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2016年7月31日 (日)

日本の原点

 岡山は暑い! これが実感ですなあ。昨日、実はブログに間に合う時刻に、岡山に帰ってきておりました。ところがココログさんが不調で、ログインできなかったんですね。それで今日、夕方、事務局長N氏が駆けつけてくれまして(なんと、インターハイの審判員の仕事が終わってからですよ!)、なんとか復旧いたしまして、めでたく再開となったわけですが、N氏の家には足を向けて寝られませんなあ。

 ところで今日7月31日はというと、東京都知事選ではないですか。予想通り、小池候補の圧勝に終わりそうですが(当確は早々に出たんだとか)、私は3位、4位争いに、関心があったりします。選挙たって、小学生の児童会の選挙じゃないから、いろんなこれからの世の中の方向性を暗示していることだってあるわけで。

 勝てるはずのない候補の得票だって、長い目で見れば、これからの社会がどうなっていくかを示している可能性は、ないわけじゃありませんからね。だいたい21人も立候補した、当の本人たちだって、全員が知事になれるとお考えではないでしょう(本心では)。自分の主義主張に賛同してくれる人たちの手応えが知りたい人だっているんじゃないでしょうか。これは多くの人たちの、意識の変化を知る上では、大変に貴重なデータといえるでしょうね。

 とかなんとか言っていながら、一昨日と昨日は、岡山におりませんでした。ちょっと岐阜を訪れさせていただいていたんですね。

 岐阜に行くときには(試合でいったことはあるけど)、たいていがN氏と会う。このN氏が大変にいい人で、私が岐阜にいる間、一瞬として不快に思ったことがないほど、いい居心地にしてくださる。これはもう、あきらかに「人生の達人」と呼んだほうがいい、というような人なのだ。

 今回も居心地が良すぎて、2㎏も太っちゃった(これは私が食べすぎたせい)。だけではなく、「『さざれ石公園』に行きた~い」なんてわがままを言っても、会員のSさんと一緒に連れてってくださる。もう、何も言うことがなくて、ただ頭を下げるほかない。

 ということで、いろいろありすぎて、まとまりがつかなくなるので、今回は『さざれ石公園』篇ということで、話を進めていきたい。

 なぜ「さざれ石」なのか? ご存知のように、日本国国歌に歌われている、「さざれ石の、いわおとなりて、こけのむすまで」の、あのさざれ石だからだ。近年地質学会でも、岐阜大学の活躍に目を瞠っている私だが、岐阜の石は面白い。

 で、「岐阜の人でもあまり知らない」と言われる『さざれ石公園』に、いやな顔一つせず、連れて行ってくださったN氏と、Sさん(なんと私が若いころ、指導を受けたことがあるY先輩…当時は、超有名な天才でしたけど…の道場にいたという。思い出話が懐かしかった。もうほとんど心は大学生時代に戻っていた)に感謝、感謝である。

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 右側の看板を見てください。ちゃんと『さざれ石公園』とあるでしょう? この奥に、国歌に歌われたいわおがあるんですね。そう思うと、心が躍るのですが、着ていったズボンが汗に弱くて上がりにくく、階段を上がるには難渋するので、その横にある坂道状態の斜面を登りました。階段はこちらの意思とは関係なく、ある一定の距離で、一定の高さに足を上げないといけないけれど、坂は気が向いたところに足を下せばいいからね。

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 そうしてあるくこと200m、こんな看板と、しめ縄を張ったさざれ石が見えてきます。右側の看板にはいろいろと貴重な資料が述べられているんだけど、興味がある人は画像をクリックしてくだされば、ある程度は拡大されます。SDカードのデータにはきっちり記録されているので、読み取ることはできるのですが。まあ、興味がおありなら、一度訪れられてはいかがですか? と思いますけどね。

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 で、国歌とどういう関係があるのかを記した石碑がございまして、私はのどの調子が悪かったので、国家は歌いませんでしたが(心の中では、国歌斉唱をやりました!)、心中が厳かな気分で満たされる感じでございました。

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 でまあこのように記念写真をSさんに撮ってもらい、後で自分のおなかの大きさに驚嘆したものです(私は体調が悪いと、おなかが出ます。体重にはあまり関係しません。どうりでしんどかったはずだ)

 しめ縄はこんな風に、右の岩、左の岩に分かれていますが、私の思ったのは、この山全体が、実は「さざれ石のいわおとなりて」の「いわお」なんじゃないかということですね。「さざれ石」のそばにあった説明にも「さざれ石とは、石灰質角礫岩」ということで、礫を水に溶かされた石灰質の粘り気のある液体が固めて岩となったものだということなので、行ってしまえば、自然界が作り上げたコンクリみたいなものだ。ということは、大昔のここにあった巨大な石灰岩の層が溶かされてできたものだから、山全体がそんなものである可能性だって十分ある(きっともう誰かが調査しているはずなので、詳しいことが知りたければ、そちらを当たってください)。

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 ということで、私はとりあえず、どんなふうに礫がくっつけられているのかを、写真に撮影してきましたよ。本当に小さな礫が、石灰質のものでくっつけられているんですな(下位でいうと、クマサカガイのイメージがあるんだけど)

 まあこの場所な、日本人として一度は来てみたかったんだよね。N氏、Sさん、ありがとうございました。日本人としての私の願いをかなえてくれて。

 で駐車場に戻る途中、目の前にぽとりと虫が落ちてきました。まあどこにでもいるんだけど、ちょっといつも見るのよりは大きかったかな。

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 ナナフシでございます。岡山の山の中でも、ちょくちょく見かけるんだけどね、こんな大きいのはあまり見かけないなあ。私の手のひらよりは、だいぶ大きかった。

 そうしてさらに驚いたのが、駐車場までの、一見芝生っぽい緑の場所。

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 手前の明るい緑色は、本当に丈の低い草なんだけど、奥の、若干色が濃いところは、すべてコケだったんだよね(たぶん、スギゴケの仲間)。あんまりきれいだったんで、おもわず写真撮っちゃったよ。

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 はい、これですねえ。実は私は、我が家の裏庭を、こんな感じにしたいんですけれど、もう百年くらいはかかるかなあ。苔寺みたく、コケの緑って、独特のやさしさがあるよね。私はあれが好きなんだ。年くって、動くのがたいぎになってしまったら、一日中眺めていたい緑なんだよね(今でも、動くのはたいぎですが…笑)。

 とまあ、私のわがままを快く聞いてくださって、N氏とSさんのおかげで、とても貴重かつ心休まる体験をさせていただきました。ところが帰路(実は行きがけにも見かけた)、野生の二ホンジカを見かけちゃったんだよね。

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 真昼間から野生のシカが散歩しているんだよ。夜間ならいくらでも徘徊しているんだけどね。私も、山菜取りに行けば、必ずといっていいほど、排泄したての糞を見かけるもの。見た目はかわいいんだけど、これが苗木なんかの強敵で、植林しても、植林しても、全部若芽を食べて枯らしてしまうんだよね。

 それでもとても、豊かな自然の中で(なぜかしら、道路はアスファルトで舗装されておりましたが)、こんな動物が昼間からじゃいかいするようなところの奥に、『さざれ石公園』はございました。

 と、日本の原点に触れたところで、九重親方が亡くなられた。若すぎるよ! あの相撲は、小柄な人の希望だっただけに、早すぎる逝去が惜しい。あの人も(個人的交際がなかったから、人柄まではわからないが)、日本の原点を一部を具現していた人なんじゃないだろうか。残念である!

※印 ということで、8月の『○○を語る会』は、20日の第三土曜日を予定しております。

2016年7月28日 (木)

炎天下?の選挙って、きついだろうね

 なかなか暖かい陽気で、これはクーラーなしじゃ(扇風機程度では)、室内でも熱中症になれるなあ、と思って岡山の今日の最高気温を調べたら、33.3℃。意外に低いじゃん! 私的には35℃オーバーかと思ったんだけどね。私がいたところが暑かったのかな。

 東京都では、都知事選挙の投票を31日に控え、いまや選挙戦も最終追い込みに入ろうというところだろう。岡山に比べれば、最高気温で数度低めだが、これは選挙運動をしている人だけでなく、演説に集まった人たちも、けっこう体力いるよね。せめて「氷のかちわり」を無償給付するとか(したら利益供与になって、選挙違反なんかな? 選挙管理委員会で準備するってのは、どう? これなら違反にはならないでしょ)しないと、今に倒れる人が出るよ。

 でもそんなことしたら、「かちわり」目当ての人ばかり集まったりして。いろいろと選挙は面倒いもんなんだねえ。私は投票はしても、される側になる気など毛頭ないので、知ったこっちゃないんだけど。

 でもそんな聴衆を気遣ってかどうか知らないけど、たった2分かそこいらで、演説をやめた有名人候補がいるんだそうだ。2分はちょっと短い気がするけれど、要点を絞って、本当に大切な内容を、聴衆に訴えかけるのは、こんな暑い季節の選挙では重要なことだと思う。でも内容がなければ、アウトだよね。

 人間、大きな目的があって行動する人は、集中力が続くものだけれど、強烈な目的意識がない人は、集中力は途切れやすく、例えば熱中症で倒れたりってのが、比較的短時間でも起こるからね。体力も体調も、個人個人で違うわけだし。

 都知事っていえば、大きな責任を負わなければならない役職だと思うので、強烈な目的意識をもって取り組まなければならないと思う。だから年齢不相応とも思えるほどの体力と、健康は不可欠だよね。もちろん高邁な理想もいるわけだけど。(何を高邁な理想とするかは、各人異なってよい。多くの有権者がその人の理想に賛同できれば、その人は当選するわけだろうし)

 中には、とても高邁な理想を掲げる前に、醜聞で、それどころではない人もいるみたいだね。こういうのはTVのニュースなんかではあまり流してくれないので、やはりネットは便利だねえ。以前は私は、TVのニュースだけでは足りないので、週刊誌も何種か読み漁って、いろんな情報を入れていた。そうでもしないと、バランスが保てないんだよ。

 もちろん週刊誌報道をすべて信じてはいなかったし、TVのニュースすら、すべて信じてはいなかったけど(佐藤栄作元総理が辞めるときに、TVの記者だけを前に呼んだてことがあったらしいけど。TVは事実を伝えるからって。でも編集のしかたで、どうにでも操作できるからねえ。私も何度か、プロやセミプロの人が編集しているのを見たことがあるけど、まさに神技ですからね。口の動きに合わせて、別の言葉をかぶせることだってやってしまうくらいだ…読唇術でも知らなきゃ、見破れないよ。こんな技術があるってことを知らなけりゃ、みんなTVは画像があるからって、信じちゃいますよね)。もちろんネットの情報も、鵜呑みにするほどお目出度くはありません。

 一番いいのは、候補者が実際に喋っているところまで出向き、話を実際に聞くことだろう。ま、それでも本当のことをしゃべっているか、表向きのきれいごとだけをしゃべっているのかはわからないけど。

 まあ選挙って、博打みたいなところがあるから、自分が投票した人が、本当に主張したことをしてくれることを祈るだけだ。当選したらあとはやりたい放題、では前の都知事さんと同じになるわけだろう?

 結局政治なんて、自分でやるのでなければ、誰かに代行してもらうわけだから、こちらとしては選挙で投票するくらいのことしかできない。だから立候補する人は嘘ついちゃいけないし、マスコミも、きちんと正確な情報を流してくんなきゃいけない。

 当選したらしたで、直接的な発言力を持たない庶民を代表して意見を言うのだから、国会や議会などでとんでもない的外れな意見を提出して失笑を買うような人は、なぜそんなことを言ったのか、有権者に理由を説明してもらわなきゃ困る。そうしないから、好きなことを言って、あとは知らん顔なんかしてられるんだろうし。

 なにしろ当選してしまうと、庶民の貴重な税金で生活するのみならず、活動も行うわけで、的を外した、ろくでもない意見を述べさせるために、税金を払っているわけじゃないんだから。

 自分の領地から上がってきた税で暮らす人間を、その昔は貴族と呼んだ(後にはお侍さんも貴族化したんだけど)。自分の領地ではないんだろうけれど、選挙に当選すれば、税金で生活し、活動(時に視察旅行と称した物見遊山?)までできれば、貴族みたいなもんだからね。きっちりとやるべき仕事はやっていただかないと困ります。

 この「やるべきことがきっちりできる」と思える人を選ぶのが、選挙なんじゃあないかと、私は考えておりますんですよ。自分の選挙演説会に有名タレントを呼んで、その人にヨイショさせるなんて手段は、どうなのかなあ(政治家が応援に来るのは、わかります。活動は一人ではできないことも多いから、助けてくれる同志が多い方が、大規模な活動が展開できるだろうし)。

 有名人たって、投票できるのは普通の人と同じく1票。ということはたったの一票なんだよね。どんなに自分のファンの人が応援演説をしたって、自分自身がその候補に賛同できなければ、投票はしないよ。こと選挙に関する限りは、有名人も無名人も、平等に1票ずつしか投票できないんだから。

 ま、事は東京都知事選なので、岡目八目。はるか岡山の空の下から、興味津々で見守らせていただきます。みなさん、頑張ってね!

2016年7月27日 (水)

この夏のケジメ! …BBQ計画…

 はい、よっこいしょっと。蒸し暑い一日でしたなあ。

 我が家の近所の山では、ツクツクホウシの大合唱ですよ。そろそろ夏のピークは過ぎようとしてるのかな。でもそうめんは美味しいし、冷えたビールなんか生命の水ですよ。冷奴の消費量も増えたままだし(私は、お豆腐が好きである。最近、一番美味しいお豆腐屋さんまで買いに行けないのが悔しい。お父さんの頃と代替わりしたとかだが、もしもお父さんとお母さんがいたら、「あんた、まだ生きてたの?」とか言われそうだなあ。長らくご無沙汰しているので。八月になったら、きっと買いに行こう。調べたらまだスマホの中に電話番号が残っていた。予約を入れて買いに行こう!ちなみに私がこのお店で一番好きなのは、お揚げなんだけどね)。

 八月になれば、今よりは少しは暇ができるんじゃないかと思っているのだが(それもこれも、今月の頑張り如何にかかっているんだけど)、海にも行きたいし、山にも行きたいし、温泉はもともと大好きなので、たぶん帰りに寄るのは当たり前だろうし。来月遊ぶためには、今月頑張っておかないと。

 そんでもって美味しそうなものがあったら持ち帰る。最近は自分で料理するのが面倒いと、すぐに例の台湾料理店に持ち込んで甘える癖がついてしまったので(偶然、その日に居合わせたお客さんの中には、ラッキーって思う人がいるかも)、昨年、一昨年のように「持って帰っても、一人で料理するのは面倒いなあ」と、遠慮することがなくなった(マスター、ご迷惑をおかけします!)。またいろいろ持ってくね。

 4月の終わりに、来日された師父、師母と一緒に行った時には、けっこう山菜がウケたし(あまりウケたので、次回は一緒に採集に行こう、などという話まで持ち上がった。はい、いい運動になります。一度崖を下ったら、二度と上りたくなくなることもちょくちょくありますし。山菜採りは、実は私のトレーニングを兼ねているので)、実はこの夏も、二つ三つ、密かに計画している。

 まあ、蒸し暑い気候なので、旨いものでも食って、英気を養うしかございません。(あ、そうそう、食材調達を一つ忘れていた。ある時に行かないと、ない時は手に入らないからなあ)

 それと、今となっては忘れかけている、今年の初めの計画。庭でBBQ(まだ蚊が多いけど。毎日相当数殺しているんだけどね)をやらないと。しかも一般のご家庭でやっているのと、少し趣向を変えないと(たぶん、ご近所様が大変よい匂いにつられて、何を食ってんだ? って話になるかも。もう少し雑草を取ったら、たぶんできると思うけど。おそらく1週間以内には、なんとかなるんじゃないかな。計画したことは、きちんと実行していなかいと。物事は流れ癖がつくと、何一つできなくなってしまうからね。「やる」と決めたら、少々無理でも「やる」。それがリズムを作る…蚊対策が問題だ。2時間なら蚊は撃退できるんだけど、それ以上になると保証の限りではない。ま、車検に出している愛車が帰ってきてからにしますか)

 もう、一人どんちゃん騒ぎをやりますからね! なんなら夏らしく、庭で線香花火くらいはやってもいいかも(一人で!… くそったれが!)。そのために、庭を広くしたんだし。(庭を広くした最大の理由は、稽古場を作るためですが)。先日、草枯らし紋次郎をやったから、もう少しで成果が出ると思うし(その時に刈った雑草が、まだ山積みされている。好天が続けば、量がどっと減るので、待っていたら、雨が2日も続いて降りやがりましたしね)。

 親友K氏には、「庭を直すたって、3年や5年はかかるだろう」と言われておりまして、まあそのつもりではいるんだけど、まずは何かでケジメをつけなきゃね。BBQはその象徴かもしれません。ぼりぼり考えよう(実はその前に、呑み会がいくつも入っていたりする。あ、ちなみに来月の『○○を語る会』ですが、一応今のところ20日…第三土曜日…の予定でございます。まだ内容については、何も具体的なことは考えてはおりませんが。今月の『鬼谷子交渉術』の導入は、まだ「うったて」にもなっていないし。習字で言えば、筆に墨をつけようか、どうしようかとしたくらいでしかございませんからね。「実戦」大好きの私から見れば、理論なんて土台も土台、礎石をおく地面の選定くらいのもんですよ。そういえば、ちょっと試しに実戦形式でお話したある人は、「何を答えても、全部あんたの期待した答しか喋れないじゃないの」なんて嘆いておりましたっけ。普段の私は、そんなイジワルなんかしませんけど。だって面倒いですから。本来私は、みんなが好き勝手言っているのを聞くのが、好きなんですよ!)

