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2017年10月20日 (金)

雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ

 なんでも超大型の台風21号が近づいているんだそうで、鬱陶しい限りである。どんなことがあっても、私は選挙」には行きますからね。こんな国難の時期に、たかが台風くらいで、この国の進路選択を(たかだか1票とはいえ)放棄するわけにはいくのもですか! ご心配なく。国民の(中の一人の)声をお聞かせします!(なかなかいいCMでございますね!)

 ということで、台風の前の天気は、読みづらい。まださほど台風の移動速度は速くなっていないようだが、なにしろ台風は一般的に二本の巨大な(雨雲の)腕を持っているからね。北東に伸びる、大きな腕と、それに比べれば何分の一かしかない、南西に伸びる腕と。

 しかもその腕を外れると、風は強いものの、案外天気が悪くなかったりするので、厄介だ(この隙間を縫って、ちゃんと洗濯物を乾かしてしまうような、私みたいな奴もいるわけで…乾かし残したものも、若干あるけど)。まあ明日は朝から、外のイモちゃん水槽の水を抜いておかないといけない(連日の雨で、水が満杯。これで100㎜は降るって言うんでしょ? 抜いとかないと、「ノアの大洪水」だよまったく)。ま、抜くのはかなりオートマチックに近いオートマニュアルなんだけどね(時々忘れて、干上がることがある。それでイモちゃんを殺したことはないけど…笑)。

 まあいいや。台風が来た時の食料(ノラのも含む)はこれから作るから。作っておけば、もう怖いもんなしですもんね。昨夜なんか練習から帰ったら、ノラちゃんが、我が家の飼い猫みたいな顔をして、玄関でポツンと座り込んでいるんだもの。

「おう帰ったぞ。ちょっと待てよ、エサやるから」 …もうノラではないんじゃないかい? みたいな会話だよね。ネコって怖いですね。こうやって心の隙間に入り込んでくる。喪黒福蔵みたいな存在? 喪黒よりは、多少は性格がいいかも。喪黒は間違いなく「地獄の使者」ですもんね。

 誰にでも「心のスキマ」はあるものですが、それに乗じて人の幸福を壊す権利は、(たぶん)誰にもございません。もちろん話が恋愛絡みなら、禁じ手はないかも知れませんが(というのも、野生の世界でも、殺し合いなんかはしない群れの中で、こと交尾に関する限りでは、いくらでも例外…つまり殺し合い…は発生しますからね。人間の社会では、「理性」という奴がかろうじてそれを食い止めているようですが、「理性」ったって、所詮は人間が定義したものでしかないわけだし)。まあ、たいていは自然界に「答え」があるわけで。(それとて、正解なのかどうなのか、定かではない。第一、何を正解とするかは、それを判断しなければならない人が、勝手に決めているわけだから…そこに太古の昔からの、思想・哲学を学ぶ必要性があったりするのではないでしょうか。人の思考の変遷を知ることで、じゃあ俺はどう考え、どう行動すればいいんだろうって、ね。私はわりと大真面目にこんな作業をやっていますけど)

 ということで、西日本は23日午前0時頃が、台風が最も接近するんだそうですよ(天気予報によると。私は経験上、最接近時よりも、接近前の方が厳しいんではないかと思っておりますけどね)。つまり「選挙には早めに行こうっ!」ってことですね。

 であとは家で寝転がって、午後八時を過ぎたら、選挙速報を、ビールでも片手に眺めていようって(しょうもないドラマより面白かったりして…笑)。でも翌日は、もしかしたら台風が荒れ狂っている中の出勤、通学かも知れませんから、十分にご注意を!(東日本はその危険性がたぶんにございます)

 ま、一日か二日の台風なんかで、この国の未来を左右されたくはございませんからね。(国によっては、千年に一度も台風なんて来ない国もあるくらいで、天候によって国の将来が左右されるのは、とても残念なことだから)

 雨にも負けず、風にも負けず。真面目にこの国の将来を考えましょうや。

※今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日。つまり明日)ですが、いつのも会場のマスターの都合により(たぶん台風の影響で、帰国できない。今日の昼、国際電話が入りました…笑)、会場を変えます。モンゴル料理店と言えば、私に親い人ならわかると思いますが、そこにいたします。午後六時を過ぎれば、だいたい私はいると思いますので、よろしくお願いいたします。(とんでもない台風だ! 台風のバカヤローっ!)

2017年10月19日 (木)

妄想・酒作り

 今にも降りそうな空の具合ですが、なんとか泣きださないで、もっているようでございます。おかげでおんもの御用は、だいたい終わりましたけどね。でももうちょっとは、空が明るくてもよかったなあ。

 人が用事をしていると、カラスの奴が、カアカアと煩いんですよね。昔、志村けんさんが、「カラス、なぜなくの? からすの勝手でしょ」と歌って、大流行させたことがございましたが、実はもっと前の、ほんの小さな頃に私は、「コガネムシ~はコガネムシ(^^♪」)とやって、以下を省略していた人なので、あんまり私的にはウケなかったけど。

 ま、カラスは頭がいいんだそうで、よく悪戯をいたします。我が家の庭の、小鳥用の餌場は、一瞬で破壊されましたからね(飲み水を入れた容器なんか、なかったもの。後日、我が家の塀の上にちょこんと載っておりました。近所の人が届けてくれたんだろうけど、じゃあどうしてご近所様が介入したかというと、カラスの馬鹿野郎が運んだからに違いありません。それ以降、餌場は閉鎖いたしました。実はもう対策は練っているので、冬場の、野山にエサが少なくなる時期には、カラス対策をした上で、餌場を再開いたします…本当は、カラス対策の最初の餌食になるのは、私自身だという、かなりの自信がございます…笑)

 ということで、ここのところ故あって、やたらと大量の野菜や果物を食べなければならなくなりました。季節がらそういう時期でもあるんだけど、これが「果物好き」の私でなかったら、大変だと思いますね。(昨夜は白菜を一つ、食っちゃいました。ついでにニンジンも、ナマのまま、一本いただきました。途中で私は、兎か馬か?と思いましたけどね…生ニンジンはスティックにして、マヨネーズで食べると、甘くておいしい。特に私的には、ウィスキーによく合います。今晩もやってみるかな)実りの季節なんで、こういうことがあってもよいのではないかと思ったりします。(先日、やっと私が探していたアイリッシュを探し当てまして、合わせてみようかな~…なんてね)

 とにかく、天気がよくないと、どうしても運動量が減ります。運動量が減ると、お酒の量が減ります。お酒の量が減ると、なんだか楽しくありません。楽しく暮らさせてください。天気をよくしてください(どうしても降りたいのなら、私が室内で活動している時は、いくらかは降っても構いません)。と神様に祈るために、モンゴルだかウィグルだかの儀式をやってみましょうかね(意味がまったく異なるんだけど)。

 呑み始める前に、天、地、人に酒をささげるんでございますね。純粋に遊牧民の儀式かなあ?と疑問には思っているんですが。ま、大した問題じゃないんだけどね。酒は神の水だから(神様は酔っぱらわないのだろうか? 神様が酔っぱらって作った生き物が、人間だったりして)。

