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2017年3月23日 (木)

用間だなあ……

 曇っているのか、全天を黄砂が覆いつくしているのか知らないが、気持ちがよくない。こんな空じゃあ、洗濯物も干せやしないよ、ったく。

 さてさて、ウキウキと証人喚問とやらを見ておりましたが、お蔭で時間がなくなっちゃいました。今日は練習日だったのね……(帰宅後、深夜に改めて見直そう)。

 いつも歯切れのいい質問で、きっちりと問題を追及してくださる。J党のN議員さんの質問までは見ました。(1時間ぐらいかかったかな)まあ、相手が議員ではないということなのか、いつもほど鋭い質問ではなかったような印象がありましたが、もうだいたい答は出ているみたいですね。

 まあ嫌なのは、国会審議が停止して、この激動の時代に、何をやっとんじゃ!?という思いがあるので(ということは、国会審議を停止させる目的は達成している?)、いい加減にケリをつけていただきたいというのが本音なのだが、まあ乗りかかった船なので、この際、「臭いニオイは元から断たなきゃダメ!」もいいかなとは思う。

 さて私は昔、『孫子の兵法』に凝った時代があって(まだまだ若かった!)、一番に思いだしたのは(凝った時代があるから、こういう時に思いだす?)『用間第十三篇』である。

 孫子は間者(簡単にいうとスパイのこと)には5種類あるという。郷間、内間、反間、死間、生間だ。簡単に説明しておけば、郷間とは敵国の人間を利用して、スパイ活動に使う場合。これは本人の意思とは関係なく、郷間にされていることもあるから、要注意。

 内間とは、敵国の官僚や大臣など、要人を間者にしてしまう場合。やり方は買収して寝返らせることもあれば、敵国に自国民を潜り込ませて、これを官吏や官僚、大臣などにする場合などがある。

 反間は、敵から送り込まれたスパイを寝返らせたり、利用する場合。死間は、敵国に嘘の情報を流して混乱させるもの。生間は敵国に潜入して、活動目的(情報収集なり破壊工作なり)を達成した後、自国へ生還するというもの。007なんかがこの典型ですかな(実際はあんなにカッコよくないんだとか)。

 今の国際情勢なんかを見ていたら、「うわああああああああ~~~~っっっ!」と思いません? もう誰も信頼できなくなったりして(笑)。

 昔、大好きなサイモンとガーファンクルの『アメリカ』って歌(大好きですよ)の歌詞に、”She said the man in the gabardine suit was a spy
I said “Be careful his bowtie is really a camera”って一節があって、「ふうん…アメリカってそんなに身近にスパイがいるのか」って思ったことがあった。

 でも考えてみれば、これほど自由に国家間を移動できる世の中になれば、スパイなんてそれこそ自由に行き来できる?んじゃね、と思うよ。それに何代も前から該当地域に潜入していて、普段は普通に日常生活をしているのに、何か指令を受けた瞬間からスパイ活動をするってパターンだってあるし(我が国では武田信玄あたりがよく使った?)。

 孫子は言っている。間者(スパイ)が最も大きな効力を発揮するのは、敵国の君主や将軍に信頼されている時だって。そりゃその通りだよね。一般国民まで知らない機密を敵国に握られていたら、もうお手上げ状態ですわ。(ただ、有力者の名前を口にすれば、それでその人と親しいとアピールできるわけであはありませんが。だって今売れっ子のスーパーアイドルは、たいていの人が知っているけど、あちらはこちらのことを、全く知りませんもんね!)

 ましてや民主主義国は、有権者の選挙で、国を運営していく人が決められるシステムだから、いろいろと問題が発生しやすいことは確かなんでしょうな。(ポピュリズムに支配されなきゃいいんですけどね。こんなこと韓非も言ってますけど)

 ま、どんなシステムでも、しょせん人が作ったもので、完璧なものは存在しないので、置かれた状況でもっとも素晴らしい形になるよう、改良を加えていかなければならないんですよね。(私的には、そのための国会審議をやっていただきたいものだと思っておるのですが)

「雨降って地固まる」って言葉もあります。(先日の雨で、我が家の庭は、今がちょうどいい感じなんですが、黄砂が酷くて、何もする気になれません!)「臭いニオイは元から断たなきゃダメ」状態になるといいですね。一国民として、そう願っておりますよ。

※ 今月二回目の『○○を語る会』は、今週の土曜日開催です。よろぺこ!

2017年3月22日 (水)

ウキウキ……

 明日は3月23日ですね~。慌てて、神棚にお供えしていたお菓子を食っちゃいました。賞味期限が3月23日だったから。

 日本の食品の安全性については、自分が大学時代に勉強しているので、消毒法なども含めて熟知していると自認しているが、それでも日常生活の中では、ついうっかりとしてしまうことがある。だから賞味期限が近づくと、遠慮なくパっクリこと食べてしまう。

 食品衛生について、かなりルーズなところだと、ちょっと笑えないことが起こるから、賞味期限なんてものも信用していないけどね。たとえば某国でミネラルウォーターを呑んだ時の話など、本ブログでも取り上げたからご存じかと思うけれど、ミネラルウォーターという名前に騙されてはいけない。

 どんなミネラルが混入しているか、まったく保証の限りではないからだ。一たび当たれば、特大ホームラン(WBC,残念でしたね。でもまあ、立派に試合になっていましたから、気落ちせずにまた頑張って。今年のシーズン開幕も近いことだし)。所謂、水当たりというやつだ。

 ダイエットしたいのなら、こういう国のミネラルウォーターを輸入して、「ダイエット効果抜群!ダイエット・ミネラルウォーター」なんて銘打って売りだせば、儲かるかも(便秘にも効くと思います)。保健所が黙ってないかも知れないけど。なにせ正体はあちらの水道水なんだからね。原価はただ同然だから。

 広東の海鮮料理でも、貝の生煮えは堪えましたな。潜伏期が16時間ちょいくらいだったかな。さすがに何もできずに、大急ぎでホテルに帰ったよ。でも当地の人は「酒の飲み方が足りん」などという。アルコール消毒だって、できるものとできないものがある。第一即効でばい菌が死んでしまうほどのアルコールなら、こちらの身体がもちませんって。

 それに酒は味わいと気分を楽しむもであって、食物を消毒するために呑むものではありません。日本ならこういうレストランは、たちまち保健所が入ることになって、営業停止だよ、きっと。

 ま、衛生の観念が希薄なところでは、滅多なものは口に入れないこと。もう一つは、可能な限り手洗いをすること(例の水道水でも、手洗いなら問題はないようです)。ったく、何を食わされるかわかったもんじゃない。(こちらが敢えてリクエストしたのなら、自己責任になるんだけどね…私はよく、特注することがあるので)

 前置きが長くなってしまった。23日というと、先日まで国会で喧しく議論していた、某学園の理事長さん(元? まだ辞めてない?)の証人喚問があるという。これはもう下手なTVドラマでは勝てないほど、面白くなるんではないかと、密かに期待しておるのですが、どうなりますことやら。

 ま、私はふだん、ほとんどTVは見ないから、よくはわかりませんが、当然ネットで流してくれますよね? 「普通のTVドラマ<選挙速報<今回の証人喚問」てな具合で、期待するところが大なんですわ。

 ただ残念なことに、強気で攻めていた野党の腰が引け気味なので、なんとなく勝負の行方が想像できるところが、若干気にはなるんだけどね。ただまあ、どういったストーリーを展開するのか、これには興味津々っていうのが偽らざるところかな。

 久々に、明日になるのが、待ち遠しい気分だね。夜寝られるだろうか? 遠足の前の晩のように、なかなか寝付かれなかったりして。(站桩をやれば、爆睡いたしますけどね。昨夜もそうでした。そのうち爆睡しすぎて、永遠に起きてこなかったりして…笑)

 なんとなく、海外旅行に出る前の晩の気分ですなあ…… ほんとは花粉症がかなり重篤で(嗅覚は98%奪われております)、機嫌は最低なんだけどね。

※ 今月二度目の『○○を語る会』は、25日土曜日に行います。よろしくお願いいたします。計画に狂いが生じなければ、ノビルでビールをグイっと一杯(二杯飲んでも三杯飲んでも、10杯飲んでも、お店は喜ぶばかりですが)のイメージがございます…花粉と黄砂が渦巻く中、採りにいく私の健気な姿が見えるような気がする(ただし採取するのにかかる時間はわずかなものですが。面倒くさいのは、持ち帰って洗うこと)。

2017年3月21日 (火)

登仙の欺瞞

 東京あたりでは、ちらほら桜が咲きはじめているのだそうである(開花はまだ宣言されていないが)。桜情報では、日本で最も早く春がやってくるのは東京だということになる。(東京って、温暖化が著しいの?)岡山での開花予想は、県南で4月1日くらいらしい。

 だいたい例年、3月の最終週には開花していたと記憶しているので、いつもよりちょっと遅い?のかなあ。で満開は4月5,6日というのがパターンだったと思うが、今年はどうなりますことやら。

 世間では桜の季節が近づくと、なんとなくうきうきしてくるように感じるが、悲しいことに私は花粉症の症状が最も重篤になるのが、ちょうどこの時期で、もう生きた心地もしない。先ほどコーヒーを淹れたけど、なんと嗅覚はほぼ通常の10%くらいしか機能していないと思う。

 第一、先日からの黄砂の攻撃で、鼻やのどの粘膜が痛い。何度も言うが、自称大国さんよ、いい加減に環境問題に取り組め。海外に脱出することばかり考えずに、自国を「人が住める国」にしろ。もしもすべての国が、「移民禁止令」をそろって出したらどうするんだ? 汚染された空気や水や、破壊されつくした環境のなかで死滅するだけだぞ。

 昔、感心な(?)女の子がいて、「夏休みの自由研究」とやらで、お父さんに瓶の中にタバコの煙を吹き込んでもらって、その中にカエルを入れて、どうなるか観察してた子がいた。可哀想なのはカエルだ。全滅したそうである。(このほかにも、化学洗剤の中にナメクジを入れて観察した子もいたそうだ。描写するのも嫌な状態になって死んだそうである)

 煙の中のカエル、化学洗剤の中のナメクジになりたくなかったら、少しは自分が立っている足元が抱える問題を考えるとよい。十何億も人間がいれば、それなりの教育さえ与えれば、優れた人材だって現れるに違いない。今の自分さえよければいい、というのでは何百年も前の皇帝(にも、いい人もいたんだろうけどね)とちっとも変わらない。一番進歩していないのは、人々のトップに立つ人間じゃないのかね、まったく。

 天気は昼前には回復したみたいだったけど、その後はお決まりの北西からの強い風で、何度となく通り雨があった。おかげでちょうど郵便局に用事で出かけていた時、きれいな虹が見えた(今年になって3度めである)。なんか儲けた気分になったが、それでも喉が痛い。鼻の奥が痛い。

 これで明日、地面が乾いて風が吹きまくったら、ますます花粉と黄砂の害が広がる。明日は屋外では呼吸をしてはならない、なんてことになりやしないだろうね。(個人的には、すでにそのレベルに近いが)

 私なんかがあの国に生まれてたら、もうすでに死んでるだろうなあ。空気と水がやられたら、生き物はもうおしまいだよ。だいたい上海空港なんか、天気に関係なく怖い。視界は何メートルあるわけ? 飛行機の速さだったら、1㎞2㎞はあっと言う間だからね。事故が起こらないのが不思議だよ。

 ま、人の生命が特売日の商品よりも安いんだろうね、きっと。『孫子の兵法』を書いた孫武は、死んだ人は生き返らないと書いている(だから、めったやたらと戦争をしてはいけないというのが、彼の基本姿勢なんだけど)。

 戦争で死ぬのも環境悪化や事故で死ぬのも、生命が消えることには違いはない。だから戦争も回避しなければならないし、環境悪化も防がにゃならんし、事故が起こらないようにしなければならない。

 環境が悪くなるのがわかってても、環境問題を考えず、事故が起これば埋めておしまい。一事が万事、この分じゃ戦争だった、何考えているかわかったもんじゃないよ。

 人はいつかは死ぬ。しかしながら、寿命の限界までは生きていたいし、生きてる間は健康でいたい。庶民はこき使って、自分だけは不老不死を願うのは、某国の権力者のパターンみたいだが(一番酷いのは前漢の武帝である!武帝が不老不死を願ったため、どれほど異常な事件が起こっているか。だから私は、武帝が大っっっ嫌いである!)、お笑いなのは不老不死の仙人になったとしても、皆、白髪や禿げの爺の姿しかしていない。

 不老不死でも楽しいかも、と思うのは、青年の姿のままでいられればの話で、杖にすがって歩かなくてはならない状態で不老不死になっても、楽しくなんかないわい。さらに笑えるのは、仙人になると「昇天」するという(あちらの本にはそう書かれているケースが多い)。

「昇天」って、言ってみれば死んでるんじゃね?(あるいは18禁用語か?)まあ、水銀なんかをこねくり回した仙薬を呑んだら、死ぬのが当たり前だろうけど。ようするに仙人になった、仙界に入ったって、ただ言葉の上での誤魔化しでしかないんだよね。

 それに比べて昨今の日本の女性の化粧品などは、本当にびっくりする。アンチエイジングっての? 日本語にすれば年取らない、老けないってことだから、ある意味不老ってことなんだけど、実年齢より20歳くらい若く見えることも、わりとよくあるね。(それはそれで、「……」…絶句している…となることも、なくはないけど。でも20歳以下の女性が、20歳若く見えることはございませんが)

 だからあの国の女性には、日本の化粧品の人気がめちゃくちゃいい。とくにS社のものは超ブランドでございますよ。最近はあちらでは、女性が不老(不死は無理としても)を目指しておられるようですが、違和感があるのは、あの大気と水だ。

 あの空気と水(ついでに土も)の中で、果たして不老なんて可能なんだろうか(昇天はできると思うけど…笑)。何千年か放置していたら、あの空気の中から王蟲が這い出してきた、ってのはやだよ! 基本、超巨大ダンゴムシはワラジムシみたいなもんだから。

 喉と鼻と目のお蔭で、今日も立派に不機嫌な私でした。

※、今月の2回目の『○○を語る会』は、25日土曜日でございます。よろしく!

