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2009年11月11日 (水)

武士の情け

 イギリス人英会話講師殺害の容疑者が、とうとう捕まったそうである。テレビなどでは、その話でもちきりだ。逃げ続けるとしても、人は人と接触しないでいられない生き物だから、逃げおおせる確率は決して高くはないだろう。逮捕されたときには、素直に捕まったみたいだから、きっと逃亡生活に疲れていたんじゃないかと思う。

 人はちょっとした心配事があっても、安眠できなかったりする。私なんかだったら、狂ったように練習して、酒を飲んで、臍天で寝てしまえばいいんだけど、官憲に追われていたら、そうすることもできなかったろうし。

 どんないきさつで事件を起こしたのかは知らないが、そして罪は罪なわけだが、逃げ続けるのは大変だったろうね。この上は一刻も早く、物事をすっきりとさせて、罪を償ってもらいたい。

 にしてもパスポート取得はねえ… もともと海外へ出るために、英会話を習っていたのかもしれないけど、パスポートを取得して、正式な形で国外へでるのは難しかったんじゃないだろうか。手続きは、何もしていない人にとっては、なんてことはないことだけど、顔は確認されるからね。

 不正な手段で海外へ出ても、表では生活が難しいだろう。するといきおい裏の世界に入らざるを得ない。すると今度は自分の安全が確保できなくなる。日本国のパスポートは、基本的に日本国民が外国で安全に暮らすために必要なものだ。犯罪を犯して海外へ逃げても、割が合わないことが多いんじゃないだろうか。

 それはさておき、容疑者のご両親にマスコミが殺到したのは、私には少し酷に見えた。おそらくはご両親も、子供は生んでも、そう育てたつもりはなかっただろう。ましてや子供ももう30歳である。未成年ではない。なのにあれこれ質問しているのを見て、「うわあ、可哀そう」と、反射的に感じてしまった。きっとご両親も、ある種の被害者なんじゃないかな。

 昔々オリンピックで、サッカー日本ティームが、下馬評での圧倒的不利を覆して、ブラジルに勝ったことがあった。あの時、日本のテレビ局クルーは、ブラジルのテレビ局クルーの所まで行って、あれこれインタビューするという暴挙をしたことがあるが、あれは私はとても恥ずかしい行為だと感じた。「慎み」がないと思ったんだね。でも今回の容疑者のご両親に対するインタビューは、若干、「武士の情け」がないんじゃないかと思っちゃったよ。

 ま、「武士の情け」って言葉自体、すでに死語となっているのかも知れないけれど。

2009年11月10日 (火)

地球最後の日

 今までいろんな「予言」がなされてきましたな。富士山が噴火するなんてのもあったし、二十世紀には日本が沈没するなんて予言もありました。超有名なところでは、ノストラダムスの1999年第七の月なんてのもありました。

 誰かがそんなことを言うと、大抵の人は、いくらかは不安になってしまう。信じたくないけれど、それを真っ向から否定するだけの情報を持っていないからだ。でもとりあえず私だけでなく、大方の人は1999年第七の月は、無事に通り過ぎて生き延びる事ができましたな。

 二十世紀末までに日本が沈没するなんて予言をしていたのは、JFK暗殺を予言した人だったり、ヒーリングで超有名な人だったりするけれど、我々日本人にとって嬉しいことに、今でも日本列島は海の上にある。最近の地球物理学の研究によると、日本は物理的に沈没しないんだそうな。それどころか数千万年の未来には、今太平洋にある島々が、遠路はるばるやってきて、日本の国土が広がっていたりするという説があったりする。エライ違いだね、沈没と比べたら。

 私は「日本が沈没する」って、ご丁寧に沈没したあとの地図まで描いていていた人がいるけれど、あれは小松左京さんの『日本沈没』という小説がヒットするってのを、つい間違えて、本当に日本が沈没するって思っちゃったんじゃないかと解釈しているけど、どんなもんだろう。

 小松左京さんも竹内均先生に質問して、「日本は沈没しない」と言われて、日本列島が地殻の上ででんぐり返るって考え方で、無理やり日本を沈めてしまったそうだけど(私は小松さんの作品も大好きで、読み狂った時期がありますから。この強引に沈めてしまうところが、ダイナミックでいいなあ…なんて。筒井康隆さんの『日本以外全部沈没』も好きですよ。DVDも持っているくらいだから)、予言者の皆さんの期待を裏切って、今でも日本列島は浮かんでいる(国としては政治家のみなさんがしっかりしていないと、沈没しかねないと心配しているけど)。

 1997年第七の月には、残念と言うかラッキーと言うか、アンゴルモアの大王は降りてはこなかった(少なくとも私の知る範囲では)。まあ予言ってのは、それが起こらないように予防すれば、当たりにくくなる性格はあるんだろうけど。

 でも人が不安になると、なんとなく世の中の雰囲気が、少々荒っぽくなるような気がしますな。どうせ○年にはみんな死んでしまうんだから、なんて投げやりな気分が世の中を覆うのだろうか。投げやりはいかんですよ。少しでも望みがあったら、どこまでも粘り強く生きてみなければ。

 勝負は下駄を履くまでわからない。これは相撲界の言葉なんだそうだけど、人生もそうだよね。諦めてたまるもんかい!って思っている人は、最後まで強いよ。そして本当に最後には笑う人だっているんだよね、けっこうな確率で。

 私は知らないが(写真や映像は見たけど)、1910年、ハレー彗星が姿を現したとき(前回の1986年だったかは私も観測しました。写真も撮影したかな。どこかへ行ったけど。残念ながら暗くて、1910年の記録や話だけを聞いていた私は、けっこう裏切られた気持ちがしました)、あれは地球にぶつかるとか、水星の尻尾には青酸ガスが含まれているので、どちらにしても地球人類は滅びるとか言われたみたいだ。

 実際ハレー彗星の尻尾は、地球の大気圏をかすめたらしい。当時の人は青酸ガスを吸わないように、息を止める練習をしていたそうだから、かなり笑える(この映像、どこかで見たような記憶が…)。中には、どうせ死んでしまうんだからって、全財産を使い果たして待っていた人もいたという(話を聞いたことがある)。

 ところがどっこい、無事に生き延びたんですな。洗面器にはった水の中に顔をつけて、息を止める練習をしていた人たちには、大した害はなかっただろう。でも全財産を使い果たして、地球最後の日を待っていた人たちは、かなり虚しい思いをしたのではないだろうか。(それなりに経済効果はあったと思うが)

 まあ地球最後の日が、運悪く来ちまったら、みんな死んじゃうんだから、諦めるしかないわな。でも僅かでも望みがあったら、生き延びる工夫をすべきだと私は思うよね。確かに人類最後の一人にはなりたくはないけどね。それでもペットが1匹でも生き延びていたら、その世話をするために、やっぱり生き延びるほうを選ぶかな。

 とっても潔くない生き方みたいだけど、生命を与えられて生まれてきたんだから、燃え尽きるまでは燃やしていたいよね。

2009年11月 9日 (月)

今のあなたは、あの頃なりたかったあなたですか…?

 今のあなたは、あの頃なりたかったあなたですか…? なんてCC(キャッチ・コピー)で宣伝している映画があるらしい。機嫌が悪いときだったら、「大きなお世話じゃ!!」と言いたくなるようなCCだ。

 幸いなことに機嫌は悪くないので、ちょっとこのCCで考えてみたい。「あの頃」というのが一つ大きな問題だが、まあ大学生の頃(それも4年生の頃。学年によって変わったからね)を「あの頃」として考えてみよう。(中学生の頃だったら、漫画家志望だったから、完全にアウトだよね。絵がすでに描けなくなっているもん)

 まず体型。なりたかった自分からみると、随分お腹が大きくなっちゃったなあ。これは明らかに「なりたかった私」ではない。太るなんて考えたこともなかったよ。私は体重が増えないで苦労したんだから。今は減らなくて苦労しているけど。

 視力も落ちたなあ。記憶力も落ちたし、柔軟性なんか、目茶落ちたよ(ストレッチなんかやる時間はない。夜やっていたら、そのまま寝ている)。こんなはずではなかった自分に、どんどんなって言っている。

 でも人生の進路だけは、大きく遠回りをしたけれど、ゆっくりとだが、あの頃の自分がなりたかった方向に方向転換しているのは感じるね。確かに普通に暮らしているよりはやらなければならないことが多いから(しかも他人には理解されないことが多い。最近では周囲に理解を求めるという行為をしなくなった。そんな時間があったら、前に進んだ方が速いからである。どうせ結果が出たら、わかる人にはわかってもらえるし)、しんどいけどね。

 なんでもそうだが、自分がやれることと、やりたいことの間には、大きな隔たりがあることが少なくない。私もそうだった。何をやったらいいのかわからなくて、あれこれいろんなことをやってみた。結局それが長い間かけて、私に少しずつ「力」をつけてくれたんではないかと思う。長い間しんどかったけど(今とそんなに違わない)。

 よく大人たちは言うじゃないか。「今頑張っておいたら、先で楽ができるから」って。あれって大嘘だからね。今頑張っておいたら、先でも頑張れるだけの素地ができるだけで。もちろん頑張らなければ、できなかったことができるようにはならないけどね。たまに「頑張らない」ってのがカッコイイって言う人もいるけど、あれも頑張る気がない人が言っているだけ。人と違う何かをやろうと思ったら、頑張らないでどうする?

 身体運用で「頑張らないで」って言う人がいるよね。あの「頑張る」ってのは、私が言っている頑張るとは違うよ。あれは筋繊維を過度に緊張させたり、何処かに大変な無理をかけていることを指す。無理をしているところは「過度に」頑張っているのかも知れないけれど、感覚やら、柔軟性やらは昼寝をしている状態だから、自分の全部が頑張っている状態ではないんだよね。

 幼い頃から頑張っていれば、またどこかで頑張らなければならなくなったときに、頑張れる自分になっていくだけで、「楽」なんてできない。きっと一生できないんじゃないかと思う。「あの頃なりたかった自分」の中に、私の場合、「楽」になっているというのはなかったなあ。

 私が子供の頃は日本は経済的に発展していた。どんどん豊かになっていた時期らしい。それでも学校から帰ると、両親は一所懸命働いていた。それでも生活が楽だったことはない。私は両親を見て、「大人になるってのは、こうやって仕事をすることだ。それでも金銭的に楽にはならないんだなあ」と、小学生の頃、しっかり頭に刻み付けた。私への両親からの、何よりの贈り物だったと思っている。

 ただ苦労した分は、誰かに認められるようなことをしたかった。今でもそれが達成できたとは言えないけれど、少しずつ変わっているように思う。こんなもんなんだよね。やったことがすぐに、すべて他人に拍手で迎えられるようになったら、人間、どうしても傲慢になったりしかねないから。

 少しずつ、少しずつ、あの頃なりたかった自分に近づいていけたら、それで十分である。今の状態は、そんなに悪いとは思わないよ。いくつかは悩みのタネもあるけどね。でも、あの頃なりたかった自分になろうとしている自分がいるので、まあ合格点をあげてもいい。

2009年11月 8日 (日)

朱に交われば……

 昨日、蔵(などというものがある家である。なにしろ古いもんで…)を片付けていた母が、懐かしい本を見つけてくれていた。一つは高橋留美子さんの『うる星やつら』だったが、もう一つ(4冊ありました。シリーズものなので、一つと数えます)は、私が大学時代に読みふけった小説である。

 見つけてくれたり、何かの形で私の目の前に現れるときは、きっと私に「もう一度読み返してみなさい」と誰かが言っているのだと、さっそく『うる星やつら』は夕飯のときにうるうるしながら読み(何巻かは秘密)、高橋留美子さんって、ストーリーテリングが上手いなあとほとほと感心し(何十回目の感心か忘れましたけど)、もう一つの小説の方は、寝る前にと部屋に持って上がった。

 はっきり言って今の私の文章は、我ながらひどいもんだと呆れている。学生時代の方がはるかにましだった。どうしてだろう。それはきっと読書量や、読書の質と関係があるんだろうなと思ってはいたけど、まさにその通り。今は日本語の小説を読む暇がなくなっていたんだねえ。

 いい文章を読んでいれば、いい文章が出てくる確率は高い。最近の私はボキャ貧に悩んでいるが(言葉が出てこない。すでにボケが始まっていると、自分で密かに嘆いている)、そりゃそうだ。語彙ってのは常にいい文章で刺激し続けていないと、どこかへ置き忘れてしまうもの。

 とりあえず、大学時代の自分に戻りたい。「泣きながら~、ちぎった写真を、てのひらに並べてみるの」である。すでにこの歌が古い? まあそんなこんなで、とりあえず好きだった小説は、つねに身近に置いておくことに決定した。どうせ片づけが苦手な私である。いまさら本の10冊や20冊、増えたところで大差はない。

 問題は、ページを開くが早いか、意識を失うが早いかだけの問題である。私は寝る前にDVDなどを見ることが多いが、機械を操作した記憶はあっても、1秒も見た記憶がないことが多い人だから(よく疲れているんですな。ちなみに我が家ではこれを、「DVDを寝る」と言います)、読むことができるだろうか。もしかすると究極の「つんどく」にならないだろうかと、いささか心配だ。

「乱読」していれば、いろんな知識が身につく。「積読」をしてしまうと、身の回りが片付かなくなる。読書はそれぞれ、そのスタイルに合わせて、発達させてくれる能力が異なる。そしていい本は、いい知識を身につけさせてくれる。これって、いい友人が増えたようなもんだ。

 昔々「近朱者赤、近墨者黒」と言った偉い人がいたそうな。いわゆる、「朱に交われば赤くなる、墨に交われば黒くなる」ということで、人はその交わるものの影響を強く受けるという言葉だが、やっぱり交わる者によって、その人の色(行動とか性格とか、思考とか言葉遣いとか)は強く影響を受けますな。

 強く影響を受けるのがわかっていれば、やはり付き合う人間や、読む本を選ぶのは、当然のこと。かつて「お前は人の話を聞かない」と言われ続けた私であるが、自分にとってこれは有用とか、勉強になるって話は、誰よりも熱心に聴いていた。でも忙しさにかまけて、本を読んでいなかった(外国語の本ばかりだったので、日本語がヘタになってしまった)。これは即、矯正しなけらばならないと決心した、昨夜である。

 でもこれから、またしても外国語を翻訳しなければならないんだよ。必要だから仕方がないんだけど……  ……どうする? ため息である。

2009年11月 7日 (土)

情熱と品格

 先日(2009年11月5日)の、衆議院予算委員会のようすには、正直がっかりした。これが国政を担当したり、国政に直接影響を与える人たちに態度かと思うと、もう選挙に行くのを止めてやろうかと思ってしまった。

 立ち見の議員が邪魔だから、審議ができない。これはわかる。でも立ち見が出ないような部屋でやる工夫というものはなかったのかと、素人目には思えてしまうんだけど。どの議員さんも、選挙の結果議員さんになられたわけで、議論に参加しなくても、その場にいる資格はあるんじゃないかな。

 それと野次。これは今までもずうっと感じてきたことだけど(私が国会などというものを、ニュースやなんかで見始めてからずうっと)、野次ってのは有権者の票なんだよね。本当に有権者は、野次なんかのために投票したのだろうか? 自分が投票した議員さんが野次しか飛ばしていないと知ったら、有権者はきっとがっかりすると思うよ。

 人の話をよく聞きなさい。これは私がほんの小さな子供だった頃から、言われ続けてきたことである。人の話を聞かないで(あるいは聞かせないように)野次を飛ばしているんだったら、はっきり言ってそんな議員さんの話も聞く必要はないよね。選挙演説をしている時に、誰かが野次り倒して、演説を聞こえないようにしたら、こういった議員さんはどう感じるのだろうか。自分がされた時だけは腹を立てる? 自分はやっているのに。おかしいよね。

 この傾向はいつもいうことだが、朝っぱらから政治家を呼んだ番組なんかでも同じだよね。とにかく人の言うことを聞かない。人に喋らせないようにする。テレビタレントがやっても見苦しいけれど、政治家の皆さんはテレビタレントではなく、この国の経営について責任を持っているわけでしょ。もう少しなんとかならないもんかね。

 もちろん、かつて本ブログでも書いたように、テレビ番組であれば「時間制限」がある。限られた時間内で、自分の主張を、できるだけたくさん発言したい気持ちもわからないではない。けれども今はこれだけインターネットが発達しているんだから、きちんとした形で発表することもできるんじゃないかな。もちろん、魅力的なものでなければ、誰も見てくれないだろうけどね。そこですでに政治家としての資質が問われているから、有権者も誰を支援するかの判断材料になって、いいのではないかな。

 まあしかし、先日の予算委員会のは醜態だったね。特に名前を呼び捨てにしての罵りあいは、まるで質の悪い、小学校の学級会か、それ以下だったよ。これ、テレビで放映されているってことは、将来を担うはずの子供達も見ているんだからね。

 私が、国政を担っている人たちに、「君子であっていただきたい。君子でないのなら、せめて君子であろうと努力していただきたい」と思うのは、こういった醜態はどんどん次の世代に受け継がれていきかねないからだ。人は取り合えず、見たものをまねするからね。これを真似ぶ→学ぶっていうよね。

 男は(男に限らないと思うが)四十を過ぎたら、自分の顔に責任を持ちなさいという言葉があるが、顔だけじゃなくて、行動にも責任を持っていただきたいものだ。人生の後輩達は、みんな見ているんだよ。望むと望まざるとに関わらず。テレビが放映するから。きっとこれは海外でも流されているだろう。これだけインターネットが発達しているんだし。

 情熱があれば、感情が激することもあるだろう。でも相手を呼ぶときには、せめて「○○さん」「○○君」、役職があるんだったら、名前の後ろに役職をつけてもいい。いくらでも呼び方があるんじゃないのか。飲み屋でお酒が入って、つい昔の同僚同士で呼び捨てにしあっているわけじゃないだろうに。

 若い人にこんな姿を見かけることがある。わざと粗野な言葉を使う。わざと大声で怒鳴るように喋る。成人していないのに、わざわざ人前でタバコを吸ったり、お酒を飲んだりする。人前でそうしてみせるってことは、人の目を意識しているんだろうね、きっと。

 でもそれは勇気の証明でも、自分の強さを証明しているわけでもないんだよ。勇気がある人って、むしろ平凡に暮らしている人の中から現れることが多いし、いざとなったとき、わが身を省みないで人助けをするなんて人は、日ごろ目立たず、大人しく暮らしている人の中に多いもんなんだけどね(もちろん、例外はあるだろうけど)。

 昔々に見た『スターウォーズ・帝国の逆襲』で、ヨーダに師事するために行ったルーク・スカイウォーカーが、「偉大な戦士を探している」と言うと、ヨーダ自身が答える。「戦いで人は偉かならん」 これはなんとも味わいのある言葉だ(私自身は、戦いで人は偉くなる場合もあるのではないかと思っているけど。もちろんこの戦いは、ただの戦争という意味ではないよ)。

 粗野な言葉を使っても、大声で怒鳴っても、それだけでは強くもならないし、成長もしない。法律をこれ見よがしに破って見せても、それだけでその人が英雄になるわけではない。特に年齢制限なんか、誰でも制限年齢になれば、合法的にできるわけだし。大臣を呼び捨てにしても、政権政党に返り咲きできるわけではない。人にその情熱を曲解されるだけ。

 情熱は必要だと思うけど、情熱を上手に表現しなければ、人には通じないと思うよ。どんな芸術でも、どんなに自分が激しく感動したものがあっても、それを相手に伝える技術や人格を持たない人は、やっぱり何もできないんじゃないかな。自分がどんなに高邁な理想を持っていても、誰も耳を貸してくれないのではないだろうか。

 だから昔の人は、人格を磨こうとしたんだろうね。情熱だけでは何もできないことを知っていたから。だいぶ前『女性の品格』なる本がベストセラーになったみたいだが、やっぱり品格は女性だけでなく、どんな人にも必要なんじゃないかと思う。

 でも「私は君子ではありません」などと、一番偉いかもしれない人が言い切ったら、なんとなく寂しいよね。せめて「君子になれないけど、努力している」とかなんとか言えばよかったんだけど。でもお金の問題で苦戦しているみたいだから、それも言えなかったんだろうか。してみると、思いのほか正直な方なのかも知れない。

 私は正直より、国民に幸せを与えてくれる人が好きなんだけどね。まあ、私としては、情熱を上手に表現でき、その理想が私にとって好ましい人に投票するというのは、基本姿勢なんだけど。だから前の岡山県知事選みたいに、どちらにも入れたくないときには「棄権」という意思表示をすることもある。

 棄権が多くて、投票率が30%とか35%とかに達しなかったら、どの候補も落選なんて規則はできないかな。そうしていいと思える人材が現れるまでは待つ。あるいは選挙管理委員会なんかが、捜し歩いてお願いする。これも現実的ではないけれど、思わず考えてしまう私である。私が考えても世の中は大して変わりそうもないけど。

2009年11月 6日 (金)

勝負強い

 いや、驚いた。松井選手が凄いのは知っていたが、4打数3安打、6打点のMVPでしょ。これは凄い。シーズン中は、浮いたり沈んだりに見えていたけど、ここへ来て凄い活躍だったよね。

 これ見て一番に思い出したのは、高校野球の頃だった。明徳高校対星稜高校の、有名な5打席連続敬遠事件だ。まさにあれは事件なみのインパクトがあったけれど、今こうしてみると、ボロカスに言われた明徳のM監督に、先見の明があったんじゃないかと思うくらいだ。

 大リーグでこの勝負強さだよ。トーナメントで1回負けたらお終いって状況なら、もっと凄いことをやったかも知れない。とりあえず当時から凄い選手だって評判だったし。勝負を一番に優先すれば、そりゃ敬遠もしたくなるわな。

 あの時は解説者も連続敬遠に非常に批判的だった。でも敬遠しないでいわゆる勝負したら(打てなかったかも知れないけど)、危険と判断したんだろうね。どうしても勝ちたいと思ったら、敬遠だって戦法の一つだから、しかたがないよ。

 プロ野球だったら、来ている観客の皆さんがお金を払っている以上、客席が「勝負を見たい」ケースだったら、打たれるのがわかっていても勝負しなければならないだろうけど、チームとしての勝敗が最優先と考えたら、勝負しないのもまた大切な戦い方かも知れない。ましてや高校生が勝負しなかったって、凄い勇気のいることだったろうね、きっと。

 もしここまでの凄い勝負強さをM監督が感じ取って、5打席連続敬遠をしたのであれば、松井選手の凄さを誰よりも高く評価していたのは、M監督だったってことになるよね。勝負に勝つために、最大限の敬意を払って敬遠したんだったらね。

 松井選手が只者でないのは、いまさら私などが言う必要もないけど、5打席連続敬遠ができた人たちにも(それでしっかり試合に勝っているんだから)、凄いなあと、改めて思った。

 かつて桑田投手に「松井選手は凄いですけど、どなたが指導されているんですか?」と尋ねたとき、桑田投手は「長島監督でしょ」とさらりと言っておられた。ちょっと我々にはわかりにくい日本語(かなあ? だいぶカタカナも混じっていたけど)を使われて、時に何を言っておられるのかわからなかったけど、やっぱり長島さんも凄かったんだろうね。

 そういえば長島さんも、めっぽう勝負強かったよね。勝負強さは、指導可能なんだろうか?

2009年11月 5日 (木)

そっくり

 昨日あたりから、例の、イギリス人英会話講師のお嬢さん殺害容疑者に関する話が爆発的に増えた。整形手術ってのは、確かに自分を隠してしまうのに考えられることだが、最初の整形手術は「元の顔」を人前に晒すわけだから、どうしてその時点で発覚しなかったんだろうと、不思議に思う。

 まあ裏のある業界というように聞いているので、裏でやっていたらわからないよね。それでも手術ってのは、誰かの手を借りなければならないから、大変だ。自分の表を変えても、世の中を生きていくためには、自分の本籍なり住所なり、家族なり、知人なりの証明が必要なことも少なくないので、どこかでバレてしまうだろうね。

 美容整形などが盛んな国もあるようだけど、どうしても必要に迫られなければ、親がくれた顔なので、できるだけ自然のまんまにしておきたい(厳しい人生を生きた人は、厳しい顔になるかもしれないし、のんびりした人生を生きた人は、のんびりした顔になるかも知れない。顔は人生を語るというけれど、まさにその通りである)。

 特徴を変えれば、すべてが変わって見えるようになるというのはよくわかる。私だってまったく違う人種とか民族を見たら、だれの顔を見ても、区別がつかないもの。その人種とか民族とかとある程度付き合って、特徴を細かいところまで理解しなければ、個人個人の顔を見分けることが難しい。

 私はよく誤魔化すことがある。AさんとBさんが似ているだろうというような会話で、「ああ、似てる、似てる。目が二つあって、鼻が顔の真ん中にあって、その下に口があって、頭の両側に一つずつ耳があって…」 当たり前である。ようするに、特徴がさっぱりわかっていないということだ。

 ヒトとしての生物な特徴は、人類共通である。それを似ている要素には、普通は入れない。要するに細かいところまでは見ていないと告白しているのと同じだよね。

 似たものを表現するといえば、声帯模写とか形態模写とかなんかがあるよね。テレビなんかで芸人さんがよくされているのを見かけるけれど、何を真似ているのかというと、やっぱり特徴を真似るのが基本中の基本みたいだ。大昔のことでいつのことだったか忘れたけれど、松田聖子さんが何かの賞を貰って、受賞の場で泣いて、それから暫く「松田聖子の物まねをやりま~す」てのが流行したことがある。

 それを物まねか何かで審査されていた、往年の名優Oさん(故人)が「泣きゃあ、聖子ちゃんってもんでもないでしょう」と評しておられた。まさにその通りである。その泣き方がよほど特徴的でなければ、泣くだけでマネをしたことにはならないよね。

 私が大好きだった(今も)松田優作さんが『太陽にほえろ!』で殉職したときのシーンも、皆真似したもんだよね(年がわかる?)。「なんじゃあ、こりゃあ!?」って奴。上手かったよねえ、あの感情表現。やっぱ天才だったんだろうね。

 でも優作さんの存在感、キャラクターが真似できないで、ただ「なんじゃあ、こりゃあ!?」だけ真似ても、似ていなかったよね。(そして松田優作さんの存在感が真似できる人は、そうたくさんはいないのは当たり前なんだけど)

 スポーツなんかでも、指導者は自分が学んできたドリルなんかを選手に伝えることがある。この時、上手い指導者とヘタな指導者ははっきりと分かれる。上手い指導者は、動きのポイントと特徴を捉えるのが巧みなので、上手に教えることができる。ヘタな指導者は、とりあえず全部伝えようとして、そのドリルを見せてくれたオリジナルと自分との違いに気づかないことが多くて、同じことをやったつもりで、全然違うものを教えていることが多い。

 恐ろしいことに、現役時代にまあまあ競技力が高かった選手でも、指導者になったら、こういったことがヘタな人もいる。競技力はそれほどでもなかったのに、こういうことなら任せとけというタイプもいる。指導力がそれだけで決まるものではないとは思うけど、こういうタイプの指導者の中には、指導者になって結果を出す人が案外多いように思う。

 自分が高いパフォーマンスを出すには、自分の動きに詳しいだけでいいのだけれど、他人の動きを他人に伝えようと思ったら、人の動きの特徴を掴まなければならないからね。そういえば私の亡き父は、人の動き(それもかなり奇矯な動き)をまねするのが上手かった。

 父はスポーツの指導なんかしたことがなかったけれど、私にもその血は流れているらしく、わりと苦労しないで動きを伝えることができているよ。私は奇矯な動きなんかやらないけどね(本人はそう信じている。十分奇矯だという声があるかも知れない)。

2009年11月 4日 (水)

大気汚染

 毎日のように屋外でトレーニングしていると、季節の変わり方がよくわかるけれど、今日は冬みたいだった。一応、冬の準備はこの時期にはしているので、冬の装いでやったら、汗が出た出た。やっぱり、まだ冬ではなかった。

 暖かかったのから急に気温が下がると、実際よりも寒く感じるよね。風が強かったら尚更だ。それでも、折角だから、時間さえあれば(時になくても)練習はする。たまには真っ暗な中で練習していたりする。「やると決めたらやる」

 でも次第に動くのに適していない季節になってきたなあ。だいたい日没が早すぎるよ。まあ暗ければ、他の人がいなくなるから、好きなだけ好きな練習をして、かまわないんだけどね。この気楽さがいい。

 でも、今年の春くらいから、とみに感じることだけど、なんだか数年前より空気が汚くなっているように思うね。春は私は花粉症があるので、確かなことはわからないが、今年なんかのケースだと、花粉よりも黄砂の方がきつかったように思う。

 走っていて一番以前との違いを感じるのが、痰の絡み方。それと寝ていて鼻が詰まる。これって空気が汚れている証拠じゃないかな。お陰で年中喉飴が放せなくなったよ。年中喉がいがらっぽいし。

 気温が下がってきたので、練習後、シャワーを浴びても、気を抜いたら風邪をひいてしまう。(実は、汗をかく生活を続けているわりには、私は汗をかいたままいるのが大嫌いな人である)そこで着替えをするわけだが、飲み物が変わってきたね。

 何を飲むのかというと、大量に熱い鉄観音を淹れて、吹きながら飲むんだね。するとまた汗が出たりするんだけど。身体は温まるよ。そのうち、緩やかに体温が平熱に戻っていく。そして私は再び仕事に戻るのである。

 空気が汚くなっているとしたら、おそらく西から空気がやってきているのではないだろうか(ジェット気流はあるし、高気圧、低気圧なんでも西からやってくるんだもんね)。でも練習した後も、西のお茶を飲んでいるから(さすがに冬はトイレが近くなるけど)、まあ仕方がないのかな。

 これは肉体的な大気汚染の話だけど、熱気を帯びてきた国会の論戦も、結構な大気汚染のような気がするね。いろんな議論が行われているけど、国民は、今より暮らしやすくなれば、何でもいいんじゃないかと思うよ。議論で相手を言い負かしても、その結果、幸せな暮らしができないんだったら、対して意味はないよね。

 しかし野党の弱点が見えてきた気がするね。それは今まで外交をしてきた経験がないということだ。外交は外国との合意や駆け引きだから、連続性が重視されると思うんだけど、何でもかんでも変えようとばかりする意識が先立ったら、相手の国は「ざけんじゃねえ」ってことになるかも知れないよね。

 国内のことは、何だかんだ言っても、国内ですむことが殆どだろうけど、外交はちょっと難しいよね。「受け」だけを狙ったような発言に終始するんでなくて、なんとかうまくやっておくれよね。口先だけで国民を誤魔化すんでなくてね。こういうのは、私はもしかしたら「精神的大気汚染」なんじゃないかと思っているから。なんとなくうまく言い逃れることさえできたらいいような。

2009年11月 3日 (火)

便利は不便、不便は便利

 だいぶ以前のことになるが、ニロチカの近藤さんと話をしていて、魚を飼育するにしても、あまり飼い主が楽ができる道具を使うと、いざと言うときに困った問題が起こるなんて話になった。

 その通りであって、あまり便利なものを使って飼っていると、魚の顔や水草の状態や、水の状態を見なくなってしまうんだね。中でも一番失敗の確率が高いのが、タイマー付き自動給餌機。これは最低の道具だわ。

 昔々、私が遠征か何かで1週間近く家を空けることがあって、水槽にこの機械をセットして行った。帰ってきて、水槽を見て驚いたのは、その道具の下の底に餌が堆積していたんだ。

 勿論、餌の量は慎重に検討した結果、多すぎないようにしていたんだけどね。理由は簡単にわかった。人間が餌やるときって、あちこちに餌がいくようにしているよね、無意識のうちに。そうすれば強い魚だけが餌を独占して、弱い魚が餌を食べられないって現象が起こらないから。

 でも機械にはそんな気配りは無理ってもんなんだね。それでいつも同じところにドバって落ちるから、そこに餌が堆積して腐っていたんだね。水の調子を元に戻すのに苦労したよ。バランスがいい水は少々のことではびくともしないけど、一端調子を狂わせたらなかなか元に戻らない。

 他の電気製品でも同じことが言えるわけで、最近あれこれとたくさんの機能が一つの機械についていたりするけど、どれか一つでも壊れたら、全部買い換えなきゃいけなくなっている。最近の機械は修理するよりは、新しく買ったほうが安くつく場合も少なくないから。

 だから便利なのは、調子よくいっているときだけで、一つ調子が狂ったら、便利なものほど不便だと感じてしまうよ。

 これに対して昔風の道具なんか、調子が悪かったら、拳骨でドンっと殴ったら直ったりするくらいで、使うにも独特のテクニックが必要だったりする。こういうのは少々機械の具合がわるくても「騙し騙し」言うことを聞かせることができたりするんで、案外便利だったりするんだけどね。

 人間でも似たようなことが言えるよね。何でもできる人が一人いたら、職場としては大変に便利なわけだけど、この人がインフルエンザにでも罹って欠席したら、一気に業務が停止したりするから。これってとっても不便な話だ。

 不便な道具を使っている人間は、人間の側で工夫するから、人が伸びたりするけど、あまりに便利な道具ばかりだと、人は工夫しないもんね。工夫するところに人間のよさがあると私は思っているんで、便利さもほどほどが一番かな。

2009年11月 2日 (月)

棚から本マグロ!?

 いやあ、秋の陽は岩石落としだ(ルー・テーズじゃねえっての!!)。10分トレーニングを始めるのが遅いと、とっぷりと陽が暮れますな。いつも通りなれたコースだから、それほど危険ではないけれど、それでも石ころに足をとられそうになった。いい練習になった。

 何よりも今日は中島みゆきさんの、紫綬褒章が嬉しかったね。私も青春時代から、ずうっとみゆきさんの歌のお世話になってきたから。

 だれだって人生に躓いたり、悩みを抱えたり、自分ではどうしようもない事態に途方に暮れることはあるだろう。抑えることができない悲しみや、怒りや、絶叫したくなる懊悩や、いろんなものを抱えて生きているんだろう。

 私の場合は、人生に絶望して、やけになりかけたとき、いつもみゆきさんの歌を聴いていた。おかげでいまのところ官憲のお世話にならないで、どうにか生きている。そして今の仕事を選んだのも、実はみゆきさんの影響が大きかったのではないかと思っている。もう深層意識にまで根を下ろしているから、どこからどこまでかわからなくなっているけどね。

『中島みゆきのオールナイトニッポン』、大好きでしたね。睡眠不足になるのも構わないで、聞いていましたっけ。それでいつも救われたような気がしていたのは、私だけではなかったんだろうと思う。というのはコンサートに行った時の熱気が凄かったもんね。

 どんな歌手の人だって、コンサートはそれなりに熱気があるもんだけど、やっぱりどこか少し違っていたと思うよ。そして新潮社から『伝われ、愛』が出たときは、すぐ買った。泣いたなあ。もう、感動して、感動して。

 この本は何冊も買ったんだけど(たぶん10冊くらいは買ったと思う)、不思議なことにすぐなくなるんだよね。みんな人が持ってっちゃう。おいおい、俺のを残しといてくれ~っ!! なんてね。今じゃ、手元に文庫本になったのが1冊と、ハードカバーだったのが1冊しか残っていない。出版元に問い合わせても「絶版です」なんだって。

 ものごとに悩んだり、いらいらするときには今でも読み返す。あの頃のオールナイトニッポンの雰囲気と同時に、自分の思い出が大挙して蘇ってきて、ちょっとパニクってしまうけれど、それでもちゃんと魂が浄化されているんだよね。

 私は魂の浄化ってのを大切にしているけど、それを最初に教えてくれたのは、みゆきさんだった。そうしてこの嫌なことが多い人生をどうにか生き延びている。身体は飯食って寝ていれば維持できるけれど、心に溜まる人生の垢や滓は、何かで浄化していかなければ溜まる一方だから。気がついたら、とんでもなくつまらなくなってしまった自分がいて、生きていくのが嫌になったりするからね。

 でも嬉しかったなあ。みゆきさんの歌を泣きながら聴いていた、自分の青春時代までが表彰されたような気がしたよ。これでまた少し頑張って生きてみようかって、元気が出た。

 本当に、みゆきさん、おめでとう! コンサートに行くだけで、まだ一対一でお会いしたことはないけど、私も、もうちょっといい仕事ができるように、頑張るね。ありがとうございました。

 これからもいい歌、聞かせてくださいね。

2009年11月 1日 (日)

師の教えはありがたい

 今日、仕事場へ来る途中のできごとである。いつも通いなれた百間川の土手に、変な格好で自動車の後部が傾いて見える。「はて? あんなところに坂があったかな?」 人間という生き物は、日常と異なることがあって、初めて「ああ、あんなところに…」ということが少なくない。

 でも近づいてわかった。やっぱりそんなところに坂はなかったのである。そのかわりスポーツカータイプの車が、頭をガードレールの下に潜り込ませるようにして、ガードレールが巻きついた状態で止まっていた。もしもガードレールがなかったら、土手の下へ真っ逆さまというケースである。

 スポーツカータイプの車は車高が低いから、ガードレールの下に潜っちゃったんだ。そうそう最近、危ないケースが少なくないよ、先日も木曜日の練習から帰っていた途中、ウィンカーもなにも、全然合図ナシに、私の車のまん前に突然猛スピードで割り込んできたアホがいた。私が急ブレーキをかけなかったら、ほぼ確実に事故ってる。よほどお話をしてあげようかと思ったくらいである。

 昨年も相手方の一方的な過失によって、私の車は横転するような事故に遭遇した。一端停止無視で、ほぼ全速力での衝突である。前さえ見ていれば事故など起こらないところで、余所見しても塀くらいしか見えないところだから、きっとメールか何かを打ちながら運転していたのであろう。

 こういった人間は、一つ間違えば凶器になるようなものを操作させるべきではない。結果的に死亡事故にでもならなければ、そのまま野放しになってしまう。空恐ろしいとはこのことである。自分ひとりで死んでいくには、私は止めないが、何の罪もない人間を巻き込んだら、たとえその人が死ななかったとしても、免許停止でいいんじゃないか。

 高速道路無料化なんて、どうやって道路を維持していくのかわからないことをうたっている政党があるようだが、財源を事故った人に(もちろん加害者)負担させるような法案を作ったらいかがなものかと思う。最初は考えもなしに、事故る人も出るだろうが、事故を起こした人間だけに課税するのが当たり前になれば、みんないくらかは慎重な運転をするのではあるまいか。ただでさえ生活が楽ではないのに、働いても働いてもすべて税金に持っていかれたら、堪えるからね。

 前振りが長くなってしまったが、遭難された船から3名もの人たちが奇跡的に救助されたのは驚いた。まだ見つかっていない人もいるので、大喜びはできないが、この事故は私に、大学一年生のときに、ある先生が教えてくれたことを思い出させてくれた。

 先生は昔々、帝国海軍にいたことがあるとかで、我々には使えないんじゃないかと思えるようなことまで、いろいろと熱心に(本当に熱心に)教えてくださった。あまり熱心に教えてくださるので、それがテストに出るのではないかと心配したくらいである。

 例えば、水平線までの距離の求め方。私は残念なことに、水平線まで行く気がない人だったので(行っても行っても、水平線はあるような気がするし)、頭の中ではパスしていた。ボートに乗ったときの手のつきかた(これには随分納得したので、今では私が人に教えている。指をボートの外側に向けてはいけませんという奴。何かの拍子に岸なんかと擦れると、ボートの運動エネルギー…先生は「力」と仰ったが…は想像よりもはるかに大きいので、指なんかはなくなってしまう)。そして海で遭難したときの対処法。

 海で遭難したときの対処法で先生が一番に仰ったのは、「その場を動かない」ということだった。理由は、捜索隊はまず事故が起こったところに来るものだから、であった。そこを捜索しても発見できなければ、潮の流れとか、風とか、その他の要素を考えて捜索域を広げていくのだそうである。

 これも大変に納得してしまったので、水平線までの距離の求め方は忘れたけれど、ちゃんと憶えていた。納得って恐ろしい。先生は仰った。「君らが少々泳ぎに自信があったところで、海は広い。近くの島まで… なんて考えるくらいなら、とにかくそこに浮かんでいなさい。体力が落ちるようなことはしないこと」 

 やっぱり経験を積んだ人の言葉って、値打ちがあるもんだよね。自然の怖さを十分知っていて、そこで我々ができるベストのことを選択するように教えてくれていた。

 それにしても救助された3人の男性には、凄いとしか言えない。人は真っ暗な中で、しかも密閉空間だと「絶望」しか見えなくなるんだけどね。きっと3人の人たちで励ましあっていたんだろうね。一人では絶望しか浮かばなくなってしまうときにでも、3人だから頑張れたのかもしれないもの。

 こういうことが起こると、人は1人では生きていけないものなんだなあと、改めて思う。正しい知識と正しい判断、そして助け合える仲間が必要なんだね。

2009年10月31日 (土)

思いつきを言えば、ズバッ!なのか?