 しかしお酒というものは、個人個人でも好みが異なりますが、地域や材料、製法などなど、僅かな違いが大きな違いを生みます。私は世界各地の時代劇を見ますが、お酒を呑んでいるシーンなんかを見ますと、どんな味だったのだろう?と、大変に興味があります。ただし、現代のお酒に比べれば、ずいぶんと洗練されてないんじゃないかと思ったり致しますが、それにしても(少なくとも)映画やドラマに登場してくる人がお酒を呑んでいる様子を見ると、みんな旨そうに飲みますよね。本当に美味かったのかなあ。(昔ながらの製法と材料で、自作して見たくなっている私が、すでにいる。美味しくなかったら、一度でや~~~んぴっ!になるのは明白だけど。そんな苦労しなくたって、現代では凄い腕のいい杜氏さんが、素敵に酔わせてくれるお酒を、いくらでも作ってますもん。今更、素人が介入する余地は、ないんじゃないかなあ…… 平安時代の日本での酒を再現する気はございませんが。北欧のバイキングが飲んでいたというエール…ビールの前身?…なんかは、一度は呑んでみたいですね)

 基本、糖分があれば、アルコール発酵させるだけで、きわめて原始的な醸造酒はできるわけで(サル酒とか、モンゴルの大草原あたりに行くと、ハムスターが食べ物を隠したところにも「ハム酒(こんな名称はない)」ができたりするそうで…ハムスターは食料を頬いっぱいにため込んで、自分で隠して、隠した場所を忘れるという習性がある…我が家でもハムを飼っていた時、食糧庫をたくさん作られた)、ド素人でもこのあたりまでの「サル酒」「ハム酒」くらいまでは簡単に作れそうに思うんだけどね(ただしアルコール度数は低い。これを蒸留してアルコール度数をあげた蒸留酒を作るまで、果たして情熱が続くか、というと、続きそうな気がしない。

 でもニンジンとかを原料に、酒を作ったら、面白いかも。要するに糖分があればいいんだから。

 あ、ちなみに鳥も酒には酔うらしいです。我が家の庭では、まだ実験はしてませんが(お酒が勿体ない!)。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日9でございます。よろしくお願いいたします。

2017年10月18日 (水)

助けてください!

 いやあまあ、天気予報の通りで、きっちりと降り始めましたね。けっこう寒い雨だ。「冷たい雨に打たれて~♪」なんてやっちゃいそうだけど、先日本ブログでも告白したように、ハスキーボイスなので、あまり歌いたくない(?)。

 しかしながら、衆院選も終盤でございますな。皆さん、この鬱陶しい空模様の中、しっかりと選挙カーで頑張っておられるようでございます。まあ、ここで頑張っておかないことには、落選すれば「失業」ということになる人もいるでしょうから、一所懸命になるのは理解できます。

 ただねえ、選挙カーで拡声器つかって喚いて回るのは、しょうがないとしても、とどのつまり、投票所で自分に「清き一票」というやつを、投票箱に入れてもらいたいんですよね。名前を連呼するまではわかりますが…古い古い時代のCMにも、似た手法のがございました…、今までも気に食わなかった言葉が、今日またしても耳に入ってしまったので、もう勘弁ならん(というほどでもないのですが)と、書いてしまいます。

「助けてください!」 …こんな言葉を、拡声器を使って、車の中からわめくんじゃない! 確かに状況が不利なことはわかる(某党の現職の議員さんです)けど、助けてもらいたいのは国民の方であって、国民の税金で生活してたり、活動してたりする人が、どうしてここでも有権者に「助けてください」なんてことが言えるんだ? クソ厚かましい! 自分の活動実績を公開すればいいだけじゃないか、実際に活動しているのなら。

 その人のお蔭で、こちらが何か助かっているのなら、それはまあ「恩返し」という奴があるかも知れないけれど、何の恩恵もあずかった覚えがないとしたら、「なんで助けにゃならんの? 税金で養っているだけで、もう十分でしょ。それだけでも国民に礼の一つも言わにゃならんのに、礼の一言も言えないで、また「助けてください」だと!となるのが、普通の心理だと思いますがね。

 まるで、助ければ助けるほど、逆に怨まれたり、タカられたりするどこかの国みたいな精神構造なのか、行動パターンなのか。こいつは今日、私が一番激怒したことだ。「清き一票」がほしい気持ちは、わからんでもないけれど、ならば日ごろの自分の言動を、よく考えてみなさいと言いたくなるのは、当然のことではないかな。

 有権者の一票一票が積もり積もった結果、議員さんという地位(?役職?)につけたわけなんだから、そのことについてよくよく考えるべきだ。果たして自分の言動は、自分に投票してくれた有権者の期待に応え得るものだったかってね。

 困った時だけ「助けてください」では、あまりにもムシが良すぎるんじゃないかな。第一、「助けてください」なんて言葉、そう簡単に大の大人が口に出せるようなもんではないでしょ(しかも車の中から、拡声器でだよ! その時私は、外で雨が落ちてくるのかなあと心配しながら、肉体労働していた)。

 人間、一生のうち一度や二度は、「助けてくれ」と言いたくなる時はある。私にもあった。自分のことなら、どうせ人間は一度は死ぬもんだと思っているから、あまり「助けてくれ」とは思わなかったが、自分にとって大切な存在のためには、そして自分ではどうしてあげることもできない時に、「誰か助けて」と思ったことはある。

 でも口にはしなかった。所詮は自分にできるベストしかできないと思ったからだ。もちろん物事をよりよくしていくために、他人に依頼したことはある(所謂「人脈」という奴ですか。人脈は大切ですぞ。金脈よりもはるかに大切です…あ、今は亡き師匠と同じことを言ってらあ、知らない間に。そんな歳になっちゃったのかねえ)。動いてくれた政治家もいる。でもその方たちとは、まったく銭金の付き合いはしていない。お互い好きなことを言っているだけだ。本当に困った時には、現実の力を持った人でないと、物事が動かせないからね(今の社会の仕組みがそうだから)。それでも、結果がよくなるとは限らない。ただ「自分にできる最善」の一手段でしかない。

 なぜ「助け」が必要なのだろうか。いろんな状況があるだろうが、少なくとも選挙に関する限りは、要するに「清き一票」がほしいんでしょ? 自分の主張が多くの人に受け入れられれば、別に「助けてもらう」必要なんてないじゃん! 多くの人の利益につながっていると納得させることができれば、「助け」なんて求めなくても、多くの人が自発的に盛り立ててくれるはずじゃない。

 立派な学歴や経歴をお持ちの方が、そんなこともわからないはずがないでしょ。でも「助けてください」なんだよね。どうして? 自分の主義主張、言動に自信がないんだね、きっと。それで現職? 今までの任期中、何をやってきたの? 有権者に胸を張ってそれが言えないの? じゃあ選ばれる資格があると思う?ってことになっちゃうじゃないか。これってものの道理だよ!

