでいつも同じようにやっていたら、たまには「あの人凄いなあ」と感心してもらえるかもしれないけど、ある日「あいたたたた!」とうずくまってしまったり、バタンっと倒れて二度と起き上がれないかも知れない。無理のきく範囲だって、年齢とか体調とかによって全部変っていくんだからね。

 誰であろうが100mを45歩で、1秒間に4.7歩のペースで走りきれれば、9秒6よりも速く100mが走れるんだけど、まず100mを45歩で走れなければそれは成り立たない。これくらいの歩幅で100mを走りきろうと思ったら、(現在のスプリント理論では)できたら身長は185㎝はほしいし、それで1秒間に4.7歩といったら、滅茶苦茶速い動きだよ。でもこの条件を満たしたら、その人は人類最速になれる。問題はどうやってその条件を満たすかだよね。

 このように条件を満たしてしまえば、結果は当然のように出る。私はこれを「必然」と呼んでおり、どこかの運命論者が言っている(?)ように、「最初からそうなる運命にあったのだ」などというものを「必然」だとは考えていない。「最初からそうなる運命にあった」というのは、ただ自分の全てを肯定的に捉えてみたいだけの人が言う言葉だ。

 自分を肯定的に捉えるのは大切なことだが、それだけでは自分の欠点や失敗などを糧とした成長が望めない。なんて、私は失敗や欠点も肯定的に見てしまうところがあるけれどね。どんな悪いことでも、それを肯定すれば、そこから得るものは必ずある。これが私の『結果プラス思考』の土台となっている。あそこでこんな失敗をしたから、ここをこう改善して成功したんだってね。

 これって科学そのものじゃないかね。科学の歴史だって、誰かさんが何かの説を唱え、その欠点や矛盾点をいろんな人が改善したり補正したり、埋めたり、付け加えていったから、次第に進歩していっているんだもんね。だから自分より前の人が唱えたことを理解しておかなければならないし、その為には勉強もしなければならない。

 でも疑似科学とかオカルトって、それがあまり感じられないよね。誰かが言い出したら、「そうだそうだ」なんて認める。誰かが持っている価値観(不思議な価値観である場合もあるし、とんでもないくだらない価値観であったりもする)で「断言」したらそれでお終い。その断言をひっくり返すには、随分時間や労力が必要になる。ま、私なんか他人様のためにそんなことをしているほど、暇もなければ余裕もないので、見てみないふりをしてしまいますね。

 私や私の親しい人間に危害が加えられるのでなければ、誰が何を語ろうとやろうと、それはその人の権利かもしれないし。私は科学をベースに物事を考えていきます。もちろん現代の科学が完璧だとは思っていないし、いまだに解決の糸口すら見えないものもあるのだろうけれど、それでも必ず人はそれを研究する人がいる限り、必ず進歩していくものだから。

 産経新聞の件の記事では、「霊は科学的にはない」と言っている。私はわからない。そして「わからない」ものを「わからない」として否定せず、いつの日にか解明されるのを待つのも、また科学的態度だとは思っている。何故かって? 自分が知らないものの存在を認めないとしたら、その人自身がとてつもない大学者、大哲学者ってことになるからね。

 身体運用なんかでもそういうことはよくある。自分に出来ない動きなんかがあるよね。でも自分が出来ないからといって、自分にできる動きに変えてしまったら、いつまでたっても進歩はないよね。型なんてそんなのが多いよ。できない動きだからって、できるように変えたら、その時点で型は死んでいるもんね。

 最近あまり更新していないけど、『つる』シリーズの命名のもとになった大家さんみたいに、なんでも自分は知っているなんて態度をすること自体、その人は全くの「子供」だということだからね。他人よりわずかにたくさんの知識を持っていることを誇る。自分が知らないことはないなんて態度になれば、それは明らかに自分を最高だとしてふんぞり返っている独裁者みたいなものだ。こういう人は困るよね。誰かにわからないことなんて、この世の中、果てしなくたくさんあるよ。それを全部否定していたら、結局自分に理解できるものしか容認できない世界が出来上がる。

 その世界で気持ちよく遊んでいたら、外からその世界を揺るがすようなショックが加えられることだってあるだろう。そうするときっとその人は逆上するんだろうね。ちょうど幕末の黒船騒動みたいなもんだ。尊皇攘夷だとかなんだとか、難しい思想が出てきたけど、そういったごたごたの中で、変化を認めない人たちも結構数いたよね(日本史を勉強すればすぐにわかることだ)。でも大勢が血を流し、汗を流した結果、日本はこんな国になることが出来たんだけど。

 そういった日本を新しく世界に対応できるような形に変えていった人たちは、概して科学的思考なり合理的な思考をする人たちだったと思う。そして何よりも自分で行動する人たち(あるいは行動する人たちのバックボーンになるような人たち)ではなかったかな。要するに、実際にやってみれば、現実がいろいろと教えてくれるから、そこから科学的思考が嫌でも始まるんだよね、失敗したくなければ。

 それは身体運用の世界でもまったく同じです。やっぱり自由に自分の嗅覚と閃きを大切にし、科学的手法をもって様々なテーマを掘り下げていく人間の前には、いろんなものが見えてきたり、聞こえてきたり、触れてみたり、味がわかったりするものです。そういう研究の一つの結果が今回の『あなたにもできる! 超人の動きです。

 使っている手法は科学です。科学は客観性、普遍性、再現性を満たさなければなりません。どのようなことができるのかは、いくつか例を挙げていますが、あくまで「技」にはこだわっていません(映像用に練習したものはありますよ。超難しいものなんかは)。それぞれお読みになった方(DVDと併用されると非常にわかりやすくなるようになっています)がされる動きの中で、ご活用くだされば、様々な動きへと変化していくものです。

 以前、「古武術を応用する」という言葉が流行したことがありました。私は「応用」というのはいくらなんでも古武術を安易に捉えすぎているのではないかという意味の文章を、 『動き革命』(スキージャーナル社刊)を書きましたが、「応用」は「基礎」ができて、さらに「発展」した結果できるようになるものであって(実はそれこそが科学的発想なのです。基礎や発展をやっている最中に積んだ経験が、「応用」へと導いてくれるものですから)、2~3回セミナーかなんかでやったくらいで「応用」は無理ではないかということです。

 その点、今回の私の『あなたにもできる! 超人の動きでは、優れた動きをするための基礎となるもので、さらにその練習方法まで(あくまで一例ですが)公開しておりますから、やっているうちに自分の動きの中に無意識の中に溶け込んできていて、自分の動きを変えてくれているものです。

 もう近々店頭に並ぶと思います。手に取って見られてはいかがでしょうか(DVDはその場では見ることができないでしょうが。あくまで本と併用してくださるとわかりやすくなると思います)Photo。もちろん、練Photo_2習方法があるということ自体、疑似科学でもオカルトでもないということですよ!

 

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=309

2008年11月20日 (木)

交通事故!

 なんということか! 昨夜は仕事場の駐車場に、指定の位置に、指定通り(私的にも満足がいく駐車具合であった)に駐車しておいたら、隣(きっと)の車に擦られた。隣の車の該当の箇所を見れば確証が持てると思っていたのに。なんと今度は、これまた指定の道を法定速度で安全運転していたら、横から一旦停止(ちゃんと標識もあるし、路面へも大書してある)しなかった車に、横っ腹に追突された。

 それでブレーキをかけて、止まるかなと思ったが間に合わなかったんだと。相手方の運転手の言い分である。ブレーキ痕はどこを探しても見つからなかったぞ。だいたい一旦停止のところで止まらないのが間違いの始まりだろうに。私もこれから一応医者には行って診察してもらうけれど、駆けつけてきたお巡りさんの言うとおり、もっとスピードを落としていたら、今頃はきっと集中治療室だろう。

 お巡りさんも仕事だから、言わなければならないのだろうが、私がブレーキを踏んでいたら、確実に、軽くても入院することになっただろうね。私の車は見事に横転して、シートベルトにぶら下がったが、シートベルトが外れなくて困ったぞ(これでシートベルトをしていたから死んだというケースを疑似体験することができた)。それでも法律で決まっているから、守れ、守れと言うんだろうね。

 ちなみに私は、見事なくらい法規通りの運転をしていた。法律を守っていたから事故ったようなものだ。私が法定速度より20㌔ほど飛ばしていたら、きっと相手の車をかわすことができていただろう。安全確認はやった。だが相手の車は、一旦停止のところでブレーキどころか、加速したように感じたぞ。殺意はなかったのかも知れないが、害意はあったと言われてもしかたがないところだ。

 最近、夜片道3車線のところを、いきなり端から端まで車線変更を、ウィンカーも上げないでいきなりやってくる若い女とか、たそがれ時に、黒い学生服に黒いニット帽で携帯でメールしながら飛び出してくる男子高校生とか、はた迷惑な奴に出会うことが多かったが、とどのつまりが、私の車に兄ちゃんの運転するくるまが、横手からぶつかってきた。

 もうええ加減にせいよ。お陰で車の中に積んでいた貴重品が「わや」じゃないか。もしものことがあったら、どう責任を取るつもりだったのだろう。それでも知り合いは、「怪我がなくて良かった」なんて言う。そんなことはない。医者に行ってみなければわからないよ。実際右脚は少々異常を感じているからね(アドレナリンの分泌が止まってからの方がわかりやすいので、医者に行くのは明日かな)。相手の車は右側からつっこんできたんだし、当然調べてもらうことは調べてもらう。

 あとは車を運び込んだ、いつもお世話になっているH自動車さんの工場へ、積んでいた荷物を取りにいかなければならない。それからそれから、今日は木曜日なんだ。何があっても練習にいかなければならない。最近の私は、木曜日の夜の練習があるから生きているようなところさえあるんだからね。余分なことをしている時間なんかないんだよ! そうでなくとも忙しいというのに。

 練習に行く以上はトレーニング道具も積み替えなければならないし、代車の運転は慣れないから嫌だし。まして夜でしょ。慣れない車だと、何が何処にあるのかもわからないしね。まったくアルファードなんかに乗って、車に相応しくない運転をするんじゃないよ。車がかわいそうだ。

 車の中には、何冊か本が積んであった。今度出るものもあった。だが相手にぶつけられただけに、今度の本は「大当たり間違いなし」だと思うよ。自分で言うのもなんだけど、内容的にも素晴らしくいいしね。私の性格がよく出ていて。

 私の性格? なんでも曖昧なまま放置しておくのが嫌なところかな。何となくこんな感じでやったらできるかもしれないとか、感覚がどうとかをあまり言わないことかな。感覚が大切なのはよく知っているけど、大切なのは感覚を追いかけるのではなくて、できた時の感覚を味わうことかな。むしろその感覚を生む動き方の方を追いかけているよね。それこそ動いていく上での必然律だから。もちろんその為には、出来なかった時、失敗した時の感覚をしっかりと捕まえておかなければならないけどね。

 できてもいないのに、感覚ばかり追いかけてもあまり意味がなさそうだからね。ない感覚をあるように感じ始めたら、それは自分の身体に騙されているわけだからね。自分の心身を信用しないでどうしますか! でもそのためには信用できる自分の身体にしなければならないもんね。ちなみに、この「信用できる感覚を持った自分の身体」の作り方は載せていますよ!

 使い物にならないものを作り出すために、毎日練習しているわけではないから、私がやることはいつも現実的だよ。だから「こんな動きをするためには、こんな練習」なんて、エクササイズやドリルに凝るところもあるしね。時間は我々にとって大切なものだ。その大切な時間を費やして行う練習Photoで、「これ」というものが手に入らなかったら、悲しいよね。過ぎ去っていった時間は戻ってこないもの。

 だから不要なものをどんどん消して、必要なものをどんどん手に入れていく。それが私の練習に対する考え方で、それに沿って書いている。それでも怖い人(可愛い人?)が傍にいて、「これ、意味不明」と言われたりすると、一所懸命書き直したし。私的に可能な限り、独りよがりの文章はなくして、わかりやすくしたつもり。だって人にわかってもらえたら、何か悲しいもの。

 幸い今日の交通事故でも、なんとか動けるみたいなので(代車が来ないと、脚がないけど)、ペースを落とさないようにしていくつもりです。

 

2008年11月19日 (水)

寒いっすね! でも練習は楽しいっ!

 いやあ、冬ですよ、冬! 朝も寒かったけど、昼になってもあまり温かくならなくて、寒い一日でございました。岡山でこの有様なら……と、テレビのお天気を見たら、あらあ、雪がばんばん降ったところがあったのね! 驚きました。

 寒くはなりましたが、今日はそこそこのトレーニングをしなければならない日なので、「えいっ」とばかりに着替えて、季節風が吹きまくっている中に出てゆきました。私の車には、先日の大分国体の時から準冬用の装備が積んであるので、それを着こんで行きました。犬や猫は夏毛と冬毛に生え変わるけれど、人間の身体はそんな便利な(?)仕組みがないので、身につける衣服で調節するしかありません。

 逆境になれば鍛えられる人も確かにおりますが、それでも基礎的な強靭さが身についているから逆境に耐え、自分を高めることもできると思います。何も出来ない赤ちゃんの頃にとんでもない逆境に陥れられたら、将来凄いことができるようになる人でも耐え切れないことが多いと思います。

 環境に対する適応もそれと似たところがあります。暑さ寒さも、まったく準備なしに大きな変化に出会ってしまったら、身体の適応力が機能し始める前にダウンしてしまうかもしれません。私は今日の寒さは、ちょうど冬用に変身するのに手ごろな刺激だと思いました。それで「寒いけど、ちょうど今日はややきつい目のトレーニングを行う予定の日だから、やっちまおう!」って出かけました。でも練習の強度はほんの少し軽めに。

 環境が変ると、それに適応するために、身体のいろんな機能がスウィッチONされ、それでいつもよりは身体に負担がかかるんだよね。そこで少し疲れ方をコントロールしてやったんですよ。この時期風邪を引いたりすると、一冬の計画(何を計画しているのかはヒ・ミ・ツ。世界征服ではないと思います)が狂ってくるからね。季節の変わり目の乗り切り方には注意が必要です。

 で帰ってきてすぐに部屋を暖房しました。今まで寒い目に遭っていたわけだから、当然身体にかかる負担を軽くしてやって、快適にしてやるのです。トレーニングをしていく上で大切なのは、トレーニングと休息と栄養補給のバランスのとり方だけど(トレーニングばかりやっていたら、確実に身体はぼろぼろになっていきます)、上手に休息をとれば「超過回復」が起こり、それを上手に繰り返すことで体力はどんどん効果的に上がっていきます。

 私はこの「超過回復」というのも立派な、人間が生まれながらに盛っている能力(機能)だと捉えていますから、「超過回復」が上手に起こるように、自分のトレーニングやなんかをコントロールしていきます(睡眠時間が……!)。

 そして今は快適な室温の中で、これを打ちながら、暖かいプーアール茶をいただいております。中国茶は私にとってちっとも特別な飲み物ではありません。だから「中国茶ブーム」なんてものも全然知りませんし(人が「中国茶って、今ブームですよね」なんて教えてくれるので、「へえ、そうなんですか」と感心するくらいです)、完全に毎日の生活の一部になってしまっております。

 これはきっと莫ちゃんのお陰だよね。彼のところで様々な茶葉がある中から、私自身が一番気に入ったものだけを購入してくるから(しかもお土産屋なんかで買うよりは、はるかに安いし)できる生活なんだろうね。今や私が定期的に顔を出すところにはどこにも、中国茶が常備してあるのが当たり前になっているくらい。

 こうして中と外から身体を暖めてやると、大変に気持ちいい状態になってきます。もうだいぶ元気が回復してきたので、もう一発トレーニングをやってみようかという気がおきたりするぐらいだけど(昔ならきっとやっていると思います)、さすがに今は自制することも覚えました。明日も快適に生きていける状態を作るほうが大切ですからね。

 毎日毎日、計画通りの練習ができることは有難いことです。いくら激しく練習しても、それで故障したり、ダウンしたりすれば、元よりもレベルが下がったりしますから、もしも壊れそうだったら、休んだほうがいいくらいです。いい状態を維持するための休息は、サボりとは決定的に違いますからね。(でも現役じゃなくなったから、こんなのんびりしたことが言えるようになったのかも)

 もう一つ、昔からやっていることで、今は徹底していることは、普段の生活の中で練習できることは全てやっておくというのがあります。歩き方なんか、別に練習時間に練習しなくても、日常生活の中で意識さえきちんとできれば、やってできないことはありません。もし日常生活の中で何気なく動いている中で練習ができたら、練習量は飛躍的に増えますよね。

 今度の『あなたにもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命の中には、こういったことPhotoが山のように出てきます。練習時間は大切ですが、社会の一員として社会の中で生活している人には、練習時間が取りにくかったり、まとめて30分、1時間、2時間と取れない人も少なくないでしょう。だから何気ない普段の動きの中でも身につけられることがけっこうたくさん本文中、付属DVDに収録しておきました(まだ凄いのもありますよ。あまり動かなくても練習できるものもありますが、これは映像的に何をやっているのかわかりにくいので載せませんでした。これなんか仕事をしていてもできるかも知れません…おっとっと、上役に叱られる?…… すみません。昔、教科書や参考書を開けて勉強しているふりをして、漫画や小説を読んでいた経験がたくさんあるもので……)。

 昔の武術の達人なんかは、弟子が稽古しているのを見ているくらいで、大して稽古していないのに、弟子がいくら頑張ってかかっていっても勝てなかったような人がいたわけですから(弟子に隠れて、秘密特訓をしていた人は、そんなにいなかったんじゃないでしょうか。これは前の『動き革命』でも取り上げましたよね)、そのあたりにヒントはあるはずです。実は今回の『あなたにもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命』の中には、そんな練習法も紹介し始めたのです。

 私は「やらされる練習」が必要な時期もあるかも知れませんが、本当に伸び始めるのは、自分から「すすんでやる練習」が始まってきてからではないかと考えています(今の私なんか、完全にそればっかです。別に美味しいものばかり食べて、ぶくぶく太ってばかりいても、「メタボっ!」と言われるのさえ我慢していれば、全然問題ではありません。でも今の私には、「練習(トレーニング)って楽しいなあ!」という思いが強いんですね。楽しいことは止められません。だから続けているだけなのです)。

 練習していて楽しいのは、何かが出来るようになった実感が味わえるからだと思います。嬉しいことに、今の私にはそんな体験がたくさんあります。ありすぎるくらいです。なかな出せなかった記録が、突然どっか~んっ!と出た感じ。どうしても解けなかった問題が突然解けた感じ(大学の卒論を書いている時、方程式が一つ解けなくて参っていたとき、やけくそになってウィスキーを呷っていたら突然解け、それから一気に卒論を書き上げた経験がありますが、あれとよく似ています)。そんなのが毎日のようにあるんです。こんな楽しいことを止めろといわれたら、きっと私は爆発しますよ!

 そんな楽しい体験から気がついたことをまとめたのが、私の本です。また読んでみてくださいねっ!

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http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=309

2008年11月18日 (火)

ヒトの能力・4 ~器具を用いた練習、用いない練習~

 私のいる岡山では、今日の日中から突然冬になっちゃったみたいで、寒い北西風が吹きまくっております。なんとなく紅葉が鮮やかな、感じのいい秋だったのに、やっぱり冬はやってくるのね……といった気分です。もちろん北極のシロクマさんたちから見れば、暖冬が続いて北極の氷が溶けてしまったら、絶滅するかも知れないから、適当には寒いほうがいいのかも知れませんが。

 そういえば私がまだ小学生の頃、登校途中の川にはずいぶん立派な氷が張っていたような記憶があります。大人は「危ないから乗って遊んではいけない」と、川面に張った氷のうえに上がる(降りる?)ことを禁止したがっていましたが、男の子達は平気の平左で乗って滑って遊んでおりました。

 ときどき氷が薄いところがあって、ピシッ!とかメキメキとかという音がし始めると、皆動きを止めたりしておしましたなあ。動いて凍りに決定的な割れ目を作ったら、川の中にはまってしまうから。もっとも私たちのいた地域は、冬には水量が少なかったんですけどね。

 道具なんか使わなくても、けっこうこういった遊びはできました。氷の上で石を蹴ったりすることはありましたけどね。あれって摩擦が小さいから、けっこう滑っていくんだよね。でも気をつけて蹴らないと、蹴ったほうがすってんころりんといったりして。いろんな環境のいろんな状況の中で、いろんな遊び方をして、いろんな身体の使い方を覚えていったと、今から思えば自分の子供時代に感謝しております。

 でも最近は氷の上で滑るのならスケートリンクで、などとやたらと設備が整っていますよね。そしてリンクの上では普通の靴なんか履かせてくれなかったりして。そこではスケート靴という、氷上に最も適した履物を履くことが要求されます。でもなんとなく違和感を覚えるんだがなあ、私は。

 道具を用いる練習では、道具をいかに上手に使うかということが「練習」の上手さに繋がってきます。私の父方の祖父は、若い頃はたぶん私なんかよりはるかに力持ちだっただろうと思いますが、祖父だって筋力トレーニングをしていた頃の私と、バーベルを用いて力比べをしたら、私の方が強かったと思います。でも米俵を持たせたら、私には祖父のやっている真似事もできないと思っていました(一番筋力があった頃でも)。

 バーベルにはバーベルを扱う技術があるし、米俵には米俵を扱う為の技術があります。最近の紙製の袋なんか、表面が滑って滑って(スーパーなんかではナイロン袋に入れられて売られているお米も、収穫するところでは様々なものに入れられているんですよ)、持ちにくいったらありゃしない。あれもきっと特殊な技術をマスターしたら、今よりは楽に持てるんでしょうね。

 この「扱う技術」は、多くの道具を用いれば用いるほど、複雑になったりするので、体力任せに若い人が壮年か、それよりももう少し年を食った人と競争して、あえなく敗れ去ったりすることはよくあるものなんですね。でもどんな人でも年齢には勝てませんから、体力と技術の和だか積だかが最高になる時期が必ずあり、その後は緩やかに衰えていきます。

 もちろん、ものを扱う技術も、素のままの身体を動かす技術レベルと密接な関係があります。たとえば文字一つ書く場合でも、全身が極めて精妙な動きができる人と、鉛筆や筆を「ぐー」を握るようにしかもてないレベルの身体運用しかできない人が使ったのでは、全然レベルが違った文字になることは誰にでもわかりますよね。

 昔の武術家などが山篭りをした、なんて話を耳にしたり、本で読んだりすることはありますが、山は様々な地形があって、ただ歩いたり走ったり、登ったり下ったりするだけでも身体の中に様々な能力を育ててくれます(だから私も、ちょくちょく山で練習します。本当は毎日でもしたいのですが、そうすると社会生活ができなくなりますから、どうしても回数が少なくなってしまうのです)。

 普段着(あるいはトレーニングウェア)で、山で歩き回ることは、自分の身体の素のままの状態での、身体運用技術を向上させてくれます。ところがここで一本の杖を持って登ったとすると、発達する技術は、「杖を使って山中で動く身体運用技術」ということになります。素のままで山を歩けば、杖を使う技術はその中に含まれておりませんが、杖をついて登れば、杖の使い方という技術も向上します。ただし素のままと比べれば、杖が担当してくれた部分は身体が行いませんから、開発することはできません。

 これはシューズなどについても同様です。裸足で上がれば、一番素のままですから(裸であれば身体も完全に素のままですが、公共の良俗という面で問題ありです)一番いいのでしょうが、逆に怪我をしてしまう危険性もありますね。現代人は野生の獣に比べれば、非常に脆弱ですから。野生の獣(獣でなくても、例えばカタツムリやナメクジ、はたまたカエルといったような、粘膜がそのまま皮膚になっているような生き物でも、ススキの葉で擦れたからといって、皮膚が切れているのを私は見たことがありません)は自由に動きまわりますが、人には歩き回れない環境も少なくありません。

 でもどんな道具にも頼らなければ、素のままの身体ですべての問題を解決しなければなりませんから、様々な能力が身体に獲得できます。その上でいろんな道具を使うようにすれば、素の状態で開発された能力が、今度は道具を使うほうに組み替えられていきます。

 私の知り合いでプロ競輪選手のIさんは、昔私に「どんなトレーニングをしたらいい?」と尋ねられたので、「山を歩いたりしたらどうでしょう」とお奨めしておきました。それから2年くらいしてばったり東京でであった時、「あれ、いいわ。山を歩くの」と言っておられました。そしてそれに付け加えて「どこがいいのかわからないけど、とにかくいい」ということでした。

 実は身体の素の状態での能力を向上させて行った時、だいたいはこういった感想を持たれることが多いのです。なぜかと言うと、人は一つのことをするのでも、様々な能力を複雑に融合させて行うからです。筋力トレーニングなどのように、この部分を鍛えたから記録が上がったというような実感を持ちにくいのです。

 でも素の状態で開発した能力は、道具を使う時にも使われます。競輪選手が自転車をこぐ時に、どのように使われたかはわからないけど、とにかくそれまでできなかったことができたりするように。

 現役選手で大切なのは、「できる」ことです。どんなに理論的に高度であっても、目的としたことが「できなければ」、無意味です。いろんなことが理論的に考えられたり、説明できなければならないのは、指導者になってからでも遅くはありません。

 だから素のままの身体での能力があがることは、一番基礎的な部分で身体運用が向上していることになっているのです。

 一方、道具を使うことでも、能力は向上します。道具を使えば無意識のうちに、いかに効果的にその道具を使うかという方向で身体運用が向上していくものです。道具は我々の身体の持っている機能の一部を限定し、強化したものです。例えば金槌は人の手の機能のうち、握りこぶし(あるいは平手)でものを叩くといった機能に限定し、その能力を強化したものです。普通の人は握りこぶしでは釘を打つことは困難ですが(手が血だらけになりそう)、金槌を使えばうまく釘を打ち込むことができます。でも金槌は、手が持っているそのほかの機能はありませんから、また別の仕事をする時には別の道具を使わなければなりません。我々の身体は決して強靭ではありませんが、機能の種類は実に豊富です。もちろんそれも、機能を十分開発していればですが。

 でも金槌を使うにも技術は必要です。私の父は非常に不器用な人でしたが、金槌を持って釘を打っていると決まって自分の手を叩いておりました。これは金槌を使う技術が未熟だったために起こった現象です。でも大工さんだったら、こんなことはまずないでしょう。なぜなら、彼らは自分が用いる道具の機能を最大限引っ張り出す身体運用に習熟しているからです。

 だから道具を用いることでも、その道具を使う技術は向上します。そしてそのための素の状態での能力も向上させることがあります。だからいつも使っているのとよく似た道具を使うことにはすぐに上達していくのです。

 このように考えていくと、身体の素の状態での機能を開発するには、道具に頼らないほうが適しており、道具を使う技術やそのための身体機能を向上させるためには、道具(それも実際に使うのと同じもの)を用いた練習をするのが適していることがわかります。

 けれども現代人の我々にとっては、山篭りなどなかなかできるものではありません。それこそ「Photo社会復帰」できなくなってしまうかも知れません。そこで私は今回の『あなたにもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命の中で、人の動きを構成する動きの中でも重要だと思える点を ○ 姿勢  ○ 安定  ○ 身体のテコ  ○ 転体  ○ 体重移動 の5つを取り上げて、基本的な考え方、それらを習得するための具体的トレーニング法のうち(たくさんある中から)いくつかを選んで取り上げておきました。今回の本は、実際に「できるようになる」ためのものですから(まだまだ先はありますよ。動きを精緻にしていこうとすれば、最初の段階ができれば次の段階、そのまた次というように、日夜進化していきます。ここに練習をサボれない理由があるのです)、付属DVDにも載せてあります。

 全体的に原理・原則は本の方へ、動きがあったほうがわかりやすいものはDVDにという具合になっていると思いますので、両者を併用してくだされば、きわめて基本的な物理や力学の知識(中学生レベル?)で十分理解できると思います。

 私はいままでいろんな人のいろんな動き(その中には、世間で「名人」「達人」と言われる人も含んでいます)を見てきましたが、科学で説明できないような動きには(残念ながら?)出会ったことがありません。もちろん私が知っている範囲の科学的知識ですから、そんなご大層なものではありません。その程度の知識で十分? なんて言われそうですが、あまり難しく考えてよけい困難にしてしまっている部分が大きいように思います。

 昨日の本ブログでも述べましたが、現代科学が万能だとは思っていないし、きっとどんなに発達しても、疑問がなくなることはないでしょう。ですが科学は必ず進歩していくものです。「あれは特殊」「これは特別」なんて考え方は思考停止以外の何物でもありません。今までも科学は出来そうにもない困難なことに勇敢に立ち向かって、それを克服してきました。

 まして頭がでんぐり返ってしまいそうな難しい理論でなければ説明できないような難しい動きだったら、我々の身体では不可能だと思います。さらにそのことについては昔から多くの「達人」「名人」といった人たちが大きなヒントを残してくれています。最後は単純だということを、いろんな言葉で言い残している人が少なからずおられますからね。