 ウィークデーの朝は、勤めに行くときによく見させていただいている、朝のMさんを中心に据えたニュース(?)番組であるが、またしても不適当な発言で、どこかからお叱りを受けたらしい。

 テレビ出演回数でギネスにのるくらいなんだから、Mさんは超多忙なんだろうと思う。よく身体がもつもんだと、私なんかは感心している。やはり何事によらず、大成した人はタフだよね、身体が。あれでお酒をかなりお召し上がるときては、ようやるねと感心する。

 勿論、人気があるからあれだけいろんな番組に引っ張り出されているんだろうけど(一時、もう人気に陰りが見えたなんて週刊誌などに出ていたけど)、忙しすぎるとどうしても見落としが出てくるよね。特に、人気が高いほど大勢の人たちが見ているということだから、大変だ。

 同じ事柄でも、それぞれの人の立場によって利害が逆転することはしょっちゅうあるもんだからね。だから「ズバッ!!」というのは、私はちっとも構わないんじゃないかと思うんだけど、それで重大な不利益を蒙る人やモノがいたり、あったりしたらちょっと問題なんじゃないかと思うよ。

 忙しいといちいち喋る言葉まで考えられないよね。だからその場その場で感じたことを喋ると、かえっていい場合もあるだろう。でもそれだけに頼っていたら、どうしても「物事を多面的に見る」って姿勢が損なわれていきやすいから、偏った発言になってしまいやすいよね。

 いやMさんのコメント、いろんな人が批判しているけど、私は凄いなあと感心している部分はあるんだよ。だって「お前にできるか?」って私が言われたら、とてもできないだろう。ニュースなんてあらゆるジャンルで発生しているし、それに対応してそれなりにどの分野でもコメントしろ、なんて言われたら大変なことだよ。特に私みたいに、じっくり考えなければならないタイプはそうだね。

 ただし、「ズバッ!!」と切り込むのであれば、むしろいろんな角度から多面的に捉えて、熟慮断行した方が、案外有効なんではないだろうか。思いつきによる発言ってのは、どうして深い部分まで考えられないし、多くの人の感情まで考えて動くことはできないだろうからね。

 以前、夕張のときも、なんだかごたごたしていたみたいだし、思ったことをすぐに口にしているようなところが見受けられるけど(そしてそれがMさんの魅力の一つなのかも知れないけれど)、攻撃的な言葉、批判的な言葉ってのは、使い方を誤ると、全然違う方向に走るからね。(褒めている分には、たいして問題にされないことが多いけど)

 特に発言力が大きくて、社会に対する影響力が大きな人なんだから、「ズバッ!!」も、もっといい「ズバッ!!」であってほしいもんだ。もちろんその為には、「余裕」が必要なんだろうけどね。

 どんな仕事をしても似たようなものだと思うけど、やはり「余裕」がなければ、いい仕事はできないもんだよね。後ろを振り返る余裕がなければ、自分がやったことを反省して改善を加え、次に取り組むことに活かしていけないし、計画を立てる間もなく始めた仕事なんて、結局計画を立てる時間以上に、時間と労力とお金を無駄遣いしていることが少なくないし。

 思いつきは大切だけど、それを熟成するだけの「余裕」がなければ、どんな人だってなかなかいい仕事はできないんじゃないかと思う。

 私が今までお話を聞いた人の中では、Iさんという大作家(お名前を言えば、日本人で読書する人なら、まず知らない人はいないであろうと思える方)は凄かった。縁あって講演されているお話を、ステージの裏と袖から拝聴する機会があったけど、ゆっくりと語られるお話の内容は、どの言葉にも説得力があり、そのままテープ起こしするだけで、一冊の本が出きるんじゃないかと思ったほどである。

 でもそういう人だって、やっぱり時間をかけて思索し、いろんなことを積み上げてこられたからそういった芸当がおできになるんじゃないのかな。なんでもかでも、「さあやれ」「そらやれ」では、いい事にはならないように思うね。

 もしもそんな弊害がたくさん出てきたのなら、そろそろチェンジの時期なんじゃないかな。若手を育てるのは時間がかかるけど、どんな人間でも永遠に活躍することはできないんだから、育てる努力していなければ「間」にあわない時期がくると思うよ。

 焼畑農法が大きな問題を持っているのは、今頃の環境を考える人ならみんな知っているよね。でも人材の発掘だってまったく同じなんだよね。「勝手に育て」と言ってしまうと、やっぱり勝手な人しか育たないんだ(そういう部分がまったく不必要だとは思っていないけど)。育てるには、ある程度は手をかけ、時間をかけ、お金をかけないとね。人材発掘だって、いつまでも焼畑農法的な手法では、無理な時期がくると思うよ。

 スポーツ界なんて焼畑農法に頼っていたら間に合わないから、最近では子供の頃から、ちゃんと手間隙かけて、お金かけて取り組んでいるもんね。それもまた「思いつき」を言ったりしたりするのとは、まったく逆のやり方だよね。

2009年10月30日 (金)

妥当なお値段

 お店に行って買い物をしたり、食事をしたり、遊んだりすると、当然のようにお金を支払う。この時に、こちらが充実した時間を過ごせたり、いいものを買ったという満足感が得られれば、支払いをするときに「高いなあ」とはあまり思わない(全く思わないということもない。それはこちらの懐具合と、密接な関係がある)。

 それでも死にそうなくらい空腹なときだったら、少々お値段が張っても、とりあえず食べるよね。この時には「高いけどまあ仕方がないか」くらいの感想だね。お腹が減ってもいないのに、好きでもない食事は、値段に関係なく食べない。すごく安かったとしても、全然安く感じないよね。

 妥当なお値段ってのは、状況でどんどん変化すると思う。例えば私にとってのダイヤモンドなんかが、まさにそのパターンだろう。基本的に私はダイヤモンドなどの宝石や貴金属にあまり興味がない。でもそれらが世間一般では大変な値打ちを持っていると知っている。すると世間一般での評価を基本にして、判断をする可能性が出てくるんだね、お金に余裕があれば。

 こうなればすでにもう「投資」の一種である。「投資」であるからには、これは何か価値のあるものと取り替えることが前提になる。私のおつむはとても単純にできているので、あまりこういうことは考えられないんだよね。手に入れたいものには直接アプローチするのが基本姿勢だから。

 何かを手に入れるときの対価が、妥当かどうかは、それを手に入れたあとの満足感次第である。今、マスコミで喧しい34歳の女の結婚サギ事件など、やっぱり結婚前の資金として数百万円も手渡すのは、私は妥当なお値段とは感じられない。そんなに派手にしてもどうしても相手と結婚したいほどの人なら別だが、果たしてそれだけの値打ちがあったのかね。タレント同士の結婚でもあるまいに。

 タレントさんならわかるんだよ、大金を使っても、大衆にさまざまな夢を見せてくれるのがタレントさんという存在の仕事だと思うから。でもそれを一般人がマネしても、しょうがないよ。私ならそのお金を、きっちり結婚後の生活のために使えるような人の方が好ましいね。もちろん結婚は人生のケジメだから、何かをしたいというのはわかるけど。

 びっくりするような金額を結婚前に要求したら、まず私ならその相手はこちらを見ていないで、お金が目当てだと考えるよ。結婚サギなんて男の専門なんてことを言っているような人もいるけど、そんなことはない。どちらだってできるチャンスがあるのなら、事件としてなりたち得る。

 妥当なお値段ではないと感じたら、普通買い物だったら買わない。食事だったら食べない(さすがの私も、中国で非合法に…あちらでも法律に触れるらしい…オオサンショウウオを食べようとしたら、なんと日本円で20万円と言われたので止めた。違法だなどと言っても養殖しているくらいだから、お金さえ出せばなんとかなるらしいのだが。趙本山の『落葉帰根』では600元…日本円で10000円くらい…と言っていたのに)。それと同じ。

 まあこの34歳の女性についてはいろいろなことが出てきているらしいので、毎晩楽しみにニュースを見ているんだけどね。妥当なお値段以外のものは買わない、そう思っていれば、自分の身の丈にあった人生が手に入るような気がするんだけどね。

2009年10月29日 (木)

空恐ろしい

 空恐ろしい、と言っても古代の杞の国の人のように、空が落ちてくることを心配しているのではない。ちなみに原文を見ると次のようになっている。「杞国有人憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食者。又有憂彼之所憂者。因往暁之曰、天積気耳、亡処亡気。……」(『列子・天瑞篇』)

 例によって簡単に日本語にしておくと、杞国に天地が崩墜したら、どこに身を寄せたらいいかわからないと憂えて、夜も寝られない、飯も喉を通らないという男がいた。するとその男が心配していることを、さらに心配する人がいて、わざわざ行って言い聞かせた。「天は気が積もってできたものである。気はどこにでもあるもんだ…」 このあと延々とくだらないやりとりがあるのだが、最終的には「天地が崩れはしないかと心配するのは、先のことを心配しすぎだが、絶対に崩れないと断言することもまた問題だ」と結んでいる。

 まあ昔から杞憂といえば、無用の心配という意味で使われているが、空恐ろしいというのはそうではない。実際にどうだったかわからないが、今話題の、34歳の女性の話である。現実がどうなのかは知らないし、この女性の周囲で不審な死亡事故が相次いだのだそうだが、状況証拠しかないらしいのに、今、マスコミでは喧しい。

 しかし凄い金額だね。セレブ嗜好はまあありがちな話だが、しかし皆よくそんな大金を持っているよね。騙し取られるにしても、それだけの金額を持っていなければ、女に手渡すこともないわけで、すると私なんか完璧に安全だね。せいぜい秋にはマツタケ(所詮、カビの仲間だ…)を食べて、「日本人に生まれてよかった!」なんて喚いている程度だから。

 人って、他人が稼いだお金はいくらでも使えるものなのだろう。苦労がないからね。汗と涙と(時々血と)が染み付いたお金は、そう簡単には使えないものだから。それはお金にそれぞれ記憶や想いが染み付いているからではないかと思う。自分が苦労して手に入れたものは、粗末にはしないもの。

 粗末にできるのは、自分にとって大した意味がないものだろうね。だからお金に執着しているようでも、金遣いが荒い人は、絶対に執着しきれていないんじゃないかと思うよ。球技なんかでも似たようなことがあるよね。球ぎわに執着できる人ってのは、やっぱり球に対して愛着がある。同時にこれは道具を大切にする人だったりするよね。

 自分にとって対して意味がないものは、人はいい加減にしか扱わない。いい加減にしか扱わないということは、すでにその時点で観察眼がいい加減になっているから、あらゆるときにどういう動きをするか、反応をするかを読みきることができない。だからいいプレーができない。そんなもんじゃないかな。

 セレブも、自分がセレブになるべく努力したのなら、お金の使い方はそれなりに考えたものになるだろう。でも他人のお金でセレブっても、わけのわからないお金の使い方をするだろうから、見ればわかるよね。いかに執着し、いかに手放すかは、その人の人生哲学を物語っているから。

 それにしてもこの事件、真相はどうなんだろう。マスコミも騒いでいるが、私も興味があるよね。人を騙して甘い汁を吸う美味しさを知ると、人間って堕落していくもんだけど、どこでそんな汁の味を覚えたんだろう。知りたいという私の欲求は強い(たとえ悪事であっても、知ることは大好きである。悪事を知っていれば、自分がその手にかからないから)。

 でも結婚を餌に釣るのは、ちょっと許せないよね。男でも女でも。

2009年10月28日 (水)

君子豹変

 攻守ところを変えた国会で何が話されているのか、それは興味がないこともない。今日は鳩さまが「君子が豹変したようなことを言われるが… もとより君子ではないし…」なんて答弁があったようである(情報提供:テレビのニュース)。

 さてさて、私は少なくとも日本という国の舵取りをする人間には、ぜひ「君子」であっていただきたいと思っているのだが(一国の政を担当する人間達は、君子であるべきだ。それは歴史的にみてそうである)、なんと現在のわが国では、総理大臣が「自分は君子ではない」と公言できるほどいい加減な国になってしまったようである。

 君子でなくても、君子になるべく努力していただきたいものだが、「私は君子でない」などと言っているのは、「私はアホですから」と、物事に取り組む前から失敗したときの言い訳を考えているようで、ちょいと気分が悪い。

 古代中国なんて国政にあたる人は、みんな君子を気取っていた。もちろんただ気取っていただけの偽善者もいる。だが君子たろうとすれば、自分の身を厳しく律する必要がある。それが行いを正させたのだろうね、きっと(今の中国がどうなのかは知らない)。そして政治の制度を大陸から輸入した古代の日本も、きっと国政を行うものは「君子」として他人に見てもらいたかったことだろう(その割には、勢力争いがひどかったようですが…)。

 だから実際はどうあれ、せめて外見くらいは、国政を采配する人には、「君子」として振る舞っていただきたいというのが、私の希望である。

 ところで「君子豹変」というのがなかなか面白い。実は学生時代の私は、見事にこの言葉の意味を間違えて使っていたからである。当時の私の持っていたイメージでは、日ごろ素晴らしい人格者のように見えていた人が、何かのきっかけで(例えばお酒を飲んで酔っ払ったときなんかに)、驚くほど違う人格に変身することだろうと思っていた。

 でも本当は、そんなくだらない意味ではなかったんですな。原典は『易経』という占いの本で、実はこれは六十四卦の49番目(私が香港で買った本には49番目に書いてあった)にある「革」という卦の爻辞にある言葉なんですな。

 九五。大人虎変。未占有孚。(九五。大人は虎変す。未だ占わずして孚あり)

 上六。君子豹変。小人革面。征凶。居貞吉。(上六。君子は豹変す。小人は面を革む。征くは凶。居るは貞して吉なり)

 さすがにまだ『易経』の研究まではする暇もないが、九五は陽剛中正、天下を改革するかたちなんだそうである。天下を改革するような大人は、虎の毛が生え変わるように見事に変身する。占ってみるまでもなく人々に心服されることだろう。

 上六は従順居正、革命成就のときが来ているのだから、君子は豹の毛が抜け替わるように、見事に変身する。小人ならば姿かたちを改めて、新しい状況に従うべきである。革命は負担が大きいので、それを推し進めすぎては(征)みんなの負担が大きくなりすぎ、凶となる。その経緯を見守って結果を待っていれば、貞して吉(要するに、やることをやって、きちんとして待っていれば吉)である。

 どうして易学ってこんなに難しい言葉を使うんだろう? と頭を傾げてしまいますが、ようするに変革するときには、しなければならないとこ(それぞれの立場によって違うけど)をしながら、慌てず騒がず待てばよいなんてところなのかな。

 だから君子が豹変するってのは、見事に変身することをさすわけで、日ごろいい人が酔っ払って虎に変わったりするのとは違うんですな(下世話にはこれは「酒癖が悪い」といわれるだけです)。

 だから本来の意味で言うなら、鳩さまは「君子豹変」してくれて、ちっとも構わないんですよ。むしろそうでなければ、日本は良くなっていかないかも。でも面白いでしょ? 「君子豹変」の対が「大人虎変」ですから。

 さて私も、今夜も「虎変」ならぬ「蛇変」くらいして、しっかりとお酒を飲みますか(笑)。

2009年10月27日 (火)

猪被害増加中!!

 なんと今日のRSKのニュースによると、猪による被害が増えているのだそうである。私が足を向けて寝られないお館さま、H先生は猪を捕らえるために、猪を捕まえてきて、歩き方まで研究し、その結果、猪には大きくわけて2種類の歩き方があることに気がつかれたそうであるが、走るのを速くするために、人間の歩きを研究しつづけた私のお館さまだけのことはある。

 毎年のお館さまから猪の肉をいただいて、私は猪の肉を必要に応じて食べているが(寒気がするときには、必殺の特効薬である。身体が温まること請け合い。一般に「良薬苦於口而利於病〔良薬は口に苦くして病に利あり〕」なんてことを言うが、猪の肉は旨い。そりゃあもう涙が出るくらい旨い)、今は事情があって切らしてしまっている。困ったこっちゃ。

 中国では猪肉というと豚肉のことで、猪はわざわざ野猪(yezhu)と言わなければならない。野生の豚だから、まんまだね。でも猪の肉は豚肉なんか足元にも寄れないくらい旨くて身体にいいんだぞ。牡丹鍋なんぞというけれど、猪肉の美味しさを一番はっきり知ろうと思ったら、軽く塩コショウして焼くとよい。抜群に旨い。すき焼きなんかに入れる方法もあるけれど、本来すき焼きは味付けが濃すぎて、肉本来の旨みはわかりにくい気がする(まるで海原雄山先生である)。

 初めてお館さまに猪を貰ったのは、もうずいぶん前のことになる。17㎏くらいの、ちょうどウリが消えたばかりくらいの子供だった。それを私は天井に取り付けているフックから釣るし、下にゴミ入れようのビニール袋を敷いて解体した。その時わかったことだが、包丁は実に使いにくかった(上手な人は巧みにされるが)。使いやすかったのは大型カッターナイフである。

 それで悪戦苦闘して、2時間くらいかかってやっと解体した。なにしろ初めての経験だったので、くたくただった(凶悪事件などで死体をばらばらにすることがあるけど、私にはとても無理だろうなと感じた。なにしろ17㎏の仔猪でへろへろのぱーになってしまったのだ)。でも旨かったなあ。あれは大部分、合宿に持っていったと記憶しているけど、他県から来た仲良しの指導者の皆さんも、大変喜んでくださった。お館さまのお陰で、私の面子は丸立ちであった(丸つぶれの正反対の状態をさす)。

 その他にも年に1回程度は(多い年には何回も行きますが)、新見駅前の伯備食堂にお邪魔したりして、猪関係の料理を食べる。だから私には猪被害といわれても、猪といえば「旨い」という連想ゲームになってしまって、しまらないことこのうえない。だいたい、かの魯山人にしても、最初の旨さを知ったのは猪肉であったそうだから、猪肉は旨いんである。だいたい見てくれからは想像できないけど、固すぎず柔らかすぎず、熱々を食べても焼けどをしないという、不思議な肉なのだ。

 それでもよく考えてみたら、知り合いのUさんの家の田んぼには、猪避けの鉄線が張ってあったよね。いちど遊びに行って、この鉄線をひらりっと飛び越えたら(メタボ体型に関係なく、私は必要に迫られれば跳躍をする)、ちょうど着地地点にマムシがいて、空中で焦ったことがある。

 必死で空中で足を動かしてマムシを避けたが、驚いたのはマムシの方だって同じだったのではないか。でもマムシは比較的性格がおとなしいので、慌てて逃げていってくれたけど。でもUさんの家の田んぼは、Uさんの家からさほど遠くはないので、あのあたりでは猪が家の近くまで出てくるのがあたりまえになっているんだろうね。

 そうそう、数年前にお館さまからいただいた猪肉は、私も知っているNさんのお父上が作っておられたサツマイモを片っ端から食べていたそうである。今ではきっと私の身体のどこかの一部に変わっているか、すでに新陳代謝によって排出されてしまっているだろう。でも基本的にその猪は害獣として退治されたんだよね。

 猪被害が増えているんだったら、食べません? 旨さは私の保証つきでございますよ。今でもお金で手に入るものだけど、もう少し安くなったら、みんな食べれるんだけどなあ。食べる人が増えたら、絶対に数が減ると思うよ。

 人間が食って絶滅させたものとしての代表選手はマンモスという巨大な象がいるけど、(一説にはパンダも、人間が食べて激減したとか言われている。嘘か本当か知らないけど)食べられる、旨いとなったら、数年でレッドデータブック入りすると思うよ。食欲の秋だから、どうしてもネタが食べることばかりになっちゃうね(笑)。

2009年10月25日 (日)

秋の夜長に陳慧琳

 秋の夜長に読書ってパターンが、学生時代から長らく続いた私の習慣だった。今は秋の夜長とも思えなくなっていて(帰宅が遅い。別に私が帰宅拒否症というわけではない。帰れば飛んでくるニャンコもいるし、面倒みなければならないものはたくさんいる。晩御飯だって作らなければならない…けっこう好きだけど。従って、夜はとっても短いと感じている)、読書なんかしていたら1ページも前に進まないうちに、意識を失う(その代わり、昼は5分の暇があっても読書しているけど)。

 その代わりに陳慧琳という香港の女性歌手の歌をDVDで聞いている(もちろん、他の歌手のも聞くけど)。どうして最近は中島みゆきさんを聞かないのかというと、実は車の中でバンバン聞いているからである。車って、けっこう密室でしょ。みゆきさんの歌はそうとう感情移入するから、密室でないと聞きたくないんですよね。心が浄化される歌が多いので、あまり聞くと、なんとなく「ファイト!」(同名の名曲ではなく、私自身の戦闘状態をさす)までたどり着かなくなるときもあるんだよね。若干、心の中でどろどろしたものがあるときに、私の場合は「いい仕事」ができることが多いので。

 陳慧琳は2度めの訪中の時、ふらりと立ち寄ったCD,DVD店で、衝動買いした。その店には彼女のCDがそれ1枚しかなかったのだが、「まあ、聞いてみたら面白いかも」程度のノリで(面白くなければ、捨てて帰ればいい…なにしろ十何元と格安だったんだよね。当時のレートだと、日本円では200円ちょっとだったと思う。250円までは絶対にいってない)聞いてみた(当時はCDプレイヤーなんか持って行ってたんだよね)。それで、見事に嵌っちゃいました。

 その頃は何を見ても珍しいばっかりで、あちらこちらをきょときょと物珍しそうに見てばかりだった。中国語は全くといっていいほど喋れなかったし、あちらの情報にも疎かった(白酒baijiuは今よりよく飲んだけど、体調もよく崩していた)。従って陳慧琳なる人が、香港を代表する大ミュージシャンで、女優さんで、高校時代は日本にいて、たまには来日したりするなんてことも知らなかった。

「へーっ、へーっ」なんてエライ感心して、それ以降、あちらに行くたびにCDやDVDを漁ったりしたこともある(今はあまりやらないが、私の陳慧琳好きを知っている友人達は、店に行ってあると、必ず教えてくれる)。そんな中で最初に私が覚えたのは『記事本』という歌で、これDvdはテンポもゆっくりとしていて覚えやすかった(そういえば、「歌で覚える中国語」にも取り上げられていますね)。

 中でも『陳慧琳紙酔金迷演唱会』というDVDを手に入れてからは、一時は毎晩聞いていた(中国語の勉強もかねて)。香港の人なので、半分くらいは広東語で、「う~~ん…」という感じだったが(広東語って、難しいですね。テキストは買ったけど、まだ開いたこともございません…coldsweats02)、字幕が出るので、だいたいなんとなく意味がわかってくる(読書百篇みたいなもの)。いい歌が多いよねえ。

 その中でも私が最も好きなものが2曲あって、両方とも結局は同じことを歌っているのかなあと解釈しているけど、『誰願放手』と『伶仃』 ってのは大好きだなあ(哀しいことに両方とも広東語)。『誰願放手』というのは、自分に一人しかいないはずの人間と出会えなかったら… って歌でございますし、『伶仃(lingding)』てのは孤独とか、ひとりぼっちとかいう意味だけれど、この歌は一人ぼっちの寂しさと同時に、諦めや、誇りみたいなものが感じられて、とても私の心境にはぴったりくる。

 要するに、自分にぴったりのものがいなくて、それに似た者で代用してもしかたがない、なんて気分なんですな。もちろん現実の世界は、そうとばかりも言ってはいられないんでしょうけどね。

 どんな人でも変化していくから、ずうっとぴったりであり続けられるものか、とは思うけど、でも理想論を言うなら、ぴったりの誰かが現れなかったら、人は孤独なのかもしれませんもの。ということで、今日はこの2つの名曲を紹介しておきまする。興味がおありの方はどうぞ、アクセスしてみてくださいね。

『伶仃』→http://www.woopie.jp/video/watch/0a70a68786cb058a?kw=%E9%99%88%E6%85%A7%E7%90%B3&page=1

 ※ 映像の真似をして、交通事故を起こさないように、気をつけてくださいね!

『誰願放手』→http://www.fooooo.com/watch.php?id=_OhD5nEnf2g ※ これはテレビ用のライブなので、音的にはあまり感心いたしませんが。

2009年10月24日 (土)

わくわく期待感

 暗闇でドッキリなんてことは、誰にでもある経験だと思う。私にも悲惨な幼少体験というのがあって、暗がりでごそごそしていて、何やらヌトーっとした、冷たくて気持ち悪いものを掴んだことがある。本当のことを言うと、掴んだ私よりは、掴まれたそいつの方が驚いただろうが、実は巨大なナメクジだったりして、それ以降私の苦手は、ナメクジと決まってしまった。今でもナメクジは大っきらいである。

 ところがカタツムリとなると、子供の頃には変に愛嬌のある姿が可愛らしく思えたのか、よく捕まえてきて、這い回らせて遊んだものだ。いつの頃だったか、よく考えてみれば、こいつもナメクジの親戚なんだなあと思っていたら、知らん間に苦手に変わっていた。水中を大人しく這い回っている分には、貝はまったく違和感を感じないのだが、陸上に出てくるとそうは感じないところが不思議である。

 もちろん貝の仲間でも、ウミウシなんかが泳いでいるのを見ると、私はちっとも美しいとは思わない。身震いするくらい嫌いである。貝は這うものと決めてかかっている自分がいて、少し情けないが、これまた仕方がないことである。

 さて暗闇というやつは、誰だって多少は怖いのではないかと思う。理由は簡単だね。見えないから、どうなっているかがわからない。もしかしたら1寸先は断崖絶壁かも知れないのである。翼のない人間では、簡単に対応できない。

 自分には対応できないかもしれない状況がくるかも知れないと思うと、人は不安を覚えたり、さらに進んで恐怖心が起こる。それに対して、自分がわかりきっていることをしていると、人は妙に自信たっぷりであったりする。自信を覚える、自身を持つってことは、とりあえず熟知することと、それがどうなっても自分には対応できるという実績によって起こる現象であろう。

 だから何もやったことがない人が自信たっぷりだったりしても、これは問題外である。ちょっと現実の厳しい壁にぶつかれば、そんな自信はあっという間に消え去る。時々、失敗しても、恥をかいても、自信がなくならない人もいないわけではないが、こういった人は現実と言うものに鈍感であることが多い。

 自分が何も知らなかった、ということに気づかない人は、案外こういう時にはタフである。したがって未知だということを露呈しても、ちっとも恥ずかしくないのだ。自分の無知を知らず、気がついていないのだから。ただ人はこういう人たちを次第に相手にしなくなるだけであろう。

 また、よく知っているということは、次第に物事を見なくなるケース(慢心)と、より細かく知ろうとするケースとに別れる。前者は相手が変化している場合には、思わぬ失敗をすることがあるだろうが、後者は既知の中に未知を求めていくので、どんどんやっていることが深まっていく。

 実は既知の中に未知はいくらでもあり、数年前のことを思い出して、「あのころはあれで全部知っていたつもりになっていたんだなあ」と、過去の自分を恥じることがある。これは進歩の証かもしれないので、こういった恥ずかしさは、どんどん感じ、認めていったほうがいいと思う。

 しかしこうして考えてみると、既知の中に未知があるということは、既知の中にも自分がまだ見えていないものもあるということだ。未知のものに立ち向かうときには、人間は不安や恐怖を覚えると最初に述べたが、不思議なことに既知の中の未知に立ち向かうときには、期待感があったりする。どうしても嵌らなかったジグソーパズルのピースが嵌るような気がしたりするんだね。

 この瞬間の嬉しさったらない。不安も恐れもなくなって忘れてしまうよ。そうしてこんな経験をたくさん積んでいくと、未知のものに立ち向かうのが、大抵の場合で、楽しくなってしまうんだね。ちょうどプレゼントの箱を開くような感じかな。

 楽しいのはこれがいつくるかわからないことだ。トレーニング中でなくても、トレーニングに関する謎が解けたことなんか、何度となくある。「ちょっと待て」と言って、大急ぎでメモしたことがかつて何十回、何百回あったことだろう。だからやめられませんなあ。

 もう一つ、恐怖心ってのは用心深さにつながる。怖ければそれなりの準備をしていればいいというだけの話だからである。あまり恐怖を覚えていない人って、動きは大胆だけど、いちど劣勢になったときの応対ができない人が多いよね。これも恐怖心のおかげだから、恐怖心ってわずらわしく思う必要はない。我々は、必要だから恐怖を覚えるように生まれ着いているんだし。

 今の私は新しいトレーニングに取り組んでいて、身体がよれよれになっている。でもこういった中からいろんなものが生まれてきたんだよね。途中で身体が壊れることがなかったわけでもないけど。でも必ず何かが生まれるというのが過去の経験を通してわかっているので、身体が壊れる恐怖心よりもはるかに、わくわく期待感の方が大きい。一番腹が立つのは、練習させてもらえないことだけである。

 パンドラの箱のように、箱の底に最後まで残っているのは、諦めの悪さという名前の希望だったりするので、私は恐怖心と背中合わせの期待感をとって生きていきたいね。

2009年10月23日 (金)

無駄な公共事業

 う~ん… こんなにあったのね、「無駄な」公共事業… 政権交代がなされなければ、おそらく私などは全然知らないですんでいたことだろう。しかも大変な金額が費やされようと(すでに費やされた?)していたんだね。

 そういったことに目を向けさせてくれたのは、意味があったことなんだろうね。でもどうしてそんなに「無駄な」公共事業を計画なんかしていたんだろう? やっぱり自分の支援者にプラスがあるように? それとも本当にその地方の活性化を目的にしていたのかな。

 確かに活性化を目指して始めた事業もあるだろう。でも世の中が変われば、始めたときには活性化につながると思えたことでも、そうならないと判明することがあるよね。そういう時は勇気ある撤退をしなければならないよね。意地になって計画通りやろうなんて思ったら、傷口が広がるだけだもん。こういう時には、勇気をもって「朝令暮改」。

 なんでもかんでも朝令暮改されては困るけど、意地になってはいけないときに意地になると、あっさりと大失敗なんてこともある。これは歴史なんかを見ていると、いくらでも例があるよね。状況に応じて柔らかく対応できなかった人は、大抵歴史の表舞台から消えている。

 だって今の政権政党は、赤字国債を出さないって言っていたけど、あっさり出すことになった? んでしょ。まああれだけ公約してしまえば、少々の無駄を省いてもおいつくはずがないと思っていたけどね。

 でもさすがに国民が「変化」を望んだだけあって、あれこれ知らなかった問題がたくさん提出されているのは、やっぱりプラスだったと思う。知らないでいたよりは、やっぱり知っていた方がいいからね。私の健康診断の結果みたいなもんだ(ふん。数年前よりもはるかに良くなっている。まあ問題ない健康体と言ってもいいだろう。メタボ体型なんか、まったく没問題! ノープロブレムである! ざまあかんかん…と誰に言っているのかわからない…きっとメタボ、メタボと騒ぎまくって、お金儲けをしようとした連中に対してだろう)。私のような人間には、思う存分我儘をさせて、やりたいと思うだけ練習をさせれば、どんどん健康になっていくんだよ!

 私の練習がこれまた「朝令暮改」を恐れない。ちなみに今日は遅くなったのでサボっちゃいました。ちょっと身体内部の水分が多いような気がするけど、また近いうちに練習すれば、ちゃんともとに戻るって(今日はそれよりも、仕事場の片付けが先である)。その日その日で優先事項が変わるので、それにあわせてどんどん変化していくんだね。

 しかしながら、日米関係はちょっとまずいんじゃないかな。まあ信念を持ってやってくれているんだろうけど、先日は日中韓共通の教科書が云々したお人だからね。視点が狂っている恐れは多分にある。

 よくいるんだよね。自分が何かの地位につくと、意地でも「自分はこれをやった」と言いたいばかりに、変えなくてもいいところまでいじくってしまう人がね。変えなくてもいいところは勇気をもって変えないってのも、その人の有能さを十分に表現していると、私は思うのだが、我慢できない人がいるんだよね。

 無駄な公共事業の見直しは結構なんだろうが、無駄な公共事業を見直すために、無駄な公共事業を始めないようにお願いしたいもんです。

 そうそう、そういえば郵政民営化なんてことを推進するために、自分に反対する人間をどんどん苛め、自分の党から追い出した爺さんがいたっけ。自分のやった郵政民営化についての成果と評価が次第に出ようとしているみたいだけど、どうしてさっさと逃げるのかね。責任ある大人の態度とは思えないよね。

 あれこそ最大の無駄だったって思っている人も、もしかしたらいるかも知れないよ。そういう人とたまには話でもしたらいかがなもんだろうか。ウルトラマンの声優なんかやる暇があったらさ。そして熱く議論して、たまには年甲斐もなく殴りあいをするくらい熱い人だったら、まだいくらかは評価できるんだけどね。

 そんなことしないで、好きなことをやって、都合が悪くなったら消えていくというんだったら、国民にとっての最大の無駄な公共事業は、我々の税金で彼らを養ったことになりはしないだろうか。困ったもんだね!

2009年10月22日 (木)

形は悪くない…??