 生命の奪い合いをしているんじゃないんだ。だから「助けてください」なんて言葉を出してはイケナイ。堂々と、どこまでも自分の主義主張を論じればいいじゃないですか。それを支持する人が多ければ、嫌でも人は投票してくれますよ。

「天は自ら助くる者を助く」とか言いますが、人に「助けて!」と言っている者よりも、自らが助かろうと、必死に努力をしている者を見れば、第三者だって、仮に利害関係がなかったとしても、その人を応援したくなります。

「助けてください」というからには、「助けて」もらった後には、何かいいことがあるの?ってことですし、何もなかったら「何で助けにゃいかんのん?」でお終いですよ。ましてや新人ではなくて、現職なんですからね。国や地域や社会に、ちゃんと貢献していただかなければ。ただただ票が欲しいだけっていうのでは、あんたの稼ぎをどうしてうちらが保証してあげにゃならんの?ってことにしかなりませんわな。

 もう一つ、「若さ」だとか「若いナントカ」だとかをアピールする候補がいますが、あれも私は好きではありません。30歳でデビューしても、10年経過すれば40歳だし、20年たてば50歳になります。昔、加山雄三さんというタレントの方が、「若大将シリーズ」で有名でしたが、かなりの年齢になっても、まだ若大将と呼ばれたりしてたんで、思わず噴き出したことがございます(加山雄三さんには、何の罪もございません。周囲がそうしたのに責任があると思います)。

 若いというのは時間経過とともに、次第に歳をとっていき、当然それとともに、相応しい経験を積み、叡智を身につけていただき、最後には老成しなければならないものなんです。「若さ」のアピールだけで世の中を渡っていくのは、甘いんじゃないですか!(昔、「何もわかりませんが、若さで頑張ります!」なんて挨拶をする職場の後輩がいたりしましたが、あほらしくてモノを言う気にもなりませんでしたけどね。「何もわからないのなら、まずはわかる人に聞け!一刻も早く、何もわからないからの脱却を目指せ!戦力以外は要らない」と、内心怒鳴っておりました。もう五、六年若かったら、その場で吠えただろうと思いますよ)

 ま、こんな選挙運動中の言葉一つでも、かなり候補者の人となりがわかるものです。候補者本人が口にしなくても、こんな選挙カーを走り回らせていたら、候補者本人の見識が疑われるんじゃないですかね! ま、これからラスト三日間ですから、ますますこういった発言はエスカレートするんでしょうけれど、運動するにしても、よく考えてした方がいいんじゃないですか。ただ騒音をまき散らすだけじゃなく。

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年10月16日 (月)

現実感

 天気が腐っておりますな! 腐った天気は捨てる以外ございません!(どうすれば捨てられるのだろう????) 世の中、腐っている奴は多いけれど(いちいち書いていると、こちらの気分が悪くなるので、情報は仕入れても、あまり口にしたくない)、何か重要な行事の時には、せめて天気くらいは腐っていてほしくないものです。まあ、私は「晴れ男」なので、わりと楽天的ではありますが。

 しかしながら、屋外のイモちゃん水槽が、もう満杯なんだよね。イモちゃんは(残念なことに?)とてもアホなので、何も考えずに脱走してしまうかもしれません。水槽にさえいれば外敵から身を守れるようにしているのですが、いったん脱出してしまえば、こちらとしては守ってあげることはできません。

 外敵に食われてしまうか、あるいは干からびてミイラになってしまうか。いずれにしてもあまり明るい未来は待っておりません。私としてみれば、いなくなって寂しいと思えば(まだまだ他にもイモちゃんはたくさんいるので、決して寂しくはありませんが)、、原産地に行って採集してくるか、あるいは来年「子作り」をしてもらえばいいだけの話です(ただし、「子作り」の場合は、殖えすぎるという問題が発生いたしますが。少なくても数十匹は生まれるからね。育てるのはそれなりに「楽しさ」があるのですが、そのあとが大変。イモちゃんの寿命は、とても長いのです。下手すると、ずううううっっっと、面倒を見なければならなくなってしまいます)。

 だからブリーディングに自信があるからと、やたら殖やせばいいって問題ではありません。適当なところで自制しておかないと(まあ、かりに殖えすぎても、それなりの食物連鎖が出来上がっていって、また新しいバランスができていくだけなのでしょうが…今、私がこれを狙っているのは、ヒキガエルなんだけどね。これはまた来年のお話)。

 先日まで(雨が降りだす前まで)、我が家の庭で孵化したに違いないカナヘビのおチビさんたちが、猛然とダッシュする姿を見かけておりました。この姿も、稲刈りが終わる頃には、ぱったりと見かけなくなります。ほんの1週間ほどで、全く見なくなるんだから面白いもんです。

 同時にこ前後には、田んぼの用水路から、一斉にメダカ以外の魚が消えます(逆に、メダカを採取するには、チャンスですが。なにしろ他の魚がいないんだから、採取した後で選別する苦労がいりません)。田舎ならではの季節の移り変わりは、こんなものです。

 職業柄、季節の移り変わりを知らなければならないはずの人が、案外こんなことすら知らなかったりしますが、(だいぶ前に、12月に生きたアカムシ…ユスリカの幼虫…を探している、某高等学校…岡山県では有名な公立高等学校。進学校を自称しています…の生物の先生がいて、私がK氏のお店で談笑している時に入り込んできて、呆れたことがございます。生物の先生なら、せめてユスリカの幼虫が、どんな季節に、どんなところにいるかくらいは知っていてほしいもの。こんなずっこけた季節感の先生が、正しい生物学を生徒に指導できるとは、思えないもんね。どんな専門的な知識を持っていたとしても、季節すらわかんなきゃ、意味がないじゃん! 私みたいな、ただただペットに旨いエサをやりたくて、そこいらをほっつき歩いている人間にも勝てないよ)、頭でっかちになった人間には、見えなくなることも少なくないようです。山に行って、生きた鯨を探そうというのと、大差ないもんね。

 どんな専門的な知識であっても、その土台にあるべき常識を失ってしまっては、何の意味もございません。どんな理想も、現実を見ないで語ったのでは、まったく意味がないのと同じです(これを夢想と申します)。ま、現実を見ていたのでは、資格取得の試験に合格できないのかも知れないんだけれどね(そんな試験なら、廃止してまえ!)。

 釣りに行っても、一番役立つ情報は、釣り場で釣りをして遊んでいる、現地の子供に尋ねるのが一番役立つというのは、私の経験上言えることなんだけど、その場での「現実」は、学者先生ではなく、そこで毎日暮らしている人間が、一番よく知っていることだから。

 似たことはよくあるよ。ある地区の問題について研修するとか言って、偉そうな人々がどやどやとやってくることがあったとしても、実は何も理解なんかできやしない。本当に研修したかったら、そこに住み着いて、何十年も暮らしてみなければ、ね。山には山の、海には海の、平地には平地の問題はあるし、その土地特有の問題は、そこに住んでいる人間にしかわからなかったりする(スタジオ・ジブリの『おもひでぽろぽろ』も「いいですね~、自然が一杯で」という奴ですね。自然が一杯であることには、良い面もあるけれど、それはそれで同時に、「ならでは」の問題も抱えているだろうし…あのシーンには、直接関係がない見解だけど)。