 ということで、今日も少ししのぎやすくなってきたみたいなので、ちょっくら本腰を入れて、自分の仕事でもやりますか!!

2016年7月26日 (火)

 なんだかよくわからないのに、嫌に蒸し暑い日だった。気温的には、大して高いとは感じなかったんだけど、だるかったなあ。とにかく何をするものだるかった。それでも怠惰な心に鞭打って、必死になってチャーちゃんの墓所に、簡易祭壇を作り、酒と塩を供えた。なんたってチャーちゃんが神様になったんだから。

 明日はチャーちゃんが神様になった祝いとして、私が健舞16式を奉納しよう。私はもう五十年は生きるので、そのための健舞でもある。それで足りなきゃ、型や套路は山ほど知っている。体力が続く限り、頑張ってみるだけだ。(型と套路では、若干意味合いが違うような気もしないではないが。ましてや舞となると、これはもうかなり異なる。こんなところで、こんな難しい話はしなけどね。また素面の時にでも…って素面でブログ打ってる時なんて、ほとんどないんだけど)

 だいたい「舞」って字はもともと、一人の人間が牛の尻尾を持って、踊り狂っている姿をあらわす象形文字だ(特に上の部分)。後に金文とか小篆では、踊り狂っている足の部分に、両足が逆方向を向いた「舛」が付け加えられ、さらにそれが楷書になって「舞」の文字ができあがった。

 この舛は左右の足が反対方向を向いていることを意味しており、踊っていることを強調した部分で、この部分には音はない。ようするに蟹股で踊っていたのだ。

 残念なことに私が牛の尻尾を持って踊ろうにも、そんなものは直ぐには手に入らない。しかたがないから手近なもので代用するしかないのだ。まあ「項荘剣舞、意在沛公(『史記』の項羽本紀で有名な、鸿门の宴」みたいに、ヤバい気持ちは持っていないけどね。

 おおむね草刈も済んだし(庭の表側だけだけど)、そろそろいろんなものを振り回してもいいんじゃないだろうかと思うので、素手とは限らないけどね。ま、型と違い、感情までもが籠って動きに反映されなきゃ、舞とは言えないんだけど。

 そのためにも、明日は少しくらいは快適な気候になってもらいたいものだ。型なら土砂降りの雨の中でも、(ヤケクソで)やってやれないことはないけど、舞はちょっとね。かりにやったとしても、湿っぽい舞になってしまう。きっとやった後で、「舞わなきゃよかった」って後悔するに違いないのだ(本当に上達すれな、土砂降りだろうがなんだろうが、それぞれの状況に合わせた舞ができるようになるんだろうけど。なにせまだまだ未熟者ですから)。

 ま、いずれにしても、明日はチャーちゃんのために舞を行います。チャーちゃんはネコだから、それにプラスして「虎」くらいはやろうかしら。(実は私は、「虎」は好きなんで。体格的に、虎が合っているのではないかと。お酒を呑んで酔っ払っても、虎にはなりませんけどね。そういえば母は、チャーちゃんと、その弟のロンちゃんに、お酒を無理強いしていたなあ。チャーちゃんはそれほどでもなかったけど、ロンちゃんは、幼いのに無理にお酒を呑まされて…母の口移し…涙目になっていたっけ。こんなのを虎というのではないでしょうか。ちなみに母は辰年でしたけどね。あ、ついでに竜もやりますか。虎やって竜やらなかったら、竜虎になりませんもんね)まだまだ下手くそだけど、奉納の舞なんで、そこんところは勘弁してくださいね(たぶん、チャーちゃんは「にゃあ」でOKしてくれるんじゃないだろうか)。

 今日は本当にだるかった。おかげで昼じゅう、何も手につかず、精神が集中しなかったけれど、これを打ち終わったら、少しだけ心を入れ替えて、頑張ってみよう(とは言っても、お酒ばかりが美味しくて、さっきからキーの押さえ間違いばかりしてるんだけどね)。

 明日は舞う。でも大好きなみゆきさんの、『一人ぽっちで踊らせて』にならないように、気をつけよう。一人ぽっちはもう当たり前なんだから。

2016年7月25日 (月)

ひさしぶりのチャーちゃん

 今朝、チャーちゃんに会った。久しぶりだった。チャーちゃんは、ちっとも怒っていなかった。「おい、チャーちゃんじゃないの? 久しぶり」 と声をかけると、チャーちゃんは「にゃあ」といって返事をしてくれた。

 不思議でしょ? だってチャーちゃんは半年前に亡くなったんだもの。人間に換算すれば90歳以上になってたのかなあ。私は(今も同じようなものだが)、自分が生きていくのに精いっぱいで、母みたいにチャーちゃんの世話を、細かいところまではみれなかったので、後悔はしてたんだよ。

 実は昨日、草ぼうぼうになっていたチャーちゃんの墓所あたりの草を刈ったんだよね。「ごめんな、チャーちゃん」と、語りかけたんだけど、さっそく返事してくれたんだね。でもよかった。毛艶もよくて、亡くなる前よりははるかに元気そうだったから。

 それを夢の中の話と言う人は言えばいい。(でもなかなか夢では、あそこまでリアルには姿を現してくれないように思うんだけど。毛の一本一本までが、見れば見るほどチャーちゃんだったんだ) 間違いなくチャーちゃんは、私の中で生き続けているんだよね。そしてもう一つ(もう一つとか、数えられる存在ではないと思うけど)のチャーちゃんは、立派に神様になったのかも知れない。

 ただ私に見えたチャーちゃんは、「お前、まだそんなことやってんのか」と、私を馬鹿にしてはいなかった。きっと私が今やっていることを、それなりに認めてくれているのだろう(これは、父も母も同じである)。まあ、私自身、良心に恥じることは行っていないので、孤独な生活ながら、救われている部分ではある。(ただ全力投球できているのかなあ? 唯一の心配はそこだ。なにせ根がぐうたらみたいなので)

 おかげで今日は、少し心が軽かった。チャーちゃんの墓所には、そのうち石碑を立てておくことにしよう。私の記憶からチャーちゃんが消えることは、たぶん死んでもあり得ないと思うけど、何か形にして残しておかないとね。

 人生は次の瞬間、どう変わるかわからない。突然忙しくなって、過去を振り返る余裕なんてなくなるかもしれないのだ。過去を振り返ることができる時は、しっかりと過去を見つめた方がいい。人生に無駄な瞬間などない。本人がその瞬間の意味を認識しなかった時、初めて無駄になる。

 過去をしっかりと見つめなければ、未来は見えてこないのかも知れない。まあ私は未来という言葉はあまり好きではないんだけどね。好きなのは将来って言葉。将来は、「将に来る(まさにきたる)」と書き下すことができるけれど、未来は「未だ来たらず(いまだきたらず)」って書き下しになるからね。「将」と「未」という文字の違いは大きいのだ。

 将に来る瞬間のために、今を生きるってえのが、私は大好きなんだ。どんなにぐうたらしているように見えても、きちんとその瞬間のための準備は怠らない。人間、そうありたいし、そうあるべきだと思っているよ。

 もちろん道草は大好きだよ。これは幼稚園、小学生の頃からの習慣で、「三つ子の魂百まで」なので、しかたがない。いやいや、仕方がないどころか、今のところ人生を豊かにしてくれているような気がしている。

 道草なんてものを無駄にするとしたら、その人間が、道草を喰った時に体験したことの意味を理解していないからだ。世の中、理由なく存在しているものはない。だからその理由に少し気づいてあげれば、道草はただの道草ではなくなる。

 道草が多いほど、いろんなことが味わえるよ。その時には怒ったり、悲しんだり、悔しがったりするけどね。それがまた、人生になんともいえない味付けをしてくれるんだなあ。

 こんな生き方をしてるから、半年ぶりにチャーちゃんが会いに来てくれたりするんだろうね。一緒に生きてた頃、よくめちゃくちゃされて怒っていたんだけどね。今朝のチャーちゃんの顔から、当時のことはちっとも気にしてないってわかって、とても嬉しかったよ。少し、心の荷物が軽くなって、明日も生きてやろうかって元気が出た。

     ありがとう

2016年7月24日 (日)

都知事選、見守ってますよ……

 月に2度も選挙がある(できる?)東京都民がうらやましい(?気の毒だ?)。世界中、テロだなんだのと大変な情勢なのに、見当はずれの演説をぶちかましている候補もいるようなので(21人も立候補しているそうなので、さすが、東京! と言いたいのだけれど。中にはずいぶん見当違いなご意見を吐きながら、マスコミ関係には大変に大きく取り上げられている候補さんもいるようで。マスコミさんは大変に優秀な人材がいっているはずなので、本当に内容のあることを仰っている候補に焦点を当てるか、本来の姿、どの候補もまったく平等に扱うって姿勢に戻られるかすればいいのにね)、私は同じ日本国内のことなのに、生暖かく見守るしかできません。……大学生時代なら、東京での選挙権があったのにねえ。ちょっと残念な気もする。

 まあ選挙演説の内容が、そのまま実現されることも、それほど多くはないと思うのだが、あまりに的外れなことを言っている人は、万一当選したら何をされるかわからないので、怖いけどね。

 ま、それはさておき、今日もよく働いた。哀しいことにこの労働では、一銭も入ってこない。それだけが気に食わない。しょうがないわはな、まったくの個人的な労働だったから。それでも疲労の具合は、公の仕事よりも多いくらいだ。(へっ、へっ、へっ、へっ…と、犬のように舌を出して喘いでいる? とても残念なことに、(想像上の)尻尾は振っていない…平井先生、つい真似をしてしまいました。ごめんなさい。何も嬉しくはないからだ)

 おかげでアイスコーヒーを2杯も(ジョッキで!)飲んじゃったよ。美味しかったけど。風呂上がりにもう一杯呑めば、3杯目だ。ま、これくらいで眠れなくなったりはしないから、そんなに心配はしてないけどね。

 ところがコーヒーの量が増えると、普洱茶が減る。普洱茶をアイスコーヒー風にしても、きっとおいしくはないんじゃないかなと思うのだが、一日の水分摂取量は増やしても限界がある。それを超えれば下痢(すんません。話題が下半身にいっちゃいまして)するだけだろうから。

 北大路魯山人がいうように、「味覚は栄養を保証する」わけで、そのとき美味しいと思うものが、身体にはいいと思っているので、夏はアイスコーヒーかな。

 それなりに理由はあるんだよ。漢方的には、夏は身体を冷やすのがよい。だいたい夏野菜なんてえのは、たいていが身体を冷やす働きがある(あくまで漢方的に、だよ)。ところが普洱茶とか紅茶は、身体を温める作用があるんだよね(あくまで漢方的にだよ)。だからきっと今は、身体が普洱茶も紅茶も受け付けていないんだろうね。

 ちなみに漢方的には、緑茶は身体を冷やす働きがあるので、夏場にはいいのだそうな。ただ高齢者には、緑茶の摂取し過ぎは、骨粗鬆症の危険があるので、一日3杯を超えない方がいいのだとか(何に3杯なのかは不明。私みたくジョッキで呑む輩もいるからね)。ま、緑茶も、本当に美味しいのは、大変に美味しいんだけどね(ちなみに日本の緑茶の最高級品は、中国の緑茶に勝っていると思いますよ。どちらも最高級品をもらって飲み比べしたけどね…私の財力では、とても手が出せないような超高級品を)。

 一番いいのは、クーラーを効かせた快適な部屋で、暑い中(東京は梅雨がまだあけてなくて、そんなに暑くないんだってね!)選挙演説をしている候補の姿を、ネットとかTVで見て、好きな飲み物をt片手に、無責任にあれこれ批判できる方が気楽かな。

「何言ってるんだ、あいつ」なんて思っても、私には選挙権はないからねえ。だって私は岡山県民だもん。ま、数年前に岡山でも、本当にどちらに投票していいかわからなくて(どっちもつまらないを通り越していた)、最終的に棄権したことがあったけどね(私の一生で初めてのこと)。

 あれこそ、「名誉ある棄権」だったと、今もって思っているよ(ことの次第は、その年の本ブログで述べたと思う)。立候補する人間はいなくっちゃあ選挙は成り立たないんだけど、誰でも立候補さえすりゃ、いいってもんでもないからね(今回の東京都知事選がそうだというのではありませんよ。数年前の岡山県知事選でのことだから)。

 有名人は選挙運動をする前から名前が売れているから、選挙では有利かもしれないけれど、有名であればそのまま政治に向いているかどうかというと、保証の限りではないから。

ま、東京都民の皆さまも、相応しいと思う方に投票されるでしょう。その結果、少しはまともな都政が始まるといいですね。遥か岡山から見守っておりますよ(これは熱烈に! 決して生暖かくではない)。あと一週間しかないんだよねえ、投票まで…… 

2016年7月23日 (土)

美しいバラには棘がある

 いや、朝晩はけっこう快適なので、昼間も…なんて淡い期待をすると、やっぱ夏ですな。きっちりと身体にダメージが来ます。今日なんて練習はやらないで、「草刈り」をしたんだよ。それも我が家の庭の表だけ(一人暮らしには、広すぎる? でもいろんなものを振り回したり、投げたりするから、十分広いってわけでもない)。

 途中でめまいがしましたよ(体重の減少を見たら、練習したのに近いくらい、体重が落ちていた。つまり今日の草刈は、生理的には練習したのと同じってこと?)。でもまあこれで、ようやく表の庭に「風の通り道」ができたので、明日はこの風の通り道を確保するために、草枯らし紋次郎化けする。(その前に、お魚くんたちの水替えをしなきゃ)

 いやあ、それにしても久石譲さんの音楽はいいですね。「風の通り道」も「海が見える街」も、はまりましたもん。(ちなみにCDは、私の右の肘から20㎝のところにある。つまりいつでも聴けるところにあるんだねえ。きっと、すごく気に入っているんだよ! まあ中島みゆきさんのみたく、いつだって机の上に乗っているのもあるわけで、こうなると身体の角度さえ変えなくても、すぐに再生できるってことだけど)

 風の通り道 → https://www.youtube.com/watch?v=f288vB6ACd4

 海の見える街 → https://www.youtube.com/watch?v=jJJHH_v9JMghttps://www.youtube.com/watch?v=W4Wv-OBwW4k

 音楽ってのは、とても素晴らしいもんだよね。古代では「神との対話」、現代では「自己との対面」だったりして。私にとっては、自分を解放してくれる、代えがたいものなので、音楽はいつも私のすぐそばにありますけどね。

 草刈りをすると、刈った草は一か所に集める。乾燥させれば体積が減るからだ。こうしてゴミ出しに出すんだけど、こまったやつがいる。どこかの国みたいに、我が家が私の、侵すべからざる領土だとわからない野良猫がいるのだ。

 困ったことに、いい加減草が乾燥して、「これでようやく袋に入れられるかな」と思って、ほんの数分目を離したら、草の上にこんもりと「フン」をしやがっている(しかもしたてのほやほや…お食事中の方、ご免なさい)。。上に何かをかぶせる程度の気遣いすらない(まあ、被せられても、ほかの問題が出るんだけど)。

 こういう時には、本当に猫に対して腹が立つ。よの中に猫好きは多いし、いまや猫カフェができたり、猫でTVの番組が作られたりするご時世だが、だまされてはいけない。あの可愛い、いかにも無邪気そうな顔の裏には、世にもくさい「○○」の害があるのだ(このほかにも、いろんな害があるけど)。

 私がほんの小さなガキだったころ、TVや映画の銀幕に登場される美人の女優さんは、トイレなんかいかないんじゃないかと思っていた(このおマセな、クソガキは!)。でも成長とともに、あの美人女優さんの、天女ではないかと思える容姿は、実は遺伝子の演出するマジックだということが、なんとなくわかってきた。

 猫なんていう生き物は、最初から遺伝子が、人に「可愛い」と思われるように作られているのだ(それでも、心底からの猫嫌いの人もいるけど)。それでやることが悪魔だとしたら、無邪気な顔の裏には、悪魔の所業が隠れていることも、知るのではないか(我が家には、猫の「悪魔の所業の痕」が、そこここに残されている)。

 美しいバラには棘がある。かわいいニャンこには……

 …ちなみに私は、そんな被害をこうむっていても、猫嫌いにはなれないでいるのだが…

2016年7月22日 (金)

ロシア陸上のリオ不参加に思う

 いやあ、今年の夏はどこの高気圧? まさか太平洋高気圧(小笠原気団とか、西太平洋高気圧とか、いろんな名前があるようで)じゃあないよね、と言ったのは、うちのクラブの事務局長N氏。

 たしかにN氏のご指摘通り、(少なくとも西日本では)わりと乾燥した空気が覆っているっぽい。ちょうどビアガーデンにはもってこいの感じだ。(湿度が高すぎると、汗が蒸発しないので、気持ち悪くっていけない)

 おかげでビアガーデンよりも、自分の練習の方に熱が入っていけない(酒も好きなんだけど、極限まで突き詰めたら、私は練習のほうが好きなのかもしれない)。今日なんか、気が付いたら真っ暗なんだよね。帰宅後、晩御飯を作るのも面倒いので、適当に店屋物で済ませた(とはいいながら、夏野菜オンパレードだった…健康的!。調理するのが面倒なので、生で食う…実はいちばん良かったりして)。

