科学的思考のススメ・26 ~歴史に学ぶ~
今年は年の瀬の忙しさが一際であった。それでもここのところの何日間かは、忙しいと言っても、自分のためになる忙しさだから、悪いことではないから、結構、嬉々として動いていたりするけれどね。
車の運転はほんの1週間ほど前までは殺気だっていたように感じたけれど、ここ数日間は比較的平常な感じを受ける。景気が悪くて、明日への希望が見えないと、人間誰でも捨て鉢になるものだから、車の運転は殺気だってくるし、「誰でもよかった」なんて事件が増えてくる。
なんでもかでも社会のせいにするのは良くないかもしれないが、それでも社会に起因する事柄は少なくない。昔の中国ではこういった現象を、「為政者の徳がなくなったから」として、革命が起こるきっかけになったらしい。
そして起こった人民蜂起が、新しい国を建国するきっかけになったり、鎮圧されてもその国を変えるきっかけになったりしたらしい。今、暇がある時に(ほとんどないが)あちらの歴史の本を読んでいるが、「中国から見た中国の歴史(もちろん、全部中国語)」なので、新しい発見や、見方ができてなかなか面白い。
などと言っても私は日本人だし、日本人的な史観を持っている。それが私の基盤である。でも様々な国から見るという、「立場」を変えて物事を見ることは、思考の幅を広げてくれているように感じる。情報量も増えるしね。
歴史を勉強するのは楽しい。私の父も歴史好きだった。ただ私の父は、歴史を「読み物」のように楽しんでいた。だから自分の人生に活用することはしていなかった。でも私は少しばかり異なった楽しみ方をする。それは歴史で学んだことを、実生活に活用してみることである。
だいたい私の基本は、「使えないようなことは学んでもしかたがない」という考え方なので、最初から何かで、あるいはどこかで使ってやろうと考えて勉強を始める。『あなたにもできる! 超人の動き』の第四章でも述べたが、「練習とは何かができるようになるためにすること」であって、「勉強もどこかで何かに使うために行うもの」という考え方をしている。
贅肉は身体に(特に下腹)ついているだけで十分である。生き方としては、無駄をそぎ落として、効率のいい生き方をしてみたい。これは身体運用の研究とまったく同じ姿勢である。無駄をしていれば、しなくてもいいことの方ばかりに時間を取られてしまうことが多くなるからである。
でも私が公開している練習では、やはりカリキュラム的なものもあるので、いきなり「奥義」みたいなものは紹介していない。却ってわかり難かったり、できなかったりするから。誰だって初対面のときから、自分の人生哲学を語るような人とは、付き合いたくないよね。重たすぎるもの。
公開していくたびに、少しずつレベルが上がっていくように考えている。そしてその方が「伝える」という意味では、はるかに効果的だし、親切だと考えている。もちろん他人にわかりやすいから、レベルが低いということではない。人にものを伝えたくないのなら、最初から公開などしないはずだからね。
公開していながら伝わりにくいということは、それは「伝える意思がない」ということである。ではなぜ公開するの? 私はそこには「伝える」のとは別の意思の存在を感じている。人にはそれぞれの「動機」がある。その動機が何なのかはその人の勝手だ。でも何かを受け取ろうという人は、相手がどうしてそれを公開したかを感じなければならない。でないと、自分がほしかったものとは違うものを伝えられるかも知れない。
その点、私なんか単純だよね。本の冒頭部に書いてあるもの。身体運用研究の人類社会への貢献だってね。だから「この技ができることが大切なのではなく、この技ができる身体と、動き方に意味がある」という言い方をする。その身体と動き方は、別の状況ではどう動くだろうか。今よりもっと効率の良い動き方ができるはずだ、そう考えている。そうでなければ、ただの「技自慢」で終わってしまうからね。そうはなりたくないし、自慢するほどの技なんか持っていないし。
練習しているうちにわかったこともあるし、様々な経験(これだって立派な科学的データだ)から、先に理論ができ、理論的に可能だと思ってから、実際にできるように練習したものもある。実践が先であろうが、思考が先であろうが、そんなことは気にもしていない。要するに思ったことができるような身体や、動き方が解明でき、実証できればよかったからだ。
だから一度や二度の失敗は当たり前で、20回やってやっと1回だけできたなんてのもあるよ。実戦だとこれが20回やって20回成功しなければならないから、まだまだ厳しい練習だ必要になるんだけどね。今は「研究」に夢中だから、どうしてもそういったスタンスになってしまう。
歴史だって同じなんだよね。人が様々なことをやってきた情報の積み重ねなんだから。ここから適切な情報を取り出してうまく活用すれば、歴史は立派に未来に役立てることができるはずだ。だから歴史の研究者は、様々な立場で研究してほしいと思う。トンデモ系と呼ばれる人たちがいることも、考えてみれば意味がないことではないんだよ。
先日も書いたように、権力者は自分に不利な記録は抹消するからね。もしかしたら現実には「トンデモ系」の人が書いたことが当たっている場合だってあるかも知れないんだから。読み手としては、それを大らかに包容して、自分に必要と思えるものを、その時々に応じて使えばいいんだから。
例えば平安時代、貴族文化は花開いたんだそうだが、庶民はどんな暮らしをしていたのだろうか。残念なことに学校の歴史の教科書には、華やかな貴族の暮らししか出てこない。なぜ? 簡単だね。記録が残っていないから。でも悲惨だったかも知れないんだよ、庶民の生活は。
ではなぜそうなったのか。これまた簡単だよね。上に立つ人間が、自分たちのことばかり考えて、庶民のことなど考えなかったから(だから文字を持った貴族が、庶民のことを書き残さなかったと考えることもできる。興味も関心もなければ、何の記録も残らないよね。文書なんて、その文書を書いた人の興味と関心があることだけしか語らないものだもの)。
そういう時代はその後もなかったかなあ。なんて歴史を鳥瞰してみるのも良い。日本全体ではなくても、部分的にはきっとあるはずだ。私なんかだったら、原油が高騰しても「蛙の面にションベン」みたいな言動に終始していた人や、2世3世と同じ家系で議員なり大臣なりを歴任している人間は、何か似たようなものを感じたよ。
では貴族の世の中はどうして終わりを告げたか。簡単ですよね。自らが血と汗と泥にまみれてでも物事を成し遂げようとする勢力、つまり武士が台頭してきたからでしょ。今の世の中も、部分的にではあるけれど、そういった現象が起これば、劇的に変わっていくかもしれないと、歴史は教えてくれているわけだよね。