 世の中、頭だけで理解できるほど、甘くはないから。(もちろん、まったく頭がないと、イモちゃんみたいに、ヤバいこともありますよ。何しろ奴らには「想像力」ってものが、まるでないから…これはやはり人間の有利な点でしょうかね?想像力の欠如した人も少なくないみたいですけど。「高速道路の追い越し車線で停車させる」みたいな。人間の最大の特徴であり、武器なのは、大脳の発達なんだけどねえ。だから危険を未然に防ぐこともできるわけで。これができなきゃ、イモちゃんと大差ない?…だいぶ前の産経新聞だったかに、ある種の魚は、初歩的な論理的思考ができるのではないか? と載っていたような記憶があるけれど、少なくともこのお魚さんよりはレベルが高くないですね)

 現実社会では、「経験」がそのまま、自らの「滅亡」につながることもなくはないから、それで想像力が発達したのかも知れないんですけどね。

 ま、人類は人類としての武器を、上手に使うに越したことはありません。力が強いの、牙が大きいの、爪が鋭いの、走るのが速いのは、もちろん生き延びる上で強力な武器にはなるでしょうが、人類だけに許された方法を磨くことも大切だと思いますね。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年10月15日 (日)

不自然

 まあよう降りまんな! この調子で、明日もぐずつくんでしょ? ええ加減にせえよといいたいけど、何かいいことはないのかね? マツタケの出来にでも好影響があれば、まだ我慢できるというもんだけど、ちょっと時期的に遅くはないかい?(今年は高いと聞いている)

 他国産のものも、その国に行って食べれば、美味しくはないこともないんだけど(この二重否定、三重否定、嫌になるね。某国の文章なんか見てると、わりとよく見かけるけど、最後にはちゃぶ台をひっくり返したくなる…二重否定、三重否定を使う人間の心理が、嫌らしいのがわかるから。「いいならいい、ダメならダメと言え!」ってえのが短気な私の本音だ。ちなみにこういう複雑な否定文を出されると、私は否定の回数しか数えない。奇数回なら否定、遇数回なら肯定だ。しかしながら、どちらも素直にそう認めたくない心理が働いているのがわかるので、あまり好感は持たない。ということは、今回の私の発言も、相手に好感をもたれないことがわかっているので、それを承知で書いている。つまりは「美味しいけれど、嫌だ」という心理が働いていることを表現しているのである。何故だろうね~。まあオリンピックの地図から、日本列島を消して…普通は、わざわざ消さないと消えないでしょ?…、援助だけ欲しがる国なんかに、好感を持つわけないよね。私は基本的に競技者の立場でものを考える人だけど、果たして参加していいことがあるのかな?と心配になってしまう。だって「ない国」から来た選手なんでしょ? 粗末にされるのは明白だ)

 とまあ、悪天のせいか、今日はのっけから機嫌が悪い。打っているうちに好転すればいいんだけど。(TBSというTV局のニュース系統の番組は、わざと見ないようにするくらいだけど、『陸王』第一回は、よかったですね。池井戸潤節全開なんだけど、上手いなあ。さすがだわ。また演じている役者さんがいいよね。善玉も悪玉も、いい演技をされるので、見ていて熱がはいる。実はこれで少しは機嫌が持ち直している。『陸王』万歳!…ちなみに私もシューズに関しては一家言持っているので、けっこう煩いよ…笑。なにしろ私が走れなくなったのも、身体と靴の不適合が原因だから)

 あまりに熱を入れて見てたものだから、(そして初回ということもあって、放映時間が長かったので)せっかく淹れたコーヒーが冷めちゃったじゃないか(これは番組を作った方への、最大の賛辞かも)。でも二杯目は淹れない。

 今日は一日中雨だったので、朝から晩までデスクワーク(してると思ったら大間違い。途中で站樁なんかをやらかしたりして…ちなみにこれを始めると、私は時間経過を忘れて、浦島太郎になっちゃうので、要注意でございますが、もしかしたら站樁中の私は、光速で旅行をしているのかもわからない…例の光速に近づくと、時間経過はゆっくりして、外部とか切り離されるっていう、例の『ウラシマ効果』か?…結構安上がりな稽古でございます。一円もかからないもの)で、仕事がはかどったかなあと思ったんだけど、今振り返ってみると大して進んでいない(そりゃそうだ。起きるのが遅かったから。なにしろ空が暗いでしょ? 「朝が来た」認識がないんだよね。そうでなくても朝に近くならないと寝ないわけだし。久しぶりに爆睡していた。これから頑張らにゃ)。

 こんな日があるんですな、一年に数回は。それでも明日はけっこう多忙なので、飛び回らにゃなりません。できたら私が外で動き回る間だけでも、雨には遠慮していただきたく思います。動きにくいから。

 そうそう、そういえば先日(ほんの2、3日前)、チョウセンブナの水溜りに、またしても泡巣ができておりまして、この時期に産卵するのかなあと思っていましたが、やはりこの雨、後は見ておりません。放っておいても、孵化するものならばオスの親が面倒看ますから、私が手を出す必要はございません。孵化しないのなら、面倒みる必要なんかさらさらないし(笑)。いつも我が家はこんな調子でございます。なにせたくさん殖やして、売って儲けようなんて気が、さらさらない人だから。我が家で支えられるだけの数量が、健康に生きていれば、それで十分でございます。

 無理をしないのが、一番長続きさせるコツでございますからね。自然にしていて殖えるってのは、必ずあるところで安定状態に入りますから。それ以上は「無理(理がない)」なので、放置いたします。すると適当に増減しながら、安定状態に向かっていきます。これってまさに「自然界」と同じやりかた?じゃあないですか。

 で昨日は雨と雨の間に、私が動くべきところに、遠慮もなく雑草が生えていたので、保護すべきは鉢植えに植え替えて、それ以外はざっと草抜きをし、後は歩法を伴う練習をいたしました。これが見事に雑草には一番効果的らしく、私が稽古するところだけは、見事に草が生えません。

 これは「生存競争」ですね。私と雑草とが、どちらの生活権が優先されるべきかを競っているわけですから。自然界では、人間が立ち入らないようなところにでも、「獣道」というのがありますが、これも獣と野草の、生活圏をかけた生存競争の結果、形成されるものでございます。

 こうして、歩くだけでも生存競争は行われているわけで、(我が家では、カタツムリをよく踏み潰しますが、これも人間の通路に出てくるカタツムリが悪いわけで、こちらに悪意があるなしに関係なく、潰される奴は潰されます。木なんかにとまっているやつは、決してそんな目に遭いませんし)これもまた「自然」でございます。

 地図から特定の地域や国を消す、なんて不自然なことをやらかす人たちには、こんな感覚はわからないんだろうねえ…… しかもいい大人で、きっと公的な地位がある人たちだろうに。でもそれが不自然な行為であることは、見事に間違いありませんね!

 ついでに不自然に人の仕事場に入ってきて、不自然に邪魔をしていた蚊には、とても不自然な殺虫剤をお見舞いしてあげました。結果はとても不自然なことになったと思います。殺虫剤である以上、誰にも毒性はあるのだろうけれど、同じ毒性なら、耐性が強い方が生き残りますもん!

※ 今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年10月13日 (金)

お買い得!?

