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2016年9月30日 (金)

ちょっとだけご機嫌?

 昨夜まで、火を噴く勢いでやっていたことが、ようやく一区切りつきそうな雰囲気で(後の予定は、すでに決まっております。今晩からでも開始しようかと思っておりますが)、さうがにちょっと気が緩み、古い映画を見直しちゃいました。なんだと思います?

『エデンの東』。……J.ディーンの。

 いつもはエリア・カザンの『エデンの東のテーマ』を仕事のBGMとして聞いている所縁もあるんだけどさ。まあ、今の映画にない、しっとりとした落ち着きがあるよね、あの頃の映画には。

 J.ディーンは、若くして交通事故で無くなっちゃったから、あのイケメンの年老いた顔は想像できないけど(だれか、こんなのが得意な人がやって見せてくれないかな。往年のJ. ディーンのファンは怒るかも。もしも、もしもだよ。あのイケメンが、おなかが出るくらいブクよかになって、さらに頭髪が滅びゆく草原になっていたら…… う~ん…… 夢でうなされそうな気が……)、相手役だったジュリー・ハリスは、刑事コロンボの『別れのワイン』に出てたよね。犯人を恐喝する秘書の役で。

 美女は年老いても美女、とはいうけれど、これまた、う~ん…… と、唸る以外なかったりして(いや、年老いても美女の方は、特に日本の女優さんには、多くおられると思います。日本女性の美は、年齢を超越する人が多いからね)。『刑事コロンボ』シリーズは、往年の名俳優、名女優を登場させることでも興味深い番組だったけど、『忘れられたスター』のジャネット・リー(グレース・ウィラー役)なんか、トニー・カーチスと結婚した頃(すんません。私、まだ生まれてません。当時の映画のDVDやビデオは持っているので、知ったつもりになってます)と比べたら、別人とはいいませんが、う~ん、う~ん、う~ん…と唸って、倒れてしまうんじゃないかと、我ながら心配いたします。

 アン・フランシスは『刑事コロンボ・シリーズ』にはよく出てたけど、この人は『禁断の惑星』のころから、あまり変わっていなかったよね。

 そんなことより、今更こんなことをいうのはなんだけど、『エデンの東』って、どことなく『華麗なる一族』に似てません? どっちも父ちゃんに愛されたいけど、なかなか愛してもらえない息子がいてさ(『華麗なる一族』の頃は、キムタクも輝いてましたね。今はどうなのか、よく知らないけど)。

 ストーリーの重さは、間違いなく『華麗なる一族』のほうが上。山崎豊子さんの力量の凄まじさを思い知らされる思いだが、ドラマの法のエンディングに漂う、あの虚無感は、これはもう演出さんの腕が素晴らしい。

 単純に最後、許しが入って、チャン、チャンの『エデンの東』のほうが、軽いように、私は感じるね(エリア・カザンの名曲で補っている感じ)。

 ということで、今日の夕食は、若干遅くなったのだが、ついでに私自身は個人的に、また少しだけど救われた(何で救われたかは、ナ・イ・ショ!)。いいものを見るとイイことがあるもんだねえ。見るなら、いいものを見ないと。

 実は今日の機嫌が比較的いいのは、洗濯物が乾いてたせいもある。この雨の間を縫って、昨夜練習から帰宅して、洗濯してたんだよね。今日は、賭けに勝った気分だ。人の気分なんて、些細なことで変わる。心はコロコロ変わるからココロというのだという説にも、反対できそうもない。

※ 来月(十月)の『○○を語る会』は、15日(第三土曜日)に決まりました。よろしくお願いいたしますね!

2016年9月29日 (木)

雨がかきたてる妄想!

 いやまったく実際、よく降る雨ですな!(別にほめているわけじゃないけど。呆れてはいる)何を考えたら、こんなにも降ることができるんだ?

 基本的に、大気中を循環する水分が多いってことだろうね! ってえことは、もしも冬に雪が降るとしたら、結構降るんじゃないかな。

 地球温暖化がどんなものかはよくわからないし、実際にいわゆる「温暖化」に伴う現象かどうかも知らないんだけど(それでも夏の気温は、間違いなく私が子供のころよりは数度高くなっている)、これは「降れば土砂降り」ないしは「長雨」、雪の場合は必ず積もる(ちなみに岡山の私が住んでいるあたりでは、雪が積もると、子供たちが喜ぶほどであって、嫌われていない…大人は嫌っている…、ということはめったに積もらないんだけど。この冬も、11月末までにはタイヤを冬用に替えておこう!岡山市内では、「無駄な抵抗」なんだけどね。私がスタッドレス履いてても、ほかの車がスケートしてぶつかってくるし、事故って通行禁止になるから。ま、お出かけを想定した準備だね!)

 温暖化っていうから、雪が降らなくなるわけじゃないもん、この数年を見る限り。ようするに天気の変化が「穏やかではなくなる」ってことなんだろ? 昨日も九州あたりでは竜巻が発生してたみたいだし。(岡山では雷注意報が出てたので…蒸し暑かったしなあ…、ひょっとして…と思ってたら、大当たり!。会いたくないねえ、竜巻なんぞには)

 アメリカでは竜巻を追っかけている人たちがいるらしい。ふつう我々の「正常な」反応では、竜巻から逃れようとするわけだけど、あの人たちは近づいていくもんね。冗談じゃないよ、まったく。

 で、この積乱雲なんかに伴う現象を、ミシシッピワニが予告したって、今日の昼、TVで垣間見たよ。ワニの鳴き声を聞いたのも初めてなら、ワニが天気予報に一役買いそうだというのも、初めて知った。こりゃ、ご家庭に一匹、温暖化した天気予報に対処するために、ミシシッピワニでも飼わなきゃいかんのかと思ったけど、猛獣飼育許可取らなきゃいけないし、ワニってパワフルな上に寒さに弱いじゃん。飼育するのに金がかかりそうだ。

 で、却下! 子供のころ、デパートの屋上で、ほんの小さなかわいいワニの子供が売られていて、つい飼いたくなったことはあったけど。まあ日本家屋向きのペットじゃないよね(ついでに大蛇も!)。

 今じゃあペットどころか、自分一人を飼いかねているのが現状だから、ワニなんてとんでもね~! 天気予報なら、もうちょっと小型で、飼育に手間がかからないやつがいい。

 日本の自然に生息していないものを飼うには、必ず特殊な設備が必要だ。特殊な設備である以上、必ずメンテが必要になる。設備に金もかかるし、メンテにも暇と金がかかる場合もある。なら日本に自然にいるものを飼えばよい。

 日本に自然にいるのなら、どうしてわざわざ飼う必要がある? 見たきゃ、それが住んでるところまでいけばいい。…… ほれほれ、横着者の三段跳び論法が始まったぞ。最近の私は、ともすればこんな感じになりがちだ。ちょっと忙しすぎるんじゃないかい?

 ま、いずれにしてもこの鬱陶しい長雨には、ほとほと嫌気がさしている(おんもで遊べない分、仕事がはかどっていいじゃない?と思うけど、能率は落ちてるんじゃないかなあ。間違いなく気分はよくないし)。だから昨夜みたく、雨が降り出したのがなんぼのもんじゃい!と泥だらけになって(手抜きだったけど)動き回ったりするのだ。

 まだまだ雨を愛でて、お酒でも飲もうか、なんて気分にはなれないなあ。そこまで人間ができてないというか、枯れてないというか。だいたい、雨とか雪とか花とかでお酒を飲もうと思ったら、もう少し気温が低くなきゃ。今はまだ蒸し暑すぎる!

 今週いっぱいぐらいは、まだ天気がぐずつくんでしょ?あ~あ、お天道様が恋しいなあ。そんで朝晩ぐっと冷え込み始めたころ、県北の温泉くらいで、紅葉を見ながら一杯ってのが、とりあえずのところ夢でございます(人が見る夢だけに、儚いかも…)。

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2016年9月28日 (水)

犬もあるけば棒に当たるっ!

 いやまあ、なんとも蒸し暑い一日でございました。汗はかくわ、乾かないわで、もう発狂寸前でした。こういう日を狙ったように、数々のことがございまして、よくもまあ正気を保っていたもんだと。自分で自分をほめてやりたいわ。(手抜きバージョンだけど、稽古もやったし。だいぶ機能が戻ってきました……)

 あまり忙しかったので、今日はノルマがきつい? まだまだ。夜は長い…… と気合を入れなおして頑張るか。どうせ貧乏暇なし、金もなし! 生きていけりゃあ、それで十分ってか?

 忙しいついでに、来月の『○○を語る会』は15日の第三土曜日ってことで、決まりましたのでよろしく。前回の続きでも結構ですし、何もなけりゃ、『三十六計』のお話でも。しかしながら『三十六計』ってのは、品がないやね。『孫子の兵法』なんていったら格調高いんで、読んでいるこちらまで格調高くなった気がするんだけど、『三十六計』の下品さったらないよ。

 まあ現代中国では『三十六計』のほうがポピュラーなんだそうだけど、単純に読解力とか、記憶力が落ちてきた証なんじゃないのかねえ。だいたい『鬼谷子』なんて、よほどの人でもなければ読まないもん、あっちの人は。確かに難解だから、読む暇ないんだろうけどね(私は睡眠時間を削ってでも読んだぞ!)。

 今に「軒を貸して母屋を取られた」なんて言うんじゃないぞ! 悔しかったら4000年歴史が続いたって証拠を見せればいいんだ。続いてるのなら、当然その中の叡智も継承されているはずだからね。

 昔々、私は大橋武夫先生のご著書に没頭したことがある。もちろん必要を感じたから没頭したのだが、大橋先生はなんと鬼谷子の研究を、土肥原賢治大将に進められてされたのだそうな。

 ちなみに私と『鬼谷子』の本格的な出会いは、あちらの武術の師父の勧め(書物をいただいた)だった。師父の勧めということは、読んでないと次が怖い。それで必死こいて翻訳して、読み込みましたよ。(ちなみに陸上競技のお師匠様には、英語の文献を山ほどいただきました。これも必死こいて読みました。英語は嫌いじゃないけど、好きで勉強したのではありません。必要に迫られたから勉強せざるを得なかったのです。勉強というくらいなので、強いて勉めなければ、なかなか身につかないものなのです)

 結局その後、歴史の話は何十回となくやりましたが(古代史)、鬼谷子の話は出なかったなあ。まあ、難しいので、私もしたくはないんだけど。

 でもなあ、大橋先生が土肥原大将に進められて研究を始めたというのを聞いて、これはもう「天命」だと感じましたね。だって土肥原大将は岡山の出身なんだよね。岡山人として、戦犯であろうがなかろうが、先人の歩んだ道を、だいぶ遅まきながらにでも歩けるのは、光栄の至りだ。しかもそれを勧めてくれたのは、中国人師父なんだから。

 不思議なご縁である。

 もうこの道を歩かなかったら、どちらからも破門にされる?ってことはないだろうけど(笑)。

 犬も歩けば棒にあたる とは「いろはかるた」の一番最初だけど、まあ棒にあたったということで、今日も生きておりますよ(棒で殴られるのは嫌なので、今日も棒の練習はしときました)。

※ ということで、10月の『○○を語る会』は、15日の土曜日になりました。よろしくお願いいたします。

 

2016年9月27日 (火)

界面活性剤……っ!

 午後10時を過ぎたころから、雨が降り始めました。今晩はまだ曇りの予報だったんだけどね。ちょっと天気の崩れが早かった。

 ま、洗濯物99%できてたので、あとはこの一週間、ずうっと天気が悪そうだけど、なんとか乗り切れそうです。夕方までもってくれてよかった!

 今日はもう、とりあえずノルマまで到達したので、気が向いたら明日の分に手を付けようか、なんて贅沢なところまできてしまいました。ああ、気分楽。毎日がこうありたいものだね。

 と思ってたら、外はもう雨がザーザーと、音を立てて降っている。本当にこの時期の日本なんかねえ。まだ台風17号は、台湾あたりなんでしょ? 例の秋雨前線に湿った空気が入り込んでってやつ?

 今日は(昨日あたりから)、けっこう湿度が高くて、「夏がぶり返したんじゃない?」と感じていたからねえ。こういった降り方もあるのかもしれない。今日の予定が済んだ私には、あまり影響ないと思うけど。余裕のよっちゃんっ!

 さて某病院で、界面活性剤ってな薬物が、点滴の容器に入れられた事件で、今やどんなニュースの時間でも持ち切りだ。大変な事件なので、一刻も早く真相が究明され、二度とこんなことが起こらないように願うばかりだ。

 最初は私も「界面活性剤? 石鹸? なんでまた?」という感想だったのだが、思わず大学一年のころの、一般化学の講義を思い出してしまった。「界面活性剤な、あれ初めて見たとき、驚いたもんなんだよ。戦争にまけて進駐軍が入ってきたろ。連中がインスタントコーヒー淹れるんだけど、混ぜないんだよ。それまで日本じゃ、何か入れたら、混ぜなきゃならないってのが常識だったからね。あの自分、アメ公が淹れるコーヒー見て、日本の化学者は、みな驚いたもんだ」

 もうこのお話をしてくださった先生のお名前も忘れてしまった。なかなか印象的なお話をしてくださった方だったんですけどね。テストがまた凄かった。わら半紙大の紙を一枚配られて、問題はたった一問。今でも忘れないよ。「水について記せ」。

 いやあ、試験時間いっぱい、四苦八苦の脂汗モンでした。幸い合格できましたけどね。あまりにでかいテーマで、何を書いていいのかわからなくて、ひっくり返った。と同時に、当たり前の物質ほど、全然こちらは知らないんだということも、よくわかった。今はわりと当たり前のものでも、注意深く見る習慣がついているけれど、この先生のおかげも、多分にあるのではないだろうか。よくよく考えてみると、いい先生だったような気がする。 

 ま、私は師匠運に恵まれているからね。こんな出会いが、あちこちにある。そんなこんなの積み重ねが、いまの私を形作るいろんな要素になっているのだろう。

 今の私は、インスタントコーヒーはまず飲むことがないので、石鹸が一番よく出会うものかな。そうそう、今思い出した。この講義を聞く数年前、私は高校生だった。高校時代にすでに、界面活性剤には出会っていたのだ(自分の意識に残る形で)。

 高校生時代なんてのは、たいていがハチャメチャなことをする時代で(あくまで私と友人に限るお話です。世の中には、超まじめな高校生諸君が多いと思っていますけど)、悪ガキが集まって、なんのゲームをやったのかな(憶えていない)。同級生のTくんがビリっけつになった。

 当然やってくるのは罰ゲーム。そこで勝った我々は、自動販売機でいろんなジュースを買い、混ぜ合わせた。それを飲ませようというのである。しかも混ぜ合わせるのに使った容器がひどかった。中身はなかったが、手洗い用の洗剤が入った入れ物(あの、当時水道の横なんかに取り付けてあったやつ)だったのだ。

 若さとはめちゃくそである。我々悪ガキにはやされて、Tくんはさすがに男の子!たくさんではなかったが飲んだ。その翌日、Tくんは学校を欠席した。悪ガキどもはさらに大笑いしたのだが、みんな心の片隅では、「しまった」という思いを抱いていたに違いない。

 さらに翌日、Tくんは見事に学校に顔を出し、底抜けに明るい笑顔を見せてくれた。下痢をしたのかなあ? おなか、痛くなかったのかなあ? とは思ったが、彼が底抜けに明るい笑顔をしていたので、結局聞きそびれてしまった。

 Tくんは、いまでは、立派な歯科医として活躍されていると思うのだが、こんなことは憶えているのだろうか。でも私は、のちに大学で(いやいやながら)化学を専攻しなければならなくなったとき(きっと罰があたったのだ!)、界面活性剤という名前が妙に心にひっかかった。

 それだけに、専門的な知識を持っているのが当たり前の施設での事件は、大変なショックである。

 それにしても、青春時代を振り返ると、汗顔の至りでございますな! 生きててよかった、彼も私も。

2016年9月26日 (月)

時計は誰が作った?

