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2017年2月28日 (火)

ただで口福

 お館様からシシ肉と、シカ肉をいただいたので、私はソッコー、海に走って、この時期のワカメを取ってきて、シシ肉はソテー、ワカメはしゃぶしゃぶにして食った。もう旨いのなんのって。今日腹一杯食べたけど、シシ肉はまだあるので、明日は牡丹鍋だな~。

 さすがに朝や昼は無理なので、明晩でございますよ。旨いぞ、これは。呑み過ぎに注意だな~……

 旨いってことは、間違いなく私の身になっているはずなので、少しはカロリー消費をしておかねばならない。摂取カロリーよりも消費カロリーが少なければ、消費しきれなかった分は否応なく身体に貯蔵される。いわゆる脂肪という奴だ。

 脂肪がまったくないのは、一部アスリートには要求される状態かも知れないが、実は健康的ではない。防衛体力面では、いろいろと問題がある(ように思う)。ダメなのは、過剰な体脂肪であって、適度な体脂肪は、むしろ必要だ。

 ただ私の個人的な考えでは、新陳代謝は常にやっていないといけないので、体脂肪もどんどん燃やしながら、新しい脂肪が形成されるくらいでいいのではないかと思う。体重制限があったり、パフォーマンスにマイナスの影響が出る競技に出場したりしないのなら、適度な脂肪は、むしろ歓迎すべきだ。

 現役時代はもちろん、引退して10年くらいは、ずうっと体脂肪率が一桁だった(今は恐ろしくて、測定する気にもならないけど)。ただ、運動量が半端ではなかったからね。自分が自転車だと思っていたから。

 自転車って、走っていないと倒れるでしょ。ハイスピードで走るのはしんどいけど、まっすぐでいられるからね。だから何をするにしても、全力疾走だった。だからよく食べたね。

 もともと私は太りにくい体質だった(はずだ)。痩せの大食いという言葉があるけど、まさにそれを体現しておりました。体重がないと、ボディ―コンタクトがある競技では圧倒的に不利なので、体重をつけるために、けっこう苦労したんだけどね(筋トレを増やして…細かいことを言えば、筋トレのやり方も関係するんだけど…ランニングを減らした…ランニングのやり方にも、実はコツがあったりするのだが)。

 それで1年に5㎏くらいの割合で、少しずつ増量したんですね。いまではあの頃よりも○○㎏も増えて(お好きな数字をどうぞ)、今度は落ちませんな。現役の頃には、試合前に数キロ落として「キレ」を出していたんだけど、今じゃあその数キロはすぐにでも落とせるかわりに、現役の頃の体重なんか、夢のまた夢だ。

 だって体重20㎏の子供が5㎏落としたら、健康上問題があるじゃない。でも200㎏の人が5㎏落ちても、大して変わらないからね。体重5キロの嬰児だったら、5㎏落としたら消えてなくなるし。同じだけ落としても、身体に与える影響は、元の体重によって、まったく違う。

 とまあ、いろんなことを考えますが、美味しいものを食べるときには、体重なんか心配してはイケマセン(体重制限があるスポーツの現役選手は、そうもいかないだろうけど)。美味しいものはむしゃむしゃ食べるべきなのです。

「味覚は栄養を保証する」とは、北大路魯山人さんの名言ですが、美味しいものはしっかりと食べましょう。美味しくないものは、ほどほどにしておきましょう。と、明日は牡丹鍋と思ったけれど、S氏から大変立派なダイコン(スーパーであのサイズは見たことない)をいただいたので、ふろふきダイコンにでもと思ったんだけど、いつにしましょうかね。

 なにしろ一人暮らしなので、頑張って食べないといけません。美味しいから、たいして頑張っている感覚はございませんが。ただ、よく考えてみると、こんな美味しいものなのに、原価が「0」なんだよね(せいぜいガソリン代くらいで)。

 有難くて、涙が出ます。遠慮なくごちそうになりますです、はい。

 

2017年2月27日 (月)

密閉空間

 ちょっと今日は、花粉が多めでしたね~。外に出るとくしゃみが止まりませんでしたよ。誰かに、ボロクソ悪口を言われているだけかも? と人に聞いたら、その人は泣いておりました。なんでも花粉で目が痒いのだそうで。やっぱり花粉が多かったんだ。

 花粉が出ない杉を植えるとか、その他にもいろいろな工夫をしてくれてるようだけど、なかなか花粉症にこれといった決定的な対策はなさそうで、こうなったら酸素カプセルでも購入して、一日中そこから出ないで暮らすしかないのかな(それはそれで、結構な拷問ですけどね。特に私のように、落ち着きがないタイプには)。

 こういうことがあるといろんなことを考えるんだけど、昔、今みたく、機内に持ち込めるものの規制が厳しくなかった頃、誰かの荷物が棚から落ちて、中に入ってたらしい香水かなにかの瓶が割れたんでしょうね、とんでもない目に遭遇したことがありました。

 香水ってのは、ほのかに香ると、なかなか魅力的なこともあるのですが(気分次第とか、銘柄次第で、そうでないこともしばしばある)、瓶が割れちゃうと中身が全部出ますよね。否応なく、全部(どれくらい入っているのか知らないけど)の匂いがするんですよ。しかもジェットの中は密閉空間。

 はっきり言って帰国後、しばらく私は鼻腔から喉の調子がおかしかった。それから数年間は香水恐怖症になってしまって、デパートなんかに行っても、香水の匂いがするところが嫌になった(それが1階に香水売り場があるデパートが、当時の岡山にはよくあったんですよ! 結果として私はデパートに行かなくなった)。

 そういえばインフルエンザが流行した時(確かブタでしたっけ)も、機内ではできるだけ呼吸をしないようにしようと思ったことがありましたな。もちろん、そんな器用な真似はできないので、心を強く持って、「俺はインフルなんかにゃ、負けねえぞ!」と思い込むことにした。結果的には、その時はかかりませんでしたが、後に私の周囲で大流行した時、どうやら罹ったみたいです(お医者さんには行かないで、鉄観音ばかり飲んで、速攻で治してしまいました…私の鉄観音信仰の理由の一つ)。四六時中攻められたら、いつか綻びは出るもんですから。

 まだ経験したことがないのですが、密閉空間てえと、人工衛星の中とか、潜水艦の中とかが考えられますが、足が地に着いていないのは嫌いだし、閉所恐怖症気味なところがあるんで、人工衛星も潜水艦も、避難場所として選ぶ気にはなれません。

 でも今のまま行けば、『風の谷のナウシカ』に出てくる(コミック版)森の人のテントみたいなものが発売されるんじゃないかな。(中国の風景なんか見ていると、本当にこういうの作ったら、売れるような気がいたしますね。北京とは天津とかの風景を見たら、よく飛行機のパイロットさんは、あんなに視界が悪いのに、よく離着陸…離陸はまだいいとして、とくに着陸…できますねえ、と言いたくなります)

 いずれにしても、そろそろ花粉が本格的な時期に入りますから、できる限りの対策は立てておかないと。一番苦しいのは、自分ですからね。ここは一発、真剣にならざるを得ません。

 夜、寝る前のメンテナンスと(これがないと、息が詰まって、安眠できない。安眠できないと、疲労が回復せず、体力が低下する)、朝のメンテナンスだけは、忘れないようにしないと。心はいつでも密閉空間に逃げ込めるけど、肉体はどうしても外気にさらされるからね。

2017年2月26日 (日)

毒を以て毒を制す

 はい、よく飲みました。かつ、よく食べました。おかげで今日は、何もする気になれなかったので、春の種まきの準備以外、何もやらなかったなあ。もっとも種まきの準備をしていた途中、以前移植したツルボがやたらと増えていて、これの移転に手間取ってしまったんだけどね。

 どんな植物でも、ほどほどに生えて、ほどほどに花を咲かせてくれるから可愛いのであって、あまり増殖しすぎてしまうと、鬱陶しいと通り越して、邪魔になる。邪魔になれば、切ればよさそうに思うのだが、野生のものを移植したのが自分という負い目からか、枯らす気にはなれない。

 そこで邪魔にならないところに移転するのだが、1本も残らず完璧に移転することは至難の業で、たいていは数本くらい残ってしまう。そしてまた1年経過すると、エライ勢いで増殖しているのだ。

 今の時期の移転は、実は先手必勝である。繁殖しはじめる前に、邪魔にならないところに移しておけば、殖えても邪魔にならない(殖えすぎれば、やっぱり邪魔になるけど)。まあ、植物の殖え方には、いろんな方法があるので、これでもなかなか完璧にこちらの思う通りにはならないのだが。

 飼育している魚の動きは、目に見えて変わってきました。エサを取りに来る速さが速い。変温動物なので、水温の変化が動きにストレートに反映される。ということはいちいち水温計などを見なくても、魚の動きで、だいたいの水温が推定できる。

 ただイモちゃんはまだ冬眠から覚めていない。サンショウウオだったら、もう交尾の季節に入っているんだけどね。サンショウウオって両生類は、めっちゃ寒い時期に産卵をいたします。イモリはそうでもないけど。イモちゃんたちが冬眠から覚める頃には、私の花粉症はピークを迎え、息も絶え絶えの有様でしょうな。

 この息も絶え絶えの季節が、実は春まきの野菜の多くを植える時期なので、よほど気合いを入れて「今日は蒔くぞ!」と、とりかからなければなりません。ここで一日ふんばるかふんばらないかで、収穫の楽しみの有無が決まります。できるだけ一日で済ませたいのだけれど、なにせ一人暮らしなもんですから、一度に大量の収穫があっても、かえって難儀です。

 そこで時期を少しずつずらして植えるわけですが、そうなると花粉症で苦しむ日が増えるわけで、このあたりのやりくりが難しい。やっぱり「宇宙服」が必要ですな。いったん植えてしまえば、だいたいあとくされがないものしか植えないので、そんなに苦労はしないんだけどね。

 ただ作物は、野草に比べれば弱いので、気を付けていなければなりません。ま、今年は枝豆は絶対に植えるつもりだけどね(ビールのつまみに最高!)。昔、この枝豆でエライ目に遭遇したことがございます。

 一年目は見事に豊作でございました。そこで気をよくして、翌年も植えたのですが、芽生えて二枚葉が出た頃、鳥に全部二枚葉を食われちゃったんですな。どうやら枝豆ってのは、あのあたりに成長点があるらしく、まったく背丈が伸びません。高さ10㎝程度で成長は止まり、最終的にはさやが2つくらいついてお終いでした。食べるどころではございません。

 そこで鳥に狙われないように、最近は日向ぼっこに来る、(たぶん)近所の野良猫を追い払わないようにしております。ネコがいれば、鳥はノンビリ芽生えを食い散らかしたりできないからね。(ただネコが糞をし始めると、これは大変臭いので、困りますが)

 毒を以て毒を制すのですが、最大の問題は、制した毒を、どうやってコントロールするかでございます。子猫なんか生まれた日には、最低の将来が開けますからね。

2017年2月25日 (土)

呑むぞ!

 ああ、しんどかった。朝から400㎞ばかりドライブしてきた。もちろん、これで今日の用事が終了したわけではなく、実は準備。本番は、今日の夕方からである。何事も準備に時間をかけるのは、私の定石なのだ。

 雪は一番多いところで、60㎝くらいもあったかな。帰路は鳥取から真庭にかけて、小雪がちらついていた。岡山側は、湯原温泉あたりから雪があって、こりゃあ、暇があったら、雪見酒と温泉の組み合わせが楽しめそうだと思ったが、残念なことに、貧乏暇なし、金もなし、であって、今は我慢しなければならなかった。

 これを打ち終わったら、準備の第二段階に入るために、またしてもドライブである。まあ今度の走行距離は短い。疲れ目に苦戦する暇もないだろう。(400㎞のドライブでは、一番に目が疲れた。途中で3回、目薬休憩を取らなければならなかった)

 では今日の用事の本番は何か? 当然、呑み会ですよ。美味しく呑むためには、準備に手間暇かけにゃ(当然、お金も)。お酒も、わざわざ酒屋さんに立ち寄って、一押しのものを手に入れた。(その代わり、美味しくなかったら、もうこの人は信用しない)

 今晩、一緒に呑むのは、もう長いお付き合いの人ばかりなので、気を使わないかわりに、妙に張り切ってしまう。酒の肴は、海のものが多いかな。そろそろワカメもいい季節だし(今年は、まだ私は採りに行っていない。なんとなくタイミングがつかめない。採れたてのワカメなんて、バケツ1杯あっても、知らん間に胃袋に納まるからね)。なんたって、自分が取って来たものは、鮮度には絶対の自信がある。

 これからしばらくは、鮮度だけは自信が持てるものが豊富に手に入る。そのかわり、私としては、肉体労働をしなくてはならない。ま、働かざる者、食うべからずですから、しかたがないっちゃあ、しかたがないんだけどね。

 横着してしまうと、どうしてもこの生命力あふれる、新鮮なものは食べられない。人間は(人間だけではありませんが)、生命あるものを食べて、自分の生命をつないでいく。同じ生命あるものを食べるなら、元気いっぱいの生命を食べた方がいい(踊り食いは、あまりお勧めしませんが。衛生上の問題で)。

 こうなると、ほとんど吸血鬼の世界なのですが、もともと吸血鬼になったのは、ハリウッド映画の影響らしくて、もともとは吸精鬼らしいんですね。すると描写が過度にエロチックになってしまうんで、映倫から許可が下りなくなるんで、血を吸うことにしたらしいんですね。あちらには血が生命そのものって考え方があったようで。

 でも生命力をいただくのであれば、生きのいいものが一番ですよね。日本人なんか、生食文化があるので、一番生命力をいただいているのかも知れません。

 そこへお米のエッセンスであるところのお酒でしょう? 元気にならないはずがないじゃないですか。(もちろん、適度に摂取した場合ですよ)

 だから準備に拘ってしまうんですね。はい。

 さあ、PCの調子がよくないこともあって、準備、準備。

2017年2月24日 (金)

長期熟成

 無茶苦茶眠いです!夜になると、まだ十分凍死できそうな気温ですが、眠くなるったらしかたがない。さっきから何度も、椅子ごとひっくり返りそうになっているので、取りあえずは普洱茶でも淹れて、呑みましょう。ただし、今日は無理をせず、寝ます。

 先日、ちょっと茶葉を整理していたら、なんと未開封の普洱茶が出てきた。「ラッキー」と思わず声に出るほどでございましたな。鉄観音は室温にさらしていれば、品質が低下するだけ(室温でなく、低温で貯蔵すると、また別の味わい…なんと日本人好みかも…が出ます)ですが、普洱茶は、値打ちものに化けるからね。