武士だって天下を取った後は休息に貴族化していく。それは平家でもそうだし、源頼朝がせっかく京都から遠い鎌倉に幕府を開いたのに、やっぱり次第に貴族化していくよね(貴族の方は、自分のペースに巻き込みたくて、様々な策を弄するわけだけど)。そうしたら人間の性の一つが見えてくるわけじゃない。
「功なり名を挙げた人」は、自分の手を汚さない方向に走りやすく、いつでも自ら行動する人間によって取って代わられるって。もちろん、そんなことは昔の人だってよく知っていたわけで、徳川家康(今、中国の本屋さんにも、徳川家康や豊臣秀吉、織田信長なんて人の本が並んでおります)なんかは尚武の気性の大切さを力説しておりますな。それでも天下が治まれば、武士は官僚化していき、ダイナミックな武士のパワーを失っていくわけだけど。
すると組織の中で、周囲とうまくやっていくという能力のほうが重視され、本来、武士を武士たらしめた力は無用の長物とされてしまう。でも幕末に海外から刺激がやってくると、あわててまた行動力を持っていた人たちが台頭してくる。こんな繰り返しではないですか。
不景気だってそうだよね。戦国時代には腕一つで出世できたから、腕を磨き、戦場で手柄を立てることばかり考えていればよかったかも知れないけれど、天下が治まってしまったら、腕一つで立身出世を夢見ていた人たちは、職場がなくなっちゃうわけでしょ。
一説によれば秀吉の朝鮮出兵(本当は明国出兵だったとか)だって、武士の職場を海外に広げるといった意味があったとさえ言われているわけで、こんなのは武器を造りすぎて、どこかで消費しなければならない、現在の某大国と同じ理由だよね。「歴史は繰り返す」ってのは、同じような機能を持った集団は、同じような状況を作らなければ生き残れないからかも知れないよ。
ではその混乱はどのように鎮まっていったかなんて、後は歴史の本を読んでね。大勢がいろんな本の中で述べていることだから。同じ機能や働きを持った集団は、一定の状況下に置けば、だいたい同じように動く。これは身体の場合も社会での人間でも似たようなものだ。
社会の中でもペテンまがいのことをする人間は、同じような状況になれば必ずといっていいほどペテンまがい(あるいは本物のペテン)をやるだろうし、勤勉でいつだってまじめに物事に取り組む人は、少々の難関にぶつかっても、勤勉さでそれを克服しようとするだろう。だから昔から日本では「躾」が大切にされてきたんだと私は思っているけれどね。
身体の動き方と、人の動きと、人の動きの集合体(社会)の動きとその連続(歴史)は、もの凄くよく似ているんだよ。力で動く人は、力の動き方をするし、技で動く人は技にまかせて動こうとする。真心で動く人は、いつだって真心で動こうとするし、社会や国もまた同じだよね。
力しか信じない国は、他国にも「力」を誇示する外交を展開しようとするし、「駆け引き(ペテンを含む)」で生き延びてきた国は、やはり「駆け引き」を続けようとする。そしてそれがまた歴史を作っていくんだよね。
こう見ていくと、「一事が万事」と私が子供の頃、両親から耳にタコができるくらい聞かされた言葉の意味が、もの凄くよくわかるよ。そしてこれは私的には、とても鬼谷子的だなあと感じる(ちなみに本ブログでは、徹頭徹尾鬼谷子のことをスーパーマンとしては扱っていないのは、お付き合いの長い方には十分ご理解いただけていると思うけど)。
「物事への取り組み」の基本的姿勢は、個人個人によって違うのは当然だけど、「一事が万事」と心得ておかないと、いつ、見せたくない自分の姿が他人の前に露呈するかわからない。それって個人個人の生活も、国の政治でも、歴史でも同じようなものじゃないかと感じるよね。
今年ももう残り10時間を切ってしまいましたが、本ブログに付き合っていただいてありがとうございました。来る2009年が皆様にとって、また私にとって素晴らしい年になるようにお祈りいたします。よいお年をお迎えください。
http://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_13086398/1.0/
http://item.rakuten.co.jp/book/5911594/
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/ez/wsea.cgi?W-NIPS=9983924668
http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614
http://www.bk1.jp/product/03038501
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32164551
http://kakaku.ecnavi.jp/item_info/20959036350840.html
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109552910
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3057349
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9983924668
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT80312/
http://shop.tsutaya.co.jp/book/product/9784789975292/
http://books.livedoor.com/item/2684364
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4789975290.html
http://www.boople.com/bst/BPdispatch?nips_cd=9983924668
http://aumall.auone.jp/item/115889723
http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40793548
http://www.bookoffonline.co.jp/display/001,iscd=0016074414
http://senmonten.itmedia.co.jp/item_info/20959036350840.html
http://www.ttgapers.com/module-ttStore-product-asin-4789975290-locale-jp.html



























































































最近のコメント