 それは科学でもよく言われる、「最も当たり前のことが、最も起こりやすい」と同じくらい単純化されたことばです。これも真剣に物事と向き合って前進する人には、遠からず見えてくるものかも知れません。一番大切なのは、前進する方向とナビゲーターでしょうか。

2008年11月17日 (月)

科学的思考のススメ・24 ~科学には偶然を必然にすることも含まれる~

 私は科学を信じている。もちろん、科学が万能だとは思っていない。ただ本ブログで何度か述べてきたように、科学には確実に進歩、発展するという性質がある。私は進歩、発展を望む人間なので、科学という手法を使う。これまた必然である。

『中国の鋼鉄刀剣』を翻訳していて思うことがある。最初にこの自然界で鉄という金属を取り出したのは「隕鉄(鉄などの金属をたくさん含んだ隕石)」だということだ。鉄をたくさん含んだ隕石が地球の大気圏に突入して摩擦熱で高熱に達したとき、不純物が取り除かれ、鉄という金属が取り出された。

『中国の鋼鉄刀剣』によれば、最初の鉄器は、隕鉄から得られた鉄をはめ込んだ斧であったという(この時、刃の部分に鉄をはめ込んだので、それ以降長い間、中国の刃物では、刃の部分をはめ込むという手法がとられたのではないかと私は考えている)。

 鉄器を大々的に使った民族はヒッタイトだとされているようだが、その発見だって偶然みたいなものだったろう。きっと誰かが鉄を含んだ鉱石(地表に露出した。だからきっと酸化していたことだろう)の上で焚き火かなんかやったのではないだろうか。その結果、酸化した鉄鉱石中の鉄が還元されて、鉄が得られたのではないか。

 凄いのはこういった「偶然」によって得られたものを、次第にある方法を用いれば確実に得られる形に高めていった人たちの存在である。こういった方法は、最初の偶然を「必然」に変えているのである。きっと古代のヒッタイトの人たちの中にもいたことだろう。

 リンゴが落ちるのを見て『万有引力』の法則を導き出したのは、I.ニュートンだが、彼もリンゴが落ちるという一つの現象から、普遍的なものを求めただけである。それを私は「科学」だと捉えている。これだってリンゴが落ちたのを見たという「偶然」から、どうしてそうなるのかを考えた結果、「必然」にたどり着くという考え方ではないか。

 インドに錆びない鉄があり、それを研究することで、ウーツ鋼というさびない鉄が作られた。これも本ブログの『中国の鋼鉄刀剣』で取り上げたことだが、鉄は錆びるものなのにどうして錆びないのか。錆びない鉄はどのようにすればできるのかが研究された結果、現在のステンレスのようなものにつながっていった(『中国の鋼鉄刀剣』では、インドの錆びない鉄はその地方独特の混ざり物が入った鉄鉱石を原料に使った結果であろう、と述べている。私もその意見に賛成である。なんでもかんでも「超古代文明」のせいにするのはよくない)。

 これもまた偶然である。だが人々はその偶然を必然にするために、日夜研究を進めて現在に見えるようなものを作り上げてきた。実はこれとおなじことはスポーツなんかの指導にも当てはまる。

 まぐれでいい選手に出会って、それで大きな大会で活躍することはできる。だがまぐれをまぐれのままにしておいて、何故その選手が凄かったかを客観的に把握する努力をしなかった人間には、二度目のまぐれが起こるまで、大きな大会での活躍は期待できない。だがそのまぐれを必然に変えようと、優秀だった選手の特性や効果があがった指導法を分析・研究した指導者は、次第にいつでも、どんなときでも活躍できる選手を育成することができる。これもまた「偶然」を「必然」に変える作業がなされた結果である。つまり「科学」ではないだろうか。Photo

 近日発売の私の新刊、『あなたにもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命』 はまさにそういう点を衝いている。何故あなたにもできるのか? それは優れた動きになるための要素を分析・研究した結果、得られた結果を公表しているからである。

 鉄鉱石をコークスなどを使って高熱で還元すれば、必ず鉄が得られるように、どんな人でもこんな動きができれば、今まで「うそ~っ!」としか思えなかった動きができるようになる。私はそれを、まるで生まれつきのように凄い動きができる人や、熱心な練習の結果、凄い動きができるようになった人を分析・研究することで、現在普通に学ばれている科学的法則や原理を用いて証明した。だからあまりにも明快になっている。

 いままでもそうだったが、私はものごとをあまりにも明快にしてしまうので、かえって安易に思われることがある。反面、科学的な基礎知識すらなかったり、変な先入観をもってしか物事を見ようとしない人には「難しい」と言われることがあった。しかしそれは違う。私が難しいのではなく、その人がわざわざ難しくしてみていただけだと思う。

 我々の前には数々の自然界の現象を分析・研究して、様々な決まりや法則を見出した先人がたくさんおられる。そして今この瞬間も、世界中のいろんな場所で、そういった研究に勤しんでおられる方がいる。それこそ「偶然」を「必然」にするための作業であって、これもまた「科学」の一つの姿であると思う。

 今日は大変忙しく、これを打ち始めるのが遅くなってしまったため、新刊の内容に触れることができませんでしたが、基本的に私はこういう姿勢で物事を研究し、そして結果を公表しようと考えています。またよろしくねっ!

2008年11月16日 (日)

私の新刊本が、近日中に出ます!

 毎日、本ブPhotoログでのお付き合い、ありがとうございます。さてこの度、久々にスキージャーナル社から、拙著『あなたにもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命』という本が出版されることになりました(12月10日発行予定ですが、たいていそれよりも1週間か10日は早く書店に並ぶと思います)。

 これは私の人生をかけての研究事項なので、本ブログで取り上げているどの内容よりも中身が濃く(当たり前だ)、さらに私は科学という方法論を重視していますので、理論的にも実践面でも現実に行い得る動きを解説しております。

 前作『動き革命』では、動きの概念的な部分に重点をおきましたので、トレーニングの進め方、エクササイズ、ドリルといった点には敢えて触れませんでしたが、今回は豊富なトレーニングエクササイズ例の紹介や、その理論的背景なども取り上げております。

 さらに映像がなければわかりにくいといった点については、60分間のDVD付きということで、より細かな点まで理解できるようにしております。スポーツや武道で、より速く、威力があり、巧みな動きをしてみたい方はもちろん、そういったものに興味がおありの方、日常生活の中で巧みな動き方をしてみたい方には必ずや、値段の10倍以上(!)は値打ちがあることを述べてあると思いますので、ぜひ御購入の上、お読みください。

 なお本書では冒頭の部分で、私と今年の北京オリンピック代表で、現在全日本女子卓球選手権を連覇している平野早矢香選手(ミキハウス)、監督の大嶋雅盛先生の3者対談から始まります。私の身体運用理論がどのようなものかは、この対談の中に垣間見ることができると思いますので、ぜひともお手にとっていただきたいと思います(平野さん、大嶋先生、ありがとうございます! 平野選手のファンの方もよろしくね!)。

 また付属DVDでは、110mH日本記録保持者で、アテネオリンピック代表の谷川聡選手の動きについても触れております。これも身体運用を考える上で、大きなヒントを与えてくれると思います(谷川先生、ありがとうございます!)。

 すぐれた動きはスポーツであろうと武術であろうと、茶道や書道といったものであろうと、日常生活の何気ない動作であろうと、優れた要素を持っているものです。そういったものについて基本的な考え方や、練習の仕方も含めて取り上げているのが本書の特徴です。

 今まで超人的な動きができる人について、「あの人は生まれつき凄かったのだろう」とか「あの人は特別」といった言葉で形容しておしまいなことも、ままあったのではないかと思いますが、本書を読めば、どんな人間も特殊ではなく(動作目的と体質的な適・不適という問題はあるでしょうが)、その生育暦の中で、合理的な動き方や身体の使い方を身につけてきたからできたということがおわかりになると思います。

 生まれた時から「天才」はいません。幼児の頃から、目を剥くような活躍をする人間はいないでしょう(いたところで、ただの早熟で終わってしまう場合が少なくありません)育っている間に次第に天才になっていくのです。この現実が、人にとって努力の大切さを示してくれています。問題は生育暦の中で何をし、何を身につけていったかということです。

 本書は、某競技で有名な指導者の、「打ったボールのスピードを上げようとすれば、大きい力を加えるしかないよな」(本書『はじめに』に収録)という言葉に触発されて書き始められました。そして「筋力」の意味と、どこまで必要か、そして実際に仕事を行っているのは? という観点で話が始まります。

 実際に仕事を行っているものの正体がわかれば、昔から言われているような「力に頼ってはならない」という言葉の意味がわかってきます。力は「使ってはならない」のではなく、「頼ってはならない」ものなのです。だいたい筋力を発揮しなければ、我々は身体を支えていることもできないという「現実」が、「力を使ってはならない」という言葉の欺瞞性を暴いています。(本書では、今まで「力を使ってはならない」と主張されている方のほとんどが取り上げられなかった、重量挙げについて考察することによって、「筋力」の必要性とその範囲を解説、証明しています)

 本書ではこのあたりの問題も矛盾なく理論的に述べ、練習の中でどのように取り組めば、理想的な動きに近づいていくことができるかということにも触れております。いわゆる観念的なことだけではなく、「動く上での現実」を踏まえた上での内容満載ですので、ぜひとも御一読ください。今までの「常識」とされてきたことの「目から鱗」になると思いますよ。

 興味関心がおありの方はもちろん、今まで「身体運用なんて、ちょっとなあ……」と思われていた方にも、耳寄りな話が満載のはずですので(「嘘みたいに楽にできる介護」なんかも取り上げています)、最寄の書店に御予約くださるか、インターネット販売をご利用ください。

 書名:『あなたもできる! 超人の動き 動きのエネルギー革命  著者:小森 君美  スキージャーナル株式会社刊  定価1,800円(+税)

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 本の収録内容については、次回ざっと紹介させていただく予定です。また質問等に関しては、本ブログ上で答えさせていただくこともあると思います。

2008年11月15日 (土)

『中国の鋼鉄刀剣』・30 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(10)・軍用刀2~

 秋ですな。こういう日にはなぜか石焼芋が食べたくなるのですが、残念なことにいつもの石焼芋のおじさPhoto_11んがやってきません(せっかく土曜日のこの時間帯には、できるだけここにいるようにしている、と言っておいたのに……愚痴愚痴愚痴……)。ということで、今日は2発入れるよ!

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『中国の鋼鉄刀剣』・30 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(10)・軍用刀2~

☆ 双手柄佩刀……宋朝熙宁5年(紀元1072年)、朝廷は全長1m以上の双手柄環首直身の斬馬刀の製造を開始した。だが明朝中期までは、中国の軍隊では、それほど多数の双手柄刀が配備されたわけではない。それは重甲兵および騎兵と対抗するにた、長杆鉄刀とか、za(石へんに匝)撃兵器(打撃を加える武器)の方が、より威力を発揮したからである。

 明の中晩期になると、倭刀の利に対抗するために、双手柄刀が現れ、次第に広く使われ始めた。この動きは17世紀になるとますます早まり、軍隊の制式武器として定められるようになった。Photo

 そのような流れで双手柄佩刀は生まれ、広まってきたのであるが、清代の双手柄刀は二つに大別することができる。一つは佩刀であり、刀身は幅が狭く長い、雁翎刀あるいは柳葉刀で、もう一つは砍刀で、背は分厚く刃は薄く、刀身の刀頭部の幅が広くなったものである。

 双手柄佩刀には5種類あった。緑営斬馬刀、緑営長刃大刀、緑営双手帯刀、緑営背刀、緑営wo刀であり、だいたい緑営漢軍が使用した。

 その中で全長が最長のものは長刃大刀で、全長が163㎝、最も短いものは背刀で104㎝足らずである。刃長が最長のものは斬馬刀で、109㎝近く、最短のものは背刀で、約74㎝である。柄が最も長いのは長刃大刀で58㎝に達し、最短のものは背刀で26㎝程度である。

 これらの刀はおおよそ雁翎刀か柳葉刀で、形の上では単手佩刀に似ているが、長さが増したため、両手で持たなくてはならなくなり、そのために斬りつける力は強くなっている。これは長身で幅広い刀頭を持った刀や、杆状砍刀に比べれば、たたきつけたりたたききったりする能力は劣っていたが、実戦の場では活発に動かすことができ、敵陣を攻略するときの歩兵戦や防御、あるいは軽騎兵にとっては理想的な武器だといえた。

 これら5種の長刀は、外装は兵丁佩刀とよく似ており、二つの吊り具で吊って携帯するようにできていた。

      *Photo_2      *      *      *

 清軍で双手刀が出現した早期のものは、順治帝の時の『多duo入南京図』に見えるものである。順治元年(紀元1644年)、多duoは入関し、chuang(門構に馬)王、李自成を破り、勢いに乗じて南下して南京に入って揚州を破った。この図は多duoの兵が南京に入城する姿を描いたものだが、それに清兵が双手長刀を持っているものが描かれている。人物やその他のものから推定するに、刀の全長は130㎝前後ではないかと考えられる。

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○ 清中早期緑営背刀……全長100㎝、幅4㎝、規格は緑営背刀に似ている。雁翎刀で切っ先は鋭く、根元はやや広くなっており、突き刺すにも斬りつけるにもPhoto_3適した形になっている。

 三面挟鋼鍛造であり、鍛紋は細かく密である。刀身には2本の血槽があり、前後に一つずつ、円い点がある。装具はすべて鉄製で、方式の把箍と刀首をしており、楕円形の縁を折り曲げた鍔を持っている。木製の柄は黒糸で巻かれていた。

○ 清中期雁翎刀形双手柄緑営wo刀……全長118㎝、刃長83.5㎝、柄長34.5㎝であり、刃長は緑営wo刀と同じである。雁翎刀で刀身は長く幅広で、広いものと狭いものの2本の血槽が各1本ずつある。装具はすべて鉄製で、円式把箍と刀首を持ち、楕円形の平たい鍔を持ってPhoto_4いる。(写真上)

○ 清中、早期柳葉刀形双手柄刀……全長102㎝で緑営背刀よりも僅か1cmだけ短い。柳葉刀で、真ん中あたりでわずかに湾曲している。装具はすべて鉄製で、円式把箍と刀首を持っており、四弁形の鍔をしている。 (写真下)

☆双刀……双刀Photo_5は17世 紀から流行し始めた、清代に作られた新型の刀種である。形状は基本的に単手柄刀と同じだが、鍔はそれぞれの刀に半分ずつしかついていなかったり、片方の刀にはなかったりする。両方の刀を合わせると、外見上1振の刀とよく似た形になる。

 刀鞘口にPhoto_6は一つ、銅か鉄製の金具が取り付けられていて、鞘の中に納まっていてもくっついてしまわないようになっているので、抜刀した時に左右の手が、それぞれの刀を握ることができるようになっている。単刀に比べれば、扱うのは難しPhoto_7いが、威力は倍増するといった利点があった。

 清代の双刀の種類は多かったが、今に残 る資料を見る限りでは、明確に制式とされたものはただ一種だけで、緑営gun被双刀だけであったが、清軍の将領や兵士の中には、双刀を善く使うものは少なくなかったので、軍隊で使われていた双刀がこれ一種類だけとは考えられない。

「gun被(guPhoto_8nbei)」と「gun背(gunbei)」は同じであったという人もいて、この刀はgun背双刀だと書いている人もいるようだが、これは誤りではないかと思われる。gun背は刀背の装飾を示すもので、竹節や竜脊、あるいは槽が彫られていて、金や銀が使われているものもある。けれども「緑営gun被」は一種の部隊を表現したもので、幟旗に似たもので緑営軍隊の標識を示すものであった。従って緑営gun被双刀は、戦陣の中でgun背の衛士を意味するものであり、旗を守る兵が持っていたと考えられる。

 この刀は比較的短く、刃長約51㎝、刃の幅は3㎝を超え、柄は16㎝程度であり、全長は68㎝に達していない。兵丁佩刀は長さが70㎝を超えているにもかかわらずである。刃長が短いのは、両手に持って戦う時に便利な長さだったのであろう。

☆ 短柄寛刃砍刀……佩刀以外で、清軍の歩兵が用いた主な戦刀に、短柄寛刃砍刀がある。刀身はPhoto_9幅広く重く、刀頭は大きくなっており、背は分厚く刃は薄く、当時の接近戦では最強の武器であった。

『皇朝礼器図式』に書かれている短 柄 寛刃砍刀には、緑営扑刀、緑営寛刃pian刀、緑営船尾刀の3種があり、扑刀は単手刀で、あとの二つは双手刀である。その中の船尾刀は杆状兵器に属するが、刀杆が刀刃よりも短いので、長杆兵器には含まれない。Photo_10

 短柄寛刃砍刀は実物がはなはだたくさん残されており、種類も多く、形制、寸法などもそれぞれ異なる。乾隆期には『図式』に載せられていた3種にとどまらず、それ以外にも外形と機能の異なるものが現れていた。単手寛刃砍刀は清中晩期の後には、次第に牛尾刀に変化していったし、双手寛刃砍刀は清末民初には大刀として、形も名称も定まっていった。

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 いやあ双刀には驚きを通り越して、呆れちゃいましたな。二刀流は宮本武蔵が有名だけど、当然こういった発想はどこにでも発生する可能性がありますな。まあ映画『HERO』で如月が使っていた双刀は、形からして紀元前のものではないと思いましたけどね(あれ、秦の始皇帝暗殺に関しての物語でしょう? すると時代は紀元前3世紀。当時には鉄製の刀はとても珍しく……剣が主流……、ましてや中央アジアか、あるいは後世の南~東南アジアの影響をもろ受けたような双刀はちょっと、ね…)。

 フィリピンあたりにはカリとかシラットという、2本の短い棒を用いた、大変に変幻自在な武術があるけれど、これでだいたいどのあたりからの影響を受けて成立したものかが想像できますな。長さもほとんど双刀と似ているし。こう考えていくと、中国の様々なものへの影響は、やはり驚嘆すべきところもありますな。

 それと私は(少なくとも私個人は)、何も知らない頃、中国の刀を言えば青竜刀をイメージしていたものだけど、実はそれはこのあたりで成立する短柄砍刀の一つの形態でしかないわけですな。やはり勉強不足は恐ろしい。まあ明代初頭に成立した、『三国演義』の関羽雲長の青竜偃月刀「冷艶鋸」は、所詮、作り話だから問題にしないとしても。

 日々これ勉強でございます!(私は、ですよ、あくまで)

ともに、生きる!

 昨夜、このブログを見ながらTBSの『キンスマ』などを見ていた。ディレクターさんの一人が農業をやってみたとかで、飼っていたヤギが死んだというのである。ゼットンという強そうな名前にもかかわらず、フィラリアに罹って手遅れになって死んだということだったが、我が家でもこのフィラリアという病気を何十年か前に知った。

 当時飼っていたコリー犬が、やはり蚊に刺されて感染したのである。幸いなことに我が家では父がそれに比較的早く気がついて、獣医さんに来てもらって治療してもらった結果、生命は取り留めた。極度の貧血みたいになって、本来ピンク色の部分(唇とか舌とか)が白くなっちゃうんだ。そしてふらふらし始める。本当は我が家の犬も危なかったのだろう。

 結局この犬は私が大学へ行っている時に死んだ。私が小学生時代から我が家にいたので、十数年は生きたのだが、当時マルチーズも一緒に飼っていたのだが、電話でコリー犬が死んだことを知らされた私が、「小さいほう(マルチーズ)がひどくがっかりしていると思うから、そちらの方も気をつけてやって」と言ったけれど、1週間後だったか2週間後だったかに後を追うように死んでしまった。

 普段は特に仲良しには見えなかったが(それどころか、嫉妬の塊のようにさえ見えた)、傍にいて、いつも息遣いまでが聞こえるものが消えると、心の真ん中に穴があくどころか、実際に自分の身体にまで穴があいたように感じるものだが、それは人間でなくても同じである。

 不幸にして私はこの両方とも、死に目に会えなかった。ちょうど高校生時代、陸上競技なんかやっていたもんだから、たまの休みの日に私が運動につれて行こうとすると、随分喜んでいたものだ。でも運動不足は彼らの方で、最初は嬉しそうに私の少し前を走っているのだが、そのうち私の斜め後方に下がってしまう。時々私の方を見上げて「いつまで走り続けるんかな、この兄貴」なんて顔をしてついてきていた。

 私の家では昔から他の生き物と生きるのが好きで(これは母が父と結婚するはるか前からそうだという)、いろんなものを飼っていた。だが私の家では不思議なことに、ペットとして彼らを扱うことが少なかったように思う(そういう人も結構たくさんいらっしゃるんじゃないかな)。言ってしまえば、同居人ならぬ同居犬とか、同居猫とか、同居鼠とか、同居魚とか、同居鳥だとか……

 ここまで飼っているという言葉を使ってきたが、実は「飼っている」という気持ちもあまりない。しいて言えば、一緒に生きている感じかな。結構、対等意識があるんだよね。もちろんこれは存在としての対等だけどね。

 だから死んだりすると大変だ。心の中にぽっかり穴が開いてしまって、暫くは立ち直れない。でも寿命の関係や、なんやかやがあるから、どうしても見送らなければならないことは避けられない。

 そういえば私は子供の頃から、自然界では生きていけなくなったような動物を拾ってくる(悪い?)癖があった。たとえば空を飛んでいる雀や燕でも、自動車にぶつかることはある。これは助からないことが殆どだが、子供の頃そんなことは知らない私は、いつも連れて帰って、世話をしようとして餌なんかを都合つけてきてやろうとする。

 でも相手は子供の私に捕まるくらい弱っているんだから、すぐに死んでしまう。たいてい次の日には我が家の庭の一角に、「○○のお墓」が増えてしまうだけだった(拾って帰った鳥の中で、自然界に復帰した例は、今までのところ私の記憶では2例だけだと思う)。

 拾って帰った生き物は、それまでを「ともに生きた」記憶がないから、そのうち忘れてしまうことができるからいいけれど、長年飼っていたり、特に記憶に残るようなものが亡くなったときは、本当に堪える。今思い出しても、その当時の感情が甦ってきて、また泣いてしまうものもある。

 昨夜、帰宅すると、やっぱり母も『キンスマ』を見ていた。そしてきっちり初代チャーのことを思い出していた。彼はわずか生後8ヶ月という短い生命であったが、流行り病にかかって、こちらは先手を打ったつもりだったのに、間に合わなくて獣医さんのところに入院しているとき亡くなった。母と私は大急ぎで駆けつけたが、ほんの少しのところで間に合わなかった。

 綺麗な猫だった。そして猫にあるまじき賢い子で、聞き分けが良かった(その分、今いる二代目チャーは、私に「お前は顔は可愛いが、おつむはかわいそうだな」と言われている。母はいつも「そんなことないね、チャーちゃん」とフォローしているようだが。二代目チャーちゃんが我が家の家族として認定されたのは、初代と顔つきがよく似ていたというのも、大きな理由の一つである)。

 ちょうど彼が子猫の頃、私は徳間文庫の『ナンバの効用』を書いている真っ最中であった。夜遅くまで書く。時には午前4時頃まで書いていた日もあった。そしてある晩、私が一所懸命書いていると、外で「ボシャっ」という音がする。我が家には屋外にも水槽がいくつも置いてあるので、きっと何かがはまったんだろうな。でもたいてい魚がいるので、はまったものが中で溺れ死んだりしたら水が悪くなるなんて考えて、玄関から出てみて驚いた。

 そこには初代チャーが濡れ鼠(猫なのに!)になって、実に情けない顔をして立っていた。さすがにこの時は私は吹き出してしまった。猫は失敗すると、自分のミスを誤魔化そうとする誇り高い生き物だが、その時のチャーの顔といったら、「誇り」も何も感じられない情けない顔をしていたんだ。

 もしもあのまま元気に大きくなっていたら、どんな猫になっていただろうか。毛が明るい茶色(だからチャーという名前になった。二代目のは初代チャーに顔が似ているから、チャーという名前になった)だったから。燃えるような赤い猫になっただろうか(猫は成長にともなって、かなり色が変るけど)。頭がよかったから、賢い猫になっただろうか(それとも悪賢くなっただろうか)。

 どんな生き物と一緒に生きても、ちょうど一緒にいるのが当たり前になったり、飼うのになれたあたりで、何か事件が起こる。昨夜の「キンスマ」なんかでも、山羊のゼットンがいるのが当たり前になってしまって、ちょっと心に油断が出た頃だよね(車の運転なんかでもそうですな)。そういう時って、顔を良く見ていなかったり、注意力が鈍って(いい加減になって)いるときなんだ。

 往々にしてそんなときに、不測の事態が起こる(私が熱帯魚を飼い始めた頃も、水換えしていて、ヒーターが水から上がっているのに気がつかなくて、上から滴った水滴で、ヒーター管を割ったことがあるもの。今じゃ考えられないようなミスでも、本人が「慣れた」と油断している時には、やっちゃうことがあるんだよね。これと似たミスに、水を捨てていたら、水を出しているのを忘れて、水槽の中の水を空っぽにしたとか、水槽から水が溢れ出したとかというのがありますな。魚飼いの多くが、最低1度は経験するミスですが…プロですら!…)。

 そんなこんなを越えて、長い間経験を積み重ねていくと、無意識のうちに相手(同居する生き物)の好むことができるようになっていくんだけどね。でもそれまで何度も、いろんな失敗を経験するものだよ。思い出すだけで胸をかきむしりたくなるような思い出を、たくさん積み上げていきながらね。

 私は今までいろんな生き物と一緒に生きてきた。そしてこれからも同じように、一緒に生きていくことだろう。彼らが元気に生きていた頃や、死んだときのことを思い出して、そのたびに泣いたとしてもね。たとえ人語を理解しなくても、彼らとともに生きている時間が、私には貴い。

 

2008年11月14日 (金)

『中国の鋼鉄刀剣』・29 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(9)・軍用刀~

 明日から少し天気が下り坂みたいで、寒さは案外弱かったけれど(昼は暑いくらいだった)、今はもう夜なので十分寒い岡山でございます。風邪は万病のもとと言いますが、たかが風邪と、隙を見せないのが健康な暮らしの基本ではないかと思います。

 私の経験では、「まあ少し寒いけど、我慢できるから」という暮らしを少し続けるだけで、十分風邪をひいてしまいます。冬はちょっと暖かいくらいで暮らすのが、風邪をひかないコツだと思いますな。人は何度くらいで一番快調に生きていけるか、多少個人差があると思うけど、のんびりするときには特に快適に生きるべきだと思います。

 暑かっPhotoたり、寒かったりはどうしても生きていくうえで経験しなければならない時もあるけど、身体を休めるときには、自分の最も快適が最も疲労回復しているのではないでしょうか。身体は鍛錬すれば強くはなるけれど、それも状況しだいです。若い頃なら無理もききますが、次第に無理ができなくなりますから、快適は自分にとって、生きるうえでの基準だと私は考えておりますね。 

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『中国の鋼鉄刀剣』・29 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(9)・軍用刀~

 ここで取り上げられている軍用刀は、①単手柄佩刀 ②健鋭営雲梯刀 ③藤牌営pian(扁の右にリ)刀 ④双手柄佩刀  ⑤双刀 ⑥短柄寛刃砍刀  ⑦牛尾刀 ⑧大刀 ⑨順刀 の9種類であるが、一度に全部紹介するわけにもいかないので、まあ、ほこほこやっていきましょう。それにしても、状況によって要求される機能が異なるので、どれもちゃんとした目的を持って作られていたんだねえ。

 オールマイティではないものの、ある限られた状況では大変に機能的だったのかもしれない。これは刀剣を「道具」として捉えたときには、大変重要な観点かもしれない。さてさてそういうことで今回は『軍用刀』の第一回目である。

☆軍用刀 

 入関(山海関を破って騎馬民族が中原に侵入すること)から、光緒21年(紀元1895年)まで、清朝は新しい軍を創設し続けた。清朝の軍制の主なものは、八旗、緑営、防軍陸軍、郷兵、水師などでさる。その中でも駐京八旗は北京防衛の任にあたった。しかし緑営は地方に起こった叛乱などを鎮圧する以外に、匪賊盗賊の類を捕縛に赴いたり、治安警察の任にあたったり、時には地方役人の代役をすることすらあった。

 清軍の戦い方は、冷兵器(刀剣、槍、矛、弓矢など、火や火薬を用いない武器)と火器とを併用するものであり、制式軍刀はその中でも接近戦における主要兵器で、軍隊と地方の役所に配備された、きわめて一般的な武器であった。

『皇朝礼器図式』には4つの階級に分けて28の款刀が載せられているが、その中の6款は皇室および職官の佩刀であり、その他が軍用刀で、単手柄佩刀3種、双手柄佩刀5種、双刀1種、単手柄砍刀1種、双手柄砍刀1種、双手短杆砍刀2種、双手長杆刀7種、短刀2種となっている。

 その中Photo_15で長杆刀は多くが儀仗および演武に用いられたが、歩兵戦や船戦に用いられたこともあったようである。『図式』には清中期以前の軍用刀が載せられており、清晩期より後は牛尾刀と大刀が現れ、次第に清軍の制式武器になっていくのである。