 とまあ、私はご機嫌(でもないのだが)な一日の終わりを迎えることができたのだが、ロシア陸連は大変だねえ。薬を使おうが使うまいが、かの国の競技力が世界のトップレベルであることは、疑う余地がない。

 女子棒高跳びのイシンバエワが、「偽物の金メダルととるがいい」と悪態つく気持ちも、わからないわけではない。もちろん勝負の世界だから、かりにイシンバエワが出場できたからといって、優勝できる保証はない。でも世界記録保持者が、まだ現役で競技しているのに、出場できないのは気の毒だ。

 もちろんドーピングはやってはいけない(すんません。これを打っている私は、アルコールを飲用しています。もちろんこんなアルコールの飲用の仕方では、万一競技しても、マイナスにこそなれ、プラスにはならないけどね。なんたって私はいま、とっても幸せな気分で、他人さまと競技などする気になれないからだ)。公正・公平は競技スポーツの原点だ(とはいっても、グッズの問題、コーチングや栄養の問題など、本当は公正・公平ではないと思うけどね)。

 さらには、競技者自身の健康に悪影響がある。(この関係の書籍をTさんに貸してあげたら、Tさんはそれを私に返してくれる前に夭逝された。私よりも2つも若かったのに。おかげでこの書籍は、私の手元には戻ってきてない。ま、「ものを貸す」ってことは、常にこういったリスクをもっているわけだけどね)

 ただねえ、競技者の本心を言えば、「死んでも勝ちたい」というのは、疑う余地がないと思うよ。本ブログでも何度も言ったけれど、「これを使えば、間違いなく勝てる」と言われたら、悪魔のささやきに、心が動くのは無理もないことだと思う。だって、世間一般でいう「真剣さ」なんか、はるかに通り過ぎているくらい「入れ込んで」いるよ。

 だからオリンピック本番で、ミスなんかを犯した選手に、心無い非難を浴びせる人がいたりするけど、「そんなら、お前、やってみろ」と言いたくなる。みんな命がけで努力しているし、その総決算としてオリンピックに臨んでいるんだ。(2020年東京五輪の実行委員長なんか、かなり反省しなければならないんじゃないか。自分がなんでもいいから、真剣に競技したことがある人なら、絶対に口にしないような発言は)

 中には悪魔のささやきに、心が動く人がいても、不思議ではない。だからこそ!周囲の人たちがしっかりしなきゃならないんだよね。「そんなことやっちゃいけない」とか「それで勝っても、それはお前自身の勝利なのか?」と言える人が、そばにいてくれるかどうかなんだよ。ドーピング検査でインチキする手助けをするなんて、言語道断の次元だ。

「連帯責任」とか「政治的問題」で、ホンモノの世界のトップレベルが揃えないところの悔しさは、見ているこちらにもあるが、競技者本人にとっては、「人生を否定された」ほどのショックだろう。

 こんな悲劇は繰り返してはならない。「幻のモスクワ五輪」代表には、私の知った人もいるけれど、競技者が参加条件を満たせずに出場できないのは仕方がないと諦めもつくけれど、それ以外の要素で参加できないなど、本来それこそがスポーツの原理原則から大きく外れている。

 このあたりはよく考えないといけない。もうリオデジャネイロ五輪まであまり時間は残されていないけれど、IOCももう一度考え直さなければいけない部分もあるんじゃないかと思いますね。

※ちなみに私は、ソウル五輪でベン・ジョンソンが失格になったとき、「これを薬物参考記録」にしてはどうかと、周囲の者に言ったことがある。「追い風参考記録」ならば、勝負の結果は尊重される(公認記録として残されないだけで。でも追い風2.0mと追い風2.1mの間に、どれくらいの違いが出るの?…最近の研究でも、特筆すべき差は出ないとされているけどね)。だが「薬物参考記録」は、勝負の結果にも反映されてはいけない。ただ、人間の肉体は、薬物の助けを借りれば、この程度の記録は出せるという、一つの証拠としてみればいいんじゃないか… 選手本人は、命がけでやったはずだから、せめてこの程度の扱いをしてあげてもいいのでは?なんて温情をかけたくなったりするんだよね。

 もちろんレースは白けるだろう。トップでフィニッシュした選手が必ずしも表彰台に登れるわけではないのだから。表彰式までにも時間がかかるだろう(ドーピングチェックには、ある程度の時間はかかるだろうから)。でも今の情勢で公正・公平を期すのであれば、これしか方法はあるまい。

 不正に厳しく対処するのは当たり前だが、競技者は大事に扱ってあげなきゃ。そうでないと、清廉潔白に、ドーピングの悪魔のささやきにも耳を貸さずに頑張っている競技者までもが悲しい思いをする。これは見ていて辛い。

2016年7月21日 (木)

真夏の夜の妄想?

 いやあ、いい天気ですな。屋外を歩いているだけで、するめかなんかになってしまいそうな気がいたします。…あぶってビールのアテに? ヤバいヤバい、人を喰った話は、危ないのでやめましょう。

 イカってえのはなんだって10本足になったんでしょうな。そんでもって、なんでタコは頭(腹)の部分はたいしておいしくないのに、足が主においしくて、イカは胴体(あれは頭には見えないわなあ)がおいしくて(というより、食べられる部分が多くて)足は食べるのが面倒くさいのかなあ。

 やっぱり生態が大きい? タコは海底を這うけど、海底を這っているイカなんか見たことないもん。使う部位は発達しますからな。上質の筋肉がつくんでしょうな。

 こういったやから…つまり頭足類(頭から足が生えている)…は、オルドビス紀には出現していたわけで、比較的安価に入手できる化石のオルトセラス(直角石)なんかもすでに5対(ってことは10本)の足を持っていたんじゃないかと言われているし、アンモナイトなんかも8~10本足説が主流でございますな。

 ところがどっこいっ! アンモナイトくんと外見がよく似ているオウムガイなんか、足(触手?)の数が90本もあるんだって(私は数えたことはないが。オウムガイは結構知能が高いのかなあ。餌やりの時、「お預け」をしたら、怒るんだよ。で、ぽこぽこ、ぽこぽこ追いかけてくるんだけど、このスピードがまた遅いのなんの。昔懐かしい『うる星やつら』のテンちゃんみたい…テンちゃんは諸星あたるに「ドンガメ」とののしられていたが)。

 不思議だねえ。今から何億年も前のものが、すでに10本程度の足だったのに、いまも「生きた化石」と呼ばれながら生き延びているオウムガイは90本という、自分でももつれてしまうんじゃないかと心配になりそうなほどの足をもっているんだから(イカ、タコhが10本、8本なのにね。タコの仲間には8本足が枝分かれして、100本オーバーになっているのもいるけど。けっこう気持ち悪いよ)。

 自然界、不必要なものはないはずなので、8本から10本という足の数にも、必然性はあるはずだ。もちろんそれはオウムガイにしても同じだよね。なにに使うんだろ?

 シーラカンスもそうだよね。なんであんなにたくさんの鰭がいるんだろ。背びれなんか3つもあるんだよ。尻びれば2枚に、胸鰭、腹鰭も2対ずつ、尾びれはさすがに1枚で合計10枚。どうしてこんなたくさん必要だったのかねえ。頭を悩ましてみるのも、また面白いかも。

 シーラカンス遊泳動画→https://www.youtube.com/watch?v=1LwExOTTvuE

 私は造化の神様は、あまり腕のよくない芸術家に似ていると思っているので、いろんな試作品をたくさん作った中から、失敗作はどんどんこわしていって(陶芸家みたく…これを淘汰って言う?)、うまくできたものを残していってるみたいに思えるんだけどね。

 何年か前、中国でカブトガニを食べたとき(日本で食べてら違法で捕まります、たぶん)、巨大な図体のわりに、肉が異様に少なかった(ついでにお世辞にも美味しいとは言えなかった)。ならなんであんな巨大な殻が必要なのかね? あれ、作品的には成功作なんだろうか。それとも幸運に助けられて生き延びているだけなんだろうか。

 夏はいろんな生き物に出会える。いろんな妄想が広がる季節でもある。もしかしてこれも「真夏の夜の夢」?

2016年7月20日 (水)

時間の怖さ

 井岡選手の防衛戦を見ていたので、何もかも遅くなってしまった。いやあ、いい挑戦者でしたね。21歳と若いし、いずれ世界を取る選手だと思いますね。こんな試合を見せていただくと、ファンとしてもうれしい。一日の終わりが、少々遅くなっても許しちゃう!

 その前に和気選手のも、敢闘精神は光ってたね。でも不用意に不用意なところに突っ立っていたり、なんでそこで横向くん? ってシーンが多かったような気がする。ハートの熱い、いい選手なんだから、こんな技術的なところを改善して、ぜひ郷土二人目の世界チャンピオンになっていただきたい。

 いずれも無理やりマスコミが作り上げた選手ではないみたいで、それなりにきっちり地力があったと思うので、今後の精進と活躍を期待している。(どこかのマスコミが無理やり作ったチャンピオン…それでも世界チャンピオンは世界チャンピオンなんだよ! 同じチャンピオンでも重さが違う気がするけどね。金のチャンピオンベルトと、アルミのチャンピオンベルトくらい違うんじゃないかね…の試合とは、見ていて気分が違うもん。やっぱ、マスコミには真実を伝えていただきたいよね。本物は本物で、紛い物はまがい物だと。でもメンツがあるから、なかなか本当のことは言えないんだよね。まるでどこかの国みたいだ)

 全体的に今日は不機嫌なのである。せっかく井岡チャンピオンが「さっすがやなあ」と思わせてくれたのに。というのは、途中まで計画通り日程が進んでいたのに、私の脳みそが突然「眠気」という油切れを起こして、自分の仕事のペースが上がらず、練習が半分しかできなかったからだ(稽古の部分はやった。汗みどろになった。だがトレーニングの部分ができなかったのだ。う~ん、悔しい。でもすべては私の脳みそが油切れを起こしたせいなので、誰にも文句は言えない…その辺の壁とかには当たりましたけど。昔みたいに分厚い合板のドアに、拳の形に穴を開けるなんて乱暴なことはやりません…旧悪露見す、てへっ)。

 それと月末の日程繰りで、少し悩んでて。人間、「ひとりぼっちで躍らせて!」(すみません、中島みゆきさんのこの歌大好きなんですが。研ナオコさんも歌っていましたっけねえ)とばかりはいかないし。特に私のように修行の足りない者は、不足を補うべく頑張るしかないんで。大切なモノや事は、誰か信用のできる人に学ぶしかないですもんね。自分勝手にはやれない。

 自分勝手にやっていると、自分ができるようにやって「あ、こんなもんだ」って自己満足の罠に陥ってしまうし。そうしたら何百年も先人が伝えてきたものは、この段階でパアだよね。これって先人に対して、すごい失礼だよ。

 人は一人では生きていられない。水平方向でも、いろんな人たちとのつながりで生きているけれど、時間という縦の流れの中でも、父母がいるから自分がいる。祖父母がいたから自分がいる。技とか身体運用でも同じだよね。多くの有名、無名の先人たちが伝えてきた文化なんだから。

 基本、私は文化を学ばない人間には、その国や地域のものは、本当には学べないと思っておりますな。だから歴史や文化にまで足を突っ込んだわけだし。

 本物を学ぶには、時間も労力もかかるんですよ。で、今日はその予定の半分しかできなかったから、機嫌が悪いの。せっかくボクシングの素晴らしい試合を見たのにね。

 う~ん… 途中で脳みそさえさび付かなければ。脳みその556が手近にあれば… 今更公開しても、失った時間は戻らない。これが時間の怖さというやつだ。

2016年7月19日 (火)

暑いときは冷たいものがいいんだよ

 ああ、おいしっ! だんだん、昔、自分が淹れてたアイスコーヒーに近づきましたよ。食事の後の、一杯のアイスコーヒーがありがたい季節になりましたな。(ただし、私はいつもジョッキ一杯、アイスコーヒーを入れるので、美味しくないと最後まで飲みきれない)

 昔、職場であった話。私にも当時は部下といえるような人がいて、夜遅くまで頑張っていたので、「おい、アイスコーヒーでも淹れようか」、「はい、お願いします」(わが職場では、お茶くみの人なんかいなかった。気が向いた奴が淹れるのだが、そのついでに仲良しには声をかけるのが一般的だった。すごい人間関係がわかりやすい職場だね…僻むやつがいたかも。なんせ私が上司だったのだから…笑)。

「どれくらい要る?」、「一杯で結構です」 というわけで、私は知り合いの焼肉店(もうこの店は無茶苦茶おいしかった。ここから分かれたのが錦水である)がイメチェンするときに不要になったジョッキをいくつかもらっていた。その中から大ジョッキ(私も愛用していた)を取り出して、遅くまで頑張っている後輩のために、心を込めてアイスコーヒーを淹れた。

 机に持って行っても、この後輩は見向きもせずに仕事を続行している。「おい、淹れたぞ」、「はい」。相変わらず無視である。「見なくてもいいのか?」 それで奴はようやくジョッキを見た。一瞬絶句して、次に「これは一杯ではなくて、いっぱいですよ!」。  日本語は面白い。

 まあいろんな思い出はあるが、やっとあの頃の味に近づいたかなあ。大ジョッキ一杯飲んでも飽きない味だったんだから、実は私はひそかに誇りに思っている。いや、けっしてイジメのつもりはなかったし、味だってそんじょそこいらの喫茶店には負けてなかったはずだ。

 昔から私はこんなことが好きなんだよね。いじめなんて滅相もない。そんなことにコーヒー豆を使ったら、コーヒーの罰があたります! 食材は粗末にしてはイケマセン。日本は「いただきます」と「ごちそうさまでした」の国なのだ。(諸外国にはこういうのは少ない…私は知らない)

 本ブログでも、学生時代コーヒーに凝った時代があるということは、時折、触れた。今では中国茶にも食指を伸ばし、いいお師匠さまに恵まれたので、こちらでも一家言たれるとうになってしまった(まあ、漢方の一種だと考えているし)。それに美味しい中国茶は、本当に美味しいよ。さらにお茶漬けは食えても、コーヒー漬けは食えそうな気がしないもん。

 人は私を「凝り性」と呼ぶが(私自身も決して否定はしない)、まあその時代とか、その環境で、好ましいものを追求したのは確かだ。

 松田優作さんのTV版『探偵物語』が放映されていた頃、実は私も、手動ミルでグリゴリガリガリと豆を挽いて、サイフォンで淹れていた。探偵物語最終話『ダウンタウン・ブルース』…ちなみにこの作品、私の大好きなものでもあるんですけどね…で公開された、工藤俊作ブレンド、キリマンが2でモカが1でブルマンが3というのも何度も試したけど(これが凝り性でなくて何だってえの? もっともこれはコーヒーに凝っているというよりも、工藤俊作に凝っていたという方が正解かも)、私的にはモカ単品とかブルマン単品の方が美味しく感じられたけどね。

 味は純粋なほうが好きだ(お茶の師匠、Mちゃんと、このあたりはよく似ている)。あまり混ぜないほうがいい。とかなんとかいいながら、大学時代はカクテルにも凝った。お酒の味というよりは、あの華やかさかなあ。「男は黙って、○○ビール…私の一番好きなメーカーである…」の三船敏郎さんの影響は、たぶんなかったと思うけど、お酒って当時は、純粋にお酒の味を楽しむか、憂さを晴らすためのもののように感じていたからね。(基本、どんちゃん騒ぎは、好きではなかった。後に、どんちゃん騒ぎも嫌いではなくなったが)

 今は一人の生活なので、カクテルの腕を披露することはなくなったけど、それでも必殺ともいうべき「これを作ったら負けない」というものもあるよ。おかげでよく飲んだ大学生活だったなあ。

 ま、夏はこんなことをするか、できなかったら、懐かしく思い出す季節なんだろうね。

 …ということで動きたくなかった一日なんだけど、気が付いたら意外に頑張っていたみたいで、三日分くらいの分量が前進していた(明日にもいくらか残っているが)。動くときって、「さあ、動くぞ」ってんで気負ってやるよりも、今日みたく、ここであれやって、あそこでこれやって、こっちにまわってこれやって…って、道順みたく決めていると、案外前に進むね。暑い時にはあれこれ考えるのが嫌だから、こうやって計画立案の段階で「流れ」を作っていくのが正解みたい。

 おかげで今頃は、ジョッキにアイスコーヒーを淹れて楽しめるって寸法だ。やっぱ、暑い時には、熱くならないでできるように、計画を立てるのがいいね。で最後の〆がアイスコーヒーだなんて、暑い時には冷たいものに限るって、絵にかいたようなパターンだわ。

 ということで、明日は朝からキリッとした顔をしなければならないので、今日は夜更かしはしないようにしよう   ……無理か…やっぱり。

2016年7月18日 (月)

グッピー遠征隊

 夏ですなあ。まだ気象庁は梅雨明け宣言しないの? 私はセミさまの声を聴いたときに、「おっ、梅雨明けだ」と、さっさと夏認定しちゃいましたけどね。するとT氏いわく、「まだ梅雨前線残ってます」 私の答え。「セミは天気図読めねえもん」

 天気図は気象現象を解明するために人間が作ったものでしかない。本来自然界にはそんなものは存在していないのだ。人類が誕生して、天気図なんか作り出すはるか前から、セミは天気図なんかに頼らないで、梅雨明けの知らせてくれていた。だから私はセミの方を信じるのだ。