 特に名前は出さないが……

 某チームが某競技で連敗を続けているとき、そこの選手だかなんだかが「形は悪くないんで…」とか言ってコメントしていた。それも毎回のように敗戦の後で、言っていた。私はその競技は嫌いではないけれど、そのチームに興味がないので、「ほうほう… なかなか大胆な発言だな」と思うだけだった。

 実際私がそのチームの監督であったら、この選手は使わないだろう。それが主力であろうがエースであろうが関係ない。負けた後で、こんなコメントを選手が出すべきではないからである。かりにこういったコメントが出たとしても、監督さんとか、コーチさんとか、サポーターの人たちであるべきだと思う。

 もちろん、結果にまではまだつながっていない経過で、悪くないといった状態もある。だが選手は口にすべきではないんだよね。多くのファンは、やっぱりチームの勝利を身に来ているわけだし。負けて「形は悪くないんで…」なんて言われたら、「おいおい、じゃあ形が悪かったらどうなるわけ?」ってことになる。

 監督さんやコーチの人たちだって、もしかりに似たようなセリフを吐いたとしても、本心から「形は悪くない」なんて考えているわけではないだろう。形が悪くなければ、当然勝てるはずだからだ。負けているということは、形がどこかで崩れているんじゃないのだろうか。もしもそれに気づかないで「形は悪くないんで…」と、本心から言えるのだったら、それは「穴」が見えていないってことだよね。

 見える敵には備えられる。見える欠点なら、克服のための努力ができる。見えている「穴」なら、穴埋めはできる。でも見えていなければ、どうしていいかわからない。子供の頃にこんな経験はないかな? 夏の暑い昼に、働き者のアリさんが行列を作っていた。そこへ立ち○便をした。するとアリさんは突然発生した川に大慌て。どうしていいかわからずに右往左往するばかり…

 アリさんであれば鋭敏な感覚を持っているんだけど、突然発生した川とか洪水には、打つ手もなく、右往左往するしかなかったんだね。原因がわからないと、ちょうどこういった状態になる。だから私だったら、結果が悪い状態で「形は悪くないんで…」と選手が口にしたら、その選手を呼んでいろいろと質問すると思うよ。

 もし欠点が見えていないようだったら、その選手は使わない。同じミスを何度でも繰り返すからだ。選手層が薄くて困っていても、そんな選手は使う必要がない。他の選手に経験を積んでもらって、力をつけてもらうほうを優先する。近い将来、その選手が主力選手に成長するかも知れないからね。その方がはるかにプラスが大きいもの。

 まあ、私には関係ないことなんで、どうしようと知ったことではないけど。勝てなかったときには、やっぱり勝てなかった理由や原因はある。そこを直視する習慣をつけなかったら、いつまでたっても同じようなミスを繰り返す。

 昔々、私がまだ指導者としてひよっ子だった頃、運よく素晴らしい選手の卵と出会うことができた。そしてマグレ(選手にとってはマグレでも何でもなかった。私にとっては幸運もいいとこで、まさにマグレだった)で、大きな試合に出させてもらった。

 その後私が行ったのは、どうしてそんな大舞台を踏むことができたかを、様々な要素に分けて(選手の身体能力他も含めて)分析し、大舞台に出るための条件をすべて調べ上げた(さすがA型理科系!!)。あとはどうすればそれ以上の要素を、それぞれの選手に習得させるか、その方法を工夫するだけだった。

 これって、私が定義する「努力」と同じやり方なんだよね。そして自分が条件を要素に分けるときに、要素の見落としさえしなければ、何度でも同じように、優れた選手を育成することができる。これが客観性、普遍性、再現性を満たすことにつながるんだよね。だから「科学」なんだって。

 でも負けても負けても、「形は悪くはない」なんて言うってことは、何かが全然見えていないことを意味しているんだけど、まだ気がつかないんだね。監督さんや、コーチの人や、サポーターが「形は悪くない」と言っているのと、実際に試合をやっている選手が口にするのとでは、根本的に意味が違うよ。見えていないんだもの。

 だから私なら、こんなことを言う選手にはチャンスは必要ないと判断する。あるいは、自分が見えていないところが見えるようになるまでは、とりあえず外す。その代わりに若手とか、欠点はあっても、それまでチャンスがもらえていなかった人を使ってみる。時々こういった人の中から、驚くほど伸びる人が現れるからね。

 昔から、「試合には負けたけど、自分的には頑張れたからよかった」と、自ら発言する選手は嫌いだった。それは周囲で見ている人が言ってくれることで、自分から言っちゃあいけない言葉なんだよね。そして本心から「自分としては頑張れた」などと思っていたら、もうあまり伸びは期待できないからね。

「お前、よく頑張ったじゃないか」とこちらが慰めているのに、僅かな差で負けたと言ってわんわん泣いていた選手で、強くならなかった選手は、私は見たことがない。こういった選手を指導する上で心配するのは、練習のしすぎによる故障や怪我くらいのものである。指導していて楽しいし。

 でも「形は悪くないんで…」なんていっている選手が伸びるとは思えないよ。そんなに戦っている最中の自分達が客観的に見えているって、随分余裕があるんだね。試合中、冷静に判断しなけらばならないものだけど、あまり余裕があるってことは、しなけらばならない自分の仕事が、まだ不十分かも知れないってことだよ。

 客観的にものごとを見るために監督さんやコーチがいるんだから、自分のすべきことにもっと集中してもいいんじゃないかな。そうしたら、もっと「形が良くなる」かもしれないよ。私には関係ないことだけど。

2009年10月21日 (水)

秋は夕暮れ……

 秋は夕暮れ、である。別に清少納言でなくても、秋の夕暮れに風情を感じる人は多いだろう。それは私のような人間であっても、あまり違いはない。もちろん『秋はひとりぼっち』なんて太ろうという御仁だから、どの程度なのかはいささか問題だが。

「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝ところへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」

 高校時代にはこれを憶えるのが嫌でねえ。漢文は得意だったけど、古文は苦手だったなあ。漢文は孫悟空、K先生が面白かったからね。古文のN先生も悪くはなかったけど、なんとなく言いまわしがもったらくったらしていて、憶えるのがたいぎだった。だいたい古文って、文法が多すぎでしょ?

 初めに言葉ありき、言葉は神なりき。そこには文法はなかった。これは高校時代からの私の口癖である。文法が先にあったら、さぞ話をするのが苦痛だったろうね。まあいいや。今日の話は「秋は夕暮れ」なんだから。

 ほかに三夕の歌ってのもあるよね。

「寂しさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮)

「心なき身にも哀れは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)

「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)

 どれも秋の夕暮れの寂寞感を詠ったものらしい。古文音痴の私でも、どことなく感じることができるくらいだから。でもこれを学校での試験のために勉強していた頃は、つまらんかったなあ。今ならふと思い出して、なんともいえない気分に浸ることができるのに。まったく試験のための勉強って、どんな美味しい料理でも屑に変えてしまえる調味料みたいである。 PhotoPhoto_2

 最近はそういったことからも解放されて、たまに空を見上げて「おお、秋だなあ…」なんて感慨に耽っている。これは昨日職場から出たときに、ひょいと見かけた雲。綺麗だなあなんて思ったわけではなく、なんとなく嫌な雰囲気の雲だった。追跡調査しないと、私の取り越し苦労かもしれないし。

 でも今日のは久々にヒットでした。Photo_3 Photo_4 私はこんな空が好きだなあ。なんだか沈んでいく太陽から、一筋の光が立ち上っていて、それが薄い雲を燃え上がらせているみたいで。

 小学校時代に、私にケツバット(お尻をバットで叩く体罰)を下さったH先生を思い出すからかも知れない。ケツバットは飛びきり痛かったけど、悪い先生じゃなかった。いつだって情熱の塊だったのは伝わってきたからね。それが却ってH先生には重荷だったみたいだけど。

 でも私は、こんな燃え上がるような風景を見るたびに、無意識のうちに思い出しているんだろうね、きっと。だから清少納言も藤原定家も、西行法師も寂蓮も関係なく、ひたすら秋の夕暮れは感傷的である。きっと今はないH先生の記憶がそうさせているのではないかと思う。

2009年10月20日 (火)

顰に效う(ひそみにならう)

 故西施病心而賓(目へんをつけてください。以下すべて)其里、其里之醜人見而美之、帰亦捧心而賓其里。其里之富人見之、堅閉門而不出、貧人見之、挈妻子而去之走。彼知美賓、而不知賓之所以美。(『荘子・天運篇』)

 ゆえに西施の心を病んでその里に賓する(目へんあり。意味的には顰…目をひそめること…と同じです)に、その里の醜人見てこれを美とし、帰りてまた心を捧げてその里に賓す。その里の富める人これを見て、堅く門を閉ざして出ず、貧しき人これを見て、妻子をたずさえて、これを去り走る。彼は賓の美とするを知りて、賓の美たる所以を知らず。

 ここでいう西施は、例の「中国4大美人」の一人、越の西施ですな。心は胸と読みます。けっこう有名なお話なので、知っている人も多いかな。私はこの話を、高校時代の漢文の恩師、孫悟空ことK先生から教わったのが初めてだったかな。

 西施さんは胸を病んでいたんだそうです。ちょっくらあちらの文献をあさってみたんですが、肺病ではなかったみたい(長生きしたという説あり。もちろん美人薄命で、早くに死んだという説もありますが。要するにこの頃の女性のことなど、ほとんどわからないんですな。史書に資料を載せていないもん。せいぜい呂后くらいからでしょうか)。

 でも西施さんが胸の痛みに眉をひそめるのが、なんとも言えず風情があって美しかったというんですな。なんとなく守ってあげたくなるような感じだったんでしょう。ところが同じ村(西施は農民の出ということです)の醜女がこれを見て、ちょっと真似ちゃったんですな。私も眉をひそめたら、きっと美人に見えるに違いないって。

 その後が凄まじい書き方をしておりますよ。荘子さんも結構辛口だ。醜女は西施が眉をひそめているのを見て、綺麗だなあと思って、自分も眉をひそめて歩いたんですな。するとお金持ちの人は、門を固く閉ざして、外出しなくなったっていうんですよ。貧乏な人は妻を連れて逃げ出したというんです。

 どうしてかなあ。そこまで凄まじいかったのかしら。それとも病気が伝染ると心配したのかしら。(まあ、確かに暗闇で突然出会ったら、腰を抜かしそうになる顔もなくはないけど)この醜女は、眉をひそめることに美しさがあることはわかっても、どうして眉をひそめると美しくなるかはわからなかったんだね。なんて凄いことを書いている。なかなか荘子も勇敢である。

 同じことをしても様になる人もいれば、てんで絵にならない人もいる。同じことをしたのに、ある人は人の心を和ませ、別のある人は人の腹を立てさせたりする。それは仕方がないことなんだよね。誰でも眉をひそめたら、美人になれるってわけではなくて、偶然、西施さんが眉をひそめたのが美しかったというだけで。しかももともとが「超」のつく美人だったわけで。

 でも不思議だよね。みんな自分に相応しいのかどうかは関係なくて、エライ立場になればふんぞり返ったりしたがるよね。今までそんな人にたくさん出会ったよ。そのたびに、「ああ、こいつとは付き合わないようにしよう」と思ったけど。

 いや、やっていることが凄いことならば、いくら昔の姿を知っていても、尊敬だってするし、重んじたりもする。でも大したこともやっていないのに、ただの運とか、周囲の流れだけで上に上がった人間がふんぞり返っていたりしたら、「お前に顰(ひそみ)は似合わない」って吐き捨てるよ。ふんぞり返るってのは、エライ人たちの顰(ひそみ)だからね。

 どうせ人間、「立って半畳、寝て一畳。天下を取っても二合半…もう少し食べるかも」だからね。自分に似合った顰(ひそみ)を見つけて、それを上手に使うのなら、まったく問題はないんだけど。

2009年10月19日 (月)

秋は一人ぼっち…??

 昔々、まだアトランティス大陸が遠くジブラルタルの彼方にあった時、聞いたことがある歌がある(そんな莫迦な!!)。ちょうどあれは秋だった。やたらと感傷的な歌で、売りはポスト・サイモンとガーファンクルとか言っていたような記憶がある。

 まあ要するに別れた恋人のことを想う歌なんだけど、それこそ昔々、私が感傷に浸っていた歌ですな。青春時代というのは、臆面もなくこういった感傷に浸れるという特権があっていいなあ(私の場合は、いまだに似たようなものだが。ちっとも大人になっていないよ…)。

 まあ恥ずかしげもなしにこういった歌が好きだった。ちなみに今の車の中でも、機械が賢くて勝手に記憶してしまっているらしく、時々鳴っている。私はこれが鳴るたびに、ボリュームを押さえようかと想いながら、やっぱりそのままの音量で聞いてしまう。まるで怨霊???

 ついでだから、ここに出しとくね。どんな歌か興味がある人は、聞いてみてください。→http://www.youtube.com/watch?v=coF5k3jq1VY&hl=ja いやいや、『秋は一人ぼっち』ヴィグラスとオズボーンで検索した方が早いか?

 …My life will be forever autumn, now you'er not here ですって。私の人生は永遠の秋。もうあなたはいないから… くーっっっ!! 今なら恥ずかしくて、そのへんを転げまわったりして… 穴があったら入りたかったり、穴がなかったら掘って入ったりして……

 私にとっては秋ってのは、今では感傷の季節ではなくなってしまった。もう何を食べても美味しくて、おいしくて… ひもじくって…delicious だから太るのか…ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ まあいいや、旨いのは仕方ないもん。旨いのを我慢しろていうのは、一種の拷問である。人道上許されないよ。

 それは譬えて言えば、焼肉は食べてもいいけど、ビールは飲んじゃだめ! と言われたようなもので、どちらもそろってこそ、本当の美味しさが出てくるもんなんだね。(MIZU様、先日はお世話になりました。大変楽しゅうございました。母も大変に喜んでおりました。また行こうねっ!!)

 片方があって、片方がないのは哀しいよ。あるのなら両方がいいよね。どうせないのなら、両方ともないほうが、よほどすっきりする。焼肉にビールは、MUSTである。コーヒーにクリープは私は必要としないが、コーヒーとクリープの関係よりも、遥かに大切な「補完機能」を持っている。

 ほかに似たものとしては、炊き立てのご飯に、美味しい漬物なんてのも、十分補完機能を持ち得るね(香港のMさん、元気ですか。まだ漬物はありますか? ご飯が日本産じゃないとあまり美味しくないかも。でも最近は炊飯器が改善されたから、食えるようになったけどね。私が中国へ行き始めの頃は、そりゃあ酷いもんだった。レトルト食品を持参していた頃もあったんだよ)。人によってはこの補完機能は炊き立てのご飯と、おみおつけとか納豆とか、鯵の開きだったりするかも知れない。要するに切っても切れない関係にあるもんだよね。

 なのに秋は一人ぼっちなんて… 秋は旨いもんが多いんだよ。こんな不幸な歌を歌ってちゃだめ。

 あ、そうか。自分ひとりだけいて、彼女がいなくて、ちょうど焼肉にビールない状態なのか。クリープのないコーヒー状態なんだね(私にとっては、普通の飲み方だけど)。どうせなら自分もいなけりゃいいってんだ。でもなあ、Forever Autumn たって、落ち葉の季節であると同時に、実りの季節でもあるんだからね。永遠に秋だったら、太ってしまうよ。

 特に一人ぼっちだったら、体型を気にしなくなるから、絶対に太るって。

2009年10月18日 (日)

天子

 古代中国の歴史なんかを覗いていると、「天子」というのがやたらと出てくる。なんでも天から認められた、地を治める資格を持つもののことを、こう呼ぶようだ。そういえば聖徳太子なんかも「日出るところの天子」がどうたらこうたら言っていたみたいだね。

 天子は地上(すなわち人民)を治めることを、天から許可されているというのだが、昔にも私みたいなのが、たくさんいたんだよね。つまり「認めない」っての。だって天からそういう使命を受けたとかいうけど、そんな光景を見かけていないもん。

 そりゃあ、目の前で「あんたが地上を治めなさい」なんて、誰かが言われているのを見かけたら、神秘体験だから信じる気になるかもしれないけど、誰かが「おれは地を治めてよいと、天から言われた」なんてことを言っても、とても信じる気にはなれない。

「夢でも見た?」「寝言をこいてんの?」「正気?」… そんな反応をしてしまうと思うよ、きっと。だいたい「天」って何なのよ? 空のこと? 違うよね。 神様? いるのでしょうか? もしも哲学の一分野のように、神様はそれぞれの人の中に存在しているなんて説を採ったら、「あんた、自分で勝手に思ってるだけじゃん」ってことになる。

 疑わしすぎるんだよね。それで太古の天子たちは、自分が天子であることを認めさせようと、武力を持ったんだろうね、きっと。「認めなければ力ずくでも認めさせてやろう」ってやつだ。こう考えると、まさに「鳴くかずんば、殺してくれよう、ホトトギス」の織田信長か、「鳴かずんば、鳴かせてみせよう、ホトトギス」の豊臣秀吉っぽい考え方だよね。

 でも本当に「天」が与えた資格なら、力は不要なんじゃないかな。もし力がどうしても必要だったのなら、それは天から与えられたものではなくて、やっぱり人が勝手に「わしが大将じゃ」と言ったんじゃないかと思う。

「天人相関」だと、天子に徳がなくなれば、天変地異などが起こって、人々が騒ぎ出すことになっているが(当然、天子は交代しなければならない)、こんな考え方だと、運が悪い天子は、いくら力量があっても、とても不幸なことになってしまう。天子だけではない。人民だって損をすることになるかも知れない。

 逆に、どんなぼんくらな天子でも、運よく天変地異が少ない時期に生まれたら、そのまま「徳があった」ってことにされてしまう。冗談じゃないよね。頑張った人は評価されるべきだ。天の意思なんか無関係に。

 かつて石油がどんなに高騰しても、「でもヨーロッパよりは安いんでしょ」などと無責任な発言しかしないで、最終的になにもしないまま政権を放り投げた爺さんがいた。期待されて就任下刃いいが、ろくなことをしないままで、下痢ピーで泣き泣き放り投げたおっさんがいた。彼らは天子ではないけど、まあこの国を支配していたようなもんだろう。

 でも今は「天」じゃなくて「人」がこれを評価するから、天変地異がなくても、強引に交代させられるよね。得票状況が「徳」の指標として現れる、面白いシステムだよね。これにもいくつも欠点は見えるけど、でも「天」まかせの古代から見れば、少しは進歩しているように感じますね。

 科学文明の発展にくらべれば、随分のんびりとした進歩でしかないけど、やっぱり少しは人間は進歩しているのかな。

2009年10月17日 (土)

ピクルス

 今朝は何と言うことか、蒸し暑かった。午後に入った今でも、まだ蒸し暑い。朝っぱらから、ネコのチャーちゃんの、年一回の予防接種の日で、母がうまくチャーちゃんを騙してケースに入れ、無事に連れて行ってきた。これで来年のこの時期までは大丈夫。ほっと、一安心である。

 もともと我が家はイヌを飼う習慣があった。それがいつの間にかネコである。私は大学時代に44匹の子猫を育てたが(自分の食事を節約して、ネコに貢いでおりましたな)、この頃から私とネコとの関係は出来上がっていったみたいである。一番大きかったのは「クロ」と名づけたネコちゃんとの出会いでありましたな。

 なにしろこのクロちゃんは賢かった。それに人懐っこかったので、ほんの子猫の頃から私の部屋にいついてしまった。たまに東京から帰省するときは、心配で心配でしかたがなかった。本格的に岡山に帰るときまで私のそばにいたら、絶対連れて帰っていたと思う。

 我が家では父がネコ嫌いであった。けれども父が亡くなる前には、レタス(子猫の頃、レタスの箱の中に入っていたのだそうである。それで私の従兄弟たちはレタスと呼んでいたらしい。我が家ではチビと呼ばれていた)という三毛猫が、我が家の座敷に上がりこむようになっていた。

 父もこの頃には気が弱くなっていたのか、別に追っ払ったりしないようになっていた。きっと生き物が傍にいること自体、心が休まったんだと思う。私にも、周囲にまったく動物の気配が感じられないとき、飛んできた虫に、とても心が休まる思いをしたことがあるから。

 そんなこんなで、我が家にネコが居つくようになった。(これにはまだまだ紆余曲折があって、途中でハムスターがたくさんいたりした時期がある)だが、学生時代、東京のアパートにネコを置いて帰省するときは、切なかったね。

 新幹線の中では、いつもサンドウィッチを食べるのが習慣になっていた。当時の日本食堂さんの一番安い奴である。今でも私は、新幹線=サンドウィッチという連想ゲームになることがあるが、それはこの頃の習慣が、まだ私の心の中で生き延びているからだ。

 貧乏学生だったけど、当時からビールが好きだったので(サッポロビールである。これは酒を二十歳の誕生日に覚えてから、最初はキリンのラガー…父が愛飲していた… アサヒ、サントリー、エビスなどなど様々なものを試して落ち着いたのがサッポロだった。今でもサッポロを愛飲している。時にサッポロビール以外はビールではない、などと乱暴な発言をすることがある)、サンドウィッチをビールで流し込む。

 どうもこれは当時一時夢中で読んだ、ハードボイルド小説の影響があるように記憶しているが、マイク・ハマーにはなれなくてもサンドウィッチをビールで流し込むときの快感はすぐに習慣化する(ちなみにこれは社会人になってからも、暫く続いた。日曜日は朝から空手を教えに行っていたが、昼過ぎに帰宅したら、午後はサンドウィッチをビールで食べながら、中島みゆきさんを聴き、かつ好きな小説を読む。今となっては夢のようなリッチな生活を送っていた。お金はなくとも、リッチな生活は送れるものである)。

 当時の新幹線の中で給されていた一番やすいサンドウィッチには、きまってあまり出来がいいとは思えないようなピクルスが2切れついていた。この酸っぱい小さなキュウリの出来損ないみたいなのでビールを飲む。ほんっとに貧乏たらしかったが、私はこれが好きであった。なんでも豪華でお金をかければ美味しいとは限らない。当時の私にとっては、これが自分の身の丈にちょうどあった贅沢(?)だった。

 これは今でも続いているよ。夜帰宅して、まずはお粥の準備をして、いざビールをプシュッとする前に、ピクルスを刻む。もうこれは習慣である。学生時代と違うのは、ビールの量(当時の方が、今の10倍も飲めたけど)と、ピクルスの量である。今は結構お皿に盛り上げたりするもんね。

 不思議なもんだね。貧乏学生だった頃の習慣が、今でも美味しいと感じられるんだから。もちろんそれは単純に味だけの問題ではないだろう。過去の自分と、自分の生活などなどにたいするノスタルジーが味付けをしているのだとは思うけど、美味しいものは美味しいわけで、別段否定する必要もない。

 そういえばたまに何かで裕福なときにキープしたボトルが切れる当日になって、金がなくて、とりあえずスパゲティを注文して、1本ずつ食べながら、ほとんどボトル1本あけちゃったこともあったなあ。この頃は春巻きを頼んで、最後は練りからしを肴に、殆どボトル1本空けたり、ピッツアを頼んで、タバスコを肴にボトル1本なんてことをやっていたよね。

 すげえ懐かしい思い出だけど、果たして身体によかったのかどうかっていうと、「若い頃だから、なんとか身体の方が耐えてくれたのかな」ってことになっちゃう。でも今でも懐かしいから、無理ができるときに無理をしていたのは、少なくとも人生の味付けの一つにはなったかも知れない。若い頃は、身体にいいとか悪いとかはあまり考えないもんね。そんなことを考えなくても生きていけるくらい、生命力に満ち溢れていたから。

 今はやっぱり体調を考えちゃうよ。でもピクルスは、今でも好きだなあ。それもあまり高級でないやつが。学生時代の、身の丈にあった贅沢が、今でも好きなんだよね。不思議なもんだ。

2009年10月16日 (金)

岡目八目

 「秋の陽は釣瓶落とし」とか言いまして、あっと言う間に真っ暗になっちゃいますな。金曜日の夜なので、ちょっと練習しとかねば(明日の天気がよくないとの噂もあるし)、汗を流しておかねばと思って気合を入れていたら、とっぷりと日が暮れてしまった。

 やろうと思っただけはやっときたい人なので、日が暮れようが夜が明けようが、決めただけはやると思っていたら、本当に真っ暗で、最後の棍を使う頃になったら、もう自分の車の明かりで見るしかなくなっていた。何をやっても、思っているよりは時間がかかるし、思ってもみない障害が発生したりするもんなんだよね。

 でもなんとかやり終えて、シャワーを浴びて、やっとPCの前に座り込んだ。ああ疲労の溜まっている週末は、さすがに動きが悪い(ところがどっこい、週始めにも疲労が溜まっていたりする。土日にきりきり舞いするのは、いつものパターンだから)。

 楽天的なのかな、何でも始めるときには、調子のいいときのことしか考えない。やり始めてみて「ありゃ、今日は調子が悪かった」なんてね。まあ楽天的だからこそ、練習といったら嬉々として取り組めるのかも知れない。どうせやり始めたら、よほどの邪魔が入らない限り、予定だけはこなしてしまうのが習慣なので、結局いい方向に進むことが殆どなんだけどね。

 でも私は、人が何かやっていることを見て、「あんなの簡単」とは思わない。これは高校生くらいからずうっとかな? もともと自分が人より優れていないのではないかと思うタイプだったから、人が軽々とやっていることでも、自分は人の10倍くらいはやらないとできないんだろうなと思っていた。

 長じていくらかものごとを客観的に見ることができるようになってからも、この性格はあまりマイナスな結果にはつながらないので、そのまま放置しておいた。中には「その謙遜は嫌味ですよ」なんて親切そうに言ってくれる人もいないわけではなかったが、別に謙遜していたんじゃないんだよね。現実にとんでもなく素晴らしい人を大勢見ていたから。

 人がやっていることを見て、「俺にでも簡単にできる」なんて思ったことは、あまりないなあ。むしろ、人の何倍もするのが当たり前だと思っていた。だからあまり大口を叩く気は、今までにもなかったし、これからもない(本のタイトルなんかは、派手で売れそうなタイトルがいいという観点から、出版社の編集部と相談して決めます。私としては、いくつか…多いときは20~30くらいあり…の案の中から、「これくらいかなあ…」ってのを3~5ほどにして、後はお任せである。タイトルを決めるには、私はあまりにもセンスがないらしいです。まあ、本作りは、私は出版社の担当さんとチームで作っていると考えているので…だから滅茶苦茶感謝してますよ…我を張ることもないとは言いませんが、お任せにする部分もあります)。

 でも民主党は大変みたいですな。自民党がやっていたことも、随分いい加減な部分があったんだろうけれど、いざ自分達で政権を担当して、責任もって取り組もうと思ったら、思ったよりも苦戦しているみたいだね。それに政権交代につなぐのに、随分多くの「目玉商品」を並べたもんね。

 これを現実にできるのか? と危惧していたけど、予算案が95兆を超えるんだってね。凄いね。赤字国債を出すのかどうか、なんて話が出ているけど、単純に95,000,000,000,000円を人口の120,000,000だか130,000,000だかで割ったら、一人頭700,000円くらいになるよ。何もしてくれないでいいから、現生700,000円をくれないかなという金額だ。

 人がやっていると、簡単に見えたりするもんなんだよね。世の中を変えようとする意気込みは買うし、いろいろと試行錯誤している人もいるみたいだけど、張り切りすぎは長続きしないよ。最終的には、国民の負担を増やすしさ。

 私が今日やる予定の練習は今日やるってのは、明日に残すと、明日がしんどくなるからに他ならない。でも張り切りすぎて今日無理をしちゃったら、明日の計画が狂うからなんだよね。まあほどほどでいいんじゃないかな。なにやったって、思っていたよりはしんどいもんなんだから。

2009年10月15日 (木)

換骨奪胎・1 ~中華まんの季節になりました~

 昼はそんなでもないけど、朝晩はめっきりと涼しくなりました。時に寒く感じるほどでございます。コンビニを覗くと、そろそろ中華まんと書いたコーナーが、なんとなく嬉しく感じるようになりましたな。

 饅頭(まんとう)という食べ物が、諸葛孔明の発明であるという俗説があって、うそかほんとか知らないけれど、とりあえず小麦を練ったものを、肉団子にかぶせるという形でスタートしたのが、饅頭(まんとう)の歴史の始まりに近いんだろう。

 私は饅頭(まんとう)としても、日本のものが饅頭(まんとう)の母国、中国のものよりは数段美味しいと感じているので、やはり日本人の素晴らしさを誇らずにはいられない。饅頭(まんじゅう)となったら、これは勝負にならないくらいである。

 だいたいわが国の饅頭(まんじゅう)は、お菓子として発達したよね。だから食事時に饅頭(まんじゅう)を出すような人は、あまりいないのではないかと思う(いないと言いきれないけど)。でも中国なら饅頭(まんとう)だか饅頭(まんじゅう)だかわからないものが、所謂食事時にぼんぼん出てくる。

 いや、美味21しくないわけではないんだよ。それなりに美味しいのもある。でもなんとなく食事っぽくなくて、おやつか何かのように感じるんだよね。左のなんか「榴蓮雪梅娘」という名前だけど、マシュマロみたいな柔らかいものの中に、クリームみたいなのが入っていて、これを食べたのは、必殺朝昼兼用(私は海外に出かけると、一日2食にすることが多い。国内での睡眠不足を解消するためである)だ。19

 これなんかも手前右の豆腐の向こうにあるのは、明らかにその系統のものであって、大変に甘い。どうも食事中に甘いのは、私は苦手だね。血糖値が跳ね上がって、いっぺんで満腹してしまったような錯覚に陥る。すると必要な栄養分は摂取できないから、あとでへばってしまう。

 でもこれをおやつに、と出されたら、私はあまり食べないと思う。日本にはもっと美味しいおやつは掃いて捨てるほどあるからだ。日本は食事は食事として発達し、おやつはおやつとして発達した(きっと)。そして饅頭(まんじゅう)は、おやつの一種として考えられたのだろう。

 饅頭(まんとう)は、それなりに主食の代用にはなるんだろうけど、饅頭(まんじゅう)を主食の代わりに食べたくはない。私にとって甘いものというのは、神経を活性化するためのドーピングのネタに過ぎない。むしろ辛い方が食欲が湧く。

 そういうことで肉まんもあちらで食べた。ダンボールは入っていなかったけど、味は日本のコンビニの普通のものの方が優れていると思った。これが名のある名店のものだったら、勝負になるとかならないとかより、比べる気にもならなかったかも知れない。同じものだとは思えないんだよね。大体コンビニのだって、バリエーションが凄いし。本当に美味しく食わせてくれるようになっているもん。

 肉まんは間違いなく、私は日本のものの方が美味しいように思う。もちろん、凄い高級なところで食ったことがないから、絶対にそうだとは言い切らないけど、平均的なものを比べたら、日本の方が上ですな。

 もう一つラーメン。これは日本の料理である。日本のラーメンを食べたら、中国のは食えない。これは中国の人でさえ、多くの人が認めている事なので、どうしようもないね。私がよくお邪魔する珠海でも、拱北という駅前の地下に日本のラーメン屋さんができた。確か1杯25元(約400円)くらいだったと思うけど、あちらでも大人気である。中国の麺類の店で、あんなに客が群がっている店は見たことがない。

 ただ残念なことに、25元というお値段は、あちらの方々にとっては、リーズナブルとは言えないようで、ある程度経済的に余裕がある人が行っているみたいである。だいたい労働者だと10元くらいで1食は済ませてしまうことが多いから(私が始めてあちらへ行った時は、2元くらいで済ませる人…朝ごはんですが…が多かった。もちろん労働者階級の人ですが。当時は私も、そんな店で食事していた。衛生面で問題があるところも少なくなかったので、今は行かなくなっているが。人はその経済力に相応しいレストランが健康の源である???)。

 にしても、本家はあちらっぽいのに、日本のものの方がはるかに美味しい。やはり味にうるさい国民で、それに競争原理が働いて、しかも輸送手段やら保存技術やらが発達しているから、美味しいものでなければ生き残れないんだろうね。

 こういった環境に入れられたら、なんでも発展するしかないよね。発展しなければ、極めて短時間のうちに消えていくしかないだろうし。この季節になると、やっぱりコンビニに入るたびに中華まんと書いてあるのを見かけるようになるけど、私はいつも思っている。「中華まんたって、本場の中華まんよりはるかに美味しいんだから、もっと別な、いい名前に変えればいいのに」って。

2009年10月14日 (水)

見知らん国の、ミシュランガイド

 またまたミシュランガイドである。今度は関西版。

 レストランなんかの格付けは、あまり意味があるとは思わないけど、それは私個人の価値観かも知れない。私的には、格付けよりも、いかに「自分にとって美味しいと感じられるもの」を、「いかに寛いだ環境」で、「いかにリーズナブルなお値段」で提供してくれるかが大切だからである。

 最近ミシュランガイドは、本家本元のヨーロッパでは、以前に比べれば権威がなくなっているという。それで最近ではアメリカや日本にやってきているみたいだ。そのうち中国本土に行って、辛いという形容詞以外の形容詞を発明しないと表現できない料理も評価するといい。星をつけるというよりは、目から星が飛びそうな味も、ぜひ評価してあげてくださいね。

 でもそれらは庶民的な味だから、高級好みのミシュランガイドは、最初から相手にしないか。やれやれ… 私には、毎日の食事を美味しくいただけて、健康維持とか体力増進の方向で食事を捉えているので(つまり、それだけ貧しいのかも知れないが)、高級レストランも、誰かに招待されたのなら辞退しないとは思うけど、誰かがそのレストランを評価したのは、あまり気にしないと思うなあ。

 私の舌や気分で感知できる以上の味は、私にはわからないんで、それについて他人様があれこれ評価したのを見ても、「ああそう」ぐらいにしか思わないもの。わからない次元の話をされてもわからないのは当たり前だからね。

21  かく言う私だって、いろんなものを食べ歩くのは、決して嫌いではない。これはあるレストランで私が主催した晩餐会のときのものだ。料理はなんと、チベット料理!! お皿の上にこんな輪っかが乗っているのは、私に「あんたが大将!!」ということを表した印である。(会場は日本ではありません)

821 ビールまでチベットビールである。こう言うときは徹底的にチベット尽くしにしてしまう。物事は経験だからである。そうして経験するときは、つま先から頭髪の先端まで、どっぷり浸かってしまうようにする。後方に見えるデンデン太鼓みたいなのは、チベット仏教で念仏(あちらでも念仏というのかどうかは不明)を唱えるときに鳴らす楽器の一種。あまり音色は私の好みではなかった。

 ビールのグラスが、私的には若干ビール的ではないなと感じたが、まあそれでもレストラン側がいいと思ってやっているんだろうから、あちらの意思を尊重する(事実、あまり呑みやすいとも、チベットビールの上手さを最大限度引き出しているとも思わなかった)。 21_2

 最近の私は、野菜好きなので、何処へ行っても生野菜か、それに近いものを食べる。ここでは大根とか、人参とかを千切りにしたものが 出てきた。名前は「涼拌三糸」という。これもそんなに美味しいとは思わなかった。日本で美味しいのを食べている821kaoからね。

 それから「藏考羊排(チベット風骨付き羊の焼いたもの)」である。このレストランは、作りから見ても格21_3式が高そうだったが、私の行きつけの新疆餐庁(ウィグルレストラン)の方が美味しいと思ったね。 味が薄めなので、こちらの方が美味しいという人もいると思うけど。

 引き続き「藏回鍋肉(チベット風ホイコーロー)」である。食べ方は大方の回鍋肉のように、豆腐だ821_2かなんだかの皮で包んで食べる。このホイコーローは、私的には悪くはなかった。結構食った記憶があるし。基本的にチベット料理っても、中華なんだよね。中国の一部であるのかないのか、そんなことをここで論じるつもりはないけど、要するに中華料理をチベット風に作ってあるだけのように感じる。

 こいつは「蒜泥白肉」。これは悪くなかった。辛くもないし。ちょっと味噌っぽい味もついているし。 豚肉のスライスみたいなのを、こんなに巨大な薄21_4切りにしたキュウリで巻いて食べる。ご飯には合いそうにないけど、ビールとかには合いそう。当然、もりもり食う。

 2110日本人には「出されたものは、残さず食え」なんて教育がされているので、残すことに関して罪悪感があるから、どうしてももりもり食っちゃうん だね。

 引き続き波型の皿に入って出てきたのは、「藏紅花牛筋(チベット風牛すじ肉2111のサフラン煮)」。これも薄い塩味がついていて、またよく煮込んであって柔らかく、食えなくはない。 

 さらにこれは「跳水仔兎(仔兎が水を跳ねるという意味だが、兎肉をゼラチン21_5で固めたような、不思議な食感の料理)」という。なぜだか香草の香りが強い。私はあまり香草の香りが強いのは好きではないのだが、これはまあまあ食えた(まるで、私のところで練習しているSくんの評価のようである。彼は「美味しい」の代わりに「食える」という表現をする。食えないというのは不味いという意味だが、基本的に何でもよく食べる)。

21_6 どこにでもありそうなこれは「青稞菜心(茹でた野菜のハダカムギ乗せ)」と言う。ハダカムギの食感は面白かったが、野菜の方は独特の風味。我が家の裏庭に生えているつる草を茹でて食べたときと同じような味がした。まるで我が家に昔あった、蔵の壁土の風味?(そんなことを言うと、お前、壁土を食ったのか?と言われそ2112guoうですが。ありません)

 この色鮮やかなのは「藏紅花蒸蛋(鶏卵のサフラン蒸し)」。名前は直訳。私はこんなのを見ると反射的に、「甘い!!」と思い込むくせがあるのだが、予想に反して2112甘くはなかった。卵の香りがよくて、とても食べやすかった。

 こいつは「雪域果香糯(雪のある地域の香ばしい餅)」と言う。中に小豆を入れた餅で、パン粉をつけて揚げてある。まあなんということもない、素朴2113nuoな味である。

 これは「手撕牛肉(手で裂いた牛肉)」というが、簡単に言うと、牛肉の干し肉。牛の種類が違うのか、それとも牛の生育環境がよくないのか、脂が甘くない。こんなことなら、日本で和牛の肉を買って、自分で干し肉を作った方が、はるかに旨い。ただ、こういして作った干し肉は、火に炙ったときに最高のお味になるのだが、チベットのは冷たかった。(それにしても、よく食うね。この82114xi時は7人様での食事だったんだけどね。これだけ食べて、ホテルへ帰ったら、小腹が減っていたんだよ。きっと炭水化物を摂取していないからだと思う。ここにダイエットの秘策あり?)