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『登州府志』によれば、道光19年(紀元1839年)登州鎮陸営の編成は、中営設遊撃1人、守備1人、千総1人、把総4人、外委5人、額外外委3人、馬兵117人、守兵394人。装具兵器は弓844張、刀724振、藤牌27枚、鳥槍(ライフル)244丁、火炮43門。右営設都同1人、守備1人、千総1人、把総4人、外委5人、額外外委3人、馬兵115人、守兵368人。装備兵器、弓749張、藤牌27枚、刀478振、火槍(火縄銃)235丁、火炮32門。

 これがアヘン戦争一年前の清朝緑営兵器配備数の一例である。登州鎮の陸軍は両営あわせて歩騎兵1023人。各種火器554に対して刀は1202振である。刀の数は兵の数を上回り、火器の2倍に達した。

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★単手柄佩刀……兵丁佩刀、健鋭営雲梯刀、藤牌営pian刀がこれに含まれる。Photo_2

◎兵丁佩刀……清軍の各部隊に一般的に配備された。寸法は職官佩刀と同様で、刃長2尺2寸、柄長4寸2分、方式黄銅製の装具がついており、飾り金はついていなかった。

○ 清中Photo_3期早期兵丁佩刀……この刀は刃長69㎝、幅3.3㎝、柄長14.5㎝で、規格、形制、配飾、材質などは『図式』記載の兵丁佩刀と一致している。

 雁翎刀Photo_4で、中央からゆるやかな反りが入っている。嵌め込み刀体で、鍛えた痕は非常に細かい。血槽は3本あり、大変すっきりとしている。黄銅製の方式装具で、四弁形の、縁が折り返された鍔をしている。鞘は木製で黒漆塗装、柄も木製だが巻いたはずの紐はなくなっている。

 この刀の形制は規範通りで、つくりは精良、線条は伸びやかであり、古朴な配飾りだが重心は合理的で、清中早期のものと見られる。保存状態はよく、清の兵が最も一般的に使用した佩刀の典型だと考えられる。

○ 清Photo_5中後期蒙古正藍旗兵丁佩刀……こPhoto_6 の刀も雁翎刀だが、刀体は幅広く厚く、長い。背に近いところに細い血槽がある。刀根の部分に楷書で「正藍蒙」と力強く刻まれている。鉄製で円形の装具には鎏金があり、縁を折り返した楕円形の鍔を持っている。鞘は黒色の鮫皮で覆われており、柄は下に湾曲していて、藍色の紐で巻かれている。

○ 清Photo_7晩期牛尾形兵丁佩刀……この刀は刃が広く長大であるが、刀身の厚みは薄い。これはおそらく西洋から輸入した純鋼で作られたからではないかと考えられる。刃口は鋭利で弾性に富み、刀頭は大きく、切りつける力が強いと考えられる。

 刀身には広いのと狭い血槽が1本ずつあり、大変すっきりとしたつくりになっている。黄銅の円式装具がついており、鍔は縁を折り曲げた楕円形である。鞘は木製で黒革で覆われており、柄も木製で漆で染めた紐が巻かれていて、よく原型をとどめている。

 この刀は清晩期に現れた牛尾刀の風格を持っており、刀刃は清朝が採用した西洋産の鋼を使って製作したものである可能性がある。形制は一般的だが、現存するものは稀であり、歴史的価値と、収蔵上での値打ちは高い。

★健鋭営Photo_8雲梯刀……健鋭営すなわち雲梯兵は乾隆14年(1749年)に組織され、またの名を飛虎雲梯健鋭営という。雲梯刀は同年、乾隆皇帝の欽定になり、刃長2尺3寸、柄長3寸2分とされた。全長は兵丁佩刀と同じで2尺6寸4分であるが、刃が1寸長くなったぶんだけ柄が1寸短くなっている。

 これは健鋭営の兵士が雲梯を登って城を攻める際、多くの場合は片手で刀をふるうため、柄を短くすることでふるいやすくし、刃を長くすることで刺撃力を高めるためであったと想像できる。

『図式』の説明によれば、健鋭営雲梯刀は、寸法以外は兵丁佩刀と同じであった。ただ仔細に挿絵を見れば、刀装は円式であり、鞘頭の箍は如意雲頭状になっており、刀首は剣首の三耳形と似ている。また刀柄の形状も異なり、中間がふくらんで両端が細くなっており、剣把と類似しているが、片手でも扱いやすく斬刺に便利になっていたのであろう。

○ 清中期Photo_9健鋭営雲梯刀……全長84㎝、幅3.3㎝の雁翎刀で、根元はまっすぐだが先が曲がっている。切っ先近くはやや広くなっており、反った部分の背側には、鋸状のぎざぎざがついている。背近くには血槽が1本あり、これは非常にすっきりした形をしている。刀根には黄銅製で上向きにぎざぎざの呑口がある。

 鉄製で縁を折り曲げた鍔を持ち、その他の装具はすべて黄銅製である。鞘は木製で黒色の鮫皮で包まれている。この鞘の装具および寸法は『図式』中の健鋭営雲梯刀とよく似ており、ただ柄の長さだけが異なっていて、兵丁佩刀に近い。

★藤牌営pian刀……藤牌営はまたの名を護炮藤牌営とも言うが、pian刀は藤牌兵が戦うときに用いるPhoto_10専用武器として開発された。刃長は2尺2寸と兵丁佩刀と同じだが、幅は1寸と、兵丁佩刀に比べて25%ほど細身に出来ている。柄長も5寸8分であり、兵丁佩刀よりも1寸6分ほど長くなっている。その分だけ全長も長く、1寸6分すなわち約5㎝くらい長くなっている。Photo_11 

『図式』の説明に」よれば、pian刀は柳葉刀形をしており、刃幅は狭く湾曲しており、切っ先は鋭い。鞘は木製で赤漆で塗られており、柄は藍色の紐で巻かれている。装具はすべて鉄製で、兵丁佩刀の鉄製とは異なっている。

 藤牌営は八旗の漢軍xiao(馬へんに暁の右側)騎営に付属したもので、士卒は黄革虎帽をかぶり、黄布虎斑衣を着、黄布虎紋靴を履き、片手に藤牌、もう片方の手にpian刀を握るというスタイルであった。

 藤牌はよく乾かした古い藤で編まれており、円形で中央が突出した円錐形で、直径は80㎝を超Photo_12え、厚さは26㎝あり、虎頭が描かれていた。この楯は火器には通用しなかったが、堅く、同時に伸縮性に富み、矢、石、槍、刀などを防ぐ上では非常に効果的であった。

 満州族の清軍が入関するときも、多数の藤牌兵がおり、敵陣を落とす功績をたくさん立てていた。それ以降、清初には漢軍八旗藤牌営が作られ、大砲を守るための特殊任務を持った部隊とされていた。

 英国の画家、ウォーレン・アレキサンダーは1792年から1794年、中国に滞在した際に、清代の官兵の絵を残している。彼の絵に描かれた兵士は、虎帽をかぶり、虎衣を着、左手に藤牌、右手にpian刀を持って立っている。その刀身は比較的幅広く、『皇朝礼器図式』とは若干の違いが見られる。円形の鍔に短い柄で、鞘は『図式』の方式に則っている。

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 Photo_13八旗以外にも緑営には藤牌兵が設けられていた。乾隆の52年(1787年)、清が台湾を平定したとき、緑営藤牌兵の保護のもと、清軍の大砲が台湾軍を撃破し、最終的な勝利を握ったのである。

 翌年、乾隆帝は宮廷画家に命じて、『平定台湾戦図冊』を描かせ、台湾戦役の真実の記録を残させたが、図中、藤牌兵は藤牌でPhoto_14火炮を敵軍の矢から守っている様子が描かれている。その中で手に持ったpian刀は幅が狭く、湾曲しており、『皇朝礼器図式』の挿絵に描かれたものと完全に一致している。

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○ 清中早期柳葉刀形藤牌営pian刀

 全長89㎝Pian、刃長74㎝の柳葉刀で、切っ先は斜めに鋭い。刀身の脊線は不明瞭だが、平造ではない。装具はすべて鉄製で、鍔の縁は折り返されている。鞘や柄紐は失われている。Pian_2

 この刀は明式腰刀の風格を色濃く残しており、刀形は藤牌営pian刀とよく似ていて、刃長は基本的に一致しているが、ただ少し柄が短いように感じられる。

 以上の3種の佩刀は兵士の制式武器あるいは特殊兵器として作られたもので、清軍に広く配備されたものである。これらはすべて実戦を前提とした兵器であり、清の時代には終始戦争が多発したので、完全な形で残されているものは少ない。またその後、様々な理由で大量の鉄製兵丁佩刀が壊されたりしたので、現存しているものはきわめて少ない。

 現存するものが少なければ保存状態も悪くなり、刀身に錆が浮いてしまったり、切っ先が欠損してしまったり、装具が壊れてしまったり、まったく合わない物を無理やり寄せ集めていたりして、元の状態を保っているものすらほとんどないといった状態である。全体的に職官佩刀と比べると、保存状態は大変良くない。

 職官佩刀や皇室佩刀が保存状態もよく、中国国内や海外の大博物館などに収蔵されているのに対し、兵丁佩刀は完全な形で残されているものが極めて少ない。これは兵丁佩刀は常に実戦の中で消耗していくものであったという点が大きかったからではないだろうか。さらに刀の形式や流行も、一つの戦役で一つのタイプの時代が終わるというくらい、頻繁にスタイルを変えていたのではないかと考えられる。 

 保存状態のいかんにかかわらず、比較的地位の低い職官の佩刀と兵丁佩刀の多くは、民間に流出している場合が多いが、多くは乾隆帝以降の作である。こういった佩刀は様々であり、配飾は乾隆期の規範を重んじていたとしても、品質的には玉石混交といった具合であり、清中早期の同類品とは比べるべくもない。この種の実物が『図式』と異なるという現象は、兵丁佩刀だけでなく、各種戦刀およびその他の冷兵器にも見られる。

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 久々に長々と打ちましたな。でもこれでも「部分」ですよ。全体は大変な分量でございます。私なんか今までしらなかった歴史の勉強になったりしています。まあ、疲れを出すのも嫌ですから、今回は兵丁佩刀だけということで。

2008年11月13日 (木)

何でも実験癖・6 ~美酒鍋は美人鍋?~

 昨夜我が家では美酒鍋をやらかしました。豚肉はやや少なめに抑え、砂肝もやや少なめにしました(母の歯があまり強くないので)。その代わり野菜はどっちゃり入れまして、はっきり言って、作っている最中、「ほんとに二人でこんなに食えるのだろうか」などと、内心心配しておりました。

 使ったのはすき焼き鍋、ニンニクを私が手ずからスライスし(なんか偉そうだな。まるで『美味しんぼ』の美食倶楽部で、海原雄山自らが調理場に立っているような感じ)、山と盛った野菜をどんどん切っていったのでございます。

 手順通りに、ニンニクをまず加熱しておいて、豚のバラ肉、砂肝(これも薄くスライスしました。歯が丈夫ならいいのですが、砂肝は加熱すると固くなってしまうので。それでも固かったけど)を入れて、それから塩を3つまみほど(つまみにくかったので、何度もやった)加え、前回銀亭で伺ったところでは、ここで胡椒を入れる人もいるということなので(何よりも私が胡椒風味が好きなので)、胡椒も少し加えてみました。お肉はもう熱が8分目は通ったような顔をしておられます。それからお酒を入れて、ふとお皿を見ると、板こんにゃくが残っておりました。

「哎呀っ!」 とここは思わず中国語で喚いておいて、慌てて板こんにゃくを投入でございます。本当はお酒を入れる前だったんだよね。こういったときは何事も自信を持ってごまかすに限ります。熱が通ればいいんだろ? なんて一人で開き直っております。まったく性質の悪い奴です、私は。

 それからニンジン、ピーマン、タマネギ、長ネギのぶつ切りなんてのを投入し、かなり熱が通ったのを見計らってエノキダケとか白菜とかを入れて、何度となく上下が入れ替わるように混ぜくり返します。これでしっかりと野菜から汁が出て来るのですが、色は銀亭でみたのと同じような白濁色でございます。

 スプーン(の方が混ぜやすかった)で掬って、一口飲むと、なんとも甘い野菜の出汁が出ております。それで白菜までが完全に熱が通って、くたくたに成っているのを見定めて、最後の塩の投入でございます。ぱらり、ぱらり、ぱらり、とここでも3回。すると一気に甘いだけではなくてきりっと引き締まった味のスープになるんですな。

 あとはビールを開けて、ぐびぐびやりながら食べるだけでございます。先日はちょいともう一味ほしいと思ったので、うまじ村のポン酢をほんの少し(薬に使うくらい)つけて食べてみたのですが、これがまた味を引き立ててくれましたな。気がついたらあっという間にビールは空っぽ。そこでこの鍋に使ったお酒を燗をつけて、これまたぐびぐびと…… いやあ、美味かった!

 お酒を飲み終わる頃には、あれほどたくさんあったはずの野菜が、もう完全にないっ! 私的には縮み上がった砂肝をポン酢をつけて食べるのが、これがまた美味しかったけど。最後の方になればなるほど、何ともこってりと濃密な味になってきて、結構満足してしまいましたねえ。

 ご飯の時にはもう完全に鍋は空っぽで、漬物かなんかで食べちゃったんだけどねっ! 翌朝、母が「あれは効くね」と言う。朝のトイレが順調だったという意味である。たしかに私も、実に気持ちよく出た(お食事中の方、久しぶりにごめんなさいっ!)。これは美容にも効きそうだと、新しい効能に気がついたよ。考えてみれば、そちら系にはいいモンばかりだよね。

 その他の気がついた点は、砂肝を鶏肉の比較的柔らかいもので代えても、イケそうなこと。キノコはシメジであろうが、マイタケであろうが、きっとシイタケでも問題ないだろうということ。それから驚くほど大量に作っておかないと、ご飯までたどり着けないのではないかという点などなどであった。

 きっとこれから我が家の定番メニューとなることだろう。ありがとね、銀亭さん!

2008年11月12日 (水)

『中国の鋼鉄刀剣』・28 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(8)~

 気分がとってもプーアール茶なので、莫さんのところで買ったプーアール茶を啜りながらのブログである。実は『中国刀剣』、訳せるところはすべて訳しているのだが、ここでは紹介としてしか取り上げていない(明代の倭寇のところは、私自身興味があったので、気合が入ってしまったが)。

 なろうことならぜひ原典を取り寄せられて、お読みになることをおすすめする。なんといっても皇甫江氏の力作であって、著者の情熱が心から感じられるものである。またそのうち私も、備前長船はさほど遠くはないので、暇が出来たら日本刀の勉強にも行ってみたいと思っているし(実は誘われてもいる)、行けば行ったで、ここで公表すると思うし。

 さてさてほんの紹介であるから、この大作の一部しか紹介していない(わかるところは全て翻訳しておりますが、公開はしておりません。質的にも量的にも無理だと思います)。日本では中国の刀剣についての本はあまり見かけないので、少しは何かの足しにでもなればといPhoto_8う思いしかありません。

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『中国の鋼鉄刀剣』・28 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(8)~

☆ 職官佩刀・その3

○ 清早期陰刻銅装高階職官佩刀

  雁翎Photo刀である。刀身は平造で、切っ先から五分の一のところで反っている。研磨されておらず、保存状態も良好である。鍛紋はきめ細かく、刀身全体に見える。刀身には3本の血槽があり、非常にすっきりした形になっている。上の血槽は短く、始まるところに3つ、おわるところに4つの丸い窪みがあり、七星となっている。下の血槽は長く、刀体全体にわたっており、切っ先まで届いた姿には勢いが感じられる。中間にある血槽は細く、下の血槽と同じ長さである。

 装具は銅製で、かつては純金で飾られていたかも知れない。吊るし紐を取り付ける部分には、簡単な紋職が陰刻されている。木製の鞘は黒漆で塗られており、保存状態は良好である。木製の柄を巻くのは藍色の紐であり、しっかりとしたものである。この刀のつくりは清中早期高官の佩刀の標準に完全に符合するものであり、実戦で多用されたものではない。もよく残っており、鞘装は鉄製で金と銀の象眼があり、四爪竜戯火珠がデザインされている。

○ 清中期ZAN刻鎏金竜鳳紋飾高階職官佩刀

 このPhoto_2刀の保存状態はきわめて良い。銅製の装具がついているが、銅の純度もきわめて高い。装具全体に竜が刻まれているが、細工は精緻であり、全てに純金が埋め込まれている。吊るし紐を取り付ける金具以外、保存状態は完璧といえよう。

 刀体はのびやかな雁翎形であり、両側に2本の血槽があって、すっきりした形をしている。刀体は丁寧に鍛えられており、リベット、木柄などが完全なまま残されている、鞘は皮で包まれているが、その皮には漆が塗られている。

○ 清中早期鉄錯銀鎏金鳳紋飾高階職官佩刀

この刀はPhoto_3伸びやかな雁翎刀で、刀身の両側に、広いものと狭いものの2本の血槽 がある。血槽は根元近くから切っ先まで続いており、細長い。

 刀刃は木製の柄にリベットで固定され、柄の上には3つ鉄製の装具があり、上面には純金の鳳紋がある。細工は非常に精緻であり、黒い鉄の上に金色の点が美しい。柄上には赤漆が塗られたのが残っていて、この刀が非常に華麗なものであったことを物語っている。

 刀鞘および鞘の飾りも後世修理されたものではないかと思えるが、この刀の元の姿をマッチしていて、鮮やかさを引き立てている。

○ 清乾隆期鉄錯銀高階職官佩刀

 これもPhoto_4雁翎刀である。刀身は平造であり、切っ先から三分の一ほどのところで反りが入っている。刀身の材質は純度が高く、刃は大変硬い。また三面複合挟鋼構造になっている。Photo_5

 刀身の両側には対称に3本の血槽があり、すっきりとしていて華美である。中でも真ん中のものは、刀体を切っ先まで貫き、大変に勢いが感じられる。下の血槽は短く、上の血槽とつながっている。この形の血槽は明らかに18世紀、中央アジアからのイスラム刀剣の影響を受けたものであり、清代の職官刀では乾隆期に集中しているものである。

 装具は錯銀した鉄製であり、鍔の内部には銀線で描かれた卍模様がデザインされており、保存状態もよい。柄を巻いた紐はもとのままであり、現在でもしっかりとしている。この刀は時代の特徴をよく表したもので、清乾隆期の高官が身につける職官佩刀の典型と言うべきものである。

○ 清Photo_6乾隆年款LOU空浮彫鎏金銅装錯金銀刃高階職官佩刀

 これは清中期の高官の持っていた実戦佩刀であり、Photo_7 柳葉刀である。刀身は平造で、4本の血槽を持ち、幅広いのと狭いものが交互にある。また3つめの血槽は三段にわかれていて、すっきりとしていながら同時に華美である。

 刀身には全体にわたって銀線網紋があり、その上に金銀で紋飾が施されている。また刀根には『大清乾隆年制』とあり、年款と四大美女がデザインされていて、その間には梵字が書かれている。

 金細工は非凡で、黄銅装具には竜紋がレリーフされており、表面は金で覆われている。木製の鞘は鮫皮で覆われていて、非常に美しい。

 清代職官佩刀の装具は、大きく分けて2種類あった。「方式」では多くが刀鞘、刀柄など、上が広く下が狭いわずかな台形になっており、少数は上下が同じ幅の長方形であったため、鍔を除く装具、切断面もそれ相応に長方形となっていた。これと異なり「円式」のものでは、鞘箍および柄の断面もすべて楕円形となった。

 職官制式佩刀は、清刀の中でも重要な位置をしめている。同時にまた歴史上の価値も高く、軍事研究価値および刀剣芸術としての値打ちも高い。装飾的な美しさや豪華さから見れば、職官佩刀は皇室佩刀に比べれば見劣りがするが、文武各階級の制式佩刀を見れば、それが単に護身のためや敵を倒すためだけに作られたものでなく、自分の身分や階級を表すためのものだったことがよくわかる。

 刀は平和な時代には、皇室の権勢を象徴するものだったが、征戦などに際しては、大国清の軍威を象徴するものであった。その中で職官佩刀は、実用性と装飾性を、最も合理的な形で結合させたものであり、そのつくりにはわかりやすい規範が必要であった。風格と作りが融合することによって、一般の兵士達が持っていた、消耗が前提として作られた戦刀や、民間で私的に製造した刀とは、明らかに一線を画していたのである。

      *

 身分や階級を誰にもわかるような形にするのは、およそ階級というものが存在する世界では当たり前のことですが、まあそれにしてもいろいろとございまするな。これが戦刀となると、用途によってそれぞれに異なったものがあるので、まだまだこの何倍も種類があったりするのでございます。用途によっていちいち異なった形状のものを作り出した人々の工夫には、感心を通り越して、やや呆れたりしておりますが、またそのうちに……

2008年11月11日 (火)

なんとなく感傷、秋の夕べ

 気がついたら11月も上旬が終わろうとしている。どうりで朝晩寒いはずである。でも可能な限り時間を見つけて、屋外を見るようにしている。自然が理屈抜きにいいとは思わないけど、それでもいろんなことで自分の自然を崩していきているものだから、一日に1度か二日に一度は自然を見ないと心が荒んでくる。

 多くの場合、トレーニングをかねて出かけるのだが、途中できれいな風景があったりしたらすぐに「にわかカメラマン」に変身する。宇宙刑事のように変なアクションなど必要ない。ウェストポーチからデジカメを取り出せばすぐに返信出来る。戦う悪人もいない。呑気なものである。もっとも犬を散歩に連れてきて、糞の後始末をしない人も結構いるので、これには気をつけていなければならない。

 秋といえばなんと言ってもススキである。Photo Photo_2 ススキを見ると、「今年も秋だなあ」と感じる。私に秋を感じさせるものはいくつかあるが、その中でもススキは安価で、ちょいと外に出てみればお目にかかれるものである。でも以前は、「これからススキが真っ盛り」と思っていたら、岡山市委託の業者さんが全部刈り取ってしまったりして、随分無粋だなと感じたりするPhoto_3こともあった。ススキだって穂が出てから次第に穂が開いていき、それぞれの時期にそれなりの美しさがあったりするので、せめてそれを楽しんでから刈るのなら刈ってほしいと思うのは私だけだろうか?Photo_5

 そPhoto_4こへもってきて、秋は日が短いから(短すぎる!)すぐに夕焼け空になってしまう。私は、舗装したところは、出来るだけ走ったり歩いたりしないことにしているので(心肺機能のトレーニングだけを考えれば、舗装したところでもいいんだろうけど)、真っ暗になったらけっこう危険である(そんなところもある)。危険というものは案外身近にあるのだけど。

 たとえば凸凹道は私にとってはあたりまえのトレーニングコースだけど(凸凹道で素早く走れない動物は、人間くらいのものではないだろうか)、ちょいと穴に足をつっこんだら、捻挫とか骨折をすることだってあるからねえ。(犬の糞を踏むだけでなく。これは私は通称「地雷」と呼んで恐れている)

 かりに穴だと思ったら、瞬間的にその足が空振りしたようにして、次の足が自然にだせないだろうか。こんなことをいつも考えながら歩いたり(あれが歩いているとは、誰も思ってはくれていないだろうけど。いわゆる歩くという動作にしては変っているかも)、走ったりしているから、なかなか飽きない。どころか「日々これ新たなり」である。Photo_6 Photo_7 Photo_8

 第一自然って日々これ新たなりだもんね。で私は何事をしても道草が好きな子だから、ちょっと風情がありそうだったりすると、さっさとトレーニングを忘れてカメラ小僧に変身だよ。鳥の間なんかでは有名だったりして。「あいつ走っているかと思ったら、俺たちを撮影するんだぜ」って。

 でもPhoto_9やっぱ秋には秋の景Photo_10色があって、私はそれが好きだなあ。夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、春には春のよさがあって、それを見ることが一番だなあ。そして秋のよさは、やっぱり夕方?(清少納言か?) このところ鴨も来て泳ぎ始めたし。 (鴨鍋が美味しい??? やっぱり食い気かよっ!)

2008年11月10日 (月)

お手軽中華・10 ~コーラで煮込むだって?~

 どうして私のブログには食い気の話が多いかというと、やはりこれを打っているときに空腹だからではないだろうか。そういう時は私は「ひもじい」「ひもじい」の「紐爺」さんになってしまっているような気がする。アニメ『千と千尋の神隠し』は「釜爺」だったが、私のは「紐爺」である。もちろん女性に稼がせて貢がせるような芸当は、残念ながら私にはできない。

 昔大学生だった頃、向かいの部屋のS君が(彼にはいろんなことを教えてもらったが)「ホット・コーラ」というものを飲ませてくれた。もちろん容器の蓋を取らないで加熱したら破裂するかもしれないから、片手鍋にコーラを注いで、それを沸騰させて飲むのである。

 私は最初、「そんなもん、飲めるわけがない」と思っていたのだが、「飲めなかったら責任を取る」と彼が強硬に主張するものだから飲んでみた。お世辞にも美味しいとは思えなかったが、飲めなくはなかった。ところが中国に行くようになってみると、コーラでものを煮込むという。「ええっ!」とばかりに私は驚いた。

 本ブログですでに紹介しているように、鴨肉をビールで煮込むというものはある。でもコーラだとどんな風になるのだろうか。あれって、結構甘いからね。とりあえず留学生のLさんに聞いてみたが、「ビールで煮たほうが美味しいと思う」という答であった。でも今日はそのコーラで煮込むのから入りますね。

Photo 「可楽鶏翅」、日本風に言うと「手羽中のコーラ煮こみ」ぐらいかな。どんな味がするのか、まだ確かめていないので、作ってみてとんでもない味がしても、当方は一切責任を負いませんのでそのつもりで。

 材料はPhoto_2下のようなもの。手羽中500g(いったい何人前作ることか。こんなに大量に作って食えない味だったとしても、当方は一切知りませんぞ)、コーラ、香菜、醤油各適量。

 さてコーラはあの奇妙な味と、肉を柔らかく煮る意味があるとして、味付けの主力はやっぱり醤油なのかな?

Photo_3 手順:1.手羽中を洗い、熱湯の中でさっと煮てから取り出しておく。香菜は洗ったあと、みじん切りにしておく。

2.手羽中を鍋にいれ、コーラと醤油、それに適量の水を加えた後、強火で加熱する。

3.暫くして弱火にし、時々ひっくり返しながら加熱して、手羽中によく火が通り、汁が十分濃くなってきたら皿に取り、香菜を振りかけて完成である。

 もう一発コーラものを紹介しよう。Photo_4 「可楽排骨」、「豚の骨付きアバラ肉のコーラ煮こみ」でございまする。豚の骨付きアバラ肉なんて、日本で簡単に手に入るのかなあ? 手に入らないものまで無理して入手して、作ってみたら美味しくなかったなんてことがあっても、当方は一切関知しませんから、そのつもりで。Photo_5

 材料は左の通りである。やや小ぶりな豚の骨付きアバラ肉750g(何人前だ?)、葱のぶつ切り、生姜のスライス、コーラ、塩、中華だしの素、醤油、水溶き片栗粉各適量。

 Photo_6 手順:1.豚の骨付きアバラ肉は洗った後、適当な大きさに切って、熱湯でざっと煮て、十分に水気を切っておく。

2.鍋に適量(その適量がどのくらいかが謎だが)のコーラ、醤油、葱のぶつ切り、生姜のスライス、塩、中華だしの素、それから先ほどの豚のアバラ肉を入れ、最初は強火で、暫くしたら弱火でじっくりと煮込む。

3.汁が十分煮詰まって濃くなってきたら、水溶き片栗粉でとろみをつけ、皿に盛って完成である。

 おっと、これは体によさそう、と思えるものが出ていたので紹介しておこう。Photo_7 「枸杞山薬」、「クコとヤマイモの炒め物」である。私はクコといえばもっぱら「枸杞酒」を愛飲するので(まだ飲みきれないほど大量に作っている。どなたかお飲みになりたいですか? 甘いので飲めますが、あまり飲みすぎると悪酔いしますぞ。こうなっては身体にいいんだか悪いんだか)、またこの冬くらいから心を入れ替えて、料理にも使ってみようかと考えておるところですが。Photo_8

 材料はヤマイモ350g(けっこうあるなあ)、クコ50g(これまたけっこう多いなあ)、新生姜25g、塩、化学調味料、ピーナッツ油各適量。日本人は一般的に外国人よりも食が細いけど、どうも量が多すぎるように感じますな。Photo_9

 手順:1.ヤマイモは皮をむき、ひし形で薄めに切り、熱湯の中をくぐらせてから取り出しておく。

2.クコは水洗いし、生姜は皮を剥いだ後、千切りにしておく。

3.鍋に油を入れて加熱し、それに千切りにした生姜を入れて香りを出し、ヤマイモを入れて炒めてからクコを投入する。さらによく炒めた後、塩、化学調味料で味を調えたら出来上がり。

 私の父は二日酔いになるたびに、翌朝はヤマイモをすりおろして食べておりましたが、いろんな使い方がありそうですな。

Photo_10  これはむしろ日本料理ではないかと思えるようなものが出ておりました。「蝦皮luo卜湯」、「あみとダイコン」のスープですな。私はこのあみという極小のエビが好きでして、酒に合うしご飯にあうし、素晴らしい食材だと思っております。Photo_11

 材料も簡単、ダイコン250g、キクラゲ50g、あみ、塩、化学調味料、白糖各少量。私ならあみだけは少量ではすみませんな。好きなものはどうしてもたくさん食べたいものです。Photo_12

 手順:1.ダイコンは洗って皮を剥き、薄く切っておく。キクラゲは石つきの部分をとり、小さくちぎっておきます。

2.鍋を火にかけ、水を入れて沸騰させ、まずダイコンとキクラゲを入れる。ダイコンが煮えて柔らかくなったら、塩、化学調味料、白糖を適量加えて味を調え、最後にあみを入れて煮立てて完成。

 我々は一般的にラーメンの母国は中国だと思っておりますな。事実多くの麺類はかの国で生まれたらしいのですが、味ときたひには、私は中国のラーメンは不味いと太鼓判を押します(美味しい店に当たったことがないし、案外ラーメン店なんてものがない)。

 麺類全般を見渡しても、中国の麺類が美味しいと思ったことはない。例外的にウィグルの焼きうどんのような麺はまあまあ食えたけど、これも次に同じ店に行って、同じものを注文したら、これはボソボソの麺?が出てきて、とても食えたもんじゃなかった。

 日によって出来が違うなんて、素人以下?(それほど味が違った。違う料理を注文したのではないかと心配したほどである)ではないかと思うが、まあ日本で日本の材料を使って作れば、少しはましなものができるのではないかと思う。Photo_13

 そういうことで今日の最後は「香菇炒麺」、文字通り訳せば「シイタケの焼き蕎麦」ぐらいになるんだろうか。でもここはもうちょっと内容物に忠実に、「シイタケと筍の焼きそば」ということにしておく。Photo_14

 材料は麺が200g、豚肉を千切りにしたものが100g、シイタケ50g、筍25g、葱1本、塩、化学調味料、醤油、ごま油、ピーナッツ油各適量。ピーナッツ油がない場合は、普通の油で代用して構わないそうである。Photo_15

 手順:1.シイタケと筍は洗ったあと別々に千切りにしておく。葱はみじん切りに。

2.鍋に水を入れ、沸騰したら麺を茹で、あげてしっかりと水を切っておく。

3.鍋(フライパン可)に油を入れて加熱し、葱のみじん切りを入れて香りを出してから豚肉の千切り(細く切ってさえいれば可)、シイタケ、筍の千切りを入れてざっと炒め、それから醤油、塩、化学調味料、ごま油を加えてからさらによく混ぜながら炒めてできあがりである。

 いやあ、打っていると腹が減ってしまいますな。私もそろそろ帰宅して、夕食(遅いけど)にありつくことにします。

2008年11月 9日 (日)

紅葉が鮮やかだと、マラソンのタイムが落ちる???