 地味に蒸し暑いですね。夕方になってようやく青空を拝めましたが、まだまだ秋雨は勘弁してくれそうもありません。ちなみに明日は晴れマークが出ていたので、大急ぎで洗濯しとこう。先日は晴れマークを信用して、深夜に洗濯物を干して寝てたら、翌朝目を覚ますと、なんと雨! だますのはよくないよ、気象庁さん! 信用してんだからさ!

 ということで足元はまだ軟弱だったけど、夕方からの稽古は久々に気合が入った。汗みどろ、泥だらけだ。でも気持ちいい~。おかげで夕ご飯の時のお酒が、よく回った。ついつい眠りこけてしまうくらいだった。

 おかげで午後の予定が大幅に遅れた。今晩はちょっと寝てる間はないかも(まあ、毎日のことなんだけど)。夜道に日は暮れないそうなので、のんびりやりますか、いっそのこと(それで空が白んでくることもあるんだけど)。

 世の中には「時がたつのを忘れる」といった表現があるけれど、これって時計が発明される前の人にもあった感覚なんだろうか。何かを夢中になってやっていたら、あらら、夜が明けちゃった、なんてね。

 時計が発明されたから、もしかしたら人は、時間通りに規則正しい(?)生活を始めただけで、時計が発明されてなかったころは、案外「ゆとり」と「個人差」がある生活を送ってたんじゃないかなあ。

 だいたいが自然界って、太陽の運行に従って生活するじゃない。太陽が昇れば活動開始、太陽が沈めば活動停止、なんて。私なんかはそれを無視しているわけだけど、これは名前に由来しているわけではなくて(こもり→コウモリ ×)、とりあえず面白くて夢中になって、力尽きたら気を失うってパターンが主流ですけどね(その証拠に、○時には寝ないと、なんて思ったら全然寝られず、かえって一睡もできないことが多い)。

 計画性がないと言われればその通りかもしれないけれど、自分の情熱のまま生きている(カッコいい!)と言いたいよ、私としては。それでしんどかったりすることも、まったくないわけではないけど(特に旅行に出る前の日。眠れないんだよね。これ、特に最近はひどい)、まあそれも人生か、なんて勝手に納得している。生きてりゃ、何らかのしんどさはあるのが当然だから。

 今日もあと十数分になってしまいました。今日のノルマはまったくこなせてませんので、これから必死でやってみましょう。今夜は寝る時間があるか? やってみなくちゃわかりません。この計画性のなさが(ノルマを設定しているわりには)、またいいんだけどね。自分的には好きですよ(笑)。

2016年9月25日 (日)

自己満?

 ああ、眠っ! またPCの前で意識をなくしていた。(椅子からひっくりかえらないのは、モンゴルの遊牧民が、寝てても馬の背中からおちないのと、いくぶん共通しているのだろうか)まだこれからやんなきゃならないことが、いくつも残ってるんだけどね。

 にしてもへんてこりん」な天気だった。湿度が高くて(当然、雨だったわけですが)、気持ち悪かったなあ。おかげで仕事のペースが上がらなくて、苦労したよ。朝から難行苦行だった。ま、人生ってこんなもんでしょうが。

 今日はなんど途中でやりかけのことを放り出して、DVDでも見てやろうか、と思ったことか。(見なくちゃいけないものも、あるんだけど)でも基本、TVにしろDVDにしろ、あっちからの情報のインプットだけだからね。日本語のものが少ないから、それなりに頭は使ってるんだろうけど、脳みその使い方は偏ってしまう。

 ということで、大量のコーヒーと、お茶の力を借りて、なんとかここまでたどり着いてきたけど、ちょっと晩御飯にアルコールを入れたら、一気に緊張が切れちゃったのかな。後で室内でもできる型かなんかをやって、眠気が去るかどうか、試してみよう。(おお、そうだ。熱い風呂に入るって手もあった!)

「もうここらでいいや」って思える瞬間なんて、毎日のようにやってくるけど、そこで止めちゃいかんよね。自己満足はいつだってできるけど、あとあとそれで満足できるのかって、いつも自分に問いかけてなきゃ。

 今までの経験では、その時は精一杯頑張ったつもりでも、後から振り返ってみると、「いや、もうちょっとできたんじゃないかな」ってことばかりだし。

 自分の限界も超えないで、人様に見ていただくわけにはいかないじゃないか。自分の限界なんて、しょせん自己満足なんだからね。そんなものに、大した意味なんかない。というところまで打ったら、少し目が覚めてきた。

 たいていは自分が限界だと思うところは、自分で「このあたりで楽になりたいなあ」ってところでしかないんだよね。私は楽が大好きな人間だけど、楽ばっかじゃ、楽の楽しさはわからないし。苦労しなきゃ、楽の楽しさは味わえないよ。

 ということで、本日は早々に仕事に戻ります。どうもこのPC用の眼鏡、私には合ってないようで、かえって四苦八苦しております。疲れる前に、今日のノルマは果たすぞ!

2016年9月24日 (土)

師匠運

 ああ、ねむっ! PCの前で寝てた。そういえば昨夜(といっても今朝だけど)、寝た記憶がない。今日こそは寝てやろうと、空手始めたころの練習をやってみた。あのころは疲れたからなあ。

 ところがやっていると、過去の記憶がよみがえってくるばかりで、懐かしいばかり。S師範のことが急に懐かしく思い出され、「ああ、あの先輩がいたから、いまの自分がいるんだ」と、もう後はノスタルジー(久々の補強練習も、ノスタルジー!)。

 こんな懐かしい雰囲気に浸れるのなら、たまには筋トレも悪くないなあ(すでに練習の目的が変わってしまっている)。なにしろ疲れるのが目的だったので(気持ちよく寝たいもん)、夕ご飯の支度をしてからの練習だった。後片付けが終わったら、持久力が切れるのは、望むところ?

 自作の晩飯を食いながらTVをぼけーっと見ていたら、リオ五輪のメダリストたちが出ていた。で現役のアスリートじゃん、見せるったって体力くらいだよね。で、昔、若い子のケツたたいて練習させていたころの、目標とする筋力の指標を思い出しちゃったんだ。

 だいたい握力が体重と同じくらい。アームカールも同じくらいかなあ。ベンチプレスが体重の2倍、背筋力とフルスクワットが体重の3倍くらいだったかな。あっとレッグカールが体重の1.5倍くらいだったっけか。おおよその目安だよ。まあ、これくらいあれば、筋力が不足しすぎているとは思えないという感じだった(自分も現役時代は、これくらいを目標にしていた。得意なのはもっともっと強かったけど)。

 でその時代からだいぶ時間がたって、いろんな競技を見せていただく機会が増えるにつれて、「筋力って、自分が使う技術で、自分の身体を破壊しなきゃいいんじゃね?」なんて結論に達した。だって卓球なんて、全日本選手権をみてごらんよ、小学生や中学生が、大学生や一般に勝っちゃうことだってあるんだからね。体力ばかりに目を向けていても、勝敗には必ずしもつながらないし。

 で競技特性によっては、体力は参考程度にしかならず、技術や感覚のほうが大切ではないかと思い始めたんだよね(あくまで競技特性によりますよ! だってマラソンで小学生が大人に勝てるなんて、考えられないもん。重量挙げもそうだよね。格闘系なんて、比較して考えること自体、あほらしい)。

 昔から競技特性の分析は、わりと熱心にやったほうだけど、いろんな競技を知ったら、もうこれは際限がないですな! それだけいろんな競技があり、いろんな人が競技に参加することができるので、「みんなでスポーツをやって健康になろーっ!」って、日体協の趣旨に沿える現実なので、喜ばしい限りなんだけど。

 ただどんな競技でも、上達しようと思えば、単純なことの繰り返しで、時に苦痛に満ちた時期がある(ほとんどがそう、ということもなくはない)。こんな時に救ってくれたのは、「目標」なんだよね。

 嘘でもいいから、「これがここまでできたら、こんなことができるようになる」っていう。こんな具体的な目標を示されたら、やる気がある人は頑張っちゃいますよ。たとえその目標が嘘だとしても。

 実際、競技に直接関係ない目標なんて、嘘でもなんでもいいんだよね。自分が取り組んでいる競技で強くなれるんなら。私は何度も師匠に騙されて、それなりに上達していきました。嘘だとわかった瞬間には「また騙された!」と思いましたけどね。

 あれからン十年が経過して、実は師匠は、指導が大変に上手だったんじゃないかと気が付きましたよ。ようするに、本来の目的からは、ちっともずれてませんでしたからね。いい師匠に出会えたもんだと、今では感謝しています。

 私が同じ教え方をしようとは思いませんけど、私は師匠運にだけは恵まれていたと、この年になって実感すると同時に、感謝してますね。ありがたいことです。

 ああ、今日やった練習、夜の安眠を保証してくれたら、明日もやろう。もっと懐かしい時代を思い出すかも……

2016年9月23日 (金)

銀杏ノスタルジー

 久々に太陽を見たような気がする。天気が回復したら、やっぱり秋らしい気候だった。台風がくると、空気は蒸し暑いし、太陽は見えないしで、季節がわからないからね。でも昨日が秋分だったから、当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、日が暮れるのが早い、はやい。

 おかげで今日なんか、帰宅後わずかにばたばたしていたら(基本的なことと、棒を振り回していたんだけどね)、すぐに暗くなった。暮らしやすい季節は、昼が短くていかんです。まあ、昼が長すぎると、まともに睡眠不足になるんだが。

 今まで睡眠不足が続いていたので、これからの半年は、睡眠不足の解消にでも努めますかな、夜が長いんだから。

 ところがどっこい、暮らしやすい気候になると、今度は私の中に眠る「遊びたい、あそびたい」衝動が起こってきて、どこかに行きたくなってしまうんだね。これから次第に紅葉が始まってくると、(毎年見ているはずなのに)見たくてたまらなくなる。

 まっかっかの紅葉もきれいだけど、私が好きなのはなんといっても銀杏。ギンナンの季節になると臭いけれど、銀杏の紅葉は、昔から好きだなあ。なかでも銀杏の大木の下から、こもれびを見るのは大好きだ。学生時代なら東京の絵画館の前が好きだった。用もないのにふらふら出かけて、飽きもせず半日過ごしたこともあったよ。

 するといるんだな、歩道の片隅にシート広げてお弁当食べてる家族だとか、写生している人とかが。当時のわたしには理由もなくまぶしい光景だったけど、今となっては、そのまぶしさが増すばかりだ。最近はながらくご無沙汰しているけど、あのあたりはどうなっているんだろうか。どうせ一人で行ったって、もの悲しいだけなんだろうけどね。

 そうそう、ギンナンで思い出す。まだ現役だったころ、ちょうどあのあたりで、ホームレスの人たちかなあ、拾ったギンナンを、大ぶりな空き缶かなんかで煮てるんだよ。周囲は臭かったんだけど、今の私にとっては、あのあたりの懐かしい秋の香りだ(身体や衣服についたら困るけどね)。

 ああやって臭い種皮を落として、取り出した種子の本体がギンナンなわけで、きっとそれを、どこかの料亭かなんかに卸すんだろうね。で、出てきた料理は、かなりの高額?なんかな。こんなこと書いてたら、久しぶりにギンナンでも拾いに行こうかって気になってきたよ。

 ただし準備が大変。匂いが外部に漏れないように、袋を何重にもしなければならない。まさか素手で拾うわけにもいかないから、火箸かなんかで拾うわけだけど、拾っているうちに鼻が馬鹿になって、少々のにおいではわからなくなってしまうから、かなり注意しておかないとね。

 拾ってくるまではいいとして、あとはどこで煮込むかだが、幸いなことに私の家からは百間川の河川敷は近い。風がないときに、ここで煮込んでみるか。種皮さえ無事に取れれば、あとは私がへたくそな料理をするよりも、料理人のところに持ち込むのが正解だね。(私も何種類か、調理法は知ってはいるんだけどね)

 それもそれだけど、銀杏ってのは不思議な植物だよね。だいたい葉っぱが個性的だ。同じ葉っぱは一枚としてないんじゃないかな。まるで人間みたく個性的だよ。昔これで栞を作ったことがあったけど、どこかへ行っちゃった。鎌倉時代には、もろいろんな用途に使われていたらしいんだけどね。

 しかしながら今年は、またしおりにも挑戦してみるかなあ。私はたくさんの資料を同時に開くことがあるので、栞は必需品なんだよね。開いてしまったらアンモナイトなどの化石や、観賞用のでっかい貝殻を文鎮替わりに使うのだけど(何度か「贅沢っ!」と言われたことがある)、しばらくの間見ない時には、栞を使うほうが能率的だからね。

 今年は時期をみて、またイチョウでも見に行きますか(たぶんその時は、イノシシ料理を堪能するはず)。帰りはにおいが漏れないようにして、銀杏を持ち帰れたらと思いますね(そうそう、以前は車の中に入れないで、サイドミラーに袋を縛り付けて持ち帰ったことがあったっけ。記憶がよみがえってきたぞ、よしよし)。

 ちなみにこれは以前、本ブログで紹介したことだけど、イチョウは日本名で、ギンコってのが世界で共通の呼び名です。中国から禅宗の坊さんが日本に持ち帰っていたのを…当時は植物検疫なんて面倒なものはなかった。もっとも植物検疫どころか、無事に行って帰るのが大変だった…日本にやってきたヨーロッパ人が、世界中に広めたんですけどね。

 中生代の恐竜は、あのくさいのを(きっと)丸ごと食べた。現代の日本人は、臭い部分は捨てて食べています。少しは進化してますね(笑)。

2016年9月22日 (木)

都合

 いや、よく降りますな! べつに褒めているわけじゃあないんだけど(あきれている)、今はちょっと一休みしているみたいだけど、「これくらいでは終わらないぞ」と空が言っている。困ったやっちゃ!