 もう少し科学が進歩して、セミの感覚に追いつけば、今の天気予報よりももうちょっとはましな予報が出せるんじゃないかと、私は科学の発達に期待している。どこかの誰かみたいに、「それみてごらん、天気予報なんか、セミみも勝てねえじゃん。やっぱ科学なんてあてになんねえ」とは言わない。

 私は野生の生物を尊敬しているもん。人類が文明の発達とともに失ったものを、まだ持っているからね(ペットはかなり鈍いよ。今までいろんなペットを飼って、天然現象が起こるたびに相関関係を調べようと試みたけれど、人間の世話になって、のうのうと暮らしているペットは、かなり鈍い。人間とさほど変わらないレベルだ。犬も猫も魚ですら、たいして変わらなかった…ナマズは試していない。だってナマズってめちゃ餌食うんだもん。ビンボーな私には、ナマズのような外見のものに…好みの問題…大金をかけるわけにはいかない。慣れるから、可愛いことはかわいいんだけどね)

 ここ二日ほど、やたらと蚊の元気がよい。もちろん私の身体を2か所噛んだら、おそらく百匹近くが死んでいるはずだ(私の蚊に対する憎悪の念は、それはそれは強い。ハエも蚊も嫌いだが、中でも蚊については許せない。蚊の自然界における役割が理解できない。ハエは、いくらかは理解できるけど)。

 そろそろどこかの水たまりにボウフラが沸いているはずだから、グッピーを放して一網打尽にしてやろう。これで陸(隊長は私)と水(隊長は不明だが、隊員はグッピー)での、対蚊防衛網ができあがる。何年か前、グッピーがどれくらいボウフラを食べるかというのを本ブログで紹介したと思うが、そりゃあもう恐ろしいほど食べる。

 私が一か所かまれる50倍は蚊を殺しているとしたら、グッピーは噛まれることなく私の何倍(下手をすると十倍以上も!)ボウフラを食べるのだ。そして秋になれば、見事に発色したグッピーの群れが手に入る(太陽光の下で、天然の餌を与えると、ペアであれば食べるだけ食べて、太るだけ太って、生めるだけ子供を産むからね…野生種でなくても大丈夫。ただし野生種くらいしか数を生まない…野生種はさほど多産ではない)。一挙両得である(面倒なのは、室内の水槽に回収する作業だけど)。

 梅雨が終わったと確信しているから、グッピーの遠征部隊を選抜しようかと思っている(梅雨が空けないうちに屋外に出すと、急激な気温変化…特に低下…の際に、白点病に罹る危険がある。白点病は中型以上の魚ならちっとも怖い病気ではないけれど、小型魚にとっては全滅の危険がある)。

 実は今、この遠征隊の子たちを秋に回収する水槽を準備するために、水槽を一本準備しつつある(なんとレイアウト水槽にする。もともと私はレイアウト水槽からお魚の世界に入ってきたので、レイアウト水槽はお手のもの、という気軽さがある)。ここに玄関脇の太りすぎたタナゴを移転させ、玄関脇の空いた水槽を、回収したグッピー水槽にするつもりなのだ。やりくり算段である。

 この水槽を準備しているときにも、蚊が刺しにくる。しかも両手がふさがっているときに限ってだ。もう私は激怒の塊である。ぜったいにグッピー遠征隊を、遅くとも今週中には編成して派遣してやろう。隊長は誰かわからないけれど、総司令官は私だ。

2016年7月17日 (日)

実践にまさるものなし

 今朝はおなかがすいて目が覚めた。昨夜は大変よい酒で、みなさんお世話になりました。家まで送ってくださったM先生、Mご夫妻、途中で寝てしまったSくん(疲れてるもんね、よくわかるよ)、みなさんありがとうございました。

 目が覚めておなかが落ち着くと、頭が鬱陶しかった。こりゃ、そろそろ散髪にでもいくべえと、散髪屋さんに行ったら、なんとお休み。はああああああ~~~… ま、いいか。増えることはあっても、減ることはないんだし(たぶん)。

 ということで、本日は4月の頭からとりかかっていた、言ってしまえばショーもない実験について(三か月半かかりましたわ、結果が出るのに)、ご報告を。

 ことの起こりはいつだったかの我々のクラブの練習日(だから、間違いなく木曜日なんだが、正確な記憶はない)。事務局長N氏と話をしていて、ひょんなことから「トウモロコシのひげって、全部があのひとつひとつの粒につながってるじゃん。なら、もしもあのひげの一本だけしか受精しなかったら、いったいどんなトウモロコシになるんだろうね」という話になった。

 人間は大脳の発達した生き物だから、ある程度までは想像できる。だが想像したことが、本当に当たっているかどうかは、やってみなければわからない。私はよく思う。世の中、実践より尊いものはない、と。ほんならやってみるべえと、腰が重たくならないで動くところが、私の軽いところだ。

 この時点で私は、きっと巨大な丸い粒は一個だけできるんじゃないだろうか、と予測していた。球形というのはつり合いのとれた形(内圧と外圧が釣り合いやすい)であり、周囲になんの制限もなければ、物体はたぶん球形に近くなるはずだ。構造上半球形、すなわちドーム状になるのではないかと考えた。

 ただこんなバカなことを、大真面目にやった人は、残念なことに私の周囲にはいなかった。答えがないのなら、自分でその答えをみつけちゃおう!というのが、私の基本的な姿勢なのである。

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 四月のアタマ、近所の某ホームセンターで、ピーターコーンの種子を購入し、植えた。一週間ほどで発芽が始まる。(日付は、写真右下を参照のこと)

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 人間も個人差というのがあるが、トウモロコシもピーターコーンっていう名前の固定された種で、遺伝的には同じであるはずなのに、早く発芽するやつもあれば、のんびりさんもいる。中には拗ねて、最後まで発芽しなかった奴もいた。

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 この苗が適当な大きさに育ったので、路地に下した。目的は「食べること」ではなく、「ひげを一本にしたら、実はどうなるか」を調べることだ。だから発芽した苗を、そのまま全部植えて、間引いたりはしなかった。これは私の今までに経験から、「最初伸びがよくないように見えても、いつそいつが化けるかわからない」と思ったからだ。

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 どれくらいの速さで成長しているのかわからなかったので、真ん中あたりに塩ビ管を立てて目印にした。地上50㎝くらいである。まだまだこのころは、トウモロコシの成長のすごさを知らなかった。

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 でちょいと中国で1週間ほどほっつき歩いて、帰国してみるとこの状態である。おいおい、予想をはるかに超える成長速度だよ(一日雨が降ると、少な目に見ても10㎝は伸びていたような気がする)。

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 そうこうしているうちに、茎の先端に、こんな雄花がついた。

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 さらにそれを追いかけるように、雌花のひげが伸び始めた。この瞬間思ったね。一本だけ残して、ほかのものを取り去るのは不可能に近いって。髭はあんがいしなやかで強い。しかももつれていて、どれがどれかよくわからない。しかたがないから「散髪」してやることに。

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 こういう具合にですな。ところが散髪していると、蚊がやってきて煩いことうるさいこと。仕方ないので、一本だけひげを残す計画はあきらめて(要するに、隣に実ができなければ、どんな形になるかを知りたかったのだ)、この状態をキープすることに。

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 ところが驚いたんだねえ。散髪しても散髪しても、次の日になったら髭は元通り(に見えた)。頭髪がさみしくなった人が見たら、間違いなくうらやましがるだろう。この段階で真剣に、穴をあけた袋をかぶせて、一本だけ穴から表に出してやろうかと。ところが雨天が多かった(しかも、かなり気合の入った降り方が続いた)ので、蒸れない紙袋はなし、紙袋なら雨で敗れるから、この案は却下。

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 もうこちらも根性を入れて、毎朝散髪を続ける方法をとった。最初に切ったひげを、翌日切ったひげが同じなのか、違うのかは、この段階でまったくわからなくなってしまった。

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 それでも無事に? こんなふうに実り始めた。間引かなかったので、一本のトウモロコシの茎に、平均して2個、実がついた。

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 そして第一次の収穫(まだ全部が実り切ってはいなかったので)が上の写真。雌花のひげを丹念に散髪し続けたのは、おおむね右上にある寸詰まりのやつである。

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 で皮を剥くとこんな具合。どうやら半球状になるのではないかとの予想は、あまり外れてはいなかった。大きさもノーマルのものよりは、一粒一粒は大きそうだ。

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 これは散髪をしなかった奴ね。びっしりと詰まるから、一粒一粒が四角になるんだね。

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 これを見ると、もっとわかりやすいかなあ。でも大きさは2倍はありそうにない(私の予想では、もっと大きくなると思っていた)。しかも受精できなかった胚珠は弱いのか、結構虫の害を受けていたり、すでに腐ったりしていた。

 遺伝的には、完全に同じ遺伝子を持っているはずなのに、環境によって発現形質は、こんなにも変わるんだよ。やっぱ、環境は大事だねえ!

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 しかもこんなふうに、茶色に変わっていくべきのひげが、まだ白いままだ。おそらく自分の果たすべき仕事を果たせなかったので、「こんなところで変色してたまるか!」と頑張っているんだろう(なんだか、私の身につまされる話だ)。そして下の写真では、受精できなかった胚珠おあるところが、レッドキングの鱗よろしく並んでいる(いにしえのウルトラマンファンにはお分かりいただけるか?)。

 問題はお味のほうだ。Sくんはすでに食べてくださったようで、感想をくれた。ひげを切ったほうは大きくても、一粒では味がわからず、皮の中が充実した感じではなく、ぺちゃっとしているだけで、美味しいとは言えなかったそうだ。

 次回からトウモロコシを作ることがあっても、今度は散髪なんかしないで、普通に作ろうと思う。たぶん作らないと思うけど。

2016年7月16日 (土)

さあ、食うぞ~っ‼

 あ~あ、琴奨ギガなんてやっちゃってるから、もう…… って言われちゃうんだよね、きっと。私は日本人力士に頑張って欲しいので、「う~ん……」って唸ったままだったけど、今場所はどうにもよろしくありませんな。犬は真っ白でも、白星にはつながらなかったようで…

 某メーカーの、丼に例のワン公が乗って出てくるのは、置いといて(国が国なら、食われちゃうところだぞ…って、食べるところもなさそうだけど)。あんまりあのままシリーズ化して、ずうっとあのCMに出るとも思えなかったし。(じつは秀作そろいのあのCMなのに、あれはあまり面白くなかったというのが私の本音)

 乗せられると、いい時はいいけど、よくなかったら… 私のような臆病者は、そこを一番に考えちゃう。

 とは言うものの、今日はこれから「呑み」である(正しくは『○○を語る会』…○○については、参加した人が、適当と思える言葉を淹れてください)。天気はめちゃ晴れでなく、雨でなく、ちょうどいい感じだ。

 さあて、マスターが腕によりをかけたのを「食べ放題」っと。食うぞ~っ! と朝から気合を入れて食事を制限していたら、あまりに空腹になって、とうとうカレーパンを一つ食っちゃった。あまり空腹にしてしまうと、胃袋が縮んで小さくなって、あまり食べられないからねえ。

 何事も我慢のしすぎはよくありません。欲望を解放しっぱなし、というのもちょっと(というか、だいぶというか)問題はあるけれど、我慢のし過ぎは後悔と欲求不満しか残りません。適当に欲望は解消してあげないと。誰よりも自分のために。

 ただ適度の我慢は、期待していたものの価値をより高めてくれるからなあ。だから適度に我慢、適度に欲望の解放ってのが大切なんだろう。修行僧みたいな暮らしを続けたいのなら、出家して世俗と縁を切っちゃえばいいわけだし(費用がどのくらいかかるのか知らない。一度知り合いの僧侶に尋ねてみよう)。

 まあ、気温もさほど高くなく、湿度もこの季節にしては上々だ。今日なら中国みたく、「路上で飲め!」と言われても、我慢できる(ちゃんと席はリザーブしておりますので、屋内でいただきますが)。あああああ、楽しみだ~っ!

 で本筋の『○○』は何を語るのか。食うことばかりにかまけるんじゃないだろうな?って心配はございません。ちゃんと準備までしております。おそらく日本で出されたどの鬼谷子の本(まだ数は少ないけれど)よりも実戦的で、わかりやすく解説したものを(もちろん、ほんの一部分だけど。全部やったら何か月もかかるし)。

 基本的に私は、楽しいことは後に残すタイプなんですよ。動物は旨いモノから食うタイプが多いですが。ま、野生では、食べられる時に食べておかないと、突然何がやってきて奪われるか、わかったもんじゃありませんからね。

 それに比べたら人間の生活は、まだましだ。好きなものを後に残すも、楽しいことを後に回すも自由だし、だいたい岡山には『後楽園』という公園があるくらいだし。

 さ、ブログも今日の分は打ったし、後はシャワー浴びて、パンツ替えて、呑みに出かけるだけだ。食うぞ~~~っっっ‼

2016年7月15日 (金)

またまた出ました、親父ギャグ!

 はい、しのぎやすい一日でした。この夏が、だいたいこんな感じでいてくれると、私は大助かりなんですけどね。公式には岡山市の最高気温は28.1℃でしょ? 私の体感的には30℃くらいだったけど。夜になると涼しく感じるくらいだから、きっと体力の回復期に入ってると思うよ。

 暑い日で32℃、こりゃかなわん、という日で33℃(一年に5日もなかった)というのが、私が気象観測班長を務めていた小学校時代だ。せめてこの頃(泣きながら手紙をちぎった記憶はないが…)に戻ってほしいと思ってるね。これぐらいなら人間、どんどん動けるもん。

 おかげで今日は、着替えは3回で済んだ。有難いことだ。(私はわりと神経質に着替えをする方である。汗で衣服が身体にくっつくって、不快なだけじゃなくて、動きが制限されるじゃない。だから嫌なんだなあ)。

 それでは全裸でいればいいではないかと仰る方がおられるかも知れないが、全裸になるほど肉体的な魅力に自信はないし(昔、胸周りにあった肉が、今は重力にまけてお腹周りについちゃったから)、本来衣服というのは出会う人に対して礼を失しないという意味もあった。魅力的な女性が、肌を露わにするのと、私のようなものが裸になるのとでは、まったく意味が異なるし、次元が違う。

 なので人前に出るときは、最低限度その場の要求を満たすような出で立ちで、というのが私のポリシーである。主催者の顔に泥を塗ってはならないし、同じ場におられる方々に、不愉快な思いをさせてはいけない(もし不愉快に思われる方がおられたら、ごめんなさいね。万一こんなことがあったら、一匹刑事コロンボみたいなのが紛れ込んだと思ってください)。まあ私は日本人だから、基本、他人の気持ちを大切に思う。

 道徳って言葉を産んだ国だって、今じゃあよそ様のことなんか顧みもしないで、てめえの主張ばかりを振り回す時代だし、やれメンツがどうのこうのと(面子を言いだしたら、道徳なんて構っちゃいられなくなるんだけど)うるさいことうるさいこと。

 でも人が煩いとか、迷惑だとか思っているかも、なんて迷いが出たら「道徳」なんて無視して、好きなことができないもんねえ。やれやれ……(道徳について詳しく語り合いたければ、私が趣味でやっている『○○を語る会』…ちなみに明日もやりますが。これは会場の都合もあり、明日は午後9時以降でなければ、屋根があるところへは入れません…にでもご参加ください。徹底的に、根底から、所謂海外からやってきた道徳と、わが国本来の道徳との違いを論じましょう…決定ではないよ。あくまで論じ合うということで。でもたぶん、大いに納得されるんじゃないかと思いますけどね。同意して仲良くなってしまうかも知れません。考えは議論することで深く、広く、高くなっていきます。議論して潰されてしまうのは、依って立つ基盤が脆弱なためです。議論すると負けそうなので、力や数、あるいは大声に頼ろうとすれば、どこかと同じになってしまいます)

 昔々、「人の迷惑かえりみず、やってきました電線音頭」ってえのがありました。あれはよかったねえ。あまり人の迷惑にもなってなかったし(どころか、歓迎されてたりして。そこを「迷惑かえりみず」っていうのが日本人の良さかも。あまり外国には見られない風景かな)。

 あれはお祭りみたいなもので、祭りったら多少は迷惑がかかっても、「まあ、祭りなんだから」って許容されるものだった。ところがある団体や個人だけが勝手に祭り気分で、周囲が祭りでなかったら、周囲の人々はずいぶん迷惑を感じたもんだ。

 このあたりを察して、うまいところで撤退するのが、日本人の美徳だったような気がいたしますね(最近は、これもかなりヤバくなっている気がするけど)。それは誰も教えないからだ、なんぞという人がいる。でも教えられて憶えたものかなあ。

 なんとなく、これやったら悪いんじゃないか?ってのが、普通に心の中に浮かばなかったっけ(「心の中」と「に」の間で、蚊を一匹殺した。「これをやったらきっとあいつは怒るぞ」というのがわからないで、蚊が私の足に止まって吸血行為を働いていたからだ。こういう行為に及ぶ輩は、叩き潰されてもしかたがない。その証拠に、今私の右の掌と左足の甲の間で、蚊がペッチャンコになっている。なぜペッチャンコになっているか? 蚊にはものの道理を説いてもわからないからだ。なぜ道理を説いてもわからないか? 価値観が異なるからだ。奴らの価値観は、とにかく血を吸うのが最高最大最善の価値ある行為だ。それがこちらに痒みを伴う迷惑になるなどとは考えてもいない。後はこちらの気分次第だ。このやろう!と、相手が虫だけに、「虫の居所」が悪ければ叩き潰される、それだけのことで、相いれない価値観を持つ者どうしの間では、しょうもなく繰り返されることなのだ)。

