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2018年4月30日 (月)

マスクマン!

 ちょっと今日はきつかった。やっぱ、疲れがたまってんのかなあ。晩御飯直後に意識を失っていた(呑み過ぎではありません)。だいたい今日は、動くこと自体、しんどかったもんなあ。『渚のしんどかった』なんちゃって……

 そういえばこのところ、渚に行ってないなあ(一か月近くも!)。第一の理由は、なんたって「花粉」だよね。こいつのおかげで、行動が大幅に制約された。山でなく海辺でも、風に乗って飛んでくる花粉や黄砂には、迷惑してます。

 先日から急に気温が上がって、マスクなんかしてらんねえや!(花粉で死ななくても、熱中症で死にます!)と怒り狂ってマスクを外したら、夜はきつくても(鼻づまりで)、練習量が増えた。マスクをするだけでこれほど活動が制約を受けているのかと、嫌になったくらいだ。

 マスクをして練習すると、練習効果が上がるなんて考えている人、これは大きな間違いですぞ(たぶん)。動きが制約を受けるだけで、それでスピードやパワーが上がるわけではありません。むしろスピードやパワーを抑制して、「死なない程度」の動きしかできない身体になってしまいそうな気がいたしますね。

 もちろん人ごみやなんかでは、病気の予防という意味でのマスクは理解いたしますが、練習中はマスクはつけない方がよさそうな気がいたします。ハイレベルでの競技を目指す人には、手かせ足かせになってしまうような気がいたしますね。

 人はみんな死にたくないから、その環境で「死なない」程度の動きしかしなくなります。いったん身体がこういった動きを覚えてしまうと、動きやすい環境になっても、より速い動きには適応できなくなってしまうように思いますね。(ちなみに私の知っているマスクをつけて練習する学校の選手は、強豪校と言われながら、五輪選手は見事なくらい一人も輩出しておりません…笑)

 人は快く動ける環境で、まずは最大のパフォーマンスの限界を伸ばすべきではないかと思います。そのうえで、どんな環境でも、ベストパフォーマンスに近い結果が出せるように負荷をかけるべきではないでしょうか。

 低い次元に適応してしまえば、永遠にトップクラスのパフォーマンスは望めなくなりますからね、人は死にたくないので。自分で自分にブレーキをかける習慣ばかりが強くなってしまうみたいです。

 死ぬ気でやるってえのは、トップを目指す人間ならほとんどの人が要求されることですが、これは限界をぶち破るために必要なことでしかないわけで、死にそうなほど苦しい条件で練習すれば、よい結果につながるってことではありませんからね(きっと)。

 ということで、オールド・プロレス・ファンなら誰でも知っている、ミル・マスカラス。カッコよかったですよね。当時はマスクマンが大流行でしたもん。でも私は、「素顔」が知りたかった。『スカイ・ハイ』(実はこの歌は、失恋の歌ですが…笑)で颯爽と登場し、華麗な空中殺法を披露する、見事な肉体の持ち主は、いったいどんなお顔をしてたのでしょうか。

 もしも彼がマスクをつけなかったら、もっとすごいパフォーマンスが見られたのではないかと思ったりいたしますが、ミル・マスカラスさんの場合は、あれでよかったのかも。顔を見せないところが「謎」で、ど~この誰だか知らないけれど、誰もがみいんな知っているってな月光仮面的な魅力がありましたし。

 ま、プロのレスラーさんですから、いろんな魅力が必要なわけで、その魅力を演出する上でのマスクは、最高のパフォーマンス以上に必要だったのかも知れません。でも風邪ひきようのマスクは、どうしても必要な時以外は、遠慮こうむりたい気がいたします。

 マスクに生命力を吸い取られているような気がしますよ(笑)。

 私にとっては(イネ科の植物の花粉をアレルゲンとする人は、これからますます難儀な季節ですが)、もう少しで、多少は暮らしやすい季節になるはずです。早く来い来い、マスクなしの季節!

2018年4月29日 (日)

猫おやっ? 参観日っ‼(笑)

 よい天気でした。昼間は暑かった。デスクワークで疲れると(10分も座っていたら、疲れます…笑)、外に出て動いてしまうけど、どうにも雑草が気になって、今日は雑草ににとっては受難の日だったかも。

 夕方になって、久々に本気で練習するかと気合を入れていたら(それでも大型メインタンクの水替えと同時進行…どうにも真面目じゃないよ)、なんとニャンコが参観している。驚くのはなによりも警戒心ではなく、興味を持って見ていることだ。

「ああ、俺もついに、猫なみになってしまったか!」 まあこれは嘆きであると同時に、喜びでもあるんだけど。古来、猫の動きに神髄を見た武芸者は多いわけで、ちなみに私も大学時代には、暇なときには猫と遊んでいろいろ研究していたもん。

 だいだい今日は、その前が怪しかった。水替えをしていたら、ノラが「腹減っちゃった。兄ちゃん、なんかおくれ!」てな顔をして現れるんだもの。おかげで今晩の晩酌のアテの三分の一を分捕られちゃった(ちなみに、夜食もせびりに現れました。あまりにお腹が減っているようだと、子育て中の可能性がなくもない。万一これが大当たりだと、数週間後には、子猫同伴で現れて、「この子にもご飯を!」という最悪のパターンに陥る…これは母がやらかした大失敗。でも母が育てた三十数匹の猫は、どの子もいい子だったけどね。母が外出するときは、塀の上にずらりと並んでお見送り。帰宅するころになると、やはり塀の上にずらりと並んでお出迎え。三十数匹の送迎は、壮観だった。写真を撮っておけばよかったと後悔しているくらいだ…ちなみに近所では評判だったんだそうな…笑。母は優しかったからね。ネコもよく知っていたんだろう。残念なことに私には、そこまでの人徳じゃなくて猫徳はない…笑。なくて幸いだが…爆笑)。

 ネコは何を思ったか、興味津々で私の練習を見ていた。かなり(私的には)レベルが高い(はずの)練習だったんだけどね。もちろんネコおやっ?参観日くらいで動揺するわけもないので、平気で練習を続けていたら、向こうも飽きちゃったのかなあ(それでも30分近くも見てたんだから、猫もよほど暇だったんだろうか?)。塀を東に乗り越えて、行っちゃった。

 最近はあまり鳥も逃げなくなっているので、どうやら私の望む「いい感じ」に近づきつつあるのだろうか。相手に警戒心を起こさせない動きってのは、理想だからね。警戒心が起こらなければ、防御されないってことだから。

 ということで、今頃になって非常な鼻づまりに陥っておりますが、今日の練習は量はともかくも、質的にはよろしい方向に向かったんではないでしょうか。(そのうちヤマメでも釣りに行って、自分が岩や木になれたのが証明できれば、ほとんど合格点ですね…笑)

 ま、そんなこんなでGW第一日目は無事に過ぎていきました。明日はどんな明日になりますことやら。

2018年4月28日 (土)

信頼関係

 昨夜は身体が見事に緩んで、気分が悪くなるほど眠かった。途中から無意識で、日常の行動をやっていたのではないかと思う。で、今朝は爆睡。(実は今も眠い)

 緩むとここまで眠いということは、普段はかなり疲れているということなんだろう。緊張が身体を動かしているんだろう(道理で、お酒を呑むはずだ。身体がリラックスのために、要求してるんだね、きっと)。まだ「緊張の夏(キンチョーの夏、日本の夏?)」には程遠いと思うのだが。

 昨夕、夢遊病状態で伐採した裏庭の蕗を、取りあえずあく抜きまでやっていたので、今日は魚の水替え(玄関周りのみ)をしている間に、キャラブキにしてしまいました。時間的にぴったしだったので、時間の有効活用になった。蕗も日に日に大きくなるので、私の通路を塞がれると困る。

 困るくらいなら、こちらの胃袋に収めてあげるのが、せめてもの好意(?)だ。もちろん好意である以上は、必要以上は取らない。私の通路ができた段階で、採取は終了である(だいたい我が家に自生する植物についての原則である。ただしヤブガラシをはじめとする、他の植物に迷惑になりそうなものは、かなり徹底して駆除するけど。

 明日はでっかい方の水槽(メインタンク)を2本、水替えするかな。こちらは替える水の量が半端でないので、時間がかかる。ということで、他のことをやっていたら忘れてしまう(過去、何度かありました)。魚の背中が出るくらいまで、水を捨てちゃったことがある。こうなると水替え用の溜め水の方が足りなくなる。水槽二本分の溜め水を、一本に集中して、なんとかするのだが、こういうミスがあるため、本来は一日に一本しか水替えをしないようにすべきだと思う。でもねえ、毎日水替えなんてしたくないし。そこまで暇がないし。

 明日の水替えは、ちょいと早めに取り掛かろう。魚も巨大化すると、体力がついているから、少々のことでは死んだりしなくなるけどね。でもミスはしないに越したことはない。(大型魚を飼っていると、微妙な感覚がずれてきて、いい加減になることがあるそうなので、私は大きいのも小さいのも、同時に飼ってますけどね)

 昔は各種測定器を使って、あれこれ数値を測定してたりしたけど、今はそんな面倒なことはやらない。「見た感じ」ですべてを決める(玄関脇の水槽の子が、昨日、ちょっと不機嫌かな?程度の顔をしてたんだよね。で今日の水替えとなった。水替えの最中は迷惑そうな顔をすることもあるが…ばっちり水質が合うと、水替えしている最中の添加している水の中に、魚から飛び込んでくることがある。よほどうれしいのか、気持ちがいいのか…水替え終了後十数分もすれば、完全にリラックスした顔になる。こちらとしても、水替えが苦痛ではない季節になってきたので、お互いのためにもなる…魚にとっては健康上、私にとっては精神衛生上の)。

 もう少ししたら、庭の水溜り(水生植物を植えてます)に、野鳥が水浴びにくる。これも野鳥がリラックスできるくらいの環境にしておいてあげないといけない。環境さえ整っていれば、別に温泉マークをつけていなくても、勝手にやってきてパシャパシャやっているから面白い。

 最近ではこの水溜りの後方2~3mのところに餌場まで作っているので、鳥からみればまるで「ヘルスセンター」?(残念なことに、土産物は売ってませんけど) で、鳥が楽しんでいる時には、私も練習はちょっと遠慮したりする(なんと「にゃんこ」も鳥を襲わない。きっとネコなんだね、トコじゃなくて)。

 ほんのちょっと気を利かせて棲み分けをすると、わりといい雰囲気になる(急成長する雑草は別だが)。なにしろ私も鳥も猫も魚も両生類も爬虫類も、嘘はつかないからね。おかげで相手を信頼して、それなりに対応できる。

 昨日はどうやら某隣国で何か話し合いがあったらしいが、嘘しかつかなかったり、約束といえば破ることしかしてこなかったところが何をしようと、何を言おうと、一から十まで、信用しませんけどね(笑)。信用すれば肚が立つ、信用しなければ、多少は笑える(かも知れない)。一番いいのは、別世界のことにしてしまうことだろうが、そうはいかない人たちもおられるので、一刻も早い解決をお祈りしております。

2018年4月27日 (金)

好感度だとォ?

 メダカ水槽を見ると、卵嚢が消えたばかりのおチビさんが、親たちに交じって、一所懸命エサをついばんでいた。おめでとうございます。これであなたも、我が家の一員だ。でもこの子がいるということは、他の子もいるはずだ。魚だから、産卵が一つということはない。だいたい産卵寸前の雌は、かなりいた。彼女らのお腹が引っ込んでいるってことは、どこかに産んでいる。ということは早晩おチビちゃんたちが姿を現すはずだ。

 とまあ、これは我が家では毎年の話でございまして、メダカに限りません。なんでも「殖えよう」と思ったら、殖えられるようにはしています(飼い主一族は、減る一方なのに…涙)。

 昼に身体を緩めてもらおうと、某所に出かけた(暇を無理やり作った)。車にエンジンをかけると。車のTVが映った(私はTVは見ないのだが、昨日うかつにも、天気予報を見たままになっていたらしい)。

 どこかの太った若い指導者が、何かを読み上げていた。それを放映した日本のTV番組のMCが、「好感度が増しますね~」などとほざいているのを聞いた瞬間、音楽に切り替えた。TVなんてろくなもんじゃない。みてもしょうがないじゃなくて、「見てはいけない」ものに成り下がっている。

 喋るだけなら10円もいりませんって。キレイゴトなんかいっくらでも喋れますって。何十人だか何百人だか知らないけれど、わけのわからない罪をこさえて、高射砲で打って殺した人は誰なんだ? 犬に食わせた奴は誰なんだ? 惨殺した奴は誰なんだ? 日本人を拉致した問題を、なかったことにして済ませようとしているやつは誰なんだ? それを「好感度が上がりますよね」だと?(激怒!)

 好感度の次元に入ってこれるのか? このMCは、かつて数百人を惨殺し、実の兄を殺させた人間を「好感度」で測っているのか? お前は隣に殺人鬼がいても平気なんだな? と思ってしまいましたわいな。自分が何をしゃべっているのか、意味が解っているのか?

 このMC個人が何を考えようと、それは自由だ。だが公共の電波とやらにのっけてしまえば、大問題だ。私はほとんど見ていないが、この番組ではこういった酷いことは、たくさんあるらしい。

 一般社会ならば、個人的に何を言うのも自由だ。それが許されているところが、日本のいいところだと思う。だが自分が好き勝手言ったことで他人にどう思われるかは、聞いた側の自由である。

 公共の電波をやらを使うことができる連中は、ある種の特権階級だ。だがそれを拒絶する権利は、視聴者の側である。私はこのMCが落ちぶれて、行き倒れそうになっていたとしても、絶対に助けたりはしないだろう。(古典落語の『千早』を聞いてみてくださいな…笑)

 他人の好感度を云々する前に、自分の好感度を心配したらどうなのか(だいぶ好感度が下がっているようですが)。拉致被害者とその関係者の方々は、今どういう気持ちでおられるか、考えたことなどないんだろうな(言動を聞いている限り、微塵も思いやっていないと思うよ!)。

 今日、ここで誓う。このTV局の番組は(格闘技と、私の知った人が出ている番組以外は)、今後、二度と見ない。TVの番組欄を見る習慣はないが、このMCが出ている番組は、どの局であろうと絶対に見ない。今回のように、偶然見てしまった時には、即刻スウィッチを切る。こんなもの見なくたって、今や偏向報道の嵐のTVなんかよりも信頼できるものはある。こんな人間の言葉を聞くくらいなら、カラスの声を聞いてた方が、なんぼかましだ!

