2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月31日 (水)

科学的思考のススメ・26 ~歴史に学ぶ~

 今年は年の瀬の忙しさが一際であった。それでもここのところの何日間かは、忙しいと言っても、自分のためになる忙しさだから、悪いことではないから、結構、嬉々として動いていたりするけれどね。

 車の運転はほんの1週間ほど前までは殺気だっていたように感じたけれど、ここ数日間は比較的平常な感じを受ける。景気が悪くて、明日への希望が見えないと、人間誰でも捨て鉢になるものだから、車の運転は殺気だってくるし、「誰でもよかった」なんて事件が増えてくる。

 なんでもかでも社会のせいにするのは良くないかもしれないが、それでも社会に起因する事柄は少なくない。昔の中国ではこういった現象を、「為政者の徳がなくなったから」として、革命が起こるきっかけになったらしい。

 そして起こった人民蜂起が、新しい国を建国するきっかけになったり、鎮圧されてもその国を変えるきっかけになったりしたらしい。今、暇がある時に(ほとんどないが)あちらの歴史の本を読んでいるが、「中国から見た中国の歴史(もちろん、全部中国語)」なので、新しい発見や、見方ができてなかなか面白い。

 などと言っても私は日本人だし、日本人的な史観を持っている。それが私の基盤である。でも様々な国から見るという、「立場」を変えて物事を見ることは、思考の幅を広げてくれているように感じる。情報量も増えるしね。

 歴史を勉強するのは楽しい。私の父も歴史好きだった。ただ私の父は、歴史を「読み物」のように楽しんでいた。だから自分の人生に活用することはしていなかった。でも私は少しばかり異なった楽しみ方をする。それは歴史で学んだことを、実生活に活用してみることである。

 だいたい私の基本は、「使えないようなことは学んでもしかたがない」という考え方なので、最初から何かで、あるいはどこかで使ってやろうと考えて勉強を始める。『あなたにもできる! 超人の動き』の第四章でも述べたが、「練習とは何かができるようになるためにすること」であって、「勉強もどこかで何かに使うために行うもの」という考え方をしている。

 贅肉は身体に(特に下腹)ついているだけで十分である。生き方としては、無駄をそぎ落として、効率のいい生き方をしてみたい。これは身体運用の研究とまったく同じ姿勢である。無駄をしていれば、しなくてもいいことの方ばかりに時間を取られてしまうことが多くなるからである。

 でも私が公開している練習では、やはりカリキュラム的なものもあるので、いきなり「奥義」みたいなものは紹介していない。却ってわかり難かったり、できなかったりするから。誰だって初対面のときから、自分の人生哲学を語るような人とは、付き合いたくないよね。重たすぎるもの。

 公開していくたびに、少しずつレベルが上がっていくように考えている。そしてその方が「伝える」という意味では、はるかに効果的だし、親切だと考えている。もちろん他人にわかりやすいから、レベルが低いということではない。人にものを伝えたくないのなら、最初から公開などしないはずだからね。

 公開していながら伝わりにくいということは、それは「伝える意思がない」ということである。ではなぜ公開するの? 私はそこには「伝える」のとは別の意思の存在を感じている。人にはそれぞれの「動機」がある。その動機が何なのかはその人の勝手だ。でも何かを受け取ろうという人は、相手がどうしてそれを公開したかを感じなければならない。でないと、自分がほしかったものとは違うものを伝えられるかも知れない。

 その点、私なんか単純だよね。本の冒頭部に書いてあるもの。身体運用研究の人類社会への貢献だってね。だから「この技ができることが大切なのではなく、この技ができる身体と、動き方に意味がある」という言い方をする。その身体と動き方は、別の状況ではどう動くだろうか。今よりもっと効率の良い動き方ができるはずだ、そう考えている。そうでなければ、ただの「技自慢」で終わってしまうからね。そうはなりたくないし、自慢するほどの技なんか持っていないし。

 練習しているうちにわかったこともあるし、様々な経験(これだって立派な科学的データだ)から、先に理論ができ、理論的に可能だと思ってから、実際にできるように練習したものもある。実践が先であろうが、思考が先であろうが、そんなことは気にもしていない。要するに思ったことができるような身体や、動き方が解明でき、実証できればよかったからだ。

 だから一度や二度の失敗は当たり前で、20回やってやっと1回だけできたなんてのもあるよ。実戦だとこれが20回やって20回成功しなければならないから、まだまだ厳しい練習だ必要になるんだけどね。今は「研究」に夢中だから、どうしてもそういったスタンスになってしまう。

 歴史だって同じなんだよね。人が様々なことをやってきた情報の積み重ねなんだから。ここから適切な情報を取り出してうまく活用すれば、歴史は立派に未来に役立てることができるはずだ。だから歴史の研究者は、様々な立場で研究してほしいと思う。トンデモ系と呼ばれる人たちがいることも、考えてみれば意味がないことではないんだよ。

 先日も書いたように、権力者は自分に不利な記録は抹消するからね。もしかしたら現実には「トンデモ系」の人が書いたことが当たっている場合だってあるかも知れないんだから。読み手としては、それを大らかに包容して、自分に必要と思えるものを、その時々に応じて使えばいいんだから。

 例えば平安時代、貴族文化は花開いたんだそうだが、庶民はどんな暮らしをしていたのだろうか。残念なことに学校の歴史の教科書には、華やかな貴族の暮らししか出てこない。なぜ? 簡単だね。記録が残っていないから。でも悲惨だったかも知れないんだよ、庶民の生活は。

 ではなぜそうなったのか。これまた簡単だよね。上に立つ人間が、自分たちのことばかり考えて、庶民のことなど考えなかったから(だから文字を持った貴族が、庶民のことを書き残さなかったと考えることもできる。興味も関心もなければ、何の記録も残らないよね。文書なんて、その文書を書いた人の興味と関心があることだけしか語らないものだもの)。

 そういう時代はその後もなかったかなあ。なんて歴史を鳥瞰してみるのも良い。日本全体ではなくても、部分的にはきっとあるはずだ。私なんかだったら、原油が高騰しても「蛙の面にションベン」みたいな言動に終始していた人や、2世3世と同じ家系で議員なり大臣なりを歴任している人間は、何か似たようなものを感じたよ。

 では貴族の世の中はどうして終わりを告げたか。簡単ですよね。自らが血と汗と泥にまみれてでも物事を成し遂げようとする勢力、つまり武士が台頭してきたからでしょ。今の世の中も、部分的にではあるけれど、そういった現象が起これば、劇的に変わっていくかもしれないと、歴史は教えてくれているわけだよね。

 武士だって天下を取った後は休息に貴族化していく。それは平家でもそうだし、源頼朝がせっかく京都から遠い鎌倉に幕府を開いたのに、やっぱり次第に貴族化していくよね(貴族の方は、自分のペースに巻き込みたくて、様々な策を弄するわけだけど)。そうしたら人間の性の一つが見えてくるわけじゃない。

「功なり名を挙げた人」は、自分の手を汚さない方向に走りやすく、いつでも自ら行動する人間によって取って代わられるって。もちろん、そんなことは昔の人だってよく知っていたわけで、徳川家康(今、中国の本屋さんにも、徳川家康や豊臣秀吉、織田信長なんて人の本が並んでおります)なんかは尚武の気性の大切さを力説しておりますな。それでも天下が治まれば、武士は官僚化していき、ダイナミックな武士のパワーを失っていくわけだけど。

 すると組織の中で、周囲とうまくやっていくという能力のほうが重視され、本来、武士を武士たらしめた力は無用の長物とされてしまう。でも幕末に海外から刺激がやってくると、あわててまた行動力を持っていた人たちが台頭してくる。こんな繰り返しではないですか。

 不景気だってそうだよね。戦国時代には腕一つで出世できたから、腕を磨き、戦場で手柄を立てることばかり考えていればよかったかも知れないけれど、天下が治まってしまったら、腕一つで立身出世を夢見ていた人たちは、職場がなくなっちゃうわけでしょ。

 一説によれば秀吉の朝鮮出兵(本当は明国出兵だったとか)だって、武士の職場を海外に広げるといった意味があったとさえ言われているわけで、こんなのは武器を造りすぎて、どこかで消費しなければならない、現在の某大国と同じ理由だよね。「歴史は繰り返す」ってのは、同じような機能を持った集団は、同じような状況を作らなければ生き残れないからかも知れないよ。

 ではその混乱はどのように鎮まっていったかなんて、後は歴史の本を読んでね。大勢がいろんな本の中で述べていることだから。同じ機能や働きを持った集団は、一定の状況下に置けば、だいたい同じように動く。これは身体の場合も社会での人間でも似たようなものだ。

 社会の中でもペテンまがいのことをする人間は、同じような状況になれば必ずといっていいほどペテンまがい(あるいは本物のペテン)をやるだろうし、勤勉でいつだってまじめに物事に取り組む人は、少々の難関にぶつかっても、勤勉さでそれを克服しようとするだろう。だから昔から日本では「躾」が大切にされてきたんだと私は思っているけれどね。

 身体の動き方と、人の動きと、人の動きの集合体(社会)の動きとその連続(歴史)は、もの凄くよく似ているんだよ。力で動く人は、力の動き方をするし、技で動く人は技にまかせて動こうとする。真心で動く人は、いつだって真心で動こうとするし、社会や国もまた同じだよね。

 力しか信じない国は、他国にも「力」を誇示する外交を展開しようとするし、「駆け引き(ペテンを含む)」で生き延びてきた国は、やはり「駆け引き」を続けようとする。そしてそれがまた歴史を作っていくんだよね。

 こう見ていくと、「一事が万事」と私が子供の頃、両親から耳にタコができるくらい聞かされた言葉の意味が、もの凄くよくわかるよ。そしてこれは私的には、とても鬼谷子的だなあと感じる(ちなみに本ブログでは、徹頭徹尾鬼谷子のことをスーパーマンとしては扱っていないのは、お付き合いの長い方には十分ご理解いただけていると思うけど)。

「物事への取り組み」の基本的姿勢は、個人個人によって違うのは当然だけど、「一事が万事」と心得ておかないと、いつ、見せたくない自分の姿が他人の前に露呈するかわからない。それって個人個人の生活も、国の政治でも、歴史でも同じようなものじゃないかと感じるよね。

 今年ももう残り10時間を切ってしまいましたが、本ブログに付き合っていただいてありがとうございました。来る2009年が皆様にとって、また私にとって素晴らしい年になるようにお祈りいたします。よいお年をお迎えください。Photo

http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_13086398/1.0/

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%a4%a2%a4%ca%a4%bf%a4%cb%a4%e2%a4%c7%a4%ad%a4%eb%21%c4%b6%bf%cd%a4%ce%c6%b0%a4%ad%20%c6%b0%a4%ad%a4%ce%a5%a8%a5%cd%a5%eb%a5%ae%a1%bc%b3%d7%cc%bf&p=0&v=3&f=O

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://books.livedoor.com/item/2684364

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4789975290.html

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://aumall.auone.jp/item/115889723

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.ttgapers.com/module-ttStore-product-asin-4789975290-locale-jp.html

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

2008年12月30日 (火)

簡単なこと、難しいこと

 年賀状を書いていたら、午前四時になっていた。あわてて風呂に入って寝たけれど、どうもこの十二月は午前四時とご縁があるみたいだ。学生時代ならこんな時刻はどうってことなかったけど、今はさすがにしんどいよ。

 何故しんどいのかというと、普段の生活習慣が、朝は一定の時刻には起きだして、仕事にいかなければならないからである。そして回復力は落ちている。若い頃にはできた無理も、今では無茶というやつになってしまう。無理でもしんどいけれど、無茶はもっとしんどい。

 ようやく郵便局に行ってきたが、頭の芯がボーっとするので、10分間ほど転がっていた。仕事場で休むのは久しぶりである(たった10分間でも)。私の中では、「仕事場は仕事をするところ」という定義がきちんとあって、普段でも一休みすることはめったにない。

 でも今日は違う。休まないと能率が落ちてしまうだけではなく、体調が狂うと感じたからである。無理して体調を崩すよりは、思い切って休んでしまったほうが、かえって仕事の質と量が落ちないということは、今まで何度も経験してきたことだからだ。人目がなければこんなところは、自分の都合でコントロールできるからいいね。

 今、やっと「カフェ・ラテ」なるものを飲みながら(珍しい!)、ブログに取り掛かった。少しは脳みそが動いてくれるだろうか。脳みそが動いてくれなかったら、質が落ちてしまう。これはいたし方のないことだ。

 何故質が落ちるかというと、「いい仕事」をするための「必然因」が揃わなくなるからである。「必然因」が揃わないということは、料理で言えば、大切な材料が揃わないのと同じである。例えばチーズサンドを作るのに、チーズがなければ、何がなにかわからないサンドイッチができてしまうようなものだ。これをチーズサンドと呼んでくれる人はいないだろう。

 これはトレーニングでも似ている。よく私が耳にする言葉に、「できれば凄い動きになるんだろうけど、難しくて」というのがある。最近多くの人が、「難しい」という言葉を容易く使う傾向が強いように感じているが、どうして「難しい」のか、その原因を考えたことがあるのだろうか?

 ある動き(動きでなくある目標…入試とかあるプロジェクトの目標達成など…でも同じだが)が「難しい」と感じる理由は、実は簡単である。それはその動きをするための「必然因」が揃っていないということ。これは動きだけでなく、技術開発や入試なんかでも同じ。

 例えばこれからシーズンだから入試を例に挙げると、入試教科が5教科あるとして、そのうち合格点に達している教科が1教科だったら、合格は「難しい」よね。でも4教科が到達している人には、残り1教科を届かせればいいんだから、「難しさ」はさほど大きくはないよね。

 すでにすべての要素で目標をクリアしている人にとっては、「難しく」はないわけ。こういうのを「必然因」と私は呼んでいる。スピリチュアル系の人たちのいう「必然」とは、意味が少し違うかも知れないので、誤解しないでね。

 できない動きというのは、今までの生育歴や経験の中に、その動きに対する情報がまったくなかったり、少なかったりすることが多いんだよ。でも人間って、生まれたときには「はいはい」すら満足にできないから、最初の段階では誰だって条件は同じようなものなんだよね。

 でもそれが生まれて十年、二十年…とたっていくうちに、ある人にはできる動きが、別のある人にはできなかったりするというように「差」ができていく。どうして? それは自分がその動きの元となる要素(必然因)を手に入れないできてしまったから起こる現象だ。もちろん「生まれつき」の問題もないとは言わないよ。身長2mの人ができることでも、身長1m50の人にできないことはあるからね。(それは「届く、届かない」という問題だけで、どのように動くか、動けるかという問題ではない)

 でも生まれたときには、みんなできなかった。今はできる人とできない人に分かれてしまった。どうすればその違いをなくすことができますか? 簡単でしょ。練習すればいいだけのことで。もちろん、欠けている「必然因」が多ければ、練習という名前の努力をたくさんしなければならないけどね。

 もしも「必然因」がほとんど揃っていて、「必然因」の組み合わせ方だけがわからなかった人なんかだったら、たった一言のアドバイスでできてしまうようなことがあるよね。こういう人はスポーツの指導なんかをしていたら、たくさん出会うことがあるよ。ものすごい努力しないとできない人もいれば、言ったことがすぐにできてしまう人もいる。

 もしも元々「必然因」も、その組み合わせ方もすべて身についている人がいたとしたら、その人は何もしなくてもできてしまうわけだから、練習は必要ないんだね。私なんか「練習、練習」といつも口にしているけれど、これは自分ができない、あるいはできていないことを知っているからかも知れないんだよ(身体を動かすことが基本的に好きなんだけどね)。

 もちろん、その「できている」「できていない」もレベルの「差」はあるよね。我々は生まれながらにして持っている身体の一部は、自然に使えるようになると思っているかもしれないけれど、いつも例に挙げる人のように、生まれてすぐに親御さんが面倒をみなかった例では、「ヒトとしての基本的な機能(立つとか歩くとか、ものを見る、音を聞くといったこと)」すらほとんど発達しないんだよね。

 これはきわめて特殊なケースだと感じるかも知れないけれど、鳥や獣を観察してみても同じことが言えるんだ。例えば(今日はどうも「例えば」が多いね)、鳥は翼を持っているよね。翼を持っていたら、無条件に空が飛べるんだろうか? それは巣立ち前の彼らの姿を見ていればわかるよ。

 彼らは巣で翼を広げて、羽ばたく練習をする。これは絶対にやっている。私も何百回となく見てきたことだから間違いない。翼は自力で空を飛ぶための絶対的必要条件だけど、翼さえあれば飛べるのではない。翼がある上に練習をしているわけだ。決して生まれたままのものを、そのままで放置して飛べているわけではない。

 持って生まれたものは自然に使えると思うのは、自然や身の周りのものに対する観察不足だと、私は思うよ。猛獣は生まれつき強いというが(「ライオンに生まれついたら、何もしなくても強い」なんてことを言うよね)、それはヒトの世界で身長が高いというのと変わらない。身長が高ければ、身長が低い人では手が届かないところまで届くというのと同じ。爪や牙や、大きな体格だから、何もしなくてもかなりの格闘能力があるということに過ぎない。

 彼らは特に闘争や格闘を習わなくても強いなどという人もいるが、そんなことはないよ。子供の頃からよくじゃれているしね。あれって遊んでいるようで、練習しているわけだし(「練習はいつだって厳しく辛いもの」というイメージを持っていると、見逃すかもしれないけど)。それに人間に育てられてじゃれあいとか戦いを経験しないで大きくなった猛獣は、同じ種類の野生のものには勝てないと思うよ。練習量がまったく違うからね。

 だいたい自然界で猛獣は格闘を、習おうとして習うわけではない。彼らにとっての格闘は、歩く、走る、寝る、呼吸するなんかと同じ重要性を持った行為だ。他の獣を襲って食べなければ生きていけないんだからね。つまり毎日の生活の中で、立派に練習をしているわけ。その練習がきちんとできなければ、野生では生きていけないから。

 彼らが幼少の頃、盛んにじゃれあって遊んでいるように見えるけれど、練習は別に厳しく、苦しそうにする必要はないんだよ。目的としたことができるようにさえなればね。練習が楽しかろうが苦しかろうが、正しい練習を、自分に必要とされるだけやった人はできるようになるし、やらなかった人はできないままでいる、それだけのこと。

 そうやって「必然因」が揃ってしまえば、目標は簡単に達成できるけれど、「必然因」が揃わなければ、難しく感じたり、目標に届かないだけ。すると何が「できる」「できない」を分けるかといえば、必要なだけ「やる」か「やらないか」だけなんですな。この単純さはとても科学的だよ。できるようになりたければ、やればいいんだから。

 ということで、『あなたにもできる! 超人の動き』、おかげさまで好評発売中です。やればできるようになる練習方法(例)まで載せているので、むしろ「できるようになりたい人」にとっては「必然因」みたいな本かもしれないもんね。Photo

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%a4%a2%a4%ca%a4%bf%a4%cb%a4%e2%a4%c7%a4%ad%a4%eb%21%c4%b6%bf%cd%a4%ce%c6%b0%a4%ad%20%c6%b0%a4%ad%a4%ce%a5%a8%a5%cd%a5%eb%a5%ae%a1%bc%b3%d7%cc%bf&p=0&v=3&f=O

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4789975290.html

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://aumall.auone.jp/item/115889723

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

2008年12月29日 (月)

理科系のお粥

 相変わらず超忙しい毎日である。今年はいつもの年より忙しいとは覚悟の上だったが、普通の忙しさではない。まだ幾分(というか、かなりというか)他人のことに時間を取られているからだろうと思う。

 他人のことをまったくしないのも寂しい感じがするが、あまりしすぎると、「自分の人生」ではなくなるから注意しておかなければならない。少なくとも私に関する限りは、自分のことをやっていても十分に「生きている実感」はあるので、もう少しやることを精選しなければならないようだ。

 ということで昨夜も楽しかったが、まだ仕事が年末まである人もいて、早く帰った人がいたのが寂しかった(いいんです。みんな自分のペースや健康まで害してまでお酒に付き合う必要はありません。みんなが元気で機嫌よくつきあってくれるのが一番ですから)。

 この時期はどうしても酒の量が、いつもよりは多めになってしまう。食事の時刻もわけがわからない。忘年会などだと、一次会、二次会(下手すると三次会、四次会)とエンドレスになっちまうこともある。

 それにしてもどうしてだろうか。お酒を飲んでいると少し空腹になる。いわゆる「小腹がすく」というやつだが、この誘惑に負けてしまうと、深夜なのにご飯をガッツり食べてしまったりする。これは翌日の朝食がほしくなくなる最大の原因だが、絶対に身体には良くないに違いない。

 若かった頃は飲むと必ず、最後の仕上げはこってり系のラーメンで締めていた。今その真似をすると、気分が悪くなる。やっぱり寄る年波には勝てないのだろうか。それでも「理性」よりも「過去の思い出(たいてい非常に有能な弁護士がついていて、すさまじく美化されている)」に負けて食べてしまうことがある。

 ラーメンは好きだが、大量の飲酒の後のラーメンは、強烈なボディブローを何発も貰ったような状態になるので、せいぜい「おむすび」程度に抑えておきたいところだ。それも量を過ごすと、次の日にダメージが残る。

 来年から、「飲酒」の後はお粥にしようかと思っている。私は「飲酒」は夜しかしないので(しかもその99.9%は自宅)、飲酒の後には寝ることしか考えていない。するとあまり栄養補給をしすぎるのは賢くないことになる。ほんの近場へ行くのに、エネルギー満タン状態にするのと同じで、燃料の重さを運ぶのに、不要なエネルギーを消費しているのと同じになるからだ。

 近場で行くとき(食事で言えば、飲酒の後は、入浴して、テレビかDVDを見ながら寝てしまうだけなので、エネルギーはあまり必要ない)に多すぎる燃料を積めば、身体も戸惑うばかりであろう。若い頃だったら新陳代謝が多いから、少々のエネルギーは消費してしまえるかもしれないけど、人の身体は年齢によって変わるからね。

 そこでお粥だが、今は中国粥に凝ろうと思っている。材料も集めている。まだまだ集めるつもりである。あちらでは朝ご飯にお粥が多いようだが、何あちらの習慣に遠慮する必要はない。ということで、来年からはお粥について「なんでも実験癖」が始まるはずである。

 何をやってもすべては実験みたいなものだ。やってみてそれからいろいろと反省しながら、次第に上達していく。インスタント食品の中には、非常に創意工夫が凝らされていて、「これ、凄いなあ」と感心させられるものも少なくないけど(カップ春雨など)、消費者である我々が工夫してもちっともかまわないように思う。

 だから私が食材の買出しをしていると、食材の買出しとは呼んでくれなくて、「実験材料の買出し」と呼ぶ人もいる。なんと言われようと結構。私は私の食事を楽しみたい。作るのも食べるのも。そして人生はもっと楽しみたい。楽しむためには同じことをしても、人より工夫しなければならない。これって「遊び」のコツだよね。

 なんでも工夫。工夫というのは人間の最大の武器である「頭脳」を活用することである。「頭脳」を活用しなければ、その人は人間として最大の武器を使っていないことになるのではと考えているくらいだ。するといろいろ試してみなければならないよね。

 ある程度情報量がたまれば「予想」「予測」が可能になるけれど、その段階まで到達すつ段階では、実験、実験また実験である。実験は何を増やしてくれるかというと、体験と情報だ。この体験と情報は、より優れたものを生み出す上では絶対的に必要なものである。

 なんてことで、「理科系のお粥」が新年から始まる予定である。来年はもっとスリムになれるかなあ……?(ちなみに中国には及第粥なんて名前のお粥があったりするけど)Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://aumall.auone.jp/item/115889723

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_13086398/1.0/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

2008年12月28日 (日)

もつかなあ…?

 昨夜は久しぶりに顔を合わせた人たちと二次会に行った。興が乗って帰宅して寝たのは、今朝の4時だった。食欲はあまりなかったけど、例によってトマトに始まる朝ごはんを食べて、プーアール茶を飲んでいるうちに、少しずつ元気が戻ってきた。

 今日も昼過ぎから練習である。そして五時頃に終わったら、今度は私たちのクラブチームの打ち上げだ。これがまた気の置けない連中の集まりなので、ついついぐびぐびと呑ってしまいそうな気がする。気の置けない友人を呑むのは、どんなアテよりもお酒をすすめてくれるからね。

 おかげでお腹は、またまたまん丸になってしまうじゃないか。まん丸お腹は幸せの証? でも少しは引っ込んでいないと動きにくくなるから、また少し絞ろうか(絞ったところで、体重そのものは大して変化しないけど)。

 先日、関裕二さんの『藤原氏の正体』(新潮文庫)を読んだ。歴史モノの世界では「トンデモ系」などと言われているらしいが、面白く読めた。確かに今から1000年以上前のことを推理して書くのだから、大変な作業だと思う。けれど、藤原氏の捉えかたが私なんかとよく似ていたので、一気に読み終えてしまったね。

 証拠、証拠と歴史学者は言うけれど、有力な一族だったら自分に不利な証拠は可能な限り消していくだろうし、証拠を捏造することだってきっとやったと思う。だから証拠なるものの信憑性から問題にしていかなければならないのが、歴史と相対したときの姿勢ではないかと思える。

 この本に書かれてあることが事実かどうかはわからない。事実の部分もあるだろうし、外れているところもあるのではないだろうか。でも面白い見方を提唱しているという点から見れば、私は結構楽しく読んだよ。

 子供の頃読んだ、ジェームズ・チャーチワードなんかが書いた「ムー大陸」やら「レムリア大陸」やらの荒唐無稽なお話よりは、はるかに面白かったね。何しろ大きな海を見さえすれば、「そこには大陸があって、かつて悲惨な一日と一晩で海中に没した」なんて思うのは、なにやら病的でさえあるもん。

 どうしてそんなたくさんの人が一度に死んでしまうような、悲惨な事件ばかりを想像するのだろうか。しかも繁栄を極めていたところへ、突然その悲劇がやってくるというストーリーが多いよね。

 プラトンのアトランティスが繁栄を極めていたものが、次第に徳を失っていき、悲惨な一日と一晩で海中に没し、残ったものはプレアテナイの民によって滅ぼされたという話らしいけど、どうしてもこのパターンを踏襲したいのかも知れないよね。悲劇は喜劇よりは受ける(?)のかなあ。

 私は悲劇よりは喜劇のほうがありがたいけどね。笑って生きていけたら、それは幸せだからね。いつか繁栄のきわみでやってくるに違いない災害なんか考えていたら、天地が崩れ落ちてきたらどうしようと悩んでいた杞の国の人と同じになるもんね(「杞憂(『列子・天瑞』)。

 地球だってあと何十億年か後には太陽に飲まれてしまうのかも知れないけれど、そんな遥かな未来のことを心配するより、私は今目の前にある問題と取り組むだけで精一杯だよ。「山より大きな虎は出ない」という言葉もあるけれど、「山より大きな虎」を妄想して恐れている間があったら、目の前にある山を登りきることのほうが先だ。

 世の中がこれだけ不景気になったら、誰だって、その日その日を生きるのに一所懸命になるものだけどね。私も自分が行きたい目的地はしっかりとあるけれど、現実には目の前にある毎日を、できるだけ手抜きをしないで(あくまで自分の生活を中心に考えている人だけど。それは私は自分のために生きる道を選んだから)生きることで忙しいよね。

 Photo そんなこんなで、今晩も飲み会である。気心の知れた者と一緒に飲む酒は、きっとめちゃくちゃ楽しいだろう。心配なのは、連ちゃんの飲み会で内臓に負担がかかることかな。ま、それもたまには「免疫」をつける意味があるのだろうけど。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://aumall.auone.jp/item/115889723

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

2008年12月27日 (土)

まったく、忙しいときに限って…!

