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2018年7月 7日 (土)

山籠もり願望ふたたび?

「晴れの国・岡山」の名もどこへやら、ずいぶんと降りました。降るだけならまだしも、堤防が決壊したり(私のかつてのジョギングコースも!)、傷ついたり、亡くなったり、まだ安否がわからない方もたくさんおられるようで、改めて自然はちょっと機嫌を損ねると怖いものだと実感しました(実は「自然は怖い」というのは、何度か実体験で知っているので、「君子危うきに近寄らず」を決め込んでおりましたけどね)。

 岡山ではどうやら、今回の雨は(あくまで今回の、ですが)峠を越えたようですが、まだまだ油断は禁物。「自然はいいなあ」などと能天気なことを言っててはいけません(厳しさを見なきゃ、なんでも「いいなあ」で済むんでしょうけどね)。

 亡くなられた方のご冥福をお祈りすると同時に、怪我された方は被害を受けた方々の、一刻も早い回復、復興をお祈りいたしますが、自然相手に肚を立ててもしょうがいないとは思うものの、やはり腹は立ちます。怒りの持って行き所がわからないけど。

 で降り続ける雨を見ながら、ふと「またやってみるかな」と思いだしたことがありました、「山籠もり」。

 現代ですから、「山籠もり」ったって、昔の人がやったようなものではなくて、ずいぶん文明の助けが得られるとは思いますが、それでもあの夜の深山の怖さは、やった者でないとわかりません。「君子危うきに近寄らず」なら、「怖いもの」からな逃げればいいんだけど(その生き方が間違っているとは、私は思いませんよ。野生動物でも怖い相手からは逃げますもん。野生では、傷ついたら生存競争で生き残る力が弱くなるので、そのまま死に直結いたしますからね。だから傷つかないのが第一です。そのためには怖いものは避ける、というのが生き延びる上での智慧です)。ただ「怖いもの」に立ち向かって生還した時の喜びは、こいつはもう何モノにも代えがたい価値がございますね。

 直面する大自然の猛威は、上手に躱していかなければなりませんが、それでも大自然に立ち向かう、自分の力で何とかできる部分は少しずつでも変えていき、最後は大自然でも屈服させる、それが我々の祖先がやってきたことかも知れません。

 そんなことが無意識に頭をよぎったのかな。突然、「何もかも忘れて、山にでも籠ってみようかな」と思い始めることにつながったのかも知れません。ただこの季節、小説や劇画で描かれているのとは異なり、山籠もりには様々な問題が発生します。食糧の問題は現代ですから、どうにでもなるのですが、虫一つをとっても、現実には結構厄介な問題です。ましてや今年は、まだクマが横行しているようですし。

 本当ならば天気のことなどを考慮してもいけないんでしょうが(昔の武芸者は、天気予報はできたかもしれないけれど、天気予報を聞こうにもラジオもTVもなかったし、仮にあったとしても、気象台がなかった)、まあ限られた期間で実施しようと思えば、最大限の効果を上げるには、天候も考慮しなければならないのは当たり前のことです。

 なにしろ真夏でも、夜になれば結構冷えますからね。ましてや雨に降られて冷えれば、体調を崩します。体調を崩してしまえば、やりたかったことの半分もできないで終わります。人一人が暮らしていくには、食べるものの問題もあれば、排泄の問題もございます(たいていの小説とか劇画とかでは、排泄のシーンは出てきませんが、食べたら出るというのは、きわめて自然な生理現象でございます)。入山する所に所有者がいたら、その人(団体?)の許可も取らねばならないでしょう。こういったもののすべてを解決しないと、現代ではなかなか簡単に「山籠もり」もできないのです。

「一人でいるのは慣れてる」ったって、人間社会で一人でいるのと、人間がいない大自然の中で一人でいるのは、まったく次元が異なりますからね(実際にやった経験があるから、よくわかります)、大自然に入ったら、「寂しい」なんてことを言っている余裕はなくなります。何かが起こった時に、どう対応するかを考えなければなりませんから、孤独よりも恐怖の方がはるかに強敵です。

 孤独を苦痛と考えることができはじめたら、それはもうすでに恐怖を克服しつつあるか、克服しているわけですから。(ただ知っている無害な虫や獣なんかが出てくると、なんとなく無茶苦茶懐かしい気がしますけどね。相手はこちらのことをまったく認識していなくても)

 人の匂いがしないような所に潜むと、普段の生活ではまったく考えれないことが、いろいりと感じられます(多くは恐怖ですが、なぜ恐怖かというと、相手のことをこちらが何一つわかっていないからです。人は未知のものには、得てして恐怖を感じるものです。もしも恐怖を感じない人だったら、よほど能天気な人か、根本的に想像力が欠如した人ではないでしょうか)。なんとなくここのところ、もやもや、いらいらして不機嫌だったのは、おそらく山籠もりをしたら、消えうせる(問題が解決したわけではありませんが、まったく違う次元から見られるようになる。前に敢行した時もそうでした)。そんな時期がまた来ているのかも知れません。

 もっとも今の岡山は、交通規制があちこちで布かれているようで(道路に冠水などというのは、かなりあるみたいです)、動くわけにもいきませんけどね。

 某宗教団体の人たちも死刑執行されたみたいですし、なかなか激動の2018年の梅雨末期でございます。相変わらず悩みを抱えたままの私は、またしてもしょうもない「行」などを思いついてますが…面倒をみなきゃならない生き物も、けっこうたくさんいるんですけど…、果たして肉体はついてこれるのか? まったく自信がございません。

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