 久々に、全身が燃え上がるくらい、腹が立ったよ! なにが好感度だ! あほったれが! 

2018年4月26日 (木)

左利き志願

 だいぶ、積もっている花粉(や黄砂)の量は少なくなったが、それでも目が痒かったり、鼻が詰まったりする。たぶんダメージが大きかったから、回復に時間がかかっているのだろうね(そう思いたい)。

 不思議なことにこの春は、左側ばかりにきた。鼻の穴は左が酷く詰まったし、目も両目が痒いけれど、左目が酷かった。一人の人間のアレルギー反応なんだから(しかも「目と鼻の先」という言葉があるように、そんなに何mも離れているわけじゃなし…そんなに離れていたら、もう「顔」とは言えない…笑)、両方均等にきてもいいと思うんだけど、鼻孔は右と左で大きさが異なると耳鼻科のE先生に言われていたので、納得はしている。

 問題は目である。なぜに右目(利き目です)ではなく、左目が特別に痒いのか。人間の身体は、左右対称に見えても、厳密には左右対称じゃないし(だいたい心臓の位置からして偏っている)、右利きもいれば左利きもいる。どちらかが得意ということは、左右対称でない証拠みたいなもんだ。よく使っている方は発達するし。

 私は右利きであるが、やっていた競技の関係で、できるならば両方が同じように使えるようになりたいと、努力したことがある(右手を骨折した時は、否応なく左を使いましたけど)。文字も左で書く、お箸も左で使う。

 結局、左手で書いた文字は、きったない文字にしかならず、しかも小さい文字は書けなかった。スピードは段違いに遅い。食べる方は、苦労はするもののなんとか左で食べれるようになったけど(右手の骨折時に、「これはいい機会?」と左を使った)、難関は「うどん」だった。ラーメンも難しかったけれど、麵の太さ、重さでうどんの方が食べにくかった。ちなみに私は、大の麺食いで、しかもうどんが好きである。

 結局、苦労して食べるので、食事で疲れ果てるなどという、バカじゃないの?という状態に飽きがきて、骨折が直るやいなや、右手で食べることになった。利き手で好きに食べる方が、はるかに美味しかった(左手で苦労して食ってた時には、よく考えると、味がわかってなかったような気がする)。

 キャッチボールも左でずいぶん練習した。しかしながら球に「心がこもらない」。速くもなければ遠投もできなかった。私が教えたS君は、右利きで生まれて(どうやらお父様が星一徹だったようで、幼い頃左用のグローブを買ってきて、キャッチボールを教えたらしく)左でもかなりよかった。おかげで彼のパンチは、右も左も強かった(全日本で、開始十数秒、正拳一発でノックアウトしてますもん)。

 当時は左利きに憧れたことがありますね。右利きは山ほどいるから「慣れ」られているけど、左利きは少ないので、かなり有利そうに見えたから。(後でわかったことだけど、パチンコを打つとき、刃物系の道具を使う時など、右利きにはわからない苦労があるんだそうな。ちなみに当時は私も、ごくたまにパチンコを打っていました。ここ十年以上、「パ」の字もやらないけど)

 左も右と同じように使えたら、きっと便利に違いないと考えて、あれこれ苦労したけれど、結果的に「少なくとも私に関しては、左は右のようにならない」という結論に達した。ただ得たものはあったよ。

 左って、右みたいに「無意識に」動いてくれないじゃない。そこで左の動きを覚える時には、右の動きの真似をする。すると右の動きを詳しく見なければならない。おかげで右の動きが、より精密になっちゃった。(この流れは、今も私の中で続いています。無意識にできている…はずの…動きを、もう一度丁寧に見直す。すると意外なことに、けっこう穴があったりするんですよ。穴に気がつけば、直せばいいだけで、気づかなけりゃ、直しようがないもん)

 これが「左右対称」になろうとしてなれなかった過程で得た、貴重な財産かな。何でも無駄ではありません。ダメなら、ダメになる過程で掴んだものを活かせばいいだけのことで。こうなると、無駄な努力とか、無駄な時間とかはなくなるもんですな。

 本当に「無駄」なものは、「無駄な目標のために、無駄なことをすること」でございますね。選挙で選ばれて、税金で暮らしている人の中にも、こんなことをしている人がいるような気がしてしょうがないんだけど(笑)。

2018年4月25日 (水)

春宵

 本当に花粉は減ったのかなあ。今日もけっこう鼻が詰まりました。鼻が詰まると、おつむの回転も詰まってしまうので、気持ち悪いですね。

 昨日の本格的な雨のおかげで、植物が一斉に成長したようでございます。気がつかない間に、アイリスが立派な花を開いておりました(食べられないけど…笑)。ジャガイモは12植えたはずなのに、13か所から芽が出ておりました(芽の数が13というのではなく、植えてないはずのところからも芽が出たということ)。きっと冬に収穫し忘れたのから芽が出たんでしょうね。あまり悩まないことにいたします。

 これが全部立派にイモを作ったとしたら、この夏はジャガイモ料理のレシピが増えそうですが、捕らぬ狸はやめておきましょう。泥棒は捕まえてから縄をなうのはよくないけれど、作物は収穫する前から、豊作を夢見て計画を立ててはいけません(たいていは裏切られる…笑)。

 で大好きなトマトでございますが、先ほどまでKさんが来てたのね。植えるところがなくて、なくなく鉢に2種類植えていたら「狭い」の一言でございました。それは知ってはいたんだけど、植えた時には、それほど不自然には見えなかったんだよね。ところがこのところの天気で、やたらと成長し、夏になったらどうしよう(夏になる前に、どうしよう、状態になると思います)というほど成長しております。

 花を植える感覚で、色の違うのを植えてみようと思ったのが、もしかしたらよくなかったのかも。夏のトマトは、水分補給に一番ですから、多めでもいいわいと、昨年の後悔を早くも忘れたのが運の尽きだったのかも(一日100個食べないといけなかったという…… でもおかげでダイエットに成功したのかも。力石徹じゃないんだけどね…これがわかる人は、かなり昔の劇画がわかる人? でも力石は、一日にトマト1個だったと記憶しているんだけど。私は100個です…笑)。

 ムラサキツユクサも、今日は14輪咲きました(昨日は7つ。一昨日は4つ、その前は3つ)。これから飛躍的に開花すると思いますね。もう一か月もしないうちに、「迷惑だ」と感じるくらいになるのは明らかです。

 今晩の肴は植物が多かったけど、その三分の二は、我が家の庭か、山で採って来たもの。ガソリン代を無視すれば、かなりリーズナブルな食生活です(だいたい私の食生活で、もっともお金を食っているのは、ほかならぬお酒でございますが、お酒は私のガソリンなので、カウントいたしません…笑)。これで花粉がもっとおさまって、釣りにでも出かけたら、もっとリーズナブルになってしまうかも(採集、栽培生活でございます。私の食生活は弥生時代前期か?)。

 Kさんが夜遅いのに来てくれたのは、我が家の庭で採れたのと、山で採れたのを受け取りに。いくらなんでも私一人で食べるには多すぎるし。

 夕方、収穫とヤブガラシの駆除をしていたら、山の芋が芽を出しておりました。植えてからかなりの年月が経過しているので(すでに我が家の山の芋のむかごから、次の世代が育ち始めて十年以上が経過しております)、一度は掘ってみようと思うのですが、最後まで掘りきる自信がない。

 野生の山の芋を掘った経験がある人はわかると思いますが、あの苦労は並大抵ではございません。でも山の芋は美味しいですからね。ついでに身体にもよい。中国では「山藥」というくらいで、山の薬ですから。

 もちろん我が家のことなので、雑草や毒草に混じって、健気に生きているので、知らない人が掘ろうと思っても、一筋縄ではいきませんけどね(笑)。横着者のの私のこと、掘りやすい山の芋栽培をやろうかと、何度も考えましたが、今のところ実行に移しておりません(今年はやってみようか、と毎年思っている)。

 水溜りを見ると、チョウセンブナも愛想がいいし、ヒキガエルのオタマジャクシもみんな元気でございます(この夏は数百のヒキガエルが誕生しそうでございます…笑)。スイレンも次第に気合が入った葉っぱを出しておりますし、次は何をして遊んでやろうかという感じでございますな。一番大切なのは、私が楽しく生きてけることですからね。

 ちなみに先ほどKさんが我が家に来た時、誰かが我が家を覗き見ていたんだそうですが、あら残念。お金はないし、(私と同じ趣味の人から見れば垂涎の的のようなものがたくさんありますが、普通に人が持ってても意味がないし…第一使い方がわからないでしょう… Kさん曰く、侵入すれば私を喜ばせるだけではないかというくらい危険だし…あ、我が家には防犯カメラが設置してあります。時々、作物の出来具合を監視するカメラに変わったりしますが…笑)、私が招いた人(や生き物)以外には、危険かもしれません(だいぶ私の練習に適応させましたから…笑)。無断で侵入してけがをしても、私は知りません。もう少ししたら、もうちょっとはすっきりした形になると思いますけどね。

 それもこれも、私ができるだけ楽しくいられるようにしているからでございます(雑草退治には苦労していますが)。宝くじでも当たれば、まだまだ機能的にするんですけどね。(こうなると機能に振り回されて、こちらが忙しくなるかも)

 今のように、だいたいは手を伸ばせば、欲しいものが手に入るようにしているのも、嫌いじゃないし、気分転換に庭で、(たいていの人には意味不明の動きをしながら)動き回るのも、嫌いではないです。

 さ、お茶でも淹れて、少しくらいは明日やることの「うったて」でも、始めておきますか。夜はなかなか涼しいけれど、私はこの涼しさは好きですね。

2018年4月24日 (火)

「90点」の一日

 ということで、今日は夕方から、一切の(私が望まない)外界からの刺激をシャットアウトして、私が望むことだけに専念しておりましたら、やはり、なかなかよろしい一日になりました。「90点」があげてもいい一日になったかな。

 だから日ごろから言っていることの正しさが証明されるんだよ。自分の望まぬことをして大成する奴はいないって。しかもである。夕方になるまでもが、今日はなかなかよろしかったんだよね。こんな大雨になるにもかかわらず、ちょっと止んでる時に、屋外の用事はきっちりできたし。

 ちょうどこのタイミングで出てくるのがベストと思っていた探し物は、ぴったりのタイミングで見つかったし(見つかるのが早すぎると、それはそれでペースが乱れる)。はい、結構な一日でございました。ついでに明日からすべきこともちゃんと定まったし。

 しかも夕方の締めくくりは、お酒を一滴も呑まなかったのに(これから呑むけど…笑)、酔っぱらうくらい焼肉を食ったし(旨かった~~~‼‼‼)。あとはあっさりと、寿司でもつまみながらお酒をいただけば、今日の帳尻は合ってしまいます。

 なかなか発芽しなくて、イラつかされていたジャガイモも、だいたい芽が出たみたいだし。トマトもセロリも、毎日見てるから気がつかなかったけど、植えた時の倍くらいにはなっていたみたいだし。大雨なのに、なぜかしら上機嫌という、不思議な今日のエンディングでございますな(ちょっとだけ、まとめておかなければならないことがあるけど。まあこれは明日のために・その1…左ジャブ的なことなので)。

 そうそう、お山から連れ帰ったヒキガエルのオタマジャクシくんたちも、全員がお元気で、泳ぎまくっております(エサはすでに投入しているので、しばらくは私のすべきことはない。水がなくならないように気を付けるだけ)。

 周囲が万事順調なら、ついでのことに私の人生も順調になっていかないかな、と思うだけでございます。

 それはさておき、無意識のうちに快く疲労しておりました。手を休めると、すぐに睡魔(swimmerではない。プールや海岸で喧嘩すると、swimmerに襲われることがありますが、まだちょっと時期的には早い)が襲ってくるので、ほどほどにして寿司食いねえの世界に入っていきます(食いながら、まとめられるところはまとめよう!)。

 明日もこの調子を維持していきたいもんですな!

