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2018年12月 5日 (水)

季節外れの……

 昨日暑かったのは、私の感覚異常ではなかったんですね! ちょっと、異常だったもんね。どこもかしこも、季節外れの陽気だったようです。もうちょっとぽかぽかと穏やかだったら、「小春日和?」って言ってもよかったのでしょうが、「小夏日和」でございました(わかりましたか、某地方局の女子アナ某さん。小春日和は2月に使う言葉ではありませんよ!)で今日は、昨日ほどではないものの、気温が高い上に「晴れ時々曇り」くらいの天気だったので、助かりました。明日以降も、ちょっとぐずつくみたいなので、「恵みの一日」になりました(いろいろと)。

 問題は、冬眠に入ったはずだったイモちゃんが、一斉に目を醒ましたことぐらいですかね。朝、全員集合いたしまして「エサ出せ、こら。おせえぞっ!」てな具合で暴れてました。まあイモちゃんの冬眠は、「遅寝早起き」ですから、しかたがないかも(一口に冬眠と言いましても、動物の種類によって、冬眠に入る時期も、目覚める時期も、かなり差があります。昔は飼育している動物に、スピード練習を開始する時期を教えてもらってました…笑。こいつが目を醒ましたら、もう冷えないなんてね。実際これが狂ったことはありません。だから今でも「梅雨明けは、気象庁に訊かず、セミに訊け」(字余り)なんてことを平気で言ってるんですね。

 12月になって、もうそろそろミニトマトを引っこ抜かなきゃならない時期なんですが(「遅すぎる!」の声が、知り合いから聞こえております)、健気に花をつけたり、実を結んだりしているので(この時期の実は、熟さずに落ちます)、なんとなく情けの面で踏ん切りがつかないでいます(だいたい日が暮れるのが早すぎるし)。

 花が咲いていると、雑草ですら抜くのを躊躇してしまう、私の心の弱さが出ておりますな(害虫に関しては、この心配は無用です。断固として「駆除」いたします。時に「極刑」に処することもございます。害虫に対しては、「おうおう、この寒いのに。お前も大変だねえ」なんて気は、全く起こりません。「なにしに出てきた?このクソヤローが(下品ですんません)」モードに入ってしまいます)。これが雑草が蔓延る最大の原因なんでしょうけどね。

 今年は若干心を入れ替えて、大部分花が咲かないこの時期に、ちょっと徹底して草取りをしてしまおうかと思います(宿根性の草には通用しないでしょうが、それでもいくらかは違うかも)。この土日の天気はどうなのかな。良ければちょいと勝負です(我が家は庭が表と裏にあるので、とても一日ではすみませんが)。

 相手が弱った時に攻めるのは、戦(生存競争?)の鉄則でございます。相手が強盛な時にやりあえば、こちらの被害(消耗、損失、疲労)も少なくありません。弱った時が勝負です。私なんか現役時代は強くはなかったから、相手ががダメージを負っていると思ったところに、正々堂々と(笑)攻撃を集中いたしましたもんね。これは対雑草戦でも同じでしょうし、外交でも同じでしょう(クラウゼウィッツですな…笑)。

 ということで、一昨日でしたか、久々に熟睡いたしましたら、タガが外れたのか、やたらと眠くなっております。研究によれば「寝だめ」はできないんだそうですが、「睡眠不足」は溜まるからなあ。今晩もできるだけ早く切り上げて、早めに寝られるように頑張ります(目標、午前二時…笑)。

※今月の『○○を語る会』は、12月8日(第二土曜日)です。よろしくお願いいたします。あ、気がついてみると、今週の土曜日だった!