 先日わずかに天気が回復したときに、大量の洗濯を済ませておいてたからよかったようなものの、あの台風が雨雲を連れていった隙間を利用してなきゃ、今頃は「何着ようか?」って悩んでるころだよ。

 ま、人間以外には、飼い主の趣味で、かわいい服を着せられたペット以外は服を着る習慣がないから、ほかの生物は、洗濯の心配はしないんだろうけどさ。

 もちろんアライグマという動物は、例外中の例外だ。なんであの動物は、ものを洗って食べるなんて衛生的な習性を持っちゃったんだろうね。おサルさんの中には、海水で洗って食べるのがいるそうだけど、これは塩が効いて甘みが増すからではないかと言われているみたいだ。

 でもアライグマって、真水で洗うんだよね。味は変わらないだろうに。よほど清潔好きなのかなあ。動物界の潔癖症?

 昔、友人の一人と、綿菓子をアライグマに与えたら、どうするだろうか議論になったことがある。綿菓子は砂糖が原料なので、洗えば溶ける。溶けたらどうするんだろうと想像したが、この実験は未実施のままだ。誰かやった人がいたら、教えてください。

 もしもアライグマが怒ったりすると、あれはかなり凶暴な生き物だというので、気をつけなければならない。いくら外見がかわいくても、一応クマですからね! 基本クマは、猛獣なんだから。外見がヌイグルミみたいでも、本質は「がおうっ!」なんですからねっ!

 きれいなバラには棘がある、かわいいくまさんには牙もあれば爪もある! しかも「話せばわかる!」と犬養木堂しても、「問答無用」とも言わずにとびかかってくるかもしれないからね。人間の都合のいいように、勝手に解釈してはいけない。あちらには、あちらの都合があるんだから。

 でもなんでアライグマは、食べ物を洗うんだろう。アライグマなりの都合があるはずなんだけどな。理由がないことはしないからね、どんな生き物でも。

 とりあえず今の私には、四足動物も、二本足翼付きの動物も飼うつもりはない。家族でもできて、みんなが飼いたいって言えば、そりゃ反対はしませんけどね。もともと嫌いじゃないんだから。今は私のやりたいことがあるという、私の都合で飼いません。

 お天道様にはお天道様の都合があるのかもしれないけれど、そろそろ太陽さまのご尊顔を仰ぎたくなってきた今日この頃でございます。

2016年9月21日 (水)

それぞれの秋

 う~ん、気温的には悪くはないんだけどねえ…… もうちょっとお天道様の顔が見たかった…… けっこう忙しいので、のんびりと空を見上げている暇もなかったんだけど(洗濯物を取り入れるとき、空を見上げた)。

 相変わらず我が家の庭では、アキアカネが飛び回っております。見慣れてみると、なかなかいいもんだねえ(ヤゴの強烈な肉食性には閉口しますが。屋外で魚の飼育ができないよ)。害虫駆除には、トンボは強力な味方だ。暇があったら(ないけど)、一日にどれくらい害虫を駆除してくれているのか、調べてみたい気がする。

 ということで、今日は前足(腕ですけど)の具合が悪く(たぶんキーボードの叩き過ぎ)、前腕の気分転換に、棒を少し振った。本当は棍のほうがよかったんだろうけど、しばらく棒を振っていなかったので、なぜかしらあの武骨な赤樫の手触りが恋しかったんだよ。(さすがに八角棒の無骨さは、まだ恋しいというところまで来ていないけど。八角棒は、すぐに豆ができちゃうからね。この豆は食べることができなくて、ただ痛いだけなので、私は嫌いだ)

 棍は、また明日にでも回そう(前腕部のストレッチと強化には、なかなかよろしいですよ。どうやって使うかは、知りたければ、なんとか私にコンタクトしてくださいませ)。明日は広々としたところで、心ゆくまで(疲れ果てるまで?)振り回せるので(だから木曜の夜…金曜の早朝?)は爆睡してしまう。肉体的な疲労に、神経の細かいところまで刺激が入るから、バランスよく疲れることができるんだろうね、きっと。これは(睡眠時間と栄養さえとれれば)とても健康に良い。そしていざという時には、護身程度には十分役立つ。

 若干の問題としては、振り回すのに、少し(大したことはないが)スペースがいる。車の中に振り回すものを入れておくと、警察の方が若干興味を示される、程度だ。もちろんただの棒なので、理由を話せばすぐに解放してくれるけどね。そのうち、健康体操として日本全国に広まれば、当たり前になるので、何も言われなくなるんじゃないかな。

 とりあえず我が家の庭は、こういった練習をするために広くしたので、私一人が振り回すことはできる。気をつけなきゃいけないのは、トンボをぶん殴ってしまわないか、ということだ。トンボに罪はないからね(棍はけっこうトンボをたたいてしまいそうになる。棒はそれほどでもない)。

 で一時的に前足(腕のことです)の具合がよくなってPCに向かう。すぐにまた調子が悪くなっちゃうのが困りもの。一切りついたら、ちょっと前足(腕のことです)にやさしくしてやろうと思う。今までずいぶん頑張ってくれた前足(腕のことです)だから。もう五十年は頑張り続けてもらわないといけないし。

 ニュースを見ても、G20のあとはなぜかしら某(自称)大国のネタを耳にしないし、せいぜい国内の最大野党の党首の話(スキャンダル?)とか、隣国の海運会社のお話くらいしか聞かないので、もしかしたら今は小康状態?なんて思っている(小康状態とは、次の事件が発生している時期だというのが、私の解釈なんだけど)。

 でも世の中にはその小康状態を維持するために、必死で毎日を送ってくださっている方々がおられるに違いないので、顔も名前も知らない、そういった方々に深く感謝しながら、私は小康状態を満喫している。

 それにしても、もう少し、スカッと秋晴れにならないもんだろうか。そうすれば気分もいくらかは晴れるんだろうに。

2016年9月20日 (火)

台風一過の妄想(?)

 台風一過といえば、あとは嘘のような秋晴れというのが通り相場なのだが、今日の岡山は、台風は去ったものに、すぐに日が暮れて、秋晴れ?やらなんやら、ちっともわからない。天気予報によれば、前線が残るとかで、しばらくはぐずつくんだとか。

 台風のくせに、前線一つ吹っ飛ばせねえのかよっ?と、思わず毒づきたくなる。台風はもともと熱帯低気圧だから、前線は伴わないはずなのだ(要するに暖められた空気が上昇気流になって、それにコリオリの力が働いて……ってやつでしょ?)。前線を伴うんだったら、これは温帯低気圧、寒気と暖気が触れ合わなきゃ、そもそも前線ができないんだから(だから熱い空気しかない熱帯とか、冷たい空気しかない寒帯には、前線を伴った低気圧はできない)。

 ま、考えてみれば、台風ってやつはつむじ風に似ている(ちなみに火炎旋風も同じ理屈だ)。ただし規模がめちゃくそ大きいけれど。これにくらべると竜巻ははるかに構造や成り立ちが複雑だ。

 でも考えてみると、今年の夏は、私の住んでいる地域の、私が空を見上げた限りでは、スーパーセルまがいの雲はできてなかったんだよね(どうだった、事務局長?この人もわりと、お天道様の様子を観察している人なので、意外なほど詳しい)。スーパーセルができなければ、竜巻はそれほど心配しなくてもいいからね。

 今は運動会のシーズンだけど、運動会でよくみかけるのがつむじ風。よく、いかにも知ったかぶりの人が「竜巻です、危険だから逃げてください」なんて大声で叫んでいたりするけど、竜巻はけっこう大規模な積乱雲がなければできないし、つむじ風は晴天でなければ起きない。

 竜巻が危険なのは、今更いうことでもないけど、つむじ風で起こる最大の被害といえば、巻き上げられたテントの支柱にぶつかってケガをすることくらいか。穏やかなつむじ風なんかだったら、冬でも見られるし。

 よくあるでしょ、枯れ葉がくるくると舞って、渦を巻いてたりするやつ。あれは穏やかなつむじ風ですな。人が飛び込んでも、砂埃が目に入らない限り、大した害はないってレベルで。(飛んできたテントの支柱にぶつかって、でっかいたんこぶを作った人を見たことはあるが)

 おっそろしいのは火炎旋風。大規模な火事が起こると、炎は上に向かう。これは暖められた空気が上昇気流を起こすせいなのだが、これに風が吹き込んでスピンが始まると、あっという間に火炎旋風ができる。

 キャンプファイアなんかやっても、小規模ながら火炎旋風ができることは多い(ていうか、ほとんど火炎旋風が発生している。密教で護摩をたいたりするのでも、容易に小規模な火炎旋風は発生している…たいていは若いお坊さんが、炎をコントロールするのに、片手に水の入ったバケツなんかをもって、忙しそうに走り回っている)。怖いのはこれがコントロールしきれなくなった時だ。

 炎は酸素を求めて移動し始めるので、酸素が見えない人間には、どちらに移動するか読めない。有名なところでは関東大震災では、これで多くの人が生命を奪われたというし、阪神淡路大震災でも発生したという(当時のTVの映像を見ると、それらしいのが確認できる)。私が母から聞いたところでは、昭和二十年の岡山大空襲の時にも発生していたらしい。(みんな逃げるのに精いっぱいだったらしく、資料は見たことがないのだが)母は、焼夷弾の雨の中を非難してきた経験があったから、きっと自分の目で見たのだろう。

 今の岡山はといいますと、一気に秋ですよ。四国の南岸を台風16号が通過したおかげで、寒気が北から入ってきたんだね。おかげで烏龍茶が美味い。さっそく久々の、大好きな東方美人を淹れた。これからは温かいお茶のシーズンですなあ。

 野点用に、もう一つ、二つ南部鉄瓶を買っておこうかと思うくらいだ。気分のいい季節に、気分のいい雰囲気で、仲良しと、おいしいお茶をいただくのは、これまた気分のいい話だからね。(そうなると水にもこだわってしまいたくなる私だが。水を汲みに、車を数時間走らせて、滝つぼにはまる危険を冒しながら這い上がるのが私です)

 もちろん炎は完ぺきにコントロール下に置く。心配なんかしながらだったら、せっかくのおいしいお茶が台無しになっちゃうからね。もう一つやっておきたいのは、コンロの改良である。火力が無駄にならないで、かつ火事の心配がなくて、後片付けが便利なようにする。もちろん風の影響など受けないものでなくてはいけない。

 だいたい頭の中にイメージはあるので、あとは微調整くらいかな。暇があったら、また製作に取り掛かるとしよう。こうなると、今まで買いためていた茶器に活躍の場がやってきますな。買った以上は活用してやんないと、宝の持ち腐れでございます。

 ま、お茶だけに、運転には影響がないはずだから、どなたがいらっしゃっても問題はなく、万人向けかも……

2016年9月19日 (月)

秋の虫

 昨夜の『○○を語る会』、お世話になりました。久々にF先生に会えて、うれしかったです(もちろん、毎回のMさん、Mさん、Mさん…おいおい、頭文字がMの人が、やたらと多いねっ! でもまあ私はプリプリの『M』って名曲が大好きなので、歓迎しちゃおう!)。

 マスターの台風のせいで、飛行機が遅れたのに、駆けつけてくれてありがとうね。奥さんも、いつも気を使ってもらって、すんません。また来月のよろしくお願いいたしますね(何もなければ、15日の第三土曜日にする予定ですが)。

 それにしてもこの鈍足台風のおかげで、何もする気になれませんでしたね!土曜日に動いててよかったよ。今頃九州なんでしょ、このドン亀台風は。(できれば来てほしくないんだけど)来るのなら、さっさと来て、さっさと何処かへ行ってくれ~っっ!

 感心なのは秋の虫たちである。雨が降っているのに、鳴き続けて(体の一部をこすり続けて)いる。よほどの降り方でなければ、雨天休業にするつもりはないらしい。この根性は、少しばかり見習わなくてはなるまい。

 やつらの感心なところは、やれ雨だから、風だからといって、自分の仕事の手抜きをしないところだ。それにくらべると(少なくとも)私は、今日は天気が悪いの、暑いの、気が進まないのと、いつだってぶーたれて休もうとする。この違いはどこから来ているのだろうか?

 一つには、現役選手のころを忘れているのではないかということ。もう一つは、虫は寿命が短くて、私にはなんとなくまだ時間がありそうな気がしているから、時間に甘えているからなんじゃないだろうか(なにしろ、あと五十年は生きるつもりだから)。それとまあ一人ってこともあるかな?

 思い出してみれば、もっと若くて現役だったころ、毎日「明日は来ないかもしれない」と思って生きていた。今よりは余命があったはずなのにである。人は若いころは、「いつでも死んでやる」と思って生きてられるけど、年を食えば食うほど、「死ぬのは嫌だ~っ!」ってなるらしい。

 これはまあ簡単な心理学上の問題だよね。死が遠ければ遠いほど、活きがいい生き方ができるし、死が近づいてきて、現実味のある恐怖を伴い始めると、急に死ぬのが怖くなったりするというやつだ。

 現実味があれば切実さを増す、現実感がなければ、そんなもん、ちっとも怖くはね~よって感じでいられる。するってえと私なんかは、けっこう切実さがない生き方をしているのかね? そんなつもりはないんだけど。(実は、明日のゴミ出しの日のほうが、今の私には切実な問題である。あ、それと溜まってしまった洗濯物と)

 ま、それでも湿度は高いながら、気温は下がってきたようである。熱いお茶の季節が近いよねえ。そろそろ中国から茶葉を入れる準備でもしようか(Lちゃんの里帰り土産でいただいた普洱茶はあるんだけど、これが相当な高級品だというのは、私にはわかるので、仕事の片手間に飲むにはもったいなさすぎるし)。比較的安価(とはいっても、結構なお値段だが)ばかり飲んでいたら、我が家のストックが品薄になっちゃったのね。

 合理的に、しかも安価に、さらには素早く入手できるシステムを、そろそろ確立しておかないと。好きなものを飲み食いして、好きなことを心行くまでやるのは、最低の最低の最低限度譲れない生き方だから。(まだまだ、全然叶っていないんだけれど)

 だから雨の日も風の日も、コオロギやスズムシみたく、身体をこすり合わせて鳴くしかないんだろうね。今夜はなんだか、秋の虫が、先生みたく感じられる。不思議な夜だ。

2016年9月18日 (日)

腐敗防止

 このトロくさい台風は、何を考えておるのか! こちとらとしては、この蒸し暑い空気があるだけで、十分に不機嫌になる。

 食べ物では、蒸し物は、わりと美味しいものが多いが、この程度の温度では、カビが生えたり、腐敗は進むかもしれないが、蒸し物はできない。めんどくさい台風である。

 そうそう、腐敗といえば、今の中国はどうなっているのだろうか。一時ほど大物が捕らえられたという話を聞かなくなったが、もう捕まえるべき虎は絶滅した?(少しぐらいは残しておかないと、希少種ってことで。自然保護の観点から…笑)