 早速飲んでみたが、これがまた品質がUPしている。ラッキーの上にラッキーを重ねて、2乗したくらいだ(え~と、ラッキーの4倍か?)。へっへっへ…… これからまた淹れますねん…… 楽しみだね。

 この普洱茶くらい、冬に適したお茶はない。なにしろ、トイレが近くならない。普洱茶の薬効には、もう完全に信頼の上に信頼を重ねて、3乗するくらいなのだが、大量に発掘できたのは大きい。きっと、長期保存するつもりがあったんだね、これを隠した(別に隠す気はなかったのだが)時は。

 ちょうどリスやなんかが、食べようと思って、木の実かなんかを、木のうろかなんかにしまっておいて、すっかり忘れているうちに、雨水やなんかが溜まって、人が発見したときには、うまい案配に発酵していて「サル酒」化しているようなもんだね」(リスが作ってもサル酒とは、これいかに?) げっ歯類の中には、食べ物を隠してすっかり忘れてしまう奴がいることだし(ハムスターなんか、この傾向が強いね)。ということで、自分がげっ歯類並みの知能しか持っていなかったことに驚くと同時に、若干感謝(?)しながら、お茶を飲む。

 旨いじゃないですか! 少なくとも数か月分はありそうなので、この冬は余裕で越えそうだ。誰にも取り上げられなかったら、1年以上はもつかも。そうするとますますヴィンテージものになっていく。こりゃ、ますます人様にはあげられませんわな。自分でこっそり飲もうっと。(老師が来日されると、相当いいのを提供いたしますが。小さい茶餅のがあったので、それを進呈いたしましたところ、老師はなんと、呑みかけの残りの茶葉を持って帰国され、私がそのあとお邪魔した時に、飲ませてくださいました。あれはだいたい14~5年ものか、それ以上かもしれません。私が知らないうちに、我が家で普洱茶はどんどん熟成されて、旨くなっていたのですね~。ああ、驚いた)

 ただ普洱とは言っても、美味しくないのもあるからねえ。私が中国に行き始めた頃、たまたま通りかかった店で売りつけられたのは、こりゃもう不味い。Tさんなんか、うがい薬のかわりに使って吐きだしておりましたもん。あれ、どうなったかなあ… きっと捨てたと思うよ。

 今のは、少なくとも私が飲むのは、自分で足を運び、試飲して、気に入ったものしか飲まないことにしているので、そんなにハズレはないけれど、昔あちらから送られてきた生茶(普洱の)は、ちょっと淹れる時間が長くなると、苦くて。

 葉の時は、干し草の匂いがして、そういう気分の時は、匂いを嗅ぐにはいいのだけど、淹れて飲む気にはならない(まだストックしてあるので、ほしい人は私宛に連絡を)。日本では「煎茶」が苦いとかいうけれど、あの程度に苦さではございません。口が完全に曲がります(嘘ばかりついても、口は曲がるそうだけど)。5秒しか湯に浸してはいけないのが、普洱生茶の淹れ方だけど、何かしてたら5秒なんて、あっという間に過ぎているからね。日本で売っている、ペットボトル入りの「生茶」とはまったく異なるので、要注意。

 お茶の葉には解毒作用があるので、最初にお茶の葉の効用に気づいた神農氏は、どの植物が食べられるか調べるのに、いろんな毒草も食べたんだそうな。その都度、茶葉を食べて解毒したという伝説があるけれど(どうせ嘘)、最初は茶葉をそのまま食べていたという(これは本当らしい)。

 それを乾燥させてお湯に浸しているうちに(こうなると完全に薬草扱いですな)、お茶に発展したらしいけど、まさか土に埋めて発酵させて普洱茶にするとは思いませんでしたな。いろんな人がいろんなことをやって、(きっと)偶然か何かが重なってできた発明なんではないかと思いますね(普洱茶の成立は、日本で言えば、平清盛さんがいた頃らしい。ま、日本も決して負けてはおらず、「納豆」はそれより少し前、八幡太郎義家の頃なんだそうで、昔の人の感性?の素晴らしさ???には、驚嘆するばかりでございます……ちなみに私は、納豆も大好きでございます、くさやもたまには食べます。鮒ずしも、たまには食べますが、高価すぎていけません。シュールストレンミングは、まだ食べたことがありません。機会があったら絶対に買って帰ってやろうと思っているのですが……食べるときには、みなさんに声をかけます。みんなで一緒に不幸になろう!笑)。

 いずれにしても、長期保存を考えたものは、いろいろな変化があるみたいで、とんでもなく臭くなったり、逆にとんでもなくまろやかになったりするみたいですね。ものには長く付き合ってみないといけない? でも三日前の刺身は食べる気にはなりませんが……」

2017年2月23日 (木)

内省

 天気予報も、良い方に狂うのは嬉しいですね。ちょっと風はあったものの、暖かくなりました。同時に発生しにくくなって、花粉が増えたと、私の喉が申しております。もちろん肺も鼻もでございますが。

 それでも春めいてくると、少しは気分が高揚いたします。春は芽生えの季節だからね。厳冬を耐え忍んだ生き物が、活動を始める時期なんですね。心なしか、昨夜あたりから、虫も動き出しているようです。冬の間は、どこに隠れていたんでしょうか。

 ヒーターを入れていない水槽の魚の餌食いが、少しずつ増えてこようとしています。これは間違いなく、春が近い証拠ですね。私は昔からこうやって、季節の変化を、飼育している生き物から教えてもらっておりました。

 たとえばある生き物が冬眠から覚めると、それ以降は気温の低下がないと判断できますから、どんどんスピードトレーニングをやらせたりしていたんですな。身近にこういった「生き物」のセンサーを持っていると、あまり「読み」は狂いません。気象庁よりも正確です。

 ま、昔の腕のいい占い師なんてのは、こういったことから、自分の予言の基礎データを得ていたらしいんですけどね。こうであれば、腕のいい占い師さんてえのは、原始社会では科学者の一面も持っていたわけで、呪術が科学と混然一体となっていた頃のお話です。

 ただ重要だったのは、周囲のものに対する「観察」ですね。のんべんだらりと生きていたのでは、細かな変化には気が付きません。観察眼ってえのは、現状を把握したり、将来を予測する上で、重要な武器になるのです。

 もちろんこの観察眼、何も外側だけを観察するのでなくて、自分の内部を観察するのにも有効です。自分の内部も「感覚」という名前の情報を提供してくれるのですが、これも細かく観察していく習慣を持つと、いろんなことがわかってきます。

 ただ現代社会は慌ただしいので、なかなか物事をじっくりと観察している間がないのが困りものなんですけどね。またみんなとわいわいやっていても、気がつかないこともあります。特に身体内部のことなんて、じっくり自分と向き合わないとわからないことも多く、慌ただしい人向きではありません(私もそういう時期があったから、よくわかります)。

 慌ただしい生活を送っていても、一日わずかでもいいから、自分と向き合う静かな時間がほしいものですが、そうもいかない人が多いのではないかと思います(私なんか、山盛りあるけど。もともと賑やかなのが好きなので、静かすぎると、意気消沈したしすることもありますね。ただ自分とは、よく向き合っていますよ)。

 自分と向き合うと、いろんなことが頭をよぎります。こんなものを捨てて、無念無想の世界に入れ、なんてことを仰る方もおられますが、私は反対ですね(無念無想になりたい人は、ご自由にどうぞ。私は他人のやることは、私の邪魔にならない限り、容認いたします。邪魔すれば防衛しますよ)。

 無念無想の世界に入って、現実世界に戻って来た時に、まったく問題が解決されていないことが多いんですよね。無念無想の世界に入って変われる可能性があるのは、自分のモノのとらえ方、考え方でしかありません。

 それで問題が解決できるのならば、OKなのですが、世の中そうも言ってられないので、私の場合は、自分が抱えている問題を、この自分と向き合う時間に、もろ持ち込みます。持ち込んでいると、どうでもよくなったり、意外な解決法に気が付いたり、まったく解決できなかったりするのですが、まあそれなりに役に立ちます。

 まったく解決できないときは、まだ機が熟していないんですね。つまり解決するには足りない要素があるってことなんで、その時には解決不能です。どうでもよくなること、ってのは、やらなくてもいい事なんで、面倒だと思えば捨てます。

 意外な解決法が見つかると、あとは実行するだけのことです。アタマの中に浮かんだことを実行するには肉体が不可欠ですから、今度は身体を使います。

 でこれだけのことをするだけですから、禅寺に籠って座禅を組む必要はございません。ちなみに私は、いろんな機会にこれをやっています。時には站桩をしながらやっていることもあります。站桩を立禅を呼ばれた方がおられますが、まさに慧眼ですね。頭が下がります。

 昨夜はほとんどが試力でしたが(深夜、ずうっとやっていました。おかげで熟睡できました)、この時も、たぶんやっていたと思います。その時々で、何を持ち込むかは、まさに気分次第ですけどね。

 なぜ深夜かというと、誰にも邪魔されないから。自分と向き合うには、深夜ほどいい時間帯はありません。向き合いすぎると、睡眠不足になることもあるけど。

 これから暖かくなると、自分と向き合うにも快適な季節になります(一昨夜までは冷たかった)。睡眠不足になるか、問題解決になるか、それはまだわかりませんが。

2017年2月22日 (水)

一流探し

 関東の方では、春三番が吹こうかというのに、わりと寒いよ、岡山は。一昨夜も昨夜も、雪がちらついたように思うのだが、これは私の勘違いかな? 加えて今日は、朝はまあちょっとは陽光が拝めたけれど、午後になって予報通りの天気。氷雨ってほどではないにしても、寒い一日だった。(まだ、多少降っているけど、ネットの雨雲の移動予想通りなら、夜半過ぎの方が降りそう)週末の中国山地越えは、大丈夫なのだろうか。

 こんな天気で、「おんも」に出られそうにないからデスクワークが進展するかというと、必ずしもそういうわけではない。人間は感情の生き物なので、陰鬱だと、何をやっても陰鬱になる。不思議なもんだ。まあ、お蔭さんで、花粉の量は、多くはないみたいだけど(ないわけではない)。

 今年春に植える作物の案が決定した。いずれも酒の肴になりそうなものばかりである(たいていのものは、酒の肴にできるのだが)。ただ植えすぎて、練習場の邪魔にだけはならないようにしたいものだ。私にとっては、いずれも捨てがたい。両方を捨てるときは、死ぬ時だと決めている(死んだら、何もかも、捨てる他ないのだが)。

 昨夜はちょっと練習に気合が入りすぎて、横になっても眠れず(神経の興奮が、うまくシャットダウンできなかったんだね、きっと)、結局徹夜してしまった。そのまま寝てないが、まだ眠くならない。今晩は、神経の興奮を鎮める練習をやることにしよう(いろんな練習があるもんです)。

 しょうがないから、1950年代のハリウッド映画を見直している。いやあ、映画っていいもんですねえ! この時代の映画は、CGもなければSFXもないので、全部手作りと俳優さんや女優さんの演技力と、あとはシナリオライターさんたちや監督さん、裏方さんなんかの手柄だ。見ていて「すげえなあ。こんなところまで気を配って、うまく表現してるんだなあ」とばかり思う。

 何度も見ている作品でも、この感動はなくならない。まるで名作小説を読んでいるようなもので、見直すたびに魅力を発見してしまう(ただし、私にとっては魅力に見えても、他の人にとって、必ずしも魅力とは限らない)。そういう意味で、この頃がハリウッド映画の最盛期なんだろうなあと思っている。

 毎晩1作ずつ見直すって行為を、昨年の秋のはじめ頃から始めたが(実際には、毎晩1作ってのは無理がある。3日くらいかかって、ようやく1作見直すことも少なくなかった)、全部見直した頃には、また程よく最初に見たものを忘れていると思うので、案外経済的である。そして見直すと、またしても新たな発見があったりして。

 名作映画なんてものは、当時の最高に輝いている俳優さんや女優さんを、腕っこきのシナリオライターさんや、大監督と呼ばれる人たちが、きちんと演技指導やら、状況設定やら、こまごましたことにまで気を配って作っているので、間違いなく最高になるべくして最高になったものばかりだ。何度見ても、勉強にならないはずがない。

 陸上競技の指導を勉強し始めた時、お師匠さんから教わった言葉がある。「どんな技術が一番いいんですか?」と尋ねると、「そりゃあ、一流の選手が、いい記録を出した時の技術は、悪いはずがない」という答えが返ってきた。考えてみれば、その通りである。

 以来、この原則は、スポーツだけでなく、あらゆる分野で採用させていただいている。どんな分野でも、一流と呼ばれる人が、一流のパフォーマンスを残す時ってのは、絶対に一流の技術が使われているのだ。

 だから一流探しで、あちこちをうろつきまわったり、悩んだりする必要はない。一流の人と、その人が一流のパフォーマンスを見せた時(陸上競技の選手なら、世界記録を出した時とか、映画俳優さんや女優さんなら、一流の人が、傑作を残した時)には、間違いなく一流の技術(技術以外の要素があったりするときもあるけど)が発揮されている。

 だから映画なんかだったら、「名画」と呼ばれるものは、見逃したくはないね。そして何度となく、見直す。

2017年2月21日 (火)

生活パターン

 夜になると、やっぱ寒いですな。こうなると、夜は一人、站桩をやるのが、最も安上がりな防寒対策かも。時間はかかるけど、動きもしないのに、全身が汗びっしょりになるから(最初は脂汗)。1時間ちょいくらい立っていれば、全身がわけもわからなく暖かくなってくる(ここまでが大変。私は音楽を聴きながらやりますけど)。

 さらに続けていると、もう立っているのか、何をしているのかわからなくなる時もあって、こういう時はよくひっくり返る。なにしろ立っているって状態が自覚できないんだから(どんな立ち方をしているのかは、ヒ・ミ・ツ)。

 それでも非常に効果があるのは、安眠。いくらでも寝られるようになるよ。このまま死んでしまってもわからないくらい眠れる。きっとそれだけ疲れているんでしょうな。心臓とか肺とかにまったく無理をかけてない(はず)で、ここまで疲れられるのは素晴らしい。ついでに場所もとらないし(ついでに密閉した室内で行えば、花粉の影響も受けないし)。

 私のよくないのは、身体が温まってくると、「さあ、仕事でも片付けておこう」って、深夜であろうがいつであろうが、そのままPCの前に向かうこと。それから入浴、出てきて、バタン、キュー。でそのまま目が覚めないのかというと、ちゃんと朝には目が覚める(土日なんかだと、二度寝をするが、こうなると二度目の睡眠の方が深かったり、長かったりする。太陽が出てようが、鳥が鳴こうがおかまいなし。夜寝ているのと同じように、夢もたっぷり見るし)。

 こんな練習方法を考え付いた人は、凄い人なんだろうなと思う(站桩誕生については、いくつか説があり、どれにも納得できる言い分があるので、私は気にしないことにしている)。止まる(本当は止まっていないけど)は動くに勝る?(でも動かなければならないときは、ちゃんと動かないとね。今は季節がら、動きたくても動けないので)

 順番的に言えば、今晩は少し動きを入れなきゃならない日なんだけど、果たしてどこまでもつか、やってみなくちゃわからない(ペース配分なんてものはございません。ただただやるだけです。できなくなったら、今日の練習は、そこで終わり。でも翌日もいい気分で、「また今日も一丁、やったろうか」と思えるところを見れば、間違った方向へも行ってはいないみたいに思う。なにしろ自分の中で、義務化しているわけではないから。あくまで気が向いたらやる。仕事が煮え詰まったら、気分転換にやる、というのが大原則なもんで……そんな都合のいいもんがあるなら教えろという方がおられましたら、相談に乗らないわけではありません。こんな人類の叡智は、誰かが占有するのは罪ですから)。

 今年はふと思い立って、外で動けば、夜寝られないくらいしんどい目に遭うのなら、部屋を閉め切って、花粉をシャットアウトした状態で、できることをやってみようかということにしたら、今のところ調子がよろしいようです。

 一般にトレーニングを始めて3か月間、何の進歩も見られなかったら、そのトレーニングは間違っているか、自分に適していないと考えて、改良するなり、他のトレーニングに変えるなりをしなきゃならないと言う人もおられますが、3か月も経過したら、きっと花粉の時期は終わっているんじゃあないかと思います。それよりも、調子が上がり始めているところをみると、間違ってもいなければ、不適でもないと考えた方がよさそうです。

 もしかしたらこれは、長続きしそうな生活パターンかも。(でも暑くなると、床に汗が垂れて、池のようになってしまうのは、経験から知っていますからね…昔やっていた…、きっと夏は、ここまでは気合を入れてやらないでしょう)

 さ、あとはBGM選びかな。

2017年2月20日 (月)

思い立ったが吉日?

