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2016年8月31日 (水)

好きに生きる

 やれやれ、八月も今日でおしまいである。明日からは九月だ(あたりまえか)。時間の流れは、本当は均一のペースで流れているんだろうが、それを感じる人間の側から見れば、時に早く流れたり、ときに遅く流れたりするんだそうな。私的には、ただの「認識の問題」に過ぎないと思いますがね。

 この「認識の問題」ってえのを考え始めると、つくづく思うのが「人間って、なんてわがままなヤローなんだ!」ってことですね。やれ「個人が認識しない世界は、その個人にとってないのと同じだ」とか。バッカじゃなかろかね。そいつが認識しようがしまいが、世界は確実に存在しているわけで、てめーが世界の価値基準の中心になっているような、こういった世界観は、私は嫌いです。(こんな世界観は、どこかの国の誰か…一人とは限りませんぞ…に任せていればよい) 

 心優しい?人たちならば、世界は人間の数だけある、なんてえことをおっしゃるかもしれませんけどね。これまた「認識の問題」で。

 私なんか、そんな難しいことを考える気にもなれないので、誰がどんな認識をしていようが、「自分のやりたいように生きた奴が勝ち」だと考えていますからね。人がそれをどう評価しようが、知ったことか!なんちゃって。

 この評価ってやつがなかなか曲者で、人が別の人を評価するとき、「自分に都合のいいように評価する」のが、普通に行われていることなんだね。その人の真意なんて、ほとんどの人は考えない。ここに「解釈の面白さ」が発生する。

 本当は大変に功績があった人でも、評価する観点を変えれば、とんでもない無駄な人生を送ったことになるし、くだらない生き方をした人かもしれないのに、「すべての物事を超越した、素晴らしく高次元な生き方をした」なんて評価が下されたりする。

 特に学者さんたちは、自分の学説に有利になるように先人の言行を解釈していくので、まあ話半分かな。もう何十年、何百年前に死んでしまった人は、「そりゃ、俺が言ったことと、まったく意味が違うよ」なんて言って出てこないからね(怪談話には、少々秋になりすぎましたか?)。

 その点私なんか、身も蓋もない。評価基準は単純至極。現実に「使えるか、使えないか」だからだ。もちろん、史書に書かれた時代と、現代は異なる。当時は通用していても、今はまったく通用しないこともあるだろう。でもそんなことは、現在を生きている私には無関係である。

 何故かって? 読んだものが使えなければ、読むのに費やした時間と労力は無駄だからだ。読む以上は使う、というのが私の根本姿勢であり、研究自体が目的の研究者とは根本的に異なるのがこの点だ。人はみんな忙しい。死ぬまでにどれほどの時間が残されているか、神ではない人の身には知るすべもない。だから、無駄をしている余裕など、どこにもないのだ。

 ま、その分、読んでいるときに、かなり真剣になっているんだけどね(私が読んでいて眠くなる本といえば、無意味な本である。大学入試によく出題される文壇の大御所とかつて言われた人の本など、この典型だ。この本に目を通している間の時間は、ただ「睡眠のための準備」にしかなっていない。…私は買った本は捨てない主義なのだが、たぶんこの人たちの本は捨てたと思うよ。マジに読む必要を感じなかったから。孔子は大嫌いだけど、『論語』はまだ捨てていないので…孔子直系の子孫が書いた本…、彼らの書よりは、高く評価しているのだろうか。私的には『論語』だって、突っ込みどころ満載の本なんだけど)。

 なんでも同じでしょ? 園芸店に行けば、きれいな花がいくつもあるけど、きれいだからというので全部買いますか?ってはなし。自分で植え育て、鑑賞するには、それだけの値打ちを感じられなきゃ。人間だって、似たようなものかも知んないんだけどね。

 悲しいことに私は、植物を植える場合の価値基準は、他人様には説明困難だ。私が「面白い」と感じたものは、その辺に生えている雑草でも植えるけど、面白みを感じなかったら、どんな希少種でもスルーしちゃうからね。

 この「面白味を感じる」ってえのは、おいそれと他人に説明するわけにはいかないので…自分でもわかってなかったりして…、「聞いてくれない」ことが一番だ。だって誰かが感じる面白味なんて、別のある人からみたら、きわめてありきたりで、平凡を通り越して俗俗俗俗俗俗……超低俗なことかもしれないし。

 ま、そんなことはいいや。夕方になってようやく、風が弱まった。なにがしたかったんだろうね、あの台風10号ってとーへんぼくは。東北のほうでは、人に被害まで出ているという。だから、平和に暮らしたいこの国に、台風なんかは来ちゃいかんというのだ。

 天災の一番気に食わないことは、どんな善人でも被害者になることがあるということだ。逆にどんな悪人であろうと、助かるときには助かる。人格のない奴や、価値観がまったく異質な奴は、これだから好きになれないのだ。

 それぞれの人が、他人にできるだけ迷惑をかけない範囲で、自分の好んだ人生を満喫するのが、一番いい生き方なんじゃゃないかね。そういう意味で言えば、わが日本はこの世界中の中で、割と成功した国だと思いますね。(災害が多いのが難点だけど。これはまあしょうがない部分もあるんで… 🎶酒はうまいしネエチャンはきれいだ🎶…さあ、いつの時代の歌でしょう。ミリオンヒットになった歌なんだけどね)

 ということで、今晩もこれからが稼ぎ時(ドロボーに行くのではないよ、念のため)。さあ、気合を入れてガンバロー!

2016年8月30日 (火)

迷い

 一気に秋ですな。台風一つでこんなにも気候が変わるんだから、あの渦巻きの威力はすごい。おかげでBBQはできずじまいですが、涼しくなったので、電気の消費量は一気に減った?今も窓を開けっぱなしてPCの前にへばりついておりますよ。

 どうせまだまだ気温は戻ろうとするだろうし、少しは天気の安定した時期だって来るだろうし。(蚊が激減したのは大助かりでしたな! 台風が風で吹き飛ばしたのだろうか? 蚊っていう昆虫は、横から風を当てると、飛ばされまいとして必死にものにしがみつく習性があるということなのだが、あの風じゃあ、しがみついても飛ばされるよね、きっと)

 私の記憶に間違いがなければ、昨年は秋らしい秋が長かったような気がしている。これは大変にありがたいことで、電気代が助かるだけではなくて、生活していて気持ちがいい。気持ちがいいと、いろいろとやりたいことが増える。やりたいことが増えると、結果的にはたくさんのことをやっているので、生活が充実する。好循環である。

 もちろん睡眠時間は短くなるんだけどね。もう「読書の秋」だなんて言っている余裕すらない。読書はほんの短い暇を見つけて行うしかなくなるんだよね。人間、出力モードになると、なかなか入力はできない。(とかなんとか言いながら、今この瞬間もページを開いたままの本が、ひい、ふう、みい、…五冊あるんだけど。日本語の本がたった1冊しかないのが悲しい…)出力しながら、同時進行で入力しているんだろうか? 自分でもよくわからない。

 ありゃ、またしても雨が降り始めましたよ。風も急に強くなった。どーなってんだろーね、この腐れ天気は! 水やりだけは心配しなくてもよさそうだ。(その代わり、草ぬきの恐怖が…!) BBQの準備は、買ってきたまま車の中から出してもらえず、「いつになったら出番が来んの?」と言っている。

 もうちょっと待ってね。気分と体調と、天候とがそろわないと、やる気にならないよ。そうだ!久々に錦水の焼肉でも買ってこようか。あそこのお肉は美味いからねえ(涎……)。我が家の庭なら、べろんべろんに酔っぱらっても、飲酒運転の心配はないから(火の片づけだけしたら…我が家には魚を飼っている都合上、溜め水がやたらとたくさんある。中には十年以上モノの水もあって、水中の微生物も満載だ…OKだ。そうだ、そうだ、そうしよう。ただし、肉を買いすぎて、食いきれない気がするんだけどね。やっぱ「一人BBQ」は不経済だ。でもやるぞーっ‼)

 実は今日は、お酒の買い出しに行ってきたので、お酒だけはたんまりとある。外にBBQ用のコンロをセットすれば、大きすぎる魚が釣れても怖くない(何度か経験した。クーラーもボックスから半分くらいはみ出すくらいのやつ。母はいつも三枚におろして、小さく切り分けて煮魚にしたりしていたけど、今度は丸のまま焼けるぞーっ‼ って誰が食うんねん? そんなに大量に。なんだか原始狩猟生活に戻ったような気がいたしますな。獲物が手に入ったときは、めちゃくちゃ大量に食えるけど、ボウズの時はすきっ腹をかかえて寝る? まさかね)。

 ああ、御屋形様について、山での狩猟をおぼえておくんだったと、最近とみに思いますな。当時は銃刀法の規制が厳しくて、一度許可を取りにいったら、生活安全課の若いおまわりさんに、こんこんと諭された。「あんたなあ、猟銃を撃つってことは、他の生き物の生命を奪うっちゅうことなんだよ」 じゃあお前は飯食わないのか。稲だって生き物だぞ! 

 私よりはいくらか若そうなお巡りさんに諭されて、面倒になって取得許可申請をやめちゃった。(実は当時の岡山県の、許可認定の最高責任者とは知り合いだったので、その直後に会ったときその話をしたら、「あ、私から一言言っとこうか?」と言われたのだが、やっぱり面倒なので止めた。あのとき取っておけばよかったのかなあ?)今じゃあ害獣(イノシシ、シカなど)が増えすぎて、許可は取りやすくなっているんだそうな。時代は変わるねえ。

 でも、もしも、だよ。今から始めたとして、やっぱ肉保存用の大型冷凍庫が必要になるでしょ? 台所でちまちま包丁を使うのとは同じようにいかないので(大変に疲れる肉体重労働です)、それなりの施設も必要だし、だいたい獲物を山から運ぶ車だって必要なわけじゃない。けっこう高くつきますね。

 てえことは、やらないほうがいいのかな。どうせ一人で全部食えるわけじゃなし(誰だ? 俺が食ってやるって言ってるのは?)。

 妙だな… 強風が突然吹き出したのだが、風向がころころ変わっているぞ。ちょっと屋外を確認… ……別段、変わった雲は見えてないので、どうってことないでしょ、きっと。

 さてさて、入浴の準備でもして、ひとっ風呂浴びてから、仕事に精を出しますか。

2016年8月29日 (月)

安眠妨害は腹が立つ!

 ねむいよ~っ!

 昨夜(今朝)、やっと寝付いたと思ったら、雷だもんね。わりと近かったのか、盛大に大騒ぎしていきやがりました。おかげで音にたたき起こされた感じで、ろくろく寝られなかったよ。

 雷といえば夕立で、夕立といえば夕方近くに起こるから夕立なわけで、明け方近くなって起こるのは「朝○ち」(う~ん、男の子?)。私みたいな生活パターンの人間からみれば、見事なまでに安眠妨害だ。

 おそらくはこの、くそたれ迷走台風10号に伴うものなんだろうが、こんなものはすべて平和な生活を望まぬ国に上陸すればよいのだ。そうすれば自国民の生活の安全と、防災のほうに力を注がざるを得なくなり、少しは「平和な生活」のありがたさがわかるのではないかと思うからだ。

 実際、領土の拡大なんか考えている国民(それによって直接的利益が得られる国民)なんて、大勢いるわけではないだろう。大多数の人間は、毎日の安全で、そこそこ貧しくない生活のほうが重要なはずだ。実際は貧困も危険(暗殺は知らない)も、ほとんど関係ない連中が、平和を乱す行為を起こす。

 こんなことははるか昔から歴史で明らかなはずだが、正しい歴史認識をせず、正しく歴史に学ばない人々は、相変わらず愚行を繰り返す。経営不振に陥って、必要なお金を自ら生産することができず、あちこちから金を借りまくるのと同様(怖い金融屋さんからお金を借りているようなもんですね)、国内での問題を、国外の危機に振り替えた国なんて、みんなうまくいかなくなって、最終的には滅びてしまう。

 そんなことを学ぶのが「歴史の勉強」なわけで、あったことなかったこと、なかったことなかったことをあれこれごちゃごちゃ言い回し立って、そんなものは現実には国を自立させることにはつながらない。なぜかというと、賠償金で一時的に潤っても、それはしょせん自国で生み出したお金ではないからだ。こんなことも「歴史」は教えてくれる。

 まあ「歴史」がどうたらこうたらと偉そうなことをいう国に限って、たいてい歴史をまげているもんだけどね。自分が曲げちゃった歴史を他者に注目してもらいたいから、ことさらに目立つようにしむけるわけだから。

 自分が正々堂々と、自らの信じる道を、誰に恥じることなく歩いていれば、そんなもん人様に偉そうに言い立てるものではないからね。自国に現れた偉人にしたって、特にその国の人が自慢すべきものではない。

 文化が違えば偉人の価値基準だって異なる。どんな偉人だって、文化が違えば価値は大きく異なる。有名な話だが、かの楽聖ベートーベンですら、原始時代に生まれていたら、ただの聴覚に障害を持っただけの、意固地で偏屈なおっさんに過ぎない。当然偉業も名前も残らない(つまり歴史で名前を知ることもない人間である)

 私は内モンゴルから留学で来ていた人(もう帰国しましたが)に岳飛将軍の話をしたら、「その人、中国の北部では嫌われているよ」と言われた。そりゃそうだ。遊牧民族征伐で名を挙げた人だもの。同じ国ですら、英雄が悪党に変わってしまうことがあるのだ。

 かの帝国海軍の山本五十六元帥ですら、アメリカではテロリスト扱いだというし(実際に素晴らしい言葉を残しておられ、日本人としてこの方をテロリストと一緒にするな!という気が強いけど)、そんなこんなもすべて学び、どこがよかったのか、どこがよくなかったのかを学ぶのが「歴史に学ぶ」という姿勢だと、私は考えている。

 だから孔子なんかを聖人と言われたって、そりゃあの国の人たちが言っているだけで、我々日本人までもがあの国の価値観に倣う必要なんか、ちっともないと思っている。少なくとも私が知っている生粋の日本人で、孔丘のことを「孔子様」と呼んでいた人間は、胡散臭いやつが多かった(ちなみに日本では孔子ほどには老子を勧める人がいない。『老子』を強く勧める人にも、なかなか曲者がいる。ようするに人は「自分にとって都合がいいものを相手に勧める」傾向が強いってことだ)。価値観が違えば、たとえ一部で「聖人」と呼ばれていようと、ただの人であったり、めんどくさいだけのおっさんになってしまうのだ。

 こういうことを学ぶのでなければ、歴史の勉強なんて、年号と人名だけの、しょうもない、ただの暗記の教科でしかなくなる。暗記することにも意味がないとは言わないが、入れた知識は有機的に使うことができなければ、生きていくうえでの意味はない。

 とまあ、明け方の雷から、大層な方向に話が発展してしまったが、今晩は安眠させてくれるんだろね?