 まあ不正蓄財って、半端な金額じゃないからねえ。どうやって使うつもりだったんだろ? 人間って、普通に暮らしていたら、少々の贅沢をしたくらいでは、何千億ものお金は使えそうにないからねえ(カジノでスレば、使えるかも。カジノ大儲けで、うはうはもんだろうな)。

 少なくとも私のお頭では、どうやって使うつもりだったのか、想像できない。どんなに美食して、豪華な宮殿に住んだところで、人間のおなかの大きさは、100㎏のものが一度に食べれるようにはなっていないし、寝るベッドだって、後楽園球場(よく広さのたとえに出されるので、使ってみました)くらいもあったら、真ん中で寝ようと思っても、一苦労する。トイレに起きても、これまた一苦労だ(ベッドにトイレをつける、なんて不潔なことはやらないよね)。

 人間の欲望なんて、少々気張ってみても、そんなにものすごい大金はいらないんじゃないかな。私だったらそんな大金があったら、気前よく慈善事業をするか、人類に貢献しそうな人材育成に使うけどね。

 自分的には食べることが好きだから、贅沢をしてみたい気もするけれど、私的なぜいたくなんて、けっこう質素ですよ。満漢全席なんて一か月か二か月に一回で十分だし、おいしい酒だって、毎日一升も飲めるわけでもない。

 私も男の端くれなので、美しい女性は嫌いではないが、奥さんは(今はいないが)一人で十分だし(一人はほしいですね! 浮気しようという欲が、もとから脳みそにプログラムされてないんだね、きっと)、レジャーばかりやっていたら、自分が本当にやりたいことができないし。

 そうそう、最近視力がやばいので、もうちょっと見やすい状態になるのなら、お金をかけてもいいし、PCの操作がもっと簡単ならいいから、そちらにお金をかけてもいい。でも何千億もはいらないよね。

 豪邸を何軒も持つったって、せいぜい暑いとき、寒いとき、花粉症の時に脱出できる場所があればいいくらいだし(あんまり移動していると、移動で疲れる)。巨大すぎる建物は、使い勝手が悪いし。

 座って半畳寝て一畳なんで、今やりたいことを、お金がなくて我慢しなきゃならないということさえなければ、それ以上お金があってもしょうがないよ。使えないんだから。

 お金は使ってあげてナンボだと思う。本来社会を流通させやすくするためにできたのが、貨幣だったり紙幣だったりするわけでしょ。だったら流通させてあげないと、お金に悪いよ。床下にため込んで、夜中に取り出して、「一ま~い、二ま~い…」なんて、番町皿屋敷のお菊さんじゃあるまいし(もちろん何千億ってお金を、そんな数え方してる人はいないとは思うけど)。

 虎退治は終わったのかな。最近、あまりニュースを聞かなくなりましたけど。でもハエはまだたくさんいるでしょ。自然界でもハエはトラよりはだいぶ多くいるからね。

 ま、腐敗といいますが、腐敗を根絶するには、流れをよくすることが一番なんですね。ものは滞るとどうしても腐敗し始めますから。一つの部署に一か月以上はいさせない…って、これはやりすぎか…なんてやりかたをしたら、顔を覚えるのが精いっぱいで、汚職なんかしようにも、コネも作れないからね。

 川だってそうでしょ。流れが速いところでは、岩にコケすらつかないもの。流れが緩やかになったら、なんでもつくし、流れがなければ腐りますからね。率先垂範、風のごとく来たりて風のごとくさっていく。これこそが虎もハエも発生しないやりかたです(ついでに大きな仕事もできませんけど。どっちとるかって問題だよね)

 

2016年9月17日 (土)

この雨は邪魔な雨?それとも恵みの雨?

 う~む、明日は雨らしい(少なくとも午前中は)。

 そろそろ運動会のシーズンだが、なんとも悩ましいくそ台風と秋雨前線である。運動会を楽しみにしている子供にとっては、うっとうしい話ではないだろうか(私なんかは、子供のころ、そのクチだった。幸いにして多少、人よりは足が速かったので)。

 今日は、振り返ってみると、けっこう忙しかったんだなと思う。久々にLちゃんに会ったしね。Lちゃんは私の最初の中国語の教師である(漢文は孫悟空K先生だが、これは高校時代のお話)。Lちゃんが優れた教師だったので、今の私があるといっても過言ではない。人は出会う教師によって、伸びもすれば縮みもする(?)からね。

 そういえば高校一年のころ、Yという英語の先生がいた。この人は授業にいつも辞書を持ち込んでいて、何かあるとすぐに調べる人だった(当時スマホも電子辞書もなかった)。そして曰く、「君らが三年間で辞書をぼろぼろにするくらい辞書を使ったら…もちろん辞書本来の用途で…、私が新しいのを買ってあげよう」 実はその辞書は、私は大学に行っても使っていた。本来の用途で使うのであれば、そうとう使い込んでも(読み終わるたびに、一枚ずつちぎって食べるのでなければ)壊れるもんじゃないなあと思ったのはその時だった(日本の製本技術は優れているからね。某国の書籍なんて、あっという間に分解することがあるから)。

 今朝は朝の苦手な(というよりは、朝になって寝るんだから、朝早く起きることができるはずがない)私には珍しく、朝早くから起きて一仕事(今日中にやる予定のを、早々に片づけちゃったんだよね)。それから外出した(遅刻しそうになったけど)。帰ってからじたばたと用事を済ませて(それでも全部は終わらなかった)、Lちゃんが久しぶりに来てくれたので、ここでまた大切な用事を済ませた(私にはまだ完全には理解できていないのだが)。

 さらに帰宅したあと夕食の準備をして、食べ終わったころには(今さっきか?)もう、今日も残り2時間を切っているありさま。なんで一日が24時間しかないんだろう? さっきから雨も降りだしたし(夕方にも、一時的だけど、結構降りましたね)、明日を考えると、ちょっくしブルー。

 明日は夕方から『○○を語る会』だけんね。できれば雨でないほうが移動しやすい。濡れずに移動できる方法はないものだろうか。

 そうそう、今日やたらと眠い理由を思い出した。昨夜(と言っても今朝だけど)、ようやく眠りについたと思ったら、ネズミの奴が運動会を始めやがったんですな!(最近の住宅で、こんなこと、ある?)おかげで飛び起きて、怒り狂っていたら、興奮して寝そびれちゃったんですな。

 世に「食い物の恨みは恐ろしい」と言うけれど、私の場合は「睡眠の恨みは、もっと恐ろしい」わけで、今日はさっそく、ネズミが嫌がるスプレーと、ネズミホイホイを買ってきて、セットしております。

 ネズミがいる事自体は、災害がないという保証みたいなもんだけど、私の睡眠不足はかなり重大な問題だからね。で、ネズミを捕まえたらどうするかって? もちろん食べません。(竹鼠というのは、食べたことがあります。もちろん中国で)まあ、皆様の想像にお任せいたしましょう。でもかなり腹を立てているのは事実なんだけど。(ネズミの分際で、調子こきすぎ!)

 とネズミの話を打っているうちに、雨は本格的になりつつあります。この調子では秋祭りは近いとはいえ、明日のお宮掃除(私が小学生時代によく遊んだお宮)はなしだな、ということに、すでに私の心の中では98%までは決定になりました。

 さあて、明日はせめて朝寝坊できるかな。私は朝寝坊っていうのが、大好きなんだ、実は。

※ 明日は今月の『○○を語る会』でございます。雨天決行ですので、ご心配なく! 場所はもう言わなくてもいいかな? 例の台湾料理店でございます。よろしく!

2016年9月16日 (金)

口者心之門戸也(口は心の門戸なり)・”2?

 また台風が近づいているんだそうな。西日本には20日くらいに近づくのではないかという話なので、19日くらいから要注意? ってえことはこの三連休?は、前半でパッと、遊びたい人は遊んどいたほうがいいかも?

 今年って、最近になってやたらと台風多くなってません? 連発だよねえ。 こんな台風なって、「日本に災害が多い」とか言って笑っている国に、全部言ってしまえばいいのに。笑ってられるかどうか、身をもって経験してみ! 災害の本当の怖さは、体験したものにしかわからない…(と災害が少ない岡山県人が言っております。すんません。ごめんなさい……)

 さて某政党の代表には、二重国籍問題の渦中の人が、めでたくなられた。私は例によって「ふ~ん…」である。なんの興味もないからだ。それよりはプロボクシングのダブル世界戦の両方で、日本人選手が勝ったほうが嬉しい。

 人間って、自分の興味あることしか、心が動かないもんねえ。私は武道・武術やら、格闘技系が好きなので、国会で難しい(本当に難しいのかなあ? 難しく語っているだけなんじゃないの?)話をしている人なんかよりは、血と汗を流しながら頑張っている人のほうに共感がわく。(もしかしたら、単純なのかも?)

 まあ、某野党第一党の代表になられた方で、一番気になっているのは、アイドル?だったころと、今では、口の周りの筋肉の緊張具合が、まったく異なっていることくらいかな。鬼谷子先師匠は「口物心之門戸也」とおっしゃっているからねえ。

 口とは、口から出される言葉という意味もあるし、口の周囲の筋肉って意味もあるし、もっと広く、表情筋全部を示していることもあるし、それどころか全身の筋肉の動きを示していることもある(こんなもん、心理学では極めてありきたりなことだ)。

 口の周囲の筋肉が緊張するときって、けっこう限られているんだよね。感情を抑えようとするときにだって、口を「きっ」と真一文字に結んだりするじゃないですか。悔しかったら歯を食いしばったりするし、怒りを抑えているときにも口の周りが緊張したりするよね。

 あくびをこらえている時には、口の周辺の筋肉は、緊張しながら伸びているし(その変わり、鼻孔が広がる)、泣きそうなのをこらえているときにも、口の周辺は変に歪みながら緊張してるよね。

 口は心の門戸だというのを初めて鬼谷子で読んだとき、私は妙に納得するところがあったので、いろんな人のいろんなときの表情を観察したんだよ。こんな観察を始めると、のんびりしている暇なんかなくて、いつも精神を集中させておかなければならないから、疲れるけどね。ま、退屈をしないことだけは確かだ。

 だからこの二重国籍問題で揺れている女性を見たとき、昔アイドル?だったころと、口周辺が一番変化しているはと感じていた。ま、口をとんぎった状態にするときは、一般的に戦闘的な精神状態を示しているんだけどね。(普段から口がとんがっていて、首が長かったら…長頸鳥嘴…、苦労はともにできても、栄耀栄華をともに享受することはできない相だと、司馬遷は『史記・越王勾践世家第十一』で、范蠡の言葉として紹介しております)

 でもなあ、戦闘的精神状態ってのは、私は個人的にはあまり好感が持てない。だいいち聖徳太子は、十七条の憲法の第一条で言っているじゃないか。「一曰、以和為貴、無忤為宗。人皆有党、亦少達者。是以或不順君父、乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成」と(昔の人は、漢文が達者だったんだなあ。って、このころはまだ平仮名が発明されてなかったんだっけ!)

 とりあえず、和をもって貴しとなす。忤うことなきを宗とせよ。人みな党あり、また達する物少なし。これをもってあるいは君父に順わず、また隣里に違う。しかれども上和し下睦びて、事を論ずるに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事かならざらんってことでしょ。

 みんな仲良くして、喧嘩なんかしないでくださいな。人はすぐに派閥を作ったり、またデキた人は少ないもんで、そのためにご主人様(メイドカフェではない)や、父長(とーちゃん。残念なことに、だいぶ前からわが国では、とーちゃんの権威は失墜している。さだまさしさんの『関白失脚』のだいぶ前から、日本家庭におけるとーちゃんの権威は、泥にまみれていたような気がする)に従わなかったり、隣近所さまと諍いが起こったりする。そんでも上の貴族や官吏が親しゅうして、したの民衆も仲良くしていたら、何か相談ごとの時でも、みんな一緒に協力するじゃんか!そうしたらいやでも道理にかなったいいアイデアが出てくるもんだわいな。それでできんことがあるじゃろか!

 って言ってるんだけど、まあ今は政党に分かれて議論するのが当たり前の時代なんで、派閥(党)を作るなというのがそもそも無理だし(より優れたアイデアを出すうえでは、私は効果があると思っているが、いわゆる「反対のための反対」ばかりをしているのは、大変に非生産的だと感じている)、だいたい戦闘的な口もとの筋肉を緊張させた状態では、最初から以和為貴になれないんではないかと、危惧しておりますんですけどね。

 より優れた案を生み出すためなら、激しい議論をやってもちっともかまわないとは思うんだけど、こういう時なら最初から厳しい表情はいらないよね。もっと柔和な顔をしててもいいんじゃないかな。

 ちなみに第十条では、「絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心、心各有執。彼是則我非、我是則彼非常。我必非聖、彼必非聖、共是凡夫耳……(若干、疲れております)」と言っておりますからな。

 簡単に言えば(岡山弁混じりで)、怒ったり目をひんむいたりしないで、人が違うと怒ったりせんほうがええですよ。みんな個性のある人間で、それぞれに考えるところが違うんだから。もしかしたらあいつが政界で、こっちが間違えておるんかも知れんし、こっちが正解であっちが間違うとるんかも知れんし。こっちも聖人じゃないし、あっちも聖人じゃないし。どっちも普通の人間なんじゃけんね!(疲れたので後略)ってことでしょ?

 日本人のとっても緩くて、しかもおおらかな物の見方が、私はとっても好きなんだけど、日本の歴史や伝統に対する理解がなきゃ、なんとルーズな価値観!?と罵倒されてしまうかもしれませんわなあ。

 ま、歴史と伝統を理解するには、国籍うんぬんよりも、もっと深いその国に対する理解と、寛容の精神(その国の文化を受け入れる)が必要かもしれませんわな。(もちろん、批判の精神は必要だと思うよ。夜郎自大にならないためにもね!)

