2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月31日 (土)

来年もよろしく

 やれやれ、私にとってク○のような2016年も、あと一時間少々となった。別に年が変わったからといって、時間の流れが途切れたり、まったく新しいものになるとは思わないが、とりあえずサラバ2016年である。来年は、ちいっとはましな年になって(していきたい)もらいたいもんだ。

 格闘はいい試合が続いているね。いい試合ってのは、いい相手どうしが、それなりに持ち味を出しながら、それなりに素晴らしい結果にたどり着くことだ。人生もまさにそうである。無事に生きようと思えば何もしなければいい。しかしそれで満足できるかというと、無理!

 いい技術、いいコンデイション、そしてガッツだねえ。結果はいろいろあると思うけど、結果よりも見るに堪える経過だよね。満足できるかできないかは、どれくらい感動できるかだ。感動できなかったらちっとも面白くない。面白くなくてなんの試合だ?なんの人生だ??

 そういう観点からみると、今年はまったく感動がなかった。しんどいことはあった。毎日がしんどかったけど、飛び切りしんどいこともあった。今もしんどいけど、年末の格闘技番組のおかげで、少し元気になりつつある。

 でもなあ、一発顔面KOするよりも、やっぱり地味にボディ―だよね。(あるいはローキック)結果は顔面KOでもいいんだけど、そこにいたるまでの積み重ねだよね。これって人生では、毎日のコツコツやった積み重ねに似ているかも。

 共通点は、一見派手な成果が見えないんだけど、確実に相手にダメージを与え、蓄積させることができる点だよね。そしてある限度を超えた瞬間に、いきなり成果が出るのがこういう積み重ねの怖さだ。

 積み重ねたものは、諦めたり死んだりしない限りなくならないからね。ただどれくらい蓄積すれば成果が出るかわからないところが、けっこうきついところだ。それに時の運ってのも関係してくるし。

 まあ運は運。積み上げてなければ、運がきても活かせないし。運だけでやっていると、すぐに息切れしてしまうから。

 昔から真っ暗闇を手探りで歩いているような人生だった。遠くからかすかな光が見えさえすれば、あとは迷いがなくなるから、まっすぐに駆け出すだけなんだけどね。

 ま、今年はまだ光が見えてこなかった。とりあえずは生活習慣の立て直しと、身体を作り直すことだけを考えたけど、それもなかなかできなかったなあ。浮世のしがらみはなかなか面倒い。

 我がままに生きる、もっと我がままに生きる。これが来年の目標かな。

 みなさまも、よいお年をお迎えくださいね。

 気がついたら、今年もあと20分ほどになっていた。小國選手の試合を、手に汗握ってみていたら、知らない間にこんな時刻になっていた。でも、元気をもらえるような、いい試合でしたよ(もちろん井岡選手の試合も)。いいなあ、格闘技は……

2016年12月30日 (金)

年末は格闘技ですね~♡

 昨夜は飲んだ。久々にけっこう飲んだ。家に帰って寝たのは、午前4時だった(Yくん、Sちゃん、お付き合いありがとう!)。おかげで今日は、昼近くまで寝ていた。

 こうなると一日が短い。あっという間に夜になって、気がついたらボクシングを見ていた。歌番組など、バカらしくてみない。いや歌は好きなんだよ。でもナントカ大賞ってあるじゃない、あれってアーティストには意味があるんだろうけど、こちらとしては「ふ~ん……」程度の意味もあるかないか。

 いい歌は、聴いて楽しむもの。アーティストが感涙にむせんでいても「ほ~……」程度の感情しかわかないし、それを司会者さんが無理やり盛り上げようと、多言を弄すると、もう白けちゃって。

 その点、今日のボクシングは、いずれもよかったですねえ。結果KOっていうのはおまけとして、対戦する選手同士がいいと、これはまた見事に緊張感が漂う試合になる。いやあ、私はTVで見ちゃったんだけど、お金を払ってみる値打ちがある試合でしたね。素晴らしい!

 まあ面倒くさいと言えば、選手が登場するまでに(きっと間をもたさなければならないんだろうね)、アナウンサーさんのくどくどしい解説やら(明らかに)盛り上げようとするトークが、白けるっちゃ、白けるんだけど(これは歌番組の○○大賞の場合と同じですね)、試合が始まると、いい試合なもんだから、見事に忘れてしまう。

 でもボクシングって、罪なスポーツだねえ。インターバルが1分じゃないですか。だからこちらとしてはトイレに行く間もない。とりあえず決着がつくまでは、TVの前に釘付けです(それもこれも、いい試合だからですが。以前TV局が無理やりヒーローにしたがっていた三兄弟が試合をやっていた頃なら、トイレどころか、遊びにでも行けましたね…最後は見なくなったくらいで…)。

 おかげでちょっと予定が遅くなってしまいました。まあ今年もあと1日と少々なので、別に焦ることでもないんだけど。

 いずれにしても格闘技好きな人間にとっては、年末はなかなか忙しい。で年が明けるとお屠蘇をやった後は、寝転がって駅伝観戦?

 選手のみなさんは大変だろうけど(応援に行く人や、スタッフさんも)、一般人になってしまえば、結構な時期と言えなくもありませんね。

2016年12月29日 (木)

天気が腐っている!気が腐っている! が腐っている、腐っている っている ている いる る

 寒いうえに天気が腐っている。洗濯物が3日も乾かない。いい加減にしろ。俺は機嫌が悪い。

 こういう時に、新聞に「謝罪はなし」などと一面に書いてあったので、ついでのように激怒した。なんで謝罪せにゃならんのだ? ちいっとは歴史を勉強せいっ! いつまでたってもマスコミが勉強せんで、いいかげんなことを活字にして広めるから、おかしなことになるのだ。

 もちろん、謝罪が必要な場合には、謝罪しなければならないだろうが、「謝罪」を交渉で有利なカードとして切るような奴が相手だったら、私なら交渉はしない。永遠に交渉しなければ、そこからの害は永遠に受けない。謝罪とは心の交流だ。駆け引きの道具ではない。

 ガキの頃から学校で「誰とでも仲良くしなさい」などと、アホの一つ覚えを教えるから、こんなことになる(私も小学校時代、言われたことがある)。付き合って喧嘩にしかならないのなら、付き合わない方がお互いのためではないか。私は小学生時代からそう考えていた。

 お付き合いさせていただくのに、まず謝罪って言われたら、私なら「あっそ。じゃ、遊んでやんない」でお終いだ。

 ましてや真珠湾については、今ではかなり研究が進んでいるはずだ。哀しいことだが、戦いになれば人は死ぬ。前途有為な若者が大勢死ぬから、戦争なんかはやってはいけないのだが、そこに至る経緯を見れば、どちらかが相手方を一方的に非難などできるようなものではないことは明らかだ。

 こんなものを、関係のない第三国があれこれいうのは、気にする必要などない。だいたいぐちゃぐちゃ言いたがっている国ほど「二国間協議」と口にするではないか。関係ないものは黙っておればよい。「だあ~っとれっ!」

 すでにかの国に徳がないのは明白だが(個人的には、有徳の人もいる)、世の中には「沈黙を保つ徳」というものも存在する。まあそんなことを、肥大しすぎた自我しか持たない連中には、言っても理解ができないんだろうが。

 大声で何度も喚く奴ってのは、何か謀があったり、隠し事があるからで、こんなもの相手にしなければなんでもない。相手にしなければ謀にはかからないし、隠し事などないことにしてしまえば、最後までない。

 なかったことをあったように言われても、必要なことはなかったと証明するだけで、あとをぐちゃぐちゃいう必要はない。言えば言うほど面倒くさい。相手には「言い死ぬ」くらい言わせておけばよい。「相手にしない徳」というのもまた存在するのだ。

 まあそれにしてもこの報道官、なりたてのころには緊張で顔が引きつっていたのに、最近はずいぶんと面厚かましくなったもんだ。間違いなく顔も見たくなければ、声も聴きたくない(厚かましくなった面の皮を反省しろといいたい)。なのにネットをいじくると出てくる。出てくるとつい、見てしまう。見ると腹が立つ。悪循環である。

 けったくそ悪いので、砂袋を叩いたが、気分は晴れない(気に食わない奴をはたけば、もしかしたら気が晴れる?さて誰が気に食わない奴なんでしょ。たくさんいすぎて目移りがする。これってかえって安全な状態かも)。

 悪循環を断つには、循環のどこかを消し去ればよい。もっとも簡単な方法は、PCのスウィッチを切ることだ。それでも気分の悪さは残る。そこで今夜は我がクラブの某年会だ。海鮮食材を片手に(持つには重すぎるが)乗り込んで、酒でも飲もうっと。

 気の知れた連中と、バカになって飲んだり騒いだりすれば、一番カタルシスが得られる(はずだ)。面の皮が厚くなったとしても、どうせ分厚い面の皮の下では相変わらずひきつっているんだろうから、こちらには何のダメージもない。まあ「カエルの面にショ○ベン」という奴ですな。これもまた「相手にしない徳」の一つかも。

 今年はまだ年賀状どころではない。明日以降になる。元旦に届かないかもしれないが、ごめんしてね。

 腐った天気で機嫌が悪いと、何もかもに肚が立つ。

 さあて、そろそろ出かける準備をしなければ。

2016年12月28日 (水)

つながる

 明日は忘年会である。私のチームの忘年会だ。日ごろはみんな好き勝手なことをしていて、こんな時にはみんな集まってわいわいとやる。私が理想としている形だ。だって心を許しているってことは、そういうことでしょ? いちいち確認の電話なんかいれなくったって、心がつながっているってことは、そういうことでしょうが。

 で、開催するのが例の夜市なので、もうこれは何が起こっても不思議ではない(着々と準備を進めております。こういうことには私は熱心なんだよね。で、本当のところは、私もマスターも、もちろん他のメンバーも、どうなるかは予測がつかない。ここにセッションの面白さがあるんではないですか!?)。私も楽しみである。

 私のやることは、若干の準備をしておくこと。後はマスターやメンバーや、この日初めて出会う人や、いろんな要素が絡み合って、どんな化学反応(核反応?)が起こることか。だから楽しいんだよね。私は悪ガキだから。ハーレクインロマンなんかみたく、筋が読めるのではなくて、何が起こるかわかんないのを楽しむ(これこそ少年漫画の原点!)。

 なので、明日も朝早くから動きます。準備はきっちりやっとかないと、化学反応(核反応?)が起こるべき時に起こらないから。その点、私は案外慎重派でございます。準備ができたらマスターには電話しておこうっと(明日のいつになるか、わかりませんが)。

 とハイな気分でいたのだが、キャリー・フィッシャーさんが亡くなった。ショックである。まだまだ年というほどの年ではないのに。私が大好きな(といっても、私以外にも大好きな人は、何億人といることだろう)レイア姫だ。(もっとも一番好きなのはルークとレイアのお母上の、パドメ・アミダラ(Natalie Portman)……それもEpisodeⅠ〝The Phantom Menace" の頃の……ですが。なんたって、毅然としていてかつ、かわゆい!それがEpisodeⅡではかわいいになり、EpisodeⅢではかあいいになってしまった……いかんいかん。あまりに私個人んのマニアックな感想になってしまった。まあ「言いたい放題」だから許されるか?)『スターウォーズ』の幕開けのキャラではないか(この頃のキャリー・フィッシャーさんは、まさに「ほんの少女」みたいに見えた)。

 後にアガサ・クリスティー原作の名探偵ポアロシリーズ(主演がまたわたしの大好きな、ピーター・ユスチノフ…この頃には年をとって、そうでなくても肥満体系だったのに、ますます肥満してしまっていた)『死海殺人事件…APPOINNTMENT WITH DEATH』(1988)のナディーン・ポイントン役で出てたりしていたけど、やっぱレイア姫なんだよね、私にとっては。

 寂しいなあ、あちらは私のことを全く知らなくても、こちらはあちらを良く知っているような気がしてた人物なのに。

 ま、ヨーダが言ってたように、「フォースが強くても死は訪れる」わけですから、しょうがないっちゃあしょうがないんですけどね。でも若すぎる(といっても60歳か……)死には、ちょっと愕然としましたね。そうでなくても、飛行機の中で心臓発作を起こして救急病院に担ぎ込まれ、容体は安定したと聞いていたもんだから。

 ヨーダは800歳でも、ルーク・スカイウォーカ―を鍛えていたんだぞ(鬼教官みたいでしたが)!もっと長生きしてほしいもんだ。

 フォースのともにあらんことを!