2018年11月22日 (木)

正常化(笑)

 いやあ、どこたらの国が、なんたら財団を解散したんだとか、どの新聞にも一面にでかでかと出ておりましたわ。どの新聞でも一面ということは、これが相当にニュースバリューがある話題ということになる(私はその方面には詳しくないので、こんな観点で物事の重要性をランク付けしている)。

 で、日本政府は激おこぷんぷん丸になっているとか。ふうん…。

 ま、そうだろね。約束破られて喜ぶ奴は、そんなにいない。ましてや不可逆的とやらいう取り決めならなおさらだ。まあ10憶円とかいう金額の中にも、微々たるものかも知れないが、私が納入した税金が入っているとしたら、当ったり前のコンコンチキである。

 約束を破る者は信用されない。信用されなければ、誰も心底からつきあってなどくれない。誰もつきあってくれなければ孤立する。孤立すれば好きなことが言える(?)。だって誰も「ふうん。また始まったか!」でお終いだからである。

 私は小さい頃から両親に、「信用を築くには、長い時間と努力が必要だけど、信用を失うのは一瞬ですむ」と言われて育った。(私に限らず、私の世代では、きわめて当たり前だったのではあるまいか) ではずうっと裏切り続けている者はどうなる? 

 もうわざわざここでいう必要がないよね。

 社会を動かしているのは子供じゃない、立派な大人なんだから、何度も過ちを犯せば、許されないことくらい知っている。過ちを犯したという自覚がなければ、それが自覚できるようにするのは、実はきわめて親切な行為だと思う。だって言うでしょ。「叱ってくれる人がいる間は、まだ大丈夫。見捨てられてない」なんてね。

 小学生時代、学校の先生に、「誰とでも仲良くしなさい」と教わった。確かに小学生時代には必要な教えかもしれない。いろんな人との付き合い方を憶えなきゃならない時期かもしれないからね(例外ありとする)。でもそのうち気づくんだ。あいつといたら、絶対に喧嘩になるってやつがいることに。

 小学校では「喧嘩はしてはいけません」とも教わった。どうしても仲良くしようとすると喧嘩になっちゃう奴がいて、喧嘩をしてはいけないとなると、見事なほど矛盾が起こる(私が小学生だった頃の恩師の方々は、こんな矛盾はなかったのだろうか。私は、なかったとは思わない。だって、未だに理解できない状態で、人格者と思しき先生に、力いっぱい頬っぺた引っ叩かれたことあるもの…私は、先生、学校に来る前に、夫婦喧嘩か何かやったな!と今でも思ってるくらいだ…笑)。

 そのうちにこの矛盾解消法が、人それぞれ見つけられる。私の場合は、そいつと付き合わないようにすることだった。喧嘩には必ず原因がある。そいつと一緒にいると喧嘩の原因がたくさん発生するのなら、「臭いニオイは元から断たなきゃダメ!」という必殺の法則だ。見事に状況は改善されたよ(笑)。

 誰だってこういう経験はあるんじゃないかな。

 まあ不可逆的な取り決めなんて、御大層なものはやらなかったけどさ! いつまでも相手が粘着してくるのなら、寄ってこなくなるまで、必要な措置はやらないといけないってのが、私が小学生時代に身につけたやりかただ。(基本的に今も同じである)ま、「食わず嫌い」はいけないので、取りあえずは付き合ってはみるけどね。

 お蔭様で私の周囲には長い、つきあいになった人が多い。私の付き合いは、本気で始まると「死ぬまでのお付き合い」になることがほとんどなので、かなり厳選しちゃうんだよね(そのわりには、性別、人種はもちろん、国籍もい問わずにけっこうな人数がいますけどね)。だってせっかく今生で出会ったご縁だもの、大事にしなきゃ!来世、また会えるかどうかわからないし(第一来世があるのかどうかも、私は知らない…笑)。

 今回のなんちゃら財団の解散は、だいたいの人が予想しているように展開するんじゃないかな。いつまでも「おこちゃまのおちゅきあい」では済まなくなると思いますね。それも大人への成長の過程なら、それはそれでよろしいんではないかと、私は思ってますよ。

 さてさて、大晦日の夜の、某放送協会の歌番組、某国の男性グループで、某事件がきっかけなのか、出場できなかったのがあったそうな。(ちなみに私はここ20年ほど、見た記憶がない。ただいま我が家のTVは故障中で見えませんし…笑。TVが見れなくなって、またまた腹を立てる機会が減ったというのも、きわめて面白い現象だけど。このままずうっと直さずにいようかしら…爆笑!)