 本日夕方である。いつも行く店(私にとっては、冷蔵庫代わり?)の店ではないスーパーに入ったところ、「お買い得」との表示が目に入った。悲しいことに、こういった表示には、ついつい惹かれて、招き押せられてしまう。

 見ると地元産の鯵ではございませんか! これは嬉しい。あとはもう正常な判断力は喪失しておりますな。後先考えないで購入いたしました(十数年前も、たしかイカでトロ箱ごと買った記憶がある。結局私が食べることができたのは、通常のお値段分くらいで、私の周囲にいた人が得をした。それはそれで、いつもお世話になっているんだから、いいんだけど)。

 で帰宅してからが大変だった。お買い得とは、値段のわりに、わりといい品質が、大量にあるということだったのだ。私的には、同じ程度の品質のものが、同じ程度の数量、低額で入手できる「お買い得」が望ましかった(だって、一人暮らしだもん! そんなにたくさん食えないよ!)。

 第一に料理が面倒い。(おかげで、やっているうちに、昔の感覚が戻ってきて、かなりスピードアップしたけど)結局、収納しきれないほどの量を料理してしまったので、頑張って食べた(骨とかは、ノラが喜ぶだろうなあ… 結果的には、ノラのための「お買い得」だったのかも)。それでも残ったので、これは明日用にする。(同じくお買い得のものがあったので、明日は明日の料理をしなければならないんだけど。しばらくはノラがいい目に遭いそうな気配? まあいいや。最近けっこうふくよかになってきて、少しは可愛く見えはじめたから…栄養が良いと、猫は可愛くなる?)

 とうことで、なんか変だなと思ったら、今日は13日の金曜日ではないか。どうりで! でも我が家にはジェーソンは現れない。かりに現れたとしても、なかなか我が家は、難攻不落かも(ただし私が起きている時に限る。ま、あんまり寝ない人だけどね)。どこから何が出てくるかわからないような家ですからね(別に、秦始皇帝陵のように、自動発射型の弩は仕掛けてないけど、今のところ。かりに仕掛けたら、最初に射殺されるのは、間違いなく仕掛けたことを忘れる私だ…笑)。

 ということで夕方も、そろそろ日が暮れるんではないかと思う頃になって、天気が回復してきましたなあ。できたら朝、回復してもらいたいんだけど(洗濯物が部屋干しのままになっていて、邪魔でしょうがない)。

 ま、どうせ明日もぐずつくんでしょ。でも洗濯しとかないと、晴れた瞬間を狙って干せないもんね。昔誰かの名言にございましたな。「偶然は、準備ができていない者を助けない」というのが。いつも準備ができている状態でいることは、けっこう大切なんですよね。そうすれば「お買い得」に釣られて、無謀な買い物をすることもなかった?(料理の感覚が戻ってきたから、それはそれでよかったけど…意味のないことは、人生には何一つとしてない…これもまた、どこかの誰かさんが言った名言なんですが。もう誰が言ったのか、忘れちゃったなあ…たまに誰かが言ったと思い込んでいる中に、私自身のオリジナルもあったりするんだけど、もうど~でもええわ!って感じですな!…笑)

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、21日(第三土曜日)でございます。初参加の人も歓迎ですよ!(場所がわからないって? 知ってそうな人に聞いてくださいな。お買い得?なんだから、場所は探してよね!)

2017年10月12日 (木)

グッピー隊長の帰還

 どうやらしばらくは天気がぐずつくみたいですね。せっかく快適な秋を楽しんでいたのに、非常に残念でございます。ということで、ひと夏屋外で、ボウフラ退治に活躍してくれていたグッピー隊長たち(すでに何倍もの数に増えてしまいましたが…笑)を、室内に収納する準備を開始しました。

 基本この魚は、汚れた水にでも対応しますから、水質はあまり気にしなくてもよいのですが(室内のは「ギャっ」というくらい水草が繁茂したところに入れていますから、水質は非常にキレイです。ちなみにこの水草が、小売で買うと、けっこうなお値段だったりして。我が家のは、すべて我が家で殖やしたものでございますので、原価は「0円」でございます。今の我が家にある水草は、熱帯産のもの以外は、すべてが「0円」かな…採集に行くのに、ガソリン代とか、食事代とかがかかっているかも。水槽に入れる前には、ある程度の期間をかけて、きちんと消毒いたします。こうして魚でいうと何世代も経過していますから、まあ病気が入る心配はございません)、水温だけは気にしないといけません。いきなり5℃も違う水に入れるべきではありません。

 なのでしばらくはプラケース住まいで、室内の温度に合わせます(水槽にヒーターを入れている場合には、プラケースごと、その水槽に浮かべときます。するとしばらくすれば水温がほぼ同じになるので、そこから先は、慎重な人なら徐々に水合わせをしたりするのでしょうが、私の場合にはたいてい忘れていますから、翌日の給餌の時なんかに、「あ、忘れとった!」とばかりに、合流させてしまいます)。こうして冬は暖かい室内で暮らし、来年またボウフラの鬱陶しい時期になると、グッピー隊長に出撃命令が下るわけです。

 ちなみに私の経験では、我が家のグッピーでは、水温が17℃を下ると、ぽつりぽつり身罷るのが出始め、13℃を切ってしまうと、大半のグッピーが身罷ります。私はあまり高水温で魚を飼うのは好きではないので(高水温だと、餌食いがよかったり、体色が鮮やかになったりしますが、その分、短命になったり、病気が入った時に打つ手が減ったりします…我が家ではNO 病気だけど)、けっこう低めに設定しております(だいたい電気代が安い!)。

 たとえばディスカスなんて魚は、一般には30℃近い水温で飼育するように言われていた頃がございましたが、モノの本によりますと、水温が25℃以上のところで捕獲されたディスカスはいないんだそうで、ということは25℃以上のところには住んでいないと考えるべきですね。

 私も初めてディスカスのブリーディングに成功した時(コバルトターコイズでした)は、30℃以上でやってましたが、この水温では急激に成長し、巨大化する代わりに、短命になります。ワイルドではメスが生後2年くらいで発情するとされているのに、我が家で産まれたメスは、生後わずか10か月で産卵してしまいましたからね。で、10年くらいは生きるのではないかと言われているのに、3年足らずで身罷りました。

 後に「ディスカスはワイルドしか飼わない」と心に決めてからは(ワイルドは綺麗ですよ~。体色がどんどん変化していくのも見事でございます)、25℃は超えないように注意したくらいです(夏が大変でした)。でもちゃんとペアができ、お子さんも生まれましたからね(ブリーディング用のスペシャルテクニックはありますが、この時にはそれも使わなかった。好適な環境にしてあげたら、後はエサを与えるくらいで、忘れてしまうことでございます。産卵だって、気がついたら生んでた…さすがに生めば、きちんとオスメスで卵を守る魚ですから、気が付きます…実はペアが出来た頃から、わかってはいたんだけどね。人間でもあるじゃない? お付き合いし始めると、なんとなくわかるってのが…笑。ディスカスの場合は、もっとあからさまに求愛行動をしますから、もっとよくわかります)