2016年12月27日 (火)

站桩

 先日台湾料理のマスターに教わったイカの食べ方を試した。大変上手にできたが、「オレって天才?」と己惚れたりしなかった。

 昨日Tさにいただいた一夜干しを食べた。非常に美味しかった。ごちそうさまでした。焼いている時、北大路魯山人の言葉を思い出した。こんな意味だったと思う。「魚とは不思議なものだ。見ているとなかなか焼けないが、目を離すとすぐ焦げたがる」

 で、見張りをかねて独立桩をやっていた。だいたい今の私の生活の中で、最も站桩をやる時間が長いのは、料理をしている時だ。シチューなんか作っている時は、えらい時間が稼げる。できあがって食べるころには、膝がぷるぷるしていることもある。

 ではそれ以外には站桩はやらないのかというと、やります、たまに。気分次第なんだけど。昔糞真面目だったころは、一日に何時間も立っていたんだけどね。さすがに忙しくって。だいたい站桩ってのは、どえらく集中するので、なかなか長時間はできない。

 おかげで魚を焼いていて、焦がさないためにやっているはずなのに、すっかり魚を焼いていることを忘れることがありますな(一番美味しいところを逃しちゃうので、大変な罰当たりである)。まあ私はイラちなので、そんなに時間はかけない。

 昔、一日に何時間もやっていた頃、長時間やることの利点は、嫌というほど感じたんだけどね。今だったら、食うことと、寝ることと、遊ぶ心配がなければ、また数時間は立ってみてもいい気がする。昔とは何か感覚が違っているはずだから。

 ま、健康にいいことは間違いないね。スタミナ(心肺機能的な)に不安がある人でも、問題なくできちゃうし(筋肉持久力に不安がある人は、人によっては、難しいかも。あくまで人のよってはだよ。最初から正しい状態でできていたら、筋持久力も関係ない…かもしれない)。

 ただこの站桩という稽古、肉体を動かす上でだけ存在するのではない。人生でも站桩の時期はあるんだよね。一所懸命努力しているけど、表に行動となって現れないとき。いつでも条件さえ整えば、瞬間的かつ爆発的に動き始めるんだけど、ずうっと臨界状態が続いているとき。これって、まさに人生の站桩なんだよね。

 人生での「足がぷるぷる状態」も、当然あるわけで、私なんかはここ数年、ずうっとそんな感じだ。でもまだ条件が整っていないんだろうね。こんな時は、もう分威法伏熊(『鬼谷子・本経陰符七術』)でございますよ。分威者、神之覆也。ですからな。(意味不明? 站桩と同じく、意味不明な人には意味不明でいいのです。知ると不幸になる? いやいや幸福になる? 知ったことではありません。知りたければ、私に連絡を)

 さてさて、明日も朝から忙しい…… 今晩できることは、きっちりやっとかないと。

2016年12月26日 (月)

ねむう・・・……

 午後から、わざわざ鳥取県から稽古に来られたTさんと遊んでいました。とても有意義な一日でした。Tさん、ありがとうございます。これに懲りず、またお誘いくださいね。

 おかげで久々にアトミック・カフェにも顔を出せた。マスターにまだ憶えていただいていて、嬉しかった。仕事場が遠くなっちゃったので、最近はなかなか立ち寄ることもできなかったんですね。これを機会に、ちょくちょく立ち寄らないと。

 とは言うものの、今日の天気はよくなかったなあ。土砂降りではなかったので、いくらかは助かったけど。天気がよかったら、もっとよかったのに。

 帰りがけに先日夜市のマスターから教わった、イカを使った肴を作る材料を調達した。店主の中国人男性とは、すでにすっかり馴染みであり、他の食材も購入。なんだか冬眠の準備が着々と整いつつある。(試しに明晩作ってみよう。微妙なところで気に食わなかったら、またマスターに尋ねることにしようか)

 内モンゴルからの留学生から聞いたことだが、かの地域では晩秋に学校が休みになって、一冬に食べる食材をまとめて作り、地下に保管しておくのだそうな。地下に穴を掘って埋めておくと、冬になれば雪が降って、天然の冷蔵庫になり、それを取り出して食べるのだとか。

 餃子なんかがよく作られるのだそうだが、毎日食べるとなると、さすがにねえ。(餃子も餡を変えれば、いろんなバリエーションはできるのだろうけど) ま、寒い時には水餃子が面倒でなくていいんだけどね(私はしょっちゅうお世話になってます。寒くて疲れていて、面倒くさいと思ったら、水餃子に熱燗という必殺のパターンですな)。冬は身体を温める食べ物が一番だ。

 温まるといえば、やはり鍋かなあ。材料が集まっていれば、鍋もごく自然に作る。ただし鍋はつい食べ過ぎになる傾向が強いので要注意だ(まあ「一人鍋」という時点で、もう完全に人生を捨ててますけどね)。

 とはいうものの、今日は充実してよかった。すでに快い疲労が全身を包んでいて、あとは心身ともに寝るばかりである。

ま、明日には明日の風が吹こうというもの。

2016年12月25日 (日)

激突っ!爆発っっ!炎上っっっ‼

 昨夜入った情報では、まだ確信が持てなかったんだよ。なんせ例の、某隣国海軍が、某国の潜水艦を撃沈したっていう情報があったばかりだからね。あれから話が大きくならないところをみたら、どうやらガセっぽい。

 ガセでいちいちあれこれ考えるのは、面倒くさい。ガセにつきあっているほど、暇はない。ところが今朝、新聞を読みながら、朝食をとっていて、ちょっとばかりご飯を吹き出してしまった。噴飯ものというやつだ。(お行儀悪い。といえば、新聞読みながらの朝食も、お行儀悪いっちゃ、悪い)

 某自称大国が、空母艦隊を西大西洋(西太平洋かと、最初は思った)に派遣するっていうのが、なんと岡山の地方紙にまで出ていたからだ。おいおい、正気かい? と、瞬間的に思って、吹き出してしまったのだ。

 でまあ新聞の記事を読んでみると、なんでも世界の警察を自認する国の大統領が交代するので、最初にハッタリかまそうとしての示威行動か?(このクエスチョンマークがなかなか曲者だ)という内容だった。示威行為なのか、自慰行為なのか知らないが、なかなか面白いことをするもんだ。

 俺とこは強いんだぞ!と自国民に見せつける自慰行為であるのなら、「はあ〰、ご苦労さん!」だし、示威行為ならば、その威を見せつける相手は、空母の運用に七十年以上もの歴史を持ち、かつ世界で最初に大型空母を建造した、旧帝国海軍と死闘を繰り広げた軍事大国なんですよ。昨日、今日、初めて空母を持って、嬉しくてしょうがない国とはレベルが違いまっせ。無駄っちゅうもんじゃないですかな。

 だいたい、この国初めての空母たって、どこぞの国からのお古を、カジノかなにかにすると言って買い受けたものなんでしょ。カタパルトもなきゃ、現代的な装備がついているのかどうか、はなはだアヤシイもんだ。そうでなくとも某自称大国の戦闘機は重たいんだから、はたして武装した状態で、発着艦できるのかどうか。

 カジノとして購入しただけに、艦載機の発着艦すら「賭け」だってんのなら、こりゃあもう「ウケ狙い」以外考えられませんな。おそらく、「世界の警察」を自認している某大国では、「へ? They like comedy!」なんて、始まる前から笑っている可能性があるよ。発着艦練習時などでの事故の話は、けっこう入ってきているからねえ。攻められたり攻めたりする前に、発着艦で致命的な事故が生じたら、こりゃあもう全世界に「ウケる」こと間違いなしだ。

 なんたって空母っていう船は、爆薬を満載したガソリンスタンドが、海に浮かんでいるようなものだからねえ。一つ間違えたら大惨事なんだし。最近の戦闘では、敵の攻撃に対しては、護衛艦群が応射して破壊するらしいけど、味方の航空機がぶつかってきたら、ちょっと応射ってわけにもいかないでしょ。

 軍事力ってえのは現代の世の中では、「抑止力」としての作用が大きいのではないかと思っているけど、使わない奥ゆかしさが「抑止力」の根本だと思うんだね。だから自国内での訓練で、貴重な優れた兵士(?)が事故死する分には体裁が保てるんだけど、これ見よがしに使おうとして事故死でもされた日には、メンツもクソもあったもんではないと思うよ。だって「抑止力」にもならず、自滅するって自分で証明するようなもんだもの。

 次の空母もただいま大至急建造中という話だけど、わざわざなけなしの一番艦を地球の裏側まで派遣して(きっと恥をかく。いや絶対に恥をかく。だって相手は七十年以上空母を使った実戦を続けてきた国なんだよ)、何かメリットがあるんだろうかね?

 メンツが保てればいいけど、丸つぶれってことも、ないわけじゃあないんだよ。今は宦官鄭和の時代みたく、周囲がみんな蛮族ってわけじゃあないんだから。(それよりも自損事故の危険が……)某大国の空母打撃群のような用法だって、知っていたとしても、しょせんは机の上での話でしょ。「紙上談兵」の現代版だね。

 昔々(だいたい紀元前3世紀)、韓非という天才がおりました。この人は原始法家思想を集大成したといわれる人物ですが、いいことをいくつも言い残しております。「君主が強情で、他と和せず、諫言も容れず、勝つことばかりを好み、国家を顧みず、軽々に行動に移り、自信過剰な国は亡びる」。「君主が感情的で、すぐに出兵したがり、農耕や練兵を疎かにして、軽々に他国に攻め入る国は亡びる」(いずれも『韓非子・亡徴篇第十五』)

 なかなかいい戒めの言葉でございますな。まあ歴史を正しく見ようとせず、先人の教えを軽んじるものには、明日は見えてきませんわな。(それ、明日のためのその一、左ジャブ…… ジャブもストレートもフックもアッパーも、同じように力ずくで振り回しても、なかなか効果はあがりませんわいな。丹下段平にでも師事したら?……笑)

 ま、もしも共存共栄を考えるのであれば、今時、誰かを脅したりする交渉は、あまり現代的ではないと思いますね。

2016年12月24日 (土)

むかっ!

 朝はいい天気だったのにねえ。まあ、今日くらいなら、ゆるしてやるか、って、最終的には変な天気になっていた。

 にしても落ち葉が多いですねえ。私も散らかすのが得意で、片付けるのは苦手な方だけど、あの落葉ってのはなんとかならんもんかね。植物は葉っぱを落とすことで、寒い冬を巧みに過ごせるようになったんだそうだけど、後片付けをしなきゃならん身になってみろ、といいたい。

 庭の草も、冬の元気がない時期に、ある程度は退治しておいてやらないといけない。植物はちょっと保護したら調子に乗る。植物も私が認めた領域から1㎜も出さないようにしないといけない。

 とまあ、冬だから強気な発言をしているが、これが春から夏にかけてだと、ほんの数日家を空けただけで、あっという間に境界線がわからなくなる。まるでどこかの国のようだ。

 我が家の庭には国際問題はないから、私が発狂すると、境界線を越えた植物は、巨神兵が口から謎の光線を吐いたようになる。そのあとはゴジラがダンスを踊っているように、私が稽古すればお終いだ。(練習量が増えていい、という長所もある)

 とうとう今日から冬眠の準備を始めた。私の場合は、熊的な冬眠なので、冬眠中のおやつが必要だ。これに対してヤマネやリスなんかは仮死状態になるので、おやつは不要である。ちなみに私の最大のおやつと言えば、お酒とおつまみである。

 冬は買い物に行くのも面倒いからねえ。とくにお正月なんかは、年賀状の相手をするのも億劫なくらいだ(そのわりに、元旦からジョッグしてたりするけど)。こういう時は、早々と熱燗でもかっくらって、ひっくり返っているのが一番だ。

 しかしながら問題がある。正月くらいTV番組が面白くない時期はない。タレントのみなさんも、せめてお正月くらいと、お休みになっているのだろうかねえ。わたしは普段見れていないDVDに没頭する(たいてい途中で寝ている…冬眠と呼ぶ謂れ)。

 でも基本、じっとしているのが得意な方ではないから、なんやかやごそごそしている。年末の大掃除で、可能であれば本格的な稽古が再開できる形にしたいんだけど、これも「できたらいいなあ」程度の漠然とした願望でしかないから、どうなることだろうか。

 休みって、どうして起きなきゃいけないんだろうか?と、ふと思う。一日中寝てたって、完全一人暮らしだから、誰に怒られるわけでもないし、寝ているだけなら、かなり経済的な生活なんだけどねえ。

 どうしても動きたくなってしまう。基本、貧乏性だと、我ながら呆れている。

 これに対して12月は、お年よりの外出が多い。12月になったその日から、なぜかしらわらわらとお出ましになる。一番困るのは、車のノロノロ運転だ。ついでに駐車場でのトラブル(なにしろ車両感覚が……)。こちらはけっこう急いでいるのに、われ関せずだ。

 そして1月になった瞬間から、お年よりの外出は、パタッととまる。不思議だ。

 それはさておき、今日、我が家の近くのスーパーで、とても嫌なものを見た。老人(男性)が買い物をしていたのだけれど、レジのところで、自分はレジを離れている。店員の女性が一応勘定をしたのだが、買ったものを「ここへ持ってこい!」と、完全に命令口調である。

 店員さんもいい気はしなかったろう(傍で見ていただけの赤の他人の私でも、むっとするような言い方だったくらいだから)。でもにこにこしながら運んでやっていた。それから「金を取りに来い!」とまたしても命令。

 ついでに荷物の積み替えを、これまた別の店員さんを呼びつけてさせるしまつ。なんで命令口調なんだろうねえ? 不思議でしょうがいないよ。別に身体が不自由そうでもない。腰も曲がってなけりゃ、買い物をしていたときなんかは、好き放題に歩いていた(私はちゃんと目撃していた)。腰が「く」の字以上に曲がっている人でも、自分でできることは自分でやろうとしている人がほとんどなので、よけいに腹が立ちましたな!