2017年3月20日 (月)

面子の軽重

 先ほどから雨が降り始めましたね。私は今日は屋外ですることが、ほとんど終わっているので(あと一つだけございますが)、「雨雨ふれふれかあさんが…」の心境です。ここのところの黄砂で、汚れきった車を、車庫から出して、屋外に駐車しておこうかと思うくらいです。

 ま、久しぶりの雨なので、今晩は許す、って感じかな。特に夜降るのは、あまり大きな問題じゃない。(それでも明日一日、降り続けるみたいな予報ですが…今回に限り、許そうじゃないかって気分です)

 今日も黄砂が半端じゃなかったからね(昨日よりも多かったんじゃない?)。この雨で少しは撃墜しておいてもらいたい。(乾けばまた空中に舞い上がるんだろうけど)

 ある人のご著書を読んでいる真っ最中だが、かの国は紀元前からすでに、森林を伐採はしても、植林をするという発想のなさから、砂漠化が始まっており、今や首都を移転しようかという状態になっても、「植林」「緑化」という発想はわかないらしい(まさしく「蝗」ですな)。で、すめなくなったら、どこかへ移住すればいいという発想だというから(著者のご意見ですよ。実際には海外へ移住したくても、できない人の方が圧倒的に多いんだから。私の知人でも、こういう人がほとんどだ)、もうすでにつける薬はない状態。

 ま、砂漠化するのはご勝手にといいたいが、他国への迷惑はかけないでいただきたい。自称世界一流の科学技術をお持ちなんだそうだから、きっと本気になれば(いや、死ぬ気になればかな? 死ぬ気になって、死んでしまったりして)、環境改善なんか容易にできるよ。

 まここは一つ、自分が生まれ育った土地に、骨を埋める気で、きっちり頑張っていただきたいもんだ。だって「落葉帰根、入土為安」でしょ。落ち葉は根に帰る、土に入りて安と為す、だもんね。生まれ故郷の土に還んなきゃ、魂は迷ってしまうよ!ちょっと困ったからといって、どこかへ逃げようなんて、卑怯な考えはしないよね~、きっと。ま、面子、面子と気にするんだから、せめて面子に相応しい誇りと責任感も持っていていただきたいもんだ。

 いや、仕事をしててもいるじゃない? たいして能力もないのに、妙にプライドばかり高い人って。そして他人がやったことなんか、自分ならもっと速く、もっと上手にできると思い込んでる輩が。正体は、実際には何もやったことがないために、自己の能力を過大評価するばかりで、客観的に把握していないだけの人なんだけど。

 実際に物事に当たれば、思っているよりはやっかいだし、時間も労力も、時にはお金もかかったりするんだけど、やったことがない人は、そんなこと知らないからねえ。知らない人は気が楽だ。「盲目(最近、言葉狩りのせいか、本来の言葉通り打つと、PCが変換してくれない。これって言葉本来の意味や力を殺していないのかなあ…?)ヘビに怖じず」ってやつじゃない?

 誰もいなくなって、本当に一人で生きていかなきゃならなくなった時に、初めて自分は本当は何もできないんだと悟っても、もう遅いかもよ(私だって一人暮らしなので、あらゆることを全部一人でやらなきゃならないから、しみじみと実感したことだ。幸いなことに、身近にいるに違いない疫病神を怒鳴りつけながら、何とかこなしているけど。幸いなことに、母にやってもらっていた頃だって、「そんなこと、俺だったらもっと上手にやれるのに」なんて、一度も思ったことがなかったから…していただいたことに対しては、やっぱり感謝と尊敬の念を持っていた…今自分が悪戦苦闘しながらやっても、当時の有難さを再確認するだけですんでますけど)。

 ま、プライドってのは、能力に比例すべきというのが私の持論なので、高いプライドを持っている存在には、ぜひともその能力を、実際に証明していただくようにするのが、私のやり方ですけどね。面子ばかりを気にする人に対しても、やっぱりその面子に相応しいだけの内容を持っているかを、一番に見ますもん。(相応しくなければ、お付き合いはいたしません! キッパリ)

 ん…… だから、黄砂とPM2.5、なんとかしてね。面子にかけても、一流の科学技術をお持ちなんですから、きっとできますって! そうしたら、私の見る目も「そんけーのナマコ」じゃなくて「尊敬の眼」になるかも知れないから(あくまで、「かもしれない」で、確約はいたしませんが……)。

 実は今日は、鼻水が止まらなくて、目がめっちゃ痒い。当然、上機嫌とは言えないので、ついつい「鼎の軽重」ではなくて、「面子の軽重」を問うてしまいました(笑)。

※ 今月の2度目の『○○を語る会』は、25日(土曜日)でございます。よろペコ!

2017年3月19日 (日)

黄砂で山が見えなかった一日

 今日の黄砂は、なかなかのものでしたね。お蔭で私の周囲では、様々な被害があったようです。ほんまに、ええ加減にせえよ!

 天気は悪くなかったので、昼過ぎからワカメを採りに行きましたが、まあその途中で見かける(見かけない…かすんで見えない)山々。もはや「春霞」などという雅な言葉は似つかわしくない。黄砂でござる、黄砂。

 こんな日に、もしもかりにピクニックなどしたら、お弁当を食べるのか、黄砂を食べているのかわからない。ちゃんとした対策も立てないで好き勝手なことをやっている人間を、黄砂とPM2.5が充満した部屋に1か月ほど監禁して、どうなるものか見てやりたい(もちろん、それ以外の条件は、日常生活をさせればいい。そうしないと実験としては不完全だから)。

 とはいうものの、取って来たワカメ(だけではございません。名前は知らないけど…なぜか味は知っている…海藻もございました)で汁を作って食べましたが、まあ旨かったこと。どうして自分で採って来たものは、お店で売っているものより美味しいんでしょうかねえ。

 鮮度という面では、自分でとってきたものが断然有利なのですが、鮮度だけでここまで違うのかというほど美味しかったんですな。

 今日はSくんと二人で言ったので、けっこう楽だった(一人で行くと、両手で同時進行的に二つの仕事をしなければならないので、なかなかしんどい。それでも一人暮らしの私が食べる分くらいなら、5分もあれば十分に採取可能だけど)。分業制はいい。でもそのうち一人で来ることもあるから(先日は一人で採りに行きました。この時は、さすがに一人で食べるのは多すぎたので、苦戦しているうちに鮮度が落ちてしまいました…ワカメ・フルコースで頑張ったんですけどね)、また両手で二つの道具を器用に操ろう!

 でも今日はクラゲを2匹見かけましたね。ビゼンクラゲとミズクラゲ。暖かくなると、クラゲが増えてくるので、なんとなく嫌な気がします(別に刺されるわけではないんだけど)。いっそのこと、クラゲも採ってきて飼ってやろうかなどと思ったりもしますが、クラゲも幸せでないだろうし、私もきっと2~3日で面倒くさくなるような気がするので、取りあえず止めておきます。ま、クラゲを眺めて、ぼーっとしているほど暇はございません。

 とりあえず気が向いた時には車を走らせ、取って来ればいいだけのことなので、あまり悩みはございません。一人分なら、ほんの数分でOKですから。後は潮の状態だけかな。明日の分はまだあるし、明後日は天気が悪いそうなので、海岸方面には出向きません。

 その後は気温がどうなるんでしょかね。あまり寒いと行くのが嫌だし。べつに海に出向かなくても、この季節はそこいらじゅうで春の息吹を感じさせてくれるものが芽吹いてますから、それを採っても十分ですし(ただし、お酒が欲しくなるのが難点)。

 ほんの小さな頃から、両親に連れられて野草を摘んでたので、その頃からの知識が役立っております。子供の頃に覚えたことは、もう知識というより、自分の血肉になっているようなもので、ごく自然に手が伸びていますからね。(当然、毒草などは、きわめて自然に除外しています)

 そうそう、釣りも再開するんでしたっけ。こう考えてみると、けっこう忙しいですね。哀しいことがただ一つ。すべては食い気が基本になっているってこと。まあ、人間は食いでもっておりますからね。しかたがないっちゃあ、しかたがないんだけど。

※ 今月二度目の『○○を語る会』は、25日土曜日に行います。よろぺこね!

2017年3月18日 (土)

サボりの上手な使い方

 まったく、曇りなのか黄砂なのかよく、わからない空模様である。お鼻の具合から、ただの曇りではないことは確かなのだが、鬱陶しいったらありゃしない。仕方がないから(何の脈絡もなく)普洱茶でも淹れて飲もう(ここ二日ほど紅茶に浮気をしてたので)。

 それでもだいぶ暖かくなりました。夜は昨夜も寒かったですが、私には站桩、強い味方がいるので昨夜(じゃないなあ。午前1時くらいから始めたから)もやりました。おかげで寒さ知らず? それとも寒さを感じていないだけ?

 子供たちの様子を見ていると、「子供は風の子」というように、寒くても元気に遊んでいる(私の周囲には、まだそんな風景があります。時々「倍返しだ!」なんて可愛い声で叫んでいる子がいて、「おう、こんなところにも半沢くんがいた」と、こちらが微笑ましくなってきたりしますが)。

 子供と大人では、若干の体型の違いはあるものの、まあだいたい似たり寄ったりだと考えれば、ベルクマンの法則に従えば、身体が大型化した方が、熱発生量を体表からの放熱量の比率から考えて、寒冷気候に強い筈なのだが、図体のでかい大人が「寒い、寒い」と言っているのに、子供は元気に外で走り回っている。

 走り回っているから寒くないのかも知れないが、じゃあ大人に走り回ってろと言ったら、これはしんどい。出力は大人の方が大きいけれど、持久性では子供の方が遥かに勝っている。もちろんこれは身体を形成する筋肉の質によって、子供の方が持久性が高くなるとはいっても、子供は強い。

 いつのころから、こんなに寒さが嫌になったんだろうかねえ…と思いながら、(古傷の都合もあって)站桩を再開したんだよね。するとなんと、答らしきものが見えてきたからおそろしい。犬も歩けば棒に当たるとかいうけど、なんでもやってみるもんだね。もちろん、やってみようにも、こんな練習のやり方を知らなければ、できないわけだけど。

 幸いなことに私は、あれこれやってきたので(野次馬根性は発達していると思います。それととにかくやってみる。やってみて興味が湧くと、けっこうのめり込む。のめり込んでしまうと、それなりの感触が掴めるまでは止めない。基本、私はそういうタイプの人間なので)、普段は忘れていたり、「時間がないなあ」などとサボっていることでも、比較的短時間で回復してしまう。要するに、身体内部の活性度の問題みたい。

 だからエンジンの新しい子供は、たとえエンジンが小型でも効率がよくて、大人はエンジンは大型になっていても、そこここに錆やゴミが詰まっていたりして、効率が悪く、実は動きが悪くなっているんだね。時々エンジンオイルは換えてやんなきゃ。プラグも交換しなきゃ(私の車も昨日1本交換して具合がよくなりましたが、近いうちに全部交換します。Hくん、お世話になりますね!)。

 このように、一度鈍ってしまったり、サボってしまうことも、全部が全部悪いことはない(サボってはいけないこともございますし)。上手に使うと、サボっていた間が、サボっていたことにならなくて、一休みしていた状態に変わる。中断している間に、以前にはなかった感覚が育っていたりして、再開した時に気づくことがまた山盛り出てきたりして、とても楽しい。なんか儲けた気になりますね。(例えれば、本に栞代わりに差し込んでいたお金が見つかったような……よくやります)

 もう今となっては、知っている練習法を全部やろうとおもったら、24時間でも一通りはできないし、ある程度自分の感覚を信じて、「今日やりたいこと」、「今やらなければと思っていること」を優先いたします。昔みたいに、「しんどくても頑張るんだ!」なんて気持ちは、少ししかございません。疲れが抜けにくくなっているので(さすがに年か?)、翌日も楽しく稽古しようと思ったら、腹八分目医者いらず状態を保つのが大切です。

 ということで、今日はこれから『○○を語る会』の今月1回目でございます(来週もやります)。準備は半分しました。時間が足りないで、残り半分はできませんでした(どうせ「食い気」関連の準備なので、「語る」ことにはまったく影響がございません)。

 これから、生気一杯の食べ物が手に入る季節なので、それはそれで多忙です(たぶん明日も、Sくんと出かけると思います。二人いると、一人に比べて能率が3倍くらい上がるので)。ついでに新鮮な空気(この季節に新鮮な空気があるのかどうか、疑問ですが。これは西に環境問題がまったく理解できない、自称大国がある以上仕方ありません)を吸って来ようと思います。

 この季節、自然から生気をもらえる季節でもあるのですが、いざ手に入れようとすると、けっこう忙しいものです(笑)。

2017年3月17日 (金)

風と共に去ってくれないか、花粉と黄砂……

 何年ぶりかで『風と共に去りぬ』を見直している。おかげで晩御飯が長引いて……(なにしろ4時間近い大作なので)。

 私はビビアン・リーという女優さんも、クラーク・ゲーブルという俳優さんも、今一好きではないのだが、ことこの『風と共に去りぬ』という映画に関しては、他の女優さんや俳優さんでは、嵌らなかったような気がする。

 ビビアン・リーのスカーレット・オハラ、クラーク・ゲーブルのレット・バトラーでないといけない気がする。ようするに「はまり役」だったわけだ。このほかにも同時代に(1939年の作品です。なんと80年近く前の作品で、どこかで読んだけど、当時の日本喜劇界の大物、エノケンこと榎本健一さんは、これを当時上海かどこかで見て、「こんな国と戦争しても勝てない」と思ったとか。まあ、映画業界では、当時の日米の差は、月とスッポン、クジラとメダカ、ゾウとアリンコくらいの差はあったでしょうね、客観的に見て)名優、名女優はいるけれど、女優さんをスカーレット・オハラに当てはめても、うまくはまんないし、レット・バトラーに俳優さんをはめようとしても、どこかしっくりこない。

 これができた頃、当然私は生まれてなかったし、両親だってほんの小さな子供だったわけで、出会ってもいない(両親の出会いには、岡山空襲という、とんでもない戦争がらみの事件が、決定的な役割を果たしていた…んだそうな)。

 現代の豊かで便利な社会に生きていると、アメリカ南北戦争という、明治維新よりも前のアメリカを大動乱に叩きこんだ大事件のイメージは湧きにくいが、映像の美しさと、世間知らずだったはずのスカーレット・オハラの、苦難にもまれるたびに、シン・ゴジラ(?)化していく姿には、見ていて何とも言えない感動を覚える。

 もちろん私個人は、スカーレット・オハラのようなタイプの女性は、とても相手にしてもらえないという自信があるけれど。名曲『タラのテーマ』は、多くの人がご存じ(それとは知らなくても、どこかでッ身にしたことがあるんでは?)だと思う。これが象徴的な楡の木(?)だっけを逆光にした、キーとなるシーンで流れるんだけど、そりゃこんなシーンを巨大なスクリーンで見せられたら、1939年当時の人なら、間違いなく度肝を抜かれただろうね。

 タラのテーマ→ https://www.youtube.com/watch?v=HcgO_7DLc3Y&list=RDHcgO_7DLc3Y#t=61 私は仕事中のBGMとして、よく聞いてます。

 それに対して全然度肝を抜かれないのが、国会で問題にされているM学園に関する問題。今の世界の中で、特定の利害に関係した国で、似たような問題が、同時多発的に起こっているから、よけいにその感があるね。

 というのは、時間的なずれがあってこういう問題があちこちで起こることは、政治を行うのが人間である以上、起こらないことはないんでは、と思うけれど、同時多発的に、特定の国で起こるとなれば、そこには何らかの意図があるんではと勘繰らせてしまうからだ。

 ましてや同じような利害関係も持つ国で、こんなことが続発すれば、あとはミステリーと同じですね。「犯人」がいて、その犯人とは、一連の問題が起こることで得をする存在だということになってしまうんだけど。

 枝葉末節を捨て去って、この一連の騒ぎが起こることで、得してるのは誰? こういう読み方は、ミステリーを読むときの、基本的姿勢でございます(そして私は、大のミステリーファンでございます)。

 きっと何か自分たちにとってマイナスのことをしてほしくない存在があって、必死にあれこれしかけてるんだろうね。だから脇が固ければ取りつくシマがないけれど、脇が甘いと対応に不要な時間や労力を消耗させられる。

 地位や名誉や責任のある地位にいる人は、こういった苦労があるから大変だ。でも責任ある地位で頑張ってくれる人が」いるから、社会はうまく回っていくのだし、普通の人間が明日を心配しなくても生活できるわけだから、すいませんが、しっかりと頑張ってくださいね。

 昔々(今から2200年あまり前)、大陸には秦という国がございました。この国は戦国の七雄の一つだったのですが、他の6国を併合して、最終的に統一してしまいました。その統一するための手段ですが、初期にはけっこう大戦もやっていますが、統一の完成期(秦王政…後の始皇帝)に入ると、徹底して「戦って勝てれば戦う。戦って苦戦しそうなら、敵国の重臣を買収する、忠臣を暗殺する」という方針で物事を進めております。まず敵国を混乱させ、弱体化させてから戦う、なんてことも普通にやっておりますな。

 ではもしも秦に征服されたくなかったら、どうすればよかったのでしょうか。それはまずは自らの守りを固めて、団結することだったんですね。

『風と共に去りぬ』ではスカーレット・オハラは、まるで認知バイアスのような行動をとるシーンがあそこここに見られます。そうして何もかも失い、最後にはタラに戻って、楡?の木の下で、有名な「Tomorrow is another day(明日は明日の風がふく…誰が訳したのか、世紀の名訳だと思います)」と言うのがラストシーンですが、最高に物悲しいシーンでもありますからね。(スカーレット・オハラのキャラクターを見せつけられた後では、それでもこの女性ならなんとかするかも…と思わせるシーンでもあるのですが。それにしてもあまりにも感傷的なラストでございます。名演だと思います)

※ 明日18日は今月の『○○を語る会』のpart1でございます。今日は大変に花粉にやられて「きゃふんきゃふん!」と言ってしまいましたが、明日までにはなんとか調整するつもりです。よろペコ!