 とまあ、毎日のエサやりと、たまの水替え以外は、今はまったくしらんっぷりの我が家の水槽でございます。その方がお互いの精神衛生上も、よろしいみたいでございますよ。

 人間は勝手な生き物ですからね。中には凄い優しい方もおられるようで、ペットのために生きているんではないかと思うこともありますが、私の場合は、常に自分中心。見たい時に見たいものがいてくれればそれでいい。もちろんペットとして飼っているのは私で、彼らが望んで我が家に来たわけではないので、連れてきた責任があります。その責任を果たすのが「好適な環境づくり」と「給餌」でございますね。

 だからグッピー隊長にも「ねぎらいの言葉」なんかあまりかけません。だいたいこの水溜りは、今年ヒキガエルのオタマジャクシが育ったもので、ヒキガエルのオタマジャクシって、ボウフラを食べないんだよね(どうやら草食?それとももっと小さな微生物しか食べない?)。で体長1㎝くらいのカエルになって上陸し、流木に隠れていても、ボウフラが元気に泳いでたんだ。で「蚊をものすごく嫌う」私は、グッピー隊長に出動をお願いした。

 翌日にはボウフラは1匹もいなくなっておりました(笑)。夏の中頃には、すでに私がエサをやらないといけない羽目になっていましたっけねえ。(来年はヒキガエルをもっとたくさん増やしてあげよう…我が家の近所にも、昔はいたんだけど、最近はカエルそのものが激減してるし。ちなみに今年のオタマジャクシからカエルになって上陸に成功した確率は、例によって100%でした。生きて連れ帰ったオタマは、全部カエルになりましたからね…自然界ではありえない確率だ!…2~300くらいは連れ帰っても大丈夫かな…エサの安定的供給は問題なし。水溜りの面積が最大の課題だけど、これも1000匹くらいまでなら、面倒は見れそうだ。だいたい何時くらいに上陸するかもつかめたし…イモリやサンショウウオとほぼ同じタイミングでした。これがきっと、古生代の両生類が誕生した頃の環境に近い時期なんじゃないかと、私は勝手に想像しておりますが。私はあと50年くらいは生きそうなので、1㎝くらいのカエルが20㎝近いヒキガエルの成体になるのまでは、完全に見られそうな気がしております。でもわりと賢くない生き物だから、餌付けなんてのは、難しいかもしれませんね…ツチガエルなんかは、わりと簡単に餌付け可能です。でも名前も覚えないし、こちらに愛想もしないから、「ペット」的な感覚は持てませんけどね。我が家では害虫駆除係として、生存を許可しているだけで)

 ペットとは微妙な違いがあるけれど、我が家では益虫、益獣として機能いたしております。

2017年10月11日 (水)

ひとの不幸は蜜の味?

 中島みゆきさんの『怜子』って名曲があったなあ。大学時代、ゼミの呑み会で、いの一番に指名された私が、大声で歌い始めたら(当時は声量が豊かだった。毎日道場で気合を入れてたから…笑)、周囲の部屋が「し~ん…」となってしまった(もちろん私のゼミの部屋も。当時は気合が入ってたんだねえ、歌うたう時も)。別に怒ってたわけじゃあないんだよ、当時の私の感情をそのままに表現しただけだから(今だって、大して変わっていないっていうか、もっと悪くなっている? ただ人を驚かすような大音声は、もう出ないなあ… 先日の耳鼻科で言われたように)。

「…ひとの不幸を祈るようにだけは、なりたくないと願ってきたが…」 はい。今でもその通りでございます。きっと死ぬまでそうだと思います。時にあまりにも幸せそうな人たちをみると、少しだけ嫌な気分が起こることがありますが、できるだけ見ないようにして我慢します。でもねえ!こちらが困っている時に、大口を開けて嘲笑し、指さしてバカにした連中が困っていたら、話は別でございますよ!(こちとら、聖人じゃないんだ。聖人なんてクソ面白くもない存在になんか、死んだってなりたくない…『鬼谷子』の聖人の定義を読むと、少し意見が変わりましたが)

 ひとが不幸になったからといって、こちらが何か得をするわけではないんだけれど、こういうケースは、所謂「溜飲が下がる」って現象が起こりますからね! 物質的な得をしなくても、心が得をしているわけだ。こいつは銭金には換えられないからね。

 銭金に換えられないってことは、ただかも知れないし、もっと高価かもしれないってことで、銭金でしか物事を考えられない人には、もしかしたらわかりにくい価値観かも知れない。っていうか、銭金という、経済の流通の便宜を図るために、人間が作り出した道具しかわかんなくなっている人には、ある意味「恐怖」を感じますけどね。

 それでも今の世の中が(悲しむべきことなのか?)、経済なしには語れなくなっているのは事実だ。時に「政経分離」だなんぞと面白いことを言う輩がいるようだが、現実が見えているのか、それとも見えていても見えないことにしているのか、あるいはさっぱり見えていないのか知らないが、まあ、その方向でやれるもんならやってみんさい!って感じだね。

 まったくの経済音痴の私ですら、「こんな夢物語、誰がのたもうたの?」と思うような面白いことが、今、現実に、わが国の近くで起こっているらしい。まあいいじゃん! パンドラの箱だって、最後に出てきたのは「希望」なんでしょ?

 先日の本ブログでは、「希望」とは「望み希(すくな)し」と読むと紹介したと思うけれど、この少ない望みに賭けて、発想の転換ができなかったり、新たな道の開発に遅れてしまったケースだって、決して少なくないわけだから(だからパンドラの箱に入っていたわけで)。つまり「希望」には、裏表で大変な違いが生じる危険性が、常に伴っているということは、きちんと神話なんかまでを読み込んだ人なら、知っていなくてはならないわけで。

 諦める時には、スパッと諦めて、新たな道を探す。これができないで滅んで行った人や生き物は、今までの地球の歴史の中で、たくさんいたんじゃないかなあ。私は、若い人から「新しいことをやってみたいけれど、途中でケツわりするのではないかと心配している」と相談を受けるたびに言ってきた言葉がある。「ケツわりを恐れてたんじゃ、新しいことには挑戦できないよ」

 もちろんいい加減な気持ちや、おっかなびっくりと言った体で物事に取り組んで、ケツをわるのはよくない。何事も、一所懸命取り組まなければならないのは、絶対条件だが、「こりゃあかん!」と思ったら、景気よく放り投げるのもまた、凄い大切なことだと思うんだよね。

 放り投げたらそれで終わりかというと、そうでもない。放り投げたものに対する責任があるわけで、自分が放棄したもので誰かが成功したりなんかすると、「しまった、俺もあれを続けてればよかった!」なんてことを思い始める。実はこれは「放り投げてしまった自分に対する無責任」なんだよね。

 人は、自分が行った決断の責任は、つねに自分にある。放り投げても、それは放り投げることが最善と思ったから、放り投げたはずなんだよね。その決断は、けっこう重いんだよ。時に生命賭けになるほどね。

 だから、なんとなく調子がいい時に、いい加減なことばかりやって(たとえば、調子が悪いのに、コツコツ頑張っていた人間なんかをあざ笑ったりして)いた奴が、いざ自分が不調に落ちて、しかも慌てふためいていたりしたら、これは結構笑っていいんじゃね?と思ったりしますね。

 私は「人の不幸を笑う」ような育てられ方をしてはいません。しかしながら、こちらが不幸な時に嘲笑した奴が不幸になった時、これを笑ってはいけないとも思ってはいません(もし笑わなかったら、よほど自制しているんだと思う)。

 俗に、因果応報なんてことを言ったりしますけどね!(笑)

 調子がいい時は、何をやってもうまくいったり、周囲から許されたりするけれど、そういう時に調子に乗りすぎると、今度は不調になった時が大変だ。

 BC338年といえば中国の戦国時代の中期になるんでしょうか、韓国では旱魃が起こりましたが、韓の昭侯は「そんなの関係ねえ!」とばかりに、非常に立派な城門を作りました。この韓昭王という人は、名宰相申不害を任用し、弱小韓国に最盛期を迎えた人だったのですが、楚の大夫屈宜臼はこれを見て、「せっかくこんな立派な城門を作っても、韓昭侯はこの門を通って、外出することはできまい」と言ったそうでございます。

 名宰相申不害はBC337年に没しますが、楚の屈宜臼は、韓昭侯がこの門から出ることはできぬと言った理由として、「物事には時候というものがある。時候とは、何も日にちがどうとか、時刻がどうとかというものではない。人生には順調な時もあれば、何をやってもうまくいかない時もある。以前、韓昭侯は、何をやっても順調だったが、こんな立派な門などは作らなかった。ところが昨年(BC338年)、秦は宜陽を占領し、韓は大旱魃だった。本来韓昭侯は節約に努めなければならない時期だったはずだが、こんな建築物を作り始めてしまった。旱魃ゆえ民の困窮に同情こそしたが、それまで通りの贅沢をあらためることはなかった。これは亡国の行いであるため、時候ではないと言ったのだ」、なかなか理屈が通っておりますな。

 BC336年、この城門は完成したが、韓昭侯は没し、ついにこの城門をくぐって外出することはできなかった。

 ま、その場、その時、その状況で、やるべきことをきちんとやらず、他人を嘲笑したりしていると、とんでもないしっぺ返ししか戻ってこないということでしょうかね。

 ちなみに私は、今晩は走った後、自宅の庭で、けっこう気合の入った稽古をし、何故かした「祝い酒」を呑んでしまいました(何故だろね?…笑)。できるときにできることを、できるだけ、できるようにやる。祝うべき時に、祝うべく祝う。これがベストかも?

※ 今月の『○○を語る会』は21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願い致します。

2017年10月10日 (火)

ヌスビトハギ

 今日も、季節にそぐわない暑さだったですね! 最近どうも、走って帰った後、パンツ(もちろんランニングパンツ)にヌスビトハギの果実(もちろん、中に種子が入っておりますが)がくっついている。今日は幸いなことに明るいうちからランニングコースに出られたので、いったいどこでこんな厄介なものがくっついているのかを調べることにした(何でも無意識のうちに調べる性質があるのです、私には)。

 なにしろこのヌスビトハギという植物、考えようによってはオナモミはいうに及ばず、イノコズチよりもやっかいだ。(なかなか取れない)昔我が家に犬や猫がいた頃、屋外で遊んで帰ると、この季節には、こういった野草の果実をとってやるのが一苦労だった(犬は我慢するけど、猫は痛かったりすると、いきなり爪を出してひっかくからね。ネコは我儘な生き物だよ、実際…あの悪魔的な可愛さがなかったら、とうの昔にペットではなくなっている気がするけどね…笑)。

 今は自分の世話で手一杯だけど、こんなに野草の種子を取らなければならないということは、所詮私も、犬、猫並みの存在でしかないということか。(まあ、犬や猫みたく、走り回っていれば、犬や猫並みなのかも知れないけれど)

 きゃつらは動物にくっついて、動物が移動する(そしてたぶんどかで種子を振り払う)ことに依存して、自分の子孫を広範囲にばらまくように進化したのだろう。自分ではほとんど移動能力を持たない植物の、たいした工夫なのだと思うけれど(これについてはBBCのDavid Attenboroughさんの『THE PRIVATE LIFE OF PLANTS;Episode1 Travelling』という名作があるので、興味のある方は、ごらんになるとよい。とても美しい映像でございます。まあBBCのこのテのDVDには、ハズレはないんだけど…笑)、こちとらとしては厄介極まりないシロモノだ。

 基本、果実という奴は、種子を運ぶために発達したんではないかと思うけれど(一般論で、例外はけっこうありますが)、中には受粉が終わると消えてなくなるはずのガクがそのまま残って、綿帽子となって飛んで行くようなものもございますな(紹介しようと思って、顕微鏡を導入したんだけど、未だにこのPCから2m50㎝後方にうっちゃったままでございます。なにしろ一人暮らしは、しょうもないことで忙しい!)。綿帽子も植物の種類によっては、けっこう個性があるからね。

 これからが季節だけど、果実のように見えて、そうではないものもあるし(イチョウのギンナン。外にある部分…あのクッサイやつ…は種皮でございまして、果実ではございません。でも中生代の草食恐竜は、あのクッサイのを食べていたらしいんだけどね。で硬くて消化できないギンナンは、そのままウ〇コと一緒に排泄されて、そこで芽生えたというんだね。この不思議な植物は、中生代末期の巨大隕石の激突による大津波と、気候の激変を耐えて、中国で数株生き延びたんだけど、それを日本から渡った禅宗の坊さんが持ち帰って、全国に広め、江戸時代に長崎の出島からヨーロッパに渡って、再び世界中に生えるようになったというのだが、植物の生き延びる術は、なかなかにすさまじいものがございます…銀杏の世界的な名称がginkgoとなっているのは…ちなみに「ギンコ」と発音します…、ginkyoの「y」を「g」と間違えたためではないかと言われておりますな。ちなみに私はイチョウの日本名は、yajiaoという中国名が変化したものだと考えておりますです。(一般的に現代中国では、イチョウは公孫樹と呼ばれますが、もともとは公孫樹、鴨脚樹(yajiaoshu)、銀杏の3つの呼び方があったようです)

 果実は食べられるものについては、食いしん坊の人類が様々な品種改良を施しまして、今や八百屋さんの店頭を飾るようなものになったものもございますが、これも本来は、動物に自分を食べていただいて、消化できない種子を、▽ンコと一緒に排泄してもらい、そこに子孫を残そうという、なかなかに優れたアイデアだったんですね。でも「食われることで、子孫を増やす」ってえのは、なかなかできない発想ですな。まるで、自分が死ぬことで、自分が残したかったものを、永遠に伝えていくという感じで。

 高橋留美子さんの名作『めぞん一刻』で、当初たびたび出ていた(私の記憶では。記憶違いでしたらごめんなさい。なにしろ、この名作は、今打っているこのPCをどかさないと開くことがない、「開かずの押入れ」の中にございますので、すぐに確認がとれません)、「死人は無敵だ」という名言に通じるものがございますな。