2016年8月28日 (日)

 一昨日、予想外のことに体調を崩してしまったが、おかげで昨日、今日と、朝から晩まで、日ごろ見たくても見られなかったDVDを見た。頭の中は、すっかりDVDの内容に染められた感がある。考えてみれば、こういう時間は必要だったのだ。それを「忙しい」の一言のもとに、避け続けていた私が悪い。体調だって、神様のご意思で、無理にでも休まなければならない状況にしてくれたに違いない。

 ところが一緒にいたTさんはずいぶん気にしてくれて、昨晩も連絡をくれていた。私が気が付いたのは今朝になってだったので、連絡が遅くなってしまった。大変悪いことをしてしまった。せっかくのお気遣いに、すぐにお応えすることができず、不要なご心配をおかけしたのではないかと思う。ごめんなさいね。

 実にこれは日本人の素晴らしい美徳だ。まずは相手のことを気に掛ける。聖徳太子の昔から、他人のことに気を使いなさいと書いてあるが、この気遣いこそが日本人最大の美徳の一つではないかと、私は考えている。

 人間誰でも、自分が一番可愛い。だからまずは自分のことを考える。ところが日本人という人種は、まずは他人のことを考える。それが身内であったりしたらなおさらだ。この身内に対する思いやり(愛情)のことを、孔子風にいえば「仁」となる。

 ところが身内ではなくても、自分と親しく付き合うものをはじめとした他人さまにそそぐ思いやりもある。ちなみに私は、面倒なことばかり言って、あれをせい、これができとらんなどと説教ばかりかましたがる親戚(仁の関係)よりは、自分が信頼して付き合っている友人のほうを大切に思っているが、この気持ちを孟子風に言えば「義」という。(私は孔子はボロクソに言うが、孟子はさほどでもないのは、こんなところに理由があるのかもしれない)

 だから血はつながっていないけれど、親子兄弟同然のおつきあいをする人のことを「義兄弟(義姉妹というのは、法律上の呼び方を除き、寡聞にしてしらない。誰か知っていたら教えて)」という。血はつながっていなくても、肉親同様の交わりをするということだ。

 こういった言葉が生まれた某隣国では、こういった概念は今でも通用するのだろうか。まあかの国では、血縁関係はけっこう今でも重視されてはおりますが。「義」のほうはどうなんだろうね。

 ちなみに私の仲良しのかの国の人(数人いますが)は、これはもうほとんど義兄弟(妹)に近い存在だ。実際にかの国に行ったことがなく、行っても観光客としてだったり、商売上のつながりだけしかしていなかったら、あまりこんな感覚はないかな。義兄弟なんていうとわが国では、特殊な社会でしかないと思われがちだけど、義の本当の意味がわかれば、わりとみかける関係なんだよ。私は彼ら(彼女ら?)の行動に、何度となく義を見せつけられ、ホテルで号泣したことがあるからね。

 かの国にも、まだ春秋戦国の気風を残した人はいるんだよね。ただ誰にでも私のような考えややり方を勧めはしない。私はどこに行っても私であって、一ミリもぶれさせないので(この日本という国と、日本人という人間が大好きなので)、どこへ行っても言いたい放題、やりたい放題(って、めちゃくちゃをしたりはしないよ。日本人は民度が高いのだ)、そういった私を深く受け入れてくれた人としかお付き合いはしない。マスコミの報道だけに頼ると、親○国、反○国の両極端に分かれてしまう(これがマスコミのやり方だとは思わない。レベルの低い扇動だと思っている。レベルの低い扇動しかできない連中のレベルは、当然低いわけだが)が、世の中そんなに簡単ではない。

 この日本にだって、くだらない連中はけっこういるし。私は日本大好き人間なので、その手の人間が増えないことを切に願っている。日本は未来永劫に、日本であってもらいたい(でなきゃ、日本って国である必要がなくなってしまうじゃないか!)。でも海外の人でも、「この人はいい」と思えば、ほとんど身内同然の付き合いをいたしますよ(大半の親戚よりも、付き合いが濃かったりして)。ただし相手に無理やりこちらの考えや伝統、文化を押し付けたりはしない。それをやってしまったら、強制的に日本人を作っているのと同じだからね。これは脳みそ洗いだから。

 相手が日本の伝統文化が好きで、それを取り入れたいというのであれば、それは反対しないし、むしろ援助してもいいくらいだ。ただ日本という国は、数千年の年月を重ね、いろんなことを経験しながら、今の日本の文化を作り上げたんだと理解してもらわないと困りますけどね。いいところだけはすぐ理解した気になるけど、自分に都合の悪いことは無視したりする人もいるから。

 たとえば好きな人ができたとする。ではその人のいいところだけが好きになれば、本当に好きなのか? 違いますね。欠点すら含めたすべてのことが「愛すべき」だと感じられて、はじめて本当に好きになってしまったわけで(恋愛の場合は、「あばたもえくぼ」なので、恋愛が成就して数年もすると揺り返しがきて、「えくぼもあばた」になってしまうこともあるようですが…笑 もっとも恋愛には「欲」が少なからず絡んできますから、義にはなりえないんだけどね)、そうでなきゃ本当に好きとは言えませんよね。

 ま、世の中「お義理で」なんて言葉もあるくらいで、なかなか「義」という意味もつかみにくくはありますが。

 

2016年8月27日 (土)

明日

 はい、どっこいしょっと。

 オリンピックが終わると、マスコミのオリンピックネタはどんと減る。オリンピックの前は尖閣ネタだったのにんねえ。マスコミは「売れてナンボ」というところがあるから、しかたないのなかねえ。

 熱しやすく冷めやすいのは、ある意味美徳ではあるけれど、ほかのある意味では大変な弱点だ。その点私なんかはしつこいからねえ。恥知らずにも(私の価値基準では)、この前どこたらで日本のことを口汚くののしっていたのに、掌をひっくりかえすようなことを言っている人間を見ると、「……」となってしまう(言っとくけど……には褒め言葉は入らない)。

 もちろん一つの国家の責任ある地位に就いている人なんだから、私みたいな「言い放題」なんてことは許されず、つねに国益を意識した発言をしているんだろうけど、そんなにコロコロいうことが変わったんでは、その人の属する国家を疑ってしまう。つまりは一定の価値観がないのだ。

 だから一定の価値観を持たない、その場その場のご都合主義に流される国の人々をみると、私にはみんな同じ顔に見えてしまう。同じ価値観を持ち、同じようなことしか言わない人は、私にとっては「顔なし」なんだね。

 ま、そんなことはどうでもよい。世界が平和で、人々が人生の楽しみを享受できるのであれば。同じ顔をしていようが、百人千色だろうが、それはそれでいいのかもしらない。平和はいい。ほかのことに忙殺されるかもしれない時間や労力が、自分のやりたいもののために使えるからね。

 昔々、私が大学に行く前の年だったかに、私の友人の一人が言った。「俺は戦うくらいなら隷属を選ぶ」 この時の私は、「こいつ変なことを言うなあ」と感じていただけだったが、今の私なら木っ端みじんに論破してしまうところだ。

 隷属したものは、そのご主人様が「戦え」と命令したら、戦わないわけにはいかないんだからね。隷属とは、自分の意志で自分の人生を決められないことだから。私的に、は隷属なんて状態は、2000%ありえないし、絶対に容認することではない。

 自分で思うように生きた結果、ひと様から見てあまり感心できない人生はあるだろう。隷属したがゆえに、ある程度は保証された人生もあるだろう。ではどちらを選ぶ? 人にそう尋ねられたら、私は間違いなく「思うように生きたい」と答えるだろう。

 思うように生きて、出会ったナイスガイたちと酒を酌み交わして、明日の安定よりも、今日の充実を選ぶのではないだろうか。だった明日が駆らなずやってくる保証は、どこにもないんだからね。

 今日を思いっきり充実させて、明日も今日にまけないくらい充実させて… こんな人生を生きるよりは、明日の自分をちまちま心配しているよりは、はるかに私には向いている。(人がどんな生き方をするか、なんて、私は知ったこっちゃあない。自分の人生を生きるだけで精一杯である)

 後に何が残るのかは知らないけどね。どうせもう数十億年もすれば、アンドロメダ大星雲が我々の銀河系に衝突するわけだし、そのあとは太陽が大きく膨張して、地球なんか飲み込まれちゃうんだから。

さ、明日はなにをして充実するかな?…とりあえず、よく寝とこう…

2016年8月26日 (金)

台風の大馬鹿野郎!

 くそたれ台風は嫌いです! 予定が全部狂っちゃった。疲れました。今日はもう寝ます。

 帰宅したら、わけのわからない雨で、洗濯物はずぶぬれでした。天気とけんかしてもしかたがないというけれど、腹が立つことは違いありません。

 明日は死んだように、家から一歩も出ないからな!

 ということで、酒でも飲んで寝ます。

 台風なんぞ、日本に天災があるたびに喜んでいる国に、全部いけばよいのだと。罰当たりにも思いましたね。ついでに地震も。平和に暮らそうとしている人間には、平和を!

 自然は、こんなに温厚に暮らそうとしている人間の邪魔をするんじゃないっ‼

 もう、呑む! 断固として呑む! 明日のことは、明日考える。Tomorrow is another day! にする。おやすみっ!

2016年8月25日 (木)

暗闇でウィンク!

 台風の影響なのか、先日から妙な空模様だ。

 空ばかり見ながら車を転がしていたりすると、事故の危険が増える。空を見ていて事故ったら、「そらみたことか」と笑われるのは目に見えているので、雲を見るのは車を停めてからにしよう。

 そうでなくてもポケGOで、全国初の死亡事故が起こったりしたらしいから、わき見運転、注意力散漫運転、メール運転など、運転以外のことに気を取られることは、よしたほうがいいにきまっている。法律で禁止されている、いない以前の問題だ。

 日本人の最大の美徳は、他人の身になって考えるということだ。他人の迷惑にならないように生きるのは、我々日本人にとってはDNAレベルの話ではないかと思う。日本人の遺伝子に恥じない生き方を心掛けたい。

 私個人の考えでは、儒教における礼儀作法とは、自分の身を守るために発達した。だから相手に失礼にならないようにするには、一つの作法があり、それを守っているだけでよければ便利だ。恭しさを演出できれば、相手を不愉快にしない。相手が不愉快にならなければ、自分の身も危険にさらされたりしないという理屈だ。

 ところが日本の場合は、相手の身になって考える。相手にとっていいと思われることをする。純粋に相手のことを大切に思うがゆえの行動をとる。もしも相手にこの気持ちが伝われば、相手もこちらを尊重してくれる。こうして人々の間に「和」が広がっていく。まさしく聖徳太子が「以和為貴」と、十七条の憲法で真っ先に主張した理念だ。

 私はいわゆる固化した儒教は大っ嫌いだが、なぜかというと、そこには権力者や上のものに媚びへつらって、自分が富貴になったり、生き延びたりしようという厭らしさが見え隠れするからだ(もちろん儒教のすべてが悪いといっているのではない。いいところもたくさんあります。孔子の好き嫌いは別として、優れているところは、優れていると認めております)。

 これに対して日本の美徳は、まずは相手を大切にしようという気持ちだ。オリンピックの閉会式で、総理大臣ですら、ちゃんと「おもてなし」の心を具現化しようとする国なのだ(そんなことを言えば、災害があったときには、天皇皇后両陛下ですら、被災者の前で膝をついて、まったく同じ高さの目線で、慰問をされるのだから、総理大臣がこのようであるのも当たり前っちゃあ当たり前かも)。我が国以外で、世界中にこんな国があるだろうか?

 どれほど他者に対する暖かい気持ちで、この日本という国がつながっているのかがわかる。私が日本人に生まれて一番誇らしいのは、実はこういう点だ。

 ただ残念なことに(今回のリオオリンピックの閉会式では、世界的に公開されましたが)、世界中のほとんどの国は、日本のこういった美徳を知らないということだ。今の世界がどれほど日本を見習わなければならない点が多いだろうか。よく日本を理解してくれている外国人の中には、私なんかよりはるかに詳しく日本の美徳を語れる人がいるが(一日本人としてお恥ずかしい限りです)、日本人も日本の優れたところをもう一度見直して、さらに世界に向けて発信すべきではないかと思う。

 ところが日本の美徳の一つに、自分から派手派手しく、自らの美点をひけらかさないということがある。文化の違いというのかなあ。他国は少しでも自国の優れた点があれば、どんどん宣伝してくるので、時に「暑苦しいなあ」とか「うえぜえなあ」とか感じることがあるけどね。

 そんなに宣伝しなくても、「優れているな」と感じたら、黙って学んでいますから、心配してくれる必要などないんだけど。

 儒教でいえば『論語』。この孔子とその弟子たちの言行録が日本に入ってきたのは、紀元295年頃から300年頃ではないかと推定されている。聖徳太子の十七条の憲法が発布されたのは、危言604年だから、この間300年。

 この300年間に、論語の内容は日本人の中で完全に消化され、日本という国の土壌に適合する形に変えられているのだ。そして十七条の憲法に反映されたりしている。儒教の導入にしても、ただただ新しいものに飛びつくような軽はずみな行為ではなかったことがよくわかる。これが日本なんだよね。

 ただ我々日本人は、そんなことを喧伝したりはしない。ただにっこりとほほ笑むだけである。それを「意思を明確にしない」などと批判する人もいるようだが、微笑んで日本という国がよくなっていくのだから、外国が何を言おうとしったこっちゃないんじゃないか。外国にだって、大きな害を与えるわけじゃないんだから。

 アメリカだったっけ、「宣伝なしに商売をするのは、暗闇でウィンクするようなものだ」なんてことわざがあったのは。暗闇でウィンクしても、それは異性には見えないからねえ。ウィンクするだけ無駄ってもんだ。(相手に見えないところで、相手のためを思って行動することは、日本では大きな美徳なんだけどね!ちなみにこれが一歩進むと、「いちいち言わなけりゃわからないのか、バカ」ってところまでいく)

 だからリオデジャネイロ・オリオンピックの閉会式では、見事な宣伝をしたじゃないですか。今や日本は、やろうとおもえば、立派なウィンクを、白昼にでもできる国になっているんですよ!普段は恥ずかしくてやらないけどね。

 ああ、私はいい国に生まれ、いい時代に育った。最高だ!

2016年8月24日 (水)

自転車人生っ!

 あれ? どこかで一日狂ったぞ… といってもタイムトラベルをしているわけではないし、『八十日間世界一周』(J.ヴェルヌ…古いねえ。今じゃ世界一周に80日も費やしていたら、大目玉だ!)でもないし。

 おかげで23日午後7時までに予約いれとかにゃいけんかったのが、パー…かと思ったら、受付の優しいお姉さん(声を聴いた限りでは、きっと美人!)のおかげで、セーフだった。あぶない、あぶない。

 ついでに26日の準備も、きっちり忘れていたのだが、同時に思い出した。やっぱ、毎晩日付変更線の戦いを繰り広げていると、感覚が狂っちゃうんだろうね。

 それでも思い出したおかげで、ちゃんとBBQの準備はしたし(こういうことだけは熱心だなあ。夕方になって、ホームセンターに飛んで行ったんだよ。翅はないけど)。ついでに目障りだった雑草まで引き抜いていて蚊に食われた(怒‼ 3か所も!)。

 昨夜はなぜかしら眠れなかったなあ(昨夜というよりは、今朝だが)。気温はわりと低めだったのに、妙に身体が熱くてね。軽度の熱中症かと心配したよ(よくあることだけど)。おかげで今日は、夕ご飯後、PCの前でうとうとしてしまった(時に椅子ごとひっくりかえる。ひっくり返ると気を失うか、逆に目が覚めるかのどちらかだ。私的には目が覚めてほしいのだが、すべては打ちどころ次第)。

 いかんいかん。今日のノルマにまだ届いてない上に、ブログも打ってないと、必死で目を覚まそうとした(コーヒーなんか、がばがば飲んでるんですよ。でもいまだかつて私は、コーヒーで目が冴えたことなど一度もない。むしろコーヒーって、睡眠導入剤でも入ってるんじゃないかと思うくらい、すやすやと寝てしまう……飲み物のおかげで眠れなかったことなど、一度もない。寝られない理由はいつだって、まだできてないという強迫観念かな? それと練習のしすぎによる、身体の火照り。その証拠に、練習も仕事もあまりできない旅先だと、爆睡するもん。だから私は、寝ようと思うと旅に出る? 温泉地なんか最高だね。おっと、そうそう。近いうちに温泉地で寝ることにしよう。睡眠不足解消だ…ノートパソコンなどを持ち込むと、悲惨なことになるけど。温泉はいいねえ。近場でいいところ開発しとこうっと。疲労回復用だね)

 明日は明日で、そこそこ用事が詰まっているわけで、朝から晩まで、わりと忙しい。さらにいけないのは、私という人間は、忙しくしていると神経が興奮しているのか、いろんなことに気が付いてしまうんだね。それで気が付いたことまでやっていて、ますます忙しくなっていく。これは真性貧乏性ではないかと、我ながら思うくらいだ。貧乏暇なし、金もなし!

 明後日は明後日で、かねてよりの予定がしっかりと入っており(実は楽しみに待っていた)、これは動かさない。やっぱり1日が24時間しかないのが、とても残念な気がする。やりたいことがいっぱいあって。

 できるだけやりたいことをやろうと思うのだが、そうなると健康管理には気をつけないといけない。健康状態がよくないと、何事も思う存分できないからね。たぶん私が健康管理にうるさいのは、やりたいことが多くて、全部やりたいからじゃないかな。「あきらめる」ってのは大嫌いだし。

 昔からそうだったよなあ。余力を残して一日を終えたことは、あまり記憶にないもん。だいたいが(昨夜?今朝?は違うけど)、気を失って一日が終了。あのまま気が付かなかったら、死んでるんじゃないかな。完全に一人暮らしなので、誰も止めてはくれないし(母がいたころは、母が止めてくれることが多かった)。

 まあ、今日も全力で生きてこれたことに感謝かな。だいぶ前にこんなことを言ってたなあ。「俺のマイペースは、全力疾走」なんてね。自転車と一緒で、スピードが速ければ速いほど、まっすぐに走れるからね。おかげでいまのところ、脇道にそれないで生きております。

 さ、眠いので、今日のノルマ、さっさとやってしまいましょう。

2016年8月23日 (火)

夕方、少し過ごしやすくなった……!