※ なんて話の続きが聞きたかったら、あさって18日に某台湾料理店においでください。『○○を語る会』は、明日の予定が、あさって18日になっております。よろしくお願いいたします。

2016年9月15日 (木)

不思議な少年時代

 はあ、ようやくプリンタ絶不調状態から抜け出した。一度にあれもこれも同時進行的にやってると、どうしてもこんなことが起こっちゃいますよね。こういうところにマネージャーさんとか、秘書さんみたいな存在の必要性があるんだろうね。

 もちろん残念なことに、私の経済力では、そんな人を雇うわけにはいかないので、時々発狂したり、ため息をついたりしながら、なんとか生きております。(でもプリンタのおかげで、ちょっと予定が狂っちゃった。ま、復調したから、睡眠時間を削ればすむことなんだけど)

 とはいうものの今日は木曜日。そうでなくても睡眠時間は乏しい。もうこれは、「寝るな!」と言ってるんでしょうかね、ナニモノかが。ところが先日からまじめに働いているので(私の基準では)、寝るのが楽しいんだよ。面白い夢ばかり見るからね。

 私が面白い夢を見るのは、(自分で認めた)仕事を頑張った時の特徴だ。人様がそれを仕事を認めるかどうかは知らないけれど(でもどこかの誰かが、ものすごく助かったりして)、やはり充実感のなせる業なんだろうなと、きわめて勝手に解釈している。

 人は社会的な生き物だから、人様のために役立ってナンボってところがあるからね。特に私のように、家族がいない人間にとっては、それしか生きている意味がない。まあこれから何が、どの程度までできるかわからないけど、やれることを、やれる範囲で、やれるようにやっていくしかない。

 今日は少し晴れ間ものぞいたけど、湿度が高かった(現在進行形)。湿度が高いのが好きな人はいるのかなあ。私は水生動物ではないし、両生類でもないので、湿度が高いのは嫌いです。どうにもイライラしちゃううだね。べたべたと、あちこちがくっつく感じが、なんとも忌まわしい。

 だから小学生時代から、夏は机につくのが嫌だった。前腕の小指側が、べったりと机にくっついちゃうんだよ。だからベビー用品のテンカフンっていうの? あれ、前腕につけてた。それでも朝の10時、11時くらいになると、も~我慢ならん!って、放り出していた。当時はクーラーなんかなかったからねえ。唯一の救いは、今よりも気温が低かったことくらいかな。

 夜だって寝苦しかったはずなんだけど、どうやって寝ていたのか記憶にございません(ほんとに不思議なことに、憶えていない)。備前のベタ凪っていう有名な現象なんだけど、風が吹かなかったんだよね。

 夜、何をしてたのかなあ。昼じゅう疲れ切って、案外バタン、キューだったのかも。当時はスイカもよく食べたけど(これは今でも同じかな? 今年食べるのを忘れていたんだけど、Sくんちでもらって食べたら思い出して、それから毎日食べている)、当時はキンウリってのが甘くて、よく食べてた。いまじゃあメロンがポピュラーになってしまって、あまりキンウリは見かけなくなっちゃたなあ(それでも、近所のJA直売店で見つけて食べた。懐かしかった)。

 我が家には井戸があるもんで、いまじゃあアニメなんかでしかみかけなくなったけど、井戸で冷やして食べたりしたこともあるんだよ(小学校1,2年のころかな。さすがに冷蔵庫のほうが性能がいいので、冷蔵庫にとって代わられたけどね)。なかなか風流(とはいえ、今から考えると、不便だった?)な生活も経験してたんだよ。もう記憶の片隅に、うっすらとしか残ってないけどね。

 あの頃も、蒸し暑かったはずなんだけどなあ。あまり記憶が残っていない。どうやって暮らしていたんだろうか。

 あ、そうそう、打ち水はよくやってました(よけい湿度が上がると思うんだけど)。それでも今みたく、一日に5回も風呂へ入ったりはしてなかった(今は、夏になれば一日4回から5回…シャワーも入れて…が平均だから。練習を一日三分割なんかでやらかしたら、もっと入るよ)。不思議だなあ。昔から私は、湿度が高いのは嫌いだったのに、どうやって生き延びてたんだろう。

 幼かったから、気が付いていなかったのかなあ……  不思議だが、不思議だ!

※ ということで、『○○を語る会』、17日から18日に変更になってますよ。17日には私はいません(マスターも)。18日に会いましょう!

2016年9月14日 (水)

代表って大変だ……!

 けっこう蒸し暑いですな。気温的には、そんなに暑いはずはないのに。やっぱり湿度が問題なんでしょうな。(おかげで、洗濯物が乾きゃしない)

 今日は、どとーの勢いで頑張っておりました。もう汗みどろで(シャワーの余裕すらなかった)。今ぐらいの気温なら、湿度がもう少し低かったら、ここまではきつくなかったのにね。汗が蒸発しないのは、本当にきつい。

 暑いといえば、明日は某野党第一党の代表選? まあどうなっても知ったことじゃないんだけど。でも二重国籍の問題とかで、かなり揺れているね。

 私は政治家になろうなんて思ったことは、ただの一度もない(少なくとも数百年前…江戸時代よりは古い…から、両親とも日本人の家系だったらしいから、国籍なんかで悩んだこともないし)から、面倒なことは知らなかったんだけれど、確かに政治家が二重国籍を禁じられている理由は納得できる。そうでなくても、「あんたどこの国の政治家?」って人が多くて、むかつくことが多いからね。

 私自身は、その人がどんな政党に属してもいいと思っている。ただ譲れないのは、日本の政治家は、この日本のためを思って動いてくれる人でなければならないという点だ。だから日本の国民の税金で食っていってるんだろ?(よその国のために動くのであれば、その国の金で食っていくべきで、間違っても日本人の税金で食っていってもらっては困るのだ)

 ま、そういうことで、選挙の結果で、この政党の党員が、どこの国の人かわかろうというもんだ。いろんな人がいることを許されているからね、この日本という国では。私なんかがつべこべ言う問題ではない。ただただ、興味しんしんで成り行きを見守らせていただきます。

 それにしても、なんで問題が持ち上がった時に、素直に答弁しないのかなあ。問題を隠そうとしたり、違う方面にすり替えようなどとしなければ、「今の世の中、混血も多いんだから、そんなミスもあるのかなあ。気の毒に」で終わっていた問題かもしれないんだよね。

 隠そうとしたり、変な理屈や言い逃れをされると、余計に勘ぐっちゃう。こういうのを、Honesty is the best policy(正直は最善の策なり)という。正直に語れない理由が、なんかほかのところにあるんじゃないか、もっとやばいことがあるんじゃないかと、反射的に考え込んでしまいますね。

 一番にならなくったっていいじゃない。二番ではいけないんですか? 代表代行で満足してれば、こんな面倒な問題は出なかったかもしれないのに、事業仕分けで放ったのが今頃ブーメラン?

 ちなみにブーメランというのは面白いですね。今、肩を両方とも壊しているので(朝、起きたときに、伸びができなくて難儀しているんだけど…… いっとくけど四十肩、五十肩ではないぞ、たぶん)投げられないんだけどね(作り方は知っているし、過去、何度も作った。ただアボリジニーの人たちみたく、獲物に当てるなんて芸当は、できそうもない)、欲求不満である。

 まあいいや。あの事業仕分けの時、この人の酷薄そうな口から出された、世界トップクラスの科学者に対する残酷な言葉の数々は、今も私の耳に残っているからね。理科系人間の一人として、本当に腹が立ったもの。

 ま、明日でございます。めでたく当選してくださいな。(下馬評では、そんなことになっているらしいので)でもねえ、昔師匠の一人から聞いたことがあるんだよ。「私はお金持ちじゃない。でも外出する時には、パリッとした格好で行くんだよ。そうでないとうちの組織が馬鹿にされるんだ。君たちが馬鹿にされるんだよ!」

 この言葉で私は身なりの本質に気が付いた。(いろんなことを教えてもらっていたもんだと、心の底から感謝している) 自分一人なら、何をしてようが、どんな格好をしてようが、どんな人間で、どんなことを口走ったとしても大した問題じゃない。すべては自己責任だ。

 でも組織やら集団の代表になってしまったら、自分の所属している団体が影響を受けるからね。そこでは個人の都合やわがままは許されない。私でもネクタイをして(うっそ~ぉ、ネクタイなんて持ってたの? 結び方、知ってんの? と、普段の私を見ている人たちには言われそうだが、残念なことにネクタイも持っていれば、我が家の一子相伝の結び方…それしか知らない。誰に伝えたらいいのかわからないが…も知っている)、ちゃんとそれなりの恰好をする。

 だって式典なんかに呼ばれたら、そうでもしないことには、式典を辱めたことになるし、なにより自分が属している集団がみじめになるからだ。(ああ、服装は面倒い…)

 服装一つでもこんなんだから、いろいろと面倒なことが起こるかもよ。代表って大変だなあ(ちなみに私も、チームの代表ではあるんだけど。普段、いいみなりをしてないから、悪いなあ…… でもいい格好ばかりしていたら、動けないからね。いつでも汗がかける格好が、私は好きだ)。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、17日から18日に変更になりました。皆さま、お間違えのないように、よろしくお願いいたします。

2016年9月13日 (火)

食べたいときが美味いときっ!

 なんとなくロコモコが食べたくなった。それで思い出した。先日の合宿帰りに、確か三田牛のハンバーグを買って帰ったっけ。しめしめ。

 ハンバーグがうまいのに、ごはんと卵がいい加減だと、つり合いがとれない。そこで細心の注意を払いながら、きわめていい加減に(どっちだ?)目玉焼きを作った。ちなみに私は卵大好き人間である。

 期待に背かず、目玉焼きは絶妙の出来で、ついでにハンバーグもいい感じ。ご飯はN氏のところかでできたお米であって、おいしくないはずがない。たった一つの不安は、互いが自己主張しすぎたらいかんな、程度であった。

 食べた。言っちゃあ悪いけど、今まで食べたロコモコの中では、一番旨かった。本家ハワイで食ったのよりも、はるかにうまかった。この絶妙のデミグラスソースと半熟卵のハーモニーは、いい加減なやっつけ仕事では出せないだろう。

 そこへ三田牛とN氏産のお米である。もう、もう(牛か?)たまりませんわい。同じ飯食うんだったら、おいしく食べないとね。せっかくの食材に失礼だ。

 完全自炊生活も、はや丸四年。栄養補給中心の考え方だが、いろんなところで覚えた料理があって、気が向くと試したくなる。成功すると、ついうれしくなってしまいますな。

 そういえば昨年の今頃だっけ、朝食はスムージーに凝っていたのは。あまり凝りすぎて、ミキサーが壊れたけど、最終的には「スムージーは私の朝食には合わない」という結論に達した。便利なような不便なような、胃にやさしいような、胃にもたれるような。今ではスムージーの原料をかじっても、スムージーは作らない。

 材料は同じでも、料理の仕方で、ずいぶん味わいが変わってしまう。ここに調理師の腕の見せ所があるんだろうけど。本格的な修行をした調理師さんはこのあたりが絶妙だ。少々の好みの違いなど、まったく気にさせないほど上手におつくりになる(少なくとも私が寄らせていただくところでは、例外なくそうだ)。

 普通のものを、ちゃんと期待した以上のお味に仕上げてくださる。これぞ調理人って感じだ。時々ドライブなんかしていて、あらぬところで発見した、飯屋なのか物置なのかわからないようなところでは、驚くほど素人な料理(私が学生時代、家庭科の調理実習で作ったものよりはまずい)な料理にでくわすことはあるが、むしろこんなことは稀だ。日本はお客様第一だからね。まさに「おもてなし」の国だ。

 今はまったく消えてしまったが、昔、岡山でも、路上に屋台を引っ張ってきて飲ませるのがあった。だいたいこういうところには、三次会以降でなけれが足を運ぶことはなかったが、ここでは「おもてなし」はなしだったね(では「おもて」だけだったのかというと、「うら」だけみたいな味だった)。

 酒はまずいし、姉ちゃんはいないし、料理は味が染みすぎて濃すぎたり、ろくに味がついてなかったり。おまけにばあちゃんやじいちゃん(こんな屋台は、だいたいそういった年頃の人たちがやっていた)は、お客さんよりも早くできあがっていて、下手するとろれつが回ってなかったりして。

 それはそれで、風情はあったんだよ(その証拠に、私は嫌いではなく、何度も通っていたもの)。だいたい、ばあちゃんや、じいちゃんと話をするのが楽しかった(独特の口調があったりして)。それで明け方近くなって、帰宅していた時代があるんだよね。もうあのころからどのくらい経ったかなあ。

 だいたい屋台ってえのが好きでしたね、学生時代から。遅くなった研究室からの帰り、品川駅東口のおでん屋(その前に、時間があるときは焼肉屋Mに立ち寄ったりしていたのだが)さん。うまかったなあ。

 学生や研究生の分際で、おでんでいっぱいひっかけて、終電くらいの山手線で帰宅していたんだよ。まるでおっちゃんだね。で、帰宅してからレポート仕上げて、寝酒をひっかけて… 若かったとはいえ、よくやっていたもんだ。

 なんでロコモコからこんなことまで思いだすんだろう。ついでのことに、あの頃の屋台のおでんのあじまで思い出してしまったじゃないか。今年の冬は、当時のおでんの味の再現にでも挑戦してみますか(一人暮らしの一人分では、あの味は出せないような気が……)。

 当時でいうと、一番お世話になった小料理屋H。あそこの鍋の味は、見事に岡山に帰ってから再現し、今じゃあG.ウォールストランド君がアメリカはカリフォルニアにまで持ち帰っているくらいだ(鍋料理セット一式はプレゼントした)。彼は日本滞在中、何度も私が教えた鍋を、外国人仲間と作って食べていたので、完全にマスターしていたことだろう。

 彼のことで一番心配していたのは、日本で山菜の味を教えたことだ。彼曰く「アメリカに帰ったら、絶対にこの植物を探す」。植物だからねえ、生えないところには生えないし……。代替品が見つかっていれば彼のこと、きっと山菜天ぷらパーティーをやらかしているよ(これも教えた)。なにしろ料理好きな男だったから。彼は私の母にもなついていたし。国籍も違えば、まったく血のつながりもなかったけど、兄弟みたいな付き合いをしてた。

 彼が私の誕生日に作ってくれたメキシコ料理は、今でも覚えているよ(さすが食いしん坊!)。こいつの再現に取り組んでみるのも、面白いかも。何しろ食べたい時が美味い時なんで、食べようと思ったら、すぐに作れなきゃならないからね!

 ああ、少しずつ練習が本格的になりつつあって、そろそろ筋肉痛が……

※ 今月の『○○を語る会』は、17日(土曜)の予定でしたが、18日(日曜)に変更になりました。あしからずご了承ください。今、私はサプライズ物を作りつつあります(たくさんは持っていきませんよ。大変な量になるから)。こうご期待!

2016年9月12日 (月)

人生を楽しむって?

 天気予報で聞いてはいたが、秋雨である。しかも、人がやっと外に出られると思って、外へ出たとたん、降り方が強くなる。今日は家の中で休んどけと神様が言っているのだろうか? でも神様もよくお願いを聞いてくれないので、どうせ濡れるならと、暗くなりかけた屋外で、とりあえず今日のノルマの7割ほどはやった。(あとは室内練に変更)

 ま、雨に濡れたからって、風邪ひく季節ではないからね。ただし手が滑って事故が起こるといけないので、古武器の練習はできなかった(少しは前足の疲れがとれるだろうか)。それでもけっこう汗みどろになったよ。

 一日に一回は汗みどろにならないと、健康に悪いもんねえ。そのあとさっぱりとシャワーで汗を流して食事(もちろん飲酒も)。疲れていると、大変な眠気が襲ってくるけど、一休みしたら夜の部だ。(こんなパターンだから、就寝時刻が遅くなる?)