 こんなことは、人は自分で身につけるもんだよね。ま、古代哲学的に言えば、荀子が解いた「礼」がだいたいこんなところか(ちょっと違うけど、雰囲気的に)。ところがそれでも「やったもん勝ちだ~。へっへ~ん」なんて言ってた連中が多かったから、「いやあ、人の本性は悪なんだから、法で規制しなきゃ、いつまでたっても世の中よくならないよ」って登場したのが韓非子なんかの法家思想なんだよね。

 今、世界中が法治国家を標榜している。でも法治ってのは、人は本性が悪だから法で規制しなきゃ、といって登場してきた考えなんだよ。つまり現在の世界はどの国も皆、人の本性は悪ってことを認めているってことになるんだよね。(法の性質は、韓非子の昔と現代では、根本が変わっている。第一、韓非子なんかは君主のための法であるとしたのに対し、今では人民のための法だし)

 だからみんなで決めた法を破るってのは、自分は悪の本性を現しますよ~って宣言しているのと同じなんですよねえ。法に従わないってのも、私は悪の本性に従って、欲望のままに生きるんだ~って公言してるのと同じなんだよねえ。

 あ~、面白。いくら優秀と思える人たちにだって、灯台下暗しになることは、案外多いんだよね。大正デモクラシー(たいしょうでもくらしー)は歴史で習ったけど、灯台下暗し(とうだいもとくらし)は、そこいらじゅうで見たり聞いたりできるんだね~。

2016年7月14日 (木)

楽しみは後がいい

 まあ、よいお天気ですこと! と思ったら、暑い、あつい。そして「夕立、くるぞ、くるぞ」という雲の流れ。セミくんたちが言うように、それそろ本格的な夏らしく、積乱雲も発達し始めましたな。二度ほど、パラっときましたな。

 生意気なことに、夕方から夜にかけて鬱陶しい蚊が、真昼間には出てこないでやんの。そんな根性で生きていけるか!とカツを入れたくなったので、近いうち殺虫剤を買ってこよう。昼間涼しいところで避暑しているやつを、一網打尽にして、夜を快適に過ごしてやりませう。

 庭では植えたサギソウが、ぽろぽろ咲き始めましたよ。(サギソウって涼し気な花だけど、めちゃ暑い時に咲くんだよね。涼し気な花、でも咲くのは盛夏。気分は涼しげでも、肉体的には倒れそう…)

 こういう時はグッと一息で、冷たいビールでも…と思うけど、楽しみは後にとっておかなきゃならない。夜、何もかも一日の仕事が終わって(私の場合は、夜からが気合が入るんですけど。どうして日付が変わるあたりから、元気が出るんだろう。気がついたら午前3時より早いってことはないよ)、ゆったりと落ち着いて呑むビールは、最高だからねえ。

 でも最近はビールでのどを開けたら、じっくりと「冷やした日本酒」を呑んでおります。美味しいねえ、最近の日本酒は。日本に生まれた幸せを感じさせてくれますよ。まあそれも、昼間流した汗に比例する?のかも。(汗っても、冷汗はあまりよくないみたいですけど)

 アテは何でもよろしいが、私はよく夏野菜とか海鮮で、あっさりと呑りますな。それもあんまり手のかかった料理ではなく(暑いので、作るのが面倒臭い)。そろそろ炎天下冷奴先生の出番でげすよ!(ちなみに私は夏には、奴をよく冷やしておいて、ミョウガのみじん切りと鰹節でいただくのが好きですな。それに『徂徠豆腐』なんか聞きながら、一杯やるのは、なかなかよろしい…あと、よくうとうとしますが。 あ、豆腐ではないけれど、豆腐に近いネタでは『ちはやぶる』なんかも好きですけど、こちらは「ちはや」と一緒に、水をくぐったりして(私は夏には、一日に何度「水くぐる」か、わかったもんじゃない)

 実は私は古典落語もけっこう好きなのだ。(「隠れ落語ファン」) あれは日本の伝統話術(もちろん庶民の!)の粋なので、聞いていて、なんとなくほっといたしますからな。

 昔は今ほどは暑くなかったんだろうけど、夏の夕方(もちろん日が沈んで)に、一畳台な何かの上で浴衣なんか着て、スイカでもかじりながら、よもやま話をしたんだろうなあ。みんな手に手にうちわなんかもってさ。足元には蚊取り線香なんかが煙りだしてて。

 もうTVの中くらいでしか見ることができなくなった光景だよね。昭和は遠くなりにけり…ってか。

 と驚いたのは、陛下が生前退位されるとかという情報が、昨夜あたりから流れ始めた。ご健康面での問題も、くわえてご高齢であらせられる点を考えてみても、ご無理を重ねられておられるのではないかと察しておりますので、(正式発表ではないので、何とも言えないけれど)陛下のご意思が一番だよねえ。

 でも陛下は周囲の方々が察して動いてあげないと、きっと無理を承知で動かれる方じゃないかと思うんだな。あれほど国民のことを思って動いておられる方はおられない。今の日本は、素晴らしい象徴を戴いているものだと感謝しておりますよ(少なくとも私は)。

 おそらくは我々の知りえない事情がおありなんだと思うし、それについてあれこれ詮索したり、論じたりする気もございませんが、どうか最善の結論を出されますように。

(世界中で、災害があるたびに、事故があるたびに、国民のことを気にかけてくださる方が、世界中にいるだろうか。それもご公務の合間を縫ってだよ。普通あの年齢になったら、一般の健康な人でも、大変にしんどいと思うよ)

※ ということで、16日はいつもの場所で『○○を語る会』でございます。久しぶりに自分で翻訳、解説した『鬼谷子』を読み直していたら(要点はみな憶えておりましたが、枝葉の部分はよく忘れておりましたなあ)、昨夜(正確には今朝)遅くなったので、すでに眠とうございます。でも今日はこれから、練習だあ。さあ、汗かくぞ! そして帰ったら冷酒だ!

2016年7月13日 (水)

ワイルドやなあ…?

 はい、どっこいしょっと!(PCの前に座ったときの、掛け声。掛け声かけなきゃ、椅子にも座れないとは、情けない……)

 夕方、鬱陶しい天気が好転し始めたので、動いた。風がけっこう強くて、気温はそれほど高くなく、まあ気持ちいい(? こともなかったけど)範囲かな、夏としては。夏は「決死の覚悟」をしないと動けない日が多いからねえ(ま、冬の服装でやるから、慣れない人だと倒れるかも。あきらかに熱中症狙いだからね…だいたい夏の屋外で行うスポーツなんて、程度の差はあれ、みな熱中症になるためにしているようなもんだからね。それでも四季のある日本で暮らすには、夏にはある程度は熱中症耐性が必要なんですね、誰でも。だから私は、あえて熱中症耐性をつけるトレーニングをするですよ)。

 決死の覚悟で始めた練習も、何日か経過しているうちに、耐性がついてくる(熱中症を侮ってはなりませんけどね。一度かかると、次はかかりやすくなるような気がするし…たぶん回復しきっていないのかな)。すると人が暑さのあまりぼんやりして、思考力も注意力も鈍っているときでも、自分は比較的普段と同じような思考力とか注意力とかが維持できますからね。こんなんで勝負が決まることだってあるんだよ、きっと。

 まあ一般的な熱中症対策マニュアルは頭の中に入っているし、私だけのスペシャルメニューもあったりするので、この十何年間続けている、「熱中症を楽しんでいるんではないかい?」的な、夏トレーニングを今年もやっている。(ただし練習後の、身体の冷却については、かなり神経質にやる。これもじつはメニューがあったりして、十何年間の研究の精華は…まだ誰にも教えていないけど…いずれ死ぬまでには、誰かに伝えておこうと思う。もう五十年は生きるつもりなんだけどね。だって身体が火照ったままでは、疲れが取れないもんねえ。疲れが取れなきゃ、翌日の練習の効果は60%にも達しないと思うよ)

 それで思いだすのが、かつて「プチ山籠もり」をしたあたり。あの辺でまた練習したいもんだねえ。環境が練習にもってこいなんだよ。でも今は、あのころとはだいぶ変わって、開発が進んだからなあ(クマとかイノシシとか、シカとかはよく出没する。以前よりも多いのではないだろうか)。のんびりと練習してなどいられなくて、彼らと実戦練習ってことになったら、そりゃあ大変だ。

 まかり間違って私が勝ったりしたら、後は肉を食べなきゃならないからねえ(たぶん武器を持ち込むだろうから、勝つ可能性は「0」ではない)。お館さまの影響で、いくらかは肉のさばき方を勉強したけど、一人で夜の山中でやらなければならないとしたら、けっこう厄介だよ。こうなったらワイルドだねえ!

 ちなみに獣肉というのは、新鮮なほど美味しいわけではない。熟成させなけらばならない場合が多いのだ。たとえば新見の伯備食堂(おおっ! この春お邪魔するのを忘れていた。なんやかやと、けっこう忙しかったんだね、こうしてみると)なんか、今の新しい建物になる前も、伺っていた(当時は頻繁にはいかなかったけど、行くときは必ず宿泊した)。

 牡丹鍋をお願いすると、最初に出てくるお肉は、鮮やかな赤ではないんだよね。でも本当はこれが一番美味しい。十分に熟成したものを出してくれていたんだ。ところが当時一緒に行っていた人たちと来たら、まあ大ぐらいが多かった(M氏、Yさん、S氏、I氏など)。あっという間に食べ干してしまう。でどんどん注文しているうちに、鮮やかな色の肉が出てくる。新しい肉なんだ。

 この頃にはかなり酔っぱらって、味覚の方が怪しくなっているので、とにかくシシ肉ということだけで、美味しくいただくのが常だった。でもお店の人は誠心誠意対応してくれたんだよ。最初から一番美味しいお肉を出してくれていたんだ。私は元気が出てたんだよね、あれで。

 悲しいことにあれから時は流れて、Yさんは若くしてお亡くなりになった。私が兄貴のように慕っていた人なので(お酒はめちゃ強いのに、不思議と私と飲むと、いつもべろんべろんに酔っぱらってしまい、いつも私が肩を貸して、お宅までお送りしていた)、最近は一緒に呑みに行けなくて寂しい。いい人ほど早く亡くなるってのは、もしかしたら本当なのかも知れない。(私はまだまだ生きるつもりなので、せいぜい「いい人」にはならないように心がけよう、ってか)

 なんかワイルドなものを食べると、こちらにも野生の生命力が入りこむような気がしません? 踊り食いとか活け造りなんてのは、きっとそんな意味もあったんだろうねえ(ちょっと残酷な気もしますが。でも普通の料理は、殺すところは料理担当の人などにまかせて、「美味しいところだけ」をこちらがいただいているので、本来の食事ってのは、生死をかけた壮絶なものなんだろうと思いますけどね)。で、そのきれいな部分と野生味とをミックスしたのが、「踊り食い」とか「活け造り」だったりするのかも。

 ああ、こんなことを打っていると、大学時代、卒論で、同級生の某君が、コイ(魚です!)の血合肉だけが卒論に必要になって、残りの部分は、研究室のみんなでご馳走になるってことが思いだされますなあ。

 学生だから、生きたコイを上手に料理する腕はなく、板前さんみたいに包丁の背で一撃しただけで大人しくさせたりはできませんから、バットで(! ひえええっ!)一撃ではすまず、何発も殴って大人しくさせた(!!! 当然コイの頭部の変形も…‼)ことを思いだします。あとのコイ料理フルコースは、けっこう美味しかったけどね。

 懐かしいなあ。今でもあの研究室、あんなことやってるのだろうか?

2016年7月12日 (火)

歴史的

 蒸し暑かったですなあ。こんなに蒸し暑いと。じっとしてるわけにはまいりません。のでちょっと動いたら、あれまあ熱中症?(この季節には、私の生活の影のようなものだ。実体と、切っても切れぬ関係みたい) 練習後の水分補給が不足していたのか、お酒が水代わりになって、呑んだ飲んだ。(これは健康にはよくないんだけどね)。

 朝はお師匠さまの桃(あと少しになりました)、夕方はお館さまからのお酒。もしかしたらトンデモナイ幸福? まあ不幸な部分が大きいので、そんなに舞い上がってりはしませんけど。にしても蒸し暑かったなあ。

 走っている最中に、胸が苦しくなったもん(毎年、何度かあるんですけどね)。気温的には大したことはないと思ったんだけど、やっぱり湿度がねえ…。

 でも最近、「え?」と思うところで棒の型をやっている人がいても、石を投げたりしないように。もしかしたら、私かも知れませんよ。(最近、こちらを見ていく人がいるような…)その代わり、教えてくれと言われたら、今ならタダで教えますから(笑)。

 もう五十年生きるつもりだけど、武も文も、集大成しなければならない時期にきているような気がいたしますしね。今なら集大成する過程が、ナマで見られますよ、という特典付きだから。

 文の方は、原則毎月第三土曜に、某台湾料理店で(昨日も書きましたが、今月は、開店12周年記念とかで、食べ放題をやっていますので、午後9時までは店の外での飲食となります。私が午後9時に引き上げるなんてことは、天変地異でもなければないことなので、それ以降は多分大丈夫だとは『思いますが)やっている『○○を語る会』などで(もちろんこれだけではない)、そろそろ後進に伝え始めましたが、武の方は(謙虚にも。当たり前だ、武を志す人間は、謙虚でなければならない。一流一派を起こそうという人は、ある程度はったりも必要だけど…私はそれをTVCMのようなものだと考えているので)、木曜日の練習日にでも来ていただかないと(大変にダルい練習をしています。だいたい皆さんがお見えになる頃には、私は「予定終了」しています。もうへとへとだったりして)。

 ここは縁の下の力持ち的な練習をしているので(特に最近はその傾向が強い。その分、私に関しては、次にどの方向を目指しているかがわかりやすいかも)、完成品が欲しい人に葉、何が何だかわからないかも。(だって、ひたすら日ごろの欲求不満の解消をしている?人だっているかも) 

 それはそれでいいんだよ。だって心身共に健全でなきゃ、いい仕事はできないし、人類社会に貢献できないからね。人間、生活の中で溜まってしまった不満や不平は、どこかで浄化しておかないと。残したままだと言動のどこかにそれが出てしまうから。そうしてら、その影響を受ける人に悪いからね。

 ということで、今日は7月12日。オランダはハーグでの仲裁裁判の結果が出ちゃいましたよね。私的には「まあ、妥当なところかな」と思うよ。アヘン戦争以来、かの国が辛酸を嘗めてきたのかどうかは、私は知らない(第一、国が違うじゃん! アヘン戦争で、大変な英雄もいたのに、それを見殺しにして大敗したのは清朝であって、今の国じゃないでしょ(国家のトップが無能だった証じゃないの、それは…西太后なんかが悪役にされているけど、何個かも腐っていて、まともな人が発言力を持たなかったってのは明白だよ。特定の誰かをを悪者にして、後はチャンチャンって安易な思考法が、すでにおかしいんじゃないか?)。それを200年も辛酸をなめたなどとわけのわからないことを言って、根拠も気迫は過去のことを引っ張り出して、何も関係ない今の世代に迷惑をかけているんだからね…近隣各国の漁船などがどういう目に遭遇したかなんて、ちょっと調べればわかることだ)。

 つながってもおらず、確かかどうかもわからない歴史を引っ張り出して、「歴史的」はないもんだ。そんなことを言ったら、日本は原爆の否を、少なくとも一億年はなじり続けなければならなくなる。恐竜だって滅びちゃうよ! 過去に悲惨だったことはあったかも知れない。だが未来を見つめなければ、「これからの歴史」は綴れない。

 ま、これでかの国が言うところの「歴史的」って言葉の意味するところが、世界中に知れ渡ったのではないだろうか。

 ちなみに私は、かの国の古代の歴史は、大好きなのだ。たぶん、下手な専門家よりも知識も多ければ(だって当地に飛んで情報を仕入れるからね)、それなりの確固たる考えも持っているんじゃないかと自負している。(もちろん、なんでこんな惨いことができるのかなあ、なんて部分は少なからずあるよ)でも、好きなんだなあ。人間性の奥底までが露わになっているという点で。

 私は実は春秋戦国という時代(特に戦国)は、人間の欲望が解放された時代で、あらゆる才能が花開いた時代だと思っている。だからかの国のこの時代の歴史は大好きだ。しかしながら、だからこそ言えるのだ。4000年の歴史、5000年の歴史とは言っても、その精華はちっとも受け継いでいないよね、って。口先では、歴史の長さを自慢するけど。

 ま、これで国際的な評価は下った。後は大変な苦労をおかけするのは、最前線でかの国と対峙しながら、わが国の安全を守ってくださっている方々だ。(交渉の智慧を失った連中は、何をするかわからないからね。戦闘機に乗ったわんぱく小僧でないことを祈るのみだが)

 くれぐれも気をつけて、最善の任務遂行をお願いいたしますね。もしかしたらある瞬間の我が国の安全は、最前線におられる、たった一人の人にすべてがゆだねられているかも知れないんですから。素晴らしい同胞であることを、少なくとも私は誇りに思ってますよ!