 強風は吹きました。いや、現在も吹いております。でも、風向が逆じゃねえの? 春一番って、南寄りの暖かい強風ですよねえ。今吹いてるのは、北西からの冷たい強風。季節を間違えんじゃねえっ! こちとら、週末には中国山地を越えにゃならんのだ。 とりあえず鳥取の友人に連絡して、雪の状態を聞いておこうっと。

 ま、暖かくなればなったで、花粉という重大な問題が待ち構えているんですけどね。人生と同じで、苦労や苦痛ばっか。クソくらえってんだ! フンっ!(クソだけに、糞っ!が正解か。実はすでに、鼻は詰まり気味)

 鼻の具合を測るバロメーターとして、最近では食事後のコーヒーを利用している。コーヒーの香りがどの程度香るかによって、嗅覚へのダメージを測るんですな。しばらく前から、いい香りがする日と、あまり匂わない日がランダムにあって、だいぶダメージが蓄積されつつあるな、とは思っていたんだけどね。

 この強風が止まったら、完全にやられてそうな気がして、憂鬱だ。(実は今日は朝から、あまり匂っていない。さきほどコーヒーを淹れたが、いつもの三分の一くらいしか匂っていない気がした)かくなる上は、真剣に沖縄への移転を考えなければならない。花粉がなくなった頃(といえば五月の中旬?)に家に帰ってくればいい。お金が天(天井の方がいいかも)から、私のところにだけ降って来ないものか。

 ティッシュペーパーだけは十分にストックしているので、何とかもちそうだが、いくらティッシュがあっても、鼻をかめば、最後は鼻と鼻の下までがダメージを受けるからなあ。ティッシュだって、鼻をかまれるためだけに生まれてきたんじゃないだろうに。気の毒だ。

 昨日、久々に水替えしてもらった魚どもは、異様に元気。水の中には花粉がなくていいねえ! 掃除用に入れていた(私の代わりに、水槽の清掃を担当する任務を負っているのだが)シラサどもが、どうやら水槽の掃除をせずに魚の餌を食べていたらしく、異常に巨大化していて、びっくりした。魚に食われてなきゃいいがと思っていたのは、杞憂もいいとこ。

 魚が襲いそうになると、例の爪を高く掲げるファィティングポーズをとる。しかも1匹ではなく、数匹が同時にこの態勢をとるから、魚も相手にせずに通り過ぎるしかない。ま、運がよかったシラサどもだ。

 運が悪かったやつは、入れても入れても全部魚に食べられて、掃除係ではなくエサにされてしまったんだろう。いなくなった代わりに、魚があり得ないほど色が上がった。私ゃ基本、魚に色揚げは使わない主義なんだけどね。

 人間の女性が、それぞれの状況に合わせて、身だしなみとしてお化粧をするのは、まあ、認める。ただビフォーアフターの差があまりに大きいと、化粧の技術の凄さに感心すると同時に、夢も壊れている。

 魚は基本、品種改良種でなく野生種が好きなので、野生種にはお化粧は似つかわしくないと、色揚げを使って、人為的に美しくしたのは、あまり好みではない。もちろん、偶然に生息域に、色揚げ作用をもったエサが豊富で、結果として色が上がったのは、これはもう諦めるほかない。運命のいたずらだ。

 私の飼い方では、環境はできるだけ現地に近づけ、エサはふつうのものしか与えない(できるだけ、人工飼料は避ける。どうしても面倒なときは、市販の、最も安価なものにする…色揚げは高価なことが多い… これには当然、経済的な理由もある)。要するに、ごくフツーの姿を楽しみたいだけなんだよね。

 確かにバリバリにお化粧して、美しく着飾った女性を見て、「うわあ~っっっ……!」って感動することはある。でも毎日見るとなったら、見てて落ち着ける方がいいもんね。落ち着くために飼ってるんだもん(とは言いながら、世話をし始めると、案外落ち着けないこともある)。

 それでも、私の代わりに清掃係として入れたものが、弱肉強食の掟に従って、食われちゃって、食った方の色が勝手に上がってしまうのは、もう制御できない。制御する気もない。も、勝手にやってくれ、と言いながら、清掃係がいなくなった水槽の、底に溜まった汚れを見て、溜息をつくだけなのだ(昨日、それを片付けた)。

 でも、昨日やっといてよかった。今日みたく、夕方から強風が吹き荒れ始めてたら、絶対にやらなかったと思うよ。思い立ったが吉日とは、よく言ったもんだね。

2017年2月19日 (日)

のんびり日曜!

 穏やかな一日でしたな、珍しく。ところが私の方も珍しく、腰が痛くなるほど寝てました。おかげで太陽の暖かさを感じたのは、昼からでございました。気持ちよく呑んだからね~。気持ちよく(マスターによると、かなり大量に)呑んだみたいです。はい。

 でも悲しいことに、話題が、今騒ぎになっている、例の暗殺事件に行かなかったので、ついに私の妄想は、語られずじまいでした。まあ、昨今の整形手術の技術向上を鑑みるに、「影武者」説も捨て去るわけにはいきません。もちろんこれは100%、興味本位のお話ですが。

 こうすると、後のストーリーもいくつか出来てきます。物語ってのは、こうやって作るもんだという奴でしょうかね。そのうち映画化されたりして(されない可能性の方が大きいけど)。場所や人名を変えて、こんなストーリーを作るのは、昔からよく行われてきたことだし。

 あ、そうそう。呑んでいたらTVの取材の方が来られまして、インタビュー受けたけど、うまく答えられませんでした。うまく表現できなくて、ごめんね、マスター。22日に放送があるんだそうです。このTV局出演は2度目かな。最初はまだ私が空手の現役の頃で、スパーリング風景が放映されました(あの頃は動きが軽かったなあ…体重も軽かったけど…今は、あたかも「大地を揺るがすゾウのスキップ」? でもないんだけど。体重を感じさせないように、滑るように動くがモットーですから)。あの時は、美人のインタビュアーさんがいたっけねえ。今回は若い男性一人でした。(問題ないです、はい)

 さてさて、各地から「春一番」の報せが入ってくるのに、我が岡山はまだ? 風の強い日はけっこうあるんだけど、暖かい南寄りの強風となると、まだなのかなあ。毎日天気予報を見ているわけではないので、もしかしたら見落としているかも。

 でも穏やかないい天気の翌日は、たいていが悪い天気のことが多いので、天気図をチラ見したら、日本海を低気圧が進むようではないですか。これはどの程度まで発達するかで、岡山でも「春一番」が吹きそうな気がいたしますな。

 すると気温が上がるので、県境を北に越えて、日本海側に出られるようになりますね。あちらで食材を仕入れて、こちらで呑み会の準備をしなければなりません。ああ、忙しい(けっこうな忙しさだ)。ただ海が荒れると、いい食材(海産)が手に入りませんから、もう少し待った方がいいのかな(花粉が多くならないうちに勝負!)。

 今年はやたらと「立ち往生」ってのを聞いたので、ちょっと自重していたんだよね。ドライブは快適でなきゃ。なにしろあちらで朝、水揚げされたのをソッコーで持ち帰り(当然、生きたままを目指しております)、マスターに我儘を頼んで、それで一杯やるんでございます。これに勝る幸せは(今のところ、悲しいけれど)ない。

 そうこうしているうちに、今度は野原に新芽が吹き、この中にも捨てがたいものがいっぱいあるので、これでもう一杯。毒草にだけ気をつけていれば(とはいっても、子供の頃からやっていたことだから、こちらはあまり心配していない)ルンルンである。

 心配なのは、花粉と飲み過ぎと、経済状態くらいかな。

 今日は、腰が痛くなるほど寝たので、とても飯袋子な一日でした。これから少し挽回しとかないと。でも久々に、のんびりした日曜だったなあ。

 

2017年2月18日 (土)

今日の私のアタマはオネアミス?(翼はまだない)

 今日は雨水(うすい)なんだそうだが、ややこしい天気である。曇りのち、雨のち、曇りのり、晴れってか? 天気予報も大変だね、この時期は。本格的冬型の天気が春型に移行する途中は、毎年こんなもんなんだそうだ。

 西高東低が基本だけど、それが崩れやすくなるんだね。西高型の安定政権が崩れるときに、いろいろすったもんだがあって、それから南高北低の夏型の安定政権になっていく。それでも安定していると安心していたらいけない。台風が来るわ、途中で気団どうしの勢力争いで大雨が長引くわ……

 まるで社会の変化そっくりですな、気候の変化も。季節の変わり目(トップ交代時)には、不安定になる。じゃあ安定させるにはどうすればいいのか? 気圧配置を(トップの首をすげ)変えなきゃいい。悪ければ悪いなりに、良ければいいなりに、安定する。

 ということで不安定な天気に、毒づきながら朝の散歩(というには、遠くまで出向きましたな)から帰ってきて、朝昼兼用を食べて、ちょびっとだけ仕事をして、今は『オネアミスの翼』を見ながら、これを打っている。

『オネアミスの翼』~王立宇宙軍~なんてアニメを憶えている人、いるかなあ。なにしろ1987年だから、もう30年も前の作品だ。私はこの作品の大ファンで、年に2回は必ず見る(不定期的。平均すると1年に2回見てるくらいになる)。

 ガイナックスの製作ということで、ガイナックスと言えば『エヴァンゲリオン』で有名だけど、エヴァの前にも、なかなか優れた作品を作っていたんだよ。

 最初見た時は「……」だった。きっと思考停止してしまったんだろうと思う。なんだか時代に合っていないような気がしておりましたね。だって1977年というから『オネアミス』よりも10年前に、『スターウォーズ』第一作が封切られ、1983年には、私がシリーズ中最も好きな『ジェダイの帰還(エピソード6)』が封切られているんだからねえ。

 しかも人工衛星なんてものは、だいぶ前に当たり前のものになっていたし。今更、有人衛生を打ち上げるなんて…… って感じがあった。でもね、見たあと不思議な感じがしたんだよ。で、VHSのテープ買って、見てるうちに妙に魅力が出てくる(これがまた、説明不能。もちろん主人公シロツグ・ラーダットの声優、森本レオさんの声は魅力的だから、昔から好きだったけど)。

 それでいまだに見直すんだよね、特に今日みたいに「これをしよう」ということが決まっていない日には。

 でもねえ、光線銃やら宇宙船やらがやたらと登場してドンパチやらかすより、面白いんだよ。特にラストの共和国軍が侵攻してくる中を、強引に打ち上げを敢行するシーンは、これはもう何度見ても感動モノですな。

 宇宙へ昇っていくロケットを見上げる共和国軍パイロットや、一瞬戦闘が止まるシーンも、大切な何かを象徴しているようで、いい。さらに宇宙船開発に抗議する団体や、小ばかにしている人々の描写もいい。

 やっぱりこの作品は、派手さはないけど、優れた作品だと思う。こういうのをじっくり作ってくれたら、と思うけど、興行収入の問題もあるだろうから、滅多にこんな作品が作られるチャンスはないんだろうけどね。

 さあ、今晩は呑みだ。ちょっと一休みしとこう。疲れちゃった。

2017年2月17日 (金)

子猫

風が出ましたな。昨日は九州あたりで「春一番」が吹いたそうなので、今日くらい岡山でもと思っていましたけど、残念なことに吹きませんでした(悔しいから、キャンディーズの『春一番』でも聴いてやろうっと)。それどころか、私的には、けっこう寒く感じたのですが、体調のせい?(花粉症っ!)