2017年3月16日 (木)

黄砂と選民思想…喉が痛い!

 この喉の痛みは、間違いなく黄砂が原因である。今年は上手に花粉とも付き合っていっていると、自分でも感心していたのだが、ここへ来て山が黄色に見える日が増えたなと思ったら、やっぱり喉にきた。

 該当の国は、しょうもないことばかりして、サンダーバード人形に妙なことを口走らせる暇があったら、この環境破壊を何とかしろ! それこそが「先進国」への門だ。こんなことすらわからないで、時には「先進国」ぶってみたり、都合が悪かったら「発展途上国」と自称してみたり、手前勝手な使い分けをする暇があったら、「人がすめる環境」を作れ。

 とまあ、喉の痛みは、いろんなことを私に口走らせてしまいます。ま、自分の国を「いい環境」にすることは、国民の生命と健康を大切にする、一番の根幹だから、最初に考えていただきたい問題でございますな。これは地球上のどの国、どの地域に対しても同じように言いたいです。

 自分の国が住めないくらいひどくなったら、他所へ移住すればいい、なんて考えは、蝗並みの思考ですからな。よくあるでしょ、あの国の史書を読んでいたら、蝗害ってのが。植物という植物を食い荒らしたら、蝗は次の場所に移る。そこも食いつくしたら、また次に移る。最後は食べるものがなくなって、餓死するって。

 歴史は正しく勉強しなければ、ってのはどこの国も同じだけど、なんでも人のせいにしたり、自分の都合のいいような解釈しかしないのは、正しい歴史の勉強ではございません。それは勉強とは言わずに「利用」と申します。

 縦横家の昔から、史実を自分の都合のいいように曲げて、話を展開するのが得意でも、人はその時は騙せても、自然は騙せませんからなあ。このあたり、「大自然」と、人間が勝手に「自然規律」と勘違いしたものを一緒くたにしてしまった人間は、迷路に入って出て来れなくなる。

 迷路に嵌るのは、個人個人も勝手だし、自由だけれど、他人まで巻き込んではいけない。まあ、天から選ばれた民族なんて妙な選民思想があると、こんなところがまともにはクリアできないのかもしれませんけどね(天は「選んだ」とは、一度も言っていない。誰か聞いた人はいるの? 墨子は「天命など聞いた人はいない」と言ってるよ。時々、ジャンヌ・ダルクみたいな人も出てくるけど))。

 そうそう。自分の落ち度には寛大でも、他人の落ち度には容赦ないって人がいるじゃないですか。あれも局所的、限定的な選民思想だからね。「俺は(私は)許されるけれど、他の奴らは許されない」って。

 こんな人は、お話をしていても、上手に誘導していくと、見事に選民思想を持っているのがバレます。バレたらたいていは、爆発または発狂して誤魔化すことが多いみたいだけど。

 わりとこんな人は、日常生活でも、あの人よりは自分の方が上だとか、○○よりは▽▽の方が上とか、意外にたくさん口にしたりしているんですよね。酷い場合には家族の中にも、上下関係があるなんて、臆面もなく口外していたりして。

 こうなれば、もう自分が選民思想に取りつかれているってことにすら気づいていない状態なので、中国語で言うと「哎呀(アイヤ~)」ってことになってしまうわけですが(この言葉、使っているうちに口癖になることがあるから、要注意です!…笑)。

 自分だけが許されて、他人は許されないって、いったい誰が決めたんでしょうね。確かに入学試験とか入社試験とかだったら、合格した人間しか、そこの学校や企業に通うことはできないので、「許された人」と「許されない人」に分けられるわけだけど、これは採用する側に「必要な人材」あるいは「要求される能力基準や適性を有する人材」を要求する資格があるからできるわけで、我々が一般的な社会生活を送る上では、一応こんな選別は必要ないと思うんですが、いかがなものでしょうか。

 昔の選民思想って、普通神様から選ばれたって、一部の人間が勝手に言いだしていたわけでしょ? でも現在の民主主義社会だったら、誰に選ばれているわけ? 勝手に思い込んでいるだけ? 子供の時に親戚一同から、「この子は賢い。神童だ」と言われ続け、「あなたは他に人よりもエライんですよ」と言われたから? それとも民主的な選挙で選ばれたから?

 最初の二つは、限定された範囲の人間が作った選民思想で、よく考えてみると、世の中の人みんなが認めているわけではない。三つめのは「選挙で選ばれたから、俺は(私は)エライ」と考えているのであれば、自分は偉いから他の人に投票してもらえたのだという発想に、容易にすりかわる。

 するとおかしな現象が起こっていますね。自分は自分を選んでくれた人よりもエライと認識しかねないわけですよ。不思議だなあ、人に選んでもらったから、偉くなったような気分に陥っているだけで、次の選挙で落ちれば、自分は偉くなくなっているんですね。ジェットコースター?(実際、落選した元議員さんって、話をしてみると、やっぱりどこか違うなって雰囲気が漂っているんですけど、議員さんでなくなった時には、「ただの人」以上でもそれ以下でもないんですけどね…ただし真っ当な活動を展開していた人には、それなりの人脈はある。真っ当な活動をしていなかった人は、落選した瞬間から、人が去っていく。こうなれば天国から地上に落ちてきたよりもひどくて、天国から地獄へと、絶対値は変わらないで、プラスとマイナスの記号が変わる。大変な職業だなあ……)

 どんな手段で選ばれたとしても、結局は人は人でしかなくて、エラクなんかなっていないわけで、自分の果たすべき義務が、普通の人より少し変わっただけ(ものすごく責任が重くなったり、大量のことをしなければならなくなったりするんでしょうが)なんですよね。

 だから「選民」なんていないと考えた方が、人生、しんどくないですよ。リーダーになれば、その人が多くの事柄のかじ取りになったり、推進役にならなければなりませんから、大切にはされるべきだと思いますけどね。でもその分、重責を担っているんだから(寿命が縮むんでないかい? 私なんか、死んでもやりたくないもん…死んだらできませんが)。

 何もしないでエライ地位にとどまっている人は、歴史を見ると、やっぱりどこかでコケてますね(これは歴史がそういうんですから、私の個人的な意見ではございません)。コケた時が、何もしていなかった分、打つ手を知らないというんでしょかね、ますます下手を打ってドツボに嵌ることも、少なくはないみたいです。(絶対値は変わらないで、記号が変わるから)

 ま、なんでもいいから、毎年黄砂を飛ばすんでない! お金持ち国家になったのなら、お金持ちらしく、自分の家を立派に管理しなさい。お金持ちがゴミだらけの屋敷では、つり合いが取れていないよ。豊かな国には緑あふれる豊かな大地がお似合いだ。それがわからなきゃ、いつまでたっても先進国にはなれないよ。

 とまあ、喉が痛いので、怒りのあまり書いてしまいましたが、渡瀬恒彦さん、残念でした。存在感のある俳優さんだったのにねえ。もうあの方の演技が見られないのかと思うと、寂しい限りです。

 昔出演しておられた番組、どんどん再放送してくださいね!(できたらゴールデンタイムに…って、さすがにちょっと無理か?)

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、18日と25日の分散開催です。よろペコお願いいたします。 

2017年3月15日 (水)

妄想!櫛名田比売命

 なんでこうも風が強いんだ? おかげで目が、目が~っ!のムスカ状態ではないか。山が黄色みを帯びているから、花粉だけじゃないんだよね、きっと。疲れ目に花粉、加えて黄砂。いったいぜんたい、どうなっておるのか!(怒り狂って、日本の西に、国…環境保全も考えられないような国のことですが…はいらないとまで思う、ここ十数日の私です)

 さてさて、昔々、ヤマタノオロチってえ怪物がいたのだそうです。頭が八つに尻尾が八つ、そんでもって胴体が一つと言いますから、どこかに行こうと思った時は、八つの頭で相談しなければなりません。

 議論がうまくまとまればいいのですが、まとまらなかったらどうしたんでしょうか。またまとなったとしても、議論に時間がかかりすぎたら、もう夜になっていて、「行くの、や~んぴっ」ってことにならなかったのかと、老婆心ながら心配になります。なにしろ井上陽水さんは、遊びに行きたいけど、傘がない~って歌われていますからね(古いなあ……)。傘がないくらいで、遊びに行こうかどうしよ~…って悩んだりするんですから。

 傘がないくらいで悩むんだから、頭が八つもあったら、絶対に意見が食い違うはずなので、きっとあまり外出は得意ではなかったのではないかと、勝手ながら想像しております。(まあ、ヤマタノオロチみたいな大怪獣に、そうそうしょっちゅう出かけられても困りますが)

 ところが古事記なんかを読んでみると、このヤマタノオロチ(八岐大蛇)さんはけっこう悪さをしておりまして、毎年、足名椎命と手名椎命(アシナヅチとテナヅチ)さんの娘とぱっくりこと食べちゃうってんですな。とんでもないヤローだ!

 でこの夫婦の8人いた娘のうち7人まで食って、今年は最後の一人、クシナダヒメが食べられるってときになって、なんと須佐之男命(スサノオノミコト)という、エライ神様が通りかかります。

 この須佐之男命ですが、これまた不思議なお人(神様)でございまして、天上界にいた時には、お姉さんの天照大神(アマテラスオオミカミ)さんを困らせてばっかりのグレーテルだったのですが、天上界から追放されて地上界に来たとたん、大変な正義の味方に変身してしまったのでございます。(悪に強いものは正義にも強い?)何か重大な心変わりがあったんでしょうか?

 で、クシナダヒメを抱いて泣いている、アシナヅチさんとテナヅチさんに、「よっしゃ、わしがなんとかしたる。その代わり、娘さんはわしの嫁にくれ」などと申し込むんですな。アシナヅチさんとテナヅチさんからみれば、ヘビの化け物に娘を食われるくらいなら、須佐之男命に娘を嫁がせた方がはるかにいいですから、これを承諾いたします。

 すると須佐之男命さん、酒を作れと申します。それを八つの樽に入れて、ヘビ(おろちですが、めんどうなのでヘビにしときます)が酒に酔っぱらっているうちに、退治しちゃおうと作戦を立てるわけでございます。(ヘビって酒に酔うのかなあ? 昔、マムシ酒を造ろうと、ヘビを焼酎の中に入れたことがありますが、ヘビが激怒しただけでしたけど…いろんな不必要な経験をしておりますな、私は…途中で可哀想になって、解放してあげましたけど。基本、マムシは臆病な生き物ですから。一般的に日本の本州で見かけるヘビで、最も狂暴なのはシマヘビですが、毒はありません。私は子供の頃、一度噛まれたことがあります…ったく、しょうもない経験はたくさんしております)

 で、クシナダヒメは櫛に変えて(さすが神様!)自分の髪に刺し、待ち構えておりますと、なんとこのヘビの化け物、酒を食らって寝てしまうんんですな。きっと毎年楽勝で娘を食べることができたので、油断してたんでしょうな。(油断大敵火がぼうぼう)

 それを須佐之男命さんは手に持った十束剣で滅多切りにするのですが、八本あった尻尾の何本目か知りませんが、そこを切った時、硬いものに当たって刃がかけてしまいました。そこを切り裂くと天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ…後に草薙の剣と改名され、三種の神器の一つとされます)てえのが出てきたんだと。ヘビの中には、腕のいい刀匠が住んでいたのだろうか、それとも剣を呑んでいたんだろうか…さぞかし痛かったのでは?