 まあ高齢の男性のお客さんの中には、マイルールを持っていて、店員さんに無理難題をふっかける人がいると聞いたことはあるけれど、何かをしてもらう時は、「お願い」でしょ。人に何か頼むときには、頼み方ってものがあるでしょ。

 ここまで偉そうに他人に命令できるのだから、どんな高貴な人かと思ったら、こ汚い、ただのクソ爺だった。でも店員さんがプロに徹していたから、トラブルには発展しなかったけど。みんな修養を積んでいるんだなあと、思いっきり感心した。

 ま、せいぜい私はこんなクソ爺にだけはなるまいと、思いましたね、実際。

 落ち葉は地面に落ちて、次の世代の肥料になるもんだけど、こんなクソ爺は、迷惑にはなっても、肥料にはなりそうもない。

 そうそう、だいぶ前になるけど、こんなクソ爺がいたっけ。あの時は私に見当違いの命令したので、最初は優しく拒絶した。なんど優しく拒絶しても、しつこく命令してきたので、最後は大音声(ほとんど気合の世界)で「お前は日本語がわからんのか!」と怒鳴ってやったら、ようやく諦めた。年をくってさえいればエライんだったら、三葉虫の化石や、ストロマトライトの方が、はるかにエライわい!

 相手が自分より若ければ、どんな命令でも聞くなどと考えている老人に対しては、敬老精神は発揮しないのが私流だ(そんなことを言っても、普通はけっこう親切にするので、見知らないおばあちゃんに両手を合わせて拝まれたことも何度かある。私はまだ生きているので、両手を合わせて拝むのはやめていただきたい…笑)。

2016年12月23日 (金)

存在としての平等

 昨夜、練習が終わったあたりから、なんとなく寒くなりそうな感じだったんですよ。で、今日はまあ、いつもくらいの寒さかなあと。(たらたらジョッグしてたら、汗もかかなかった) だいたい変な練習をするから、あまり人目につかないように、ひっそりとやったり、暗くなってから始めたりするもんで。

 時々、親切に尋ねてくる人がいるんだね(若い人はいない。たいていは中高年の人)。「何をやっているんですか?」なんて。「それ、身体にいいんですか?」 う~ん… 答えようがない。わかる人には分かるけど、わかんない人には(きっと)さっぱりわかんない。

 一度、私の知り合いで、私と同年輩の奴が尋いてきた。この時折あしく、私は最高に集中していた。集中を乱された私は、当然不機嫌だった。「何やっとん?」 「聞いてわかるものとわからないものがある。まずはやってみたら?」 見事に不機嫌な答え方である。

 もっと酷いのは、やってみてもわからないことだってあるのだ。さらに訊いても、ますますわからなくなることだってあるのだ。

 人間何がつらいかと言って、わからないから尋ね、尋ねたのにちっともわからなかったり、訊いたのに、ますますわからなくなってしまうことだ。

 昔、私が超重たい砂袋を、口笛吹きながら、華麗に(本人はそのつもりだった)フットワークを使いながら、どっかん、どっかんと殴っていた。私がいないときに、それを見ていたんだろうなあ、赤の他人が真似をして叩いたら、骨折しちゃった(こんなことが何度繰り返されただろうか?)。

 存在としての人は平等なのかもしれないが、私が口笛を吹きながら、フットワークを使い、軽々と叩けるようになるまでに、どれほど鍛錬したと思っているんだ? 努力だって平等にしなけりゃ、できないことはある。結果が平等なんてことは、絶対にないのだ。

 で、他人から「ああですか?」「こうですか?」と訊かれるのが面倒いので、たいていは私は一人で人目につかないように、こっそり稽古したり、練習したりする。どうせ興味本位で、私が取り組んでいるほどの情熱はないんだろうし。

 なにしろ情報過多の時代。放っておいても情報がはいる。訊けばすぐにわかるように教えてもらえる、なんてお考えの方も、決して少なくはない。そんなに簡単だったら、飽き性の私のこと、何十年も続いてはいませんよ。簡単ではなかったから、長続きしているのかもしれないんだから。

 だいたい私がついたお師匠様なんて、ほとんど具体的なことは教えてくんなかった。全部「自分で見つけろ」だった。私にはそれがよかったんだけどね。なにしろ放っておいても、自分が進みたい方向に行ってしまう人間だから。「ああせい」「こうせい」と型に嵌められるよりは、はるかに気楽だった。

 もちろん不安はあったよ(今でも)。でも縛られるよりははるかによかったと思っている。だから私が自分の師匠だと認識している方は、みんな縛らない人だ。目的地や、進むべき一般方向は教えてくれても、そこに行く道については、一切語らない人たちだった。

 私みたいな我儘者には、こういう人がよかったんだろうなと思う。そして驚くべきことに、こういう指導をしてくださる方がいたことだ。師匠の一人はかつて仰った。「結果が出てるんだから、いいんじゃないか」 ずいぶん励みになりましたね、この言葉は。

 旧帝国海軍の山本五十六元帥は、後輩を伸ばすことについて、「やってみせる」「やらせてみせる」「できたらほめてやる」と仰ったそうだが、まさにこういったお師匠さんだった(まだご存命の方もおられるので、過去形では言いたくないけど)。

 実績を十分に積んだお師匠様だったら、私はこういうタイプが好きだ。実績もないのに、口先だけ巧い人だったら、まずは警戒するか、最初から近寄らないようにするけど。

 今年もあと僅か。皆さんは、いい出会いはありましたか?

2016年12月22日 (木)

逃避行動

 ど、ど疲れた。平仮名で書くとよくない。どつかれたとなって、意味が変わる。

 昨夜の「訓練」がよく効いていて、筋肉痛である。だがまだまだOKだ。翌日筋肉痛になる間は、まだ肉体的には若い(はずだ)。精神的には、まだ幼いはずだ(??)。

 昼過ぎてから、しとしとしょぼんという雨に変わった。さっきまで動いたらすぐに汗が出るくらい、暖かかったのにねえ!(っと、まだ私がいる部屋は20℃オーバーである。もちろん暖房などしていない)

 まあ動いてすぐに汗が出るってことは、まだまだ若い若い。エンジンがかかりやすいということなんだから。(そのわりには、お腹がふくよかを通り越して、ぶくよかである。何故だろう?)

 現役復帰するつもりはないから、別に体重なんか考える必要はないのだけれど、生活に不自由しない体型でさえあれば、たいして文句はない。(おなかが出ると、靴が履きにくくなります。だいぶまえ、妊娠中の女性に、「あなたの苦しみがわかった」と同情されたのは、心がメゲました。同情されなきゃならんほど出ているわけではないんだけど。まだジャンプだってできるし…到達高度はさすがにだいぶ落ちた…、やる気になればまだ飛び蹴りくらいはできそうだ。後が怖いけど…肉離れとか)

 雨が降るということは、お天道様は、「今日は休養日だぞ」と言ってくれているのだろうけど、これから夜の練習である。いつものとは少々趣が異なるが、それはそれでけっこう効く練習なわけで、金曜日は一日中きついのが毎週のことだ(よく眠れるよ)。

 幸い、今上陛下のおかげで、今週は金曜日は心行くまで寝てられそうだ(それでもよく、浮世の義理でたたき起こされたりするのだが)。明日、心行くまで朝寝坊するために、今晩はしっかりと頑張っておこう。ただし、あまり疲れすぎても、寝られないものだけどね。

 夏ならどっぷり汗かいたあとは、冷たいお茶とかジュースなんだけど、先日Fさんからいただいたミカンを食べた。これがめちゃ旨かった(Fさん、ありがとう!)。ちょっと嵌ってしまいそうな感じである。この冬は、汗をかいたら、ミカンにしようっと!

 不思議なことに、この汗をかいた後に最も好ましいものというのが、毎年のように変わる。基本的に好みの味覚はさほど変化していないのだけれど、実際に摂取したいものがどんどん変わるのだ。

 きっと体調が変化しているんだろうね。で、一番身体が欲しがるものが変わっているんだろう。まあ、身体が欲しがるものは、身体に不足している可能性があるので、素直に身体の反応に順うしかない。あまり高価なものはダメだけど。

 その時自分が一番やりたいことが、(きっと)その時に一番、自分のためになるんじゃないかなあ、なんてことをゆるゆると考えているんだけど、そうすると学生時代、試験前になると何故かギターが弾きたくなったりしていたのは、よかったのだろうか? 

 いいはずがないよね。これはただの現実からの逃避行動でしかなかったみたいだ。片付けしてても、そこに投げ出していた本をひょいと手に取ったりしたら、なぜかしら面白く感じてしまって、まったく片付けにならなくなる。これもたぶん逃避行動なんだろうね。

 身体が欲するものと、単なる逃避行動と、なんとなく見分けられそうな気がするけれど、時々逃避行動中に、けっこういいものが見つかったりして、現状を打破するきっかけになったりするんで、逃避、逃避と貶してばかりもいられない。

 ということで、今年も逃避行動をしたくなる時期がやってきました。片付けは、やだなあ……(散らかすのは得意だけど。ほとんど子猫レベルで)

2016年12月21日 (水)

冬至

 暖かい冬至の日ですな! でもゆず湯には浸かるよ。なんたって、柚子が余っているくらいだから、使わなきゃ悪いみたいで(本当は、みんな食材にして、食べてあげたい)。

 今日こそ天気が下ると思っていたら、なんと昨日深夜から濃霧! これじゃ晴れないわけにはいかないね、と思っていたら、昼前から「何、この穏やかな好天は?」と思うくらい。おかげで今日は夕方久々に「訓練」をしちゃった。

 するとどうでしょね? 身体が気持ちいいのなんの! 所詮はこういう身体なのだ。誰がこうしたのかな? 間違いなく、私自身です。おかげで真っ暗になっても、まだやっていた。次回から懐中電灯は持っていくことにしよう。

 ってえのは、こちらの目は安順応するから問題はないんだけど、他の人に私の存在がわかんないもんねえ。そうでなくても黒っぽい服着て、怪しげな動きをしてるんだ。足音なんか立てたら、自分で腹を立てるくらいだから(基本、ただしい摺り足では、摺る音すらしません)。

 とうとう犬にも吠えられないように、夜の練習になっちゃった!(泥棒の練習をしてるわけじゃないよ。正しく古典的な武道の練習をしているだけ。でも人様は気がつかないらしいし、散歩の犬には吠えられるし。昔から犬、猫なんかには好かれるタイプだったのにね~)ま、時々とんでもなく速く動こうとするから、動物に嫌われてもしかたがないか。

 ちなみに突然予測がつかない動きをするのは、動物にはよくないみたい。だからよく幼児が犬に吠えられたり、噛まれたりするんだよね。動物だってびっくりするんだろう、きっと。で、気がついたら噛んでいた、ってところではないだろうか。

 しかしながら夜の練習も悪くはないね。昔の勘が戻る(学生時代は、道場から帰宅したあと、ランニングをしてたりしたもんで。もともと私は、深夜型の人間らしいし)。寒くない日には、深夜の練習もいいのかも。他人様に見られていないという安心感は、大胆な技への挑戦も可能にしてくれるかも?

 ただ誰もいないからと、武器術などをやっていると、時折おまわりさんの興味を喚起してしまうことがあるようで、あれこれ尋問されることがある。これは面倒くさい。世の中、お巡りさんが持っている知識を超えるようなものは、いくらでもあるんですからね。

 まあ、私は平和主義者なので、めったなことでは人様に危害を加えることはない。(あくまで専守防衛です)これはもう、信用していただくほかない。ただ我が家の庭でも広さが足りないような練習では、屋外で行うしかござんせんもんね。

 とはいうものの、今日は一年で一番、昼が短い日らしい(表向きは)。明日から昼が長くなるのかと思うと、やはりどことなく楽しくなる。地軸が好転面に垂直な線から23.4度傾いているおかげで、いろんなことが起こるし、いろんなことが考えられる。

 世の中、面白いと思えば、面白いことのネタは尽きない。

2016年12月20日 (火)

片付くものと片付かないものがある!

