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2017年5月11日 (木)

おつきあい?

 暑いですなあ…… 外に出れば、風がないこともないのだが、山が真っ白。毒の風にはあまり当たりたくない(今年はまだ鼻が詰まる。目が痒い)。先日の雨で洗い流されたと思ったのだが、また新しい黄砂がやってきたんだね、きっと。(それと、地面に一時的に墜落した黄砂も、天気が回復して乾けば、また空中に舞い上がる。同じ舞い上がるのなら、生まれ故郷に飛んで帰ってくれればいいのだけど、そういうわけにもいかないらしい)

 隣国の大統領選も終わり、次は新たなる秩序を模索しなければならない段階に入っていると思うのだが、世界が激変している間、そんなことはどこ吹く風と、のんびり大統領弾劾に始まり、新大統領の選挙活動に明け暮れていて、どんどん世界の流れから取り残されていたんではないかと思う国は、ちゃんと自力で追いついてきてくださることを希望する。自分の遅れを他者にかぶせて、迷惑をかけるんじゃないよ。

 実は高校時代、似た経験をしたことがある。勝手に欠席した奴が、休んでいた時のノートを貸してくれというので貸してやったら、返してくれないでやんの。貸りたものはきちんと貸した相手に迷惑をかけないように返すのが、ものを借りるときの礼儀ってもんだろうが(経済的な問題でも、まったく同様である)。

 私の性格はわりとはっきりしているので、それ以降そいつとは、今日に至るまで、一言も口をきいていない(なにしろ「ありがとう」とか「悪かったね」の一言もなかったのだ。こんなやつ、時々いるよね!)。こういうのは、お付き合いをする値打ちのない人間だ。誰とお付き合いをし、誰とどつきあいをするか決めるのは、私の勝手である。お付き合いを断つってことは、戦略的静観だが、言ってしまえば、私がそいつを見る目は、石ころを見るのと同じレベルになったということだ。

 当然石ころには心があるとも思わないし、死ぬこともないはずだ。だからそいつが何をしようが、何を考えようが、私の迷惑にならない限り、知らぬ顔の半兵衛である。迷惑になることをしでかしたら、そりゃあもう半沢直樹の百倍返しなんてものではない。

 人間誰にでもミスや過ち、誤解といったものはある。相手がほんの一言でも謝罪をしていたら、私の対応は180度転換したんだろうけどね。ということで、戦略的静観ってのは、いわゆる積極的静観でもあって、相手が困っていて、つい助けてやろうかなどと(優しい心ゆえに)思っても、「いやいや、ここで手を差し伸べてはならない」と自分を抑えることだ。

 実はこれも「付き合い」を拒絶した交際法の一つであって、わりと有効なことが多い。相手が救援要請をしても、動かない。相手が死にそうでも助けない。助けることがあるとすれば、こちらに利益がある場合だけだが、それまでのお付き合いを通じて、つねにこちらの利益には終わらない関係だったら、「おれ、知らねっと」すら言わない。ただただ、死んだ魚のような目つきで、眺めているだけである。

 ということで、いろいろと内外が動いている中、いまだにM学園問題をほじくっている人たちがいる。大所高所から物事を見る目や態度はないのかと思う。ま、すでに完全に飽きられ、かつ大した問題でもないと判明したわけで、いつまでも飽きた問題にかかわっていれば、かかわっている人間も飽きられるってことをご存じないらしい。

 国際的な危機に瀕しても、M学園の問題をほじくり続けていたでしょ? これ、平和ボケ以外の何物でもないよね。そんなのは暇なときにでもやってくれ。まるで船が沈んでいる最中に、「危険だから外に出ないようにしてください。中のほうが安全です」ってやっているみたいだ。ほかに重要な問題が山盛りあるだろうに、見つけられないのかね。

 重要なポイントを見つけられなければ、今ある問題も、将来ある問題も、解決することは難しいだろう。科学技術の世界では、「センスゼロ」とか「才能なし」とか「向いていない」とか言われる状態だ。適性と必要な能力を有しない人が問題に当たれば、結果が悲惨なことになるのは、火を見るよりも明らかだ。

 ま、外を見なければならないときに、内ばかりを見、内を見なければならないときに、外ばかりを見ていれば、学生なら「どこを見ているんだ?」と叱責されるだけでおしまいかもしれないが、責任ある地位になれば、叱責だけで終わりそうにはないと思うんだが、どんなもんだろうか。

 少し話が変わるが、最近、表情を作る人が気になってしょうがない。表情を作るってことは「素の顔」に自信がないことの現れ? それとも「素の表情」を出して、感情を読まれることを恐れているの? 表情は雄弁なものだけど、必要以上に表情を作っているんじゃないかと思える場合には、「こいつ実は、腹に一物も二物もありそうだ」と判断することにしている。

 俳優さんや女優さんなら、それが商売なので、当たり前の技術なのだろうけれど、そういった職業でもないのに表情を作りすぎる人は、少なくとも私は、その表情で表現しようとしていることを信用しないことにしている。「作る」ってことは「本当はそうじゃない」ってことの証明みたいなもんだからね。

 特に不自然に笑顔を作る人は、かなり問題を抱えてそうなので、私ならば近寄らない。君子危うきに近寄らず、である。笑顔がチョウチンアンコウのチョウチンで、笑顔を信じて近寄った瞬間に、ぱっくりこと食べられるのは、嫌だからねえ。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、五月20日の第三土曜日でございます。よろしく!

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