2018年4月23日 (月)

片付け

 片付けは疲れる! とりあえず、今取り組んでいることの10分の1のうちの、さらに三分の一くらいに目途がついて、次の三分の一に取り掛かろうとしたら、資料がそこいらに散らばって、どこに堆積しているのかわからなくなったので、珍しいことに(本っ当に珍しい。何か悪いものでも食ったのではないかと、自分で心配になるくらいだ…笑。悪いものは食ってません! 季節の息吹を感じるものは、たくさん食べておりますが)、ちょいと片付けてみようかと思ったのだ。

 堆積物を掘り返してみると、記憶からも消えていたものが続々と出土する。大切でないものも多いが、大切にしなけりゃならなかったのに忘れていたものも出土する…デボン紀中頃の地層からも、色っぽい資料が出てきた…わけねえだろ!。なかでも、私が大好きだった(忘れていたわけじゃなかったんだけどね)DVDが出てきたり、書籍が現れたり、CDが出てきたりして、大変だ。

 今再会するということは、今もう一度見直し(聞き直し)しなければならないことだと解釈しているので(同様に、今会わなければならないはずの人間が、約束をすっぽかしたりすると、会うべきではなかったのだなと考えるようにしている。もしその人が私に会うべきなのに、約束をすっぽかしていたとしたら、当然その後の人生に、ある程度の影響が出る可能性はある。でもそれはその人の人生であって、私の知ったことではない。悪しからず。自分で選択した人生なので、勝手に苦労してください。もうそのことで、私のほうから積極的に時間を取ることはありませんから。私に会うよりも重要なことがあったのだと解釈いたします…なんか怒ってる? さあてね?どうだか知りません。私も、そんなに暇な人生を生きてるわけではないので… まあ、片付けるって行為が、何かを象徴しているような気がしなくもありませんが…笑)

 おかげで私は、自分の人生的に重要なことを、いくつも思いだしてしまいました。もしかしたら他人のことにかまっている余裕なんてないと思うに十分なことを思い出したのかもしれません。なにせ今日は、出土物を見て、滂沱の涙を流したくらいだから。(おかげで、ブレの修正ができそうです)

 ということで、今このPCの周辺は、足の踏み場もないくらい散らかっているけれど(最重要なものは、ほとんど整理いたしました。この状態で散らかっているのは、割と気楽。最悪、全部捨てればいいんだから)、気分は軽くなりました。片付け大苦手の私にしては、上出来だったかも。一番片付いたのは、「自分の心」だったからね。

 ということで、明日からまた、突撃できますよ、自分の目標に向かって。(陸上競技短距離に例えれば、スタ・ブロをセットした状態に近いですね)あとは平昌五輪の小平選手みたく、スターターの質の悪い妨害にもめげず、自分のレースをするだけのことですね(だから心が軽いのかも)。

 今夜の仕事は、足元に散らばっているものから、有用なものと不要なものを選別するだけでございます。あと、私の右手20㎝のところにある棚の、一ブロックに何を配置するかを決めるだけですね(これの選別には手こずるかも。なにしろ私が最も頻用することになるものですからね…昨日までは点鼻薬と目薬だった…笑)。

 面白いことに、片付けと同時に、次にやるべき作業に必要な資料は、すでに私の手元に並んでおります(あとCD1枚発掘すれば、今晩中にでもスタートできます)。今回くらい、「片付け」の効用を感じたことはございません。

 今まで大っ嫌いだった片付けが、好きになりそうでございます。ただし、私にとっての片付けとは、フォーメーションを変えることに他ならないように感じていますけどね(これは厳密には、「片付け」ではないんでないかい?)。

 明日の夕方は、大切な呑み会なので、私に連絡しても、敢えてシカトいたします。悪しからずご了承くださいませ。

2018年4月22日 (日)

欲求不満(笑)

 F]さんところのイチゴショートは旨い! ということで、帰って参りました。あ~、眠た!もうじっとしてると寝ちまうんぼで、大急ぎで打とう。

 このところ、寝てなかったもんね。睡眠不足が重なっていた。よくもまあ、ハンドル握ったまま、寝なかったもんだ。(忙しい時には、よけいにいろんな用事が重なるの原則通り、いろいろと重なっておりました)

 明日は月曜日なので、しっかり寝てやろうと思います(笑)。もしおきて来なかったら、死んでいるんぽで、その時は蝋燭の一本でも、よろしくお願いいたします(我が家は一応、神道なので。間違っても蝋燭を持ってデモらないように…笑)。人はいつ、何が起こるかわからないからねえ。

 まあ忙しかったおかげで、いい具合に身体が絞れてますけどね(体重は変わらないので、理想的な絞り方ではないかと思っております)。これで疲れがとれて超過回復が起これば、さあ、なんでも来いっ!ってことですね。問題は、果たして疲れを取る余裕があるかどうかってことですが。

 まあ、なんでもいいや。今日はさすがに早めに寝よう。明日が怖いから。睡眠不足でいい仕事ができるわけがない。睡眠十分、栄養十分、欲求若干不満が、最もよい仕事に適した条件だと、私は思っておりますからね。

 欲求が不満していないと、行動意欲が失せてしまいますから、若干は不満気味がよろしい。不満が過ぎると、行動が建設的ではない、破壊の方向に向かいますから、過度の欲求不満はよろしくございません(そうならないように、ちゃんと欲求不満を最低限度は抑えるような努力はしてますが…この行為中に近づくと、安全は保障できかねます…笑)。

 ということで、本日は思考するのも面倒なくらい疲れていますので(よく家までたどり着いた…笑)、早々に切り上げます。はい!

2018年4月21日 (土)

四月なのに夏だ!

 夏である! 旧暦四月でもないのに、すでに夏である。あまりに暑苦しいので、マスクをしていられなくなった。花粉や黄砂よりも、熱で死にそうだからである。もちろん、身体を夏仕様に変えようとは思っていたのだが、あまりにも早い。

 今年は「春はなかった?」のね、きっと。寒い冬から、いきなり夏になったって感じで、「移ろいゆく季節」ではなく「ワープする季節」だったわけだ。春が好きな人は、きっと残念だったに違いない(ちなみに私は春生まれだが、秋が好きである。夏にどっぷり汗をかいた年の秋は、長ければ長いほどうれしい。体調が上がっているからね)。

 花も季節の変化に遅れまいと、大急ぎで咲いている感じである。昔から「慌てる〇〇は、もらいが少ない」などと言うが、自然界では一般的に、早いものが生存競争に勝ち残ることが多いので、少々のフライングはものともせず、ロケットスタートしたに違いない(今、ベン・ジョンソンさんは、どうしておられるのでございましょうか)。

 自然界が若干おかしなことになっているのは、気づく人はみな気づいているんではないかと思うけれど、地球全体からみれば「僅かな変化」に過ぎなくても、生物には致命的なダメージとなることが少なくないから、ちょっとばかし注意深くしなければならないね。まあ、自分だけが生き延びてもしょうがない話だけど。

 よくあるじゃない、「▽▽の大洪水」だなどというのが。その一家だけが生き延びてどうすんの?と不思議に思う神話だ。近親交配は今では法律で禁じられているけれど、必然的にそうする以外なくなってしまうと、やっぱ種族としては致命的なダメージが出るよね。

 ちなみにペット業界(言っとくけど、人の世界の話ではないよ)では、近親交配は当たり前のように行われている。植物なんかでも当たり前のように行われますね(もっとも植物の場合には、栄養生殖が可能なものもございますな)。こうしないと品種を固定できない面もございます。

 植えたはずでない別系統の形質がどど~ん出てしまったらと、クレームがつくこと請け合いですし(笑)。品種の固定には、近親交配は欠かせない技術であろうと思います。

 私も昔、熱帯魚のブリーディングに凝った頃、やりました。何故かというと、そう頻繁に別系統の個体が手に入らないから。で、二世代、三世代経過していくうちに、子供ができなくなったり、中には雌ばっかり(水質が悪いためではなく)とか雄ばっかりとかいうのがありましたね。「どこかよそから彼女(または彼氏)を連れてきてくれえ~っ!」と言ってたんでしょうね。

 不思議なことに、別系統の異性を与えると、あっという間に繁殖力が回復してしまったのには驚きましたね。いや、自然界は面白い。 

 グッピーなんかだと、卵胎生で稚魚を産むのが当たり前なのに、近親交配を繰り返すと、卵を産むようになったケースがございました。もちろん卵は孵化しません。で、全く別系統の、これまた近親交配を繰り返して、頭打ち状態になったのと掛け合わせたら、びっくりするくらいきれいな子が、山盛り生まれたことがありました。

 あまりきれいだったので、こいつを固定しようと、また近親交配を始めたのですが、F2になると見事に先祖返りいたします。それでも繰り返すと、運よく形質の固定に成功したケースもありましたが、たいていはほどなく頭打ち状態になりましたね。

 教訓:神の領域に足を突っ込んではいけない!(少なくとも私程度のレベルでは…笑)

 とはいうものの、ここまで暑くなると、ヒーターなんか不要になるので、ベタだとかグッピーだとかは、放置していても殖えるようになります。こうなると、悪い血が騒ぎだしたりして…笑。

2018年4月20日 (金)

辞任要求だと?

 いやあ、よく動いた一日でした(笑)。帰宅してその後、また倉敷まで言ってくるという、念の入ようでした。おかげで美味しいコーヒーと、パンにありつけたけどね(笑)。

 で、考えてみて、おいおい、今日の飯、まったく準備してないじゃないか、と気がついて、今作り始めました。食は大切です。生きるために食うのか、食うために生きるのか、その辺があいまいですが、なににせよ食を軽視してはなりません。

 で、3分で作れるレシピを豊富に持っている私としては、ご飯が炊けるまでの間に、ブログを先にすませちゃおうと思い立ちました。飯食ったら、お腹の皮が突っ張ると、目の皮がたるむの法則で、眠たくなってしまいますからね。

 さてさて、私としてはかなり充実した(内容はともかく、時間的には)日々を送っておりますが、永田町界隈ではまたしても、「辞任要求」などと喚いているようでございます。「辞任要求」する以上は、その次の適任者がいて言っていることなんだろうかねえと思います。

 責任追及だのなんだのと、責め(攻め?)ばかりに狂奔しているように見えてしまいますが、後任が無能だったら、辞任要求をた人間に、国民から辞任要求すべきではないかと思ったりいたします。

 その「責任追及」言動は、責任を持ってやってるのか? ただの反対のための反対だったり、世界情勢に対応することの足を引っ張るためだけの責任追及なら、責任追及した人の責任を追及せねばなりませんな(笑)。

 同様に「辞任要求」の言動が、有望な後任を準備せずに行っているとしたら、「辞任要求」した人に辞任要求しなければなりませんな(爆笑!)。

 私は「ど真ん中直球」の人だと、自分では思っているけれど、右から見れば左に見え、左から見れば右に見え、上から見れば下に、下から見れば上に見られる、損な存在でもあります。

 ただね、心が真ん中でブレナイことを「中」の下に「心」と書いて「忠」というわけでございまして(この字義は、長い封建時代の中で、本来の意味のごく一部分だけが強調され、今ではそれがあたりまえのように思われているようでございます)、とても大切な徳目の一つなんですな。

 他者を貶めるために、カメレオンのように変色したりしている人は、「忠」からはほど遠い存在と言えましょう。ましてや、優先順も判断できず、出鱈目に非難ばかりして(自分が非難されたら、けっこう逃げ回る癖に)いる人間の言葉は、一切信用できませんし、将来的にも信頼するつもりはございません。

 まあ大物さんなら、こんなしょうもない意見は「無視」で十分だと、私は思いますね。ただ辞任しちゃった財務省の事務方の人、この人は、ちょっと救いようがないわな。テープの言葉の内容を聞いたけど、はっきりいって「恥ずかしい」を通りこして「痛い」。こんな人に国の財政を関与させるのは、さすがの私も首を縦にはふれないよ、悪いけど。

 先日書きましたよね。「信」って字は「イ」に「言」ではなくて、「イ」に「能」と書いて、信の意味を持たせた方がいいって。後任の人も準備しないで「責任追及」だの「辞任要求」だのという人には「イ」に「無責任」と書くべき存在ではないかと、私は思います(大笑)。

2018年4月19日 (木)

庭の神様(春篇)

 まことによいお天気なのであるが、鼻水とくしゃみが止まらない。ピークを越えたとはいうものの、やはりまだまだのようである。先日など、山が見えないくらいだったからね。

 晴れると嬉しいけど、空気中の細かい塵も、たくさん飛びますからね~。あと水やりなんかも大変です。世の中、良いことばかりではございません(だからと言って、悪いことばかりでもない? でも悪いことの方が多そうな気がいたしますけど)。

 おお、そうだ! バケツに置き水しとかなきゃ。外の水溜りの水がかなり減っている。天然の池や湖と違うのは、水が減れば、私が(我が家の庭では、神様たる私が!)バケツを持ってって水を増やさなければならない。神様は疲れる~

 神様ついでに、先日の旧暦七草の時に採取してきた植物を、バケツに入れたまま放置しておきましたら、セリは立派になりました。我が家はセリはもう、うぎゃあというくらい生えますので、誰かに進呈しようかと思います(もうお一方にはあげました)。栽培の仕方によっては、食べやすくもできますし、栄養価を高くすることもできます。希望者を探そうっと。

 でそのバケツを見ると、あら珍しや、ボーフラが湧いておりました。私の蚊嫌いは徹底してますが、ボウフラは刺さないので、どってことないです。「グッピーが喜ぶぞ」と思うくらいで。網で全部掬って、グッピー水槽に入れましょう。

 グッピーという魚はかなり貪欲なので、ボウフラを入れると態度が変わります。一気に活性化しちゃうんだね。夏になれば、グッピーを入れていくのですが、まだ気温の上下が激しいこともあるので、今はボウフラを掬いましょう。我が家ではこれが「神の采配」なんですわ。夕方入れたら、今日の夜を越えて生き延びるボウフラは、一匹もいないと確信しておりますよ。

 先日山道をうろうろしていたら(じっとしてないね、この神様は)、ハゼの木やウルシもバンバン目が出てますね。私は何にでも負けてしまう軟弱な体質なんですが、ハゼとウルシには強いらしく、いまだにかぶれたことがございません。

 一度など、崖から落ちそうになって、しがみついた木がウルシだった、なんて面白い話があります。いくらなんでも、こりゃあ堪えてはくれまいな、と覚悟していたんですが、何の異常も起こらなかった。

 で、その時に、何かの虫(ブヨ?)に刺されたらしく、右の前腕が腫れていて、痒い。こちらは虫の邪魔をする気はなくても、あちらには「うぜえっ!」と思うことがあったんでしょうね。ま、レンゲ畑にはミツバチがいて、なぜだか靴の中に忍び込み、こちらが脱いでいた靴を履いた瞬間、ちくっ、と(けっこう痛い。もちろんミツバチは死にますが。必死必殺の一撃というやつでしょうね)いうのと同じでしょうね。

 でもなにしに靴の中に入ったりなんかしたんだろう。意外とミツバチは、靴の匂いが好きだったりして(若干、変態的…笑)。ま、木の芽時ですから、少々おかしい奴が現れても、仕方がないことなのかも知れません。