 で某国の女性グループは出場することになってたみたいだけど、やっぱりいろいろとあったみたいですな。人さまが眉をひそめるようなことが。で、出場辞退? とかなんとか。出場してほしいもんですね。その後の展開が、目に見えるような気がいたしますので(爆笑!)

 方や出場のオファーなし、こなた出場というと、「某放送協会もなかなかやるではないか」と期待してたんだよ(たぶん、そこまでは考えてないと思うけど)。これって、典型的な「離間の策」だからね。待遇に差がつけば、受け取る側はどう感じる? あとは国民性の問題でしょ(笑)。

 出場のオファーがあったのなら、ぜひとも参加してください。楽しみに待っておられるファンの方もおられます(きっと)。私は見ないけど(TVが壊れているので、見ようたって見ることができない…笑。でも格闘技番組を見るためなら、TVを治すと思います、きっと…爆笑!)その後のことは、その時に考えればいいではないですか。

 先を考えないで突き進むことも、(たまには)必要です。いっつもそればっかだと、いろいろと問題が起こるかも知れないけど、問題が起これば泣きわめけば。泣いた瞬間から「被害者」になれますよ、きっと(まるで子供だけど…笑)。

 それも正常化への遥かな旅立ちになるかも知れないし(ならないかも知れないけど…笑)。

2018年5月 5日 (土)

いつも通り(笑)

 ひえええっ! である。今日がもう、残り少ない。いかんなあ、連休は…笑。ついついガードが甘くなる。

 実は夕方、裏庭の通路がまたも封鎖されていたのに気付いたんですね。植物ってのは大きくなるからなあ(考えようによっては、動物よりも始末が悪い。まあ、それでこそこの厳しい生存競争を生き延びて来られたんでしょうが)。

 作っていたはずの通路が見えなくなっていたので(ここのところの雨で、作物への水やり、横着してたんですね。だから気づかなかった。ちなみに裏庭の作物の生育状況は、私は防犯カメラでチェックしてます…笑)、大慌てで刈り取ったんですね、雑草を。

 もちろんその中には「食べると美味しい」ものが含まれているわけで、それを選別して、あく抜きしてたんですよ。すると日付が変わりそうになっていた(よくあること!)。

 あく抜きには、必要な労力を抜くと、とんでもなく美味しくないのができることがあるので、どうしても労力と時間がかかるんですね(だから私が採取してくる山菜は、あく抜きが不必要なものばかり…笑。でも我が家に自生するものは、そういうわけにはいかないので、しかたなくあく抜きをいたします。これが予定しなかった時間をとってしまうのです。おかげで今日の練習量は、いつもの半分だ)。

 人は、住んでいるところから半径30㎞(だっけ?)以内の作物を食べると、健康に良いのだそうな。アレルギーなどを考えると、すべてがすべてそうだとは思えないけど、我が家の裏庭でできたものは(私が生まれる前から生えているらしい)、私の身体に「悪さ」をするとは思えないので、それなりに美味しくいただいてあげないといけない。

 ちなみに今年は希望があって、NさんとKさんの家にの移植いたしました。あまりに美味しかったんだそうな(私の料理の腕‼‼‼ だといいなあ)。他にもMさんやMさん(別人です)の家に行った子もいる(それぞれ行った先で頑張って、美味しくなるんだよ!)。

 たくさんありすぎて、一人暮らしの私では、食べきれない。ならば美味しく料理して、人ん家でも喜ばれた方がいいに決まってるし。で悪戦苦闘していたら、今日打つはずの、荘厳な(?)テーマがどこかに行っちゃった。忘れちゃいました。だいたい時間が足りないし(今日も、残り10分を切りました…笑)。

 案外忙しいんだよね、一人暮らしのGWって。何もかも、全部自分でしなきゃいかねいから。まったく「席の温まる暇」なんてございません(もともと、ずっと座っているのが得意な方ではないし…子供の頃から、落ち着きのない子でした…笑)。

 なんでも天気が悪くなるそうなんだけど、我が家の虫さんは、明日の午前中はそれほどでもないよ、なんてな顔をしてました(見落としの可能性あり。なにしろ忙しかった!)。明日は午前中に、アウトドアを済ませてしまいたいと思います(目が覚めればの話ですが…笑)。後は野となれ山となれ、でございますね!