 お昼ごはんを食べに、アトミック・カフェに行っておりました。今日はとても気分が和風スパゲティだったので、素直に和風スパゲティを注文し、スープまで綺麗に飲み干して、お皿とスプーンとフォークは食べないで残しておきました。

 食後はいつもながらワカサギ釣りを楽しむホット・ココアで締め、仕事場へ引き揚げたあとトイレに行ったので、今はとてもすっきりしております。血液中を糖分が走り回り、少しは脳みその働きも改善されたのではないでしょうか。あと飲むとすれば、何となくジャスミン・ティーってところでしょうか。理由は不明です。私の身体がそれを欲しているだけで。

 ということで、改行する間に5分弱の時間が流れております。それは私がジャスミン・ティーを淹れ(もちろん、茶葉を出し、急須に入れ、一度しっかり蒸らし、一度湯を捨てて……これで130ml入りの私愛用の湯飲みを暖めます……、しかる後改めて注いだお湯にジャスミン・ティーが出るのを待って湯飲みに注ぎ)、一口飲むという行為にようした時間でございます。あ~、美味しい。こんな時間が持てる日曜日の午後なんて、何ヶ月ぶりでしょうか。

 さてさてアトミック・カフェへの行き帰りの道すがら、街路樹を見て「今年は紅葉が綺麗だな~」などとぼんやり考えておりました。紅葉が鮮やかということは、昼夜の気温差が大きいということなのでしょうが、おかげで風邪引きが増えるんじゃないでしょうか。

 風邪引きが増えると、いやおうなくティッシュ・ペーパーの使用量は増えますな。どうしても洟が出てしまうから。たとえ鼻風邪でなくとも、風邪に洟はつきものでございます。そうするとティッシュ・ペーパーの原料になる木材パルプ(日本製のティッシュの原料の99%は、木材パルプなんだそうです)の消費量が多くなります。

 木材パルプにされるのは製材残材が半分弱、天然林材が30%程度、人工林材が15%、建築廃材などが10%らしいのですが、いずれにしても木が原料として使われることには違いありません。木といえば植物で、当然光合成をしておりますな。光合成をする木が伐採されると、当然光合成量は減少します。すると空気中の酸素が減ってしまいますな。

 一方マラソンという競技は、有酸素運動が締める割合が超多い種目ですから、酸素が減れば、マラソンの記録が落ちるという、言ってみれば「風が吹けば桶屋がもうかる」みたいな論法でございます。こじつけ、こじつけ。さすがに血糖値が上がっている???

 光合成なんてものに着目してみれば、当然、季節によって空気中の酸素量は変化しているわけで、草木が青々と茂っている夏の方が当然酸素量が多いわけで、落葉樹が葉っぱを落とし、草が枯れる冬に酸素量が多いなんてことは考えにくくなります。すると夏マラソンをやれば記録が出るかというと、そうは問屋がおろしません。今度は高い気温が人間の活動に影響を与えて、記録は出にくくなるんですな。何でも一面からしか見たのでは、全体像は見えてこないというやつで。

 最近、テレビで小室哲也氏がよく取り上げられておりますな。詐欺はよくないことだと、誰もが知っていて、当然それなりの償いをしなければならないのは当たり前なんだけど、私個人は彼には何の被害もないし、何の恨みもないので、若干気の毒になってきたよ。

 むしろ一時期歌謡界を席巻した彼の作品の中には、紛れもなく名曲があったので、どちらかというと、仕事をしているときのBGMとして恩恵に預かったくらいかな。夜、孤独な作業をしているときにリズムいい曲が流れたりすると、時に元気が出たりするからね。

 あまり巨額のお金を稼いでいたので、嫉妬されていたのかな。何しろ一番頂点を極めていたんでしょ。一説では貯蓄額が10000000000円を超えていたというのだから、私なんかにはとても勘定ができない(きっと彼もそうだったのではないだろうか。勘定できないくらいの金には感覚がないから、収支がわからなくなるんだよね、きっと。きっと、と言っている自分が情けないが)。

 事業が失敗したとか言っているけど、凄い大失敗したのと大浪費したんだろうね。でも安室が日本で大人気だったころ、中国では彼女の2枚組CDがわずか18元(当時のレートで270~280円)で手に入った(私は買っていない。安室のファンではなかったし)。こんなバッタもんばかりが出されるところで商売したら、万に一つも成功は望めない。

 まあ償うべきはしっかりと償って、また再起してほしいものだ。せっかく余人にない才能をお持ちなんだから。私は、少なくとも自分に直接的な利害関係がない場合には、時々同情的に物事を見ることがある(直接的な利害関係があったら、どうしても私個人の感情が入ってくるけど)こともある。

 それよりも今年の春頃から言っていたように、ガソリンの値上げをやって、平気で「まだヨーロッパより安いんでしょ」などと嘯いていた爺さんの方がよほど許せない。だって私にとってガソリンの値段は、1ℓ数円でも大きな問題だからね。そしてこれはきっと、私だけの問題ではなかったのではないかと思っている。

 というのは、今朝の産経新聞(我が家では毎朝3紙の新聞を読むことになっているが)に、「ガソリンを値下げしても客が帰って来ない」と嘆いているガソリンスタンドの談話が掲載されていたからだ。能天気にかまえて無策にもどんどんガソリンの値上げをした結果、多くの人たちが他の交通手段に乗り換えてしまったんだろうね、きっと。私みたいに車がなければ通えないようなところへ仕事にでかけている人間は、仕方なく車に乗り続けていたけど。

 それよりも何よりも、ニュース番組なんかで流されていた、高騰した灯油のお陰で暖房器具が使えなくて、南極越冬隊が屋外で活動する時くらい着こんで、夜寝ていたお年よりの人たちはどうなったんだろう。お年を召すということは体力が落ちるということである。体力があっても寒いのは辛いが、なければ死活問題になるんじゃないか。

 結局弱者は切捨てられるんだろうかね。でも今は弱者でも、以前はばりばりと働いて、国を支える一端を担っていた人たちなんだけど、その頃のことはもうとうの昔に忘れられているんだろうか。できたら油の値段が上がることを、無策に見送っていた人たちにも、ぜひ同じような生活を経験していただきたいものだ。みんな同じ日本国の国民なんだからね。国民の現状を知るって、そういうことじゃないかなあ。

 小室氏の場合は、様々な女性遍歴だって、芸能マスコミから見れば恰好の話題提供になっただろうから、誰かは得をさせているんだよね(それにしても、別れた妻に700000000円というのは、尋常ではない金額だけど。あと一生働かなくても食っていけるよね。それってやはりあんまり正常な金額ではないと感じるけどね)。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど。それに対して自分と自分たちの内輪には儲けた人がいるかも知れないけど、国民の殆どに迷惑をかけた人は、殆どの人に損をさせているんだよね。

 無為無策で国民の殆どに迷惑をかけた人たちは、今はのうのうとして暮らしている。自分では切り盛りできなくなったと思ったら、さっさと政権を投げ出したもんね。小室氏は立ち行かなくなった時、犯罪の方向へ動いてしまったけど、それまではきっと多額納税者で、国には貢献していたのかも知れないよね(脱税がなければ)。自分では立ち行かなくなった時、政権を投げ捨てるだけで罪に問われない人たちよりも、よほど厳しい生き方をしていたんだと思うよ(投資された被害者の方々はお腹立ちだと思いますが、今は一国民としての話をしています)。

 私はそういった政治家の皆さんの言葉をBGMに仕事をしたことがないし、きっと仕事をしてもはかどらなかったと思う。それに比べれば小室氏の方が、私には好感が持てたんだよ。この上は償うべきことをしっかり償って、再び頑張ってまたいい音楽を作ってくれることを期待している(特に彼の作った歌が大好きな、大ファンというわけでもないんだけど)。

 本来もっと叩かれるべき人間がのうのうとしていて、頂上から転がり落ちただけでもきついだろうに(犯罪を犯したのだからしかたがないけれど)、一時は時代の寵児だった人間があんまり叩かれているので、私みたいな性根の緩い人間は、少し同情してしまうよ。(付き合っていた女性を外遊するとき、ファーストクラス……ファーストクラスってどんなになっているか知りません。まさか床も天井も金色じゃないんでしょう? 私などには想像もできない世界ですが……を買い占めて、その座席の一つにぬいぐるみを載せたというのを聞いて、いい年してぬいぐるみを抱いている女を彼女にすることには、けっこう違和感を持ったけどね)

 

「朝令暮改」の力学

 朝晩、めっきり寒くなってきたと思ったら、もう11月も9日なんですね。昨日はオーバーワークと、寒さに対する準備不足から、てっきり風邪を引いてしまったかと思いましたが、いつも通りの熱燗と、お風呂でゆっくりと暖まるのと、睡眠時間を長めにとることで、なんとかクリアしたみたいです。

 でもまだ油断は禁物。これからどんどん寒くなっていくので、疲れを溜めたり、寒さ対策を怠ったりすると、知らん間に大風邪に発展していることがあるので、健康管理には十分に注意したいですね。それにはまず健康で抵抗力を高めておくのが一番です。適度の運動と、適切な栄養補給ならびに十分な睡眠ですな。もちろん適度な労働も。

 でもなかなか労働の方はそうは行きませんね。どうしても無理をさせられてしまうのが現実みたいです。多少の無理は我々の心身を強健にしてくれるかも知れませんが、行き過ぎは絶対によい効果は生みません。(それでも要求されることがありますけどね)

 私も若い頃はめちゃめちゃに身体を苛めていましたが、それは「回復力」が強かったからのことで、それでも凄い練習をする人たちの真似をたった1日しただけで、1週間ほど体調が戻らないで、結局1週間のトータルの練習量を考えたら、マイペースでやったときの方が多かったなんて経験を山盛りしました。

『老子』24章の冒頭に「企者不立、跨者不行(企つ者は立たず、跨ぐ者は行かず)」とありますが、まさにその通りだと思います。「企つ(くわだつ)者は立たず」ですが、ここの「企つ」は物事を企てるという意味ではなく、爪先立ちになることだそうです。爪先立ちになったのでは、長時間は立てませんよね。「跨ぐ者は行かず」は大股で歩く者は、長い距離を歩けないという意味らしいですが、これについては今私が自分の練習のテーマとしていることなので、結果はまだ出ておりません。

 普通の歩き方をしたのでは、大股では疲れも大きくなり、きっと長い距離は歩けないんでしょうね。確かに先日引退した女子マラソンの高橋尚子選手なんかは、歩幅を小さめにすることで強くなった選手でしょうし。(逆に比較的大きな歩幅で成功した選手もいますから、一概に大股がいいとか小股がいいとは言えないように思います。その人の身体運用の技術も関係してきますし)

 健康で長生きすることが、もしかしたら人間社会に対する一番貢献しやすい人生になるかも知れませんから(もちろん、生き方の問題はありますけど)、マイペースがいいですよね。マイペース、マイペース。それがきっと自分のベストなんだと思いますよ。長い人生を考えたら。

 でも時々そのマイペースを崩されることがあります。特に組織なんかに属していると、突然上から変った命令が降ってくることがありますよね。そうすると一時的にこちらのマイペースが崩れてしまいます。たいていの場合、何日か(何時間か、あるいは何ヶ月、何年か)しているうちに、こちらの方がそれに順応して、またマイペースらしいものが出来てくるものなのですが(人間は適応力が強い生き物だそうですから)、一番困るのが今回のタイトルの「朝令暮改」というやつです。

 朝出された指示が、夕方には変更されているというやつですね。こうなると適応する間もなにもありませんから、指示されて動かなければならない方は大変です。いつまでたってもマイペースになんかなれやしない。それでも悲しい宮仕えだと上の言うことを聞かなければならないんですけどね。

 例えばまだまだ景気がよく、様々な仕事で求人が溢れていた頃だと、自分に気に食わない指示を出すような職場からは簡単におさらばできました。これは基本的に労働力の売り手市場だからできた芸当ですよね。それでも好き勝手な指示を出したり引っ込めたりしていた会社や団体ならば、ある程度仕事ができるようになった人は、その変化しすぎる指示に不満を覚えると、辞めていくといった現象が起こりますから、いつまでたってもエキスパートは成長せず、次第に勢いがなくなっていったんですね。

 逆に景気が悪くなったり、いい求人がなくなってくると、今度は「朝令暮改」されても、そこを辞めるわけにはいかなくなります。辞めれば困るのは自分ですから。そしてマイペースとは程遠い状態に置かれ、不満たらだらでも仕方なくそれに従うしかなくなります。でも結局はあまりいいことはないと思いますけどね。だいたい不満たらだらで、いい仕事はできにくいですもん。

 普通に考えてみれば、ある会社なり集団なりが、「朝令暮改」が容認されるのは、社会の変化に敏感に対応して動かなければならない時でしょう。だから「朝令暮改」ができない会社は伸びないなんて仰る人もおられますな。でもこれは大きな集団だと、かなり難しいことでしょう。小規模のベンチャー企業なんかで、これが可能なところは、他所が不況で悩んでいても、どんどん伸びているところもあると聞きます。

 けれども朝決めたことを夕方変えるということを繰り返していれば、他人から見れば「あそこはいったい何をやっているんだ?」と思われるでしょう。もしかしたら内部の人もそう思うかも知れません。すると「いつ変えられるかわからない指示なんか、いちいち気にしていられるか」という気持ちは当然起こるでしょう。すると今度はどの指示も、指示通りに行われなくなる危険性が出てきます。大きな集団だと、それぞれ独立した人格を持った人間が多いですから、意思統一そのものに時間がかかるものですが、それが頻繁に変えられれば、意思統一は難しいでしょうね。

 指示がしょっちゅう変更されるということは、言ってみれば何を信用して、何をどうすればよいかがわからないことでもあります。何をどうすればよいかがわからなければ、人は動かなくなるものです。一所懸命何かをやっていても、途中で突然、「あ、それ、なかったことになったよ」と言われるわけですから。これでは信頼関係が築けなくなっていますよね。

 本ブログで連載中の『戦国の竜虎』でも、公孫閲が「天下に大業を成そうという者は、信義を大切にする」と言っていますが、まさにこの「信義」の部分です。だから「信義」を大切にするためには、時は苦しい状況でも「やせ我慢」でもしなければならなくなるんですな。こういうシーンは『戦国の竜虎』では、今後何度となく出てきますが。しょせん兵法なんて「詐術」だと『孫子の兵法』では割り切っていますけどね。この矛盾がなかなか面白い。

 だから「朝令暮改」が許される一般的な状況といえば、比較的小さめの集団で、損得抜きの信頼関係がすでに存在している場合か、圧倒的な買い手市場である場合だと思います。反対に「朝令暮改」が致命的になる状況といえば、まず何よりも信頼関係が大切にされる状況ですよね。それと労働力の売り手市場になったときでしょうか。

 兵法的に言えば「朝令暮改」ができなければ生き残れないのは、ゲリラ的に戦う場合でしょう。これは比較的小さな戦力で、わずかな状況変化の隙間を衝いて戦わなければなりませんからね。反対に「朝令暮改」してはならないのは、大勢力を率いて大会戦などに臨む場合でしょうか。大きな組織は人がたくさんいますから、個人的な信頼関係よりも規律とか規則とかで統率しなければ機能的には動いてくれません。そして規律とか規則とかは、一番「朝令暮改」した際にマイナスが出てしまうものなのです。

 まあ私的には、何かに対したときは「正奇(正攻法と奇襲戦法)」織り交ぜるべきだと思っていますから、「朝令暮改」する、しないもどちらにも長所はあると思っていますけどね。どちらを採用するのが正しかったかどうかは、結果がすべてでしょうが、どのような状況でどちらを使うかはここで述べてきたのが一般的だと思っていますけど…… ま、私の言いたい放題ということで。

 

2008年11月 8日 (土)

『戦国の竜虎』・45 ~第九章 無中生有(5)~

 筑紫哲也さんが亡くなった。かねてより闘病中であるとはカミングアウトされていたので、それから数回テレビで拝見したときも、「今日は体調がいいのかな?」程度の認識であった。最近は長らくお顔を見ていなかったので、具合がよくないんだろうな、程度しか思っていなかった。

 個人的な面識は私はないが、非常にわかりやすく世情や事件を解説してくださったと、私は視聴者の一人として感謝している。意見などは人の立場や考え方によって異なる。私もいつも筑紫さんのご意見と同じだったわけではない。テレビの前で怒ったこともある。

 でもそれが本来のジャーナリストのあるべき姿なのかも知れない。一つの事象に関して我々はそれぞれの立場や思い入れを持ってみている以上、賛成意見もあれば反対意見も当然ある。それでも物事の本質を、わかりやすく報道してくれようと努力してくれていた(私にはそう感じられていた)姿勢は好感を持っていた。ご冥福をお祈りしたい。

 さて今回は『戦国の竜虎』第45回、第九章のお終いである。第九章はこれで終わるが、それは第十章の始まりでもあり、人の世と同じように、一つの終わりが次の始まりへとつながっているのである。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・45 ~第九章 無中生有(5)~

【5】無中生有の計

 易者の家の扉を叩く者がいた。夜更けである。易者はくつろいだかっこうで竹簡を開いていた。

「どなたですかな、こんな夜遅くに」 彼の誰何に答えて、聞きなれない声がした。

「私だ。田将軍の使いの者だ」 将軍がこんな夜更けに何の用だろうと疑問に思ったが、相手は今巨大な権勢を誇っている貴人中の貴人である。粗略な扱いはできない。易者は急いで起き上がると、扉に走った。

「さようでございますか。今開けまする」 易者が扉を開きながら「さ、どうぞお入りください」という言葉が終わる前に、公孫閲(こうそんえつ)がするりと入り込んで来た。そして扉を閉め、易者Photo_2が呆然と見つめているにも構わず、内側から閂をかけてしまう。

 そうした上で、進められもしないのに、勝手に奥に入り、机の上に黄金の塊を二つ置いた。

「これは…? いったい…?」 易者には何がなんだかさっぱりわからなかった。何でいきなりこんな大金を出す? いったい何を占えというのだろう…? だが公孫閲はさらりと言ってのけた。

「田将軍のお言いつけでな。そなたに卦を立ててもらいたいと仰っている」 易者は経験したことのない展開に、どう答えていいかわからないでいた。

「こ、こ、こんなにたくさん…! 私はこんな大金をいただいてはおりませぬ」 だが公孫閲は事務的に言葉を続けた。

「このたびの易は特別に重要なのだ。事が成ったあかつきには、さらにそなたに百両の黄金を進呈しよう」 易者はあまりのことに、あっけにとられたままだった。

「それで田将軍はこの私めに、何を占えと仰っておられますのか?」 公孫閲は易者に事情を説明した。

「将軍はこう仰っている。我が家は大王と同族にして、今や自分は兵権の全てを握っておる。しかも軍師孫臏(そんびん)までも幕下に加え、天下にその名は轟いておる。今こそ自分は天下に令を発して、王位に着こうと思うが、その吉凶が知りたい、とな」

 易者は、はっとした。彼は聞いてはならぬことを聞かされてしまったのだ。ことは反逆である。本来、一般庶民には関係のかいことだ。庶民にとって王に誰がなろうが、苛政でなければそれでよい。だが高位の人間の勢力あらそいに首をつっこんだ一般人の運命は昔から決まっていた。生かしておいてはもらえないのである。

 田忌によるクーデターが成功しようが失敗しようが、彼は大変な危機を迎えていた。

「それは謀Photo叛ではございませぬか! 私にはそのような大それたこと、とても占うわけにはまいりません!」 それはきわめて当たり前の反応だったろう。公孫閲は表情も変えないで彼の言うことを聞いていたが、いきなり剣を抜くと、易者の首につきつけた。

「そなたが占えぬというのであれば、生かしておくわけにはいかぬ」 大罪を犯そうとする人間の秘密を知った人間は、生かしておいてもらえるはずがなかった。だが易者は男であった。

「たとえ殺されましても、それだけは占うわけにはまいりませぬ」 見てくれは貧しくても、彼は斉の国が乱され、威王が王位を奪われるのを好まなかった。むしろ今の体制が変わることを恐れただけかもしれない。彼は現在の斉に生きていることをよしとしていたのだ。威王は文人には好待遇を与えていた。そして易を立てることは、当時は最新の科学を操っているのと同じだったのである。

 ところがその時、またしても扉を叩く音がした。いつもはこんな夜更けには、外を歩く足音すら絶えるのにである。

「もしもし…… 私は相国府の者ですが、相国が急ぎご相談したいことがある由にございます」 それを聞いた公孫閲が易者に尋ねた。

「ここは裏口があるか?」

「ございます」 それを聞いた公孫閲は、とりあえず逃げることにしたようであった。

「よし。今言ったことを漏らすでないぞ。漏らせば、私はそなたを殺す」 とりあえず易者は、この物騒な訪問者が目の前から消えることを切望していた。

「わ、わかっております。が、占うことはできませぬぞ」 この期におよんで、まだ自分の態度を貫き通そうとしていた。

「先生、相国が先生にぜひご相談したき議があるそうでございます。どうか開けてくだされ」 扉の外から、相国府からの使者と名乗る男がせっついていた。その間に公孫閲は風のように姿をくらましていた。

「すぐにお開けいたします」 易者は再び閂を外した。

「こんな夜更けに、貴いお方がいかがなされました」 そこには相国府に仕えるものの身なりをした男が二人立っていた。

「先生でなければ占えぬことでございます。でなければこんな夜更けにお邪魔したりはしませぬ」 易者は奥の方を見た。さっきの男、謀叛を占えと言っていたが、どうしたであろう…?

「さ、早く、相国がお待ちでございます」 

 これは全て公孫閲と鄒忌(すうき)で企んだ罠だった。公孫閲は斉に来てまだ日が浅く、顔を知られていない。将軍府からやって来たと言っても、誰も疑わない。そこで田忌の使者と偽って、偽りの謀叛計画を易者に持ちかけたのである。これが何もないところから、あるはずもないモノが発生していくという無中生有のやり方であった。

 易者が占おうが占うまいが、謀叛の心があることにさえなれば、威王は田忌や孫臏から兵権を奪うに違いない。そうして勢力を削いでおいて、次の策を講じるのである。公孫閲が龐涓から命ぜられたように、少しずつ事が運びだしていた。

 いまや易者に残された役割は、田忌に謀叛のたくらみがあると証言することだけであった。しかし易者は何も知らないで相国府の舎人二人に連れられて、相国府へと急いでいた。Photo_3

 その時、ちょう鐘離春を探していた禽滑とばったりと出くわした。昼間、孫臏に同行して彼のところを訪れたばかりである。易者は声をかけた。

「貴いお方、こんな夜更けに、何をなされておられます?」 だが禽滑は不機嫌であった。彼は鐘離春が見つからないでいらいらしていたのである。

「その方が妙な占いさえしなければ、こんな時間にこんなところなどほっつき歩いておるものか!」 禽滑Photo_4の口から思いがけない厳しい言葉を投げつけられて、易者は一瞬ぽかんとした。もしかしたら自分が、相手の女と孫臏との相性がよくないと告げたことが、何かの問題を引き起こしたのだろうか。だが私は私がわかったことしか言っていない、易者はそう自分を納得させると、舎人について相国府へと急いだ。

      *      *      *      *

 相国府へ着いた易者は、すぐに奥まった部屋に通された。

「正直に申してみよ。田忌は何を占えと言った?」 易者は自分の生命が大切であった。そして夜更けにPhoto_5訪れた、田忌の使者のことは黙っていようと考えた。

「本当に孫先生の婚姻についてでございます」 これは事実である。実は鄒忌は腹の中で笑っていた。あの男でも結婚の相手には悩むことがあるんじゃ、と。だがここではそんな答がほしいのではない。

「わしはな、彼の行動には目を光らせておる。彼がその程度のことで易者を頼るとは思えぬ。さ、事実を正直に申せ」 鄒忌の口調は一見優しげだった。だが貴人とは優しげな口調で死刑を命じたりすることもある。易者はなおも慎重だった。

「私は事実を申し上げておりまする」 易者は卦に関して語るときは、たとえ相手が大王であっても対等な立場にいる。だが普通の会話となると、相手が相国では分が悪かった。どうしても卑屈な態度になってしまう。

「事実? ふん。たかが婚姻を占うだけで、誰がこのような大金を払うものか」 公孫閲が大金を机の上に置いた直後に、相国府から使いが行くというのも、策の大切な部分を占めていた。机の上の大金をそのまま懐に入れて持ってきた易者は、あっさりと大金をもらったことは認めていた。彼は基本的には正直者であった。

「私には貴人のお考えはわかりませぬ。ですが大金を下さったのは事実でございます。私にも理由はわかりませぬが」 易者も次第に我が身が可愛いくなってきていた。いくら正直者で漢であっても、一般人は長時間プレッシャーをかけ続けられれば、次第に気が弱くなっていく。一つ間違えば、自分は謀叛に加担したことにされかねないし。

「わしが聞いたところでは、田忌には大胆にも大王に代わって斉王になる野望があるそうじゃ。そのことについての占いではないのかな?」 優しげな口調とは異なり、厳しい内容の話であった。そしてそれを聞いた易者は、もう隠してはおけないと悟った。いきなり平伏して、床に額をこすりつける。

「……相国、なぜお分かりになったのでございましょうか? その通りでございます。ですが私はそのことでは卦を立ててはおりませぬ」 一つ間違えば、謀叛に加担した罪で、死罪は免れなくなってしまう危険があった。易者はおのれを助けるために、必死になった。こうなると後は鄒忌の思うがままだった。

「ははははは…… よいよい。お座りなされ。彼らは王位の簒奪について占えと申したのじゃな?」 優しげな言葉に、易者は鄒忌がこう言ってほしいと思うままの言葉を答え始めた。易者は易は立てることはできても、自分が謀略に巻き込まれることを予知したり、それから逃れる術も知らなかった。他人の将来を占うことはできても、自分のことにはからっきし使い物になっていなかった。