 平和はタダでは手に入らない。高い代償を払わずにすむかどうかは、政治の世界の問題だ。(ここでクラウゼウィッツなんか語る気にはなれない)

※ 今週の土曜日(第三土曜日)は、予定通りやります、『○○を語る会』。テーマはそろそろ「交渉」に入っていきそうな予感がします。

2016年7月11日 (月)

うつらうつら……

 ああ蒸し暑っ! という中で、一つだけ(本当はもっとたくさんあるかも)やり忘れていたことがあった。明日起きてそうそうにしておこう! 何か一つし終わるたびに、一安心しているわけじゃあないんだけど、どうしてもこういう見落としができるなあ。

 先日もこういう類のことがあって、探し回っているうちに頭部を角にぶっつけて、思わぬ流血戦になった。空手時代にも何度となく流血戦はやったが、久々の大量出血だった。(血圧は、流れた血液の分だけ下がるかと思ったら、変化してないくらいだった。おかげで救急処置と後始末で、大変な時間を食ってしまった…その時やりかけていた仕事は、結局その日じゅうに済ませた。2時間少々遅れたけど。結局、その日に済ませておかなければならないことは、その日じゅうに済ませておけば、あまりダメージは残らないと、よくわかった。これは一つの収穫だ)

 ということで参議院選挙から一夜明けて、「まあ、こんなもんじゃない?」と私的には思えるような結果だった。細かいところまで見ていけば、「?」とか「おおっ!」とかいうところはあるんだろうけど、残念なことに私は政治に興味はあっても、自分がやってやろうという気がない。もちろんこんな醒めた立場だから、「岡目八目」で、見えちゃう部分はある。だからって自分がトンデモナイ慧眼の持ち主だなどと勘違いはしていない。「岡目八目」なんですよ、純然たる。きっとそうだと思います(意外に謙虚でしょ?)。

 まあ当選した人をはじめ、すでに国政で活躍しておられる方々には(ゴシップ的なことで顔と名前を売っている人は除き)、この国を、我々一般庶民が暮らしやすい国にしていただくことをお願いしたいと思います(幸いなことに私が投じた票は、選挙区、比例代表区ともに、わりと早い段階で無駄にはならないということが判明したので、ほっとすると同時に、期待もしておりますよ)。好き勝手なことを言っていられるのも、この日本がしっかりしてくれているからなんだから。

 思ったことも言えない。言っていると身柄拘束される国やら、何も言ってなくても生命がいつ危険に晒されるかわからない国だって、世界中にはいくらでもあるわけだし(日本で生まれ育って、一度も日本から出たことがない人だと、ちょっとわかりにくいかも。ま、好んで危険地帯に出かける必要はないんだけど。「君子危うきに近寄らず」と申しますからな。 

 まあこれは日本で作られた言葉なので、いろいろと解釈しても、果たしてそれが正鵠を射ているかどうかはわかりません。だいたい話を始めると、「君子」の定義から始めなきゃならなくなるので、面倒い。

 今の私はほどよく酔っぱらって、とてもいい気分なので、面倒なことはまったくやりたくございません。こんな時には好きな音楽でも聞きながら、半分うつらうつらしているのが一番だ(先ほど淹れたアイスコーヒーのできは、全盛期に近い出来だったし)。

 このうつらうつらの状態が終わったら、とりあえず眠るまでにやっておかなければならないことがあるし。(やることを忘れてはならないので、今メモしておいた)

 とは言うものの、ハーグの南シナ海仲裁裁判って、明日結果が出るんだよね。日本のマスコミは、これと、二つの軍事演習を、さほど関連付けて報道しないけれど、歴史を勉強すればこの軍事演習の位置づけは、ちゃんとわかるはずなんだけどね~

 ま、平和が一番だけど、無理して表面上の平和を好むのも、なあ…。昔からCMで言ってるじゃない。「臭い匂いは、もとから絶たなきゃだめ!」って。いろんな問題が、いろんな様相を呈してしまうと、表面を追いかけてもやることが増えるばかりだったりする。原因をたどれば、案外一つか二つしかなかったりして。

 発熱して、鼻が詰まって、咳が出て、というので、解熱剤を飲んで、鼻づまり解消薬を「飲んで、咳止めを飲むってえのも、確かに治療かもしれないけれど、しっかりと休んで、栄養つけて体力を回復させて、風邪を治したら、全部一気に直ったりするからね。

 ま、何が原因かを見極めることは難しいだろうけど、世の中、優秀な人はたくさんいるからねえ。きっと原因はもうわかってたりするんじゃないかな?

 私みたいな凡人は、そんなことなど気にしないで、うつらうつらと体力の回復を待って、今日中に片づけなければならない仕事を片付けておかないと、明日がきつくなる。

Still, tomorrow's going to be an another working day
  
And I'm trying to get some rest
  
That's all I'm trying to get some rest(Paul Simon "American Tune")

※ おっと忘れるところだった。今週の土曜日(7月16日、第三土曜日)は、計画通り『○○を語る会』をやります。しなしながらお店が開店12周年ということで、「食べ放題」なので、予約がたぶん一杯ではないかと思います。マスター曰く、「歩道にテーブル出して、椅子出して、そこでもいいなら…」状態になるのではないかと思ったりしています。午後9時過ぎれば、店内も空くのではないかと思っておりますが、よろしくお願いいたします。

 今回からは、鬼谷子の本領、そろそろ「交渉術(だって縦横学なんだから)」に入っていくかも知れません。まあ場の雰囲気で、多少は変更があると思いますが。

2016年7月10日 (日)

セミがないた!

 やっと蝉の声が聞こえた。もしかして、この春、草取りをしていて、蝉のウマを掘りだしてしまったっため、我が家の蝉がグレちゃってしまったかなと心配していたのだ。

「おうおう、ようやくないてくれたか!」と思って玄関脇のキンモクセイを見ると、根本に穴が二つ。あれえ?と思ってキンモクセイの上を見ると、すでに蝉の抜け殻が二つ、葉っぱにへばりついていた。

 ありゃあ… もう羽化しているじゃあないか。でもなんで声が聞こえなかったのかなあ。きっとメスだったんだ(我が家には女性が一人もいないのに…男だって私一人だけど…生き物はメスがふんだんにいるわいな)。メスは鳴かないからね。

 実は私は、気象庁の「梅雨明け宣言」を信じていない。ずうっと晴れが続いて、8月になってから「7月○日頃に、梅雨は明けていた模様」と言われてもねえ… これじゃ「天気後報」だ。蝉は、羽化以後1週間の生命だと言われている。生命のかかった羽化は、天気予報みたいに、「外しちゃいました」では済まないから、絶対に正確なはずだ。

 だから私は、科学技術の進歩とともに、精度が高くなった天気予報よりも、蝉の必死さを信用しているんだよね。非科学的? ちゃいますよ。蝉に必死さに見える裏側には、人間の科学技術よりも精度の高い、「蝉の科学」があると信じているんだよね。

 ウソを言え! 蝉に科学なんてあるはずがないだろう。そんなことを言う人もいるだろう。だけで、蜘蛛の巣の糸の構造の謎が解かれたのは、そんな昔の話じゃない。旅客機の主翼の先端が上向きに曲がっているのは、長い距離を安定して飛ぶ鳥たちの翼の先端が、やはり上向きに曲がっているからだ。(プラモデルファンの私は知っているぞ、あのころの戦闘機には、そんな構造はなかった、世界のどんな飛行機にも)

 科学は未知を既知に変えていく学問である。科学は不思議に取り組んで、誰にでもわかる形に変えようと努力するものだ。「科学万能」なんてことばは、「科学は信用できない」という言葉同様、まったく信用できない。不思議を解き明かしていくだけである。

 いつの日にか、蝉の科学を解き明かしてくれれば、「梅雨明け宣言」なんか、狂わなくなるんだろうけどねえ。

 ということで今日は参議院議員選挙でございました。朝から(昼近かったけど)気合を入れて仕事をやっていたので、投票に行くのは午後三時過ぎになっちゃったけど、私が入れた票は、選挙区、比例代表区ともに無駄にはならなかった。両方とも、「この人」と思っていた人は、早々に当選を決めた。

 これは私と同じように考えていた人が、少なくはなかったことを意味している。(細かいことまではわからないが)ということは、少なくとも私は「浦島太郎」にはなっていなかったという証明だ。ほっと安心である。

 今回は、初めて18歳以上の人に選挙権が与えられた。当然、18歳、19歳の人たちの投票も、大きな影響を与えているはずである。若い人たちこそ、今の緊迫した世界情勢の中で、わが国の行く末を案じているのかも知れない。

 いいことである。人は責任を持つと、考えも決断も、しっかりしてくるからねえ。精神的に一気に10歳、20歳成熟するみたいに感じることがあるくらいだ。もしかしたら、未来に目をむけるという点では、若い人たちの方が、はるかに予知能力を持っているかもしれないんだし(経験はないけれど、目が曇ってないから…もちろん経験が足りない弱点はあるけど、年輩の人だって、経験が多すぎて迷うって弱点もあるから)。

 みんな、それぞれが責任を持つことは大切だ。蝉は自分の一生と、子孫繁栄にそれぞれが責任を持っている。だから「梅雨明け」を狂わせない。人も、自分の将来と、子孫の本当の繁栄を願えば、きっと将来の予測を狂わせなくなるんじゃあないだろうか。

 私は若い世代に期待している!

2016年7月 9日 (土)

罪深き男の、怠惰な夏の一日

う~む…朝は薄暗かったのに… だから出がけは油断しちゃったんだよね。ところが昼を過ぎることから、「え? 今日って、晴れるんだっけ?」 いやもう眩しいのなんの(懐具合は、貧しいのなんの?)。

 で、さっそく近くにあったホームセンターに入って、グラサン買ったのね(SAに置いてなかったので。こっちの方が問題かも)。そしたら、また曇るんですよ。この、天気のイジワル! ま、毎朝早くまで(普通の人は、夜遅くまで、なんだろうけど、最近の私は、毎朝早くまで、である)ディスプレイ見たり、小さな活字を見たり(どうして書物という奴は、大切な註なんかを、あんな本文の三分の一もない活字にするんだろうね? 世の中には私みたく、註を必死こいて読んでいる奴だっているのに)して、むちゃくちゃ疲れ目なんだから仕方がないけど。

 身体の調整をしてもらう時、「このくらいここが疲れていたら、そりゃ、目は見えないわな」と言われるくらい疲れていたんだよ。私も日常生活で、かなり気にして、その部分のメンテを行っているんだけど、それでも不十分なんだろうなあ。

 でも今日は、1時間半ちかくもかけて身体を緩めてもらったので(毎回そのくらいかかっている?)、たぶん、夜は(すでにもう夜ですが…)爆睡だろうなあ。一日寝て、二日寝て、三日寝て… 一週間寝て、目が覚めなかったら、すでにお前は死んでいる(ケンシロウ?)かな。

 おうそうだ、明日の朝ご飯の準備をするの、すっかり忘れていた。これさえやっていれば、明日は朝ごはんを食べるために生き返る? もう完全に飯袋子状態ですな… 知ったこっちゃねえや! 再来週と、四週間後の予定はそろそろ入り始めたけど、明日のことなんかさっぱりわかりやしない。

 どうせ2~3日も経ったら、けっこうぎちぎちに予定が入って、「うわあ、忙しくなる」って、溜息ついてるに違いないんだ。支払う給料ないけど、有能な秘書はいませんかね?(そんな奇特な人がおられたら、人生誰も苦労はしない) 毎晩一緒に、一杯やりましょう!(結局、飲み友達がほしいだけか! って怒鳴られる?)

 そろそろN氏にお世話いただいた、ノートPCも使ってみなくてはならないのだが(慣れないと!)、まだまだ下準備が忙しくて(もうそろそろ終わると思ったのは、1週間くらい前だったはずなんだけど)。昔みたく脳みそに集中力がなくなったのかねえ、それとも家事に忙殺されて、それどころではない?

 とにかく、雨ばかりが降りやがりまして、その間に庭の雑草が一気に増えて、また草取りをしなきゃならない。一度、草取りをしたら、後はその上で稽古すればいいんですけどね。この前なんか、切った木の脇根が地上に出ていて、こかされそうになった。言っとくけど、切ったのは庭師さんであって、私ではない。私は庭師さんに「切って」とは言ったけど。怨むなら私だけを恨むんじゃない!

 どうせ残ってたって、今頃は棍術の練習相手だよ。昔は職場脇の大木(大人二抱えほどはありました)に突き蹴りを入れていて、とうとう数年後、台風が来た時に、その大木が「まさか」というほど簡単に折れちゃった(それも、ちょうど私が叩いていたあたりから、ぽっきりと。さすがに罪の意識に苛まれましたけどね)。

 だから庭師さんに切られなくったって、どうせ折れる運命だったのに、まだ根などを地上に出して、人をこかそうとするのかって怒鳴ったんだけど。(私は一人暮らしなので、近所の人々は、狂人の雄たけびくらいに考えておいでかも?)

 ま、そんなこんなで、午後帰宅してからは、サギソウを植え替えた。八月の後半になったら、サギソウの花の大編隊が見えるはずである(あくまで「はず」だが)。ついでにマガモを植えた。これで我が家の庭の南側にある湿地帯は、東からたヤブラン、オニユリ、雑草、ヒメガマ、ヒメガマ、マガマ、ヒメガマ、イワフジ、ギボウシ、ホタルブクロ、シャクヤク……となる予定だ。

 とうことで、今夜はこれから、ノートPC始動用の準備をいたしますね(ほどよく酔っ払っているので、何が起こるかわかりませんが…素面でも、そんなに状況は変わらない)。冷酒が美味しくて…!

2016年7月 8日 (金)

なんじゃ、この降り方は?

 よく降りましたなあ。明日もまた降るそうで、もういい加減に止んでくれないと、岡山名産の桃やマスカットの「甘さ」に影響が出ます。これは知る人ぞ知る、晴天続きと一日雨が降った時とでは、果実の甘さに雲泥の差が出る現象だ(昨日までよく晴れていた翌日、雨天でも店頭に並んだものは、もしかしたら思いっきり甘い可能性があります)。

 果物は生き物なので、気候の変化には敏感なんだよね。人間だって同じようなものだけど。ということで、今日の私は一日中「夏眠状態」だった。自分でハイギョにでもなったかと心配したくらいだ(ハイギョという魚は、夏眠を行う)。心配になって久しぶりに鏡をのぞいたが、若干犬に近い、歯はギザギザのハイギョには変身していなかった。

 ハイギョは一般的に、そこそこ大きくなるので(1mくらい)、噛まれるとやっかい。噛んだあと、身体をスピンさせるので(サメなんかがよくやる)、指なんかだとちぎれる恐れがあるんだね。飼育してもさほど美しい魚ではないので(夏眠中は当然見えないはず)、ペットとして向いているとは思わない。

 ま、人の趣味はわからないので、「意外に危険な魚」と紹介するだけに留めておこう。

 一日中眠かった(というか、本当の意味で目は覚めていなかった)ので、一休みしようかなあと思って、仕事部屋の長椅子を見てみると、≪漢書≫全四巻が転がっていて、腰を下ろす気にもなれない(片付ける気には、もっとなれない)。仕方がないからPCの前の椅子にもたれている。

 あまりにへばり気味なので、上質な糖質でも補給しようか。(アイスコーヒーは先ほど淹れた。だいぶ感覚が戻ってきて、そこそこ美味しいのが淹れられるようになってきた)と思って頬ばったら、なにこれ? 酸っぱ塩っぱいよ~… どうしてくれる。せっかくの後味が台無しじゃない?

 だいたいねえ、デザート的なものは、人の味の予想を大きく外しちゃいかんよ。あれは「ハーレクインロマン」よろしく、こちらの想像通り(あるいは想像から外しても、後味の余韻を崩してまでしてはいかん)であることが望ましいのだ。

 これだと、晩御飯からやり直さなきゃならないじゃないか。最後の最後でぶち壊しだ。(とは思ったけど、太るのでや~めたっと)ジョッキ一杯入れたアイスコーヒー飲んで、我慢することにしよう。

 そういえば夕ご飯の前に、お師匠様(陸上の)から送ってきてくれたばかりの桃にかぶりついた(大変甘かった。恰好はまあ整っているとは言えなかったが。胃袋に入ったら、形はもう関係ない)。あれをデザートにすべきだったんだ、と気づいたが後の祭り。

 お師匠様は何事によらず研究熱心で、ご退職なさってからは農業の研究に余念がない。年々美味しいものを作られるようになっている。人間、仕事が変わっても、行動パターンは変わらないんだよね。何やっても研究熱心!