 どうせ動く余裕があれば、「練習、練習」。試合に出なくても、練習!(っていうより、今やっているのは「稽古」と「トレーニング」です、私の分類的には)。まあ、肉体的、精神的健康には好影響みたいなので(疲れてるけど)、雨が降ってどうにもならない時以外(屋内でできる練習もたっぷりあるので困りますが…笑)、いつも通りの生活なんでしょうけどね。

2017年12月12日 (火)

目立たない……

 どうして寒いのだろうか? 簡単である。暖房しないからだ! そんな簡単なことに気づいて、リモコンをスウィッチを入れたら、あったか~。エアコン作った人に、ノーベル賞をあげるべきだと、私は思う。だって多くの人々に、快適な生活を与えてくれたんでしょ? (直接的には)戦争とも関係ないし。人類に対する貢献大だよ!

 と思いますが、では何賞に相当するのかなと考えてみると、なかなか難しい。まあ平和賞なんかが適当かな(今年の平和賞は、妥当かなあとは思いますが、過去には、結局、平和賞をもらってはみたものの、何もしない…どころか、東アジアの平和の危険度が増すことにすら対応しなかった…ままで大統領を辞めちゃった人さえいるからね。この人に比べたら、エアコンを作った人は、私だけではなく、もっと多くの人たちに、直接的な恩恵を垂れていると思うよ)。

 キレイごとだけを並べて実行しなかったら、これも一種の詐欺みたいなものだからねえ。もちろん政治屋さんと公約は切り離せないし、いざ政治屋さんになったら、公約を果たすには途方もない壁が立ちふさがっていた、なんてこともあるに違いないけど、せめて「努力」くらいはしてくれなきゃ。引退してから「回顧録」を書きゃいいってもんでもないでしょう。

 理想は学者や、一般市民だって語ることはできるけれど、それを実現させるために政治家さんがいるわけでしょ(もちろんお役人も」!)。実現できもしないことを吹いているだけだったら、幼稚園の子供にだってできますからね(幼稚園児の方が、発想がぶっ飛んでて面白い?)。ましてや、誰かの足を引っ張ることしか考えていないような人には、税金はあげられないねえ~~っ!

 最近、道家の思想を読んでて(もちろん日本語訳ではありません)、あほらしさが山盛り積みあがってしまって、激怒のレベルに達してしまっているので、特にこういうことには敏感になっております。「何が無為自然じゃっ!」結局、何もしたくねえから、何も働きかけないで、しかも何も働きかけようともしない自分を正当化するために、あれこれ屁理屈を並べているだけでしょうが!

 何もしないのなら、何も言わないで消えていけ! せめてその程度の覚悟でいろ! なのに糞みたいな屁理屈をでっちあげて、それを世に広めたりして、名声欲だけは百人前なのね!?

 昔、日本の誇る「忍者」について、マジ調べたことがある(私はいろんなことに興味を持つ人なのです。だって死ぬまで大人になるつもりがないから。「あれ何? これは?」なんて聞きまくって、しまいには周囲の人に煩がられたり、叱られたりする子供のままなんですね…笑)。

 すると、本物の腕利きの忍者の記録は、残っていないのではないかという情報があって、すごく納得したことがある。だって名前が残っていたら「忍」んでないじゃん! 本物の忍びなら、すべては闇の中に消えていかなきゃならないもんね。

 もちろん中忍、上忍ならば、管理者だから、名前は残るでしょうけどね。いわゆる我々のイメージにある凄腕の忍者ってのは、下忍だからなあ。そして意外に、日常生活では目立たなかったんではないかと思う。目立っちゃったら「忍」べないもんね。