「はい。ですが私はそのような大それたことには、卦を立ててはおりませぬ」 床に平伏したままの易者を相手に、鄒忌は策の仕上げにかかっていた。

「その方、そのことを、大王の前でも証言できるかな?」 こうすれば鄒忌が欲しがっていた証拠が出来上がるのだ。

「もちろんでございます」

「よろしい。ではこれからすぐに参内して大王にご報告申し上げよう」 鄒忌は事が事だけに急いでいた。時間をかけると、いつ、どこから物事が破綻しはじめるかわからないからである。善は急げというが、謀略にしてもそれと共通する部分はあった。何も知らない易者は、完全に公孫閲と鄒忌の謀略の道具にされていた。

      *      *      *      *

 威王の前に跪いた易者は、鄒忌に誘導されるまま、すらすらと田忌の企みとされたことを喋っていた。Photo_6

「その方が申したこと、事実じゃろうな」 不機嫌そうな威王が念を押す。

「はい。大王のおん前にまかり越しまして、私のような者が一言半句としても嘘など申し上げるわけにはまいりませぬ」 易者は王と話などしたことはない。威王の前に出ただけで、彼は恐れ入っていた。

「その方のもとを訪れたという男、もう一度会えば、その方は見分けられるな?」

「もちろんでございます」 それはそうである、首すじに剣を突きつけられたのだから、忘れようもない。易者は威王の前で、顔を上げることすらできないで、喋っていた。

「よろしい。下がってよいぞ」 威王は右手を小さく振った。退出せよという合図である。

「ありがとうございまする」 抱拳をしたまま顔も上げないで易者が退出した後、鄒忌が威王に申し出た。

「大王、田忌は兵権を握っておりまする。大王のご決断が遅れれば、取り返しのつかぬことになりまする」 だが威王の表情は優れなかった。

「しかし田忌はこれまで余に忠誠を尽くしておった。彼が余から王位を奪おうなどとは考えられぬ」 日ごろの田忌の態度や行動からみて、威王には田忌が謀叛を考えているなどとはどうしても思えなかった。

「でございますが大王、人の顔を見ることはできても、心の中を見ることはできぬと申します。私とて、人証・物証がなければ、とても信じられぬことでございます」 だがまだ威王は慎重であった。確たる証拠もなしに、股肱の臣を失うわけにはいかなかった。龐涓の侵略から斉を守り通せたのは、田忌と孫臏の二人がいたればこそである。これは厳然たる事実だった。

「相国、そなたは明日、あの易者を帯同して、将軍府を捜索してまいれ。易者のもとを訪れたという男を捜してくるのじゃ」 だが鄒忌はこれに反対した。

「大王、それはまずうございまする。田忌は兵権を掌握してございます。公開捜査などいたしましたら、田忌はどう出るかわかりまぬ。犬も驚かせれば塀を飛び越えると申します。こうなってしまうと問題の解決は難しゅうなりましょう」

「それもそうじゃの」 鄒忌はどこまでも抜け目なく策をめぐらせていた。田忌の館をいくら探しても、公孫閲が見つかるはずがない。人証があがらなければ田忌を追い落とすことはできまい。それどころか田忌は誰がそんなことを仕掛けたかを調べるだろう。そうなれば今度は鄒忌の立場がまずくなる。謀を実践するというのは、常にこういった危険と背中合わせなのである。ここは鄒忌にとっても勝負所だった。

「でございますから、まず田忌と孫臏を捕らえられてはいかがでしょう?」 今度は威王が反対した。功臣を確たる理由もなしに拘束したりすれば、ことは斉軍全体の士気にかかわってくる。

「それはまずい。田忌も孫臏も斉の功臣じゃ。一介の易者ごときの言葉だけで、彼らを捕らえるわけにはゆかぬ」 威王は言下に拒絶した。だが鄒忌も執拗であった。

「大王、もしも大王が彼らを処置しなくても、彼らは待ってくれるでしょうか? 彼らの方で大王を処置するようなことにでもなれば、取り返しがつかなくなりまする。かつて斉の康公が田太公に王位を乗っ取られたことがございましたが、これを教訓として、今はご自身の身の安全を図られるのが良いと存知まする」

 それは威王の三代前の話である。田太公とは、威王の祖父であり、太公は姜氏斉を乗っ取った張本人であった。乗っ取りによって得た王位は、また乗っ取りによって失われる危険性は高かったが、威王は特にそれに気を配っていたのも事実である。威王の悩みは深かった。

      *      *      *      *

 臨淄のPhoto_7大道を馬車で将軍府に引き揚げながら、孫臏は傍らの田忌に語りかけていた。今日、威王から王宮に召しだされたと思ったら、納得できる理由もなしに、いきなり兵権を取り上げる旨、言い渡されたのである。言葉の上では丁寧だったが、兵権を取り上げるとなると、ことは穏やかではなかった。

「将軍、私は考えれば考えるほどわからなくなりました。なぜ大王は我らから兵権を取り上げるなどと、突然言い出されたのでしょうな。しかも兵を派遣するなどということは、我らの動きを監視するために相違ございません。思うに、誰かが我らを讒訴したに違いございませんぞ」 

 孫臏の言葉はもっともだった。最近は威王は何をおいても田忌、孫軍師であった。しかも自分は今後一切軍事にかけては口を挟まぬと言っていたはずである。

「きっと鄒忌めの仕業でござろうな」 田忌が吐き捨てるように答えた。孫臏も不思議に思って尋ねた。威王は軍事にかけてはまったくの素人だが、馬鹿ではない。そのような王が何故にいつも鄒忌を侍らしているかだ。

「大王はなぜあのような男を信用なされるのでしょうか?」 確かに孫臏が斉に戻ってきてから見聞きした鄒忌の言動は、つまらない権力争いだけである。とても一国の相国として相応しい器とは言えなかった。

「あの男も、昔は何度も大王に良策を献策し、功労が大きかったのでござる」 それならば今もそうであればよいものをと孫臏は単純に考えた。彼の考えている宮仕えとはそんなものであった。

「それがどうして今はあのような小人輩に落ちぶれてしまったのです?」 田忌もため息をつきながら答えた。

「人に対する嫉妬でござろうの。嫉妬があの男の品格を下げてしまったのじゃ」 嫉妬と聞いて孫臏には思い当たることがあった。そういえば魏の龐涓も、鬼谷で一緒に学んでいた頃には、気の良い若者だった。人と違うところといえば、自分の大成を夢見る気持ちが強すぎるところぐらいのものであったろうか。だがそれは孫臏にしても似たようなものであった。それが自分に対する嫉妬のために……

「そうですか。あの男も龐涓と同じなのですか。嫉妬とはまさに悪い病のようなものでございますな」 Photo_8

 馬車があの易者の前にさしかかっていた。易者の家の前には人だかりが出来ていた。それを見咎めた孫臏は、御者に馬車を停めさせた。何か胸騒ぎがしていた。脚が悪いのにもかまわず孫臏は馬車を降り、近くにいた男に尋ねた。

「何事だ?」 

「昨夜、易者が殺されたんです」 若い男が教えてくれた。

「誰が殺Photo_9した?」

「わかりません」 孫臏は家の外に置かれた、筵をめくり上げた。そこには首に切りつけられた痕がある、見覚えのある易者の死体があった。

      *      *      *      *

 同じ頃、王宮で宮衛が威王に報告していた。

「大王、あPhoto_10の易者が殺されました」 威王もその報告に色めきたった。謀叛の計画をしる、現在のところたった一人の証人だったのである。

「いつのことじゃ?」

「昨夜遅くのことでございますそうな」

 そばにいた鄒忌が口を挟んだ。この男は自分の張り巡らした計略を完成させるため、昨夜遅くまでいた王宮に朝一番で訪れ、田忌と孫臏から兵権が取り上げられるのを確認し、朝議の後も威王の傍に侍っていたのである。

「きっと田忌の口封じでございますな」 ことはすべてタイミングよく進行していた。それも田忌と孫臏から権力を奪う方向でである。こういったことは歴史上ちょくちょくあることである。そして多くの場合、それはある人が運がよく、権力を失う人に運がなかったために起ったと言われるが、事実はそのようなものではないことが殆どである。

 誰かに一方的に都合よくものごとが進みすぎている場合、それは謀略が計画通り進行していると疑ったほうがよい。世の中に一方的に誰かにとってそんなに幸運ばかりが続くことはない。たいていは起こった事件によって一番得をする人間か、その周囲にいる誰かが何らかの策を用いていることが多い。だが威王はそんなふうには考えなPhoto_11かった。

「すぐに田忌を呼べ!」 威王の勅命を受けた宮衛は王宮を駆け出していた。

           (第九章 終わり)

      ☆      ☆      ☆      ☆

「無中生有」は『三十六計』の第七計である。その意味するところは、ありもしないことをでっち上げて、他人を罪に陥れることである。計として用いる場合には、まず表面的なことで相手を惑わし、その後ででっち上げたことを絡ませて、次第にありもしないことをいかにもありそうなことへと変えていく。

 まずここでは鄒忌が威王の前で、田忌が王位を狙っていると、投壺喫酒の場面で吹き込んだ。当然これはありそうもないことなので、威王は耳を貸さなかった。それを見て公孫閲は、易者を通すことで田忌の謀叛の計画が、いかにもありそうなことへと変えて行った。このようにして、公孫閲と鄒忌は、田忌と孫臏に対する疑念を威王に抱かせ、そのための道具として使った易者を殺すことで、その罪もすべて田忌と孫臏になすりつけ、兵権を奪った上に、より決定的な状況へと追い込むことを計画したのである。

 この後、自体はどのように展開していくか、詳しくは次章『借刀殺人』をご期待願いたい。

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 私は歴史が好きであるが、本当に事件後、誰かにあまりにも 都合よく物事が進展していったときには、一番得をした者が犯人だという、ミステリーでは当たり前な考え方をしてみることにしている。

 自然界でも似たことが言われていて、「自然界では最も当たり前のことが最も起こりやすい」という。最も起こりやすいから、当たり前になっているという言葉だけれど、当たり前のことが起こらなかったら、人間社会では、「当たり前」に」ならなくしている存在があると疑ったほうがよい。

 最後の方で孫臏は明らかに謀略の存在に気がついている。謀略はその存在に気づかなければ防御しようがないが、「あれっ?」と疑い始めたら、防御できるものもある(手遅れでなければ)。こんなことをした人は日本史上にもたくさんいるので、いろんな歴史書を読まれれば「ああ、この人はこれで生命拾いをしたんだな」と気づかれる場合もあるだろう。

 まあいずれにしても、ここで一番気の毒なのは易者である。お偉いさんの秘密を知った人間は、たいていの場合殺されてしまう。王様の墓を作った人たちは生き埋めにされたのと同じである。こういった人生は、私は嫌だね。人の秘密なんか知りたくもない。(「見ぃたなぁ~」なんて言われたら、怖くてすわり○ょ△べ□するかも知れないよ~)     

2008年11月 7日 (金)

『戦国の竜虎』・44 ~第九章 無中生有(4)~

 日が暮れるのが早くなりましたねぇ。俗に「秋の陽はつるべ落とし」とか言いますが、今じゃ「つるべ」って何なん? 噺家? なんて言われそうな気がしますね。 昔は井戸から水を汲み上げる時、小型のバケツみたいなもんで汲み上げておりました。私の家も結構古いので、井戸があってつるべで水を汲み上げていた記憶があります(井戸は今もある。使っていないけど)。

 昔は何でも遊びになったけど、井戸もその例外ではありませんでした。もちろん嵌ったら大事なので、注意すべきは注意しなければならないんだけどね。飲み水に使うには、巨大な甕でできた濾過器を使っておりました。

 小学生3年の時だったか、4年の時だったか、この上に乗って遊んでいる小さな子に、「危ないから俺が持っておいてやるから、下りろ」なんていいお兄さんをしていたら、その甕が私の上に落ちてきて、左足の上に落ちて、うまい具合に溝に脚が嵌らなかったら、ヘタをしたら切断しなければならないような大怪我をするところでした。

 幸いなことに溝があってくれたお陰で、怪我ですんだんだけど(大好きだった体育の授業を半年近く「見学」しなければならなかったのには参った。それから10年近く、季節の変わり目なんかには、原因不明の痛みが出ることがありましたが、幸いなことに今はなんともありません。むしろ今の強敵は体重のほうかも?)、あれは神様が助けてくれたんだと、今でも感謝しておりますよ。

 まあ腕白のクソガキだったお陰で、一つ間違えばということな何度もあったけど、そのたびに神様に助けられて、何とか今という時間を、こんな風に生かしてもらえております。人ってやっぱり生かされている部分がありますね。もちろん自分でベストを尽くすのは当たり間なんだけど。

 だから占いだろうが何だろうが、まずは当人がベストを尽くすというのが前提だと思いますよ。占いで全てが決まるのではなくて、ベストを尽くしながら占うというのが、本来の占いの姿なんじゃないかなと思うのですが、今回の『戦国の竜虎』は、占いから始まります。ではでは……

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『戦国の竜虎』・44 ~第九章 無中生有(4)~

【4】占い

 易者の家Photoらしく、壁には巨大な八卦の図が浮き彫りにされていた。小さな机を前にして、白いひげをたくわえた老人が静かに座っている。易者だから他の商売のように、派手な呼び込みや宣伝などの営業活動はやらない。何かを占ってもらいたい人が来て初めて、占いという商売は成り立つ。

 そんなところに孫臏(そんびん)と禽滑(きんかつ)がやって来た。孫臏は剣舞の後で、少し脚が痛そうであった。禽滑は孫臏に、「どうぞお先に」と入室を進めるが、孫臏も同じように禽滑にすすめる。それに気づいた易者が顔を上げると、二人を招いた。

「お二方、どうぞおかけください」 上座に招き入れる。

「よろしく」 禽滑は孫臏に手を貸して座らせる。そしてすぐ横に自分も腰を下ろす。易者は今自分の前に座っている、脚の悪い男が誰か、すでに理解していた。すでに臨淄で孫臏の名前を知らない者はいなかった。圧倒的に優勢な、龐涓(ほうけん)率いる大軍を、見事撃退したのである。それよりもばりばりの兵家で、合理主義者であるはずの孫臏が易者の家に来るのが不思議だった。

「何を占えばよいのでございますか?」 禽滑が孫臏に代わって答える。

「この方の婚姻について占ってほしい」 易者は納得した。この稀代の兵家にして、婚姻となれば戦のようには判断ができないらしい。

「わかりました。卦を立ててみましょう」 易者はすぐさま占いに入った。

      *      *      *      *

 臨淄の大道を走る馬車があった。横には板が打ち付けてあり、横からでは誰が乗っているのかわからない。乗っているのは鄒忌(すうき)、陪乗しているのは公孫閲(こうそんえつ)であった。

「私は計謀はPhoto_2信じますが、占いは信じておりませんな。もしも占いで戦の勝ち負けがわかるのでしたら、謀士は何をすればよいのでしょうな」 笑いながら話しかける公孫閲を、鄒忌は片手を挙げて制した。

「公孫先生、そなたはまだ斉に来て日が浅いゆえ、こちらのことはよくご存じないようじゃ。斉では大夫たちは、重要なことはすべて易を立てて占ってもらうのじゃ。わしも何度かやってもらったことがあるが、よく当たる」 所変われば品変わる。当然習慣も変わる。ここ斉では易の占める位置は高い。

「さようでございますか」 公孫閲も笑って答える。大事なことを占いなどに頼っているようでは、やはり大事なところでは魏には勝てぬわいと腹の中で思っていた。

「停めろ!」 突然、鄒忌が御者に命じた。「奴らじゃ」 公孫閲もその声に前方に目を凝らす。

「やつらとは?」

「孫臏じゃ。孫臏がおるということは、田忌もおるに違いない」 御者に命じた。「帰るぞ」 すぐに馬車は方向転換した。鄒忌としては今、公孫閲が彼のところにいることは知られたくない。だが公孫閲はにやりと笑って言った。

「相国、好機が来ましたな!」 公孫閲は孫臏が易者の家に入るのを絶好の機会と捉えたのである。

「何の好機じゃ?」 怪訝そうに聞き返す。

「相国は今仰ったではないですか。斉では大夫たちは重要なことは易を立てて占うと」

「そうじゃ」 公孫閲の頭の中では、既に謀の青写真は出来上がっていた。

「私が田忌の従者になりすましましょう」 鄒忌はすぐに悟った。自分も権謀術数を凝らすタイプである。他人の策にも敏感だった。こういったことは屋外で語るべきではない。屋敷の奥深くで、密かに語るものである。

「待て待て、ここではまずい。帰ってから聞かせてもらおう」 それにしてもこの男、龐涓の謀士をしていたというだけあって、なかなかやりおるわい。鄒忌は満足であった。

      *      *      *      *

 易者は出た卦について解説していた。

「お帰りになられましたら、その娘さんにお伝えください。私にはあなた方の結婚に水をさすつもりは毛頭ございません。天の与えた運命を伝えるだけでございます。ちょうどあなた方は水と火のようでございます。どちらも私どもが生きていくうえではなくてはならぬものでございますが、相性Photo_3がよくありません。お互いが相手の生命を奪い合うのでございます。ですから結婚に向いておるとは言えません。おわかりいただけましたでしょうか」 孫臏は素直に頷いた。

「わかりました」 彼は袂からお金を取り出し、易者の机の上に置く。易者の家には料金表はない。だが孫臏の出した金額は、十分すぎるほどであった。

「ありがとうございます。ほかにお尋ねになりたいことはございませんか?」 孫臏に代わって禽滑が答える。

「けっこうでございます」 必要なことは聞いた。そのほかのことまで聞く気はなかった。

「ありがとうございました。失礼致します」 立ち上がろうとする孫臏を、禽滑は手助けする。

「先生、お気をつけて」 その様子を易者も見ている。

「ありがとう。世話になりましたな」 いとまを告げる孫臏の背後から、易者が声をかけた。

「お気をつけて。またどうぞお越しください」

      *      *      *      *

 鄒忌の顔が輝いていた。彼にはとうとう一発逆転の芽が見えてきたのだ。それを献策したのは公孫閲である。この男を謀士として抱えたのは、やはり大正解だった。

「それはよい! すぐにそういたそう」 だがさすがに鄒忌である。喜んではいても、慎重さは失っていなかった。「いや、ちょっと待て。もしも大王が易者と田忌を呼び出して、両者同席の上で確かめたらどうする?」 だが公孫閲は自信満々だった。彼には緻密な計算があっての献策である。

「それは相国がこう申されればよいのでございます。現在、兵権のすべてを田忌が握ってございます。もしも彼らが不穏な動きを感じたら、田忌はどのような行動に出るかわかりませぬ、と。こう申し上げたら、大王も敢えて彼らを対決させるような真似はなさらないでしょう」 公孫閲の献策は、人間の心理の襞をたくみに衝いていた。鄒忌もゆっくりと頷き同意する。本当にこの男は切れ者じゃ。

      *      *      *      *

  案の定、鐘離春の反応は固かった。孫臏がそのような話をすること自体、彼女には大変な不満だった。

「それ、誰が言ったのよ?」 殆ど詰問に近かった。

「易者だよ」 孫臏は易者のところからかえるやいなや、鐘離春の部屋を訪ねたのだった。鐘離春の不機嫌さは、そんなことをほかならぬ孫臏から聞かされるのが嫌だった。

「ふんっ! 出鱈目の嘘八百を! あたしはそんな言葉は信じない」 彼女は易者などはなっから信じてはいなかった。生まれながらにして運命が決まっているとしたら、誰が何のために努力なんかするんだ? 彼女は自分の運命を切り開くのに、女の身で剣を習い、兵法を学んできた。そうすることで彼女の人生は、普通の女とは変わっていったはずである。それとも易者は、「それも運命だ」と言うのであろうか。

 彼女は易者が何を言おうと気にする気すらなかった。むしろ易者の言葉を馬鹿正直に自分に伝えた孫臏に怒りを覚えていた。

「でも彼の占いはよく当たるということだ。大夫たちも彼を信用しているらしい」 彼女はいい加減そんな言葉には飽き飽きしていた。

「誰が信じようと信じまいと、あたしには関係がないよ。それより、先生は信じてるの?」 鐘離春が言っていることの方がもっともだった。好きあっているのなら一緒に暮らすのが自然なことだ。何かが起こる前から心配ばかりしてみても仕方がない。人には一瞬後のこともわからないが、わからないからと言って恐れ、しり込みばかりしていたのでは、手に入るものも入らなくなる。

 それに人間は生き物だ。状況によって自分を変えていくことができる。まして愛し合っていれば、お互いを思う心が、それぞれを変化させていくものだ。自分を変えていけないというのは、愛がないからである。

「だが、その易者は間違えたことがないそうなんだ……」 孫臏の返事はまったく煮え切らなかった。

「じゃあ先生は、その易者の言ったことを信じるんだ……」 おいおい、という顔で鐘離春は孫臏に詰め寄った。彼女は現実しか見ない現実主義者である。兵家である孫臏もそうであるはずだった。なのに、今になって易者ごときの言葉を信じるなんて…!

「そうは言ってない」 またしても孫臏の返事は煮え切らなかった。

「先生は言ってたじゃない。孫子は戦の勝敗を予言するって。今まで易者の占いを信じるなんて言ったことがなかったのに……」

「それは戦のことだよ」 弁解するように孫臏が言った。鐘離春は信じられなかった。全てのことを現実と合理性で割り切って判断する男だと思ったのに、今更易者の言葉だなんて。

「じゃあ、先生は易者の言葉を信じているわけね……」 彼女は遠まわしに、孫臏が彼女の求愛を断るために易者の言葉を使っているのね、と言っていた。彼女の心は氷のように冷えていた。

「それ以上、もう何も言う必要はない……」 怒り狂うのではないかという孫臏の予想を裏切り、彼女は不思議なほど静かだった。その代わりに彼女の周囲には、何者をも通さない目に見Photo_4えない障壁が突然出来たような感じがしていた。彼女は部屋の扉を開けた。

「自分の部屋へ帰りなよ……」 男言葉のように話す鐘離春がいた。言い放って孫臏を見た彼女の瞳には、氷の炎が燃えていた。

「鐘離姑娘、私は……」 孫臏が話しかけても、もう鐘離春は取りつくしまもなかった。

「出ていきなよ…… なんでもないんだ」 孫臏はしかたなく部屋を出て行こうとり、戸口のところで立ち止まった。

「鐘離姑娘、私はあなたに大変な恩がある……」

「それとこれとは別だ。あっちへ行きなって。くそっ! へぼ易者がっ……!」 それまで感情を抑えていた彼女が、突然孫臏の背中を押して、部屋から追い出した。そしてすぐに戸を閉める。中で罵る彼女の声が涙声になっていた。

「鐘離姑娘、すまない。でもわかってもらいたい……」 扉の中に話しかけても、中からは何の反応もなかった。孫臏は仕方なくその場を離れた。部屋の中ではすべての希望をなくしてしまった鐘離春が、呆然と立ち尽くしていた。

      *      *      *      *

 自分の部屋に戻る気になれず、孫臏は禽滑の部屋を訪ねた。禽滑は飼っている亀を弄んでいた。彼は足がのろく、危機になると手足も頭も尻尾も甲羅の中に引っ込めてしまう亀に自分を投影して愛していた。

「どうでした?」 立ち上がって孫臏を迎える。

「彼女は易者の言うことなんか信じないよ」 どうしようもないといった表情で、孫臏が答える。

「では私が行って話してきますよ」 そのまますたすたと自分の部屋を出て、鐘離春の部屋を訪ねる。彼らは田忌の客といっても飛びっきりの上客である。それぞれが別々の一戸建てのような部屋に住んでいた。

 暗い中庭を急ぎ渡って鐘離春の部屋に行ってみると、扉が薄く開いていて明かりが漏れている。彼は扉をたたきながら、鐘離春の名を呼んだ。

「鐘離春……」 返事はない。そして扉には閂がかけられていなかった。思い切って扉を押し開けて入った禽滑の目に入ってきたのは、きちんとたたまれた彼女の布団と、剣がなくなってしまった剣架だった。彼女はここを出て行ったのだ。

 禽滑は自分の部屋にすっ飛んで帰った。そしてすぐに田忌に事情を話し、人手を借りて鐘離春の捜索隊を作った。そのまま暗い街に飛び出していく。

 鐘離春は身の回りの最低限のものだけを身につけ、ここを去ったのだった。孫臏が自分を必要としないのであれば、自分はここにいる理由がなかった。孫臏の煮え切らない態度は自尊心の強い彼女の心に大きな傷をつけてしまったのである。自分の気持ちを明かした上で拒絶Photo_5されたとあっては、もう孫臏の顔を見ることも辛かった。

 彼女は孫臏の前で涙を見せるくらいなら、彼の前からいなくなることを選んだ。行くあてはないが、とにかく臨淄にはいたくなかった。

 捜索隊を指揮して禽滑は暗い夜道を歩き回った。孫臏とうまくいかなくても、Photo_6 自分という男がいるじゃないか。彼は自分には何も告げないで消えた鐘離春は恨めしかった。だが禽滑はそんなことをぐだぐだ考えて時間を無駄にするより、すぐに彼女を連れ戻すために動いたのである。

               (つづく)

      *      *      *      *

 今日でもあちらでは占いは盛んですな。若い女性なんかは、男友達ができると、すぐに生年月日から占うんだそうで(一説によると、占いで良い卦が出ないと男友達にはしないとも)、私はやり方を聞いたことがないのだが(Zさんも詳しくは教えてくれなかった。ちなみにZさんは私の非常に仲良しの友人で、男性である)、生活の中に当たり前のように溶け込んでいるみたいだったね。

 まあ『周易』(鬼谷子はこれに秀でていたといわれている)に始まり、『易経』などなど、様々な本が残されている国だから(この二冊の本は、私も向こうで買ってきたけど、何のこっちゃ、さっぱりわからない。特に先日香港で購入した『易経』は、実にわかりやすく書いてあるんだけど、これはまだ読む間がなくて所々しか読めていない。早いこと勉強しなくては)当たり前のことなんでしょうな。「易」がわからなくてはこの国の歴史や文化はわからないとまでいう御仁もおられるようだから、また勉強しときますね。

 ということで、次回は第九章のお終いです。鐘離春を怒らせてしまった孫臏はいったいどうなってしまうんでしょうか。片思いの禽滑はいかに? ……

2008年11月 6日 (木)

『戦国の竜虎』・43 ~第九章 無中生有(3)~

 オバマ米新大統領は就任するやいなや、経済の立て直しという困難な仕事があるらしい。自分にはかかわりがなかったことでも、大統領とか大臣とかになると、他人の尻拭いと知りながらやらなければならないらしい。

 私の一番苦手な種類の任務でございますな。人が人の都合でやってきたことの皺寄せぐらい面倒くさいものはない。いわゆる「他人の幸せの皺寄せ」というやつだ。自分がやったチョンボは、きちんと自分で片付けていただきたいものだ。

 とは言うものの、様々な事後処理を粘り強くやってくださる方々には感謝している(でも税金を上げたり、収入を減らさないでくれたまえ。そうなったとたん、私は敵だと認識してしまうから)。自分が苦手なことだから、よけいにそう感じるのかも知れない。

 まあ誰にも、自分が人生で背負わなければならない荷物はあるから、できるだけ他人の荷物までは背負い込まないようにしたいものである。ということで(何が、「ということ」なのかさっぱりわからないが)、『戦国の竜虎』の43回目である。考えてみれば、随分打ってきたものだ。まだまだ先の方がはるかに長いんだけど。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・43 ~第九章 無中生有(3)~

【3】投壺喫酒

 正月であった。龐涓(ほうけん)率いる大軍を撃破した後の正月ということもあって、威王はご機嫌であった。大夫たちのうち数人を招いて、投壺喫酒というゲームを楽しんでいた。これは数歩離れたところに壺を置き、それに短い矢を投げて入れるという、一種の的当てのようなものだった。

 矢が見事に壺に入ると、それをゲームに参加しているものは何かをしなければならない。今で言う罰ゲームのようなものだ。威王の場合は酒を飲み干さなければならない。だいたい中国では豪快に乾杯することが多い。乾杯とは、読んで字の如く、杯を空にしなければならないから、今で言う「一気飲み」みたいなものである。

 矢を構えて投げ入れようとしている威王に、横合いから鄒忌(すうき)が話しかけた。

「田忌(でPhoto_6んき)と孫臏(そんびん)に兵権を握られておられましては、大王はいざという時、どうなされます?」 その言葉に威王は傍らの鄒忌に目をやったが、あまり心配してはいなさそうだった。

「彼らの忠誠心は疑うべくもない。余は何も心配しておらんぞ」

「ですが大王、人の心は目には見えませぬ。用心されるにこしたことはございませんでしょう」 威王はその言葉には答えず矢を投じた。その矢は見事壺の中に入った。

「おおっ! 入ったぞ。みんな呑むのじゃ。それそれ、呑んだ、呑んだ」 それを聞いて鄒忌は目の前の杯を両手で持つと、一気に飲み干した。同席している高大夫(こうたいふ)と鮑大夫(ほうたいふ)も両手で酒盃を持つが、高大夫は飲み干したものの、鮑大夫は戸惑っていた。