 まそれで須佐之男命さんはクシナダヒメを無事に救うことができ、たぶんその後は二人で幸せに暮らしたのかな~…と想像させておしまいなのですが(だって、この物語、救出した後のことは記述がないもん!)、そんなバカなことはない。なんてえことを理科系の大学生だった私は、一般教養の文学の講義中に考えておったのですな。

 講師はW大のU先生。この人はいい先生だった。第一話が面白くて、ちっとも退屈しなかったので、私は毎週、一番前の一番真ん中で講義を受けてたんですよ。試験は2問しか出されなかったんだけど、気合が入りすぎた私は、1問めに時間を取られ過ぎ、2問目には極めて心残りな答案しか書けなかったんだけど、評定は良かったです。きっと1問めの答案で、いつも一番前の真ん中で、目を輝かせながら講義を受けていた私のことを知っておられたんだね。

 当然U先生のお話の中にも、興味深いお話がたくさんあったんだけど、まずは理科系の学生としては、観察から入ります。ヤマタノオロチの外見ですな。八つの山と八つの谷を越え、背中には木が生え苔むしていて、お腹は血がただれている…… 

 一番に思いだしたのは、火山の噴火でございました。粘り気が弱い溶岩は、色が黒っぽいものだけど、これが流れると、背中は苔むしたように見え、腹はまだ固まっていない溶岩が、外側だけ固まった溶岩を破って出てきますから、血でただれているように見えるんですわ。ちょうどハワイのキラウエア火山の溶岩が流れているようなものです。

 するとクシナダヒメってなんだろう?ってことになります。U先生は偉かった。クシナダヒメってのは日本書記では奇稲田姫と書くということから、実は珍しいくらいイネがよくできる田だったのではないかと。

 つまり毎年のように噴火して、人々がせっかく苦労して作った田んぼをのみ込んでいたんではないかというイメージができるんですな。

 こうなると須佐之男命さんが酒を八つの樽に入れてヘビに飲ませたら云々というのが見えてきます。実は酒ではなくて、谷をせき止めて作った水溜りは、人造湖みたいなものだとすれば、ある程度溶岩の流れが穏やかになりそうなところに人造湖を作っておけば、そこで溶岩が冷え固まり、止まらないこともありません。

 古代中国では治水工事の伝説が多いですが、これは治水ならぬ治火山なんですよ(たぶん)。しかも溶岩には鉄分がたくさん含まれていることが多いですから(溶岩を見ると、よく錆が浮いたのがあります)、これから剣を作ることも、あるいは可能だったかもしれません。なにしろ人類が最初に使った鉄器の原料は隕鉄だったという説があるくらいですから。後は偶然に地表に露出していた鉄鉱石の上で、何度となくたき火をしていたら、知らない間に鉄が取れたとかなんとか。なら溶岩から鉄をとっても、全然不思議じゃないし。

 で、この伝説があるあたりの火山といいますと、伯耆は大山! 大山は子供の頃から何度も登ったことがあるのでよく知っておりますが、残念ながらここの火成岩は、色が灰色で安山岩が主体でございます。もしも大山が噴火(歴史記録には残されていません)したのだったら、溶岩がたら~り、たら~り流れるタイプではなくて、爆発性の噴火だったでしょう。

 するとヤマタノオロチ伝説とは符合しなくなります。だいたいそんな大蛇はいなかったと思うよ(大昔は気温が高かったかもしれないけど、そうなるとそこに人類がいた頃ではなくなるので…ミトコンドリアイブすら誕生していない?…そんな現象が起こっても、情報は伝わりません。伝わらなかったら、伝説も神話も残りません)。

 では、須佐之男命さんがヤマタノオロチを退治したのは、いったい何処? いつ頃? という疑問が湧きますよね。実は私も(まだ)調べてません。ですがこの仮説に基づけば、少なくとも人類が稲作を始めていたことと、粘度の低い溶岩を噴出する火山があった地域ってことになります。

 幸いにしてヘビの信仰は、日本の神社にあるしめ縄という形で残っていたり、ヘビが神話に登場するのは、世界中にあります(中には頭がいくつもあるヘビの話が残っているところもございますね!)。アダムとイブに智慧を授けたのもヘビだし、マヤなんか(時代はずいぶん新しいですが)でもケツアルコアトルなんて翼を持ったヘビが登場しますし、インドや東南アジアに行けば、そりゃあもう……

 ってことで、櫛名田比売命は奇稲田姫は、古代に稲作をしていた地域で、火山が近くにあれば、可能性としてはいくらでも出てくるんですな。そして奇稲田姫には須佐之男命というナイトが出現します。

 面白いもんですな、今朝の新聞に、国会で某女性大臣がポカをやって責められているようなことが出ておりましたが、でも、須佐之男命は(たぶん)いるんじゃないですか? だって名前が名前だもの(笑)。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日、25日の分散開催でございます。どちらに参加してくださっても結構です(同じことを話す可能性は、低いです。なにしろ気分次第で、どうにでも変わる人ですから、私は)。よろぺこ!

2017年3月14日 (火)

吾日三省吾身(吾、日に三たび、吾身を省る)

 山、黄色でしたね~。風が強くなるのは、天気図を見ればわかったけど、黄砂は連れてこなくていいです。近い将来、黄砂が生まれるところには行ってみたいと思ってはいますけどね(もちろん、黄砂が発生しない季節に。星空がめっちゃきれいだと聞いたので。携帯式の赤道儀を手に入れたら、数十年前の最新型のカメラと、昔ながらのフィルムを山盛り持って出かけるのが、長年の夢ですから……私は昔、天文小僧だった…… きっとこちらでは撮影できないような星空が撮影できるんだろうなあ…)。ま、何度かあちらに「来い」というお誘いを受けているので……(その中の一人は、『三国演義』で有名な、呂布の出身地に近いところにお住まいです)。

 快調に花粉症をいなしていたはずだったのですが、さすがにここ数日は症状が重くなってないりました(それでもまだ、寝てられるからいいですけど)。屋外に出る時は、できるだけ呼吸しないように心掛けているんですが、あまり呼吸をしないと、花粉症にもなれなくなってしまいますから、適当に息をすることにしています。それよりもなによりも、目が痒くて……

 それにも負けないで、明日の夕方あたりには、ちょっとおんもの様子を見ておきたいですね。枯れているばかりに見えて、ちょっと雰囲気が変わりました。きっと芽吹いてきたんでしょうね。ぺちゃっと地面に張り付いていた枯れ草が、立体感を持ち始めましたから(これに続くのは、私の場合「食い気」)。

 私はたぶん曽国藩の生まれ変わりではないと思うのだが、どうも「吾日三省吾身(吾、日に三たび、吾身を省る)」というところがあって、何を省みるかというと、曾国藩のように、行いの善悪ではなく、朝、昼、夜の食事を食べたかどうかということなんですね。食べたのに、食べてないという認識があってはいけないし、食べてないのに食べたと思い込むのも、同様な害があるのではないかと思います(「武士は食わねど高楊枝」という、やせ我慢を絵に描いたような言葉もありますが、これは健康に悪いので、三度三度、それ相応に食べるのが私のモットーでございます)。

 我が身、我が言動を、一日に三度も省みていれば、なかなか立派な人間になれるようで、曾国藩は当時の人々に非常に敬愛されたといいます(Mちゃんに言わせると、この人が天下を取っていれば、どこかの国は今とはまったく異なった、素晴らしい国になっていただろうということです)。

 残念ながら私は、日に三度省みるのは、食事をとったか摂らなかったかなので、人格はすぐれてきませんし、出てくるのはお腹ばかりで、靴を履くのにも苦労します(してませんけど)。知り合いの妊婦さんにも、「これであんたの苦労がわかった」などと軽口をたたかれるします(だからそんなに苦労はしてないって!)。昔は細かったから、そりゃあ私の頭の中の自分のイメージと、現実とのギャップに驚くことはなくはないけどね。

 そうそう、太ったといえば近くの国の指導者です。顔のつくりが顔面の真ん中に集まって見えますが、これは急激に肥満した証拠ですよ。健康上、注意が必要なのではないでしょうか。逆にここ数か月で、政治家としては失敗しても、減量には大成功した元女性大統領もおられるようです。こんな急激なダイエットは、やはり大統領という重責を担わないと不可能かもしれませんね。

 私だって、母の介護をしていた時には、みるみる10㎏近く落ちました(当時ヘルパーさんが撮影してくれた写真が残っていますが、まるで幽鬼みたいな顔になってますもん)。気を使うってことは、ダイエットには大変効果がございます。ただあまり経験したくないですが。あの時は多くの人たちに助けられたから、なんとか生き延びることができましたけどね。

 あの時の感謝は、一生忘れることはないと思います(でも、日に三度もは省みていないよなあ、実際のところ)。この感謝を、どうしてお返ししたらいいか考えたりしますが、なかなかいい方法は見つかりません。ちょくせつあの時の人たちにお返しできなくても、他の形で、誰かにお返し出来たらいいのかも知れません。

 だから生きているのかも。

 ま、凡人には、日に三度省みるったって、せいぜい飯を食ったかどうかくらいのものですけどね。(きょうは、ちゃんと食べたような気がします…笑)

※ 今月の『○○を語る会』は、18日、25日の分散開催です。そろそろ準備に取り掛からなきゃ……

2017年3月13日 (月)

趙王っ‼

 黄砂がだいぶ来ておりましたな。山が黄色でしたよ。これさえなきゃ、そんな悪い日ではなかったんだけどね。黄砂が来ると、痒みではなくて痛みが出てくるからなあ。きっと鉱物の小さい奴は、角が尖っているんじゃないかと(そうそう、それを検査するにも、まだ顕微鏡をスタンバってなかったっけ…… どこかでふんぎりをつけないと、宝の持ち腐れになっちゃいますね。今年こそ、どこかで踏ん切りをつけよう!)。

 さてさて、今日はなんとなく、たんと仕事があるようなので(昔は「夜なべ」といいました。今じゃあ、夜も働くのは当たり前みたいなところがあって、死語になってるんじゃないかな?)、話せば長くなるお話を、ダイジェスト版にしていこうかと思います。

 昔々、某大陸に趙という国がございました。これは晋と言う国が分裂して(というか、六人の家臣にぶんどられて、この六人でバトルロイヤルをやった結果、韓、魏、趙という三つの氏族が生き残り、それぞれ国を建てたんですね。そのうちの一つが趙。で、この三つの国が、諸侯として認められた年が、古代のかの国の戦国時代の始まりでございます)できたわけですが、最終的に秦によって滅亡させられます。滅亡させたのは秦の名将王翦(おう・せん)さんですな。(ちなみにかの国では「戦国の四大名将として、白起、王翦…いずれも秦将、廉頗、李牧…この両名は趙将…と言われておりますが、私はこの中でも一番の名将は王翦だと考えております)

 さて秦が六国を亡ぼして、かの国を統一したのですが、その後始皇帝は(たぶん)働きすぎが原因で、49歳で亡くなってしまいます。当時は勤務時間に配慮したりすることはなかったんでしょう、きっと。

 その後を継いだ胡亥も、名君と言われるには実務経験がなく(一般的に、大変愚かだったと言われておりますが、私は気のやさしい、世間知らずのぼんぼんだったと考えています。少なくとも『史記』にある、胡亥さんのセリフを読むと、そんなにぼんくらだったとは思いません。二世皇帝なんてとんでもない立場に立ちさえしなければ、もうすこしはマシな人生が生きられたはずです)、秦末の大動乱を経て、趙高さんの娘婿閻楽(えん・らく)に自殺を強いられ、死んでしまいます。(気の毒なことに、胡亥さんには御陵がございません。つまりまともに葬られなかったんですね)

 その後は劉邦と項羽が大喧嘩をやらかして、秦の始皇帝による統一戦争では、ほどんどかの国の人口は減少していないのですが、なんとこの楚漢戦争が終わった時には、人口が三分の一に減っていたというのですな。どんだけ無茶やったんだよ、庶民のことは考えてねえのかよっ! ま、今も昔も、そう変わりはありません、ってか?

 で劉邦さんが勝ち残って、漢って国を建てますね。始皇帝さんは郡県制で国を統治したんだけど、これではやっぱり反乱などが起こった時、各地域に派遣された役人は一族ではないので、国を守ろうとしないと考えた劉邦さんは、一族を王として各地に封じます。ところが楚漢戦争中、頑張ったのは劉邦さんの一族だけではありません。いろんな人が助けてくれたから、生き残ることができたんですね。

 頑張った人には褒美をあげないと、グレます。褒美をあげても、少ないってゴネる人だっているくらいですから。劉邦さんってのは気前がいいってことになっていて、戦をしている最中にはばんばん気前よく褒美を約束します。けれども戦が終わったら、約束した褒美を全部賜るわけにばまいりません。

 いくらかの国が広いったって、限度があります。そこで約束を反故にしまくるんですな。別にこれ、最近だけの話ではなくて、太古の昔からやってたことなんですよ。言ってしまえば数千年の歴史に裏付けられた「伝統」かな?

 でいろんな人をいろんな国に諸侯(王)として封じるのですが、趙という国には最初、張耳(ちょう・じ)という人を王様にして封じました。この張耳さん、実は劉邦が若い頃、勉強しに(何の勉強かはわかりません。一種の修業とでも言った方がいいかも)行ったような、エライ人だったのです。なにしろ張耳さんは若い頃、魏の信陵君のところに食客として身を寄せておりましたから。

 この信陵君魏無忌というお方は一代の英傑でございまして、日の出の勢いの秦軍を、二度にわたって大破した人だったんですな(その頃、劉邦は10歳くらいの、多感な?少年だった計算になります。劉邦は生涯、信陵君を敬愛し続けますから、劉邦さんにとっては一生のアイドル?だったんでしょう)。

 ですからまあ、張耳さんは劉邦さんにとっては恩師?恩人?にあたる人で、韓信の趙攻略にも貢献していますから、趙王とするのはきわめて妥当な人です。で劉邦が皇帝になった頃には、きっと寿命だったんでしょうな、亡くなり、息子の張敖が後を継ぎます。

 この張敖さん、よほどいい男だったんでしょうな、劉邦の奥さん(正妻)の呂稚が惚れこんじゃいまして、娘の魯元公主を嫁がせます。この二人の間に生まれた娘さんの話を書けば、今で言うと優生保護法に触れてしまいますし、今回のお話とは直接的関係はございませんから、またの機会に譲るとして、張敖さんは岳父の劉邦をとても敬愛いたします。

 で匈奴征伐(反乱だったっけ? この頃の漢北方で起こる反乱のほとんどは、匈奴に関係があります)の帰りに、「ちょっと、娘婿の所へでも寄ってみるべえ」と立ち寄った劉邦に、滅茶苦茶慇懃に接する、デキた娘婿だったのですが、ならず者を率いて天下を取った劉邦には、それが「男らしくない。男はもっと、で~んっっ!と構えているものだ」と、逆に叱られてしまうんですな。

 張敖さんはそれこそデキた人だったらしく、それでも腹を立てたりしなかったらしいのですが、おさまらないのはかれの臣下です。父親の代から仕えていたような連中は、「何が皇帝じゃ! いてもうたれ」とばかりに髪の毛を逆立てて怒り狂うわけです。

 それでその次にここに立ち寄った時、暗殺する準備をして待ち構えていたのですが、さすがに天下を取るような男は違います。突然気が変わって、罠が仕込んであるところには立ち寄らず、さっさと帰ってしまうのです。

 あとでこの謀略を知った劉邦は、タダで済ますわけにはまいりません。(仮に張敖が恩人の息子で、正妻のお気に入りだったとしても、です。ケジメをつけないと、舐められるのは世の常。そんなことでは天下を統治することはできません)一族郎党をひっとらえて獄に繋ぎます。

 えらいのはこの謀略を立案した老臣連中ですね。「王は一切あずかり知らぬこと。すべては我らが仕組んだこと」と言い張り、また呂稚や魯元公主の助命嘆願もあったのでしょう、張敖だけは釈放され、侯に降格されたものの生きながらえます。

 こうして趙には国王がいなくなったのですが、そこは一族で天下のすべてを支配した劉邦ですから、「ほい、いい具合に趙が空いた」とばかりに、寵姫戚姫の息子、劉如意を趙王に封じたのです。

 この戚姫、あろうことか正妻呂稚と張り合って、自らの子、劉如意を、すでに決まっていた太子劉盈を廃嫡させて太子にしようと画策したような女性で、呂稚は腹に据えかねておりました。と同時に、我が子劉盈にとっては、劉如意は潜在的な政敵でありつづけます。

 そこで劉邦が亡くなった後、劉邦も手を尽くして劉如意を守る手立ては打ってあったのですが、死人には変化に対応する力はありません。とうとう劉如意は都に誘い出され、呂稚(この時代は呂太后ですね)に毒殺されてしまいます。

 その次に趙王になったのは劉邦の第六子の劉友で、無理やり呂氏の娘を娶らされますが、彼女を愛さず、側室にうつつをぬかします。すると嫉妬に狂った呂氏の娘はこれを(たぶんグッピーのオスよりも長い尾ひれをつけて)呂太后に言いつけ、気の毒なことに呂太后の怒りにふれ(ていうか、この時期の呂太后は、呂氏一族を王に封じるために、一所懸命だった。その一所懸命さは、時に劉氏一族の殺害という形になって現れた)、長安に呼び出されて監禁され、餓死させられてしまいます。

 その次に趙王にされたのは、劉友のすぐ上の兄で、劉恢(りゅう・かい)さんで、この人は気の毒にも、呂太后の兄。呂産の娘を娶らされ、この娘に監視させられたのですが、こんな境遇を喜ぶ男は一人もいませんから、煙てえなあと敬遠いたします。するとこれを怒った呂産の娘は、あることないことを呂太后に言いつけ、更には劉恢が寵愛した側室を毒殺するに及んで、人生、いいことはちっともないなあと儚んだ劉恢も自殺いたします。

 ここに及んで呂太后は代王に封じられていた劉恒(後の文帝)を趙王にといいますが、賢い劉恒はこれを遠慮いたします。当たり前ですね、自分の前の趙王で、ろくな死に方をした者がいないんですから。一度あることは二度ある、二度あることは三度ある。三度あることは、何べんでも繰り返します。ま、この賢さが後に呂氏がいなくなったあとの皇帝へとつながるのでしょうが。

 で劉恒が断ったあとの趙王には、呂太后が可愛がり、後事を託した一人でもある呂禄が座ります。しかしながらご存じのようにこの男、呂太后が没した後の対応を見事に誤り、殺されてしまうんですね。

 わずか数代でも、これだけ末路が惨めだと、劉恒さんのように賢い選択ができる人も現れるのに、どこかの国では、末路が哀れなことがもう十代以上も続いている地位につきたい人が絶えないようです。なかなかに元気ですね。頑張れ!