 こんな風で、チベット料理は、私的には四川料理を少し軽くした程度かな、くらいの感想しか残らなかった。もしも私がこのレストランに星をつけるとなると、いくつあげようかなと悩んでしまう。なぜかというと、私のチベット料理における洞察力がまだないからである。あちらの歴史や文化や生活が理解できていないのに、星をつけてランクづけなんて、とても、とても… そんな失礼なことはできませんよ。それこそレストランの格は、とても高いんだもの。

 この時は私は「あんたが大将」の席に座って食事したけど(もちろん、支払いは私です…coldsweats01)、二度目に行くかとなると、ちょっと考えてしまうなあ。引き続き、私が進んで行くには、インパクトがなかったよね。誰かが「行こう」と誘ってくれて、気分が乗れば、行かないこともないと思うけど。

 一見さんを馴染みにするには、やっぱりそれなりのものがないとね。そして私が何度でも行く店ってのは、私の中では三ツ星であったり、二つ星であったりするんだよね。見知らぬ国の(ミシュランくにの)、ミシュランガイドに頼ったりはしないでね。

 ただ私は、ミシュランガイドを全面的に否定しているわけではないんだよ。だって歴史も伝統もないレストランのシェフが、必死こいて頑張って、才能と努力とで頑張っている店を評価してあげるのは、意味のあることだと思っている。誰かが高く評価してあげないと、歴史とか伝統とかがない店は、知られなかったり、一段低くみられることもないわけだはいからね。

 日本版のミシュランガイドは、日本の調査員が調べているんだろうとは思うけど(日本の料亭ではガイジンさんは目立つだろうし)、味を客観性をもって評価するのは、そんなに簡単じゃないと思うよ。漫画の『美味しんぼ』の世界とは違うからね。皆それぞれに味覚が異なるんだし(マンガ『美味しんぼ』で、味の基準が多彩ではないのは、とりもなおさず一人の原作者が原作を書いているからだと思うよ。どんなに優れていると思っても、一人の人間には限界があるからね。特に感覚なんてのは、人によって異なるのが当たり前なんだから)。

 味について、絶対的な評価は難しいと思うよね。だから我々は、その時に自分が一番ほしいと思うものを食えばいいんだし。今回ミシュランガイドで取り上げられなかった、「コナモン」なんて、私ぁ、大好きですよ。時々木曜日の練習に持って来てくださる方がおられるけど、涙が出そうなくらい好きですな。ミシュランガイドに乗っている店での食事よりも旨く感じているかもしれない。

2009年10月13日 (火)

トップ・ダウン

 なにやら国土をいじくることに関して、政治家さんの発言を巡って、いろんな論争があるようである。最大の理由は、どうやら何の相談もなく、どんどん決めたことを発言されるところにあるようだ。どちらにも言い分はあるように思うし、よくわからない部分もあるけど、もうちょっと人の声に耳を傾けたほうがいいかも知れない。確かにすべての人を納得させるまで説得していたら、何もできないのかも知れないけどね。

 上が言ったら、なんでも通るという伝統は、この国にはあるのかなあ。この国だけではないか、歴史なんか見ていたら、あったりまえなんだよね。でも今は一応民主主義の世の中(のはず)だからねえ… でも長崎と広島の五輪開催に関する市長発言も、突然だったらしいから、別に上からだけってこともないみたい。

 べつに五輪開催に立候補したのが悪いってんじゃないよ。私は広島の競技場にはしょっちゅうお邪魔しているし、長崎の競技場もお世話になったことあるし。でも五輪は全世界規模の競技会なので、あらかじめ相談しておいて欲しかった人も、きっといるんじゃないかなあ。全面的なバックアップをするためにもね。まあ、私的にはサプライズではあったけれど。

 政治の世界だと、選挙で勝ちさえすれば、すぐに「民意だ」と言って、何もかも強引に通そうとする。「民意」ってのは、いろんな問題ですべて異なるかもしれないんだけど。まあ議会制民主主義なんだそうで、これは仕方がないのかね。でもこのあたりに議会制民主主義のシステムとしての弱点があるんだね。

 そういえばなんでも自分の思い通りに進むようにやっていた、某小泉さんは息子さんに後を譲って、今や(昔もそうか)悠々自適(?)らしいけど、ウルトラマンで声優に挑戦しているんだって? 凄いね。やりたい放題だね。まあ息子さんの片方は、タレントさんだから、もともと芸能界にも適性があったのかも。

 この人のトップ・ダウンも凄かったよね。何しろ自分の言うことを聞かない人は、断固たる処分をした人だから。いまだにあの頃のダメージが残ったから、総選挙で歴史的な大敗を喫して、今に至っているようなもんだよね。「自民党をぶっ潰す」と公言していたけど、まさにその通りになったわけだ。どこかの党のマニュフェストとやらよりもはるかに確かだったね。

 でも同時に自分が引退なんて、ちょっと出来すぎていません? 沈没船からネズミは逃げるというけれど… 自分の言うことを聞かせて、潰れたんなら、責任は自分にあるわけで、自分がぶっ潰したんじゃなくて、ぶッ潰れるような状態にしておいて、逃げたといわれるんじゃなかな。

 何度も言うけど、某小泉さんがどうこういう問題じゃないんだ。多くの人々が、それを見ているということが重大なんだよ。その中にはこれからの日本を背負うはずの若い世代もいるんだよ。政党をぶっ潰すのは、まあ総裁だった人だから仕方がないかもしれないけど、もしも日本を潰すことになったら、これは許されることではないよ。元総理大臣だったお方でも、日本を潰す資格はないんだからね(だって、私はそんなの嫌だもん)。

 歴史に残る昔を見ると、確かにトップ・ダウンで成功している人もいる。でもそれはそのトップがずば抜けた存在だったか、民衆の知的レベルに問題があった時代じゃないのかな。現代の日本には、あまりにも当てはまらないと思うよ。みんなそこそこ勉強しているし、それなりに社会に対して意識しているし。だいだい、多くの人に話をしないでトップ・ダウンってのは、多くの人たちをレベルが低いと見下げているんじゃないのかな。私にはそんな匂いがするんだけど。

 みんな一所懸命頑張っているんだろうけど、一所懸命だからこそ、若干の根回しが効果的なんじゃないかな。根回しってのは日本的なやり方なんだそうだけど、私は欠点を持つ反面、立派に長所も持っていると思っているよ。いきなり上から意思を押し付けられたら、誰だって不快になるよね。

 いずれにしても、こういうのがとみに目立ち始めたのは、声優に挑戦される方からじゃないのかなあ(その前にやった人がいないとは言わないし、当然ワンマンと言われた人もいたりするから、いたんだけど)。よく考えてみる習慣はないのかもしれないけど、考えたらウルトラマン・キングなんかの声優なんかやってる暇はないんじゃないの?

2009年10月12日 (月)

私とアクアリウム・25 ~ブリーディング~

 アマゾンには「三声の魚」というのがいるのだそうである。何のことはない、ピラニアなのだが、この魚がいる川にはいると、「助けてくれ」と3回叫ぶことしかできないことから、「三声の魚」なんだそうな。それでそういう川を渡るときには、まず牛を川に入れて、牛がピラニアに襲われている間に人間がわたったとかいう話を聞いたことがある。

Photo_10   嘘か本当か知らないが、私があちらに行ってきたわけではないので、よくはわからない。でも我が家にはピラニア的な存在はいる。それはすっかり我が家の外側を縄張りとしてしまった、野良ちゃんの子猫たちである。彼ら(全部オス)は、我が家の人間を信頼しすぎている。夜なんかこちらの足元にダッシュして激突していく(私に踏まれたら死んじゃうよ。「猫踏んじゃった」の「猫死んじゃった」バージョンになってしまう。(左写真の上の方にバケツで生えているのは、ロターラ・ロットゥンデフォリア。なんでこんな水草が?Photo_11 それは我が家の謎である。毎年綺麗な花をつけるよ)

 それで我が家では、人が何かするときには、まず餌を食べさせておいて、猫がそれを夢中で食べているうちに、用事をすませてしまうことにしている。まるで人が川を渡る前の牛だね。それで我が家は、猫がピラニアになっている。

 昔は私もアマゾンに行って、ちょっとした冒険をしてやろうかと、いろいろと準備をしていた時期もあったのだが、残念なことにチャンスを失ってしまった。一度チャンスを失うと(と言っても、半年くらいかけるつもりであったから、仕事は辞めるしかなかったかも…)、二度とチャンスは来ないよね。

 昨年だったか、ニロチカの近藤さんにチョウセンブナのペアをいただいたことがあった。泡巣産卵魚で、背びれと尻びれの先端が長く延び、婚姻色などを出すと、なかなか美しいさかなである。熱帯魚でいうとグラミーのイメージである。なぜいただいたのかというと、当時私の知っている人で、チョウセンブナを飼っているのはいいが、すぐに殺すとか、稚魚が成長してもメスだけしかできないなんていう人がいて、「チョウセンブナを手に入れてくれ」とばかり頼まれたので(そんな暇ねえよ。あたしゃ、毎日網持って川で遊んでねえって)、最初は近藤さんに無理をお願いしていたのだけれど、そのうち、「自分が殖やしたほうが早い」なんて気持ちになってしまったんだよね。ブリーディングの暇なんか、どこ探したってないのに。

 ちょうど夏前で、睡蓮でも咲かせてやろうかと、遊び心が蠢いていた時期もあって、テキトーにへらへら作って放り投げていた。自慢じゃないが、最近、魚どころではない。1週間に1度の水換だって大変なくらいだ。おんもに放り出している魚どころではない。

 で、たまに覗いて見ても、まったく姿が見え中なかったので、死んじゃったかな? 近藤さん、ゴメン、と心の中で謝っていた。本当は睡蓮も植え替えなきゃいけなかったんだけど、ちょうどその時期は、日本選手権だのなんだのと重なって、できなかった。

「まあ、いいや」と思っていたら、睡蓮はこちらの手抜きを見逃してくれないで、見事に花が咲かないで夏が過ぎた。アオミドロやなんかがいっぱい出て、中はとっても汚くなってしまっていた。こうなると手を突っ込むのが億劫になる。「まあ、いいや。どうせ冬になれば枯れるから」 ここでも「まあいいや」である。私は案外「まあいいや」が多い。Photo

 で、今日覗き込んで「そういえば、チョウセンブナをここに入れたっけ…」なんて、ちょっと浮いたゴミを動かしたときである。水面になにやら動くものが見えた。「あれれ?」 見たら間違いなく、チョウセンブナのオチビさんではないか。 「ほうほう… やっぱり私の理論が正しい」Photo_2

 何が理論かというと、飼育する環境ができれば、人間が手を加えない方が、はるかに健全な繁殖をするということだ。人間が手を加えれば加えるほど、なんとなく不自然になっていくからね。

 見たら小さなやつで体長3㎝くらい。大きな奴で5㎝くらいになっているだろうか。チョウセンブナの繁殖期日はだいたい初夏なので、今年の夏に生まれたんだね。人間が覗き込むのは初めてで、向こうも初めて人間を見るらしく、まったく恐れていない。Photo_3

 逆にこちらを見返したりしている。この魚、珍しいんだってね。日本に入ったのが、今から90年くらい前だということで、飼育していたのが逃亡して広まったんだとか。岡山県も全国でも数少ない生息域だとか。まあ、実際に川辺を歩いていたら、いろんな魚を目にするけど。Photo_4

 でもまあ、人間的には汚いところで繁殖するでしょ。その通りなんですな。人間が見た綺麗さと、魚にとっての住みやすさは、あんまり関係があにのね。むしろ「水至清則無魚(前漢書・東方朔)」で、水清くして魚住まない(住めない?)んだよね。 

Photo_7 むしろこのくらい、人間Photo_6の目には汚く見えたほうがいい。 この「汚さ」Photo_5ってのが、作ろうと思うと、案外難しいものなんだよね。作ろうなんてえのは、すでに人間の意識が入っているし… 生き物は人間の思う通りになんか動いてくれませんって。

 なんて生意気なことも、今だから言えることで(しかもやってしまうし…)、初めて魚のブリーディングを試みたときには、力が入りましたな。私が初めて殖やしたのは、Photo_8 ぺルビカクロミス・プルケールだったけど、一所懸命、ブリーディング用の水槽を作って、一日に何度も見ていた。あれがあったから、今があるんだろうけどさ(水質の検査なんか、一日になんどもやりましたよ。今でもどこかのフロッピィに入っていると思うけど)。

 なんでもかんでも、今の世は綺麗にしすぎるから、うまくいかない部分があるんじゃないかと思っているけど(清潔さが要求されるところは、清潔であるべきだとは思いますが)、この「汚さ」は、人間には難しい。それで私は、自分では頑張ってやらないようにしている。Photo_9

 こんな感じでございますな。睡蓮を5つ(?)小鉢に植えて入れて、その傍には、ウォーターカーナミンのを鉢植えにして、アマゾンチドメグサとアマゾンソードプラントが、果たして日本の冬を越えるか、なんてチャレンジした鉢植えがあるだけ(残念なことに、アマゾンチドメグサとアマゾンソードは越冬できませんでした。まだ温暖化もそこまではきていないみたい。ちなみにアマゾンソードはこれで2回目のチャレンジでした)。後は叔父貴のところで貰ってきた、田んぼの土が少々あるだけ。

 あとは任せちゃうんだよね、生物に。いや、チョウセンブナが生きているかどうか、さっぱりわからなかったけど、ぼうふらが湧かなかったから、きっと食べちゃっていたんだろうね。それにしても資料によると、チョウセンブナは、生息水温が1℃から30℃と書いてあるけど、ここは我が家でも最も暑くなる場所で、水温35℃くらいには軽くなると思うんだけどなあ。でも自然に近い環境にすると、生物は驚くほど強靭になるし(グッピーなんかでも、そうとうな高水温の中で、ゆうゆうと生きて子孫を残しておりますぞ。初夏に1ペア入れたら、秋には何十という群れが泳いでいますからな。しかも色が綺麗なこと!!)なあ。

 昔は私のブリーディングも、一所懸命あれこれ世話していた。だから増えたときは感動だった。今はセットだけすると後は知らんふり。世話なんかしない。でも増えたときの感動は、昔に劣りませんよ。昔は増やしていたんだけど、今は増える環境作りがうまくなったんだね、きっと。

 身体運用も同じ。ここ十年ちょっとは、表面的なテクニックよりも、もっと根源的なところへ目を向けるようになったけど、これって人間がものを捉える上での、進歩の必然なのかも知れないね。

2009年10月11日 (日)

は~… ふ~…

 へっへっへ… 秋深し、隣の客は、よく柿喰う客だ。なんじゃ、そりゃ?

 ということで、今年もマツタケをいただいております。どうせエンゲル係数が高い生活でございます。「しょ」のつくものには、お金をかけないと。「食物」「書物」「ショバ代…??」 あれ? 「しょーこ隠滅」なんてのも金がかかる? ま、私には隠滅しなければならないような、証拠はありませんけどね。(知られたくない過去はある。立ち○○○便とか… あ、これも「しょ」がついた)

 実は昨夜もすPhotoでに食っちゃった。本当に「日本人に生まれたよかった」と喚いたくらいでございますよ。お陰で運動不足なのに、お酒を飲みすぎてしまいました。いかん、いかん。運動量が今の私の酒量を決めるのにね。でもいい食べ物には、いいお酒を、と思って酒屋にも行ったんだけど、大好きな『菊姫・山廃吟醸』がなかったので、仕方なく『越の寒梅』にしちまった。味は名前ほどではないんだけど(以前、試合で新潟にお邪魔したとき飲んだのは旨かったんだけどね)。 やっぱり産地で賞味するのが一番っぽい。

 さてさて、こんなことを呑気に言っておりますが、やっぱりオバマ氏のノーベル平和賞は、いろんなところで、いろんな議論になっているらしい。「核兵器廃絶」なんてことははるか昔にも言われたことだし、結果として全然減っていないからね。オバマ氏には期待が大きいから、先に賞をやっちゃおうなんて、やっぱり少し安易すぎるような気がする。あんまり頑張りすぎると、あの国は大統領が何人も暗殺されたという過去を持っているからね。気の毒なことをしちゃいかん。

 先日も書いたけど、わが国の佐藤栄作元首相だって、平和賞を貰っているんだよね。しかも「核拡散防止(非核三原則なんて言いましたっけ? 持たず、持たさず、持ち込ませずでしたっけね?)」関連で。でも本当のところは、どうもアメリカの核で日本を守ってもらおうとしたって密約を結んでいたとかで、いろいろと言われておりますな(その結果、日本の平和が守られたのなら、政治家としては少なくとも失敗はしていないんだろうけど)。でもノーベル平和賞となると、ちょっと「?」がつかないかな。

 まあ平和なんてのは、力と力の絶妙なバランスのもとに成り立っているのかも知れないんだけどね(戦国時代なんてまさにそうだから。あっ、戦国時代って、平和がないから戦国時代なのか… う~ん…)。力と力の絶妙なバランスの上に成り立っているのが平和だとしたら、全然平和じゃないことになりますな。

 お陰で歴代の首相は、こと「核」のことになると、答弁が難しかったんでしょうな。大平さんなんて、「え~(私には、へ~ と聞こえていたが)、ふ~…」 なんて前ふりや、言葉の間の音が長くて、果たして最初の文章と、最後の文章が、意味的につながっているんだろうかと悩んだとこがある。福田赳夫さんもそうだったよね(息子の「あなたとは違うんです」くんよりは、はるかに立派な政治家だったと思うけど)。

 以前の人は、ああいった意味不明な口から出る音の使い方が上手かったような気がする。これがなくなったのは例の小泉ライオン丸くんだよね。あの人は長い文章が憶えられないのではないかと思うくらい、短かった。そして言葉がきつかった。平気で他人を傷つけるような言葉を発していた。きっと脳みそも単純だったのではないだろうか。世の中を「勝ち組」と「負け組」の二色に塗り分けようとしたからね。

 実際は真っ白も真っ黒もいなくて、ほとんど全部が灰色なんだけど、この人は白と黒しか認知できないかのような言動が多かったもんね。まあ世の中コンピュータの時代だから、二進法になっちゃうんだろうけど(そういえば彼が提唱した「IT革命」とやらは、どうなりましたっけ? 大風呂敷だけ? ピロシキは食べればいいけど、風呂敷は広げたら畳まないと)。

 もちろん、はっきりとした発言が悪いんじゃないよ。わかりやすくってよい、と感じた人が多かったから、あの人は大勝したんだから。でもわかりやすけりゃそれですべてがいいのかというと、そうとばかりも言えないんだよね。そして往々にして年輩の方が、こういった表現を得意とされていることが、今までは多かった。

 わが岡山県にも独特に言い回しがある。私も社会人になった頃、これの名手に出会った。職場の大先輩だった。この人は何を聞いても「そうかな、そうかな。そりゃあそりゃあ」と受ける。標準語にすれば「そうですか、そうですか。それはそれは」である。これだけで見事に、クレームをつけられようが、何かを頼まれようが、見事に対処してしまうのである。

 考えてもきてほしい。「そうですか、そうですか。それはそれは」である。何の意思表示もしていないんだよね。でも相手をなんとなく、これだけで納得させてしまうのだから、もう超人技だった。そしてこうして受けた後、何もしなかったんだよね。これは神業の部類にはいるよ。年寄りになったら、こんな技が使えなければならないのか。まだ若かった私は、すごく感心したことを覚えている。

 また若い人を乗せるのも、この人は上手かった。なにかいいものを見せたり、聞かせたりすると、「ほう。そりゃあ、そりゃあ…」 一応感嘆しているようなニュアンスである。これに続いて「そりゃあ、で~れ~もんじゃ(岡山便でございます。標準語では「どえらいもんだ」)」とくる。でも全然感動なんかしていなかったんだけどね。

 言われたほうはそれなりに嬉しくなるから、あそこまでいくともう人徳の問題でしたな。とにかく相手をけなさない。そして自分の意思表示はしないけれど、なんとなく相手には否定されたような感じを与えない。この秘技に私はずいぶん感心したけど、なかなか真似ができないでいる。私の場合、どうにも本音を喋りすぎるようである。

 昔の人はこうやって、世の中を丸くわたっていくのが上手かった。それがすべて良かったとは思わない。いい加減なところが積もり積もって、いくつかの問題を起こしている部分もなくはないからだ(実際、この人のお陰で、私は大変忙しかったから)。でもなんでもかんでも、きっぱりと言い切ればそれでいいことばかりではないと思う。

 地球温暖化ガスの25%削減、見事な目標だと思う。でもここまで数字をきっぱり言い切って大丈夫なんかね? 数字って誤魔化せないし、けっこうきっぱりとしたもんだよ。万が一失敗したら、まさかデータを改ざんしたりはしないよね。ハトさま(このいい方は可愛いくていいよね!)もきっぱり言い切る方だから大変だ。

 昔々、「は~… ふ~…」 って言っていた爺さんがいました。でも亡くなってからいろんな人が回顧してみると、とってもいい爺さんでした。きっぱり喋ってしまう爺さんよりも、はるかにいい爺さんでした、なんてことになったら… ちょっと、世の中寂しいよね。

2009年10月10日 (土)

年輪

 秋らしいいい天気だった。昼過ぎから用事があったが、嬉しいことに午前中は、久々にのんびりした(って、睡眠不足を少しでも解消するのに、寝ていたんだけどね)。

 あまり天気がよかったので、庭に椅子を出して読書(哀しいことに日本語の本ではなかったんだけど。訳本も出ていないし)していたら、「これはこれは…」という舌なめずり顔のにゃんこが四匹揃ってやってきて、人の足を齧る、手を嘗める、齧るのやりたい放題。この仔たちは、まだ生まれて一年もたっていないんだよね。

 仕方がないので、ネコじゃらしをぶら下げていたら、それをくわえて、胸を張ってさっさと何処かへと持ち去ってしまった。ネコの注意がそっちに移ったと喜んで、やっと読書に専念していたら、遊び飽きたネコが2匹やってきて、やっぱりじゃれつく。そんなこんなをしているうちに、外出の時刻がやってきたので、結局なにもできなかった。

 これを打ったら、少しは今日の仕事をやっとかないと(今さっきも少しやったけど、実は一昨日の遣り残し。「明日できることを今日するな」というヘンな考え方もあるけれど、やっぱり早めはやめに片付けておかないと、とんでもなく忙しいことになる。

 職場で「いつも疲れた顔していますね」と言われてしまったが、実際に疲れているんだもん。毎日、上手にリズムに乗せるから、なんとかもっているんだよね。まあ、社会人なら誰だってやっているはずのことだけど。仕事以外の仕事も、なかなか忙しいので(こちらは好きでやっている事なので)、休憩している間がないんだよね。

 外出のとき車の窓から目にしたが、田んぼが少しずつ黄色に色づいておりますな。今年の岡山県の稲作は、例年を100とすると101なんだそうだけど、真ッ黄色にそまった田んぼを見るたびに、「やっぱり日本はええなあ~」としみじみ思っております。子供の頃から見慣れた風景だからね。でも毎年見続けているから、こんな当たり前の風景にでも、余計に価値が出るんじゃないだろうか。

 そうそう、プロ野球で楽天が二位になったって言っておりましたっけ。さすが野村監督ですね。見事な腕の冴えですね。もともと選手層が薄いところから、他球団では使ってもらえなくなった人を再生したり、若い選手を育てたりして勝っていくってのは大変ですよね。資金も潤沢ではなかったろうし。

 有名な「ボヤキ」だって、見事なもんだと思います。いろんなことを考えて言っているんだよね。終わって暫くしてから、本当の意味が理解できたりして。こういうのって、本当に素晴らしいと思うよ。野村監督にとっては、勝負が終わっても試合は終わっていないんだろうね。そういう人だから、ああいった値打ちある、「ボヤキ」といわれる言葉が出てくるんじゃないだろうか。さすが年輪を感じさせられます。

 最近、年輪を感じさせる年輩の人が少なくなっているような気がするので、こういった人を大切にしなきゃなりませんな。年輪は、春夏秋冬を経験した、長い年月をかけて成長する木にできるもので、一年間で生えて大きくなって枯れるものや、いつも順調に成長できる環境で、ぬくぬくと野放図に育った木にはできませんもんね。

 やっぱり逆境に耐えて、いろんな経験をしながら、長い時間を建設的に生き、成長したものにしかできませんからね。そんな木を切るのは、なんとももったいない気がしますわな。切らなきゃ年輪は見えないんだけど。でも無理して切ってまで年輪を見る必要はないんじゃないかな。年輪は周囲の人に感じさせるだけでも十分意味があるような気がするし。

 今年のプロ野球は、私にはとても面白うございました。忙しいので、仕事をしている傍でテレビが放送しているとか、新聞で目を通すくらいしかできなかったけど。WBCの感動的な試合に始まり、イチローは大記録を達成したし、野村監督は頑張った成果がすでに現れたし(CSは残っているけど)。

 年輪を積み上げていくような生き方って、私にはカッコよく見えるね。それが一年や二年で積み上げることができないだけに、よけいそう思うよ。

2009年10月 9日 (金)

ノーベル平和賞にオバマ氏?

 う~ん… 確かに佐藤栄作さんも貰ったよね… ノーベル平和賞。でもあれって、現役の政治家を引退してからじゃなかったっけ…? 

 確かにバラク・オバマ氏は、何かしてくれそうな雰囲気は持っているよね。核兵器廃絶なんかもアメリカがリーダーシップを取るなんて言うので、私は「えっ? えっ?」となってしまったよ。まさかね…

 確かアメリカが地球上で最初に、他国に対して核攻撃をした国じゃなかったかなあ… その後も核持ち込みが、実はああだったこうだったと、今頃になって真相が明らかになったりしているご時勢だ。それによると、真相は我々が知らされていたのとは相当違っていたらしい。

 私はまだオバマ氏に関しては、「Yes, we can!」しか知らないんだけどね。まだ就任して間がないし。いくらスマートに見えたとしても、まだ結果は出ていないんだし。見てくれはいいけど、内容はさっぱりなんて人も、けっこういるからね、世の中には。

 そんなに結果を急がなくてもいいんじゃないかな。まだまだ先がありそうだし。もっともっと平和に貢献してからでも、いいんじゃないだろうか。世界中には、もっと平和に貢献している人がいるんじゃないの? 決して有名じゃなくても。地道に活動している人を表彰してあげるのも、いいんじゃないかな。

 というのも恥ずかしながら、けっこういらっしゃる日本人の受賞者も、不勉強な私なんか、ノーベル賞を受賞するまで、存じ上げなかった人が多いんだ。「えっ? そんな人いたの?」って慌てて本を読んだりして(本がなかったら週刊誌の特集記事を読んだりする)。

 そうして感動することがあるんだよ。「世の中には、人知れずいい仕事をしている人がいるんだなあ」って。これって元気が出るんだよ、けっこうね。「こんなに凄いことはできなくても、俺も俺なりに頑張ろう!!」なんてね。

 アメリカの大統領なんて、別にノーベル賞あげなくても、世界中の殆どの人が知っている。もしかしたら利害関係が不一致で、「敵」だと思っている国の人たちがいるかも知れない。だから急いであげる必要はないんだよ。大統領で頑張って、何年か経過して、明らかに成果が上がってからでも遅くはないしね。

 核兵器廃絶ったって、その核兵器のお陰で?「世界最強?の軍」を持って、世界の警察意識を持っている国なんだから。宣言するだけでノーベル賞をもらえるんだったら、これ以後ノーベル賞狙いで、宣言ばかりが先行するような風潮が出るんじゃないの。

 科学者は、結果を出さなければノーベル賞はありえない。文学賞だって作品を発表していない人はいなかったよね、たしか。政治家の皆さんにもそうであってもらいたいね。まあ、私には関係ないことだけど(あと500年生きても、もらえそうな気がしないもん)。宣言だけでいいのなら、いくらでもしてあげるけどね。

2009年10月 8日 (木)

外国と同じ教科書を使うのは理想的か?

 S新聞に小さな文字で書いてあったので、気がつかない人もいたかも知れないが、いかにも硬そうな顔をした外務大臣だかなんだかが、日本、韓国、中国で同じ教科書を使うようにするのが理想的とかなんとか書いてあったように記憶している。

 最初に言っておく。私は平和が好きだ。中国とも韓国とも仲良くやっていきたい。でも同じ教科書を使うとなると、これは問題があるんじゃないかと思う。きっと歴史問題に絡んでの発言だと思うんだけどね。

 どんなものにも表と裏があるように、過去に起こった歴史上の事件も、現在起こっている歴史上の問題も、将来起こるであろう問題にも、必ず働きかける側と、受身の側がある。この両者での見解が一つということは絶対ないと思うよ。お互い立場が違うんだからね。

 確かに「理想的」と言っただけで、「そうするとは言っていない」と、きっと逃げ道を用意しているんじゃないかと思う。でも「理想的」というのは、「それが一番良い」と言っているわけだからね。あまりにもそれぞれの国が持つ文化や伝統、現状などに配慮がなさ過ぎる発言じゃんじゃないかと思うよ。

 文化や伝統が異なれば、考え方も異なる。だから異なったものを使うんじゃないのか。例えばご飯を食べる国の国民が、お箸を使うのは当たり前だ。サンドウィッチだってお箸で食べることができないことはないけれど、お箸で食べているのをみると不自然に感じる。スプーンでサンドウィッチをすくって食っていたら、これはすでに異常に近い。まったく機能的でないからだ。

 どこかの国が、わが国で使っているものが最高最善だと言い。それを使い出したら、食べにくいものが増えるだろうし、中間的な食器を作ったら、どちらの側の料理も食べにくくなるだろう。

 どうしてそんなことがポロリと口から出ちゃうんだろうね。ものを見る時だって、表と裏からでは、見え方がまったく異なることだって少なくないのに(特に、認識の問題なんて、立場ですべてが変わるんだよ)、いい年をこいたおっさんの言葉とも思えないよ。

 きっとこういう人は、地球上の人間のすべてが、同じものを着て、同じものを食べて、同じ本を読んで、同じようなところに住んで、同じように暮らしていけるというとんでもない誤解をしているんだと思うよ。

 気候も違えば、生きてい環境も違う。できる食べ物だって異なる。宗教も違えば、生活様式だって全部違うんだ。そんなことに対する想像力がないんだろうね。想像力がないと、しょうもない発言をしても気がつかない。ちょっとした「受け」だけを狙った発言をしてしまう。個人のレベルでするのは、時には構わないと思うけれど、公の人間としたら、思慮が足りないといわれても仕方がないんじゃないかな。

 国家間だから、過去にも、現在にも、そしてきっと未来にも、様々な軋轢や問題があったり、発生したりするに違いない。でもそれをお互いの対話によって解決しようとするのが、政治家さんたちや、我々の務めなんじゃないか。同じ教科書使ったって、読み方一つで解釈なんか、何百通りだって発生するんだからね。

 ばっかじゃなかろか! 一番に私が持ったのはそういった感想だった。お互い、自分がいろんなことを習いながら成長してきたわけだ。私は海外に(もちろん中国にも韓国にもアメリカにも)、親友と呼べるような友人がいるけれど、中には日本に対してよくないことを書いた教科書を使って勉強したかも知れない人だっている。

 でも彼らがその内容に囚われているかというと、全くそんなことはない。我々個人個人には無関係なところで、様々な問題はあったのだろう。私が中国にいるときにも、某小泉首相なんかが爆弾発言的なことをやらかしてくれたことだってある。中にはヤバイ状態になった日本人もいたそうだけど、すくなくとも私に関しては、それで友人達が私に対する態度を変えたか? 全然そんなことはなかった。

 同じ教科書を使うのが理想的という考え方には、相手の国の歴史や文化、伝統なんていうものに対して敬意なんか持っていないようにしか感じられないね。同時に自分の国に対してもそうだ。表面がいい、耳ざわりのいい言葉を吐くと、実際には別の方向から、いろんな問題が発生してくる。

 ま、それも仕方がないかもしれないけど。マニュフェストとやらで公約した事柄も、いざ実施に踏み出そうとしたら、いろんな問題が発生して立ち往生しているようなところも最近よく耳目にするし。「子育て支援」は現実になるの? 「高速道路無料化」は? 言っとくけど、お金がないので整備不十分な高速道路で、事故死するのは嫌だからね。こんなのと同じような感覚なんだろうね、きっと。いいよ、共通の教科書ができるものなら作ったら。それこそ、他のところでいろんな問題が、山のように出てくるから、きっと。

 大昔、エスぺラントというのが流行したことがあった。世界共通語にするなんて、私の父なんか、どこで聞いてきたのか知らないけど、私がほんの小さな子供だった頃、興奮気味に話していたと記憶している。これだって初めて聞いたときは(ほんの小さな子供だったが)、「凄いっ!」と思った。でもその後がねえ…

 エスペラントは定着しましたか? 今もどこかで生きているかもしれないけど、少なくとも私の目に入る範囲には存在していないよ。なんでもかんでも世界共通にすればいいというものではない。すべてのものが世界共通になればいいというのは、それぞれの地域に息づいている貴重なものを失っていくように懸念するけどね、私は。

 不幸な過去があったのなら、これからは不幸にならないように努力すればいいだけのことなんじゃないかな。どうして共通認識にしたがるのかな。さっきも言ったように、同じものを読んでも、読み方一つで解釈なんかどうにでも変えられるんだし。この人、本をマジで読んだことがあるのかな? 解釈の方法は常に一通りしかないなんて、固い顔同様、固い脳みそで考えているのかな。脳みそまで筋肉ってのは聞いたことがあるけど、この人のは石でできているの?

 必要なのは「これからどうしていくかってこと」だと、私の海外の友人達はよく言ってくれるよ。過去を踏まえないと何もできないってわけでもないだろうしさ。だって私は曾祖父ちゃんの顔を知らないけど、とりあえず生きているからね。祖先をしらないと生きていけないこともないし。海外の友人なんかだったら、お父さんも知らないけど、それでも仲良くやっているよ。とても建設的な関係だと自負している。

 そんなことじゃ、頭の柔らかい海外の交渉上手には歯が立たないぞ。こういう石頭の人なら、私は推薦したい本がある。きっとまだ日本語訳が出ていないと思うから、自分で勉強しながら読むといい。『厚黒全集』『韜晦術』などだ(現在人に貸しているのもあるので…日本人じゃないけど…まだまだ他にもある)。こういったのをじっくり読んで、こういったことが当たり前のようにやれる人間と、交渉していかなければならないのだということを考えたほうがいい。

 なんでもかんでも思いついたことを言ってれば、自分が進歩的な考え方をしていると思ってもらえるなんて考えていたら甘いよ。相手に迎合することが相手を尊重することではない。お互いに意見をぶつけ合いながら、よりよい関係を築いていくことが、私は本当に相手を尊重しているんじゃないかと思っている。外務大臣になんか、なりたくもないけどね。

 台風のお陰で、今日は早く取り掛かれた。それだけは良かった。

 

2009年10月 7日 (水)

ちょっと変わった食性・45 ~案外素朴な桂林料理~

 なんと台風18号が接近中とのことである。強力な台風だそうだが、被害がでないことを祈っている。伊勢湾台風と同じコースをたどっているそうで、くれぐれも注意してくださいね。現代は科学文明が発達し、道路やなんかが整備された反面、山の保水力が著しく低下していたりするから、油断はできませんな。

 ついでといっては何だが、昨夜のWBAフライ級タイトルマッチ、酷評している新聞などもあったが、亀田大毅の試合、工夫がないとかなんとか言うよりも、比較的正攻法になってきたみたい。折角取り組んでいることなんだから、本人が一所懸命頑張っているんだったら、ある程度は評価してあげてもいいと思ったよ。

 少なくともボクシングっぽくなっていたからね。まだ二十歳なんだから、頑張り方一つでは強くなるかも知れない。まあ可能性を信じてあげて(応援するしないは、個人の自由。好き嫌いも、他人に強制されるのは嫌だもんね)、見てあげるくらいはいいかも知れない。努力は評価してあげないと。

 勿論私が「すげえなあ、この人」と思ったのは、ミノワマンだったけどね。あまり派手なパフォーマンスはやらないみたいだけど、何かをやらかしそうで、とってもドリーミーな人だ。大晦日も頑張ってもらいたい。きっと見ると思うよ。

 てなことでなんとなくぱらぱらと写真を見ていたら、桂林料理を食べたときのが出てきたので、今日はそれを紹介しておく。もちろん中国本土で食べたときのものね。823

 これ、メニュー名が「野菜」と言います。日本では野菜というと畑などで栽培する、所謂野菜だけど、中国では野菜とは野草のことでございます。これはワラビでしたな。色がこんなんで、私は間違って生姜をワラビのつもりで食っちゃった。ワラビだと思い込んで生姜を食べると、けっこう辛いのね。

 23 これは「竹筍」。簡単に言えば、ヒメチクみたいなもんで、全然癖がなかった。まあちょっと辛い程度で。でも桂林料理って、辛いといっても軽いんだよね。四川とか湖南料理とかだったら、辛さが重たいんだけど。ビールのつまみに善しである。

 引き続き、「桂林米粉」。例によって中国の麺らしく、コシはまったくないが、まあ23_2面白い味であった。例によってあちらでは料理が順を追って出てこない。出来た順番に出されるだけである。だから何が主食で、何が主菜で何が副菜で、何が何かわからなくなります。こんなことで食っていけなかったら、あちらでは食事はできないけど。23_3

「油条炒牛腱」。ようするに油で揚げたパンみたいなのと、牛肉と、葱と大蒜なんかを、タカノツメとか胡椒とか、醤油とかで味付けしたものだけど、一度牛肉なんかを油で揚げているので、軽くなっているのが憎めない。まあちょびっとだけ辛いかな(私には辛くは感じないけど)。23_4

 これは「桂林風味田螺」ですな。要するにタニシ料理。もともとタニシという貝は味が濃い系統なので、甘辛く佃煮みたいにしたものが美味しいんだけど、基本的にこれも同じ系統でございました。貝の頭を刎ねているので、取り出しやすくて食べやすかった(この手の貝にしては)。23_5

 これは「銀魚蒸娃娃菜」と言いますな。娃娃というのは子供という意味。例えば娃娃顔といえば童顔のことだったりする。銀魚はシラウオのこと。つまりシラウオと若い(幼い)野菜の蒸したものという意味。白菜の上に大蒜のみじん切りが乗せてあって、さらにシラウオの仔魚が乗っている。暖かいうちに食べると、まあまあ美味しい。23_6

 これは「剣骨魚」と書いてあったような記憶がある(遥かな記憶は、定かではない)。川魚(桂林には海はないので)を生姜やニラやなんかで醤油味(だと思った)で似ている。莫ちゃんに聞いたところでは、啤酒魚だと言うので、ビールで煮たものかも知れない。あちらでは結構使う技法だから(私ならビールは飲んでしまうけど)。823_2

 これが桂林の特徴的な料理の一つだと教えられた。「全州qiang(火へんに倉)鍋禾花魚」と言う。全州は地名。qiang(火へんに倉)とは手早く茹でて酢や醤油などの調味料であえるという意味と、生姜や葱などの香味野菜をさ823_3っと炒めて香りを出すという意味があるけど、ここでは後ろの方。禾花魚とは何だろうかと思って食べたら、 左のような鮒みたいな魚だった。

 歯さえ大丈夫なら、頭からかりかりと食べるとよい。でこんなのをビールで食べたんだよね。このときの記録には、腹いっぱい食べたはずなのに、夜になったら腹減ったと書いてある。やっぱり炭水化物が少ないから、お腹が減りやすいんだね。案外こういった食生活は、肥満防止には効果的かも、なんてことをメモってある。それ以降、実行していないのが玉に疵なんだけどさ。

 でも日本でこんな食材集めるって、なかなか骨なんだよね。ましてや自分で造るとなると、こりゃもう大変なこと間違いなし!! で再現していない。

2009年10月 6日 (火)

秋深し、今年の秋はお粥だよっ!!