「大王、私めはもう酔っ払ってございます。これ以上はちょっと……」 威王は鮑大夫の方を見た。

「入ったら呑むという約束じゃぞ。それがこの席での決まりじゃ。さあ呑め」 いつの時代にも他人に酒を無理強いする人間はいるものである。そして酒の強さには個人差がある。鮑大夫は一息つくと、しかたなく言った。

「さようでございまするか…… ではいただきまする」 諦めて鮑大夫も飲み干す。それを見て威王は鄒忌の方へ向き直った。

「さて、それでそなた、何を申しておったかの?」 威王は呑気なものだった。この正月は楽しい。強国をもってなる魏に大勝したのである。虎狼の国と呼ばれる秦は遠く西にあり、秦の脅威はないに等しい。だが鄒忌は年の初めとして、油断してはならないとでも言いたげな表情で言った。

「魏軍が我が国境を脅かしており、田忌と孫臏はそれを理由に勝手気ままに振舞っておりまする。大王の命に従わぬことすらございます。現にこうしてこの席にも姿を現してはおりませぬ。これは大王など眼中にないと申しておるのと同じでございます。こういう人間にはご用心なさらなくては」

 それはいつも威王の心の片隅に存在した不安である。だが威王はそれを笑って誤魔化した。王には臣下を信頼しているという演技をしなけらばならないことがある。そうしなければ朝廷を纏め上げていくことができないからだ。

「はははは…… 彼らがやっておることは、全て我が国を守るためのことじゃ。結果がすべてを物語っておるではないか。彼らは余と余の国のことを考えてくれておる」 威王は自分の席に座ると、酒を飲もうとした。その時、高大夫が口を挟んだ。

「大王、鄒相国の申されることにも道理がございまする。彼らは兵権を一手に握っておりまする。いざというときのことも考えておかねばなりませぬ」 こういうことを口にすることが忠誠心の表れだと考えている輩はいる。危険を未然に防ぐためには、あらゆることに対して目を配っておかねばらないないのは事実だが、徒に不安を広めるだけでは忠誠心を持っているとは言わず、人心を乱しているだけである。

 だが高大夫は年をとっているだけで、そのような思慮分別は持ち合わせていなかった。人は何もしなくても年齢を重ねることができるが、本物の思慮分別は多くの経験を積み重ねなくては得られるものではない。ただ鄒忌にしても高大夫にしても鮑大夫にしても、長年威王に仕えてきた自分たちよりも、昨日今日仕えることになった田忌や孫臏が彼らよりも重用されていることに対する嫉妬がなかったといえば嘘になるだろう。

「今日その方らを呼んだのは、投壺喫酒をやるためじゃ。田忌と孫臏の話をするためではない」 威王はこの場の楽しい雰囲気を壊されることのほうを嫌っていた。その気持ちを上手に扱うことで、こちらの言うことを聞かせることも、聞かせられなくなることもできることを、鄒忌は知っていた。

「そうでございますな。よろしゅうございまする。彼らの話はなしにして、今日は呑もうではありませぬか」 そういうと彼は立ち上がり、宮人から矢を受け取り、自分から進んで壺を狙った。今日の威王は平安を乱されるのを嫌がっている。田忌謀叛の話を出しても乗ってこないと踏んだからである。鄒忌はそのあたりの呼吸を読むのがうまかった。

      *      *      *      *

 同じ頃、広大な田忌の屋敷の一角で、同じように投壺に興じる男女がいた。禽滑と鐘離春である。壺との距離は王宮のと比べると随分遠い。

「やったあ! 入ったよっ! あたしの勝ちだね!」 童女のようにはしゃいでいる彼女を見ると、類稀な剣の名手の彼女も、まだうら若い女性だということがわかる。その言葉に促されたように禽滑は彼女から矢を受け取ると、一度壺を狙って構えたが、突然投げるのを止めて、彼女に提案した。

「じゃあ私は、鐘離姑娘(しょうりぐーにゃん)より一歩遠くから投げよう。入ったら私の勝ちだよ」 言いながら一歩後退する。

「いいわよ。どうせあんたの負けだけどね」 だが禽滑がこれから狙いをつけて投げようとしたとき、突然彼女は話しかけた。

「あ、ちょっと待って」 禽滑車¥は怪訝そうな顔をして彼女のほうを見る。

「どうしたの? 気が変わった?」

「ううん。入ったらあんたの勝ちだけど、入らなかったらあんたの負けだからね。あんたの方から遠くしたんだから」 ルールの確認である。

「当たり前だよ」 勝負に拘るのはさすがに鐘離春だったが、勝負に拘るということにかけては禽滑も負けてはいなかった。慎重に狙いをつけて投げる。

 入った! 見事に入った。

「やっPhoto_4たぁ! 入った! 私の勝ちだ。私の勝ちだぞ! 勝った!」 笑い声と、喜びの声が入り混じったものがあがる。仮にも鐘離春は武芸の達人である。それに勝ったのだ。だがその声を聞いて、鐘離春の負けじ魂に火がついた。

「一回勝ったくらいで何よ? もう一回やろうっ!」 だが禽滑はそれを制した。

「待ってよ。そんなに焦らないで」

「どうして? もう止めるの?」 勝ち逃げは許さない。勝気な鐘離春の心がよく現れていた。

「いいや。約束があっただろう? 先にそれをすまさなきゃ。どっちが勝っても、負けた方は勝った方の質問に答えなきゃならないって決めてたよね」 鐘離春がすねた娘のように横を向きながら言った。

「じゃあ、聞けば」

「正直に答えてね」 禽滑が念を押す。

「もちろん。さっさと聞けば」 しつっこいわねという表情を浮かべて鐘離春が言う。

「じゃあ聞くよ。…鐘離姑娘は綺麗だし、すごい才能もある。でももう好きな人はいるの?」 禽滑にとっては至極大切なことだった。だが鐘離春はまるで少女のような反応をした。くるりと背を向けると短く答える。

「知らない!」

「正直にPhoto_5答えるって言ったじゃない」 そのまま数歩遠ざかろうとしている鐘離春の背中に、禽滑は再度質問を浴びせようとした。

「正直に答えてるわよ!」

「鐘離姑娘、もう一度聞くよ。あなたはもしかしたら孫先生と結婚したいんじゃない? 否定しなかったら、そうだと思ってもいいんだよね?」 後姿の彼女に近づきながら、禽滑が尋ねる。

「違うわよ!」

「じゃあ、誰と結婚するの?」

「知らない!」

 禽滑は彼女が孫臏救出のため、初めて臨淄を訪れたときから彼女に一目ぼれしていた。彼にとってはすこぶる大切な、一生の問題だったのである。彼女が孫臏と相思相愛ならばどうしようもないが、もしかしたらという気持ちがあった。

「鐘離姑娘、もしも孫先生が、あなたと結婚する気持ちがないと言ったら、その時は私が申し込んだらだめかな?」 最後の一言は断崖絶壁から飛び降りたつもりだった。だが彼女の返事は冷たかった。

「からかわないでよ!」

 鐘離春は、返事の割にはまじめな顔をして言うと、くるりと背を向けて足早に立ち去った。禽滑はその後姿が建物の中に隠れるまで目で追って、ため息をついた。彼もまた一人の女性をめぐり、孫臏と複雑な人間関係になろうとしていた。だが彼は公孫閲のように、好きな女を手に入れるために策略を使うわけにはいかない。孫臏との人間関係にひびを入れるわけにはいかなかった。

 禽滑は持っていた投げ矢を乱暴に壁にぶつけると、足早に歩き去った。鐘離春と話が出来ないのなら、孫臏と話をする以外方法はなかった。

      *      *      *      *

 鄒忌の館では公孫閲の前を、鄒忌が歩き回っていた。彼は今日の王宮でのできごとを公孫閲と話していたのである。

「信じてくれなかったPhotoですと? 一度で 信じてくださらなければ二度、二度でだめなら三度、何度でも繰り返してごらんになれば、きっと大王も信じてくださるようになりますよ」 公孫閲は自信を持っていた。この類の流言は確かにその傾向が強い。最初は「信じられない」と言っていた人間も、二度、三度と繰り返されるうちに、何となく信じてしまうようになるのだ。

 だがこの方法には欠点もある。それは鄒忌が田忌と孫臏に対して謀略をかけようとしていることが露見しやすいという点である。敵として姿を現してしまえば、相手も守り易くなるし、当然対策を立ててくるだろう。そうなると武官の田忌相手では、鄒忌のほうが分が悪かったのだ。

「じゃが、わしの言葉だけではのう。やはり証拠がなければ、大王は信じてはくださらぬ」 公孫閲はふっと、薄笑いを浮かべた。

「証拠でございますか。それは次の段階でございましょう。しかたがありませぬな。機会を待つことにいたしましょう」 公孫閲も鄒忌が動きかねている状況を理解するしかなかった。

      *      *      *      *

 同じ頃、孫臏は田忌の館の中に与えられた部屋で、くつろいだ恰好で兵書を読んでいた。そこへ思いつめた表情の鐘離春が入って来た。孫臏は兵書から目を放し、彼女の方を見た。

「どうしたの? まだ寝てなかったの?」

「うん。寝付かれなくって」 鐘離春の脳裏には、昼間禽滑から言われた言葉がこびりついていて、眠れなかったのだ。

「何か心配事でも?」 それには答えず、鐘離春は彼の前に座り込んだ。そして孫臏の顔を見にくそうにしながら、それでも最後は正面から彼の顔を見た。何か大事な話があるのだなと知った孫臏は、手に持っていた兵書を傍らに置いた。

「う……ん。 ……孫先生は家庭を持つことは、考えたことはないの?」 彼女のほうからは切り出しにくい話である。

「それが何か……?」 孫臏はいつもその話からは逃げ続けていた。彼は大業をまず成し遂げて、それから家庭を持つものと、完全に分けて考えていたが、それは一般の人間からは考えにくいことだった。

「気にしないで。ただ知りたいだけ」 孫臏は暫く彼女の顔を見ていたが、やがて目線を外し、首をPhoto_2振った。

「……今はまだ考えてない」 鐘離春は質問の仕方を変えた。

「じゃあ、この人はと心に決めた人は?」 だが孫臏はその本題からは徹底的に逃げ続けていた。

「それもまだいない。鬼谷先生は、まず大業を成せ、家は自然に出来るじゃろうと仰っていた」 家は自然に出来ることもあるだろうが、そうでないときもあるだろう。孫臏は師である鬼谷子の言葉に縛られすぎているのではないかと、鐘離春は感じていた。

「でも先生、先生はもう立派に業績を残しているじゃない」 だが孫臏は笑った。

「まだまだ… こんなのはまだ、ほんの手始めだよ」 その言葉に鐘離春はまたも質問の仕方を変えた。

「じゃあ先生、もしも先生が思う大業が成った時、どんな女を娶ろうと思っているの?」 そこまで尋ねられたら、彼女が何を言いたがっているのか、どんなに孫臏が鈍いとしても機がつかないわけはなかった。だがこの男には男女間の関係だけは、口に出す勇気がなかった。彼は兵法を語らせば天下無敵だったかも知れないが、自分の人生に関しては全て天命という名前の他人任せのところがあった。

 天命とか師の言葉とか言っても、それは所詮他人が様々に働きかけた結果である。そこに自分から積極的に働きかけていくことで、天命は姿を変え、師の言葉も意味を変えていくことがあるとは、この男は考えたことがなかった。

 孫臏はちらりと鐘離春のほうを見て、また視線を落とした。鐘離春も視線を落とす。彼は何を語ればよいかわからなかった。この男は勉強家で博学で、洞察力も優れてはいたが、男女間のことに関しては、自分の気持ちを自分の言葉で話すことはできなかった。

 彼女の献身的な愛情はわかっていた。きっと自分の両脚が不自由なことも、何もかも承知の上で言っているのであろう。だがその気持ちに甘えてしまって、一生彼女のお荷物となって生きていくことが、彼女に悪いように感じていた。彼女はそんなことは露ほども思っていないのにである。

 しかたなく彼Photo_8は話題を変えようとした。傍らの兵書を手に取り、話しかける。

「…あ… 兵法を教えてあげよう。兵法は好きじゃなかった?」 とんちんかんな言葉である。鐘離春は兵法についてはすでに鬼谷子より、入門を許さずという返事をもらっている。日ごろ孫臏からも、兵法は女性には似合わないと聞かされているし。

「鬼谷先生に言われたんじゃなかったの? 『孫子の兵法』は他人に教えてはならないって」 中国では一子相伝という言葉がある。その家で大切なものは、跡継ぎの息子にしか伝えないという考え方である。この場合も女性に伝えられることはない。何故ならば、いずれ他家へ嫁いでいくからで、そうすると自家の優れたものが他家に流出してしまうからだ。

 こういった思考法のもと、優れた者が時間の流れの中でたくさん消えていった。継いだ者の身の上に事故でも起これば永遠に失われてしまうからだ。『孫子の兵法』も、孫臏が死ねば永遠にこの世からは消えうせてしまう。そしてその危険はすでに何度かあった。

「いやいや、『孫子の兵法』以外にも、『太公望兵法』、『司馬兵法』など、いろいろあるよ。これを見てごらん……」 だが兵法が学びたくてしかたがなかったはずの鐘離春の反応は冷たかった。

「そんなもの、どうでもいい。さっきの質問に答えてよ。どんな女を奥さんにするの?」 今夜の鐘離春は執拗にそれに拘った。孫臏も話題を逸らしかねて、子供のように竹簡をいじくっていた。

「先生、寝たほうがいいわ。あたし帰る」 煮え切らない孫臏を見て、彼女は腰を上げた。部屋を出て行く彼女の背を見送りながら、自分のどうにもならない身体のことを考え、孫臏の心は暗かった。ただ今の彼はたとえ五体満足で健全であったとしても、身を固めることはできないと感じてはいたが。

      *      *      *      *

 相国府の奥まった一室に、公孫閲と鐘離秋(しょうりしゅう)は住んでいた。三つの蝋燭が立った燭台が立っている。鐘離秋は寝台に腰を下ろしていた。公孫閲は寝返りを打ったとき、彼女が起き上がっていることに気がついた。

「おお、お前。まだ寝てなかったのかい?」

「眠れないのよ」 鐘離秋もまた眠れないでいた。

「どうして? まさか、ここ何日も私が忙しく飛び回って帰るのが遅いもんで、怒っているんじゃないの?」 公孫閲も置きだして彼女の肩を抱く。

「そんなんじゃないわ。姉さんのことを考えていたの。明日会いに行ってもいい?」 だが公孫閲はそれを認めなかった。彼の秘密工作が動き出すまでは、斉に彼らがいることは知られたくなかった。

「もう少し待っておくれ」 鐘離秋が姉と会ってしまったら、当然彼らが斉にいることは孫臏に知られてしまう。そうすると今やっている秘密工作がうまくいかなくなる。

「もう随分待ったわ。まだ待たなきゃならないの?」 男達の思惑など全く知らない彼女は、もどかしそうに言った。

「私たちは斉に来ているんだよ。全然様子がわからないところで、何もかも相国のお世話になっている。でも相国は田忌と反目しあっていて、姉さんは田忌のところの客人だよ。こんなときに姉さんに会ったら、相国はどう思うだろう?」

「わからないように行けばいいんじゃない?」 子供のように率直に問いかける鐘離秋を、公孫閲は辛抱強く説得しようとしていた。

「すぐにわかってしまうさ」

「じゃあ、いつになったら、姉さんに会いに行けるのよ?」

「だからもう少しだけ待って。そんなに長くじゃない。私が相国の信任を得るまでの辛抱だよ」 普通信任を得るには長い時間がかかるものなのだが、利害関係でつながる場合には、利を見せるだけで信任は得られる。

「それ、長くかかりそうじゃない?」

「そんなに長くはかからないよ」 子供をなだめるのと同じであった。

「公孫閲、じゃあ、一日も早く信任が得られるように頑張ってね」

「うん。任せなさい。頑張るよ」 公孫閲の目的は、龐涓に命じられた通り、孫臏を葬ることである。それさえ出来れば彼は大手を振って魏に帰ることができる。だが鐘離秋はそんな「大人の事情」は全く知らされていなかった。彼女は姉や孫臏と自由に会えるようになることを願っているだけだった。

      *      *      *      *

 将軍府の広い中庭で、孫臏は両脚が痛むのもかまわず剣舞を舞っていた。一心に剣を持ち、さまざまな使い方をする。剣舞は舞だが舞ではない。その中には様々な剣を使う上での技Photo_3が含まれている。日本の武術でいえば「型」のようなものだった。昨夜の鐘離春の言葉が孫臏の脳裏にこびりつき、彼もまたまんじりともしないで朝を迎えたのである。そして今は迷いを振り切るために、剣舞を舞っていたのだ。

 いつから見ていたのか、禽滑が階段を下りてきた。孫臏は額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。右膝をいたそうに押さえる。それを見て禽滑は立てらせてあった杖を持ち、彼のところまで歩み寄る。

「孫先生、膝に悪いでしょうに、どうして剣舞なんか……」

「私もやりたくてやっているわけではありません。禽先生、何か私に御用ですか?」

 手渡された杖をついて、剣を禽滑に渡しながら尋ねた。

「ちょっと、言いにくいことがあって……」 禽滑は本当に言いにくそうだった。それもそのはず、彼は鐘離春のことを話そうと思っていたのだ。

「遠慮なく。私たちの間じゃないですか、水臭い」 その言葉に背を押されたのか、禽滑は喋り始めた。

「…じゃあ遠慮なく。先生は鐘離春を娶るつもりはおありですか?」 孫臏は暫く禽滑の顔を見ていた。男女間の感情には徹底的に疎い孫臏は、禽滑が実は彼女を好いていることに気がついていなかった。

「それ、彼女に頼まれたんですか?」

「違います。私自身の意思で来ました」 これでもまだ孫臏には禽滑の気持ちがわかっていなかった。

「鐘離姑娘には途方もない大きな恩がある。娶るなど、とても……」 それは一般的な答えである。彼の本心は、彼女の言葉に動揺して、痛む膝のことも考えないで剣舞を舞わなければならないほどだった。つまり彼は鐘離春は好きだったのである。その気持ちを抑えたり、隠したりしようとすれば、言葉は体裁だけに拘ったものになってしまう。

「彼女が好きではない?」 それに対して禽滑の言葉は鋭かった。それは彼には迷いがないということを意味している。

「ごらんください。私の身体はこんなありさまです。生活をするだけでも、いろいろと不便があります。もしも彼女を娶ったりしたら、彼女は一生私の面倒をみなければなくなる。それでは余りにも彼女に悪いのでは、と思っています」 禽滑が期待していたのは、そんなあ優等生の作文ではなかった。彼は孫臏の本心が知りたかったのである。

「もしも彼女が、一生先生の面倒をみたいと言ったら? それでも先生は彼女を娶りませんか?」 孫臏はため息をついて首を横に振った。

「孫先生、あなたは戦ならばどんな策でも思いつかれるのに、こんなことに関しては、何の策も出ないんですね」 だいたいこういった立ち入った話をすること辞退、禽滑が鐘離春に対してどんな感情を抱いているかを雄弁に物語っているのに、この稀代の兵家はまったく気づいていなかった。孫臏は少し情けなさそうな顔をして、遠くを見る目になった。

「それじPhoto_7ゃあこうしましょう。これから易者の所へ行きます。彼に易を立ててもらいましょう。そして先生は、易者の話を彼女に伝えたらいい」 これは禽滑としては大きな賭けだった。だが易者が孫臏と鐘離春の相性がいいと言ったら、きっぱり諦めるつもりでいた。

「う……ん」 暫くして孫臏は答えた。

「行きましょう」 禽滑は孫臏を促した。

             (つづく)

      *      *      *      *

 いやはや、恋愛は難しい。こんなところを見ると、孫臏は本来、不器用な人だったんでしょうな!

2008年11月 5日 (水)

『戦国の竜虎』・42 ~第九章 無中生有(2)~

 昨日は一日中、某音楽プロデューサー兼ミュージシャンの逮捕のことだらけだったし、今日はオバマがアメリカ大統領当選と、先日の大阪のひき逃げ事件の犯人が捕まった話と、昨日の逮捕劇の続きをニュースでは連続して喋り続けている。

 いろんなところで、いろんなことが、いろんな風に起こっているんだなあと感じる。我々が生きている「現在」という時代は、きわめてダイナミックに変動を繰り返しながら進んでいる。それはきっと、何千年もの人間の歴史の中で、同じように続けられてきたんだろうね。ということで、『戦国の竜虎』の第42回目である。この時代も、きっと人の営みはダイナミックだったんだろうね。

      *      *      *      *

『戦国の竜虎』・42 ~第九章 無中生有(2)~

【2】埋伏の毒(まいふくのどく)

 公孫閲(こうそんえつ)は自ら手綱をとり、馬車を東に向けて走らせていた。後ろには鐘離秋(しょうりしゅう)がいる。道は斉につながっている。魏を逃げるように去っているはずなのに、鐘離秋はまるで少女のようにはしゃいでいた。本当の目的の意味をよく理解している公孫閲は、複雑な気持ちにならざるを得ない。だがそんな公孫閲の気持ちなど頓着しないで、弾Photoんだ声で鐘離秋が尋ねた。

「公孫閲、臨淄((りんし)はまだ遠いの?」

「いや、もうすぐだよ」

 表向きは生命の安全を求めての逃避行だったが、鐘離秋は姉や孫臏(そんびん)と再会できるのが嬉しくてたまらなかったのである。

「臨淄へ着いたら、姉や孫先生と会えるのね」 妻の、結婚以来最高の笑顔につられて笑っていた公孫閲だったが、孫臏の名前を聞いただけで、苦虫をかみつぶしたような表情に変わった。突然、不機嫌に馬に鞭をくれる。

「あら、何を黙りこくっているの? 私はもうあなたに嫁いだ女よ。何を心配しているの?」 鐘離秋は公孫閲に言ったが、公孫閲はそれとは別のことを考えていた。本当は自分はその孫臏を消すために斉に向かっているのだ。だが、それを正直に言えるはずがない。鐘離秋は孫臏の生命を守るためなら何だってやるだろう。自分の夫を殺すことも含めてである。だから全く別のことで彼女の気を変えようとした。

「いや、私はお前のことでは心配はしていない。だがまだお前に言っていないことがあるんだ」 鐘離秋の顔を不安の陰がよぎる。

「何よ?」

「彼を逃がしてやった時、誓わせたことがあるんだ。お前には永遠に会わないようにとね」

 公孫閲としては当たり前のことだろう。もしも孫臏に鐘離秋を取り戻す気があれば、魏に戦をふっかけ、どこかの城を落として、その城と引き換えに彼女の身柄を要求すれば、魏王だって女一人と城一座との交換は喜んで行うだろう。公孫閲が最も恐れていたのは、その点であった。

「ばかばかしいわ。脅して無理やり誓わせたのなんか、何の意味もありゃしないわ」 鐘離秋はまったく取り合わなかった。だからこそ公孫閲は孫臏に誓わせたのだ。

「お前は間違っているよ。先日私が龐涓(ほうけん)の前に出たとき、彼は私に生を選ぶか、死を選ぶか迫った。私はそこで死を選んだ。それはお前を本当に愛しているからだ。だが孫臏は生を選んだ。これは心底からお前を愛していない証だとは思わないか? だから彼には永遠にお前に会う資格がないんだ」

 これは公孫閲という人間と、孫臏という男の本質をよく言い表した言葉である。公孫閲はすべてのものより鐘離秋を大切にしている。だが孫臏が一番大切にしていたのは『孫子の兵法』であった。『孫子の兵法』の優秀性を天下に示すためには、己の欲も自分を好いてくれている人間も、すべて犠牲にしかねない。

 だから公孫閲は鐘離秋を救うために、真相を龐涓に白状した。ところが孫臏がやったことは『孫子の兵法』を守るために、自分を愛してくれている鐘離秋を一番最初に欺いたのだ。本当に鐘離秋を愛しているのは公孫閲だった。だが鐘離姉妹に流れる情熱的な血が、どうしても鐘離秋の目を孫臏に執着させてしまって、現実を見させないのだった。

「そんなこと… 彼も今では気が変わっているに違いないわ」 だが公孫閲は意外なほど冷静に言い放った。

「天下に大業を」なそうという人間は、何よりも信義を大切にする。孫臏もおそらくそうだろうよ。一度立てた誓いは破らないだろうね」 公孫閲は孫臏にまだ思慕の情を抱いている鐘離秋を、気長に説得していた。

 天下に大業を成そうとしている人間は、信義を一番に大切にするが、それはあくまで理の部分であり、そのためには情を犠牲にすることが往々にしてある。鐘離秋は情の領域で孫臏を慕っていたのだが、孫臏は情けよりも理を大切にする男だ。彼女に情の領域で必死に応えようとしていたのは、彼女の目の前にいる公孫閲だったのである。だがまだ鐘離秋は公孫閲の存在が、彼女にとってどれだけ大きなものかに気づいていなかった。

 公孫閲の説明に、鐘離秋の表情は曇った。

「じゃあ、私たちは臨淄に着いた後、誰のところへ行くのよ?」 公孫閲は振り返りもしないで答えた。

「鄒忌(すうき)相国は賢臣だと聞いている。彼のところで世話になるつもりだ」 龐涓に指示されている通りである。彼らはこれから鄒忌のところに身を寄せる。公孫閲ほどの人物であれば、理由さえ疑われなければ、必ずや鄒忌も受け入れるだろう。

 公孫閲は鋭く馬に鞭を入れた。それきり彼は前を向いたまま、馬を操り続けた。彼の任務もたやすいものではなかった。後ろの座席で鐘離秋は黙りこくっていた。

      *      *      *      *

 臨淄へ到着するやいなや、彼らは相国府を訪ねた。鄒忌も朝廷での権力を田忌と孫臏に握られPhoto_2、暇そうにしていた。面会を許された公孫閲は、鄒忌の前に出た。

「そなたはどうして龐涓のもとを離れ、斉にやってきたのかな?」 ここからが最も重要だった。なんとか鄒忌に信用させ、彼のもとに潜り込まなければならない。彼のもとでなければ任務を果たすことは困難なのである。

「龐涓が私の妻を殺そうとしたからでございます」 そんなことは遠からず鄒忌の耳にも入ることである。

「なぜ、そなたの妻を殺そうとしたのじゃ?」 当然の問いだ。

「私の妻はかつて、孫臏を魏から斉へ逃亡させたのでございます」 ここまでは龐涓ですら信じた話である。

「それではそなたたちは、孫臏のところへ行くべきではないか。わしのところではお門違いというものではないかな」 鄒忌も馬鹿ではない。それどころか本来、大変に頭脳明晰な男である。疑わしいところがあれば遠慮なく彼を、魏から送り込まれた間者として扱うだろう。それでは公孫閲に課せられている任務は遂行できない。

 公孫閲は暫く答えにくそうにしていたが、やがて下を向いたまま語り始めた。

「彼のところに身を寄せましたら、私の妻はきっと彼のところへ逃げ、私のもとにはいてくれないでしょう」 これは事実そうなる危険性がある話である。魏から亡命したばかりの公孫閲と、斉で龐涓を何度となく撃退して権力を握っている孫閲とでは勝負にならない。

 これもまた説得力のある話であった。嘘をつくのが上手な人は、嘘八百を並べたりはしない。殆どが真実の言葉を並べておいて、肝心なときに、肝心なところだけ最小必要限度の嘘を混ぜるのである。

「なるほどな。ではわしのもとにおるがよい。ただし暫くは出歩かぬようにな」 鄒忌はゆっくりと言った。彼も公孫閲を自分のもとに置くことの意味はよく理解している。なんと言っても彼はつい数日前までは龐涓の懐にいた謀士なのである。

 公孫閲はにやりと笑った。彼にも鄒忌の気持ちはお見通しである。敵国の中枢にいた男を手元に置こうというのである。話の裏を取るのは当たり前であった。

「わかっております。相国も私の話の裏を取るのでございますね」

「いやいや、そなたを疑うてのことではない。わしはそなたにわしの謀士だけでなく、斉全体の謀士になってもらいたいと思うておる。じゃから何事も慎重にやらねばの」 鄒忌は笑って答えた。だいたいこの男は誰も信用したりするような甘い男ではない。鋭い読みと計算で全てを判断する男である。だから話の裏を取るなどというのは当たり前のことだった。

 彼が考えているのはそんな単純なことでなく、いかに彼に「切り札」としての機能を持たせるかということであった。鄒忌の目的はあくまで、斉の朝廷での権力を絶対的なものにすることである。

 公孫閲は軽く頭を下げて答えた。これでまず第一関門は突破できたようである。あとは鄒忌の言うとおり、彼が斉に来ていることは暫く隠さなければならない。彼が斉に来ていると知られるだけで孫臏らは警戒するだろう。そうすればかかるはずの策がかからなくなってしまう。

      *      *      *      *

 練兵上に的がずらりと並んでいた。孫臏が軍師となって以来、鍛えに鍛えてきた弓兵が、普段の鍛錬の成果を威王の前で披露しようというのである。

「構えてPhoto_4!」 田国将軍の大声が響き渡る。号令に従って一斉に弓兵が矢をつがえ、引き絞る。

「射よっ!」 一斉に弓を離れた矢は、的に命中する。外れた矢は一本としてない。田国の号令に従って、何列にもなっていた弓兵が、入れ替わり立ち代り射続ける。どの兵も的を外したりしない。