 でも歴史は、ちょっとは勉強したほうがいいかも……

※ なんてえことにまで言及するかもしれない今月の『○○を語る会』は、18日、25日の分散開催でございます。よろぺこ!

 ああ、ひさしぶりに焦った。なんとか今日中に間にあった!

2017年3月12日 (日)

季節の移ろい

 風さえなければ、いい天気でしたね~。こういう日がだんだん多くなって、次第に春本番!って感じになっていくんだろうね。

 硬かった木の芽も、もう芽吹く準備ができてきたようで、緑がかってきましたね~。当然地面のすぐ下でも、もう芽が出てますね。先日、ちょっと畑を広げようとして掘り返したら、ツルボがめちゃくちゃ殖えておりました。

 殖えたなあと思って、庭の東の端に移植し、もうないだろうと思っていたら、倍以上が芽吹こうとしていた。また移植のほうに時間を取られ過ぎてしまったよ。さすが雑草! 一般的な庭に植えたら爆発的に殖えちゃうんだね。ちょっと甘くみていた……

 今年こそは昨年みたいに、草が大きく伸びるまでに、問題が発生しないように先手を取らないといけない。(とは言うものの、時々留守にするからなあ。それと梅雨の長雨の間、こちらが身動きが取れない間に、一気に伸びてしまうからね)

 昨年はまず大問題のドクダミ対策に脂汗を流した。結果、生えた量は、一昨年までの五分の一くらいには抑えられたけど、私は「ドクダミ茶」を作って飲む習慣はないから、まったく不必要な植物である(ドクダミ茶と似た効用を持つお茶なら、いくらでも知ってるし、持っている。味は私がもっているものの方が美味しい)。

 おかげで細々と我が家で命脈をつないでいた植物が危ういので、今年からは完全保護態勢を整えた状態で、きちんと移植しておきたい。もう一つ、水溜りを移動させて、抽水性の植物が生える位置を変えないといけない。

 昨年めでたく、マガマの移植に成功したので、我が家の湿地にはすべてヒメガマかマガマが生える可能性がある(セリはすでに進出済み)。あとはショウブとかカキツバタとかだね。これも今年、いろんな奴を導入するかも。(そうそう、お館さまがきれいな観賞用のショウブ…アヤメだっけ?…を植えておられた。相談してみよう)

 実は私は抽水性の植物が大好きなのである。(イネもその仲間だけど)

 抽水性の植物は、水中の硝酸塩やら亜硝酸塩やらを使って、自分の身体を成長させていく。すると水は浄化されていくんだよね。これが昔、我が家の水槽の上部フィルターにはすべて、抽水性の植物が植えてあった理由。浄化作用が強いんだね。だから普通、市販の水槽では、水槽の中を照らす電燈(たいていは蛍光灯)はついていたり、販売していたりするんだけど、我が家の場合は、上部フィルターの上にも、煌々と明かりがともっていたんですね。

 おかげで上部フィルターに生えた草(たいていは観賞用の植物や、水草。一般に売られている水草も、本来は雑草で、水中葉と水上葉で姿が変わるものが多い。中には可憐な花をつけるものもあって、これを鑑賞するのが、実は私の隠れた趣味。いろいろ実験したので、妙なデータをたくさん持っている)用の照明が必要だ。意外にキレイな花が咲くものもあるし、ペットショップが嘘の名前で売っているものも、一発で判明する。植物の体はごまかせても、花はごまかせないからね。

 本当は、水田(小さめので可)でも手に入れて、ここで周囲から絶対に農薬が入らない状態が作れれば、水草の研究はもっとできたんだけどね。水田の土は、水草の育成には宝物だから。法律の関係で、農地は農民でないと入手できないし。(もう一つ重大なポイントは、管理する暇もなかった)

 田んぼの土を使えば、いくつも魔法が使えるから(そうそう、そろそろミジンコが湧いている頃なんだが、今日は昼過ぎから倉敷でコーヒーしてたので、ついチェックするのを忘れていた。今日見るつもりだったんだけどなあ。最近、雨が降らないので、水量が減っていて、見づらいんだけど)。わが国の農民が、数百年かけて作った、魔法の土が田んぼの土だと、私は思っている。(備前焼の土だって、田んぼの底の奥から掘る。ちなみに私は備前薬のけっこうなものを常用している。備前焼は使えば使うほど、美しくなるものだから。もちろん食器洗いでは気を使うけど)

 今年の夏は、久しぶりに農薬を使っていない地域を歩き回って、昔、私が子供の頃には普通に生えていた抽水性植物でも採集してあるこうかと思っている。もちろん、我が家で殖やすのが目的だ。(ツボにはまると、もともとが雑草だけに、かなりの勢いで殖える。殖えたら私が面倒をみるのは、それこそ面倒なので、どこかのショップ…Kさんの店の可能性が高いが、あそこも半端なく植物を殖やしているからなあ…にでも預けようか)

 最近の帰化植物にはあまり殖えてほしくないけど、私が子供の頃にはたくさんあった植物には愛着があるなあ(私が子供の頃には、セイヨウタンポポはすでに山盛りあった。ちなみに我が家にはセイヨウタンポポもあるけど、カンサイタンポポもシロバナタンポポもある。なくても力ずくで移植する)。できるだけ私が子供の頃の自然を、自分の家の庭だけには保存しておきたいのだが、これもある種のノスタルジーなんだろう。

 あの頃には普通にいたのに、知らない間に天然記念物なんかに指定されたものもあったりして、本音を言うと、ごく自然な形で、我が家には生存しているようにしてみたいものだ(ちなみに、抽水性の植物の根元に産卵する魚も少なくない。産卵させるだけの条件は、すでに完璧に整っている)。

 年かなあ。子供の頃の自然を、自宅に再現したくて。(昨年秋の、我が家で繁殖したアキアカネが、我が家の庭の上空を乱舞するのには、さすがに驚いたけど。ちょうどSくんと、BBQを楽しんだ日だった。BBQをやっている最中は、たぶん熱を避けたかったのだろう、飛行高度が高く、BBQが終わると、家の屋根くらいの高さまで下りてくる。で、よその家にはいかないんだよね。我が家の庭の水溜りに、ヤゴが何百といるのは知っていたけど、あれがアキアカネの群れになるとは思わなかった)

 小学生の頃、二度ほど昆虫採集をして、標本を作ったことがある。でも生きて動いていないのは、なんとなく面白くなくて。で、今は家にいろんな生物が住み着けるようにしている。我ながら妙な趣味だとは思うが、季節の移ろいが感じられて、嫌ではないなあ。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日と25日の分散開催に決定しました(先ほどマスターと話をつけました)。春なので、そろそろ春らしい趣のあるものを楽しみたいなあと。それから三月なので四月の準備もかねて……

2017年3月11日 (土)

レタスの思い出

 はい、よっこいしょっと。

 なかなか過ごしやすい一日でしたね~。これで風がなきゃ、もっとよかったんですけどね~。でもあんまりよすぎると、後が怖いのが人生ですから、まあほどほどがいいのかも。

 ちなみに私は、今日がほどほどになるように、昨日セットしておりました。暖かかったので、マスクしたまま屋外で暴れたのね。鼻呼吸だけだと、今年は酷くならないような秘策を講じているのだけれど、暴れるとどうしても口呼吸しないと、酸欠で死んでしまうので、口呼吸もいたしました(このあたりは、まさに自然にまかせておりまして、鼻呼吸だけだとヤバいと思えば、勝手に身体のほうで、鼻口併用になります。人の身体は賢いなあ)。

 すると、きっちり花粉症の症状に現れまして、いい日よりなのに、私的には、それほどいい日和でもなかったんですね。だから、ほどほど止まりでした。それでも夕方は、フキノトウを掘って、さっそく蕗味噌を作っていましたけどね。前回の反省でございますが、蕗味噌は作った日よりも、翌日の方が味がなじんでて美味しいので、今晩作ったのは、明日以降用なんですね(今回は前回と、用いる味噌を変えました)。

 木曜日夕方に見たときの倍以上、フキノトウが出ていて、びっくりしましたよ。しかも、あっという間に花が開こうとしていて。あれからたった48時間しか経過していないんだけどね。で、裏庭の、私の進入路に生えているのを中心に、採集いたしました。こんなところに生えられていたのでは、私が入ることもできませんから。私の進入路だけは確保しておかないと、ご主人様が誰だかわからなくなります。

 最近の我が家の庭は、渡り鳥が減り、メジロも来なくなり(ヒヨは来ます)、スズメが増えました。スズメは私が小学生時代には何羽も育てたことがあるので(巣から落ちる、おっちょこちょいがきるのです。まだ目も開いていないのに。これに給餌してやっていると、有名な「刷り込み」が起こりまして、間違いなく人間を親だと思い込み、よく馴れます。今では法律で禁止されている?)嫌いではございません。

 もちろん飼う気などさらさらありません(一人暮らしで、割とあっちやこっちへ出歩くのが好きなので、毎日エサをやらなければならない鳥類の飼育に、私の生活習慣はむいていません)から、飼いならすつもりはまったくないんだけどね。

 ま、食べ物が余れば(そしてこちらが食べられるものでなければ)、ただ捨てたり腐らせたりするのが勿体ないから、与えはするけれど。でもエサがもらえるのが当たり前と思ってきているのか、ヒヨは煩いです。裏庭の柚子でも食ってなさい! 私の手が届かないところは、無防備になってるから。

 ネコとかだったら、可愛がってやったら義理堅いのがいて、自分が捕まえた獲物を玄関まで届けてくれたりするのがいるけれど(はっきり有難迷惑ですけど。朝起きたら、玄関にネズミなんかが置いてあるんだよ。ネコの気持ちは可愛いけれど、ネズミやヘビの死体をもらっても、人間はあまりありがたくないので)、鳥はフンぐらいしか残さないからね。

 もっと酷いのは、植えたはずのない植物が発芽して、気がついたら巨大化してたりすること(よそで果実を丸のみして、我が家で排泄して、同時に種子がばらまかれて、発芽してるんだよね)。これは、引っこ抜いたり、鋸で切らないといけなかったりするので、はっきり迷惑。

 スズメも気を付けていないと、意外に厭らしい悪戯をするから、要注意。腹を立てなくていい一番の方法は、やつらに悪戯させないこと。もうすぐ種まきの季節が始まるから、防御手段を確立しておかないければ(この方面でも私は「専守防衛」を心掛けております。基本、どんな生物であっても、慈しみは不可欠だと思っているから。害があれば徹底的に防衛する、益があれば助ける。利害がなければ、特に増やそうとも減らそうとも思わない)。で、」いくつかアイデアができたので、そのうち実行に移します。根本的に、何かを殺す方向では考えておりません。

 じゃまなものは、あっち行け、ぽい、が私の基本姿勢であって、こちらから出向いてまで殲滅しようとか、あちらさんの縄張りまで侵害しようなどとは考えておりません。それでもあちらさんからあれこれ仕掛けてきたら、それはもう徹底的に防衛いたします。この時には一切躊躇はいたしません。

 昔から生存競争はそうだったのではないでしょうか。で、時候がよくなったら、また庭でBBQですな!

 そういえば昔、庭でBBQをやっていた時(あの頃はまだ、両親が元気だった)、どこからか野良ネコ(レタスという妙な名前があったのだそうな。なんでも子猫の時、レタスと書いた段ボールの中で暮らしていたからだそうだ)がやってきて、欲しそうな顔をして座り込んだ。ネコという獣は一心一意な生き物らしく、そこには自分がこの家で飼われているとか飼われていないとかは気にならないらしい。

 めちゃくちゃいい姿勢で、「一切れでも」てな表情で待っているのを見て、こちらも「欲しいんだなあ。では一切れくらいは…」てな具合で、何切れもやった。父は猫嫌いだったけど、その父ですら肉をやるくらい、一所懸命に欲しがる姿が可愛かった。

 父が病に倒れた頃、私は毎日が「勝負、勝負」で忙しかったんだけど、もうそのレタスは我が家に入るようになっていた。そして驚くべきことに、「おう、来たか」と、猫嫌いだった父が、レタスに声をかけるようになっていた。

 野良猫なのに、我が家で子猫を生んだこと以外、悪さはしなかったなあ。(レタスは三毛猫…三毛猫はほとんどメスです…でした)不思議な風景だった。

 あれからもう二十年以上が経過した。レタスの姿はもう、とうに見えなくなった。でも不思議だよね、飼う、飼わないなんかとは関係なく、お互いに相手に迷惑かけずに生きてけるんだねえ。

 私はどんな生き物とも、こんな関係でいたいんだよね。もしかしたら、一種の理想郷かも。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日、25日の分散開催の予定です。よろぺこ!

2017年3月10日 (金)

勝った!…て?

 何やらお隣の国では、朝から盛り上がっているらしい。わが国に関係なきゃ、私としてはどうでもいいことなんだけど、ちょっと方向性がずっこけているようなので、気にならなくもない。というのは「勝った」なんてコメントがあるのを知ったからだ。

「勝った」というのは、勝負する相手がいて、その相手と何かで競いあうか、争いあうことがあって、相手を制した時に「勝った」ってことになるんじゃないでしょうか。大統領が罷免されたって? 勝った相手は大統領?

 もうあの大統領は、だいぶ前に機能停止していたからねえ。それまではずいぶんとわが国のことを、あちこちで、いろいろと告げ口してくれていたみたいだけど(その頃は、「勝った」と言われる対象ではなかったような……)。

 まあ客観的に見て、この人、大統領になって、何をしたのかな?(告げ口以外で)と、他所の国の人からみても思えるんじゃないかとは思うけれど、仕事ができないのに、分不相応な地位について、様々な害悪をまき散らす人は、どこの国であろうと、どんな時代であろうと、いくらでもいるからね。別に珍しいことではない。(正しく歴史を学べば、嫌でもそんな存在にたくさん出くわします)

 そりゃあ、わが国にもいたと思いますよ。きっと現在もいると思います。おそらくは将来もいるんじゃないでしょうか。それを全部否定したり、消去しようったって、できるわけはありません。ただ一つの大原則があります。

 もしもその人が、ある任務を担当するのに能力不足だと思えるのなら、そんな人は、そんな立場に立たせないことです。その人も含めて、みんな不幸になるから。

 だいぶ前になりますが、本ブログでも取り上げました。かつて私の上司にあたる人で、大変に無能な人物がおりました。責任ある地位につかなければ、大した問題もなかったのでしょうが、(学歴が優秀とかで)責任ある地位に就いちゃいました。さあ大変!