 相変わらずお粥を作っている。三月の上旬からずうっと継続しているから、私が飽きっぽい性格ではないことは、ここでも証明されている。ただしある程度慣れると、ワンパターンになるよね。「だいたいこんなもんで食えるはず」なんて、工夫をしなくなる。

 夏以降で画期的だったのは、カレー粥くらいのものである。でも夕食をお粥に変えてから、体調がよくなったのは事実で、今も作る作る。時に怪我の功名なんてのも時々あるけど。

 例えば百合南瓜粥である。従来これは我が家では、干しアミやシラス干しなんかを入れてダシを取っていた。特にアミは食感に変化を与えてくれ、なかなか美味であったのだが、この前(だいぶ前)、ステーキを焼くのとお粥を同時にやっていたら(我が家では私がステーキ主任である)、ステーキの焼き具合の方が気になって、お粥の方がお留守になっちゃったんだよね。

「あっりゃ~っ!!」 出来上がってから喚いても、もう遅い。覚悟して食べてみた。ところが美味しかったんだなあ。あっさりとしていて、いつものやつよりもいいくらい。作るのは簡単。お米は100g、水は最近少し少なめにして800ml程度。お米をといでまず強火で加熱、その間に南瓜を短冊状に切る。だいたいスーパーで売っている四分の一にカットされたもので、できるだけ固いのを全部使う。

 沸騰したらこれに南瓜を入れて、また沸騰し始めたら(1分くらいで沸騰しはじめるよ)弱火にしPhotoて、塩を小匙一杯入れ、お醤油を少々加える(隠し味)。それから大急ぎで百合根を一枚ずつはがして水で洗い、鍋に加えてOK。ニラなんかを切っていたら、後はビールを飲んで待つだけである。

 最後の最後にニラを散らして、火を止め、それからいただきま~す。こんな感じ。甘くて、なんともほかほかするお粥になりまする。

 Photo_2先日、鞆の浦で買った蟹も早速お粥になったよ。全部オスだったので、2匹だけ使った。材料は簡単。蟹2匹。ご飯(面倒だったので、炊いておいたご飯を使った)、お茶碗山盛り一杯。ミツバ1束。

 最初にミツバを刻んでおいて、土鍋に水を800ml入れ、加熱を開始する。蟹は裏側の、通称ふんどしから甲羅を外し、えらだけは食感が悪いので、手で取り去ってから包丁で切断する。すでに茹でてあるのを買ったので、余り罪の意識に悩まなくていい。以前モクズガ二で蟹ご飯を作った時には、生きている蟹をそのまま真っ二つにしたので、寝起きが悪かった。なんだか腰斬の刑の蟹バージョンみたいで。

 お湯が煮立ったらPhoto_3蟹を入れる。そして再び煮立ってきた頃、ご飯を入れる。これで噴いたら弱火にして、蓋を少しずらして吹き零れないようにして、そうだなあ、約20分くらいだろうか(ビールを飲んでいるので、よくわからなくなる)

 あとは食べるときになって、お粥をお椀に盛ってから、ミツバを乗せてかき混ぜる。なんともミツバの香りと蟹のダシで、大変リッチなお粥に変身している。不思議だね~。 あとは、はふ、はふ…である。

 今晩は何にしてやろうかな…?

 

2009年10月 5日 (月)

健康は大切だっ!!

 何が驚いたかって、昨日の中川昭一元大臣急死くらい驚いたことはない。たしかに例のモーロー会見をした時には、恥ずかしいなあとは思ったけど、本当に薬のせいだったかもしれないよね。

 長いこと人間やってると、身体のどこかが不調になるのはしかたがないことかもしれない。自分の嗜好とか生活パターンとかによって、特定の部位にストレスがかかったり、遺伝的に弱い器官が参ってきたりすることもあるだろう。

 だから健康維持は、個人個人で取り組み方が変わるのが普通なんだけど、通り一遍のやり方でいいと思う人も多いから、どうしても問題は出るよね。だから私は健康診断は個人的にお医者さんにお願いすることにしている。お金はかかるけどね。

 でも集団検診なんか、時間がかかり過ぎません? もしも異常があっても、本人に連絡がいくまでに時間がかかりすぎたら、治るものも手遅れになったりするもん。だから自分の健康状態は、自分で把握しておきたいよね。人に報告するために受診するのではなく。

 集団検診って、なんとなくどこかに報告するためにやっているように感じません? 一番報告してもらいたいのは、本人なのにね。「やれといわれたからやっている」なんて、義務みたいじゃないですか。私は快適に生きていたいので、必要を感じたら、適当に受診するようにするのがいいと思うよ。

 人間、健康なら、死ぬまでは生きれる!!という迷言があるけれど、死ぬその瞬間まで健康でいたいよ。健康であっても生物である以上、必ず死は訪れるものだし。できることなら「健康な死」を迎えたいよね。長年使って、進退のどの細胞も、刀折れ、矢尽きたって感じの死を迎えるなら、「こりゃあもうしょうがない」って気になったりするけど、まだまだ元気なところがたくさん残っているのに、どこかが決定的に不調になって死ななきゃならないのは、嫌だなあ。

 これって身体運用とよく似ているんだよ、考え方が。例えば全身がやるべきことのために総動員されていたら、疲れは全身に及ぶ。そうするとどこか特定の場所だけが疲れることはないから、なかなか疲れない。もちろん疲れは必ずやってくるけどね。

 私も今のような身体運用を研究しはじめて、随分疲れにくい身体を得たと思う。でも一端疲れ切ると、根性もクソも関係ないくらい、バタンっ、キューってなるよ。今なんかそれが慢性化しているけど(子供といっしょで、少し具合がよくなると、じっとしていないもんだから…)。

 これに対して、特定の部分を集中的に使う動き方だと、他の部分は殆ど疲れていない状況なのに、特定部位が動けなくなっただけで、全体が動かなくなる。これって、けっこうイライラするんだよ。まだ動けそうな気がするからね。

 私は両親にいい身体を貰ったらしく、若い頃には肉離れしたことがなかった。練習が好きで、滅茶苦茶やっていたのに、何故かしら肉離れだけはしたことがなかった。指導者になった頃、自分の理論に沿ってドリルを作っていたが、最初から選手にさせるわけにはいかない。どんな練習であっても、適量というのがある。ちょうど薬と同じように。

 それで、どれくらいやればいいのか、自分の肉体を使ってチェックしていた。当然これは限界を超えるくらいまでやらなければならない。適正な量を調べるということは、調べているときは、必ずやりすぎるまでやるものだ。

 で生まれて初めて、脹脛を肉離れした。「あ、痛っ」てな感じだった。空手時代に、もっと痛い目に何百回となく遭っていたので、「このくらい、もつだろう」と思って、次の一歩を出した瞬間、足はもう私の体重を支えてはくれなかった。そのままひっくり返ったのである。たいして痛くはなかったのに…

 ちょうど100mの直線で練習していて、あちら側の端に行った頃、ひっくり返ったので、帰ってくるの難儀だったなあ。肉離れって、本当にそこが機能しなくなるんだね。その時私は初めて肉離れの怖さを知った。

 だいたいドリルってのは、特定の動きの改善のために行うことが多いので、特定の部位ばかりを使うんだよね。だからこういうことになるんだ。こんなことを繰り返しながら、自作のドリルを作っていたんだよ(凄い効果があがることは、それ以降実証されてしまったけどね。今ではこれをやっている人も、案外多いんじゃないかな。起源を知らないまま)。

 でも特定の部位だけが疲れてしまって、全体が動けなくなるとイライラするけど、全身が疲れてダウンすると、イライラするどころか、一気に意識がなくなっていく。まるで気を失うようである。寝たという意識すらないことがある。こういうのが案外健康な証かもしれない。

 でも眠れなくて、睡眠薬を使っていたとしたら、気の毒だよね。睡眠薬に頼ること自体、心身のバランスが崩れている証拠だからね。いろいろと心労がたまると、こんなことも起こるよね。私だったら、あまりイライラして寝られなくなったら、「今日は仕事は止めた! 運動してくる」にするんだけど、超忙しい人や、他人との関わりあいが多すぎる人は、それすらも許されないから大変だ。

 いずれにしても健康が第一だよね。小指の先をちょっと切っただけでも、全身の動きに狂いが出てくるんだもんね。皆さんも、健康には気をつけてくださいね!!

2009年10月 4日 (日)

チャーちゃんの餌の買い出し

 今日は天気がよかった。昨日もまあまあだった。昨夜は中天にかかる満月を見たが、こちらがマツタケを食って、月見団子を頬ばっているのに、昨日ネコのチャーちゃんに買ってきた魚と干物は、あまりチャーちゃんに受けなかったので(チャーちゃんは大変な美食家である。ネコの海原雄山と呼んで欲しい)、今日はチャーちゃんようの餌を買い出しに出かけた(餌の買い出しは、単なる口実だけど)。

 行き先は最近なにかとホットな話題の鞆の浦。鞆の浦といえば、『崖の上のポニョ』以来、観光客が多くて大変みたい。前回行った時は平日だったので、さほど観光客は多くはなかったが、今日は滅茶苦茶。特に干物を作って売ってくださっているおばちゃんがいるあたりは、路上駐車、路肩駐車がずらっと並んでいて、殆ど道が1.5車線くらいしかない(そうでもなかったけど)。

 で干物はどこにも吊るされていない。今日は比較的ゆっくり家を出てきちゃったからなあ、なんて弱気が頭をもたげる。それでもなんとか一軒だけ商品があったところを探し当てた。本当は干したての干物が一番欲しかったのだが(私が!!)。

 小鯛らしき魚を佃煮にしているとかで、旨そうな匂いが鼻孔を刺激する。トロ箱の中ではタコがぬらりぬらりと動いている。横を見ると、小鯛のから揚げがある。こいつでビールをぐっといったら、応えられないだろう。あ~よだれが出る。

 なんてことを考えていたら、地元のパトカーが。「このあたりに停めてある車、移動してください」だと。私は仕方がないから、車に戻って、20mくらい前進してからUターンしてもとの位置に戻った。これで移動したぞ。

 戻ってPhotoみると、母が佃煮にしている小鯛を食べている。おいおい… ってんで私も戴いたが、ビールなしに食べると心身ともによくないね。旨い!! ビールが欲しいっ!! ついでにから揚げの方も試食したけど、これがまた旨いんだわ。そしてどうしても、ビールっ!! カニも買うことにした。全部オスだったけど、これってお粥のダシを取ったら、最高なんだよね。きっと明日の夜は、私が作るだろう。  

 そうこうしているうちに先ほどのパトカーから警察官が降りてきて、車のナンバーを控え始める。ところがおばさん、「大丈夫、大丈夫」。そうかなあ、ここまで来て駐車違反なんか、嫌ですよ。

 昔私は、岡山県警のお偉いさんと立ち話をしていて、駐車禁止の違反を取られて、県警機動隊まで出向いたことがあるからね。ほんの少ししか駐車場からずれていなかったのに…!! 馬鹿みたいに罰金取るし。

 もし民主党の言う通り、高速道路が無料になったら、道路の補修費はどうするの? まさか、警察が躍起になって違反を検挙して、その罰金で補修するなんて言うんじゃないだろうね。そうPhoto_2なったら警察と一般市民の間が、とんでもなく悪い関係になってくるかもよ。

 一応大事をとって、今度は100mほど行って帰ってきて同じところに停めた。ちゃんと移動したぞ。見ると先ほどのタコがポリバケツに移されている。なんでも今晩我が家の食卓に並ぶことになったらしい。

 それから海草の類をいくつか購入して、そのまま車に飛び乗って、我が家を通り過ぎ、姉の家へ。こんなにたくさん、我が家だけで食べられるはずもない。姉のところと分ける、ことにしたのである。

Photo_3 1000  なにしろ生の小鯛があったけど、そのまま買ったら、1000円でも大変な量になる。我が家のチャーちゃんは、古くなると(人間が美味しいと思って食べていても)見向きもしなくなるのである。贅沢も甚だしいという見方もできるけど、それだけ味に敏感ともいえるよね。(右側が1000円分。量も量だけど、味が違う)

 それにしても釣りの客なんかで、大変な人出だった。そして鞆の浦という町は古いので、とても道が狭い。私自身はそこに住んでいないので、橋を作るとか、埋め立てるとかといった問題について発言する権利はないが、たしかに今のままの街を保存する(なかなかいい雰囲気の町並みだよ。道は狭いけど)したいという人と、開発したいという人の両方がいるのも当然かも知れない。

 とりあえず、私は今晩の晩飯が楽しみなんだけど。

2009年10月 3日 (土)

家の中をのぞきこむな!! にゃんこに殴られるぞ!

久しぶりに母と買い物に出た。朝起きて、ソッコーでかかりつけの病院へ。健康診断である。健康状態の診断だが、みんなこれを不健康な箇所を見つけるための診断にしていたりする。それじゃ、まるで不健康診断だって!! 健康を確認するのが健康診断でありたいものだが、世の中、なかなか個人の健康まで気をつかってくれないので、できるだけ自分で守るようにしなければならない。

 で私は、健康診断。思いのほか早く済んだ。それからとても美味な朝ごはんを食べて(腹減ってたの!!)、母の後片付けとか準備ができるまで、屋外でゆっくり練習。そうしたら例の子猫がわらわらと出てきて、人の足といわず腕といわず、すりよってくる。練習は家ではさせてもらえないらしい。

 その間、どやどやと見たこともない、どっかのおっさんの集団が、我が家の家の前を通り過ぎていく(髪の毛が白かったり、残り少ない人もいたので、もう結構な年齢の集団だった)。中には無遠慮に、人の家をしげしげと覗きこんでいく無礼者がいる(もちろん、挨拶なし)。身だしなみは十人並み以上だったから、少しは社会的立場がある連中だろうに。

 そんな人間達が礼儀知らずだったら、こりゃ、世の中は乱れて当たり前だわな。見えるものが自然に目に入るのは仕方がない。私はそんなことを言っているのではない。わざわざ覗き込むようなまねをするなと言っているのである。世の中には困った奴がいるものだ。きっと自分が無礼なことをしていることにも気がついていないのだろう。

 似たことかも知れないが、短いスカートの女性がいたとして、見えちゃったものは仕方がないだろうが、しげしげと中を覗き込んだら、最近では何と言われるのかな? 基本的に、見られる人間の持つ感情は、それほど違わないんだよ。社会的地位がある人間なら、そんなことは自分の頭で考えて、最初からわかっていなきゃならないはずだ。

 私の経験から言って、こういった人に限って「最近の若い者は…」なんて言うやつが多い。私も回数はそんなにはないが、言われた時は必ず言い返している。「最近の年寄りは、まったく…!!」ってね。何を言われているのか理解できない人も多いから、まさか自分がそんな見方をされているとは思っていないみたい。その甘えが無礼さにつながっているんだろうけどね。

 親友のKさんは、「挨拶は年嵩の者からすればよい」と言う。理由は「若い者は礼儀を知らないものもいるし、経験が不足しているんだから、年上のものから実践して教えればよいではないか」というものだ。私は彼には実に多くのことを教わったが、これなどもその中の一つである。

 年齢なんか、飯食って、ク○して、寝て、起きて…を繰り返すだけで、誰だってくえるよ。問題は中身だよね。どんな時間を生きてきて、その中から何を身につけ、どう自分の血肉に変えていったかだよね。ただ年齢を重ねただけでエライのなら、我が家にはエライものがいっぱいある。

 子供の頃から化石が好きだった。だからいくつも化石はあるし、コレクションだってある。「これだけのコレクションを集めるのに、どれくらいかかったの?」なんて尋ねられることもなくはないが、決まって答は、「さて、だいたい4億年くらいかな」である。化石なんてものは、そのへんに転がっている石の中にも発見できるが、それに気がついて、それを収集して、整理するとなるとなかなか骨である。

 それが生きていた時代がなければ、現在に化石として残ることはなかった。そこまで考えなければ、化石としての値打ちはない。だから気がつかない人には、ただの石でしかない(つまり何の値打ちもない)。だがそれに気づき、整理しておく人間にとっては、何億年かの時間が「価値」に変わってくる。その為には、収集し、調べ、整理するという行為が必要になる。

 ただぼけーっとしていても、石は石でしかないが、それに対して何らかの働きかけをすれば、その石の値打ちが発生してくる。ただ生きていても人としての価値は上がらないかもしれないが(生きていくこともしんどいから、それなりには値打ちがあるけどね)、時間を無駄にせず、様々な働きかけをして、自分の価値を上げている人は、たとえ年齢的には若かろうと、エライんじゃないかと私は思っているよ。

 社会的地位がそれなりにあり、いい加減年齢がいっているのなら、せめて最低限度の礼儀くらいは知っておいてよね。でないと、若い世代がダメになるかも知れないじゃないか。

 もう一つ私がよくわからないのに、ボランティア活動ってのがある。いやいや、ボランティア活動の全部が悪いといっているのではない。特別なことをしているような顔をまったく見せないで、自分にとってたいしてプラスがあるとも思えない公共のことをやってくれている人を見かけることがある。これには頭が下がる思いである。

 我が家の近所にもそんな人はいた(相当な高齢者だった)。いつもニコニコと、感じのよいお婆ちゃんだった。でもこのお婆ちゃんは、ボランティアなんて言葉は知らなかった。でも毎日ボランティア活動をやっていた。私は陰ながら「凄いなあ、このお婆ちゃん」と思っていた(最近は姿を見かけないので、ちょっと心配している)。

 こういうのが本物のボランティアなんじゃないかと思っている。特に英雄的な行為をするでなく、毎日、自分にできる公共のことを、淡々と続けている。警察や役所から表彰されたこともなければ、「ありがとう」一つかけている人がいるのを見たこともない(私も、心の中で言いこそすれ、直接言ったことはない。情けない男である)。それでもいつもにこにことされていた。

 でも最近のはちょっとおかしいよね。例えば大学で「ボランティアを必修にしよう」。はァ? 必修って、絶対に履修しなきゃならないってことでしょ。それって最初からボランティアじゃないんじゃない? 何月何日にどこそこの地区でボランティア活動を行います。みなさん奮って参加してください、ってのもあるなあ。ボランティアってのは、呼びかけられなくても自分でやっているものなの!! だいたい人を巻き込むなよ。まるで「○○の募金、ご協力お願いしまーす」と同じじゃないか。

 働けよ。そして働いたお金を全部募金しなよ。その姿を見て誰かが感動して、その人に金銭的余裕があったら、きっと募金してくれるよ(なんて、言っているけど、ちょくちょく募金したりするんだけどね、私は。それで救われる人がいるんならいいんじゃないかって)。まるでどこかの国(日本ではありません)の女の子みたいじゃないか! 親孝行したいから金をくれってね… 親孝行はてめえの金でやるもんだ!! 働け、働け、死ぬほど働け!!(もちろん、その国の女の子全員ってわけじゃないよ)

 駅前で托鉢している雲水には、時折進呈することがあるけれど(いつだったか、買い物のお釣りがポケットにけっこうあったので、手に触ったのをそのまま入れたら、雲水がわざわざ私を呼び止めて、人生の助言を下さったことがある。私は何かで修行している人の気持ちがわかるから、頑張ってね!! 程度のつもりだったんだけど、有難くそのお話をうかがった。私はたまに「人の話を聞かない」と言われることがあるが、実は自分に必要な話は、きっと誰よりも熱心に耳を傾けていると思う。必要がないと思ったら、知らん顔をするけど)、それはボランティアのつもりではない。

 誰だって修行をしていく上で、誰かが助けになるってことがあるんだよ。私がその日の気分で、誰かの助けになっても、構わないわけだ。だからまったく損得勘定はない。お返しも不要だし、名前を覚えていただく必要もない。山道でお腹が空いた時に、偶然美味しい木の実があったようなものだと思ってくれればいい。それで生まれる気持ちは、感謝とか、頑張ろうって気持ちになれたり、清清しいばかりだもん。

 ボランティアって、こんなものであってもらいたいよね。誰かが見ているから、必修の単位だから、マスコミが取材に来るから、なんとなく自分がいい人っぽく見てもらえるから… そんなのボランティアじゃないよ。自分がいい人っぽく見てもらいたいんだったら、善行ばかり積んでりゃんいいだよ。それだけ。それが当たり前になって、人目が気にならなくなった頃には、本物のボランティアになっているかも知んないし。

 そういう人が増えたら、法律で禁止されていないからって、人の家の中まで、じろじろと見ながら通るなんて無礼はやらないだろう。…はい。我が家はいろんな武器がたくさんありますよ時に練習している私を見かけることがあるかも知れないけど。私がいるとき、泥棒に入ったら、きっとタダではすまないと思う。それだけの準備はしているからね。

 よその家の中までじろじろ見るなんてのは、泥棒でもなければやらないことだ。頭髪が少なくなったり、白いものが多くになる年齢になったら、やらないのが当たり前。もしも我が家に泥棒が入ったら、その連中に誰かだと、一番に疑うからね(できたら私がいるときに来て下さい。面白い経験をさせてあげますから)。ちなみに我が家周辺は、案外近所の人の目があったりする。忍び込むのは難しいかも。

 あ~、気分悪かった。無礼とは相手の気持ちを逆撫でする行為だと思っていたけど(礼儀は相手の気持ちを思いやる心から出ているから)、いい年をしてそんなことすらわかっていないものが、案外たくさんいるんだね。

 でもまあ、その後、海の幸と、マツタケを買いに行ったので(途中でカーナビに騙されて、一箇所を3回ほど回らされたけど)、気分は良くなった。これで今年も秋が迎えられた。体重は気にしないで(健康診断もたぶん大丈夫だと思うので)、思いっきり食べよう!! 食欲の秋である!!

2009年10月 2日 (金)

竜頭蛇尾??

 なんとも、じとーっとして気持ち悪い一日であった。気温自体はそんなに高くなったみたいなので(朝から蒸し暑く感じたけど)、忙しさにかまけて放っておいたら、皮膚の表面に幕が張ったみたいで、とても気持ち悪くなった。さっきやっと仕事場でシャワーを浴びたけど、練習が出来なかったので、なんとなくいい気持ちにならない。

 あ~っっっ!!!! 気持ち悪。ついでに風呂にも入っちまおうってんで、今風呂に湯を入れている最中だ。熱い湯に使って、さっぱりしないと脳みそもなにも、一切活動してくれそうにない。いつもなら眠くなるはずなのに、気持ち悪くて眠さもあまり起こらない。でも眠くないから頭が動いているかというと、全然動かない。まったく!!

 やる気が起きないので、ピスタチオを食べようとしたら、手から滑って落っことしてしまった。指先だけよく滑る。なんちゅうことだ!? と思って風呂を見に行ったら、危うくお湯が溢れるところだった。

 久しぶりのピスタチオが、なんともまた美味しいではないか。私はよく鉄観音を飲むときにピスタチオとか、カシューナッツとかをぽりぽりやる。南瓜子という、カボチャの種をポリポリやるのが中国茶のスタイルらしいけど、私はピスタチオやカシューナッツの方が好きである。ついつい夢中になって、まるで雪の中で餌を探すニホンザルのような格好で、両手で拾って食べてしまう。

 またこれがいいんだね。鉄観音が飲みたくなっちまった。すぐ淹れる。実は鉄観音を飲むと、身体がとても温まる。風邪引きなんかの時なら、即効性があるよ。でもまた汗が出てくる。やっぱり風呂だ、風呂だ。これ書き上げたら、風呂に入って二回戦に入ろう。

 テレビの中では2016年のオリンピック開催地の報道が騒がしい。確かに日本人としては、日本開催はいいけれど、はてさてどんな結果になりますことやら。でも考えてみると、2016年なんてもうすぐなんだよね。ロンドンなんて先のまだ先と思っていたら、もう次の大会じゃない。エライことだわ。

 なんだかんだ、って言っても、オリンピックで開催される種目は、オリンピックチャンピオンは最高に値打ちがあるタイトルだもんね。クーベルタンって人は、最初にオリンピック競技会を作った時、こんなにまで大きな規模の競技会になると予想したのだろうか。

 これは立派な蛇頭竜尾だよね。多くの人たちが協力しながら、より素晴らしい人たちが参加して、次第に比類ない素晴らしい競技会に育てていっているんだから。もちろんそのために協力したのは、政治家さんや、指導者や選手、役員さんたちだけではない。国民のみなさんだって、何らかの形で参加している。

 1964年は東京でオリンピックがあった。そのために街づくりやら、新幹線の開通やら、いろんなことをしたわけだから、そんな仕事に従事した人たちも、立派にオリンピックに参加していたわけだし、税金で何かを作ったりするわけだから、納税している人たちは、全員参加していたわけだ。

 最近は派手すぎるオリンピックは敬遠されぎみだけど、やっぱり国の威信をかけた大事業であることは間違いないでしょうな。(世界中を聖火ランナーに走らせたりするのは、ちょっと私には理解できないけど。あれって、やっぱり世界の中心意識の現われ?) いや、日本で開催されれば開催されたにこしたことはないんだろうけど、何処に決まっても、やっぱりそれに協力したり、なんらかの形で参加できるのは、夢ですな!

 そんな夢みたいなものを作った人たちは、素敵な仕事をした人たちだと思う。翻って、子供手当てだとか、高速道路無料化だとか、いろんなマニュフェストとやらは進んでいるのかしら? 外野から見ていたら、「なんだいそんなの。こうやれば簡単にできるじゃない」と思っていても、いざ実際にやろうとしたら、思いもかけない問題があったりするもんなんだよね。

「岡目八目」って言うけど、これはいいアイデァがでる場合と、現実にやってみたら、見えていなかった障害がわかって、こりゃ大変、ってこともあるよね。どんなものでも、実際にやってみたら、思っていたよりは苦労したり、時間がかかったり、お金が必要だったりするもんだし。

「十分に終わりのことを考える。まず最初に終わりのことを考慮せよ」と、レオナルド・ダ・ビンチは言ったそうである。『孫子の兵法』的に言えば、「勝ちで後戦う」というやつだろうが、そうは言っても、レオナルド・ダ・ビンチって、完成した作品が極めて少ない芸術家だったんだそうな。とすると、上の言葉も、自分に対する戒めだったのかも。

 でもなんとか竜頭蛇尾にはならないように生きて生きたいね。

 さー、風呂入って、気合を入れなおして、竜頭蛇尾にならないように頑張ろう!!

2009年10月 1日 (木)

『三国志』が好き・4 ~会席料理じゃないんだよっ!!~

『三国志』(演義)が好きなのは、日本にはいくらでもいる。私もその中の一人なので、それはよくわかる。それぞれのファンの中に、ファンの数と同じだけの劉備がおり、諸葛孔明がおり、関羽がおり、張飛がいて、趙雲がいる。だからいろんな三国志関連のものを目にするわけで、個人個人がなにをどう思っていても、それは私の預かり知らぬことなんだけど、公表されたものだと、「ちょっと、ちょっとォ~」と言いたくなることがある。好きだから、どうしても気になるんだよ、ゴメンね。

 週刊マンガサンデー連載の『蒼天三国志』、私はマンサンの定期的読者なので、どうしても見てしまう。でも今週(2009年10月13日号)のは寂しかったなあ(岡山では毎週、水曜日発売です。東京よりちょっと遅いね)。40ページの1コマ目。劉焉が劉備三兄弟を迎えて歓迎したときの食事。

 歴史ものなんかで案外見落とされがちなのが、食事なんだよ。でもその国の習慣とか風習とか、ものの考え方とかが反映されているので、結構大切だったりする。しかもわざわざ1コマ割いて料理を紹介していたりするくらいだからね。

 基本的に客人に対して、料理を給して歓待する場合は、繊細さではなく、ダイナミックさが強調されるんだよね。特に関羽とか張飛なんかは、大喰らいそうだし。たいていの場合、でかいうつわに「てんこ盛り」にされた果物と、豪快に焼いた骨付き肉(でっかい)なんかが出されるものなんだよ。日本の上品な料理のように、器にちょびちょび乗っかっているような料理は、私はあちらの時代劇では(どんな時代のものでも)見たことがないね。文化も考え方も違うんだよ。(海外での食事で、文化の違いに気づいた私の知り合いは、結構多いよ。男性用トイレの便器の高さの違いからわかることは、足の長さの違いだけどweep

 酒器もワイングラスみたいなものではない。古代には三本足の杯がよく用いられていた。三本足は安定しやすいからである。ついでに当時はガラスは超貴重品(正倉院御物を参考にされたらおわかりと思う。三国志の時代は日本で言うと、卑弥呼かそれ以前の時代。正倉院よりもかなり古い)であった。瑠璃の○○なんて言われたら、この時代のガラス器を意味しているんだよね。細かい細工なんかできない。だいたいが不純物を取り除いて、透明なガラスを作る技術がなかった。これは博物館などへ行けばわかると思うよ。しかも当時の瑠璃の杯は、とても分厚い。技術的に薄く作れなかったんだね。

 だから気のきいた杯って、三本足のものが多かったんだよ。これで大杯を傾けながら(中国風乾杯は、すべて一気飲みである。とても身体に悪い。白酒…baijiu…などでもこれをやるから、いきなり酔いが回ってきて、ぶっ倒れる。その直前は、倒れまいとしても皆酔拳をやってしまう)、素手で肉を毟り取るようにして食べることが多かったんだね。ワイルドでダイナミックである。

 お箸はかなり古くから使われていたのは確かである。殷の紂王なんか象牙のお箸がなんたらかんたら(要するに贅沢をした形容である)とあるから、歴史は古い。スプーンもかなり古い。だが中国のお箸は長いんですよ。私も友人のIさんに頼まれたので、宿泊しているホテルで、従業員に貰って帰ったことがあるけど(いつも同じところに宿泊するので、従業員も「你好!」ではなく「好久!」が挨拶で、チェックインするときも、パスポートなしでOKだったりする。もちろん料金も格安である…滅多に来ない客とか、外国人には、倍近い金額を請求する。なかなか素晴らしい??習慣である。この時のお箸も、「ほいほい」とくれた)、長さは30㎝超はあろうかと思った。

 先端と末端の太さがあまり変わらず(先細りではない)、最初は使いにくかったけど、慣れればそれほど不自由を感じない(韓国のお箸の方が使いにくかった)。貰って帰ったのは、末端に飾りがついており、そのためバランスが悪そうだった。(シャープペン回しのように廻すには便利かも?)あちらで女の子に、「箸の使い方が悪い」と叱られた経験があるけど、どーせ私の箸の使い方は変ですよ、ふんだbleah

 食事の風景といえば、むしろ資料が乏しい頃描かれたのではないかと思う、横山光輝さんの『三国志』の方が正解にちかいように思う。

 現在でもあの国は、正式な食事では(何が正式で、何を略式とするのかはよくわからんけど)、出されたものを「残さず食べる」のは「マナー違反」。「残さず食べる」のは日本式のマナーである。「本当は欲しくても、最後の一個だけは手をつけてはならない」なんて笑えない(? 食いしんぼだから!?)話もある。

「残さずに食べる」ってのは、「量が足りなかった」、つまりホスト役の人間がケチだったという意味で、完食することはホストに恥をかかせる行為だったんだね(現代っこの中には、中国でも食べ物を残すと、「太浪費!!(もったいない!!)」なんて言う人もいるけど…。私は言われたことがある。いろいろと経験しているね、私も。

 したがってホスト(もてなし役)は、味はともかく、量だけは大量に提供した。あちらの時代劇のDVDなんかを見ていると、とにかく量は凄まじい。大きな器に山盛りの果物(桃なんかが多いようであるが、その季節に手に入るものを盛るらしい)と、肉(羊肉が結構多い。『三国志』の時代を遡ること400年の項羽は、鴻門宴では豚を使っておりますですな。樊噲はなんと、生の豚肉を楯の上に置いて、剣で切って食べたという。寄生虫は大丈夫だったのかしらん?彼はこの18年後に、53歳でなくなっているから、寄生虫が致命傷ではなさそうだけど…)なんてパターンが多い。魚も食わないわけではないけれど(特に大晦日の最後の料理としてはよく食べられる。二年間にまたがって魚を食べることは、年年有魚(yu…これは音が余と同じ)と言って、次第にお金持ちになっていくという意味が込められている。

 ついでに「饅頭(まんとう)」であるが、これは『三国演義』ファンなら知っていなければならないことだね。「まんとう」を発明したのは諸葛孔明ということになっていて(嘘か本当かは知らないが)、確か南蛮遠征から帰りに作ったことになっているよね。この時代にはまだ孔明は現れていないから、「まんとう」は「なかった!!」ことになるよね。

 ま、関羽雲長が「冷艶鋸」を振り回し、張飛が蛇矛…原作では「丈八点鋼矛」…で暴れまわり、劉備が双剣(刀?)…原作では「双股剣」…を使うこと自体、ナンセンスと言うべきかも知れないので、今更どーでもいいことだけど。食事については例の(悪評高き)『赤壁』…中国本土では、クソミソでした…前後篇でもご覧になれば、いくらか参考になるような気がする。

 もう一つ気になっているのが、家臣とか身分の低い人が、身分の高い人に報告に来たり、発言したり、命令を聞いたりするシーン。横山光輝さんの『三国志』でも、最初の頃は両手をだらりと下げたまま「はっ」とやっていた。でもさすがは横山光輝さんだけあって、途中からちゃんと拱手に直しているんですよね。やっぱり熱心な勉強家だったんだろうなと思った。

「はっ」は、中国語の「是(shi)」を翻訳したものと思うが、この時は拱手するのが普通。拱手というのは、両手で片方は拳を握り、もう一方の手でそれを包むようにする。この状態で胸の前に出し、頭を下げる動作である。一度、どちらの手で拳を作るのか、中国の友人に尋ねてみたが「左」という人もいたけど、あちらのDVDを見る限りでは、圧倒的に右手を拳にするようで、不明。現在でも武術界に残る礼だよね。

 報告に来た場合も、まず拱手から報告が始まる。急使なんかが王様のところに入っていくときには「報~~~っっっ(ba~~~~~~o)」なんて拱手したままで入ってくることがある。膝を着いて報告する場合が絶対にないとは言わないが(あれは清の時代に礼法が馬鹿丁寧になりすぎたんじゃないかな。三跪九叩頭なんて)、だいたいは立ったまま報告することが多いよね。急使なんだから。とにかく両手だらりはない。あの時代は、なんでも拱手である。

 せっかく丁寧に絵を描いているんだから、描写している内容も正確なら、もっといいんだけどね、なんて『三国志』好きが勝手に思っておりまする……

2009年9月30日 (水)

中秋節の起源

 ここのところ秋雨前線が元気とかで、果たして今年の中秋は(10月3日なんだそうである。私が調べたのではないので、自信なし)名月を賞でることができるかどうかわからないが、今日は一発、『中秋』について、中秋節の母国である中国の起源を紹介してみよう。月を賞でながら、薀蓄を披露されてもよいかもしれない。

 通常わが国(日本)に伝えられているのは、嫦娥(じょうが)という女性が、后羿(こうげい)という弓の名人の妻になって、不老不死の薬を守ろうとした美談のようであるが(『竹取物語』との関連が見られるね。でもこれは成立年代がけっこう新しい…もちろん比較の問題だが)、本家本元の中国の説はなかなか面白い。

まずその一。『唐明皇遊月宮』起源説。

 唐代の『開元遺事』で述べられている説で、中秋の夕方、唐明皇と楊貴妃が、池で月を鑑賞していたのを官民が真似ているうちに、中秋には月を賞でる風習になっていったというもの。『集異記』および後世の『太平広記』にも同じような記載がある。ただしここでは、唐明皇が月宮で遊んだ相手が処州道士に変わっている。

 明代の凌蒙はこの話を、通俗小説「唐明皇好道集奇人」として『初刻拍案驚奇』に編纂し、唐明皇は月宮で、「広寒清虚之府」という額を見たことにしている。またその宮中から、仙女が「霓裳羽衣曲」の練習をしているのが見えた、などと書いている。これは通俗小説中に書かれたことで、そのため人々に広く知られ、そのため中秋に月を賞でるのは、唐明皇に始まったというのである。

 ところが明代の学者、郎演はこの説に異を唱えている。彼は唐明皇が月宮に遊んだのは、風流人たちの作り話であり、それに宮人たちが、あることないこと尾ひれをつけたもので、信じるに足りず、中秋に月を賞でることとは何の関係もないとしている。

 けれども清代の程允昇が編纂した『幼学qiong(王へんに京)林』では、「中秋月朗、明皇親遊于月殿(中秋月朗るく、明皇親ら月殿に遊ぶ)」と紹介している。この本は幼児を啓蒙する本であり、ほとんどの子供が音読して暗唱するようなものであったから、影響も大きく、唐明皇が月宮に遊んだのを中秋の起源とする説を採る人が多い。

その二。『嫦娥奔月』起源説。

 戦国末期に成立した『帰蔵』に収録された説で、「昔、嫦娥が西王母の不死の薬を盗んで飲み、月に逃げて月の精になった」という話に原点があるというもの。漢代の劉安は『淮南子・覧賓篇』の中でこれを発展させ、「界は西王母に不死の薬を求めたが、嫦娥がこれを盗み、月に逃げた」とした。さらに後世の張衡は『霊xain(ウかんむりに先)』の中で更に話を一歩進め、嫦娥は后羿の妻となり、夫の不死の薬を飲んだ後、身体が軽くなり、月に飛び去り、蝦蟇になったという。

 六朝の後になると、人々が嫦娥に寄せる気持ちは、同情が強くなる。彼女は天帝の庭に昇ったあと、大変寂しかったというのである。唐代の大詩人、李白は彼の詩『把酒問月』の中で、「白兎搗薬秋復春、嫦娥孤栖与誰隣?(白兎は薬を搗いて秋を春によみがえらせるが、嫦娥は一人、誰が彼女の隣にいる?)」と詠んだ。

 李商隠も、嫦娥は霊薬を盗んだことを後悔し、毎夜碧海青天を懐かしく思うなどと書いている。彼女の望郷の念が切なく強かったとしているのだ。嫦娥の美貌、聡明で貞淑な女性であることを褒め、人々の明月に対する思いを永遠のものに変えていった。唐代に始まった八月十五日の夜に月を賞でる風習を、月を祀るものに改め、嫦娥が人間界に戻れるように祈った。宋代になると、中秋は正式に祝日とされ、月を祀ることはより盛んになったのである。

その三。『時令節気』起源説。

 これは近代になって唱えられた説である。「中秋」という言葉は、春秋末期の『周礼』に見ることができる。早くも春秋時代に帝王は月を拝し、月を祀る習慣があったというのである。これが魏晋の頃になると民間に伝わり、月を賞でるようになった。官であろうが民であろうが、一緒に河の上に昇った月を賞でていたのだ。

 唐代になると月を賞でるのが楼に登って行うようになった。一年に一度、中秋節に、月が最も明るく、秋の心地よい時期に、人々が集い月を賞でることを願うようになっていたのである。両宋代になるとこれが全国的に行われる祭りになっており、この風潮は清代まで続く。中華民国の時代になると、政府も正式に中秋を『秋節』としたので、ますます盛んになった。そして『嫦娥奔月』とか『唐明皇遊月宮』などは、人々が月を賞でる理由として、昔の人が工夫して作り出したお話であるとしたのである。

 中秋に月餅を食べる習慣の起源についても、様々な説がある。早くは北宋の蘇東坡が「小餅如嚼月、中有酥和餡」と書いている。南宋の呉自牧は『夢粱録』に月餅についた記述をしているが、あまり知られてはいない。明代になると月餅は月を賞でる際の付き物となり、清代になってからは更に持てはやされるようになった。月餅は月を祀るために作られるので、月の形に似せて円い餅になったのである。