「命長ければ恥多し」と言いますが、生きていれば人間ですから、いろんな失敗もすれば恥もかくわけですが、一番いいところで死なれてしまっては、これはもう「いい記憶しか残りません」からねえ。美味しい果実をつける植物は、実はこういった不埒な輩なんですな(だから私は、その不埒な輩を征伐する意味でも、たくさん果物を食べます…自己正当化です…笑)。

 しかしながらヌスビトハギという奴は、食えるわけではないし、また腹の足しになるほどの大きさもない。くっついてきたものを取って、そのあたりに放置していたら、翌年は立派に生えていたりするので、質が悪い。

 で、たまたま今日は、明るいうちにランニングコースに行けたので、まさに怒虎捜山でございましたね(眼法が疲れるので、途中から猛虎出林に変わりましたが)。もちろんこの時点で、走ってはおりません。今日は歩法でございます。走ることは優れた練習ですが、走ることで見落としてしまうものも、けっこうたくさんあります。走らないから楽ってわけでもないんだよね。で、腰を抜かすくらい驚いたんだけど、そこいらじゅうヌスビトハギの群落だったんですね(毎晩、よくもあの程度しかくっつかいないで済んでいたもんだ!)。

 で避けられそうなものは、だいたい場所を覚えて避けることにし、どうしても避けられそうにないものだけは、へし折ってきましたよ。これも生存競争を思って、諦めてくれい! これで明日から、少しは安心して走れる?

 ま、世の中にはヌスビトハギでなくても、ヌスビトハギみたいな人(国? 集団?)もいるので、注意深く生きなければなりませんけどね!

※ 今月の『○○を語る会』は21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年10月 9日 (月)

屁こくじょ~みたいな下剋上を望んではならない(

 夜のドライブは、気持ちよかったですよ。もともと、夜のドライブは、好きなんだけどね(一人のドライブなのが、ちょっと残念!)。昼は暑くて(夏かと思ったよ)、舌を出しながら、へえへえと歩くようなペースで走ったような、歩法の練習をしたような(おかげで、新しい歩法の練習を一つ、思いつきました。たぶんこれから暫くかけて、完成形になっていくと思います)。なにしろ性格的にしつこい人だから…(昔、陸上競技場の外側で歩法の練習をしていて、「一周が長いなあ」と思っていましたが、今はそんな距離は「屁」ですね。なにしろ延々と続けるもんで…時々、犬に吠えられるけど…笑)

 望んだ感じ(感覚?)が来ればよし、来なければどこか間違ってるわけで。もちろんこの感覚は、「成功体験」なしでは、正しい感覚かどうかはわからないわけで、常に検証を必要とするんですけどね(検証なしの思い込みは、とんだドツボに嵌る危険性大!)。どんなに巧みに屁理屈を並べ、人の耳に快く響く言葉ばかりを言ったとしても、現実に使えなければ、「紙上談兵」の趙括さんと同じですな。

 ということで、夜のドライブを楽しんでいると、不意に何かが飛び出してくることがございます。「おっ!」、何かを轢いたと思って、慌てて車を路肩に寄せて見てみると、なんと「緑のタヌキ」でしたな。なにしろタヌキが交通事故に遭遇するケースは、意外に多い。いざとなると、タヌキは気を失って、動きを止めちゃいますからね。(しゃがむだけでも、わりとタヌ公は事故を回避できるのに)カップうどんの容器でよかった!

 ちなみに十数年前に私がとったデータでは、岡山市内の某地区で交通事故に遭遇している獣は、タヌキが全体の50%、ネコとイタチが20%ずつ、残りがその他でございました。たまに翼を持っているカラスなんかも、轢かれていることもあったし(ただし、昆虫やカエルのような両生類までは、データが取り切れません)。

 タヌ公は、見てくれはまあ愛嬌があると感じる人もいるだろうし、賢そうに見える人もいるかも知れないけれど(感じ方は個人の自由です!)、実際には使い物にならないからねえ(私は天気予報に使いますが。タヌキ汁は非常に臭くて、食べられたもんじゃないんだそうです。美味しいのはタヌキに似たアライグマの汁なんだそうで)。

 ということで、またしても衆院議員選挙が始まりますねえ。なんでも「緑のタヌキ」も参戦するとかしないとか(個人的には、「赤いキツネ」の方が、美味しいと思いますが…)。まあ選挙ですから、どなたもこなたも、ライバルを蹴落として自分が勝ち残ろうと、時に過激な選挙運動を展開したりいたしますね。

 ただねえ、いつも思うことだけど、実行力のない言葉だけの人は、先述の趙括を同じで、「紙上談兵」、理論上はいかにもすごくよさそうなことを言っていても、実戦ではまったく通用しないってことが、非常に多いんですな。だから私はいつだって「実績重視!」でしか物事を判断いたしません。(従って、これから始まる選挙戦以前に、投票する対象は決まってしまっております)

「試しにやらせてみよう」なんて甘いことを言っていたら、つい数年前のような事態が起こりかねませんからね。今はそんな「遊び」が許される国際情勢ではないし。ましてや地域政党から、大した実績もあげないで、いきなり国政に乗り出してきたりしたんでは、ちょっと困りものですねえ。いつかも書いたように、まずは自分たちが最初に名乗りを挙げたところで、実績を挙げてからのお話でしょう?

 有能な人に税金を使っていただくのは納得できるけれど、無能とか有害な人に税金を使っていただいてへらへら笑ってられるほど、こちとら余裕がないし。とまあ、私は「大人」のものの見方をしております。

 昔「下剋上」という現象があったことは、多くの人が知っていることだけど、これも無暗やたらと、部下が主人を殺しまくっていたわけではない。自分の主人が無能で、自分が主になった方がよほどうまくやっていけると思った場合にしか、やっていないんだよね。そして周囲がそれを認め、納得したら、下剋上は成立する。

 ところが主人を殺しても、殺した人間よりも俺の方が上だ、という人が現れた場合には、そこで内乱が発生したわけで。内乱が発生したりすると、その国や集団は、勢力が落ちるので、横で隔岸観察火を決め込んでいた人が、あっさり内乱に乗じて侵攻し、簡単に征服してしまったりするし。

 で自分は親分になりたいけれど、ちょっと力が足りないなと思った時には、外側の勢力を呼び込んで、それを背景に、権勢を持ったりする人もいたわけで(何を考えているのか知らないけれど、自国の内乱にいつだって他国を呼び込んで、うまくいってもいかなくても、すべては他国が悪いと、後から喧伝するとぼけた集団も、いないわけではございまいませんが)。

 だからかの「下剋上」ですら、出鱈目にチャンスがあれば、いつでもやったわけではないんですよね。何しろ乱世を生き残るには、「確かな能力」が必要とされますからね。「確かな能力」とは、まあ納得できる成果を収めたという実績が証明してくれるわけで、これは口先だけでは無理でございます。

 だからこれから暫くの間の、うるさい(実際、仕事の邪魔だ!)演説などは、大した判断基準ではございません。私にとっては、すべて今までのありようが判断基準でございます。昨日の姿を見れば、今日の姿はよくわかる。今日の姿を見れば、明日の姿も、だいたいは予想がつきますからね。

※ 今月の『○○を語る会』は、10月21日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

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