 久しぶりにご挨拶に伺わねば、と思ってはいるのだが(師匠曰く『山荘』…私は断じて山荘だとは認めていないが…に遊びにおいで、と何度となく誘われていることだし)、貧乏暇なし金もなし、ということで、なかなかお邪魔する機会がもてない(どうしてもお酒が飲みたくなる。すると車で帰れない。あの『山荘』で一夜過ごすのは、プチ山籠もり経験のある私でも、さすがに躊躇する…どんな山荘なのか、想像してみてください…)。

 ではお酒を呑まなきゃいいじゃん? って思われるかも知れないけれど、若き指導者(の卵)だった頃の私は、試合のたびに、お師匠様の胸をかりて、何度も跳ね返されながら、少しずつ伸びていった。最後は私の方がえらそうにしていたけどね(お師匠様は認めていそうになかったけど。うちの事務局長N氏なんか、当時のことを言いだすたびに笑い転げている。勝負に血道をあげている師弟の姿は、第三者的にはきっと漫才だったのかなあ…)。 

 昔の思い出話なんて、酒がなきゃできないじゃない(まさか中国茶をすすりながら? 雰囲気じゃないよね。やはり若干アルコールが入らないと、気合が入らないよ)。そうしたらその日中に帰宅することができなくなる。(まあ、師匠のお宅から、職場に通った経験も、ないわけじゃないけど。あの頃は熱かったなあ…では今が冷えているのかというと、そういうわけでもない。若干スタミナに問題がありそうな気もするけど)

 ま、それでも近いうちにお邪魔しなければ、と思っている。何しろ私が認めた、数少ないお師匠様であり(私は師匠運に恵まれていて、いい師匠に数多く出会っているのだが、その中でお師匠様と、いまもって認めているのは三人、一人はすでにこの世におられないので、お会いできるのは二人だけである)、今でもお話すれば学ぶべきことはたくさんある。でも、雨が降っていない時期を狙わないと。(あの山荘では、雨漏りは絶対しそうだし…とは言え、かつて台風がやってきているのに、四国山脈の真ん中で、一緒に野宿したことがあったっけ。あの時、「谷川のせせらぎ」なんてもんじゃなくて、谷川のごうごういう音が煩くて、ほとんど一晩中寝られなかった記憶があるなあ…翌日は平地で一泊したけど、せっかく寝付いた頃に、寝相の悪いお師匠様に頭を蹴られて目が醒め、ようやくうとうとしかけたと思ったら、藪蚊のユスリカくらいある奴に刺されて、痒くて寝られなかった…その後、半年間、痒みが続いた…記憶も、今もって鮮やかに残っておりますからね。しかしながら、くれぐれも、いい時代だったなあ…)

 ようし。この夏じゅうに、呑み切れないくらいのビールとつまみを持って(お師匠様はお酒も強いが、食べる量も半端ではない。いわゆる鯨飲馬食タイプである。お師匠さまの名言を一つ紹介しよう。「なんでもたくさん食べれば、たいていの栄養素は足りる」…すごいでしょ、この大雑把さ! 今頃の「食育」とか言ってる連中に、お師匠様と食事させてやりたいわ!)お師匠様のお宅を訪ねよう! ジカ熱が嫌なので、蚊に食われない準備だけはしておかないと!

 他にもあちこち行かなくてはならないところがあるので、また忙しい夏になりそうだ。と思うまでもなく、土砂降りになっておりますな。困ったもんじゃ。桃の甘みが薄れるではないか!

2016年7月 7日 (木)

(色気のない)真夏の夜の夢

 暑うございますな。まだ私の住んでいるところでは、蝉の声を聞いていないのが不思議なくらいだ(ことしの蝉は聞いたよ。外国で)。だから「梅雨明け」はまだなのかなあ。(雷のゴロゴロは何度となく聞きましたけど)

 それでもほんのちょっと屋外で動いただけで、服を着たまま、厚いポタージュスープにでも飛び込んだみたいになった。もう暇さえあればシャワーを浴びていないと、気が狂いそうだ。(明日は天気が悪いという噂が……)去年まではどうやって夏を過ごしていたのかなあ。

 何十回となく過ごしてきたはずの夏の過ごし方がわからないくらいだ。この時期は涼しいところで、快適に過ごしていくわけにはいかないものか。(もしもそんなことが可能なら、一年のうち自宅で過ごすのは何か月だろうか。冬は寒いの嫌でしょ? 夏は暑いの嫌でしょ? 春は花粉とPM2.5 が嫌でしょ? 少なくとも6か月くらいは、どこかに逃げている感じになるよね!)

 今の世の中だから、職業次第ではそんな暮らしも不可能ではない? みんなそんな暮らしができるようになったら、季節によって世界中の人口が大移動したりして。どこかの国の旧正月みたいだね。

 こんな大移動にかかる費用よりは、エアコンと電気代の方が安価なので、人はそちらを選択するような気がするけどね。旅行だってたまに行くから楽しいわけだし。しょっちゅう行っていたら、落ち着きたくなるんじゃないかな。

 私個人としては、温泉が大好きなので(何もすることがなかったら、1日6時間くらいは、出たり入ったりしているんじゃないかな)、温泉地ならば一日じゅう、ぐて~っとしていられそうだよ。でPCと資料さえ持ち込んでいたら、そこそこやりたいことはできるので、理想的だなあ。

 って、これってお金があったらできるかも知れない生活じゃん! 幸か不幸か大金持ちに生まれつかなかったので、そんなに贅沢ったって「知らない」し、知らないことをやろうとしても疲れるだけだし(心身ともに)。

 ただ温泉地も、夏には涼しいところ、冬には暖かいところ、春には花粉とPM2.5 がないところという条件付きですけどね。あとは山海の珍味があれば(おっと、そろそろ出ましたよ、食い気が)。食べるたって、胃袋よりもたくさん食べれるわけではないから(私は大ぐらいで売っているタレントさんのような胃袋の持ち主ではないので)、それほどたくさんは食べることはできなさそうだし。

 それで朝晩ぐらいに、散歩とかジョギングとかできれば、もういうことなし(古武器を振り回していて、警官が神経質に駆けつけてくるようなところは、あまり好きではないけど。まあそれも治安の良さの証明かも知れないから、慣れれば大丈夫かな…もちろん警察の方で私に慣れていただかないと…どこまでも自分勝手な人間だなあ、私は)。

 でも大口の宝くじでも当たらなきゃ無理な生活だよね。私にできることと言ったら、宝くじに当たった夢でも見て、ベッドから転がり落ちるくらいのものかな。

2016年7月 6日 (水)

ノスタルジア

 暑いですね。岡山は今日も35.2℃(私のいる部屋は、もっともっと暑かったと思うけど)で、猛暑日でしたよ。まあ天気も昼頃からめちゃよくなったから無理もないんだけどね。

 デスクワークは、夏ノ暑サニモ負ケズ、今のところ頑張っております(自分で自分を褒めてあげたいくらい)。意識不明寸前なんだけどね。

 私は不器用な人間で、一つことに集中すると、他のことにはまったく手が回らなくなる(だから、一人暮らしなのだ!)ので、今日も買いものに出た時も、忘れものばかりで、こんな頭ならいらないと、破壊しそうになってしまいました(よくあることなんだけどね。時々流血したりすることもある。たぶん私の拳が、適当なタイミングで、適当な間を持って、正確に急所を捉えたら、自分の頭部は完全に破壊できると思う。恐ろしいことだね~。なにせ急所も何も知っているんだから。完全自己否定をする気になったら、あっという間でしょうな…笑ってごまかすしかない)。

 昔、大学の先輩が教えてくれた私の特徴、今でも有難く思いだします。「お前は人にも厳しいけど、自分にはその何倍も厳しいからなあ」 先輩は(院生だった)は何気なく言った言葉かも知れないけれど、今頃になって、あの人はもしかしたら、今の私を予見して、それとなく助言をしてくれていたんじゃないかと思ったりもします。今もお元気かなあ。会いたいなあ。会ったらもう、めちゃくちゃ歓待するんだけどなあ。

 大学時代の先輩でもう一人忘れられないひとがいる。Oさんといって、すでに某大学で講師をしておられた(私の弟分のS君なんか、真面目に授業を受けていたら、きっと出会ったハズの人だ。Sくんはラグビーばかりやっていて、講義はまともに受けていない。なんだってこんなヤローを4年で卒業させるんだ? ちなみにOさんもラグビー大好き男で、当時も「楽ビー(ラクビー)」なんてことをやっておられた。懐かしいなあ。会いたいなあ。Oさんにはいろいろとおごってもらったし。私が研究室にいた頃、六本木のクラブで、始発が動き始めるまでお付き合いくださった方だ。今でも決して忘れてはおりませんよ。Mという焼肉屋は建物は立派になったけど、味は落ちてしまって、当時の名残はありませんけど…卒業してから、研究室に顔を出した時、帰りに寄って愕然とした… 今度は岡山で美味しい焼肉をご馳走しますから)

 考えてみると私が通っていた大学(卒業は素直に4年でしたんだけど、研究室に長居しちゃったんだね)も名前が変わり、場所こそ変わっていないが、ずいぶん雰囲気は変わっているんじゃないかなあ。

 当時は親を騙して、ただ東京に出たいがための進学だったんだけど、今となると懐かしいね。研究室のS先生は、もう無茶苦茶優秀な方で(私が頭がいいと認めている人は、正直片手の指で足りる。その中のお一人である)、会話一つするにも「真剣勝負」の覚悟が必要だったけど…後で助教授だったI先生から、「S先生は君のことを高く評価していた」と言われて、ものすごい励みになった…お身体が丈夫ではなくて、早くお亡くなりになった。当時助教授だったI先生は、今でも年賀状をくださるが、お会いしたいなあ。

 大学時代は他のことばかりに気をとられていたけど(その割には、比較的真面目な大学生活を送っていた? そんなこともないんだけどね)、今となっては有難味しか思いださないよ。教育学のK先生とか、障碍者教育の権威だったN先生とか(私が研究室でのたくっていたころ、私のしたにいた後輩など、このN先生の影響で、進路を変えたくらいだった。私よりも私のアルバイトの給料日を憶えていた、すてきな後輩だったけどね。会いたいなあ。今ではきっと、素晴らしい男になっていると思うよ)、当時の教えが、今の私のどれだけの部分を占めているか、これはめちゃくちゃ大きいと思うよ。

 残念なことに、学問の関係では、私が「人生の師匠」と認める人はいないけれど(他の師匠の存在が大きすぎる?)、でも間違いなく今も自分の心の中に、しっかりとおられますよ。もちろんいい先輩もね。

 今日は気持ちよく稽古(トレーニングではない)が終われたので、妙に昔のことを思いだしちゃった。いろんな人のお蔭で、今の自分がいるんだなあって、改めて思ったよ。明日もきっと暑い一日なんだろうけど、今日みたいな終わり方をしてくれると、有難いなあ。

2016年7月 5日 (火)

トレーニングと稽古

 今日もむわわああ~~~んとした暑さの日でございましたな。猛暑日はコンマいくつかでならなかったみたいだけど、動いていて一番きつかったよ。

 こんな数字では推し量れない「きつさ」ってのがあるから、自分は涼しいところにいて、指示だけ出しているような指導者は、信用できないんだな。私がまだ若い、駆け出しの指導者の頃は、選手と一緒に、同じメニューをこなしていた。

 するとあるんだな、こういう日が。数字的には「まあ我慢できるんじゃない?」って日が。それでいて、現実には「耐えがたい」日が。

 キャリアを積めば、それも見極める眼力ができるわけだけど、キャリアもろくにない頃から(これは年齢だけではないよ。また必ずしも指導年数でもない。鈍感な奴の10年は、敏感な人の1日にもならないってことが、わりとよくある世界だからね)、選手を「アゴで使う」習慣をつけると悲惨だ(もちろん一番悲惨なのは、選手である)。

 今日は動いていて、「胸が苦しい」感じがあったくらいだからね。こんな日は、無理は厳禁だ。まあ昨日、今日と私はトレーニングではなくて稽古をしたから、なんとかなったんだけど。

 もちろんこれは稽古が楽で、トレーニングがキツイということではない。稽古ってのは、どんな小さな動き一つであっても、隅々まで気を配ってなきゃならないから。これはいくら体力があっても感性の発達していない人だと、師匠からボロクソに言われ続けかねないものだ。本人は一所懸命、滝のように汗を流してやっているのに、師匠は絶対に首を縦に振らない。

 そして最後にぽつりと漏らす。「今日はだいぶ苦労していたみたいだね」 稽古になっていたとうは言ってくれないのだ。

 涼しい顔をして、充実感一杯みたいな幸せな顔をしている人を見て、「いい稽古をしてたね」なんて言われると、滝のような汗を流していた人は、きっと怒るだろうね。それがトレーニングと稽古との違いを表しているのだと気がつかないと、そのまま一生トレーニングばかりを続けていってしまうことがある。

 ではお前は何なんだ?と言われれば、実は私も大したことがないので、稽古の重要性も知っていますし、トレーニングの重要性も知っております。すぐに疲れてしまえば、感性も鈍くなる(というより、緩くなるという言葉がぴったりとくるんではないだろうか)ので、稽古を続けようとしてもできなくなる。

 だからレベルの高い稽古を長時間やろうとすれば、最初の頃にはどうしても、トレーニングが必要になるんだね(無理しない範囲でやればいいだろうと仰る方もおられるが、人間は欲な生き物で、自分には不可能でも、人がやっていれば、同じようにやっていたいものなんです。そうして「ああ、俺も今日は、いい稽古をした」と思いたいものなんです)。

 多くのスポーツで、競技には直接的にかんけいない、だらだらとしたランニングをするのと似た理由で(本格的な練習をするスタミナ養成?)、私もだらだらと走ることがあります(走るのが嫌いではないから)。ただトレーニング目的は踏み外さないように、「今日は心肺機能を刺激した」程度にしか考えておりません。

 その点昨日なんかは、歩いたよねえ。いつも走るコースを、なんと歩いた。これはかなり気合の入った稽古ですよ。私が「歩く」と言うのは、たいていの場合「稽古」のことを意味しているので、大変にやっかいだ。

 昨日なんか、稽古のゴール近くで、若いマムシ(毒蛇)が出迎えてくれましたよ。私は邪険に蛇拳などの動きをする気に葉なれなかった…大変に疲れていたから… その直後、女性のジョガーとすれ違い、挨拶をしたけど、マムシのことは言わなかった。たぶん草むらに逃げ込んでいるだろうし、せっかく気持ちよくジョッグしているのに、気分をそいではいけない。(今の季節のマムシは、攻撃的な生き物ではありません。たいていがあちらから避けてくれます)

 しばらくはそちらに気を集中していたし、帰りにもそこを見たけど、マムシに噛まれたことはおろか、出会った気配もなかったので、私の判断が正しかったんじゃないかな。変に騒ぎ立てると、ジョガーにもマムシにも気の毒なことになりかねないからね。

 今日は百間川の河原ということで、棍も棒も、それどころか三節棍も振り回してやりました(その他の古武器も使った。おそらくあと1時間も稽古していたら、警察を呼ばれた? 日本の警察は優秀だけど、若干神経過敏だからね。もっと気をつけなければならない人は、いくらでもいるのに)。周囲に人がいないということは、かなり安心して動けますね。こんなところで縦横無尽に動き回る稽古も、時には必要なんじゃないかと思いましたね。

 で、最後は身体に残った水分を絞り出すつもりで、坂道をとろとろと走りました。この「部分はトレーニングなんだけど、稽古の感覚が残っているので、一歩一歩からあまりにたくさんの情報が入ってくるので、情報処理に難儀するくらいでしたね。

 だから私は、稽古もトレーニングも好きなんだなあ。両者とも、他に替えがたい長所があると思いますからね。

2016年7月 4日 (月)

脳みそメルトダウン状態継続中

 もう無茶苦茶暑うございますな。でも日本人だから、みんないつもと同じように、勤勉に仕事してるのだろうなあと、溜息とともに感心しております。今や仕事はグローバルな規模で考えなければならない時代ですからな。

 日本が死にそうなくらい蒸し暑い気候でも、こちらとお付き合いくださる海外の企業は、ほんとにしのぎやすい、仕事に好適な環境かもしれませんから、いつも最善でなければならないのです(と考えるのが、日本人のいいところで、私が日本人をもっとも高く評価している点なんですね)。

 日本人の一番の長所は、相手の立場に立って、相手のために行動できるという点でございます。いかに中国が「道徳」という言葉の生みの親(≪老子≫という、大変に難解かつ、人に対して冷淡な書物のことを、別名≪道徳経≫と申します。簡単に言えば、前半は道について書いたもので、後半が徳について書いたもので、合わせて道徳経と呼んでいるだけのことですけどね。1972年に湖南省長沙の馬王堆漢墓から出土した帛書≪老子≫は、徳経が前に、道経が後半にあることから、≪徳道教≫ともよばれる)であっても、≪老子≫をどれほど深く読み込んでも、日本人が考える道徳と結びつかないのは、自分のことを第一に考えるか、他人のことを重視するかの違いなので、根本的に、同じ道徳なんて言葉を使わない方がいいのではないかと、私なんかは個人的に考えておりますよ。

 日本的な道徳は、世界的に見ても独特なもので、私は個人的には「道徳」なんて言葉を用いずに「人の道」、「人としての道」的な新しい言葉を作った方がいいと思っておりますけどね。忙しいとは思うけど安倍総理、なんとか考えていただけないもんですかね?