 このほかにも民間にもう一つの説がある。元朝末期、官は腐敗し、民は生活もままならず、一家が離散し、生きていくことができなくなった。ある年の中秋節の前に、泰州の張士誠は同志と密かに連絡をつけ、「殺韃子、滅元朝(韃靼人を殺し、元朝を滅ぼせ)、八月十五、家家斉動手(八月十五日、皆で一斉に行動を起こすぞ)」と書いた紙切れを、小さな円餅の中に隠して配った。中秋の晩に家々で円餅を食べたときにこれが伝わり、元朝を転覆させるように企てたのである。これ以降人々は、毎年中秋節には月餅を食べることで、張士誠を記念し、あわせて家々のつながりが円満にいくようにと願ったというのである。(資料提供『中国文化未解之謎』)

 まあなんでもいいんだけどね。祭りの理由にさえなれば。昔流行したでしょ、『日本全国酒飲み音頭』って。月見団子で酒が飲めるかどうかは別にしても、何かが理由で一家団欒を楽しめれば、それが一番だよ。私的にはそう思う。

  

2009年9月29日 (火)

古代中国の騎馬兵

 すんません。歴史、大好きなもんで… 不要なことが気になって…

 先日は某青年マンガ週刊誌の三国志の英雄達の武器のことが気になって、思わず書いてしまったんだけど、あの時代には、関羽雲長の青龍偃月刀(その名を『冷艶鋸』と言います。『三国演義・第一回:宴桃園豪傑三結義斬黄巾英雄首立功』参照のこと)も存在しなければ、張飛翼(益)徳の蛇矛もありません。劉備玄徳の雌雄一対の剣ですが、あのような双刀(あるいは双剣)ができるのは、遥か後世、明代も後半になってからで、しかも当時はあまりメジャーな武器ではありませんでした(メジャーだったのは倣倭刀:日本刀に似せた刀です)。メジャーになるのは清代になってからで… できたら普通の剣を2振り持たせてほしかったですね(刀の持ち方にも多少問題があったみたいだし)。

 動きは道具を作りますが、道具は動きを作ります。日本の二刀流とは使い方が根本的に異なるし、あれでそのうち呂布と劉備三兄弟が戦うんでしょ? 関羽と張飛の武器なら呂布の方天画戟なり槍なりに対抗できますが(武器の丈夫さから)、双刀(剣?)だと、一撃受けただけで破壊され、持ち手の生命が危なくなります。双剣(刀)の使い方は、比較的近間で、スピードと変化で戦うものです。

 でもマンガだから面白きゃいいんで、面倒なことは無視して描いてくれればいいんだけどね。それにだいたい『三国演義』自体、とてもいい加減で、時代考証をしているとは思えないから。オリジナルがいい加減なのに、それを訂正しながら描いたら、しんどいもんね。頑張ってください。

 ところでこれもだいぶ前かなあ、孫臏(そんびん)を扱った作品で、「この時代、中原には騎馬兵はいない」なんて記述があったような記憶がある(間違っていたらごめんなさい)。これって、けっこうこういった勘違いをしている人がいるんだよね。例の趙の武霊王の「胡服騎射」の話が有名だから。

 だいたい北方は遊牧騎馬民族で、彼らが中原を襲撃するときには必ず騎馬戦法を用いたんだよね。すると襲われる側も馬の効果を目の当たりにするわけだから、たいていマネするもんなんだけどね。命がけだし。

 で、このマンガがどうってわけじゃないけど、「胡服騎射」に幻惑されていると、なんとなく面白くないので、一応現代の中国での考え方を紹介しておく。何度も言うけど、マンガは面白きゃいいんだから、少々怪しげなことを書いていても、私は「ダメだ」なんて言うつもりはないので、気にしないようにしてね。専門的なことが知りたきゃ、専門書読めばいいんだから。日本になきゃ、中国まで買いに出かければいいだけだし。

 中国は歴史が長く、騎兵を持つということでも、最も長い歴史を持つ国の一つである。最初の騎兵についてはいくつか説があるけれど、その一つは、例の趙の武霊王の「胡服騎射」である。これは胡人の襲撃を防ぐために胡人の真似をするというもので、『戦国策・趙第二』や『史記・趙世家』に記載されている。「胡服騎射」が出されたのが紀元前307年だから、これによれば中原に騎馬兵が現れたのは、紀元前4世紀の一番最後か、紀元前3世紀の頭くらいになる(趙の国では、王様が言っているのに、服装を変えるのに難儀をしたんだそうな)。これだと孫臏の頃より30年ないし、40年後になる。きっと作者はこれを採用されているんだろうなと思う。

 ところが二番目の説では、騎兵は春秋末期から戦国初期にかけて誕生したことになっている。『戦国策・趙第一』では、晋出公の20年(紀元前455年)、晋師知伯が韓・魏両家(この頃はまだ正式に国にはなっていない)と連合して、趙襄子を攻めようとした。この時趙襄子は迎撃のために晋陽に車騎を配置したとある。「車騎」とは当然戦車と騎馬のことだが、当時は騎兵の数はまだ多くなく、だいたい戦車と一緒に使われたということである。

 この説については1986年に閻鋳という人が書いた『我国(もちろん中国のことである)騎兵の誕生と発展』という本の中で、「車騎を併用した独立した軍団。趙襄子は武霊王7世の祖であり、武霊王より100年以上も前の人である」と紹介している。こうだとすれば、孫臏の時代より、100年前から騎兵が存在したことになる。

 ついでに『呉子兵法』にも、騎兵について「…此非車騎之力、聖人之謀也。能備千乗万騎、兼之徒歩…」とある。この「車騎」も騎兵が含まれていたと見るのが自然だろう。呉起が亡くなったのは紀元前381年。これでも孫臏の時代よりは一世代前で、30年は開きがある。

 三つ目の説が、春秋期にすでにあったというもの。『韓非子・十過』に紹介されているもので、紀元前636年、秦の穆公は重耳が帰国して晋の王位を奪うとき、騎兵部隊を援軍に入れたとある。(「公因起卒、革車五百乗、畴騎二千、歩兵五万、輔重耳入晋、立為晋君」) ここにある「畴騎」は秦の騎兵部隊のことである。ただし「畴騎」は同一規格の馬であって、騎兵のことではないと主張している人もいる。しかしながら当時、秦と晋は仲が悪く、もしも穆公が重耳を王位に就けたいのであれば、軍隊をつけなければならない。ということは連れて行ったのは儀仗兵ではなく、騎兵だと考えたほうが自然である。その証拠に『史記・晋世家』では軍隊であったと記述している。

 秦は中原の国ではないという異論もあろうが、秦はしょっちゅう中原にちょっかいをかけており、そうすれば秦のまねをして騎兵を作った国もあったのではないだろうか。この説をとるならば、騎兵が出現したのは孫臏の時代を遡ること300年近くである。

 このほかにもすでに商代(紀元前17世紀~紀元前1046年)には騎兵はいたという人もいるくらいで、こうなると孫臏の時代を遡ること700年から1300年前から騎兵がいたということになってしまう。こうなったらそれまでに中原には騎馬兵団はなかったなんて言えないよね。(資料提供、『軍事未解之謎』ほか)

 ついでに「あぶみ」については身体運用研究という私の専門領域からのアプローチだけど、鐙さえあれば身体が安定するわけではありません。というか、ジムニックボールってありますよね、トレーニング道具で。あれに両足を床から上げた状態で座って、綱引きしたりする練習があるんですが、いたんですよ。両足を完全に床から浮かした状態で、普通に座った人間をごぼう抜きにする女の子がね。

 まあこの子は国体と、インターハイで優勝しちゃいましたけど。騎馬民族の馬上での安定性ってのは、こういうものを言うわけで、鐙だけで巨人の攻撃を受けても平然と受け止められるなんてものじゃないんですよ。まあ、孤鳳卒という超人集団を登場させることで、話を盛り上げたいようなので、私は面白ければ純粋に楽しみますけど(孤鳳卒のメンバーですが、どうも年齢の設定がぐじゃぐじゃみたいに感じます。本当はこの年にはもう爺さんだったはずの人間が若々しく描かれていたり、この時期には別の国で、別の任務についているはずだったりするのですが… ま、マンガなので、面白ければ、私は純粋に楽しみますけどね)。

 本当を言うと、孫臏と龐涓に関しては、飛び切りのネタもあるけど、あんまり書くと何もかけなくなっちゃって悪いから、止めときます。(そのうち、本ブログのネタがなくなったら、うっかり書いちゃったりして…)

2009年9月28日 (月)

『三国志』が好き・3 ~諸葛孔明、泣いて馬謖を斬る?…馬謖異聞~

 実に久々の『三国志』が好き、である。いやもう、すっかり忘れていた。きっと忘れたシリーズものは多いのではないだろうか。いいのいいの、忘れなきゃ、新しいこと憶えられないもん。そうでしたよね(私の高校時代、世界史を教えてくださったK先生のお言葉)?

『三国演義』には実に多数の登場人物がいて、好きなキャラもいれば嫌いなキャラもある。中でも私が嫌いなのは、何を隠そう馬謖(ば・しょく)である。『三国演義』に手を染めた(悪事に手を染めるみたいだ。でもどうして悪事から足を洗うんだろう。手を染めたら、手を洗え!!)のが小学生の頃だったから、最初は諸葛孔明のような人が泣いて斬ったんだから、もったいない人材だったんだろうなとしか考えなかった。深い読みが出来なかったんだね。

 ところが長じてくると、なんとあの横山光輝さんのマンガ『三国志』を読んでも、馬謖は優秀であるように描かれているが、街亭の戦のところでは決してよく描かれていない。もちろん原典の中国語版『三国演義』第95回を読んでも、あまりいい書かれ方ではない。原文を載せてみようか。

 (孔明)便問:「誰敢引兵守街亭?」言未卒、参軍馬謖曰「某願往」。 孔明曰:「街亭雖小、干係甚重:倘街亭有失、吾大軍皆休矣。汝雖深通謀略、此地奈無城郭、又無険阻、守之極難」。 謖曰:「某自幼熟読兵書、頗知兵法。豈一街亭不能守耶麻?」 孔明曰:「司馬懿非等閑之輩;更有先鋒 張郃、乃魏之名将:恐汝不能敵之」。 謖曰:「休道司馬懿、張郃、便是曹叡親来、有何惧哉! 若有茶失、乞斬全家」。 孔明曰:「軍中無戯言」。 謖曰:「願立軍令状」。 孔明従之。

 ざっと岡山弁で訳すと、孔明は問うた。「ほんなら誰が街亭を守りに行くんじゃ?」 その言葉が終わらんうちに、参軍の馬謖が言うた、「ぜひわしに行かせてくれんか」と。孔明は「街亭は小せえけえど、ものすげえ大切じゃ。もしここを取られたら、わしらの大軍もにっちもさっちもいかんようになる。お前(おめえ:岡山弁ではそう発音します)は謀略に詳しいけえど、ここにゃあ城もねえし、隠れられる場所もねえぞ。守るにゃあ難しいで」 馬謖は言った。「わしゃあ子供ん頃から兵書を読んどらあ。兵法もよ~う知っとる。だいたい街亭一つ守れんようで何ができる?」 孔明は言った。「そうは言うても、司馬懿はそねん簡単な相手じゃねえぞ。先鋒の張郃じゃって、魏の名将じゃ。わしが恐れとんは、お前じゃあ、相手にならんのじゃねえかということじゃ」 馬謖は自信たっぷりであった。「わしから見りゃあ、司馬懿じゃろうが張郃じゃろうが、屁みてえなもんじゃ。曹叡(魏の皇帝)が来たってきょうとうはねえ。もしわしが失敗したら、うちの家族を皆殺しにしてもろうてもええわ」 孔明は言った。「お前なあ、ここは軍中じゃ、ええかげんなことを言うたらおえんぞな」 馬謖は言った。「そんなら軍令状をくれえ」 孔明は軍令状を渡した。

 やっぱり日本語の方が文字数が増えるなあ。しんどいから日本語だけで行こう! いずれにしても馬謖は大胆すぎる。これってちと生意気ですわいな。もっと腹が立つのが、この少し後。副将の王平と街亭に到着した後の布陣を巡る会話である。諸葛孔明の命令にあくまで忠実であろうとする王平に対し、馬謖は勝手なことを言い出す。

 孔明は「山に依って、水近きところに布陣せよ」と言っていたのに、山の頂上に布陣すると言い出したのである。その理由がなかなか…

「わしが兵法に通暁しておるのは、世人皆知っておることじゃ(すっげえ、自信過剰!!)。丞相でさえ時にはわしに教えを請いにくる。しかるにじゃな、王平、お前は軍で育ち、読み書きすらろくにできんと聞く。お前に兵法がわかるのか? かの孫子も言うておるではないか。『高きに居て下きを臨むは勢いすでに破竹の如しじゃ。水がないとは言うても、これもまた孫子の言われる、死地においてしかる後生きるは兵家の常識じゃ」 と、しきりに王平が諫めるのに「あっかんべ~っ」をして見せるのである。

 ご存知のように、街亭は張郃が包囲して水と糧道を断ってしまい、その上山の下から火をかけられて馬謖は惨敗する。まあそれはそれでよい。でもその後、どうして孔明は馬謖を斬首したのか、というのが今日のテーマなのである。

 ご存知のように「勝敗は戦いの慣わし」とわが国ではよく言われるが、中国では「勝敗乃兵家常事(勝敗は兵家の常)」などといった言い方をする。要するに勝つこともあれば負けることもあるという、大らかな言葉だ。なのにどうして一度街亭で失敗したくらいで、斬首してしまったのだろうかという点が問題である。

 少なくとも『三国演義』のほかの部分では、馬謖=有能といった書き方がしてあるわけだから、一度や二度の失敗でどうしてそんなに短気な。そうでなくても人材が少ない蜀にあって、首をちょん切るなんてしなくてもよさそうにという点で、例の『中国軍事未解之謎』に面白いことが載っていた。それを紹介しておこう。

 一つの意見は、馬謖は街亭で破れた後、敗戦の罪で罰せられるのを恐れて逃亡していたという説。これはいかにもありそうで面白い。陣からの脱走はだいたい死罪と相場が決まっている。孔明の言うことを聞かないで負けて、責任追及を恐れて脱走したら、そりゃ死刑は当たり前だわな。

 もう一つは馬謖は日ごろからとても傲慢不遜な人間であった(これは『三国演義』中の「某自幼熟読兵書、頗知兵法」とか、:「休道司馬懿、張郃、便是曹叡親来、有何惧哉! 若有茶失、乞斬全家」とかからでも十二分に感じることができる)。そうしていざ戦いになると、相手を嘗め、全く適切でない「置之死地而后生」という戦法を使って大敗を喫した。王平がいくら諫めても、教養のない王平をあざ笑うだけで(「汝真女子之見!(お前は本当に女のようじゃな!)」などとぼろくそに言っている)、絵に描いたような紙上談兵の典型的人物で、決して「傑出した将才」ではなかったことである。だからもういい加減にこのビッグマウスを葬ったほうがいいのではないかと判断したのかも知れない。

 こりゃ、使い物になりませんわな。実際、孔明の主人の劉備元徳は「馬謖は使い物にならん。ありゃ口先人間だ。大事なところでは使うな」と言っていたりするし、司馬懿も孔明が馬謖を使ってきたことについて、「名前だけ有名な、何も出来ないでくの坊じゃ。孔明もこんなたわけ者を使ってくるとは、ヤキが回ったな!」と評したらしい。

 私は諸葛孔明という男は、決して人間を見る目があったとは思っていないし(魏延の扱いなど、下の下である。魏延という男の扱いは、やはり劉備の方がはるかにうまい。魏延は劉備の下では素晴らしく功績を挙げているしね。謀反人なんかにしてしまうってのは、私的には孔明のやり方の問題があったんじゃないかと睨んでいるけどね。苦労人だっただけに、劉備は人の使い方が上手かったんじゃないかな)、戦も強かったなんて全然思っていないけど、やっぱり馬謖は責任をとらされて殺されるようなレベルの人間だったのではないかと思っている。

 もちろん人間には、有能・無能に関係なく、好き嫌いがあって、諸葛孔明は馬謖が好きだったのかも知れない。それで処刑する前に馬謖からの手紙を貰って、大泣きしたなどという美談ができあがったのかも知れない。でも誰かが泣けば、それで美談成立ってわけでもないんだよ。

 特に王平への数々の侮辱的な言葉は、はっきり言って馬謖という人間の、人間性を明らかに表しているように思う。多少の教養を鼻にかけ、現場からの叩き上げの苦労人を嘲笑する奴は、案外よく見かけるものだが、そういう奴ってぶん殴ってやりたいもんね。私には馬謖はそういう人間に見えてしまうんだね。これが私が馬謖を嫌う理由。だから孔明が彼を高く評価したって、「いったいどこ見たんだい? 敵国の司馬懿仲達も笑ってるよ」と言いたいんだ。

『三国演義』が圧倒的に蜀贔屓の立場で書かれていて、中でも主人公にもの凄いえこひいきした書き方をしているから、諸葛孔明が評価していた人物は、全部有能であって欲しかったんだろうね。でも魏延を蹴落とした楊儀なんか、最後は平民に落とされて自殺しているからね。これだけでも諸葛孔明の人を見る目は、信用できないよ。馬謖も似たようなものじゃなかったのかな?

 この見方って、変?

2009年9月27日 (日)

学習能力

 昨夜、晩飯がてらに『中国軍事未解之謎』を読んでいたら、元寇について書いてあったので、つい、読んでしまった。食事中の読書はお行儀が悪いが、実はそうでもしないと読書時間が確保できないほど、たくさんの本を抱えて難儀している。読みたくて買った本である。読めないと欲求が不満してしまう。欲求不満を抱えていると短命になる。ゆえに食事中であっても読書をする。風が吹けば桶屋が儲かるのである。

 歴史なんてものは裏表があって、表側とか裏側だけを読んでも見えないことがある。では両面を読んでやったらどうか? それでも真実は見えてこないかも知れないが、いくらかでも真実に近づくことはできるのではないだろうか。もちろん、真実から程遠いことしか書いていない本をたくさん読んでも、真実から遠ざかるばかりだろうが。

 倭寇についても、中国側の本を読んで、日本側の本を読んで、いろんな角度から考えてみたほうが面白かった。同じことを元寇でやってみようと思う。もちろん元寇は、日本が海外からの侵略を受けた数少ないケースであり(ないとは言わない。そして日本だけが侵略国家だったとも思っていない。歴史を見るのに、イデオロギー先行で見る気にはならない。私のは純粋な知識欲から入っていく)、ちょっとばかり興味があったんだよね。

 私が高校時代に習った範囲では、元の侵略は1274年(文永の役)、と1281年(弘安の役)の二度であり、集団戦法を用い、毒矢、てつはう(鉄砲ではなく石火矢の祖先形か?)などを用い、短い槍を構えて進んでくる蒙古兵の前に、「やあやあ、われこそは」とやって、個人戦を行うのが常識であった鎌倉武士たちは、大変苦戦したが、折りよくやってきた台風(神風)によって、何とか負けないですんだ、なんて様子であった(そうですね、K先生!? 私の高校時代の世界史の先生である)。

 最近では少しずつ研究が進んでいるようだが、中国側の言い分を『未解之謎』から、ざっと紹介してみよう。なかなか興味深いところが出てきて、私は「さすが我が祖先」という尊敬の念を強くしたけどね。

 文永の役(1274年)は元軍は2万5000、蒙古人と高麗人が大半を占めており、残りは女真人と漢人であったという。遠征軍の大将は、蒙古人:忽敦、副将は高麗人:洪茶丘と漢人:劉復亨。これがまず壱岐を襲い、蹂躙した後、3つに部隊を分け、主力は長崎付近に上陸した(あとの2隊は主力の動きに応じて動く遊撃隊)。 

 これに対して鎌倉幕府は武士を集め、正規軍と九州の様々な地域から集まった武士が迎撃に参加した。ここで激戦を繰り返すこと20日余り、矢と兵糧が尽きた元軍が船へと戻り、ひとまず朝鮮へと引き返している途中、暴風と遭遇したが、大部分はなんとか帰国できたという。(ふ~ん…:私の感想である。ちなみに書いてある内容は私のものではなく、あちらで入手した歴史の本に書いてあったことである)

 弘安の役(1281年)は、忽必烈(フビライのことである。漢字で書くとこうなる)が中国を統一した後、大量の軍勢を江浙と朝鮮から同時に出発させたものであって、この時の元軍は壮観だったそうである(ふ~ん…)。大小の船5000艘で、軍隊は約20万いたといわれている(日本側の資料によると、14万というのが当たり前みたいだけど)。内訳は蒙古人4万5000、高麗人、5万人あまり、漢人10万(その大部分は降伏した後、新編成された南宋軍兵士)であったが、やはり戦力的中心は蒙古人部隊だった。

 6月上旬、元軍は上陸作戦を開始したが、上陸予定地点の九竜山は、前回の文永の役のときは遠かったけれども、この時はさほど遠くなかった。ところがこの弘安の役のときは元軍は、思ってもみなかった頑強な抵抗を受けたのである。頑丈な石で作った塁を築いており、それを利用した組織的反撃で、元軍を撃退したのである。

 最も効果的だったのは、高麗軍主力を壊滅させたことで、高麗軍司令官:洪茶丘を討ち、さらに蒙古軍の高級指揮官を何名か討ったことである。こうやって激戦が繰り返されること1ヶ月あまり、元軍の被害はその三分の一を失うまでになったが、相変わらず海岸に作られた防御塁を抜くことはできなかった。

 7月下旬になって元軍の兵糧と武器が欠乏しはじめたので、前回の文永の役と同様、一度引き上げることにしたが、8月1日、太平洋上に発生した猛烈な台風によって、元の軍船はほとんどが身動きが取れず、九竜山沖から動くことができず、10万の兵士は死を待つほかなくなった。数日後、日本の武士達は、残存勢力に対して攻撃をかけ、その殆どを討ち、2万人を捕虜とした。弘安の役は蒙古軍の惨敗に終わったのである。

 専門家の分析によれば、文永の役のときは、まだフビライは南宋を征服し終えておらず、また北部も完全に支配している状態とはいえなかった。そこで多くの兵力を、日本征服に裂くことができず、漢人はこの時の軍の主力ではなかった。

 またこの時の鎌倉武士は、最初は戦術的に蒙古人とは劣っていたものの、数日後では元軍の戦い方に適応し、反撃を開始していたのである。蒙古兵は戦の主武器を弓に頼っていたが、武士達は弓矢の援護を背に騎馬で元軍の陣に肉薄し、元軍弓矢の有効射程内に入ることで、元軍の弓矢の効果を殺してしまっていたのである。こうなると、当時の一般的蒙古兵の刀では、鎌倉武士が扱う日本刀と渡り合うことは不可能だった。武士たちが刀で一撃すると、蒙古兵の刀はぽっきりと折れてしまったのである。(でしょうなあ。基本的に元代の刀は、環頭湾刀、あるいは湾刀で、片手で扱うに適した、比較的細身、先細りの刀だったから。それに比べると、元寇の様子を描いた絵画などにもあるように、日本の刀は、かなり重量感がありますもんね。先日も大山祇神社で見てきたばかりだけど)

 それ以外にも、元の兵士たちは、生の馬肉を食べたり、馬の血をすすったりと、食物の問題が発生したり、生活全般で、なれない環境とも戦わなければならなかったのである。元来、蒙古人の戦い方は、機動性を第一としており、食糧を大量に携行することはしなかった。さらに衣服も多くは持っていかず、それらは侵略した先の地域で略奪していたのである。ところが日本ではそうはいかなかった。これが蒙古軍の失敗の原因の一つである。

 しかしながら弘安の役では、文永の役の9倍の兵力を投入している。なのにどうして日本軍に大敗を喫しているのだろうか? それは鎌倉幕府が文永の役の教訓から、多くの対策を立てていたからである。蒙古軍の優勢はすでになかった。むしろ日本軍の方が様々な面で優れていたのである。

 もとより武士が持っている刀では、蒙古兵の刀を完全に凌駕していたが、鎧にしても強化され、少し離れたところでは、蒙古兵の射た矢は、武士の鎧を貫くことはできなかった。くわえて幼い頃から武士の子弟に訓練を施し、彼らの戦う技術は、蒙古兵の比ではなかったのである。蒙古兵は集団作戦を得意とし、日本の武士は一騎打ちを得意とすると、蒙古人は書き残しているが、石垣を破れないうちに台風によって大被害を受け、士気が低下してしまった状態では戦いにならなかった。

 いろんな説が唱えられているが、なぜあの強大であった元が日本を征服できなかったかについては、今後とも研究していかなければならないことである。

 へーっ! へーっ! へーっ! これって、中国側の文献なんだよ。

 元はインドも日本も攻めきれていないよね。でも日本の場合には、やはり鎌倉武士たちの誇りをかけた研究を研讃と、勇気溢れる行動があったんだよね。短い槍を連ねて集団で戦うモンゴルの兵士達に対して、武士は苦戦したといわれているけど(槍はそれまでの日本の戦では用いられていないような気がするんだけど。なぎなたが多くて)、それにも対策を立てていたんだよね。凄いね~っ!

 ガソリンが値上がりしようと、景気が悪くなろうと、何もしないでのうのうとしていた現代の政治家が、鎌倉武士を生んだわが国の同じ民族とは、ちょっと信じられないよね。でもこの時、偶然吹いた「神風」が、その当時の「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢を「人事を尽くさず、奇跡を待つ」という神頼みに変えちゃったのかな?

 でもすげえ祖先たちだったんだなあ~。尊敬するよ。

2009年9月26日 (土)

まず人間ありき

昼はまるで夏のようである。競技場は暑い、熱い、厚い!! 夕方の競技場は、いまは気持ちがいい。もしかしたら一年で最高かも知れない。この時期に芝生の上で寝転んで嗅いだ競技場の匂いは、おそらく私があと100年生きて、ギネスの長寿記録を破るほど生きて、過去の記憶の大部分を失っても、憶えているのではないかと思う。

 ということで、テレビニュースを見ていたら、にゃんこがマンションかどこかの高いところに登って、降りられなくなって困っている。人間が救助に行ったのだが、逃げ回ってなかなか捕まらない、なんてニュースが頻繁に流れている時代になった。

 昔の建造物は今のマンションとは違って、いろいろと登ったり降りたりがしやすかったんだろうね。だから私が子供の頃なんかには聞いたことがない事件である。社会の発展と同時に、ネコの身体運用レベルも低下したのか? なんて勘ぐる前に、建物の様子が変わってしまったのが問題だろう。

 そういえば「崖っぷち犬」なんてのがいましたっけ。あの犬くんも飼い主さんが現れて、引き取られているみたいだけど、今は幸せに暮らしているのかな? 先日岡山では、停めてある車のスペアタイヤの中に頭を突っ込んで出られなくなった犬がいて、これも親切な引き取り手が現れたようだけど、懐いて幸せな犬性を送ることができればいいんだけどね。

 私なんかから見ると、救助されている犬やネコよりも、救助に行っている人間さんの方がはるかに危険そうに見えたりするんだけど、もしもこんなことで救助に行った人が事故に遭ったりしたらどうなるんだろう? ちょっと考えたら、複雑な気分になるよ。

 私も今までいろんなものを助けた。先日も本ブログで紹介したとおり、「こもりこうもりを助けた」。急流で困っているカメを助けたことも、道路で車に轢かれそうになっているカメを助けたこと(何度となく!!)もある(竜宮城への招待状は、まだ貰っていない)。

 この場合は危険な場所から安全と思える場所に移動させることだが、一度など交差点を赤信号にもかかわらず横断しようとしたカメを助けたら、なんとウリ坊(イノシシの子供)に出会った。3匹もいたから、親も近くにいたのではないかと思う(これって、恩返し? まあ野生のウリ坊なんて、そう簡単に見ることができるものではないから、恩返しといえば恩返しかも。でもイノシシの親が出てきたら、恩返しにはならなかったような気が…)。

 鳥なんかだったら、もう数え切れないほどだ。一度などは海に落ちて、飛び上がることができないでいる海鳥を救助したことさえある(泳いで行ったんだよ!!)。その他、野鳥の類は何度助けたことか(今は飼育するには許可が必要になっているので、あくまで自然界に復帰できるところまで、という制限つきだけど)。さすがに罠に捕まっている鶴を助けたことがないので、まだ恩返しに「つう」はやって来たことがない。

 その他、生き物を救助したことは数え切れない。私は生き物が死ぬのが大嫌いな人間なので(害虫は例外である。最近毎晩、蚊が1匹だけ私の部屋に忍び込んでいて、睡眠不足気味だ。私にとっては蚊はぼうふらの親に過ぎない。そしてぼうふらは、グッピーの最高の餌に過ぎない)、反射的にこういう行為をしてしまう。自分の身の回りに、生命あるものがいてくれることは、結構元気付けられるから。

 でもなあ、もしも野生動物とかペットとかが危ないというので救助に行って、救助中の人間が危ない目に遭ったら、どうするんだろう?だいたいペットが危険ってことは、人間にとっても危険な場所であることが殆どでしょ? 昨日(一昨日だっけ?)のネコちゃんなんか、私にはネコの方がはるかに安全で、人間の方が危ないと思ったくらいだよ。

 本来高いところは、ネコの領域で、ヒトは新生代に森林が減少したとき、木の上の生存競争に敗れて、平原に下りてきた生き物の末裔なんだからね。高いところが得意なのだったら、今でも木の上で猿のままだったはずだ。

 我が家でも今年の春、子猫が井戸に落ちたのを、母が私の捕虫網で助けていたけど。それが腐れ縁で、今では滅茶苦茶懐くは、親猫(野良である)は子猫の面倒を人間に任せるは、大変な重労働をこちらにかけてくれたけど。これも別の意味で人間を危険に晒しているよね。だって毎日何度も食べ物を与えなければならないし、夜には人間に甘えて目茶ばかりやるんだよ。

 暗い庭で人の足元にスライディングしてくる。先日はディスカスの水替えをしている私の足元にスライディングして踏んづけられたネコがいたし(暗いところで黒いネコは見えない)、母なんか年だから、こかされそうになるんだよ。だから今、大急ぎで数箇所、夜だけ庭を照らす明かりを取り付けている(これだった、買って来なければならない。たちまち出費である)。その出費が惜しくなったら、生き物など飼う資格がなくなったと思うけどね。

 とにかく危険にさらされている生き物を助けるのは、美談であることは間違いない。けれどもくれぐれも気をつけていただきたい。まず人間さんの安全を確保した上での美談だってことをね。ペットを実の子供のように可愛がる人がいることはよく知っているし、その気持ちもよくわかる。でも私的には、まず人間ありきだと思うよね。

2009年9月25日 (金)

長平の合戦で、趙括はどのように葬られたか

 長平の合戦というと、紀元前260年に行われた、秦と趙の大合戦で、勝った秦が趙兵40万人を生き埋めにしたといわれている。これについては本ブログ2009年5月27日、『おっとびっくり、人口の謎』とか2007年7月18日『紙上談兵』などで、何度か取りあげている。

 まあ驚くことは、紀元前3世紀に、40万もの、生き埋めにされる人間がいたということであろう。日本だと、大合戦といっても、せいぜい両軍あわせて20万足らずである。ところが負けて生き埋めにされた方だけで、この人数いうのはわが国の感覚ではない。

 なんどか取り上げていることなので、ざっと概略を紹介するだけにしておく。紀元前262年、秦軍が韓国の上党(現在の山西省泌河以東の地域)を包囲した。これに対し上党の守将・Feng(憑の下心なし)亭は、とても韓の力では守りきれないと判断すると、上党を趙に献上した。趙軍の力を借りて、秦軍に対抗しようとしたのである。結果として秦趙間で長平(現在の山西省高平北西)の戦いが起こった。

 最初、趙王は老練の将軍廉頗を派遣してこれを防いだが、廉頗は険阻な地形に拠って堅固な砦を築き、固く守って打って出なかったので、三年もの間、秦軍は長平の趙陣を抜くことができなかった。

 そこで秦は作戦を変更した。紀元前260年、趙に間者を潜入させ、流言を広めさせたのである。それはこういうものであった。秦は廉頗などは恐れていない。本当に恐れているのは趙括だけだ。趙王はこの計に見事にひっかかり、廉頗に代えて、趙括を将にしたのである。

 趙括は趙の名将・趙奢の息子である。だが実戦経験はなく、兵法を語るのに長けていただけの男である。そして名将と言われる父親にも議論で買ったりしたので、驕慢になっていた。秦軍はその弱点を衝いたのである。

 秦軍は趙軍と接触するたびに、敗戦を装って後退を続けた。趙括はすでに秦軍は敗走に移ったものとして砦から打って出、長駆秦の砦目掛けてまっしぐらに攻撃した。だが秦軍の防備はすでに完璧であった。趙軍は秦の砦を抜くことはできなかったのである。さらにこの時、秦将・白起は、左右両翼から奇兵を迂回させ、趙軍の退路を断ったのである。

 趙軍は完全に包囲され、立ち往生してしまった。塁を築いて、守るしか打つ手がなかった。これに驚いた趙王は、救援を派遣したが、9月になると趙括は、自軍を四隊に分け、入れ替わり立ち替わり、秦軍に突撃し、血路を開こうとしたが、成功しなかった。

 この戦いの中で趙括は射殺され、四十万の趙軍は、秦に投降した。白起は降伏した軍が反乱を起こすのを恐れ、年少者や身体の弱いものには帰国を許したものの、その他はすべて生き埋めにしてしまった、というものである。

 趙括が死んだ場所は、二千数百年来、謎とされてきた。ただ史書には、彼は射殺されたと書いてあるだけである。

 1951年4月20日、高平県釜山郷老背坡で、胸に2本の矢が立った男性の骸骨と、その男のものと見られる佩剣が見つかった。死体の胸の部分には、青銅製の扁平な三菱型の鏃が残されており、鏃の向きから推測すると、男は背後より射られたということがわかった。

 また歯の磨滅面を分析したところ、この男は30歳前後で、骨格からは慎重が175㎝前後であり、腰の右側には一振りの佩剣があった。剣長は52㎝、鍔の幅は5㎝、重さは610gで、青灰色の剣体には緑青もなく、固く鋭利であった。また鍔の両側には「虎頭紋」と「獣形紋」がPhoto彫られており、鋳物の専門家は、この紋はふかくはっきりしていて、大変に気品があるという。また剣の刃には、ものにぶつけた痕があった。多くの学者は、これが趙括の遺骸ではないかと言っている。

 高平には、趙括は高平県釜山郷老出坡村で死んだという言い伝えがある。また長平の合戦にちなんだ地名もたくさん残されている。例えば箭頭村だとか、参軍村、囲城村、哭頭村などであって、老背坡もその中の一つである。 Photo_2

「老背坡」の意味は「老兵が趙括を背負って、この坡(坡は斜面の意味)に来た」である。この地名は史書の記述とよく符合している。趙括が老背坡で死んだということも、十分考えられるのである。

『史記・れんぱ、りんしょうじょ列伝』によれば、趙括は自ら兵を率いて、血路を開こうとして、秦軍に射殺されたことになっている。『澤州府志』『山西通志』によれば、趙括は当初の勝ちに乗じて秦の砦に迫り、現在の省冤谷(古称、殺谷。長平の合戦の戦場の一つである)に至った。

 この谷は四方を山に囲まれており、前に1本だけ車馬が通れる道があって、袋のような地形である。趙軍はここに誘き寄せられ、不利とみて塁を築いて守っていた。だが後に趙括はここから出撃して射殺されたという。

『東周列国志』と『澤州府志』に記載されているが、「趙括は秦の砦の壁まで追撃した。西北十余里のところである」当時の長平治は今の王報村にあった。これから計算すると「北西十余里」は、まさに現在の釜山地奪掌村一帯になる。

『高平県志』によれば、趙括は秦兵を「四方が山に囲まれ、前方に1本だけ車馬を通す道があり、袋のような地形で、数十万の兵が戦うことができるところへ追った」とある。

 1960年代、地奪掌村から15里の寺荘鎮楊家荘南西から、戦国期の青銅の「聚将鐘」が出土した。これは趙軍のものだが、両軍が戦う際の「鳴金撃鼓」として使われたと考えられている。これもここで長平の合戦があったとする証拠である。

 さらにまだ史書にも記載されている、趙括に当たった鏃であるが、老背坡で発掘された男の身体から出てきたのは、当時秦軍が用いていた「扁型三菱帯後翼箭」であった。これも史書の記述を証明しているのではないだろうか?

 このようなことが何度となく考察された結果、老背坡出土の男は、当時としては最新兵器であった『弩機』で射殺されたことがわかっている。

 弩機は早くは春秋期に現れた。戦国期になると射程距離が長く、数本の矢を連発できる弩機が秦で発明された。これは射程が300~600歩(1歩は5尺。1尺は33.3㎝。つまり射程はやく500mから1000mもあったという。ヘタな鉄砲よりよほど怖い)以上。極めて強力な殺傷力を持っていた。

 しかもこの「扁型三菱帯後翼箭」は弩の命中率を高くし、飛行速度を上げ、安定して飛び、空気抵抗が少なく、突き抜ける力が強かったのである。このような兵器は遠距離の敵を射殺する上で大変に有利であり、長平の合戦でも大変な威力を発揮したのではないかと考えられる。

 きっと趙括は兵を率いて出撃したものの、秦軍の囲みを突破することはできず、しかたなく自陣に戻ろうとしたのであろう。これを秦軍の弩機が襲い、矢を連射されたのではあるまいか。そのうちの2本が趙括の胸に命中し、老背坡まではなんとか逃げ延びてきたものの、傷は重く、戦闘中だったので部下も趙括の矢を向くことができず、とりあえず彼の遺骸を埋めておいたか、秦軍が墓を暴くのを恐れて、墓碑も作ることをしなかったのではあるまいか。さらにはその兵が戦死しなかったとしても、生き埋めにされ、趙括がどこで戦死したかわからなくなってしまったのではないだろうか。真相はこんなところではないかと考えられる。虎頭紋のある剣だけで、彼だと断定するに足りないのであれば、もう少し詳しく調べてみなければならないだろう。

 なんてことが、先日入手した『中国軍事未開之謎』という本に出ていた。この趙括という人は、自分の母親なんかにもぼろくそに言われているから、よほど兵法を論じて相手をやり込めるのが好きだったのか、いやらしかったんだろうね。でも遺骸が見つかったとしたら、これは珍しい幸運だよ。いろんなことがあるもんだねえ。

 さて今日から岡山県陸上競技場で「全日本実業団陸上競技選手権」が開かれている。明日は早くからいかないといけない。なかなかに忙しい。豚インフルエンザなんかに罹っている間がないくらいである。

2009年9月24日 (木)

こがねむしはこがねむし

 からす、なぜ鳴くの? からすはやまに、可愛い七つの子があるからよ。ほんまかいな? からすが鳴くのは、お墓参りに行った時、「早よ帰れ、帰って、供え物を食わせろ、カァッ!」と鳴いているんじゃないかと、私は思う。

 昔々、志村けんさんが「か~ら~す、なぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ」とやったのは『8時だよ、全員集合』なるお化け番組だった。最近、この番組の再放送をちょくちょく見かけるが、過剰にスイカを破壊してゴミにするシーン以外は、この番組は大好きであった。だから私もアレをみて大きくなった世代なんだね。

 確かに最後の方は『オレたち、ひょうきん族』の方に乗り換えていたりしたんだけど(視聴者は浮気モンである)、やっぱり売れる番組って、勢いがあったよね。今はあんな番組、作れるんだろうか? 作っても売れるんだろうか? 