 なんとなく慌しい年の瀬である。私のところでも実は遠慮なく忙しい。この秋頃から、「なんでこんなに忙しい人間のところにばかり、いろんな仕事が舞い込むの?」とぼやいていた(本当は、ぼやく暇もそんなになかった)。

 友人のIさんは、「忙しい者に仕事を頼めば、一番早くやってくれるから、どうしても忙しい者のところに仕事が集まるようになっている」と言ってくれたが、これは今も昔も同じで、考えてみれば、社会人になった頃からずうっとそうだったような気がする。

 ようするに、見事な「貧乏暇なし状態」にされてしまっているのである。そこで来年にむけての抱負発表である。私は「自分のためにしか忙しく立ち働かない」。これをモットーにして生きることにする。

 実は今年あたりからそういう方向に、方向転換をはかっていた。おかげで今年は今までにできなかったことがいくつかできた。けれどの今までのパターンが崩しきれなかったため、相変わらず私に無縁の用事が舞い込もうとしていたのである。

 たとえば、どうして「さあこれから」と思っていた矢先に、あほな若い衆の車に突っ込まれなければならんのだ? 一つ間違えば生命の危険があったのだぞ。今、保険屋に自分の罪逃れのような嘘八百を並べ立てているらしい。どう嘘で逃げようとしているのか知らないが、同じことを警察の交通課にいって言う度胸はあるか? こんなつまらんことで、私の貴重な時間を取るな! 自分の罪逃れではなく、正直にさえ言えば、私は不問にふすつもりだったのだぞ。人を怒らせるな! 怒ると、なけなしの時間を費やしても、徹底追及したくなる。

 加えて先日から「運転免許証」が紛失していた。いくら探しても見つからない。さすがに井上陽水の『夢の中へ』を聞く気にはならなかった(見つかった瞬間に聞いたけど。「探し物は何ですか、まだまだ探す気ですか? それより僕と踊りませんか?…」 探し物に苦しんでいる人間には、ざけんじゃねえっ!って歌詞である)。

 どうせ見つかるときはしょうもないところから出てくるぞ、と思っていたら、なんと私の車の座席の下に張り付いていた。自分の左足でちょうど見えなくなる死角である。「大正デモクラシー(我々の隠語で、「灯台もと暗し」という意味)」の典型である。これのお陰で何をやっても気持ちが乗らなかったのだ。それにしても、どうしてこんなところにいたのだろうか? 不思議である。まあ車の中にあったということで、「免許不携帯」ではなかった。

 その他にももろもろの、下らん用事を言う奴。書類のための書類などを要求するやつなど、二度と私は提出してやらんからな。そうでなくても紙切れやらごみやらの問題があるときだろうに、無駄は省け! まったく無駄と無駄の間に挟まって生きているような輩が多すぎる。

 こういう奴に限って「屁理屈」ばかりが多い。なぜかというと、自分の存在を正当化したいからだ。どうしても世の中に必要なものは、自らがその存在の正当性を主張しなくても、世間の多くの人がその存在を認めている。だから自らは何も主張しなくても、存在できる。「屁理屈」をこくやつらは、いない方がすっきりする連中である場合が多い。

 こういう連中は基本的にKYだから、人が忙しくてそんな連中の目顔など無視し始めると、自分が無視されているのが怖くて、不要なことを言い出す。そんなこと、暇な人間同士でやりあっていればいいと思うことを、忙しくて目が回る思いをしている人間に言う。はっきりいって迷惑である。

 私は自分が本当にやりたいことなら、少々忙しくても嬉々として取り組んだりする人間だけど、他のことには興味はないね。だから少々忙しくても、呼んでくださったら飛んでいったりする。あとが苦しくなってもである。私は自分の人生の中で、物事に優先順をつけることにしているからね。

 と言っている今も迷惑メールが届いた。これはもう受信しないようにしておこう。このメールはいつだって、私が「火を噴く」くらい忙しいときに限って舞い込んでくる。集中しているときなど、「私のハートはストップモーション」になってしまう(古っる~!!)。精神衛生上よくないので、こんなものは切ってしまおう。暇なときに「暇つぶし」になるから、なんておおらかに構えていたら、こんな目に遭ってしまう。もう知らないっ!

 なんてことで、来年も自分のやりたいことに集中できる環境を作っていくことに全力を傾けようと、決意した私である。今年も残り僅かになってしまった。まだ年賀状に手がついていない自分の生活を、とても情けなく思っている。

 さあて、来年は、もっともっと頑張るぞーっ!! なんて言っているが、実は今日も超忙しい私である。もう出かけないと……!Photo 今日も夜までびっしりと予定が詰まっている……

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://aumall.auone.jp/item/115889723

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.csdinc.co.jp/cgi-bin/apf4/amazon_products_feed.cgi?Operation=ItemLookup&ItemId=4789975290&templates=def

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%a4%a2%a4%ca%a4%bf%a4%cb%a4%e2%a4%c7%a4%ad%a4%eb%20%c7%c0%b6%c8%a1%a6%b5%af%b6%c8%a4%ce%a4%b7%a4%af%a4%df&p=0&v=3&f=O

2008年12月26日 (金)

一流から超一流になるには

 17才のプロゴルファー石川遼選手が、最年少でプロスポーツ大賞をもらったのだそうである。若干早すぎるかなと思うけれど、基本的にこういった賞は第三者からいただくもので、本人の意思は関係ないものだから遠慮なくいただいておけばいい。でもあまりに早い受賞は、結構重荷になることもあるから、今後一層の奮起が必要かもしれないね。

 スポーツ選手の大部分は比較的若い年代で人生のピークを迎えることが多いから、若い頃こういった華やかなことがある(人ばかりではないけれど)。人生はいまや90年になろうとしているから、20台の真ん中あたりで人生のピークを迎えると、あと60年以上も人生が続くことになる。人生を充実し続けさせるのは、大変な努力が必要かもしれない。

 大成した人からよく聞く言葉だが、「一番楽しかったのは、ピークに上り詰める過程だった」という。でも王前監督のように、プロスポーツ大賞特別賞をいただくなど、現役選手としてのピークを極めた後でもまた別のピークに到達できる人もいるから、素直に「凄いなあ」と感心する。まあ王前監督の場合は、ちょっと桁外れに凄いから、この際置いとくとするけど。

 私が思わずコケそうになったのは、某麻生総理大臣が石川遼選手に、「一流から超一流になるには、努力とライバル、運も必要。これからも頑張って」と激励したという話である。いや、言っていることは間違ってないかも知れないんだけどね。でもこれって、すでに超一流になった人のお言葉ではないかなあ。

 確かに総理大臣は日本国のトップだとは思うんだけど、なんとなく腑に落ちない感じがするのは私だけだろうか。超一流の人がこの言葉を石川選手にしたのなら、私の心も納得したんじゃないかと思うんだ。その人が別に国のトップでなかったとしてもね。

 賞をいただいた経験は、私のようなつまらない者にもあるけれど、時々その地位にいるのが不自然な人からいただくことがある。ぜんぜん自分は努力もしていなかったし、そのスポーツや芸術なんかやったこともないけれど、お金をたくさん持っていたり、政治家の先生だったりして理事長なんかをされていた人からもらうと、思わず「う~ん……」と思ったこともなくはない。

 競技会とかコンテストで貰う賞は、選手や出場者、参加者の間での競技の結果獲得するものだから、自分で獲得したものといえる。これは誰から表彰されても関係ない。なぜならば表彰する人が誰であったとしても、獲得するために積み上げた努力ははっきりとあるからだ。

 でも誰かから貰う賞だと、せめてくださる人が、誰もが認めるような御仁でないと、「う~ん」となってしまう。頭を下げて押し頂いている方が、賞状をくださる人よりも凄かったりすることは往々にしてあるからね。どちらが頭を下げるに相応しいんだろうかなんて。

 もちろんものをいただくのだから、頭を下げるのは当たり前かもしれないけれど、親や先祖から与えられた資金や土台の上に乗っかっている人よりは、プロスポーツの世界で活躍している人の方が、私なんかから見ると眩しく感じるけどね。

 眩しい人からものをいただくと、いただいたものも眩しく見えるよね。眩しくない人からいただくと、いただいたものも眩しくなかったりして。何でも同じだろうけど、家を立ち上げた人物は、人に真似ができない凄い部分があったと思う。でもそれが子孫にまで必ずしも伝わっているとは限らないんだよね。

 でも家がでっかいのは世襲されることも多いから、立派な家に必ずしもその家に相応しい人物が住んでいるとは限らないという現象が起こる。でもそういうのが当たり前になっていると、高い地位についてしまって、表彰する側に回ってしまうこともあるんだよね。

「一流から超一流になるには、努力とライバル、運も必要」なんてことは、当然、プロスポーツ大賞授賞式に出席できるような人ならば誰でも知っているだろう。問題は表彰する側が本当にそれを理解しているかどうかということだよね。もちろん超一流であるかどうかということも含めて。

 すいません。今日は皮肉おじさんになっちゃいました……Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

http://www.emono1.jp/ent/detail/s/a4789975290/

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%a4%a2%a4%ca%a4%bf%a4%cb%a4%e2%a4%c7%a4%ad%a4%eb%20%c7%c0%b6%c8%a1%a6%b5%af%b6%c8%a4%ce%a4%b7%a4%af%a4%df&p=0&v=3&f=O

2008年12月25日 (木)

巻物むにゃむにゃ

 今年もクリスマスがやってきた。数年ぶりにクリスマスを日本で過ごしたが、異郷でぽつりと、外の賑わいを眺めながら過ごすクリスマス(どこの国でも、クリスマスは家族との生活を優先するらしい。少なくとも私のつきあっている連中は、そういったスタイルの人が多い。私は家族を大切にする彼らの生活は大変好ましいと思っている)と比べると、やはり日本で暮らすクリスマスは楽だった。

 でも私が知っている岡山のクリスマスって、もう少し帰宅を急ぐ車が多かったような気がしたのだが。どえらい渋滞に巻き込まれ、家とは反対の方向に向かっている私の車が身動きがとれず、一人毒づいた記憶もある。でもせめてクリスマスくらい早く帰宅しようとする人たちの心は、温かく感じていたけどね。

 車が減っているのはやっぱり「不景気」のせい? 不景気は人々の顔から笑顔を奪ってしまいそうになるけれど、本当は苦しいからこそ朗らかでいなければならないのかも知れない。金もない、笑顔もないじゃあ、暮らしていくのに気が重すぎるもん。というわけで無理やりにでも笑ってしまおう!

 話は変わるけれど、私がほんの子供の頃、忍者漫画が流行していた。そして不思議なシーンがあった。それは「巻物」をラグビーのボールよろしく、忍者どうしで奪い合うといったシーンである。それは知らないうちに私に、「巻物」は神秘なものというイメージを植えつけてくれていた。

 いまだったらさすがに「巻物」って、要するに製本技術がなかった頃、できるだけ小さい体積に多くの情報を詰め込むための工夫だったんだろう、程度で済ましてしまうんだろうけれど(しかも紙がなかったり貴重品だったりしたら、布にせよ獣皮にせよ竹簡にせよ、くるくると巻いてしまうというのは、結構合理的な方法である)、私が子供の頃といえば、ノートがあたりまえで、めったにお目にかかれない巻物のほうがはるかに「神秘」だった。

 武術などの世界を知ると、あれは「免許」などを伝えるものだという場合もあるということを知り、それでは中に何が書いてあるのだろうかと興味を持った。なんとなくノートなどよりも価値があることが書いてありそうな「神秘性」が、やっぱり漂っていたんだよね。

 でも武道や武術を極めた偉い人から聞いた話だと(その方は何だったかの「免許皆伝」であった)、「いや、あれは中に自分が習得した技の名前が書いてあるだけだったよ」などと教えてくださった。その方は「私のは技の名前が書いてあったけど、他の人の巻物は白紙だったこともあるらしい。その流派の根本的なものの考え方などを書いたものもあったらしい」と教えてくださった。

 すると私が子供の頃に、忍者が生命をかけて奪いあいしていたのは、本当に生命をかけるだけの値打ちがあったのだろうかと思ってしまった。そうしているうちに、私などが知らなかった児雷也(じらいや、漢字をよく覚えていない)なんて忍者は、印を結んで大ガマの上でむにゃむにゃとやるだけで、どうして忍術(私には妖術にしか見えなかったが)が使えるんだろうとまたしても疑問を持ってしまった。

 きっとあんな呪文が「巻物」にはいっぱい書いてあるんだろうな、だから生命をかけて「巻物」を奪い合っていたんだ。そう考えることで、巻物争奪戦の理由がわかるような気がして一人で納得していた。

 でもね、よく考えてみると、巻物に書いてある字は誰にでも読めるわけ? もしもその巻物に、そんな凄い力を秘めた言葉が書かれているのなら、たいていは暗号な何か、普通の人には読めないような字を使うはずじゃない。実際に忍者の書物などを見ると、忍者にしかわからない文字ばかりで、素人の我々にはさっぱりわからないよね。

 だからもしも巻物を授けるような弟子が現れたら、その弟子に「巻物」と、そこで使われている文字が読めるだけの知識を平行して与えるようにすれば、別に巻物争奪戦をする必要なんかなくなるんじゃないかな。読めなければ、巻物だけ手に入れても使えないわけで、意味がないからね。

 そんな配慮はしなかったのだろうか。『天空の城ラピュタ』ではシータの家にはいくつかの呪文と飛行石が、ムスカの家にはラピュタ文字が読める知識が分けられて伝えられていたよね。こうすると両方ともが一致協力しないかぎり、大きな力を持ち得ないわけだ(シータの家に伝わる、小さな飛行石が持つ力くらいしか使えない)。

「巻物」だって同じようにすれば、師匠が伝えたくない者には、絶対に伝わらないし、伝えたい人間だけには、師匠自らの手で伝えることができるようになる。どうしてそうしなかったんだろう?

 それにもう一つ、大きな問題点がある。呪文ってのは言葉だよね。言葉に「チカラ」があるとして、その言葉が不正確だったら当然、「チカラ」はないはずだ。そうしたらただ呪文をなんとなく覚えただけでは使えないかも知れないよ。「あなたの発音は不正確です」なんてね。

 すると師匠から弟子に伝えられるときにはヴォイストレーニングなんかが必要になる。訛りの強いことばしか喋れないで弟子だったら、お師匠様から「お前の技量は抜群ではあるけれど、その訛りが消えなければこの巻物はやれない。やっても何のチカラも発揮できない」なんていわれるかも知れない。せっかくそこまで修行したのにね。

 まだあるよ。外国人だったら、「お前の言葉では、この音は発生できないからダメ」なんて、国籍による差別が発生したりする危険性がある。呪文系の「巻物」はなかなか厄介な代物だ。正しい言語、正しい発音がなければ威力が発揮できないんだから。間違ってもむにゃむにゃなんてやったら、「チカラ」は出せないよ。

 これが宝物を埋めた場所を記す地図なんかだったら、手に入れた者が圧倒的に有利だよね。でも宝物はお金に変えるくらいしかないし、お金に変えてしまったら、後は使うだけだから、浪費癖のある馬鹿息子・馬鹿娘なんかいたら、ちっとも力になんかなりゃしない。そうしたら必ずしも大きな「チカラ」にはならないかも知れないんだよね。

 まあこういった「巻物」は、あまり存在していなかったんじゃないかな。教えを伝えるものはあったとしてもね。でもそれが人から人へと伝えられ、国から国へと伝えられるうちに、少しずつ変化していったのは無理のない話だろう。でも中の情報が正しく伝えられることには意味があったと見るべきだろうね。

 身体運用なんてことを考えていると、文章にするのは実に困難が伴う。身体の感覚や情報を伝えるには、我々の使う言語は(私のボキャ貧も原因の一つだが)あまりにも少なすぎる。だからどうしても、読んだことを実践していただくしかなくなる。身体を動かすことは、身体を動かすことでしかわからないからね。

 ちょうどこれは走るのが速くなりたい人は、どうしても走らなければならないし、泳ぐのが速くなりたい人は、どうしても泳ぐ練習をしなければならないし、戦いで強くなりたい人は、どうしても戦うことを避けて通れないようにね。頭の中で知っていることやわかったつもりになっていることと実際に自分ができることとの間には、かなり大きな差がある場合もあるから、できるだけこの差をなくし、現実と意識内の認識を同調させる必要があるんだね。

 自分がやっている(と自分で思っている)ことと、実際にできていることとの間に違いがあることを「誤認識」というけれど、「誤認識」が大きければ大きいほど、その人は自分が思っているようには身体が動いていないということだし、「誤認識」がなければ、自分の認識と現実が一致しているということで、思ったとおりに身体が動いているということだもんね。

「できる」というのと「毎日やっている」というのは、まったく異なっているというのは、実はこれを指している。「できる」と思っているうちにできなくなってしまっているものもあるからだ。逆に毎日やっていることは、ほとんど狂いなく、たいていのときにできちゃうから。

 だから「巻物」を手に入れても、それだけで強くなっていたり(巻物争奪戦を通して、強くなることはあるかも知れないけど)することはないんじゃないかな。「巻物」を手に入れてから、人知れず修行に励んで初めて、その「巻物」に書かれていることができるようになっていき、最終的にそれが自分の「チカラ」になっていくんだからね、きっと。

 今日は木曜日。さて私も今年最後の「チカラ」をつける練習に出かけるとしますか。

Photo http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

2008年12月24日 (水)

ちょっと変わった食性・30 ~鍋にもいろいろありまして…~

 寒くなりましたな。こういう時には、やっぱり鍋が一番でございます。最近は日本でもわりと「こってり系」の鍋が増えたように思いますが、そのときの身体の状態や気分にあわせて、できるだけ自由な発想で楽しむことができるのも、鍋のいいところでございます。でも私は基本的に「あっさり系」だと思いますけどね。

 でも鍋にしてしまえば、ニシキヘビでもワニでも鳥でも、たいていのものが何でも食べられるところがえらいですね。(チョコレートとかキャンディ、飴玉なんてのはちょっと考えてしまいますけど)闇鍋なんかだったら、取ったものは必ず食べなければならないなんてルールがあったりするようですが、これは「たいていのものなら鍋になる」という特性を逆手にとったロシアンルーレットなんでしょうね。

「鴨鍋」は日本にもあるけど、中国にもあります。ただし少し味付けが違いますが(聞いても「秘伝」らしく、教えてくれないそうです。これはいつか本ブログで紹介した「醤板鴨」と同じですな。大切なものは「一子相伝」のお国柄を反映しているのかも知れません)。Photo

 あちらでの鍋屋さんの中には、左の写真のような営業方式のところがございます(全部が全部はそうではないんだろうけど)。一応この写真は12月で、冬(場所は珠海、だいたい12月中旬で15℃~22,3℃くらいの亜熱帯)でも遠慮なく屋外で食べさせてもらえます(夜遅くなると、さすがに寒くなったりするけど)。

 看板にPhoto_2は左のようなことが書いております。一番上に書いてあるのはスズメですが、その下の生hao(虫へんに毛)というのは牡蠣のことですな。それからウサギ、そしてネコ、ヒツジと書いているわけで、当然書かれている以上、これらの肉が食えるわけでございます。

 私はこの店に3度ほど行ったことがありますが、(Sさん、憶えておられますか。あなたと一緒に行ったのが初めてだったんですけどね)日本の鍋とはかなり異なった味付けの鍋料理を食べることができますです。

 ちなみにこちら側の看板は、フラッシュをたかないで撮影したので(他のお客さPhoto_3んを驚かせたくないから)、光が多すぎてなんと書いてあるかわかりません。実は上に「正宗(正統という意味)」とあり、真ん中にでかく「(くさかんむりに伐)名狗肉(イヌ鍋で有名な店なんです)」、その右に「不到長城非好漢(万里の長城に行ったことがなければ一人前の男とは言えない…あちらでよく使われる表現)」、左に「不喫狗肉真遺憾(イヌの肉を食べないなんてとても残念だ)」と書いてあります。ということはイヌの肉を食べることは、かの地の人でも抵抗があるのかな。Photo_4

 これは鴨鍋でございます。上に乗っているのは何かというと、なんと血を固めたものなんですよね。どうやって固めたのかというと、鴨の血(喉を掻き切る)に水と塩を加えると、自然にプリン状に固まるんだそうです(まだ未確認なので、聞いた通りを伝えておきます)。日本だと動物の血は、あまり売り場には出ませんから、なかなか実験できませんね。

Photo_5  それでことことと蓋をして煮込むんですな。このあたりは日本の場合と同じでございます。待ち遠しい私なんかはすでにビールなんかを飲み始めますが、この間にしておかなければならないのは、「漬けダレ」を自分好みに調製しておくことですな。

Photo_6  これが鴨鍋のときの漬けダレの材料。右上のは生のニンニクを醤油につけただけのもの。日本だとニンニクの匂いをぷんぷんさせていたら、ちょっとマナー違反という雰囲気があるけれど、中国ではまったく問題ありません。真昼間からがりがりとニンニクを食っても誰も気にしたりしません(もちろん、若い女性を含む)。下の真っ赤のは赤唐辛子をベースにした辛味Photo_7強化のもの。もちろん辛党の私には不可欠なものでございます。これらを左上のタレに好みで混ぜ、自分の好みに作り変えるのですな。(生ニンニクはそのまま齧る)

 それにこんなふうに、鍋の中で煮えたものを漬けて食べるんでございます。もちろん何か一味足りないなと思ったら、生ニンニクを齧ります。私もそのスタイルを試してみましたが、日本のニンニクよりも辛味が弱い気がしましたな。

 気になるのは先ほどの「血」です。さてどうなっているのでございましょうかPhoto_8。 それはこんな感じなのです。食べてみると、なんと肝臓をものすごく上品にした感じの味で、もちろん歯が弱かろうが、なかろうが簡単に食べることができます。これは意外でしたな。驚きの味覚で、私の味覚の守備範囲を広くしてもらったように感じました。こういった経験をたくさん積めば、誰だって守備範囲は広くなりますよ。

 このときは4人で食べていたので(後に5人)、鴨鍋だけでは足らず、引き続きPhoto_9イヌ鍋を追加いたしました。左がイヌ(狗)鍋でございますが、こうしてみると何を食べているかわからないでしょう? そりゃ誰だって、イヌの姿煮がゴロンと出てきたら躊躇するかもしれないけれど、細切れになっていたら何を食べているかわかりませんよ。私としては出されたものは何事も経験と、ただ美味しくいただくだけでございます(「ペットの犬と一緒にはしないでくれ」と、中国人の友人に言われた)。

 日本ではPhoto_10鍋のあとにはウドンとかおじやへと進むことになりますが、中国でもそういったスタイルはあります(ただしおじやは私はまだ食べたことがありませんし、麺は日本とちょっと違うので、これも試したことがありません。コシがないから、美味しくないんじゃないかな)。いろいろなものを入れて、鍋でダシが出たスープで煮るわけでございます。 たとえば餃子。餃子はあちらでは水餃子が結構多いので、あたりまえのように入れて食べます。餃子の餡に濃い目の味がついていたらそのままでも食べられますが、薄ければ先ほどの漬けダレにつけて食べたりします。Photo_11 Photo_12

 こんな感じで、様々な素材で作った団子みたいなものを投入します(投げ入れなくてよい。熱いスープが散るから)。こういったものはあらかじめ準備しておくとよいでしょう。カニの身を入れたものとか、魚のすり身、えびなどで練っておくと、食感も味もなかなかのものです。しかも驚いたことに、これらの団子の中にも餡が入っておりまして、これは嬉しかったなあ。 Photo_13

 これは白身魚のすり身で団子を作り、中にカニミソで作った餡が入ったもの。すり身の団子が甘く、カニミソが別種の甘さを出していて、それを鍋のスープの味が包んでいて、旨かったなあ(ちなみにこの団子は持ち込み。あちらの店は持ち込みに寛大なところが多い。店にはこんなものは置いていない)。Photo_14

 これはもう一つのもの。なんとも餡がトロリととけて、ミルクのような甘さがあったんだよ。作り方を聞いたんだけど、詳しく知っている人がいなかったのでわからなかった。残念、無念、桃栗三年、柿八年というやつでございます。

 まあ、そんなこんなでところ変われば品変わるのたとえ通り、様々な美味しさに触れることができますけれど、そのためのポイントは、現地に信用できる友人を作ることだと思います。日本人が日本人の目で探しても、日本人の価値観にないものは、目の前にあるのに見えなかったりすることもあるから。

 皆さんのお陰で、いろんな貴重な体験が積めています。きっと私の人生は、とんでもなく豊かでしょう(そのせいか、お腹の皮下脂肪Photo_15 も豊かになってしまっているのかも……)。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

 

2008年12月23日 (火)

美しく老いる

 若くてスタイルがよくて、きれいな女性モデルさんはたくさんいるよね。男性だって、かっこよくて、ハンサムなモデルさんはたくさんいる。彼や彼女らはきっと、美貌やスタイルやかっこよさを維持するために、大変な努力をしているんだろうと思う。

 両親(あるいは神様? いるとして)のお陰で、美しさの土台はもらって生まれたのだろう。あとはきっと本人の努力もあったのではないかと思う。きれいでスタイルのいい人はたくさんいるけど、みんながみんなモデルさんになれるわけではないからね。

 でも先日、ふと考え込んでしまった。若くて素敵なモデルさんはたくさんいるけど、年老いてもモデルさんとして活躍している人はあまり見ないよねえ。としたら今20歳で活躍しているモデルさんでも、30年後は50歳だ。そのときは何をされているんだろうってね。

 世阿弥が『花伝書』でいうように、「時分の花」はきっとあると思う。幼い頃には幼い頃にしか咲かない花が咲くだろうし、思春期には思春期の、青年期には青年期の、壮年期には壮年期の、熟年期には熟年期の、老年期には老年期の花はきっとあるだろう。でもうまく咲かせる人はどれくらいいるんだろうか。

 若いときには誰だって花は咲かせやすいかも知れない。若いだけで、それは凄い力だからね。体力的にもそうだし、健康面でも、思春期後期から青年期にかけては一般に、最もお医者さんに行かない年齢といわれているぐらいがし、魅力だってそうだろう。でも百花繚乱が当たり前の年齢を過ぎると、花を咲かせるのも容易でなくなることが多い。