 夕方になって、ずいぶん過ごしやすくなったように感じたが、やっぱり台風のせい? おかげでBBQのコンロを設置する場所にあった切り株の撤去ができた。BBQコンロは、山にもっていってたやつがあるけど、この際だから新調してしまいましょうか。

 なにせ自宅の庭ですからな。今回からはBBQを楽しみながら、思いっきり呑めるぞ~っ! 唯一の欠点といえば、「一人BBQ」ということだ。楽しいような、もの悲しいような……

 以前(といってもまだ父が元気だったころだから、大昔の話)やったときは、家族以外でも猫が飛び入り参加した。きっといい匂いに負けちゃったんだろうね。

 猫は言うまでもなく猫舌なので、冷ましてからやると、まあうまそうに食べたこと。今はチャーちゃんがなくなってから、近所の野良がやってきて、しょうもないいたずらばかりするから(私が刈った草を乾かして、体積を少なくしようとしていたら、その上に大きいほうの排泄をしたりするんだよ!)、追い払っていたら、どうやら私は近所の野良猫の間では「要注意人物」に指定されたらしい。

 かの中国の猫鍋を食わせる店で、遊びに来た子猫をあやすほどの私なのに、近所の野良猫どもはどうして私が怒るのか、その理由を知りもしないで、勝手に恐れる。ふざけたやつらだが、まあ猫にもててもしかたがないので、放っておこう。

 私は自分から他人を攻撃したりはしないが、こちらが攻撃されると徹底抗戦をするので(専守防衛でございます。自衛隊と同じだけど、自衛隊の人たちは、とても自制がきいていて、大局観をお持ちみたいだけど、私はもう少し短気です)、野良猫なんかからみたら脅威なんでしょう。本当は動物好きなんだけどね(しかも好かれるたちだし)。

 ま、いずれにしても、明日じゅうには庭にBBQセットが、いつでも完成できるようにしておこう。近々、使用する可能性が大きいので(たぶん一人BBQでしょうが……涙)。広い庭のど真ん中で、周囲の草木もきれいに除去したので、火事の心配はないでしょう。問題は吸血昆虫だけかな。

 こうなるとこの夏の最低限の課題は、かろうじてクリアかな? あとはもう五つほど切り株を片付けて、車庫の中をきれいにして、稽古環境を整えるくらいですな。ずいぶん様変わりするんじゃないかと思います。

 でも私が小学生の頃は、庭はもっと広かった(ような気がする)し、もっと遊ぶ場があったような印象があるんだけどなあ。あとは徐々に、もっと私の気に食う状態にするだけで。

 裏に倉庫とコケ庭を造りたいけど、まだちょっと忙しいかな。コケってけっこう手間暇かかりそうじゃない? ゼニゴケならべったり張り付いて終わりだけど、スギゴケの仲間でコケ庭を造ろうと思ったら、けっこう難儀なことかもしれない(山の苔が生えているところは、いくらでも知っているけど、連れて帰って枯らしてしまうんじゃ、かわいそうだし)。

 風水なども考え合わせながら、ことを進めていかないといけないので、なかなか頭を使います(ところで日本風の風水と中国風の風水と、かなり違うところがあるんですけど。やっぱここは日本なので、日本風の風水を守るべきだよね…どちらの本も持っている。中国のはDVDまで買ってきている。まああちら産の考え方だから)。

 こういったことは本来、何百年も先まで見通してやるべきなんだろうけど、悲しいことに我が家は私がコロっといったらおしまいなので、せいぜい私が楽しめばいいんだろう。もう五十年は生きてやるつもりだけどね。

 見ていて心休まる家でありたいよね。庭を見てても、いつまでも飽きないような。(だから私は、邪魔をする蚊が許せないのだ!) ま、BBQができるようになれば、秋には野点もできるようになるでしょう(やろうと思えば今でもできますが、なにしろ暑くて)。

 家にいる時ぐらいは、せめてのんびりとしていたいからね(自分の部屋にいるときは、ドトーの勢いで何かをやってますし)。庭にいるときくらいは、凶器(古武器)を振り回していたり(わあ!狂気だ?)、一転してお茶をすすっていたり。どちらも私の一部なので、遠慮せずにやれる環境は作っておかないと。

 とは言うものの、片付けだけでも苦戦している毎日でございます。リオのオリンピックなんて(これからパラリンピックなんだろうけど)、後片付け、どうするんだろうね。大会前は、大会本番に向けて気分も高揚しているだろうけど、片付けとなったら、みんなやる気が失せてしまうんじゃないだろうか。

 後片付けって、いやですからね。よほどお金でも貰わないと、はっきり言って面倒い!

※ ということで、9月の『○○を語る会』は17日(第三土曜日)のつもりでおります。まだマスターと交渉していないので、本決まりになったらここで公表しますね。三連休の初日なので、何かしようかな(今のところ、ほかの用事も入っていませんし。けっこう奇跡的ですが…言ったとたん、予定が入ったりして…笑)。

 ちなみにこの20日のサザエのつぼ焼き(ほぼ)食い放題(?)いかがだったでしょうか? 私のわがままに全面的に協力してくださったマスターには、大変感謝いたしております。また迷惑をかけるかもしれないけど(いつものことで、ほぼ確定?)よろしくお願いいたしますね!

2016年8月22日 (月)

日本はいい国だなあ……

 暑いっちゃね~!(と、突然ラム言葉。現代っ子は知らないかもしれないけれど、かの有名な『うる星やつら』の、ラムちゃんですね~。こう暑いと、テンちゃんみたいに、口から火を噴きそう……ちなみに岡山市の最高気温は35.2℃とのこと)

 ちょっと、心の中が中原中也になっていたので、(かの有名な、「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる……」って心境ですね。前の仕事場では、いつも手の届くところに、中原中也詩集があったくらいだから、好きなことは間違いない。もちろん「さんま苦いかしょっぱいか」の佐藤春夫も好きだし、「ふるさとは 遠くにありておもふもの」の室生犀星も大好きで、引っ越す前の私の仕事場には、いつだって手を伸ばせば届くところにおいてあった。もちろんそのほか海外の詩人のもたくさんあったけど、基本、海外のは、翻訳した日本人訳本家の手柄みたいなところがあるように思うんだけどね。…少なくとも私が原文で読んだ限りでは、あんな美しい日本語は出てこないもの)外は暑くても、心は寒くだったんだよね。

 どのくらい寒かったかというと、まあ南極の冬くらいでしょうか(いい加減言ってます。私は南極に行ったことがないので、南極の冬なんかちっとも知りません)。あくまで譬えだけど。

 まあこのまま放置しておけば、そのうちくたばって、死んで一か月くらい経過してから、半ば白骨化した腐乱死体で発見されるのが、私の最期の姿ではないかと思っているので(そのへんで古武器を振り回したり、型を延々とやっているうちが花かな?)、心の中は、ずうっと氷河期なんですね。時々心の中で、マンモスが現れたりして、自分でびっくりしたりはしますけど。

 まあそれでも、「死んでも春の服を着るよ」と、中島みゆきさんの影響を、ほとんでデビュー以来ずうっと受け続けているから、表面だけは春みたいに能天気にしてますけど。(心の中では、「糞くらえ!」と思っている部分も、少なからずあると思うよ)

 ま、酒は夕ご飯の時しか飲む気にならないから、まだまともかな。やっておきたい仕事があるからね(しかもたくさん!)。それで「生かされている」?

 ところがどっこい、日本ってなあ、いい国ですな! 今日、警察から電話があったのに、気が付かなかったの。着信記録を見て「なんで、警察?」と不思議に思って、さっそく問い合わせた。

 すると受付の女性が(少なくとも、声を聴いた限りでは、美人を想像させた)、「何か心当たりはありませんか?」というので、「きわめて善良に暮らしてますから、まったく心当たりはありませんが」ということで、調べてもらった。

 すると我が家の近所のスーパーマーケットで、私がお金を落としたのを、レジの店員さんが届けてくれたんだって!(カメラ映像を解析して、私だと確定したんだそうな。落とした私自身、まったく気が付いていなかったんだよ。私は財布を持たない主義なので、ポケットから手にひっついて出て、落ちたんだろうね、きっと)

 いつも行くスーパーで、私はだいたい決まった店員さんのところにしか行かないから(いつも、けっこう軽口をたたいて笑っている)、今度会ったら誰が拾ってくれていたのか聞いておこう。お礼しなきゃ。

 私がちょくちょく遊びに行く某国なんかだったら、絶対にこんなことはない。落としたものが返ってくることは200%ない。落としてなくても、カバンの中からでもなくなりかねないような状態だから。

 だから落としたら、もう考えないことにしてるんだよね。でも日本では、これが返ってくる。感動ものだ。安倍総理のマリオよりも感動だ。おかげで「汚れっちまった悲しみ」が、ほんの少しだけど、きれいになった気になった。(やっぱり悲しみは悲しみなんだけど)

 今度は落とす前に使ってしまえと、拾ってもらったスーパーで、買い物をした。どうせもともと失くしたものだ。そう思えば、拾ってくれたところに還元するのは、ものの道理だ(私的には。だから金がたまらないんだろうけど、どうせ一人暮らし。金をためて何をする? と思っているので、このあたりは未練はない。ついでに私のところに投資の話などを持ち掛けてくる人がいるが、私の最大の投資先は自分自身なので、相手にしないことを最初から知っておいていただきたい)。

 だから拾ってもらった金はすべて消費してしまったけど、若干の快さは残ったよ。だから悲しみの汚れが、少し落ちたんだよね!

 やっぱ、日本はいい国ですよ! 日本がよくない国だっていう人は、自分がいいと思っている国に行って(ツアーとか組織やなんかの援助なしに、単身で。だって私なんか、いっつも一人でふらりと行っているわけだから)、しばらくそこで暮らしてみるといい。

 日本の良さを実感するのに、1か月はかからないと思うよ。

2016年8月21日 (日)

真夏の夜の妄想・2 …ああ、眠っ…

 ふわあああああ……

 PCの前で、本棚にもたれて眠っておりました。今日は眠くなる予定だったんだけど、ちょっと時期が後ろにずれたみたい。もしかしたら明日が、眠くて、眠くてたまんないかもしれない。どーしよー?

 この眠さときたひには、まさに抵抗不能で、根性も気合も関係ない。(運転中などにこないようにしなければ)風邪薬なんかの眠気よりも、さらに強烈だ。では何が原因なのか?

 簡単だ。昨日昼に、身体の緊張を緩めてもらったんだよね。私が予想していたよりも、はるかに緊張していたらしいんだ。(緩まる途中で、これは気が付きます)昨日中に眠気がくるかなあと思っていたんだけど、ほとんど影響はなく、今日の昼くらいかなあと思っていたら、夜になってきちゃった。

 これは下手をすると「爆睡状態」が結構続くので(日頃の睡眠不足も、こういうときに一緒になって借金取り立てにくる。「利息」も負けてくんない。そしてなかなか取り立ては厳しい)、明日が不安である。

 リップ・バン・ウィンクルみたいに、数百年も寝てたらどーしよー?という不安がございます。ま、それならそれでもかまわないんだけど。(最近、若干やけくそ気味でございます)光速宇宙船に乗って、ちょっくら旅しているうちに、地球ではえらい時間が流れていたと思えばいいんですから。

 今の時代じゃ、どうでもいい私でも、数百年後なら、ヴィンテージモノですから、少しは大切にされるかもしれない(見世物は嫌ですけどね)。まあ言ってみれば、不可逆的な未来へのタイムトラベルものの幼稚な奴ですな。

 それでも、あまりの世の中の変化についていけなくて、完璧にノイローゼになってしまうかも。人の精神は、そんなに強靭にできているわけじゃなさそうだし。ま、いてもいなくても、たいして問題はなかったりして。ちょっと悲しいことだけれど。

 とはいうものの、週間予報で今日の最高気温の予報は37.0℃とか聞いていたので(ガセでなければ)、ハイギョみたいに夏眠を決め込んでいたのだが、幸か不幸か35.6℃でした(岡山市内では。もっとも体感温度は、平気で40℃近かったけどね)。でも殺人的な天気だったよ、見事に晴れ渡っていて(周辺には積雲や積乱雲みたいのが見えていたけど。…あすなひろしさんの名作漫画、『青い雲を白い雲がかけてった』のタイトルは思い出すけど、雲がかけていくのを見送るほど余裕はございませんでした)。

 まあそれでもリオにはお付き合いいたしましょう。我が国が大健闘している陰で、獲得メダル数が激減した国もあるようなので(ロシアはある意味、仕方ないと思うけれど)、まあその陰には、競技スポーツの公正・公平性を、より深く追及したらしい努力があったというのですが。

 競技スポーツにとっては、公平・公正さは「絶対的条件」ですからね。ルールの中で許されている行為以外は、すべて反則とみなされるわけですから。(当然、話しかけながら技をかけるなんて行為は、もってのほか)

 残り少なくなりましたが、最後まで、がんばれ、ニッポン‼

2016年8月20日 (土)

神業

 やってくれますね!ニッポン‼

 今大会、陸上競技は「う~ん……」と思っていただけに、男子4×100mRの快挙には、狂喜乱舞したい気分だ。(最悪、陸上はメダルは……?とまで思っていた。他競技が素晴らしい結果を残しているだけに、よけい……だった。でも競歩の荒井選手も銅メダルとったし!)

 それにしても神業ですね、ニッポンのバトンは。昔から定評があるけど(ちなみにアメリカは、バトンの下手さで定評があった?)。バトンで稼げる距離は、走らなくていい距離だから、ルールを最大限活用した技術が、ニッポンの技術だよね。(例えば3回あるバトンパスで1mずつ稼げたとしたら、実質走らなければならない距離は397mでいいことになる。これに加速、減速が加われば、思った以上に大きな差になる)

 とにかく、大変にうれしかった。おめでとうございます! そしてありがとう!

 今回のオリンピックは、いい結果をおさめることができた人と、気の毒だった人がいるけど、いつものオリンピックに比べると、前者が多いように思いますね。しかも土壇場での逆転劇が多い。これは興奮します!(寝てられない。眠れない。寝る気になんぞ、なれない! TVもそうだけど、後からネットで復習ばかりしてしまう。う~ん……)

 負けたシーンは何度となく見返さなければならないものだけど(そうでないと、なぜ負けたかがわからないから。同じ失敗を二度としないためには、負けた時の問題を発見し、欠点を解消しておかなければ、何度でも同じ失敗をする)、気分がいいものではない。逆に、勝った試合を見返すのは、これは気分がいいもんね。

 女子のバドミントン・ペアの5点連取、大逆転なんか、本当に神業もんでしたよ。どの選手も一所懸命努力して、勝とうと思って試合に出てくるわけで、なかなかできることではないですね。勝利の女神が日本側のコートにいたんじゃないかな。

 インタビューでもらい泣きしたアナウンサーがいたけれど、それにまたもらい泣きしそうになりましたよ(笑)。いいなあ、これがスポーツが持つ力なんだよなあ。心が震えるもん。

 とはいうものの、まだまだこれから。これから大一番という選手も多いと思うので、最高に満足ができるオリンピックになることを祈っておりますよ、地球の裏側から。

 と、オリンピック関連では元気をもらっているのだが、一歩屋外に出たら、何なの、この暑さは? 今日の岡山は、最高気温が36.2℃なんだそうな。これは安定した環境(直射日光が当たらず、風通しがよく、地上1.2~1.5mのところ。多くは下が芝生。コンクリやアスファルトではない)での測定値。まあ普通のところでは40℃近かったんじゃないかな。

 おかげで先ほど表から戻ってきたのだが、昼食代わりにいきなり冷ややっこにかぶりついた。江戸落語の『徂徠豆腐』というのは私の好きなお話だが、あの中で荻生徂徠のセリフ、「豆腐屋さん、豆腐屋さん」という元気のない声は、空腹のあまり大きな声が出なくなっているのだが、私の場合は暑くて、声を出すのも嫌だった。

 そういや、今の時代、豆腐屋さんが豆腐を売りに出かけるなんて、知らない人も少なくないんだろうね。我が家は父方の祖父が、一時豆腐を作っていたことがあるので、私はほんの幼いころの、定かではない記憶として脳裏に残っている。(ただあの頃は、今ほどは暑くなかったように思うんだけどね)

 だから我が家の庭には、当時大豆をすりつぶしていた石臼(とても重たい)が、残っている。上手に使えば、なかなか味のあるものになるんじゃないかと思っているが、今のところ私にそんな余裕はない。

 これは中国に行ったとき、客家料理店で客家の生活を紹介するコーナーがあって、そこで同じものを見かけ、とても懐かしい思いがしたことがある。(豆腐自体は道家的な食物ということになっています。一説には中山靖王劉勝…前漢建国の劉邦のひ孫…の発明と言われていますが、この説にはまったく根拠がないようです。またこの劉勝は120人…子供と孫を合わせて120人ともいうが、私がかの国での資料を漁ったところ、子供が120人とあった。大きいこと、多いことが大好きなので、こんなことが起こったのだろう。おそらくは60年前後の一生で、120人の子供をもうけるのは、側室が大勢いただろうから不可能ではないだろうが、そんなことしか考えずに生きていたとしたら、頭がパーになっちゃうんじゃないかと思いますが。神業と申しましょうか、それとも悪魔の所業?…の子供を作り、そのうちの一人、劉貞の末裔を名乗ったのが、『三国演義』で有名な劉備玄徳です。120人もいた子供のうちに一人の、200年以上ものちの末裔なんて、本当かどうか、まったくわかりませんがね。まあ、言った者勝ちの国なので、私の知ったことではございません)