 気分的には『陽だまりのにゃんこ』でいたいのですが、なかなかそうはさせてくれないようでございます。(天気がいい日には、近所の猫が、わざわざ我が家まで来て、日向ぼっこをしておりますが…我が家で子猫を産むなよ。無断で我が家で産まれた日には、こっちは災難なんだから)

 ネコは可愛い生き物ではございますが、迷惑至極な面があるので、要注意。時に親からはぐれた子猫が、「みい~、みい~」と、こちらに懐いてくることがございます。俺はお前の親ではない、といくら言っても理解しません。まったく子猫を相手に、何やってんだ?と情けなくなってしまいます。下手にエサなんかやったら大ごとだから。当然のように我が家を自分の家だと思い始めるますからな。典型的な「軒を貸して母屋を乗っ取られる」パターンでございます。

 しかしながら、子猫を相手に「毅然とした態度」をとるのは、容易なことではありません。神様は何を考えたのか、子猫には「悪魔的可愛さ」を与えてしまいました。よほどの猫嫌いの人でもなければ、なかなか子猫に冷淡な態度はとれるもんじゃございません。

 私にできる最高に冷淡な態度は、「無視」することですが、これもなかなか決断力と強い意志が必要になります。万が一この春に子猫が我が家を訪れることがあっても、人懐っこくない子でありますように、と祈るほかございませんな。

 これが相手が人間ならば、けっこう「毅然とした態度で拒絶」できるんだよ。クソっくらえって感じで。なんでネコだとできないのかねえ。不思議です。

 と、ここではた、と思いだしました。なぜ男性は美女に惹かれるかって話。男性同士なら、イケメン以外友人にしないって人は、そんなにいないよね。これは男性には男性がわかっているからなんだって。相手をよく理解している場合には、外見よりはその人の内面とか人となりとかを総合的に判断できるんだそうな。

 ところが中身がわからない場合、何故か人は不思議と、端正な外見のものに惹かれるんだって! 中身がわからないから、取りあえず外見のいいものを選ぼうって、自動的に考えちゃうのかな。

 この理論に順えば、子猫は絶対にわけがわかんないってことになる。わけがわかんないから、取りあえず外見は可愛い。めちゃくちゃかわいい。食べてしまいたいくらいかわいい(実際に食べてしまったら、筒井康隆先生の『乗越駅の刑罰』みたいなことが起こっても、知らないよ)。

 でも飼ってしまったら、ねえ! もう何十匹も経験したことなので、二度と愚行は繰り返さないつもりでございます。可愛いんだけどさ、身動き取れなくなっちゃうんだよね(生き物を飼えば、程度の差はあっても、当然縛られる。魚なんかは楽な方だ)。

 最後のチャーちゃんですら(気難しい子でした。先日、夢に出てきてくれまして、久しぶりに再会、抱擁いたしました。どうやら無事に神様になれたみたいです)、站桩やってたら、足に体をこすりつけて来たり、ゆっくり動いていると飛びついて来り、古武器を振り回していると、必要以上恐れるかと思うと、武器にとびかかってきたりして、そりゃあもう、難儀をしましたもん。

 もう少し前に、まだ何匹も猫がいた頃には、花を植えていると、我が家のシンボルの立派な松があるのですが、その上に登ってちゃんと参観(監視?)。不思議そうに眺めている顔が可愛かったので放っていたら、ちゃんと翌日には、植えたはずの花が掘り返されてました(犬かよ?)。

 何を埋めたのか知りたかったのかも知れませんが、こちとら猫糞(ねこばば)する習慣はないので、埋めたのではなく、植えたのです。叱ったところで昨夜のことなど、猫が憶えているはずもないので「何そんなに怒っとん?」てな顔をされるのがオチです。

 こんな奴叱っても、相手はただ虐待されているとしか感じないだろうから、意味がございません。だいたい虐待は嫌いだし、するのもされるのも。

 悪気があって悪さをする奴なら、徹底的に懲らしめてやってもいいのですが(我が家には水戸黄門さまがいないので、「もう、いいでしょう」と声をかけるものがいるとしても、それは私の理性くらいのもの)、悪気がない奴を相手にしても、なかなかその気で叱れないし。

 だからとりあえず、よほど私を取り巻く環境が変わらない限り、猫は飼いません(環境が変われば、飼うかもってことは、やっぱり嫌いになりきれないんだね~。自分でも呆れるよ)。

※ 明日の夜は、今月の『○○を語る会』でございます。よろぺこお願いいたします。まだな~んと考えてないけど。ま、犬も歩けば…といいますから、明日の朝、ちょいと散歩にでも出て考えましょう(花粉飛ぶな、雨降るな、寒くなるな、風吹くな……)。

2017年2月16日 (木)

歴史好きの妄想謀略?

 さすがに今日は新聞各紙も報道いたしましたね。どこかの国の指導者の兄さんが、どこかの国で暗殺された事件。

 ことがことだけに、どこも慎重になるのは当然(だいたい、人の生き死にくらい重大なことがあるだろうか?)だ。と同時に、いろんな意見が出てくるのも、世の常だ。

 暗殺ってのは、普通の死に方ではないので(それは事故死にしてもそうだし、自殺や殺人などにしてもそうだけど)、他人があれこれと推測するのは仕方がない。それだけ興味をそそられる事件なのだから。

 奇妙なのは、遺体の送還を申し込んでいる母国があることだ。何故? 暗殺という目的が達成できたのなら、後は問題がないはずではないの? 歴史上でも、暗殺した人間の送還を申し込む例は(私は)知らない。できれば「あれ? 俺じゃねえよ!」って顔をしたいのが人情ではないかと思う(私とは根本的に人情が異なる人には、通用しない理屈だが)。

 そうすると考えられるのは、「本人確認?」ってことになりますかな。なにしろ影武者ってのが当たり前に存在する社会のようですから。黒沢映画を地でいってる感じ? とくに隣国には整形大国があったりするので、容姿だけでは信用できない? 遺伝子レベルで検死するんだろうかなあ?

 昔、斉に桓公という人物がおりました(小白といいます)。春秋五覇の筆頭に挙げられる人物ですが、この人は兄の襄公の異常を嫌い(生命を狙われるほかにも、近親相姦やらなんやらで、面倒ない人です。かつて本ブログで取り上げた、美女と悪女シリーズ、文姜でも、彼女の兄で彼女を愛した人物として登場しております)、莒国に亡命いたします。

 同時期魯にんも、この人の兄の糾という人も亡命しており、斉で襄公、襄公を暗殺した公孫無知が暗殺されたのを聞き、帰国しようとするのですが、先に帰国した方が、君主の座に就く上では有利なので、帰国を急ぐ小白を、公子糾についていた、後の名宰相管中は襲撃させます。

 こうして小白は管中が手配した暗殺者の矢を受けるのですが、なんとまあラッキーなことに、帯留めの金具に当たって一命をとりとめます。賢いのはこの時、死んだふりをしたことですな。そして死んだふりをして斉に入り、ちゃっかりと斉公として即位してしまったのです。何しろ「死体」になれば、それ以上は襲われませんからね。

 その後この小白さんの後見人だった鮑叔の進言で、小白を襲った管中を捕えさせ(管仲が使えていた公子糾は、魯で殺されます)、罪人として斉に送り返させ、宰相に抜擢するわけですが、相手が死んだ、と油断した瞬間、公子糾の将来は消えちゃったんですね。

 油断禁物火がぼうぼう、とはこのことですが、こういった歴史を積み重ねていたら、慎重になるのも無理はございません。ましてや今のように整形医療が発達していたり、一部ではクローン技術がどうのという時代では、権力者にとっては、なかなか枕を高くはできないんでしょうな。

 しかしながら、もしも本当に影武者だったとしたら、(あるいはホンモノであったとしても、影武者をホンモノにすることができたら)これはもう凄い展開が予測できますな(面白いストーリーが何十本も考え付きますが、時間と紙面の都合でパスします。なにしろ、たかが「妄想」ですから)。これが怖ければ、遺体を送還させて、確認するって行為の意味も、わかる気がいたします。

 しかしながら、昨日も言ったことだけお、権力者とそのそばにいる人って、苦労が絶えないね。私は凡人でよかったと思います。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、明後日18日となります。アルコールが入れば、妄想の続きが聞けるかも?(笑)

2017年2月15日 (水)

暗殺っ!ってか?

 本格的にくしゃみが出始めました。ああ…… 今年もこの季節が来てしまった(嗅覚は半分程度に低下)。こうなるとやたらと眠くなる。全身がアレルギー反応で、疲労困憊してしまうんだろうと、私は解釈している(体力もすでに50%が失われている)。

 西行法師は「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ」と詠まれたが、私の場合は、願わなくても、この時期に死んでしまうそうである。帰宅してしばらくは、身動きが取れなかったくらいだ。あ~しんど。

 昨夜、本ブログを打ち終わってみると、金正男氏が暗殺されたというニュースが入っていた。私がちょくちょくお邪魔する珠海というところは、実はマカオの対岸(実際には道路でつながっており、みんな行き来している。私主催の呑み会に、わざわざマカオからやってきてくれる人もいるくらいだ)で、ごくご近所様的な感覚のところだが、毎夜、ネオンがめちゃ派手にともされている。

 私はよく食事の帰りなんかにこの夜景を見るのだが、そんな時「あそこに金正男氏がいるのだなあ」とぼんやり考える程度だった。でも殺されたのはマレーシアなんでしょ? なんでまたそんなところに行ったんだろうか。

 聞いた話では、金正男氏は、中国政府の保護下にあるっていうことだった。中国政府が何故保護したのかは、あの国の古代の歴史をお勉強すれば、瞬間でわかることなんだけど、保護している者が暗殺されるってことは、保護している国のメンツは、丸つぶれだわな。だって「保護」になってないってことだもの。

 確かなのかどうかは知らないけれど、刺客は(ベトナム)女性二人だとか。しかも毒針を腕に刺したのだとか。 どんなやり方をしたんだろうか? 『必殺仕事人』の藤枝梅安なら、延髄に鍼を刺すわけだけど、腕だと聞いたから、腕のどこに刺したのだろう。

 もちろん毒針という以上は、相当に強烈な毒を用いたのだろうと推測するけれど、キングコブラに噛まれたくらいの作用があったんだろうか。 いずれにしてみ、怖いこわい、女性は怖い、針は怖い、針を持った女性はなお怖い(裁縫なんかしてられませんね!)。昔はよく、母が夜縫物なんかをしている姿を見かけたものだが……

 暗殺ってのは、狙われると、よほど厳重な警備体制でも布かない限り、逃れるのが難しいよね。狙う方は気が向いた時に、気が向いた場所で、気が向いた方法で試みることができるから。

 ところがそれに対して、狙われた側は、いつ、どこで、どんな形で、誰に襲われるかわからないから大変だ。夜、一人でトイレに行くこともできない?(あ、これは幽霊か) とにかく気を許している間がないんだから大変だ。緊張が続けば精神的にも余裕がなくなる。少しずつ変調をきたしてしまうかもしれない。

 暗殺なんかない世の中であってほしいものだが、時折暗殺ってのを耳にするから、普段から気を付けていなきゃならないかも。というのは、普通の人にとっては暗殺なんか無縁なのだけど、「人間違い」で襲われることだって、なくはないからね。

 それでも現代でも「暗殺」は完全になくなったわけではない。この日本だって、どこかのアヤシイ宗教(?)団体なんかに狙われた人たちがいたそうなので、決して安心してはいけない。少なくとも、交通事故程度には気を付けていなくてはならないのだ。

 古代中国の歴史なんかを見ると、暗殺という文字はあちこちでみかける。刺客という言葉は、本来、暗殺請負人のことだからね。(だいぶ前の選挙で、「刺客」として立てられた候補の方々は、実は、厳密にはそういう意味なのです。怖いなあ、選挙も)

 たとえば秦という国は、戦国時代を統一したわけだけど、あの国の基本方針は、戦って勝てそうだったら軍隊を送り込む。戦って勝てそうでなければ、間者を送り込んで、相手国に内部分裂を起こさせたり、刺客を送り込んで、要人を暗殺させたりする(今もこれに近いやり方をしているところが、あるよねえ。恐ろしい、恐ろしい)。買収、暗殺、なんでもござれだった。

 それとあの国の古代の歴史を見ていると、王や皇帝になった者は、兄弟は冷遇するんだよね。特に自分がいなくなれば、王位(皇位)を継承できる兄弟には、非常に冷たい。冷たいを通り越して、残酷でさえある。

 たとえば秦の始皇帝の後を継いだ、二世皇帝胡亥。この人は、自分の兄弟姉妹の全員を(20名以上いたそうです)殺害(一人、始皇帝の殉死という形をとった人がいる)してますからなあ。しかも始皇帝陵の近くにある、こういった人々のお墓は大変らしい。

 棺桶の中に、おとなしく納められてなかったりしたらしいんだよね。頸だけは蓋の上とか、頚椎がずれている痕跡があったり、足を切断されていたり、矢で貫かれていたりで。つまりは殺された(しかも惨殺されてた)んですね。

 王位(皇位)継承権を持つものは、すべて自分(権力者)を脅かす存在だと考えられていたんでしょうね。身分が高いのも、なかなか難儀なことでございます。およそ庶民なら、無縁な苦労があったみたいですから。

 ま、なんとなく今回の暗殺事件で、こいつを思い出したのは、きっと私だけではないだろう。権力がないと、惨めな暮らしをしなければならないことがあるかも知れないけれど、権力を持ちすぎても、人の知らない悩みがあるようで。

 ということで、これから資源ゴミを出す準備をしなくてはならない。誰かに暗殺されないように、十分気を配りながら行わなくては……

※ 今月の『○○を語る会』は、私が暗殺されたり、事故にあったりしないかぎり、今週の土曜日18日に行います。よろペコお願いいたします。

2017年2月14日 (火)

利き手

 そろそろ花粉の奴が来やがりましたね~。誰も歓迎なんかしてないのに、来やがりますね、毎年…… 寝てて口呼吸になるから、わかるんだよ。人間の身体はよくできていて、私のように鼻呼吸ばかりする人間でも、鼻が詰まれば、本人の意思とは関係なく、口呼吸に移行する(しないと、死んじゃう)。

 まだ症状は軽いけど、これからまた憂鬱な日々が続くのかと思うと、嫌になりますね。沖縄にでも移住しますか。

 この、機能を維持するために、使用する器官が自動的に変化するのを知って驚いたのは、いつだったかなあ。確か車の免許書き換えの時。利き目の話になった時だ。

 私は本来、右が利き目なんだけど、その時は大変な疲れ目で、特に右がヤバかった。それでなんとなく利き目を調べたら、あっと驚く大三元!(古~っ!) なんと左目になっていたのである。こりゃあびっくりした。

 で、畏友I氏にそのことを話したら、「勝手に身体が変えるんでしょ」。幸か不幸か、今も疲れ目なんだけど、利き目は右に戻っている。利き手とか利き足は変わらないのに、目は不思議だねえ!(ちなみに、耳には利き耳ってあるんだろうか? 私はあるような気がしているんだけど……私は右耳が利き耳っぽい。ものを噛むときでも、左右同じようには使いませんもんね)

 昔は、右も左も同じように使えたらと、ずいぶん左手も使おうと練習した。右手を骨折した時は、この時の練習がずいぶん役立ったけれど、左手で書いた文字はいつまでたっても上手にならず、「もじをかく」のではなく、「はじをかく」程度にしかならなかった。

 だいたい、きったない文字にしかならないのに、書くスピードが遅いんだよね。あまりイライラして、精神衛生上よろしくないので、なんとか左でもご飯が食べられればいいわ、と諦めた。

 もちろん星飛雄馬のように、利き手でない側でものが投げられたらと、これもだいぶしつっこく練習した。でも距離も出なけりゃスピードも出ない。コントロールなんて言葉は、私の左腕には無縁の存在だった。玉の行く先は、玉に聞いとくれっ!