 なんとなくタレントがいなさそうに思えるね。お笑い系の人たちは、案外面白くないし…(あくまで私個人の感想であるが)。ドリフターズって、凄いタレントの集まりだったんだね~と、今更ながらに思う(ビートルズの前座を務めたとかいうのを考えないでもである)。

 きっとあれだけのギャグをひねりだすには、とんでもなく苦労したんじゃないだろうか。何かをひねり出さなければならない立場になると、やっぱ、凄えなあ、と感心してしまう。笑うほうは簡単だけど、笑わせる側は大変だもの。

 でもね、カラスの勝手よりはいい歌(あくまで私の手前味噌である)は、私は小学校低学年の頃から歌ってたんだぞ。

「コガネムシは、コガネムシっ!!」 たったこれだけでお終い。速くていいでしょ。つべこべ言わなくていいから、簡単明瞭だよね。「金倉建てた、倉建てた」なんて重労働しなくてもいいし。

 子供の頃には、誰でも一つや二つはこんなことを思いつくもんだよね。大人になると、なかなかいいアイデァ出てこないもん。やっぱり考えすぎるからかなあ。それとも他のことをもっと真剣に考えているからだろうか。きっと私は後ろの方だと思うよ。

 今日も練習まで、まだまだ考えなければならないことがあるので、短いけど、このあたりで!!

2009年9月23日 (水)

シルバーウィークのおわりに…

なんやらわからないが、今日でシルバーウィークとやらも終わりなんだそうである。ここまでに予定していたことができていなかったので、今日はラスト・スパートであった。途中でなんとなく虚しくなって、一人で中国茶を淹れた。最初蓋椀で直に飲んでいたけど、あまりに侘しいので、途中からやけくそぎみで、正式に茶器セットを出し(家にも数セット置いてある。たまにしか使わないけど)、たった一人で「関公巡城、韓信点兵」までやって飲んでいた。

 友人のIさん曰く、「いい中国茶は、正式な飲み方をしないと、味の真価を感じることができない」。その通りである。きちんと淹れてあげると、あちらもきちんと味を出してくれる。先日我が家で蓋椀を使って、私の一番好きな鉄観音を淹れたが、旨かったのなんの。あれで久しぶりに、きちんと正式に淹れてみる気になっちゃった。

 今日はコーヒーなんか一滴も飲まないで、中国茶で一日過ごした(コーヒーを飲んでいるということ自体、私が何をしているかは、私とごく親しい人なら気がつくはずである)。途中で陸上競技のグランプリを見たが、谷川聡さんの解説はいつ聞いても面白いと思った(ちょっとマニアック? でも今日のはそんなにマニアックではなかったし)。

 中国茶の茶器セットはいつでも私の机の上に乗っている。でも日頃はなかなか使う間がない。実は今日もそんなにのんびりしていたわけではない。2台ある仕事場のPCをフル稼働させながら、その合間に中国茶を飲んでいたのである。あ~、忙しい!! 

 中国茶というと、カフェインがなかなか強烈な感じがする。飲むと身体も、すぐに暖かくなるし。興奮しているのかな、私の身体は。興奮することは大切なことだけど、興奮しっぱなしだと良くないよね。

 魚なんかを飼っているとよくわかるけど、色揚げを使う人っているじゃない。あれって結局、興奮させているんだってね。魚だって、本来自分が持っていない色は出せないし。出せるとしたら、もともと自分の中に眠っていた色だけ。中国とか台湾あたりだと、色素を注射したりして、もとの色とは違う色を出させたりするらしいけど、まあ私から考えたら何を考えているんだかわからない行為だ。

 アピストグラマって小さなシクリッドがいるけど、あれもいい状態で飼育して、ある程度飼い込んで、それからライバルなんかを入れて興奮(簡単に言うと戦闘状態)させると、凄い色を出すよね。やっぱり興奮しないと、持っているもののすべてを出さないんだ。

 興奮してないときでも色を出させようとすると、どうしてもドーピングみたいなことをしなければならないけど、やっぱりこれも身体のどこかに負担をかけているんだよね。だから興奮しているわけ。興奮しないと色が出ないんだよ。

 健康に飼い込んでいけば、それなりの美しさ(私が一番好きな色はこういう色)が出てくるよね。あまり興奮させてばかりいると、どうしても寿命が短くなってしまうから。魚はよくはわからないけど、少なくとも人間はそうだよね。

 どんな天才でも、短命だとわからないことがある。少しくらい鈍くても、長生きしていればわかるようになることがある。年くうとものを見る目が変わってくるし。いろんな物の見方がわかるだけでも面白いことかもしれないよね。

 私だってもっとわかくて現役のバリバリだったころだったら、とても中国茶なんか飲んでみようとは思わなかったろうね。後片付けも面倒いし。

 なんだか体調を崩してばかりのシルバーウィークだった。中学生時代の古傷は突然顔を出したし。それであんまり動けなかった。豚インフルエンザには罹らなかったけど、豚にはなったかも知れない(ヘルスメーターが怖い)。

 また明日から仕事である(このシルバーウィーク中、仕事は山盛りやったけど…)。帰郷したり旅行へ行かれていた方。お疲れを出されませんように。長生きしないとわからないこともあるので、健康は大切ですよね。

 興奮して動いているばかりでは見えないことも、ゆっくりぼんやりしていれば見えることってあるし。でもまあ時間に比較的縛られないで、水槽の水替えをしたり、居候ネコと遊んでやれたのは、収穫でしたね、私は。

 さあ、これから帰って、百合南瓜粥でも作ろうっと。

父祖の地

 前原国土交通大臣が、八ッ場ダムのことで、現地を訪れたそうである。大臣の仕事って、休みもろくに取れないようで、ご苦労さんと、まず最初に言っておこう。でもなあ… 今更、建築中止ったってなあ… それが私の率直な感想である。

 もちろん自然破壊はいけないことだし、無駄をなくすことは大切なことだ。自然破壊を最小限度に留め、無駄を最大限度省く努力をすることは、大変に大切なことだから、基本的に私は間違っているとは思っていない。でもなあ…(今日は、このフレーズが多そうである…)

 かりにダム建設が本当に無駄だったとして、その工事を担当する人たちは、どうなるのかね? 人は仕事をして収入を得て、それで家族を養って、生活をしているわけで。もしダム工事という仕事がなくなったら、彼ら(当然、仕事を請け負って、契約も交わしているだろう)への保証はどうなるんだろう?

 仕事だからね、ただ保証金を渡して、それでおしまいってわけにはいかないと思うよ。誰でも一人前の社会人なら、自分の仕事には誇りを持っているからね。その誇りまで保証しなければならないとしたら、これはちょっと、難しいんじゃないかな。

 一番簡単なのは、同じような仕事を持ってきて、それを担当していただくということかも知れないけど、一つだけ私の経験からものを言わせてもらおう。途中まで何かをやらせておいて、急に「これはもうしなくていいから。こっちの仕事をやって」と言われたとき、言われたこちらはどう感じるかだ。

 はっきり言って、自分がしてきたことをすべて「無(無というより虚に近い)」にされたような気がして、大変に情けないんだよね。今年の春もそういうことがあって、私は(ほんとにごくごく小規模な)爆発したけど、人をクソにしているというか、腹が立つものなんだよ。

 それがわからなければならない年齢に達していたら、わかるのが当たり前で、わからなければ、そんな立場に立っちゃいけないんだよね。世間にはわからないで上に立っている人も少なくないようだけど。なんでも人が「へいへい」と言って従うと思ったら大間違いだ。

 むしろ「へいへい」と言って、感情を面に出さない人の方が怖かったりして。こんな人を甘く見ていると、不平不満が溜まりに溜まったところで、突然、大爆発を起こしたりして、「あんな穏やかな、大人しい人が…!?」なんてことになるんだよ。

 私みたいに小爆発を起こすほうが、人は読みやすいんだよね(だから意図的に小爆発している部分が、私にはあるけど)。大爆発したら相手にも大きな被害が生じることがあるからね。相手を保護しているようなものだ。それでなおかつ上から目線で偉そうにものをいったら、私は遠慮なく大爆発を起こすし(今までもそうだったし、これからもそうだろうと思う)。

 ま、それはさておき、途中で自分達の一所懸命やってきたことを、いきなり「方針が変わりました」なんて理由で止めさせられたら、止めさせられた方は、あまりいい気分にはならないってことですな。そこを上手な話し合いで解決していくのが、優れた上司であったり、政治家であったりするんだろうけど。

 もう一つ、これも大事なことに、ダムである以上、どうしてもそこに住んでいた人たちに立ち退きを迫ったはずだ。湖底の我が家って言葉もあるけれど、先祖伝来の土地を立ち退くことが、どのようなものであるかは、先祖伝来の土地に、長年住んでいる人しかわからないと思う。

 私なんかだったら、使っている道具が壊れても、捨てるのが嫌なほどで、おかげで身の回りが片付かないくらいである。まして家屋敷だったら、田んぼ畑だったら、どんな思いだろうか。ただの土地、ただの建物ではないんだよ。そこには「思い出」という、お金にも、便利さにも、ナニモノにも代えがたいものが染み付いているんだからね。まして父祖の地だったら…

 それを公共のためにと譲ってくださった方々がおられて、その結果始まった工事だったとしたら、今更止めると言っても、おさまりはつきにくいだろうね。「もう何年も前に売っちゃった土地じゃないか」なんて言ったら、そいつは人の心がわかっていないよ。(下世話な言い方をすれば、「人間じゃねえっ!!」ってことになる)

 世のため、人のためになると信じたから売ったのかもしれないわけで、「そんなもの、無駄だから、中途で止めちゃった」なんて言われたら、「あの時、あれだけすったもんだがあって、やっと決まったのに。あれはナンだったの」ってことになるよね。まあ、こんなことはお役所は得意なんだろうけど。でも「脱官僚なんていっているようだし…」

 父祖の地は、あまり甘く見ないほうがいいと思うよ。もちろん、高速道路無料化をはじめと、する耳に快く聞こえる約束も、同じなんじゃないかな。長続きさせようとすると、「無理しない」のが一番だよ。無理すると、どうしてもそこが負担になってしまうしね。最大野党がいまだに態勢を整えきれていない今(組織が老朽化すると、なかなか変革はやりにくいと聞いておりますが、いきなり変えても反発があるでしょうしね。それは何をやっても同じことだけど)、もう潰れたの? では済まされないからね。

 昔々、私も、ある業者が「どうしてもさせてくれ」と、政治家まで使って煩く言ってきたので、ためしにその業者にさせてみたことがある。すると案の定大失敗。その前の業者さんはそつなく仕事をこなしてくれていたので、当然、その業者さんは二度と入ってこれないようにお断りしたことがある。失敗する前には、なんとなく新しい何かが起こりそうな期待があるんだけど、失敗したあとでは、どんな言い訳も通用しないもんだからね。

2009年9月22日 (火)

ちょっと変わった食性・44 ~フグってる?~

 食欲の秋である。どうしても我々はこの季節になると、本能的に食べて、太って、皮下脂肪を溜めて、来るべき厳しい冬を乗り切ろうとするようだ。これはもう本能なんだから仕方がない。

 ってんで、フグなんて危険な魚を食うのは、魚を扱いなれた日本くらいのものかと思っていたら、中国でもやっていたので、「これは、これは」と興味を持って食いに行ったことがある。でも一つ間違ったら、この世に「さいなら~」ってことになったりするので、若干恐怖がなくはなかったんだけどね。

 とにかく日本のフグ料理は、もうあれは芸術と言ったほうがいいくらい素晴らしいので、日本料理に比べれば、若干アバウトすぎるんじゃないかと思う中華で、果たしてフグは食えるのかという冒険でもありました。まあ何事も経験なんだけどね。(人生で1回しかできない経験にはしたくないけど)

Photo_16 Photo_17 注文する前に食材をい選ぶのは、あちらではそんなに珍しいことではない。こんな感じで食材がトロ箱(向こうで何箱というのか知らないけど)に無造作にいろんな魚が入れられている。だいたい肉ばかりを食べていると、カルシウムが不足するので、どこかで魚を食べるようにした方がいいんだよね、あちらでは。カルシウム不足はいらいらしたりするから…。そうでなくてもイライラしている私なんか、マストですよ。

 大学時代自炊していた私は、買い物籠をぶら下げて、奥さん方に混じって魚屋で買い物をすることがあったので、なんとなく懐かしい風景なんだよね。まあでも海が綺麗でなきゃ、魚も旨いわきゃないんだけど。ただ、「所変われば品変わる」。これを楽しまなきゃ。Photo_18

 テーブルについただけで、こんな突き出しが出てきた。すでに記憶がなくなってしまっているが、「案外旨かった」と書いてある。なんやら漬物らしいので、結構歯ごたえがあって、若干辛い系ではなかったろうか。Photo_19

 ちょうど上の写真の左側ではなかったかと思うが、こんな巻貝を佃煮みたく煮込んだのが出てくる。味を滲ませやすくしたのか、熱を通しやすくしたのか、貝殻の上の尖ったところは切ってある(そういえば桂林料理で食べたことがある田螺もそうだったような…)。

 あちらの人は器用にこのまま食べてしまうけど、私は爪楊枝でほじくって食べる。両方のやり方を試みたけど、味わいは爪楊枝を使ったほうが良かったなあ。実は岡山にもかつて田螺を食わせる店があったので(今は知らない)、ここでこういったサイズの貝の食べ方を知っていたんだね。Photo_20

 この時はフグはこんな食べ方をした。日本のとはかなり違う。ちなみに左はダイコンと一緒に炊いている。右は生姜である。味は間違いなくダイコンの方がおいしかったけど、悲しいことに日本のフグちり、フグ刺しなどでなれた私の舌には、「何を食べても、鍋にしたらおんなじじゃん」としか感じない(メモにそう書いてある。すでに記憶がない?)。Photo_21

 そうそう、こんなタレに漬けて食ったっけ。日本のフグとはかなり違うね。こんなんでもし当たっても、辛さで舌がしびれているのか、フグでしびれているのかわからなかったりして… でもまあ右の唐辛子をじゃんじゃんタレに入れて辛くしていくんだよね。Photo_22

 でもあまりフグ的な味がしなくて、感動しなかったので、明らかにキスだとわかる魚のから揚げで帳尻を合わせた。キスってのはよほど料理方法を間違えない限り、けっこう美味しい魚だから(私には)。これでビールをくいくいっといったような記憶がある。でもつけるのはやっぱり日本風に、ウスターソースといきたいけどね。

 あ、そうそう。この時「嘗めとんのか?」と思ったものがあった。11 左である。これメニューになんと書いてあったと思います? なんと「海草」。まんまじゃねーの。

 ま、こんなものでも日本のとは変わった味がついているので、それなりに珍しかった。でもやっぱり海産物を料理させたら、日本のもんだと思ったけどね。食材もそうだけど、調理法がね。もっと繊細な調理をしないと。

 ということで、以上は華源餐庁という店の提供でした。特別出演として、一つ、別の店の料理を紹介しておく。これはたぶん私が疲労が溜まっていたとき、Mさんが私ように注文してくれたものだと記憶している。821dun 821 821_2

 名前は原只木瓜炖雪蛤と言います。なんとこれ一つで48元。800円近くします。とんでもない贅沢品ですな。木瓜の中に真ん中のようなものが入っていて、これにココナッツミルクをたっぷりかけていただくんですな。

 私は木瓜もココナッツミルクも、それほど好きではないので、「まー、こんな高いモンいらんのに」と思ったけど、折角のMさんの親切な気持ちが有難かったので、一つ残らずいただきました。2111 うん、料理ってのは味もあるけど、気持ちも味のうちだからね。親切でわざわざ高いのを奢ってくれたりしたら、そりゃ食べないわけにはいきませんわな。誰かこれを食べようと思う人がいたら、ココナッツミルクが好きな人はOKだと言っときますね。

 これもまた、所変われば品変わるのうちかな?

ぐるっとまわって、にゃんこの目!!

 我が家には現在、一匹の正規の飼い猫チャーちゃんと、居候だったネコが産んで、途中からネグレって、人間に後事を託して母親がおんで出た後に残された、4匹のネコがいる。本当は5匹いたのだが、まだ母ネコがいくらかは面倒をみていたころ、身罷ったので、今は4匹である。

 この子たちは今では母親を無視するようになってしまった(それでも、ネグレった直後は、たまに帰ってきて…息子達の餌を分けてもらうために…、ちょっとは世話をしていた。その頃は子供達も母ネコを母ネコ扱いしていた)。その代わり今では、私と母とに甘えっぱなしである。やれやれ…

 私は帰宅するのが遅いので、庭が真っ暗である。真っ暗なところに黒いネコがいたら、さっぱり見えない。ところがやつらは甘えるので、人の足めがけて激突してくる(魚の水替えなどしていると、絶対に邪魔をしてくる。溜め水などは遊びの道具である。それで先日私に叱られた)。危なくてしょうがない。

 それでもちPhotoょっと時間があれば、相手をしてやらなければかわいそうなので、相手をしてやる。 けれどもこちらも腕の数は2本しかない。一度に4匹も相手にしてやれないので、忙しくてしょうがない。まあ、小動物にとっては殺し屋だけれど、人間対ネコという見方をすれば、案外気のいい奴らである。

 もちろん4匹もいれば、すべて性格が異なる。最初は大きくなって巣立つまでは保護してやると母親と約束したのだが、だんだん付き合っているうちに、あちらさんが巣立ってくれるかどうかわからない雰囲気になってきた。もちろんこんな付き合い方をすると、彼らも自我をぶつけてくるから、性格がわかったりするのだ。

 我が家に来ると、こんな風景を見かけることがあると思う。Photo_2 Photo_3 おやつを食べているところだが、一般的なのは右 側である。これは形が崩れ卍だが、いつもはきちんと卍に並ぶ。頭の納まりが一番いいらしい。喧嘩もしないでなかよく食べてくれるので、それはそれで構わない。彼ら(全部雄)がよその家に行って悪さをしないのであれば、我が家の庭には、ネコが4匹くらいいるのは別段問題はない(植物、昆虫、小動物などに甚大な被害が出ているけどPhoto_4)。なにしろ、怪獣と格闘するウルトラマンくらいの、大人しい暴れ方ではないからね。

 まあ、そのうち成長したら、落ち着きも出てくるだろうし、だいたい雄ネコというのは成獣になると旅立Photo_7つものだから、今のところは好きにさせておいている。ただそこには好きにさせ賃が必要になる。もちろんネコはお金を稼げないから、何か他の方法でこちらにプラスがなければならない。 

 で彼らのPhoto_6運動もかねて(こちらにとっては、身体運用の研究もかねて)遊ぶのである。だから我が家にはいつでもネコじゃらしは置いてある。そして面白いことに、ネコの個性は、ネコじゃらしでじゃらされているときに、凄くはっきりと出るのである。

Photo_5 さすがに飼う予定ではなかったので、名前はいい加減である。最初の餌を食べている写真では左上から反時計回りに、黒一番、茶色二番、黒二番、茶色一番なんて名前である。そして左の写真でネコじゃらしに最もよく反応しているのが、黒二番である。彼は非常に動きがすばやい。Photo_8

 跳躍力に最も優れているのは、茶色一番である。今まで我が家では多くのニャンコが生活したことがあるが、最も跳躍力に秀でていたのはチビという名前の小柄な雌ネコであった。どこかで売り出されたか売り出されてPhoto_9 いないかしらないけど、昔作ったビデオの中でも紹介している猫である(今は死んでしまったが)。この子に匹敵する跳躍ができているようだ。

 言ってしまえば、私がネコの跳躍における身体運用を研究する上で、大きな貢献をした子なのである(他にもたくさんいるけど…)。Photo_10 黒一番は一番大柄で、なんとなく人見知りをするんだけれど、餌に間に合わなかったことはない子で、重たい代わりに力が強い。ネコじゃらしにも興味があるけれど、一番ヘタな子である。

 茶色二番はオーソドックスなにゃんこで、すべてにおいて平均的だが、最も私によくじゃれるネコであって、私に抱かれていることが多い。例えば帰宅したときなど、ネコも当然お出迎えに出る。Photo_11 そした時に私に抱かれて、肩の上などに止まって家まで運ばれる子である。

 それにしてもネコとじゃれていると(遊んでもらっているのは、果たしてどちらであろうか?)楽しい。時間がたつのを忘れるくらいである。何よりも集中した目がいいよね。まさに一形一意を具体化している。全身が一つの目的のために総動員された状態だよね。ヘタに武術の練習をするより、こういった遊びに付き合っていた方が、はるかに練習になったり、勉強になったりするよ。特に私みたいに、「百万の屁理屈よりも、たった一つの実践」と思っている人間には効果的だ。ヘタすると彼らが私の師匠だったりするからね。(月謝の代わりが餌だったりして…)Photo_12

 だってこんな真剣な目をした人間って、現代にどれくらいいます? 私だったら両手の指の数で数えられるくらいだよ。過去すべてを振り返れば、それでももう少しはいると思うけど、人間って気を使わなければならないことが余りに多いから、こんなにも純粋でいられないのかも知れないよね。でもにゃんこだから、いつまでも純粋だったりして。

 これをよく「本能」だなんていう人もいるよね。「考えないで動くから…Photo_13 云々」って。いやそうでもないんだよ。少なくとも私の観察ではね。というのは黒二番は抜群の身体能力で、ネコじゃらしの凄い速い動きにでもついてくるんだよね。じゃれている写真の最初の2枚目、3枚目なんか、他のネコがついてこれなくて、黒二番の動きを「ぼーっ」として見ているだけだ。

 ところが私が昨夜から、彼の余りの身体能力の高さに、彼の身体の10 周りを、高速でネコじゃらしを廻したら、それに15~16周、それこそよくもこんなに速く動けるなという速さでついてきて、いきなりそのまま横にふらふら…としたんだよね。

「これはもしかしたら…?」と、私も確認のために二回目の実験に入った(やっぱり、何でも実験癖である)。今度は確か15回目で、またしてもふらふら…として、階段を転げ落ちちゃったんだよ。

 …目を廻すんだね、ネコでも。四本足があっても、目が回ると、こけることもあるんだね…

 もう昨夜は一晩、これで笑い転げてしまった。嫌なことも、何もかも忘れてしまいましたよ。 へ~っ、ネコも目を廻すんだ、って。

 それで今朝もやってみたら、今度は4回くらいで足元がおかしい。そしてさっさとじゃれる兄弟たちの輪から離れて、休憩しはじめたんだよね。それっきり、追いかけようとはしなかった。ちょうど最後の写真で頭の一部と前足が見えているのが、黒二番。この時は私の足元で休憩していた。

 ちゃんと学習しているじゃん。学習って、過去の経験から、次に同じような状況になったらどうすればいいかを考案できることだよね。だからネコは一形一意だけど、考えていないわけではないんだ。考えないで自然にやれってのは、やっぱり信用できないね。だってどうして「考える」のが不自然で、「考えない」のが自然なの? 野生動物だって考えて動くもんね。

Photo_14 ちなみPhoto_15に今朝も我が家のチャーちゃんは、食堂の扉を開けようと頑張っていた。チャーちゃんだって考えるんだよ。そしてその結果、開けられるようになった扉の数は、結構たくさんあるんだよ。それで時々「野菜」になっていたりする。野菜格納庫に入り込んで、野菜の傍で寝ていたりするんだね。

 私は「考えてはいけない」のは、ある一局面で通用することであって、大脳が発達してしまった人間は、「考える」ことこそが人間本来の自然な姿だと思っている。ただし何か瞬間的に反応しなければならない時に考えてしまうと、遅れるので、こういうところで考えるのは間に合わなくなるとは思っているけどね。

 昔から「名手にファインプレーなし」と言われるけど、前もって考えているからこそ、ファインプレーのような無理をしなくてもいいんだよね。そうしてみると、考える、考えないってことの正体が見えてくるもん。物事が始まる前は、しこたま考えていいんだよ。試合中だって、考えなければならないときには、考えなくちゃダメ。考えていたら間に合わないときに考えるのは、使い物にならないよね。終わったらまたしっかりと反省すればいいし。

 昔そんなことがあったよ、自分が失敗した瞬間に、「わっ!!」と泣き出して、作業を中止してしまう人間がいた。失敗しても何でもいいから、とりあえず最後までやりなよ。結果は最後までやってみないとわかんないから。なんとなく、ネコの動きから、人生まで考えてしまうような話になっちゃったね。

 

2009年9月21日 (月)

ちょっと変わった食性・43 ~とっても気さくな杭州小籠包~

 食欲の秋ということで、かつて私が訪れて気に入った店を紹介してみよう。日本人の私が行く中国の店だからって、いつもいい店に行っているわけではない。旨かったらなんでもいいのである。ただ安全基準(保健衛生上)をクリアしているかどうかを気にしているだけのことだ。

 小籠包というと、噛んで袋が破れたら、中から熱いスープがドビュっと飛び出すことが多い。私もかつて一度だけだが、この被害に遭ったことがある。だいたいこういうことには用心深い方なのだが、あの時はどうかしていたのではないかと思う。何よりも情けなかった。

 でも店によってはそんな心配がないところもある。私は食事をしに行っているのであって、危険から身をかわす練習に行っているわけではないので、危険な食べ物を出す店は好きではない。安心して美味しいものが食べられれば、それで十分なのである。それで私が思っているよりも値段が安ければ、当然そこの常連さんのようになってしまう。

 あちらに行っても、多くの行きつけの店ではみんな私の顔は覚えれらてしまっているから、悪23さはできない。最近では挨拶が「你好!(こんちは)」から「好久!(おひさ!)」に変わってしまっているので(あちらが)、もう完全にアットホームである。下手をすると岡山のレストランよりもはるかにアットホームな雰囲気である。

 この店はかなりいい感じだった。だが哀しいことにクーラーは効いていない。扇風機が数台ある。私が訪れたときには、客は我々(私とMさん)の二人しかいなかったので、すべての扇風機を我々の方にむけて廻してくれた。おかげであちこちから風がやってきて、我々のところでは風が中和しあって(風って中和したか?)、無風状態に近かった(ということもない。威力の強いのが1台あって、その風が周りを圧していた)。

 ここへ行ったのは、前日の夜、ちょっと白酒(baijiu:53%でした)をがぶ飲みして、「今日はなんとなく胃袋がギブアップぎみだなあ」と思った時だったと記憶している。Mさんは私の胃袋のことを心配してこの店を紹介してくれたのだと思う。というのはこの店にはとてもいいスープがあっ23_2たのだ。その話はちょっと後にする。出てきた順番に話をしないと、当時の記録と照らし合わせなくては、話がこんがらかってしまうからである。

 これが小籠包である。お値段はナント、たった3元(50円足らず!)。本当はこの時の私は「胃袋的には、これで十分!!」と感じたくらいである。でも熱いスープが飛び出すような、危険な小籠包ではなかった。味も落ち着いていて、白酒にやられた私の胃袋でも、十分食べることができましたな。23dun

 それとほぼ同時に出てきたのが、左写真奥の蒸餃である。これまたこれだけでたった3元。もうこれだけで「腹いっぱい胸おっぱい」という状態になってしまう。でもこれだけではすまないんですな、あちらの食事は。

 だいたい食事にかける時間が長い。日本のように早飯、早ぐ○、早△ン□は武士のたしなみなんてことは言わない。ゆっくりと食べて、ゆっくり呑んでという感じである。私などはこの、飯をゆっくりと食べることは健康のためには不可欠ではないかと思っているので、ぜひとも見習うべき風習だと思っている。

 手前にあるスープが実に良いお味を出していたんですな!! 名前は烏鶏炖湯という。これでも5元(約80円)。ウコッケイのスープでございます。ウコッケイと棗、生姜などを入れたスープで、とにかく時間をかけてじっくり煮込んだに違いないお出汁が出ておりましたなあ。これを呑んでいるうちに胃袋が元気になったのを覚えております。23_3

 そのうちMさんが、「これも食え」というので食べたのが、茶葉蛋。これが1.5元。作るのに茶葉は使わないけど、何故かしら茶葉蛋と言うんだそうな。作り方も聞いておいたので、ここで紹介しよう。

 まず水に鶏卵を入れ、普通に茹でます。次に八角、桂皮、ウイキョウ、塩、鶏精を準備し、これを水に入れて煮ます。そして茹でておいた鶏卵の殻に、ちょびっとだけひびを入れて、この煮汁の中で弱火で3時間ほど茹でて完成(お~やっぱり時間がかかる…)!23_4!

 この店のもう一つのポイントというと、キムチが出てきたことかな。 左はダイコンで、やや甘い目(もちろんキムチなので辛いに決まっているけど)だったと記録してある。右はインゲンで、これは塩味が強かったと記録してある(食べに行くのに、必ずメモ帳を持っていく。哀しい性である。でもこの方法で、自分に適した美味しい店を探し続けたのである)。

 最後に娘娘(ニャンニャンと発音します。別にネコではありません。とりあえず店では経営者に近い女性には、こういう言い方をします。もともとは皇后様とか妃とか女神様のことを指す言葉だったようですが、最近はかなり値下がりしているみたいです)23_5 23_6 にお願いして、小籠包を作るところを撮影してもいいか?と尋ねると、どこでどう間違ったか知らないが、快諾してくれて餃子の皮を作るところを見せてくれた。まあこれは言葉の問題もあるので、全然気にしていないけど。

 でも一番感じたのは、この人よく働くなあということだった。そしていつもにこにこ、感じがよかったよ。そういえば私がまだ小さな子供だった頃、日本にもこんな感じの女性が、けっこういたような記憶がある。特に教養が高いわけでもなく、特に何かができるというわけでもなく、とくに器量がいいというわけでもないのに、何かこちらを元気にしてくれるような感じのよさがあった。

 ま、よその国を見ても、いろいろと得るものはありまする。茶葉蛋の作り方を教えてくれているMさんの言葉を補足してくれたのも、彼女でした。

麺好き・5 ~やさしいうどん~

 なんだか知らないけど、世間ではシルバーウィークなどという名称が通用しているようである。ゴールデンウィークに対するシルバーウィークなのか、それとも敬老の日が含まれるからシルバーウィークなのか、そのあたりがよくわからないが、折角の休みだから、有意義に過ごさせていただきたく思う。

 ということで昨日は一年ぶりに大山祇神社に参ってまいりました。今回は男ばかり5人である。私は基本的に「橋」というやつが大嫌いだから、行きたい、怖いという複雑な気持ちに悩まされることが多く、誰かが「行こう!」と声をかけてくれるととても有難い。だいたいうどんは好きなのである。誰かが声をかけて「行こう」と誘ってくれなければ、好きなうどんも食べられない(我ながら情けない…)。

 ということで、早島から瀬戸自動車道に乗ったのであるが、なんとまあいきなりのろのろ運転。「おいおい、もうシルバーウィークの渋滞?」なんて、のっけから不安の塊になってしまう。あんまりとろとろしていたら昼飯時になって、うどんが食えないよ~っっ!! という心配が最初に頭を過ぎる。

 でも暫く行ってわかった。なんのことはない、向かいの路線(すなわち上り)で事故があっちゃったのだ。それを見物?するためにか、みんなのろのろ運転をしていたらしい。確かに連休でさっそうとお出かけした人には、「えっ? えっ? なにこれ?」というパターンであろう。瀬戸大橋を四国から岡山に渡れば、児島、水島ときて早島だから、早島の手前で事故られたら、何しに瀬戸大橋をわたったのかわからない?

 あまりの渋滞ぶりに、後ろに続いている車のドライバーさんたちも「何が起こっ920ているの?」と当惑顔である。中には自分の車を降りて、わざわざ見に来ている人もいる。その気持ち、わからないでもない。ついでに事故だとわかると、携帯を出してパシャっ!! うん、わからんでもない、その気持ち。だって私も運転しながら(あまりののろのろ運転に、あきあきしていたんだけど)撮影させていただきましたよ、罰当たりだとは思ったけど(左写真)。

 皆さん、まだシルバーウィークは終わっていないけど、高速道路での交通事故には気をつけましょう。撮影されてしまいます!! 今朝の新聞で確認したけど、怪我とかはどうだったのかなあ。けっこう酷い有様だったので、心配だ。一台目は前はなんともなく、追突されただけっぽかったけど、真ん中の車は挟まれていたので、かなりひどかったんじゃないかな。生命あってのシルバーウィークだから、運転には気をつけましょう。

 私は気をつけるもなにも、橋が苦手なので、もう最初から慎重だったからね。水島まで行ったら。もう水島で封鎖して、車を一般道に下ろしていたから、どうなったんだろう? やっぱ酷かったんじゃないかな。

 最初からこれだったので、瀬戸大橋は「このはし、わたるべからず」という一休さんの教えに従って、橋の真ん中に近い部分を極力安全運転で走り、坂出北で降りていつものO泉に。ところがどっこい、だいたいこの店には行列ができるからと、時間を読んで行っているのに、すでに店の入り口から面の駐車場を横切り、店の横から、裏の第二駐車場まで行列ができている模様。どう見たって百人やそこいらではきかない。

 これはたまらんとばかりに、次の店を目指した。だいたいこの香川県の境でから南西の方向のうどん屋さんでは、不味いうどんというのに出会ったことがない。とてもうどんのレベルが高い地域である。そこで我々はIさんが朝飯を食べていなかったこともあって、『むさし』という名前の店の前の駐車場が、ちょうど一台分だけ空いているのを見て、さっそくそこに入った。

 だいPhoto_3たいうどんやらラーメンやらを食べるのに、しゃれた店構えなんてのはどうでもいい。要素的には取るに足りない問題である。美味しければ、たとえ暖簾が破れていたとしても、必ず客はやってくる。味は絶対である。

 で我々もその店で、どうせどこで食べてもそこそこは美味しいんだろうからと、テーブルについた。初めての店は「どうせ美味しいんだろうけど、どんな美味しさなのだろうか」という点に興味がある。讃岐はうどん天国だけど、それぞれの店の美味しさの違いを味わうのも、またいい。

 私は「ぶPhotoっかけ」にしようかPhoto_2「湯だめ」にしようかと迷った結果、結局「キツネ」にした。食べてみるとコシの強さで勝負するうどんではない。喉越しがとても滑らかで、どっちかというと「優しいうどん」である。こういううどんも、もちろんあっていい。美味しいといえば一言だけど、いろんな美味しさがあるから面白いんだよね。 ちなみに隣で食べていたIさんの天婦羅うどんはこんな具合。 実にシンプルである。だがシンプルであればあるほど、本質的なところを問われる。

 家でも楽しもうと、結局私は5袋も買ってしまった(本当は4袋の予定だったが、Iさんが4袋買ったので、1袋だけ残った。1袋だけ仲間はずれにするのは可哀そうだったので、最後のも私が買ったのである)。

 それからPhoto_4善通寺へ。ここから高速へ乗って、一路大三島へ行くのである。途中、石鎚でトイレ休憩。ところが私はここでも一つ目的があった。実は私は『母恵夢』というお菓子が、子供の頃から大好きなのである(本当に辛党か? 自分で心配になるよ)。ところが最近岡山ではこのお菓子が手に入りにくい。以前あった店(仕事場から程遠くなかった)などなくなってしまっている。

 そこでこの際、本場に近いところで買って帰ってやろうと思っていたのである(ちなみにあれは愛媛松山で作られているらしい)。 そうこうしてうろうろしているうちに、商売上手のおばさんに蒲鉾を売りつけられたり(けっこう美味しかった!)、伯方の塩羊羹(母が好きなPhoto_5もんで…)を買ったりして、遊んでしまった。

 そこから今度はしまなみ街道を大三島へ。それにしても、とろとろとろとろ走る車がかならずいる。飛ばし過ぎるもの危険だけど、遅すぎるんだって危険なんだからねっ!! それで何度目かの大山祇神社でおまいりして、宝物倉に行って、大好きな斬馬刀を見て、とっとと帰ってきた。すみません、またしても撮影禁止を破ってしまいましたが、今回は自主規制して掲載いPhoto_6たしません。

 宝物倉から海事博物館に向かう途中、もみじに種子ができていて、くるくると飛ぶかなあと試してみたら、まだ若いらしく、すとんと落ちてつまらなかった。 海事博物館は次第に内容が充実しているみたいに感じた。

 帰りに日曜だったので、例によってアトミックで軽食をとって帰った。帰ったら結構疲れていて、爆睡しちゃったなあ。やっぱりまだ疲労が抜けていないんだ。

2009年9月19日 (土)

本能で生きる…

 生きていく上で、最も欠くべからざるものは何か? きっとそれは食べ物(水を含む)であろう。食べるものがなければ、飢え死にしてしまう。その次は、体温が下がってしまうと、我々は案外簡単に凍死してしまうものらしい。別に気温が氷点下まで下がらなくても、体温が身体の様々な器官が機能しなくなるところまで下がれば、凍死ということは起こるらしいから、体温を維持することであろう。すると衣服かな。

 その次に大切なものは何だろうか、と考えればやはり住居ではないだろうか。住居の役割にはいくつかあるけど、特に大きいのは、睡眠中の安全を保証してくれる施設である。睡眠中の我々は極めて防衛機能が発揮されにくい状態になっているからだ。だから定住する必要は必ずしもない。現実に移動生活をしている民族なんて、世界中にいくらでもいる。

 俗に「衣食住」と言うけれど、重要さの順番に挙げれば、「食衣住」だと言われる所以だ。さてさて『管子』には有名な「倉lin(まだれに稟)実則知礼節、衣食足則知栄辱(倉りん実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る…倉りん実つればと読むこともあるが、これは後ろについている、上度服則六親固、四維張規則君令行というのと対にした時の方が、座りがいいので、ここでは倉りん実ちてにしておきます)」という一説があるが、裏を返せば、倉りん実たざれば礼節を知らず、衣食足らざれば栄辱を知らず、ということでもある。

 要するに暮らし向きに余裕がなければ、礼節だとか、栄辱だとかを気にしている間はないんだよということだ。礼節だとか栄辱だとかを気にして、「おれはあいつは赦せん!!」などと言っているのは、とりあえず今晩の晩御飯の心配をしていない証だ。勿論、食事の内容(メニュー)ではなくて、食べれるか食べれないかという次元の話だよ。

 食べれるか、食べれないかという次元だったら、とりあえず生きていくために、食用可能なものなら、何でも食べなければならない。この次元では「味」は問題にならない。とにかく食えるかどうかが問題となるわけで、生存本能に直結した話になってしまう。だから極限まで空腹になった人は、少々腐ったものでも下痢しないなんていう話を聞くことがあるよね。

 腐ったものでなくても、我々が食べるとソッコウでトイレに行かなければならないものを、毎日食べても平気な人もいるし(でもやっぱり下痢することはなくはないらしい。回数が少ないだけで)、それを当たり前のように食べている人もいる。

 毎日そんなに心配しなくても飯が食えるようになると、今度は「味」についてあれこれ注文が出始める。さらには食材についても「好き嫌い」が出てくる。こんなことを言っているのは、毎回食べれるという安定した食生活が送れている証拠である。もちろん私もその中の端っこの方にいさせてもらっている。

 衣服にしてもそうだよね。まずは生命を維持するのが最優先である。それから機能重視になってくるよね。機能を重視するのは、身体を動かす人間かな? 機能なんかよりファッション性の方に重点をおくのであれば、その人はあまり動かなくても生きていける人だ。ちなみに私は、自分の服装についてはファッション性などはほとんど要求していない。機能一点張りである。でも相手が女性だったら、ファッション性を大切にしている人も好ましく見える。私はとっても勝手な存在なのかも…

 衣服というやつは用途によっていろんなものがあるよね。式服なんてのは、「式」なるものがあるから存在を許されているわけで、「式」がなければ、式服なんて最初からなくていい。私も「式」というものをやりたがる人の気持ちがわからないわけではないので、「式」に敬意を表して、「式服」を着ることはある。だいたいにおいて、「式」が終了するや否や、ソッコウで脱ぎ捨てることになっているが。式服は「式」にはいいかも知れないが、健康にはいいとは思わない。

 寒いときには保温性の高いものを、暑いときには涼しいものを着用するのは、衣服の大切な機能を重視している結果だと思う。寒いときに寒いままでいたら、風邪をひいたり、死んだりすることがあるからだ。暑いときに涼しいかっこうをするのも、熱中症なんかにかかって死ぬことがあるからだ。(私は運動するときは四季に関係なく、暖かい格好をするけどね。時々真夏なんかは軽い熱中症になることもあるけど、それを楽しむくらい自分の身体を知り尽くしていないと危険。良い子の皆さんにはおススメできない)

 これがファッション性重視になると、途方もなくお金をかけて、そうたびたび着ることができない衣服を作ったりするよね。これもやっぱり生きるための服であること以上に、何か他の価値観が入ってきている証拠ではないだろうか。かつて紅白歌合戦で、「はたしてこれを衣服と呼んでいいんだろうか?」と思う衣装で歌っていた歌手がいたけど、あれは明らかに自己の存在のアピールが目的であって、それなりの意味があったと思っている。でも最低限度生き延びなければならないという目的からは、ちょっと離れているような気がするけど。

 家もそうだよね。まず一般的ないい方をすれば、雨風を凌げること。そこから次第にいろんな要求が入っていく。狭いとか広いとか、形がいいとか悪いとか、色がいい悪い、立っている場所が気にいるとか気に食わないとか… 生きていられりゃ、それでいいってのが最初の段階だったのにね。だって古代の人たちは、洞穴に住んでいたんだよ(きっと)。

 生存する、生存したいって本能だけを満足させるんだったら、人間もあんまり大変なことではないかも知れない。でも一つのことが保証されたら、少しずつ欲が出てくるもの、人間の本質だから… でなかったら人間の世の中は、ここまでは発展しなかっただろうし。

 にしても最低限度の本能から、いろんな欲が出てくるもんだよね。これは人間だけに限ったことではないので(我が家で飼われているペットを見ても同じである。毎食確実に満腹するまで食べられるのがわかると、次は味についての要求が出てくるから)仕方がないことなんだろうけどね。

 今朝の朝日新聞を読んでて驚いたことが一つ。8月30日に総選挙があったよね。それで当選した議員さん、8月は2日間しか議員でなかったはずなのに、まるまる1ヶ月分の手当て(ナンと、230万円!!!)がもらえるんだって!!!!! おかしいよ。おかしいよ。おかしいよ。こんなのヘンに決まっている。

 でも今回政権政党になったのは民主党だ。彼らは「無駄をなくする」と大きな声で言っていたよね。この230万円が無駄なことは、誰だってわかることだよ。ということは、当然返却することにならなければおかしいよね。さあ、返して! 返却して!! 返還しちゃってよっ!!!!!