 そこで花を咲かせるには、やはり努力の積み重ねが大切なんじゃないんだろうか。私はモデルさんの世界などとんと知らない門外漢だけど、若い頃にはさほど目立たなかった人が、人知れず年齢を重ねてもモデルであり続けようと努力して、壮年期、熟年期、老年期のモデルさんとして、美しく老いていった姿を見せてくださったら、これは凄いことだと思うよ。モデルさんは一般的に「美」を求められるからね。

 年齢とともに変化していく「美」なんかを追求したら、これは私なんかからみたら夢のような大事業だと感じるね。でもだいたい年齢を重ねていくことは、人生経験を積むことだ。その中にはいつも心洗われるような体験ばかりがあるわけではないだろう。きっと嫌な経験もたくさんするはずである。心な必ず外見に反映するだろうから、嫌なことばかりを体験したら、「美」を保っていくことだって困難じゃないかな。

 そういったすべてのものを飲み込みながら、きれいであり続けることができたら、それは凄い。でももしかしたら、それが「人生に磨かれる」ということかも知れないよね。普通は「人生の垢をつけて」汚れてしまうことだってあるわけだから。

 私がよくお世話になる人に、Hさんという方がおられる。この方と始めて出会ったのは、今から十数年前のことだった(20年に近い十数年)。そのときこの方はもう50歳を超えておられた。しかし目を見たとたん、私は衝撃を受けた。まだ少年の色を残しておられたからだ。

 自分がこの年齢になったとき、果たしてこんな澄んだ目をしていることができるだろうか。いつまでも少年の心を持ち続けていられるだろうかと(お話をしてみると、少年の心もたっぷりとお持ちであった。もちろん年齢に相応しいどころか、それを遥かに超える人生の智恵もである)、本当に考え込んでしまった。

 きっとこの方は、「美しく老いる」なんて考えたことはないのではないだろうか。他人の目なんかほとんど気にしないで、自分の思うように生きたいと、いつも願って生きておられるんじゃないかな。その代わり、いつも全力疾走なんだろうけどね。

 昔々、人に「何か言葉を」と言われて、「自転車人生」と書いたことがあるが、本当のところ、これが案外正解かも知れない。自転車って全速力に近くなるほど、ブレが少なくなるからね。そして停泊しているヨットよりは、海を走っているヨットのほうがカッコいい。

「美しく老いる」のは実は本当の姿ではなくて、いつだって全力疾走しているだけなのかもね。老いるのは時間がたてば、かってに生理現象として起こることだから。容姿はどんな人でも年齢を重ねれば、若くい続けることはできない(時々、例外みたいな人もいるけど。まさか夜な夜な街に出て、処女の生き血を……なんてんじゃないでしょうね)。

 そうそう、そういえば若くて、容姿も十人並み以上なのに、なぜかしらあまり「美」を感じない人っていますよね。なんか無気力で。物憂げな美人もいないわけではないけれど。でも物憂げなのと無気力なのとは、また違った気がするよね。

「象潟や 雨に西施が ねぶの花」(芭蕉)なんて句があって、西施という美女がなんともいえない物憂げな表情をした美人だったといわれているけれど(『三十六計の第三十一計、美人計』)、彼女は越王勾践がリターンマッチのために呉王夫差に送り込んだ間諜で、彼女に夢中になってしまった夫差は呉国の国力を弱まらせてしまい、ついには滅亡してしまったという。

 これには様々な説があるようだが、越王勾践の部下の范蠡が、彼女に間諜としての特訓をしたとか言われていたりする(彼女は胸を病んでいて、それでいつも眉間に皺を寄せていたとか言われている。それがまた魅力的だったというのだが……)。すると呉を滅ぼすという結構な目的を持ってフル回転していたはずで(精神的には)、やっぱり活力はあったんだろうね。無気力とは程遠いよ。

 残念なことに彼女は、呉滅亡の後、生きたまま皮袋に入れられ(越の王妃らによって)揚子江に流されている(当然、死ぬよね。でもこれまた諸説あり)けど、できたら年老いた西施がどうであったのか、見てみたい気がするよね。果たして「美しく老いて」いったかどうか。

 いろんなことが気になる年の瀬でございます……Photo_2

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

やれやれ、またしても文科省が……

 高校の英語の授業を全部英語にしろと文科省が言っているらしい。やれやれである。高校までで習う単語の数が、これでやっと中国や韓国なみになるんだそうな。まったく何度失敗してもわからない連中の巣窟だな、文科省は。

 全部、英語で英語の授業をするということは、初歩の段階で英語に躓いた人間にはさっぱりわからない授業になるということである。やはり切り捨ての論理なのかな。授業が一から十までわからなかったら、1時間という時間は長いよ。長いと退屈だし、面白くない。そうしたらどうなるかな?

 一部進学校または英語力のある生徒を集めた学校を除き、きっと授業は荒れるだろうな。高校の英語の先生方、大変ですね。こんなことを実態調査もろくにしないで、ほい、とお気軽に言い出すお役人に授業をさせてみれば、苦労がわかるんだろうが、こういった人は無責任だから、絶対にやろうとはしないだろう。

「ゆとり教育」だってそうだった。「ほんとにこれでやっていけると思っているんだろうかね?」 現場ではこういう意見も少なくなかったという。でもそれで強引に押し切って実施した結果が今の「ゆとり教育の見直し」だ。あの時、「ゆとり教育」を推し進めた御仁はまだご健在のはずだよ。

 いつも私は言っているけれど、人を2~3人殺したら死刑になるんだろうけど、国民全体に迷惑をかけたら、その罪はどう裁かれるんだろうね。のうのうとして、リッチな暮らしなんかをさせておいたら、こういった無責任な人間が、耳ざわりのいい言葉ばかりを吐いて、世の中を混乱させるだけさせて、あとは知らん顔というのが当たり前になるよ(もうなっているか)。

 私が高校時代Yという英語の先生がいた。決して英語を話すのは上手ではなかった。でもこの人の授業は面白かったよ、抜群にね。面白いものは身につくことが多い。私も長じて、「自分で面白いと思ったもの」または「絶対的に必要にかられてやったもの」しか本当に身にはつかないということがわかったけれど、Y先生の授業は前者だった。

 残念なことにこの先生とは高校2年生の時の一年間しか付き合えなかった。新設の進学校に引き抜かれていったからだが、もう一年教えてほしかったなあ。もっと英語が好きになったかも知れないから。

 この先生はすぐに「辞書をひきなさい」とおっしゃっていた。「入学のときに買った辞書が、擦り切れて使えなくなったら、私が買ってあげるから」とも仰っていた。日本の辞書だから、少々使っても3年間ではぼろぼろになることなんかはないけどね(英語以外のことに使えばぼろぼろにはなる。例えば人やものを叩くとか)。

 きっとY先生が今おられたら、いやな顔をなさるのではないだろうか。英語で会話ができたらいい英語教育ができるのなら、全員英語国民に英語の先生をしてもらえばいい。そこまでは考えていないんでしょ。いい加減な性根でものごとに取り組むと、また「ゆとり」の二の舞になってしまうよ。

 確かに本気で外国語を学ぼうと思ったら、言語としてだけの学習では不足していると思う。言葉には歴史や伝統、文化などなどというものが不可分な関係で結びついているからね。でもただ英語で喋っていれば国際人になれるってものでもないんだよ。

 私は日本人は日本語が基本だと思っている。日本語の深い意味や味わいのわからない人間が、どれほど上手に外国語を喋ってみても、しょせんはオウムの言葉のように、たいした意味を持たないんじゃないかな。もちろん生活一般の会話はできるから、海外なんかでは便利だろうけどね。

 でも便利というのと、その国を深く理解するというのはまた別物なんだよ。例えば中国なんかでも、長い歴史と伝統がある国だよね。でも私は喋るの下手っピイけれど、あちらの古典について語り始めたら、当地の若い人はもちろんのこと、同世代の人間でも「どこでそんなに深く勉強したんですか?」と聞かれるくらいではあるよ。

 私の勉強方法は、まず日本がベースだった。それを物差しにしてよその歴史や文化を比較しながら学んでいく。ここでは「物差し」のサイズや精度が物をいう。要するに自分の国を考える目ができていればいるほど、相手も深く、広く見ていくことができるんだ。この物差しつくりをいい加減にしておいたら、どんな価値あるものを見ても、その値打ちの十分の一もものにならない。

 スポーツや武道・武術でも同じようなことが言えるよね。なんでもとことんやって、自分の中にしっかりした物差しができていない人は、何かすぐ良さそうなものを見ると、そっちにふらふらと行ってしまうことが少なくない。それを繰り返しているうちに、「物差し」は形成されないまま年だけとってしまう。

 なんでもものの考え方は同じようなものだ。言葉にしても学問にしても、スポーツや身体運用にしてもね。何か基盤になるものがあってこそ、他のものの真の値打ちを見分けることができるものであって、あちらを齧り、こちらを舐め、そこを覗いたかと思うと、またこっちを見る、なんてことをしていたら、時間がかかるわりにはあまり得るものはないんだよね。

 ま、文科省のお役人だから、「これは自分がやったんだ」と自慢したいのかも知れないけれどね。でも一ついいことを教えておいてあげよう。高校卒業までに習う単語の数が。やっと中国や韓国なみになったというけれど、少なくとも中国の高校生はほとんど英会話なんてできやしないよ。さあ、この事実をどう考える? さあ、さあ、さあ……

「自分が楽しいと思ったこと」「絶対的必要性にかられたもの」しか、本当には身につかないんだよ。Photoわかったかな、文科省のお偉いさん!

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://kakaku.cybozu.net/item_list/?cat_id=840&keyword=%A4%A2%A4%CA%A4%BF%A4%CB%A4%E2%A4%C7%A4%AD%A4%EB%A1%AA+%C4%B6%BF%CD%A4%CE%C6%B0%A4%AD&loc=notfound

2008年12月22日 (月)

うふふ……

 医者に行って、隣の部屋から、面白い会話が聞こえてきた。どうやら阪神の藤川球児投手に似た人らしい。

「注射アレルギーって言われたことありません?」 看護婦さんの質問である。

「ええ、注射は嫌いですけど」 これには隣でぽつんと座っていた私が爆笑しそうになった。この観点から言えば、私だって立派な注射アレルギーだからだ。でも看護婦さんは当然、何かの薬品とのアレルギーを心配しての言葉だったのだろうと思う。

 でもいいタイミングで、いいリズムの受け答えで、とても面白かった。これと似たのが昨日の私ともう一人の会話。

 冬なのでさすがにコタツを出している。そこで相方が、「おこた」と言ったので、私は「怒ってない」 う~ん…… なんとなく間がわからないと笑えないね。でもギャグって、間が大切だよね。

 でも間を得たギャグが入ると、その場がとても和やかになる。「注射嫌い」の人はその後、薬局で会った。何でも一ヶ月もの間、風が治らないのだそうである。でも顔を見て私は驚いた。こりゃあほんとに藤川球児だわ。でもこの藤川球児そっくりさん、こんなギャグを飛ばしてくれていたら、周囲の人の雰囲気をよくしてくれる人なんだろうね。

 こういう人って、いるだけで社会の財産みたいなところがあるよ。早く風邪を治して頑張ってね、と思わず心の中で思ってしまった。

 反対に人を笑わそうとして、かえって人を傷つけちゃう人もいるからね。笑いって、無理してまで笑わせなくてもいいんだよね。なんとなく、こころのそこからうふふ……と思えるのが、私は社会を楽しくしてくれていると思っている。

 でもジョークが多い人って、基本的にサービス精神が豊かだからね。それだけで十分、他人に気を使う人だ。それに対して駄洒落だと批評するだけの人は、結構人間関係を和やかにしようとしている人の努力をけなしているよね。

 人間には笑いが不可欠だと思うよ。動物も笑うけど、人間はその中でも一番よく笑う生き物だと思う。それは人間の精神が高度に発達している証なんじゃないかな。ということは笑わない人って、精神の発達が……? ま、それも暴論かな。Photo_2

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

2008年12月21日 (日)

貧乏はなぜ暇がないか

 高速料金が安い。これは麻生さんのヒットである。私は高速料金を安くしたのは、麻生さんの功績だろう。以前から政府の政策は、はたして庶民のことを考えているのかと疑問視していたが、少なくとも高速料金については評価していいと思う。

 なにしろ石油が値上がりしても、「ふふん、ふふん」の爺さんは、「それでもヨーロッパよりは安いんでしょ」でおしまいだった。もちろんこんな言葉が口から出るのは、石油の高騰について、何の手も打たないという意思表示であろう。そんなことを言うのなら、何もかも欧州なみにしてみろと私は腹を立てていた。いつも言うことだが、人を何人か殺したら死刑だが、国民1億3000万人に様々な迷惑をかけた人間が無罪でいいとはとても考えられないよ。石油のことだって、暖房に関する問題だから、これで寿命を縮めた人だって(きっと)いるんだからね。

 私は政治家さんの人格はどうでもいい。庶民が幸せにくらせるような政策を展開してくれるのであれば、その人が酒癖が悪かろうが、腹黒だろうがちっともかまわない。その人が行った政治がすべての評価の対象だと考えている。

 アメリカのブッシュ大統領は、「次の大統領にマイナスは残さない」と言ったそうである。こんな言い方は失礼だが、あのブッシュさん(アメリカ史上最低の大統領という評判が、アメリカ国内ではあるらしい)ですらこんな言葉を口にできるのである。どこかの国の、政権放り投げ総理大臣の続出とはだいぶ様相が異なっているような気がしないでもない。

 昨日(2008年12月20日)の産経新聞の産経抄に「北朝鮮で金正日テロ計画が発覚?」という記事が出ていた。私はよその国のことは知らないが、このコラム子は「韓国との間に緊張を作り出すためで、なんともお忙しい国だ」と結んであったが、忙しいことはよくわかるよ。昔から「貧乏暇なし」って言うしね。

 これだって豊かな国家であれば、あれこれ気を使う必要はないんだよね。貧しければ他人が起こした僅かな動きの影響だって、自分のところに大きな影響を与える可能性があるから、いつだって敏感に反応しながら、忙しく対応していかなければならない。でも豊かだったら、「そんなこと、小さい、小さい」と鷹揚に構えていられるもの。これが「余裕」なんだよね。

 毎日の昼ごはんを500円で済ませている人にとっては、収入が一月10000円減れば、当然昼ごはんの内容を考えさせられられるだろう。これが40000円、50000円と減らされたらどうするだろうか。もう考えなくてもわかることだよね。

 今は久しぶりにガソリンが値下がりしているし、高速料金も麻生さんのヒットで安くなった。これは少しは遠出するとか、動こうという気が起こるよ。人が動けば必ずお金が動くものだから、少しはましになったかなあ。でも不景気のおかげでリストラとか、派遣切りが凄いので、国民の気持ちは荒んでいるけれどね。

 最近車を運転していて一番感じるのは、12月ではあるけれど、なんだか殺気だった運転をする人が増えたような気がする。これって社会の雰囲気を反映しているんじゃないかなあ。「変」が今年の字として選ばれたようだが、変な事件はたくさん起こったしね。(アメリカのオバマさんの「チェンジ(変化)」だって、果たしてうまくいくかどうかはわからないしね。仮にアメリカ的にうまくいったとしても、それが日本にいいかどうかは別問題だし)

「変化」にいくらでも対応できれば、悠然と構えていられるけれど、わずかな変化にでもあわてなければ対応できないとすれば、それは忙しいよね。だから海の向こうの「変化」を、ただ喜んでいればいいというわけにはいかない。変化するといっても、それは自国のための変化であって、わが国のための変化ではないんだから。

 だいたい自国が追い込まれた(つまり余裕がなくなった)から、仕方なく「変化」するわけで、それはよそのことはあまり考えないか、考えても自国に有利になるように利用することしか考えないと思うんだけどな。まあこの応対については、優秀な(!)政治家さんの活躍を期待しておこう。

 翻って身体運用で考えると、相手がどのように変化しようと、それに対応できる自信(もちろん、実戦に裏付けられた自信)があれば、余裕があるよね。こういった人は大勝負の前でも悠然としているかもしれない。でも自分の身体の能力に自信がない人は、相手の僅かの変化にも敏感にならざるを得ないよね。これは即反応しなければならないから、緊張する。

 ところがどっこい、緊張すると身体は固くなるから、かえって動きにくい状態になってしまい、そうでなくても少ない能力が、ますます小さくなってしまうんだよね。身体運用上での「貧乏暇なし」状態というのは、こういう状態なんだよね。だから身体運用上での向上の一番基礎は、「動ける身体作り」なんだよね。動けるようになれば、「貧乏暇なし」状態から解放されるものなんだよ。

 こういっては何だけど、『あなたにもできる! 超人の動き』には、その基礎的なやり方を、練習方法こみ(もちろん科学的理論を土台として。科学は客観性、再現性、普遍性を満たさなければなりません。ということは誰にでも、正確に練習さえすればできる、つまり「あなたにもできる!」わけです)で掲載しています。

 本文と付属DVDを併用していただければ、身体が「貧乏暇なし」状態から脱出できるお手伝いができると思いますよ!

http://wPhotoww.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

2008年12月20日 (土)

648回のえへん

「ごほごほごほっ、がはっ、がはっ、ごほほほ……」

 私が座ったとたん、隣の男が咳き込んだ。見ると顔の半分以上を覆うような立体的なマスクをしている。気の毒に風邪をひいたんだな。人に伝染すまいとして、こうしてマスクをしているんだろう。私は隣の男に同情した。

 ところが座ってすぶ、「えへんっ! えへっ、えへんっ!」 別に威張っているわけではないのだろう。でもこの咳払いは私のほうを向いて行うときもあるし、反対側を向いて行うこともある。そして平均して3回咳払いをすると、1~2回洟をすすり上げる。つまり「えへん、えへん、えへん、ずっ、ずっ」である。しかもあろうことか、マスクを外してしまった。

 さすがにこの状態が20分を超えるあたりから、私も「ええかげんにせいよ」と思い始めた。我が家には風邪ひきには厳しい不文律がある。風邪をひくと隔離されてしまうのだ。これは他の人に伝染さないための措置だと思う。

 学生時代には学校へも行かせてもらえなかった。私は学校が大好きな子だったので、これはきつかった。父いわく、「勉強は体が元気になってからでええ。無理しても頭に入らん。それに他人に伝染す」。この考えは正しいと今でも思っている。

 もちろん社会人になれば、無理してでも頑張らなければならないときはある。でもそれは最小限度にしてもらいたい。風邪をひいたら治すのが仕事ではないかと思っている。でも病気を押して頑張っているという姿を、他人にアピールしたい人もいるんじゃないかと思えるくらい、大勢の風邪ひきさんが外で頑張っている。

 でもそれで風邪が流行してしまうこともあるんじゃないかな。私は自分が風邪を引かないように気をつけているつもりなので、こういう人が隣に座っているのがあまり好きではない。病気の身体をおして頑張っています、なんて姿勢を他人様に見ていただくのも好きではない。

 人は健康で、いつも明るく振舞っていたいものだと思っているし、そうでないと「幸運の」女神様」だって逃げちゃうんではないかと思っている。どう頑張ったって人間、一生のうち何度かはしんどい目に遭わなければならないのだから、できるだけその回数を減らしたいものだと思っている。

 だから健康管理にはうるさいんだよね。でも隣の男はそんな私の思惑を知らないで、「えへん、えへん、ずるずる、えへん」と繰り返している。途中から咳払いと洟を啜り上げる回数の割合が逆転して、「ずるずる、ずる、えへん、ずる」ぐらいになってきた。きっと空気が乾燥しているので、鼻の粘膜の保護に、たくさんの粘液が分泌されだしたのだろう。その反対に、喉にからむ痰は減ったのだろうか。

 でも最終的には「えへん」の回数は3時間あまりで648回に上った。私は暇だったので、ひそかにこの男の咳払いの数を数えていたのである。

 いいのど飴があって、私はそれを愛用しているけれど、私の分が足りなくなったので、この男にはあげなかった。何よりも私のほうを向いて咳払いを繰り返した男に、いいのど飴を勧める気にはなれなかったし。

 健康管理は「いい仕事」の基本だし、幸せな人生の基盤だと思う。そのためにも、自分の健康地図を作っておいたほうがいい。その地図に狂いが生じたとき、補修する手段も準備しておいたほうがいいのは当たり前のことかな。でもPhoto自分の安全は自分で守る。自分の健康も同様ではないかな。(ひいては他人も守っていることになるし)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月15日 (月)

師走の車

 師走である。なんとなく慌しい。慌しくなると、注意力散漫になるのが、大方の人間であるようだ。先日、まったく交通法規を守って通行中の私の車に、交通法規をかけらも守らないで、制限速度の倍以上のスピードで、一旦停止もせず、ブレーキもかけないで、アルファードをぶつけた馬鹿がいたが(その後、「挨拶に行かせてもらいます」という電話が一本あったっきりで、なしのつぶてである。その電話すら、きっと保険会社から助言されてかけてきたのではないか。私もかなり腹が立っていたからね)、こういった常識のない人間は、一つ間違えば人の生命を奪う危険性がある車の運転なんか、できたらやらない方がいい。

 今まで何度か、肝を冷やす目に遭ったことがあるが、通勤途中に青信号で交差点に入ったら、まったくの赤信号で、他の車も自転車もバイクも止まって待っているというのに、一人の高校生(学校の名前を公開してあげてもいいぐらいだ)が、自転車で交差点に突進してきた。

 私はあわてて急ブレーキを踏み、事なきを得たが、「すみません」の一言もなくさっさと行きやがった。いったいどういう神経をしていたらそんなことができるのだろうか。積んでいた荷物は、床に散乱してしまった。自分だけは絶対事故に遭遇しないという確信を持っているのだろうか。赤信号でみんな止まって待っている中を、自分だけは信号を(きっと)見もしないで突っ込んできているのである。

 高校生がカップルになるのは仕方がない。私だってそんな時期はあった。だが狭い道で、自転車で横2列で愛を語るのは許せない。もっと広々とした、誰にも迷惑がかからないところでやってくれ。そうしたら私はほほえましく見守ってやってもいい。

 そして一昨日である。私が車で信号待ち(私は右折だったので、信号は赤だった。直進は青だった)していたら、原付か小型のバイクらしいのが、直進する車の列を直角に横切ったように見えた(時間帯が遅かったので、暗かった)。「危ないことをする」と思った時には、原付だか小型バイクだかは吹っ飛んでいて、軽四からパツ金の若い兄ちゃんが出てきて路上に転がっていた男(だと思う)に駆け寄った。

 確かに路上に転がった人は怪我をしているだろう。もしかしたら今年の暮れは病院の中かも知れない。でもねパツ金の兄ちゃんは、私の目には悪くはなさそうに見えたけどね。だって交差点を東西に流れている車の(そんなに空いてはいなかった)間を、南から北へ横切ろうとしたんだよ(私にはそう見えた)。これって自殺行為じゃない?