 練習したことには意義があったと思うけれど、使えるようにはならなかったなあ。聞いた話だけど、昔、沖縄の空手家は、お弟子さんを海岸に連れて行って、右でも左でも、同じように石を投げられるようになるまで、空手は教えなかった人がいたんだそうな。私なんか、永遠に教えてもらえなかったんだろうなあ。(突きの練習は、右の倍、やっていたこともあるけど)

 利き手でない側を使うと、「心が込もらない」んだよね~。それはとりもなおさず、自分の思い通りに動いてくれていないということの証拠なんだろうけど、世の中には様々な理由で、動けなくなっても、ちゃんと他の部分で、素晴らしい仕事をしておられる方もいるので、こんなこっちゃあいかんなあ、と思うのだが、どうしてもイライラに負けてしまいます。

 幸いにして最近やっている練習では、右左逆にしてやったりもするので、少しはましになったかも知れないけれど、これはたぶん試合なんかに出るつもりがまったくないからだろうなあ(試合に出てる頃も、右でも左でもある程度はできるようにはしていたけど。でも右と左では、まったく違うんだよね~)。

 実はこういう思いもあって、古武器なんかを振り回してたりするんだ。右も左も、同じように使えないとできないこともあるから。それでも文字は左では書かないなあ。だいたい文字を書く機会は減って、キーを叩いてばかりだし(キーを叩くのでは、左右の違いは、さほどありませんね)。

 それにしてもネコ。案外左利きの奴が多いよ(ネコに利き手があれば、の話だけど)。ネコパンチをもっぱら左で出す子が多かったなあ、私の数十匹の対ネコ交際では。ネコパンチを出す前の表情は大変可愛いのだが、もらうと痛い(傷がつく)。なんとかあれを躱せるスピードはつかないものかと、練習した(遊んだ?)日々が懐かしい、今日この頃でございます。

※ 今月の『○○を語る会』は、今週の土曜日、18日でございます。よろペコお願いいたします。

2017年2月13日 (月)

知らん間に習慣に

 変な天気でしたな。これじゃ天気予報もやりにくい。晴れのち時々曇り、所によっては雪か雨か霙、なんてね。聞いている方も、「いい加減にしろ」と言いたくなるような予報になるかも。でもそれが本当の姿だったりして。

 要するに風が強いのがいかんのですな。風が強いから、雲が流されてくる。後は気温次第で、雨になったり雪になったり。このところ、上空の雲の移動の速さが、半端じゃないもんね。どんだけ強い風が吹いてんだろうか。

 何にしても、ほどほどにしておいてほしい。ほどほどの好天は暖かい。ほどほどの雨天は、水不足にならない。ほどほどの暑さは、人間を活動的にしてくれる。ほどほどの涼しさは疲労回復を早めてくれる。何事も「ほどほど」が大切だ。

 ほどほどに鳥がいるのは、麗しい光景だ。多すぎると、糞公害になったり、食べちゃいかんものまで食べてしまう。多すぎる鳥を狙って、トコが集まってくる(最初に我が家にネコが増えたのは、鳥が集まったせい。今はそんなに集めていないが…だいたい常連さんの顔ぶれは決まっている。最近はわたしがかなり近づくまで逃げようともしない。2か所に餌場を作ったが、一か所に取り付けて、もう一か所に向かっていると、もう来て食べ始めている…特にメジロ。可愛いから許す)。 

 ほどほどに虫がいるのも(蚊やゴキブリは許さないけど)、いろんなことに役立っているらしい。そうそう、私が毎日みかけるお地蔵さんの賽銭箱(?)に、先日から必死でカメムシがしがみついていたけど、とうとう力尽きたのか、地面に転がっていた。さすがにカメムシなので、素手で触って片付ける気にはなれなかった。冬はどんな生き物にとっても、厳しい季節だ。

 ところが何をトチ狂ったのか、少し暖かいと、なんとゴキブリが現れたりする。この季節のゴキブリは、非常に動きが悪い。夏のカタツムリと、動く速さではいい勝負かも知れない。「そんなに動くのが嫌なら、出てこなきゃいいのに」と言いながら駆除してあげる。私は蚊もゴキブリも嫌いだ。

 2014年からの写真を整理していて、カタツムリのアマちゃんが出てきた。バケツに溜まった雨水に藍藻が発生し、それを食べに潜っているカタツムリなんだよね。一応カタツムリは陸上生活に適応していて、鰓ではなく肺で呼吸するので(我々の肺とはだいぶ違うみたいですが)、よくもまあ潜るなあと感心した記憶がある。

 ついでに2015年の3月には、カタツムリの交尾の写真があった(何を考えて撮影したのだろうか? 自分でも記憶が消えていたが、見て思いだした)。やつらは雌雄同体なので、一見一匹でも繁殖可能なように思うのだが、ちゃんと二匹で「愛?を交換している」。不思議なもんである(タニシでも同じ)。

 まあ、なんでも撮影する習慣があるから、撮影した記憶は失われていても、写真という形で記録は残る。何年間分ともなると、けっこう貴重なデータである。たとえば植物の開花にしても、同じ木の開花を写真で記録していれば、今年は○日早い(遅れ)とかは、一発でわかる。

 かくいう私も、さすがに一本の桜の木を、一年間。毎日撮影し続けた時は、音を上げかけた。雨の日も風の日も、晴れの日も、暑い日も寒い日も、健康な日も体調が優れない日も続けるのは、なかなかしんどかった。人は一時のしんどさにはわりと耐えられるものだが、継続はしんどいよ。「継続は力なり」と言うけれど、私的には「継続には力は要る」だ。

 中でも一本の枝は接写していたんだけど、花見の季節に、心無い人に折られていたのは、本当に腹が立った。(その瞬間は、きわめて個人的な動機で、腹が立った) 花が咲いた時しか見に来ないのに、折っていくとはどういう了見じゃい!と思いましたね。毎日見ていて、蕾が膨らみかけると、我がことのようにうれしくなっているものだっているのに(どうせこんな輩には、そんな気持ちは理解できないのだろうが)。

 もちろんソメイヨシノだったけど、さくらんぼはできます。よく熟れるのを待って、一度ソメイヨシノのさくらんぼの味を確かめてやろうと思ったのだけど、今度は野鳥が強敵に変わる。熟れ始めてくると、私が食べる前に、野鳥のお腹に納まっている。なにしろあちらさんはそれが生存競争だから、気合の入り方が違う。勝ち目がない。

 それでも、ほどよく赤くなったのがあったので、食べたが、こいつが不味いっ!なんてもんじゃないくらい不味い。熟れ方は不十分だったのかなと思って、今度は黒くなるくらい熟したのを見つけて食べたけど、やっぱり不味いっ! ソッコーでうがいしたくなるほどの不味さ(渋さ)である。人間には人間用のさくらんぼがいい。

 その時は、野鳥はこんなまずいものでも、一所懸命食べてないと生きてけないんだなあ。それはそれでしんどそうだ、と妙に同情してしまった。

 あの写真もきっとどこかにあるよ、捨ててないから。第一膨大な量だ。あれもいいデータになったし、(確かあの年の岡山での桜の満開は、TVによると4月6日だった)年ごとの気候のズレなんかを比べるにはもってこいだ。

 こうして何気なく写真なんかを取っていると、何年か成果したら、嫌でも自然界の規則性に気が付くようになる。

 年年歳歳花相似、歳歳年年人不同(年々歳々花あい似たり、歳々年々人同じからず:唐詩選)とはいうけれど、それはまあ花は毎年同じような形のものが、同じような時期に咲きはするけれど、写真を撮って比べたら、そうでもないんですよね。咲く時期も微妙に変われば、咲く位置も数も変わっているし。

 こうやって比較すれば、なんでもデータになるもんだねえと以前は感心していたけど、今ではただの習慣になってしまっている。問題は、このデータを誰に引き継ぐかだ。しょうもかいことだけど、科学は(そんな大それたものでなくても)そうやって発展してきた。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日の土曜日(今週)でございます。よろペコお願いいたします。

2017年2月12日 (日)

鼠目寸光

 寒いじゃあないですか。西日本の大雪の心配は、たしか今日ぐらいまでだったような……  気がついたらPCの前で寝ていました(寝たら死ぬぞ!の声は聞こえなかった……)。

 昼間はよかったんだけどね、ちょっとだけ寒さが緩んだような気がして(あくまで「気がした」だけですが)。それでもまだ、ヤマトヌマエビを捕まえに行く元気は出ないなあ(なにしろ風通しがいい場所なもんで)。

 海の向こうでは、我が日本の総理大臣が、アメリカの大統領とゴルフを楽しんでいるとかで、私は「結構なこっちゃなあ」と思っていたら、これに噛みついているお人がおられましたなあ。

 何をそんなに噛みつくばかりしてんのかねえ。ゴルフったって、いろんなゴルフがあるでしょうに。大した意味もないゴルフもあれば、重大な意味を持つゴルフだってあるんじゃないのかねえ。

 たとえば大企業のお偉いさんがゴルフばっかりして、社内での仕事をしていないように見えても、それでバンバン仕事が入ってきて、その会社が繁盛するのなら、それはそれで結構なことではないかと、私なんかは思っちゃうわけですが、中には我慢できない人もいるようでございますな。

 いつもトップは陣頭で指揮をとって、声を枯らして号令をかけてなきゃ、仕事をしていないとしか思えないんだったら、この人は経営を「0」から学びなおした方がいい。ましてやどこかの集団のトップであるべき人間ならばなおさらだ。でないとその集団は、近い将来、存続の危機に当面するかもしれない(あくまで、「かもしれない」だけど)。

 人にはそれぞれに割り振られた役割がある。その役割をちゃんとこなせてさえいれば、一見遊んでいるように見えても、それは決して遊びなんかじゃない。立派に務めを果たしているんじゃないのかね。

 誰もかれも同じようにしてないと、一人だけサボっているように見えるってのは、外面しか見えない浅慮の証明だよ。もしも浅慮しかできないのなら、こういう人がトップに立った集団は大変だ。それぞれが果たすべき役割を果たそうとしていても、「あんたっ、何をやってんのっ! みんな机について頑張ってるでしょっ! なんであんただけそこで突っ立って、遊んでんのっ!?」 もうこうなっては、自分の役割を果たすよりは、仕事をしている「ふり」をすることにだけ熱心になる。

 ま、よほど世の中を見てこなかったんだねえ、こんなつまらないことをあげつらう人は。こんな人の下にはいたくないもんだ。私だったらソッコーで大喧嘩だよ。

 世の中にはいろんな人がいて、その人に相応しい貢献の仕方がある。それぞれがそれぞれの立場で、その時にできる最善を尽くしてれば、それでいいんじゃないの。ゴルフをしようが将棋や碁を打ってようが、麻雀やってようが、それで貢献できてれば、十分にOKなんじゃないかな。

 自分に理解できないことを、全否定しないと気が済まない体質からは、建設的なものは、何も生まれないよ。ま、鼠目寸光ってことかな(この人には、この四文字熟語は理解できると思うよ。それで自分の言動を矯正することはできなくても……笑)。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日の第三土曜日に決定いたしました。西大寺の会陽に行かない人は、集まってね。よろペコ!

2017年2月11日 (土)

(クマ的)冬眠の日

 めっちゃ寒いやん。起きた時、雪でも積もってくれていたら、簡単に諦めもつくんだろうけど、残念なことに「晴れの国岡山」南部ということもあって、雪は積もってなかった。

 昨夜決心したように、本日は「(クマ的)冬眠の日」だ。目が覚めても、起きないと決めたら起きない。こうなると「起きなきゃならないのでは?」などという思いは、すべて「迷い」の一言で片づけられる。言葉というものは、考えようによっては、便利なものだ。

 そこで私は、11時頃に目は覚めたのだが(寝たのが午前4時過ぎだったので)、いくらヒヨが「エサがね~ぞっ!」と喚く声を響かせても、「知らんもんね~。昨夜、ちゃんとエサをつけてたでしょうが」と、起き上がらない。なにしろこちらは(クマの)冬眠モードなのだ。

 11時から約30分かけて、ゆっくりとストレッチを行う。その後で臥式の站桩をやる。站桩は立って行うだけではなく、寝て行うもの、座って行うものもある。臥式とは、寝て行うものだ。これもきちんとやれば、身体の隅々まで気血が通うようになるのがわかる。今日の私は、最初の2分でOKだった。

 もちろん2分で止めるわけではない。なにしろこちらは、横着がしたいのだ。横になったままの快感の余韻を楽しみたい。で、結局は15分くらいは楽しんでいたのかな。この臥式は、高齢者にはぜひおすすめしたい站桩だ。気楽にできて、しかも動き始めによい。個人的な感覚では、健康にもよい気がする。

 引き続き、身体のコアの部分を動かす。もちろんこれにもきちんとした方法論があり(少なくとも私のところでは確立されている)、私は暇さえあれば怠ることはない。これが約10分かな。起きてからここまでで1時間少々を楽しむ。その間はヒヨが叫ぼうが、メジロが呼ぼうが、知ったことではない。

 その後で、とりあえず煩い鳥を黙らせるために、木の枝に鳥の餌をつける。なんと今日はトコがとことこ歩いていたので(鳥を狙う猫のことをトコという。鼠を狙うのはネコで、ヘビを狙うのはヘコである)、取りあえずトコの跳躍力では届かないところにセット。

 それから朝ごはん(? 完全に朝昼合体だ)の準備をしている間に(コンロなどが働いている。私には暇)太極拳と空手の型をいくつか。寝ぼけ眼なので、ゆっくりした動作が多い。朝ごはんは新聞二紙を読みながらゆっくりと摂り、そのあとはお魚のエサやりだ(準備は早くから始めるが、解凍するのに時間がかかる。第一魚は煩く騒がないので、ついつい後回しにしてしまう)。ここまでですでに午後一時。

 その後はコーヒーを淹れて仕事にとりかかる。ところがめっちゃ寒い。しかも空が暗い。こりゃあ雪かなと思っていたら、雪がちらほら。積もる前に冬眠を続行する形を作らなきゃならないので、取りあえず山へ。山へはほぼ毎日行く。短時間でも、やっぱ地形がいいんだよね。歩くだけでもちゃんとトレーニングにはなる。

 それから雑用(お酒を買って来ることは、非常に重要な雑用の一つ。私にとっては「生命のガソリン」だ)、帰宅してから古武器を使った練習、基本練習から型までを、40分くらいかな(あ、健舞もやったっけ)。大した量ではない。そのうち仲良しのNさんからメールが入ったので、返事を打つついでに休憩。

 その後、八勢をやってさらには某武道の基本的な練習と発力、発勁を数種類の方法でやり、最後には型稽古と基本の動き。仕事をまったくやっていないのを思い出して、取りあえず着替えてから仕事。合計で1時間半くらい?