 客家とは、その時の為政者が気に食わなくて、一族とか村とかが単位になって、集団逃亡し、新しいところに自分たちの住処を作ったもので、ミサイルのサイロのような住居(アメリカの人工衛星が撮影して発見し、大騒動になったんだそうです)に住むことで、一時期話題になった(鄧小平は、客家の出身といわれていますね)。

 有名な『桃花源記』というお話がございますが、あれに登場してくる桃源郷とは、こうした客家の里を語ったものだと言われておりますな。

 私が件の客家レストランで読んだところでは(記載に過ちがあったらあちらのミス。翻訳を間違えていたら、私のミス)、客家は大規模なもので都合6回あったといわれており、その第一回目は、秦による天下統一の時。

 秦なんか嫌だあ~っ!と思った人は、逃げ出したんですな。それから騎馬民族なんかが入ってきても、客家になっていく人々が現れたんだそうでございます。もしかすると、元から中国に住んでいた人たちは、みんな逃げ出していて、いまいる人たちは、多くが外部からやってきた人たちなんじゃないでしょうか。(みんな黄帝の子孫だなんぞと言っておりますが。「世界は一家、人類はみな兄弟」なんて、懐かしいキャッチを思い出してしまいますけどね。でも世の中には、「お前とだけは、兄弟になんかなりたくねえ」って人も、けっこういるんじゃないでしょうかね。血もつながっていないし、文化も歴史も全然違うのに、強制的に兄弟にされてしまったら、迷惑だと感じる人だって、けっこうたくさんいるんじゃないでしょうか)

 さて、もう少ししたらお出かけでございます。まだ暑いなあ~…。でもお出かけでございます。それでも暑いなあ…。でもお出かけいたします。美味しいものの魅力に惹かれて。

2016年8月19日 (金)

治大国若烹小鮮(大国を治めるは小鮮を烹るがごとし)

 400㎞ほどドライブをしておりました。睡眠不足なのに、ようやるわと、自分でも呆れるやら、感心するやら。

 なんのことはない、明日の準備ですな。明日の『○○を語る会』は、請うご期待(どういう分野でかは知らないけど。ま、私のことですから、どっちに転んでもかまわないんですけどね)。

 世の中「ご馳走」という言葉があるけれど、馳走とは走り回ること。なんのために? おいしいものを見つけるためにです! どうして? 明日出会うかもしれない人を歓迎するためですよ! これがご馳走の本来の意味です。

 だから走り回って集めた食材が、期待に反して不味かったとしても、歓迎しようと走り回った気持ちだけは汲んでもらわなきゃ、なんて甘えたことは言いませんけどね。おいしくて満足できれば、別に走り回らなくったってかまわないんだから。

 走り回りまでしたんだったら、それだけのものを出してみろ、と、こういうわけですな(かなり自嘲しているなあ…)。ま、まずくはないと思うよ。きっと。

 で、ひょいと傍らを見ると、この季節の小鮮があったので、衝動買いしてしまった。季節の食材とは、その季節に適した栄養分を豊富に持っていることが多いので、私はけっこう気が向くままに買う。それも衝動買いの一種なのだが、その季節のものだけに、鮮度が勝負だ。

 そこで晩御飯を食べ終わったあと(かなり呑んでいたのだが)、取り合えず調理していた。量が多くて、予想以上に手間取ってしまった。これで明日から、少しの間は某栄養素と某栄養素の補給には困らない(すんません、詳しく書くと、話が長くなります。私は食品原料学を専攻したので、こういうことはいまだに覚えていたりする。もっとも社会人になってから…なる前も?…競技スポーツやら武道やらに取り組んでいたので、詳しくはなることはあっても、忘れるどころではなかった)。

 ま、日本国内と、日本の近海(の汚染されていないところ)で採れたものは、日本人に合わないわけがないので(その割には、生後半年からアレルギー反応を起こして、12歳まで、両親を悩ませた親不孝ものでございますが。もっとも、そのおかげで、より詳しくなったのかも。私がスポーツや武道に取り組んで、どんどん体質も体格も改善していったのを一番喜んでいたのは、実は両親だったかもしれない。いろいろあったけどね)、けっこう私はそんな食材にこだわる。

 北大路魯山人は「味覚は栄養を保証する」という意味のことを言ったそうな。これは私もまったく同感で、だから「旨いものはないか」といつも探している。ただし、何事も過ぎたるはなお及ばざるがごとしで、いかに旨いからといっても、過剰摂取はいけない。

 私はこれを「嗜好に流されるな」と言っている。いくら甘いものが好きだからと言って、甘いものを採りすぎれば、行き着く先にあるのが何かは、昨今の健康関係の出版物や報道で明らかだ。辛いものが好きだからといって、あまりにからいものばかりを食べていれば(その点、私なんか理想的ですな。超のつく辛党だけれど、別に辛いものにこだわったりはしないから。ただ、今の生活は、全部自分が調理するから、若干辛いほうに偏っているのではないかと心配しているくらいで。だからレストランでの食事は、自分の味付けの偏りを補正するという意味でも、大切なんだよね。いいレストランに行かなけれなならないが)、これまたいろんな問題が出てくる。

 ということで、先ほどまで小鮮を煮ておりましたら、老子の「治大国若烹小鮮」という言葉を、ふと思い出してしまいました。どこかの大国を自認している指導者が、この言葉を知らないなどとは思えませんが、知っていることとそれを理解していること、理解していることとそれが実際にできることとは別物ですから、私の知ったこっちゃあありませんけどね。ま、はた迷惑はいい加減にしろ、とは思っていますが。

 とはいうものの、めちゃ暑いものの、夏は終わりに近づいております(虫の声が、確実に秋の到来を告げております。10日ほど前から、「ありゃあ、秋が近いんかな?」と感じました)。ここへ来て、ラッキーなことにおいしい食材にぶつかり通しでございます。

 この夏は、とうとう夏バテしなかったなあ、なんて今から安心してはいけないんだけど、いい食生活を送ったので(運動不足にもかかわらず)、比較的体調が安定しておりました。毎晩お酒がおいしかったし(お酒の味で、体調を調べるのは、我が家の伝統かも?)。いくらおいしいお酒を集めている(たいして贅沢はしてませんけどね。貧乏学生のころから、うまい飲み方を研究してきたので、比較的安価で、それなりにおいしい飲み方を知っている)としても、体調が悪かったら、おいしく感じませんもの。

「治大国若烹小鮮」でございまして、小魚は強力な火力で、ガッと煮てはならないように、型崩れしないくらいにじわじわ煮るのが一番なのと同じように、お酒だって、ガッと飲むよりは、ちびちび飲んだほうが、案外おいしいのです(とかなんとか言って。一緒に飲んだ人は、私の飲み方は、ちびちびではないと言うかもしれない)。

 とはいうものの、明晩もいつも通りです。何かサプライズがあるかも。私がいるときに、偶然に同席した人は、顔見知り、顔見知らずを問わず、何かサプライズがあることが多いのです。うまいものは大勢で食ったほうが、よけいおいしくなるからね(マスターとは今日打ち合わせ済み)。ではでは、また明日。

2016年8月18日 (木)

夏の夜の妄想

 暑い~っっっ! っと思ったが、今日の岡山の最高気温は、35.2℃であったんだそうな。ちょっと数日、夕立というかスコールというか、ザザアっと来ていたら、身体の暑さ対応が緩んだのかなあ。今日はめちゃ暑く感じるよ。

 完全に舌をだらりと垂らして、はあはあと熱い息を吐いて、「もうどうにでもして~」と喘ぐ犬の気持ちが、よくわかる(気がする。犬ではないので、本当にところはよくわからない。人間って、すぐに擬人化したり…この場合は擬犬化か?…するからなあ)。

 まだ人間はいいよ。科学技術がいくらかは助けてくれるから。犬や猫は大変だね(我が家のイモちゃんなんかもそうである。強くたくましく生きてほしいものだ)。私の大嫌いな蚊ですら、真昼間には出てこない。だからよけい蚊には腹が立つんだけど。

 強くたくましくといえば、わが日本の女子レスリング。すげえなあ…… 今日行われた3階級、全部金メダルなんでしょ。しかも大接戦のすえの逆転だ。これは肉体的な逞しさだけではないよねえ。明らかに精神的な逞しさがなかったらできない芸当だ。

 いやあ、すごい、すごい。見ていてすごい元気になれる。(同時に睡眠不足は覚悟しないといけないが…何度も繰り返し見たり、ネットで見直したりするから……)これがスポーツのいいところだね。残りの階級にも期待したい。がんばれ、ニッポン‼

 とはいいながら、TV観戦は、クーラーの効いた部屋で、のんびりとしながら行いたいものだ(実際にはPCのキーをたたきながら、が多い。いろいろとやりたいことが多いもので、それなりに忙しい。一形一意と言いたいところだが、残念なことに、一形二期意も三意もある。どうりでミスと物忘れが多いはずだ)。

 おお、ようやく西の空に薄雲がかかってきて、若干日差しが弱くなってきた。今日の昼なんて、空は真っ青にはれ上がり、もうため息しか出なかったよ。これから太陽が十分に傾くと、波長の短い青色光は乱反射され、波長が長い赤色光しか届かなくなる。

 おそらく夜の練習に行くのに、まぶしいことだろう(我が家から見て、西に向かって車を転がします)。サングラスなしには、運転できませんね。

 なんか昔よりも日差しがきつくなったような気がするんだけど、これは気のせい?たかだか数十年の間でしか自然界を観察できていないのだけど、地球も徐々に変わっていっておりますからなあ。なんでも北極が、1年に10㎝のペースでヨーロッパに移動しているなんてことも、どこかで聞いた気がするし(私があと50年生きるとして、なんと5mも移動する…ちなみにこれは我が家の玄関から門までよりは短い。毎朝私はここを新聞を取りにいくのだが、その間は「歩法」の練習をしないといけないようにしているので、50年間で、北極はこれだけヨーロッパに移動するのかと考えると、「な~んだ、これぽっちか」と思ってしまうが、100年では10m、1000年では100mと考えてみると、ちりも積もれば山となるだなあという気がする。

 もちろんこれは北極の移動のペースが変わらなかったら、というお話だよ。あるところで、スパートかけるかもしれないし。アフリカ勢の長距離の走りみたいに、いかようにでもペースを変えられたら、予測はさっぱり不可能だ。

 ま、予測できたからといって、それを止める手立てはいまのところないと思うけど。

 でも古代の中国人は「道」だの「自然」だのといった概念を提出したわけだけど、本当はこんなふうになっているんだよ、ともし教えてあげることができたら、どんな顔をするだろうか。(たいてい心の中では腰を抜かすくらい驚いていても、表向きは泰然としたふうを装って、「それも自然じゃ」などと、悟ったようなことを抜かすんだろうな…可愛くない)

 ま、暇な時代に生きていた人は、好きなことを(妄想も含めて)考えることができたからね。老子や荘子、孔子なんて連中を、飛行機に乗せてやりたいよ。老子や荘子は、こんな金属の塊が空に浮くはずはないと(つまり自然ではない)、搭乗を拒否するだろうか。

 孔子なんかだったら、タラップを上る際には右足から上がらなければならず、そこまでは赤い色の布を敷き詰めていなければならず、タラップを登り切ったら、左回りに振り向いて、右手を振らねばならない、なんて作法にこだわるかもしれない。

 ま、いずれにしても、めんどくさい連中だと感じるだろうけど。

 これが劉邦とか項羽とか、曹操や劉備だったら、あっという間に搭乗し、「おい、まだ飛ばないのか」と催促するんじゃないかと思いますね。実務派はこんな便利なものには敏感だし、それをいかに使うかを一番に考えるだろうから。

 どちらのタイプの人間もいるから、人間社会は面白いと言えなくもないんだけどね。

 ああ、ねむっ! さあ、練習に行く準備をしよう!

※ 20日土曜日、例の場所で『○○を語る会』をいつも通りやる予定ですが、今回はまだ何を語るか考えておりません。もう眠くって。

2016年8月17日 (水)

人生大病只是一傲字(人生の大病は、ただこれ傲の一の字なり)

 なんでもT○SとかいうTV放送局の、サ▽デー◇ー◎ングとかいう番組で、スポーツを扱う名物コーナーで、昔名選手、いまは名物コメンテーター(?)のH氏名の、卓球男子M選手のガッツポーズに対するコメントが物議をかもしているのだそうな。

 そんな目くじら立てなくてもいいんじゃないかなあと私は思うのだが、H氏もコメンテーターとしては「何かいわなきゃならない」という立場上、しょうもないことを言ったのではないかと思っている(時にはいいことも言ってるんだよ。だから何でもかんでもH氏が、絶対的に悪いと思っているのではない)。

 実は私は武道をやっていたころ(今やっているのが武道なのか、武術なのかは、実のところ、自分でもよくわかっていない。健康法であることは、ほぼ間違いない。身体運用を向上させるものであるのは、目的だから、私がこれを目指しているのは、完璧に間違いない)、師匠は「礼」を最重視(? それよりも、勝ちにこだわっていたような気がするんだけど、今となってはわからない)していたから、試合場でのガッツポーズは厳禁だった。

 でも思わず出そうになっちゃうんだよね、ガッツポーズが。特に快心の一発が決まったときとか、難しい戦いで勝てたときとかは。それは相手に対する「礼を失した行為」ではなくて、「自分の心の奥底からこみあげてくる感情」なんだよね。別に勝ち誇っているんではなくて。

 だから相手を傷つけようとする行為なんかではないんですよ。(でも私なんかは師匠が怖かったので、死んでもガッツポーズはしませんでしたけどね。それが自然な行為だとは思ってなかったよ、正直な話)だから私はM選手のガッツポーズを見ても、「よくやった! よう頑張ったなあ」としか思わなかったし、取り立てて人に避難されるべき行為だとは感じなかったよ。

 あの場でああいう状況で、ああいう行為は不自然だったかなあ? 相手に対する不敬にあたったのかなあ? 私はそうは思っておりません。だからM選手は何事にも恥じることはないし、野球OBのコメンテーターの言葉なんか、一㎍も気にする必要はないと思いますね。

 だいたい今の野球をみてみなさいよ。三振をとって吠える投手なんかザラにいる。礼儀云々をいうのだったら、まずご自分がやってこられた野球の、後輩の選手にいうべきなんじゃないのかな。野球の選手に「礼」云々を言わないのに、自分が(たぶん)知らない、他競技にちゃちゃを入れるほうが、はるかに不自然だよ。

 ま、TVのコメンテーターってのも大変な商売で、いろいろと難しいんだろうけど、知らないことにまで口を突っ込んで、断定的な物言いをするのは、私は「傲慢」だと思いますね。

 昔々(とは言っても、すでにマンモスは人間にほとんど食い尽くされて、滅亡していた頃)、中国に(今はどうみても哲学的にもほかのいろいろな分野に関しても、決してレベルが高いとは思えないけれど)王陽明という人物がおりました。

 この人は陽明学という儒教の一派(進化形?)を作った人でもありますが、さすがにいいことを言っております。

「人生大病只是一傲字(人生の大病は、ただこれ傲の一の字なり;人生の大いなる病は、ただ傲慢だけである≪伝習録≫)」 まあ人は自分の人生に自信がある人は、ついつい傲慢になってしまいがちなものなんですけどね。

 でも自分が大変な努力をして辿りついた境地なら、他人が同じような高みに上り詰めるためにした努力を、正しく評価しなきゃ。エリート競技(メジャー競技?)とマイナー競技では、トップに立つのに必要な条件が異なると思うのかもしれないけれど、確か競技協会登録人数では、卓球は相当多かったはずですよ! ちなみに私は、動きの速さという面に限って言えば、卓球はオリンピック競技中でも最速のものの一つだと思っていますもん(速さの定義は物理的速さではなく、武道・武術的速さだけど)。

 もし疑うのなら、実際に年齢の幼い選手とか、かなりお年を召された方で、年齢別のトップレベルの方と、反応速度で勝負してみられるとよい。まったく勝負にならないから。

 昔、中国で三年連続チャンピオンになったWさんに、当時ブームだった古武術の人が技をかけてみて、まったくかからなかった。私は当時、御両人とも存じ上げていたので(Wさんとも仲良し)、後でWさんにそのときの感触を聞いたのだが、W氏いわく、「技かけてくるのがわかるんだよね~」。 速さが違うというのは、そういうことなのです。

 ちなみにWさんは、武術などまったく知らない(喧嘩したらけっこう強いと思うけど)。だからどんな技が来るのかもわからない。それでも来る瞬間がわかって、来た方向とか、力の種類が感じられれば、ごく自然に身体が反応する。それができなきゃ、あんなわけのわからない回転がかかった、軽くて高速のピンポン玉に、対応することなんかできないもんね。