 それで数年前の、赤信号で突進してきた自転車の高校生を思い出したんだ。もしかしたらあの高校生が大きくなったら、同じような感覚で同じようなことをするんじゃないかってね。そのときそのときは、いろんな状況があるから、事故になることもあるだろうし、幸運にも(!)事故にはならないですむことがあるかもしれない。

 でも何度も同じようなことをやっていたら、いつか必ず「税金」を払わなければならなくなるときがやってくる。いいよ。無茶をやった人は、それでも。でも事故の多くは相手がいることだしね。相手に迷惑をかけることも考えなければならないんじゃないかなあ。

 事故の多くは1秒も時間的にずれれば起こらないことだって少なくはない。でもいつもその1秒がずれてくれるとは限らないんだからね。どんな名選手だって、エラーをするときもあれば凡ミスをすることもある。それは神様でない人間である以上仕方がないことだ。だからこそ慎重に行動すべきなんじゃないかなあ。

 師走になると毎年、車の動き方が殺気だってくる。年末に近づけばこれにお年寄りののろのろ運転や、ちょっと予想がつかない運転が絡んでくる(年が明けると、パタっとお年寄りの運転が減るけどね)。何かと気ぜわしくて、イライラすることが多くなるけど、皆さん、どうか安全運転をしてくださPhoto_2いね。当然私も心がけますから。

 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

 http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

動きとボキャブラリー

 今年は木のものは出来がよい(と私は感じている)せいか、例年のように野鳥が山から下りて来ていない。やっと最近になって、数羽ずつ来ているのを見かけるが、例年に比べれば、大変数が少ない。木のものとは木の実なんかだが、野鳥たちが食べているものは、とてもまずい。

 もちろんそう言うからには食った経験があるわけだ。昔々少年時代には、飼っている魚のえさが美味しそうに思えたので食べたことがある。こいつも二度と食べまいと思うような味だった。私は昔から言われているように、「塩と砂糖は舐めてみなければわからない」というところがあって、こういった体験はたくさんした。今も昔も、体験を重んじる性格をしていたわけだよね。

 こういう性格は大人たちから見ると無鉄砲に見えることもあったようだ。でも私は無鉄砲ではない。警戒心は強いし、だいたい臆病なんじゃないかと思えるようなところもある。だからといっていつもおどおどしているわけではないんだけどね。

 臆病というのは自分の身を護る欲求が強いのと、世の中には想像を超えるような存在が、案外たくさんいるということを知っているのだけかも知れない。自分よりも優れた存在に出会わなければ、人は傲慢にでもなんにでもなれるけど、私などはとてもとても、傲慢なんかになるには心身ともに弱すぎる。

 以前この調子で話をしていたら、某有名人に「なんでもかんでも謙遜するというのは、かえって嫌らしい」といわれてしまった。別に何でもかんでも謙遜していたつもりではなく、私なりに客観的に話していただけなのだが、その方にはそう感じられたのかも知れない。まあその方は、結構大胆な発言をされる人ではあったんだけどね。私なんかにはとても、とても真似ができません(発言だけだよ)。

 だいたい私のおつむは回転が少し遅いのではないかと自分ながら思うことがある。いい言葉がいいタイミングで出てこない。いい表現を思いついたと思ったら、タイミングが遅れてしまっていたりする。タイミングを逃してしまったのでは、効果は上がらないから、結局その言葉は日の目を見ないままで終わったりする。

 最近、日本の本をまじめに読んでいないから、きっともともとボキャ貧だったのに拍車がかかったのかも知れない。使わない機能は衰えていくものだからね。でも日本の本をまじめに読むったって、時間がないもんね。読もうと努力はするんだよ、寝るときなんかには。でも本を開いたところまでは記憶があるんだけど、その後がまったく記憶がない。きっと本を開くだけで疲労困憊して限界を超えているのだろう。

 そうそう、昔こんなのがあったねえ。「新造人間キャシャーンとウルトラマンがカップラーメンの大食い競争をしたら、どっちが勝つか」ってね。答えは簡単だよね。キャシャーンの勝ち。ウルトラマンは3分待っていたら、タイムリミットが来ちゃうんだよね。だから食べられないんだって。まるで私のボキャ貧みたい。

 でも動きを伴うものはいいよねえ。昨日もこんなシーンは山盛りあったけど、身体の「ここと、ここがこうなるの。反対側の足はこう。そんで全体的にはこう(見事なほどに指示代名詞の嵐だ!)」なんてやった瞬間、別人のように威力が出るんだよね。これは身体運用研究家として一番楽しい瞬間だ。

 言葉がついてきていないのに、具体的に身体の部分の使い方を支持して、時には一緒にやってみて、ほらできたっ! こんなときに「動き」と「言葉」は違う世界のものかもしれないなあ、なんて思ったりすることもある。

 でも人は理論がなければ発展しにくいもので、理論はどこの国で作られても、その理論を作った人の言語で作られるものだからね。そして言葉で表現しきれない微妙な部分や、それまでになかったものなどは、「新語」を作ることになる。でもなかなか「新語」の概念が正しく理解されたり、広まっていくのには時間や労力が必要だ。

 ただ公用語としての学術用語があるのに、それを知らないために新語を作っていると恥ずかしいね(私もきっとやっているような気がする。恥ずかしいことだが)。友人のM氏は卓球の全中国を3年連続で制したWさんに、「ピンポン玉のこのあたりをこう打ったら、こんな回転がかかって、こちらに曲がる玉があるでしょ。あれ、中国では名前があるの?」と尋ねていたことがあった。Wさん答えて曰く「あるよ」。平然とした顔である。「それどういうの?」、Wさん答えて「○(漢字一文字)」。

 言葉があるということは、そういった技術にきちんとした理論も、方法論も(練習方法を含めた)ある可能性がある。逆に名前がついていなかったら、それは特定個人は知っているかも知れないけど、他の大部分の人たちは知らない可能性が高い。これでは差がついて当たり前だよね。

 動きを言葉で表すのは、なかなか困難なことだ。でもそれをやらなければ、誰かが気づいたものでも、その人の死と同時に消えていってしまう。それを消すまいと思えば、しんどいようでもきちんとした言葉で、きちんとした理論にしておかなければならない。

 私が今やろうとしていることは、そんなことかも知れない。Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月14日 (日)

快い疲れ

 やっと仕事場にたどり着きました。今日は朝から神戸へお出かけでした。睡眠不足だったので、明石のSAでトイレ休憩を取り、ついでの備え付けのお茶を飲んでいたら、私の携帯に着信があったのに気づいて、あわてて返信をさしあげましたら、「みんな待ってる」とのこと。それからあわてて、会場へと急ぎました。

 そう、今日は講習会の日だったのでございます。皆々様、遅刻してごめんなさい。通勤距離が130㎞ほどあったので、遅れちゃいました。でも皆さんの歓迎で元気を取り戻しました。メンバーはいつもながらのS君と今回が初めてのMちゃん、そして私の3人。

 次の本に書きたいと計画しているような内容も含めて、ちょっとレベルの高い話になりましたが(実技を見せることができるので、どうしても内容的に高くなる)、皆さん非常に熱心に取り組んでくださいましたので、私は大変うれしかったです。

 何事でもそうですが、私は誰かから相談を持ちかけられたとすると、まず相手の方の持っているものを尊重することにしています。その人が何年も何十年もかかって習得してきたことですから。その人の持っているものをまず見せていただいた上で、それに何を加えたら一番いい結果にたどり着けるかを考えていきます。

 ですから人によってアドバイスする内容が異なったりします。人によって条件は様々だからです。だから「最初に自分の言いたいことありき」ではありません。今その人が最も必要としていること、今の段階で一番結果につながりやすいことを考えていくことにしています。

 誰でも人は私と同じではありません。だから私が言いたいことをそのまま口にしても、いつも成果が上がるかどうかはわからないのです。そして『あなたにもできる! 超人の動き』にも書きましたが、「練習とは、今までできなかったことができるようになるために行うこと」ですから、成果をあげていただかなくては意味がありません。

 最初は「言葉(用語)」の問題もあったりしましたが、午後になってからは、まずまずではなかったかと思います。もし疑問なことがございましたら、そしてこのブログをごらんになることがありましたら、お問い合わせください。

 でも日ごろ練習が足りている人たちの飲み込みは、さすがに早かったです。どんな高尚な理屈を口にされる方でも、実際に練習量と練習の質が伴わない人は、人の言うことがなかなかできなかったり、我流に動きを変えたりすることもすくなくはないのですが、それがほとんどありませんでした。

 素直な動きは素直な身体が生み出しますが、素直な身体は、素直な心が生み出すことが多いのです。もちろん普段、あまりスポーツなどになじんでおられない方の場合には、心が素直でも身体が素直に動かないことがありますけど。これは美しい風景にどれほど感動しても、それを表現する技術がなければ、絵画も描けなければ、作曲も演奏もできないというのと同じ次元の話です。

 でも自分の思ったことを素直に表現できる程度まで身体を準備してくださっていた方は、何を言われているかを飲み込んだ時点で、身体はだいたいそのような動きをしてくれはじめます。後は何度となくその動きを繰り返し、様々な状態でのその動きから、より多くの情報を得たり、感覚を身につけたりといった作業で十分になっていきます。その過程で動作は無駄が取れ、滑らかになっていきます。

 そういった意味で、数多くの人々が集まっておられましたが、今日は大変楽しかったです。積極的な人たちがたくさん集まっておられますと、私達のほうも気合がはいって、本当はもっといたいような気がしていました。

 いざ帰るという時には、次回にもご招待くださいまして、ありがとうございます。万障繰り合わせて参加させていただけるように頑張ります。皆さんにも目新しいことを申し上げたかも知れませんが、あれはいままでの動きの無駄を省き、「あれっ! こんなことで簡単にこんなこともできる」というようなものでなかったかと思いますが、私のほうも多くの事柄を学ばせていただきました。ありがとうございました。

 帰りの山陽自動車道を走りながら、若干の喉の痛みと、少々の疲労を感じましたが、その快かったこと。またよろしくお願いしますね!Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月13日 (土)

片付け……疲れるね

 足の踏み場もなかったくらいの仕事場を、少しだけ片付けてみた。片付けるとはいっても、ホームセンターに走ってケースをいくつか購入し、それを組み立てて、そこいらじゅうに散乱していた書籍だのCDだのDVDやらを収納してみただけの段階である。

 棚があると床より上の空間が使えるから、少しだけ足の踏み場ができるよね。でもまだ片付けは半分もいっていないような気がする。まあかろうじて寝転がったり、簡単な練習ができる程度になったくらいだろうか(部屋の中で練習をするな?)。

 部屋の中での練習は、学生時代からやっていた。別に秘密の練習をするわけではなく、他人様に迷惑がかからなかったり、好きなときに始めて、好きなときに終われるし、好きなときにお茶できるからである。気がついたことをすぐにメモったりもできる。昔からそんなかったんだよね。

 大学時代には、重たいダンベル…片方で30㎏くらい、両方で60㎏…まで部屋の中にあったけどね。使わないときは漬物の重しになっていた。学生ってお買い得のときについ大量購入するじゃない。白菜なんて私が大学時代には2個100円なんてことがあったんだよね。そうするといかに白菜を使ったフルコースを作っても、一度に全部は食べきれないから、保存食に変わるんだよね。塩と鷹の爪だけで漬けたりして。これだって案外食えたから不思議だ。

 まあその頃も、部屋は練習するためには片付けられた。そのほかのことのためだと、たまに友人が集まってドンちゃん騒ぎをする時かな。こういったときには友人が片付けを手伝ってくれたので、自分の思っているところから物が移動していたりして、後で探すのに苦労したこともある。

 こういう時は片付けよりも、物探しの方が疲れたなあ。でも学生時代私の部屋で飲んでいたりすると、しげしげと本棚を見た友人が言うんだ。「お前の趣味が何かは量りがたいなあ」って。大学時代は私の濫読の時代であった。だから「これ」と思ったら何でも買った(所持金で買えるかぎり)。そして私は読んだ本を古本屋に売るのが嫌いだった(今もそうである)。だからどんどん本は増えていった。

 たまに本棚を整理するときに、ジャンル分けするのが案外楽しみだったんだよ。一般的なジャンル分けと違って、私の使い勝手がいいように並べていくんだ。すると本屋さんにあったときとはかなり違ったジャンル分けになる。そしてホンモノの私の本棚になっていくんだね。

 だいたい横着な人間だから、そのとき一番興味と関心がある本は、どうしても手近なところに置く。本棚から飛び出して床の上にあることも大変多い。するとまた足の踏み場がなくなる。読んでいるうちに他の本が関連していることがわかってその本を取り出すと、最初に床の上に置かれた本の上に積み上げられることになる。

 こんなことが何度も繰り返されているうちに、次第に本の「地層」ができていく。この習慣はいまだに治っていないけどね。上役に言われたことがある。「こんなに散らかしていたら、必要な書類がどこにあるかわからないだろうが」ってね。でもその人が「一月ほど前に来た○○の書類捜してみて」と言ったとき、私が「え~っと、あれは確か白亜紀前期のこのあたりに埋まっているはず…」と言いながら、僅か10秒もかからずに差し出すと、この人は驚いた。

「こんな散らかっていて、どこにあるのかわかるのか?」ってね。そうなんです。だから私は片付けたらかえって仕事ができなくなってしまうんです。他人の目には散らかっているように見えても、私の頭の中では、どこに何があるか、ちゃんと整理できているんですから。ただ練習したり、寝転がったりする空間がないだけで。

 でもまあ一年に何度かのことだから、たまには片付けでもしてみようと、なんとなく片付いたと思ったその日、M君が久々に私の仕事場に遊びに来てくれた。片付けたもんだから普段は隠されていて見えなくなっている、私が海外で発見してきた「お宝DVD」とか「お宝書籍」とかが露出してくる。

 それでついそれを見ているうちに、午前様になってしまった。思えば彼と一緒に仕事をしていた頃は、午前様になることもちょくちょくあったよねえ。当時新婚だったM君の奥方が「うちのは仕事ができないんでしょうか。毎日帰りが遅いんですけど」なんて心配していたことがあったよね。

 違います。M君はいい仕事をきっちりしていました(きっと今もそうだと思う)。仕事を覚えるのに一所懸命だったんだよね。そして当時の経験がきっと土台になったのだろう、今は余裕が出てきているように思うよ。

 私の仕事場で彼と久しぶりに趙本山の『落葉帰根』を見直した。彼はとても気に入ったらしく、とりあえずお持ち帰りになった(私はこの作品のDVDを3枚持っていたので、気にならない)。きっと彼の心の琴線を振るわせる部分があったのだろう。

 たまの片付けも、こういった地層の古い時代に埋まってしまって、日ごろは目にかからなくなっているものを発掘できるという楽しみはある。でもしょっちゅう片付けをしている人には、きっとないだろうね。地層の下のほうの、先カンブリア紀ぐらいから懐かしいものを発掘したときの喜びは。

 まあよく片付ける、あまり片付けない、どちらにしても一長一短だとは思うけどね。要するに思ったことができるのが一番だと思うよ(トレーニング場は、怪我などの予防がありますから、整理整頓が必要かとは思いますが、これも自分の目指しているものによって変わりますね)。Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月12日 (金)

『整体動作』と先端

 もうしょうもない奴のために用事が増えて、やっとそれを済ませて自分の仕事ができる、と思っていたら、どういう持ち方をしたのか、鋏が物を切らずに私の指を切ったりして、びっくりするくらいの流血戦になって、こんなときに限ってカット絆がなかったりして、仕方がないからティッシュを巻いて、その上からガムテープを巻いたら指が曲がらない。

 キーを叩くにも、勝手が違いすぎて、変なキーばかり叩いてしまう。イライラして蜜柑でも食うべえかと思ったら、汁が染みそうで、しょうことなしに「ポリッピー」などを食べている。すべての元凶に、「しょうもない奴」がいることだけは確かである。ただ、しょうもない奴を糾弾しても、どうせしょうもない奴だから、何もできるわけではなく、却ってこちらの能率がますます下がるだけなので、今は何も言わない。でも「怒、怒、怒…」だからね!

 なんでキーを打ち間違えるのかといえば、指の一本が固定されてしまったことで、動作のバランスが狂ったからだ。普段はよく使う指が使えなければ、苦労するのは当たり前として、動きのバランスが狂うということは、叩いたはずのキーが叩けず、叩いたはずがないキーを叩いている。整体動作とはこんなもので、仕事をするリードになる部分(たとえば指先)なんかが使えなくなると、やりにくくてしょうがない(この時点で、すでに固定したはずの指も使うことにした。あまり間違えてばかりなので、精神衛生上、あえて使うことにしたのである)。

 一応身体各部の動きや働きに相関性ができ、整体動作らしきものができるようになると、動作と目的の間には、最短距離を動くとか、最短時間で行うとかといったことが重要になる。たとえばテーブルの右端に蜜柑があるとして、それを右手で取ろうというときに、一度右手でテーブルの左端にタッチしてから改めて右のほうに手を伸ばす人や、テーブルの周囲をわざわざ遠回りして取ろうとする人はいないだろう。まっすぐに右手を右に動かせばいいんだからね。

 さて真っ直ぐ右手を右に伸ばせばいいとしても、蜜柑を攫むのは指先である。肘が先に蜜柑に届いても、つかめないのだから役には立たない。だから一番速いのは、右手の指先が右にある蜜柑に直線的に伸びていけばいいのである。(あったりまえだろう、馬鹿らしいと思っておいでの方、もう少しだけ待ってくださいね)

 もしも誰かと一つの蜜柑の取り合いをしたらどうだろうか。どんな動き方をするだろうか。手のスピードを上げるために思いっきり肩を入れて、力強く右腕を振り出すだろうか。もしも右肩が右手よりも前に出てから、腕がしなって手が前に出るような動きをしたら、指先からさっと前に出した人に、難なく蜜柑を取られてしまうんじゃないかな。

 季節がらもう少し寝るとお正月で、お正月といったらカルタ取りとか百人一首なんてものをすることもあるだろうが、肩を入れて手を出しているだろうか、それとも指先からすばやく出しているだろうか。少し観察されたらお分かりになると思う。指先から伸ばされるんだよね。

 指先が先頭になって動けば、人間の身体は指先が真っ直ぐに目的地に届くように、多くの関節が実にたくみに協力しあって動く。逆に肩が入ったりすると、目的地に指が届くまでに動いた関節の角度の総合計は、どうしても大きくなってしまう。大きな角度をそれぞれの関節が動いたとすれば、時間はかかって当たり前だよね。それに肩が入る動きって、肩が入るときには肝心の指先はほとんど動いていなかったり、下手をすると逆方向に動いていたりするからね。

 身体の先端の部分を真っ直ぐに動かそうとすれば、先端以外の箇所は実に複雑な動きをしてくれる。これは私が『ナンバの効用(徳間文庫)』でアームカールを例に挙げて書いたことだが、直線的に目的とした動作を行うと、様々な筋肉が協調して働くことは、岡大医学部での筋放電の測定で証明された。被験者が私自身だから間違いない(岡大医学部のS先生、その節はお世話になりました)。

 つまり目標にまっすぐ動こうとするとき、我々の身体は、いろんなところが協力し合って動いているということである。そしていろんなところが協力し合って動いているということは、いろんなところが運動していることを意味し、当然のことながら運動エネルギーを持っていることになる。この運動エネルギーを効果的に働かせることができれば、大きな仕事もできるし、速くも動ける(直線的に動くのだから、速いのが当たり前だけどね。直線の一般的な定義は、二点を結ぶ最短距離となる線だから)。

 つまり実際に仕事をする部分を、目的地に直線的に移動させるってことが、反動を使ったりする以上に効果的である場合が多いんだよね。だいたい「反動を使う」なんて動作も、いったん運動したい方向と逆方向に動き、運動方向に助走をつけてくるという意味を持っているんだ。

 助走をつけるってことは、運動エネルギーを増やしておいて、それを相手(対象)にぶつけようとする行為だからね。これでなんとなく納得できない技をかけたがる人もいたりするみたいだけど。でもこれはスポーツで言えば、すべてフライングだからね。その時点で失格だし、ルールがない状態なら相手が設定した状況には誰もなってくれないから、あまり実戦的ではないんだよね。

 昔々、私が生まれるはるか前、悪子だった私の父が、悪さをして(本人から聞いたところでは、たいした悪さではなかったようである)ある先生(仮にM先生としておこう)に殴られそうになったとき、その先生が殴る前には勢いをつけようと右肩を引くくせがあったのだそうである。父はM先生が右肩を引くたびに半歩下がる。M先生は最後には業を煮やして「どうして下がるんだ?」と尋ねたそうである。

 父は「下がらなかったら殴られるだろう? 殴られたくないから下がるんだ」と答えたらしいが(軍国主義の頃に、よくも反抗的な男であったものである。さすが我が父だけのことはある)、目的に対して身体の先端が直線的に動かないと、こんな馬鹿にされかたをすることもある。

 母は最近は高齢なのでさほどでもないが、以前はすさまじい動きを見せることがあった。たとえばゴキブリなどを見つけたときには、ギアが自然にチェンジするみたいで、手近なものでそれはそれは人間業とは思えないような速さで叩いていた。それも連打である(今でも状況が状況ならやるかもしれない)。私は格闘技の現役の頃、「母の速さがほしいなあ」と憧れていたぐらいだ。

 これは典型的に先端から動くタイプの動きであった(最近は身体が動きにくいらしく、波打つ動きになっていることがよくある。動きやすいと先端から動く人でも、動きにくくなると先端からの動きがしにくくなるという現象は、競技スポーツをやっていてもよく見かける現象である。疲れきった状態での練習をやりすぎると、こういったことはまま起こることがある。時には疲労した状態の根性練も必要だが、いつもそればかりをやっていたら動きに切れがなくなってしまうことが多いのは、こういうところに理由があるかも知れない)。まるでネコちゃんかと思ったよ。今ではネコちゃんのお母さんでもあるけどね。Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月11日 (木)

科学的思考のススメ・26 ~科学って意外に寛容なんだよ~

 今日は木曜日である。木曜日といえば我々のクラブの練習日である。私はこの日やる練習が三度の飯よりも好きだ。なんてことを言っているが、参加する皆さんの差し入れで、晩御飯が二度になってしまうような日もある。でもだから大好きという意味ではないんだよ。好きな練習ができるから。

 だからテーマを持って来ておられない方はいない。自分のテーマを追いかけていらっしゃるので、全日本チャンピオンレベルの人が来られたり、スポーツなんかやったことがないというような人まで来られる。まるで社会の縮図みたいだけど、たった一つの共通点は「自分のテーマを持っている」ということだろうか。

 だからのんびりした雰囲気で練習は行われる。時刻が来たら一斉に始めるといったこともない。同じ練習を全員で揃ってやるということもない。みんな自分のテーマに沿って、好きなことをやっている。これはみんなが自発的に練習するからできる芸当であろう。

 来はじめの頃は、いったい何をしていいのかわからない人もいる。でも周囲を見ているうちに、なんとなくわかって来る。やりたいことをやっていればいいということが。私だって特に指導しているわけじゃないからね。聞かれない限り。聞かれたら、わかる範囲でお答えさせてもらうけど。

 じゃあ誰でも参加可能かというと、そういうわけでもない。私はあまり多くの人間でごった返すのが嫌いなので(当然、練習参加にはお金は必要ないけど。我々はともに練習する場所を確保しているだけで…事務長のN氏によるところが大きい。いつもお世話になってます…)やたらと大勢が来たり、なんとなく合わない人だと気になってしまうので、ご遠慮願うこともある。基本的に事務長のN氏か私の許可があればOKだけどね。

 以前、100名近くでやっていたときのあるけど、そうなると「テーマ」もないのに、ただ来てだべっておしまい(それでも練習道具の上に腰を下ろしたりして、他の人に使わせなかったりするんだよ。悪気はないにしても)という人たちが大勢発生するので、閉口したことがある。私は楽しく練習をしているだけで、楽しいから遊んでいるのとはまったく違うんだよね。でも案外こういった違いがわからない人は、子供の中にだけではなく、大人の中にもいるみたいだった。

 もともと我々のクラブは、日本陸連所属の団体なので、本来は陸上競技に関連した動きを練習していた(現在でも練習している。ただ強制はしない)。陸上競技は様々な動きの基本の動き(走・跳・投げ)がすべてそろっているから、いろんな研究をするのに良かったんだよね。もちろん陸上競技で通用するには、通り一遍の走・跳・投では難しく、きわめて専門的な技術や能力が要求されるけど。

 まあそんなこんなで、ケーキドーナッツなるものを、苦蕎麦茶(簡単に言えば蕎麦茶)で食べて腹ごしらえをしていたら、糖分が大脳に巡り始めたのか、一つ書いておこうという気になったので、とりあえず書いときますね。

 前振りが長くなってしまったが、先週の帰りに岡大医学部病院のI先生と話をしながら帰った。いつものことだが、I先生との話は、私は非常に面白く感じている。その中で出た話だけど、私が「どうして科学を否定する人がいるんだろうね?」 と言うと、I先生は「それは物事を認める範囲が狭いからではないですか」といった意味の返事をしてくださった。

 I先生は現役のお医者さんである。だからもちろん様々な現象に出会ったことがあるのだろう。「科学者でも、奇跡みたいに感じられる出来事には、ほとんどの人が出会ったことがあると思います。でも科学者だから、再現性のない話を口にするわけにはいかないだけなんじゃないでしょうか」と続けられた。

 まさしく私もそうである。今まで不思議な現象を見たことは何度もある。でもそれが狙ったときに、狙った形で、いつだってできるか?(もちろん、失敗することはあっても、理論的に正しいことが証明できればいいとしてくださいね) という問いかけをいつも自分に課してきた。試合なんかで勝とうと思ったらそれができなければ使い物にならないし、普通の生活でも計算ができなくなるもんね。

 でも科学者が、再現性がないから、不思議な現象を否定しているとは限らないんだよ。口には出さないけど、「こんなこともあった」「あんなこともあった」なんて心では思っているのかも知れないからね。それは「口にしない」だけで、「否定している」わけではないんだからね。いつの日にかそういった不思議に思える現象の理由が解明されて、再現することが可能になったら、いつだってそれを口にするのをはばかることはないだろう。

 現在の科学で一応証明できていないことが起こるたびに、「科学なんてつまらない」「科学なんて信用できない」なんてことを言う人がいたりするけど、その人の身の回りには、先人達が積み上げた科学研究の結果開発された道具はないのですか? もし科学を否定するのなら、そんな道具の恩恵にあずかってもいけないんじゃないですか? だって信じられないものに身をゆだねているわけでしょう。

 ある現象が現在の科学で証明できないからといって、科学を全否定するような言動は怖いよね。科学は日夜進歩している。今こうしている間にも、世界中で科学者たちが、いままでに積み上げられたデータや、発見された法則などをベースに研究を続けているんだからね。いつの日にか、今はまだ解明できていないことも、どんどん解明していくんだろうと思うよ。

 でも「科学が絶対的真理」と思っている人も、ちょっと怖いよね。そういう人って、「科学で説明できないから、そんな現象は見間違いです(勘違いです)」とか言うじゃない。でも今までの科学の発達を考えると、勘違いじゃないかと思っていた現象が、ある原理が解明できたらなんのことはない、実にありきたりな現象であることがわかったりしてきたんだよね。

 だから「科学で説明できないものは、すべてない(あるいは間違い)」というのも、「科学なんて信用できない」というのと同じくらい傲慢だと思うんだ。人のやることに完全なものはなかなかないからね。

 私は科学の徒でありたいと思っているが、不思議な現象も否定しないで、心の片隅にいつも置いておこうと思っている。そうすればいつかそれが解明できたときに、あわてる必要なんかちっともないからね。もちろん科学を否定する気にはまったくなれない。

 科学は客観性、再現性、普遍性が求められるけど、これこそがどんな人にも平等にチャンスがあるという証明だからね。科学ってのは、実はこんなに人類に平等にチャンスを与えてくれるんだよ。逆に科学を否定すると、努力の積み上げなんかを無視してしまうよね。で、自分はできるけど、他人はできないとしたら、自分のほうが偉いと勘違いしてしまったりすることが起こるからね。

 私はやっぱり科学の徒でいたいよ。Photo_2

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

コスモス ~くーっ、泣けるね…~

 今年の紅白の出場がどうとか、こうとか週刊誌に出ていたけれど(どうせ大晦日は紅白なんか見ないで、「いつまでもガキねえ」と言われても、格闘技番組のほうに目はいっちゃうのだが)、さだまさしさんの歌は素晴らしいと思う。

 ヒトの言葉は歌から始まったのではないかという説を聞いたことがあるけど、さださんの歌を聴いていると、なんとなく納得してしまう私である(これは大好きな中島みゆきさんの歌にも言えることだが)。

 特に家族を歌わせると、さださんの右に出る人はいないんじゃないだろうか(すんません、浅学なもんで。もしかしたらもっともっとたくさん、そういった歌手の方がいるのかも知れませんけど)。

 でもいいなあ『コスモス』。山口百恵さんも歌ったけど、すいませんね、私はさだまさしバージョンの方が好きです。普段はこの歌はできるだけ聞かないようにしているんだよね。泣いてしまうから。

 もう随分前のことになるが、私の姉が嫁ぐとき、日がだんだん押し迫ってくると、姉弟喧嘩ばかりしてきたのに、妙に姉がいなくなることが寂しくなって、「そうか… 姉ちゃん、この家からいなくなるんか……」なんて感傷的になっていた。表向きはそんな顔は見せていなかったけれどね。

 考えてみれば私が東京の大学に進学できたのだって、裕福とはとても言いがたい家で、姉が県内の大学で我慢してくれたからだった。私が大学を落ちたとき、がっかりしているだろうと小遣いを1万円もくれ、私がそれをすべて漫画に変えてしまったと聞いて大笑いしてくれたのも、随分救われた話だった。いろんなことで喧嘩ばかりしてきたのに、それ以上に親が知らないところでもいろんなことで助けてくれたのも姉だった。

 嫁いでいく日が近づくと、普段は思い出しもしなかったそんなことが、妙に思い出されてしまって、なんとなくぽっかりと心に穴が開いたように感じていた。もちろん旦那さんはとてもいい人だった。はっきり言って姉にはもったいないくらいの人で、私は今でもあれこれとお世話になっているけどね。

 どうしてさださんはこんな心が描けるんだろう。それはきっと自分がそのまんまを感じているからなんではないだろうか。自分が感じたことを淡々と語ると、人の感情は案外ストレートに相手に伝わっていくものだからね。

『案山子』も実は苦手な歌だ。この歌は死んだ親父が好きだったからね。ちょうど私が大学生だったころ、この歌に嵌っていたらしい。わが子を思う親の心なんて、普遍的なものだもの。これは子供を外に出す親がいる限り、不滅なんじゃないかと思うね。