 その後、気がついたらもう真っ暗だったので、晩御飯。これまた煮物などは待ち時間が勿体ないので、站桩をやりながら待つ。何かをやりながら待っていると、不思議なことに、煮物はすぐに噴くし、焼き物はすぐに焦げる。お酒の燗は毎度南部鉄瓶でやるのだが、これもすぐに沸騰する(否応なく超熱燗になる…アルコールが飛ぶので、味はともかく、健康には良い?)。こまったような、困らないような(放置するとアルコールに引火して、火事になります。もしも真似をされる場合は、くれぐれもそばから離れないようにご注意ください…だから私は站桩をしながら監視しているのですが)。

 それで仕事再開とばかりに、今PCの前に座っているところ。今日のノルマを達成したら、後は延々と站桩と試力をやるつもり。二回ぐらいぶっ倒れたら、入浴して、それから身体を整えて寝る。これが私の(クマ的)冬眠の日。最高にいい生活だわな。孤独だけど。 幸せなんか、クソくらえって感じですかな(もう完全にヤケクソですな…笑)。

 もしもクマが穴から出てこなくなっていたら、たぶん死んでいると思ってくださいな。(気合が入って、ほかのことに手がつかなくなっていることもありますが)

※ 今月の『○○を語る会』は18日の土曜日の予定ですが、西大寺の会陽と重なります。いかがいたしましょうか。都合が悪ければ、できるだけ早くにご連絡ください。(正直、一番いいのは、新作花火の競演なんだけどね。これは見る価値はありますよ)

2017年2月10日 (金)

和む

 寒いですな~、てか冷たい。露出しているところが、すぐに冷たくなる。この冬、二番目の寒気だそうな。一番よりも二番の方が「悪さ」をすることが少なくないので、警戒が必要ですね。

 この時期の低気圧(温帯低気圧)、日本列島の南を通れば「南岸低気圧」で雪を降らせるし、北を通れば南の暖気を呼び込んで、ちょっと強めの風が吹けば「春一番」ってことになるんだろうけど、私はキャンディーズの方が好きだな。(おっとCDがすぐそばにあった)

「春一番が 掃除したての……」 いやあ、風も冷たいよりは、この季節、暖かい方がありがたいですわ。野鳥がもう必死の形相で、果物を食いまくっております(ってえことは、山は雪なんだろうなあ。雪が降ったら、エサもなにも、全部雪の下になってしまうので、生きてけませんもんな)。

 小鳥を飼育した経験がある人はご存じだろうけど、小鳥って、エサが一番上にないといけないんだよね。自分でひっくり返して、そこの餌を発掘するってことをやず、平気で飢え死にするからねえ。だから小鳥を飼育し始めたら、遠場への旅行なんてできない。毎日エサを換えてやらなきゃならないから。

 我が家は庭木の枝に突き刺しておいて、「勝手に食え。早い者勝ちだぞ」なので、結構無責任ですが、今年はヒヨの食いっぷりが半端じゃない。みかんなんか皮まで食ってるからね(まさかミカンの皮には栄養たっぷり、なんて記事を読んだわけでもあるまいに)。

 私はこういった記事はあまり気にしてないんだけどね。だって野生の生き物たちは、何がいいのか本能的に知ってるよ。普通なら熟した身だけ食べて、皮なんて食べないもの。もしも皮がそんなに身体にいいのなら、野生の生き物が一番に食べるんじゃない?

 ちなみに野生のクマなんかだったら、エサだ豊富な時には、遡上するサケを捕まえても、ハラワタと脳みそしか食べないそうだからね(ちょっとこの食事は、人間からみたら嫌だけど。お魚はふつう、ハラワタは捨てるし、脳みそは食べないよね。医食同源的な考え方なら、具合が悪い部位を食え!なんてことを言いますが…例えば肝臓が弱っているときは肝を食えとか…クマがハラワタを食べるからといって、クマのハラワタが具合悪いわけじゃないだろうし、クマのアタマが悪いから脳みそを食べているわけではないだろうし。要するにカロリーの問題だよね。より効率よく、栄養を取るための智慧なんだろう。自然界では生き延びるのが最優先だから)。

 だからいくら皮に栄養があると聞いても、私はミカンは皮を剥いて食べますし(剥いたらあとは袋も、白い筋も関係なく、ぱっくりこと食べます)、バナナだって皮に栄養があると聞いても、中身しか食べません(サルだって、中身しか食べないもの。皮ごと食ったら、サル以下?)。美味しいのが一番。美味しくいただけば、栄養は保証されます(魯山人先生の言葉を信用してます。ただしタニシも食うけど…以前は岡山にも食べさせてくれる店があったんだよ。今は海外へ出た時、食べることがあります…、生煮えは勘弁。ジストマで死にたくはないから)。

 とはいうものの、ヒヨの食いっぷりを見ていると、山にエサが少ないのかなあ(鳥にとっての餌ですよ)。今のところ、クマとかの話は、私は聞いていないのだけど、山に入るときは、気をつけなきゃね(この時期はまだ入りませんが)。

 とはいえ花の季節(花が咲きはじめると、小鳥は蜜でも吸うのだろうか、我が家にやって来なくなる。薄情者めが)まではあと1か月くらいかなあ(梅はもっと早く咲くんだろうけど)。それまでは、我が家の枝に、エサを取り付けなければならない。

 小鳥は「ありがとう」の一言も言わないが、なんとなくエサをついばんでいる姿をみると、」心が和むので、それを「ありがとう」の代わりにしている。ま、早く暖かくなるといいね!

2017年2月 9日 (木)

無敵

 昼過ぎまでは、わりといい感じ(気温的に)だったんだけどね、夕方に近づくにつれて、どんどん寒くなっていくような気がした。なんでも降雪の心配があるそうで、積もったら私は冬眠しますからね!

 先日からちょっと立ってみたら気持ちがいいので、室内だって練習はできると思ったら、気楽になっちゃいました(昨日も1度、ぶっ倒れました。危ない、危ない。自分が最大の敵なんですね~)。冬眠しながら立っているなんてのは、これはなかなか効率がいいかも。

 では立っているだけで練習になるのか? 素朴な疑問ですが、立ち方次第ですね。立ち方がわかっていれば、ただ立っているだけでも、ある程度までは練習になります。だって自分が一か所に動かないように立っていて、何かがぶつかってきたとき、ぶつかって来たものが壊れたら、相手の自損事故的だけど、結果として相手に勝っているわけでしょう? 理論上は。

 もちろんそんなバカなことは、あまり多くは起きないので(起きることもある)、やっぱりトータルな練習には、動くことが大切なんだけど、1週間や2週間なら、室内にじっとしていても、ある程度までは練習ができます(不完全な形ですが)。むしろあれこれ多彩な練習ができないことも、ある時期には必要です。

 こんなことを言うと、エライ人なら、「そうじゃ。草木も寒い冬をじっと耐えているから、春になると芽を吹き、夏になれば繁り、秋には立派に実らせることができるんじゃ」と教えてくれたりするのでしょうが、残念なことに私はそんなレベルには全然達していないので、動かないことは実は動くことなんだよ、程度の認識でいます。

 動かないことは、それはそれで、きつい練習ですからね。昔なんかのマンガだっけか? 映画監督の鈴木清順さんが、松田優作さんに、「動かないで歩いてみなさい」という指導をされたと読んだことがございますが、まさにそんな感覚ですね。

 もちろんこれだけでは実際には動けないので、どこかで必ず動く練習は必要になるのですが、外に出られない日(出る気にならない日も含めて)には、室内でおとなしく(ただし全身が熱くなってくるけど。それはそれで暖房の節約になっていい。最後は汗みどろで、こんどは洗濯洗剤の消費が増えたりはします)やるのも、よろしいようでございます。

 なにしろたいていのものには邪魔されないし、気がすむまでやってればいいのですから(一人暮らしの数少ない利点)。誰かが何かを話しかけることもないし、「そこ邪魔だから、ちょっと避けろ」とも言われませんし。

 こういう、何物にも反応しなくていい状態ってのは、ある意味無敵ですよね。誰かがちょっかいをかけてきても、相手しなけりゃいいんだけど、人間って、つい相手しちゃうじゃないですか。それで問題がこじれることも少なくないわけで。

 何をしても反応しない者には、策をかけることはできない、と有名な司馬仲達ですら、孔明も木像を見て逃げ帰った時に答えたそうですが、まさにその通り。この話がたとえ実話ではなかったとしても、「正解」だと思いますね。

 相手が何をしても気にしないこと。ただただ自分の進む道だけを、自分のペースで進んでいく。これが本当の「天下無敵」だと、私は思ったりしますね。「木鶏」なんてお話も、実はこんなことが言いたかったんじゃないかしら、なんて最近思うようになりました。

 相手に対応しようとしたら、自分の態勢は幾分かは変化させますからね。その変化を狙うのが戦上手でございます。『孫子の兵法』には、「正を以て対し、奇を以て勝つと」ありますが、相手が動いた瞬間に「奇策」がかかるわけで、何も変わらなければ、錆に強いステンレス流し台ってことになりますよね。

 自分を変えなくてもよくなるためには、しっかりと自分を知ることが大事でして、いろんな知り方はあるけれど、動かない時には動かないなりの自分を見つめることができますし、動いている時には動いているなりの自分を感じることができます。どちらも大切なことですが、動けない時には、動かない自分を見るだけのことですもんね。

 昔々の学生時代、どうしても人の木を惹きたい奴がいて、あれこれとちょっかいをかけてきました。知らん顔をしていたら、そのうちどこかへと消えましたけれど。こうなれば争うことすら不要ですもん。超経済的な方法ですよ。

 さあ、明日は雪が降ったら(あまつさえ積もったら)、絶対に冬眠してやろうっと。ただし、リスやヤマネではなく、クマの冬眠で。

2017年2月 8日 (水)

罪該万死

 やれやれ、文科省の天下りの件で、前事務次官の「万死に値する」に苦笑した。というのは少し前の某隣国の、占い師だかなんだか知らないけれど、「死んで償うほどの罪を犯しました」という言葉の後だから、なおさらだったのかも知れない。

 謝罪は必要だと思うけれど、大げさに過ぎる謝罪は、見てて(聞いてて)白けるんだよね~。たぶんこの大げさな謝罪の歴史には、儒教的思想(単純に漢文って思いたくないんだよね。漢文にだって自然科学での論文が残っていたりするから…しかもそれがすべて正解だったりする!)が絡んでいるんではないかと思うんだけど(間違ってたらごめんなさい。なにしろ儒教は美辞麗句の上に、表現がドラマチックすぎるきらいがあるので。不勉強な私だから、勘違いすることがあるかも知れない)、これって後ろに「まあ、そこまでしなくてもいいから」って、誰かが止めてくれるだろうという思惑が見え隠れしてる気がして、気持ち悪い。

「万死に値する」ってのは中国語では四文字成語になって久しく、「罪該万死」という。私なんかだったらすぐに厭らしく、恩赦してしまいますよ。「いやあ、一万回も死ななくてもいいでしょ。9999回くらいで十分じゃないかな」  ……恩赦になってないか?

 言葉を必要以上に飾る(いい方にも悪い方にも)人間は信用できない。第一、美辞麗句を重んじた儒教(美辞麗句という言葉は使っていませんが)ですら、孔子自身が「巧言令色鮮矣仁(巧言令色すくなし仁)」と言っているくらいですからな。言葉を飾ったり、大げさな態度で誠意を示そうとしている裏には、見事なほどに「下心(つまり私欲)」が見え透いているわけですわいな。

「万死」なんて難しいことを使って、教養をひけらかしてはいけません。謝罪するなら、私のような無学の徒にもわかるような、平易な表現でやっていただかなくては。昔、星新一というショートショートの神様とまで言われたお方がおられました。この人の文章は非常にわかりやすく、少なくとも日本語を解する人なら誰が読んでもわかるんじゃないかと思えるほど、わかりやすく書かれていました。

 その分、嘘がつけないんだよね。わかるということは、ごまかしがきかないってことだから。私なんか、すごく尊敬してましたよ(爪の垢を煎じて飲もうにも、もうこの世におられないのが悲しいですが)。中でも『官吏は強し、人民は弱し』を読んだ時ですかね、作者はちっとも感情を露わにしていない書き方なのに、読者のこちらに怒りがこみあげてきて、半月ぐらいものが手につかなかった(学生だったので、そんな暮らしも許された?)くらいですよ。

 誰にでもわかる平易な言葉を使いこなすってのは、本当に神業なんだなと思いましたね。難しい言葉ってのは、ごまかしが効くんですな。難しくなればなるほど、個人個人で、その言葉に対する理解の度合いも違えば、時に誤解していることだってあるわけだし。

 昔、難しい四文字熟語ばかりを好んで使われる政治家さんがおりましたが、当時学生だった私から見ても、「今の用法間違ってるよ」ってのがしょっちゅうあったりしましたからね。難しい言葉を使う人は、取りあえず警戒しなければというのが、以後の私のスタンスになっています(外国語をそのまんま外国語で使うのは、むしろOK。だって正確には翻訳できない意味を含んでいることだってあるもの)。

「万死に値する」って言っている人の気持ちは、わからないわけではありませんが(つまりは、どうしようもないほど反省し、また後悔しているって意味でしょ?)、まあそんな難しい表現なんかしないで、後々がよりクリーンで、みんなが納得できるような方向に進めるよう努力していただければ、私はそれでOKなんですけどね。(罪は罪で、検察かどこかが考えてくれるはずのことなので、私らみたいな素人が口を差し挟むべきではありません。資格もなければ、第一さっぱりわからない!)

