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2017年5月 4日 (木)

自分の理

 暑いではないですか! お墓参りに行っていたら、数匹蚊が出現して、私の血を狙ってきたので、とりあえず手の届く範囲のものは、全部殺しておいた。これで私以外の誰かも、吸血されずにすむ。つまりは「善行」である。善行表彰を受けたいくらいだ(まさか! …笑)。

 ほかにももっと具体的な人助けを何度もやっているのだが、不思議なことに善行表彰をしてやるという声は聴いたことがない。まあ表彰されたくてやったわけではないから、ちっとも構わないけどね。

 人が倒れていた。関係機関に連絡した。人が倒れていた。専門家が来るまで応急処置をしながら待った(ちなみに応急処置の正しさを、専門家から絶賛された)。でも善行表彰の対象にされたことはないどころか、倒れていた当人にもお礼を言われたことは少ない(本当にこの国の人なのか?社会常識が一致しないということから、社会的価値観を共有していないのではないかと疑った。けっこういい歳をとった人が、だよ。こんな人が別の場所で、「最近の若い者は」などと言ってたら、たぶん私は「切れる」ね。

 先日も我が家のごく近所で、狭い道に車を突っ込んで、進むも退くもできなくなっていた。運転手を見ると、高齢者とまではいかなくても、十二分に分別があるはずの人と見受けた(私よりはだいぶ年上だろう)。結局、こちらがあり得ない操作をして、さらに誘導してあげたので、ようやく通り過ぎていったが、もちろん「ありがとう」の一言もなかった。

 自分でなんとか状況を切り開けないことなら、自分からやってはいけない。立ち往生するくらいなら、その時そこには入ってはいけない。こんなことは常識中の常識だと思うが、もしも周囲にいたのが私(だけではなかったけど)ではなく、怖いお兄さんだったら、あのおっさんどうしたんだろうかと思う。

 ま、こんな人は、車を運転することで他人に迷惑をかけているって自覚はないんでしょうな。自分の力量にふさわしいドライブが、誰にも迷惑をかけず、楽しいドライブになると思うんだが。

 あまり他人を助けてばかりいると、みんな甘えてくるようになるので、ほどほどにしとかないとね。昨今の日本外交などを見ると、特にそう思ったりするよ。他者を助けることは美徳だけれど、それに感謝の念を持たない相手にしても、ちっとも美徳認定されないからね。

 もちろん美徳認定されたくてやってるわけではないんだろうけど、どんどん甘えがひどくなって、最終的には「してもらうのが当たり前」、「なんでしてくれないんだ?」なんて方向にいったら、すでに美徳云々の次元ではなくなっているからね。

 常識や分別など当然持っているはずの年代の人(常識や分別がなければ、その年まで無事に年齢を重ねることができなかっただろう年代)でも、こんなお馬鹿さんがいたりするんだから、文化も社会常識も異なった人々に何かをしてあげる際には、十二分に考え抜いた末でなくてはならない。そうでないと善行すら善行でなくされてしまう。

 私が、倒れていた爺さんを助けたのは数回あるなあ。けっこう多いよ。わざわざ私の前で倒れているんじゃないかと思うくらい。このケースでは一度も礼を言われたことがない。人通りがほとんどない山で車を脱輪させて、引っ張り上げてあげたときは、同乗していたおばあさんに拝まれた(「地獄に仏」と言われてしまった。こっぱずかしかったので、「ばあちゃん、俺まだ生きてるから拝まないで」と軽口をたたいたくらいだ…ちなみにうちは仏さまではなく神様だが…笑)。

 後日そのすぐ近くで自殺した人が何人か出て、今では閑散としたまま荒れ放題になっている。してみると本当に「地獄で仏」だったのかもしれない。本当は、天体観測なんかを行うのにいい場所だったんだけどね。さすがに今では私も行かなくなったけど。(頂上の駐車場が格好の観測スポットだった)

 ま、拝みまではしなくてもいいけど(はっきり言って「うわあっっ!」と思いましたもん)、「ありがとう」の一言は、あってもいいよね。もしも「ありがとう」と言いたくないのなら、他人の助けが必要な状況に陥らないことだ(たぶん、長い一生を考えると、無理だと思うけど)。そのためには、自分の力量をよくわきまえて、無理をしないことだ。

 無理とは理がないこと。理がなければ、失敗するのが当たり前なんだから。ある程度年齢を重ねたら、自分の理にも気づくべきだと、私は思うよ。もちろん自分の理と他人の理が同じだとは限らない。それぞれの持っている能力とか性格とか、置かれた状態で異なるからね。

 これは学校では教えてくれない。自らが自らの体験を通して、自ら悟るしかないものだと思いますね。もしも他人の理が自分にも通用すると思って、力量のないものが力量のあるものの理を行おうとすれば、それは自分では脱出できない隘路に車を突っ込んだおっさんと同じことになる。

 親切にリードしてくれる人がいなければ、立ち往生のまま。車ならなんとかする方法はあるけれど、集団の行動とかだったら、大失敗がそのまま致命傷になることも、ないとは言えないからね。

 自分の理は自分で悟る以外ありません。未熟な時には他者の援助を受けてもいいと思いますが(その時には「感謝の念」を忘れないように!)、自分でできるかぎり頑張って、自分の理を大きく強く育てあげ、その理を超えないように生きていただきたいものですね。

 でないと無理やり横車を押さなければならなくなり、そこでは反則とか不正行為、借金の踏み倒し、逆切れ、などなどの現象が起こりますから。あまり麗しい状況ではないよね。

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