 私は譬え議員さんでも、議員さんとして活動し始めてからが本物の議員さんだと思っているから、活動を始めるまで(最初の国会といいたいけど、そうもいかないから、せめて翌月からくらいにしてくだされよ)、ヘンなお金を支給するのは止めておいてもらいたいね。230万円ってのは、庶民から見ると、大変な金額なんだよ。

 本来政治家を志す人ってのは、世のため、人のためを考えている人たちでしょ? もしも「世のため、人のため」という本能があるのなら、こういった無駄なお金は返却して、本能に忠実に生きてもらいたいよね。本能以外の部分は封印してさ。

 議員さんだから、人前でひどい格好はできないだろう。それは他人に悪印象を与えない格好をしなければならないとは思うけど、別に態度を大きくしなくても、「世のため、人のため」の活動はできるし、特別にいい車に乗らなくても、活動はできる。まして高級料亭にいく必要だってないし(タイゾー君は、高級料亭に行ったのだろうか? 高級車を乗り回したのだろうか? もう忘れ去られようとしていますが。目立ちたいという本能があるのなら、そろそろ何か活動するんじゃないですかね?)…

 自分の欲求を最低限度に控えておいて、世のため、人のために頑張ってくださいね。それが政治家としての「本能」でなければ、我々は困りますから… でも、もしもこの230万円の話がいい加減になるようだったら、私は「無駄をなくします」という言葉からして信用しないからねっ!! するとばら撒き放題だったマニュフェストやらも、かなり怪しくなってくるんだけど…

 いいことも言っているんだから、しっかりしてもらわないといけませんね!!

2009年9月18日 (金)

あぶねえなあ…

 昨夜、練習の帰りであった。制限時速50㎞のところを、なぜだか40㎞くらいでのろのろしている車が、私の目の前を通っている。午後10時過ぎだが、その後にも小さな約束があった私は、えい面倒とばかりに追い抜いた。

 追い抜きざま、どんな御仁がそんなにゆったりとした運転をしているのかと見て驚いた。一所懸命携帯電話でメールを打っていたのである。え~加減にせえよ(怒っっ!!) それが昨夜のことであった。ところが今度は今さっきである。

 急いで仕事場に帰ってこようとしていた私の前を、またものろのろと行く車。これも追い抜きざま見ると、またもメール女である(昨夜のも女性であった)。あのなあ… メールってのは電話じゃないんだから、後からやれっ!!

 こんな奴にぶつけられでもしたら、泣くに泣けないよ。昨年11月20日に私は車をぶっつけられたが(保険屋のろくでもない交渉のお陰で、大した保証も得られなかった。こんな自分らの金さえあれば、加入した人間がどうなろうと構わないような保険会社は潰れればよいのだが。一つ間違ったらきっと私は戸籍があちら側に移っていたんだぞっ!)、あれも運転から見て、メールか何かをやっていたに違いないと睨んでいる。一端停止も無視の上に、明らかに前さえ向いていれば、避けられる事故だったからである。

 交差点に入る時に前を見ていないということは、他のどこかを見ていたに違いない。あの場合には片方が家並みで壁が連なっていたし、もう一方はコンクリで蓋をした川だったから、どうしても外の風景を見ていたとは思いがたい。ということは携帯に決まっている。違ったとしてもせいぜい車のオーディオをいじくっていた程度であろう。

 私だって車の中の携帯電話を使うことが全面的に悪だとは思っていない。法律で禁止されていたとしても、緊急の電話なんかだったら仕方がない場合もあると思う。本来、緊急のときの為には、携帯電話は便利な道具だからだ。そのために発達した道具ではないかと思うくらいである(カー電話から話は始まったのであれば、携帯は車の中でこそ存在価値を主張しそうなものではないか)。

 でもそれはあくまで電話のみに限るんじゃないか。聞きながら、話しながらでも運転はできるからね。ところがメールとなったら、目を奪われてしまうんだよ。誰かが道の横合いから飛び出してこないと、誰が保証できるんだ? あんたが乗っている車は、あんたが思っている以上に強力な凶器なんだけどな…

 何でもかんでも「いかん、いかん」と禁止してしまうのはどんなものかとは思うけど、禁止しなければ、危険なことにも気がつかないようなトーヘンボクが増えているのかな。そういえばよく見かけるよ。自転車に乗って帰っている女子高生、ずいぶんとメールしているよね。あれから禁止しなければ、車の運転をしながらでもメールする習慣が抜けないよね。

 メールってのは後で見ることもできるから、メールなんだ。車の運転を止めてからメールを打つなんて気持ちにはならないもんかね。車の運転しながらでも相手に連絡しなければならないくらい急いでいるんだったら、電話にすればいいじゃん! そのための携帯じゃないかと思うもん。

 自転車の頃ならば、何かとぶつかっても、大したことがないのがほとんどなんだろうけど(自転車でぶつかった相手が死んだ事故もあるので、自転車だから凶器にはならないという保証はないけど)、車に乗ったら、そういうわけにはいかないんだけどね。

 自分だけが死ぬんなら、仕方がないでもすまされるかも知れないけど(肉親の立場になったら、すまないとは思うけど)、罪もない人を巻き込んだら、すみませんじゃすみませんぞっ!

 昨夜はもう一つ、目の前で反対車線からいきなり急な方向転換をした、オートバイの、いかにも真面目そうな顔をしたサラリーマン風の男もいたし(薄暮だったので、本当に危ないと思った)、真面目そうな顔をして、大胆に危険なことをしないでくれる? 自転車とタクシー(圧倒的にタクシーの運転が荒い。自家用車に乗っている人は、中国でも安全運転をする人が多い)がチキンレースを毎日繰り広げている中国じゃないんだからね。それなら、そのつもりにこちらもなれるけど。

 でも運転していながら平気でメールを打てるような危険感知能力の低さだったら、あちらへ行けばあっという間に事故っておしまいなんだろうけどね。きっと危険を感じる能力が低すぎるから、あんな危ないことができるんだよ。

 危ないことをするのが危ないのは当たり前だけど、一番怖いのは、危ないことをしていて、それが危ないって感じる力がないことだ。危険を承知でやっている人たちは、守らなければならない人や物があるときは、もの凄く慎重に行動することがあるけれど、危ないことが感じられなければ、どんな対策も立てられないし。

 まあ、こういう手合いが多いので、せいぜい気をつけて運転したり、歩いたり、走ったりしなければならないよ。

2009年9月17日 (木)

夏の反省

 夏の反省をしておきたい。もちろん反省といっても、悪いことばかりを思い返すのが反省ではないから、いいことを思い出して記録しておく。悪いことは繰り返さないために反省する。いいことは繰り返すために反省するのである。

 今日はいいことを書くので、「この野郎、反省の色が見えねえな」などと怒らないでいただきたい。「反」って振り向くことでしょ? 「省」はかえりみることだよね。要するに過去を振り返ればいいわけだ。

 スーパー大辞林には例文として、「自らを省みて恥じるところがない」「日に三度わが身を省みる」なんてのが載っている。ようするに振り返ってみればいいわけで、悪いことがあったから、過去の失敗を穿り返して自分を罰しよう、などという意味に限ることはないのである。

 だいたい私の知り合いのK氏なんか「我、日に三度省みる。朝は喰うたか? 昼は喰うかた? 晩は喰うたか?」 なんておちょくっていたからね。これがもしも朝飯を食ったばかりで、「私ゃ、まだ朝飯を食べてない?」なんて言い出したら、危ないことになっている?

 何が良かったかと言われると、やっぱり夏ばてがなかった点だろうね。その分動きすぎて秋口にへたばったけど。まあだいたい二人分くらいは動いているから、これは仕方がないことかも知れない(昔は三人分は動いていた。しかも仕事だけでである。給料3人分欲しいと言っていたのはその頃のことだ。今は何人分も動いても一人分しか給料が出ないのを悟ったので、別のことを考えているけど)。

 夏ばてしなかった最大の理由は、例年のようにトレーニングを欠かさなかったこと。しかも年齢を考えて、負荷をちょっと小さくしたことかな。おかげで昨年よりも今年の方が、激しい練習に耐えれるようになった。不思議なことだけど。

 急激に負荷を上げると、それで身体に無理がかかってしまうんだよね。それが大きな故障になったり、自分ではあまり気がつかないくらいの小さな故障になって、最終的にトレーニングが質量ともに上がりにくくなるんだよ、きっと。

 今年は春から、花粉症が例年になく厳しかったので、なかなかトレーニングに踏み切れなかった(はっきりしているのは、今年はこの日本の空気が汚くなっているということである。ジェット気流を考えれば、どうも西方にある国の大気がこちらに移動してきているとしか考えられない。これは今年の鼻毛の伸びにも現れている。なんとなく大気の匂いもあちらに近づいているような気が… これは気のせいかも知れない)。お陰でやっとトレーニングを本格的に再開したのは、もうそろそろ梅雨?という時期だった。

 それでご存知のように今年はやたらと梅雨が長くて(岡山県なんて梅雨明け宣言を出して…8月4日だったかな…、後から取り消したもの。今年はいつの間にか梅雨でなくなってたと気象台が認めたんだね。私の中では、最初のセミの声を聞いた瞬間に梅雨はあけたけど)、その割には岡山の私が生息している地方では比較的雨が少なかった?ので、まあまあ練習できたんだよね。例年にくらべてだいたい1ヶ月くらい遅れているような感じだったけど。

 私は大変まじめな人なので(誰も言ってくれないから、自分で言っとく)、美味しいビールが呑みたければ、汗をたくさん流していなければならない。ちょうどスポンジのような人間である。カラカラに乾いてしまえば水はたっぷり含めるからだと、勝手に私は解釈している。そしてどっぷり汗をかいたら、その分をビールと冷酒(旨いんだよ、これが!)で補給する。なんとなく毎晩美味しいお酒を飲むために練習しているのでは?と思うくらいだ。

 ここからが昨年までと違った。つまり食事である。お粥は良かったよ、健康に。滅茶苦茶よかった。昨夜も久しぶりに黒米のお粥を作って食べたけど(すげー色になります。きっと白い服についたら取れないんじゃないでしょうか)、毎晩あれこれと品を変えて作っているので(しかも栄養バランスを考えて。もともと大学で食品原料学を専攻したし、後にはスポーツ栄養学も勉強したので、こういうのは結構得意だったりする)、いいんだよねこれが。

 中でも一番良かったのは、お粥が暖かいこと。漢方では内臓は冷やすなという鉄則があるみたいだけど(知った人の中でも、絶対につめたいものを口にしない人がいる。こういった人は、熱い日に喉をからからにして、グっと一息に飲る、キンキンに冷えたビールの旨さを、一生知らずに過ごすんだろうなあ。可哀そうに…)、私の場合はトレーニングで全身が熱を持ってしまう日が必ず何回かあるから、そういった時はまさにビールの鯨飲を行う(グラスに注いだ瞬間、凍ってしまうくらいの冷たいのだよ)。

 でも最後はいつも、暖かいお粥だったんだね。今年の3月から毎晩、ずうっとこれを続けているけど、なんか消化器系統にはとてもいいみたい。お腹も少しは引っ込んできたしね。体重も少しは落ちたよ。

 今の私は、もしかしたらお粥って完全食品になるんじゃない?なんて、いろんなヴァリエーションを考えているよ。カレー粥も絶品だったしね(そのうち紹介するかも)。あ、そうそう、先日作ったよ。中華粥の日本風っての。なんじゃらほい?と思うかもしれないけど、私は父の血を引いているからね。

 親父があるとき言ったんだ。「お~い、乾いた濡れ雑巾、持って来い」って。そんなのねえよ。濡れ雑巾は塗れてるの! その時は早速私が突っ込みを入れて大爆笑して終わったけどね。でも中華粥の日本風は、まずまず美味しかったよ。なんで日本風なら単純にお粥って言わないのか不思議だけど、どう見ても中華粥だったからね、外見は。

 内臓を冷やさないのは本当に健康にいい、ということを痛感した半年だった。そしてそれさえ知っていれば、少々ビールを飲みすぎて胃を冷やしても、なんとかなるということも知った。けっこう収穫があったよね。これってとってもいい反省!!

2009年9月16日 (水)

野分

 二百十日とか二百二十日には少しだけ遅れた感じがするが、野分(のわき)の季節である。昨夜は走っていてとても気持ちがよかった。台風の進路によっては、野分は気持ちよくもなるし、悪くもなる。

 もちろん稲作的に見れば、野分は歓迎できるものではない?かも知れないが、台風が岡山から東(だいたいでいい)数百キロのところ(これも暴風域の大きさ次第)を通過すると、私の好きな野分が吹く。

 野分という言葉を教わったのは、はるかな昔であった。小学校に上がったか上がらなかった頃ではないかと思う。父が秋の草原に連れ出してくれて、「この時機に吹く、こんな風を『野分』という」と教えてくれた。はるかな過去の思い出である。

 最近になって必死で勉強して憶えたことはすぐ忘れるけど、こんな小さな頃になんとなく教えてもらったことは、不思議と忘れない。しかも父は二百十日から二百二十日にかけて吹く、台風に伴った風なんて難しいことは教えてくれなかった。

 受け取った私も、極めて感覚的に野分を捉えた。だからこの時期になんとなくこんな風が吹いたら、すべて野分だと子供の頃は思っていた。だから晩秋になっても、私の感覚の中での野分は吹いた。父と歩いた、幼い日の野分の、拡大解釈である。

 だからススキ(岡山の私が住んでいるところ付近では)はやっと花が咲き始めたばかりなのに、私の中では季語が野分とススキがイコールで結ばれたいたような気がする。まあそんなにずれているわけではないけれど。

 でもきっとこうやって伝統や感覚は伝えられていたのではないだろうか。父から子へ、子から孫へ、孫から曾孫へと。その中では微妙な解釈が変わっていったものもあるだろう。でもそれを「間違っている!」としてすべて否定してしまうと、祖先から子孫への「感覚の流れ」や「つながり」まで否定されたような気がして寂しい。

 もちろん科学技術なんかに関係したことは、きちんと正確に受け継がれなければならないんだけどね。感覚や言葉なんて、人から人への伝言ゲームのような気がする。だいたいの意味が伝わっていれば、後で勉強して本当の意味を知ることもあるから、それもあるじゃないかと思っている。

 でも風が欲しくない日の野分は、ちょっと願い下げだよ。ちょうど今日がそうなんだけどさ。他の日なら、台風が東を通って、大陸の涼しい風を吹かせてくれるのは大好きなんだけど(この時期は。冬はダメ)、今日はちょっと止んでくれないかな。

2009年9月15日 (火)

星いくつ?

練習時間を2割増やして、練習量を2割増やしたら、どうも血中糖分濃度が下がってしまったらしい。書こうと思っても何も出てこなくなってしまった。仕方がないからアイスクリームを2本食べて糖分を補給し、後は蓋碗で鉄観音をぐびぐび呑んでいる。

 まだやらなければならないことは山盛りあるのだが、どうにもこうにも頭が動かないことには話にならない。こういうときにテレビを見ていると、ぼーっとしていつまででも見てしまう。ますます仕事にならない。

 そろそろ食欲の秋っぽくなってまいりました。もう美味しくて美味しくて… 美味しいときに食べたいだけ食べていれば、熊みたいに冬眠しなきゃならなくなる。冬眠すればついた脂肪も消費されるんだろうけど、冬は冬でまた鍋物が美味しいので食べてしまう。

 いろいろと悩みを抱えたまま(これが悩みといえるのなら、結構なことであるが)、人間は生きていかねばならないものらしい。

 さて何も頭に浮かばないままテレビをつけていたら、内閣の人事が決まっているようである。それは結構なことだ。でもこの前私が手に入れた本に、『秦漢帝王文治武功全記録』という中国の本がある。大昔の記録だけど、こういった本はいいねえ。記録が残るってのはいいことだよ。

 俗に「豹死留皮、人死留名(豹は死して皮を留め、人は死して名を留める)」と言う。これは唐代の武官、王彦章が奸臣の讒言で、暗愚な皇帝朱友貞の前に引っ立ててこられた時に叫んだ言葉だと伝えられているが、文治・武功全記録なんてのはいいよね。いいことも悪いことも全部記録して、ついでに公表しちゃえばいいんだ。

 ここのところ、どう考えても庶民の生活なんかわかろうともしていなかったわが国のトップの方々も、一応日本は武功は不要かもしれないので、そちらはいいとして(良くないと仰る人がいるかも…)、やった政策、あるいは掲げたマニフェスト、公約などを記録しておいて、本当にそれをやったかどうか。その結果、世の中がどのように変わっていったかを、きちんと記録しておくべきだと思うよ。

 それが我々一般市民から出された要望でもいい。その要望に応えてくれた結果、世の中はこう変わったというのがわかれば、次第に市民も政治的・社会的に賢くなっていくことができる。だから誰がなにをやって、誰が反対したり妨害したりして、その結果こうなったって記録を出してほしいよね。

 世の中、情報公開の時代なんだから。情報公開ってのは誰かの落ち度についてやるだけではなくて、こういった世の中の営みについてもやっていただきたいものだ。それを世の中に公表することは、絶対に社会をいい方向に引っ張ると思うよ。それで迷惑するのは、仕事をしていなかったり、陰で利権に群がろうとする連中だけだろう。こういった連中も一掃できるってのは、一挙両得なんてもんじゃないよ。一挙十得くらいはいくんじゃないだろうか。

 そしてこういうものは毎年出していただきたいね。そんなに短い期間ではわからないってものだったら、これは評定するには時期尚早と思われるなんて言えばいいんだからさ。でもそういう情報を貰ったら、我々一般市民は随分助かるような気がするんだけど。

 学生だったらやった勉強はテストで評価される。スポーツ選手だったら、やった練習は試合で評価される。仕事をしている社会人もそれぞれの方法で評価される(はずだ)。では政治をした人たちは、選挙で正しく評価されてるかな? 何かの勢いで、実績にあまり関係ない評価がされているかも知れないよね。

 だからやろうよ。料理屋だって、ミシュランみたいなのがあるんでしょ。私はまったくミシュランなるものを評価していないけどね。私が食べて、くつろげて美味しければ、それで私にとっては百でも☆をつけるからね。逆にミシュランガイドで三つ☆であっても、なんとなく気分悪いなとか、なんとなくくつろげないし、味も自分に合わないなと思えば、評価は低くするからね。

 新しく内閣ができるということで、なんとなくそんなことを思った。記録しておかないと、反省が十分できないよ。過ぎたことで全部すませていたら、いい加減なことばかりやる奴しか生まれないんだから。

2009年9月14日 (月)

さすが…!

 さすがである。時間の問題だろうなとは思っていたが、一瞬先がまったく読めないのが勝負の世界だ。イチロー選手の記録は偉大である。200本目がショートへの内野安打というのも、イチロー選手らしくてとてもよい。

 内野安打でも、ヒットはヒットだからというのではない。外野まで運んでも、とろとろ走っていたらライトゴロなんて笑えないことも起こる。ヒットというのは打球と、打った瞬間からランナーに代わるバッターとの関係で生まれるものである(ホームランは違うけどね、ちょっと)。

 それに長打だってけっこう多いよ。足が速いということは、鈍足のバッターならシングルヒットで終わるとことでも、ツーベースに変えてしまうもんね。だから内野安打が多いということは、素晴らしいことだと私は思う。相手に「内野のボテボテに打ち取ったぞ」と安心させないだけでも凄いことだ。ボテボテだったら、「あ~っ、やっちまった!」と思わせたら、すでに存在自体が相手のプレッシャーになるもん。

 それにしても、練習していて「集中しないで、散らしていく」というのは、私には物凄くわかりやすい言葉だったよ。集中させるって、どこか特定の場所ばかりを使っていることがあるもんね。整体動作はそうじゃないから(整体ってのは、全身という意味でもあるから)、似た感じがあるんだよね。

 それに例えば腕を動かすのに、私は腕ばかりに意識を持っていったりしないからね。腕を動かすのに、脚を意識したり腰を意識したり、ひどいときには足指を意識したりすることだってあるからね。どんなところでも、他の様々なところの動きに密接に関係がある。それに気がつかなかったらわからないことだけど。

 もちろん動きの中でどことどこがどのように関係しているというのは、その人の身体のつながり方次第で異なることがある。例えばアフリカの多くの長距離ランナーの身体の動きの関連と、どっしりと構える武術家の身体では、あきらかにつながり方が異なることもある。ということは整体運動的に見ても、ある部分の動きが他のある部分に、いつでも、誰でも同じようにつながっているとは限らない。

 でもうまPhotoく身体を使えば、全身はつながっているとわかるよ。練習していても、整体動作の観点から、私は意識を置く場所をつねに変えてチェックしていたりするから(特別動きにくいところは、意識的にそこだけ練習することはあるけど)、「散らす」って表現もとてもよくわかったよ。むしろ「やっぱり!!」と思ったくらいだ。(『あなたにもできる!超人の動き』にもちゃんと述べていますよ!!)

←http://www.skijournal.co.jp/search/detail.php?ID=1614&PAGE=1

 それにしても9年連続か、凄いね、本当に。指導者として選手を育てるときにも同じような考え方が必要なんだよね。いい選手とまぐれで出あって、まぐれで勝つ、運のいい指導者もいる。でも指導者に本当の力があれば、毎年それなりに選手を作って活躍させることができるはずなんだよね。だからどんなに凄い選手を作っても、1年だけだったら、まぐれで指導者の実力ではないということになる。

 毎年200本打てるってことは(大リーグでも5~6人しかいないんだそうだけど。すると正真正銘トップの一握りだよね。それを9年連続で続けられるってことは)、間違いなくそれが実力だと証明しているわけだ。しかも前人未到でしょ。ってことは今までの誰もができないところまで到達しているということだよ。

 凄いよねえ。でもきっと次の試合には、また打つよ。通過点、通過点って人が言っているけど、たぶん最高の自分を表現しようとしている人だったら、おそらくいつも次の試合が最高の試合なんだよね。企業戦士YAMAZAKIも言っているように。いつだって次の作品こそが最高傑作なんだよ。

 その繰り返しが、延々と人にものを続けさせてくれるし、人を伸ばし続けてくれるんだよね。きっと過去は見ても、あまり気にしていないと思うよ。過去を見てあれこれ言っているのは、番組を作らなければならないマスコミ関係者だけじゃないかな。伸びている人は、いつだって次を見ているもん。

2009年9月13日 (日)

飽きっぽい?

なんとこの『言いたい放題』も今日で1111回目である。飽きっぽい(?)私としては、まあよく頑張って続けているなと思う。小学生の頃だったか、「飽きっぽいところがある」と誰かに言われた。別に私は自分が飽きっぽいなどと感じたことはないが、周囲の大人たちの目にはそう見えることもあったのだろう。

 でも自分が進歩すると、同じことを続けているのが面白くなくて、次のことに進んでいく。私の意識の中ではそうでしかなかった。同じことをしていたのでは、次に進めないし、この先には何かあるぞと思うと、ついその場で誰かを待っているようなマネはできない性分だったのである。

 その代わり一度「面白い」と感じると、かなり徹底してそれに取り組む。それは子供の頃から、私的には変わっていないことではないかと感じている。今取り組んでいることでも、どれも結構長期にわたってやっていることばかりである。子供の頃私のことを「飽きっぽい」と言った大人たちのある者は、すでにこの世にいない。私の今の姿を見ることなく、さっさと戸籍をあちらの世界に移してしまい、ここに来るまでの私の過程の一瞬だけを見て、「お前は飽きっぽい」なんて、さもわかった風なことを言っていたのである。

 でも私は自分が本当に飽きっぽいのではないかと、随分悩み続けたよ。子供の頃、周囲から何気なく言われた一言は、人の人生を変えることだってある。物知り顔をした大人たちが、無限の可能性を秘めているかも知れない子供達の将来をゆがめているおそれは、多分にある。

 自分が決して飽きっぽくないという自信を持ったのは、つい最近のことだ。自分の目的のためにはかなり執念深い。粘り強いなんて生易しい言葉では表現しきれない。我ながら執念を感じることがある。どうしてだかわからない。きっと他の人より器用に生きていけないからだろうと想像はしているが。

「飽きっぽい」と言われた子供の頃の思い出だが、夢中になっていた何かから急激に興味と関心が薄れていくことがあった。そしてたいてい次のことに興味が湧いている。こういう時は単純に「飽きっぽい」とは考えないほうがいい。今ではそう考えている。

「飽きる」ことからは、その時に必要だと感じているものを受け取ってしまったのである。それは大人たちから見れば「まだまだ不十分」と思うレベルかも知れない。けれどもその時の本人には、「(今は)これで十分」と感じられており、他の要素で必要なものに気がついたから、他のものに目を奪われているのである。

 再び過去やっていたことに戻ることもあるが、そういう時は同じことをやっているように見えても、得ているものは明らかに変わってきている。だからその時その時に必要だと感じることをやっていればいいのではないかと思っている。

 だいたい親でも師でもない人間が、あかの他人に向かって「お前は飽きっぽい」などと言うのは、大きなお世話である。ちなみにここで「師」と言っているのは、学校の先生は含まないよ。学校の先生は別に学ぶほうから選んだわけではない。私は「師」は、学ぶ側で選ぶべきだと思っている。だから「師」と呼ぶに足りる学校の先生もいるだろうし、そうでない先生だって山ほどいると考えている。

「師」は弟子によって選ばれるべきである、というのは、私の根本的な姿勢である。誰かが「あの人は凄い」と言っても、私自身何かを感じなければ、「師」と呼ぶには足りないと考えている。たとえその人から何がしかのものを学んだとしてもね。もともと人は、自分以外のものからも多くのことを学んで成長していくものだ。自分が何かを学んだ人(やもの)をすべて「師」と呼んでいたら、吉川英二大先生の『宮本武蔵』の「我以外皆師なり」になってしまう。残念なことに、私はまだそこまでは到達していない。

「飽きる」という精神状態は、ほかにやるべきものが出来たということになるかも知れない。ほかにやるべきことができなかったら、私はなんだか不思議な人で、それまでやっていたことを習慣的に続ける。習慣的に続けることが良くないことのように言う人もいるが、そんな人は朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、飯食って… なんてことにも疑問を感じたほうがいい。私は顔を洗ったり、歯を磨いたりは不定期的だ。1日に何回しているのかわからないことがある。逆にやっとこさ1回ということもある。このほうがはるかに習慣というものに、疑問を持っていると考えて差し支えないんじゃないだろうか。

 自分が習慣を守っているくせに、他人の習慣をつべこべ言う人の言葉は、私は聞く値打ちがないと考えている。他人はよく見えるものだ。だから他人の意見を参考にすることはあるが、こちらを貶めるためにあれこれ言う人間の言葉に耳を傾けている暇はない。かつて私に「お前は飽きっぽい」と評価してくれた大人と同じだからである。「お前に何がわかる?実際にやってから言ってよね」とこちらが切り替えしたら、それでお終いだ。

 食べ物でも考えてみると同じようなことがいえるだろう。あるとき私はバナナにハマってしまった。毎日、毎日、バナナを食べ続けた。ところがある日を境に、ぱったりと食べなくなってしまった。もちろんバナナはそれなりに美味しいし、今でも時には食べることがある。きっと私の身体の中に、バナナの何かを求める欲求があって、それが満足したからこだわらなくなったんだろね。

 一時的に何かに嵌ることって、誰にでもけっこうあるもんだよね。それから得られるものが無くなったり、それよりももっと欲しいものが現れたり、自分に何かが決定的に不足しているのに気がついたら、人はまたそちらに向けて走り出すもんなんだよ。

 そうしていろんな要素を身につけて、やっと見えてくるのがライフワークというものかも知れない。みんな人生の早い時期に自分のやるべきことを決めてしまうことが良いことのように思う傾向があるけれど、私の場合には随分と時間がかかった。最近はかなり「見えて」きたので、あまり迷いがないんだけれどね(時間がなくて困っているけど)。

 人生の進路をさっさと決めて、さっさと誰かが外側からみて、「あいつはこんな奴」って評価しやすい人間になるのは、自分自身にとってあまり都合がいいことではないよ。それは他人にとって都合がいいだけで。人は人を一言で評価したいものなんだ。私が子供の頃だったら、「お前は飽きっぽい」なんて具合にね。でもそれが当人の本質かというと、まったく違う場合が多い。

 私が子供の頃「飽きっぽく」見えたのは、今の自分のいろんな要素を身につけるためだった。あの頃周りの大人たちが言うように、何か一つのことに、粘り強く取り組んでいたら、絶対に今の私はいなかった。もっともっと発想の幅の狭い、下らない人間になっていたと思う。子供の頃の私が「飽きっぽい」と言われるくらい、次々にいろんなことに夢中になったことは、私にとって物凄く大切なことだった。それを無責任に人を評価する大人たちにあれこれ言われ、その言葉を気にしていた何十年かが気の毒(いや、結構好きに生きたんだけどね)なだけだ。やっぱり「俺って飽きっぽいのかなあ?」なんて悩みがあったからね。

 子供が一見「落ち着きがない」ように見えるのは、大人に比べて、行動力と行動への欲求が強いからである。反対に大人が落ち着いて見えるのは、残念なことに行動力と行動への欲求が減少しているからである。行動して変化させるより、どちらかといえば守りに入っていて、現状維持を主な目的にして生きているからである。

 現状に満足しなければ、動くしかない。動くには行動力が不可欠である。そして動くことは、今やっていることから離れて、新しいことに取り組むことであることもある(継続することも動くことなんですけど。ただ守りに入っている人は、継続しているように見えて、行動を減らしている。毎日同じようなことをしていたって、手抜きをしたり、横着をするようになるからね。こういう観点で見たら、常に攻めていなければ、継続すらできないんだよね)。他人から見たら「飽きっぽい」と思われるかもしれない。

 でも他人様の目を気にするような必要はないんだよ。他人様は他人様の都合でしか物を言わないからね。特に一般的な「評論屋」さんは(素晴らしい評論をされている人もいますが、こういう人は別格ですな。素敵な評論は、人を伸ばしてくれるから)、大体誰かを低く見ることで、自分がそれ以上の存在であると思いたがるような、ヘンな欲求を持った人も少なくないからね。

 こういった評論屋さんの言葉なんかに気を使う必要はない。どうせ優れたものが出るたびに、そのものの下らない欠点を衝いて、自分が優れていると言いたいような言葉しかはかないから。そんならお前やってみろと言われたら、「よし、やってやる」なんて人は、見たことがないからね。自分の方が優れているのなら、優れていると実証すれば誰もが納得する。それをしないでなにやら下らんことを言っている者の言葉なんか、一切聞く必要はないよ。

 まさに「お前は飽きっぽい」と、かつて私が子供の頃、今の私を見ないで言った大人と同じである。いつの世にもこんな人間はいる。そして私に「お前は飽きっぽい」と言った人間が、その一生で大したことの一つもできなかったように、「評論屋」さんにも何もできやしない。なぜかって? 実際に自分でなにもやらないんだもの。やらなければ、なにもできないよ。

 何かをしようと実際に行動した人間だけが、何かを成し遂げる可能性を持っているんだよ。何かをするための準備をしているときには、いろいろとやらなければならないことがあるから、一見「飽きっぽく」見えることもある。気にする必要はないと思うね。ただ「壁が来たら、それから逃げる」ってのは、少し問題があるかも知れないけど…

2009年9月12日 (土)

夏の思い出

 どうやら本格的な秋である。秋が来ると何故かしら、夏を懐かしく感じてしまう。人は過ぎ去ったものには素晴らしく強力な弁護士をつけてしまう。あまりいいことがなかった思い出も、月日が経過していくと、見事な美しい思い出に変わってしまう(できるだけそうしないために、日記をつけていた頃があった。物事を客観的に見ようとしていた時代があるんだね、私は)。

 そういえば学生時代には音楽の時間に、中田喜直さんの美しい歌詞の『夏の思い出』というのを習った記憶がある。あの「夏がくーれば思い出す はるかな尾瀬…」というやつである。なんとも尾瀬のイメージがぽんと出てきそうな素晴らしい歌詞で、いい歌だなあと思うが、今日は残念なことにこの歌には関係がない。

 最近疲れが出ているのかなあ?と思っていたので、今日は『楚漢驕雄』という作品(DVD:全30回…見るだけで疲れが出てしまうが…)を見ながら、寝転がっていた。その後で、「そういや、莫ちゃんに送ってもらった、お茶の葉の整理でもしておかなければ」と思ってごそごそし始めたら、いきなり夏の思い出が出てきたのである。Photo

 夏の思い出だなあ… 夏の海辺で貝殻を拾ったことがありません? いきなりこんなのが出てきて、「そういや、これも捨てるにはもったいないし、どうしようか…?」なんて考えてしまった。イモガイ(有毒である)もあるし、タカラガイもある(こんなものはありふれているけど。イモガイの一種には、古代エジプト壁画を思わせる模様が、規則正しくあるのもあって、嫌いではない)。

 タカラガイは古代中国(なんと殷の時代だそうな