 暗殺者だって同じっていうじゃない? 目立つ格好をしていたら、ターゲットに使づく前に、まず自分が排除されるって。そうしたら任務は遂行できないからね。

 だから「派手な技」は必要ないんだよね、普段は。いざというときに「あっ」と驚くことができればいいだけで。これってまさに「武」の世界と同じだなあ。「戈」を「止」めるには、日ごろの鍛錬も必要だけど、まずは争い事(戈)にならないようにしなけりゃいけないからね。争いことが多ければ、馬脚を現さなければならない機会も増え、そうなると「忍」んでなんかいられなくなっちゃうから。

 派手な立ち回りは、それで生計を立てている人には必要だろうけど(たとえば昔なら、どこかの道場の師範とかだったら、お弟子さんを集めないといけないから、どうしてもある程度のアピールは必要ですよね。これは「いい」「悪い」の問題ではなく、「必要」「不要」の問題で、「必要」ならばやらなければ生きていけませんもん)、「武」が好きでやっている人間には、目立つ必要なんかまったくありませんから、一人で(あるいは同好の士だけで)、ひっそりとやっていればいいわけで。

「いざという時」も、来なければ来ないほうがいいわけで(それで充分に「武」になってますもん!)。「武」って、結局は、平穏無事な生活を送るためにあるもんなんですよね。

 ということで、今日も取り掛かりが遅くなったせいか、残り10分。今週の土曜日は『○○を語る会』でございます。なんか温まるもの食べたいなあ……

2017年10月29日 (日)

雨の恵み?

 実際のところ、この毎週(?)のような台風や雨には、辟易としていた。雨は生きていくうえで必要不可欠だが、生活していくうえでは不便だ。たまに降る雨ならば、まあ「骨休みにいいか」って程度に軽く考えられるのだが、毎日連続で降られると、動ける、動けないよりも頭に来てしまう。

 私の住んでいるところでは、今日は夕方近くになって、いきなり晴れた。台風特有の天気の変化だ(今回は、あまり風が強くならなかったので、台風という実感は、私が住んでいる地方では、まったく感じなかった)。

 私は雨が降っている最中に選択する人なので(準備でございます。雨があがったら、すぐにでも干せるもんね!)、すぐに干して、デスクワークのケリをつけて(実は頭が煮詰まっただけで、ケリはついていなかった。気分転換かな?)庭に出た。出たついでに雑草を取っていると、ノラがいた。

 ノラちゃんに声をかけてエサをやっていると、招からざるノラがやってきたが、その頃にはノラは自分の分を食べ終わっていた。裏庭に回ると、この雨の中、ジャガイモはすくすく成長していた。明日はなんとか時間を見つけて、寄せ土をしますからね。この冬中、ジャガイモを購入する必要がないくらいはできてほしいなあ。

 そういえばゴーヤも雨の中、どんどん実っているようだ(行くのがたいぎなので、遠くから眺めるだけ。私に好かれていないこの作物は、見回るのがめんどうなので、防犯カメラの一つを向けている。おかげで、PCの前に座ったまま、部屋に居ながらにして出来具合がチェックできる…親友K氏に笑われてしまったけど。ちなみにK氏はゴーヤが好きなんだそうな)。雨のおかげでいろんなものがどんどん変化してるんだろうね。

 で草を抜いている最中、ふと思いついた。なんで俺は今草を抜いているんだ? 連日の雨のお蔭で、土が柔らかくなっていて、抜きやすいからだ。それならば…

 実は庭のど真ん中に木の切り株がある。型を打っている時など、こいつが時々邪魔をする。さすがに捻挫まではしたことがないが、アブナイことには違いない。ようし、今日は土も柔らかくなっているんで、こいつを掘ってみようではないか。

 掘りましたよ。そろそろ暗くなりかかっていたけれど。すると、見事に掘り起こせたんですね。後に大穴があいてたけど。この切株のお蔭で、周囲の雑草が取りにくかったんだよね。明日からはキレイになりますよ(ちなみに、真面目に稽古を始めると、雑草は生えなくなります。我が家の庭に雑草がないということは、私が稽古していることの証拠のようなものです。生えてたらサボってるんだね…外回りのコースを使っていることがございますが。何しろガキの頃から、屋外を走り回ることが好きだったので)。

 これで後は、取り除かなければならない切株は2つになりました。もう一つはこの冬中に取っておかないと、来年のトマトはここで作る予定ですから(連作障害を避けるためと、玄関を出てすぐのところで熟していれば、いくらでも収穫に便利だから。ちなみに今年のトマトは、今秋熟れのものが鈴なりになっております。秋熟れは完熟にはならないので、適当に熟れたら収穫して、収穫後熟成させます。トマト好きの私には、充実したトマト作りだなあ。だって走りに行く前の水分補給なんて、いつでもぶら下がっているトマトを頬ばって済ませるもんね。面倒でなくていいよ)

 適度な雨は、大いなる恵みにつながる。多すぎたり少なすぎたりする雨は、災害を引き起こす。恵みとして人間から感謝される雨は、人々が必要そしている時期に、必要としているだけ、許容範囲内の降り方であることが必要だ。これは雨に限らず、何にでも言えることなんだろうけどね。

 過ぎたるはなお及ばざるがごとしとか言いますが、過ぎない方がいいです。どんなものでも。そういえば昔、中国で体調を崩した時、あちらの知り合いが薬膳料理に連れていってくれた。

 ところがどっこい、薬膳を山盛りくれる。一杯食べ終わる頃には、三杯くらい山盛りになったのが、私の目の前に置かれていた。二杯目くらいまでは泣き泣き食べたが、最後にはさすがに切れた。いかに「好意」の証明だからとはいっても、これでは薬膳で殺される。

 身体に良いと思われるものを、大量に摂取すれば、身体は元気になるというのは、幼稚な発想でしかない。トレーニング同様、身体を強化するには、トレーニングと栄養補給、休息の3つが欠かせないのと同様、身体によいと思われるものを摂取するよりも、休息の方が必要なことは、けっこう多いのだ。

 物事には適時、適物、適量、適用、適様という原則がある。それを外したら、身体に良いと思われているものでも、必ず悪さをする。雨であろうが何であろうが、同じである。そして適時、適物、適量、適用、摘様を知るには、自分の状態を細かく見ることができる「目」が必要である。

 この「目」は、道家思想なんかでいうところの「静」の状態でなければ養えない。「静」は大切なんですよ。でもこれにしても、適時、適物、適量、適用、摘様の原則からは外れられないんだけどね。

 雨のお蔭で、「静」は十分だったので、そろそろ天気にも回復していただいて、少しは動かないと、お尻から根が生える?

2017年7月 5日 (水)

初夏ノスタルジー

 また打った内容が全部消えちゃいました。どうにかしてくれ! 二度と同じ文章は打てないので、もうやる気がなくなりましたが、ちょっとだけ気持ちを入れなおしましょう。

 庭のネジバナが、一昨日くらいから咲き始めました。花言葉は「思慕」なんだそうです(以前読んだ植物図鑑では「ひねくれもの」ってあったので、あまりのイメージの違いから、あほちゃうか?と思ってましたけどね。でも「思慕」なら、かなりいい線いってます。可憐な外見と、ちょっと拗ねたようにねじれて咲くところが、見事に「思慕」の感情に合ってますね!)。

 先日ジョギング中に、野生のネジバナが咲いていたので、そろそろ我が家のも咲くかな?と思っていたら、2日遅れで咲き始めました。

 台風と、台風のせいで梅雨が戻ってきたらしく、ジョッグできなくて気持ち悪いですが、ジョッグの最大の楽しみは、自然が見えることですかね(大学時代には、東京にいたので、ほとんど見えませんでしたけど)。

 田舎の暮らしも、悪いことばかりではありません。可憐な野草を見るたびに、田舎も捨てたもんではないなあと思います。(で、気に入ると、我が家の庭に移植する。2~3年経過すると、元いた場所がコンクリなんかで整地され、一本も草がなくなっていたりして、我が家に移植させててよかったなあと胸をなでおろすことも、少なくありません。その時について入って来た雑草の駆除…一本ずつ手で抜きます。面倒な時には、鋏で散髪よろしく、カットしてしまいますが…には閉口いたしますが)

 庭での練習中、トマトをつまみ食いしましたら、こいつがやたらと美味しかった! 今は1日平均50個(大小取り交ぜて)くらいは食べていると思いますが(今に私の色がトマトレッドになったりして…)、幸いなことにトマト大好き人間の私は、まだ飽きてきません(もう十二分に元は取れましたけど。この調子で晩秋くらいまでは、トマトの欠乏に悩むことはなさそうです)。

 なんだか、ほんの小さな子供の頃に戻ったみたいです。あの頃は(自分の家の)畑にあるものは、ちょいとつまんで食べたりしたものです(よその家の畑だと、「こらあ~~っ!」ってことになったわけですが。今から思うと、のどかな時代でしたね…笑)。

 今みたいにお洒落なお菓子は、豊富にはなかったけれど、それでもその時代その時代で、それなりに美味しいものはあったような気がいたします。今ほど日本が経済的に豊だとは言われてなかったけれど、それでもそれなりに、いろんな面で豊かだったんではないかなあと、今更ながらに思います。

 私の場合特に感じるのは、あの頃の水はもっと美味しかったように記憶していますが、これは過去の時代についた、腕利きの弁護士のせいでしょうか(思い出は美化されるっていいますよね)。空気もそうですし、周辺の生き物でもそうです。(私が子供の頃、我が家から100Mちょいのところにある神社には、フクロウが住んでましたからね…トトロかも?… 今じゃ明るくきれいにはなったけれど、当時いたカブトムシもいなくなりましたし、何もかも見かけなくなっちゃいました。私がよく昼寝していた木…木の枝に登って寝る。サルだったんですね、私は。今でも人に進化できた自信はありませんが…もなくなっちゃったし)

 遠心力の恐ろしさを、身をもって学んだ、神社付属の水田も、今は埋め立てられて駐車場になってしまったし(よくツチガエルが産卵してました)。目を閉じれば当時の光景が鮮明に思いだせるんですけど、目を開けた途端、無味乾燥の広場が開けていたりするんですね。

 誰か、この心象風景を写真のように映し出す機械を作ってはくれませんかね。

※ 今月の『○○を語る会』は7月15日ですが、午後7時半頃からということでお願いいたします。会場が13周年記念で、混みあっておりますので。

2017年4月21日 (金)

春は忙しい……

 いやまったく、遅くなってしまった。夕方から、雑草が生い茂ろうとしている裏庭に、進入路を作ろうとしたんだね。でもここはニラとか、フキとか、ミツバとかが野草化し、カラスノエンドウだのなんだのといった、人間にとってあまり有益だとは思えない野草とごっちゃまぜに生えてしまっているんだね。

 先日ここにゴーヤを植えてしまったもんで、なんとか進入路を確保しておきたいと思い、先日は本物の雑草が多いところを重点的に刈り取ったのだが、今日はフキと雑草は入り混じっているところに取り掛かった。

 作る進入路は二本。ひいこらいいながら刈り取って、フキだけは分ける。実は私はフキが好きなのだ(もちろん食べるのが)。これだけで十分な重労働で、フキを茎だけにした頃には、八時半になっていた。(細い進入路2本で、茎だけの重量は1.5キログラムに達した)

 それから明日も楽しく遊ばなければならないので、準備をしておかねばならない。車のガソリンを満タンにし、ようやく晩御飯にありついた(腹減ってた。放っておいたら、自分の腹部についた皮下脂肪を食べたかもしれない。自分の皮下脂肪をちぎりとって食べたら、果たして消化率は100%になるのだろうか? そしてすべてが皮下脂肪となって、元のさやに納まるのだろうか。このあたりを研究すれば、新しいダイエットへの道が開けるかもしれない……んな馬鹿な!)。

 で、菊の露(私、これ案外好きなんですよ。以前H君が、合宿先の沖縄から送ってくれて、それ以来ファンになっちゃいました)をちびりちびりやりながら、「金曜日というのにろくな番組がねえな」などとぼやきながら(金曜日は日本経済の活性化のために、飲みに町へ繰り出すべき?なのです!本来は)晩御飯を終えたら、もう結構な時刻になってしまっておりました。

 なんでこんなに遅くなったかを反省してみると、フキである。フキさえなければ、ここまでは遅くならなかったはずだ。ではなんでフキなどにかまってしまったのか? フキが食えるからである。あまつさえ私にとっては、ビールのつまみに大変好ましい食材だからだ。つまりは「食い気」である。

 人は食べないと生きていけないから、「食い気」を馬鹿にする人間は、心貧しいやつではないかと、私は勝手に思い込んでいるが(あくまで私個人の考え方だ)、春先といえばそこここで芽生えの季節だ。中には食べると中毒症状を起こして死んでしまうようなモノもあるが、正しい知識さえあれば、めったなことにそんな目に遭うこともない(俄か仕立ての知識だと、とんでもない勘違いをすることがある。昨年だけで私は4~5人、見知らぬ人から質問されたが…山で…、そのどなたもが、食べないほうがいいものを、「これ食べられますか?」と尋ねてきた。私は親切にも、「口を開けて頬ばり、かみ砕いて飲み込めば、食べられないことはないでしょうが、その後のことは保証しかねます」と答えてあげた。全員、食べられないものを、見た目がちょっと似て(いるかなあ? 私的には、まったく異なって見えるのだが)いるらしい山菜と間違えておられた…幸い有毒なものではなさそうだったが。

 そうなんですね。この季節、食べられる(しかも美味な)山野草が、ぼこぼこ出てくるんですな。しかも芽生えの季節ということで、競争のように出てくる。できたら何日ずつかは時期をずらしてもらいたいのだが、あちらにはあちらの都合があるらしく、一度にあれもこれもどっと出る。

 こちらとしては、あれも食べたい、これも食べたい、いやいやそれもなかなか捨てがたい味だ、などと欲を出しているうちに、大変に多忙になってしまうのである。

 栄養学的には、あれもこれもまんべんに、バランスよく食べなさいということになっているが、本当なのだろうか。野生に生きていたころの人類は、きっとその季節に手に入るものばかりを食べていたはずだ。つまり自然界の規律に従って、その季節に手に入るものしか食べられなかったはずなのだ。

 これって言ってしまえば「偏食」だよね。こちらとしては選択の余地なく、自然界によって偏食させられていたはずなのだが、果たしてそれで健康状態がよくなかったのだろうか。食事以外の環境をすべて現代と同じようにして、自然が支配する、季節による偏食したグループと、季節を無視したように偏りなく食事を摂ったグループに分けて検証しなくては、どちらが正しいかは言い切れない。

 そうでなくても現代の、一般的な医学的な常識は、かなりあやふやなもので、多くの場合、お医者さんと利益を追求する人たちが結託して、病気でもないのに病気だと名前を付けているケースも少なくないからね。

 あるお医者さんがライオンさんに言いました。「そんなに肉ばかりを食べていたのでは、生活習慣病に罹ってしまいますよ」 またあるお医者さんがウサギさんに言いました。「植物しか食べないでいたんでは、免疫力が低下しますよ。たまにはお肉でも食べて、立派な筋肉をつけなけりゃ、キツネに追いかけられたとき、逃げ切れませんよ」

 残念なことに、生活習慣病で死んだライオンを私は知らないし、お肉を食べなかったからといって、狐につかまってしまったウサギを知らない。それどころか、ウサギは狐に追いかけられても、肉離れ一つ起こさない。筋肉痛で動きづらくしている野生動物なんか、お目にかかったことがない(動けば疲労しているのは確かです。そういった場面には何度となく出遭っています)。

 人間はライオンやウサギではないと思うけれど、個人差はけっこう大きいと思うので、その人に似あった食生活があるのではないかな。

 で、私は山野草が好きなので(鑑賞するのも食べるのも)、春は大変に忙しい。ほかのほとをしている暇がないくらいである。そういえば野生動物も、活動しているときの大半は、餌探しと食事ですわな。餌さえ十分に食べることができれば、あとは何もせずにぐて~っとしている。それでも大して肥満しない体質がうらやましいけど……

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