 崩れると思っていた天気がもって、いい感じだったので稽古した。

 この季節、軽いジョッグくらいではなかなか汗もかかないのだが、稽古ともなると集中が違う。汗みどろになってしまった。精神を研ぎ澄ますだけで、汗が出てくるようだ。

 まあ、ふだんはのんべんだらりとしているので(車に轢かれないように、注意しなければ。昔私は、歩いているだけで電柱に激突した経験がある。電柱は強いよ。特にこちらの意識がないときには!)、こういう時間は必要なんだろうと思う。

 できたら朝、昼、晩の三回にわけて、こんな密度の高い時間を過ごせたら、と思うのだが、なかなかそうもいかない(夜はやらない。夜はお酒を、ゆっくりと味わうのが大切だ)。昔ならやったかも知れないけれどね。浮世の義理が許してくれない。とほほほほ…

 我が家の練習場の計画は、ちょっと進んだまま停止してしまった(それでもだいぶ稽古も練習もできるようになったけどね。次の段階の青写真は、頭の中にできつつある)。もう一歩すすめたいのだが、いろいろと忙しかったり都合が悪かったりと、前に進まない。それにはまず、ある程度は片付けないとね。

 ところが私は、片付けは苦手ときている。だいたい今はやりの「片付け」などというものは、信用していない。間違いなくあの人たちの片付けの発想だと、私の家でやられたら殺し合いになる(だいたいあんな発想だと、古武器の値打ちなど、ないも同然と判断されかねないから)。捨ててはならないものが山盛りあるし、あんな発想では見落とす重要なものが、いくらでもある。

 流行の「片付け」の発想は、その場に数年しか住まないのなら、あるいは適しているかもしれない。だが腰を落ち着けて何かをやろうとすれば、ただ片付いていればそれでいいってもんではない。

 一見不要に見えるものが、どれほど重要なものかを知らない人は、あれでもよい(それだって私に言わせれば、それぞれのモノが持っている意味を知らないからだ、ということになる。ただ捨てればいいというのは、私に言わせれば「未熟者の傲慢」ってことになるし)。たとえば社会でも、一見不要に見えるものが、実は非常に重要な働きをしていたりする。それに気づかないような人は「ああ、片付いた」で済むかもしれないけれど、棄ててしまったり、燃やしてしまったものはもとには戻らない。

 もちろん捨てていかなければならないものはある。しかしながら熟慮が必要だ。なくしてしまってから後悔しても、もう遅い。ゴミ屋敷にならなければ、それでいいんじゃないか?

 それでも片付けなければ、練習場がなあ……という問題に直面して、なんとか隙間を確保するために、誓いうちに頑張らねばとは思っている。(車庫の中に置いていた練習道具を、休眠状態から臨戦態勢にもっていかなければ) こうなると、ますます時間がなくなるよ。

 片付けで時間がなくなり、練習(訓練? 鍛錬かも?)でますます時間を取られ、おお、一日が50時間は必要だ。

 と思っていたら、2、3日先だと思っていた商品が、ついさきほど届いた。日本の宅急便の優秀さったらないね。キキが空飛んで持ってきてくれたのか(カラスに邪魔されず。ちなみに我が家の近所の山には、カラスが多い。果樹園が多いから仕方ないのだろうけど)と思うほどの速さである(年取ったおじさんのキキで、ジジはついてきてなかった)。

 おかげで、急ぎの仕事に、ますます拍車をかけなければならなくなってしまった。これを打ち終わったら、今夜はそちらで忙殺されるはずだ。ああ、一日がせめて50時間はほしい! でないと、寝る時間がなくなる!

2016年12月19日 (月)

当ったり前!

 今日は比較的暖かかったので、油断して冷酒なんぞを呑んでいたら、気がついたら寒かった。やはり冬は油断せず、いつも熱燗にしておかねばなりませんな。

 今晩は身体のバランスを診てもらっていた(もちろん矯正も)。おかげで今のところ絶好調に近い。飛び後ろ回し蹴りの十連発から胴回し回転蹴りくらいはやれそうな気分だ(気分と実際にやれるかどうかは、必ずしも一致しない)。

 あるときフィギュアスケートの女性と(美人だったなあ。たしかSさんと言ったっけ)一緒になったとき、彼女がフロアシューズで、体育館の床の上で軽々と三回転ジャンプをしたのを見て、内心こんなのできるわけないと思いながらも挑戦し、二回転(不十分!)もできないで尻餅をついた経験があるので、「できるかも」「できるはずがない」「やっぱりできなかった!」の次元の違いは、嫌というほど知っている。

 いやあ、やっぱり本職は凄い。本職に、その本職では何も言えねえ。言うこと自体失礼にあたる。このシーズンのオフの時、お邪魔しようかと思っていたんだけど、お互いのシーズンとオフが真逆なので、お邪魔できず、実に残念だった記憶がある。

 自分がまったく知らない競技って、ずいぶん勉強になるんだよね! もちろん知っている競技だって勉強にはなるんだけどさ。まったく知らないことって、見るもの聞くモノ、なんでも珍しいし、「へ~っ!」、「ほ~っ‼」の連続なんだよね。

 最終的には「力学の法則は同じだ」というところに行きつくんだけど(武術の場合にはこれに、生理学とか心理学とかが絡むことが多い)、それでも応用の仕方が、専門種目が異なれば、かなり違うことが多いんだよね。

 私は昔から、スポーツと武道の二股人間だったので、どちらもすごいな~って人は、本当に凄いな~って思うばかりで、何を見ても勉強になることばかりだったよね。おかげで今の自分がいると思っているくらいだ。

 まあ自分の周囲の見慣れたものでも、どこまで知っているのかと言われれば、ほとんどのことはわかっていないんだけどね。たとえば私が業を煮やしている雑草だって、全部の正確な名前が言えますか? 

 無理です、はい。いつも見ているものほど、いい加減です。「草」、「くさ」、「雑草」、「ざっそー」…知ったことか!(真面目に調べた時代があるけど)

 でも「あたりまえのことの中に、あたりまえでないことがある」のが普通なので、幸いにして毎日飽きが来ない日々を送らせていただいております(今やっている稽古でも、同じことが言えるかな?)。

 さてさて、明日はゴミ出しの日でございまして、この嬉しくもない当たり前のことの準備をしなくちゃなりません。また明日も忙しくなるかも。

2016年12月18日 (日)

立場が人を作る……?

 大相撲で、稀勢の里関の処遇が問題なのだそうである。私的にはずいぶん前から、横綱級の実力の持ち主だなあと思っていたのだが、なにしろ取りこぼしがある。「あ~あ」という溜息を、人知れずついた一人に、実は私も入る。

 私の個人的な意見では、来場所の成績次第では横綱を、と思うくらいなのだが、まったくの部外者である以上、私が何か言ったところで、誰も聞いてはくれまい。しかしながら、立場は人を作ると言いますから、稀勢の里関も、横綱になれば、取りこぼしがなくなるんじゃあないかなと、きわめて楽観的かつ希望的な観測をしております。頑張れ稀勢の里関!

 ところで南シナ海で、3mもある大物を捕まえた、某国の海軍があるらしい。なんとこの大物、金属製であるばかりか、アメリカ合衆国の持ち物だと明記してあるのだそうな。なんらかの方法で返還されそうなのだが、捕まえた直後は「返せ!」と」いう呼びかけを無視したらしい。

 なかなかやるね……なんて私は感心はしなかった。まるで火薬庫か花火工場を、くわえたばこで歩いているような感じですな。ノーベル平和賞をもらっただけで、目だった行動をしなかった某大統領を舐めきっているんだろうけど、人間って、あまり嘗められると、突然切れたりするんだよね。

 すると「あのおとなしい人が!」なんてことになる。もちろん世界の警察を自認する某大国の大統領だから、そんなに簡単にブチ切れたりはしないだろうけどね。でも舐めるにしても、もう何回小ばかにしきった行動をしたんだろうかね。ホトケの面も三度までという言葉があるように、どんな人格者でも、限界を超えれば切れるよ。レームダックとかなんとかには関係なく、ね。

 考えようによれば、残り僅かな任期だったら、やりたい放題をやって、あとは「知いらんぺっと」、というように逃げることだって、不可能ではない。私の言葉で言えば、「立つ鳥跡は泥だらけ」という奴だ。まあ出来の悪すぎる悪子みたいな真似を、大国を自認する国家がやるのは、いかがなものかと思う。それとも精神年齢が、ちょっと若すぎる(幼すぎる?)の?

 考えが足りない人々の中には、ちょっとばかし自分が有利になったと思うと(思い込みという誤解も含む)、やたらと態度がビッグになって、躓くと木っ端みじんにされて、そうなると卑屈なほどぺこぺこする奴がいる。基本私は、ペコペコしすぎる奴は信用しないが、ペコペコしすぎる奴はだいたいにおいて、立場が有利になると、態度がビッグになりすぎる傾向があるからだ。

 まあちょっと有利(そう)に見えたら、でかすぎるほどの態度でえばって、躓いたら卑屈になるやつなんてえのは、精神的に未熟なことは間違いない。なぜ精神的に未熟なのかというと、必要とされる経験と智性を持ち合わせていないからだ。ではなぜそういったものがないかと言えば、正しい教育を受けていないからだ。

 こうなると、必ずしも立場が人を作るとばかりは、言ってられないみたいですな! ま、賄賂次第でいくらでも昇進できるとしたら、精神的な成熟とか実績は、二の次にされますわなあ。そんなことより、表向きに派手なパフォーマンスばかりを追求するようになるし。

 目立ちたいために、奇矯な外見をするのと、わりとよく似ておりますな、根本は。(でも表向きが目立っても、気立てのいい人がけっこういるのは、私は何度も目撃してるんだけどね、わが国では。時に感動して泣きそうになったこともあるくらい)

 ま、どうでもいいけど、わが国の近所で、しょうもない騒ぎを起こしてほしくはないね。騒ぎを起こしたくて仕方がないらしいけど。少なくとも現在の我が国は、世界でもっとも平和を愛する国の一つ(のはず)なんだから。もちろん私も、人一倍平和を愛している(はずの)一人ですけどね。

 もっとも私個人は、喧嘩は売られても、できるだけ避けるけど、堪忍袋の緒が切れたら、かなりとことんやるタイプなんですけどね。基本「専守防衛」ですから(『墨子』もよく読みましたし)。守るに際しては「墨守」でございます。

 ということで、天候にも恵まれた今日は、かなり飽き果てるほど稽古できて幸せでしたね。昨夜のお酒のおかげで、睡眠時間は十分だったし。「武」とは「戈を止めるもの」なんだからね。

2016年12月17日 (土)

けっこう忙しい

 寒うございますな! 午後四時を過ぎる前あたりから、かなり大胆な気温低下を感じましたが、こんばんは「呑み」でございます。身も心も温まるようなお酒になるとよろしいですな!

 冬には温まるような酒、夏には涼しくなるような酒ってのが嬉しいところですが、すべてに大切なのことは「準備」でございまして、準備に手間暇がかかるのは、致し方ないところです。準備が万端なら、8割がたは成就したようなものですから。

 ということで、マスター、今晩もよろぺこね! いつもいつも面倒ばかり言ってごめんなさい。

 帰宅後は何もしたくないので、帰宅してからしなければならないことも済ませておきたい(全然、すんでない)。いつも時間に追いかけられる人生ですが、今日もかい?って感じです。

 しかも次第に寒くかっており、私の中ではすでに半分「冬眠したい」という欲求が起こっております。寒い時は寝るのが一番。寝てるだけでも基礎代謝でカロリーを消費するから、ダイエットもできます(体力は低下するけど)。

 さあ、今日も飲むぞっ!

 吞む準備だけでも、意外に忙しいもんだ。

2016年12月16日 (金)

適材適所?

 寒いですね。熱いコーヒーを、美味しさよりも、マグカップを持つ手が温もりを喜んでおります。とうとうこんな季節になっちまったんだねえ。……やだやだ。

 こんな寒さも「楽しむ余裕」がなけりゃならないんだろうけど、今の私にはそんな余裕はない。せいぜい熱燗と、暖かい食べ物を作るくらいしか能がない。(おかげで口の中を火傷して、痛い……涙)

 帰宅後、身体がまだ暖かいうちに、水槽の水替えをやらかした。いったん動くのを止めると、二度と動く気にならないからだ。ついでに試力、試力、試力…… いやあ、人間はその気になれば、すべての動きは試力だなあ。(昔は、「すべての動きはプライオメトリクスだ」などと言っていた時代があった。求めるものやレベルによって、ずいぶんと認識は変わるものだ。プライオメトリクスの時代には、そこそこの成果があったので、無駄ではなかった。最近は試力をやっていても、身体が勝手に他の動きを始めちゃうんで、「もう勝手にしろ」と自分の体には言っているが)

 寒いので、暖房が効いた部屋で稽古できるとありがたいんだけど、なかなかそうもいきませんわな。昨日なんか釵を使っていて、袖が引っかかって回らないんだよ。お笑いだね。困ったもんだ。釵を使うには、袖は短い方がいい。

 長袖善舞、多銭善賈といいますが、釵に関する限りは、袖が短い方がいい。(長い袖は、手品にはよさそうだけど)物事には、もっともふさわしい服装なり環境なりがありますね。それを外れると、あまりいいことにならないようで。

 相応しいところに、相応しい人材が配置されることを、「適材適所」とかいいますが、案外世の中、適材が適所にいなかったりするわけで、こうなるとその集団の活力は、かなり低下いたします。活力のない集団は、とても弱いわけで、たとえば我々人間の身体であっても(これも無数の生物が集まって作った集合体とも言えなくはない)、免疫力が低下したり、抵抗力が弱くなったりして、疲労しやすかったり、病気にかかりやすかったりいたします。

 組織や集団でも同じようなもので、活力が低下すると、組織や集団の命脈が…… でもいつも活動的であれと思っても、やはり休息も必要なわけで、上質な休息を上手にとらなくてはなりません。

 ところがこの休息というやつ、かなり上質な活動を適度にやっておかないと、質的に低下しちゃうんですな。だから今日もやりましたよ。水替え後で、手が冷たかったけど。少しやり足りない気がするので、入浴前にも少々やっておこうかと思いますけどね。

 でも寒いとやだなあ。寒さの方から、動きへと集中力が移るのに時間がかかっちゃうからね。暑すぎ、寒すぎはこういうつまらないことで時間をとられるから、嫌いなんだなあ。とはいうものの、ブー垂れてもしかたがないから、取りあえず今日のノルマをさっさと済ませるべく、もう一台のPCの方に移動いたします。

※ 明日は12月の『○○を語る会』でございます。すでにいくつか材料は準備いたしました。明日は朝から、準備物をそろえに動きます。まあどうなることか、お楽しみに!