「ほう…… たいしたものじゃ」 威王はご満悦の態であった。今まで彼はこのような弓兵を見たことがなかった。一糸乱れず行動するばかりでなく、腕前が素晴らしい。

「構えて、射よ!」 田国将軍の号令はまだ続いている。その号令にしたがって、斉の兵たちは腕前を見せ続けている。

「天晴れPhoto_3じゃ。余には忠誠心疑うべくもな い将軍と、用兵神のごとき軍師がおる。それにこのような精兵もついておる。天下に諸侯数多しといえど、余に対抗できる者がいようか? 田将軍、孫軍師、余は今後永遠に軍をそなたたちに預け、口出しをしないことにしよう」 威王は大変にご機嫌で、そばに侍っていた田忌と孫臏に大権を託した。もちろんこの王のことであるから、いつ何の拍子にひっくり返ってしまうかも知れない言葉ではあったが、それでも田忌と孫臏は頭を下げた。

「大王、御信任、ありがとうございまする」 暫く練兵の様子を見た王は、ますます満足の度合いを深めて王宮へと帰って行った。

       *      *      *      *

 その頃相Photo_5国府では、鄒忌が公孫閲を招いていた。両者の前にテーブルが準備され、下女がテーブルの上に酒と料理を準備している。

「公孫先生、そなたの申されたこと、すべて裏が取れた。まずこの一杯は、先生を疑ったことへのお詫びの気持ちじゃ」 鄒忌は左手で杯を持ち、公孫閲を誘った。公孫閲も両手で杯を捧げ持ったが、そのまま杯をテーブルに戻した。

「相国、そのようなこと、お気になさらずともようございます」

「なぜじゃ?」 公孫閲はまずは当たり障りのないことを答えた。

「相国は大権をお持ちでございます。国家の存亡は相国の手にありと言っても過言ではありますまい。そのようなお方にお仕えするのでございますから、身辺をお調べになるのは当たり前でしょう」 公孫閲は鄒忌の行為の容認する発言をした。これは彼自身の保身のためである。鄒忌はなかなかの人物であり、人もそんなにたやすく信用したりはしない。要人はいくらしてもしすぎということはなかった。

「さようか。そうであるな。ではこの一杯は、先生との出会いに捧げようではないか」

「それとお互いが相互利用することにも捧げたいですな」 この公孫閲の言葉に、今度は鄒忌が杯を置いた。すでにこの二人の間には、丁々発止の駆け引きが始まっていたのである。

「それはどういう意味でござるかの?」 案の定、鄒忌がこの言葉に反応した。

「相国、相国は私がどうして相国のもとに身を寄せたか、おわかりになりますか?」

「それはわしが相国であるからであろう。わしのもとにおれば、栄耀栄華を極めることもできぬことではないからの」 公孫閲は、あっはは…と、軽く笑い流した。

「私、公孫閲は、魏にあっては龐涓のもとにおりました。栄耀栄華を求めるだけなら、魏におったままでもよかったのでございます」 それは事実であった。天下の情勢を考えてみれば、魏にいたほうが有利だったかもしれない。

「では何を思ってわしのもとに来られたのかの?」

「それは妻のことを考えたからでございます」 公孫閲は徹底的に単純な愛妻家を演じようとしていた。

「それはすでに聞いたことじゃな」 だが公孫閲は深刻そうな顔をしたまま喋り続けた。

「今でも彼女の心は、私から離れたままでおります」 公孫閲は彼と鐘離秋の話を聞かせることで、鄒忌に彼の弱点を握ったような感覚を持たせようとしていた。相手の弱みを握ったと思う人間は、相手を信頼したり、隙を見せたりするものなのだ。その隙を上手に使えば、彼は上手に鄒忌を操ることができるかも知れない。

 さらにもっと直接的な目的もあった。彼が妻の鐘離秋が孫に心を寄せていることを快く思っていないと鄒忌に思わせることができれば、いざ孫を除くという時になって、その理由が合理的に説明できる。鄒忌もきっと納得するであろう。

「わしにそなたの妻を繋ぎとめておく手助けができるとでも?」

「いえ。私が相国にお願いしたいのは、孫臏を消すことでございます」 公孫閲の目線が厳しくなった。だが鄒忌もさるもので、彼の真意を探ろうとしている。

「そなた、なにゆえわしが彼を除こうと思うておることを知っておる?」 だが公孫閲はさらりと答えた。

「孫臏はかつて相国をさらし者にし、相国を辱めたことがございましたな。それゆえ私は相国には必ず彼を片付けたくお考えと察しておりました」 公孫閲の言葉は鄒忌に、あの一生忘れることができないであろう事件を思い出させた。彼は公孫閲と乾杯するところだったことも忘れ、目の前の杯を一気に飲み干した。

「そしてその前に、田忌を除かねばならんでしょう」 鄒忌が杯をテーブルに戻す前に、公孫閲は言葉を続けた。それに答えるように鄒忌もしゃがれ声で搾り出すように言った。

「きゃつら二人は、どんなことをしても生かしてはおけん!」 

「ですが現在彼らは兵権を握っております。彼らを除こうと考えれば、まず彼らから兵権を奪わなければなりません」 公孫閲は冷静に言った。もう酒席ではなく謀略をめぐらせる場になってしまっていた。

「じゃが田忌と孫臏が龐涓を打ち破って以来、大王のきゃつらへの信任は厚く、兵権を奪うといってもたやすいことではないぞ」 途中で公孫閲のほうに目線を移し、そして下を向くと、何度か頷きながら、鄒忌はつぶやくように言った。実際、田忌と孫の権力は強くなりすぎており、鄒忌一人では逆転など思いもつかなかった。

「難しゅうはございますまい。まず斉の国を考えてみましょう。斉王が今最も恐れておられるのは、他の人間に王座を奪われることではございますまいか。これはたとえ同族の方々であっても同じでございましょう」 斉の国は威王の三代前で姜氏斉から王座を奪い取ったものである。王座を奪い取った者は、今度は他人に奪い取られることを恐れるものだ。公孫閲はそこを衝いていた。「田忌は斉王の一族でございますが、兵権を握っております。もしも彼に王座を狙う野心があれば、いかがなりますかな。大王にはこれだけで十分でございましょう」

 俗に岡目八目というが、斉の朝廷に詳しくないからできる発想であったかも知れない。王と臣下に離間の策を講じるにはきわめて一般的なやり方である。それは田忌がいかに威王に忠実かを知らないから出せる策であった。そして案外こういった手は通用するものだ。

「しかし、大王がそのようなこと、信じるかな」 鄒忌は懐疑的だったが公孫閲は妙に自信ありげだった。

「私に一つ策がございます」 鄒忌は公孫閲のほうに身を乗り出した。

「それはどのようなことじゃ?」 公孫閲の答は簡単だった。

「無中生有でございますよ」 これは現在の中国では、根も葉もない噂を立てるという意味で使われる言葉だが、根も葉もないつまらない話でも、それを流す場所や相手、タイミング次第で大きな混乱を引き起こす危険性を持つものである。身一つで斉にやって来た公孫閲は、斉の相国に対してこれを献策することで大きな混乱を起こそうとしていた。

                 (つづく)

      *      *      *      *

 さあて、派手な戦はございませんが、権謀術数渦巻く世界になってきましたなあ。私が始めて兵法書を探し始めた頃、決まって本屋さんのビジネス書のコーナーに並んでおりました。つまり兵法はビジネスで使えるものと、現代では考えられているようです。

 ビジネスで戦争が参考になる場合はあるでしょうが、むしろ私は人間対人間の駆け引きの方がどちらかと言うと参考になる場面が多いのではないかと思っております。そうするとこれからこの九章も、なかなか味のある章になりますぞ。

 この章以降、公孫閲は死ぬまで斉で暗躍することになります(けっこう出世する)。公孫閲の策士としての本領発揮ですが、彼的には龐涓の命令に素直に従って、それこそ命がけで全力を尽くして生きていくわけですな。剣客てしても彼の姿はあまり出ませんが(全然ないわけではない)、彼の剣術はつねに恐れられ、策を講じるにも公孫閲は剣が凄いというのが絶対に考慮される事項になってきます。

 なんとなく「勝負は刀を鞘の中に納めて決するもの」という世界で、武人としても理想的でございます。まだまだこの御仁の大活躍は続きます……

2008年11月 4日 (火)

『戦国の竜虎』・41 ~第九章 無中生有(1)~

 めっきり秋らしくなりまして、朝晩は寒いくらいの時もありますな。こういう時期には熱燗でキューっと、なんてとてもよろしいようで。秋は読書の秋と言われるそうですが、やっぱり夜が長いから? でも現代は夜も明るいので、結構外で遊べますけどね。

 私の住んでいるあたりは、夜になると人通りも少ないので(まだ。近隣に大型電気店などなど、大型店舗がやってきていますので、夜10時くらいまではまだ明るいところもありますが)、もうおんもで活動する気にはなれません。

 夜は一杯やりながら、読書。これは学生時代から続いている私のライフスタイルでございます(このごろはDVDを見ていたりしますが。なにしろ海外で書い溜めたものが多く、なかなか見終われない)。まあ、これが今のところ、一番のんびりした時間かな(学生時代からそう感じでおりましたから)。

 ということで、久しぶりの『戦国の竜虎』でございます。前章で孫臏(そんびん)の「以逸待労」の計で完膚なきまでに叩きのめされた龐涓(ほうけん)が、どのような策に出ますことやら……

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『戦国の竜虎』・41 ~第九章 無中生有(1)~

【1】真相露見

 鐘離秋(Photo_8しょうりしゅう)が夫の衣服を縫っていた。夫の公孫閲(こうそんえつ)は外出している。前の負け戦から帰宅して、彼女の夫は代わらず優しかった。最初は夫に冷たかった彼女も、最近は公孫閲の、どこまでも彼女に対して優しくあろうという態度に、少しずつ凍っていた心も溶け始めていた。彼女の心の中心を占めているのは、相変わらず孫臏だったが、公孫閲の存在も容認し始めているのだった。

 そこへ唐突に二人の兵士が入って来た。鐘離秋は顔を上げて彼らを見る。彼らはきわめて事務的な口調で、用向きを伝える。

「鐘離秋、龐元帥が元帥府にお越し願えまいかと仰っておられます」 鐘離秋は理由を尋ねた。

「龐元帥が? 私などに何の御用でしょう」

「我々も知らされてはおりません」 鐘離秋は針仕事に戻ろうとした。

「用向きも定かでないようなことに、私は参りません」 彼女は龐涓の謀士、公孫閲の妻である。いかに元帥府につめる者とはいえ、一介の兵士が気安く口がきける存在ではない。だが二人の兵士はその言葉を聞くと、強引に彼女の両腕を捉えた。それは罪人を連行するのと同じであった。

「来ないといわれようが、来ていただく」

「何をする、無礼な。この手を放しなさい! 私は行かない」 暴れて抵抗しようとするが、大の男二人に両側から腕を捉えられては、ろくに抵抗することもできない。そのままほとんど引きずられるようにして連行される。

「理由はすでに申しております。元帥がお呼びです。これ以上の理由が必要ですか?」 口調は丁寧だが、兵士達の行動には、有無を言わさない強引さばかりが目だった。

「この手を放しなさい! 何をするの?」

 公孫閲の住まいと元帥府はさほど遠くない。すぐに彼女は龐涓の前に引きずり出された。兵士達は彼女を龐涓の前に突き出す。

「元帥、ご命令どおり、鐘離秋を連れて参りました」 突き飛ばされたひょうしに転んだ鐘離秋は、膝のほこりを払いながら立ち上がる。背中を向けていた龐涓が、ゆっくりと振り返った。

「うむ。下がっておれ」 龐涓は兵士を下がらせると、塵を払っている鐘離秋を見据えて言った。「鐘離秋、わしがなぜそなたを呼びつけたか、わかるか?」

「わかりません」 彼女は龐涓の顔を見もしないで答える。

「そなたの姉は斉におって、わしに生き恥をかかせてくれた。わしには人前に出せる面もなくなってしもうたわ」 自尊心の強い龐涓にとって、四カ国の兵士や将軍たちが見守る中での恥辱は、死んでも忘れられそうもなかった。

「それは姉がやったこと。私には何の関係もございません」 鐘離秋は顔を上げ、まっすぐに龐涓の目を見ながら言い放った。

「本当に関係はないのか? お前達が孫臏を逃がしたのであろう? でなければ脚の悪い奴が斉になど逃げられるはずがなかろう? そして孫臏はお前の姉を使って、わしに恥をかかせた」 これは龐涓としては最も持ちやすい考え方である。

「私は孫臏を逃がしてはおりません」 彼女の答えていることは事実だった。だが龐涓にそれを信じろというのは難しかった。

「お前でなければ、他の誰が逃がしたと言うのじゃ?」

「知りPhotoません」 本当は知っていた。彼女は自分の夫の公孫閲と、姉に斉から使者として魏に来ていた禽滑(きんかつ)が協力して彼を斉に連れ出したことは、姉から聞かされて知っていた。龐涓は彼女のほうに歩み寄った。

「まさか… 公孫閲ではあるまいの?」 これはかねてより龐涓が疑っていたことである。公孫閲のような有能な男が、よほどの隙を見せない限り、孫臏が脱出できるはずがない。だがもしも彼が何らかの理由で孫臏脱出に協力したと考えれば、簡単に脱出することができたであろう。

「違います。彼ではありません」 鐘離秋はあれほど嫌っていたはずの夫を庇った。決して彼女が望んだ結婚ではなかったが、夫はなかなか心を開こうとはしない彼女に対して、いつも精一杯の献身な愛情を注いでいた。情が移らないはずがなかった。

「彼でなければ、誰だというのじゃ?」 龐涓はなおも詰問した。

「知りません。知るわけがないでしょう!」 鐘離秋はきっぱりと答えた。だが龐涓もそんな言葉を信じるようなやわな男ではない。

「鐘離秋、どうしてもお前が真実を語りたくないというのなら、わしにも考えがある」 龐涓はくるりと背を向け、喋り続けた。「お前を兵士達にくれてやって、彼らの思うようにさせてやってもよいのだぞ。わしが言っておることの意味がわかるか?」 彼は恥知らずなことを口にしていた。それが鐘離秋の心の怒りを爆発させた。彼女はつぶらな瞳で龐涓をにらみつけた。

「お前など、死んでしまえ!」 だが龐涓はその言葉に答える代わりに、兵士を呼んだ。

「誰か!」 その言葉に先ほど彼女を連行してきた兵士が「ここに!」と返事しながらすぐに現れる。「この女を軍営に連れてゆけ! 兵士どもに、好きにさせろ!」 両側から兵士が彼女の腕を捉える。

「お前…!」 怒りのあまり、鐘離秋の口から、続く言葉が出てこなかった。彼女を連れて行こうとする兵士達に抵抗して暴れるが、兵士達の力は彼女よりもはるかに強かった。彼女には振りほどくことができない。

「放して! 放してよ!」 喚きながらも連れていかれそうになる。鐘離秋は諦めた。「わかったわ。言います。言うから放して」 龐涓も馬鹿ではない。もしも彼女を兵士たちの慰み者にすれば、まず夫の公孫閲が黙ってはいないだろう。そして彼女も永遠に口を割ることはないだろう。すべては龐涓の望んでいない方に動き出す。だが鐘離秋に何かを喋らせるには、死ぬことよりも嫌な罰をちらつかせるしかなかったのである。

「放してやれ」 鐘離秋は両腕を掴んでいた兵士の腕をふりほどくと、再び龐涓の前に立った。すでに彼女の心は決まっていた。すべて自分がかぶって死んでやろう。生きていても二度と孫臏と幸せな生活が送れるとも思えなかった。自分一人が罪をかぶることで、他の人間を生かすことができるのなら、ろくに楽しいこともないこの世にいる意味もなかった。ましてや自分が愛してもいないのに、それを知っていながら献身的に愛してくれている夫を道連れにする気などなかった。

「孫臏を逃がしたのは、私です」 彼女は小声だが、しっかりとした口調で言った。

「他には?」

「姉と一緒に逃がしました」 自分と今は斉の孫臏のもとにいる姉の仕業にしておけば、他には累は及ばない。今まで頑として口を割らなかったわりにはあまりに素直な答で、龐涓には信じられなかった。いかに鐘離春(しょうりしゅん)が手伝ったとは言え、あれほどの厳重な警備の目を盗んで、大の男を逃がすことがそんなに簡単とも思えなかった。重ねて詰問する。

「お前達二人だけなのか?」

「そうです。私たち二人で、まず彼を私たちの家に隠し、それから彼の衣服を川辺に捨てました。そして騒ぎが収まるのを待って、姉が彼を斉に届けたのです」 覚悟を決めた彼女は、龐涓の鋭い目線をものともせず、真っ直ぐに彼の目を見ながら話していた。

 その彼Photo_2女の頬を、怒りにまかせた龐涓の平手が襲った。その勢いに彼女は壁際まで吹っ飛んだが、龐涓の顔を見据えると喋り続けた。

「叩きなさい! 私を叩き殺しなさい! でも私の仇は孫先生が打ってくださる。お前では孫先生には絶対に勝てない。どうせ彼に殺されるんだ!」 最後の方は龐涓を嘲笑していた。それを見て龐涓の怒りが爆発した。

「この女を連れて行け! 斬首の上、晒せ!」 

「はっ! 来いっ! こっちへ来るんだ!」 二人の兵士は彼女を引っ立てて行こうとした。だが彼女の口からは龐涓を罵る言葉が、奔流のようにあふれ出していた。

「お前など死んでしまえ! 死ね、龐涓! 孫先生に殺されるんだ! あっはっは……」

 連行されながら鐘離秋は喚き続けていた。その姿を見送りながら、内心龐涓は思っていた。ちがう、まだこれは真相ではない。これは彼女が一人で罪をかぶって、真相を隠そうとしているだけだ、と。

      *      *      *      *

 その頃彼女の家では、気の利いた銅鏡を手にした公孫閲が彼女を探していた。この時代の鏡は銅を磨いて作ったものである。鏡は容姿を映すだけでなく、魂まで映すといわれた超貴重品であったが、公孫閲は愛する妻を喜ばせようと、今まで鏡を捜し求めていたのであったPhoto_3。彼の妻は彼が知る限り最も美しい女であった。ちなみに我が国で有名な、邪馬台国の女王、卑弥呼に青銅鏡100枚が贈られたのは、この時代から600年も後のことである。

「おまえ、おまえ……」 あちこちと探して歩いたが、見ると鐘離秋が縫っていた彼の衣服が、床の上に投げ出されたままになっている。それを拾い上げた公孫閲の脳裏を、一つの疑念が駆け抜けていった。

 鐘離秋は床の上に縫いかけのものを投げ捨てていくような女ではない。では誰かに連れ去られたのだ。誰が? 公孫閲はその時、斉から引き揚げる馬車の上で会話したときの龐涓の、疑念に満ちた顔を思い出していた。あれから斉に引き返し、孫臏の「以逸待労」の計に敗れなければ、彼の罪は許されていただろう。だが結果は大敗を喫してしまった。そうなれば、誰が敗戦の原因を作ったかという問題に発展する。

 孫臏の世話をしていたのは鐘離秋である。そして彼を愛しさえしていた。一番に孫臏逃亡を疑われるのは、彼の妻である鐘離秋ではないか。まさか…… 

 公孫閲は衣服を投げ捨てるようにおくと、表へ駆け出していた。

      *      *      *      *

 公開処刑が行われる広場に、断頭台を前に、後ろ手に縛られた鐘離秋が座らされていた。断頭台とはPhoto_4いっても、後の西洋のギロチンではない。ただの巨大な木でできた台である。その上に罪人を押さえつけ、その首を砍刀という、中華包丁を長くしたような刀で落とすのだ。周囲を10名以上の兵士が囲い、朱色の服を着た執行官が二人立っていた。

「あんな可愛い娘が、可哀想に……」

「何をやらかしたんじゃ?」

「謀叛の罪らしい……」 都の人々も集まってきており、ざわざわと噂しあっていた。この時代は大罪を犯すと公開処刑されるのが一般的だった。公開することで、その悲惨さを多くの人が目にする。それを見て怖気づけば、そういう人たちは罪を犯さなくなる。見せしめという力の理論だったが、現代のように法が整備される前の時代に、一定の効果が上がっていたのもまた事実であった。

 群集は次第に増え、ざわめきが大きくなる。その中でひときわ大きな声で、指揮官が命令した。

「時間である。やれっ!」

 一人の兵士が彼女を断頭台の上に押さえつけた。覚悟を決めた鐘離秋は抵抗もせずになすがままになる。見物人たちにも興味はあるものの、Photo_5気の毒そうな表情が広がる。自分が死ぬことで全てが円く収まればそれでいい。私は生きるのに疲れた、そう感じて諦め切っている鐘離秋の顔は、蒼白ではあるもののあまりにも堂々としていた。

 執行官が首切り刀を振り上げる。そのときである、群集の間を風のように駆け抜ける、一人の男の姿があった。公孫閲である。彼は大きく刀を振り上げた執行官めがけて飛鳥のように飛び上がった。そして肩口あたりに強烈な蹴りを入Photo_6れる。執行官は吹っ飛び、指揮官と公孫閲を見る。

「何やつ!」 遅ればせながら警護の兵士達が矛を構える。

「公孫先生、あなたでしたか?」 指揮官の呆れたような言葉が漏れる。指揮官の声に、全てを諦めきって断頭台の上に身を横たえていた鐘離秋が身体を起こした。

「あなた……やっぱり来たのね… 私一人で全部かぶって死ぬつもりだったのに……」 彼女の目はあきらかに夫にそう告げていた。だがそれを見て公孫閲は指揮官に申し込んだ。

「ちょっと待っていてくだされ。私が元帥に会って、申し開きをしてきますので」 そう言うと彼は再び駆けて行った。その後ろ姿を見送りながら、鐘離秋は心の中で思っていた。私を救うということは、あなたが死ぬということなのよ。それでもあなたは行くのね。私が一人死んでいけば、何もかも円く収まるのに……

 だがこの妻を深く愛している男には、妻のためになるのなら、自分の生命など何とも思っていなかったのである。

      *      *      *      *

 公孫閲は龐涓に、鐘離秋の助命嘆願をしていた。龐涓は彼に喋りたいだけ喋らせておいていた。彼の最初の読み通り、公孫閲が加担していたのは間違いないところだろう。それを確かめるためにも、彼の助命嘆願をすぐに聞いてやるつもりはなかった。Photo_7

「あの女は孫臏を逃がしたのじゃ。生命を助けるわけにはいかん!」

「彼女が逃がしたわけではありません」 公孫閲はことここにいたっては真相を話さないわけにはいかないと覚悟を決めていた。彼は龐涓の前に跪き、顔を伏せたまま答えていた。

「あの女と、姉の鐘離春が孫臏めを逃がしたのじゃ」 それは鐘離秋が言ったのと同じことである。だが公孫閲は顔を上げ、まっすぐに龐涓の目を見ながら、真実を話そうとしていた。彼にとっては彼の持っているすべてのものが、鐘離秋のためのものだったのである。

「元帥、本当のことを申し上げます。孫臏を逃がしたのは私でございます。私は鐘離秋を心から愛しております。彼女を私のものとするためには、孫臏に魏にいてもらっては困ったのです。それで彼を斉に逃がしました」 彼の本心だった。そのために龐涓を裏切ることになったのだが、彼は悪びれないで話していた。だがそれは龐涓には理解しにくいことだった。

「たかが女一人のために、自分の一生をぶち壊すのか? あの女に、それほどの値打ちがあるというのか?」 怒りのあまり、怒鳴り声になるのを抑えられない龐涓の目を真っ直ぐに見返しながら、公孫閲は臆することなく答えた。

「はい。彼女は私の生命でございます。彼女がいなければ、私は生きているつもりはございません」 龐涓は公孫閲がむしろ淡々と答えるのを聞いて、この男は事実喋ったとおりにするだろうと悟った。

「わしがその方をどのように処罰しようと考えておるか、わかるか?」

「わかります」 龐涓のどのような言葉にも、公孫閲は眉ひとつ動かすことなく答えた。この男には、いつでも死ぬ覚悟はできていた。彼は天下無双の剣士である。剣士は戦う人間だ。戦う人間にとって、死はいつも隣にあるものだった。

「よし、わかった」 龐涓は跪いたままの公孫閲を見下ろしたまま言った。「誰かおるか?」

「元帥!」と答えながら衛士が入ってくる。

「執行官に伝えよ。鐘離秋を放してやれ」 衛士が返事をしてすっ飛んでいくのを見て、公孫閲の顔に安堵の色が広がった。そしてすぐさま抱拳の礼をして、龐涓を見上げる。

「ありがとうございます」 礼を言う公孫閲に、龐涓は重ねて短く言った。

「立て」 公孫閲の顔に、不思議そうな表情が浮かんだ。鐘離秋は実際に孫臏を逃がしていないのだから、罪は許されるかもしれない。だが自分は国家反逆罪と、龐涓を裏切るという二重の罪を犯Photo_9している。どう考えても死罪は免れないところだった。

「私を殺さないので?」 公孫閲は不思議そうな顔になる。だが龐涓は厳しい表情を崩さず、彼に申し渡した。

「公孫閲、わしはその方に孫臏を殺すことを命ずる」 公孫閲は再び、頭を垂れた。

「ありがとうございます、元帥。この公孫閲、元帥のためなら、火の中でも水の中でも喜んで赴く所存でございます」 公孫閲は思いつめた表情で答えた。龐涓には流浪の身を拾ってもらった。以後何度となく、世話になってきている。なおかつ今また反逆の罪を許されたのである。彼が感激したのも無理はない。だが龐涓にも、さらに厳しい要求があった。

「ただし条件がある。その方、自分の手を汚してはならぬ。別人の手を借りて彼を始末するのじゃ」 ただ許されただけでは、公孫閲には負い目が残るだけである。だからそれに応えるには、難題を与え、それを見事達成させればよい。

 お金を払わないのにものをもらえば、それは施しを受けたことになってしまう。相応しい対価を支払えば、とれは対等の商取引となる。そして貴重なものを買うときには、大枚をはたかねばならない。龐涓は公孫閲に大枚をはたかせようとしていたのである。

 龐涓は公孫閲という男が好きであった。それは自分の部下として優秀だったからだけではない。人間として、自分とは全く異なった価値観を持って身軽に動いている公孫閲に好意を持っていたのだ。彼を失うことなど、龐涓はほんの僅かも考えたことはない。だから彼が見事任務を果たしたあとには、何の負い目もない状態にしたかった。

 事実、公孫閲にとっては、自らが赴いて孫臏を暗殺するほうが簡単であったろう。だが龐涓はそれを禁じた。公孫閲の技量はよく知っている。おそらく謀略を駆使するであろう。それによって斉の国内が混乱するという期待もあったし、その後の戦国の流れにも大きな影響を与えるはずだ、という読みがあった。

「どのようにいたせばよろしゅうございましょうか?」 公孫閲は尋ねた。

「今日のことはすぐに大勢に知られてしまうじゃろう。わしはその方の妻を殺そうとした。そこでそなたは妻を殺されそうになったことを口実に、斉に亡命するのじゃ。妻の生命を狙われたと言えば、斉でも信用されるに違いない。斉に到着したら、相国の鄒忌(すうき)を訪ねよ。そして鄒忌の信任を得るのじゃ。鄒忌と田忌、孫臏は勢力争いをしておる。鄒忌の手を借りて、孫臏を片付けるのじゃ」

 こうすれば斉国内で人材どうしのつぶしあいが起こり、斉自体が弱体化していく。そのための工作全般を公孫閲にやらせようというのが龐涓の考えであった。鐘離秋を殺そうとしたことから、一つの流れができようとしていた。兵家の真骨頂とは、発生したある事象を活用して、様々な策を展開していくところにあった。

「よろしゅうございまする」 暫く龐涓の目を真っ直ぐに見返していた公孫閲が、静かにだが、きっぱりとした口調で答えた。彼は龐涓の命を命がけで果たそうと決心していた。

           (つづく)

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【第九Photo_10章に登場する主な人物】

 孫臏(そん・びん):斉の軍師。『孫子の兵法』を著した孫武の曾孫。鬼谷子のもとで兵法を学び、鬼谷子よりただ一人、『孫子の兵法』を授けられた。それを嫉妬した龐涓によって魏に誘い出され、『孫子の兵法』を奪うために臏刑(膝蓋骨を削られる)に処せられる。

 狂人のふりをして魏から斉へ逃れ、田忌大将軍の謀士、斉軍の軍師として、龐涓を桂林の戦い、四カ国連合軍の斉攻撃、その帰りの魏軍の攻撃などで破っている。

Photo_11 龐涓(ほう・けん):魏国の元帥。鬼谷子門下では、孫臏と双璧と呼ばれた秀才であった。鬼谷子が自分が望んだ『孫子の兵法』を、自分には「ない」と騙しておきながら、孫臏にだけ授けたことに嫉妬して、孫臏を魏に呼んで謀にかけた。