 しかも夕方ので不満だったら、夜中にまた練習することがあるから、まったく規律正しくない生活だ。ま、何が規律正しくて、何が規律正しくないのか、その境界線をつけなきゃいけないのかどうかすらわからないので、好きにやっている。何かが悪かったら、弊害が発生するでしょう、きっと。

 今日は久々に、私みずからが海鮮料理を作るという(もう面倒だったので、途中からいい加減になったんだけど)、大変な日でございました。残念ながら味わうのは私一人なので、盛り付け(まったく自信なし)なんかは、超いいかげん。盛り付け査定で才能なしに自信あり、ですわ。どうせ胃袋に入ったら、盛り付けも何も関係ないからねえ。

 私の頭にあるのは、栄養のバランスだけなので、必要とする食材が体内に吸収されるかどうかしか考えていない。食べたものが私の体を作るわけだが、その中に「盛り付け」という要素は入っていなかった(少なくとも今までは)。なんたって料理人をする予定はないからだ。

 人様が作ってくれた料理は、なんでもおいしくいただく。自分が作らなかっただけで、十分に感謝している。ましてやプロが作った料理なんか、文句をつけるつもりは、まったくない。と言いたいが、昔、後楽園球場の裏手の中華料理店で食べたのは、「厨房を貸せ。自分で作る」と言いそうになったし、中国で食べたウナギ料理も、思わず「厨房を貸せ」と言いそうになった。ウナギはやはり日本ですな!

 調理師免許は持っているんだろうけど(きっと。少なくとも日本のは)、食材に恥じるような料理を食べさせられると、「食材に謝れ!」と言いたくなってしまう。美味くないものが、身体にどれほど吸収されるんだろうか。今度誰か暇な人が、おいしい料理とおいしくない料理で、体内に吸収される割合を比べたらどうだろう。

 というのはですね、おなかが空いていると、なんでもおいしいじゃないですか(後楽園球場裏のは、空腹だったが、大変に不味かった)。当然、栄養の吸収率は上がっていると思うんだね。それに対して、少々おいしくても、おなか一杯の時は、あまりおいしいとは思いませんよね。これは当然、吸収率に影響を与えていると思うんだね。

 おいしさを測定する基準が確立されていないから、そんなに簡単なことではないとは思うけれど、たとえばおいしさを五段階で評定し、その都度の血糖値とか体脂肪の増加とか、食べた量に対する体重増加とかで、調べられないものだろうか。

 ま、不確定要素が多いから、一筋縄ではいかないかもしれないけれど、日本人だから、」この程度の問題は、解いてしまいそうな気がするんだよね。(ちなみに私が研究室にいたころ、下級生の卒論を手伝ったが、そのテーマはなんと、「歯ごたえ」だった! 皆目見当もつかなかったが、数か月のちには、手がかりはつかめたんだよ。これが因果か、社会人になってから、手ごたえのある問題ばかりを担当した…溜息)日本人はすごいからねえ。

 私はどうやら吸収率がいい人らしい(師父の見立て)。食べた量に比べて、体重増加が大きい(それなりに動いてはいるんだけどね。現役時代に比べればン十分の一だけど)。寝る前には食事はとらないし(とったとしてもお茶である)、どうして体重が落ちないんだ?もしかして霞を食ってもいきてられる仙人になったとか?

 残念ながら私は仙人という、道教の妄想が生んだ存在には、昔も今も(そしてきっと将来も)、まったく興味がない。知り合いになりたいとも思わない。なんで仙人って、あんなジジイばっかなの? 若いままで不老不死なら、これは面白いことも多いだろうけど、ジジイになって何万年生きたって、何が面白いのかさっぱりわからない。

 老人の肉体になってからの人生を長くするよりは、若いままの肉体で暮らせる人生を長くすべきだと、真剣に私は思っているよ。

 今やプロスポーツを見ても、現役人生は長くなっている。こうでなくっちゃいけないよ、人生も。人生を楽しむってことは、古傷もなく(すんません、私にはたくさんあります)、病気も」なく、健康で元気な状態の期間を延ばせなきゃ、できないんじゃないかな。ぼろぼろの状態で長生きしても、苦痛の期間ばかりが長引けば、果たして幸せな人生といえるんだろうか。(言ってしまえば、夏休みじゅう楽しく遊んで、8月31日に徹夜で宿題をやっているような状態が、延々と続いているようなもんでしょ。楽しい記憶も、全部吹っ飛んでしまうよ)

 健康で元気の期間がながければ、人生でやれることは、格段に増えるんじゃないだろうか。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は17日(土曜)から、18日(日曜)に変更になりました。よろしくお願いいたします。

2016年9月11日 (日)

前足(前腕)がだるい……

 だるかった~っ‼ なんか、今日一日、めちゃくちゃ、身体がだるかった(睡眠が、かなり不足していたんだけどね)。今も前腕(前足)が両方とも、だるい。(後脚は毎日やってるスクワットのおかげで、全然だるくないんだけどね)

 スクワットたって、現役時代から比べたら、「屁」みたいなもの。そのへんで健舞踊ったら、このくらいはやるのではないかと思えるくらいの回数だ。健舞は気が向いたらやるから、一日にどれくらい、何をやっているか、自分でも把握できていない。

 昔は練習日誌ってのをまじめにつけていたから、何をどれくらいやったかが一目瞭然だったんだけどね。(理科系の学生だったので、実験ノートをつける感覚でしたな。全然抵抗がなかった)

 今は気が向いたら、いつでも、どこでもやらかしてしまうので、記録しようたって無理。まあそれだけ、自分の生活の一部になって融合してしまったということなので、むしろ喜ばしいことなのかも。

 昼はだるかったので、DVDを見ていた。半分寝ていた状態なので、内容がまったく頭に残っていない(日本語ではなかったので。疲れると翻訳能力は、各段に落ちる)。夕方になって思い出したように動いた(これも、アイスコーヒー用のガムシロップを買ってきたから、勢いがついてたんだね)。

 今は両手をキーボードの高さにまで持ち上げるのが精いっぱいだ。あ~しんど。こんなに自分の手が重たいとは知らなかった。筋力向上を目指して、久々に筋トレでも再開いたしますか(以前やってた筋トレとは、かなり違います。筋線維を太くする気なんか、全然ないし。要するに動けりゃいいんでしょ、速く、器用にって感じの筋トレだから)。

 でもこの前足(前腕)のだるさは、その素早く、器用にを目指したトレーニングの結果の疲れが原因のような気がする。この年になって、現役時代よりも速くて、器用だったら、現役時代はいったい何をやっていたのかと、自分で自分のどたまをどつきたくなるかもしれないから、難しい問題なんだけどね。

 自分の現役時代に間に合わなかったものはどうするか? 次代につないでいくしかないでしょう。だから気が向いたら指導まがいのことをやってるんだし。(気がむかないとやりませんが)

 ま、いずれにせよ、身体が動く限り稽古、訓練、練習のいずれも続けていくつもりだ。すると、少なくとももう五十年は続けることになる予定なので(私はそう考えている)、少しは見えなかったものが見えてくるかもしれない。幸いなことに師には恵まれたからね。(生きている師もいれば、すでにこの世にいない師もいるんだけれど。見せてもらったり、教えてもらったことは消えないから)

 それにしても、今日のこの前足(前腕)のだるさはなんだ? 全身もだるいのだが、前足(前腕)は特にひどい。このひどいだるさに負けず、朝早くから(二時半に寝て、6時には起きて、再開しておりました)仕事してたんだけどね(夕方、PCが再び不調になりましたが、今日は短時間で修復いたしました)。夕食時に飲酒したら、ますます重だるくなっちゃった。

 おっと、いま気づいたぞ。PCに向かっているから調子が悪いんだ。椅子に腰かけた姿勢って、決して健康にいいわけじゃないし、ましてやPCの画面をのぞき込んでいたら、「気の流れ(アヤシイ言葉だなあ……)」にいいわけないもんね。

 これ打ち終わったら、軽く気を流すのに太極拳でもやってみますか、ベランダあたりで。いろいろとやっていたら、一日で自分がやっていることを一通りできないくらいたくさん覚えてしまったので、やり忘れたことが出てきますね。その日の体調に合わせて、最も適したものをやっていればいいんだけど、今日みたいにぼーっとしている日には、ますます忘れますわな。

 商品が多すぎて、何を買っていいのかわからなくなっているのかな、今日の私は。何を買っていいか迷っているうちに、何も買わなかったってことがあるように、何もやらないで一日を終えるのはよくないぞ…っていったんやり始めたら、長くなる癖があるんですが…

 ま、夜も更けてきたし、一発ベランダで太極拳をやってから、あとのことを考えることにいたしましょう。

※ 今月の『○○を語る会』は17日(土曜日)から18日(日曜日)に変更になりました。あしからずご了承ください。よろぴくね。

2016年9月10日 (土)

プレ大会

 昨日、「ようやく見えてきた」と書いたら、早速に今朝の午前二時前に、データが壊れるという障害が発生しました。間違いなく疫病神というやつはいて、私が何かしようとするたびに邪魔することの証拠ですな。

 もっとも今、画策していることが表に出ちゃうと、いろいろと影響が出るかもしれないので、今までの立場に安穏と胡坐をかいている人たち(しかも世の中の発展を邪魔している人たち)の中には、多少やっかいなことになるかもしれない人がいるかもしれない(まじめに、社会のために貢献している人には、絶対に迷惑はかかりません。もしかしたら大変な助けになるかも)ので、そういった人たちの関係者(?)が邪魔しているんだろうと思っている(科学的思考を主張している私にしては、大変非科学的だと思われるかもしれないけど、いまの科学なんて、この自然界のごく一部しか解き明かしていないからね。もう何百年か経過したら、今の非科学も、科学されているんじゃないかと思っているよ。少なくとも私の周囲で起こるこういった「怪奇現象」は、統計的にみて、ある傾向がある。このところ、邪魔することもあるけど、邪魔させまいとする力も強まっているような気がしている。きっと両親をはじめ、いろんな人が助けてくれているんだろうなと、感謝している)

 だから今朝は、最低限度のところでは防御できるように、起きてすぐに動いた。寝ることはいい。寝ているうちに名案が浮かんだり、興奮が鎮まって、今できる最善の策が浮かんだりする。今取り組んでいることも、ちょっとばかりバックしてしまったけど、まだまだやり直しはきく。今晩はこれを打ったあとで、少なくとも昨夜(今朝?)までに進行していたところよりも、少しは前進しておくつもりである。

 転んでもただでは起きないんだよ、わたしは。あまり転ばせたら、球形の怪物になって、高速回転しながら突進するんだからね。(そのほうがよほど厄介だと思うんだけどね)さらには表面に突起ができて、丸のこ盤の立体バージョンみたいになっていたら、こりゃあもう手が付けられませんよ。

 で、必要な防御措置をとったあとは、SくんとBBQをやった。Sくんは車だったので、悲しいことに飲酒は寸止め。ノンアルコールで我慢してもらった(その分、夜が飲み会だと言っていたので、5人分くらい飲んで、かたき討ちをしておいでと送り出した)。

 今日は二人だったが、次回からは増やすかもしれない。とりあえず今日のテストで、不足しているものがいくつか判明した。これまた次回までには改善しているはずだ。プレ大会をやってみないとわからないからね。ぶっつけ本番は、怖い、こわい。

 例えば大きな競技会なんかでも、必ずプレ大会をやりますよね。プレ大会ならば、問題点が見つかっても、なんとかなるからね。プレ大会で成功しても、本番で失敗したら意味ないし。本番で失敗しないために行うのが、プレ大会。

 だからプレ大会は、小規模で、どんな問題が出るかを見つけるのが大きな意義なんだよ。さいわいSくんとは長いつきあいなので、大変に融通がきく関係だ。今日のBBQは、だから大変に融通の利くBBQになったよ。

 ちなみに私はここでビールをいただいたので、以後、門より外には出ていない、一歩も。これじゃあ飲酒運転する余地はない(する気もない。面倒くさい)。おかげであとはのんびりと映画なんぞをネットで見ておりました(こんな時でもないと見ないような映画ですが)。

 それで夕食は、野菜と高蛋白質主体(主体はお酒?????)で済ませてしまい、正気に戻ったので、これを打っておりますよ。これを打ち終わったら、昨夜(今朝?)のリターンマッチですわいな。執念深い(もっときれいな言葉で言うと、粘り強い?)のが私の武器ですからね。

 だいぶ秋らしくなって、いい風が(もう2~3℃気温が低くてもいいなあ)が入ってくるし、明日は(あ、しまった。早朝から地区のしょうもない用事があったような……)日曜日のはずだから、けっこう頑張れるかな。

 今日は、プレBBQ大会の日でございました。

※ 今月の『○○を語る会』は、17日(土曜日)の予定でしたが、一日後ろにずれて18日(日曜日)に変更になりました。あしからずご了承ください。よろしくね!

2016年9月 9日 (金)

罪深いBBQの記憶

 七月アタマくらいから取り掛かっていたことが、少しだけ見えてきたので、さっそく私は油断しはじめましたよ。やりたいことの「うったて」の始まりくらいなんだけどね。明日は昼からBBQ! 忙しいSくんと一緒に、前祝いだわいわい。

 しかしながらよく考えてみると、私がやろうと思っているのは、けっこう下ごしらえが必要だったりするので、せっかくの土曜日なのに、「早起き」? この早起きってことばは、今も昔も好きではない。

 朝は朝寝坊するもんでしょ?(と言いながら、中学、高校と、私は登校が早いことには自信があった。たぶんクラスで3番目より遅かったことはないと思う) 朝寝坊ってのは、人生の幸せの大きな一つでございます。朝、寝床でまどろみながら、しょうもないことをあれこれ考えて(半分夢の中なので、たぶん妄想の類でしょうが)いるのは、幸せな時間だと思いますね!