 だから『コスモス』って歌は、きっと永遠に残って、歌い継がれる(泣くから歌えない?)歌だろうね。嫁いでいく娘がいる限り、この感情は普遍的に続くから。人は少しずつ変わっていって、物事の感じ方も変わっているのかも知れないけれど、普遍的な感情は必ず存在するから、それを歌われちゃかなわないよねえ。

 今も日本のどこかで、人知れずコスモスに涙しているお母さんがいるんじゃないだろうか……Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

2008年12月10日 (水)

蜜柑(みかん)

 愛媛のO君から蜜柑を送ってきていただいた。もう彼にはこの何年もいただきっぱなしである。あまりにありがたいので、拙著『あなたにもできる! 超人の動き』を送らせていただいたが、毎年ながら本当に美味しいものを、ありがとうございます。感謝、感謝の気持ちはいつも胸の中であふれ出しそうなのだが、この心をお見せできないのが、残念である(『魔女の宅急便』のキキか?)。

 彼の蜜柑はあまり大きくない。最初は同じ一箱でも数が多いので、(我が家は母子二人だけしかいなかったので)知り合いに分けてあげたくらいである。ところがその人が、「あれ、美味しいですね。持って帰って、すぐに全部食べちゃいましたよ~」などと言うので、遅まきながら食べてみたら、「美味し~~~いっ!!!」。私も一度で30個ぐらい食べちゃった。

 それから二度とその人のところには持っていかなくなった(だって30個ぐらい持って帰ってしまうんだよ、この人一人で。私の分がなくなる!)。唯一、私のクラブで木曜日のメンバーに、僅かに振舞われるくらいである。(でもS君なんかだったら、きっと一度に一箱全部食べちゃうんだろうね。そうでなくても彼は蜜柑好きだから)

 蜜柑のおかげで最近中国茶の消費量が減った。喉が渇いたら蜜柑を食べるからである。食べ方は先日テレビで紹介された、蜜柑の本場の一つ、和歌山流。蜜柑の皮を剥くのではなく、まずパカっと割って、何房か一度に頬ばる。小さいから一つの蜜柑を食べるのに、2、3度しか口の中に入れない。

 同じテレビ番組で、美味しい蜜柑の見分け方というのも紹介していたが、O君の送ってくれた蜜柑は、全部それに適っているんだよね。おろろん、おろろん。こんなことにまで気を使ってくれているんだね。蜜柑の美味しさが実感されるたびに、彼の濃やかな心遣いまでわかって感涙にむせんでしまう。

 美味しさを今までよりも感じるようになると、それを送ってくれた人の心までわかって、ひつ粒で二度も三度も美味しいよ。おかげで私の仕事場では、テーブルの上にいつもその蜜柑が山盛りにされている。そしてテーブルのほうを振り向くたびに、一つずつ蜜柑が私の胃袋に消えていく。

 あ~、美味しい。あ~、うれしい。こんな幸せな気持ちにしてくださった愛媛のO君に、この場を借りて、改めてお礼を申し上げたい。ありがとうございました。ご馳走様です。産地とは違う、和歌山流の食べ方をしていますが、美味しいものは目茶美味しいです。

 蜜柑というと私には子供の頃からなじみがあった、ほんとうにありきたりな果物である。最近は海外へ行っても、その地の果物をできるだけ食べるようにしているが、やはり落ち着くのは、日本の果物だよね。食べるたびに胃袋がほっとしているような気がするよ。

 子供の頃の私は「肉食」だった。よく父に「肉ばっかり食べないで、野菜も食え」と叱られたものだが、今は肉も食べるけれど、野菜をたくさん食べるようになった。果物などは、子供の頃にはそれほど食べなかった(激しいことに、岡山の白桃ですら見向きもしなかった。数年前に有名人某氏に進呈したところ、「日本一の桃をありがとう」と、ご丁寧な葉書をいただいたくらいだ。この人はホンモノの空手家として有名だが、こちらが贈り物をしたときの応対が見事で、「送ってあげてよかった」と思わせる人物であった。この頃には私も白桃を食べるようになっていたが、今から20年くらい前にはまったくと言っていいほど食べなかった)。たまに食べるとすれば「果物の王様は、果物の王様は…… バナナだった(『おもひでぽろぽろ』より岡島妙子ちゃんの台詞)」。

 実はそのバナナも 、小学3年生のとき、お多福風邪にかかって1週間学校を休むまでは食べていなかったんだよ。あのズルズルする感触が嫌いで。葡萄は今なら少しは食べるが、あまり食べなかったなあ。これは陸上競技指導のお師匠様であるK先生の影響が強い。試合のたびに葡萄を持っていくんだもん。

 私が好んで食べていた果物と言えば、梨である。これは理屈抜きに好きで、不思議なことがあるもんだ、と思っていたら、なんと母が私を身篭っていて、悪阻で何も食べられなかった時に梨だけは喉を通ったんだと。だから生まれる前から梨好きにされていたんだね。こういう胎教もあるんだと、変に納得してしまった。

 今でも夏にお隣の鳥取県あたりに試合に行くと、帰りに梨は忘れないように買うことにしているよ。梨好きは一生変わりそうもないね。でもそれに加えて、O君のおかげで、子供の頃には、「まあ、そこにあるんなら食べようか」程度の存在でしかなかった蜜柑が、一気に私の好きな果物ランキングの中で、急上昇してきたよ。ありがとうございますね。何でもそうだけど、あるものの新しい魅力を発見することは、何か儲けたような気がして、けっこう幸せになれるもんだね。

 ここまで打って、振り向いて、またしてもテーブルの上の蜜柑が一つ減っていくのであった。Photo_2

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

フィジカル・プリパレーション(肉体面での準備)

 我々ヒトは何らかの行動をしながら生きているものだ。一見無目的にボーっとして生きている人だって、何もしないで生きていくわけにはいかない。立って歩かなければならないし、状況によっては走ったり、跳躍をしたりしなければならないかも知れない。重たい荷物を持たなければならないことだってあるだろうし、険しい道や足をとられる泥濘を歩かなければならないこともなくはないだろう。

 これがスポーツや武道などをやっていれば、もっと高度なレベルの動きが要求されることだろう(だからといって日常生活での動きが、必ずレベルが低いとも思っていない。でも日常生活での動きは、表立って「勝敗」という結果がでないから、動きの質まで考えてやっている人は少ないだろうと思う)。

 こういった高度な動きをするにはどうしたらよいのだろうか。それは肉体に、高度な動きができるような能力をつけてやればいいのである。これを私はフィジカル・プリパレーションと呼んでいる。この言葉を私が使い出したのは、もう20年以上も前からだから(当時は筋トレの鬼であった…鬼みたいに強くはなかったけど…)、筋トレに狂奔していてもフィジカル・プリパレーションという考え方は持っていたのである。

 自分の身体にない能力は、絶対に発揮できない。私は現実主義者なので、試合中、突然素晴らしい動きが、何かに触発されてできるという夢見たいな現象(たまにあるんだよね。でもこれは一定の条件が揃わなければ起こらない。どういう条件が揃えばいいかもだいたいはわかっているけれど、今回は話が長くなるのでやりません)を期待しないので、大事な瞬間のためにあらかじめ、肉体的条件をすべて揃えておくという方法を採っていた。

 もちろん、フィジカル・プリパレーションを完璧に行おうとすると(私は、これが「練習におけるベストを尽くす」ということだと考えている)、当然、メンタル・プリパレーション(精神面での準備)はその前にできていなければならないんだけどね。練習でも何でも、目標達成のために精神力はメンタル・プリパレーションに属するもんだからね。

 肉体的準備というのは、自分がしなければならない動き、自分がやりたいと思っている動きをするための能力を、必要なレベルまで上げておくことである。だからもし動体視力がもうちょっと、と思っている人がいたとしたら、その人にとって「動体視力向上のトレーニング」は必須だということだ。(もちろん動体視力は、自分の身体が速く動くようになったら、知らない間に向上していることが多いけどね)

 ここで自分の身体運用上の能力が他人と同じレベルだと、自分ができる動きは、他人と同じレベルになる。同じレベルということは同じくらいの結果は出せるが、それ以上は厳しいということで、競技の世界では相手より秀でることは難しいから、きっと勝ったり負けたりするのではないだろうか。

 この状態では筋トレをすると、それまでいい勝負だった人には勝ち始める。様々な能力のうち、筋力の分野で相手を凌駕するからである。でも動きの質が変化したわけではないので、相手も本格的に筋トレを始めたら、また勝ったり負けたりという状態になる。おうおうにして後から始めた人の方が、目標ができているので、トレーニングしやすいという利点があったりして、後発のほうが最終的な勝利を得たりすることも少なくはない。

 ただし筋力だけに解決の糸口を見つけると、どうしても体格の問題が発生する。骨格の大きな、体格の大きな人の方が、大量の筋肉をつけることができるからである。もちろん我々の身体には数百の筋肉があるので、それをどのように鍛えればいいかを工夫する方法もあるが、一般に大筋群で発揮する大きな筋力にすべてがねじ伏せられ、小柄な人は悔しい思いをすることになることも少なくない。

 ここで「身体各部の動き」で全身の動きを形成することを覚えていると、これは筋力ではなくエネルギーを活用することができる身体になっているから、最初から「力まかせ」の身体運用が持っている欠点の幾つかが消えている。そして自分にできる「仕事」を大きくしようと思えば、「自分の身体をいかに上手に使う」か、「発生したエネルギーをどのように効果的に伝えるか」がポイントになる。

 エネルギーを発生させるのは自分の身体である。すると自分の身体がどのように動けるかというのは、仕事を行ううえでの大きな「鍵」になる。そしてエネルギーを伝えるには、自分の身体がどのような状態でなければならないかも大きな「鍵」と言えるだろう。

 動くことで発生するエネルギーは、「運動エネルギー」という。これは動くのをやめれば「0」になってしまうから、エネルギーを伝えるには「動いている状態」が必要である。ところが力を入れればその部分は緊張し、動きをやめてしまう。するとこの部分は運動エネルギーが「0」になってしまうので、運動エネルギーを伝えていくうえでは有利ではない状態といえる。

 私は「安定」こそが運動エネルギーを伝えるのに最も適した状態だと考えている。それはいつでも動く(非常に僅かだが)ことができたり、動いていたりするからである。こういった、非常に動きやすく、先日本ブログでも乗せた「秩序」がある身体を持つことは、大変に重要なフィジカル・プリパレーションの一つだと思う。

 もちろんフィジカル・プリパレーションには様々なものがあるよ。体格なんてのもそのうちの一つといえるだろう。高い身長が要求される競技では、身長に劣るだけで大変なハンディを背負ってしまうことになるし、取り組む種目によっては特異な体型が要求されることもあるだろう。でもある程度までなら、メンタル・プリパレーションが十分であれば、様々な「工夫」で解決していくかも知れないけどね。

 その中には「動き」を自分独特のものに変えていく場合もあると思う。これってやっぱり「動ける身体」を得、「合理的な動き方」を知ることは、非常に大きなフィジカル・プリパレーションにつながっていくんだよね。

 そして行う種目によっては、幼少期から取り組まなければ、神経回路の開発が間に合わないものもあるかも知れない。こういった種目では一見「英才教育」に見えることが不可欠だったりする。それも必要ならばしなければならない。結果には情はない。ただよい結果につながる条件を満たしたものだけが、優れた結果を出すことができる。

 これはスポーツや武道なんかだけで必要とされることではない。なぜならば日常生活での動きだって、やらなければならないことができれば、それぞれの瞬間が勝利だと考えられるからだ。この仕事を3時間でやらなければならないという切羽詰った状態の時、それができた瞬間に我々は精神の高揚を感じるが、あれは競技で勝利したときに感じる感情と非常によく似ている。

 ということは日常生活でもまったく似たようなことをやっているのである。ならばそれをより少ない労力で、短時間ですませることができたら。こう考えていくと、身体運用の向上を考えるのは当たり前だし、実際われわれは一般的に疲労困憊するやりかたよりも、少しでも楽に同じことをやろうとする。これって競技の世界で、いい動き方を探しているのと、実によく似ているよ。

 そして身体に無理をかけ続けた人の身体は、どうしても故障しやすくなってしまったりするのだから、日常生活での動きも、立派に真剣勝負と同じなんだよね。すると我々のみんなにフィジカル・プリパレーションという発想が必要だということになるよね。

 普通はフィジカル・プリパレーションは、ただ自然に成長するにまかせるのだろうけど、その中に身体を巧みに使うという発想が入ってくれば、より多くの人が、身体を使わなければならないときに、少しでも苦労をしなくてもすむようになると思う。本当はこんなことは、教育の中でなされなければならないんだろうけどね(『動き革命(スキージャーナル社刊)』で言ったように、かつては日本では「礼儀・作法」といった中に、こういったフィジカル・プリパレーションが含まれていたんだけど、今ではあまりこういったことははやらないみたいなので、私は『あなたにもできる! 超人の動き』の中で、基本的な動き方を紹介したんだよね)。Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

2008年12月 9日 (火)

逐鹿者不見山

 麻生総理の支持率低下がひどいらしい。どの新聞でもでかでかと載っているし、テレビニュースなどでも、あからさまに求心力がなくなったようなことが言われている。ちょっと前まではそうでもなかったんだけどね。

 人の心は移ろいやすいとはいうが、なんと言っても政治の世界ではわが国のトップに立つはずの人間である。ほんの数ヶ月前までは、少しは期待するような意見もあったように思うのだが。

 まあ漫画好きも、私が公言するのであれば問題はないだろうが(中学生頃までは漫画家志望だった)、一国の総理大臣となれば、「あ、俺も漫画は好きだよ」程度でやめていればかわいげもあったのだろうが、漫画の薀蓄を語ることに嬉々としていたのでは、「大丈夫かなあ。漫画には漫画評論家という専門家がいるんだから、ご自分の専門分野である政治の世界での活躍を期待はしているけど、漫画なんかでいくら語られても、国民は嬉くはないよ」って不安でいっぱいになる。

 その世界でトップに立つために、周囲を見る余裕がなかったのだろうか。自分が使えると思うものはすべて使いたかったのだろうか(それは間違っているわけではないけれどね)。確かに「少し変わった総理大臣」というイメージは植えつけられたと思うよ。でもそれが世の中を暮らしよくしていく方向に作用しなければ、人々の心はどうしても移っていく。

 いつかも本ブログで書いたように、我々は誰が総理大臣になってもいい。どの政党が政権政党になってもいい。暮らしやすくて幸せになれる社会を作る者は応援するよ。理由は簡単だね。自分が幸せに暮らせるから。多くの人は自分のために生きているんだから。

 でも政治家さんはそうではないんだよね。いくら自分の夢が総理大臣になることでも、政治家さんは国民(県民、市民、町民、村民などなど)のことを一番に考えなければならないんだ。そういう人生を選んだ人たちが、正しい政治家さんなんだよね。だから総理になった段階で満足する人は、なったときの支持率が最高で、その後徐々に下がっていくしかないんだろうね。

 いや人間だから誰でも失敗はあると思う。そういったときに一時的に支持率が下がるのはいたし方ない。でも就任時が支持率が最高で、あとは下がるだけといったら、基本的にその人がやった政治はどんどん支持率を落とすほうに作用しただけか、就任時の人気はただの見せ掛けや演技によるものだけでしかなかったということだからね。

「逐鹿者不見山(鹿をおうものは山を見ず)」という言葉が『虚堂録』に見えるが、天下(鹿)を取ろうとしている者には、永田町だけしか見えておらず、この国の本当の姿(山)は見えていないのだろうか。日本国の教育レベルは下がったとはいっても、低くはないから、国民を誤魔化しとおすことは、そんなに簡単ではないもんね。

 ついでだから「逐鹿者不見山(鹿をおうものは山を見ず)」に続く言葉も取り上げておこう。「攫金者不見人(金を攫む者は人を見ず)」である。金儲けに狂奔していたのでは、人は見えなくなってしまうんですな。お金がなかった頃は、実に好人物だったのに、少しばかりのお金をもうけてしまったばっかりに、お金を追いかけるばかりして、人を見なくなってしまった人を何人か私は見ているが、まさにこういうことでしょう。

 でもね、今に「逐鹿者不顧兎。決千金之貨者不争zhu(金へんに朱)両之価(鹿をおう者は兎は顧みず。千金の貨を決する者はzhu両の価を争わず)」という人が現れるのを、私は待っているよ。意味は簡単だね。鹿(天下)を狙うものは雑魚(兎;それなりに美味しいとは言われているが)は相手にしない。大商いをする人間は、そのへんの小金に目を奪われて判断を狂わせることがないってことだね。

 ようするに目的を追いかける時に、目的に目を奪われてしまって、周囲のことが何も見えない状態になっているか、周囲のこともすべて把握していながら、大目的のためには小事には目をつむることにしているかという違いだよね。前者にはまったく余裕が感じられないが(本来そういった目的を持つべき器がなかったような……)、後者は目的達成の強力な意志と同時に、かなりの余裕を感じるからね。

 でも分野別に専門化が進みすぎているような気もするから、いまや政治家の二世、三世でなければ、なかなか政治の中枢に入っていけないような感さえあるよね。それに比べたら物事を趣味で研究するなんて、遥かにいいよ。「逐鹿者不顧兎。決千金之貨者不争zhu両之価」でさえあれば、いくらでも人生は楽しくもなるし、広くも深くもなっていくから。Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

2008年12月 8日 (月)

『柔らかな動き』が意味すること

 先日、「柔よく剛を制する」とはどんなことかということを紹介したが、では何でもいいから柔らかければいいかというとそうでもなくて、やはりそこには「秩序」というものが必要不可欠だ。この「秩序」が「安定」の本質であって、これについては社会生活であろうが何であろうが、共通したものだろうと思う。

 では「柔らかい動き」とはどんなものであろうか。これについては私はすでに何度かあちこちで述べていると思うが、必ずしも柔軟体操がよくできることとは関係していない。身体が固くなってしまった高齢の方の中にも、動いてみると驚くほど柔らかい動きをされる人はいる。逆に両脚などは180度開脚でき、状態を前に倒せば、べったりお腹から床につくような人でも、実際に動いてみると、案外柔らかな動きができなかったりすることがあるからだ。

『あなたにもできる! 超人の動き』の中でも述べているが、私はストレッチ体操が無意味と言っているわけではない。ストレッチには素晴らしい効果があり、私も実はよくやっている。たまに忙しくて何日か満足いくまでできなかったりすると(私が満足するまでストレッチをやったら大変だ。ストレッチだけで1時間は軽くやると思うから)、身体の調子がどことなく変だし。だいたいやっていて気持ちがいいことを知っているから、気持ちがいいことをやらないだけで気分が悪くなる。

 ただストレッチというのは関節可動域の広さと、筋肉の伸展性に関する練習だということである。疲労した筋肉は伸展性が小さくなるから、ストレッチをしていつもよりも可動域が狭くなっていれば(当然、筋肉に「張り」は感じるだろうけど)、その部分が疲労していることは間違いない。ストレッチしているうちにその部分の血流がよくなって、疲労物質が運び去られ、また動き出すことがあることもまた事実であろう。こんなことはみんな体験で知っているし、専門家の研究も進んでいると思う。

 だからストレッチは身体にいいのは事実である。だが自分の動きを柔らかくしようと思ってストレッチをするのは、ちょっと的が外れているかも知れない(使い方で有効な方法もあるけど。一般的にはストレッチの本にはそれは載っていないようである)。言ってみればストレッチが有効なのはスタティック・ストレッチングという言葉からもわかるように、スタティック(静的)なのである。部分的な柔軟性向上には非常に有効だが、一度に全身を動かすとなるとスタティックストレッチだけでは不十分になる場合が多い。

 今回の『あなたにもできる! 超人の動き』の中では、全身の動きの関連性を見つけていく方法を紹介しておいたが、動きの柔軟性は実はこの全身の動きの関連性を除いては考えられない。たとえば普通に立った状態で右手を高く、前から上げてみよう。このとき全身はどのように動いているだろうか。もう本を買ってくださった方はすぐにでも調べ方がお分かりだと思う。

 こういった自分のしている動きを深く理解することなしには、なかなか動きを柔らかくしていくことは難しい。動きが柔らかくなるとしても、長い時間が必要になったりする。何でも同じだが、理論なしにただがむしゃらにやっても正解にたどり着けることはあるかも知れないが、無駄が多くなるのは仕方がないことだ。急いで動きを改善したい場合などには間に合わないことが多い。

 一つの動きにおける全身の動きの関連性(これが整体動作になっていくのだが)がわかるようになると、一箇所が変われば全身の動きのすべてに変化が起こっているのがわかるようになる。そして自分の身体でどこが動きにくくて、どこが働きすぎているかも、何度か繰り返しているうちにわかるようになる。と同時に今まで動いていなかった部分が動き出したら、急に動きが楽になったりするのに気がつきはじめる。

 これは最初は大きな箇所でしかわからないけど、次第に細かい部分にまでがわかるようになる。もちろん最初から焦って、細かい部分の動きまで捉えてやろうと思う必要はない。無理してつかまえようとすると、つかまえたつもりでも偽の感覚や情報だったりするから、練習をする際に大切なのは、その時できるベストを尽くすだけでよい。その積み重ねが必要十分なだけ蓄積されれば、否応なく気がついてしまうから(なんという平等!)。

 こうして次第に細かい部分までもが認識でき始め、身体各部が必要なときに必要なだけ動き始めれば動きはいやでも柔らかくなっていく。ここで重要なのは「必要なとき」に「必要な部位」が「必要なだけ」動くということであって、どこかが動きすぎたり、反対に動かなかったりするととたんにギクシャクしてしまうのだ。

 だから身体のあらゆる部位が、その人なりに動く状態になければならない。その状態を作るのが動きを考えていく上での基本中の基本であり、その次の段階では必要とする動きのために、どの部位がいつ、どのように動くかを知ることである(知ると言っても別に他人に説明するわけでないから、感じる程度の認識でよい)。

 こんなことをすると、動きは案外最短距離になって無駄がなくなっていく(これは拙著『ナンバの効用』《徳間文庫刊》でも書いていることだけど)。陸上競技を例に挙げれば、足が地面を離れた後身体の後ろで流れるのはよくないと、ほとんどの人は知っているけど、なかなかこの癖を直すのは厄介だ。どうして足が後ろに流れるのかといえば、腰(の前)関節と膝関節と足首関節の動きの中で、どこかの関節が動き方を間違えていたり、仕事をしすぎていたりするからだ。

 これを矯正するのは、厄介な反面、簡単なものもある。それは何かというと、末端の動きを正しい動きにしていくことが第一段階で、その次には末端と中間の動きのバランスを修正していくことだ。案外簡単でしょ? で大体動きはできるんだけど、本当のことを言うと、ここからが真にいい動きを目指す出発点なんだよね。外形上の正しい動きは、最初の土台でしかなく、後は「仏を作ったら魂は自分で入れる」作業が待っている。これがなかなか楽しいんだけどね。その過程で動きはますます柔らかくなっていくんだけどね。

 ここで大切なこと。動きを柔らかくするのは目的ではないんだよね。気がついたら、いろんなところがタイミングよく協調して動いてくれたために起こる「結果」でしかないんだ。だから「動きが柔らかくなった」と人が言ってくれたら、それは上達している証なんで、自分から柔らかくしよう、などと思う必要はないんだよね。要するに自分の目的を果たせばいいだけなんだから。

 追加して言うけど、多くの関節が同時に協調的に動くということは、それらすべての部位が動いていることだよね。するとこれらの部位はすべて運動エネルギーを持っていることになる。こいつを何かに使えば大きな仕事ができるってわけ。だから柔らかい動きで怖い人は本当にいるんだよ。逆に言えば外見上の柔らかさばかりを追いかけていたのでは、エネルギーの集中投与ができないので、大きな仕事はできないと思った方がいい。Photo_14

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

『中国の鋼鉄刀剣』・36 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(15)・第二節 清剣2~

 寒い、寒いですな~。我が家のチャーちゃんは猫の季節なので、外が気になってしかたがなく、窓を「開けてくれ~、開けてくれ~」と喚き続けるが、いざ開けてやると今度はすぐにどこかへ行ってしまう。本当は猫だって寒いに違いないのだ。

 でも被害が甚大なのは我々人間の方。開いた窓からは冷たい木枯らしがぴゅーぴゅー入ってくるんですよ。(ちなみにいつまでも開けてやらないと、自分でよっこいしょと5㎝くらい開ける。人がいたら絶対に自分では開けない。猫のプライドなのだろう。窓を開けるなどという下賎な仕事は、猫様でなく人間にさせてやると考えているんだろう)

 窓やドアは開けるけれど、絶対に自分で閉めたりはしない。後に残された我々人間はいい迷惑である。気が向いたら何でもするけど、人間がいたら必ず人間に命令する。平等教育を受けてきた私にとっては、なんとも理不尽な話である。猫の召使か…… ちょっと自分が情けない。

 ということで、昨日「ここまでは打っておこう」と思ったところまでいかなかったので、とりあえず予定のところまで打ちますね。

      *      *      *      *

『中国の鋼鉄刀剣』・36 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(15)・第二節 清剣2~

◎乾隆宝剣の外装と配飾工芸◎

 資料によれば乾隆帝は自身が尚武の気性に富んでいたので、清の宮廷では彼の好みに合わせて、工芸の極致といえる装飾が華麗な宝刀・宝剣を少なからず作っていた。乾隆13年(西暦1748年)、乾隆帝は内務府に命じ、全国から製剣の名人を召集し、御用刀剣を製作させた。これは10年の長きにおよび、この間4期にわたる御用刀剣の製作が行われた。その中で第一期には、刀30振り、剣30振りが造られている。

 これらの御用刀剣の鞘は、鮫皮と金桃皮に覆われているが、これには「避悪駆邪」と「威厳独尊」の意味がある。鮫は海中で生き、習性は凶猛であり、その皮は様々な色に染められ、刀鞘面を飾るには理想的な素材であった。

 宋代の大文豪、欧陽修作の歌に曰く「鮫皮装貼香木鞘、黄白間雑媛与銅」(《文忠集・日本刀歌》)である。鮫皮の表面にはびっしりと細かい粒粒がある(いわゆる「鮫肌」)が、乾隆帝はこれが何であるかを知らず、皇帝の無知を訂正するものもいなかったので、単に「紅子児皮」とか「緑子児皮」とかと記載されている。金桃皮は中国南方に産する桃の一種で、金黄色を呈し、金漆を塗ったのとよく似ていたためその名がついたが、光沢のある面や、小さな条状の装飾物を作る際、用いられた。

 乾隆御制宝剣に飾られている宝石は、いまや失伝されようとしている蒙xiang(金へんに襄)工芸で、蒙古族の古老に伝わるxiang嵌工芸で、満州族はこの技法を宮廷の器を飾るために用いていた。また刀身上の銘文や「乾隆年制」の文字は、qiang(倉へんに戈)金技法が用いられている。刀具や器物の表面に文字や花飾を彫り、そこへ金箔や金の塊を埋め込むと、文字や花飾は金色を呈するようになる。この技法は古代から皇室器物に一般的に見られるものである。