 私にとっては変態的な方向に走るよりも、ひたすら眠いですけどね。

 春眠不覚暁 処処聞啼鳥。夜来風雨声、花落知多少。  孟浩然『春暁』ってやつですね。酒持って来い、てな感じですか。

 とはいうものの、今日はこれから練習なので、そんないい加減なことは言っておれません。お酒は、夜帰宅してからといたします。

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)です。と言ってたら、なんとまあ明後日じゃありませんか!よろしくお願いいたします。

2018年4月18日 (水)

人の言うことは聞くもんだ(笑)

 あれjこれやってて、時間がおしてしまいました。なのに今日は天ぷら(実は昨夜もやったけど、小規模)。いろいろ揚げてたんだよ。で、どこかで聞いたことがあるような気がしたんだよね、「イカは撥ねる」って。

 すっかり忘れてた(わけでもない。その証拠に、しっかりと水分は取ったんだよ)。でも撥ねた。幸い、油」に」投入する直前に思いだし、上を着たのが正解だったかも。眼鏡もきっちりかけてたし(だいたい夕方の練習直後に、酸素負債を払っている状態で夕ご飯の支度に入るので、記憶は曖昧である)。

 イカの凄いのは、どうしてここで撥ねるのかわからないところで撥ねることだ。類をみないよね、どういう反応をするかわからないってとこが。もうグリルの上がわやじゃんか! これを打ったら、ざっとでもいいから、掃除しておこう。

 誰から聞いたのかは記憶にないんだけど、確かに聞いててんだよね「イカは撥ねる」って。まあ普段からジェット推進で泳いでいぐらいだから、撥ねるぐらいは当たり前にやっるだろうね(でも美味しかったよ。多少気分的には、赦してもいいかも」って感じになってきました)。

 では何故いきなり天ぷらかというと、行ってきたんですね。いつもとは違うところだけど、山菜採りに。ついでに我が家の裏庭で退治した蕗も、大量に食っちゃった。一年のこの季節は、山野草の偏食になってしまいます。みんな、どっと出てくるから。

 でも、世の中には、ウルシとタラの芽がわかんない人もいるし、コシアブラと、雑草との区別がつかない人もいるし、コゴミをイヌワラビの区別もつかない人もいるわけで、この時期「偏食のススメ」なんて無責任なことは言っておれません。一つ間違うと病院送りだから。

 人を叩いて(ある程度鍛えたもの同士の試合で)病院送りは、そんなに簡単ではないけれど、毒草食わせたら、病院送りは容易だからね。ちゃんと見分ける目が必要です。(それでも食べ過ぎれば、保証はせきませんが。食べ過ぎたら、どんなものでも身体にいいわけがないけど…笑)

 感心な人の中には、見ず知らずの人にまで尋ねる人がおりますな。こえは日本ならではの光景じゃないかな。すべての人が、善意を以て、正しいことを教えてくれるかどうかはわかりませんもの。

 でもまあ、人の意見は聞いたほうがいいです。聞かないよりは。騙されるか、騙されないかは、当人の眼力しだいですからね(笑)。

 ※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)です。よろしくお願いいたします。

2018年4月17日 (火)

無信不立(信なくば立たず)??

 やあれ、今日はよく動いたぞ。自分で自分を褒めてやりたいくらいだ(基本、私はこの言葉があまり好きではないのだが…自己満足する奴に向上なし!)。ふうふう言いながら帰宅し、なおかつ稽古に勤しんだら、広背筋が細かく痙攣を繰り返している(一昨日までは大胸筋だった)。

 甘えたことを考えている筋肉は、いまのうちにしっかりと驚いて、痙攣でもなんでもしときなさい。今にそんなことなんか言ってられないくらいに、搾り抜いてやるから(あまり気持ちはよくないけどね。特に寝る時は)。

 いまだに「信なくば立たず(無信不立)」などという、孔子か何かが言ったことを真に受ける奴がいる。お笑いだ。だいたい「信」という文字を見てみなさいよ。「人」が「言」うと書いてある。人が何を言うかは、その場の状況や、自分の利害損得で変わるもんじゃないか。

 確かに「言」という文字は、「口」の上に「辛」が乗っかっている。「辛」は古代の罪人に入れ墨を入れる刃物を指すんだそうな。口の上に刃物が乗っかかれば、そりゃあいろんなことを口走りますわいな。「信」という文字が一番「信用」できない文字だったりして(笑)。

 本当は古代から職人は、言葉で弟子に神髄を伝えてきたので、弟子としては「人」が「言う」ことを信じて、修業するしかなかった、的な解説が、中国の本に書いてありましたが(笑)。

 私だったら「イ(人偏)」に「能」と書いて、信用の意味を持たせたいね。どんなに誠実な奴でも、危機に臨んで無能であれば、使い物にならないからね。人は自分の思うように生きることができるのが、一番幸せなんだ。完全に思うようにはならなくても80点なら「優」をあげたい。70点なら「良」、60点ならば「可」なんじゃないですかね。

 自分が何とか生きていけてるのに、わけのわからん理想(?)を掲げて、それにそぐわないから「不可」ってんじゃ、あまりにも子供過ぎませんかね(だからといって、私は理想の追求を否定はしない。人は理想を追いかかけているから、進歩すると思っているし。でも理想どころか、生きてくことが大変な国だって、そこいらじゅうにあるんだからね。日本から一歩外に出てみればわかるよ。理想を追いかけ過ぎて現実を見ず、ドツボに嵌るなんてのは、よく見かけることだ)。

 私はどちらかというと、「理想」追求派だと思う。大学時代、先輩にも言われた。「お前は他人に厳しいが、自分にはもっと厳しい(大変な褒め言葉でございます。でもねえ先輩、私は自分にはこれでも緩いと思ってます。で、自分が根性なしだと羞じてますからね)」何故厳しくなるのか、理想を追っ駆けるからである。でもね、大事なことがあるんです。

 こんなボンクラの私なんかでも「理想を追求させてくれる環境が与えられている」ってことに、実は最大限の感謝をしてるんですよ。その環境を作り出してくれている人々みんなに対してね。(口では辛口の言葉を吐く時があっても)人は一人では生きていけないってことを痛感してるんですよね。

 だから私は、私のこんな生き方を許してくれる世の中を形成する人たちには、最大限の感謝をしていますよ。逆にこの社会を破壊しようとしている人たちは、悪いけど嫌いです。私の望む生き方ができなくなるかもしれませんもんね。

 社会正義まがいの事柄を振りかざして、(御自分も清廉潔白ではないにもかかわらず)、他者を貶めようという人の中でも、今の日本社会を崩そうとしている人は、嫌いですね。そういう人たちを税金で養うことには、反対です(少なくとも私の収めた税金は使わないでもらいたい)。

 清廉潔白そうな意見で他者を非難はするけれど、いざ責任を持たせたら出鱈目しかできない人は信じません。何故か?無能だからです。「信なくば立たず(無信不立)」ではなくて、私に言わせれば「能なくば立たず(無能不立)」です。

 実際に行動するのは大変だけど、言うだけならタダですからね。だから無責任な発言になるんだけど。もしも発言する時に、口の上に刃物があると思ったら、好きなことが言えますか? 覚悟がなきゃ、本当は言っちゃいけないのかもしれないんですよ!

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)です。よろしくお願いいたします。

2018年4月16日 (月)

嗅覚が少し戻ってきた(わーい!😃)

 ようやく、少しは嗅覚が戻って参りました。はあああ~~~ もうひどくならんでよ。それでもまだ、鼻づまりは治ってないからね。これでようやく「峠を越えた」と言えるんですわ。(峠を越えたと思ったら、また峠ってこともよくある話なんで、決して油断はできませんが……)

 で、少しは下を向けるかなと、夕方、裏庭の蕗を刈っておりました(もちろん、食用にします)。これで裏庭への通路が、なんとか開通いたしました(おめでとうっ!)。ところが蕗を刈っているつもりでも、当然蕗だけが生えているわけではありません。他の植物もあるわけで、雑草ならば捨てちゃうわけですが、ミツバだとか、ニラだとか、我が家では雑草化しているわけで、これも一緒に刈ってしまうことがあるんですな。

 するとどうなるか。簡単な話ですが、夕ご飯のおかずが変わります。食べようと思っていたものが急遽変更され、意図せずして刈り取ってしまったものに合わせてしまうんですね。ああ、今日も食べ過ぎた(げっぷ)。

 裏庭の進入路が開通したとは言っても、そろそろミョウガが芽を出したしなあ。私はミョウガというものが大好きでございまして(だから物忘れが激しい?)、花芽を食べますが(もちろん!)茎のほうもいただきます。みなさんわりと茎の芽の食べ方をご存じないようなのですが、洗って生で酢味噌か何かにつけて食べると、けっこう美味しいです。(友人のK氏名が食べ方を知らないと言ってたので、今度持ってってあげる約束をしております)まあ、あまりたくさん食べるものではないけれどね。

 セリはもうそこいらじゅうに生えまくっていて、これを食べる気力が湧かないくらいあります。もとは岡山市内某所の田んぼの畔に、ほそぼそと生えていたのを、「こんなところでは、いつ絶滅するか知れたもんじゃない」と持ち帰り、我が家に帰化させていたんですね。原産地ではすでに畔はコンクリに変わっており、予想通り絶滅してしまいました。我が家で生きながらえてますが、私が最初に見かけた時の何十倍もの量に殖えています(一時、我が家の庭が、表も裏も占拠されたことがある。この時、アゲハの幼虫がセリを食べるのを、初めて知った)。

 まあ、セリのおかげで、サンショウが助かるって部分があるので、セリをやっつけようという気にはなりませんけどね。(このサンショウも、山から小さな苗を持ち帰ったもので、アゲハはHCで売っているサンショウの何倍も好きみたいです)なにしろ私もサンショウが大好きで(アゲハの幼虫のライバルか?)、早く巨木にならないかと、期待しているんですから。(防虫ネットかぶせなきゃ。去年、予想よりもハイペースで成長されたので、、防虫ネットが足りなくなってしまいました)

 おお、そうそう。今年は昨年にもまして、ドクダミをやっつけておりますが、するとスズランが殖えた。やっぱりドクダミがスズランを抑制していたんだ(ドクダミの方が、ほんの少しだけ早く芽吹きます。で先んずれば人を制すというやつだったんでしょう。昨年から見つけ次第、私が駆除してます。するとスズランの芽吹く範囲が広がったみたいです。蕾もたくさんつけています。毒草だけど、可愛いから許しちゃう…耕作地に侵入したら、専守防衛が機能し始めますが…笑)。これからますます植物の成長が速くなるので、気が抜けません。

 と思って水槽の中をひょいとのぞいてみたら、お腹がパンパンで、今にも産卵しそうな子が何匹も泳ぎ回っておりました。どうせ我が家で産まれた子たちなんで、我が家で産まれて、我が家で育って、我が家で産卵して…… を繰り返すわけです(このあたりが「あたしゃ、神様だよ」と言う所以なんですけどね…笑)。

 そとの水溜りを見ると、チョウセンブナが愛想のいい顔を見せてくれるし(この子も、我が家で産まれて、我が家で育ち、我が家で産卵するか、させるかして…の繰り返しでございます。屋内で飼育するよりも、屋外で飼育した方が、はるかにキレイになるので、我が家では屋外で飼育しておりますが。でもどうしてみんな、チョウセンブナが繁殖しないなどというのでございましょうか? 放っておけば…雄雌さえいれば…殖えちゃうもんなんですけどね。ただチョウセンブナは喧嘩をしたりしますので、飛び出して死ぬことがあります。飛び出さないような工夫だけは必要だといいますけどね…うちではチョウセンブナが飛び出して死んだことは、今までは一度もないけど。放置していて、自然環境に近くしているおかげでしょうか)、イモちゃん(イモリ)も「エサくれえ~っ!」と追っかけてくるし、スズメは朝早くから「飯まだ? 飯まだ? 飯まだ?」と騒ぎやがるし(ちょっとうるさい時もございます)。

 よかったのは、やっぱりノラの存在かな。おかげでまったくネズミの害がなくなってしまいました。ネコが来ると鳥が逃げるとは聞いていたけど、鳥はネコがいないときに、素早くきて、素早く食べて、素早く対応しているみたいです。翼のある奴は便利だね。

 さてと、これを打ち終わったら、蕗のあく抜き作業に入ります。なんやかやと、忙しいもんです。花粉症が、少しは軽くなったのが、とてもうれしい今日でございます。

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年4月15日 (日)

契約ウェイト

 はい、よっこいしょっと。いやあ、村田選手って賢い人ですね~。井岡選手も賢かったけど(残念ながら引退されてしまいましたが、私はその引退ぶりまで賢かったと思っています)。

 ファイティングスタイルってのは、様々な要素が絡むので、一言で言うことはできないけれど、インタビューの受け答えを聞いてて、この人、頭いいんだろうな~って思いますね(学業成績は知りません。学業成績が頭の良さの証明ならば、今の国会はどう説明すればいいんだろうか…爆笑)。

 比嘉選手、軽量に失敗した段階で、この試合展開は予想してました。案の定、動きが鈍かったもんね。まあウェイトオーバーは、プロなんですから、やっちゃいけないことなんですけど、軽量時の写真が新聞に載ってたんで、私は責める気にはなれなかったですよ。一般人なら立ってるのもつらいんじゃないかと思うくらい痩せてたもん。

 あれで0.9㎏オーバーなら、そりゃあもう一度測っても、その間に0.9㎏も落とせませんて。体脂肪率数十パーセントの人のダイエットとは、次元が違うからね。

 私は自分が現役の頃から、「ボクサーってすごいよね」というのが口癖だった。試合で戦うだけなら、たいていの人ができると思う(やりたくない。きらい。だからやらないというのはありますが)。でもあそこまで体重を絞って、それから動くとなると、大変なんですよ、実際。

 昨年、私は17㎏を2か月で落としました。年齢(まだ830歳にはなっていない)的には、けっこうよく落としたのではないかと思います(本当は、もっと落とせたんだけど、知り合いにダイエットやり過ぎて死んだ人がいるので、慌てて急ブレーキをかけました。具体的にいうと、中国に遊びにいって、暴飲暴食をし、帰国後も食べた、呑んだ…笑)。

 でもねえ、ほんとのことを言うと、身体は軽くなったけど、パワーがなくなっていた。第一集中力が落ちた。サンドバッグ叩いたり蹴ったりしているときも、サンドバッグの重さに負けていた。で、暴飲暴食のおかげで、現役時代の試合に出ない頃の体重に戻った頃から、腰が据わってきた。「おう、だいぶキレが戻ったな」と、自分でも感じましたもん。

 つまり、いったん落とし過ぎて、それから数㎏戻った時が、一番調子が上がってくるんですね(実は、今がその体重。どうりで動くはずだ…笑。昨年の秋の終わりから今まで、ほとんど変わってません。これが正しいダイエットのやり方だと、私は信じていますけどね)。いわゆる「超過回復」ってやつで。

 今年も、多少はダイエットすると思いますが、もう昨年のような大規模なことはやりません(必要ないし、万一やれば、今度は間違いなく健康上に問題が出ると思う)。だたやり方は同じ。ちょっとやり過ぎて、少しもとに戻すというやつ。

 ボクサーも、計量にパスすれば、試合当日までは何をどれだけ食べても構わないらしいけど(食べ過ぎると、動けなくなるんだそうな。こうなると拳だけの争いではなくて、まずは自分の体重や、体調との戦いですね)、ここで超過回復させるんじゃないでしょうかね。

 でもなあ、今日の比嘉選手の試合を見てて思ったよ。きっと、それすらやらなかったんじゃないかな。どうせタイトルは剥奪されたんだからと開き直ることは、出来なかったんじゃないかな。もしかして、ものすごい真面目な人?