 まあそれでも我が家の庭でのBBQっていえば、これはもう今年のケジメですから、やらないわけにはいきません。土曜日の真昼間から、いい匂いを近所に漂わせてやろうと思います(時に日本風ではない香りも。私は美味ければ、スタイルにはこだわらないから。いろんな国のが入ってたりして)。近所迷惑かなあ…… 今日できる下ごしらえは、できるだけ寝る前にすませておかないと。

 当然Sくんはノンアルコール、私は飲みますから、明日は午後からは私は外出いたしません! 外出したとしても、我が家から100m以上離れるつもりはございません(歩いて行ける範囲)。用事はすべて午前中に済ませるつもりです(だから早起きしなきゃ)。

 ぐうたらな休みを過ごそうと思うと、下準備が忙しいので、結局ぐうたらしているのか、自分で自分の首を締めあげているのかわかりません。思い出してみると、私の今までの人生って、みんなこんな感じだったような気がします。

 ほんとうは親しい連中にみんな声かけて、わいわいやりたいんだけど、今はまだ家の片づけも終わっていないというより手がついていない感じなので(幸い、庭だけは10人くらいならなんとかOKかな?というところまできましたが)、今回はまず準備段階ということで。

 片付けと、メニューを豊富にすることが、とりあえず必要です。きっと、日本では食べられない味まで紹介することになると思うから(ご心配なく!犬とか猫とか、ニシキヘビとかキングコブラ、ワニなんかは食べません。私は一応良識ある日本人のつもりなので…だいたいどうやって手に入れるんだ?)。

 おお、そうだ!Tさんが世界大会から帰国したら、一度やらかしてみよう。彼はお酒はまったく飲まないので、少々羽目をはずしても大丈夫かも。今はきっと追い込みか、減量かでしんどいはずだし。

 一つ心配なのは、あまりにいい匂いがして、ご近所様の迷惑になること。ときどきいるじゃないですか、ご近所様に迷惑になったり、いやがらせなんかして問題になる人が。私にはまったくそんなつもりはないので、もしもあまりに美味しそうで、おつくりになりたければ、「この野郎」と思わずに、尋ねてくれれば、作り方はお教えします。

 なにしろ昔、釣りに行ったとき(Tくんという、いい子と一緒だった)、焼き肉と飯盒炊飯の準備をしていて遅くなって、釣り場に行ったら、ポイントというポイントは、みんな人が占領していて、我々が釣る場所がなかったことがございました。

 ところが義経すこしも騒がず、おもむろにコンロを出し、炭火を起こし、まずはご飯を炊いて、焼き肉をはじめたのですな。時刻は11時近かったのではないかと思います。釣り人の目が、こちらを、ちらっ、ちらっ、と見ております。空腹に焼き肉のにおいは我慢できませんからね。

 で我々の腹ごしらえができたころには、釣り人は一人もいなくなっていたんだよね。おかげで私とTくんは、好きなところで釣りを楽しめました。もちろんばかすか釣れたので、私は翌日、下痢をしてしまいました(釣った魚は、原則としてすべて食べてあげることにしているので。食べ過ぎですな)。

 はい。私と焼き肉とは、罪深い関係にあるのです。明日、久々にこの罪深い関係が復活すると思います。どうなることでしょう……

※お知らせ → 今月の『○○を語る会』は、17日(土)から18日(日)に変更になりました。悪しからずご了承のうえ、ご参加ください。

2016年9月 8日 (木)

懐古

 ようやく台風っ気が抜けてくれたようで、風は強いですが、北から涼しいのが吹いているのかな?みたいな風が吹き始めました。

 今朝も雷だったんだよね。ちょうど私が煮え詰まって、寝ようかどうしようかと悩み始めた時間帯。資料が見当たらなくて、しかもそれが日本語が一文字も書いてない資料なので、「どこにあったっけなあ~?」って探し始めたころだったんですよ。

 そしたら、ピカッ、ゴロゴロ~でしょ。やる気が一気に失せましたね。PCの電源を切って、「も、やーめたっと」。横にはなったんですが、ピカッ、ゴロゴロがうるさくてしょうがない。しょうがないから資料を読み始めたんですよ。(天気予報では「微雨」とあったんだよ!)

 それから小一時間くらいあとかな、「あった! あった」 探していた資料が見つかりました。今度は興奮して眠気が覚めて。ああ、寝るのにも一苦労だ。

 で今日は、我が家の庭で、アキアカネが乱舞しておりました(スズメバチが一匹混じっていたような気が… そうそうアゲハもいました)。昨日の開墾で掘り出した切り株の穴を、生まれて間もないカナヘビがダッシュしていたりして、そうか、こんな季節になってきたんだなと、思わず空を見上げましたな。そういえば昨夜も、エンマコオロギの鳴き声がきれいだったような気が……

 庭木には悪かったけど、伐採して広くなったおかげで、庭でアキアカネの群れが見られるようになってしまいました(水たまりが多いので、もしかしたら産卵場にされてしまったのかも。水たまりをひっくり返すと、ヤゴがうようよと出てくるからね。ただしどんなトンボが来て散乱しているのか、調べるほど暇がないので、羽化してみるまでわからない)。来年くらいにはハンミョウも導入できるかな。

 ハンミョウは乾燥したところが好きなので、とにかく雑草が生えないようにして、地面を乾かさなくてはなりません。見た目が大変に美しい上に、幼虫、成虫ともに肉食性で、アリなんかを食べるので、我が家の庭の食物連鎖を考える上では、けっこう大きな存在なのです。

 私が高校生くらいまでは、たしか我が家にもいたんだけどね。家を建て直したときに土を入れ、そのおかげで巨大なヤマアリが入ってきて、ハンミョウがいなくなった(ついでにこのとき、我が家にゼニゴケが入った。それまではコスギゴケとスナゴケしかなかった)。ハンミョウがいてくれたら、ヤマアリもめちゃくちゃに増えたりしなかっただろうに、今年の春とうとう増えすぎて私の逆鱗に触れ、大部分が駆除されてしまいました。(一部が裏庭に生き延びている)

 今や、もとから我が家にいたアリが、ヤマアリのニッチを奪おうとしているので(明らかに私が子供のころよりも増えている)、ハンミョウの導入(というか、私的には復古ですが)を画策しているんですな。

 どうやら私は、昔に帰ろうとしているみたいです。なんとなく懐古趣味(我が家の昔ですよ)になりつつありますね。いい思い出とか、よくない思い出とかいうのではなくて、なんとなく心が安らぐのかなあ。子供のころを思い出すと。

 もちろん、思い出すのをはばかられるような、恥ずかしい記憶もあったりするんだけどね。

 そうそう、今日、アゲハを見ていて思ったこと。昔のアゲハって、こんなに小さかったっけ? もっともっと大きく感じてたんだけど。これは私が子供だったからかなあ。確かに昔よく遊んだ神社の塀は、私が得意げに飛び降りていたころよりは、はるかに低くなっている(低くなるはずがないのだが)。

 子どものころとは、目線の高さが変わってしまったからかもしれないんだけどね。それと子供の頃って、感動することが多いじゃない。きっと経験や知識が少ないからではないかと思うんだけれど。すると自分が捕まえたアゲハが、とても大きくて立派に見えたりしたんじゃないかな。

 高い塀に上って、そこから飛び降りるのが、少年の勇気の証明だったから、自分が飛び降りた塀が、とても高く感じられたんだろうね。(そういえば、そろそろお宮の掃除があったような気が…… 朝早くからなんで、けっこう嫌なんですけど)

 ま、人の記憶には必ず感情が絡みますから、客観的なデータにはなりませんわな。でも、懐かしいことだけは確かだ。

※ 今月の『○○を語る会』は、17日の予定でしたが、18日に一日ずれます。多くの人にとっては、三連休の真ん中になりますので、よろしくお願いいたします。

2016年9月 7日 (水)

自家製屋台

 またまた台風なんだそうである。台風13号。

 このしょうもない台風が足摺岬の南にあるころ、私は庭で切り株を相手に格闘していた。切り株というやつは地面から数センチ出っ張っていて、なおかつ高い。ふつうにすり足であるいていたら、もろ引っかかるのだ。

 転倒しないまでも、歩いていて気分が悪い。そこで練習がてら草ぬきをしていて、ついでにこいつも抜いてやるか、という気分になったんだね(すべて気分である)。ちなみに練習がてらの草ぬきだが、練習していてなんとなく雑草が気になるんだね。

 気になるというのは違和感があるということだ。違和感があるものが身近にあれば、違和感のあることが起こる可能性が高い。だからこれを取り除くんだね。逆に違和感さえ感じなかったら、雑草が生えていようが、犬が寝転んでいようが、私は気にもしない(今日なんか、ずうっと赤とんぼがとまっていた雑草があった。私がその雑草に見向きもしなかったので、赤とんぼもずうっととまったままだった。動いているときにはかなり激しい動きになることもあるんだけど、警戒しているそぶりさえ見えなかったよ)。

 私が気にするのは蚊くらいのものかな。今日もだいぶ殺戮したはずだ。(一か所も刺されてはいない。練習中は動きが速いし、たまに站桩状態になったりするけど…本格的な站桩は、この季節には、室内でしかやらない…それでも蚊に刺されるような状態にはならない。站桩は素早く動くために行う練習であって、のんびりと蚊に血液を進呈するための状態ではない)

 で、終わるともうあたりは暗かった。日が暮れるのが早くなりましたねえ。秋なんだからしかたがないっていっても、台風のおかげでこの蒸し暑さ。動くのが面倒になっちゃうよ。

 台風13号は四国の南を東北東に向かっているんだそうで、計算では北からの涼しい風を呼び込んでくれてもよさそうに思うのだが、ちょっと近すぎるかな。もう100㎞ないし200㎞南を通ってくれたら、少しはしのぎやすいだろうに。

 このところ矢継ぎ早に、日本付近で台風が発生するので、うっとうしくて仕方がない。これも日本が熱帯や亜熱帯に近づいている証拠なのかもしれない。

 おかげでいつまでたってもBBQが実行できないよ。この週末あたりをひそかに狙っていたんだけどね(公開すると、台風に邪魔されそうな気がして…)。もう十年くらい前になるかな。珠海の屋台で食べたのと似た雰囲気にするかなあ。

 あの頃は日中の関係も、それほど気まずくはなくて(その前に小泉首相が、かなり険悪にしていたんだけど。まあ基本あのじいさんは、思いついたことを言ったりしたりする人だから)、屋台では「日本人に大うけメニュー」なんてものがあった。なんとサンマの焼き魚なんかもあったんだよ(大根おろしもレモン、あるいはスダチ、カボスもついてはいなかった。若干、味が違う気もしたけど、サンマはサンマの味がした。長期的にあちらに在住している日本人には、懐かしいかもしれない味だった)。

 私はあのころ、ずいぶんいろんなものを食べ歩いていたからねえ。あちらの友人たちも、私が行くと聞くと、必ず面白いレストランや屋台なんかを探してくれていてね。もちろん今もそうなのだが。私は旅といわず合宿と言わず、家から出るとほとんど太ってかえってくる。

 私は「いいものはいい」という主義なので、あのころのあちらの屋台の雰囲気は、捨てがたいと思う(狗鍋、猫鍋なんてのは、ちょっと日本むきじゃないし、万に一つやろうと思っても、日本では材料が手に入らないと思うけど。それに、無理してまで食わなきゃならないほどの美食でもない)。イワガキの焼いたのも大好きだったけど、上にかけるソースの作り方がまだわからないし、巨大なヤキナスも同じ理由で再現できない(やる気はあるんですよ。その証拠に今日、大量にニンニクを購入してきた)。

 再現に成功したら、ぜひとも我が家に来ることができる人には、ごちそうしたいと思う(中国人がやっているレストランに行って、詳しく尋ねてみようと思っている。まあ、近々再現できるとは思うけど。一人であれこれ作っても食いきれないし)。もちろん、ノンアルコールで、である。食べるとビールがほしくなる味だからね。

 食事は大勢でにぎやかに食べるのが一番だ。「食事の美味しさ=料理の美味しさ×人数」って公式が成り立つんじゃないかと思うくらいだよ。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は17日の予定でしたが、18日に変更させてください。お店の都合でございます。よろしく。一応、前回の続きで、≪鬼谷子≫から「瑞情と摩意を少し詳しく」というリクエストがありましたので、これには触れるつもりでございます。もちろん、理論だけではなく、実戦的なやりかたで。(気持ちよく酔わせてね。なんでも喋っちゃう……かも)

2016年9月 6日 (火)

吾将曳尾於塗中(吾まさに尾を塗中に曳く)

 人が我が家の庭でBBQの計画を立てると、なぜかしら天候不順に陥りましたね。まあこういった天邪鬼はけっこういるもんです。何かの意味があるのかもしれないから、無理して騒ぐほどのことはないでしょう。庭は逃げないし、コンロも炭も着火剤も購入しているから、焦ることはございません。

 そんなことより、今日は蒸し暑かったですな。台風12号が山陰側を通ったので、うちら山陽は南方の、湿った熱い空気が吹き寄せたんだろうね、きっと。四国山脈で水蒸気がカットされれば、フェーン現象が起こっても不思議ではなかった?くらいだ。

 おかげで洗濯物はよく乾いて、たたむのに今さっきまでかかっていたよ。たかが洗濯物をたたむのに疲れるとは思わなかった(ぐらい大量にあった)。まあちょっくら疲れがたまり気味なので、仕方がないといえば仕方がない。こういうときは、何も考えず、休むのが一番なんてことを言ってくれる人もいるが、現実にはそうはいかない。

 一人暮らしってえのは、すべてを自分でしなければならないことだ。学生時代も一人暮らしだったが、まだ若かった。回復力だけは、人並み外れて強かった。今も同年齢の人に比べれば、桁外れに回復力は強いとは思うが、若かった頃に比べれば若干落ちている。

 まあ、何があろうと晩酌だけは欠かさないし(これは20歳の誕生日以降、よほどのことでもない限り、ずうっと守り続けている習慣だ)、ご自分が飲酒の習慣を持っていないお医者は、みなこれをクソみそに言ってくれる。(ご自分が呑まれる方は、一般的に寛容だ)

 酒を飲まないやつに、酒の飲み方をあれこれ言われるのは心外だし、運動したこともない医者に、運動抑制を言われても、まったく納得できない。今までいろんなけがをしたけど、それを治してきた経験は、私にはあるが、医者の何人がそれを理解するというのだ。

 とくにPCが一般的になってからはひどいね。患者の顔も見ず、PCとにらめっこしながら診断する奴がいたりする。お前が直したいのはPCなのか、目の前にいるはずの患者なのかと怒鳴りたいこともなくはない。

 ま、医者とはできるだけ関わり合いにならないほうが、長生きできる。(ちなみに私が信頼している医者は二人だけである。いずれも診察にPCなどは使わない、昔気質の方だ)

 師父のお父様(といえば、すでに亡くなられて久しいので、先師だが。今年の春、お墓参りをさせていただいた方)は、高齢になられてから師父におっしゃっていたという。「私を一日でも長生きさせようと思うなら、絶対に医者に連れて行くな」 先師は漢方医ではその名を知られた有名人物かつ名医だった。その人も私と同じことを言っているのだから、私が感覚と、経験から言っていることも、まんざら間違いではないだろう。

 なにせ医者は、ない病気まで作っちゃうからね。医者に行くたびに病気を増やされて、病院から出られなくしてしまう。そして清潔なんだかどうだか知らないが、あの真っ白けのなんの変化もない病室に押し込めようとする。あれじゃ、健康な人だってまいっちゃうよ。

 人は刺激があるから、生きていることを実感する。もちろんほどほどの刺激でなければならないけどね。なんの刺激もなくなったら、生きているのか死んでいるのか、わからなくなって当然だ。人が人として生きていくには、ほどよい刺激がある環境が大切なのだ。