 上にさえ立たなきゃ、そんなに大きくはならなかったはずの迷惑が(そりゃあ、」そんな人ですから、周囲にまったく迷惑をかけないなんてことはあり得ませんけど)、大きな範囲に広がりました。周囲もその頃にはこの人の無能に気づいていましたから、誰も本気では相手をしません。でも間違いなく、不必要な仕事ばかりが増え、意味のある仕事がお留守になるという、大変に結構な状態に陥りました。

 人類の誰もが、みんな有能なわけではないでしょう。有能でなくても、べつにかまわないのです。人はみな、それなりに生きる権利がありますからね。でも「適材適所」って言葉もあるように、その人に適した役割を振ってあげないことには、いろんな困ったことが起こるのです。

 学歴は確かに能力のバロメーターになる場合もあることでしょう(ならない場合も、かつての私の上司のように、当然あります。学校での勉強だけに適応して、社会一般のことに不適応であれば、当然こんなことは起こりえます)。でも必ずしも「適性」については保証してくれません。ましてや「出自」や「血統」なんかだったら、もしかしたら人脈に恵まれているかも知れませんが、能力も適性も、何も保証してくれない可能性があるのです。

 組織だと、人事でそうなってしまうことはあるでしょうが、民主主義国家の政治では、「選挙」で物事が決まりますからね。もしも不適な人が、責任ある地位についたとしたら、それはその人に投票した人に責任があるわけで(だから私は選挙はサボらない。…すんません、何年前だったか忘れましたが、一度サボりました。だってこの時は、投票したい候補がいなかったんだもの。名誉ある白票という手もありましたが、投票場に行くことすら気が向かなかった)、不適だと罷免が決まっても、誰かが「勝った!」って言えるようなものではございませんよね。

 さて心配なのはこれからです。だって世界が目まぐるしく、しかも激しく変動していたこの時期に、数か月にわたって機能停止状態だったわけですから。この遅れを取り戻すことは、そう容易ではございませんよ。ますます「勝った」なんて言ってられる状況ではないのではないでしょうか。(オリンピックは大丈夫なのかなあ。もう誰もオリンピックのことなんか考えてなかったりして…… 私は観戦には参りません。キッパリ!) サッカーのWC招致なんて、呑気なことを言ってていいのかな? まずは国が揺るぎない状態にならないと、国際的なビッグイベントの開催なんて、無理ですよ。ここまで揺らいでなくても、たしかF-1だったかな、なくなっちゃったの。

 盛り上がっている間に、世界はだいぶ変わっておりますよ。まずはいかにこの変化に対応できる形を作るかが問題でしょう? 勝った、負けたの問題じゃないと思いますね。

 これから2か月かけて、新大統領選ですか。その間も機能が停止したままだとすると、う~ん……

 ま、頑張ってください。私にとっては、単なる海外のニュースの一つにすぎませんから。「あっしには、かかわりあいのねえことでござんす」(木枯らし紋次郎より)

※ 今月の『○○を語る会』は、18日と25日の分散開催の予定です。よろぺこ!

2017年3月 9日 (木)

私の免疫力強化!

 指先が冷たいね。地元局の天気予報によれば、明日からは寒さも緩むんだと! 天気予報に寒さの責任はないんだけど、肉体的苦痛は嫌ですねえ。あまり寒かったら、これを打ち終わった時点で、即站桩に入りますから、どってことないんだけどね。

 なにしろ「もしかして……」と、深夜の站桩を開始してから、一度としてエアコンのスウィッチを入れてないからね。(エアコンが安物なので、花粉カットができないので、ひょいと思いついたら大正解だったのね。站桩やるのにお金はかからないし、こんな安上がりな暖房はないと、一人悦に行っております…どんなやり方をするか、わからない人には、教えないわけではありませんぞ。私はケチではないから…笑)

 おかげで免疫力もアップしたのか、体調がよくなってきて、困った困った。去年の今頃は、咳き込んで咳き込んで、死ぬかと思っていたのに。(もちろん、花粉症対策は他にもやっているけど)夜(私の場合は朝)はぐっすりと眠れるし(眠れ過ぎて困るくらい)、好循環になっちゃいましたね。

 何しろ私は、寝るのが大好きな人間だから(一日平均で、3~4時間しか睡眠が取れなくても、寝ることは大好きだった)、安眠は大きな条件なんだね。で、鼻づまりがほとんどないので、仕事もはかどる。仕事がはかどると、夢見がいいのが私のパターンなので、毎日幸せに目が覚める(どうやら、毎晩いい夢を見ているようだ。先日なんか、奇跡のような夢を見ちゃったからね…内容は、ひ・み・つ。ただし色っぽい夢でなかったことは確か…目覚めた時の感覚でわかるんだよね)。

 花粉症の症状を小さく抑えていれば、こんなにもラクチンな人生だと、初めて知ったよ。もっとも目は痒かったり、時々「はっくしょんっっっ!」てのがあるので、泥棒はできそうにないけど(するつもりもないけど)。

 いやあ、花粉の本番はまだまだこれからなんだけど、こんなにも快調に過ごしている早春は、久しぶりだなあ。コーヒーの香りも、お茶の香りも、十分に楽しめてますしね~(徹底的に免疫を強化する方向で考えてますけど)。寒いのにPCの前でうとうとうたた寝をすることはしょっちゅうだけど、風邪もひかないし。

 その免疫強化の一部に站桩が存在するのは、間違いなさそうでございますな。練習にはなるし、一挙両得(どころか三得も四得も五得もしているような気がする。今度師父に会ったら、是非このお話をしておこう)どころではない。唯一の欠点は、時間経過を忘れちゃうことだけど(だから昼にはやらない? ま、知らない人が見たら「おお、とうとうあの人も狂っちゃったか。変な棒きれを振り回したり、手足を振り回していると思ったら、今度は動かなくなっちゃったよ」って思うかも……深夜に見たら不気味かも?)。

 でもまあ、自分が快適に生きるのが一番だから、人がどう思おうと知ったことではない。健康管理はあくまで自己責任である。他人には自分の健康状態はわからないからだ。お酒を呑んで不健康になるのも、健康になるのも、自己責任だし(健康だと、お酒が美味しい。毎日、美味しいお酒のために練習するという傾向もある。でも方向性は間違っていない)

 健康であれば、いつか社会貢献だってできるというものだ。不健康だと、社会に貢献してもらわなきゃならなくなるし。力が強いのも、頭脳が優れているのも、お金があるのも、政治力を持っているのも、どれも強いけれど、最終的には健康に勝る強さはないからね。

 裏を返せば、どんな権力者であっても、不健康であれば気の毒というものだ。一説によれば、不健康であればどんな頭のいい人でも、判断力に狂いがでるのだそうだ。健康は判断力に影響を与えるとすれば、健康でないときは判断なんかせずに、まずは健康を回復しなさい、ということになる。

 でも社会的に責任ある地位についている人は、たいてい激務を強いられているから、健康管理も大変だと思うけどね。激務に疲れた心身で、それでも健康のために運動しなければならないとすれば、こりゃあもう楽しみのための運動ではなくなる。

 私なんかも、一人でやるときは、泣きそうになるくらいきつい練習をやることもあるけど(人が見てないからね。若干マゾ?)、あくまで自分でやろうと思うからやっているだけで、人に強制されたものではないし(若い頃は、強制されたこともありましたが、その頃の経験が、今の土台と余裕を作っております)、だから毎日でもできるし(さすがに最近は、分別が出てきましたけど)。

 でも四六時中、誰かが見てるかもしれない人は、厳しいよね。タレントさんしかり、政治家さんしかり、その他もろもろの人も。カッコ悪いところ見せられないもん。

 すると市井の片隅で、ひっそりと、毎晩絶叫したり、呻いたりできる人間は幸せですな。ちょっと人から「変」と見られることにさえ慣れれば(私なんか、練習や稽古、訓練をしているとき以外は平和印ですもん。いつもにこにこ笑顔を忘れず、で…でも専守防衛! 鞘のなかの刀は、常に磨いていないと、ね!)。

 寒さが緩んだら、また動いてみよう。今年の春は、ここ数年の中では、もっとも上手にダメージを受けることなく乗り切れそうだから。

2017年3月 8日 (水)

(専守?)防衛!

 明日以降は、少し気温も回復するのかな? にしても、天気図をみても、雲の動きを見ても、冬ですな(特に今日の場合は、風が… 冷たい癖に花粉が加わっていて、瞼が重い)。

 天候のことはいたしかたございませんが(お天気と喧嘩しても、勝ち目はない。腹は立つけど)、人間関係だとか、なんだとか、人為的な要素が混じってくると、問題の解決は不可能ではありません。

 昔から「罪を憎んで人を憎まず」なんてかっこいいことを言う人がいますが、きっと性善説なんだろうなあ、こんな人。ある特定個人がいつも罪を犯していて、いつも自分が迷惑だなあと感じていたとしても、「罪を憎んで人を憎まず」なって言ってられるでしょうか。

 多くの罪が、すべて一人の人(ないしは団体)から発生しているとすれば、行為には人格はないわけで、罪を犯している人の人格がそうさせていると考えるのには、誰も反対できないんじゃないかと思うんだ。

 実際、過去にそんな経験があるよ。ある人がいつもごたごたを起こす。その人がいなくなったら、ごたごたは見事解消されて、人間関係が大変うまくいくようになったってことが。これ、間違いなく、問題はその人を源として発生してたってことだよね。

 一番簡単に人間関係を修正するには、どうしたらいいかってのは、すでに答えが出ているんじゃないかな。ま、人間も長くやっていると、必ず一度や二度はトラブルメーカーとは出くわすもので、それは私でも同じだ(もっと何度も何度も遭遇いたしました)。

 私の解決方法は、まずは相手と話し合いを試みるけれど、それで相手が調子に乗って、こちらが相手の駆け引きに乗るなどと上から目線だったりすると、いつだって即座に「断交」したよ。相手を矯正するなんて、時間と労力が勿体ない。いろんな「断交」の仕方があるけれど、その場、その時、その状況に合わせて、躊躇なく行った。躊躇するとタイミングがずれる。タイミングがずれると、流れが好転しない。

 時間は過ぎ去ってしまえば、二度と戻ってこないし、断行しなければならない人に期待していた役割なんて、他を探せば、できる人はいっぱいいるから(いなきゃ、誰かにそういうことができる人材に育っていただくだけだし)。どうしても説得しなくちゃならない場合って……なかったなあ、今のところ。

 もちろん交渉が必要な場合もある。でもどうしても交渉しなければならない場合だって、その交渉に費やす時間や労力に比べて、結果として期待できる成果が小さければ、交渉はしませんでしたね。途中で取りやめたこともある。「はい、わかりました。御引き取りください。お帰りはあちら」って(こちらで引き上げたこともある)。

 自分の生活を顧みて、「これって無駄だったかなあ」と思うことはあるけれど、後からよく考えてみたら、無駄ではなかったことがほとんどだ。けれどもここに自分以外の要素が入ってくると、まったく無駄になっていることも、わりとある。

 そんなことしているほど暇もなければ、体力的余裕も、経済的余裕もないんだけどなあと、かつて何度も後悔した。だから場合によっては、「はい、さようなら」という姿勢が生まれた。だって面倒なことって、それを発生させた原因が消えれば、なくなるんだもんね。

 ま、人生、いろんなことがあるから面白いし、飽きが来ないと思うから、自分にマイナスがなければ、気分次第で取り組むことがあるけれど(あくまで気分次第)、何もいいことがないと感じ、興味が持てなかったら、私だったら「臭いニオイはもとから絶たなきゃダメっ!」になっちゃうよね(懐かしいCMだね。こんなCMが消えてしまうほど、日本は進歩し続けてるんだね)。

 自分のためにもならない嫌なことに、無理して取り組まなくても、やらなきゃならないことも、やりたいことも、いっぱいあるんだから、こちらはこちらで、自分のことだけでも十分に忙しい。それでも無理にでもかまってほしい、なんて寄ってくる場合には、時として「専守防衛…広義の解釈で、相手の行動を無視するだけで自分を守り切ることができれば、それも専守防衛だと考えます」の対象と認識してしまうことがあったりするんですよね、まだまだ悟りが開けていないから(私は生涯、悟るつもりはございませんが)。

 ま、よくいるんですよね。こちらはおとなしく暮らしているのに、わざわざ出かけてきてまで、いちゃもんをつけてくるような存在が。これには「専守防衛」が最も適した対応じゃないかと思ったりもいたします(一般的に私は、助け合うことが大好きなんですけどね)し、現実にそういう対応をしたこともございます。

 世界は今、大変な情勢になっておりますが、私は日本が大好きだし、日本人に生まれたことを幸せだと感じているので、頑張れ、ニッポンっ!と言うしかできないんですけどね。

2017年3月 7日 (火)

弘法筆を選ばず、私は筆を選ぶ

 自分だけが寒いのかと思っていたら、夕方の地方局の天気予報によれば「冬並み」だったんだそうで、県北では雪が降ったのだとか。ご心配なく。私はたいていタイヤの交換を忘れているので、5月くらいまではスタッドレスのままでございます。

 深夜に站桩をする習慣がついてしまったので、「うああ、寒っ!」と感じる時間帯には站桩で燃え上がっていて(なにしろエアコンもストーブもつけないで、汗が滴るくらいですから…どんな站桩をやっているんでしょうね?)。寒さがわかりません。これは電気代の節約と稽古の、一挙両得になると喜んでおります。

 で、わけがわからなくなって、夕方釣具屋さんに行って、ガッビ~~~ンっ! そうだ、今日は火曜日だった。釣具屋さん、お休みなのね~(なんだか火曜日という、水に縁がなさそうな曜日は、釣具屋さんって、よく休みなのね)。やっぱ、陰陽五行説なんでしょうか。例の五行相生、五行相克ってやつで。

 木生火、火生土、土生金、金生水、水生木;木克土、土克水、水克火、火克金、金克木なんてえことを、二千数百年前に言ったやつがいるらしくて(当時の最先端の科学。ちなみに秦の始皇帝なんかは、強烈な支持者だったんだよね!)、鄒衍(すうえん)さんの陰陽五行説は有名でございますな。

 ちなみにこの鄒衍さん、「白馬は馬にあらず」で有名な、名家(古代中国版、ディべートの専門家)の公孫龍(こうそん・りゅう)を、趙の平原君のところで木っ端みじんに論破し、その日のうちに公孫龍は消えうせて、二度と歴史の表舞台に出てきていませんから、この時代、舌先三寸で天下を牛耳れる代わりに、敗北した時は、天国から地獄へ一直線だったみたいです。ま、説客にとっての舌先は、武芸者の剣みたいなもんだから、当たり前っちゃあ当たり前なんですけどね。