★乾隆御制人字三Photo号「映月」剣……全長99㎝で剣身底部右側には銀で横に「人字三号」、縦に「映月」と皆隷書され、左面には横に隷書で「乾隆年制」とある。その下には金銀銅で竜騰霄漢図が描かれている。

 柄、鞘、装具は鉄製で黒漆を塗っており、纏枝金花、蕉葉紋飾が金で浮かび上がる。金工は精美である。木製の鞘は紅色の鮫皮で覆われ、同じく木製の柄は明るい黄色の糸で巻かれていて、同じ色の紐が通されている。この剣には皮箋がついており、満漢文合書で「人字三号映月剣一重二十七両、乾隆年制」とある。

★乾隆御Photo_2用紅牛皮鞘青玉嵌宝石柄剣……全長72㎝、柄長12.5㎝、剣身は中央に脊が通っている。青玉花觚形の剣柄には、ルビーやエメラルド、トルコ石などを嵌めこんで、花葉がデザインされている。鞘は木製で紅色牛皮で覆われており、鞘口箍、鞘頭箍は鉄に黒漆を塗り、それに金で飾りをつけていて纏枝蓮紋飾が浮かび上がっている。

★道光皇Photo_3帝御制剣……全長112.5㎝、剣根の幅は9.5㎝、切っ先近くが3.5㎝で、剣身には広い凹槽あってその真ん中に脊が通っている。剣dang(てへんに当)は鉄製で楕円形の鍔を持っている。剣茎は短く細く、柄はない。剣身には「道光乙巳祛邪珍武虎」と刻まれている。この剣の形状は古朴で、佩飾は簡単であり、法剣の類に属する。

「道光乙巳」とは西暦1845年のことであり、ちょうどこの前には阿片戦争があった。道光帝は西洋列強の鉄船や性能のいい火砲を邪門外道とみなし、これらの邪を払い、魔を斬ることを祈念してこの剣を作らせたことがわかる。その不幸は哀れむべきであるが、しかしながらその不明には怒りを覚えるものである。

※ 阿Photo_6片戦争(中国風に書けばya…牙へんに鳥…片戦争)……1830年以前は英中貿易は、茶葉、絹、木綿の手織物、陶磁器、糖、樟脳、大黄、水銀などを中国が輸出し、英国はそれに対して中国貿易で売る商品をほとんど持たなかった(進んだ機器などを輸出したが、それによる利益は貿易全体からみると微々たるものだった)。この貿易大赤字を解決するために、英国は植民地のインドに毛織物を売り、インドで阿片を作ってそれを高価な値段で中国に売り、それで貿易赤字を解決しようと図った。(英国だけが阿片を中国に持ち込んだわけではPhoto_4ない。米国はトPhoto_5ルコ経由で、ロシアは中央アジア経由で阿片を中国に持ち込んでいた) 

 阿片は麻薬であり、心身の健康を損なうものである。そこで清 政府は林則徐を欽差大臣(特命大臣)として送り込み、林則徐は阿片を取り扱うものに厳しい措置Photo_7を採った。彼が没収して焼き捨てた阿片は1400tを超えると言われている。(これを中国では「虎門xiao…金へんに肖…烟(1839年6月)」と呼び、林則徐は西洋の列強の暴挙に対して断固それを排斥するという強い態度を見せた最初の男として高い評価を与えている。だが残念なことに英国の脅しと、清朝廷内部の派閥抗争によって、彼は罷免されてしまう)これに激怒した英国は1839年10月に、英国内閣で対中国戦争を起こすことを決定する(賛成271票反対262票)。

 1840年6月、50隻近い艦隊と4000人の兵士による、英国の「東方遠征軍」が中国の広東海域に現れ、珠江河口を封鎖し、戦争を引き起こした。6月末には遠征軍指令チャールズ・エリオットは40隻の軍艦で編成した艦隊で第一次北犯を決行し、8月9日、英国艦隊は天津の大沽口に迫り、直接清政府に武力を背景とした圧力をかけ、政府に謝罪と賠償および島嶼の割譲などの要求を突きつけた。

 道光帝は琦善を欽差大臣として派遣し、英国をなだめて広州に引き上げさせ交渉することにし、阿Photo_8片を禁じた林則徐の取り決めを撤廃することと、それまでの規約も緩めることにしたのである。

 しかし1841年1月7日、英軍は沙角、大角の砲台を攻めた。清軍はあわてて防衛しようとしたが被害は大きく、砲台は落とされ、英軍は虎門へと迫った。こういう状況の中で琦善はやむを得ず英軍の香港占領を認めたが、彼の対英国妥協の弱腰外交と売国行為に、清朝の上下にはPhoto_9不満が渦巻き、道光帝も彼の姿勢は清の威厳を損なうものとして彼を罷免し処分し、対英作戦を決定するために新たに満族貴族の奕山を派遣して広東の軍事に当たらせようとした。

 ところが英軍指令エリオット は奕山が広州に到着する前に、清政府が広東で兵を募り、対英戦を行おうとしているという情報を掴み、すぐに戦争の準備を命じた。先んじるをもって人を制しようとしたのである。

 2月26日早朝、英軍3000人以上は虎門に向けて猛烈な攻撃を開始し、これに対して水軍提督関天培は勇敢に抵抗したが、衆寡敵せず、関天培と守備隊数百人は壮烈な討ち死にを遂げ、虎門砲台は失われた。

 奕山は広州にPhoto_10到着するや、日夜酒を喰らい遊興に耽って おり、1841年5月、英軍が広州を砲撃すると、さっさと投降してしまった。この8月に英軍は二度目の北犯を行い、厦門を落とし、引き続き定海、寧波を落とした。清軍には英国の鉄船と火砲に抵抗Photo_11する術がなく、壊滅してしまったのである。

 1842年8月、英軍艦隊は南京に迫り、清政府は侵略軍の砲口に脅される形で、屈辱的な「中英南京条約」 を結んだのである。

 ここまでならわが国には何の関係もないのだが、このときの失敗を活用して林則徐の部下であった魏Photo_12源という男が、林則徐から託された西欧列強の情報を元に、『海国図志』を記す。これは幕末でやはり黒船以来、国情がゆれていた日本の志を持つ人々に伝えられ、明治維新に大きな影響を与えるという関係を持つのである。

 いやあ刀剣のお話よりも、歴史のお話になってしまいましたねえ。参った、まいった。 もともと歴史が好きだから仕方がないんだけどね。でもさすがの私が高校時代の世界史のK先生も、ここまでは教えてくれなかったなあ。授業時間数にも限りがあったんだろうね。進学校の授業はどうしても入試を見てしまうからね、たぶん。

      *      *      *      *Photo_13

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

2008年12月 7日 (日)

『中国の鋼鉄刀剣』・35 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(14)・第二節 清剣1~

 いやまあ仕事場が激しく散らかっていたので、さすがにこのままでは仕事の能率が落ちると、片付け始めたら、あらまあ片付け始めた方が、散らかっている状態よりもっと凄いのね。おかげで足の踏み場もないところでこれを打っている。やれやれ……

 やけくそで鉄観音の最高級品を淹れて飲んでいるが、やはり心に余裕がないためか、味がしない。う~ん…… 毎日が忙しすぎると、どうしてもこうなっちゃうのね。片付けなどしていたら、次々に押し寄せる物事に対応しきれないから。でも他の人に片付けてもらったら、何Photo_8がどこに行ったかわからなくなるので、やっぱり自分で片付けなければならない。それはそれでいいんだけどね。なんとなく時間が……

 ということで半分やけくそでやりましょう。

      *      *      *      *

『中国の鋼鉄刀剣』・35 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(14)・第二節清剣1~

 第二節 清剣

 剣は刀に比べれば戦場での武器としての能力は低く、すでに清の正規軍、あるいは地方政府(あちらでは行政単位を政府と呼ぶ)ごとの軍にも制式武器としては入れられていなかった。ごく少数の職官は剣を帯びてはいたが、これは例外的なものであった。

 清の朝廷でもまだ少数の剣を作らせてはいたけれど、これらは皇帝の御用剣であったりして、特殊な場合を除き、剣を身に帯びて何かをするということはなかった。多くは祭られていたり、観賞用に置かれていたり、王室や王室に使える人、あるいは文武の大臣たちに恩賞として賜るものとして用いられていた。

 清代に剣が流行したのは民間である。護身用や、武術鍛錬用の道具、工芸品や贈り物、さらには家の護りとして飾られたり、法器として使われた。清中、晩期以降は輸出品として重宝されることになり、そのために清代には剣の製造業はわりと盛んになっており、刀の製造業のように没落してしまうことはなかった。この剣製造は清滅亡後も民国に伝えられ、半機械化された製造を行うものもできてきた。

☆ 皇室宝剣……皇室宝剣は比較的小さかった。多くは各代の皇帝が思うように造らせたので、定まった形式や規定はなかった。

★清太祖御Photo_2用剣……全長80.5㎝、刃の長さは58.3㎝、刃の幅は3.1㎝であり、銅製の花弁形の剣首には、天官、神鹿、仙鶴などの吉祥紋飾が彫られており、天官が福を賜り、松鶴のような長寿を祈念したものである。銅製の剣dang(てへんに当)の両側には二匹の竜が向かい合っており、木製の鞘は鮫皮で覆われ、黄銅で締めてあり、銅箍には竜虎紋飾が嵌め込まれている。

 剣刃、剣装は明代形制の典型であり、万歴年間に明朝によってヌルハチが竜虎将軍に封じられた時に賜ったものの可能性がある。乾隆年間に漢満両方の文で「太祖高皇帝御用剣一把Photo_3、原在盛京尊蔵」と書かれた皮箋が残されている。満清の開祖ヌルハチの御用宝剣ということで、大変な価値を持つものである。

◎ヌルハチ(1559~1626)◎

 万歴44年(1616年)、ヌルハチは赫図阿拉を中心に汗位に就き、後金を興した。彼は沈陽、遼陽、広寧、義州を落とし、都を遼陽に移した。その子、皇太極が天聡10年(1636年)4月、崇徳と改元し、国号を大清とし、ヌルハチの立てた国は天命元年(1616年)から宣統3年(1911年)まで296年の長いきにわたることになった。

 ヌルハチは大清の開祖であると同時に、基礎を作り上げた人物である。彼は軍事経験が豊富で、44年Photo_4間、馬の背で軍の指揮を続けた、軍事統帥としても傑出した人物である。彼は八旗軍を作り、17世紀前半で中国史上最強の軍隊を作り上げ、同時にこれは世界史上においても最強の騎馬軍団と言えた。

 その軍をみずから指揮し古勒山の役、烏碣岩の役、哈達の役、輝発の役、烏拉の役、撫清の役、薩er(の人偏なし)滸の役、葉赫の役、開鉄の役、沈遼の役、広寧の役、覚華島の役と12度の大勝利を収め、中でも古勒山の役、薩er(の人偏なし)滸の役、沈遼の役、広寧の役では兵力を集中した「各個撃破」の戦術として中国軍事史上に残る戦といわれている。

★康熙皇帝御用剣……剣体は長く平身で背は円い。鍛造は精良で、剣身の中間は亀文を呈していPhoto_5る。亀文の宝剣について歴史上もっとも早く現れるのは《呉越春秋、helv(こうりょ)内伝》に見える「金鉄乃成、遂以成剣、陽曰干将、陰曰莫邪、陽作亀文、陰作漫理科」という一文であり、唐初の郭震の《古剣篇》にも「精光黯黯青蛇色、文章片片緑亀鱗」とある。ここに見える亀文や亀鱗という語は、剣身上の特殊な鍛え方によってできた亀裂形の花紋Photo_6 を指し、伝えられているところでは上古の宝剣の上にしか現れないものという。博物館収納の中ではきわめて少数の青銅剣には類似の花紋を持つものもあるが、現存する亀文鉄剣はこの剣だけである。したがってこの剣の値打ちは大変なものと考えられる。

 鞘箍柄装はすべて銅製で、純金で装飾しており、竜の紋飾がレリーフされている。金工は大変に精美である。鞘は木製で紅色の鮫皮で包まれており、柄の巻き紐は明黄糸である。剣刃は典型的な漢式であり、剣dangは楕円形で皿のように受けている。剣身は広葉円脊で、全体としては切りつけるのに適した形をしている。

 風格や造型、花紋などから察するに、これは清聖祖玄ye(火へんに華)の復古の作ではないか。この剣の鞘箍には耳も提梁もなく、腰からつるすことはできない。皇帝が出かけるときには侍衛が手で持って運び、平時には台の上に安置されていたのではないだろうか。

      *      *      *      *

 気がつけばもういい時刻になってしまっておりました。そろそろ足の踏み場を作って、部屋から脱出しなければなりませぬ。

 剣は戦場での効能を失ったのに、刀よりも長生きするんですね。まあ私が使っているぷーアール茶の茶餅を崩す茶刀(刀という名前がついているけど、見事に剣)も、近いうちに紹介するだろう、職官の剣とよく似た形をしているんだけどね(もちろん、玩具みたいだけど)。Photo_7 

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

機能と能力

 いやあ、寒くなりまして(昨日と同じ始まりだ)。今年はサツマイモはサツマイモは昨年より甘くないですな。それに比べて、果物とか稲とかは今年のほうができがいいようで。こういったことは毎年のように変化するので、基本的に私はその年に出来のいい方をたくさん食べるようにしております。

 同じように「いただきま~す」と言って、ほかの生命を食べるのであれば、美味しい方がより強い生命力をくれるような気がするのですが、これは科学的に調べることはできない? 私は大学で食品原料学を専攻したけれど、私の後輩たちには、こんな研究をしてくれる人はいないものだろうか。

 結構いいテーマだと思うよ。まあその為には「美味しさ」の秘密から分析に入らなければならないから、壮大な研究になるだろうけどね。研究室にいた頃の私は、なんと「歯ごたえ」などというものに取り組んでいたから、それよりももっと意義があるような気がするけどね(歯ごたえも美味しさの大きな要素の一つではあるけれど)。

 年々食品は食べやすく改良されていく。こういった分野の最先端で活躍してくださる皆さんの凄さには、本当に頭が下がる思いがする。でもあまり柔らかいものばかりだと、咀嚼力が弱まるから(お年寄りにも食べられて、そういう面ではいいことなんだけど)、若い世代は努めて、しっかり咀嚼しないといけないものを食べたほうがいいかも知れない。しっかり咀嚼すると、大脳を刺激するから、頭もよくなるという説もあるくらいらしいから。

 我々の身体は、使う部分の機能は発達するけれど、使わない部分の機能は、驚くほど短時間で衰えていくと言われている。若い、身体の機能が発達している間は、できるだけ使うことによって機能を高めていったほうがよいと思う。『あなたにもできる! 超人の動き』にも書いたけれど、機能がどこまで高まったかという程度を「能力」と言う。だから機能を高めるということは、より優れた「能力」を得ることにつながる。

 だから私はよく「実際にやってみなければ、機能は発達しない」と言っているのは、こういう理由からだ。私は大学のとき、Nという先生の下で教育学の単位もいくつか取得したけれど、そのときN先生が十数年にわたって追跡調査していた、生後数ヶ月後から親御さんがおっぱいをあげるだけで、仕事場の片隅で放置されていた人の、十数年間にわたる記録フィルムを見ているから断言できる。

 彼(放置されていた子供)は15歳になっても、満足に喋れない、聞くことができない、歩けないといった状態だったのである。これは神経が発達する時期に、適正な刺激を与えられなかったため、正常な発育につながらなかったためである。そして彼だけにこういうことが起こったのではなく、そういう条件下であれば、私も同じようになっただろうし、「天才」と呼ばれた人たちだって同じなのだ。私たちは、両親や周囲の人々の、無意識かも知れない暖かさや愛情に包まれて、一人の人間としての機能を発達させるスタートラインに立たせてもらっている。

 人は最初は外部から働きかけること(刺激を与えられること)で、自分の感覚を目覚めさせ、次には自らが行動することでその感覚を発達させ、自分の心身の活動とリンクさせていく。つまり行動しなければ何も得られないということだ。これは我々のような普通の人間の、心身の発達だけでなく生活でも同じようなことが言える。

 人間(に限らないが)は、他人から働きかけてもらうのは、初歩の段階だけであって、その後は自らの意思で行動しなければ、自分がやってみたいと思ったことをする能力さえ得られない。やってみたいと考える動機はいろいろだろうが、やはりそれは感動が元になっていると思う(正の感動もあれば、負の感動もあると思うけど。正の感動とは、素晴らしいものを見たときに、自分もやってみたいという「憧れ」などを意味し、負の感動とは、悔しい思いや、恥ずかしい思いをしたときに抱く「今に見ておれ」という反発心などを意味する)。感動が大きいほど、動機付けが強烈になり、そのあとの行動も強くなることが多い。

 我々は持って生まれた機能をどれくらい使っているのだろうか。十分の一とか二十分の一とかと言う人々がいる。大脳はよく使うので三分の一くらいは使っているという人もいる。もしもそれぞれの人間に同じような機能が潜在していると考えるのであれば、世の中の天才鬼才変人奇人すべてがやっている機能がすべての人々の中に潜んでいると考えることができる。そうしたらきっと個人個人で発揮している機能は、二十分の一もいっていないかもしれない。

 では何故、天才鬼才と私のような平凡な人間とで差が生まれたのか? 生まれたときには、みんな「おぎゃー」としか言っていなかったのにである。「はいはい」しかできなかったのにである。それは生育暦の問題だろう(遺伝に関する問題もあるけれど、最近はその遺伝に関する研究でも「あっ」と驚く新事実が発見されているので、これに関して早急すぎる仮定は立てないことにしている)。

  環境(環境の変化も含む)によって、様々な刺激を受ける。それによって惹起される感覚が様々な絡み合って、その人独特の感覚が芽生えてくる。これは簡単なことですぐに調べることができる。「あなたの思っている真っ赤はどんな色?」なんて尋ねるだけで、個人個人が微妙に異なる色を、「自分にとっての真っ赤」と思っていることがわかるだろう。

 もちろん刺激を受けるのに、最も適した時期というものはあるだろう。そしてそれは個人個人で微妙に(あるいは大きく)異なっているかも知れない。それが理想的な時期に、理想的は形で与えられれば、機能は素晴らしく高まっていくかもしれない。そういった能力の複雑な融合によって、人々が世に発揮できる能力のレベルが決まっていく。

 だから私は、機能の発達レベル=能力という考え方でものごとに対処している。能力の源が我々の身体に潜在する機能をいかに発達させるかだという考え方に立てば、いままで「生まれつきさ」の一言で諦めなければならなかったことの多くが、「待てよ。まだやりようがある」という積極的な姿勢に変えられるし、現実に、ほんの一年前には夢にもできると思えなかったことが、正しくトレーニングしていれば、できたりするからである。

 すると筋トレの信奉者の方々は、「筋トレだってそういう効果があるぞ」と主張されるだろう。私はそれは当然だと思っている。私だって昔は筋トレに狂奔したのだから。狂奔したということ自体、私の能力が筋トレによって伸びたという事実を雄弁に物語っているし。だいたい私は筋トレを否定していないし。

 動くためには必ず最初の部分では必ず力は必要になる。筋力がなければ立っていることもできない。動くためには最低必要限度の力が要求される。最初はみんな最低必要限度がわからないから、どうしても大きな力を使ってしまう。でも何度となくその動きを行っているうちに、無駄が省かれていって、次第に必要とされる力が少なくなっていくんだね。これが「動きが上達している証」で、最初から力ばかりを増大していく方向で考えたら、その方向には進みにくいだけの話なんだよ。

 だから私は「力はまったく必要ない」という考え方に対しては、腹を抱えて笑っているよ。私が言うのは、自分が目標とした動きをするための最小必要限度の力を探していきましょうということだからね。これって、昔と同じやりかたをしている農業の人とか林業の人とか、漁業の人とか、職人さんたちを見ればわかることだ。

 若い修行を始めた頃の人は、やっぱり年配の方よりも筋力に頼っていると思うよ。でもそれが長年のうちに次第に筋力が少なくなり(生理的に落ちていくことも原因の一つか?)、若い人よりも小さな力で大きな仕事をすることができるようになる人も出てくるんだろう。でも力がまったくないわけではないからね。

 ではどうして筋力が無視できないのか? それは簡単。筋肉は生まれつき我々の身体に存在するもので、筋力は我々の身体にもとから備わった機能だからだ。だから筋力という機能を高めていけば、能力もあるレベルまでは上がり、それなりに大きな仕事ができるようになる。もちろん大きな筋力がベースになって初めてできるような動きをいつまでもしていたのでは、その機能が衰え始めたら、能力も一気に下がっていくんだけどね。

 だからいろんな機能を発達させ、それで能力を構成していこうと思うんだよね。一つの機能が少しくらい調子が悪くても、ほかの機能が穴埋めできるようにね。そしていつまでも親があれこれとしてやった過保護の子供のように、いつも筋力が身体の他の機能を過保護にしていたのでは、他の機能が発達しなくなるんだよね。筋力を最小限度にした練習は、こういったことをPhoto行う上で大きな意味を持っていると思う。

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9983924668&BN=OFF

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月 6日 (土)

『中国の鋼鉄刀剣』・34 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(13)・民間刀3~

 最近の天気予報は、さすがに当たる確率があがったようで、見事に冷えてきましたな。まあ12月も1週間過ぎたので、そろそろ本格的冬になっていくのでしょうか。寒いと布団の中が一番気持ちがいいのは、子供の頃も今でも同じでございます。

 寝るは法Photo_9楽といいますが、この言葉の意味がよくわかる今日この頃です。年かな?

 ということでとりあえずやっちまいましょう。

      *      *      *      *

『中国の鋼鉄刀剣』・34 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(13)・民間刀3~

☆ 砍刀……清代の民間砍刀は種類も数量も多いが、現在のところ清末民国初のものは明確に時代区分が可能である。清中期以前の民間砍刀は、《皇朝礼器図式》の緑営撲刀および寛刃扁刀に似せて作られている。清晩期以降は清朝各地方軍の武器の中に砍刀が多数紛れ込んだので、清末にかけて次第に双手寛刃式大刀へと変わっていき、民国が抗日戦争で用いたものへとつながっていった。Kan

 上の3つは大型砍刀である。全長は1m前後ある。4つめは撲刀に似ていて、柄と刃の長さが同じくらいある。下の4つは大刀に分類されるもので、一般的に長さが短くなるにつれて刀頭はゆるやかになっており、時代が下るほどその傾向は強い。一番最後のものは、民国の砍刀に近くなっている。

★清中、晩期八角刀鍔大刀……刃の幅が広く長い。刀頭は鮫の頭のような形状をしており、凶悍Photo威猛であり、刺すにも切りつけるにも適している。刀身には3本の血槽があり、中間のものがやや広く、3つに分かれている。その間には3つの銅銭模様が透かし彫りにされてあり、俗に「三星大刀」と呼ばれる理由になっている。

 刀身は専門家の手による研磨を受けていて、鍛門は細密で巻雲のようであり、刃口の嵌鋼は焼き入れで幾分透明になっており、青光りしていて、その硬さは異様なほどである。鉄製の八角形鍔には玉縁がつけられていて、刀首や把箍も鉄製である。木製の柄も完全な状態に保たれている。

★清晩期S形Photo_2護手大刀……この刀は刃が幅広く背が厚い。切っ先は反り返り、先端は剣のような形をしていて、切るにも突くにも適している。刀身には3本の血槽があり、背に近いものが長く、順に短くなっている。刀身は研磨されており、鍛文には勢いがある。刀刃は三面挟鋼構造になっており、刃口嵌鋼は単純な造りではない。切っ先と刃が反ったところには硬鋼が用いられ、焼入れの紋は明瞭である。

 S字形の鉄製の護手は、八角形で縁取りがしてあり、相手の攻撃から手を保護したり、相手から武器を奪い取るのに便利になっている。刀首は環形で刀茎と一体製造されており、刀柄は後から取り付けられたものである。

★清晩期鶏Photo_3冠頭形大刀……全長97㎝、刃長65㎝、重さ1.5㎏で、刃幅は広く、頭背は斜めに波状になっている。鉄製の鍔は楕円形で、縁は折り返されており、環首と刀茎とは一体にして作られている。

 清朝末期には大刀の形も日に日に統一され、民間、軍隊あるいは各種の武装勢力の中で広範囲に使われるようになった。光緒20年(西暦1894年)新建陸軍が成立した後は、西洋風の佩刀が清軍の伝統的な佩刀に取って代わった。

 さらに光緒28年(1902年)以後、北洋常備軍および各省の新軍が相次いで出現し、大刀は清朝の正規軍の装備武器の中からはずされ始めた。ただしまだ大刀がすべて消えたわけではなく、改編されなかった各地方守備隊の中では生き残っていた。そして同時に民間ではもっとも流行した冷兵器になった。

 辛亥革命期、湖北の新軍が率先し、各地の新軍、旧軍、農民、工場労働者、学生、党団、秘密結社などが加わった「咸与維新」が起こった。魯迅は『阿Q正伝』で、「来了一陣白盔白甲的革命党、都拿着板刀、鋼鞭、炸弾、洋炮、三尖両刃刀、鈎鎌槍……」と形容しているが、この中で言う「板刀」とは大刀のことである。

☆ 短刀……多くは接近戦のときの武器か、ものを削ったり、切ったりする工具として用いられた。lie(けものへんに昔)刀(猟に使う刀)、順刀、匕首なども含まれる。

★清中期Lielie刀……この刀の刃は幅広で分厚く堅硬である。切っ先が大きく、突き刺す機能に秀でている。鍛造は精良で、気勢は凶悍である。狩猟、切ったり刺したりする道具、護身にと、大変便利がよい。

★清中Photo_4期順刀……順刀は先鋒の兵が標準的に装備したものである。切りつけたり、切り裂いたり、穴を掘ったり、護身に用いたりもされた。この刀は制式のものではないかも知れないが鍛造は精良で、材質もよい。

 刀頭は大きく、斧のような使い方ができると同時に、刺す機能も優れている。刃部と 刃が反った部分、それから切っ先にわずかに挟鋼線が見えるが、刀体は三面複合挟鋼構造に分類される。

 2本の血槽を持ち、柄と鞘は木製で漆を縫っている。鞘口と鞘頭は漆雲首がデザインされているが、シンプルですっきりとしている。

☆ 小刀……餐刀、割刀、飛刀などが含まれる。刀身はともに小さく、作りが精巧である。餐刀と割刀は日常生活の中で使われ、同時に護身の役割も持っていた。造型は単純だが細工は精巧で、配飾は見事である。飛刀は暗器である。小刀は切り裂くことに重きが置かれたもので、叩き切る機能は弱い。長さが短いため折れにくく、多くは刃に硬鋼を用いた。

★清中、早期竜Photo_5呑口銅柄小刀……この刀は剣形の刀身をしていて、刀の中央に脊があり、刀根には七星が穿たれている。呑口と刀柄は黄銅の一体鋳造で、竜頭が精美である。

★清中期旋han(Han火へんに旱)餐刀……この刀は直背で片刃であり、弧形の凹槽を持っている。旋han刀刃を持ち、紋は密で美しい。小刀の中では稀に見る逸品である。鞘は緑色の鮫皮で覆われ、それを黄銅で巻いてある。柄は牛角と獣骨で作っており、銅釘で固定し、銅銭模様で飾っている。

★清Photo_7中、晩期象牙柄鞘餐刀……この刀は標準的な餐刀で、工芸は精美、用いた材料は豪華である。刀刃は純度の高い鋼が用いられ、堅硬鋭利。刀柄、刀鞘は象牙で作られ、雲竜のデザインがレリーフされている。装具は銅鎏金であり、chan(糸へんにまだれ、中に里)枝花卉が刻まれている。

 刀と箸の保存状態は良好で、上流階級の人が使ったか、観賞用のものだったのではないかと思われる。

★清中晩期嵌螺鈿鞘餐刀……背がまっすぐで片刃の小刀である。鋼の純度は高い。主に肉類を切Photo_6り裂くのに用いられたと考えられるが、工具・護身用としての機能もあった。刀柄は木製で銅釘で固定してある。鞘は黒漆を塗っているが、螺鈿や獣骨が嵌めこまれ、色とりどりの草花模様になっており、手が込んでいて大変美しい。上品であり、刀、鞘、 箸のすべてがそろっている。

      *      *      *      *

 最初、餐刀とは食事の時に使うものなんだろうな~と漠然と考えていたけれど、友人のLさんに聞いたら(彼女は内モンゴル出身である)、昔の遊牧民とか騎馬民族では当たり前のように小刀を持っていたらしい。もちろん男女を問わずである。

 食事に用いるとすれば、男女を問わず食事はするから当たり前のことだろう(でも遊牧民にはベジタリアンはいなかっただろうな~。だって食べるものがないもの。あちらではおかずとして肉を食べるのではなく、本当に肉が主食になっているので、肉好きな私なんかはいいだろうな~、と思っていたのだが、食事がすべて肉となると、それはそれで大変ですな。たまには野菜やご飯がほしくなるもの)。

 考えてみれば彼らにとってはお箸のほうが後から入ってきた習慣だったんだね。入関(万里の長城の山海関を打ち破って、中原に侵出すること)して中華の文化に染まっていくにつれて、こういったものが入り込んでいったんだろうね。

 それと私が山に行くとき持っていく、ナイフと移植ごてが合わさったようなものは、考えようによってはlie刀みたいなもんなんだね。やはり環境や条件が道具を決めるんだね。使い勝手のいいものは、そうして何百年も生き延びていくんだろうね。

      *      *      *      *

Photo_8 http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

2008年12月 5日 (金)

なぜ柔は剛を制するか?