 でもなあ、「罪該万死」と今言うくらいなら、やっている時だって、違法性には気づいていたんじゃない? 文科省って教育の親玉じゃん。間違っていたと思ったら、その時やめるようにはできなかったんでしょうかねえ。そういう人が教育界の上を仕切っているのなら、教育界も先が明るいと思うんだけどねえ…… そこんところが、一番大切なんじゃないかと思ったりしますが、エライお役所さんにはそれなりのしきたりもあれば、それなりの見解もあるんでしょうから、私は国会での追及にお任せしますけどね。

 私は自分の生活で手一杯ですから、人様の難しい問題に首を突っ込む暇なんかございません。ただ「知ってしまえば」そこはそれ、人間ですから、感情もあるし、「ふざけんな、このヤロー」って気持ちが湧かないわけでもありません。ついよけいなことを口走ってしまいたくなったりするんですね。(修養が足りないなあ、と自分でも反省しております。ま、少なくとももう五十年は生きて、少しは修養を積もうかと思っておりますが)

 でもなあ、一万回死ぬってことは、一万回生まれるってことでしょ? かりに80歳まで生きたとすれば80万年かかるんだね(80万年前って、まだ現生人類が生まれてないじゃん! ミトコンドリアイブが生まれたのが20万年~12万年前といわれているから、20万年前としても、2500回しか生まれてませんね。もちろん万死ですから、人生の途中で死んだとして、40年くらいで生まれ変わっていたとすれば5000回ですか。先が長いぞ、罪を償うには。それまで人類は滅亡しないで生きていられるのでしょうか? それが問題だ)。

 言葉遊びは、ちょっと計算するだけで、実現不可能って答えが出てきます。はい。

2017年2月 7日 (火)

ぷるぷる、再び……

 寒かったですね~(現在進行形で!)。んで、できるだけおんもに出ないようにして、風の当たらないところで、站桩ばかりやってました。するとですねえ、意外に寒くないんだよ。身体が活性化するというか、わけがわからないようになるというか……

 おかげで一向に仕事が前進しなかった(これからその借金を返さなければ…)けど、案外心地いい。もしかしてドーパミン、出ちゃった?(ドーパミンが出るほどやるなって!と自分でも呆れております。なにしろこれ以上立てないところまでいってしまって、2回ほどひっくり返りましたから。……おいおい)

 一度は椅子の上に倒れ込んだので、これはまあ変な座り方になったけど、本来が立つのが嫌になった人が身を休めるのが椅子の役割なはずなので、問題はない。もう一度は本だなに倒れ込んでしまいましたなあ。ああ、びっくりした。あんまりびっくりしたので、寝る前にもう一度やってみよう(心が病気か?)。

 あれは意外と疲れますからねえ。今晩は爆睡間違いなしだ。ただ立ってるだけなのにねえ。知らない人が見たら、「変な人だと思ってたけど、とうとうあの人も……」なんて思うのではあるまいか。心配ご無用。私は(たぶん)正気は失っていない(はずである)。

 車庫を改造して、もうちょっと動的な練習ができるようにしないとなあ。なんてことを考えながら突っ立っていたんだから。動かないで動くことを考えている。これもまた「静中有動」の一種なんかねえ。その前に片付けをしないといけないんだけど。こう考えただけで、また溜息が出てくる。

 明日は昼くらいまでは天気がいいのかなあ。夜はなんだか崩れるとか言っていた。昼はなんとか晴れたり曇ったりだったのに、夜はバンバンで晴れ上がる。これじゃあ放射冷却ばかりじゃないか。夜が明けたらまた曇ったりしたら、気温は上がるチャンスがない。

 地球はだいたい12時間ごとに昼と夜が繰り返してるから、気温の上下幅が狭いんだぞ。だから暮らしていきやすいんだ。100時間夜が続いて100時間昼が続いたら、100時間気温が下がり続けて、100時間気温が上がり続けるわけでしょ。これじゃ気温の上下幅が大きくなりすぎるよね。

 できたら雨が降るとしても夜だけにしていただきたいな。昼間は人間が活動する時間なんだから。でないと、明日もまたぷるぷるになってしまうし……(それはそれでまた、意義深いことかも知れないけど。昔は1日に数時間立ってたこともあったから)

 プルプルのあとはお茶を飲む(多くは鉄観音茶、紅茶、普洱茶)。時々ひっくり返る。へたり込んで、しばらく動けない。いったい何をやってんだか……ま、この「何をやってんだか」ってえのが、意外なほど大きな積み重ねになることを知っているからいいんだけどね。知らなかったら、絶対に進んではやらない生活だよ。

 ただし一つだけ確実に言えることがあります。最もお金のかからない時間の過ごし方の一つではございますな(立ち方さえ知っていれば、積み重ねにもなるし)。こういう利点があるから、続くのかも。これが1時間立っていたら5000円支払え、とか言われたら、絶対にやらないと思うよ。

 そうそう、昨日の夕方(まだ暗くはなっていなかった)、またネズミに出会ってしまったよ。もう二匹は捕えて追放したんだけど、いるんだろうなあ、けっこう。大きさが今までのよりも2まわりほど小さいので、子供なのかもしれない。

 鼠は、我が家が安泰である証ではあるものの、時として私の安眠を妨害する害獣である。幸いにしてこやつの通り道がわかったので、罠をしかけるべき場所はわかった。この寒空に追放してやるのは気の毒な気もするので、できるだけ私の安眠を妨害して、私を怒らせないようにしてもらいたい。

 通り道がわかった以上は、罠は仕掛けられるからね。罠をしかけたら、遠からず捕まえるに違いないので、怒らせないのが一番だ。今週末は特に、雪の注意報が出ている?みたいなので、特に私を刺激しない方がいい。暖かくなったら、屋外でも暮らせないことがないから、遠慮なく追放してやるけど(近くに民家もない)、今はまだ気の毒な気がしているからだ。こりらは怒りでぷるぷるしないことが大切なんだよね。

 それでも、もう5週間もすれば、土筆が出始めるんだよねえ。季節は知らないうちに巡っていく……

2017年2月 6日 (月)

別れろ切れろは芸者のときに言う言葉

 午後三時過ぎから、案の定、北風が強くなった。おまけに午後5時を過ぎてからは、驟雨ってやつがやってきまして、おかげさまで私は今年初めての見事な虹を見ることができました。見事に半円を描いてたんだよね。虹は足の方に行くほど濃くなっていて、足を探しに行こうかと思ったくらいだよ(虹の足元には、宝物が埋まっていると言われている。もちろん虹の足は、地面にくっついていることはないので…光の屈折の加減で…正確に、虹の足元を掘ることは不可能。移動したりするし)。

 今までも何度も、虹の足を追っかけたことがあるけど(ジョギング中なんか、そりゃあもう身軽に動けるんで)、掘れたことがない。もしも掘れて、宝物を発掘していたら、今のような暮らしは多分していないと思う。ま、手に入らないから、そこがいいところなのかも知れないけど。

 言うじゃないですか、「知ってしまえばそれまでよ。知らないうちが花のなのよ(『麗人の唄』サトウハチロー作詞)」って。昔の人は粋な言葉で大切なことを教えてくれていたような気がいたしますな。もっとも理科系ではこの言葉は通用しないけれど。

 最近、某隣国が姦しい。今に始まったことではないといえばそれまでなんだろうけど、やれ「日本を捨てる」とかなんとか。いやあ、言葉ってのは軽いようで重たいんでね。「吐いた唾は呑み込めない」という言葉もあるように、口から出しちゃうと、言葉ってのは撤回できませんよ。そうでなくてもこのところの科学的進歩で、言った瞬間の映像と音声が、きっちり記録されていたりしますからねえ…だからブーメランが避けられなくなっている?…。

 言いたいことを言えばいいんだけど、言った言葉には責任を取らなきゃならないのは人の世の常でございまして、将来的に不利になったら、「あれは冗談だった」では済まされないのが普通ですわいな。軽口が叩けなくなるのが、責任ある地位についた人の宿命なんで、それが自覚できない人は、責任ある地位や役職についてはいけないってのが、我々が我々の親の世代から受け継いだことのような気がするんですが、まあお国柄ってのもあるんですかね?

「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉、今のあたしにゃ、死ねと仰ってくださいな(『湯島の白梅』…古~う……)」なんて返事は、今の我が国は出さないと思うよ。私の予想では「ふ~ん……(沈黙…この沈黙は恐ろしい…)。今の言葉、忘れないでくださいね」でお終いじゃないかな。

 捨てる、捨てないってなことは、安易に口に出さない方がいいのは、ひととしとった大人なら誰でも知っていること。思ったことを口にしないではいられない人ならばいざ知らず、少しでも思考力がある人ならば、将来がどのように変化するかわからない以上、思ったことは必ずしも口に出していいわけではない。

 自分が最も憎んでいる相手に助けてもらうことだってあるんだからね、望む望まないにかかわらず。たとえば船が沈んだとして、自分が最も憎んでいる人が、何気なく投げた浮き輪に助けられることだってあるわけじゃない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、憎い相手が投げた浮き輪だからって、これにつかまらなかったら、助からないかも知れないんだからさ。

 浮き輪を投げた相手は、それをつかまなかった相手が悪いんで、一つ問題が解決すると喜ぶかも知れないけれど。死んじゃったら美味しいものも食べられないぞ~。

 だから思っても口から出しちゃだめなんです。しょっちゅう引用するけど、鬼谷子は「口者心之門戸也」と言ってますね。その言葉を一言吐いたために、その人間の人間性ってのはバレバレになるんだよね。「捨てる、捨てない」ってのは人間誰にでも好き嫌いはあるだろうから、心の中で思うのは勝手だけど、一国のトップになろうかってえ人間が口にしたら、状況次第では自分だけでは責任が取れない事態になりかねませんからなあ(笑)ってこと。軽い、軽すぎる。

 どう転ぶかわからない将来に、どのようにでもいいからうまく対応して、みんなを可能な限り幸せにしていこうとするのが、リーダーの務めなんだからね。自分が嫌われればそれですむって問題ではないんで、こんなところで軽率な発言をする人間は、たとえ110歳まで生きていても、精神年齢は幼いんではないかい?

 別れろ切れろは芸者の時にいう言葉、今の私には死ねと仰ってくださいな、とは少なくとも愛し合っている人間同士でなきゃ通用しない言葉だと、私は思いますんですけどね。

「別れろ!」 「えっ? 別れていいんですか?わ~い、嬉しいなっ」ってな具合になったらどうするかってのは、よくよく考えて行動しなければならんと思いますんですが。でももう言っちゃってるからな~。俺知~らねっと。

2017年2月 5日 (日)

ぷるぷる

 ほとんど打ち終わっていたのに、異常が出たとかで、突然内容を消されてしまった。やる気は一瞬にして消えた。ええかげんにせえよ!

 今朝がたから雨になって、一日中気温が上がらず、寒い日になった。こんな日には市中引き回しの上、獄門さらし首ではなくて、ビーフシチューがお似合いだ。ということで、ルー?が見えないくらいどっちゃりと肉を入れ、野菜を入れて作り始めた。

 シチューで困るのは、煮込むのに時間がかかるということだ。そこで私は、シチューの日は、日ごろサボりまくっている站桩の日と決めている。アクを取る時以外は、ずうっと站桩をやっているのだ。

 今日は抱式をそこそこやった後(私にしては長かった)、キツイのばかりを選んだ。しかも低い姿勢でである。特定のスポーツのトレーニング?に「空気椅子」というのがあったらしいが(昔は。今は知らない)、あんなものではなく、もっともっと低い姿勢だ。

 空気椅子ってのはいったいどんなトレーニング効果があるのか知らないが、実は站桩にも似たような姿勢で行うのはある。ただ厳密な規定があり、目的も明確だ。この目的と、規定があれば、トレーニング効果はあがる(はずだ)。

 当然今日の私の站桩の低さににも意味があったわけだが、お蔭さんでシチューを煮込むのと、站桩とで、汗びっしょりになった。風邪をひかなかればと、心配である。

 なにしろ先日、T県から某さんがおいでになった時、ちょっと一緒に練習をいたしましたが、正しく行うと、站桩も、棄てたもんではないでしょう?ということになったと憶えている。普段の私は一人で練習しているので、公開することはほとんどないんですけどね。

 もちろん站桩だけをやっていれば、それで十分というものではありませんけどね(その証拠に、普段の私はめったにやらない。やれ忙しいとか、寒いとか、暑いとか、気分が乗らないとか。やらない理由なんて、いくらでも思いつきますもん。むしろ「やる理由」の方が見つからないくらいで)。

 こんな天気の日や、年齢を重ねてくると、站桩ってものを考え出した人の凄さに、頭が下がります。エライ人がいたもんだ。

 で、きつい姿勢でいたもんだから、脚がぷるぷるしておりまして、階段から落ちなきゃいいがと心配しているのですが、このぷるぷるがまたなかなか味わい深いものがありまして、そのままプルプルを活かして、思わず健舞に入っちゃいましたよ。なんか本当に健康になりそうな気がしてくるからすごい。

 この流れは、もしかしたら理に適っているのかも知れないなあ、というのが今日気が付いたことでした。はい。

2017年2月 4日 (土)

我が家の生存競争における戦略に悩む

 今日は過ごしやすい一日でしたね~。このまま春になってちょうだいよ、と思ってみても、来週はまた寒いのだとか。一度花粉が飛び始めたら、少しくらい寒くても花粉が飛ぶので、さっさと春になって、飛ぶべき花粉は短期間で飛んで、空っぽになった方がいいのではないかと、最近半ヤケで思っている(その時期だけ、花粉のない、空気のキレイなところに避難しようという思惑がバレバレ?)。

 いやあ、古くなった果物は、鳥さんにあげるに限る(糞害には憤慨しているけど)。今日はわりとじっくり見る暇があったんだけど、私の知らない種類の鳥も含めて、相当数がひっきりなしに訪れておりますな。当然メジロさんは含まれていて(メジロに似ているんだけど、メジロよりも色黒の子もいたりして)全部特定したら、けっこうおもしろいかもしれない(さすがに、そこまでの暇はないんだけど)。

 これから花が咲きはじめるまでが、鳥たちにとっては一番エサが手に入りにくい季節なので、古くなりかけの果物があったら、やってみよう(ちなみに私も果物は好きな方なので、最終的には同じエサを争いあうことになるかも…そんなことはございませんが)。幸いなことはカラスが来てないことだ。あいつが来ると、不要な悪さをしていくことがあるからね。だいたい煩いし。

 ただ悲しいことに、自分の稽古ができなくなって困っている。動かない練習ならいいんだけど(それはそれで寒い)、動くと鳥さんたちが驚いて、エサ食えないもんね。私だって食事はのんびり食べたい方なので、きっと鳥もおちついて食べたいんじゃないかなと推察している。いきおい、日が暮れて暗くなってからの練習になるので、面倒。(ゆっくりした動きなら、驚いて逃げることをしなくなった鳥もいるけど。それはそれでまた、野生では生きてられないんじゃないかと心配)

 嬉しいことに、年末までは時々チャーちゃんのお墓参りに来ていた猫たちが来なくなっている。鳥にはいいことずくめなのかも知れない。ついでに春になっても害虫を食べてくれる鳥だけは、来てくれると助かるんだけど。(糞はどこか他所でやってもらいたい気もするが)