 だってつまるところ≪老子≫にしても、君主が治国を行うための書だし(ということはこれを書いた人…これを単純に李耳(字は耼:たん)とは考えておりませんが)、ということはこの書を献じて自らは仕官したかったわけだし。以前から本ブログで何度か取り上げたように、≪老子≫で説いているのは、「無為自然」ではなく、明らかに「有為不自然」だし(無為自然に少し近づこうと思ったら≪荘子≫の方がいいです。これにも私的には「?」がつく箇所が多々あるんだけど)。

 あまりに蒸し暑いので、私の「脳みそメルトダウン状態」は、まだまだ継続しておりますな。明日くらいからは、もうちょっと快適な生き方をしなければ。(岡山は今日も猛暑日でございました。気象台の発表によると、最高気温は35.2℃ということで、昨日よりわずか0.1℃しか低くありません。こんなの「誤差」のうちだよね)

 涼しい喫茶店かどこかで、冷房の風が一番よくあたる場所で、ノートパソコンか何かを開いて仕事をするのが、いいですよね~。第一自分で淹れなくてもコーヒーが飲める(その分、お金が出ていくけど。まあお金を払わなかったら、無銭飲食になってしまうから)。ついつい安易に飲食物が手に入るから、太るんだよね~。困ったね。(明日くらいに山へ行って、青竹でも切ってこようか。節を抜いて「そうめん流し」をしたら、結構風流? でも自分で流して、自分で掬って食べるのは、かなり気が滅入るんだけど)

 準備はしたんだよ。でも今日はあれこれと忙しくてできなかった(明日も予定が詰まっている。なんでこんなに忙しいんだ? きっとこれは一人で生きているからだろう。何もかも全部自分でやらなきゃならないから)。まあ準備はしているので、近いうちこんなスタイルに変わると思います。

 昔々、室生犀星という私が大好きな詩人は、「ふるさとは遠きにありておもふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひて涙ぐむ その心もて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや」と詠んだ(今も私のすぐそばに、詩集が置いてあるくらいだ)。

 ふるさとのがなくなった私にとって、すでに「ふるさと」は、おもふことしかできないものになった。せめて喫茶店で涼しい環境の中で、ちょっと気持ちよく生きて(室生犀星とはだいぶ違うなあ… ま、あちらは大詩人、私は凡人だから、そこのところは大目に…)やって何が悪い(開き直っている!)くらいの気持ちはございますよね。

 どうせ「脳みそメルトダウン状態」の本格化はこれからだから、佐藤春夫さんの「秋刀魚の歌」(有名な「さんま苦いかしょっぱいか」の詩でございます)を思いだすまでは、こんな調子でございましょうな。   …はあああ…

2016年7月 3日 (日)

人を人として扱え

 いやあ暑かったですな!

 私は人生の中で、「もうちょびっ」と頑張っていれば、という経験は何度かいたしました。おかげで性格がしつっこくなりましたが、猛暑日(「もうしょび」:親父ギャグですんません。暑さのあまり、脳みそが半分溶解しております。脳みそメルトダウンだあああ)は経験したいとは思いません。暑くって… すでに今日は5回、シャワーを浴びております。(たぶん、もう2回は浴びるでしょう)とうとう本日からエアコンのスウィッチを押してしまいました。設定温度が30℃で涼しく感じるって、いったいどういうこと?(その時、室内の温度計は36度をさしておりました。私の平熱よりも、幾分か高い。どうりで暑い筈だ)

 にもかかわらず昼前から、事務局長N氏の、献身的なご協力をいただいておりました。昨日のHくんといい、N氏といい、まだまだたくさんいる私をご理解、ご協力いただける方々の恩を、感じないわけにはいきません。なかなか思うように物事が進展しないけれど、もうちょっと頑張ってみるからね!

 ということで、夕食後のコーヒーも、とうとうアイスコーヒーになっちゃいました。私は昔から、コーヒーにもポリシーのある人なので(私が大学時代、コーヒーに凝りまくっていたのは、知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない事実だ)、久しぶりに淹れたアイスコーヒーは、とても旨いと言えたもんじゃなかったけど、まあそのうち勘が戻ってくるでしょ。

 などと言ってられるのは、まだ日本が比較的(あくまで比較的、だよ!)安全な国だからだ。特に私のように田舎に住んでいる人間は、近所の人の顔を知っている。知らない人には、ごく自然に警戒心が働いているんだろうと思うけれど(無意識下のことは、よくわからないけど)、知った人が多ければ、まあ警戒する機会も減るので、その分ストレスは少ないかもしれない。(知らない人でも、夕方私が庭で、各種の武器を操っていたら、本当はあちらの方で、なんぢゃ、この家の住人は、と警戒心を高めているかも知れない。私は本当の意味で「平和主義者」で、専守防衛、攻撃されないかぎり、こちらから攻撃をしたりはしないんだけどね)

 またテロである。邦人が八人も(うち七人は亡くなられたのそうである。赴任先の国に貢献しようとお考えの、素晴らしい人たちであったに違いないのに! お気の毒である)被害に遭われたのだそうだ。

 人を理不尽な手段や理由で殺しても、そんなことは勝利にも革命にもつながらないよ。しょせん人は、いろんな人と関わり合わないと生きていけないし、豊かな人生なんてありえない。人はいつかは放っておいても死んでいく者だけど、殺害という手段を用いて、与えられた寿命よりも早く寿命を断ったとしても、誰も幸せにもなれなければ、誰も得なんかしないんだよ。

 恨みを持った人間を殺すというのであれば、1%くらいはその気持ちもわからないでもないが、無差別テロなんてものに、何の意味があるというのだ。ただ破壊して喜んでいる幼児みたいなものではないか(私は、人が作ったものやそのへんの虫を、ただ破壊たり活きながらばらばらにして、きゃっきゃと喜んでいるだけの幼児を見たことがあるもので。これが私が性善説などあり得ないと考えている理由なんだけど。他にも私が性善説を否定する理由は、山のようにあります。第一性善説と言われる孔子にしても孟子にしても、決して積極的に性善説を唱えたわけではございませんから。彼らは「どちらかと言われれば、人は生まれつき善なるものを持っているのではないかなあ」と言っただけで。まあ、そうしないと「仁」というものの正統性を、主張できなかったからでもあるんでしょうが)。

 人は与えられただけの寿命を、精一杯全うすべきなのです。その中で自分なりに努力し、もがきながら生を謳歌(時々呻いたりもするけれど)すべきなんです、きっとね。少なくとも自分が望みもしなかったような、早すぎる終焉を迎えるべきではありません。(ただし人類に対する大罪がある場合には、多くの良識ある人の手に、その人の運命をゆだねてもいいかな、とは思いますが。わけもわからず、ただ暴走するだけの、偏ったイデオロギーに凝り固まった人もいないわけじゃあないですからね)

 昔、若い子数十人に尋ねたことがあります。「歴史上、一番好きな人は誰?」って。好きな人は結構票が割れましたね。織田信長さんなんか、好きな人も多い代わり、嫌いという人も多かった。きっと性格がはっきりとしすぎているからではないでしょうかね、一応イメージの上で。(私は、信長さんの直筆の手紙…木下藤吉郎、後の豊臣秀吉の妻、おねの方に宛てた手紙だったと記憶しておりますが…を見た瞬間…あまりに達筆すぎて読めませんでしたが…この人はとても繊細な人だと感じましたけどね。もっと繊細で、この人、女性?とまで思ったのは、武田信玄さんの手紙にある文字でしたが)

 では「嫌いな人は?」と尋ねると、アドルフ・ヒトラーがダントツだったと記憶しております。理由はたいていの人には想像できると思いますが。中に「フランシスコ・ザビエル」という人が2人ほどいましたので、「どうしてザビエルなんかが嫌いなの?」と聞いたところ、「テストで間違えたから」とのこと。人が歴史上の人物を嫌う理由は、いろんな理由があるもんだと呆れましたけれどね。(同じ理由で、アウストラロピテクス…これは個人名ではないよね…、中臣鎌足などの名も挙がっておりました。まさか嘉門達夫さんが歌うように、「なまごみのかたまり」と読んだわけでもないでしょうが)

 人を殺しても、その殺した人の分まで自分が幸せになるなんてことは、絶対にありません。たとえ仇討ちだったとしても(現行法制下では認められてはいませんが)、義務感にも似た縛りからは解放されるかもしれませんが(時代劇なんかでは、よくこんな場面が出てきますが)、それで幸せになれるとは思いませんよ。

 なんて言っても、きっと理解はされないんだろうなあ。イデオロギーに凝り固まる怖さの最大の特徴は、他の意見を聞かなくなることだからなあ。でも意見を聞かないってことは、言葉が通じないってことだから、すでに人間を止めちゃってるのかも知れませんよね。

 ああ、怖や怖や。エボシさまの石火矢よりも、はるかに怖い話でございます。だってエボシは、業病におかされた人たちをも、人として扱っていたんだからね(わからない人は『もののけ姫』を見てください)。

2016年7月 2日 (土)

告知…人は一人で生きているわけではない…

 いやまったく、気持ちよく暑くなりましたな! もう動くの止めようかと思いましたが、まあブーたれる前に、一発動いてみてやれと、動きました。動くのも終盤に差し掛かったころ、やらなくてもいいことにまでちょっかいをかけて(私の、いつもの悪い癖)車がトラブってしまいました。

 私は車がトラブると、ソッコーH君のH自動車に連絡する。車のことはHくんを全面的に信頼しているので、私が「下手な考え休むに似たり」をする暇があったら、携帯電話を取り出すことにしている。(そういえば今月は車検だった!。予定に目鼻がついたら、車を預けてどこかにトンずらしてしまおう…以前は車を預けて、私は海外というパターンが少なくなかった)

 基本私の生活は、こういった人々に支えてもらっている。人は一人で生きていくものではないというが、まさしくその通りである。一人で生活していると、食事を作るのさえ面倒だもんね。いくら料理は嫌いではないと言っても。

 さすがHくん、10分も待たせないで登場した。長い付き合いである。私の性格まで読んでいて、素晴らしい。今度一緒に、呑みにでも行こうか?

 おかげで今日のスケジュールは、最後に残ったどうでもいいこと以外は皆できた。ありがとうございます。すべてみなさんのお蔭でございます。私一人では、とてもじゃないが、こんなにたくさんのことはこなせません。すべてこんな私にでもお力添えくださる方々のおかげでございます。

 今、みなさまのお力添えを、私一人の利で止めてしまわないよう、あれこれと画策中です。近いうちに、何かの形になると思います。請うご期待! なにせ私は独り身なので、山のように蓄積した知識や技術を伝える人がおりませんからな。元気なうちに、誰かに伝えとかないと。

 一子相伝なんてつまらないことは言いません(なにしろその「一子」がいないんだから)。一子相伝なんてくだらないことに拘っていたから、失われてしまった叡智や神技は少なくないのです。

 科学のように、すべての研究データとか結果を残していけば(神技はデータでは残せないと言いますが)、後を継ぐ研究者は、前任者が到達できたところを出発点にできますからね。だから現代科学は着実に進歩しているんだし。

 こうでなきゃ、一人の天才がどれほどの高みに到達したとしても、すべてが失われてしまえば、人類の歴史にどれほどの貢献ができるというのですか! 人は一人で生きているのではない、というのは、実はこういうことなのです。科学の優れた点も、実はここにあります(もちろん弱点もあるんだけど)。

 私は師父から「他是独立的」と評されましたが、何のために独立的なのかというと、より高みを目指すためでございます。他人と一緒にわいわいとやることも嫌いではないけれど、取り組んでいることの価値の大きさ重さを知った時、では自分はどこまで上れるのだろうか、と思いましたよね。

 こうなると、他人さまのやることなんかに構っている余裕はなくなりましたよ。自分なりに必死で高みを目指してよじ登ることしか考えなくなりましたね。だから悪いけど、他人さまに指導している余裕なんてありませんでした。また師父がいい人で、それを理解して、個人的に指導までしてくださったし。

 でもね、ここにきて若干、考えがかわりつつあるんですよ。とりあえず私でわかることなら、知りたい人に(邪心がある人はお断りいたします。誰に、何時、何を、どの程度まで、どのように伝えるかは、私が決めることですからね。だいたい謝礼などを受け取る気がないから。だって、ともに練習する人って、「仲間」でしょ? 仲間から金は取れないよ)は、ともに練習するという形なら、もう解禁してもいいのではないかな、と。

 ちなみに私は、もう五十年は生きるつもりなので、その間にいろいろな変化はあると思う。言っていることがガラっと変わっても、お金は取らないから許してね。進歩の程度によって、理解や認識は変わるものだから。

 まあそれでも、人が今よりは健康で、元気に長く生きていけるようにする方向で、練習は考えているんだけどね(元気でもない人が、強い筈ないでしょ。実戦は時間無制限で、様々な条件アリアリで行うものだからね。どんなに強くったって、短命で墓の下に入ってしまえば、誰かがやってきて墓石を蹴倒したって、これをぶっ倒すことはできないもの…よゐこの皆さんは、絶対に真似をしないようにしてくださいね!)。

 競技で大会に出場することを目指している人には、当然それ用の練習がある。(これも決して苦手というわけではなく、むしろ得意ですが)ただ人生を戦い抜くとなると、いろんな要素が入ってくるから、それなりに難しくもあり、その分楽しかったりはするんですけどね。

 できたら秋ごろ(秋のアタマには合宿が入っておりましたっけ)にはスタートしたいと思いますが、連絡していただければ、この夏からでもOKな部分もございますよ。ま、目立たないように、ひっそりと始めるつもりでいますけどね。商売を始めるわけじゃないから、特に宣伝までする気はございません(ただ告知はしておかないと、誰も知らなかったと後で言われるても困るので)。

 ああ、夜に入ると、いい雰囲気ですな。こんな夜はビアガーデンで盛り上がりたい気もしますが(一人でどうやって盛り上がるんじゃい!中島みゆきさんもうたっているように、「一人で泣けても、人で笑うことはできない」…『Maybe』…。一人で笑い転げていたら、「気の毒に、あの人も一人で頑張っていたけど、とうとうちょっと頭にきちゃったのかね? と言われるのがオチじゃない)、もう少しだけやりたいことが残っているので、我慢しとこう…

2016年7月 1日 (金)

世界の端から端

 雨が上がったことだし、ちょっくら動いてやろうかと思ったら、まあ中途半端な汗はかけた。雨が降っても花は咲くわけで、途中で野草に目を奪われていたのが最大の理由である。

 それでも汗と言う水分が抜けた身体には、アルコールはよくしみていくみたいで、すっかり酔っぱらってしまったなあ。(おかげでキーの押さえ間違いだらけだ)

 キーの押さえ間違いをするくらいだから、ハンドルなんか握ったら大ごとだ。私はアルコールが入った状態では、絶対にハンドルに触れることすら嫌だが(アルコールが入ると、こんな気を使う作業は、とても面倒い、と感じる。とっとと寝てしまいたいというのが本音だ)、DVDなんかを鑑賞していても、時々寝ている(肝心なところを見落としていたりして)。

 お茶は少し前から「水出し鉄観音」に換えた。毎日2ℓは作る。毎日作っているということは、水出し鉄観音だけで、確実に2ℓは消費していることになるわけで、この他にも普洱茶も飲めば、コーヒーも必ず毎日飲む。ビールも飲めば、ギムレットもジョッキで飲む(この二つは、厳密には水分補給にはならないのだそうである)。もちろんオレンジジュースも飲むけどね。

 最近思い始めたことは、私の豊かになってしまったおなかは、そのほとんどがお茶なのではないだろうかということだ。だからすぐに落ちるよ、目方もウエストサイズも(そんなに簡単に、偉大な皮下脂肪さまが落ちるとは思っていない。ましてや梅雨の晴れ間に、ほんのちょっと動いただけで、皮下脂肪が簡単に落ちるものか)。

 まあ熱中症予防にもなるから、どんどん水分は補給すればいい。余った分はトイレで排泄するとか、汗をかけばいいだけのことだから(洗濯物が大変だが)。

 ただ熱くなると嫌なことはたくさんあるけど、PCデスクの上の花(私はいつも花瓶に花を活けている。これは習慣のようなもので、花がなければ寂しい。肉体の栄養分は食べ物だが、花は心の栄養分?になると思っている)が、すぐに「熱いよお~~…」と萎れてしまうことも、その一つだ。おかげで夏は、花代もかなり負担に?なる。

 まあ私は基本的に花が好きだし、花に生命を助けられたこともあるから、毎日花を身近に置いておきたい人なのである(桜なんか、お酒と一緒に呑んじゃいますけどね)。だから今日なんか、久しぶりにみかけた花(見かけない年には、全然見かけないんだけど、今年はあちこちに咲いています。花も、咲く年と咲かない年があるみたいですね)があったので、ジョギングは急きょ中止。

 そのまま急いで走って帰って(たぶんジョギングよりもまじめに走った?)、車に乗り換えて急行、駐車してから咲いている場所まで急いでいき(たぶんジョギングよりもハイペース?)、大急ぎで採集してから、こんどは落ち着いてジョギングをして帰宅した。ジョギングしているのやら、野草の採集をしているのやら、自分でもちっともわからなかった。

 今日の収穫はこのほかには、私が2~3歳のころの、(認識上の)世界の東の端(じいちゃんが持っていた一番東の田んぼ)から西の端(叔父さんがもっていた一番西の田んぼちかく)まで走れたことだ(おかげで帰宅したころには、かなり暗くなりかけていた)。当時の私の世界は、こんなにも狭かったんだねえと、感慨にふけると同時に、最近の工事によって、当時の面影がちっともなくなってしまっているのに愕然とした。

 どうりで家の近所で道に迷うはずだ(我が家周辺も、どんどん家が建ったり、店舗が進出したりで、日に日に様相が変わっております)。おかげで便利は便利なんだけど(我が家からわずかの範囲に、たいていの種類の店舗がございます。どんどん出不精になってしまいそうだ)、子供のころの思い出が実態としては残っていないのがさみしくもあります。

 でも新しく作られた公園の、浅い池に水たまりができていて、覗いてみるとオタマジャクシがいっぱい泳いでおりました。水が干上がる前に、カエルになれるといいね(まだ足は生えてはなかった)。

 生き物って、少々環境が変わったくらいではなかなか諦めない。なんとか適応して生き延びようといたしますね。私も彼らを見習って、雄々しく生きていきたいものでございます、はい。

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