 昔々私がまだほんの子供だった頃、初めて「柔よく剛を制す」という言葉を聞いた。聞かせたのは父だったかな? 母だったかな? 今となっては記憶が定かではないが、まあ「人と争わないで、やさしく相手を包み込むように対応するのが一番よい」なんて意味で、人生訓的な話であったと思う。

 長じて生意気さかりの思春期の頃、再びこの言葉を耳にしたか目にしたか、どこかで出会った。昔は身体もとても細かったのだが、なぜかしら進学した先の学校では、決まって柔道部から声をかけられるという不思議な経歴があるのだが、もしかしたらその関係かも知れない。

 ただしこの時は「剛よく柔を断つ」という言葉も教えてもらった。子供心になんとなく「柔」という文字に潜む弱々しいイメージがすでに植えつけられていたので、どちらかと言うと私にはこちらの「剛よく柔を断つ」のほうが納得がいった。だって柔らかいものよりも固いものが強いに決まっているでしょ。石をぶつけられたら痛いもの。

 さらに長じて、この「柔よく剛を制する」という言葉は、日本の江戸時代初期に尾張徳川家の当主、徳川義直に招かれてやってきた、陳元贇(ちんげんびん)という中国人によって伝えられ、日本に「柔」という思想を根付かせたのだとかなんとかいうことを、さる高名な武道家の本で知った。

 でも最初はそんなこと信じなかったね。私がほんの餓鬼の頃、日本柔道は東京オリンピックでヘーシンクに負けていたからね。う~ん、技がどうのと言っても、赤鬼には勝てないじゃん! これがそのときの率直な感想だった。(これまた長じて、体格的にはるかに勝った外人を相手にするのがどれほど大変なことかを実感したので、そのときの神永選手でしたか? 大変だったろうなあと感じたのだけれど)

 現在は剛だろうと柔だろうと、相手より強ければ勝つし、弱ければ負けると、簡単に切って捨てたような言い方をしてしまうのだけれど(ちょうど大相撲では柏戸関と大鵬関が争っていた柏鵬時代を見ていて、剛の柏戸よりも柔の大鵬のほうが対戦成績が優勢であったから、こんなことを言うのだろうかなどと考えたこともあったが、後年大鵬親方が、ライバル柏戸とぶつかったらまるで岩かと思ったと述懐されているのをテレビで見、剛だ柔だと傍で言っているほど当人たちは楽じゃないんだな、と漠然と感じていた)、まあそれは私もいくらかは勝負の世界にいたから仕方がないことかもしれない。

 もちろん、「強い」「弱い」というのは比較論であって、しかもいつもその関係が変わらないわけではない。AさんがBさんより強いからと言って、いつも勝ち続けることができるかというと、物事はそんなに簡単には展開してくれない。人はいろんな面を持っていて、相手が弱点としている面にぶつかれば、弱いと思われているほうが完勝することだってある。私はそんな場面は何度となく見てきたから間違いない。

 大学生の頃、私をとてもよくかわいがってくれた小料理屋『人吉』(今はもうありません)で、剣道五段とか自称する会社社長(これまた自称)が、割り箸を紙で切るという妙技を見せてくれたことがある。それはそれはとても勿体をつけたやり方で、「これは私くらいにならないとできない」なってことを延々と聞かされた。

 その場は「へえ、凄いですね!」と感嘆した風を装った私だったが、アパートに帰って友人のS君に割り箸を持ってもらってやると、あれま、できちゃった! 今度あったらあの社長さんに「俺もできました」って言ってやろうと思っていたけれど、ついにその人とは再会できずじまいであった(東京は人口が多いから?)。

 割り箸で紙を切る(破く)ことなら誰でも理解しやすいけど、紙で割り箸が切れる(折る)ことは考えにくい。でもこの「考えにくい」というのが実は心の罠なんだよね。たとえば紙は折っても折っても切断できないけど、割り箸は一度折ったら切断できてしまうじゃない。これはどうして起こるかというと、木のほうが弾性の限界がすぐに来ちゃうんだよね。逆に紙はしなるしなる、いくらでもしなる。ほとんど180度曲げられていても(折り返した状態)それで切れてしまったりしない。

 紙による割り箸割りはそれから何度となく挑戦して、一定のきまりがあることがわかった。まず湿度の低い乾燥した日に、乾燥した割り箸を使うこと。これは空手の試し割りなんかでも同様だね。材木から切り出したばかりの、たっぷり水分を含んだ板なんて、なかなか割れるもんじゃない。乾かしていない8分板だったら3枚~5枚という数でも、なかなか割れやしない。これは叩いていてよくわかるよ。板がしなっているもん。同じいたでもよく乾燥したものだったら、あっけないくらい割れやすくなっているけどね。

 割り箸は持ち手も肝心だ。箸の両端を、両側に引っ張るようにして持つと割れやすくなる。これまた見事なくらいに効果がある。そんなこんなで、要するにある角度以上にしならせることができれば、割り箸は何で叩こうが折れてしまうのである。

 反対に紙はいくら曲げても、なかなか切れてしまうことがない。もちろん材質にはある程度こだわったほうがいいけど。いくらなんでもティッシュペーパー1枚では、割り箸を叩くことはおろか、満足に振り下ろすことすらできないから(振り下ろそうとしたら手に巻きついてしまう)。

 あんまり材質が弱い紙だと、割り箸を叩いても、紙のほうが破れてしまう。ところがある程度(わら半紙で可)の材質であれば、失敗することもあるけれど、割れる(折れる)こともある。そのときは割り箸に紙が巻きつくようになって、割り箸を曲げてしまっている。この曲がりが割り箸の弾性の限界を超えたら、そこでぽっきりと折れてしまうんだね。(だから竹の割り箸を折るのはとても難しい)

 実はこのときは紙が「柔」で、割り箸が「剛」になっているんだ。つまり「柔よく剛を制し」ているわけだね。ただし、ここからが今回のポイントだけど、いつだって「柔」が「剛」に勝てるというわけではないんだよね。弱い紙を使ったら、紙が破れて割り箸は折れないもの。この時は「剛よく柔を断っ」ているのかも知れないよ。

 要するに「ただ柔らかいだけでは、必ずしも剛に勝てるわけではない」んだよね。「柔」なら「柔」なりに、ある一定の条件を満たしていなければ「剛」を制することなどできないで、断ち切られてしまう。それは何かというと、形状を保てることなんだよね。

 もちろん紙は一度割り箸を折ったら、二度三度とは使えないけど(私の技量では)、割り箸を叩いただけで簡単に破れてしまうような紙だと、うまくいかないことのほうがはるかに多い。ということは破れにくくなければならない。そしてできることならば、振るのにもある程度便利がよくなければならない。

 要するに紙に求められるのは、固さではなくてある程度の形状を保つ力、あるいは「復元力」なんだよね。これが何かというと、安定性というものなんだ。安定というのは何かの刺激に対して反応しなかったり、変形しなかったりすることではない(もちろん、あまりに変形が大きすぎたら、復元するのに時間がかかりすぎてしまうけどね)。

 刺激や負荷によって生じた変形を瞬時に元の状態に戻すこと、これが安定なんだよね。そしてひとつの刺激や負荷に対して、多くの部分で対応することができたら、一つ一つの箇所の変形はごく小さなものですむ。だから安定したものが動いていないように見えたりするんだけど、あれは変化を多くの場所に散らしているから起こる現象なんだ。

 一つ一つの箇所の変形が小さければ小さいほど、復元するのに時間はかからない。そしてすぐに復元してしまえば、なにもなかったようにそのままでい続けることができる。この機能のことを安定と言うんだね。だから脚を踏ん張って大地を踏みしめているのは、決して安定しているわけではないんだね。

 野外を歩いていると、最近は岡山市の委託業者が草を刈ってくれている(とても歩きやすいです。ありがとう!)けれど、ノビルはほとんどが切られていない。それはノビルがとても柔らかくて草刈機の刃にだって逆らわないでしなるからだよね。こういう柔らかさにもう少し突っ立つ機能が伴えば、鬼に金棒なんじゃないかと思うけれど、こういうのが安定なんだ。老木のように「わしゃ動かん!」と踏ん張っているのは、踏ん張っている以上の力が加われば、案外もろいもんだからね。この状態は「固定」という。

「固定」はいつも自分に対して加わる刺激や負荷を、全力で押し返そうとする状態であって、「安定」は刺激や負荷に身を任せながらも、自分の本質を失わないでいようとだけする状態と表現したらいいだろうか。

 だから「安定」したものは、刺激や負荷によって動くので「柔」らかく感じ、「固定」したものは、あくまで自分は動こうとはしないので「剛(固)」く感じる。だから「安定」が強いものが「剛(固)」いものとぶつかったら、有利なことが少なくないんだよ。

 もちろん「安定」の強さだって絶対的なものではない。それよりも強い「剛」がやってくれば通用しなかったり、「剛よく柔を断つ」といった現象は起こる。だから最初に言ったでしょ。剛だろうと柔だろうと、相手より強ければ勝つし、弱ければ負けると。それが勝負の世界の鉄則だからね。

 ただし「柔」のほうが圧倒的に有利なことはある。「柔」らかく変形できるものは、力を伝えることができなくても、運動していれば「運動エネルギー」は伝えられるんだよね。これは当然相手の対して仕事をすることができるものだ。逆に「剛」は接触点が一点になってしまうことが多く(すべてではないよ)、そこから力を伝えることしかできないんだよね。

 変形しながらでも何かをしようよ相手にフィットしていくものは、一般的に力積が大きくなるのに対し(接触点で、接触したものに対して様々な働きかけができる)、一点でしか接触しないものは、短い時間に力を伝えることしかできなくなるんだね、これは大きな仕事をすることは難しくなる。

 だから人を抱え起こしたりするのでも、私の方法なら、自分の体重よりもはるかに重たい人間でも(『あなたにもできる! 超人の動き』収録のもので、最大の体重差は、長座から立たせる場合で30㎏以上……収録していないものでは40㎏以上でもやっていますが……、寝た人を起こす場合では40㎏以上。身長差では25㎝近くあります。なんとこの撮影の日に出張で参加できなかった人は、出張先の飲み屋で憂さ晴らしに、そこにいた人全員を立たせてしまったそうです。)ほとんど抵抗を感じさせないで仕事をすることができるんですね。

 ここに「力」でしか動けない人と、エネルギーを使うことを覚えた人の違いが出てくるんです。もちろん、発生させたエネルギーに対抗しえる力を持っている人には、苦戦したりできなかったりといったことはあるでしょうが。(だから最初に、剛だろうと柔だろうと、相手より強ければ勝つし、弱ければ負けると言っております)

 でもまあ練習していれば上手になりますから(ここではエネルギーの発生のさせかたと使い方を指しています)、次第にできるようになっていくことは増えていくでしょうけどね。私は現実派だから、いつもこういう物の言い方になってしまいますが。まあ実際に効果的に使えなければね。身体運用は見世物ではないから、人を驚かせる必要はないし、現実の社会で生Photo_9きていくことに貢献できるのが一番ですもんねっ!

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32164551.html

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

『中国の鋼鉄刀剣』・33 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(12)・民間刀2~

 やれやれ、忙しい人間のところへばかり用事をいいつける者のおかげで、えらい目に遭っている。自分が忙しい経験をしたことがない人間は、安易に「ちょっとやっといてくれればいいだろう?」などという考え方をする。では「おまえがちょっとそれをやっておけばいいんじゃないか」と言うと、すぐに「自分ではできない」などと言う。

 自分でできないことならしなければいいのだが、どうしてもしたいらしい。それならば頼んだ人間をもっと大切に扱わなければならないと思うが、一向にそういった気配はない。普段自分がかわいがっている人間には、きつそうなことはさせない。だいたい気配りができないから、なんでもかんでも他人に頼むのが当たり前になってしまっている。

 こんな人間に限って「ゆとりを持って生きなさい」などと戯言を平気な顔をして言う。そりゃあんたは「ゆとり」があるでしょうよ! 自分がしなければならないことを他人に押し付けているんだから。はっきりしていることは、「自分の幸せの皺寄せを他人にかけた者は、いずれその報いは受ける」もんだよ。

 その人間がそばにいなくなったら、今度は皺寄せの持って行き場がなくなるからね。そのときは、しっかりと自分で自分の作った皺寄せをかぶるといい。どんな人間でも感情は持っている。人の感情をがわからない人間には、「ゆとり」だの「自然」だのということばを口にする資格がない。

 というこPhoto_8とで、皆さんには何が何かわからないまま怒り狂っている。怒りついでに『中国の鋼鉄刀剣』をやっちまいましょう。切れ味鋭く、怒りそのものを切ってもらいたいものだ。

      *      *      *      *

 『中国の鋼鉄刀剣』・33 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(12)・民間刀2~

☆ 腰刀…… 佩刀のことである。佩刀の多くは腰につけられていた。≪釈名・釈兵≫によれば佩刀とは「身体のすぐそばにある刀」という意味である。しかし清朝では佩刀という名称は、政府の役人と兵士が日常帯びている制式刀に用いたので、混乱を避けるために、民間で造られた制式でないもので佩刀と同じ形式のものを腰刀と呼んでいた。 

 当然軍用の佩刀とよく似ており、腰刀も単手刀(片手で用いる)と双手刀(両手で用いる)に分けることができる。一般的に全長2尺5寸から3尺の間であり、双刀には比較的短い小腰刀のようなものもあったが、これはだいたい2尺前後である。

 腰刀は清中早期に興り、乾隆年間に御制佩刀や職官佩刀の発展を追いかけるように発達し、数量、種類、工芸およびデザインもピークを迎えた。18世紀初から19世紀中葉にかけて相当数量が西洋に輸出されたが、道光年間の阿片戦争の後、各種の腰刀の生産量は急速に減少し、デザインのレベルも下がり、鍛造も粗く、配飾もいい加減になっていき、多くが寛刃大頭の牛尾刀に取って代わられた。

 この頃大刀が大量に現れ始め、これは安価で、製造に時間がかからず、使用が簡単であったため、高価で壊れたときに買い替えにくく、使用するのに高度な技術が要求される雁翅刀や柳葉刀は短期間で消えていくことになった。 

 それでも腰刀は砍刀や匕首、その他の民間刀に比べれば、芸術的に比較的高いものがあった。刀体の造りは精良で、基本的に鋼と鉄を混ぜて鍛える方法がとられ、剛柔を兼備していた。刃形は一般的に見られる雁翎刀、柳葉刀、牛尾刀を除けば切っ先が変形したものが多く、雁翅刀、魚嘴刀、sha魚頭刀(鮫の頭の形をした刀)や巻首刀などがある。

 多くは刀身に血槽を有し、工芸は念の入ったものになっており、形式はそれぞれが異なっており、あるものはいくつかに分かれていたり、あるものは折り返されていたり、長短様々なものを有していたりで、大まかなようでその中に細かい気配りがなされている。 

 血槽以外にも刀身に銘文が刻まれたものがあり、記号が彫られていたり、五行八卦や、陰陽太極などの縁起のいい符(祥符)や、祝符や祈念の言葉、励ましの言葉などが彫られていたりする。

 外装や飾りには、皇室や官府専用の紋飾は使えなかったけれど、色や材料については、民間で入手できるものに限られてはいたが、規格などに縛られなかったので、実に多種多様なものがあった。 

 装具紋飾のデザインは、各種の伝統的な花卉巻草、祥禽瑞獣以外にも五福三星、八仙八宝、卍団寿、喜que登枝、馬上封侯などがあった。装具の材質としては、基本的に鉄、黄銅、紫銅(純度の高い銅)などが用いられ、普通は刻み込んだが、彫刻であったり、豪華なものとしては錯銀鎏金があった。

 刀鞘の色彩は更に華やかさを増し、一般的には革で包んだり、漆を塗っていたり、絵を描いたりと進化していき、中には玳瑁(タイマイ:海亀)で覆ったものすらあった。

 要するにこの時代の民間刀は、規範からはずれ、様々な様式を持っており、生き生きとした風格で、設計は精密になっており、斬新なものが多くなって、民族的特徴や地域性が強く出されたものになっている。

 これは中華古代兵器芸術の広さを深さを十分に体現したもので、中国の兵器を研究する上では見逃すことのできない重要な時代である。ただ残念なことに民間の腰刀は多数残されてはいるが、様々な理由によって保存状態がよくない場合が多く、完全な形で残されているものはきわめて少ない。Photo

 ①,②,③,④,⑤は細刃の腰刀。①,②,③は雁翎刀、④,⑤は柳葉刀。②の呑口は龍の形をデザインしたもので、あまり多くはない。③,④,⑤は小腰刀である。⑥,⑦,⑧は牛尾刀で、⑥,⑦は双刀になっている。

★ 清早期《展巧》腰刀……雁翎刀で刀身は平造である。刀刃の製作は丁寧であり、血槽はすっきりPhoto_2と通って、刃口は鋭利、弾性に富んでいる。鉄製の透かし彫りがある鍔を持ち、4つの如意雲頭が組み合わさって四合雲とあり、中心を一古紋銭が飾っている。この紋飾の意味するところは「万古如意」である。

 刀首の紋飾りは幅帯を主にしているが、飄帯翻巻が連環を銅銭が貫かれるようになっており、これは「代々連綿、財富府尽(家計が連綿と続き、富も尽きず栄える)」を象徴している。

 この刀の形制は規格どおりであり、しなりは優美で配飾は古雅、気勢は重厚である。刀根には『展巧(zhanqiao)』と刻まれているが、意は『斬巧(zhanqiao)』と同じであり、古の名刀というべきものである。

★ 清中早Photo_3期錯銀雑宝紋八卦刀鍔腰刀……雁翎刀だが刀頭は小雁翅刀である。刃は広く、刀身は薄い平造で脊はない。刀身には四重の血槽を有し、幅広のものと狭いものが2本ずつある。そのうちの1本は8つに分けられ、その中間にはそれぞれ銅点があり、七星となっている。

 八角形の鉄製鍔を持ち、銀の象眼で雑宝紋飾が施されていて、精美を極めている。把箍および刀首はだいたい鉄製であり、鞘は失われている。官造の可能性がある刀である。

★ 清中期『八十八峰』旋han(火へんに旱)双刀……全長61㎝、刃長48㎝、柄長13㎝である。双刀Photo_4の設計は独特であり、柄は外側は丸くなっているが、内側は平面で、両方の刀背がぴたりと張り付くようになっていて鞘の一室の収まるようになっている。

 鞘から出れば2振りの刀となり、殺気は倍増し、攻守兼備となるが、鞘に収まれば一刀の如くなり、携帯に便利である。刀身の線条は流れるようにのびやかであり、長さが中くらいなので抜刀するに速く、納刀するに穏やかである。

 この刀の製造には中国刀剣の製造技術でももっとも優れた複雑な技法が使われており、鋼と鉄とを混ぜ、何度も折り畳んで鍛えた馬牙嵌刃である。刀身は硬柔を兼備しており、弾性に優れ、強靭さは特別に秀でているため、鎧などに切りつけても曲がったり変形したりせず、敵兵をぶつかってもたやすく破損することはなかった。

 刀刃は稀に見る馬牙嵌鋼に、現代では失われてしまった敷土焼刃の秘法が、熱処理と焼きいれを行う際にPhoto_5用いられており、そのため硬度は抜群であり、敵を撃破する能力が高かった。専門家の手で研磨してもらうと、見事な花紋が現れ、美麗なことこの上なかった。

 刀身の馬牙嵌鋼と焼刃紋は、護手のところから利歯のように湾曲し、一列にちらちらと輝きを放ちながら切っ先まで続く。更に得がたいのは、この両刀は形、寸法、湾曲の具合、重量から花紋にいたるまで、そっくりに出来上がっていることである。これは天の配剤を超越したものと言えよう。両歯の馬牙嵌鋼の山(波)はそれぞれ44であり、両方をあわせると88になる。これがこの双刀の名のもとになった。

 黄銅の装具は補修されていてきれいであり、上にデザインされている巻草の保存状態はよい。鞘と柄には老木を用いている。

★ 清晩期Photo_6角柄腰刀……鍛造は精良であり、刃は幅広く、薄身である。鋼口は鋭利で弾性に優れている。鍔はS字形をしており特徴的だが、これは手腕を守るためと、敵の刀を奪い取るのに用いられたのではないかと推測される。柄は獣角で作られており、鞘は失われている。 

      *      *      *      *

 なかなか創意工夫を凝らしておりますな。人間、自分の生命をかけて戦うとなったら、どうしても本気で真剣に考えますもんね。その点、自らが戦うことがない者の持ち物には、飾りとか脅しとか、いざとなったら使えないものがごてごてつきますよね。だから王侯貴族なんて家来に守られている間は威勢がいいけど、一度家来に見捨てられたら、刀は身を守る道具というよりは、むしろ狙われる宝物になってしまうんですね。

 でも民間刀の勢いは素晴らしいですね。やっぱりお上だのみでなく、自らが自らの身を守るとなれば、凄いものを作ってしまうんですね。なんとなく今の自分たちの生活も「かくあるべきかなあ」と考えさせられるような、民間の腰刀ですな。

Photo_7 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

2008年12月 4日 (木)

水随方円と威力

 以前私が指導していた選手の中に、筋力には秀でているものの、パフォーマンスがそれに伴わない選手が何人かいた。陸上競技の選手にもいたし、空手の選手にもいた。それ以外の競技にもいた。そして筋力に相応しいパフォーマンスが得られない理由も、これまた様々であった。

 ある選手は小学生時代から専門的トレーニングをしていた。小学生の頃から指導者について、まるで大人のような動き方を知っていた(その時の指導者が優れていると思った動きを教えたのだろうか)。事実、小学生時代はそれなりに記録が出ていたようだ。

 私が見始めた頃にはすでに頭打ちの状態であった。性格はとても素直で、なんでもよく言うことを聞き、自分なりに一所懸命頑張る姿勢には好感が持てたので、私もかなり真剣に指導に取り組んだが、試合で動き始めると、小学生時代から何年もやっていた動きに戻ってしまう。

 これには私も頭を抱えたが、きっと本人はもっと辛かったのではないだろうか。頭もまずまず良かったので、きっと本人はもっともっと真剣に悩んでいるに違いないと、あまり厳しいことも言えないでいるうちに、学業が忙しくなったのか練習に来なくなった。それ以後も何度か出会ったが、いつも感じのいい子であった。

 この人は筋力は優れていた。きっと同年輩の子と比べたら、かなり優れていたに違いない。でも私の見たところ、この子の力は外に向かっておらず、いつも自分の身体の中に向かっていた。以前『動き革命』(スキージャーナル)で「力は出すもので、入れるものではない」と書いたが、この子の事が頭から去っていなかったからである。

 たとえば握り拳をぎゅっと握り締めたとしよう。これは手指を曲げるための屈筋が緊張した状態である。でもこの「ぎゅっ」と握った状態では、拳は固く握れるけれど、拳にただ触っただけでは、痛くもかゆくもない。つまりどんなに固い拳を握ることができても、拳自体には何の威力もないわけである。

 威力を出そうと思えば、この固い拳が運動を始めなければならない。運動している物体は運動エネルギーを持っているので、これが何かに接触すれば、持っているエネルギーに相応しい大きさの「仕事」をすることができる。これは石を投げたのと同じである。飛んでいる石がぶつかれば、石が持っている運動エネルギーに相応しいだけの仕事ができる。

 普通の窓ガラスがあれば、石が持っている運動エネルギーによって窓ガラスは破壊されるだろう。とても丈夫な石壁などであれば、石が割れることもある。これは拳を石のように固めて思いっきりぶん殴っても、相手がそれ以上に丈夫であれば拳が壊れるのと同じだ。

 もちろんそのときに、接触の仕方と威力には大きな関係がある。同じ大きさの力が働いても、接触面が小さければ圧力は大きくなる。シャープペンの先と消しゴムを手指で挟んで力を入れたら、シャープペンの芯の側は指に突き立つのに、消しゴムの側は突き立たないのと同じである。

 これを逆に利用すれば、大きな力でも接触する面を大きくすれば圧力が小さくなり、それで力を加えたものを壊さないですむようになる。そろそろ鍋物の季節だが、お豆腐をお箸で取ろうとしたときに壊れてうまく取れなくても、蓮華などで掬えば簡単に取ることができるのと、基本的には同じことである。