 軍事にかけては魏の圧倒的な国力を背景に、力と謀略両方の外交を行っているが、斉に孫臏が逃れ、軍師となっていらい、3度戦って3度とも敗戦の憂き目をみている。

Photo_12  公孫閲(こうそん・えつ):龐涓の謀士。剣の達人。もとは斉の出身であったが、田氏が姜氏から王位を簒奪したことにより、斉を出奔した一族の子孫。

 鐘離秋を心の底から愛し、鐘離秋が孫臏から心を動かさないのを見て、孫臏を魏から逃がす工作をする。結果、鐘離秋と結婚できたが、今は斉に逃げた孫臏に敗戦した龐涓によって疑われている身の上である。

Photo_13  鐘離秋(しょうり・しゅう):田氏による斉の王位簒奪の時、魏に逃れてきた一族の姉妹の妹。孫臏を愛していたが、孫臏は魏から脱出するため彼女をも騙す。

 彼女は孫臏を逃がすため、公孫閲に嫁いだが、毎日の暮らしの中で満たされないものを感じている。鐘離春の妹だが、姉と違って武術の心得はない。

Photo_14  鐘離春(しょうり・しゅん):鐘離秋の姉。女性ではあるが将軍に憧れ、兵法を好む。剣の腕も達人である。

 孫臏を魏から脱出させ、彼の護衛をしているうちに次第に彼に惹かれていく。鐘離姉妹は一途さという共通点を持っているが、大変に勝気なうえ、大変な短気である。

Photo_15  禽滑(きん・かつ):田忌の謀士。墨子のもとで学ぶ。弁舌爽やかにして、頭脳明晰な男で、孫臏救出のため、魏に使いをしては龐涓に気に入られ、自分の幕下に加わらないかと誘われるほどであった。

 鐘離春に一目ぼれしているが、鐘離春は孫臏以外眼中になしという態度なので、悩んでいる。

Photo_16  鄒忌(すう・き):斉の相国。実は功臣であったが、田忌の発言力が強くなるにつれて、嫉妬し、彼との勢力争いに狂奔するようになる。孫臏が田忌の幕下に加わってからは、彼の勢力は押されがちになり、先の四カ国連合軍に攻め込まれたときに、孫臏を人質に出すことに賛成したため、その後の魏の侵略の前に、「命に不服従」という理由で、さらし者の刑に処せられ、田忌、孫臏との不和が決定的になっている。現在は斉の朝廷内での勢力回復に腐心している。

Photo_17  田忌(でん・き):斉の大将軍。

 斉王の一族にして、軍事を一手に司る。当初は何度か龐涓の魏軍に敗れたが、孫臏を得てからは無敗である。豪放磊落のように見えながら、その実、繊細な男であり、孫臏を尊敬して師事している。

 鄒忌とは鄒忌が文官のトップ、彼が武官のトップということで、なにかと張り合うことが多いが、田忌が斉のこと全体を考えて発言することが多いのに対し、鄒忌は己の勢力拡大のために動くことが多い。本章では彼による大規模な軍事活動は、残念ながらない。

Photo_18  田国(でん・こく):斉の若手の将軍。

 斉王の一族にして、勇猛果敢な将軍。最初は孫臏のやり方に反抗し、罰棒の刑を受けたりしたが、そのあまりに見事な用兵に感動し、今や孫臏を崇拝するまでになっている。

 先の四カ国連合軍による斉攻めの時には、鐘離春と、敵軍の真っ只中で龐涓を捉えるという離れ業を成し遂げた。

Photo_19

 斉の威王(せいのいおう):田氏斉第三代目の王。(一番右)

 文人王で臨淄に文人を集め、斉の文化を高からしめた王。軍事には疎く、田忌や孫臏を困らせることもしばしばである。本章では度量の大きなところを見せそうになるが……

Photo_20  易者(えきしゃ):斉の臨淄の街角で易を立てている老人。

 その易は非常によく当たり、斉の大夫たちは、重要なことの決定にはすべて彼に占わせる。今回は何も知らない彼を巻き込んだ謀略が展開され、知ってはならぬことを知ってしまう。

2008年11月 3日 (月)

お手軽中華・9 ~美人食材《1》~

 中国では「性格がいいと太る」などと言われる。私などには大変ありがたい言葉である。南のほうは比較的スリムな人が多いが、北のほうにいけば、私程度の体型の人は全然珍しくなく、もっと恰幅のいい人も多い。(だいたい中国の太極拳の本などを見ると、よく太ったおじさんが、くるくる回っているような絵がたくさん出ているが、ああいうイメージで基本的に間違っていないかも知れない)

 あちらでは歴史的に、大人というと、読んで字のごとく、大柄で恰幅がいいというのも条件に入ってくる。従って「メタボ」なんてなんのその! である。自然に食べて、自然に太ったのは仕方がなく、それを無理してダイエットしても仕方がないという考え方であろうか。美味しいものを食べて太るのはあたりまえで、食を楽しめば太ることも自然だと考えているのかも知れない。それどころか食べて太れないのは、どこかが調子が悪いからだという考えもあるのかも知れない。

 でも最近の女性は、やっぱり痩せたがっている。みんな「ダイエット、ダイエット(あちらでは減肥という)」と狂奔しており、これは現代日本、お隣の韓国あたりと比べても大差はない。今やスリムな体型を目指してくる日もくる日も努力しているのは、ほとんど世界中の女性の姿かPhotoも知れない。

 そんな中で、前回の訪中時に見かけて買ってきたのが、『美人食材』という本であった。なにしろ医食同源の国で、しかも漢方には長い歴史がある。どういった感じで「美人食」を捉えているのか、ちょいとその一部分を紹介してみよう。 基本的には栄養のバランスを考えながら(そのうち、詳しく紹介することもあるだろう)、それに漢方的な考えをミックスしているようである。

Photo_2  季節的に旬ということもあり、「百合炒銀杏果」からいってみよう。日本風に言えば、「百合根と銀杏の炒めもの」である。

 材料:新鮮な百合根60g、銀杏60g。

 調味料:植物油・大匙1杯、白胡椒・小さじ半分、塩・小さじ半分、中華スープの素・小さじ1杯、ごま油・小さじ1杯

 作り方:1.銀杏は水で茹でておく。百合根は剥いて洗っておく。

2.鍋に油を入れて加熱し、百合根と銀杏をいれ、素早くかき混ぜて炒め、白胡椒、塩、中華スープの素を入れてからごま油をふりかけ、皿に盛って完成。

 美容効能:銀杏は別名白果とも呼ばれ、百合と肺を潤し、咳を止める食材だと言われている。またこれは秋の食材であり、秋の乾燥した気候には最適のものだと考えられている。

Photo_3  百合ということで、もう一発おまけである。「百合炒芹菜」、日本風に言えば「百合とチンサイの炒めもの」くらいであろうか。

 材料:チンサイ(セロリで代用可)200g、新鮮な百合根60g、刻み葱少々。

 調味料:植物油・大匙1杯、白糖・小さじ1杯、中華スープの素・小さじ1杯、塩・小さじ1杯

 作り方:1.チンサイ(セロリで代用可)を水で洗い、斜めに切っておく。百合根は洗ったあと、剥いておく。

2.鍋に油を入れて加熱し、刻み葱を入れて香りがたってきたら、百合とチンサイを入れ、手早く2分ほど炒め、白糖、塩、中華スープの素を入れてできあがり。

 美容効能:チンサイと百合根は肌を瑞々しくする働きがある。更に食物繊維も豊富であり、ダイエットにも効果がある料理と言える。

Photo_4  次は「玉米土豆餅」である。日本風に訳せば、「スィートコーンとジャガイモのお焼き」くらいになるのだろうか。

 材料:スィートコーン100g、ジャガイモ100g

 調味料:植物油・大匙2杯、塩・小さじ2杯

 作り方:1.まずジャガイモを蒸したあと冷やし、皮を取って、つぶし、スィートコーンと塩を加えてよく混ぜ合わしておく。

2.スィートコーンとジャガイモを混ぜ合わせたものを、直径3㎝くらいのボール状にまるめ、その後再びつぶして、餅状(コロッケみたいな形)にしておく。

3.フライパンを加熱し、油を少量入れ、2を入れて両面が黄色になるまで加熱すれば出来上がり。

 美容効能:これは栄養豊富な主食である。素早いエネルギー補給に便利で、疲労を回復させ、身体を強壮にする。

 次にハトムギ関連を2品。ハトムギはタンパク質、糖質、ビタミンA、B、カルシウム、鉄、カリウム、マグネシウムなどを含み、美肌、シミ、ソバカスを消し、むくみを治し、体内の毒素を排出する働きをもっている(抗癌の働きがあると、この本には書いてある)。

Photo_5  「薏米炖排骨」、日本風に言えば、「ハトムギと骨付きアバラ肉の煮込み」とでも言おうか。

 材料:ハトムギ100g、骨付きアバラ肉(何の肉かは書いていない。きっと豚か羊であろう)300g、冬瓜150g、生姜のスライス3枚

 調味料:料理酒・さじ1杯、塩・小さじ2杯

 作り方:1.骨付きアバラ肉を小さく切った後、茹でておく。冬瓜は皮を剥き、中の種の入った部分を取り去って、一口大に切っておく。ハトムギは洗ったあと、水に3時間ほど浸けておく。

2.骨付きアバラ肉を鍋に入れ、水を加えて加熱、料理酒、生姜のスライスを加え、弱火で30分ほど煮込む。

3.その中に、ハトムギ、冬瓜、塩を入れ、再び10分ほど加熱したら出来上がり。

 美容効能:ハトムギには美白作用がある。骨付きアバラ肉はタンパク質と脂肪を補給してくれる。これは肌を瑞々しくしてくれるものである。

Photo_6  「薏米蓮子羹」、「ハトムギと蓮の実のスープ」かな。

 材料:ハトムギ100g、蓮の実50g

 調味料:氷砂糖大匙1杯

 作り方:1.はず蓮の実を水に6時間以上浸しておき、ハトムギも3時間水に浸しておく。

2.蓮の実を鍋に入れ、適量の水を加え、中火で40分ほど煮た後、ハトムギと氷砂糖を入れて、更に20分ほど加熱して完成。

 美容効能:白色食材は一般的に肺を潤すといわれている。二種類の白色食材を合わせることによって、その働きは倍増し(とこの本には書いてある。私には信じられないが)、秋の乾燥した気候には好適な食べ物と言える。また病気に対する抵抗力も増大する(んだそうな。私的には好きな食べ物をバランスよく食べ、体力レベルが低下しないようにすれば、抵抗力も免疫も十分強いままでいられると思うのだが)。

 次にほうれん草かんけいを2種いってみよう。ほうれん草は言うまでもなく、ポパイの元気のもとである。血を補い、毒を排出し、便通をよくし、色艶をよくする働きがある。

Photo_7 「菠菜拌花生」、「ほうれん草とピーナッツの和え物」でございましょうか。

 材料:ほうれん草200g、ピーナッツ50g、白ゴマ6g

 調味料:植物油・大匙1杯、酢・大匙1杯、白糖・小さじ1杯、塩・小さじ1杯、中華だしの素・小さじ1杯

 作り方:1.ほうれん草は洗い、ざっくりと切って、熱湯をくぐらせたあと、冷やしてから水を切って、皿にとっておく。

2.ピーナッツは油で炒めた後、ほうれん草の上に置き、酢、白糖、塩、中華だしの素を加えてよく攪拌し、その上から白ゴマをふって出来上がり。

 美容効能:ほうれん草は鉄分とカロチンが豊富で、血を補う最良の天然蔬菜である。これは血液を増やしで貧血を改善し、ピーナッツで止血する作用が期待できる。血液循環を高めるのに適した料理である。

Photo_8  「菠菜山薬湯」、「ほうれん草とヤマイモのスープ」である。これは何となく霊験あらたかなような……

 材料:ほうれん草100g、ヤマイモ100g、冬瓜50g

 調味料:塩・小さじ1杯、中華だしの素・小さじ1杯、ごま油・小さじ1杯

 作り方:1.ヤマイモは皮を剥き、スライスしておく。冬瓜は皮を剥き、一口大に切っておき、ほうれん草は洗った後、湯をくぐらせておく。

2.鍋に水を入れて加熱し、ヤマイモ、冬瓜を入れて中火で約15分間煮る。

3.それからほうれん草を入れ、ほうれん草に熱が通ったら、調味料を加えて攪拌し、できあがり。

 美容効能:ほうれん草は血を養い、血を補う作用が強い。これに肺を潤す働きが強いヤマイモを加え、熱を取り、むくみを引かせる冬瓜を加えることで、スリムな身体を得る効果も期待できる。

Photo_9  「黒芝麻紅豆羹」、「黒ゴマ汁粉」とでもいいましょうか(私には恐ろしい名前だが、強烈にリクエストする人がいたので、ここに掲載しておきます。あ~、こわぁ)。

 材料:黒ゴマ20g、小豆の粉70g

 調味料:氷砂糖・大匙1杯

 作り方:1.黒ゴマを炒っておく。

2.小豆の粉を、水に混ぜながら鍋に入れて加熱し、氷砂糖を入れ、弱火で5分加熱。

3.2を椀にとり、黒ゴマを振りかけて完成。

 美容効能:黒ゴマは髪の毛を黒くし、肌を潤すといわれている。小豆は血液循環を改善し、体内での水分代謝を調節すると言われている。これを常食すれば(きっと)血色がよくなり、髪が黒々とした美人になれる(私はあくまで、本に忠実に翻訳しただけで、検証したわけではありませんので、効能に誤りがあっても、一切責任を負いません。あしからず)。

 だいたい美人ってったって、素地が大切だと思うんだけど。それに精神的な要素も大きいしね。まあそれでも、健康ならば、不健康よりは美人に近づいているとは思うから、こんな本が出たりするんだよね。

2008年11月 2日 (日)

お手軽中華・8 ~お粥5種に蟹とエビの料理だよ~

 なんとなく身体がだるい今日この頃でございます。疲れも慢性になると、なんとなく重だるい感じが消えてくれません。まして昼夜の温度差が大きいとなると、このいやあな感じにつけ込んで、風邪というやつが忍び寄ったりしますが、引き始めなら我が家は熱燗で一二杯引っ掛けるという手が、最もよく使われる手でございます。

 玉子酒なんて面倒なものは作りません。大学時代、隣の部屋に住んでいたI君は、玉子酒を作ろうとして、酒で卵とじを作ってしまいました(彼は、インスタントラーメンを作ろうとして、袋入り粉末スープのもとを熱湯の中に入れるような豪の者でしたが)。酒で作った卵とじがどんな味がしたのか、彼に尋ねなかったので私は知りません。

 でも酒はやっぱり酒で楽しんであげたいので、私は玉子酒は呑まないことにしています。学生時代、風邪を引いたとき、汗をかこうと思ったら、もっぱら一番安いブランデーを買ってきて、これをお銚子にいれて熱燗にして飲むんですな。香りが強烈なので、息を止めて口の中に入れます。そして飲むと、「かあっ」と熱いのが喉から胃袋に広がってゆきます。

 あとは布団にくるまって、できるだけ寝てしまおうと努力いたします。それでうまく眠れたら、たいていは風邪の症状も軽くなっていたもんですが、やっぱり若かったから有効だった方法かな。熱燗にすると、アルコールは飛ぶんですが、それでも結構キキますから(酔っ払っているうちに寝てしまいます)、今だったら翌日まで残ったりして。

 だいたい今は風邪もおちおち引いていられないですから、体力は落ちていくのに、忙しさは待ってくれないという、とても情けない状態でございます。そこでちょっと体を温めてくれる、ヘルシーっぽい食べ物なんぞを探してみるのですが、最近はなかなか優れたインスタント食品が出ておりますな。なかでも「スープはるさめ」は優れモンだと感心しております(そのうち、スープはるさめ特集をやってみようかと思っております)よ。

 まあそんなこんなで、今回のお手軽中華も、お粥から始めようと思います。お粥は何にしても消化が楽だし、温かいものを食べれば身体があったまるし、特にこれからの季節は、暖かいだけでご馳走みたいなところがありますからねえ。

Photo  まず「無花果粥」、読んで字の如く、イチジクのお粥ですな。

 材料:イチジク30g、お米50g、氷砂糖適量(うわあ!)。

 作り方:お米を洗って、まずお粥を作る。八分目くらい煮えたら、イチジクを入れ、最後に氷砂糖をお好みの量入れる。

 漢方的には、肺を潤し、解毒作用があり(ほんまかいな?)、咳と痰を鎮めたり、予防したりするんだそうな。まさに風邪のためのお粥?

Photo_2  次が「飄香咸骨粥」、羊の骨でダシを取った、ちょっと塩辛系のお粥(お粥はそうでなきゃ!)。

 材料:お米、羊の骨(日本で手に入るかなあ?)各100g、食塩、生姜、葱各適量。

 作り方:1.まず羊の骨を洗ったあと、適当な大きさに切って水を加え、1時間ほど煮込む。

2.骨を取り出し、洗った米を入れて煮込む。生姜、葱などを加え、食塩をお好みの量加えて完成。

 うん、羊出汁はあまり日本ではやらないよね。面白いかもしれない。でも羊の骨、余り見かけないよね。他の骨で代用してみようか……

Photo_3  「美味八宝粥」という名前がつけられているが、美味しいか美味しくないかは、私は責任が持てない。私的には、好まない幹事がするのだが。

 材料:トウモロコシ、大豆、各100g、シロキクラゲ、ハスの実各50g、クコ25g、干しナツメ、シイタケ各9個、蜂蜜適量(う~ん……)。

作り方:1.シロキクラゲ、シイタケは洗い、ボールに入れて水に浸しておく(これは中国では乾燥モノが主流であるためかも知れない)。そして石ツキを取り、水気を切っておく。トウモロコシ、大豆、ハスの実、ナツメ、クコは冷水で洗っておく。

2.これらの食材を鍋に入れ、水を加えたあと、強火で加熱したあと、弱火で粥状になるまで煮込み、最後にお好みの量だけ蜂蜜を加えて出来上がり。…………

Photo_4  「山薬蓮子粥」、ヤマイモとハスの実の粥である。脾臓、胃によく、成長促進の作用があるというが、果たしてどんなものか。老人には成長促進などしたら、老化が早まるようなイメージがあるが……

 材料:ヤマイモ、ハスの実各25g。お米150g。

 作り方:1.ヤマイモ、ハスの実、お米は洗っておく(あたりまえだろうが……)

2.全部を鍋にぶちこみ、水を入れて煮込む(あたりまえだろうが…… ちなみにここは私は忠実に翻訳している)。食べるとき、お好みで砂糖を入れてもよい(と書いてあるが、私は反対である)。

 だいたい生のトマトを頼んだら、切ったトマトの上に、砂糖をてんこ盛りにして出してくる国だからね。「塩を出してくれ」というと、私を宇宙人を見る目で見た後、今度は塩をてんこ盛りにして出してきた。もう開いた口が塞がらなかった。ちなみにその後で私も砂糖をつけてトマトを食べたが、美味しくはなかった(どちらかと言うと、気持ちが悪かった)。

 決定的な味覚の基準が違うところがあるから、私は日本人は日本人らしい味付けで食べればそれでよいと思っている。食べ物を食べるときは、本人が一番美味しいと感じる食べ方をするのが一番いい食べ方だと思っているからね。

Photo_5  「鶏蛋小米粥」、鶏卵と粟のお粥である。

 材料:粟150g、鶏卵1個。

 作り方:1.粟を煮て粥状に炊く。その間、鶏卵はといておく。

2.粥が炊き上がってから、といた卵をいれ、それから僅かに加熱して完成。(これなら食えそうだ。でも至極あったりまえのお粥だよね)

Photo_6  お粥ばかりだと力が抜けそうに感じるので、ちょっと辛い系の料理を取り上げてみよう。

 これは「香辣蟹」という。カタカナで書けば、「シャンラーシエ」だが、辛さと香りの蟹料理なんだろう。

 材料: Photo_7蟹500g(写真ではワタリみたいに見える)、葱、塩、白糖、白酒、タカノツメ、生姜、料理酒、酢、花椒、鶏の出汁のもと、食用油各適量。

作り方:

1.蟹をボPhoto_8ールに入れ、白酒を適量注ぎ、蟹が酔っ払ったら(ほんまかいな?)甲羅を外して内臓を取り出したあと、食べやすい大きさに切っておく。その間に葱、生姜は洗っておく。葱はぶつ切りにし、生姜はスライスにしておく。

2.鍋に油を入れ、三分目くらいまで熱したら、花椒とタカノツメをいれ、辛さと香りを出しておく。その後、スライスした生姜、切った葱、蟹を入れ、更に料理酒、酢、白糖、塩を加え、よくかき混ぜるように加熱して完成である。

 ふうん、こんなんで辛いのかねえ?(でも私は普通の辛さでは満足できない人だけど)

 甲殻類が出たついでに、河蝦(カワエビ)の簡単な料理でも一発。あちらでも手長エビは結構食べられている。日本では手長エビはいるにはいるけど、なかなか入手できないかもしれないが、そういう時は、自分で取りに行くべし!

 取り方Photo_9は、懐中電灯と、ミミズを通した輪っかに長い柄がついた棒。網などである。これで夜、手長エビがいそうなところに、輪っかを突っ込み、エビがそれを掴んだら、さっさと網ですくうようにすれば、捕らえることはできる(奴らは夜行性なので、夜の仕事になってしまうが)。なおこのエビなどがいる川には漁業権がある場合があるので、よく確認の上、違法行為をしないようにしたいものである。

 「塩水河蝦」、そのまPhoto_10ま訳すと塩味の河蝦である。

 材料:河蝦500g(大変な量である。取りにいったら、なかなか難しい量だ。ちなみに私ならてんぷらにして食べてしまうかも知れない。これがまた美味しいので)、生姜のスライス、葱のぶつ切り、塩、料理酒、化学調味料各適Photo_11量。

 作り方:1.エビはヒゲと脚(ツメ)を取って洗っておく。川エビは海のに比べれば殻が柔らかいが、手を傷つけないように注意。刺さると痛いし、腹が立つから。

2.鍋に適量の水を入れ、エビを入れたあと、生姜のスライス、葱のぶつ切り、塩、料理酒をいれ、強火で加熱する。エビの色が十分赤くなってから取り出し、更に盛り付けて完成である。

 まあ、美味しい食材があったら、私なら食材自身の味が活かせる日本料理の方が好きだけど、ちょいと食材に癖(味とか匂いとか)があったら、中華もまた悪くないね(まったく同じ事を、中国から日本に来られて8年の人も言っていた。ちなみにこの人の味覚は、すでに日本人よりも薄味好みになってしまっている。曰く「日本の料理は美味しい」。やっぱりね!)。

2008年11月 1日 (土)

『中国の鋼鉄刀剣』・27 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(7)~

 昨夜、私用は発生したので、打つ予定のところまで参りませんでした。そこで本日は昨日の続きということで、よろしくお願いいたします。 なにせ中国の鋼鉄刀剣シリーズは、時間がかかるのです。漢字や用語が難しくて(辞書にも出てなかったりする)、それを調べるだけで、ホネでございます。まあ、それでも新しい知識が増えるので、結果的には笑みなんでPhoto_7すけどね。

 ということで本日は職官佩刀に入っていきまする(ただし触りの部分だけ。全体像は果てしなく膨大な量になりまする)。

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『中国の鋼鉄刀剣』・27 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(7)~

☆職官佩

 清朝の官吏制度はそれまでの王朝とは異なっていた。政府の主な機構は17の部門に分かれており、その中心に、内閣、軍事を取り扱う部署、六部など、各地区の道、府、州、県などがあった。

 各部Photo_6門の主要な文武官職は50を超え、内閣大学士から九品に入らない県典吏まで、実に多種多様であり、多くの式典に際しては、管理はおのおのの階級で定められた佩刀を身につけていなければならなかった。

 職官佩刀の規定の主なものは、次のようなものである。

1.規格と寸法。これは全長、刃の長さ、幅、刀鍔の厚み、柄および鞘の長さなど、全てにわたってこまごまと制定されていた。

2.装具は鉄の上に金で飾られていた。何を嵌めこんだのかについて、あるいはデザインなどについての細かい部分は不明だが、これについても事細かに規定があったはずである。

3.柄の色、紐などは藍色であり、鞘は皮で覆われていたが、質と色には規制がなかった。

 清代の官職は煩雑であり、階級などについても細かなことはわかっていないが、輿服精度(身分に相応しい服装、持ち物、乗り物などに決まりがあり、それによって階級が一目でわかるようになっている制度)は厳正であり、文武百官の区別・秩序は明確であった。

 清代の職官佩刀は多数の実物が現存し、清中早期の写実的な絵画や、後期の写真などの資料も残されている。

 乾隆Photo25年に、勅命で宮廷画家は、十全武功の戦争風景と、主な功臣の肖像を残すという事業が開始された。これは乾隆帝の57年に完成をみたが、全部で280枚ある。その中の一枚に、大学士一等忠勇公、傅恒の肖像がある。この肖像での傅恒は『皇朝礼器図式』の記述に沿ったものであり、刀鍔、装具、刀鞘を覆う緑皮などは『図式』通りのものになっている。唯一刀柄の飾り紐だけが藍色でなく青い。これは『図式』によれば青の飾り紐は入八分公佩刀の級にしか許されないものであった。事実この時傅恒は、軍功によって公爵に封じられており、位はすでに上位になっていた。したがって柄に宝石を嵌めこんではいないが、すでに自分は褒章を受けたということを示したかったのかも知れない。

 他にも煮たPhoto_2ようなもPhoto_3のがある。乾隆期の公爵であり、武毅謀勇公戸部尚書、兆惠の肖像(左)も残されているが、彼の身につけているものが傅恒のものと一致していて、刀柄は藍色で、職官佩刀制と基本的に一致している。この刀の飾り紐は緑であって藍色ではない。

『清史稿・列伝一百』記載によれば、乾隆24年、軍功が顕著であるという理由で、「兆惠に皇族に等しい待遇を与える」とある。この時の兆惠の佩刀はまだ職官のものであったから、宝石などははめ込んでいなかった。その後、咸豊帝の時、宮廷画家、沈貞が描いた彼の肖像画(右)では、佩刀の鞘は緑皮で覆われ、柄は緑糸で巻かれ、飾り紐は青(深藍色を中国では青と呼ぶ)であり、装具は宝石のPhoto_4類で飾られ、佩刀の格式に相応しいものになっている。

同じような功臣の肖像の中でも、三等義列公工部尚書、納木扎爾の佩刀は、『皇朝礼器図式』の記載と完全に一致しており、装具は金で飾られているものの、宝石の類ははめこまれておらず、刀柄、刀穂および吊るし紐は藍色、刀鞘は緑皮で覆われている。

 図中では刀が抜かれているが、刀身は細長く、切っ先部は鋭く上に反っており、刀身の中央部な比較的平直の典型的な雁翎刀形であり、刀身には比較的Photo_5広い血槽がみてとれる。 

 職官佩刀は相当数現存しているが、完全な形で残されているものは意外に少なく、現在多くの収蔵家の手にあるものも、装具がなくなっていたり、塗りが剥げていたり、皮が失われていたり、柄を巻いた紐がなくなっていたりする。

 そして大部分には鞘がなく、抜き身の状態であり、多くは錆に侵されているので、当時の状況がわかる典型的なものはなかなか見当たらないのが実情である。それで今では冷兵器の研究は、分散してしまった刀の、それぞれの部分についての研究がなされていたりするのである。

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 なかなかでございますが、次回の『中国の鋼鉄刀剣』は、職官佩刀の具体例でございます。確かに身分によって、服装や持ち物を決めていれば、遠くからでも相手を(相手の位を)識別できたろうから、階級制度を維持していく上では便利が良かったんだろうね。 

 きっとこういう考えが、現代にもつながっていて、制服や制帽、その他の制式なものを用いる発想になっているんではないでしょうか。でもこれは一つ間違えば、顔さえわからなければ、身につけているものによってその人間が判断されていくことにつながるので、人間の本質を見なくなるということにもなっていったんでしょうね(ちょっと広すぎる解釈?)。

 まあ多すぎる人間を相手にするときには、こういった工夫が必要だったんでしょうが、何事にも程度があると思うので、ほどほどが良さそうでございます。昔何かで読んだことだけど、民主主義誕生の国と言われている英国には、アッパー、ミドル、ローワーという三つの階級があるんだそうで、アッパー(上流階級)ってのは、王族・貴族だけをさし、ミドル(中流階級)ってのは富裕層、ローワー(下層階級)は労働者を指すんだそうな。

 でも上流だから経済力も上流かというと、そういうわけではなくて、この生存競争の激しい社会の中で落ちぶれていく人もいるらしく、そういう人は体面だけでも上流階級に相応しい恰好をしなければならないから、かえって大変なのだという。いろんな国にいろんな事情があって興味深いけれど、生きていくのは大変だなあと思う。

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