2016年12月15日 (木)

適度

 せっかくいい天気だったのにねえ。どうして昼過ぎたら天気が悪くなるの? 不思議に思いません? 朝は穏やかないい日よりなのに、午後になると風が出て、雲が出やすくなるなんて、ねえ!

 ついでのように、この冬なのに「雷注意報」だってえ? まあ雷が発生するのに、季節は関係んだけどね。一定の条件さえ整えば、真空に近い条件でも発生するし、火山の噴火で雷が発生するなんてのは、もう常識だし。

 ただ岡山には火山はないはずだし、基本「晴れの国岡山」ですからねえ! 晴天の霹靂って言葉もないわけじゃないけれど、たいていは夏の話でしょ? 夏は一般的に、天気が急変してもしかたがないと、覚悟はしてるけど、冬空の急変は、あまりなかったことだよねえ。

 温暖化? もう温暖化なんて言葉、あまり流行らないよねえ。地球の平均気温が今よりも暖かかった時代だって、今まで何度だってあったわけだし(大まかに温暖期と寒冷期と二つに分けると、現代は寒冷期、しかも氷河期なんだそうな……ひええええ。どうりで寒い筈だ)、とりたてて温暖化ってほどのもんじゃないのかも知れない。

 でも凡人の私からみれば、暮らしやすいのが一番だ。寒冷期だろうが温暖期だろうが、自分にとって一番暮らしやすいのが一番!ちょっと動くと快適な汗がかけて、寝苦しくない程度の暖かくて。でもちょっと休んでいると、涼しかったりして。だいたい私の場合は20℃前後かなあ。もう少しは高くてもいいかも(暖房は20℃設定です!)。

 まだ今くらいだと、少し動けば汗をかけるけれど、休んだらすぐに冷えるからね。だから風邪ひいちゃうんだし。着替えは頻繁にというのは、動く人間にとっては、夏も冬も同じだなあ。おかげで洗濯が大変なんだけどね。

 すると夏は洗濯物が乾きやすく、冬は乾きにくい。こと洗濯に関する限りは、夏の方がいいのかも(けっしてすべての面で夏がいいと言っているのではありません)。

 気候区と、人の平均寿命の関係なんてデータ、あるんだろうか? あったら見てみたいね。日本の場合は、県ごとの平均寿命とかのデータはあるみたいだけど。快適な気候と寿命との関係がわかったら、きっと人々の生活にも、なんらかの影響が出ると思うよ。(まあ、快適と感じる条件には、多少個人差があるだろうけど)

 食べ物と寿命とか疾病とかのデータは、よく話題に上りますね。中には、「○○を食べると死ぬ」とかいう怖いコピーがあったりするけど、人は何を食べようと、必ず死にます。ただ寿命が長くなるか短くなるかに影響があるかもしれないけれど。

 何を食べても必ず死ぬのなら、せめて美味しいものを食べていた方が(経済的に許される範囲で)幸せです。ただできるだけ長いこと食べていたいので、そこはそれ、健康状態との相談になりますね。

 甘いものが大好きだからってんで、甘いものばかり食べて糖尿病にでもなろうものなら、一生の間に食べられる甘いものの量は、普通に暮らしていた人の方が多くなったりするんじゃないかな(そうでもないか?)。

 お酒も、長くお付き合いしようと思ったら、適度な量と、適度な運動と、適度な睡眠と、適度な…… 適度なのが一番なんですね。なかなか難しいけれど(私の場合だと、二日酔いになるほど飲むことは、ほとんどない。あっても年に一度か二度。その代わり、毎晩飲んでいるけどね)。

 おお、そうだ。今TVで口走っている! この季節はそろそろ牡蠣ですな!(とは言え、今さっき食べたのは、干し柿。同じカキなんだけど、かなり味わいが異なるね。互いにそれなりの旨さがあるけど)

 決まり! この土曜日の『○○を語る会』のお土産は、牡蠣にいたしましょう! すでに私の牡蠣の食べ方を知っている人は、もうご存知ですね。へっへっへ…… 土曜日は朝から忙しいかも…… 

 忙しさは、適度じゃあないね……

2016年12月14日 (水)

寒いよっ!

 ひょ~、寒っ……

 昨夜の予想通り、見事に気温が下がりましたね~。風もそこそこ吹いたし。冬だ、冬だ、寒い冬だ! ということで、一所懸命やったつもりだけど、今日は大変不満な一日になってしまいました。計画通りに物事が進まないと、人は機嫌が悪くなりますね~。

 寒さと不機嫌とが相乗して、めんどくさいから茸鍋に餃子をぶちこんで、熱燗で流し込んで少し理性を取り戻しましたよ。人は暑すぎても不機嫌になるけど、寒すぎてもやっぱり不機嫌になるもんなんだよね~。暑さ、寒さを楽しむほど、まだ心に余裕が持てない。

 あんまり寒かったので、帰宅するやいなや六尺棒を取り出して、エイヤって。ついでにことに、昔懐かしい稽古をしばらくやったら、身体が温まって、少しはやる気になった(すぐに失せたけど)。

 室温は昨夜の同じ時刻に比べると4℃ほど低い。しかも夕方から好天である。誰が夜になって晴れろといったのだ? これじゃ放射冷却とやらで、寒くなる一方じゃないか。あとは冬眠するしかない(場所を選ばないと、凍死する!)。

 ということで暖房を入れたら、まだ蚊がいやがんの! 蚊のために暖房入れたんじゃない。絶対に今夜中に殺してやるからな!(何度も言うけど、私は蚊という生物の、自然界での存在価値を一切認めていない。ただの伝染病を持ち運ぶ、吸血寄生虫だとしか認識していない)

 私が蚊に対して、「殺してやる!」と喚いても、これはまあ罪がない(?仏教的には、あるのかなあ? でも私は仏教徒ではないし。そんなに悟る気は、生涯ないし)。無邪気?なもんだ??? でもちょっと前に流行語大賞にノミネートされた「日本死ね(氏ね?)」はいただけないよね。

 人に「死ね」と言われたことがある人ならわかると思うけど、あまり気持ちのいい言葉ではないよ。べつに「死ね」と言われなくても、人はいずれ死んでいくものなんだけどさ。

 それをまた、にこにこ顔で受賞の場に出ていく人もいるんだから、あきれ果てるよなあ。しかも国会議員さんなんでしょ? 最近は常識のないやつが国会議員やってんだなあって思ったよ(まあ、二重?国籍の人の党なんだそうで、類は友を呼ぶってやつなのかも)。

 国会議員さんて基本的に、日本をよくしようと思ってなるんじゃないの? 日本死ねと思って立候補するんだったら、是非前もって公約に掲げてもらわないと。そうすればたぶん落ちるから。間違っても私は、日本に死んではほしくないし、もっともっと発展して、いい国になってもらいたいと思っているからね。

 っとここで先ほどから私の周りをうろちょろしていた蚊が、とうとう私の手によってぺっちゃんこになった。ざまあカンカン。冬の蚊なら冬の蚊らしく、せいぜい天井に張り付いているか、それとも大人しく土に還ってなさい。人の手を煩わせるんじゃないっ!

 まあこの「日本死ね」がきっかけになって、流行語大賞なるものが見直されることも、必要かなと思いますね。某企業がバックについているみたいだけど、ひも付きのこういったイベントは、えてして客観性よりも宣伝性の方が優先されるから。

 だいたい無理してまで毎年、流行語を選ぶ必要なんてあるの? 何年かに一度でもいいだろうし、優れた流行語が多数現れた年には、一年間に大賞がいくつも出てもいいような気がするね。無理して毎年一つ決めようとすれば、つまらない言葉が選ばれる年だってあるわな。

「該当作なし」なんて選択肢もあるよね。善意の審査を行えば。無理してまで毎年大賞を選ぼうとしたら、どうしても質的な低下が起こるだろうし。

 昔々、仲良しのペットショップの主人に嵌められて(いつものKさんではない)グッピーを使って遺伝の研究をする傍ら、ついでだからとブリーディングに凝ったことがある。するとグッピーという奴には多産系のがいるらしく、どえらい数になってしまった(数千匹のオーダーではなく、万を超えていた!)。

 しめしめ、これは金儲けになる…と考えないのが、私のお間抜けなところだが(「売ってあげる」と申し出てくれたショップもあったが、私の方からお付き合いを断った。それ以降、そのショップには一度も行っていない。我が家から車で数分の店だけど)、じつは畏友Kさんから聞いていたのだ。

 プロのブリーダーってのは、ニーズに応えられるだけの生産力を持っていなければならない、って。

 たとえばある種類のグッピーの注文が入ったとするじゃない。するとそのグッピーを、必要とされる日までに、必要とされるだけ揃えなきゃならないんだよね。欲しいと思ってくださるお客さんがいるんだから。

 それが人気のあるものだと、「今週末までに100ペア準備できるか?」なんてことになる。だからどうしても、品質的に低いものまで出さなきゃならなくなるんだよね。だいたい生き物なんだから、そんなにすぐには増えないし。

 しかも日本って国には四季がある。夏ならば屋外でも殖やせるけど(その名残が、今の我が家の水溜りである。今は抽水性の植物が植わっている)、冬にでもなったらすべて室内で行わなきゃならない(最盛期の水槽100本は、売ろうと思わなくても、遺伝の研究と、アピストグラマに凝ったころのお話)。

 冬ってヒーターがいるんだよね。これが電気を食う食う。一部屋はずうっとエアコンを点けっぱなしにして、熱帯に保っていたけど、それでも電気代はバカみたいにかかる。しかもペットなんてものはブームによって流行り廃りがあるから、突然、まったく売れなくなったりする。

 こうなったらヒーターが不要な東南アジアのグッピーには勝てない。なにしろあちらは、ヒーターは要らない。エサだって豊富にある。コスト面で勝負にならない。国産グッピーは、品質の面で東南アジアのものよりはいいけれど、どう考えても割が合わないんだよね。

 でまあ、殖えすぎたら仲良しのショップに持ち込んで打ってもらう。代価は期待しない(実際はエサを下さったり、各種試供品をいただいたりした)って形に落ち着いた。

 今じゃあこの頃の経験もあるので、呑気なもんだけど(そちらに割く時間がないというのが本音)、殖やしたりはしない。勝手に殖えるのは、殖えてもいいよって態勢でいる。それにこちらの好みの魚も、少しずつ変わってきたし、ね。

 人間って、好みが変わるもんじゃないですか。それに合わせて、無理せず、欲張らずってのが一番だと思っているよ。

※ 17日は定例『○○を語る会』でございます。何を準備しようかなっと。

2016年12月13日 (火)

小悪魔の誘惑って、実際には自分の心の弱さ?

 よく降りましたな(現在進行形!)。おかげで気温が上がらず、寒い一日でした。

 昨日は物事が計画通り進まないで参ってましたが、今日は昨日からの繰り越し分も含めて、8割がたは片付いたかな。寒いけど頑張った。雨に濡れても、頑張った。風邪ひかなきゃいいんだけどね~。

 明日以降は冬型の気圧配置になるみたいなんで、どうやら本格的な冬に移行していくのかなあ。季節風も強くなりそうな感じだし。

 も~、明日から冬眠してやろうかと思っていますが(毎日そう思っているんだけど)、取りあえず起きると動いてしまうので、この時点で冬眠はできなくなってしまいます。なんとか今のうちに庭を整地しておきたいんだけど、この雨じゃあね。整地するったって、稽古するだけなんだけど。

 昨年まで草ぼうぼうだったところも、一年稽古(ここでは主に型を打ちます)するだけで、今では草一本も生えないありさまですから。(現役時代に比べれば、そんなにたくさん稽古しているわけではないんだけどね)

 自然と人間の関係ってのが、我が家の庭にも反映されているんですね。人が歩くところは草が生えず、人間の領域になっていき、人が歩かないところは、草が生えていって、自然が勢力を回復するという。

 使っていれば、使っているものの領域になるんですね。使っていなけりゃ、その他のものの領域になっちまうだけの話で。

 先日、庭師さんたちが入ってくれたので、庭の隅々にまで入りやすくなりました。一昨年までとは嘘ぐらい感じが変わりました。おかげでこの日曜日には、またしても柚子の収穫を行いましたけどね。今の最大の懸案事項は、いかにこの柚子を有意義に使おうかってこと。

 たぶん今収穫しているだけで、私が一年間に使用する柚子の量は、はるかに超えてしまっていると思うんですね。(だいたい使える形に加工するのが難儀な話だ)。暇がないから、玄関脇に放置しているんだけど、柑橘類でしょ。放っとくとカビが生えちゃうんだよね。カビが生える前に食材にしておかないと。(こんなことまであるので、忙しい。加工していても、一人暗くなってしまうので、鬱陶しい)

