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2017年5月10日 (水)

ひ・と・ご・ろ・し

 いやあ隣国では新大統領が決まったとかで、今朝の新聞はみな見出しである。NETにいたっては「最悪の関係、五年間」だなんぞと、大変な騒ぎだ。なにをくよくよ川端柳(少なくとも、私の世代のフレーズではなく、だいぶ前の世代のフレーズだと思う。おやじの世代なんじゃないかな)。

 昨日の言ったように、他国の国民がどういう選択をしようが、それは他国の国民の意志なので、尊重すべきだ。では我々はどうすればいい?というと、我々に最善のことをするだけのことで、だから「何をくよくよ、川端柳」ってことになる。何も憂うことなどないし、今まで通り、きちんとそれぞれがやるべきことをやっていればそれでいいだけの話。大切なのは、まず第一に、我々の幸せなのだ。

 ところが「最悪の関係」だなどという言葉が見えたり聞こえたりする。ちょっと~、最悪って何? 選ばれたばかりの新大統領に失礼じゃない? なんてことはどうでもよくて、最悪って誰にとっての最悪なわけ?

 まだ物事が始まってもいないのに、最悪って結果がどうしてわかるの? もしも最悪になると思うのなら、そうならないように努力すればいいだけの話じゃん! どちらもが最悪になるのなら、せめてこちらだけでも最悪を回避すればいいだけの話じゃん! やってもいない前から結果を出すなっての。それって、「結果ありき」の考え方じゃん! 人生、何がどうなるか、わかったもんじゃないんだよ。

 もしかして農耕民族の悪い面が出てるの、こんなことをいう人は? 確かに種まいても、芽生えが悪ければ、収穫にいい夢を見てはいけない。でもそれは農耕民族の発想であって、狩猟民族であったら、「今日は獲物がいないねえ」とため息をつきながらついた帰路で、とんでもない獲物の大群に出会うかもしれないから、先に結果を出したりしないんじゃないかな。

 次の瞬間には、どういう展開があるかわからないのがこの世であって、こんなことが起こったから、結果はよくないに違いないなんて、悲観的になる必要はないのではないかな? もちろんこれは物事を楽観的に見ろとだけ言っているんじゃないよ。そんなおめでたいことを言うには、私自身の今までは、楽観論からは遠すぎる。

 ただ、「結果は先に出してはいけない」ってのは事実だ。0.1%でも可能性があれば、それに向かって努力すべきであって、展開次第では可能性は0.1%から1%になり、10%になり、80%に育っていくものだからだ(100%になることは、めったにございませんが)。

 最悪になるってのが予想できるのなら、最悪にならないように、自分の進路を考えればいいだけのことだ。だからわたしは100%的中の予言者を信じていないわけで。悪い事態が予想できたら、そうならないように頑張る。そうすると、偉大な予言や予測が外れてしまうわけで、的中率100%なんてことにはならない。

 予言や予想が100%当たることが大事なんじゃない。一番大切なのは、人間が幸せになれるかってこと! そのためには「偉大な予言者」の不吉な予言なんて、外れる方がいい。では予言は無意味か? そんなわけないでしょ。だってその不吉な予言があったから、それを回避するために、人々が努力したんだから。外れてもいいんだよ、所詮予言なんだから。

 だから私は、説得力のある予言を聞いたり読んだりすることは、嫌いではありません。ただし「説得力のある予言」をしていただくには、それなりの勉強が必要ですからね。それときちんとした裏付けのためのデータと。

 実は今日は帰宅して、一昨日刈り取った裏庭の蕗を、「きゃらぶき」にするために煮込んでいた。待ち時間が退屈だったので、站桩をやっていた(いつものパターン)。それから夕ご飯の支度をして、ついでに松田優作さんの『ひとごろし』を見ていた(何十回目?)。晩御飯が終わったら、もう十分遅くなっていた……

 臆病侍の双子六兵衛は、何のために上意討ちの追手に志願したんでしょね。臆病侍の双子六兵衛には、武芸では絶対にかなわない仁藤昂軒に、どんな戦略で挑んだんでしょうね。そのためにどんな戦術を選んだんでしょうね。そしてそれぞれの場面では、どんな戦法を用いたのでしょうか? 目的を達成するためには、いろんな方法があります。でも、みんなが幸せになれるのなら、たいていのことは許されるんじゃないかな。

 すくなくとも「公」という概念が発達した日本では、多くの人に理解されると思いますよ(「公」という概念がない国では、もしかしたら永遠に理解されないかも。そんな奴は放っておけばいいと思うけどね。こういうのを「価値観を共有していない」という)。

 物事には必ず「目的(=戦略)」と、そこにいたるまでに達成すべき「目標(=戦術)」と、いかにそれを遂行していくかという「手段(戦法)」があります。愚鈍な指導者は往々にして「手段」ばかりに目がいき、「目的」を見失ってしまいます。「手段」が「目的」と入れ替わってしなければ、そこには見苦しい結果しか待っていません。

 たとえば悪い例を挙げると、国際大会では、国威発揚のためには「勝利」が望ましいわけですが(簡単に言えば、自分たちの優越性を示したいだけなのですが)、勝利を得るために手段を選ばなければ(たとえば反則を正当化するための、審判員の買収など)、競技会史上に永遠に残る汚点となります。

 すると「勝利」が与えてくれるはずの栄誉も、「国威発揚」も、あっという間に泥にまみれてしまうんですね。だから利己主義とか、その場、その瞬間でだけの利益にとらわれてはならないのですが、『ひ・と・ご・ろ・し』は、松田優作さんの演じる双子六兵衛は、武士としての体面も誇りも何もかもすてて、(最初は)いもうとの「かね」のために動きます。それが最終的には人々(特に旅籠やの女主人、およう)の助けを得ることにつながり、仁藤昂軒の生命をも救うことにもなっていくんですね。

 はい、限定的ではありますが、「目的は手段を正当化します」。逆に言えば「手段が正当化できるような目的であれば、その目的は、人々を幸せにする」ということになりますかね。だから目的はよくよく考えなきゃ。

 その場その場での適当なやりくりさえできていれば、という意識では、知らない間に目的からずれちゃっていることもなくはないからね(というより、たいていはずれていく)。

 さすが山本周五郎大先生だけのことはあって『ひとごろし』、こんな大切なポイントは、一つも外していないですわ!

※ ということで、お待たせいたしました。今月の『○○を語る会』は5月20日の第三土曜日でございます(たった今、予約を入れておきました。私が突然死しない限り、確定です)。よろしくお願いいたします!

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