 ちょっと前にそんな海外のボクサーがいたじゃない。軽量の時も何かを食いながら現れて、バンバンのリミットオーバーで、3階級くらい上の体重で試合した奴が。ルールで厳しく制限されている競技ほど、こういった条件による差は大きいんだよね。

 減量がきつかったら、辞めるか、階級を上げるしかなくなりますよね。でも階級を上げることが、一番なんじゃないかと、私は思いますよ。体重って今のダイエットばかりが重視される世の中では軽視されていますけど、必要だから体重があるんだし。

 その人として必要な骨格、筋肉、内臓、脂肪、その他が体重を形成しているわけで、その理由も考えないで、ただ落とすことしか考えなければ、最終的には生命を落とすことにつながりますもん。

 ちなみに昨年のダイエット、中国に行った時には、半数の友人には叱られた(太り過ぎだとかつて笑った奴にまで叱られた…どういうこっちゃ?)。日本の知り合いの中にも、やりすぎちゃう?という目でみてくれた人がいた。

 こういう友人がいることが、有難い。だって私自身、「ちょっと落とし過ぎたかな」と思ってたもん。

 特に試合に出るための契約でもないのに、体重を落とせばそれで健康なんて、ろくに運動したこともないような人の意見は、たとえそれが医者であっても、聞く必要はありません。彼らは健康の何たるかを知らないのですから。

 一番よいのは、一番動きやすい体重。自分の生活が快適でいられる身体でいることでございます。ただ軽ければいいってもんではありません。だからいつも一定の体重でいる必要もないんです。その時の要求に応え得る体重でさえあればいいわけで。

 でも試合時の契約が体重で、まだよかった。これがもし身長だったらどうするのだろうか。試合に合わせて足でも削る? そんなわけにはいかないからねえ…笑。

 比嘉選手。今回はとても残念でしたが、リベンジ(同じ階級でなくてもよい)を期待しています。

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)です。よろしくお願いいたします。

※※ そうそう、今日の夕方、草抜きをしていて、両生類の繁殖に使えそうな容器、もういくつか発見しました。これはやる気になったら、2000匹~3000匹までは殖やせるかも(そんなに殖やしてどうする? というのが、正気な人のご意見だと思いますが…笑)

2018年4月14日 (土)

お目覚!

 夕方から雨である。今日は庭木の消毒を、すっぽかされた(忘れてんじゃねえの? 本当は先週のはずだった。風が強かったので、今週に延期になっていた)。まあ雨が降ったことだし、なんらかの必然があるのでしょう。

 おかげで夕方の練習は途中止め。水槽の水替えに変わった。魚たちにとっては(もしかしたら)恵みの雨? でっかいメインタンクの小水替え(大水替えするには、よほどの覚悟がないと。雨降りだしたからって、思いついたようにやるわけにはいかない)まで始めた。

 水槽の壁には、べったりと藻類が付着しているので、これを取らないと中が見えない。(見えてびっくり。魚は巨大に成長していた。どうりで最近、水槽を叩く音…肴が驚くとぶつかる音…が尋常じゃないと思ってたんだ。水槽を壊しても、次はないからね。壊したら、陸上生活をしてもらうしかない…こうして魚類は両生類に進化した?…わきゃないよね!)

 なにしろ冬の間は、水替えをするだけで、こちらの体調が崩れるほどの重労働になるので(よくもまあ昔は、一年中、毎週一回はやってたもんだと。若かったのか、忙しいと言っても今よりは暇があったのか、それともそんなことすらわからないほどのアンポンタンだったのか…全部が当たっているかも)、冬じゅうはサボりまくっていた。

 メダカが産卵しそうな水温になって、やっとこちらも始動である。(メダカの水槽では、浮草がいっぱい増えていたので、捨てました。メダカもやっとメダカらしく、水面近くで泳げて、けっこう気持ちよさそうでした)。外の水溜りは、基本、水替えは行いません。(自然界の池や沼と同じような濾過システムを作って…最初そうなるようにセットしておけば、あとは半ば自然になっていきます。植物相の遷移による、湿原の変化と同じですね。ただ、ある程度底に泥が溜まると、数年に一回くらいの割合で…よほど気が向いた時に…掃除することはありますが、後は足し水だけ。今日のように雨が降りだすと、知らん顔をしています…笑)

 で、夏になるとボウフラが湧くとお思いでしょうが、これが湧かない。魚が全部食べちゃう。我が家で湧いて困るのは、トンボのヤゴでございます。各種トンボが産卵していきますので、各種ヤゴがうじゃうじゃおります。

 以前、重くて移転させられなかったとき、ひっくり返したら、出るわ出るわ、うじゃうじゃとヤゴが這いまわりました。気の毒なので移転先に転居させましたが、ヤゴは魚の天敵なので、こいつには要注意でございます。ま、夏とか秋とかになると、庭の上空にトンボが群れて飛ぶ家だから…近所にはそんな家は一軒もない…しょうがありませんが)。

 Tさんのゲンゴロウの幼虫のエサに進呈しようかしら(なかなかゲンゴロウの幼虫はグロいですよ!最近、激減して、滅多に見ることはできませんが)。この手の生物は、私や、Tさんのような、一部のマニア…変態とも?笑…のところでしか見ることができなくなるのではないでしょうか。

 ちなみに私は水生昆虫には興味がございません。殖やす気なんてさらさらありませんが、私が子供の頃の環境を再現した水溜りを作っているので、勝手に生物が寄ってくるだけです。とくに昆虫は羽があるので、飛んできますからね、どこからともなく。たんなる少年時代へのノスタルジーなのかも知れませんけどね。

 今年は(わりと)勤勉に雑草を取っているので、ひょいと見たら、スズラン(見た目は可愛くても、毒草です)の生息域が昨年の倍以上に広がっておりました。こいつは試合で行った北海道で買ってきたもので、岡山産ではありません。ユリも何種類かあるけれど、門から入ってすぐのところにあるのは、実はスーパーマーケット(SM)で売っていたゆり根を、試しに植えたら鼻が咲いちゃって、我が家に居ついてしまった奴です(食品として売られているゆり根は、ほとんどが北海道産なので、たぶん北海道のものでしょう)。あとはたいていが県内産かな(野菜以外は)。

 移植した時は、いちいち出向かなくても、家で見ることができたら、という横着気が理由だったのですが、今となっては原産地が開発されてしまって、一本もなくなってしまっている場合が半分以上なので、あの時(出来心で…犯罪になるものは移植しておりません。ご心配なく)移植してよかったと思っていますよ。

 春になって、そろそろどの子も芽吹いてくるので、これを見るのは、けっこう楽しいものです。「よっ、今年も会ったね!」なんてね。旧友に会ったような気がいたしますね。ただし、雑草の駆除が、なかなか大変だけど。

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年4月13日 (金)

あく抜き

 眠てえええっ、と思ったら、よく考えてみたら、昨夜(今朝?)はほとんど寝てなかった。こりゃ、眠たくない方がおかしい。

 さて、なんで寝てないのかというと、昨夜、いつも通り、遅く帰宅いたしました。それから収穫した裏庭の蕗を処理いたしまして、あく抜きまでもっていきました。で気がついたらヤバい時刻だったので、風呂に入りました(汗かいてたし)。

 それから、普段読まないタイプの本を読んでいたら、朝でした。で、きっちりお出かけしまして、あれこれしていたら、けっこうな時刻になっておりました。帰宅後、ふと「そういえばあく抜きしてたっけ」と、蕗さんをみて、食べれる状態にまでもっていきました。一晩中あく抜きをしていたので、アクは抜けているはずだし。

 当然、夕食にはこれを食べたんだけど(今日は8品も作ったぞ…これは疲れている証拠。正常な意識がどこかへいってしまって、ものを見たら、取りあえず調理してしまう。本人の意識とは関係ないんじゃないかと思います)、なんと蕗のあくが抜け過ぎていた。

 この季節、山野草をいただく機会が多いわけですば、やはり山野草には、それらしい風味(っていえばカッコいいけど、ようするにある程度のあく)がなくなってしまってはいけません。そのへんの野菜と同じになってしまいます。こいつをやらかしちゃったんだよね。たとえば蕗なら蕗「らしさ」がないと(それなりに食えたんだけど、私には物足りなかった。蕗の苦手な人になら、受けたのかも)。

 どんなものでも、特徴を見れば、原点が何かわかります。たとえば犯罪なんかでも、同じ人の犯行であれば、かならず共通点があるわけで、警察なんてのは、こういうことを研究しているはずだから、すぐにプロファイリングされて、「これはこいつの犯行だろう」なんて、ソッコーで判明するはずなんですよね(特に前がある場合には)。

 世の中で起こる事件なんかでも、同じようなことが立て続けに起こると、これはもう犯人は同一かあるいは同一組織の指示に従っているとしかいいようがありません。ついでにやている事柄で、やっている人の知能レベルもだいたいわかっちゃうし。

 ナントカの一つ覚えみたく、同じようなことをやっていたとしたら、実行犯は別人でも、裏にいるのが同じ組織(人?)だなんて、知的レベルがある程度以上に達した人なら、誰でもわかっちゃいますよね。

 最近の社会を見てて、よく感じます。だいたいTVとか新聞とかをほとんど見なくなったのも、ネタ元が一つだってのを感じたからで、こうなるとその「ネタ元」さんが、どんな事件であっても、自分の都合で操作していて公表している可能性が強いですからね。

 こうなると、大嘘かも知れないわけで。大嘘でいちいち一喜一憂してたんじゃ、自分の人生でなくなっちゃうし。誰かが変にあく抜きをしすぎて、自分好みの味をつけていたりすれば、もとの食材の真価がわかりませんわな。

 もう一つは、どんな食材を調理しても、どぎつい味付けしかせず、食材本来の味がわからなくしてしまう料理ってのがあるじゃないですか。これも、ごんな事件でも、誰かの都合のよい形でした公表しないってのと同じでね。

 文化のある分野での特徴は、他の分野でも同じように発揮されてしまいますからね。で、どうでもいいようなこととか、薄汚いことを美化したりして。でもねえウ〇コを金メッキしたって、所詮は▽ンコなわけで、ちっともありがたくないわけよ。だから見なくなっちゃった。

 灰汁を抜きすぎた蕗ならば、食べられるけれど、金メッキしたウン◇みたいな情報じゃあ、どうしようもないもん。触るだけで汚れる! 

 ま、どこなの国で、いつか起こったようなことが我が国でも起こっていたとしたら、仕掛け人は同じなんじゃないかいね。適度な知能があれば、当然のようにわかることだわいね。これ以上、あっほらしいニュースなんか流さんでね。そうでなくてもいい加減、幻滅してんだから。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年4月12日 (木)

春生夏長秋収冬藏!

 目がしょぼしょぼする。目が見えなくては、大変である。『ラピュタ』のムスカ大佐である。「目が~!目が~っ‼」ということで、地上へ(海上へ?)落下していかなくてはならない。落ちる夢は、最近見ないが、高いところはあまり好きではない。

 一度、香港空港から飛行機に乗って、そのまま眠ってしまい、ふと目をさますと、なんと眼下一万メートルのところに、台湾の棚田が見えた。この時は、思わず声が出そうになった。以来、私は、飛行機では窓際に乗らない(笑)。

 花粉はピークを越えたとはいうものの、連日の猛威である。一昨日だったかも言ったように、上(あるいは専門家)に本気で対策を立てるつもりがない場合、もう民間療法を発達させる以外ない。で、それを世間の一般常識になるまで広める。

 花粉症の患者を、民間の力で「0」にするのである。こうなれば今まで花粉症で儲けていた連中は、干上がる。ざまあかんかんという奴だ。(どうせ新しい病気を作るんだろうけどね。私は最近に何チャラ病、何チャラ症の半数近くは、意図的…お金儲けという…に作られたものだと、固く信じております。病気を増やせばその治療法も増える。治療法が増えれば、それに伴って、儲かる人も増える。それで生計を立てる人が増えれば、立派に文化になる。…病文化でございますな。こんな文化はぶち壊すべきだと思いますね!)

 今年はいくつか、花粉症対策の裏技を開発したが、まだまだ。多少、症状が軽減されるだけで(おかげで、夜眠れないという日はございません、今のところ)、抜本的な解決に至っておりません。「こいつはよかった」とか「治っちゃった」というお話があれば、みんなで持ち寄って、花粉症の解決をやらかしませんか。お上はあまり頼りにならないようですから。(私にとっては「モリカケ」なんかより、はるかに重大な問題でございます。もとより、国政の足を引っ張るだけの議論…というより、難癖の類?…には、興味はございませんでしたし)

 さて、春生夏長秋収冬藏と申しますが、春に植えるべきものを植えてないと、夏の成長もございません。当然、秋の収穫もなければ、冬への蓄えもできません。ということで大切なのは、春植えておくことなんですね。

 ところが植えようとすると、邪魔するのは雑草でございまして、雑草の元気はどこから出るのかというくらいの勢いでございます。この元気をもらうには、雑草を食べるしかないのではないかと思ったりしますが、雑草には有毒のものもありますし、第一、だいたいが不味い。食べることができるにしても、処理が大変だったりします。

 我が家ではまず、モノを栽培するには、その場所を確保しなければなりません。これが雑草との戦いなんですね(笑)。こちらも食べるものを作ろうと思っているので、ある種の「生存競争」でございます。生存がかかっていると思えば、気合が入ります。しかしながら少々の気合では、雑草のパワーには勝てません。

 雑草のパワーに勝とうと思えば、一年365日、二十四時間のたゆまぬ圧力(管理)をかけなければなりません。なかなかこれが難しいんだよね。できれば、生えてくる雑草も、食べることができるものなら良いのですが、我が家の庭は、可食植物のすぐ隣に、有毒植物が生えていたりするので、いつも暗くなり始めてから「薄暗い農村」生活に入る私には、危険この上ありません。

 で先日から、可食植物の何割かを、鉢植えにいたしまして、夜でも採集可能にしております(最初は水やりが大変だったけど、どうやら落ち着いたみたいなので、一安心でございます)。

 ところがHCに行けば、各種野菜の苗が販売される時期になってしまいました。ようやく、ほっと一息ついたのですが、またしても「あれも食いたい」、「これも食いたい」という欲求が強くて、HCに行けば、苗を購入してしまいます。

 で「どこに植えようか」となるわけですが、こうなると生存競争が始まるのです。雑草どもに、強引に立ち退き命令を出し、そこを開墾しなくてはなりません。実は先ほども、やっていたんだよね。ほんの20~30分だけど。

 ちょうどそこにたどり着くのに、我が家は蕗が山盛り生える屋敷なので、蕗を刈り取りました。もちろん蕗は私は大好きなので、生存競争とは言っても、滅ぼしたりはしません。私は極めて自分勝手に「共生」だと主張しております。

 で、進入路がようやく半分ほど開通しました(残りは明日)。今晩は、練習から帰った後、蕗の調理が大変かも。でも、美味しくお酒を呑むためには、この程度の努力はいたします、はい。

 なんたって食は生きていく基本だからね!

2018年4月11日 (水)

人為

 降りそうで、降りませんでしたね。しかも夕方は、晴れちゃった! おかげで屋外の作業は、とても順調でした(鼻づまりは凄いけど)。と、水温を見て驚いちゃったね。もう20℃もあるじゃないですか。

 こりゃああなた、メダカが卵産んじゃいますよ(どうりでこのところ、飼っている魚の餌食いがいいと思った。はら減ってたんじゃ、産卵するわけにもいかない? ここはしっかりと食べて、体力をつけて、立派に産卵していただきたいものです。エサと水替えは私の責任。殖える殖えないは、お魚さんの自由ってのが、我が家の大原則ですから。でも今飼ってるの、ほとんどが我が家で産まれ、育った連中なんだけどね…つまり「野生種」はいない?)。なんでも殖やしてしまうからなあ私は。お金と家族は、殖えませんが…(泣)。

 実は、昨年の夏くらいから、身体の作り直しをしております。すくなくとももう五十年は生きるつもりなんで(でないと、ライフワークが片付きそうにない)、もう一度、あと五十年もつ身体にしなくてはなりません。

 ところが今までメンテをいい加減にしてた部分があって、古傷なんかも、全部誤魔化してやってきていたので、ここも現在チェックを入れてます。不思議なもんだなあ。今まで気づかなかったけど、ずいぶん壊れてたんだなあと思いますね。

 だいたい古傷のところは、可動域が狭くなっています。この可動域も、ただのストレッチ的なものだけではなくて、使っていくぶんには、負荷をかけた状態での可動域が要求されることが多いですから、こうなると小学生時代よりも前に戻って、やり直さなければならないこともあります。

 でも小学生時代の方が楽でしたよね。だってどこも壊れてないうえに、放置していても肉体的に発達していくわけでしょ。今の私は、壊れているところを探して、どこが、どのように、どの程度まで壊れているのかを探り、そこから意図的に作り直していかなきゃなりませんからね。

 まあ荀子は、人の善なるものは偽と言ったくらいだから、だいぶ救われてますけどね。もちろんこの「偽」というのは、偽物ってわけではありません。「偽」は「イ(人偏)」に「為」でございますからね。

 荀子の言葉を借りれば、人の性は悪だから、善なるものを行うためには、善を行うように、人為的に教育をしなければならない。で「人(イ)」に「為」だということなんですね。

 今までの生活の中で、原因はともかく、壊れてしまったんだから、治す以外ありません。ヒトの身体がヒト本来の能力が発揮できすのが「自然」であり、それが「無為」なのであれば、その「無為」に戻すためには「人為」的な努力が必要だということでございますね。

 私はこういう方向から、「無為自然」などという難解な概念にアプローチするから、所謂「哲学一辺倒」の「脳内作業」だけに拘る人とは、ちょっと異なる結論に達してしまうんですね。でも昔の人だって、現実に生きるために様々な思考を凝らしたわけで、私は自分のやり方が正しいと思ってますよ(キッパリ!)。

 途中から、ろくろく肉体労働などしなくても食っていける連中が、純粋に思想ゲームに嵌りこんだから、面倒くさい概念ばかりになってしまったとね。歴史好きの私は、もろそう考えています。

 ということで、今は「古傷の発見と、本来の機能回復」中心に、練習を進めております。今まで知り得たことを総動員しているので、なかなか大変な作業ですが、自分の身体を使い、完全に自己責任の作業ですから、なかなか面白い。

 ま、今の最大の問題は、なんといっても花粉症なんですけどね(笑)。これももう2~3週間もすれば治るでしょうし、後は本格的に、やりたいことに取り組めます(かなあ???)

 さて明後日は13日の金曜日だ。何が起こりますやら(日本にはジェーソンはいないとは思いますが…笑)。みなさま、お気をつけて。

2018年4月10日 (火)

愚民なさい!

 よい天気で、洗濯物はよく乾きましたが、お鼻の調子は絶不調! やっぱりヒノキ全部を切り倒して、ヒノキぶろにするしかない?

 なんで花粉症が、ほとんど「国民病」とまで言われているのに、抜本的な対策がとられないのかというと、花粉症のおかげで儲けている企業や個人、あるいは団体がいるんだと思うんだよね。そういう人たちにとっては、「花粉症=金の生る木」なんで、患者が増えれば増えるほど、お金が儲かるという、例のアレだ。

 この構図に気づいたのは、メタボの時だった。体型によって「メタボ」という決めつけを行う。実はその体型が、その人にとっては決してマイナスではない人にまで、こういう基準を当てはめて「病人扱い」し、それにたいする「対策」とやらを売って金儲けする。

 またよせばいいのに、ろくろく体を動かしたこともなくガリ勉の果てに、専門家(?)になったらしきアヤシイ奴が、それに加担する。最近の大病院に行ってみればわかるよ。確かにごく少数の「名医」はいるらしいが(私は会ったことがない。私のような下々の人間は、こういった名医に大病院で出会う機会は、たぶん、永遠にないのではなかろうか)、大部分は診察時に患者の顔すらろくに看ず(PCの画面ばかり見ております)、お前は患者を診ているのか、PCを見ているのかと怒鳴りつけたいような輩ばかりでございます。

 もちろんきわめて少数ですが、「名医」と思しき人には出会いました。でもみんな小さな診療所ばかりだったよ! 大病院なんて、行くもんじゃない! 私が大学の教授だったら、絶対に単位を出さないような連中が、患者の生命を扱っているんだから(これは、母の時に痛感した。病院なんかに行かせるんじゃなかった、というのが、私の本音である!)。

 ではなぜこんなにいい加減なことがまかり通るのか。簡単である。お金儲けには、自らの信念をもって、きちんとしたことをしなければ気がすまない人は、邪魔にしかならないからだ。誰かと結託して、お金が欲しい。人のいうことにはへいこら言うことを聞いて尻尾をふることしかしない。そういう便利のいい奴が、使い勝手がいいんだ。それが本音なんではないかと思うよ!

 年々患者が増えていくように感じる花粉症なのに、どうしてこうも、万人(とまでいわなくても、ほとんど人に)に有効な治療法が開発されないのか。日本人の優秀さを知っている私には、「悪意」の存在しか感じられないわ。(開発を本気でやっていないか、やっている人を邪魔したししてるんでしょ、きっと。

 ようするに「治す」気なんてないんだ。治せば、懐に入っていた大金が、入らなくなる人がいるんだよね、きっと。戦争と同じだ。

 戦争が良くないことくらい、子供だって知っている。ではなぜなくならないのか。戦争がなくなると、儲からない人たちがいるんでしょ? 似たような構造だよね。

 臭いニオイは元から断たなきゃダメ、なんてみんな知っていること。では何故それをやんないの? やるとお金が儲からない? 

 まあ、そんなところでしょうね、真相は。きっと。

 下々の者は、そういった人間に支配されて、生かさず殺さずってところで、「もうちょっと頑張ったら、よくなるかも」と思い込まされているだけなんだろうね、きっと。まさに希望だ。

 本ブログに長らくお付き合いの方ならば、私が「希望」という言葉を、どれほど信用していないかは、すでにご存じだと思う。「望み希なり」なんですな。まさにパンドラの箱の一番奥にいた奴の正体でございますわ。

 希望を与えておけば、愚民はなんとなく貢ぎ続けるもんねえ。困ったもんじゃ。そんなことやってるから、下々の我々は、上層階級の人たちがコケると楽しく感じてしまうんだよ。愚民を馬鹿にするのも、いい加減にしといたら?

 今日はだいぶ、御機嫌が悪い……

2018年4月 9日 (月)

地震!

 昨夜ではなくて(私の感覚では、昨夜)今朝早くであった。よく遊んだので、そろそろ寝ようかと思っていたら、なんと地震である。初期微動継続時間から、震源地は県内ではないと思ったが、どちらが震源なのか、方向がわからない。

 私はTVというものを見ない人なので、わざわざTVなどをつけたりしないで、ネットで検索をかました。さすがにこういうことは、TVの方が早いらしいが、少し後で島根県が震源だったということであった。

 島根県から岡山までの距離を考え、しかも揺れの大きさ(私の住んでいるところは、一応震度3という発表でした)から考えると、島根はだいぶ揺れたのだろうなと思って、寝る予定を延期しておりましたら、私が感じた地震は、合計4回だったかな。いわゆる余震という奴がありました。

 被害に遭われた方もおられるということだし、きっと家屋などにも損害があったのではないかと思いますが、一刻も早い復旧と回復をお祈りしております。なんたって、年に何度もお邪魔するところだし(ちなみに私は、松江の街並み、雰囲気が大好きなので)。

 ということで、結局早寝、早起きにはつながりませんでしたが(島根の方々には、それどころではなかったのではと察します)、基本、私は「よく遊び、よく学べ」というタイプなので(遊びの中にも学びはある、と考えています)、今日は一転、しっかりと頑張りましたよ。

 遊んだ後は、脳みそがリフレッシュされているのかな。いろんな発想が生まれてくるみたいな気がいたします(遊びすぎると、それまで何をやっていたのか、きれいさっぱり忘れてしまうことがありますけど…3日以上続けて遊ぶと、完璧にこのパターンに入ります。すべてを忘れて、リセットされた状態になるので、長期的に遊ぶ時には、それまでに一区切りつけようと、必死になります」)。

 さらに脳みそがリフレッシュされると、身体までリフレッシュされるみたいで、結局あまり休めなくて、疲れが残っているはずなのに、夕方にはけっこうきっちりトレーニングしてしまいました(本当は、今日は休もうかと思っておりましたが、少しだけやろうと思ったのが運の尽き。エビセン体質がもろ出ちゃって、やめられない止まらない、ということになってしまいました…笑)。

 深夜の部は、これを打ち終わったら開始しますから、けっこうな量(たぶん質も上がっている?)になるかも。大変けっこうな現象でございます(私個人には)。まあ、人間、健康で、思うように動けるのが一番ですからね。

 とはいうものの、やはり昨夜の地震は気がかりです。まだまだ間があるけれど、予定ではこの夏には、震源地近くまで遊びにいくつもりなので、被害が大きくないとよいなと思っております。(もちろん、現地の方々がご無事でおられるのが一番ですが。遊ぶにしても、現地の方々がお元気でないことには、存分に遊べませんもん)

 今晩は、もうこんなことはないよね? 安心して暮らせるのが、一番ですからね。

2018年4月 8日 (日)

ありがとうございました!

 寒かったけど、朝から一日遊びました。たのしかった~~っ!(鼻が詰まらず、目がかゆくなかったら、もっと楽しかったかも? 笑)。一緒に遊んでくださった方々、ありがとうございました! また、遊んでくださいねっ♡

 帰って、さて晩飯でも作るべえと思って郵便受けを見たら、回覧版が。今日は日曜。郵便物はないだろうな~ と思っていたのだが、回覧版なら致し方ない。内容もろくろく見ないで、次のお宅に回しておきました(笑)。いつものことなんだけどね。

 実は遊びに行くのが楽しくて、今朝はいつもよりも早起きしてしまった。時間があったので、朝、少しは仕事をやってたんだよね。おかげで気分が楽。これから続編をやってもいいけど、まあ風呂上がりの気分次第かな。なにしろ気分屋だから。

 とはいうものの、やはり快い疲れは、快い睡眠に適しているような気がいたします。どうやら鼻づまりも回復したようなので、この勢いで寝てしまうかな、なんて気持ちになっております。もともと寝るのは大好きな子ですからね(その割には、育たなかった? これは寝るのは好きだけど、実際の睡眠時間は短かったからかも知れません。寝なきゃ、成長ホルモンが分泌されないもん)。

 寝るのが好きで、寝たい、寝たいと「見果てぬ夢」を追っかけて…… なんじゃ、こりゃ? 不思議な文句でございますな。ちなみに最近は、真面目に脳みそを活動させているらしく、見る夢がどれもこれも面白い。だいぶ脳みそも楽しい(考えているときは、精神的に苦しんでいることもあるけど)証なので、もうちょっと脳みそに刺激を与えてやろうかな、と思ったりもいたします。

 脳を使うったって、自ら考えるのは能動的で、考えさせられるのは受動的でございます。面白いことに、私の脳味噌は、受動的活動をしている時には、あまり楽しい夢を提供してくれません。楽しい夢が見られるのは、ほぼ必ずといっていいほど、能動的な活動をしている時です。

 私にとっては「自ら考える」ことが、とても脳みそがリラックスしながら、能動的に活動することにつながっているんだろうね。そういえば、長続きしたものは、全部「自ら考える」ものばかりだったっけ。自ら考えることを容認したり、推進してくださった指導者についた時は、活動は苦しくても、取り組みは楽しかったもんね(そして大変幸福なことに、私はこういうタイプの指導者と、比較的多く出会った。私が自分のことを「師匠運には恵まれている」というのは、そういうことだ)。

 あとはもう2~3のことが順調に進めば、それなりに幸せな人生だと、言わないこともないのだが、なかなか最後の2~3がそろってくれないので、苦労している(ちなみに今年の酷評は、このうち最低2つはクリアすることです)。

 ま、努力したから必ず報われるとは限らないのが、此の世の鉄則なんだけど、努力しなければ、絶対に報われませんからね。

 こ、今夜は、快い睡眠の中で、快く夢でもみますか。さあ、コーヒーでも飲もう!(笑)。

2018年4月 7日 (土)

健康な眠りにつく(私の)やり方

 寒っっ! ほらやっぱり冬が来た。夏が来たり、冬が来たり、忙しいこと。体調管理が大変ですね。

 ということで、昨夜、最低だった体調が、稽古したは一時的に挽回してしまい、結局は午前4時! で、日ごろの習慣というか、午前7時には目が覚めて、一仕事。電話やなんかがあったので、一応の応対をしてから「あほらし、寝てよ」と思ったら、しっかり寝てた。つかれてたんだね。

 ただ昨夜の稽古は、開始して10~15分で、見事に鼻の穴が通ってしまった。小一時間過ぎる頃には、完全に通常呼吸。今日もやろう。でも今日は、通常呼吸になったらやめて、風呂入ってから寝る。昨夜はさすがに、寝る頃にはまたしてもお鼻の調子が低下してたからね。

 どんな稽古をしてたら、お鼻が開通するか? 人によって異なるとは思うので、私のケースを公表するつもりはありませんが、身体が活性化するような練習で、うつむいた姿勢でなければ、可能性はあるような気がいたしますね。ただまあ、身体が活性化するとはいっても、いろんな活性化のさせ方があるので、ただただ動けばいいというものではありません(ちなみに私は、あまり動きません…まったく動かないわけではないけれど)。

 ただ身体内部はどえらく動いているんではないかと思います。少々寒くても、汗が滴りますから。で、あと爆睡できるという利点もございます(時々、寝すぎる。目が覚めないことがある。いつまでたっても目が覚めなかったら、それはもう死んでいるんだけど)。まあ私にとっては、大変都合のよい練習なので、困った時にはやってます。今日も、これを打ち終わったら、やります。

 で私の習慣ですが、こいつをやっている時は、いつもお茶を準備してますね(熱中し過ぎて、冷え切ってしまい、冷茶になっていることがしばしばありますが)。その日の気分で、お茶の種類は変わります(今晩は、きっと鉄観音だと思います。わりと普洱茶とか紅茶とかとも合いますけどね)。

 まあこの練習は、生のニンニクを齧った後でも、口臭が臭くならない(きっとニンニクのにおい成分を分解してしまうんだろうと、私は想像していますが)くらいの効果があるので、本当は毎日、きっちりやらないといけないんでしょうけどね(昨年の今頃は、毎晩2時間くらいはやっていた…おかげで睡眠不足になったけど。体調は、それで上がったと思います。どんなことをやるのか、興味がある方は、また何らかの伝手をたどって、連絡してみてください。都合があえば、別に秘密にするほどのものでもないので…その代わり、文章とかでは表現できません…バラします)。

 もちろん、いろんな意味で身体が活性化するので、晩酌で飲んだお酒も、この練習の途中で、きっちり醒めてしまいます。だから寝る頃には、きれいに酔いが醒めた状態でございます(なんとなく、お酒の代金が勿体ない気もいたしますが、お酒は「呑んで、酔って、醒める」ことに意義があると、私は考えていますので、呑んでもお構いなしにやります。(酔ってもできる練習って、便利ですよ…笑。ちなみに酔拳ではありません。酔拳は酔ってやるのではなく、素面の人間が、酔ったような動きをするだけです。本当に酔っぱらってあんな運動したら、ぶっ倒れますよ…笑)

 ということで、今日は本当に冬みたいな気温になってしまいました。そうそうに練習を開始します。あとは安眠だね。寒い時は「冬眠する」に限ります。ただ、その前に、正常呼吸ができる状態にしておかねば。

2018年4月 6日 (金)

激怒 のち 晴れ

 雨、降りだす前に、屋外の用事を済ませておこうと思ったのが運の尽き。午後から、目は痒いし、鼻は詰まるし。どこが「花粉は峠を越した」んじゃいっ‼‼‼(激怒)

 今の私は、激怒のあまり、日本中のヒノキを燃やしてしまいたい心境だ(そんなアホはしませんし、できませんけど。もったいない。風と水は100年かけて森を育てるんだっけ?)。いずれにせよ、今日の午後だけで、テイッシュペーパー、ほとんど一箱消費してっからね(これはもう、消費ではなく浪費のレベルだ)。

 でまた明日気温が下がるでしょ。また花粉の時期がぐずぐずと長引くわけだよ。もういい加減にしてほしいもんだ。桜は潔く散ったんだから、ヒノキもクソも、さっさと散ってしまえ(雄花だけ)! いつまでも未練たらし過ぎるぞ、バカヤロー。っと、今日はだいぶ荒れ気味でございます。

 鼻がつまるから、メガネ、かけてらんないんだよね。眼鏡の足でよけいに鼻が詰まるから。くそパソコンは変換ミスばかりしやがるし。これで腹を立てるなという方がおかしい。かくなるうえは、さっさと花粉がないところへ逃亡するしかないわいっ!(眼鏡をかけておらず、あてずっぽうで打っているのも、若干、変換ミスを助長している?)

 今日はもう、夜の練習をさっさとやって、寝る(無事に寝られるといいんだけど)。幸い、いつもやっているうちに鼻が通ってくる練習があるので、それしかやんない! もう知らん! 日本全土のヒノキを切り倒して、すべてヒノキぶろにしてしまいたい心境だ!

     ~~~~~~~~~~~~~

 と、小一時間稽古しましたら、すっかりお鼻の具合が改善いたしました(笑)。これからいつも通り、やるべきところまで、やるべきことをやって寝ます。

〈教訓〉稽古、サボっちゃいかん!

2018年4月 5日 (木)

気温の乱高下!

 なんと、夏が来たと思っていたら、また冬がきましたがね。でも遠慮してくれないのが、花粉でございますな。

 今日、耳鼻科に行って来たら、先生が仰った。「今はヒノキだけど、峠は越えたよ」 私はヒノキ花粉とは、相性が非常によくない(檜風呂は好きだけど)。先週は大変だったというと、「みんなそうだった」と言っていられた。

 薬局でもその話になったが、先週は耳鼻科の先生のところも、大変だったようだ。なんとか生きて峠を越えてよかった!というところでございます(今年は、花粉症対策の裏技が、二つ増えましたが…笑。人は追い詰められると、いろいろと工夫するものです。逆を言うと、追い詰められないと、何もしないもんですな…笑)。

 昨日は天気がだいぶぐずついて、今日は晴れ間も出たけど、また明日はあまりよくないらしい。春だから、温帯低気圧を移動性高気圧が順繰りにやってくるのは、あたりまえのことだけど、夏が来たり、冬が来たりは、さすがにやめてほしい。これでは「春雨じゃ、濡れてまいろう」などという気分にはなれない。風邪ひくと思ったら、月形半平太だって、こんな風流なことは言わなかったと思うよ。そうでなくても日本人は、世界でも珍しいくらい、雨に濡れたがらない国民なんだから。(西に、キタナイ物質を排出して、知らん顔をする国がある以上、雨だって危険なんですけどね!)

 アイスコーヒー用に生クリームなんか買ってきたけど、ちょっと先送り。暇つぶし(決して暇ではありませんが)にチーズかバターでも作ってやろうか(作り方は簡単ですからね。ベドウィン方式を採用すれば、知らない間にできているはずだから。おお、そうそう、花粉がなくなったら、ジョギングの時に、ついでに作っちゃいましょうか…笑。ベドウィンの伝説にいう、ラクダの背中に、ミルクを入れた革袋をつけて旅していたら、自然にチーズができていた、なんていう。知り合いに頼んで、朝、搾りたての牛乳でも仕入れようか…少しばかりだと嫌がるかなあ。ちなみに私は、牛乳を飲むと、しっかりお腹が壊れます。牛乳なんかありがたがって飲む奴の気が知れんわ!と、普段はうそぶいています…料理に必要な時は、日ごろの言動を、すっかり忘れることにしています…笑。いちいち気にしてたら、食いたいものが食えません!)

 そういや、今朝は鳥が煩かったなあ。ちょっとエサを出すのが遅いと、このザマ。エサをもらえるのが当たり前なのではなくて、僥倖だということを知らない。知能が低い奴ほど、「もらえるのが当たり前」になる。だからエサをあげる人がいなくなったら、自然界で生き抜く力を失っていて、あっという間に生存競争に敗れていく。

 私がエサをあげてんのは、「片付け」の一環なんだからね! 捨てるくらいなら、それを食べたい奴にやろうという。これもやる相手には制限があって、間違ってもハエなんかにはやらない(当たり前か!)。不潔だし、近所迷惑になるし。釣りのエサを自家生産する気まではないし(サシは、釣りに行くとき買えばよい。だいたい釣りで失敗しない方法は、現地に行って、現地の人から情報をもらうのが一番だ。変に準備し過ぎると、お金ばかりかかって、大空振りすることがある。

 郷に入れば郷に従えという言葉がある通り、その場その場で、いろいろと微妙に状況は変わるからね、自然界は。こちらが合わせなきゃ。

 とはいうものの、先日のくそ暑さで、気分はすっかり夏(服装も!)になっていた私は、今慌てて、しまいかけた冬ものを引っ張り出しています。晩酌用の酒も、夏用に換えたというのに(昨夜は、少々飲み過ぎました。酒の種類を変えたのを忘れて、あれもこれも、手元のもの全部に手を出しちゃったので)。

 気温の乱高下に合わせて、生活方式も変えなきゃなりません。面倒な季節でございます。

2018年4月 4日 (水)

天気は天に訊け!

 いやあ、久々の雨でした(びっくりした!)。お蔭で、夕方に水やりがサボれて、嬉しかったけど。気温が急降下したのには、重ねて驚きましたね。もう完全に夏仕様に換えようかと思っていたところだったので、あわてて片付けようとしていた長袖にかえました。

 食後のコーヒーも、アイスに変える準備はしたんだけどね。いつも通りホットにいたしました。(雑なように見えて、食後のコーヒーとかお茶にはうるさい。もっとも人様に迷惑をかけちゃいけないので、全部自分で淹れてるけど…笑)

 たかがコーヒー、たかがお茶というなかれ。意外に人に及ぼしている影響は大きいかもしれない。ちなみに私の場合、「これから仕事を本気でやりますよ」という時のBGMは決まっている。というか、一種の儀式で、これが耳元で鳴ると、嫌でも仕事をするように、自分をプログラムしてんだけどね。(そうでもしないと、ずぼら癖のある私は、たぶん永遠に仕事は始めない。苦労したくない理由なんて、山盛りあるから)

 なんでも思いついた時に、きっちりやっておくのがベストなんだけど、人間の生活はいろんな要素に縛られて(邪魔されて?)いるので、何かの儀式を絶対化しておかないと、やりたいこともできないで、他者に縛られた人生になっちゃうから。

 時間制限に縛られて、チャイム(あるいは号令や合図)に支配される生活なんてのは、この人間の「ずぼら性」をコントロールする上では、大きな効果を持っていると思うんだね。これが鳴ったら、何をしてても駆けつけて、指示されたことをやる。たとえトイレにいて、やっと大物を排泄できると思っている途中でも(キタナイ話で、まことに恐縮です)、途中で止めてでも出てきて間に合わせる(重ね重ね、恐縮です…笑)。

 健康維持には最悪だと思うけど、それなりの効果はあると思う(仕事を取るか、健康な人生を取るかは、アナタ次第!…笑)。まあ人間はずぼらな生き物ではないかと思うので、ある程度はこういったモノも必要かなとは思う。

 人間社会ってのは、こういった約束ごとで成り立っているから。なんせ人は社会を作る生き物で、言葉を以て意思疎通をはかる生き物だし、個人でコツコツやるよりは、集団で一緒にやた方が大きなことができるし(これは歴史での戦をひもといてみればわかります。ついでに明治年間、森有礼が学校教育に、どうして「兵式体操(今の学校体育の原型でございます。最近ではだいぶ変わったみたいだけど)」と取り入れたかという、大きな理由ではなかろうかと思います。

 このあたりのことを語らせれば、たぶん1時間ではきかないくらい話し続け、本の1冊くらいには軽くなる分量だとは思いますが、そんな暇はないので(今日という日も、あと十数分!)、まあ興味があれば『〇〇を語る会』にでも顔を出していただければ、私の気分次第で、話すことがあるかも知れません(二次会、三次会が必要かも。まあ朝までだって喋れますけどね…笑)。

 それにしても今日は、ひょいと見上げると「おおっ、乳房雲ではないか!」。小規模ではありましたが、私の目に狂いがなければ、乳房雲でしたね、あれは。アメリカあたりでは、こいつが出ると、天気の急変に気をつけろって雲ですね(幸いなことに、20分ほどで、南東の空に去っていきましたが)。

 気温が夏みたいになると、夏みたいな雲が出るんですね。そういえば春夏秋冬なんて、人間が勝手に決めたものではないですか。スノーボールアースだった頃の地球には、春夏秋冬なんてあったはずないもん(強いて言えば、数億年間はずっと冬だった…笑)。

 今年の夏も、なかなか天気の激変にはご注意を!って暗示しているような、今日の空でございましたね(どうなるかは知りませんよ。私は予言者ではないので)。ま、午前中、死ぬほど苦しかった花粉症の症状が、午後になって多少、楽になった一日でした。もちろん、油断は禁物で、気を許してマスクなしの外出など、もってのほかですけどね。ハックションっ‼

2018年4月 3日 (火)

錆とりには、ク〇5▽6!」

 やれ、鼻づまりが酷いぞよ。今日は、ちょっとは具合がいいかも? と思っていたんだけど、やはり油断大敵だったわいな。まあ昔から、奇襲は攻めたほうの手柄、油断は守った方の落ち度、って相場が決まってるんだけどね。

 WT(ウエイトトレーニング)の道具は、ほとんど他人譲っていたんだけど、「漬物石の代わりにでもなれば」と置いておいたバーベルなどを取り出した。もう二十年以上触っていないので、きっちり錆だらけだった。

 ただの錆だけならまだ許せるのだが、いわゆる「錆びつく」状態で、ネジが動かない。ク〇5▽7が手近にあったので、これを噴霧すること数分間、ようやく動き始めた。これでようやくウェイト調整ができる。

 ここまでで貴重な時間を浪費し、結局今日のトレーニングは2割ほどしかできなかった(その割には、ワインをガッポガッポ飲んだけどね…笑)。WTに関しては、私も一家言あるので、通り一遍の「筋トレはよくない」としかいわない人たちとは一緒にしていただきたくない。

 むやみな筋トレは、マイナスのこともあるけれど、筋肉の本質を知って、必要な部分を必要なだけ、必要なようにトレーニングしていくことには、問題がないどころか、明らかにプラスである。

 どんな便利なものでも、使い方を間違えれば、とんでもない結果が待っているけれど、使い方を誤まらなければ、ちゃんと効果は出る。それだけのことをやりたくて、◇レ♦5◎を使って、錆で動かないバーベルを修理しておりました。

 明日は、もう使えるようになっていると思うので、けっこうバンバンやりますからね。何しろ筋トレは私にとって、「人生を変えるような働き」がございましたからね。もちろん、だからといって、通り一遍の、所謂「筋肉ムキムキの筋トレを肯定しているわけではありません。今まで学んだことの集大成だからね、これからやる筋トレは。

 まあ改めて新しく道具を買わなくても、昔使ったのがあるから、と思いながら、プレートを変えようとして、錆びついていたので、今日のトレーニングが、さび落としになっただけのお話。

 久方ぶりだったので、重たかったよ。昔はWU(ウオーミングアップ)で使っていた負荷が、今ではMax? うっそお~~っ‼‼ まあ一か月後には、現役時代とほぼ同じ負荷になっているとは思うけれど…重さに対する「慣れ」が重要なので。慣れさえ、短時間で戻ると思うよ。

 ということで、「長い人生、そんなに鍛えて、何処へ行く?」という人は必ずいると思うので、今から答えておきましょう。「幸せに生きるため」です。「できる!」と思ってやったのにできなくて、「年寄りの冷や水」、なんて言われたくはないからね

 私のトレーニングは、幸せに生きるためにやっているもので、他者に勝とうとか、人前で何かを実証するためにやっているのではない。今では「自分で納得できれば、すべてOKという感じである。

 たまたま私の場合には、お酒んp味が、評価基準になるので、お酒が旨ければ、それですべてがOKです。  

 未成年者には悪いけど、私にとっては、その日の晩酌が美味ければ、すべてはこOKでございます。今日は、爆睡しそうな予感がいたしますね(笑)。今日はだいぶ酔っちゃいました。打ち間違えも、めちゃ多い? (笑)

2018年4月 2日 (月)

春の宵

 ようやく春らしくなってきたと思ったら、早くも蚊が、耳元でぶ~~~ん、文(だから虫偏に文なのか…笑。ちなみに中国語ではwenziでございます。ウェ~~~ン。こちらの方が、音的には近いかも)。ちっとはおとなしくしてられないものかね。この時期は、蚊の数も大して多くないので、捕まえたら(生け捕りにいたします)、「秦の酷法」なみの刑罰に処しちゃいますよ。

 今日は、帰宅するのが遅かったが、練習はいつも通りやったので(目がとんでもなく痒かった! そこへ汗が入って大変だった)、凄い遅くなってしまった。(ちなみに今の私に、「生きるために練習しているのか、それとも練習するために生きているのか?」と問われれば、「呑むために生きてます」と答えるだろう。美味しいお酒を呑むには、練習は欠かせない。だから後者の方が、より正解に近い?)

 マスクをしたまま動くので、暑い、しんどい。早くマスク不要の季節になっていただきたいものだ(その頃までには、練習環境も、だいぶ整っているような気がいたします。なにしろ学生時代からの習慣なので、こういう生活をしないことには、気持ち悪い。(たとえ、夜間、鼻がつまって死にそうになっても、です!)まあ、これも一種の中毒状態みたいなもんだからね。(禁断症状が出ると、周囲に当たり散らす?…笑 当たり散らすのならサンドバッグとか樹木だとか、電柱だとかにした方がよいが、私はすでに樹木は数本枯らしている。中には、けっこうなでかい木が倒れたりしているので、最近はあまり樹木に当たり散らさないようにしている)

 さて、岡山は桃太郎で有名な県である。もちろん桃太郎伝説が分布しているのは、岡山だけではなく、けっこうな数の県にまたがっているようだが、私自身は「岡山の桃が日本一美味しい」と思っているので(味覚上の好みは、個人個人で異なります)、岡山=桃というイメージは譲れない。

 桃という果実がなるからには、当然桃の花が咲くわけで、今は桃の名産地に行けば、とても桃の花が美しい。桃の花といえば、「晋太元中、武陵人捕魚為業。縁渓行、忘路之遠近。…」で始まる陶淵明の『桃花源記』である。東洋版、楽園伝説ですな。

 実際には、秦の天下統一を嫌い、俗世とのかかわりを捨てた人々に託して、(たどり着けぬ)理想郷を謳った物語らしいが(エンディングが、二度とたどり着くことができなかった、というもので、アトランティスとかムーみたく、最後に破滅しないところがよい。どうして西洋起源の理想郷は、最後には亡びるのだろうか。西洋人には「破滅願望」があるのだろうか。それとも自分たちの哲学では、最終的に破滅しかないと、無意識のうちに悟っているのだろうか…笑)、歴史的には大規模な客家(はっか。食べるとすーっとするやつではありません)が生まれた最初のきっかけは、秦による中原統一だったといわれているので、なんとなく納得である。

 桃と言えば「破邪」の象徴みたいなものですからな(同時に女性のお〇を示すらしい。ということで、私なんかはひねくれ者だから、桃太郎は女性から生まれたと言ってるだけじゃん、ごく当ったり前のことだよね~、なんて神秘性を否定してしまっている。岡山県人なのに、岡山の伝説をないがしろにする、不届きものでございます…しいません、てへぺろ)。

 で我が家も昔は桃を植えていた。見事な花が、毎年咲いていたが、あれって、ずいぶん虫が寄ってくるのね。最終的に虫にやられちゃった(破邪どころか!)。でも花はキレイだよね~。

 で、今日は夕方、桃の花を見ていた。むちゃ、キレイだった。桃を作っている農家のみなさんが、しんどい作業をすべてやってくれているので、こちらとしては無責任に「きれいだな~」。夏になれば「美味しいな~」ですむ。気楽なものである。

 ま、お蔭で、今は目が開かないほど(花粉にやられて…や~いや~い。バチが当たった!)で、目玉が目薬づけである。これも春の生活の一部かな。

 まあ、そんなこんなで、一年が過ぎていくようです(笑)。

※ しまった!蚊を殺してしまった。反射的に叩いちゃったんだよね(反射というからには、意識は関係していない)。楽しみが一つ減った!

2018年4月 1日 (日)

環境の変化

 今日は四月一日ということで、なにを言っても「エイプリルフールだよ~~~ん」で済まされる日らしい。では一体、何を告白しようか(笑)。

 今日やったこと。とりあえず四月の花粉症対策を(前半だけでも)やりました。この時期は、人に嘘をかまして楽しむ余裕は、残念ながら、私にはございません。花粉との苦闘がございまして、毎日を生き延びるのに、精一杯でございます。

 そんな私には知らん顔で、庭のコゴミ(クサソテツ)は、順調に伸びまして、今や食べごろ。もっとも庭に移植したやつは、どうも味がねえ。こいつの兄弟分(岡山県と鳥取県と兵庫県の県境にちかいところに生えている)の味に比べたら、別人二十八号というくらい風味がない。(ということは、食べたことがあるわけでございます)これってやっぱり、生育する環境のせいなんでしょうね。

 人間でも、生まれより、育ちっていうじゃないですか。育つ環境の影響は、大きい。クソみたいな環境で育てたら、大悪党になってしまうのに、素晴らしい環境で育てたら、とんでもない優れたリーダーになったりして。何にせよ、環境作りは大切です。

 作物を作り出して、これ、よけいに感じ始めましたね。同じ種でも、よい環境で育てたのと、そうでないのとでは、まったく実りが異なりますからね(人と植物を一緒にするな!なんて人もいるでしょうが、それならば植物はヒトと同じように生物ではないのか!と反論したいですね。よくある誤解ですが、動物は生物、植物は非生物なんて印象…あくまで印象です。知識としては生物だとわかっていても、印象としては生物と思っていない人も、決して少なくありません。私が出会った人のなかにも、そんな人は大勢いました。「花を摘む」なんてのも、生き物だと感じて鳴なければ、罪の意識は働かないもんね)。環境は大事です。

 ということで、四月と言えば新生活。新生活といえば、環境が変わる、なんてことでしょうか。環境が変わると、生活のパターンも変わったりしますので、一番大切なのは「健康管理」でございますね。人間健康でなければ、持っている力も発揮できません。当然、やりたいこともできません(お金や時間がなくても、やりたいことはできないものだけど)。

 健康ならば、死ぬまでは生きれる(当たり前だ)と言います。健康管理は大切ですね。まあ世の中には、健康のために運動していて、やり過ぎて死ぬ人もいます。俗に「健康のためなら死んでもよい!」という奴ですが、やり過ぎには注意が必要です。

 私もほぼ毎日、夕方は(暗くなるまで)汗を流すことにしていますが、特に、ある目的がない時以外は、「よい汗」を流す段階で止めます。脂汗とか冷や汗になると、やり過ぎですね。特にこの時期は、季節の変わり目で、身体の方が、環境の変化に対応するために疲れているはずなので、無理は厳禁でございます。

 で、いい加減な練習しかせず、毎晩暴飲暴食を繰り返しておりましたが(花粉症のせいだと、自分では花粉にすべての罪をなすっている…笑)、久々にヘルスメーターに乗りましたは、秋と体重は変わっておりませんでした。完全に私のダイエット方法が「正解」だと、証明されたようなものでございます。(世の中に氾濫している、ダイエット本など、まったく不要だーーーっ‼ 「ダイエットは、ただの算数…数学ではない…である」 これは私の言葉ですぞ)

 ただし、いい加減な練習しかできないので、練習の中身は変わりました。なにしろ激しく呼吸をする有酸素運動は、花粉症の私にとっては致命傷になりかねませんからね。で先日Y先生のところにお邪魔した時に、「今度は尻が小さくなっている」と言われました。うん、これは予定通りです。ケツが小さくなるような運動を入れているんだから。思い通りにコントロールできてますね。若い頃から、あれこれトレーニングの勉強をしたのは、まったく無駄ではなかった。それを、今、自分の身体で証明している感じです。

「善とは偽」であると荀子は言いましたが、まさにその通り。もちろん、ここでいう「偽」は、偽物、まがい物という意味ではございません。偽とは、「にんべん(イ)」に「ため(為)」でございまして、「人為」という意味でございます(少なくとも荀子は、そういうつもりで使っています)。

 人為的に何かを努力したり、工夫したりしなきゃ、「善」はできないんだよね。荀子はいろいろと面白い考え方をしている人で、私は古代の儒家に中ではただ一人だけ、「GOOD評価」をしてますから(変なことも言ってますけどね)。少なくとも「無為自然」を他者に押し付け、自分は「有為不自然」のカタマリだった道家の一部よりは、はるかに納得できますもん。

 さあて、新年度だ。また悪戦苦闘の日々が始まる。やりがいのある一年になるといいね!

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