 私は荘子のような生き方ができるとは思っていないが、吾将曳尾於塗中的な生き方のほうに賛成だ。いかに王に仕えて立身出世するよりも、泥の中をしっぽをひきずりながら生きているほうが気楽でよい、というのが荘子の秋水篇に出ているが、医者の「完全看護(この言葉がまた、ものすごい欺瞞に満ちた言葉なのだが。実際にこちらがつきっきりで看護するとわかる)」のもとで、ただ生をむさぼるよりは、しんどくても、自分の力で、這いずり回りながらでも生きているほうが、はるかにうれしいだろうからね。

 それこそ、生を全うするってもんだろう。

※ 変更のお知らせ…今月17日の予定だった『○○を語る会』、今日マスターにお願いしたら、17日までご不在とのこと。そこで18日(日曜日。おおかたの人にとっては、三連休の真ん中の日)に変更させていただきます。あしからずご了承ください。

2016年9月 5日 (月)

局地気象

 よっと。今日は夕ご飯が晩御飯になってしまった。したがってPCに向かうのが遅くなってしまった。

 台風12号は、岡山あたりでは猛威をふるうことなく行き過ぎたのだが、みなさんのところではいかがだったでしょうか? 小型の台風(ま、あんなに日本近海で発生すれば、発達する暇もなかっただろうけど)は局地的な天気の変化しか起こさないかもしれないので、予報は難しいかも。

 昔から局地気象の予報は難しいといわれた。地域差が大きいからだ。そこで気象学なんぞという難しい学問を修めた学者さんより、長年野良仕事をしていた人だとか、漁師さんなんかに聞いた方が、はるかに正確だった(私もじいちゃんに習った)。

 今では気象観測衛星からデータが得られるご時世になって、予報の確率もどんと上がった。それでも身の回りの天気予報は(今はスマホも使うけど)、じいちゃん譲りの知識である。ただじいちゃんゆずりの天気予報は、これから2時間くらいの限定であったり、1か月、3か月、半年単位だったりして、今の天気予報よりは横軸が定めにくい。

 昔の人はグラフなんか描かなかったもんねえ。その時の自分に間に合えば、それで十分だったのだ。今の世の中、それだけじゃあ生きていけませんもん。天気予報の発達は、非常に大きい。

 人類最古の気象台観測班長は、伏犧だとか言われている。上半身が人で、下半身が蛇だったとか言われ、木の上に住んで、下界に暮らす人々に、明日の天気予報を知らせていたのだそうな。

 当時は文字がなかったので、長い木の枝(三本)と短い木の枝(六本)を組み合わせて、天気予報を伝えたのだとか。これが後にいう八卦の始まりなんですけどね。私なんか半分蛇の人の作った記号なんて、てんでわかりやしない(だいぶ頑張って勉強してみたんだけどね~)。

 ま、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という通りに、少し前までは、天気予報は占いと似た程度にしか思われていなかった。とくに局地気象は難しい。でもたぶん伏犧さんがやったのは、局地気象の予報だったんじゃないかと思うんだがね。つまりは私のじいちゃんみたいなことをやっていたのだ。

 明日は晴れてくんないかな。洗濯物がたまってたまって。(私の古傷は、明日の天気は、そんなに悪くはないだろうと告げておりますが)

2016年9月 4日 (日)

ご機嫌!

 よっこらせっと。ようやく我が家のPCの前にたどり着きました。ちょっと寄り道をしたおかげで、少しだけご機嫌ですけどね。

 ご機嫌といえば、昨日、今日と、二日にわたり、ずうっと私をご機嫌にしてくださっていた方々がおられました。お世話になりました。久々に楽しかったです。Y先生と奥様、何よりも大きな心遣いありがとうございました。H先生、お忙しいのに気を配っていただき、ありがとうございました。こんど時間を見つけて、訪問させていただきますね! M先生、T先生、一年ぶりかなあ。なんだかお顔を拝見すると、安心しちゃうんですよね!

 肉体的には快く疲労したものの、私の身体のバランスを調節してくださったHさんと、もうひとりのHさん。ありがとうございました。これからもう五十年は生きるつもりなので、今度は私がホームスチールをかけるかもしれません。「迷惑だ」と追い返さないでくださいね。実は身も心もリバースしているのですから。

 それからNさん。今回はじっくり話をする時間がありませんでしたが、大変に参考になるお話をいただき、感謝しています。一度ゆっくり、お酒でも飲みながら(強そうに見えるんだけどなあ)お話しをしてみたいと思います。

 さらには私にとっては、もう輝くばかりの存在のHさん。久しぶりにお顔を拝見できて(どころか、久々にツーショット写真まで撮らせていただき)もう、思い残すことばっかりです(????)。もうちょっとお話を聞きたかったなあ。

 もう出会ったすべての人に感謝ですね! のほほんとしている私が気づかないことまで、気を使っていただき、感謝、感謝の二日間でした。これから、無味乾燥な日常に戻るのが、ウソみたいに感じています。

 あとは洗濯でもして、二日間の汗を洗い流すだけです。ところが台風のバカめが九州あたりから北上してくるみたいなんで、ここだけは微妙な感じです。だから言ったんだよ! こんないい国に上陸するんじゃないって!

 今日の帰りは、台風に伴う雨雲の1時間ばかり前ばかりを走っておりました。おかげで、まったく雨には出くわさなかったけどね、私と一緒に行ってくれたSくんの後を、まるで雨雲が追っかけていたみたいな感じで、少し遅かった人たちは、支障なく帰宅できたのかと、心配です。みんないい人たちばかりだったからね。

 ということで、Sくんにも最大限の感謝をこめて、この二日間、ありがとうございました!

※ 今月の『○○を語る会』は、今のところ17日(第三土曜日)の予定にしております。よろしくお願いいたします。

2016年9月 2日 (金)

疑惑の南部鉄器……‼

 先日、超仲良しの中国の友人Zさんに、南部鉄瓶を送った。意外なほど早く届いて、すぐに電話連絡があった。大変にうれしそうで、送ってあげた甲斐があったと、こちらもうれしくなってしまった。 

 日中関係がどうであるかには関係なく、友人関係は変わらない(もちろんそのために売国行為は絶対にしない。それはお互いが認めているところである。人として互いに尊重しあうのと同様、私の友人は日本という国を尊重してくれる。でなければ友人になんかなるもんか)。彼は本当に日本製品の良さを理解していて、訪中時、時として土産探し(土産であるはずなのに、向こうからあれこれと注文があるんだよ。このへんはいかにも中国人だ。ま、これは文化の違いとして容認できる範囲だ。私は「坊主に憎けりゃ袈裟まで憎い」タイプの人間ではないので)で大変な苦労をすることもあるが、まあ友情だ。国家間の問題は、友情には無関係だ。

 とうぜん相手が「日本製」のものをほしがっているので、私はmade in Japanにこだわる。もちろん資源が多くて有り余っている国ではないので、原材料はもしかしたら輸入したものであるかもしれない。でも職人さんは日本人で、日本の地で、日本の技法で作られたものしか送らない。それが「日本人としての真心」ではないかと、きわめて自分勝手だが、考えている。

 ところが今日、久々に南部鉄瓶をネットで見ていて、ひっくり返った。値段が高価なのは、これはもう南部鉄瓶なので当たり前だ。その中に、どことなく中国茶の茶壷的なデザインのものを見つけたんだよね。

「おいおい、これって茶壷?」 もちろん中国茶の茶壷にもなかなかよいものがある。しかしながら日本人的な観点から言わせてもらえば、これは観賞用であって、日常使用には不適ってえのが、結構なお値段で(かなり高価)あるのは知っている。ずいぶん以前に、本ブログで、あちらの芸術的茶壷を紹介したことがあるのをご記憶の方もあられるのではないかと思う。

 でも南部鉄瓶って、日常使用するもんで、そのための機能美がいいんだよね、なんてきわめて私個人的には思っているわけで(そんなことを言えば、わが岡山の誇る備前焼なんてえのも、その代表格だ。私は毎晩のように使用していて、使用すればするほど、美しさが増してくるのだ。ちなみに前回、珠海の師父宅を訪問したおり、師父はほかの日本人のお弟子さんたちから贈られた備前焼を、大切に保管されていた。私はそれを見て「備前焼は使ってこそ美が出ますよ」と言ったら、師母が、「私が洗っていたら割ってしまいそう」とおっしゃったので、「焼き物は割れるから尊いのです。割れたら私が後釜をなんとかします」などと口走ってしまった。もちろんどんな使い方をすれば、ますますきれいになるかは言っておきましたが)、ごてごてした飾りは、明らかに南部鉄器本来の意図するところではないのではないかと(きわめて個人的に)考えている。

 だから単調なものほど好きだ。使っていて、飽きがこない。もちろん国が違えば文化も違うわけだが、「これが日本文化」というのをわかっていただくのも、こういう贈り物をするときに配慮すべきことだと思っている。一見かっこよくても、飽きがくるものは、いつもは使わないってことだからね。

 ちなみに茶壺なんか私が買ってくるものといえば、見事なほどにシンプルだ。手入れしやすいものばかりで、おかげで安価だ。もちろん中国的なデザイン重視のものもあるけど、使ったことがない。棚の上でいつも整然と並んでいる。使う気がしないんだよね。

 ということで、ネットで調べたら、「中国製」ってのが結構ございましたな。人気が高いから、日本で作るだけでは間に合わない」んだろうな。くわえてお金のにおいに敏感で、しかも鉄が国内であり余って困っている中国だから、当然の成り行きなんだろう。でもmade in Chinaの南部鉄瓶を贈っても、中国人は喜ばないだろうね。

 彼らはmade in Chinaの意味するところを、一番よく知っているからね。グレシャムの法則に「悪貨は良貨を駆逐する」ってえのがあったけど、あまりに悪貨過ぎたら、すぐさま人々が気が付いて、良貨の反撃って現象が起こるんだから。

 なんだか昨夜も同じようなことを書いたような気がするけど、悪貨がもてはやされるのは、社会の生活レベルが低い時だけで、そこそこレベルアップされれば、やっぱり悪貨は悪貨、良貨は良貨ってことがわかって、そもそも良貨として手に入れることができる人々は、悪貨なんて見向きもしなくなるもんだからね。

 ま、人にせよ物にせよ、結局は誠心誠意向かい合っている人間には、それなりの報いはあるってことだと思いますんですけどね。

2016年9月 1日 (木)

跂者不立、跨者不行(跂つ者は立たず、跨ぐ者は行かず)

 かつて栄光の中にあったものが、いったん地に墜ち、恥辱を舐めたとする。するとこういった存在は「臥薪嘗胆」、今に見ていろ、俺だって! なんてことを考えて、一所懸命努力する(?????)かもしれない。

 このとき、本当に努力してればいいんだけどね。「臥薪嘗胆」という成語を生んだ、古代春秋の呉越抗争では、呉王夫差にしても、越王勾践にしても、家来には立派な人がいたかもしれないけれど、王様自体はあんまり感心しないから、本当の苦労はしてなかったんじゃないかと思ったりする。

 確かに不利な時は、胆をなめてみたり(苦いんだそうである。私はレバ刺しが食べられなくなってさみしく思っている一人なので、ふ~ん、別にどってことないじゃん、程度にしか感じないけど。きっと胆ではなくて胆汁のついたのを舐めたんだろうね。ちなみに尾籠な話で申し訳ないが…お食事中の方、ごめんなさい…ウ○チの色は、胆汁の色だってどこかで聞いたことがあるんだけど)、薪の上で寝たのかもしれないけど、部下に対するポーズで、実は見てないところでは手抜きをしてたんじゃないかな。

 というのは仇を討って、事を成し遂げた後、自分を支えてくれた部下に対する態度が、あまりに冷酷(冷淡なんてもんじゃない)だからだ。部下は一所懸命尽くした君主に裏切られて、さぞ無念だったろうね。

 夫差なんて男は覇者になりたがる。親父の闔閭みたいに、楚の国に攻め込んで国都郢を落としたりしたこともないのにである(ちなみにこの闔閭の時には、兵聖孫武が大将軍として仕え、さらには伍子胥が参軍としてついていた)。たかだかおやじの敵討ちをしたくらいで、勘違いしてしまったのである。 I am a champion!と。

 越王勾践にしても、呉を滅ぼした後は感心しない。范蠡はうまく逃げおおせ、陶朱公となって生涯を通しての成功者として身を終えるが、文種は気の毒だ。剣を賜ったのだから。

 自分がみじめなときには卑屈なほどへりくだる奴ほど、ちょっと有利になったら、態度がでかい、でかい。大きいことはいいことだ、というのはかの国の伝統だが(丸大ハムだけではない!)、態度がビッグなのはいいことにつながらない。

『老子』には「跂者不立、跨者不行(跂つ者は立たず、跨ぐ者は行かず)」とある。つま先立ちすれば、大きく見えますわな。でも長いこと立ってはいられませんよね。大股で歩けば、その時は速く、遠くまで行けるように思うけど、息が続きませんわな。

 ええこと言うなあ、かの国の昔の人は。でもいっちゃん(一番)問題なのは、かの国の偉人の言葉を、かの国の人が一番軽視しているんではなかろうかということだねえ。おもいっくそ(思い切り)背伸びして偉そうに見せたり、進歩を急ぎすぎて、国内の実体経済を置き去りにしてみたり。

 だからインフラ整備をどんどん受注しても、実際にはできなかったりする。実施する技術もないのに、注文ばっか取りまくるからだよ。商売は信用だからねえ。壊れた信用は、もう戻らないよ。

 とはいうものの、もうすぐG20である。どんな議長国を演じるのだろうか。実は少し楽しみにしている。どうせかの国のトップだから、例の抗日勝利記念式典みたく、覇者が取り仕切る会盟と勘違いした動きをしそうな予感があるんだけどね。(また左手で敬礼やる? 大爆笑だけど)

 あんたは斉の桓公か?って気がしないでもなかったからね。でも知っているかい? 斉の桓公って、死後、息子たちが跡目争いに狂奔して、弔ってもらえず、47日間(だっけ?)放置された結果、部屋から蛆が這いだすありさまだったそうだからね。

 自分の欲望を満たすために、連続してもいない国の歴史を持ち出して、かつての栄光の日々に戻ろうとするのは、大きな勘違いだと思うよ。今や周辺にいるのは蛮族ではない(だいたい蛮族とみるのが、目が歪んでいる。心がひん曲がっている。はらわたが腐っている)。

 生まれてたかだか数十年の国に、過去の栄光もくそもないだろうに。あるのは将来だけでなくてはいけないのに、過去の栄光がどうたらこうたら言い出したら、もうこれは嘘八百の口から出まかせ。ただのこじつけに過ぎないよ。(将来をまっすぐに見据えて、着実な発展を考える人物が現れたら、これはなかなか軽視できないけどね。素人博打みたいな手ばかり打ってたら、あとはし~らないっと)

 一つずつ足元から固めて、着実にものごとは進めていくべきだと、私は思いますんですけどね。ま、どうなろうと、知ったこっちゃないけど。

 でも昔の人は、いいこと言ってんですよ、あの国でも。

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