 まあこの五行思想については、現代科学ではまったく納得がいかないものばかりなので、今回は相手にいたしません(何も題材がない時に、使うかも)。当時の人から見れば、きわめて道理にかなっていたんでしょうけどね…それでも「金生水」なんてえのは、さっぱりイメージが湧きませんけど。いくら金属の表面には水滴がつきやすいと言っても、温度が高ければ、金属の表面からは水滴が消えやすいですし。冷やしたグラスの表面なら、水滴がつくことは、現代人なら、たいていの人が知っておりますが)。

 ま、今で言えば、滝にはマイナスイオンが多いってえ類のお話ではないかと思います。

 なんで釣具屋さんに行ったかというと、いうまでもなく釣りを再開するため。釣りってえのは、静と動が、まさに武道的なんだよね。動いた瞬間に合わせられるかってやつで。それまでは相手が動くまで待たなきゃならない。待てなかったら、相手が動くように仕向けなきゃならない。

 しかも相手は言葉が通じない魚で、当然感情もわからない(魚に感情があるとして)。いくら美味しそうなエサをつけても、食いつくか食いつかないかは、あちら次第。これはなかなか難しい。

 だんだん日が長くなっているので、夕方1時間~2時間は、釣りができるかも(釣られたお魚は、たぶんその日の晩には、私のお腹の中。縄文時代の暮らしですな)。鮮度だけは保証つき。(釣れなかったら、晩飯抜きって縄文ルールを適用したら、少しはダイエットにも効果があるかも)

 実はこの釣りってのは、站桩とも密接な関係があって、刺激があった瞬間に、過不足なく反応できるかって練習にもなるんですね。目的は、晩御飯のおかずだけではなかったことを白状してしまいました。

 私はこんなことをよくやるんですよ。2000匹以上の魚が入った、45㎝×45㎝×90㎝の水槽から、特定の種類の魚だけを選別するとか(これは、目の焦点の訓練が目的。45㎝の奥行きとはいえ、手前と一番奥に、同時にピントは合っていて、しかも手に持った小さな網が、瞬間的に反応して動かなければできない。これ1~2か月で、ほぼできるようになったので、今はやっていない…ピントが同時に合うようになったから。Kさんのショップで、ご迷惑をおかけしました…笑)、遊びでできるので、飽きない。

 で、こちらの要求にあう竿や仕掛けを探そうと思ったわけ。竿が鈍感だと、大物は釣れても、微妙な感覚のトレーニングにはならないからね。「弘法筆を選ばず」と言いますが、やはり目的に合わせて、道具は換えないと。トンカチで木は切れないし、鋸で釘は打てないから。

 昔いたなあ、そういえば。弘法筆を選ばずってのが。一緒にドライブに行ったんだよ。すると彼は、そばに生えていたセイタカアワダチソウを引っこ抜き、葉っぱと花を落として、どこかの釣り人が落としていった、釣り針がついた糸を拾い、砂場を掘ってゴカイを捕まえ、それで1時間も経たないうちに、晩御飯のおかずには十分すぎるほどのハゼを釣っちゃったんだよね。

 まさに無中生有を素で実践してた。ああいうのは、好きだなあ。投資「0円」でちゃんとやっていけるもん。ある意味尊敬しているが、今の私の目的は、稽古の一環としての釣りだから、稽古目的に合わせて、ある程度までは道具を選ぶ。

 あとは水際に行くだけの暇を、どうやって見つけるかだけのこと。つまりは私の「やる気次第」ってことですね。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日と25日の分散開催になりそうです。よろぺこ!

2017年3月 6日 (月)

放置主義

 目が、目が~~っ! とやったらラピュタのムスカ大佐になってしまうが、目が痒い。とうとう目まできちゃいましたよ。もっとも今日は山がかなり白かったからね。黄砂がばんばん飛んできてるんだろうな。(どこかの国の放置のおかげで!)

 昨年のこの時期は、死ぬのではないかと思うくらい咳き込んでおりまして(お医者さんでは「喘息では?」とまで言われる始末。そうでなくても人生の荷物は軽くないのに、これ以上錘は要りませんわいな。昨年は一度、完璧に意識を失うほど咳き込んだ。自分の机で仕事中…夜間…意識がなくなって、気がついたら床の上で、おでこに立派なたん瘤ができていた)、その経験から、今年はかなり自重しながら暮らしているので、昨年に比べれば、今のところかなり楽にやり過ごしております。

 幸い、窮すれば通ずで、今年の花粉症対策には、いくつも新案を採用しまして、かなり奏功しているみたい。人間、死にそうになると名案が浮かぶようでございます。追い込まれなきゃダメなのかなあ。(けっこう毎日、自分で自分を追い込んでるんですけどね)

 先日、水替え中に、魚の餌(顆粒)をひっくり返して、もう薄暗くなっていたので、そとに捨てちゃったのね(だいたい、巨大な袋で購入したのを小分けしているから、少しぐらい、どうってことはないんだけど)。少しとはいっても、こんもり盛り上がるくらいはあったんだけど、夕方になると確実に減っております。

 どうやら小鳥が来て食べているみたい。その中に旅の途中のツグミ(しばらくこのあたりで一休みしてから、北に帰っていくみたい)がいたので、「まあ、しっかり食べて、日本海を渡る体力をつけてください」と声を掛けたら、逃げちゃった。言葉が通じない奴は、相手にするのが難しい。

 特別に面倒を見てあげなくても、何かしら「仕掛けて」おいてあげれば、後はそれぞれが好きにしていくようだから、後腐れがなくて、こちらとしても気が楽だ。ということで、似たようなものがあるのを思い出した。植物でございます。

 どうせ私のようなド素人が植えるんだから、難しい技術が必要なものは植えない(うまくいかないと腹が立つし)。植えてさえいれば、勝手に生育して、それだけでなくて、近い将来、こちらが食べることができるものだ。(食い気優先が私の今の生活だ)

 とことん横着を決め込んで、こんどはベランダに栽培の準備を始めた。遠からずサラダくらいは、私の部屋から手を伸ばせばできるようになる? なにしろ植えたらあとは気が向いた時にほんのちょっと世話をするだけ(こちらにとっては、気分転換。実は最初これを考えたきっかけが、すでに気分転換が目的だった。一挙両得とはこのことだ)の放置プレイである。それで育った頃には、私の胃袋に納まるんだから、こちらの都合最優先だ。自分勝手とか利己主義とか、植物からは文句を言われそうだが、大変残念なことに、私には植物の言葉がわからない。

 わからないから幸せなことって、世の中にはいっぱいあるわけで、もしもサラダを食べている時、「痛いよ~」と」叫ぶ植物の声が聞こえでもしたら、これはもう立派な恐怖でございます(同じことは、多くの生鮮食品および、調理中にも言えることでございます)。怪談の類ですな。

 最近では、わが国の近隣の国でも、やれ法治国家だの人治国家だのと、難しいことを言っているようですが、我が家を支配しているのは放置でございまして、強いて呼ぶならば「放置国家」かな?

 もっとも人間の場合には「放置」は必ずしもいい方に結果が向かないようですが、我が家は「放置」が、いい結果に向くように仕向けておりますから、私はのんべんだらりと、植えてから適当な期間を過ごしたり、忘れていればいいだけなんですよね。

 ま、私の場合は、いちゃもんつけられても「放置」するかも知れないけど(忙しくて忘れていることが少なくない。忘れていなければ専守防衛!)、放置しているうちに、勝手に自滅する奴は自滅していたりして、勝手に問題の方で解決してくれていることも少なくはございません。

 ま、我が家での放置は(いつでも、何事でもとは言いませんが)、最後は「美味しい」で終わることが多いので、私は我が家を放置主義でやっております、はい。

 ま、無為自然の類かな?

2017年3月 5日 (日)

ジビエ

 はい、よっこいしょっと。春を探しに、行って来ておりました。残念ながら、昼過ぎから高層雲に覆われて、降るのかな~、降らないのかな~、洗濯物、干したままなんだけどな~…という状態でございました。

 ツクシは出ておりましたが、私の土筆摘みのゴーサインは、土筆ではございません。実はタチツボスミレが咲くかどうかなのですが、残念なことに今日は、タチツボスミレには遭遇いたしませんでした。

 もちろんツクシの気が早いのは出ておりますから、摘むには摘んだのですが(今は私のお腹の中…笑)、数がそろいません。もう10か二週間くらいかな、摘みごろは。(あくまで私が生息している地域でのお話なので、北海道でも同じかと言われれば、違いますとしか言えません。同じ岡山でも、県北ならば、もう5週間以上は待たないといけませんから)

 なんでそういうことが言えるのかと言うと、長年積み重ねたデータのなせる業でございますね。特に私は、自分の記憶とか印象とか、精神領域に属するものが信用できないので、写真を毎年のように撮影しております。その日付を見れば一目瞭然! これが科学の原点でございます。

 で、今日もまたジビエの贅沢をいたしました。シカ肉と土筆と、S氏の家の畑でできたダイコンと、それからワカメだよね~。人間、自分が生まれたり育ったりしたところから30㎞以内の範囲のものを食っていれば、健康に悪い筈がない、なんて話をどこかで伺ったことがございますが、たぶん半径30㎞以内の食材ばかりじゃないかと思います(シカさん…これは♀でございます)も、たぶん30㎞以内じゃないかと思いますし(移動距離が半端ないという説もございますが、まあ、採れた場所ということで)、ワカメもたぶんギリギリで範囲内ではないかと思います(これは私自らが採取いたしますので。ただ車で移動するので、距離感が確かではございません)。S氏のお宅は、直線距離にすれば10㎞前後なので、たぶん半径30㎞以内には十分入っているでしょう。

 ツクシは私がかつてランニングコースにしていたところなので、これは、間違いなく10㎞以内でございます。これで健康は間違いなし!なんて油断は禁物なんですけどね。栄養摂取には、その摂取法や摂取量も密接な関係を持っているから。

 まあいずれにしても、きわめて日本の自然と、自然環境に近い栄養補給をしているなという実感が持てる日々でございました。後はKさんのところに行って、今年の春植えるべき野菜の選定をいたしておりました。(今年は、昨年のような実験の予定はないので。今でもまだ間に合いますよ、実験希望の方があれば、どうぞ)

 昨年は、トウモロコシの髭(実はめしべの柱頭に相当する。ここに花粉がつくと受粉、花粉の精子から花粉管が伸びて、子房に入り、卵の核と精子の核が合体すれば、受精)を一本しか残さなかったら、できるトウモロコシはどうなるか?というのがテーマでございました。

 予想では、形は球に近づき、巨大化するのではないかと考えられましたが、これはまさにその通りで、味の方は「かなり甘みが増すのではないか」という予想は見事に裏切られ、「ま、ちょっとは甘いかも」程度でございました。

 結論として、トウモロコシには小細工をせず、一般のトウモロコシとして丁寧に育てた方が、トウモロコシを味わう上では利点が大きいのではないかということになりましたが、今年は何をしよう?と考えていたにも関わらず、思いつかないので、しかたなく私が好きなものと、健康によいと言われるものにいたします。

 所詮作物なので、今日の食事の大部分のように、ワイルドではないんだけどね。人生いろんな楽しみ方がございますから。(もう少ししたら、もっと鄙びた食生活の計画もございます。少年時代からいろんな体験をしているので、それを再現するだけでも、なかなか忙しい)

 ちなみに明日の忙しくて、夕方には植え付けをいたします。しょうもないことをやっている暇はないよ。さらに時間があまったら、道具を買いにいかないとね。楽しむにしても苦しむにしても、道具があって初めて味わえる体験だから。(自分で道具を作るほど器用ではない。たまには作るけど)

 これこそが「道」なのかなあ、などと大それたことを妄想しておりますが、明日の天気はどうなるんでしょうか。できたら降らないでほしいなあ。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日と25日に分けて行おうかと考えております。また正式決定したら、お知らせいたします。よろペコ!

2017年3月 4日 (土)

旅立ち

 三月も四日となると、わりと春めいている。(同時に、花粉の害が酷くなるってことでもあるんだけど)明日くらいから、春でも見つけに行きますか、天気がよければ、なんて気分になれる一日だった(では、今日は何してたのかというと、身体の調整をしておりました。身体が歪むと、歪んだ世界しか見えないから。客観的事実は、受け取り手がまっすぐなら、まっすぐに入ってくるけど、歪んでいたら、どんなまっすぐなものでも、歪んでしか見えないから。ちなみに私は、客観的事実を歪めてしかみない国には、科学は育たないと思っている。何故かってえと、客観的事実を客観的に見ることが、科学の土台だと考えているからだ)。

 毎年同じことの繰り返しだけど、それでも毎年が新鮮に感じて飽きないのは、繰り返しているようで、実は繰り返しなんかではないからだと思う。毎年同じような光景を見ているはずだけど、微妙な違いを我々の感性が捉えていて、大脳が「だいたい同じ」と言っていても「いいや、違います」と言っているからではないだろうか。

 桜の花は美しい、桜にアブラナがつくと、さらに美しい。その下に青い鼻が咲いていたりすると、これはもう奇蹟ではないかと思える美しさだ。でも毎年それを見ていたら、5~6年もしていたら飽きるのではないかと思うけれど、全然飽きないよ。それは大まかな記憶では、毎年繰り返されているような認識しかなくても、細かい部分まで記憶している感覚にとっては、同じものは(同じ瞬間)は、二度と来ないってことを、敏感に感じ取ることができているからかも知れない。

 私は「記録魔」的なところがあって、同じ木を記録し続けることがある。すると一年違いの同じ日の、だいたい同じ時間帯での写真を撮影したりすることもある。こうやって比較すると、同じように見えても、細部は全く異なっていたりするんだよね(これが「理科系」なのかも。文科系だと「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」なんて捉え方で終わってしまうのかも。ようするに細かいところに、どこまで注視できるかってことだよね。その分、理科系はコツコツと積み上げる。文科系は。一瞬の閃きで動くことができる。どちらがいいとは、一言では言えない)。

 一般生活で、感覚的にしか捉えられないこんな瞬間を、カメラという道具は、比較できる形にしてくれる。実に便利かつ、、他人には見せたくない瞬間でも、情け容赦なく記録してしまえるのが、カメラという文明の利器の持つ力だ。

 ま、明日は天気が悪くなくて、体調と気分が悪くなくければ、少しだけ春を探しに出てみよう。そしてそろそろ春の釣りを楽しむ具体的計画を立て始めよう、なんてことを考えております。本ブログを始めた頃、「ハヤの味(ハエの苦さ、だったかも)」というタイトルだったかなあ、今は亡き祖父の思い出を書いたことがあったけれど(それを読んで、とんでもなく感動してくれた母も、今はいないけれど)、あの味は、おそらく私がお墓に入るまで忘れることがない(感覚が残るとすれば、死んでも残るかも)ものだ。

 久しぶりに、あの味を再現したくなった。もう春かな昔のことだけれど、味は、妙に鮮明に覚えている。残念なのは、今の自分が、あの味を伝える存在を持たないということだけれど、まあ再現してノスタルジーに浸るのも悪くはない。どうせいつかは消えていくしかないのが、この世に生を受けたものの宿命だ。

 あの頃の私は花粉症ではなかった(というか、花粉症という症状すら、世間一般では知られていなかった)。今は花粉症の時期が終わってからの再現になるのではないだろうか。鼻が詰まってしまうと、味も風味もわからないからね。