 ジャンルが違えば、いろいろと異なることがあるのです。すべてを自分が知っている物差しだけで断定してしまうのは、まさに傲の一字なんじゃないですかね。

 私はこのコメンテーターのH氏が嫌いではないので(といっても、取り立てて好きというわけでもないが。たまにサ▽デー◇ー◎ングを見て笑う程度なので)、まあ発言はほどほどに(コメンテーターとしての地位をなくさない程度に)しておいたほうがよいのではないかと、老婆心ながら思うのでございます。

 にしても、男子の卓球も、よく頑張ったもんだね。おめでとうございます! あとは東京ですね! がんばれ、ニッポン‼

※ 20日は『○○を語る会』でございます。適当に酔えば、まさに私の言いたい放題(?)になる(とか思って期待しても無理ですよ。H氏のような失言は、期待しないほうがいいと思います。だって私はタレントじゃないもの。「ウケ」を狙ってしゃべる必要がないから、その分、失言も減るんだよね)かな。

 とは言っても、すべて現実に「使える」ことしか話す気がないんで、まあ、期待しておいてね。前日は準備に走り回らなければならないので、かなり忙しくなるかとは思いますが(当日、死んでたりして…… 最近、妙な時間帯に突然眠くなったりするからなあ…… 当日は酒瓶抱えて、ぐうぐう…だったりして……。寝ても酒瓶は離しませんでしたって……笑)

2016年8月16日 (火)

自由の怖さ

「水がめ」の底が抜けたんではないかと思うような、大雨に見舞われてしまった。おかげで洗濯物はやり直しである。もともと出来がいいほうではないから、やり直しには慣れているちゃあ、慣れてんだけどね。

 もうだいぶ前のことになるが、仕事で言われた条件を満たすように、一所懸命やって原案を提出したところ、決まったはずのものが、突然白紙に戻された。それで新たな条件を満たすべく、やり直して提出したら、とりあえずそれできまった(はずだった)。

 ところが数日後、再びオジャンになって、またやり直さなければならない羽目になった。私はその原因を調べた。すると、それは渉外をしなければならない人間が、まったく渉外をやっておらず、どんどん条件が変わっていたためだったと判明した。

 それから私はブチ切れた。人は私を短気だというが(私自身も否定はしておりませんが)、実はブチ切れる前に、やらなければならないことはきちんとやってからブチ切れるべきときには、遠慮なくブチ切れてやることにしている。(これを短気をいうべきか?)。

 絶対にお前(ら?)とは仕事をしてやんない! はっきりとこう宣言してやった。(私は、宣言したことは、必ず実行する人である。だがこの渉外担当は、それでも許してくれるわ、と安易に考えていたようだが、これは私の性格を知らない人間の思い上がりというものである。短気な私が、怒りを口にしないで2回もやり直し、なおかつすべて渉外担当の落ち度で、やったことを無駄にされたら、絶対に許すことはない。人に仕事を依頼する前にすべきことがあるだろう、というやつだ。「謝罪」である) それから何年も経過するが、私からこの人間と口をきいたことはない。

 無能と付き合えば、損するのはいつだってこちらばかりである。詫びも反省もなければ、いつまでたっても、無能は無能のままだ。こんな奴と付き合っていては、損するのはいつもこちらである。以後、そいつは私にとって、どこかの庭に飾ってある「設楽焼の狸」以下の存在になり下がった。

 設楽焼の狸には、なんとも言えない愛嬌があって(そのうち、我が家の庭にも設置しようかしら)、時にはこちらの精神状態を改善してくれることもある。だがこやつは、人の機嫌を悪くすることしかしない。

 世に「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、毎回罪を重ねていれば、その罪を犯す人間を憎むようになるのは当たり前だ。その人間には、罪を犯す必然があるからだ。それを改善しようと努力でもしているのならかわいげもあるが、何もせず、何度でも同じことを繰り返していれば、明らかに有罪である。

 法律で裁くことは難しくても、人が己の心の中で相手を有罪とするには、誰憚ることはない。そしてまたそれは、わが国の憲法下では、個人の自由の範疇に入る。

 人には言論の自由が保証されているが、自由に口から出した言葉によって、第三者がその人をどのように判断するかは、第三者の自由なのだ。自由の本当の恐ろしさは、ここにある。そしてそれを知ってか知らいでか、手前勝手なことをやって自由だの、個人の権利だのとうそぶいている輩には、第三者から、自由に、個人の正当な権利をもって、評価評定が下される。

 そのあとの対応が、その評価に基づいて展開されるのも、これまた当然である。温情をかけてもらえると、そやつが期待するのは勝手だが、温情をかけるかけないは、そやつが決めることではなく、こちらが決めることだ。

 この自由を権力とか、何らかの力で押さえつけようとすれば、当然の権利としてこちらには、その行為すら評価・評定し、それに対する反応を決める自由がある。だから、自由って、結構怖いんだよ。

 自由ってのは、すべを自己責任のもとに判断し、言動しなければならないからなあ。自由の都合のいい面だけを騒ぎ立てるのは、一口でいえば思慮不足の輩のたわごとでしかない。   …いろんなところで見かけるんだけどね…

※ 今週末(8月20日第三土曜日は、『○○を語る会』でございます。私の青写真通りに行けば、ちょっといつもとは違う味わいがあるかも……

 

2016年8月15日 (月)

約束事

 最高気温では35.8℃と昨日を下回ったが、どうもこのところ湿度が高い。「日本の夏、緊張の夏」ということで、リラックスしてやろうと思ったら、いきなりの雷雨である(幸い、私は「おんも」での活動が終わったとたん降り出したので、日ごろの行いの良さに、我ながら感謝しているところだ)。

 明日あたり、そろそろホームセンターに行って、BBQの準備の本格的準備に取り掛かり始めようかと思っている。(まあ、木の切り株がどのくらい手こずらせるかが、すべてを決めそうな気がいたします。これさえサクっといけば、結構早いと思いますけどね)あとは道具の問題と、天気がどれだけ味方してくれるかですな。

「人」という」文字の原典を調べてみると、人は支えあっているなんてのではなくて(これは道徳教育か何かに都合よく、後付けでなされた解説だと、私は思う)、人は手で道具を作り、それで作業を行うことができるから貴いというのが、本当のところらしい。少なくとも≪説文解字≫にはそう出ている。

 なんで貴いのかといえば、ほかの動物にはまねができないことだからなんだそうだ。ようするに≪説文解釈字≫によれば、人はほかの動物とは違うという点で、人の定義をしていたことになる。

 では道具を使えばすべて人かというと、最近の動物学の研究では、サルは当たり前のように道具を使うし、鳥も使う。魚の中にも道具を使うことができるものまでいるらしく、道具を使うということは、人の専売特許ではない。ただ「道具を作る」となると、やはりヒトに一日の長があるんだそうだ。

 ここまで考えて、私は、はた、と立ち止まった。自分で道具を開発することはしないが、他人が作った道具を真似して使うことを得意とする人もいるではないか。そして新しい道具を開発させようとしたら、欠陥品しかできない。これは果たしてどうなんだ?

 深く考えない方が、無難なのかな。模倣はできても、創造が苦手な人はいるからね。でも創造の最初はどうだったんだろう? やっぱり模倣だったんじゃないだろうか。 

 自然界には生まれながらに、人にできないことができる生き物はいる。それにあこがれた人は、最初は一所懸命模倣したんじゃないんだろうかね。

 模倣するには正確に観察することが不可欠だ。この正確な観察ができない人は、模倣すら完璧にはできない。つまり模倣が完璧にできないうちは、創造なんてできる確率が非常に低いのだ。

 学生時代に聞いた話だが、ある場所の飲料水を売っていた自動販売機が故障したのだそうである。係りの人が駆けつけてしらべてみると、コインの代わりに、小石や葉っぱが山のように出てきたのだそうだ。

 どこの「クソガキ(失礼!)がこんなことをしやがったのだろうか」と、係の人が物陰に隠れて観察していると、なんとサルが小石や葉っぱを入れていたということである。

 サルには、何かを入れれば飲料水が手に入るということは理解できても、そのためには精巧に作られた貨幣が、ある金額だけ必要だということまでは理解できなかったんだね。惜しいところで「猿真似」で終わってしまったのだが、もしもこのお猿さんが経済や貨幣まで詳しく観察していたら、もっともっと大きな事件が起こっていたかもしれない。

 そこはやはり人間社会の約束事を理解するってことが、最低限度の条件になっているんだね。世の中には国際法などには従わないけど、国際的に大きな影響力を持って指導者面をしたい人がいるみたいだけど、このお猿さんよりは少し賢くないと、なかなか難しい問題だと思うよ。

※ 今月の『○○を語る会』は、今週末20日の土曜日です。場所はいつも通り(予約済)。さあ忙しっ‼

2016年8月14日 (日)

バクのたわごと

 この蒸し暑さはなんだ? と思ったら、今日の岡山市の最高気温は36.9℃! 死ねっちゅうとんかいなっ!? 明らかに異常です!(とはいうものの、地球46億年の歴史を紐解いてみると、何が正常で何が異常かはわかりませんが)。

 おかげで何にもできなかったよ(少しは頑張ったけど)。こんな気が狂ったような気温と湿度の時は、36度くらい、湿度が85%以上の中で、やけくそでいった珠海の屋台が懐かしい。真夏の焼き牡蠣も、巨大なすびの料理も(これ、いまだに再現に成功していない。ちょっと病みつきになる味だよ!)、ニラのBBQもである。

 なんといってもZさんや、Mちゃんや、Wさんと、歯に衣を着せない会話が懐かしい。考えてみれば、よく飲み歩いたもんだよね。なかなか日本大好きな私だが、日本であそこまで自分を赤裸々に語ることはないからね。(でも私は日本人だから、日本の歴史、文化、何よりも日本人らしい日本人が大好きだ…日本人のはずなのに、国籍不明の人については、私にもよくわからない部分があるけれど)

 血はつながっていない(あたりまえだけど)。使う言葉も経歴も違う。でも仲良しになってしまったし、お互いに信頼しあっているんだから、仕方がないじゃないか。この暑さが、真夏にあちらへ行っていたころを懐かしく思い出させる。(似た気候になると、スウィッチが入っちゃうみたいだね。毎晩べろんべろんになるまで酔っぱらっちまうんだよ、あっちへ行くと。まああちらへ仕事をもっていっていた時期は、はるか昔になってしまいましたね…あっちで原稿書いてた時期もあったよね。どこかの本棚に、製品化されたのがあると思うけど)

 いやあ、記憶の倉庫を開けるには、いろんな鍵がございますな。今日の気候は、何年も前の珠海での記憶を開いてしまった。記憶の扉の鍵は、いったい何がなっているのかわからない。そよ風が突然、今となっては帰ってこない数十年前の恋心を思い出させたりすることがあるし、何かの花が青春の懊悩を呼び覚ましてしまうこともある。

 何かを食べたとたん、一気に数十年の時をさかのぼって、今はこの世にいない爺ちゃんを思い出させてくれたりする。人の記憶とは不思議なものだ。家の扉は、鍵屋さんで作ってもらった鍵で開いたりするけど、人の記憶の扉は、鍵屋さんに行こうが、誰かに尋ねようが、開かない時には、てんで開かない。そのかわり、何かの条件がそろうと、こちらの意識とは関係なく、ぱかっと開いてしまう。

 記憶の中では私も、いろんな人たちも、みんな若い。当時のままだ。今、会って顔をあわせたら、全部この幻想から覚めてしまうんだろうね。でも夢は夢の中だから美しかったりするんだよね。いやでも「現実を見ろ!」なんて言われたら、さっさと逃亡したくなりますわ。

 人は勘違いするから、生きてられるところもあるんだからね。全部が全部、ぎちぎちの現実しかなかったら、息が詰まってしまうことだってある。だから開いてしまったパンドラの箱の底から、ひょっこりと「希望」なんて厄介なものが顔を出したりするんだから。

 大いなる現実の前で、希望が光なのか、人間をより深い闇の中に導く邪悪なものなのかはわからないが、希望が生きていくうえで必要なものであることは、私は疑っていない。ましてやバクのように、夢食い人の私としては、夢や希望がなくては、一瞬も生きていく気力がわかない。

 ということで、先ほどから、久々の雨がちらつき始めましたよ。できたら明日の朝には上がっててよね。行くところがあるんだから!(少雨決行で行きますけど)

 ということで、今月20日(第三土曜日)は、いつも通り『○○を語る会』を、例の場所で執り行います。たぶんその準備で19日は忙しくなると思います。ちょっとは疲れをとっておかないといけないね。

2016年8月13日 (土)

夜更かしは改められるか?

 ふわわわあ~~っ、今日も暑うございましたな。それでも岡山市の最高気温は35.2℃。相変わらずの猛暑日でございます(夜になると、比較的過ごしやすいですが…)。あまりの暑さに蚊も出てこないようで……

 さてと、明日は天気はどんなのかなあ。明日もうひと踏ん張りできれば、BBQの準備が完成になるところまでこぎ着けるのだけど。(うまい具合に、今日は道具を買い忘れてきた。これも暑さのせいにしておこう。もう脳みそが茹で上がってしまって……)

 ところが「焼くお肉」だけは忘れないように買ってきている始末で(今日、一緒に肉を買いに行ったSくんは、今頃、孜然羊肉を家で食べてるんだろうなあ…… 涎)、食いしん坊は結構なのだが、いまいちタイミングが合わない。

 夏なので、ダイエットには向いているはずなのに、そんなものには見向きもせず、ひたすら美味しいものを捜し歩く。大丈夫かねえ… と心配になるけど、おいしさには勝てない。これでダイエットできるはずねえじゃんっ‼ 

 ま、明日は少し天気が下り気味なんだそうで、少しは外の作業ができるかも(今までの調子だと、作業をしているうちに、干物になってしまいそうだったし)。今晩はそのための体力を補充しておくためにも、少し早めに寝ておこうか。(実は切り株を一つ、除去しないといけない)

「早寝早起きは猫いらず」ではなくて「医者いらず」と言うんだそうな。私が大好きなのは、遅寝遅起きなのだが、いずれにしても睡眠時間は確保していないと、この炎天下、睡眠不足は命取りになりかねない(実は昨夜…今朝?…も、ほとんど寝ていない。早寝しようとしたら、逆に拒絶反応が起こって、目がさえて寝られなかった)。人間、一に睡眠、二に栄養補給、三、四がなくて、自分の好きなことをやるってえのが健康の秘訣ではないかと思っているのだが、一番大事な睡眠ができなくては、話にならない。

 そうでなくても夏は夜が短いんだから(だいぶ長くはなってきましたが)、上手に寝ないといけないのに、どうも朝にならないと寝られないのは、きっとやりたいことが多すぎるから。夜って集中しやすいんですよね。最近はかなり飲んで、酔っぱらって帰っても、明け方まで仕事をするという、妙に感心な習慣ができてしまった。どうせろくなことができていないんじゃないかと思うけれど。

 たかが寝ることに、これほど努力しなければならないとは、今まで思ったこともなかった。が、まあこれからは少し早めに寝るようにしてみよう。(ペルセウス座の流星群がおさまったら、なんて心の片隅でつぶやいている自分がいたりするのだが。なにしろ私が仕事をしている部屋は、明かりを消せば、流星すら見えたりする。もう、「寝ないための部屋」みたいなものだから)

 昔、この部屋をもらった頃の私は、言ってしまえば天文小僧だったからなあ。夜起きていてナンボみたいなところがあったし。最近は空がずいぶん明るくなって、天体観測に適しているとは言えないんだけどね。ただ長年の習慣が、寝ることを邪魔する。

 この習慣が改まるかどうか、ま、やってみるしかないね。誰のせいでもないけど、私の夜更かしの習慣は、なかなか手ごわい相手だ。

※ 今月の『○○を語る会』、20日の第三土曜日に決定しました。何かサプライズがあるのではないかと思います。よろしくお願いいたします!