 21日の当時には、お風呂にいれてみようかとは思っているけど、お風呂で使った後は、さすがに食べられないだろうからなあ。ミカンと違って、柚子を皮剥いて直に食べちゃうわけにはいかないし。(食べるにしても、大変な量だけど)やっぱり誰かに配りますか。必要としている人がいればいいんですけどね! 我が家のは、無農薬は私が太鼓判を押しますから(私が農薬の散布などをするはずがない。そんな暇はない!)。

 こういった植物の果実なんかを相手にしていると大変だ。だってその季節には、そればっかり食べてなきゃならないからね。季節の果物っちゃあなんとなく健康に良さそうなニュアンスがあるけれど、そればっかり食べていたらどんなもんだろうか。

 どんなに身体にいいものでも、過剰摂取はいい結果にはつながらないと思うんだけどね。(釣りに行ったあとは、決まって下痢をするのと同じ。さかな、さかな、さかな~、さかなをたべると~ とは言うものの、食べ過ぎれば下痢をします。アタマがよくなったような気はしませんが…)

 さてこれからは一人暮らしには寂しい季節でございます。クリスマス? 何それ? お正月? 何それ? くそくらえって気分ですな! まあ私には朝から酒を呑む習慣がないので(お正月は例外。儀式としてのお屠蘇はいただく)、酔っぱらっているわけにもいかないしなあ。

 することないから、稽古でもしてようか(稽古量が増えて、大変結構な話であります)。でも寒いからなあ…(かつての「気合」はどこにもありません) 最近、また猫でも飼ってみようかなんて気が起こったりしますが、飼うと大変なのは知っているので、自重しています。なにしろ猫は自己主張が強いですし、長期間家を空けてられないし。

 にしても、自力で立ち上がり、歩き始めてから1週間ぐらい経過した頃からの子猫の可愛さときたら、まさに(小)悪魔的ですからな。もうめちゃくちゃ可愛い(そしてこちらの迷惑になることばかりする! だから悪魔なの!)。飼うと責任が発生するので、飼わない方が気楽。

 だいたいチャーちゃんみたいな気難しい猫でも、私が站桩をしていたら、足に頭をこすりつけてきて、邪魔をしてくれてたくらいだからね。『猫の妙技』は武道家には参考になるけれど(そして実際に参考にもなるけれど)、稽古にしても仕事にしても、邪魔しかしてくれないから。

 大学時代の、その日に提出しなきゃならないレポートの表紙を、私が食べようと思って作ったカレーのルーに突っ込んだ前足で汚されて以来、猫に対する警戒心は強くなっているから(汚れたのが表紙だけだったので、大急ぎで作り直したけど)。

 チャーちゃんが亡くなった後、しばらくは犬も猫も飼わないと、チャーちゃんのお墓の前で誓いを立てたので、やっぱり誓いは破っちゃあいけないんだろうね(最近、近所の猫が、チャーちゃんのお墓の前で、座り込んでいる。お墓参りをしてくれているんだろうか?)。

 暇になれば、多少は手がかかっても、ペットの相手をしてやることが喜びになるんだろうけど、まだまだそんな余裕もなければ、やりたいことが山盛りあるので、「浮気」はしない。する暇もない。

※ 17日の第三土曜日は今月の定例『○○を語る会』でございます。よろぺこ!

 

2016年12月12日 (月)

寒い一日

 昼が曇っていたので、気温が上がらず、寒かった。あれこれとやらなければならないことが多すぎて、(この他、予定外の妨害も入った)結局三分の二ほどできなかった。結構、東奔西走したんだけどね。その分、明日がおそろしい。

 夜になって、もうあとは寝る準備(ここからが仕事なんだけど)と思って郵便受けを見たら、今日は新聞の休刊日なのに、やたらとたくさん入っている。最大のものが「回覧板」だった。

 実は私は回覧板をほとんど読まない。ただサインして次に渡すだけなのだが、夜遅くだったので、持っていくのが面倒いかった(結局持って行ったけど)。あんなもん、いちいち見ている人がいるのかなあ? まあ近所づきあいの一部なんだろうけど。(近所付き合いったって、現代の世の中、ゆっくりと近所づきあいをしている暇もないんじゃないか?)

 しかし、寒いと何もする気になれないよね。動けるのは、外で動いていたぬくもりが身体に残っている間だけで、いったん冷えちゃうと、とてももう一度動こうなどとは思いませんよ。だから「一息入れて」なんて気にはなれませんよね。

 一息入れたら、そのまま一日の活動が停止してしまう。本来、冬は家の中でゆっくりしているのがお似合いの季節だわなあ。春には種蒔いて、夏には成長してもらって、秋には収穫して、冬は貯蔵するってえのが、自然に順った生き方だもんなあ。この四季の中で、冬だけは活動的でないもん。やっぱり冬眠の季節だ。

 金でも潤沢にあれば、こんな季節はオーストラリアかニュージーランドあたりで暮らし、春は花粉のないところでのんびりし、って具合に生活できればいいんだろうけど、なかなか先立つものがなければ不可能だ。

 世界中ネットでつながっているご時世だから、きっとそれでもやっていける仕事はあるんだろうけど、私では今のところ手が届いていない。

A man gets tied to the ground,
he gives the world
its saddest sound,
its saddest sound.

ってえことで、サイモンとガーファンクルの、懐かしの『コンドルは飛んで行く』の一節でございますな。https://www.youtube.com/watch?v=5dBU19sGZgA&spfreload=10

 まったく、こんな日が三日も続いた日にゃ、心身ともに寒くて、死んじゃいますよ! もっとどんどん賑やかにやってなきゃ!

※ ということで、今月の『○○を語る会』は17日の第三土曜日でございます。よりぺこ!

2016年12月11日 (日)

傲慢

 初冬にしては、まあしのぎやすい天気でしたな(少し風があったけど)。気がついてみれば12月も11日ということで、今年も残り20日となってしまいました。こうして月日が過ぎていくのでしょうが、若い頃と同じで、相変わらず「傲慢な生き方」をしております。

 傲慢な生き方ってのは何かといいますと、「若いというだけで傲慢」って表現があるじゃないですか。若いと、残りの時間がたっぷりあるので、しくじってもやり直せる時間があるんですね。だから可能性が無限にあるように感じちゃう(本当のところは、全くないかも知れないのに…笑)。これはあと何年生きることができるか、あまり失敗している余裕がない年輩の人たちから見れば、傲慢に見えないこともないんですな。

 もちろん、そういった人たちにも「傲慢な若い頃」はあったわけで、若い頃を傲慢に生きた人はの中には、残り時間を考えるようになって、「今の若い人」が傲慢なように見えちゃう人も少なくないんじゃないでしょうか。

 これがトンデモナイ勘違いだというのは、紀元前4世紀に生きた人がすでに言っているわけで「無不廃、無不任、何遽遅速于其間乎(『列子・楊朱篇』)」ということなんだそうでございます。いざ死なねばならぬ時になって、止められないことはないし、放り出してしまえないことはないのだから、どうして寿命の長短を気にするのだ?と言っているのですね。こう考えれば、若いから傲慢で、高齢だから控えめにしてなきゃならないことなんか、ちっともないわけなんですけどね。

 この楊朱という人は、道家思想に近い思想家だったのだそうで(この時代、まだ道家思想は、所謂、道家思想として確立されていないと思えるので、道家思想に影響を与えた思想家だったのかも知れない)、一時は儒家を木っ端クソにやっつけた墨家思想と張り合うほど隆盛だったのだそうですが、後に楊朱の言葉は意図的に悪い方に解釈され、歴史の彼方に消え去っていかざるを得なかったようです。(実際には、個人の権利=人権、を高らかに主張した、最初のものだったのかも知れないんだけどね。ま、かの国では、こうした悪意に満ちた歪曲、曲解、捏造などは、さほど珍しくはないので、こんな気の毒な人は、きっと大勢いたことでしょう)

 まあ楊朱の思想は、現代ではわずかしか残されておりませんし、自身の手による文章とか、書は残されていないので、思想の全体像はつかみかねますが(それでも儒家を圧倒した墨家と張り合うほどだったといいますから、人々が納得できるような思想であったことは間違いないでしょう。ちなみに墨家にしても、儒家は圧倒しても、統治者にも民衆にも、広く支持されていたわけではあすません。あまりにも規律が厳しかったから)、優れた思想であったであろうことは、十分想像できますけどね。

 若いというだけで傲慢なんだそうですが(きっと私もそうだった?)、では今は傲慢ではないのかというと、少なくとも私に関する限りは、結構傲慢でして、年とか残り時間とかを考えたことがありません。(そのため、健康診断なんて必要最低限度しか受診しません…それもサボりたい…笑。「人間、死ぬまでは生きている」っていうのが、私の信念ですから)

 見ているのは前だけですね。次はあれをしよう、明日はこれをやってみよう、一年後にここまで来てたらいいなあ…… いやはや、過去は私の脳裏にはないのではないかと思います(過去を懐かしがっているほど、暇がない)。だから今でも、結構傲慢ですよ、人生に対して。

 ただいつまでも傲慢でいたいので、食事とかには気を付けている。「人生大病只是一傲字(人生の大病はただこれ一の傲の字なり)」と、政治家、軍事家、文章家、思想家として稀代の大人物だった王陽明は言っているけど、この人はわずか56歳で亡くなっているし。(56年の生涯で、凄い業績を残していることは、尊敬に値する)だから傲慢は心の病気だと思ったんでしょうな。

 次から次へと目標が現れてくると、傲慢もクソもありませんわ。ただただ目標をクリアしていくことだけで、一杯いっぱいです。ま、それが若さに似て、けっこうな傲なんだろうけどね。でも「無不廃、無不任、何遽遅速于其間乎」であるのなら、謙虚であろうが傲慢であろうが、やりたいことをやった方が幸せだよね!

※ ということで、今月の『○○を語る会』(定例)は、17日の第三土曜日です。今日は、柚子の収穫で、不安定なところで踏ん張っていたので、足がぷるぷるしています。站桩よりきつかったよ!

2016年12月10日 (土)

アキレス腱

 あ~、旨かった! 久々のモクズガニだったので、よく食べ、よく飲み、帰宅したら日付が変わっていたので「も~ええわ」って、風呂に入ったあとの意識がない。あのまま風呂で寝ていたら、めでたくこの世から消えていたんだろうけど、朝、気がついたら、ちゃんと布団の中で(珍しく、寝相もよく)目が覚めた。

 実によく寝た。旨いものを、旨い酒で、心が許せる環境で(ご一緒してくださった方々、ありがとうございました!)いただくと、やっぱりリラックスするんだろうね。できれば毎日がこうありたいものだ(それこそ幸せなのかも)。

 起きて新聞を見ておのろいた。今は某A新聞は購読していないので、2紙になってしまったが、いずれも一面トップは、某隣国の大統領の弾劾である。まあ勢いよく「反日」だの「告げ口」だの、およそ大人の感覚では理解できないことをやっていたにも関わらず、一時は凄い支持率だったんでしょ? まさかこんな日がやってくるなんて、あの頃は想像もしなかったよ。

 こんなときはどうすればいいのかというと、隔岸観火の計(『兵法三十六計の第九計』)で、こちらは自分のやることを、きっちりやっておきながら、(生?)暖かく見守ってあげるのがベストかなあと思いますね。さてさて、どんなことになりますのやら……

 あんなに最初は勢いがあったのにねえ。とんでもないアキレス腱を持っていたんだねえ。一見勢いがありそうな人には、案外こんな致命的な弱点があったりするもんだ。そうそう、わが国にも似たようなお方がおられました。必殺ブーメランを得意技とする方が。

 ブーメランって、的に当たらなきゃ、自分のところに返ってくるんだよね(ちょっと練習しないと、戻ってくるように投げられないけど)。時々、戻って来たのはいいけど、自分の背後から後頭部にかけて返ってくるのが怖い(簡単に作れますが、風の影響を受けるので、最初はコンディションを考えるか、体育館などの広い室内でやった方がいい)。

 この方も一見勢いがよさそうに見えるのだが、何だかもう誰でも知っているような特大のアキレス腱をお持ちのようで、あまりやんちゃをしていない方が、落ち目になった時のことを考えると、いいような気がしますね。まったくの他人事なので、どうでもいいけどね、私は。(ちなみに私個人は、「おもしろけりゃ、それでいい」って心境でございます)

 でも考えてみると、もうヤケクソで、強気でも装っていなけりゃ、やってやれない、もたないんかも知れないよね。どう考えても、その一点を崩されたら、それでお終いって弱点を持っていたら。

 漕いでいく先が滝つぼであったとしても、力いっぱい漕ぎ続けるしかないレースなのかも知れませんね、あんな立場になってしまうと。そこで「ちょっと待て、熟慮断行、チイパッパ」と言えるような人物なら、最初からこんな事態を招いていないか、とも思ったりします。

 まあ「流れに乗」っちゃうと、自分が思ってもみなかったところに連れて行かれることもあるわけで、だからこそ自分の人生のかじ取りは、よほど慎重に(そして大胆に!)やらなければならないんでしょうけどね。

 他人様の人生を観察するのは、本当に勉強になりますな。

 とにかく昨日、私がモクズガニを抱えて車を走らせているころ、大変な決断をした国があったらしい。私はその頃、このカニの旨さを思い出して、涎を垂らしていたのに。人にはそれぞれの人生があるようでございますな!