 おそらく、早春のハエを焼いただけの、生臭さを伴った苦さを味わった瞬間、私はきっと○十年の過去に戻ることができるだろう。

  感覚の記憶は、不可能だと思われているタイムトラベルを可能にしてくれる。その瞬間には、私は小学校の低学年に、一瞬で戻れるのだ。そして一瞬後には、嫌でも今の現実に引き戻されるに違いない。現実は、不可能を瞬間に「それは不可能なことなんだよ」と教えてくれる。

 そして次の瞬間に私は溜息をついて、二度と過去に戻れないということを思い知り、現実を再び歩み始めるに違いないのだ。

 ではその行為は無駄か? 決して無駄ではないと思う。溜息をつきながらでも、もう一度歩き始めることができれば。それはそれで、立派に旅立ちだからだ。

 旅立ちは、必ずしも歓喜や期待に包まれるものではない。さまざまな旅立ちがあるのだ。

2017年3月 3日 (金)

いなくなると、わかる

 昔、毎日ジョッグしていた頃の話である。ふと足元を見ると、小さなノネズミの死骸が転がっていた。苦しかったのだろうか、歯をむき出していた。そんなところに、ノネズミなんかがいるとは思っていなかったので、少し驚いた。

 そこから1㎞ばかり南に下ったところで、ヌートリアの死骸を見つけたことがある。ここにヌートリアが住んでいることは、だいぶ前から知っていたけど、目の前に転がっている死骸には、すこしは驚いた。

 生きていれば、人間を見かければ身を隠す。それが巧みだと、人間の側からは、そこにそんな生き物が住んでいることにすら気づかない。でも死んでしまうと、人間が近づいても逃げないから、はじめてそこにそんな生き物がいたことがわかる。

 人間でも同じだ。あるグループから誰かが消える。消えたことでそのグループがうまくいかなくなってしまったら、消えた人がとんでもなく大きな役割を果たしていたことがわかる。逆に誰かが消えることで、そのグループがうまく物事を進め始めたら、消えた人が妨害していたことがよくわかる。

 昔、本で読んだことがあるが、中国では20世紀の後半になりかけの頃、スズメが農作物に害を与えるからと、大量に殺したという。そうすると今度は病害虫の被害が大きくなって、大変な不作に陥ったという。

 確かにスズメは農作物を食べるが、プラスマイナスしてみたら、農作物の害になる昆虫なんかを食べるプラスの方が大きいと、初めてわかったという。

 北米でも似たことがあったらしい。オオカミがシカを食べるというので、オオカミを退治していたら、一時的にシカが増えたものの、すぐに減少していったそうだ。

 有名な食物連鎖で、シカが増えればシカがエサにしている植物が減る。エサが減ればシカは餓死するから、結局はシカも減るっていうんだけど、もっと大きな意味があったりもする。

 オオカミの狩りは芸術的なほど完成度が高いので、記録映像なんかは昔からよく見たが、健康なシカを食べたりはしない。弱いものを食べる。もちろんその中にも、子ジカがいたりするので、可愛そうなシーンはあったが、もしもこの子ジカが、群れと同じような速さで、同じような持久力を持ち、逃げ続けることができていたら、食べられることはなかったのではないだろうか。

 オオカミは、逃げ切る力を十分に持った個体を襲うような、エネルギーの浪費をしない。エネルギーの浪費が、速攻死につながるのが、野生だからだ。だからシカの子にとっては、一刻も早く、成体のシカと同じ速さで逃げ続けられるようならなければならない。これだって立派な「生存競争」だ。

 シカの成体が襲われる時は、何らかの理由で、本来の逃走ができなかったものだ。それはケガが原因かも知れないし、病気や老化が理由なのかもしれない。野生動物はケガを恐れる。それは自身の生存競争を生き抜く能力の低下に直結するからだ。

 老化はどんな生き物でも避けることはできない。動物だけではなく、植物でもちゃんと老化はする。子供の時にも、生き抜く力は弱いが、老化しても弱体化していく。そして老化の果てに待っているのは、たとえ捕食されなかったとしても、死である。

 病気の場合は、病との戦いを行わなければならないから、逃げ伸びる能力は低下する。当然、捕食されやすくなるが、もしもこの病が伝染性のものであった時には、捕食されることで、自分の所属していた群れに、病が広がらなくてすむことがある。

 オオカミなんかの捕食者は、こういった獲物の群れに、伝染性の病気が流行ることを防いだりもする。

 私は長年、魚を飼っているが、昔、ブリーディングに凝ったことがある。すると親魚が子魚を食べてしまうケースがあった(我が家ではあまり見かけなかったけど)。これはほぼ間違いなく、子魚が弱かった時だ。

 弱い子魚は病気に罹りやすい。もしも子魚が伝染性の病に罹ったとすると、その病は群れに伝染する(魚の病気って、けっこう伝染するんですよ)。すると群れ全体が滅びることにもつながる。

 だから親魚は、弱い子魚が潜在的に秘めたリスクが具現する前に、食べることで危険性を除去してたんだね。健康で元気な子魚が誕生した時(たいていの魚は卵生ですから、孵化するわけだけど)は、少なくとも私のところでは、親魚が子魚を食べたりはしなかった。

 いろんなところで、いろんな存在が、いろんな役割を果たしているようで、普段わからないことでも、いなくなれば、果たしていた役割が、嫌というほどわかるものなんだよね。時にそれで手遅れになることも、なくはないですが。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日と25日の二日に分けようかと思っております。まだ決定ではございませんが……

2017年3月 2日 (木)

春二番?

 私の住んでいる地方では、本格的に春○番と思しき強風が吹いた。先日、地方局で、春一番が吹いたと言っていたので、さしずめ春二番か?(私の知らない時に、すでに吹いている可能性があるので、あくまで「?」付きで。

 お蔭さまで、小雨がちらついたこともあったようだが(南側のガラス窓に、水滴がちらほら)、今のところ天気は大崩れもせず、「天気予報が、よい方に外れた」というパターンになったようだ(大歓迎!)。

 なんでも予想したより良い方にずれると、なんとなく儲けた気になる。実際には大して儲けておらず、懐具合には何の変化もなかったりするのだが(現実には、気分が軽くなって、お金を使ってしまい、懐具合が厳しくなっていることもしばしば)、人間という生き物は感情の生き物と言われるくらいで、幸せな気分がわずかでも味わえるのだから、お手軽な幸せだ。

 では予想が常に「良い方に外れる」ように仕向けるために、最悪のことばかりを予想していたらどうだろうか。これがまた厄介で、何もやる気がしなくなる。生きていることすらたいぎになる。ある程度までは、夢や希望が持てる予想でなければ、まず気持ちが萎える。楽天的でないと人生がつらくなるのは、致し方ない。

 楽天的にならない方法は簡単だ。人間は生まれてきた以上、必ずいつかは死ぬ。だから「どうせ何をやっても、人はいつかは死ぬんだ。死ぬ時は苦しいだろうな。寂しいだろうな。哀しいだろうな」と力いっぱい思い込めば、いくらでもやる気はなくなる。さらに自分がしなければならないことについて、いつも最悪の展開ばかりをイメージしていれば、これはもう何かをしない方がまだまし、って気分になれる。

 逆に、どうせ死ぬんだから、生きてる時に楽しまなきゃと、現生を全面肯定して、何をやっても「まず楽しむ」とこばかりを考えていれば、きっと幸せかもしれない。その時だけは。ところが現実ってのは恐ろしいもので、必ず足をひっかけたり、救い上げたり、落とし穴に嵌めてくれたりする。

 それでもその境遇を楽しめれば、これはもう完全に解脱しているのかも知れないけれど、なかなか人間、そこまでの境地には至れない(至っている人がいるかもしれないが、少なくとも私には無理)。

 こんな人と一緒に仕事をすると、ずいぶん疲れる。なんたって、どんな失敗をしても「なんとかなるさ」。そりゃあんたはいいでしょ。自分が失敗しても、誰かが何とかしてくれると思えるんだから。でも何とかするために、必死になっている人の苦労は、きっと知らないんだろうね(知っても、「それも幸せ」と笑われたら、気分次第では激怒する。激怒したこちらを見て、「怒れるのも生きてるからだ。幸せだろう」なんて原因を作った本人から言われたら、私なら間違いなく絶交だ)。

 だから人間、ほどほどに楽観的で、ほどほどに悲観的でないといけないんだね。悲観的だったり、心配性の人は、物事に対して万全の準備をしようとするから。でも実行にあたっては、楽観的な方がいいかも知れない。(あくまで完璧に準備ができているという前提で)

 実は私は「超」がつく辛党だったけど、最近は「ほどほどの辛さ」を好むようになった。また昔は甘いものを食べると頭痛が起きるくらいだったけど、最近ではそこそこ甘いものは食べるようになった。

 なんでも「ほどほど」が必要なんだろうね。だから春○番が、ほどほどの暖かさを運んできてくれるのは、有難い。ただし風の強さも「ほどほど」にしておいていただきたい。花粉ともなれば、これまたぜひともほどほどで勘弁していただけるとありがたい(昨夜、薬を飲み忘れ、途中で呼吸困難になって、睡眠不足)。花粉が全然なければ、それはそれで杉なんかが困るだろうから。

※ 今月の『○○を語る会』は、18日、と25日に分ける案が考えられております。年度末で、どなたも忙しいので(私は呑むのが好きなので、お金さえ続けば、何度でもやりたいですが…毎晩でも可)。

 先月の会の途中、OHKのインタビューに応えた私が出ていたのだそうですが、残念なことに私はきれいさっぱり忘れ去っていて(何かを始めると、他のことは脳裏から消える人なので)、見忘れてしまいました(翌週、行った時に、マスターと常連のOさんに指摘され、「あっ、忘れてた!」でした)。

 まあTV映りには圧倒的に自信がないので、見なくてよかったかも……

2017年3月 1日 (水)

共存共栄

 夕方になって晴れても、寒いだけだよ…… ぶつぶつ…… まあ、雲に隙間があったから、日本中のどこかでは、きっと晴れてたんだろうなあ。個人的な希望を言わせていただけば、この季節は、少なくとも私がいるところだけでも、昼間は晴れていただきたい。(夜は曇ろうと、雨が降ろうと、あまり酷くなければ許すから)

 ってことで、夕方ひょいと見たら、まだジョウビタキ(♂)が、我が家の庭にいた。渡り鳥なので、これから日本海を渡るだけの体力をつけてあげなきゃいけない。と思ってミカンを木の枝に刺しておいたら、買い物から戻ってみてびっくり。さっそくヒヨが我がもの顔でつついていた。

 そうそう、今朝はツグミも来てたっけねえ。私は昔からツグミという地味な外見の渡り鳥が好きでねえ。見るとすぐに何かをあげたくなってしまう(けっこう贔屓の鳥がいるんだよ。その筆頭はメジロかな。私が小さかった頃、我が家で飼っていたから…今のように、野鳥の飼育の規制はなかった。あとはスズメも飼っていたし。巣から落ちてしまったスズメのヒナを育てた時には、メジロも飼っていたのだが、鳴き声はメジロに近くなったし、水浴び…メジロは水浴びするが、スズメは砂浴びはしても、水浴びはしない…するようになったし。危なかったんだよ、コップなんかみると、すぐに飛び込むから。さすがに、熱いお茶に飛び込んだことはなかったけど。こちらも気を付けていたから)。

 これに比べて、やはりあまり好きにはなれない鳥もいる。カラスとヒヨ、セグロセキレイなんかは、どうも好きになれない(だからといって、追っ払ったりもしないけど)。カラスはそこここで、いろんな悪さをして嫌われているようだけど、私も理由は同じ。ヒヨは、他の鳥の餌まで強奪するから。セグロセキレイは、車の運転をしてて、危ないから。

 セグロセキレイという鳥は、水辺でエサを取るらしいのだが、車で用水の横などを通りかかると、妙に用水から飛び出して、道の上に着陸する。たいていは車の前方だ。車の前方に着陸されれば轢き殺してしまいそうになるkでお、こちらも生き物を轢き殺すのは嫌だから、ブレーキすぉ踏まなければならない。時に急ブレーキということもある。

 さらに車から逃げる時だが、なぜかしら奴らは、車が進んでいく方向にばかり逃げ、また道の上に着陸する。せっかく神様が翼を与えてくれたのだから、人間が作ったアスファルトの道の上になんかでなくて、草むらでも木の上にでも止まればよさそうなものだし、だいたいまっすぐ逃げなくても、道を横断すれば、車は道以外のところには行けないから(無理して行けば、事故る)、安全だと思うのに、わざわざこちらの邪魔になるように逃げる。

 そもそも用水でエサを取っていたのなら、そのまま用水にいれば、車は用水には行かないから(無理していけば自損事故)いいのに、わざわざこちらの目の前に飛び出し、進行方向わずか前方に着陸しようとする。なんという罰当たりな鳥か、と思う。私的には、この迷惑さはカラスと双璧である。ちゃんと交通法規を勉強せいっ!と怒鳴りたくなる。

 そういえば今朝、スズメのペアが我が家の庭に遊びに来ていた。我が家の庭は、近所の野良猫が、よく日向ぼっこをしているのだが、今朝は曇っていたから、いなかったんだろうね。ついついエサをあげたくなってしまうが、猫に狙われるようになるから、地面のものを拾う形では給餌もできない。

 あげるとしても、猫に狙われず、私の邪魔にもならず、植木にも害にならないという条件を満たす形にしなくてはならない(実際、今でも我が家の庭に巣箱をかけてやろうかとは思っているのだが、我が家には、大きなアオダイショウがいて、その危険も考えてやらなければならない。完全に空中に浮いた、ラピュタみたいな巣箱ができればいいんだけど。冬季はアオダイショウくんは冬眠して出てこないけど、鳥が子育てしている夏には出てくるからね…ちなみにアオダイショウくんは、代々我が家にいたらしい。最初の子は、たぶん私が生まれる前からいたのではないか。ま、ヘビが住み着く家は、鼠もいるわけで、鼠やヘビがいる家は、安泰なんだそうなので、私に害がない限り、生存は許しているが…ネズミの睡眠妨害に対しては、遠島を申し付けることにしております)。

 まあお互いに生きているわけなんで、害がない限りは、共存しよう(こちらに余裕があるもには、援助してあげてもいい)というのが、私の基本的スタンスなんですけどね。人間関係もまったくこれと同じで。

 私は基本、争いは好まない。ただ、争いを仕掛けてくれば、徹底抗戦する(専守防衛という墨家思想は、私の基本姿勢。日本国の自衛隊も専守防衛を標榜しているけど、この人たちは凄いと感心している。私の場合は、少し短気なところがある…獣や虫には、人間の理論が通用しないから、仕方がないと、自分を慰めている)。でも、相手が困ってたら、助けたりもするんだよ。(兼愛ではありません。私は墨子のように人間ができていないので、好き嫌いによって待遇が変わります。だから援助のレベルは、当然変わります。ヒヨよりはメジロの方が可愛いもん。だからと言って、ヒヨを追っ払ったりはしませんが)

 ということで、今夜は口福第二段、自分に約束した通り、「ふろふきダイコン」を山盛り食べました。旨かった! ありがとうございました、S氏!これも、ある種の共存共栄かも。明日の夜(深夜になる?)は、待望の牡丹鍋かな?

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