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2016年8月31日 (水)

好きに生きる

 やれやれ、八月も今日でおしまいである。明日からは九月だ(あたりまえか)。時間の流れは、本当は均一のペースで流れているんだろうが、それを感じる人間の側から見れば、時に早く流れたり、ときに遅く流れたりするんだそうな。私的には、ただの「認識の問題」に過ぎないと思いますがね。

 この「認識の問題」ってえのを考え始めると、つくづく思うのが「人間って、なんてわがままなヤローなんだ!」ってことですね。やれ「個人が認識しない世界は、その個人にとってないのと同じだ」とか。バッカじゃなかろかね。そいつが認識しようがしまいが、世界は確実に存在しているわけで、てめーが世界の価値基準の中心になっているような、こういった世界観は、私は嫌いです。(こんな世界観は、どこかの国の誰か…一人とは限りませんぞ…に任せていればよい) 

 心優しい?人たちならば、世界は人間の数だけある、なんてえことをおっしゃるかもしれませんけどね。これまた「認識の問題」で。

 私なんか、そんな難しいことを考える気にもなれないので、誰がどんな認識をしていようが、「自分のやりたいように生きた奴が勝ち」だと考えていますからね。人がそれをどう評価しようが、知ったことか!なんちゃって。

 この評価ってやつがなかなか曲者で、人が別の人を評価するとき、「自分に都合のいいように評価する」のが、普通に行われていることなんだね。その人の真意なんて、ほとんどの人は考えない。ここに「解釈の面白さ」が発生する。

 本当は大変に功績があった人でも、評価する観点を変えれば、とんでもない無駄な人生を送ったことになるし、くだらない生き方をした人かもしれないのに、「すべての物事を超越した、素晴らしく高次元な生き方をした」なんて評価が下されたりする。

 特に学者さんたちは、自分の学説に有利になるように先人の言行を解釈していくので、まあ話半分かな。もう何十年、何百年前に死んでしまった人は、「そりゃ、俺が言ったことと、まったく意味が違うよ」なんて言って出てこないからね(怪談話には、少々秋になりすぎましたか?)。

 その点私なんか、身も蓋もない。評価基準は単純至極。現実に「使えるか、使えないか」だからだ。もちろん、史書に書かれた時代と、現代は異なる。当時は通用していても、今はまったく通用しないこともあるだろう。でもそんなことは、現在を生きている私には無関係である。

 何故かって? 読んだものが使えなければ、読むのに費やした時間と労力は無駄だからだ。読む以上は使う、というのが私の根本姿勢であり、研究自体が目的の研究者とは根本的に異なるのがこの点だ。人はみんな忙しい。死ぬまでにどれほどの時間が残されているか、神ではない人の身には知るすべもない。だから、無駄をしている余裕など、どこにもないのだ。

 ま、その分、読んでいるときに、かなり真剣になっているんだけどね(私が読んでいて眠くなる本といえば、無意味な本である。大学入試によく出題される文壇の大御所とかつて言われた人の本など、この典型だ。この本に目を通している間の時間は、ただ「睡眠のための準備」にしかなっていない。…私は買った本は捨てない主義なのだが、たぶんこの人たちの本は捨てたと思うよ。マジに読む必要を感じなかったから。孔子は大嫌いだけど、『論語』はまだ捨てていないので…孔子直系の子孫が書いた本…、彼らの書よりは、高く評価しているのだろうか。私的には『論語』だって、突っ込みどころ満載の本なんだけど)。

 なんでも同じでしょ? 園芸店に行けば、きれいな花がいくつもあるけど、きれいだからというので全部買いますか?ってはなし。自分で植え育て、鑑賞するには、それだけの値打ちを感じられなきゃ。人間だって、似たようなものかも知んないんだけどね。

 悲しいことに私は、植物を植える場合の価値基準は、他人様には説明困難だ。私が「面白い」と感じたものは、その辺に生えている雑草でも植えるけど、面白みを感じなかったら、どんな希少種でもスルーしちゃうからね。

 この「面白味を感じる」ってえのは、おいそれと他人に説明するわけにはいかないので…自分でもわかってなかったりして…、「聞いてくれない」ことが一番だ。だって誰かが感じる面白味なんて、別のある人からみたら、きわめてありきたりで、平凡を通り越して俗俗俗俗俗俗……超低俗なことかもしれないし。

 ま、そんなことはいいや。夕方になってようやく、風が弱まった。なにがしたかったんだろうね、あの台風10号ってとーへんぼくは。東北のほうでは、人に被害まで出ているという。だから、平和に暮らしたいこの国に、台風なんかは来ちゃいかんというのだ。

 天災の一番気に食わないことは、どんな善人でも被害者になることがあるということだ。逆にどんな悪人であろうと、助かるときには助かる。人格のない奴や、価値観がまったく異質な奴は、これだから好きになれないのだ。

 それぞれの人が、他人にできるだけ迷惑をかけない範囲で、自分の好んだ人生を満喫するのが、一番いい生き方なんじゃゃないかね。そういう意味で言えば、わが日本はこの世界中の中で、割と成功した国だと思いますね。(災害が多いのが難点だけど。これはまあしょうがない部分もあるんで… 🎶酒はうまいしネエチャンはきれいだ🎶…さあ、いつの時代の歌でしょう。ミリオンヒットになった歌なんだけどね)

 ということで、今晩もこれからが稼ぎ時(ドロボーに行くのではないよ、念のため)。さあ、気合を入れてガンバロー!

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