※ 立て続けですみませんが、今月の『○○を語る会』は、17日の第三土曜日でございます。よろぺこお願いいたします。メインのテーマを何にしようかと思っておりますが、すでにいくつか課題はあるように思っております。

2016年12月 8日 (木)

明日も、いつものところで、どんちゃん騒ぎ!

 穏やかな、よい初冬の一日でございましたな。岡山あたりでは、日本海北部を低気圧が進むと、こんな陽気になるようでございます。(あまり発達し過ぎると、よくないみたいですが)これは低気圧に向かって、南の温暖な空気が流れ込むからなのでございましょう。

 ということで、低気圧の寒冷前線が発達すれば、北日本の厳しさほどではないにしても、我が「晴れの国岡山」でも、北西の季節風が吹きます。こうなると気温が下がるので、当然私としては「冬眠」をするわけです(そうそう世の中、うまくはいかせてくれませんが…)。

 私が小学生時代には、よく「子供は風の子」だなどと、わけのわからないことを言われていました。少々寒くても、子供は元気に屋外で遊べ!という意味だったのだと思いますが、確かに子供は活力があり、よく動くので、大人よりも体温を生み出しやすいからだったのかも知れません。(でもやってみるとわかるけど、大人だって、動けば体温は生み出されますよ!)

 今はどうかというと、「子供は風の子」って、あんまり聞かなくなりましたよね。むしろ風邪ひきに注意しようとか、もう少ししたらインフルエンザに罹らないようにしようとかという言葉が、よく聞かれるようになります。時代が変わると、叫ばれる言葉も変わるようですね。

 一つには「医学の進歩」もあるでしょう。今まで効果的だと思われていたことが、実はまったく効果が期待できないことだとわかったり、逆に有害だということがわかったりすることも、少なくはないようです。

 その都度、新しい意見を発表した人と、どこかの製薬会社さんとか、健康関連のお仕事をされている企業が結託して、新しいものが発売されたりいたします。振り回されてしまうのは、結局一般市民ということで、いつだってお金を払わされるのは、我々なんですね。

 いまだにメタボだなんぞという言葉は死滅していませんし、それでお金を儲けている人だっているわけです。もちろんこんな言葉が発明されるたびに、そのお蔭で成長する産業もあるわけで、まったく長所がないというわけではないのでしょうが。

 ただ、まあ、振り回されるのは嫌ですね。必要なことならやっておかなければならないのでしょうが、どうでもないことまでお金を絡めてあれこれ言われるのは、まっぴら御免でございます。そうそう、そういえばアルカリイオン水なんて、今はどうなっているんでしょうねえ?

 一時期など、私の職場にまで売り込みに来て、セールスの直前に受けたレクチャーを、くどくどとのたまう輩がおりましたが。私は一応理科系の大学を出て、魚を飼育するのが趣味だったりしたものですから(魚を飼うには、水を支配しなければなりません。望んだ水質を、望んだ時に、望んだ形で作り出せなければ、魚はうまくは飼育できません。特に繁殖まで考えれば、水質のコントロールは必須です)、セールストークを聞きながら、心の中では爆笑しておりました(セールスの妨害などはしませんでしたよ。私は何モノにも拘らないようで、けっこう気を使うタイプだから)。

 もうマイナスイオンなんかになったら、開いた口が塞がりませんで、「もー、どーにでもしてくれいっ!」って感じでしたけどね。あんなのちょっと興味があって調べる気になれば、中学生でも論破できますもん。

 竹内薫さんだったかなあ、日本には似非科学が多いので、科学の発展の邪魔になっているって言われてたのは。アメリカなんかだと、アンチ科学があるので、アンチに負けないようにするためには、科学は発展せざるを得ないのだけれど、似非科学ってのは、科学のような顔をして、実は科学の信用を落とすっていうんですね。

 まったく同感でございます。もちろん私は現代の科学では説明できないことがあることも、重々認めておりますし。

 ただ、健康に関することでの似非科学は、けっこう嫌ですね。もちろん人間は「根性」で、治せないものまで治してしまうようなこともあるわけだけど。でも再現性と客観性と普遍性を持たなければ、科学とは言えませんわな(かりに100%そうでなくても、それに近い状態でなければ…神ならぬ人間だから、100%はないとしても)。

 ということで、今しがた最近では珍しい食材が入手できることがわかりました。急遽ではございますが、またしても台湾料理店で、どんちゃん騒ぎをやらかそうかと思います(今、マスターに許可を取りました)。なんじゃろな?と興味がある人は、顔を出してみてください。期日は明日、12月9日でございます。なお、量に限りがございますので、品切れの際にはお許しいただきますよう、よろペコお願いいたします。

2016年12月 7日 (水)

寒いからこそ、好きなものを食べる(暑くても同じか…?)

 寒いですね! とうとう寒さに負けて、暖房を入れてしまいました。まだ真珠湾の前日だというのに(いつの時代じゃ?)。

 久々に倉敷のFさんのお店に顔を出してきました。「まだ生きてるよ~」って。時期が時期だけに、大変に忙しそうでございました(師走が忙しいのは、先生たちだけではない、らしい……)。健康に気を付けて、美味しいケーキを作り続けていただきたいものです。

 今、庭師さんたちが、庭木の剪定に来てくれています。私は庭木にはまったくのドシロートなので、すべて専門家さんたちに頼ります。知らないことにまで知ったかぶりをして手やクチを差し挟んでも、全然いいことはないからね。鬼谷子がいうように「物有自然、事(人)有離合」でございます。餅は餅屋に訊くのが一番なんですよ。

 で少しずつ知識を入れていくのですが、だいぶ自身がついても専門家の意見を最優先いたします。念のために、いちいち電話をかけて尋ねたりいたします。庭師さんたちは(たぶん)今が一番忙しい時ではないかと思うので、仕事の邪魔にならない程度に、知りたいことをぽつん、ぽつんと尋ねて、少しずつ賢くなろうと思っています。人間、いつでもどこでも、勉強でございますな!

 先日は鳥取で大変勉強をさせていただきました。いろいろ勉強になったけれど、何度聞いても忘れる「カニの正しい食べ方」は、岡山に帰ってすぐに復習したので、きっと身についたのではないかと思います(N先生、ありがとうございました)。世界一美味しいカニは、世界一美味しい食べ方で食べるべきです(鳥取は本当に美味しいものが多く、美味しいお店も多いです。もう今では地震の心配もないと思うので、皆さんも…きっと…、ぜひ鳥取で、「世界最高のカニ」をご賞味ください。ただし、すみませんが、私の分は少しだけ残しておいてくださいね。一月末にはまた行く予定ですから…それだけでなく、二月にもまた行くかも?)。

 温泉と美味しいお酒と、美味しいカニときたら、私にはカモがネギしょってお酒を届けてくれたような感じですからね。「食うな!」と言われでもしたら、もう拷問みたいなものですよ! 人生、不老不死ではいられませんから、美味しいものを美味しくいただけるときに、思う存分食べておくのが正解です。やれ「健康のため」だなどと言って食事制限なんかしたら、それこそが不健康な発想といえるのではないでしょうか。

 大切なのは「過猶不及(過ぎたるは猶及ばざるがごとし);≪論語・先進篇第十一≫」で、食べ過ぎ、飲みすぎにならないことでしかありませんからね。過ぎたるも、及ばざるもよくないと言っているわけですから。

 節制に節制を重ねて、やっと節制から解放されたら、もう食べることができない身体になっていたというんじゃ、泣くに泣けませんもん!(かくいう私も、現役時代は、大好きなラーメンを封印していた!) ところが現役を引退したとたん、ラーメンに走ったかというとそうではなく、ピザに走った。人の好みは、微妙に変わるもんですな! おかげでめきめき体重が増えて、気がついたら……(ラーメンでも、きっと同じ現象が起こっていたとは思うけれど)

 現役を引退して一番うれしかったこと(引退した夜は、泣きどおしだった…今だから告白するけど)は、なんでも好きなものが、好きな時に食べられること。二番目に嬉しかったのは、身体のどこも痛くないことの幸せを感じたこと。

 体重がもとは軽かったので(信じたくない人は、信じなくていいです)、体重をつけるためにたくさん食べたけど、食材には気を使っていた。(値段は安価なもので、身体作りという目的に適うものに限定していた) それがなくなっただけでも、ずいぶん気楽になったものだった。

 今でも安価な食材を探すけど、やっぱり重点は「美味しいモノ」、「その時食べたいもの」だよね。ということで、今や野菜を馬かウシのように食べるようになったけど(肉も相変わらず大好きですよ。ただ昔のようにガンガン筋トレをしていないせいか、そんなに肉、肉、肉とは思わなくなった。基本的に、身体の要求に従う方だから)、今晩も山盛り野菜を食べました(もちろん、肉も食べた。私が肉を食べない日はない。全食事量に対する割合が、今では野菜の方が大きくなったというだけで)。

 そのうち口が横にもごもごするようになったら(ウシみたいに)どうしようと心配するくらいだ。

※ 今月の定例『○○を語る会』は、17日の第三土曜日でございます。よろぺこ、ね!

2016年12月 6日 (火)

来年のことを言うと鬼が笑う?

 そろそろ来年の予定が入り始めました。(まだカレンダーすら手に入れていないのに……)どうやら一月の中旬から下旬にかけては、予定びっちりのようでございます。なかなか忙しい。どうか雪などが降って、邪魔をしないでくださいと祈るほかありません。いくら私が冬用タイヤに換えていても、周りの車がスリップしてぶつかってきたり、事故って道路を封鎖されていたらアウトですもんね。そうでなくても岡山は滅多に雪なんか降らないので、降雪には弱いんだから。

 もう一つは私の健康管理の問題でございます。よくスポーツ選手が故障などしたとき、お医者さんに行ったらいわれる言葉、「次の試合はいつだ」「はい○月▽日です」「おう、それまでには直るわ」。違いますよね、試合に出るからには十分な練習を積まなければならないのです(そうでないと、相手に対しても失礼!)。だから明日にでも完治してほしいんですよね。

 でも競技スポーツなんかやったことのない人には、このあたりのことがテンで理解できないことも多いようです。だから健康管理には気を付けないと。お医者さんのお世話になるような、下手をうってはイケマセン(基本的にこのあたりのことが理解できているお医者さんは少ないですから)。どうしてもしょうがないことも、なくはないけどね。

 さて今日はそんなに不機嫌ではありません。思ったよりあれこれができたから。ボサーっと一日を過ごすと、肉体的には楽をしているのかも知れませんが、疲れてしまいます。むしろある程度「今日はやったなあ」という手ごたえがあるくらいの方が、疲れを感じません。夜だって、きっとバタン、キューっとなるんでしょう(読書の習慣があるのがよくないのかも。ついつい気合を入れて読んでしまって、気がついたら朝なんてこともなくはないので。肉体労働と頭脳労働では、疲れを感じるところが異なるのかなあ)。

 で、これからアクティブレストの一種として、頭脳労働をかまします。肉体と頭脳がバランスよく疲労してくれれば、きっとバタン、キュー現象が起こりますよ。でも、久々にいい練習だったなあ…… 余は満足ぢゃ。

 とはいうものの、夜に入る頃から、けっこう寒くなりましたね。昨日の某地方放送局の天気予報、大当たり! 体感温度が低いだけかなあと思ったら、温度計のメモリも低い。温度計ってのは客観的な数値を示しているはずなので、今晩は客観的に寒くなっている。風邪などひいて予定を崩すのは愚の骨頂なので、体調管理だけはきちんとやっておきたい(私の場合には、食べ物の他に、入浴の仕方に工夫がありますが。風呂好きだからね、基本。当然入浴の仕方も、あれこれ考える。体調によって入浴の方式を何種類か変える)

 海外へ行くと、シャワーしかないところがあるから、こういうところではあまり工夫にしようがない。夏には私もシャワーを多用するけど、湯船に浸からない日は、一日たりともない。湯船というのは、健康上(使い方さえ誤らなければ)非常に効果的だと思いますね。

 ということで、ぼちぼち来年の準備に取り掛かりますか(年賀状は昨日注文したばかりだけど)。来年は今年できなかったことを、少しは片付けますよ。

 さてさて、今夜は冷えそうなので、さっさと頭脳労働を片付けて、寝ることにしよう。風邪の予防には、睡眠が大切だ。明日、明日、明日と、一日の連続が、来年につながっている。そんな遠くを見なくても、来年はやってくるし、十年後だってやってくる。大切なのは、自分がどんな状態でその時を迎えられるかだと思う。 

 こんなやり方をしてたら、鬼だってきっと笑わないと思うよ。

※ 今月の『○○を語る会』(正規バージョン)は17日の第三土曜日でございます。どこかの忘年会とぶつかっていても、私の知ったことではございません。よろぺこ! …… 来年のことではないから、鬼も笑わない。

2016年12月 5日 (月)

師走の風

 昨夜は帰宅することも(ほとんど)なく、飲みに行った。やはり生きたカニは生きたまま、泡も吹かさないで、できるだけ早く届けなければならない。ということで『○○を語る会』の番外編は、生きたカニをメインに始まりました。(もちろん、「語る会」なので、けっこう濃密な語りはありましたが。語るにしても、美味しいものを食べながらの方が、会話ははずむもんね!)