 本ブログの最初の方で紹介した(『田んぼの教え』シリーズ)、水田で二本足で立ち往生してしまった私(幼少期)が、四つんばいで脱出したのも、これとまったく同じである。体重を2本の足で支えるから圧力は大きく、抜けなかったのだが、四つんばいになったらいつも合計3本の手足で体重を支えることができれば、圧力が小さくなり、ぬかるみに足を取られなくなったのと同じだ。

 なお、水田でぬかるみに足を取られて動けなくなることがあるが、底なし沼のように沈んでしまわないのは、足裏にかかる泥からの抗力(上向き)と、ぬかって埋まりこんだ脚の面と泥との間に働く摩擦力の合計が体重と等しくなったからであって、足裏にかかる抗力(上向き)と脚と泥との接触面とに働く摩擦力の合計が体重より小さければ、立派に「底なし沼」状態になる。生命の危険があるから、こんなところには近づかない方が身のためである。

 話が脱線しそうなので、本筋に戻すが、力は身体の中に向いて働くと、身体を壊すことはできても、大きな仕事をする方向には働かない。外に発揮された力は、3種類の仕事ができる。これは中学校レベルの知識であるが、① 物体の運動の様子を変える ② 物体を変形させる ③ 物体を支える である。

 力は上手に使えば、最小限度の労力で目的にあった仕事をすることができる。けれども100㎏のものを持ち上げるには、100㎏のものを持つことができるというのは、絶対に必要な条件である。世の中には「力は不要だ」という人がいるけれど、そういう人には是非重たいものを持っていただくとよい。少なくともその重さのものを支えるだけの筋力がなければ、どうにもこうにもならないことはすぐに実感していただけるからである。(ただし動物が相手の場合はこうではない)

 だから自分の置かれた状況によって、筋力は必要である。ただし身体の使い方が上手になれば、必要最小限度の力でものごとをすることができるようになる。けれども100㎏の荷物を動かすには、最低100㎏の重さに相応しいだけの筋力が必要だ(それでも「力は必要ない」とおっしゃる方がおられたら、旅行の際のスーツケースやカバンは、ぜひご本人に持っていただこう。もしも本当に力が不要ならば、付き人やその他の人の荷物もお願いしたいくらいである。なぜならばその人が持ったら力が不要で疲れないのであれば、その人がすべての人の荷物を運んであげることが、人類社会全体への貢献になるかもしれないからである)。

 物体は一度動き出せばエネルギーを持つ。従ってそれを上手に使えば、ますます仕事は楽にできるようになる。こうすれば力は次第に少なくてすむようになるが、どうしても最初の動き始めのところでは、必要な力は必要なのだ。

 さて力を使えばさまざまなことができるが、空手などで行う試し割りというものでは、変形が物体の弾性の限界を超した時点で破壊に変わる。もちろん十分に物体が堅固であれば、加えた力と等しい大きさの力が「作用・反作用」の法則の通り返ってくるので、叩いた人間の身体にも返ってき、それによって人体は驚くほど激しく変形する。もちろん科学の法則は何にたいしても平等なので、変形が人体の弾性の限界を超えてしまうと体組織が破壊されることになる。筋肉や軟骨といった柔らかい部分はもちろんのこと、骨が破壊されることもある。大変痛そうな話なので、これについてはあまり述べなくてもいいだろう(昔の記憶が蘇ってくるので嫌だ。私は痛いのはとても嫌いである)。

 ところでもうずいぶん前から、水は凄い力を持っていることに気づいている人たちがいた。日本ではこういう技術の工業利用は、随分以前から行われているが、音速を超えるスピードで水を対象にぶつけると、切断などが難しいと思われていたものが、すぱっと切れたりする。これはなぜなのだろうか。水は力を使えたのだろうか。

 実は高速で運動する水は、途方もないエネルギーを持っている上、水の可塑性(形が変わりやすい性質)によって、隅々にまでそのエネルギーを伝えるという性質がある。確か宮本武蔵も「水は方円の器に随うが、その本質を変えることはない」と書いていたような記憶があるが、これは力を伝えなければ何もできないという考えとはまったく異なる(武蔵が力が弱かったわけではないと思うけど。実際、武蔵が怪力の持ち主だったという逸話は多いので)。

 津波にしてもそうだし、鉄砲水や激流に巻き込まれた人やものを見てもわかるけれど、こういった、いかにも力を伝えなさそうなものが、すさまじい仕事(被害? 災害?)をするのは、いかに水のような性質を持った物体がエネルギーを伝えるのに適しているかを示しているんだね。

 ただし水がエネルギーを発揮するのは運動をしているときだけだ。静かな湖畔などに立つと、荒々しい気持ちだっておさまっていくほどだが、一度荒れ始めると、人間などではどう対応していいのかわからないほどの圧倒的迫力を感じる。感じるのはそれだけの威力を持っているからで、我々の頭はそれを「知って」いるんだね、きっと。

 昔の人は、水にひとつの理想の姿を見たのではないかと思う。それは普段は穏やかで、どこまでも落ち着いて静かだが、いざ有事の時には怒涛となって物事を押し流してしまい、飲み込んでしまう姿だろう。実はそれが自然界に存在するエネルギーの姿なんだけどね。

 今回、『あなたにもできる! 超人の動き ~動きのエネルギー革命~』を書く上で、常に私の頭の中にあったのは、この水の姿である。

「水随方円(水随方円之器、水能随方就円 とも:水は方円の器にしたがう)」は『荀子・君道篇』から、そして水が柔らかく姿を変えていくことから、「柔能制剛(柔よく剛を制す)」(『三略・上略』から)というのが今回のキーワードであって、原典とは少し違った使い方をさせていただいた。

『あなたにもできる! 超人の動き』を読まれれば、なぜ「柔よく剛を制す」といわれたのかは、瞭然ではないかと思う。それは柔かいからこそエネルギーを伝えやすくからであって、剛ではまねしにくい物理的現象だからである。

 ということで最初に戻るけど、「力を入れ」てしまうと身体はカチンコに緊張してしまって、エネルギーが伝えられにくくなっちゃうんだよね。だから力が身体の中で、カラカラ空回りしてしまうような現象さえ起こることがあるんだね。

Photo

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E8%B6%85%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8D%E2%80%95%E5%8B%95%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD-%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8BDVD-BOOK-%E5%B0%8F%E6%A3%AE/dp/4789975290

http://www.bk1.jp/product/03038501

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668

http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/

http://pro.maruzen.jp/shop/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=6698656&dispNo=001001002011

http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/?shop_cale

http://www.bk1.jp/trcno/08059755

http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32164551

2008年12月 3日 (水)

『中国の鋼鉄刀剣』・32 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(11)・民間刀1~

 いろんな人がそれぞれ好きに発想したら、いろんなものが生まれるだろう。もちろんその中には、箸にも棒にもかからないようなくだらないものもあるだろう。でも、もしそれらが「実戦」という活動の中で有効性を試し続けられたら、もしかしたら素晴らしいものが出来上がるかもしれない。

 私は清代の刀剣を読んでみて、一番に感じることは、よくもまあこんな発想があったもんだということである。まるで忍が独創的な武器を開発し、発展させたのではないかと思えるくらい面白いPhoto_10。民衆のパワーってのは、実はこういうものかも知れない。硬化した頭脳ではなかなかこうはいかないのだ。それは芸術であろうが武術であろうが、武器であろうが政治であろうが、なんにでも共通したことなのかもしれない。

      *      *      *      *

『中国の鋼鉄刀剣』・32 ~第七章 鋼鉄刀剣の最後の輝きと衰落・清代(11)・民間刀1~

 清代には民間刀の製造は大変に発展した。その主な理由は5つある。まず1つめは、明末に私造刀を造ることが流行し、社会のさまざまな階層の人たちに、刀を持つ習慣ができあがっていたことがある。

 2番めには、満州族の清朝には、「武器は自分で準備するもの」という思想が根強く存在し、刀を私的に造ることが奨励され、民間刀を発展させていたことが挙げられる。

 第3には、教派(宗派・教派)、帮会(民間の秘密結社)、社団(社会団体、民衆によって組織された団体)、biao(金へんに票)局(貨物の輸送、旅人の輸送、護衛に従事する団体)、武館などの民間組織が大変たくさん発生し、武器、なかでも刀剣の需要が増加したことが考えられる。

 4番めには清中期の後、社会の矛盾が激しくなり、盗賊、匪賊の類が横行したり、民衆の蜂起や民族の武力闘争が大挙して発生し、白蓮教、天理教(日本のとは無関係か)、小刀会、天地会、捻軍(清末期、安徽省北部と河南省一帯で起こった農民蜂起)、苗民、太平天国、義和団などの農民などによる武力蜂起が起こったが、これらの決起軍の武装は刀剣を主にしたものであり、数量はきわめて多く、その大部分は民間で造られたものであった。

 5番めには嘉慶帝期から、上記の反乱などを鎮圧するために、やむを得ず団練(宋代から民国初にかけての地主階級が組織した武装組織)を強化したが、郷勇などの武装勢力(例えば湘軍とか淮軍などの地方軍隊)に制式武器を配給する時間的余裕がなく、民間刀を大量に発注し、それを兵に持たせざるをえなかった。このような理由で、民間刀の製造業は発展し、清代の民間刀の数量は、膨大なものになり、種類や形式も複雑になったし、品質もさまざまなものができてきた。

 満州族の王朝である清は、入関前からすでに「武器は自前でそろえるもの」という伝統的な考えを持っており、民間の製刀業は発達していたが、当時の一般的な傾向では、武器と馬は自前でそろえ、戦陣で敵と渡り合う主武器は個人の財産と考え、官兵と先を争って買いあさった。

 この傾向をいっそう推進させたのは女真刀製造の発展である。清の入関以降も八旗制度は継続され、官兵でも私的に製造した武器を携帯して参戦するのは慣例となっており、これは清朝の武器製造上、大きな影響を与え続けた。清初には国家としての兵器製造機構ができ、大量の制式兵器が作られるようになったが、「自前の武器」を携帯することも、依然として認められており、さらに乾隆の23年(紀元1758年)にはとうとう清政府は、「官造の兵器は自前の兵器よりも優れていない」と認めるにいたり、「以後、工部は八旗の軍器、甲冑の修理製造を停止する」と上奏した。

 これによって一度、制式武器の官造を停止し、「金を支給して自分で武器を造らせる」ことにしたのである。一応形式上は軍需局や武備院を主な武器製造所と指定してはいても、経費や時間を節約したり、個人的な武器使用上の欲求や条件を満たすために、多くの兵はそれらの指定工場ではなく民間の工匠に注文して、私造するようになるのを止めることはできなかった。

 清代の民間刀は、それ以前の各時代のものと比べ、はるかに多種多様であり、実戦的であった。その形式は4種に大別できるが、それらは腰刀、砍刀(大刀および小砍刀)、短刀と小刀である。そのうち腰刀は清軍佩刀を模倣したものかも知れない。砍刀は清軍の軍用寛刃砍刀と同じように発展したが、形式はさらに多い。短刀の中でも順刀はすでに出てきたが、現在の軍隊でも制式武器として採用されている。小刀は護身用、あるいは投げつけるための武器で、匕首や飛刀も含めたものである。

Photo_8  上から腰刀、砍刀、順刀(制式ではない)、短刀(この順刀と短刀はどちらも短刀に分類される)、匕首、飛刀(匕首と飛刀はどちらも小刀に分類される)である。飛刀とはもっぱら手裏剣として使われるものである(『Lovers』で出てきましたね)

     *      *      *      *

 民間刀の概略でございました。次回からは腰刀から順番に解説してまいりましょうね。それにしても用途によってずいぶん多くの種類の刀があったわけで、それだけでも十分楽しいものですな。

      *      *      *      *

Photo_9 http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/s?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp_27%3A%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&field-author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&page=1

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3&f=O

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?author=%8F%AC%90X%8CN%94%FC

http://www.bk1.jp/books/authorSearchResult/?authorKana=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%AA+%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7&adultFlg=0&authorId=110004223100000&author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE+%E5%90%9B%E7%BE%8E

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8F%AC%90X%81@%8CN%94%FC/list.html

http://www.bk1.jp/category/22000000000000000000

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

漁港はいいねえ……

 家に帰ると、まず食生活が「いつも」のものに戻る。私の朝食はトマトから始まるが、トマトをまるまる1個、豪快に食べてから、きわめて日本的な朝食へと進んでいく(食後、中国茶を飲むことあり)。中でも大好きなのは魚の「一夜干し」である。

 鞆の浦はもともと港町であり、地元で獲れた魚介類をすぐに売ってくれる場所がある。もちろん釣りに適した場所もあって、気候がよくて暇があったら、きっと私も釣り糸を垂れたに違いない。残念なことに今回は、天候には大変恵まれたけれど、時間的余裕に「?」がついたので(私は釣り始めると、よくまるまる一日中の仕事になることがほとんどだから)、遠慮して、海べりで売っている魚介類の方に目が行った。

 Photo こんな感じで、道路(路側帯)にコンクリの低い仕切りがあって、そこから海側の細長いところで一夜干しを作っていたり、味醂干しを作ったり、そのまま生きているのを売っていたりする。

 何がおいしいといっても魚介類は鮮度が生命である。獣肉などならある程度熟成させたほうがいいものもあるが、魚といえば鮮度。一夜干しならば作りたて。もちろん材料の質は大きなファクターだが、鮮度が落ちてしまえば、どんな素材でもまるっきり駄目になる。

Photo_2  サヨリはこんな感じで干してあって、景色的にもなかなか私の好きな絵である。サヨリという魚は、たいていの海で見かけるし、すぐに釣れたりするが、まとめてたくさん釣るのはそんなにたやすいことではない(私の釣り方では)。個人的に遊びで釣っていると、大きさも数もそろわないことがほとんどだしね。でもこういったところで購入すると、鮮度もいい、型もいい、数もたくさんといった条件がすぐに満たされる。(お吸い物をつくるくらいなら、そんなに数はいらないんだけどね)

Photo_3  路側帯との境を越えると、こんな具合。もうこれだけで血が騒ぐよ。これをざっと炙って、酒の肴にしたひには、「なんぼでも持って来いっ!」て気分にすぐなれる。私の頭の中は、買い物をして、車を運転して家に帰って、それから諸々のことをして、やっと酒にありつけるという、すべての工程がぶっとんでしまって、ビールあるいは今の時期なら熱燗でぐいっとやっている光景に飛んでしまう。あ~、涎が出る~……

Photo_4  親切なおばさんがいて、「これ食べてみて」と勧めてくれる。試食は私は大好きである。それにどうせ買うつもりで来ているんだから、遠慮はしない。タコを硬く干したものと、それよりは幾分かは柔らかいが、味はしっかりと染み込んだのを勧めてくれた。一応いただくが、我が家は母が歯があまり強くないうえ、にゃんこのチャーがイカ、タコアレルギーなので買わない(めちゃくちゃ好きなのだが、蕁麻疹が出るらしくボリボリ掻くので、可哀想だから、現在はイカ、タコ絶ちをさせている)。

 ここで小フグを干したのと、サヨリと、タチウオ(今が旬)の味醂干しを購入。だいたい1000円単位の買い物だが、なにしろコミュニケーションをとりながらなので、量がけっこう多目にしてくれる。結局、いいものをたくさん、リーズナブルなお値段で、といういい買い物の条件を満たしてしまうのである。あそうそう、このおばさんには、小鯛の干したのをざっと炙ってもらって食べさせてもらった。美味しかったよ。残念なことに、車の運転があったのでビールは飲めなかったけど。

 だいたい一夜干しなんかを美味しく食べようと思えば、いいものを買ったらあとは焼き方である。表面(体のうろこがある側)7分に身の側が3分、これが一番美味しい。焼きすぎは禁物で、美味しく食べたくなければ焼きすぎればいいというくらいのものである。帰宅してさっそくサヨリを焼いてやったら、チャーにゃんが血相を変えて飛んできた。

 まだ人間が手で持っても熱いのに、貪り食べる。私は猫舌という言葉が信じられなくなってしまったくらいだ。本来熱いものは、犬だろうが猫だろうが食べない。野生では火を使って加熱することはないからだが、長年ペットをやっていると、食性まで人間に近くなるのかも知れない。まあ家族の一員だから、しかたないけどね。

 そのうちPhoto_5、一番端っこで売っているところへ船が着いた。何が入ったのかと思って覗くと、なんといい型のシャコが入っている。実は何を隠そう、シャコは大好物である。だが残念なことに今回はいつも積んでいるはずのクーラーボックスが、先日の事故のせいで積んでいない。そしてこの後、仙酔島に渡るつもりだったので、生きたものを長時間車に載せておくわけにもいかない。そこで帰りに寄って、まだいたら買って帰ろうということにした。

Photo_6  でもこんなものもご縁なんだよね。手に入るときに手に入れてなければ、帰りになんかはいない(いたとしたら、売れていないわけだけど)。その代わり、立派なマダコが入っていた。もちろんまだうにょうにょと這い回るので、放っておくと逃げるから、ミカン袋に入れられていたけどね。でも先述のような理由で、タコは買わない。ハゼもいいのがいたけど、持ち帰っても母がしんどい目に遭うだけなので、今回は遠慮しておいた。

 まあそんなこんなで、美味しそうな魚を見ただけでも元気が出たけれど、家に帰って食べたので、ますます元気が出た。ヘルシーな食材というのはこんなのを言うわけであって、カロリー数がどうのこうのというのがヘルシーなわけではない。

 いただきますということばは、相手の生命をいただいて生きることに対する感謝の言葉だというけれど、生命をありがたくいただいているという実感を得ようと思ったら、こんなところで活きのいいものを買うのが一番だと思うよ。

      *      *      *      *Photo_7

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/s?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp_27%3A%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&field-author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&page=1

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3&f=O

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?author=%8F%AC%90X%8CN%94%FC

http://www.bk1.jp/webap/user/SchAuthorBibList.do?authorKana=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%AA+%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7&adultFlg=0&authorId=110004223100000&author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE+%E5%90%9B%E7%BE%8E

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8F%AC%90X%81@%8CN%94%FC/list.html

http://www.bk1.jp/category/22000000000000000000

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31677410/introd_id/Xmo46Wk6o36G9m9iiX1GiXXk62G83k68/pg_from/u4

 

2008年12月 2日 (火)

ポニョの里?探訪

 広島県福山市の鞆の浦に行ってきた。宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』に舞台ではないか?と言われているところである。まあ2004年11月に、スタジオ・ジブリのスタッフさんたちと200人と慰安旅行で訪れ、翌年には監督ご自身が古民家を借りて、いろいろとスケッチされたそうであるから、少なくともなんらかの役割は果たしているのだろう。Photo Photo_2

 スタッフさんたちは、鴎風亭(写真左)と姉妹館の景勝館漣亭(さざなみてい)に分かれてお泊りになったそうだが、私は鴎風館に泊まった。非常にゆとりのある良いホテルであったし、あまりの見晴らしの良さに(808号室・最上階の南東の角っこ)、下を見るのが恐ろしいほどであった。なにしろ鳶や鴎の背中が見えるほどだった。

 着くPhoto_18やいなや、アイスクリームとシナモン・カプチーノを一階のロビーで採る。なにしろ『ポニョ』なので、アイスクリームもなんとなくポニョのイメージがある。でも味もまずまずで、悪くなかったよ。それとカプチーノは良かった。私はこんなコンビネーションが割と好きで、久しぶりに楽しんだ。 なんとなくピンク色といいデザインといい、ポニョっとしてるでしょ。キャラクター商品とはいえなくても、ちゃんとイメージは表れているよね。きっとセンスのいい人が作ったのではないかな。

 着いた日Photo_4、とりあえず宮Photo_3崎監督ゆかりのところをゆっくりと歩いた。まずは商店街をとろとろ歩く。石畳で狭い。 ただし大変に落ち着いた、そして暖かい感じがする。街自体はそんなに大きくないので、歩いていくだけで十分である(レンタサイクルもあった)。

 なんとPhoto_5この街は保命酒(ほうめいしゅ、ほめいしゅではない)が特産ということで、造り酒屋さんが4軒あるんだそうである。ちょいと顔をのぞけてみると人のよいおかみさん(?)が、すぐに保命酒オンザロックを勧めてくれる。養命酒などと違って、大変飲みやすい。  左は「入江豊三郎酒造」であって、私はここで保命酒をよばれた。翌日、必ずよって土産を買って帰ると約束する(味醂一升買った)。

 そこかPhoto_6らまだまだとろとろ歩いて石畳の道を進む。ここには「いろは」という名前がなぜかしら多い。何でも幕末、坂本龍馬の海援隊の「いろは丸」が遭難したとかで、それにちなんでいるらしい。 ちなみに左の「いろは」には、宮崎監督のスケッチが5枚あるんだそうである。

 残念なことに、おなかがいっぱいだったので、ここは立ち寄らず前を素通りする。食べればいいようなものだが、旅先でお腹を壊すのはいやだし、第一、夕食を張り込む予定があったので、入れなかった。もしここに行かれる人がおられたら、ぜひ寄ってみられることをお勧めする。宮崎監督の直筆スケッチなんて、そうたびたびお目にかかれるものではないかも知れない。

 そのまPhoto_7ま直進すると、すぐに鞆の浦港に出る。呑気なカモメが街灯に止まって一休みしていた。漁港には魚が多く集まる。するとカモメだとか、トンビだとかウミウだとかカラス(こいつはどこにでも現れるが)などが集まってくる。少し行くと青色のおそろいの制服を着た船乗りが数人たむろっている。彼らの話し声を聞いたが、どうやら中国語らしかった。海は世界中につながっている。世界中からいろんな人が来るに違いない。Photo_8

 船員たちの横を通り抜けていくと、「宗介の家のモチーフ?」とか言われている家が見えてきた。古いが味がある。味がある建物は鞆の浦には多いが、こういった味が作家の創作心を刺激するのかもしれない。どんな近代的な建物よりも、まずは味である。味を出すには何が必要かというと、まず時間の流れを積み重ねること。そして長い時間の流れに耐えること。でも豪華すぎてはいけない。時間の流れのほとりにぽつんと佇んでいるような風情がほしい…… なんてことを妄想しながら歩いた。Photo_10

 その裏Photo_9手を登ると、松尾芭蕉の句碑がある。民家のすぐ横である。句碑には「疑な うし保のはなも 浦の春」とあった。松尾芭蕉という人はあちこち歩いているらしいが(芭蕉=忍者説もあるくらいだし)、こんなところにもあるんだなあとひたすら感心。そして漁港につきものの獣、猫がたくさんいるのに、これまた感心する。どいつも人懐っこいんだねえ。呼んだらすぐ飛んできたよ。うちのチャーちゃんとは大違いである(チャーは気難しい)。 

 それから裏道に入って、とても感じのいいお店を発見した。Photo_14 「海彦」と暖簾に書いてあるから、きっとこれが店名だろう。店内に入ると、いやどれもこれも色っぽいものがわんさかある。(しかも安い!) 食事もできるようだが、残念なことにお腹はいっぱいだったので、ここは見せていただくのを中心にした(あまりにいいモノがあったので、とうとう辛抱たまらんようになって買い物をしてしまった。でも見学だけでもOKしてくれるような、とても気さくなお店だったよ)。

 中でもPhoto_15お婆ちゃんの代からのものを収めた棚(?)は見事だったので、つい写真を撮らせてもらってしまった。 左側には「鯛」の作りものがあったが、なんでも博物館に収納されていたこともあったらしい。右の奥、下のほうには押し絵がある。常盤御前が牛若丸を抱いて逃げているところである。平家物語の一場面だ。これはお婆さんが独身時代におつくりになったものだということだが、とても素晴らしいつくりであった。こんなところに文化と歴史が脈々と息づいている。とても素敵である。

Photo_11

 それから格子窓の街(町並み保存地区)を通る。どれもこれも、ほっと懐かしい感じがするのが不思議である。もしかしたら日本人の心の原風景に、こんな風景があるのかも知れない。 これまたなんともいえない味があるんだよね。味に勝るものはない?

 通り抜Photo_12けると街のシンボルといわれている、常夜灯(地元では「とうろどう」と呼ばれているんだそうな)がある。その手前が1867年、鞆沖で沈没した「いろは丸」のいろは丸展示館である。いろは丸の引き上げ物、竜馬の隠れ部屋などなどの資料が展示されているんだそうである。

 でも私が気になったのは、  手前の張り紙に書いてある「ポニョ 今のままの鞆がすき!」という言葉である。私は鞆はとても落ち着いたいい街だなと感じたが、開発問題が持ち上がっているのだそうだ。

Photo_13 私は地元の人間ではないから、何も言う資格はないかも知れないけれど、こんないい雰囲気の街もあってほしいなあ。でも私なんかの外部の人間にはわからない問題もきっとあるだろうから、でしゃばったことは口にできないけどね。天気が良かったせいか、とてもいい感じしかなかった。もしも近代的ではあるけれど、日本中どこにでもある町になってしまったら、寂しいだろうね。

 それからお寺さんや神社の前をめぐり、山中鹿之助の首塚があったので手を合わせる。山中鹿之助といえば尼子氏再興のためにがんばった人であって、豊臣秀吉の新任厚かった人物である。本ブログではかつて山中鹿之助が大山祇神社に奉納した、刃渡り180㎝Photo_16を超えた斬馬刀を紹介したことがあるが、その持ち主だった人物である。

 それからとことこ歩いて沼名前(ぬなくま)神社を訪れる。私が小さな頃、我が家にはこの神社の掛け軸がかかっていた。やっと本物のところを訪れることができたのである。 国幣小社ということで、なかなか格式の高い神社である。Photo_17

 途中の横手に「能舞台」という建物がある。ここでは豊臣秀吉が能を舞ったというのだが、私は能には身体運用上の興味はあるものの、あまり知識がないので、「ほう」で済んでしまう。知識がないということはこういうことなのである。物事を見ても、そこから深まっていかない。知識は大切である。

 それか鴎風亭に引き上げて、晩は「量よりは質」というコンセプトの夕食をいただいた(確かにひとつずつの量は多くはなかったけど、いろいろあったので、結局はかなりお腹いっぱいになった)。食べ過ぎて胃薬のお世話になったほどである。でもなかなか美味しかったよ。

Photo_19 http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/s?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp_27%3A%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&field-author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE%20%E5%90%9B%E7%BE%8E&page=1

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?sv=2&sitem=%be%ae%bf%b9%b7%af%c8%fe&p=0&v=3&f=O

https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/%8F%AC%90X%8CN%94%FC/list.html

http://www.boople.com/bst/BPdispatch?author=%8F%AC%90X%8CN%94%FC

http://www.bk1.jp/webap/user/SchAuthorBibList.do?authorKana=%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%AA+%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%A8%E3%82%B7&adultFlg=0&authorId=110004223100000&author=%E5%B0%8F%E6%A3%AE+%E5%90%9B%E7%BE%8E

http://www.bk1.jp/category/21000000000000000000

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31677410/introd_id/Xmo46Wk6o36G9m9iiX1GiXXk62G83k68/pg_from/u4

http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »