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2019年1月10日 (木)

低能非行!(笑)

 誰だった人間、グレたくなる年頃はある(自分のことしかわかりませんが、私にはありました)。何でもできそうな気がして、傲慢になる時だって、あるかも知れない(これは私には、あまりなかったなあ。自分に才能があるかも? と思ったことはあったけど、すぐに木っ端みじんに打ち砕かれたからね。世の中、才能に恵まれた人なんて、ごまんとおりますから。でそこから先は、「努力するっきゃねえよ。俺、才能ねえもん」になっちゃった)。

 今までにいろんな人に会ってきたが、一番恐ろしいのは、ちょっとお頭が…という人。非行とか悪さとか、人によっては手を染めることがあるかも知れない(不思議に、止める時は「足を洗う」と申しますな。「手を染めた」なら「手を洗えば」よさそうに思うのだが)けど、それなりに思考力がある人は、「やべっ!こんなことしてたら、ダメになる」と思いうらしく、方針転換をしたりする。

 つまり自分で「どこまでならUターンできるか」を知っているんですな。こういう人は、何年かたって再会したら、「非復呉下阿蒙(また呉下の阿蒙にあらず…もう呉城下のチンピラ蒙ちゃんではなくなってたんだね!すごいすごい)《三国演義》」ってケースも少なくない。それどころか、真面目一辺倒だった人間が、こちらの予想を超える存在になっていないのに、そんな人をはるかに超越するような人になっていたりして、「おいおい。お前、何食ったんだ?(笑)」なんてことになったりする。

 できれば人生こうありたいものだと、私などは(自分のことですら)ひそかにこう願ってたりする。「あの下手くそが、ここまで上手になったか!」と言われたいという欲望はある(これはいつもある。なかなか思い通りにはならないけれど、そこは才能がないから、頑張るしかない)。

 すごいなあと思ったのは、とても下手くそなのに、自分では「オレは凄く上手。俺はなんでもできる」と思い続けられる人。その鈍感さ、見習いたいなあと、一万回に一回くらいは羨ましく思ったことがある(笑)。もっともその頃にはその人は、「オレは才能があるはずなのに、結果が出ない。これは自分が取り組んでいることそのものがおかしなことで、正しいやり方では通用しない、しょうもないことなのだ」と見切りをつけて、止めていたりしたんだけどね。

 俺は絶対に才能があるし、やっていることも正しい。結果が出ないのは、周囲が悪かったり、取り組んでいることそのものが本質的におかしいのだという自信にあふれてる人なんですね。たぶんその人は「自分は天才だ」という自信がおありなんでしょう。ただ結果がついてこないと、「そんなあほらしいこと、やってられるか!」と投げ出せば、他者にはそれ以上の迷惑はかかりません。

 怖いのは、その人がとんちんかんなことをやっているのに気付かず、延々と繰り返す人で、しかも失敗は自分以外に原因があるというタイプ。どうしても自分を客観的に見られないんだよね(自分を客観的に見られない最大の原因は、私はその人が自分と向き合う勇気を持っていないからだと思います。もちろん強敵や困難に出会えば、ソッコー逃げ出す人は、自分が逃げた行為を正当化するために、自分の臆病などは絶対に口に出しませんし、その行為を正当化するために、あれこれ周囲に迷惑をかけながら、その都度言葉遊びをしながら逃げを打ちます。こういうタイプの人の言葉使いの特徴として、形容詞が大変に派手派手しいという傾向があるようですが。聞いてて笑っちゃうレベルの場合があります)。

 客観的にものを見ることができず、自己を正当化することに狂奔するタイプの人は、物事が上達することはありません。でもその人の認識では「オレは誰よりも上手い」となってますから、すでに「つける薬はございません」。

「忠言逆耳利于行、毒薬苦口利于病」とは咸陽に入場し、狼藉を働きそうになった劉邦を止めた時の張良の言葉だと言われていますが、行いに利がある言葉は、えてして耳にはきついものなのです。でも快い言葉しか聞けないようになってしまうと、これはもう矯正不能でございます。

 ということで、賢い人ならば、病になったら、口に苦くても薬を飲むし、耳に逆らっても忠言を聞き入れます。薬を飲まない奴は、病が重篤になって、死んでしまうことだってあるでしょうし、忠言を容れなければ、非行を繰り返して、やがては社会的な死を迎えることだってあるでしょう。

 賢い人は、こういった忠言や薬をどこかで手に入れるか、自らを客観的に見ることで、自ら薬を調合したり、みずから忠言を自分に言い聞かせるんですね。でも賢くない人は、そういう器用な真似はできません。だから止まらなかったり、止められなかったりするんですね。

 したがって賢くない人の非行は、いつまでたっても止むことはございません。周囲にいるものとしては、徹底的に迷惑を蒙らないように、専守防衛に努めるべきですね(私の人生でも、何度かこういった経験はありますよ。そのたびにかなり徹底した専守防衛の手段を講じました。おかげで今は平和です。平和を求めるための戦いならば、私は辞さいない人ですから…笑)。さらに専守防衛を妨げる存在があれば、これも賢くない同類とみなし、それなりの対処をしなければなりません。

 ちなみに「教」という文字がございますが、左側には「孝」の字で、右側は「のぶん」と俗に言われる(「ぼく」という読みだそうで、もともとは棒や鞭で引っ叩くという意味です…象形文字では、手が棒を持ったものを表すようです)形ですね。

「孝」は一説には子供が老人(だいたい老父母と解釈されるようですが)を背負った形と言われます(つまりは「親孝行しなさいと、引っ叩きながら教える?…凄い解釈だ…爆笑!」というのが教????)が、あれこれやらなければならないことという解釈もあるようです。つまりは「あれこれやらなければならないことを、棒で引っ叩きながら子供(奴隷という説もあります)に教える…うわあ、体罰だ!…のが教という文字の、本来の意味らしいです(…《説文解字》などによる)。

 何かを教えてあげるのでも、本来は(教という文字が作られた頃)体罰絡みだったのですから、専守防衛ともなれば、並大抵の厳しさではいけないような気がいたしますね。

 いつも私が本ブログで言ってるじゃないですか。表だけの優しさを装った「思いやり」なんて、結局は「重い槍」になって致命傷になるんだって!(笑)

 

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