 突然無理を言ったのに、マスターには素早く対応していただいて、とてもありがたく思いましたし、何よりも予定よりも大幅に遅れて到着した私を、にこやかに迎えてくれた方々には、感謝、感謝、大感謝でございました(私は仕事着のままだった……)。

 それで昨夜は帰宅したのが、日付変更直前。脳みそは完全に活動を停止していたし、風呂に入って歯磨きの準備をしていたのに、そのまま沈没していた(幸い、気が付いたときは、布団の中だった。不思議なことに、洗濯の準備はしていた。人は無意識の時、案外きちんとものごとをやっているものだと、改めて感心した…大学生時代、同じような経験を、何度かしている)。

 で、一応疲労回復してから動き始めたはずなのに、車を運転していると、ついつい意識が遠のく。で、Y先生のご意見をうかがうと「それは疲れだ」と仰る。Y先生のスーパーゴッドハンドで意識を正常にしていただき、帰宅していると、なんと大渋滞。実は昨夜、ガソリンの補充が、疲れていてできなかったので、ガス欠の不安があった。

 しかも工事なんかをやっている時間帯ではない。どうせどこかの誰かが、事故ってしまったんではないだろうか。12月に入って、測ったように、粗い運転をする奴が増えたし、高齢者の運転も増えている(お年寄りは何故か、12月になると、車の運転をする人が急に増える。同じような現象として、台風がくると、妙に外出するお年寄りが増える…私や、私の親し意友人の間では、一つの仮説が立てられてはいるんだけどね)。

 だから事故とか渋滞は、12月は増えるのはしょうがないのだけれど、ガス欠の危険があった私は、気が気ではない。結局途中から脇道にそれて、難を逃れたんだけど、今度はガソリンがいきなり1ℓ10円も値上がりしている。そのうえ、自動の給油装置にお金を入れようとしたら、突然「ピー、ピー!」と警戒音。慌てて係員が出てきて、「何を入れたんですか?」 私は「一万円札を入れようとしたんだ! いきなりリッター10円も上げるから、機械が拒絶反応を示しているんだろう」と切り返したら、この係員の人、「すみません!」と笑いながら謝った。いいんだよ!係員が悪いんじゃないんだから。

 ガソリン満タンにしておどろいた。ほとんど空っぽに近かったんだ。よかった。途中で脇道で近道してて。路上で立ち往生なんて、さまにならないこと夥しい。

 ということで、何が邪魔が入ったような気がしたけど、あとは食器洗いと、ゴミ捨ての準備さえ完了すれば、態勢の立て直しが完了する。12月はなんとなく慌ただしいけど、安全に気を付けながら、忘れ物をしないようにいたしましょう! 12月が慌ただしいって、結局誰かが作った暦のせいであって、自然界の流れとは何の関係もないんですからね!

※ 今月の『○○を語る会』は17日(第三土曜日)でございます。よろぺこお願いいたします。

2016年12月 3日 (土)

重箱の隅をつつく

 S経新聞の一面を見ておのろいた(あまり驚かなかったけど)。なんとK支局長の問題は、大統領府の指示だったのだと、確たる証拠が挙がったのだそうな。

 わりと細かいことにまで気が付き、気が回るんだねえ。それぐらい大きなことにも気が回ればいいんだけど…… こんな世界情勢が揺れ動いている時にでも、大きなことよりも小さなことを優先する(?)のは、ある意味大したものかも知れないけれどね。

 もちろん「大事をなすには小事から」という教えもあるから、すべてが間違っているとは言わないけどね。

 どこにでもこんな人はいるもんだけど(我が国にも「重箱の隅をつつく」って言葉があるように)、「重箱の隅をつついて」真ん中を残したら、「日の丸弁当(今、まだこんなお弁当を作っている方はおられるのだろうか?)」だったら、梅干しの汁が染み込んだ、一番美味しいところを食べ損ねちゃいますからね。

「ではお前の弁当の食べ方は?」と聞かれたら、私は端から逆の端に向けて食いつくすタイプですね。急いでいる時もそう。だいたい食べ残す、って発想は、私にはないからね(訪中した時は別。あんなには食えない)。

 ところが中国には昔には、必ず食べ残すのが礼儀だった時代があるそうな。食べつくすと「まだ足りない。ここの主人は、満腹するほど歓迎しなかったケチ野郎だ」と考えられる時代があって、最後に残った一つには誰も手を出せなかった時代があったのだそうな(師父が教えてくださったこと)。

 ところが今では、食べ残すと「太浪費了!」と言われることすらある。時代や社会の変化に伴って、価値観が変わっていくんだね。対応するにも努力しなくてはならない。

 ま、人生も同じようなもので、食べつくす、じゃなくてやりつくすことを心掛けて生きなければなりませんな。「気を付けて、この旅籠屋に忘れ物をするな。出ていったが最後、二度と戻ることはないのだ」と、オマルハイヤームも言っておりますからな。

※ 明日の夕方は、『○○を語る会』の番外編です。よろぺこ、ね!

2016年12月 2日 (金)

無理とは「理」がないことである!

 眠いぞ、眠いっ。「よく寝たはずなのに眠い」ときは、某薬品メーカーの某薬品を服用すればいいのかな? と思うけれど、薬品ぐらいで疲労回復なんかができるわけがない。疲労は栄養補給と休息がなければ回復するはずがない。

 薬品で一時的に回復したように見えたら、それは興奮しているだけなんじゃあないのか。しかしながら興奮の後に待っているのは、尋常じゃない疲れなので、興奮はほどほどにした方がよい。

 精神的昂揚なんかの興奮なら、あとは疲労ぐらいのものだけど、万一疲労困憊している状態で、無理やり興奮させているのなら、受けるダメージも小さくはない。ダメージがどこかの限界を超えれば、必ず限界を超えたところには「故障」という現象が現れる。もしも興奮のあまり気づかなければ、興奮したまま回復不可能ってことに陥ることだって、なくはないだろう。

 とはいうものの人間、限界を超えているのはわかっていても、頑張らなきゃならない時はある。こういうときにあるていどTVCMかなんかに乗せられて、疲労回復薬を使うこともあるかもしれない。

 ただ無理をしたあとは、回復につとめなきゃ、必ずいつかツケがくる。借金と同じで、ツケを払うにも、どうにか払える程度ならいいのだが、払いきれないくらい溜まると、いろんな問題が出てくる。

 若い頃は体力もあり、また回復力も強いので、ついつい人間、傲慢になってしまう。若さとはいろんな意味での傲慢さにつながるものなのだが、能力は次第に低下していく。私なんかは結構一所懸命身体を苛めていたクチなので、自分のピークが何歳何か月の頃だったかを、誤差プラスマイナス1か月くらいで言える。練習日誌は毎日つけていたからね。

 それでもその頃は「まだまだやれる」なんてことを思っていた。もちろんやってやれないことはない。ただしその頃と同じ感覚で無理を続けていると、必ずある日突然、がっくりと来る時がある。だからやり方を変えるんだね。ここに体力バカからの脱皮のチャンスがあるんだけど、気がつかないとボロボロになる。

 限界が来たことを知るのは、結構情けないことなんだけど、その時に自分を誤魔化してしまうと、後々が大変だ。ここが方向転換のチャンスなので、素直に認めるにしくはない。そうして徐々に技の世界に入っていく。

 この「技の世界」ってのが、私には難しかったね。「わざ」というものが「業師」の「わざ」なのか、「技」の「わざ」なのか、話している言葉では漢字の区別がつかないので、ついついいい加減な認識になってしまう。

 可能な限り「自らの精神と肉体を巧みに使いこなす」方の「わざ」になっていくべきなんだけどね。つまりは「技」の世界でしょうか。この「技」の世界に気が付くと、立居振舞から何から、すべてのことに変化が起こる。するとそれまで元気に遊んでいれば「よゐこ」だったのが、勉強しなければ「よゐこ」と言ってもらえなくなったような変化が起こる。幼稚園から小学校へ進んだような感じですね。

 これは、それまで考えもしなかったことを、悩み、考えなきゃならないことを意味しているので、それなりにしんどい。体力勝負ですべてを片付けていたのから、技の世界に入ると、もう一度最初からやり直さないといけないからだ。ちょうど深刻な故障をした選手が、リハビリに取り組むのに似ている。

 だから結構忍耐も必要だし、時間もかかる。つい、もとの力ずくでやろうとしてしまう時にも、「いやいや、ここで辛抱」と気持ちを抑えなければならない。でもここでの変換に成功すると、後は長く楽しい(?)修行の日々が開ける。

 ここで元気回復の薬を使ってしまったら、あとは薬頼み。いつも薬を使わなきゃ、力が出せなくなってしまう。

 薬は重宝だし、大切なものなんだけど、そればかりに頼ると、いつまでたっても、次の段階が見えてこない。そんなこと、わかっていても、仕事に追われて、つい栄養剤や、疲労回復薬に頼らざるを得ない、企業戦士(ビジネスコマンドー)の立場や気持ちも、わからないわけではないんだけどね。

 可能な限り、限度を超えた無理は避けて、自然に身体が回復できる程度のダメージですませたいよね。

※ 明後日は『○○を語る会』の番外編です。よろぺこ、お願いいたします。

 

2016年12月 1日 (木)

ガセだったみたい…… ごめん

 昨日の本ブログ、ガセだったみたいで、どこを探してもそんな鬱陶しいニュースは入りませんでした。ごめんなさい。

 でもYOU TUBEって、数年間の出来事を、ついさっきあったような錯覚に陥らせることがあるので、よくよく注意しなければなりません。とくにネタがないときほど、陥りやすい罠でございます。溺れる者は藁をもつかむ。ネタがなければガセでもつかむ。産経新聞のK記者の爪の垢でも煎じてのまなきゃ!

 今日は昼を過ぎてから、すぐに夕方みたいに暗くなった。そうでなくともお天道様が恋しい季節なんだから、せめて太陽の顔でも見ていないと、なんとなく鬱になる。天気ってのは人の精神状態に、大いに影響を与えますな。(体調にももちろん影響するけど)

 だいたい昼が短く感じられる。特に冬ともなれば、そうでなくても昼が短いのに、ますます短い。いっそのこと、ずうっと寝ててやろうかと思うくらいである。(もしもこういう生活をしたら、極地に近いところでは、一年の半分は寝てなければならなくなる。イヌイットの人たちは大変だ)

 昔、大学時代に、同級生の一人が20時間ぶっ通しで寝たことがある。これは一つの才能ではないかと思うが(だってトイレにだって行きたくなるだろうし、お腹だって減るだろうし。学生時代の私は、お腹が減って目が覚めたことが何度かある。まあ身体作りをしていた真っ最中だったから、仕方がなかったのかも)、そのためかどうか、彼は卒業に5年かかった。

 当時私は、研究室で浮かれた生活を送っていたので、その後の消息は知らない。でも寝られるってのは、一種の才能?かなあと思う。私なんか、うらやましくって。

 どうにも貧乏性なのか、寝てると目が覚める(覚めなかったら死んでいるのだが)。時計をみると、たいして寝ていない。では起きていて目がぎらぎらしているのかというと、そんなわけではない。すぐに眠くなる。すぐに眠くなるくらいなら、寝ている時にもう少しは長い時間目が覚めないでもらいたい。

 先日からいろんないい夢を見ているらしい(詳細な記憶は残っていないのだが、起きたあとの感触がいい)。いい夢なら、できるだけ長時間みていたいものだ。現実の生活は、決して楽しいわけではないのだから。

 ただし、睡眠時間が短いから、私はたぶん人よりも睡眠を大切にしているように思う。どんなに熱烈な大恋愛をしていても、ハッピーエンドになって、いつも一緒にずうっといたら、人の大恋愛は永遠に続くのだろうか。きっと無理だよね。

 限られた短い時間の逢瀬しか許されなければ、人は燃え上がるものだ。だから七夕の彦星と織姫の逢瀬なんてのは、想像するだけで恥ずかしくなる(何を想像しているのか!?)。まああの伝説には、もとになる話がいくつかあって、知ってしまうと、やっぱり貧しい男は嫁さんがもらいにくかったのだな、と納得してしまうだけなんだけど。

 ちなみに織姫は天帝のお嬢さん、牛飼いは貧しい農家の次男坊です。もう格差婚なんてものではありません。ここで次男坊に飼われている、年老いた、痩せ牛が生命と引き換えに次男坊を天界に運ぶシーンなんてのは、泣かせます(ちなみにこのカップルの間には、子供がいます)。

 ギリシャ神話の、乙女を誘惑して、雄牛に化けて逃げるゼウスみたいな厭らしさはございません(ちなみにこれがおうし座でございます。私はおうし座なんですけどね……)。だから一年に一度(天気次第では数年に一度)会えたら、そりゃあもう燃え上がってしまって、灰になるんではないかと、心配になります。

 まあ人(それも神話の中)のことなので、心配してもしょうがないんだけど。

 とはいえ、今日から12月。今年もラスト一か月だ。年賀状の準備もしていない(あれって、けっこう重労働)。くわえてあちこちへと動き回ります。こうなると健康だけが頼りだね。

 ※ この日曜日は、『○○を語る会』の番外編でございます。よろぺこお願いいたします。

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »