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2017年12月12日 (火)

目立たない……

 どうして寒いのだろうか? 簡単である。暖房しないからだ! そんな簡単なことに気づいて、リモコンをスウィッチを入れたら、あったか~。エアコン作った人に、ノーベル賞をあげるべきだと、私は思う。だって多くの人々に、快適な生活を与えてくれたんでしょ? (直接的には)戦争とも関係ないし。人類に対する貢献大だよ!

 と思いますが、では何賞に相当するのかなと考えてみると、なかなか難しい。まあ平和賞なんかが適当かな(今年の平和賞は、妥当かなあとは思いますが、過去には、結局、平和賞をもらってはみたものの、何もしない…どころか、東アジアの平和の危険度が増すことにすら対応しなかった…ままで大統領を辞めちゃった人さえいるからね。この人に比べたら、エアコンを作った人は、私だけではなく、もっと多くの人たちに、直接的な恩恵を垂れていると思うよ)。

 キレイごとだけを並べて実行しなかったら、これも一種の詐欺みたいなものだからねえ。もちろん政治屋さんと公約は切り離せないし、いざ政治屋さんになったら、公約を果たすには途方もない壁が立ちふさがっていた、なんてこともあるに違いないけど、せめて「努力」くらいはしてくれなきゃ。引退してから「回顧録」を書きゃいいってもんでもないでしょう。

 理想は学者や、一般市民だって語ることはできるけれど、それを実現させるために政治家さんがいるわけでしょ(もちろんお役人も」!)。実現できもしないことを吹いているだけだったら、幼稚園の子供にだってできますからね(幼稚園児の方が、発想がぶっ飛んでて面白い?)。ましてや、誰かの足を引っ張ることしか考えていないような人には、税金はあげられないねえ~~っ!

 最近、道家の思想を読んでて(もちろん日本語訳ではありません)、あほらしさが山盛り積みあがってしまって、激怒のレベルに達してしまっているので、特にこういうことには敏感になっております。「何が無為自然じゃっ!」結局、何もしたくねえから、何も働きかけないで、しかも何も働きかけようともしない自分を正当化するために、あれこれ屁理屈を並べているだけでしょうが!

 何もしないのなら、何も言わないで消えていけ! せめてその程度の覚悟でいろ! なのに糞みたいな屁理屈をでっちあげて、それを世に広めたりして、名声欲だけは百人前なのね!?

 昔、日本の誇る「忍者」について、マジ調べたことがある(私はいろんなことに興味を持つ人なのです。だって死ぬまで大人になるつもりがないから。「あれ何? これは?」なんて聞きまくって、しまいには周囲の人に煩がられたり、叱られたりする子供のままなんですね…笑)。

 すると、本物の腕利きの忍者の記録は、残っていないのではないかという情報があって、すごく納得したことがある。だって名前が残っていたら「忍」んでないじゃん! 本物の忍びなら、すべては闇の中に消えていかなきゃならないもんね。

 もちろん中忍、上忍ならば、管理者だから、名前は残るでしょうけどね。いわゆる我々のイメージにある凄腕の忍者ってのは、下忍だからなあ。そして意外に、日常生活では目立たなかったんではないかと思う。目立っちゃったら「忍」べないもんね。

 暗殺者だって同じっていうじゃない? 目立つ格好をしていたら、ターゲットに使づく前に、まず自分が排除されるって。そうしたら任務は遂行できないからね。

 だから「派手な技」は必要ないんだよね、普段は。いざというときに「あっ」と驚くことができればいいだけで。これってまさに「武」の世界と同じだなあ。「戈」を「止」めるには、日ごろの鍛錬も必要だけど、まずは争い事(戈)にならないようにしなけりゃいけないからね。争いことが多ければ、馬脚を現さなければならない機会も増え、そうなると「忍」んでなんかいられなくなっちゃうから。

 派手な立ち回りは、それで生計を立てている人には必要だろうけど(たとえば昔なら、どこかの道場の師範とかだったら、お弟子さんを集めないといけないから、どうしてもある程度のアピールは必要ですよね。これは「いい」「悪い」の問題ではなく、「必要」「不要」の問題で、「必要」ならばやらなければ生きていけませんもん)、「武」が好きでやっている人間には、目立つ必要なんかまったくありませんから、一人で(あるいは同好の士だけで)、ひっそりとやっていればいいわけで。

「いざという時」も、来なければ来ないほうがいいわけで(それで充分に「武」になってますもん!)。「武」って、結局は、平穏無事な生活を送るためにあるもんなんですよね。

 ということで、今日も取り掛かりが遅くなったせいか、残り10分。今週の土曜日は『○○を語る会』でございます。なんか温まるもの食べたいなあ……

2017年10月29日 (日)

雨の恵み?

 実際のところ、この毎週(?)のような台風や雨には、辟易としていた。雨は生きていくうえで必要不可欠だが、生活していくうえでは不便だ。たまに降る雨ならば、まあ「骨休みにいいか」って程度に軽く考えられるのだが、毎日連続で降られると、動ける、動けないよりも頭に来てしまう。

 私の住んでいるところでは、今日は夕方近くになって、いきなり晴れた。台風特有の天気の変化だ(今回は、あまり風が強くならなかったので、台風という実感は、私が住んでいる地方では、まったく感じなかった)。

 私は雨が降っている最中に選択する人なので(準備でございます。雨があがったら、すぐにでも干せるもんね!)、すぐに干して、デスクワークのケリをつけて(実は頭が煮詰まっただけで、ケリはついていなかった。気分転換かな?)庭に出た。出たついでに雑草を取っていると、ノラがいた。

 ノラちゃんに声をかけてエサをやっていると、招からざるノラがやってきたが、その頃にはノラは自分の分を食べ終わっていた。裏庭に回ると、この雨の中、ジャガイモはすくすく成長していた。明日はなんとか時間を見つけて、寄せ土をしますからね。この冬中、ジャガイモを購入する必要がないくらいはできてほしいなあ。

 そういえばゴーヤも雨の中、どんどん実っているようだ(行くのがたいぎなので、遠くから眺めるだけ。私に好かれていないこの作物は、見回るのがめんどうなので、防犯カメラの一つを向けている。おかげで、PCの前に座ったまま、部屋に居ながらにして出来具合がチェックできる…親友K氏に笑われてしまったけど。ちなみにK氏はゴーヤが好きなんだそうな)。雨のおかげでいろんなものがどんどん変化してるんだろうね。

 で草を抜いている最中、ふと思いついた。なんで俺は今草を抜いているんだ? 連日の雨のお蔭で、土が柔らかくなっていて、抜きやすいからだ。それならば…

 実は庭のど真ん中に木の切り株がある。型を打っている時など、こいつが時々邪魔をする。さすがに捻挫まではしたことがないが、アブナイことには違いない。ようし、今日は土も柔らかくなっているんで、こいつを掘ってみようではないか。

 掘りましたよ。そろそろ暗くなりかかっていたけれど。すると、見事に掘り起こせたんですね。後に大穴があいてたけど。この切株のお蔭で、周囲の雑草が取りにくかったんだよね。明日からはキレイになりますよ(ちなみに、真面目に稽古を始めると、雑草は生えなくなります。我が家の庭に雑草がないということは、私が稽古していることの証拠のようなものです。生えてたらサボってるんだね…外回りのコースを使っていることがございますが。何しろガキの頃から、屋外を走り回ることが好きだったので)。

 これで後は、取り除かなければならない切株は2つになりました。もう一つはこの冬中に取っておかないと、来年のトマトはここで作る予定ですから(連作障害を避けるためと、玄関を出てすぐのところで熟していれば、いくらでも収穫に便利だから。ちなみに今年のトマトは、今秋熟れのものが鈴なりになっております。秋熟れは完熟にはならないので、適当に熟れたら収穫して、収穫後熟成させます。トマト好きの私には、充実したトマト作りだなあ。だって走りに行く前の水分補給なんて、いつでもぶら下がっているトマトを頬ばって済ませるもんね。面倒でなくていいよ)

 適度な雨は、大いなる恵みにつながる。多すぎたり少なすぎたりする雨は、災害を引き起こす。恵みとして人間から感謝される雨は、人々が必要そしている時期に、必要としているだけ、許容範囲内の降り方であることが必要だ。これは雨に限らず、何にでも言えることなんだろうけどね。

 過ぎたるはなお及ばざるがごとしとか言いますが、過ぎない方がいいです。どんなものでも。そういえば昔、中国で体調を崩した時、あちらの知り合いが薬膳料理に連れていってくれた。

 ところがどっこい、薬膳を山盛りくれる。一杯食べ終わる頃には、三杯くらい山盛りになったのが、私の目の前に置かれていた。二杯目くらいまでは泣き泣き食べたが、最後にはさすがに切れた。いかに「好意」の証明だからとはいっても、これでは薬膳で殺される。

 身体に良いと思われるものを、大量に摂取すれば、身体は元気になるというのは、幼稚な発想でしかない。トレーニング同様、身体を強化するには、トレーニングと栄養補給、休息の3つが欠かせないのと同様、身体によいと思われるものを摂取するよりも、休息の方が必要なことは、けっこう多いのだ。

 物事には適時、適物、適量、適用、適様という原則がある。それを外したら、身体に良いと思われているものでも、必ず悪さをする。雨であろうが何であろうが、同じである。そして適時、適物、適量、適用、摘様を知るには、自分の状態を細かく見ることができる「目」が必要である。

 この「目」は、道家思想なんかでいうところの「静」の状態でなければ養えない。「静」は大切なんですよ。でもこれにしても、適時、適物、適量、適用、摘様の原則からは外れられないんだけどね。

 雨のお蔭で、「静」は十分だったので、そろそろ天気にも回復していただいて、少しは動かないと、お尻から根が生える?

2017年7月 5日 (水)

初夏ノスタルジー

 また打った内容が全部消えちゃいました。どうにかしてくれ! 二度と同じ文章は打てないので、もうやる気がなくなりましたが、ちょっとだけ気持ちを入れなおしましょう。

 庭のネジバナが、一昨日くらいから咲き始めました。花言葉は「思慕」なんだそうです(以前読んだ植物図鑑では「ひねくれもの」ってあったので、あまりのイメージの違いから、あほちゃうか?と思ってましたけどね。でも「思慕」なら、かなりいい線いってます。可憐な外見と、ちょっと拗ねたようにねじれて咲くところが、見事に「思慕」の感情に合ってますね!)。

 先日ジョギング中に、野生のネジバナが咲いていたので、そろそろ我が家のも咲くかな?と思っていたら、2日遅れで咲き始めました。

 台風と、台風のせいで梅雨が戻ってきたらしく、ジョッグできなくて気持ち悪いですが、ジョッグの最大の楽しみは、自然が見えることですかね(大学時代には、東京にいたので、ほとんど見えませんでしたけど)。

 田舎の暮らしも、悪いことばかりではありません。可憐な野草を見るたびに、田舎も捨てたもんではないなあと思います。(で、気に入ると、我が家の庭に移植する。2~3年経過すると、元いた場所がコンクリなんかで整地され、一本も草がなくなっていたりして、我が家に移植させててよかったなあと胸をなでおろすことも、少なくありません。その時について入って来た雑草の駆除…一本ずつ手で抜きます。面倒な時には、鋏で散髪よろしく、カットしてしまいますが…には閉口いたしますが)

 庭での練習中、トマトをつまみ食いしましたら、こいつがやたらと美味しかった! 今は1日平均50個(大小取り交ぜて)くらいは食べていると思いますが(今に私の色がトマトレッドになったりして…)、幸いなことにトマト大好き人間の私は、まだ飽きてきません(もう十二分に元は取れましたけど。この調子で晩秋くらいまでは、トマトの欠乏に悩むことはなさそうです)。

 なんだか、ほんの小さな子供の頃に戻ったみたいです。あの頃は(自分の家の)畑にあるものは、ちょいとつまんで食べたりしたものです(よその家の畑だと、「こらあ~~っ!」ってことになったわけですが。今から思うと、のどかな時代でしたね…笑)。

 今みたいにお洒落なお菓子は、豊富にはなかったけれど、それでもその時代その時代で、それなりに美味しいものはあったような気がいたします。今ほど日本が経済的に豊だとは言われてなかったけれど、それでもそれなりに、いろんな面で豊かだったんではないかなあと、今更ながらに思います。

 私の場合特に感じるのは、あの頃の水はもっと美味しかったように記憶していますが、これは過去の時代についた、腕利きの弁護士のせいでしょうか(思い出は美化されるっていいますよね)。空気もそうですし、周辺の生き物でもそうです。(私が子供の頃、我が家から100Mちょいのところにある神社には、フクロウが住んでましたからね…トトロかも?… 今じゃ明るくきれいにはなったけれど、当時いたカブトムシもいなくなりましたし、何もかも見かけなくなっちゃいました。私がよく昼寝していた木…木の枝に登って寝る。サルだったんですね、私は。今でも人に進化できた自信はありませんが…もなくなっちゃったし)

 遠心力の恐ろしさを、身をもって学んだ、神社付属の水田も、今は埋め立てられて駐車場になってしまったし(よくツチガエルが産卵してました)。目を閉じれば当時の光景が鮮明に思いだせるんですけど、目を開けた途端、無味乾燥の広場が開けていたりするんですね。

 誰か、この心象風景を写真のように映し出す機械を作ってはくれませんかね。

※ 今月の『○○を語る会』は7月15日ですが、午後7時半頃からということでお願いいたします。会場が13周年記念で、混みあっておりますので。

2017年4月21日 (金)

春は忙しい……

 いやまったく、遅くなってしまった。夕方から、雑草が生い茂ろうとしている裏庭に、進入路を作ろうとしたんだね。でもここはニラとか、フキとか、ミツバとかが野草化し、カラスノエンドウだのなんだのといった、人間にとってあまり有益だとは思えない野草とごっちゃまぜに生えてしまっているんだね。

 先日ここにゴーヤを植えてしまったもんで、なんとか進入路を確保しておきたいと思い、先日は本物の雑草が多いところを重点的に刈り取ったのだが、今日はフキと雑草は入り混じっているところに取り掛かった。

 作る進入路は二本。ひいこらいいながら刈り取って、フキだけは分ける。実は私はフキが好きなのだ(もちろん食べるのが)。これだけで十分な重労働で、フキを茎だけにした頃には、八時半になっていた。(細い進入路2本で、茎だけの重量は1.5キログラムに達した)

 それから明日も楽しく遊ばなければならないので、準備をしておかねばならない。車のガソリンを満タンにし、ようやく晩御飯にありついた(腹減ってた。放っておいたら、自分の腹部についた皮下脂肪を食べたかもしれない。自分の皮下脂肪をちぎりとって食べたら、果たして消化率は100%になるのだろうか? そしてすべてが皮下脂肪となって、元のさやに納まるのだろうか。このあたりを研究すれば、新しいダイエットへの道が開けるかもしれない……んな馬鹿な!)。

 で、菊の露(私、これ案外好きなんですよ。以前H君が、合宿先の沖縄から送ってくれて、それ以来ファンになっちゃいました)をちびりちびりやりながら、「金曜日というのにろくな番組がねえな」などとぼやきながら(金曜日は日本経済の活性化のために、飲みに町へ繰り出すべき?なのです!本来は)晩御飯を終えたら、もう結構な時刻になってしまっておりました。

 なんでこんなに遅くなったかを反省してみると、フキである。フキさえなければ、ここまでは遅くならなかったはずだ。ではなんでフキなどにかまってしまったのか? フキが食えるからである。あまつさえ私にとっては、ビールのつまみに大変好ましい食材だからだ。つまりは「食い気」である。

 人は食べないと生きていけないから、「食い気」を馬鹿にする人間は、心貧しいやつではないかと、私は勝手に思い込んでいるが(あくまで私個人の考え方だ)、春先といえばそこここで芽生えの季節だ。中には食べると中毒症状を起こして死んでしまうようなモノもあるが、正しい知識さえあれば、めったなことにそんな目に遭うこともない(俄か仕立ての知識だと、とんでもない勘違いをすることがある。昨年だけで私は4~5人、見知らぬ人から質問されたが…山で…、そのどなたもが、食べないほうがいいものを、「これ食べられますか?」と尋ねてきた。私は親切にも、「口を開けて頬ばり、かみ砕いて飲み込めば、食べられないことはないでしょうが、その後のことは保証しかねます」と答えてあげた。全員、食べられないものを、見た目がちょっと似て(いるかなあ? 私的には、まったく異なって見えるのだが)いるらしい山菜と間違えておられた…幸い有毒なものではなさそうだったが。

 そうなんですね。この季節、食べられる(しかも美味な)山野草が、ぼこぼこ出てくるんですな。しかも芽生えの季節ということで、競争のように出てくる。できたら何日ずつかは時期をずらしてもらいたいのだが、あちらにはあちらの都合があるらしく、一度にあれもこれもどっと出る。

 こちらとしては、あれも食べたい、これも食べたい、いやいやそれもなかなか捨てがたい味だ、などと欲を出しているうちに、大変に多忙になってしまうのである。

 栄養学的には、あれもこれもまんべんに、バランスよく食べなさいということになっているが、本当なのだろうか。野生に生きていたころの人類は、きっとその季節に手に入るものばかりを食べていたはずだ。つまり自然界の規律に従って、その季節に手に入るものしか食べられなかったはずなのだ。

 これって言ってしまえば「偏食」だよね。こちらとしては選択の余地なく、自然界によって偏食させられていたはずなのだが、果たしてそれで健康状態がよくなかったのだろうか。食事以外の環境をすべて現代と同じようにして、自然が支配する、季節による偏食したグループと、季節を無視したように偏りなく食事を摂ったグループに分けて検証しなくては、どちらが正しいかは言い切れない。

 そうでなくても現代の、一般的な医学的な常識は、かなりあやふやなもので、多くの場合、お医者さんと利益を追求する人たちが結託して、病気でもないのに病気だと名前を付けているケースも少なくないからね。

 あるお医者さんがライオンさんに言いました。「そんなに肉ばかりを食べていたのでは、生活習慣病に罹ってしまいますよ」 またあるお医者さんがウサギさんに言いました。「植物しか食べないでいたんでは、免疫力が低下しますよ。たまにはお肉でも食べて、立派な筋肉をつけなけりゃ、キツネに追いかけられたとき、逃げ切れませんよ」

 残念なことに、生活習慣病で死んだライオンを私は知らないし、お肉を食べなかったからといって、狐につかまってしまったウサギを知らない。それどころか、ウサギは狐に追いかけられても、肉離れ一つ起こさない。筋肉痛で動きづらくしている野生動物なんか、お目にかかったことがない(動けば疲労しているのは確かです。そういった場面には何度となく出遭っています)。

 人間はライオンやウサギではないと思うけれど、個人差はけっこう大きいと思うので、その人に似あった食生活があるのではないかな。

 で、私は山野草が好きなので(鑑賞するのも食べるのも)、春は大変に忙しい。ほかのほとをしている暇がないくらいである。そういえば野生動物も、活動しているときの大半は、餌探しと食事ですわな。餌さえ十分に食べることができれば、あとは何もせずにぐて~っとしている。それでも大して肥満しない体質がうらやましいけど……

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