 ま、鳥にも鳥の都合があるだろうから、無理強いはいたしませんが。私としても、こちらが処分に困ったものを提供しているだけなんで。こういう自分には不要になったもので、困っているものを助けることができれば、最高の助け合いになるような気がいたしますな。

 基本、私が管理する我が家の庭は、こういう方針で運営されております。排斥されるのは害虫、害獣(私にとって)の類だけ。あとはできるだけ仲良くやっていこうというのが、根本姿勢でございますわいな。

 にしてもそろそろ今年の我が家の庭の経営方針を立てなきゃならない時期になりましたな。昨年はトウモロコシで、一粒しか実らせなければ、どんな形状になるかという、非常に意義深い(他の人からは、かなりバカにされましたが)研究で、春から初夏までを過ごしました。(それなりに結果が得られましたので、今年は「追試」は行いません)それ以降は、とにかく雑草の処理に没頭しておりましたな。私の縄張りを広げないと、誰が管理しているのかわからなくなりますから(放置しておけば、蚊が管理人みたいな顔をする)。

 ことしは何をテーマにいたしましょうか。また『○○を語る会』などで、アイデアを出してくださいね。(出来そうもないことは言わないでください。何しろ私は一人で頑張るしかないんですから)それと繁殖力が強すぎて、庭に植えてはならない植物を植えろというのも、遠慮いたします(生えたら遠慮なく草枯らしの刑に処します)。

 何をやろうかなあ。放っておくと野菜などを植え始めるかも知れないので(その時の思い付きで始め、後で後悔することがよくあります)、今が思案のしどころですな。それと、今年は裏庭の活用を考えてみたいと思っています(もうそろそろ、フキノトウが出始めるかも)。

 ここはここで、頭を悩まさなければならないのですが、問題は今年の大テーマの設定からですな。考えなきゃならないことはたくさんあって、それなりに大変です。でもこちらがなにかを始めないと、すぐに雑草どもが縄張りを広げてきますからね。これも一つの「生存競争」かもしれません。

2017年2月 3日 (金)

緩んだ……

 身体を緩めてもらって、帰宅して七草粥と恵方巻を食べたら、「腹一杯、胸○っぱい(○にはお好きな平仮名を一文字入れて、お楽しみください)」という状態になってしまった。

 よくないことに腹ごなしにS&G(サイモンとガーファンクル)を久々に聴いていたら、もう心が癒されてしまって、動くのがたいぎになるというありさま。こんなところで癒されていたら、何も起こらないので、決死の覚悟で動き出した。

 なにしろ「吾日莫途遠、吾故倒行而逆施之(吾、日くれて途遠し、吾ゆえに倒行してこれを逆施するのみ;『史記・伍子胥列伝第六』)」という状態だ。のんびりと癒されている間はない。まあ伍子胥みたく、平王の屍を300も鞭打つような、手段を選ばない方向には走らないけどね。

「手段を選んでいる間はないんだ!」と申包胥に答えた時の、伍子胥の気持ちは、痛いほどわかるけどね。現実社会では必ず人が見ているから、人に支持されなければ、様々な障害が発生します。すると手段を選ばずに突進したよりも、適正な手段を選んだ方が、かえって速く物事が片付くことが多いんですな。

 ま、昔も今も、時間が足りないのは変わらない。私の人生はいつだって、時間との競争だ。一日が50時間あったら、と思ってたけれど、それは今も変わらない。先ほどまで聴いていたS&Gの『ボクサー』の、コンサートでしか歌わない歌詞と同じかな。

Now the years are rolling by me They are rocking evenly I am older than I once was But younger than I'll be That's not unusual

No, it isn't strange After changes upon changes We are more or less the same After changes we are more or less the same.

 ま、昔より若くなったとは思わないけどさ。疲れやすくなったし、疲れが抜けにくくなっているし。ただやらなきゃ!と思っていることの多さだけは、若い頃とあまり変わらないかなあ。だから普段は、意図的にあまり癒されないように気を使っているんだけどね。

 ちょっと身体が緩んだから、精神も緩んじゃったかな? そういえば今年のお正月は、まったく緩めなかったから、今頃になって緩みたくなったのかも知れない。

 昔、サイモンとガーファンクルという、とんでもないデュオがありまして、凄い歌を連発していたんですよね~。私は大ファンだったんですよ。ちなみに今も私の右手から30cmのところに、CDがありますけどね。(でも癒されるから、普段は封印している。これは中島みゆきさんのCDとも共通している…みゆきさんのCDはなんと、右手から20㎝のところに、どさあっとある。さすがに手が当たってもひっくり返らないようにしているけど。仕事中に聴くのは、ひたすらリズムよく仕事を進めてくれる音楽が多い)

 音楽も映画も大好きだから、昔からよく集めたけど、最近はあまり、聴いたり見たりしなくなった。それで勿体ないから、夕食の時には、必ずDVDを見るようにしている。(その分、TVはまったく見なくなっちゃったね。時代に遅れるかなあ……)

 今はTV見なくても、何とか生きてけるからねえ(TV以外のメディアが発達したから)。すると時間に縛られるTVなんかに囚われたくないので、TVを見なくなっちゃうんだよね。見なければ見なくて、さほど不都合は感じないし。(あ、車を運転している時は、音楽を聴いていることが多いけど、TVもついているみたいですね。ほとんど意識してないけど。だからタレントさんの顔と名前も、あまり知らないなあ。知らなくても、生活に支障をきたさないし)

 下隠は山中に住み、中隠は市井に住み。上隠は宮中に住む(レベルの低い隠者は、人里離れた山中に住み、中くらいのレベルの隠者はふつうの巷に住み、レベルの高い隠者は宮中に住む)、なんてえことを大昔の中華では言ったようですが、どうにか中くらいにはなれている?かな???

 先日から野鳥に大サービスをしているので、野鳥の間でも評判が広がったらしく、いろんな鳥が来ております。ま、寒くてエサが手に入りにくい時期だけのサービスということで、鳥が喜べば(カラスは許さん!)それでいいです。カメラでも仕掛けて、何が来ているのか調べようかと思ったけど、それでは隠者っぽくないので、諦めます。

S&G『ボクサー』 →  https://www.youtube.com/watch?v=6JUbFj0BIc4

2017年2月 2日 (木)

冬は熱燗に限る!

 時に曇ることはあったが、昼はまずまずの天気だった。風の当たらない、日当たりのいいところにいれば、割と気持ちいい日だったが、どうせまた夜になったら冷えるんだろうな……

 ということで、今年初めて耳鼻科に行ってきた。案の定、すでに敏感な人には症状が出始めているんだとか。私もお医者さんに言われた。「そろそろ薬は飲み始めた方がいい」 ここのお医者さんは、ご自身も花粉症であるため、患者さんの気持ちがよくおわかりである。

 同じようなことはお酒でも言える。ごじぶんがお酒を好まれるお医者さんだと、「お酒はやっぱりダメなんでしょうねえ?」と問いかけると、「いやいや。お酒は少量だと、健康にいいんです。呑み過ぎなければ大丈夫!」などと元気づけてくれる。逆にお酒を嫌いな先生にかかると、「お酒? そんなもの絶対にダメです!」。

 どこからこの違いが出てくるのかというと(もちろん、お酒厳禁の症状もあるけど)、きっとお医者さんの個人的な好み。完全に感情論であって、だからお酒好きの人は、絶対にお酒を好むお医者さんにかかった方がいい。肉体的な健康よりも、まず精神的な健康にいい。

 精神的に健康なら、けっこう自然治癒力や免疫が強まるから、私はお酒絶対に厳禁派のお医者さんには行かない。お酒飲まなくったって、人間、死ぬ時ゃ死にます。毎日浴びるほどお酒を呑めば、それは健康に悪いだろうけど、過剰摂取が肉体によくないのは、別にお酒に限ったことではない。

 ご飯だって食べ過ぎれば、お腹を壊したり、肥満になったりするからね。薬だって過剰摂取すれば、毒薬に変わるわけだし。ほどほどが一番(もちろん体質的に合わない人に無理強いするのはよくない。だいたい無理強いってのがすでに、ほどほどではない)。

 ほどほどで止める秘訣は、「酒は(一人で)静かに飲むべかりけり」。よほど気分が高揚した時でもなければ、毎日の定量を超えることはない。何故かというと、一人で呑んでもさほど楽しくなりすぎはしないからだ。精神的な緊張がほぐれて、リラックスはできるけどね。

 これが何人かで呑むと、つい飲みすぎになってしまう。久しぶりに気の合う連中と飲んだりしたら、もう底なしですな、私の場合。最近は底なし状態に陥らないために(懐具合が…)、ある程度飲んだら、きついお酒に変える。酔っぱらってしまえば、それ以上は飲めないからだ。でもこれは翌日までダメージが残るので、あまりお勧めはできない(私もあまりやらない)。

 一人酒でよくないのは、呑むペースが次第にはやくなってしまうこと。やはり酒は誰かと会話しながら飲むか、考え事をしながら飲むか、読書しながら飲むか…である。ペースがはやいと、基本「一気」状態に近くなってるからね。

 だから私は毎晩、ご飯のおかずよりも、酒の肴に凝る。栄養のバランスを考えるのも一因だけど、呑むペースを遅くするため。ご飯のおかずなんてものは、酒の肴の残りで十分だ。

 とはいえ本日は木曜日。深夜帰宅すると、身体は冷え切っている。こうなりゃお店で売っている、簡単鍋が一番だ。(もちろん具材は個人的に足すけど) 冷えた身体は温めるに限る。ついでにちょっとだけアルコールが入っていい気分になれれば、それで十分だ。

 私は冬は熱燗派だけど、この熱燗具合も超熱燗派だ。身体はさっさと温まるし、アルコールがかなり飛んでいるので、酔いもすぐ醒める(寝るまでには醒めている)。安価な酒でも構わない(高価なお酒なら、温めても人肌まで。だいたいは冷やでいただく…あまり冬用の飲み方ではない)これも風邪やインフルエンザの予防には、一役買っていると思っているよ。

 しかも燗をつけるのは、いつも南部鉄瓶を用いる(冷めにくくていい)。ちなみに夏は冷酒を呑むけど、この時も鉄瓶にあらかじめ飲むだけの量を入れ、冷蔵庫で冷やしておく(温まりにくくていい)。鉄瓶は大変重宝だ。(ちなみに私は、お茶、コーヒー用とお酒用にわけて使っている。その他にもあるけど、これは「観賞用」)

 風邪ひいてからの卵酒よりも、普段の熱燗の方がはるかにありがたいなあ。(私は卵酒を好まない。未成年の人は、真似しちゃいけませんよ!)だいいち熱燗は、心身ともに健康によい。

2017年2月 1日 (水)

ありゃ、まあ……!

 天気予報は難しいよねえ。でもできるだけ、外さないでくれる? 洗濯物が雨で濡れるから。(その後、晴れたんだけど…… と思ったら、また曇っちゃった。この気まぐれ天気野郎を相手にしたら、気象庁でなくても、困るよねえ!)

 ちょっと古くなった果物があったので、我が家にやってくる野鳥に、大盤振る舞いをしたらえらいことになった。夕方、日課(最近、よくサボってましたが)の稽古をやろうと思っても、まだ食べてるんだよねえ。

 そこで私が暴れ始めたら、野鳥だって安心して食べてられないだろうから、邪魔してはいかんと、ちょっと気を利かせてたら、真っ暗になっちゃいました。電燈をつけてまで稽古するのは嫌だったんだけど、久々に棒を振り回していたら、寒さが吹っ飛んじゃいましたよ。

 なにしろ昨夜は快晴で、力いっぱい放射冷却して、朝になったら見事に曇っていましたからねえ。気温は下げるだけ下げといて、太陽の熱を遮断するんだから、寒くてあたりまえ。この季節の昼間の雲は、本当に忌まわしい存在ですな(真夏の昼間は嬉しい?けど)。

 野鳥に邪魔されたおかげで、その間にスズナ、スズシロをそろえてきました。これで旧暦の七草粥の準備はほぼ完了。なにしろここ数年、旧暦の七草粥に関しては、専門のプロになろうか?という美味しさに仕上げているので、激しくこだわっております。

 それもこれも、いい材料あってのことなんだけどね。日本人は素材の良さを活かすのが料理だと思っているから。(でも材料の大半は、野草…それも雑草と呼ばれる…なんだから、いろんなところに素材があるもんです)これも、日本の「恵まれた自然」がもたらしてくれる幸かな。

 間違えても、某大陸国家だったら、野草なんて食べませんもん。何が付着しているかわからないし。(日本だって、下手なところで野草を採集したら、獣がショ○ベンしてるかもしれないから、要注意! 実は私が住んでいるような…岡山市ですが、そんなに田舎ではありません。家から1㎞以内に、たいていの店がそろっております。便利はいいです…ところでも、近くに野生のキツネが住んでいたりしますからね…大方の人は知らないみたいですが。野草の採集にも、実は細かく気を配ったりします)

 環境次第で、食べられるはずの植物でも、いくらでも毒物に変わりますからね。言ってしまえば、そこで生息・成育している生き物は、すべてその場の環境が物質化したものでしかありません。やがては死に絶え、分解されて他の生物に姿を変えていくわけで、物質循環を繰り返しているわけですから。

 ただ毒物ってのは、目には見えなくても、生体で無害なものに分解できないものがほとんどで、こうなると厄介です。これが目に見えて、視界がきかなくなるほど濃度が上がっている国もあるようですが、私なんかだったら、ソッコー死にますな。とても野草を摘んで食べる気になんかならない。

 こうなると、自分が食べるものだけを気にしても、しょうがないですから。吸っている空気すらアブナイし、呑んでいる水すら信用できないんだから。こんな水で食材を洗ったら、洗浄してるんだか、汚染してるんだか。空気や水を汚染したら、後が大変ですわいな。

 まあいいや。とりあえず私が住んでいるところは、今のところまだ大丈夫みたいだから(鼻がそろそろヤバい?)。

 話変わって、なんでもお隣の国では、国連でエライ役をしていた人が、大統領選に立候補うるのをやめるのだとか。勝てそうにないですもんね、今の流れだと。だいたい国連でエライ役をしたら、しばらくは母国で立候補なんかしない方がいいんでしょ? どうしても祖国のために、その人しないないというのなら、仕方がないんでしょうけどね。

 最近はわりとあちこちで、子供っぽい人が、エライ地位につくこともあるようだから、どうでもいいんだけど。私は日本が平和で反映しているのなら、それで十分だよ。悪いけど、他所の心配をしてあげられるほど、自分に余裕がないから。

 まあせいぜい、どの草は食べられるか、なんて神農皇帝みたいなことに気を配るのが、精一杯だな。とりあえず、自分が成り立たなきゃ、人のことにまでは、気が回らないよ。

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