2016年8月12日 (金)

我慢

 今日の最高気温は36.0℃だったんですね~。昼間はしおれておりますが、夜になると少し元気が出てきます。今夜は元気にまかせてペルセウス座流星群でも観察するかな(昨夜もけっこう流星を見たよ)。とはいうものの、さっきまでうつらうつらしていたんだけどね。

 なんと、驚いたことにまだ某国は交渉したいのかね? 日本の海保の救助活動に対して礼を言うとはね。びっくりしたよ、正直なところ。

 暴挙に出る以上、それ相応の覚悟があってやっているんだろうと思ったら、案外中途半端だねえ。「ここまでやったら相手が怒るか、ここまでならどうか?」なんて、悪ガキ以上の性根じゃあないよねえ。

 この春、中国東方航空のあまりの対応の酷さに、「これで世界を相手に金儲けしたいのか!?」と激怒した私だが、この中途半端な対応にも恐れ入る。(もちろん日本国政府の冷静な対応あっての話だが。以前の尖閣衝突事件の時のような対応では、こんな流れにはならなかったろう)味噌汁で顔洗って出直して来いってレベルの低さだ。 

 私があっちなら、徹底的に無視してたろうね。だってこれから何かを(だいたいわかるけど)しようと思うところで、相手国に助けられたんだよ(自国船は逃げたんだそうな。これまた信じられないおまぬけな対応だ。末端まで、細かい情報と、それを分析する情報判断能力が養成されていない証拠だ。突発的なことに、大局観を持った判断ができないんだね。こういったラインの判断ミスは、作戦全体に大きな影響を与える。つまりはラインにまで教育が行き届いていないんだね。でも高官の対応を見ると、スタッフや、トップも案外教育が行き届いていないのかも……さらにそれが誰の目にも明らかにわかるように、日本国政府が動いている。さすがである。私が今の政府を信頼している根拠は、このあたりにある)。無視するしかないじゃない。

「知りません」、「存じません」、「うちの国の船乗りに、他国の船に自分の船をぶつけて沈むような間抜けはいません」……ってね。相手の船に衝突の痕跡が残っていても、「クジラかなんかにぶつかったんでしょ」とすっとぼける。救助された人たちが帰国して来たら、絶対に口外させない。で、なかったことにしちゃうのね。

 無視できなくしたのは、見事な対応だったなあ。もう一度反応しちゃったから、後ろには退けなくなっちゃったねえ。てめえのミスを他国のせいにするような外交など、とっとと放棄して、本物の外交力・政治力を身につけてくださいねえ。まあ、すでに環境汚染だけでも、容易には解決できない問題になっているんじゃないかと思いますけど。

 だいたい自国の過去の偉人が言っているじゃない。「跂者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長≪老子・第二十四章≫」なんてことを。

 背伸びしてつま先で立っている者は、長く立っていることはできないし、速く歩こうと、無理して大股で歩けば長持ちしない。自分を目立たせようとしている者は、かえって人々から無視されるし、自分のことをほめたたえるものは、アホかと思われる。自分の考えばかりを他人に押し付けようとする者は、人から受け入れられないし、自分の功績を自分で自慢するような戯け者は長続きするはずがない。

 読んだことあるだろうにね。かの国のトップなんだから。読んでも文字面しか読めず、それが実際の生活で使えないものは、読んだうちには入らない。日本にも「論語読みの論語知らず」という言葉があり、結構こういった人は少なくないのだけど(だいたい私の経験では、人に論語の教えを押し付けようとする人物には、「論語読みの論語知らず」が多かったような気がする)、これは≪老子≫も同じだ。

 だいたい「≪老子≫はいいぞ、読め」という人の過半数は、有為不自然な人だったしね(私自身は≪老子≫も有為不自然な本だと思っておりますが)。

 何らかの理由で、急成長しなければならない場合もある。そういう場合は、すでに成功した誰かを真似するのが、一番手っ取り早い。でもねえ、忘れてはならないことがあるんだよ。最初にそれを苦労してやり遂げたものと、それをコピーするしかしなかった者では、決定的な差があるってことだ。発展させていく上での苦労も工夫も知らないからねえ。数々の失敗が成功を生み出したということを知らない(こういう国では、「失敗は成功の母」って言葉はないんじゃないかしら。成功したことをコピーするだけなんだから)。

 だから順調な右肩上がりの発展なんて、実際にはないんだよ。これはスポーツや武術をやっても同じ。必ずプラトーってのがやってくる。みんなこのプラトーを嫌うけど、実はここが大事なところで、ここでいろんな要素を積み上げていくことで、次の次元に進めるか進めないかが決まる。

 プラトーを嫌い、またどこかで小細工していれば、永遠のプラトーにはまってしまう。そうして最後には自らの焦りで自滅していくんだよ(スポーツ選手なんかだと、しょうもない故障などにつながるんだね。さらにこれを誤魔化して、伸び続けている自分を演出しようとすれば、もう完全にゴルディアスの結び目になって、先に進むことはおろか、もとに戻ることもできなくなってしまう)。プラトーには真正面から立ち向かうしかないんだよ。しんどいけど、プラトー脱出の最短の道だ。

 ま、耐えるしかないんだよね。耐えることができない人は、プラトーになると弱点をさらけ出す。我慢して努力を続ければ、意外に道が開けるのに、自滅への道を選んでしまう。我慢できない人の特徴って、わりと簡単にわかるよね。

 秩序を守るために、ちょっとした譲り合いができない。列を作って順番が待てない。公共の場所でも、すぐに自分勝手なことを始める。自分の失敗を認めず、すべて他人のせいにしたがる…… もうここまできたら、笑うしかありませんな。

 笑いだけは我慢できない……?

2016年8月11日 (木)

あとからくるのは闇ばかり

 またまた、お暑うございます。これが最近のあいさつになってしまいましたね!なんとまあ、気象台発表の、今日の岡山市の最高気温は36.2℃。もう勝手にして!って感じですな。

 なんか知らないけど、今朝方尖閣のあたりで、事故があったんだそうな。某中国漁船が、ギリシャ籍の船と衝突したんだって!まあ300隻も400隻も来てればしかたがないのかもしれないわな。

 海は広いな、大きいな~ と習ったのは、今では思い出せないほど大昔の話だが(すでに恐竜は絶滅してたけど)、こんな広いところでも、ぶつけられるほど操船技術のレベルは高いんだ!(ま、ぶつかるときにはぶつかるんだけど。以前日本の海保の船にもぶつけてたっけね?) 高速鉄道の時は、同じところを走るんだから、追い越しをかければぶつかるわなあと、追い越しをかけようとする精神に、あきれていたんだけどね。

 あんな広い場所でも衝突して、某中国漁船は沈没、乗組員を救助したのは例によって日本って話で、もうええかげんにしいやっ! ま、日本は世界で一番優しい国だから、仕方がねえっちゃ、仕方がねえんだろうけど。あんまり北風でなく太陽だから、相手に舐められるってところがあるんだよ。交渉は価値観が一致しないところには成り立たないの大原則があるんだけどねえ、日本は数千年昔から(きっと。見ていたわけではないから、正確なことはわからないけど)、他者にやさしい国だから。

 その点私なんかは、自慢じゃないけど器が小さいから(と胸を張っている!)、いいことしてあげても感謝されない相手は、かまってあげない。かまってあげるほど余裕がない。なんせ器が小さいんだから!

 まあ、トラもハエも叩いてりゃいいんじゃね? かつてかの国の指導者で、そんなことをした人はいなかったんじゃね?とは思うけど、人生一度こっきり。自分の思うように生きなければ、生まれてきた甲斐がないわけで、まあやりたいようにやってみんさいや。あんまり迷惑かけると、周囲がみんなどんな目で見るか試してみるといい。(あ、もう試してましたっけ…笑)

 トラもハエも叩けば、トラもハエも敵にまわるわけだし、内も外も相手にトラブってしまえば、内も外も敵になるだけだし。

 わたしゃ最近思っているんだよ。かの国のほかの有力者は、トラもハエも叩いている人が、外で大失敗するのを(内も危ないか?)待ってるんじゃないかってね。そうして腹を立てた誰かがこいつを叩く。そうすれば自分たちは手を汚さずにすむからね。こういうのを『兵法三十六計』では「借刀殺人(しゃくとうさつじん:三十六計の第三番目の計)」と申しましてな。昔からよく使われるテなんだよ。

 そういや西条八十さんの作品に、『お山の大将』って童謡がありましたっけ。自分の地位を狙ってくるものをみんな突き落とすことができたとしても(どう考えても無理でしょうけど)、「あとから来るもの夜ばかり」なんですよね。

 やっぱすげえなあ、西条八十さんは。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?」だけじゃあないね。こんな童謡にも、人生のありがたい教えが入ってますね。深いってのは、こういうことを言うのかね、もしかしたら。

 私も見習わにゃ…… 無理か……なんせ、器が小さいから(涙)

 

2016年8月10日 (水)

日付変更(線?)

 毎日飽きもせず、お暑いことでございます。岡山の最高気温は、今日は35.7℃だったんだそうで、もう「暑いねえ」程度で、特に感動はないですな。

 ただ今日は風がなかった(私がいるあたりでは、である)。もともと「備前のベタ凪」という言葉があったくらいで、あまり風は吹かなかったのだが、今年はいい風が吹くときもあり(ちょうど私が練習している時期に)、まあまあ許してやろうか、なんて思っていたのだが、今日は風もございませんでした。

 こうなるとランナーズハイに期待するしかないわけで、熱中症の危険なんぞしったことではなく、ずるずる続けていたら、えらい遅くなってしまいました。しかもオリンピックをTV観戦しながら一杯やっていたら、これはもう遅くならないはずがございません。

 これだけイベント(スポーツ関連の)が多いと、人に「寝るな!」と言っているようなもので、睡眠不足になるのはあったりまえですね(だいたいリオと日本では、ちょうど昼夜が逆転しているわけだから、寝てる暇などないんだけどね)。なんだかハワイに行った時とよく似ているなあ。

 夕方、関空を出発して、ハワイに着いたらちょうど朝で、一日が終わろうとする状態から一日の始まりにつないでいただくと、これはなかなか疲れますよ(ここからアラモアナショッピングセンター爆睡事件が起こった!海外だとよく寝るのはこのころからの習慣?)。いやあ、地球は丸くて自転している! 百の理屈を聞くより、一回経験したら一発で理解できる。ま、西から東で日付変更線を越えれば、一日もうかるわけなんだけどね(何言ってんのかわかんない人は、J.ベルヌの『八十日間世界一周』を読んで…映画もあるから、映画を見てもいいけど…ね! 当時は世界一周に80日もかかってたんだ!)。もちろん逆回りをすると一日損する。「あれ? 俺の○月○日はどこへ行ったんだ?」なんて現象が起こる。日記をつけるのにマニアックな人は、頭を悩ませるところだ。

 で、ほっと一安心して、海外で購入してきたBBCだかどこかだかが作ったDVDを見ている(今は、私の背後で鳴っている。ナレーションが聞こえるので、適当に対処している)と、あっという間に、我が家での日付変更(線?)を越えてしまう。

 そのあたりから酔いも醒めて、気合を入れてPCに向かえば、睡眠不足にならないのがおかしい。昔から「日付変更線の男」と呼ばれていたから、日付が変わるころから元気になるのは当たり前のことだったんだけどね。

 あとは周囲が寝静まったことなど気にもかけず、私の心の中では毎晩フルオーケストラがエンドレスで熱演を続けているような状態になるんだな。(実は海外の友人・知人に似たようなことを聞いても、やっぱり同じようなことをやっているらしい。これは日本人の私だけがやっているわけではないらしいので、「人間という生き物の性?」なんだろうね、きっと)

 それで限界が来たら、パタンと意識が消える(これまた国籍に関係なく、そんなふうになるということだ。少なくとも私の調査では)。で、一日が無事に終わり、翌朝、よだれかなんかを垂らしただらしない恰好で気が付くのだ(これはここ十年ほどの私に関する限りはない)。

 ま、限界まで自分の好きなことをやりたい人間は、国籍、人種に関係なく、似たようなことをやっているということだね。これこそ人間の「性」でございますな。もちろん私の仲良したちのことだから、同じような価値観を持っているので、同じような姿勢で人生に向き合っているのかもしれない。これまた国籍には関係なく。(国籍が同じでも、こんな生活をする人間ばかりじゃないもの)

 こういうのを「類は友を呼ぶ」というのかもね……

※ 今月の『○○を語る会』は、8月20日(第三土曜日)の予定です。またいっぱいやりながら、鬼谷子、孫武、孫膑、三十六計、呉子、老子、荘子、クラウゼウィッツ、墨子、孔子(嫌いな奴だけど、一通り語れるくらいは勉強している)、孟子、荀子、韓非子、李斯、商鞅、申子、楊朱、王陽明などなど……を語りましょう……必要に応じて何が出るかは、実は当の私にもわからない。実践の場で、何が一番適しているか、私が感じたものが、突然出現するので。まあ千変万化かな。使えて、生き残れなきゃ、どんな知識も無意味だからね! とはいえ、当の私も、普段はすっかり忘れていたりして、酒が入らないと思い出さないことも多いんだけど(お酒は、右脳を活性化する?) 

 なんか我が国の書物を読んでいないみたいだなあ…(本当は、わが国のものが一番好きなんだよ。学生時代に読みふけったことがあるくらいで)

2016年8月 9日 (火)

最高の日本っ!

 今日の最高気温は、岡山市では35.5℃だったんだそうな。私的には38℃は超えていたけどね。本ブログでは何度も言っていることだが、私が小学生のころ、気象観測班の班長さんを3年間にわたってさせていただいたときの記憶では、34℃はなかった。32℃で死ぬほど暑いと感じたし、33℃ともなると、「今日は表に出ないようにしよう」って感じだった。

 一部に、地球は寒冷化しているって説もあるようだけど、少なくとも夏の最高気温に関する限り、最近の気候は「殺人的」だ。もしも私が小学生時代みたいに、手近は冷房手段が扇風機ってレベルだとしたら、熱中症で亡くなる方は、いまの比ではないと思う。技術文明の進歩に感謝である。(こんな時こそ常日頃から、科学は信用できないだの、技術文明は信用できないだの言っている人は、科学技術の恩恵にまったくあずからない生活を、実体験なさってはいかがかと思うのだが、だいたいこういう人は、私なんかよりははるかに快適な生活を、科学技術の賜物ではないたと思えるもので享受しながら、好き勝手なことを言っていることが多い)

 まあ、こんなことをいうやつの言葉は、私は信用しないことにしているのだが、何も知らない人は、けっこう騙されたりしているんじゃないかと、気の毒に思うね。

 はっきり言おう。夏は暑く、冬は寒い。ある程度まではこれを体験することは、生物としての人間を活性化してくれるとは思うが、それも限度がある。しっかりと疲労回復できる状態がそのあとに来なければ、ダメージは蓄積される。

 だいぶ昔まえに流行した根性練によって、多くの才能がつぶされたのと同じである。激しい練習をしたら、それに見合う回復が必要だ。適切な休息は「超過回復」につながる。そうしてこの「超過回復」こそが、人間に、信じられないようなパフォーマンスを出させてくれるのだ。

 ま、頭の固い人の中には、「超過回復なんて自然じゃない」なんてことを言う人がいるかもしれないけどね。でも生物の身体に「超過回復」という現象が起こるのも、また「自然」な現象なので、大切な時にそれを利用しない人は、私に言わせれば、ただの「あんぽんたん」ってことになりますんですけどね。ただの観察の不足で。

 ということでリオデジャネイロ、いくつかの競技では「おお!」って結果が得られてますね。このまま流れに乗って、いい結果を出し続けてくれることを祈っておりますよ。4年間(選手のよっては、「雌伏○十年」って人もいると思う)の成果を、狙っていたオリンピックで出せるってのは、最高だろうと思う。

 できるだけ多くの回数、「君が代」を聞きたいし(先日「さざれ石公園」に行ったことだし)、表彰台に、日の丸を見ることは、日本人として(しかも競技スポーツに関係しているものとして)最高の喜びだよ。

 柔道と体操の男子団体、すごかったですね!もう体操最後の床の演技など、「人間業じゃねえ」って、思わず口から出ましたし。こんな人たちと同じ国民であることが、誇らしいよ。すげえなあ。日本人って、ここまでできるんだ、って。

 がんばれ、日本!

※ 今月の『○○を語る会』、8月20日(第三土曜日)を予定しております。場所はいつも通りの台湾料理店でございます。マスターには、行くたびに閉店時刻を無視して飲み続けるので、ご迷惑かとは思いますが(先日、8月5日にも、遅くに現れて、ものすごく遅くまでお邪魔しましたよね。ごめんね!)、よろぴくお願いいたします。

2016年8月 8日 (月)

興奮の夏!

 いやあ、今日はむちゃくちゃ暑かったですね! 岡山の最高気温は37.4℃なんだそうですよ(私的には40℃超えでしたけどね。動物園のシロクマやペンギンは、どうやって生きていたのだろうか。気の毒ですね)。

 ところが上には上があるもんで、岐阜の多治見では、なんと39.7℃。風邪ひいて寝込んでも、なかなか記録しない温度だ。(ちなみに私は大学時代、39.1℃なのに、なぜかしら身体が動きそうなので道場に行ったら、帰宅後40.7℃を記録し、一週間ほど動けなくなった経験がある。よゐこの皆さんは、マネしないほうがいい。死ぬかと思うほどしんどいから。まあ私のようなぼんくらは、実体験しないとわからないので、いい勉強になったけどね…ちなみにこの時は、血を吐いた。喉が完全にいかれちゃったんだろうね。今となっては笑えるけど)

 今日の全国ランキング2位タイも同じく岐阜で、美濃が38.7℃というから、見事に風邪ひきの体温並みだ。ついでに4位タイにも岐阜の岐阜市が38.5℃ということで、先週私がお邪魔した時の涼しさは、いったいどこへ行ったんだ?(あの時は、間違いなく岡山のほうが暑かった)しかも7位にも美濃加茂が38.4℃で続き、今日の岐阜県はまさに灼熱地獄だったんじゃないだろうか(ちなみに岡山の最高は高梁の38.1℃で、全国9位。昨年の今頃は、あのあたり…高梁周辺…をうろうろしていたので、危ない危ない)

 ところが夕方になると岡山では、いかにも怪しげな雲が沸き上がり、「さあ、このクソ暑い中、走るか…」と準備していた私を躊躇させた。稲妻に打たれたら、死んじゃいますからね。で、ちょっと様子を見るかと、買ってきた鰯を料理していたら(晩御飯のおかずです。走ってきた後では、しんどくて料理なんかする気にならないので、これ幸いと調理を始めたんですな)、見事に夕立は来なくて、それでも気温がぐっと下がって楽になりました。GJっとほめてやりたいですわ。

 というのが個人的なことで、今日は実にいろんなことがございましたな。某隣国が尖閣海域に、傍若無人なことをしかけてきたと思ったら、イチロー選手はとうとうMLBで3000本安打を放つし、午後になってから天皇陛下のお話がビデオで流れたし。……2008年8月8日は北京オリンピックの開幕日だったけど、8年後の2016年8月8日も、なかなかにぎやかな日でございました。

 隣国がやっていることは、もはや正気の沙汰とも思えないので、ひとまずおいとくとして(彼の国の国民全員…特に高等教育を受けた、理性的な人々…が賛成しているとは思えないんだけどね~。まあ私は恥を知る人間なので、どこかの人たちのように、内政干渉発言をするつもりはない…あちらも気にもしないだろうけど…ただし私は日本をものすごく愛しているので、どういう気分でいるかはご想像にお任せする)、イチローの三塁打には「さすが!」としか言いようがなかったね。

 HRだったらよかったのにと思われるかもしれないけれど、三塁打は快足の証明。内野安打が多いといわれるイチロー選手だが、飛距離も大したもんだし(バッティング練習での飛距離は、ずば抜けたものがあるというし)、いかにもイチロー選手の特徴を代弁するかのごとき三塁打だったと思いますね。

 天皇陛下のお言葉については、私ごときが感想を漏らすことすらおこがましい。本当に国と国民のことをお考えになった末の決断だったのではないかと思う。お身体に十二分に留意されて、まだまだお元気でいていただきたいが、重任は十二分に果たされているので、少しお楽な暮らしをされてもいいのではないかと思う。どうかいつまでもお健やかに…

 これにオリンピックが重なって、夏の高校野球はかすんじゃったなあ。インターハイなんか、「まだやってるの?」って感じになっちゃった。(8月20日までやっているので、こちらもお見逃しなく…実行委員会なんかと、何の関係もないのだが、つい宣伝しちゃった…笑)

 スポーツの夏(秋?)なんてことを言うけれど、今や4シーズン、スポーツをやってない季節なんてないからね。その気になれば、一年中忙しいのかも。

 とはいうものの、こういうときって、ごたごたに紛れて、しょうもないものが紛れ込む時期でもございます。熱くなるのは大いに結構だと思うけれど、まずは大切なのは自分と、自分の周囲の安定でございます(国も含めて)。安定した生活や社会あっての喜怒哀楽でございますので、足元からは目を離さないのが肝心かと思いますね。

 

2016年8月 7日 (日)

ブラジル・コーヒー

 すんません! 日本選手が死闘をくりひろげているというのに、私はクーラーをきかせて、ブラジル・コーヒーを堪能しながらTV観戦でございます。

 実は私がアイス・コーヒーに目覚めたのは、ブラジル・コーヒーでした。ある国際的イベントに、悪友3人と参加したとき、ブラジル・コーヒーの「ほんまもん」をいただいたんですね(淹れてくれたお姉さんが、これまた魅力的で、思春期に入った悪ガキ三人には、カルチャーショックだったんですな…笑…いまとなっては笑えるけど、当時は本当にカルチャーショックだった。もう一人、これはカルチャー・ショックではなかったけど、アメリカのお嬢さんにも、我々悪ガキ三人衆…私、Tくん、Sくん…は魂を抜かれてしまいました。今から思えば、田舎もののクソガキそのものだったんだねえ、きっと)。

 この時のコーヒーの味が忘れられなくて(淹れてくれたお姉さんではないよ)、これが尻尾を引っ張って、大学時代のコーヒー狂いにつながっていった。だから今でも私が淹れるアイス・コーヒーは、私の記憶の中で妙に美化されてしまったかも知れないが、この時のアイス・コーヒーの味が基本になっている。言ってしまえば、アイス・コーヒーに対する「初恋」かな。いつまでも初恋の人の面影を追いかけている感じ(人間の女性については、もう忘れてしまった…すんません、食い気優先で…泣笑)。

 だから今でも、アイス・コーヒーを淹れるときは、ブラジルだよ。ホットだとコロンビアなんかを好んで淹れますけどね(もうだいぶ前になるかなあ。ある人に、一緒にコロンビアに行こうと誘われたことがあったけど、さすがにこれは断った。だって何も知らない日本人でしょ。知らない間にヤバいものの運び屋にでもされたら、コトだもの。当時は特に、コロンビア・シンジケートなんて話題の中心だったし。ちなみに私はトリップするには、お酒で十分なので、そのほかの物には興味がない…その代わり、お酒の味には煩いけどね! もう身体が飲酒体質になってるもん)。

 とはいうものの、日本選手団、苦戦するんではないかと思っていた競技以外は、まあまあ順当な滑り出し(?)みたいな印象を受ける。でも油断は禁物。私自身の経験から言えるのは、食肉人種は「ここ一番!」となると、別人28号(鉄人28号?)に変身するからね。練習のときとはまったく異なった力を発揮するから、要注意!

 こんな時は、こちらもブチ切れて対処するのが一番なんだけど、ブチ切れながらも冷静な判断力だけは失ってはならないので、ただただ切れればいいというものではない。でもオリンピックに出場するような選手に、私ごときの体験を語ってもしかたがない。たぶん、もっともっと経験を積んでいると思うので、ベストの尽くし方は身体で覚えていると思うから。

 ただ、食肉人種とガチでやりあったことのない人には、「なんでいつも勝ってるやつに負けるの!」と思うこともあるかと思うので、老婆心ながら。食肉人種は、いざというと別人に変わります。ウルトラマンみたいに3分でスタミナが切れてくれればいいけど、そんなに短時間では終わりません(試合が終わっても、しばらく続いていることがあります。いつまでアドレナリン出してるんだよっ!?)。

 だからみんな一所懸命頑張っているんだから、こちらも一所懸命応援しましょうね!もしかしたら地球の裏側まで、応援は届いているかもしれないし。

 それにブラジルっていえば日系人が多いですよね。もしかしたら日本国国歌に、特別な感慨を覚えられる方もおられるかもしれない。だからどんどん、表彰台の一番高いところに上って、日本国国歌を流してもらいましょうね。ルーツに対する誇りが再燃するかもしれないよ!

 なんてことを、アイス・コーヒーを飲みながら思っております。

 がんばれ、ニッポン!

2016年8月 6日 (土)

とらぬ狸2016

 やけくそと云ってもいいくらいの好天で、なんと最高気温も36.0℃。私の平熱よりも高かった。もっとも体感温度でいえば38.0℃くらいはあったような気がする。

 ということで岡山は今日が花火大会だ。遠くのほうから花火を打ち上げる音が聞こえる。きっと人出も多いことだろう(おかげで私とSくんは、今日の午後の予定を中止した。駐車場が空いてないと予想できたからだ)。

 昨夜はちょっと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやら梯子酒…(植木等さんじゃないけれど)をしていたら、したたかに酔っぱらっていた(帰宅したあたりから記憶がなくて、気が付いたらお風呂で寝ていた。冬なら死ねますな)。おかげで本ブログも一日とんでしまいましたな、岡山にいたのに。

 ともあれおかげで今日は一日、身体のメンテもかねて、大変にのんびりした一日になった。今にいたってもやる気が起こらないので…日付が変わるあたりから、怪しくなるのがいつものパターンなんだけど…、きっとのんびりしっぱなしになるんじゃないだろうか。

 ま、こんな日だって必要だ。一日中、アイスコーヒーばかり淹れて飲んでるよ。(暑いときに冷たいものを好むのは当たり前だ。要は過剰摂取にならなきゃいいんだろう? 冷たいものばかり取りすぎれば、夏バテになってしまうこともあるからね)。

 最近の夏バテで最も記憶に新しいのは、2011年である。この年は7月末から無錫に一週間ほどお邪魔した。当地の方々に温かく(気温は軽く36℃くらいはあったので、暑かった)迎えていただいて、来る日も来る日も、夜になれば冷たいビールばかりをガンガン飲んでいた。

 8月のアタマに帰国してみると、見事に極度の食欲不振。いうところの夏バテである。慌てて真夏にもかかわらず、中華粥主体の食生活に切り替え、夏バテを克服した(1週間くらいで治ったように記憶している)。それから8月末に、今度は珠海に行って1週間ほど遊んだ(これは本気で遊んだ)。暑かったけど、まあ暑いだけですんだ。

 夏の終わりは遊び疲れはあったけど、一番大きいダメージは懐具合だった。おなかの具合は問題が解決したんだけど、金欠に陥って、しばらく立ち直るのに時間がかかったような記憶がある。

 とはいうものの、リオ五輪である。ちょうど時差は12時間くらいだったと思うので、日本とは逆の時間帯だ。まあ睡眠不足(です!慢性の)にならない程度にお付き合いをいたしましょう。

 しかし毎度毎度のことだが、相変わらずマスコミ関係は「とらぬ狸」ばかりをやっておりますな。やれメダルがいくつだなんぞと。メダルは結果。結果を出すには経過が大事。選手のみなさんが、全力でプレイできて、悔いのない試合ができれば、あとは「人事を尽くして天命を待つ」の心境でいいんじゃないかな。

 はやくも予想外の結果が出始めた種目なんかでは、スタッフさんのボヤきが聞こえてきたりしているみたいだけど、だからろくに競技も始まっていないのに、「捕らぬ狸の皮算用」ばかりしないで、って言ってるの。

 期待もされていないのに、優入勝したらうれしいよね。期待されてて期待通りにいっても、これまたうれしいよね。でも期待されてて、期待通りにいかなかったら悔しいよね。一番悔しかったり、つらかったりするのは選手であるはずなのに、周囲のほうがもっと激しかったりするのは、かえって選手に気の毒な気がする。

 だから「とらぬ狸」はやめましょう、と言いたいね。

2016年8月 4日 (木)

夏の虫・我が家篇

(岡山の)最高気温が34.8℃だって~? そんなもんじゃねえよ! クーラー効かせた部屋で測ってんじゃねえの?

 とにかく暑かった!(今も暑いが) 帰宅してPCの前に座ったが、手からしたたる汗がキーボードにかかるので、仕方なく(時間がないので)、手だけでも洗ってきた。本来ならばゆっくりと冷たいシャワーでも浴びて(水冷方式)、それからクーラーの風を最強にして(空冷方式)、正常な体温に戻したいところだ。

 変温動物なら比較的気温の変化には強いのだろうが、恒温動物の人間は、暑くてもダメ、寒くてもダメなのである。

 昔なら、暑ければ暑いほど、真昼間の炎天下を好んだのだが、さすがに最近は嫌だ。第一あの忌まわしい蚊ですら、真夏の炎天下には現れない。気合の入りようが足りない。こんな根性でひとさまの血液を強奪しようというのだから、よけいに頭にくる。(私が蚊に対してむちゃくちゃに怒りを爆発させるのは、その根性が嫌いだからである。性根が腐っている!)

 しかもである、真冬でも人様の住居の隅でこっそりと冬を越そうとする。なおかつ少しでも暖かいと、またしても吸血などしようとしやがる。蚊という昆虫の性根は、その存在の根本から腐りきっている。絶滅させてやったほうがよいのではないか。

 ゴキブリなんてえのも、わりと嫌いな昆虫である。だがあいつは馬鹿だ。台所によく出没するが(特に流しなんか)、我が家ではゴキブリ用に、あらかじめ薄めた台所洗剤を準備している。あの、いかにもって感じの脂ぎった体の脂を、洗剤で洗い流してやろうという親切心だ(まさか!)。

 一撃でOKですな。バタバタ、コトンって感じでくたばる。どこでもはい回るから、不潔なことは間違いない。ゴキブリの天敵アシダカグモは、我が家では保護虫に指定されているのだが(指定したのは私)、今年は働きが悪い。昨年のように、私の視界にゴキブリが入ったのは、一年間で数度というわけにはいってない。もうちょっと真面目に働くように言い聞かせなければならない。

 そういえば小さなムカデを見かけたよ。あいつはとても生意気な奴だ。すぐに人を噛もうとする。だが最大の弱点は、お湯に弱いことだ。たかだか60℃あるかないか(お茶で十分)のお湯で、一発でKOできる(その代わり殺虫剤には強い)。見つけ次第お湯(お茶?)の餌食にしてやっている。

 まあせっかく出てきたんだから、せめてお茶のいっぱいでもと親切に勧めてやると、ころりといくんだから気の毒なものだ。接待してやってんのに。(ただし高価なお茶の時は、急いでお湯にすることがある。高価なものなど、あんな多足類にはもったいない)

 だいたい昆虫ってのはいい加減な生き物だ。飛ぶには飛ぶが、飛んでいる最中にいろんなものに平気でぶつかる。山道などを車で走ると、必ずといっていいほどフロントガラスがつぶれた昆虫で汚れる。ちゃんとよけなさいって! 交通法規はどうせわかんないんだろうから、せめても大きくて高速で運動しているものとぶつかれば、いかに外骨格とはいっても、つぶれることがあることぐらい、知りなさいよ。

 とはいえやつらの方向感覚はでたらめだ(トンボなどの仲間は除く)。バッタなんか、着地したとき、進行方向をそのまま向いているのが少ないくらいだ。だいたいこんなもんだろうって感じで、とりあえず飛んでいるだけなんじゃないかね。

 とはいうものの、いったい節足動物は、いつごろ羽をもったんだろうか。石炭紀には幅が1mもあるようなトンボみたいなものがいたというから、それより以前に羽は持っていたんだろうけど、エビ、カニの仲間のどこを見ても、このあたりが羽に変わったんじゃないかなあってところが見えない。

 すると節足動物のルーツみたいな生物がいて、こいつは将来、羽に進化するかもしれない器官でももっていたのだろうか? エビ、カニは水中生活に適応していったから、羽は必要がない。そうして消えていった。昆虫の仲間は陸上生活を選んだので、飛べたほうが有利だったから、羽になった? まあ、まったくの空想に過ぎないんだけどね。

 そうそう、先日草刈りをした時には見えなかったんだけど(気づかなかっただけかなあ。そこまで目がチョロいとも思いたくはないけど)、どうもアリジゴクが何か所かいるみたい。まだ詳しくは調べてないから、なんとも言えないんだけどさ(昼間は暑くって。夕方は、心はビールにしかないし、朝は眠いし、夜は暗くて見えないうえに蚊がいるし)。

 少なくとも我が家には、私が御幼少のみぎりからこのかた、アリジゴクがいたことは一度としてなかった(時々成虫のウスバカゲロウ…ひどい名前だね、薄馬鹿下郎だなんて!…を見かけることはあったから、近隣のどこかにはいたんだろうけど)。知らないまに進出してきているのだ。

 私としては同じ系統の昆虫では、ハンミョウに居ついてほしいんだけどね。あれはきれいだから(害はないし…ツチハンミョウは有毒です。その昔、忍者がこれを毒として用いたんだそうな)。ハンミョウは私が子供のころには、我が家の庭にふつうに生息していた虫だったんだけどね。

 来年くらいには、ハンミョウさんが住めるような環境にしたいものだと思っております(たぶん、今のまま進行すれば可能)。ハンミョウでもいないと、アリが増えてたまりませんからな。自然な食物連鎖の中で、アリもハンミョウも、ウスバカゲロウも、クモもムカデも、バランスよくいてくれるなら、私は文句は言わないから。

 ただし、蚊は許しませんぞ……!

2016年8月 3日 (水)

わが道を行く

 なんでも内閣改造なのだそうな。残念なことに(?)、私はこういったことに無関心ではない。なんたって私の大好きな日本の、これからのかじ取り役を決めるわけだから、無関心でいられるはずがない。(むしろ無関心でいる方が、無責任なんじゃないかと)

 毎度のことだけれども、日本の内閣の構成について、外国からいろんなチャチャが入るようだ。明らかな内政干渉だとは思うが、内政干渉の何たるかが理解できない連中は、無視していればいいんではないかと思う。

 なんたって外国が、日本のことに責任を負ってくれるわけじゃないないからね。「みんな自分のことで忙しいと…みゆきさんの『HALF』より」。人のことをあれこれ言う間があったら、自分のことをしっかりやれと、自分のことをちっともしてこなかった私が言っております(笑)。強引マイウェイは、自分の生き方を貫くには大切です。

 まあ、今更生き方を変えるわけにもいかないからね。このまま一人で生きて、一人で死んでやろうかなんてことを思い始めた、今日この頃である。人は必ずしも望んだ人生を生きられるわけではないから。

 死んだ時用の写真は、今日できあがってきたし(腹が出ているのが大変気になるが、これは遺影に使われるときはカットされる部分だから、問題はないだろう。母が言っていたけれど、私は昔は大変スリムな体形だった…今じゃあ誰も信じてくれないだろうなあ…涙。今でも私の脳裏にある自分の姿は、間違っても太ってなんかいない。風が吹けば飛ぶような…だから走っているときも、向かい風は嫌だった、人並み以上に…カアルイ・ルイスくんだったんだ)、「さあ、かかってこい」って感じになった。

 人は「いかに死ぬか」が決まれば、「いかに生きるか」は自動的に決まる。もう五十年生きるつもりだが、五十年先の自分の死に方を決めてしまえば、これから先の五十年の生き方は自動的に決まる。少なくとも浮草やボーフラみたいに見えても、実際は自分なりの生き方になる。誰に証明する必要もない。ただ自分にだけ証明し続ければいい。

 ところがどっこい、自分にはなかなか嘘はつけないので、そんなに楽な生き方ではないんじゃないかな。ま、今までも大して自分をだましてこなかったので、そんなに生き方が大きく変わるわけではないから、あまり心配しているわけではないんだけれどね。

 なんとなく写真でも残しておくかなあ、という気になったのは、五月の中頃のことだったような気がする。いざこんなことを考えると、思いがけない用事があれこれと発生するもので、七月の下旬にまでずれ込んでしまっていた(たぶん、疫病神が邪魔しているんではないかと思う。何かしようとすると、必ず疫病神が現れる。現れる疫病神が大物であればあるほど、自分がやろうとしていることが、大きな意味を持っているのではないかと、今では確信に近くなった。みんな既得権を守るために、改革をしていくものは好まれないからね。それが貧乏神に姿を変えて、妨害しに現れる)。

 ま、それも今日で一つは実現しちゃった。へっへっへ…… 意志あるところに、道は開けるんだって!人間、どうせ一度は死ぬんだから、死ぬ用意ができてからのほうが、自分らしく生きることができるもんね、きっと。疫病神さん、ごめんね。覚悟しちゃったよ。かかっておいで!相手してやるから!

 岐阜でNさんや、Sさんや、Sさんや、Kさんの影響を受けたおかげで、なんかエネルギーが充填されたみたい。もしかしたら「さざれ石公園」や、「関ケ原」の影響も大きかった? ちょっと遅れて効果が出るパワースポット(私に関しては)だったのかもしれない。得たものは大きかったよ。

 重ね重ね、岐阜でお世話になった方々には、最大限の感謝をささげたいと思いますね。まあ我が家の母方は、ちょうどあのあたり(もうちょっと南東か?)の出身なので、池田さんのパシリだったのね(織田信長のパシリ…池田さん…のパシリにあたる。池田さんが岡山に移封されたとき、くっついて岡山に来た)。だからなんとなくルーツに触れるような気がしていたんだ。

 天気も良かったし(好天なのに、岡山よりはだいぶ涼しかった! 岡山は暑い! 蒸し暑くて胸苦しい。インターハイをやっているせいだとばかりは言えないだろう)、景色がよかったねえ。(だから昨日は、パノラマ風にして載せたりしたのかも)

 あんたの好きに生きてみなさい、って御先祖様のみんなが言ってくれたのかもしれないねえ。ま、私が好きなように生きると、波乱万丈ってことになるかもしれないけれど、これからの五十年は、すごく充実すると思うよ。

 なんだかいろんなものが吹っ切れたような気がいたしますね、一気に。こんな機会をくださったNさんには、足を向けて寝られないよ!(先日寝ていて、寝相が悪い私は、ベッドから転落…何十年ぶりかなあ…、右足の足首を強打してしまった。寝てる時って、意外にダメージが大きいもんだね。腫れあがって、しばらく痛かったもの)

 ということで、岐阜から帰って、ますますマイペースになっております。心はますます軽く(悲しいことに、財布はなおのこと軽く…涙)なりつつあります。この調子だと、おもりがなければ、どこかに飛んでってしまいそうなくらいです。

 さあこの調子で、今夜も仕事の続きをバリバリとこなすぞーっ!

※ 八月の『○○を語る会』は、20日(第三土曜日)の予定です。次第に八方破れの感が出てくると思いますが、実は私の本性でございまして、よく聞いてみると、全部がつながっていたりするので、もしかしたら「聞かなきゃ損!」って人がいるかもしれませんね(笑)。ま、マイペースでやりますけどね(ただ私のマイペースは、全力疾走なんじゃないかという人もおりますが)。

2016年8月 2日 (火)

関ケ原

 今日もなんだかおかしな天気でした。人がおんもに出ようとすると、大粒の雨が… 「誰のせいでもない雨が」とは、大好きな中島みゆきさんの歌ですが、実際に屋外で動くとなると、やっかいなもんです。

 途中からやけくそで、「どうせ汗まみれになるんだったら、内から濡れようが、外から濡れようが、知ったことか!」と開き直って動き出したら、雨のほうで遠慮してくれましたけどね。おかげで身体が軽い、軽い。

 旅行に出ると、妙に天気がいいのに、家で日常生活をしていると、まあ普通に雨が降ります。おかげで水やりがサボれる日もあります。だからのんびり生きていけるのかもしれないんだけどね。(晴れ男は旅先で、水不足を引き起こすこともあるので…… 長期滞在は、地元の人にとってもよくないのかも)

 さて先月の29日は、NさんやS氏のおかげで、念願の「さざれ石公園」を訪問することができたのだが、さらに親切なNさんのおかげで、関ケ原に行くことができた。学生時代から、新幹線の窓から見てたんだよ。ここで日本歴史上未曽有の大合戦が行われたんだなあ。いつか機会があったら見てみたいもんだと。

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 行くとこんな石碑が、田園地帯の真ん中に、でで~んと立っている。ちょうどこのあたりで激戦が繰り広げられたらしい。このすぐ後ろが石田三成の本陣だから、石田三成はかなり厳しい戦を強いられたのだろう。

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 石田三成の本陣のすぐ前には、猛将、島左近の陣があった。三成に過ぎたものが二つあるといわれた片方である。(一つは三成の居城、佐和山の城であり、もう一つは島左近という部下だったという。三成がほれ込んで、三顧の礼をもって部将として迎えた)

 島左近については関ケ原で銃撃されて戦死したとされているが、こういった名将については、死後も生きていたとか、逃れたとかという話が尽きない。私としては、三成の三顧の礼に応じて、ここで戦死した説を採りたい(なんのことはない、私の趣味である)。この階段を登ったところに、三成の本陣跡が」ある。

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 これでございますな。実際にはここに幔幕を張り、三成が床几の上に腰を下ろしていたのだと思うと、なんとも言えない気分になる。戦下手だなどと揶揄される三成だが、人間として小物のはずがない(小物に西軍の諸将が付き従うものか!)。少々戦況が不利になったくらいでは、浮足立った様子などみせなかったに違いないのだ。(映画『のぼうの城』なんかでも、三成を軽く描きすぎているよ。人間、死に際に本当の姿を見せるというが、三成の死に際は、どう考えても英雄だ…ただし英雄の二文字の中では、英のほうが強い気がするが。これに対して福島正則だとか、加藤清正は、雄の字の雰囲気が強い…漢字は表意文字なので、すべてに意味がある。暇があったら英雄の何たるかを論じてみたいが、今日は時間がない。とりあえず今日中にブログをUPしなければ)

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 親切にもこんな看板があって、関ケ原の合戦当時の陣取りが一目瞭然でわかるようになっている。赤は東軍、青は西軍だ。こうしてみると、明らかに西軍の陣取りが有利であることがわかる(だから戦の当初は、西軍有利に展開していたんだろう)。これを実際に三成の陣から見ると、次のようになる。

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 こんなんですね。中央のちょっと盛り上がった丘のようなところのふもとに、家康の本陣があった。ってえことは、三成の陣からは、戦の全貌が見えていたはずだ。これは教科書通りの布陣ですね。ところが家康は、一般の教科書にない兵法を用いた、「反間の計」である(日本人的には卑怯な戦法ですが、昔からよく行われてきた戦い方です)。

 これは人間心理に詳しいものでなければ、仕掛けられない賭けだ。しかしながら家康ほどの武将が、一六勝負に出るはずがない。家康の中ではかなり高い確率で、西軍を裏切らせる算段があったのだろう。勝敗は、歴史が教えてくれている通りである。

 にしても、こんな狭いところで、東西合わせて20万人近くの兵が戦ったんだよ。激戦の時には、「芋の子を洗う」状態だったんじゃないだろうか。そうして勝敗がほぼ決した後、有名な島津の撤退戦が始まる。(私は池宮彰一郎さんの『島津奔る』を読んで、何度泣いたことだろう!あれは名作ですよ!)

 夏草や 兵どもが 夢の跡  …… 松尾芭蕉がこの句を詠んだのは、奥州は平泉だということだが、私は関ケ原で、十分にその夢の跡を感じましたね。三成にしろ家康にしろ、いろんなものを背負って戦ったんだろう。そして部将たちは、自らをこの二人に託して命をかけて戦ったに違いないのだ。

 ただ日本人の心は、裏切りによって敗れた三成に傾くのかなあ。家康の本陣あたりには、三成の本陣のようなものはありそうになかった(行く暇がなかったので、未確認。もし知っている人があったら教えてね)。狸爺は嫌われる運命にあるのかも。私的には、家康が勝ったので、以後二百数十年の平和な時代が到来したと考えているんですけどね。三成に、そこまで先を見通す眼力が」あったかどうかは「?」がつく。

 一つ残念だったのは、この地がせっかくの関ケ原なのに、もう少し地域振興にネームバリューを用いてもいいのではないかと思ったこと。例えば食べ物一つにしても、「戦国合戦定食(武将が戦の前に食べたものなど、すでに資料はどこででも入手できるんだし)」とか、「戦国雑兵弁当(これまた、資料はすぐにでも集められる)」なんてのを売り出せば、きっと評判にはなると思うよ。

 訪問している人の車が、ほとんど県外ナンバーだっただけに、余計に一工夫していただきたいと思ったね(ご希望されるのであれば、相談には乗りまっせ!)。せっかくの歴史的な地方なんだから、それを活かさなきゃ。

 ただ帰りに昼ご飯をいただいたSAで、「豚カツ(?だったっけ)合戦丼」ってのがございました。

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 これですね! まあまあおいしかったけど、これをSAでなくって、関ケ原のレストラン(見えなかったなあ、そんなもの)で出さなきゃ。 

 せっかく先人が命を投げ出してまで、史跡にしてくれたんだから、今を生きる人はそれを活用させていただかなきゃ。そうでもしないと、浮かばれませんよ。

 ということで、パノラマ風に関ケ原の戦場跡を紹介して、今回は〆たいと思います。まずは北から。

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 そして東。

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さらに南。

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最後が西ですね。
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※ 8月の『○○を語る会』は、8月20日の予定です。夏は暑いので、私自身がじっとしていられなくて、まだまだあちこちを訪れる予定ですから、もしかしたらお土産があるかも、かも、かも……?

2016年8月 1日 (月)

ベストの状態にするって?

 あつかったっすね~。気象台の発表する最高気温なんて、信じられねえっす。今日が34.7℃だってえ? 36℃くらいはあったように感じたよ。

 でくそ暑い中動いて、さあって気分を入れ替えるのにシャワー浴びて、裏庭の草刈りでもやるべえか、と思ったとたんに夕立でしょ。ジョーダンじゃねえや、まったく。

 でもまたやり直すには大変な勇気がいると思ったので、そのままびしょ濡れで、草刈りを続けた。水は滴ったが、「水も滴るいい男」に変身することはできなかった。雨に濡れたくらいで、いい男になれるのなら、誰だって土砂降りの中に駆け出していくだろう。

 ま、私は今日中に、とりあえず草が領有権を主張する、裏庭への進入路を開拓しておかないと、ぜったいに面倒になって、やらないんじゃないかと思ったんだね。思い立ったが吉日、明日になればまた事情は変わる(たぶん不測の事態が発生して、できなくなる)。人生はそんなものだ。

 進入路さえ作っていれば、そこからの雑草対策の立てようはいくつでもある。まあ、明日の夕方にでも、今度は拠点となる基地を築けばいい。あとは基地と進入路から、雑草を駆逐していくだけだ。細かい掃討戦は、後からでもできる。(まるで機甲師団を用いた戦い方ですな!)

 ということで、夕方は特に頑張りましたよ。おかげでビールのうまかったこと! 草刈りが終わったときは、ちょっと真っすぐ立っていなかったけどね(本人はまっすぐのつもりだったんだけど、傾いていたみたい…まっすぐに歩いているつもりで、まっすぐ進んでいなかったからわかった…何をやっても限界までやるのは、青春時代の名残。たぶん死ぬまで治らないだろう)。でもこれで目鼻がついたよ。ほっと安心。あとはたいしてしんどくはない(はずだ)。

 実は裏庭は、苔庭にしたいんだよね。ただ苔庭ってのは、下手な庭よりもはるかに難しいんではないかと思っているけど。きれいな状態で維持するのは、尋常な苦労ではないと思うね。コケを売りにしている観光地もあるけど、あれをきれいなまま維持しているスタッフさんの努力を思うと、頭が下がる。

 っていうのは、今までにも何度も、コケを我が家の庭に定着させる試みはやっていたのだ。いくつかは定着したけど、忙しいとかなんとかで、ちょっと手抜きが入ると、すぐにダメになる。アクアリウムなんかでよく使われる、大変に高価なコケも、半年くらいはもっても、そのあとがもたない。だいたい自然界に生えていたときほど美しくはなくなるし、ちょっと目を離すとイカれてしまう。

 おかげで現在我が家で確認されているのは、水生ゴケを入れても、5種類ほどしかない(それも努力した結果だよ!)。何事も、実際にやってみると、頭の中で考えていた時にはなかったむずかしさがある。実践は大切だよね~。

 昔も嘆いていたことだけど、自然には勝てませんな。アマゾン川の魚を飼っていたときは、その本来の美しさを出すためには、「せめて幅5㎞、長さ100㎞、深さが5mくらいの水槽がないかなあ」などと言っていたこともある。

「誰がそんな巨大な水槽を管理するんだ?」の一言で、無理な計画だと思ったけどね。だいたいこの日本の国土のどこに、そんなものを置くのだ? 水温をアマゾンなみにしようと思ったら、ヒーターの電気代だけで、かなりのもんだよ。 で、無理。

 アピストグラマに凝っていたときは、アマゾンの空の青さがほしかった。でもそれはアマゾンでない日本に期待することはできない。いかに天井を青く塗ったところで、澄み切った大気の出す青さ(もちろんそれは、朝、昼、夕、夜で色合いを変える)は再現できない。ブリーディングはじゃんじゃん成功したけど、親魚の発色は、天然でのもの(日本に持ってきた段階で、すでに色あせているけど)と同じようにはできなかった。

 水槽の中で美しくなるのは、ワイルドディスカスみたいな、野生では常に危険にさらされていて緊張しているので、あまりに色を出せないようなものだけだった(安心させて、いいものをたらふく食べさせていれば、めちゃきれいになります。現代女性は概して美しいと思いますが、これは平和に安心して暮らせて、栄養状態がよくて…なんて条件が重なっているのかもしれませんね。もっとも日本女性の美しさときたひには、少なくとも写真に映像が残るようになった百年以上も昔から、大変に美しかったので、たぶん歴史的に美しかったんでしょうけどね。他国のことは知っていても言いたくないけど、少なくともわが日本では、女性が歴史的に美しくいられた社会のように思いますね…きっと反論したい人もいるでしょうけど。私は日本女性は美しいと思いますよ)。

 もって生まれた能力を最大限度発現させるには、環境が大切だからね。その環境を作る人間は、空気や水みたいな存在なので、だれにも特に褒められたり、評価されたりはしないけれど、これがなくなったら生きていけないものだ。

 世の中には数えきれないほと多くの、目にもみえないところでこんな働きをしてくれている人がいるんだよね。それに気づくのは、そんなに難しいことではない。自分がやってみれば、すぐに気づくよ。なかなかできないことだ、と(もちろん、それを自然に、笑顔とともにやってのける存在も、この国にはいるんだけどね…同時に売名目的でやっている人間も)。

 自然は偉大だけど、その自然の中で、人間としてよりよい生き方を可能にすべく、人々のために努力してくれている人もいる。こんな人は長さ100㎞の水槽をほしがったりしない。その場で、その時、自分にできることを、自分でできる範囲で、できるようにやっている。

 こういった人は、本当に「宝」だと思うんだけど、べつに後光がさしているわけでも、胸の真ん中にカラータイマーをつけているわけでもないから、あっても気づかないことが多いんだけどね。

 だから一期一会で、出会った人とは大事に付き合っていきたいね。自然界での出会いなんて、すべてが一期一会なんだから。

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