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2018年5月19日 (土)

夏長

 昨夜はなかなかの雷雨でございました。おかげで今日は(比較的)空が澄んでおります(最近は晴れていても、腐ったような空だったからね。どこかの国になっちゃうのではないかと、心配してたんだよ)。

 で、バケツをひっくり返したような雨ニモマケズ、雑草も作物も、すくすく伸びておりました。雑草はいらないけれど、作物が伸びるのは嬉しい。ちなみに山の芋もあちこちから芽を出して、今じゃあ何がなんだかわかんない(今年の晩秋には、一度掘ってみないといけない。二十何年ものもあるので、どうなることやら。もちろん20年間成長し続けるわけではなく、毎年大きくなったり、小さくなったりを繰り返しているんだそうですが、それも確認してみないと)。

 今じゃあ我が家で「むかご」を作って、勝手に殖えているみたいなので(植えたはずでないところから生えている)、そろそろ間引いてもよろしいんではないかと。私は「つる植物」はあまり好まないが(特にヤブガラシ)、アサガオ、ヒルガオ、野菜、山の芋の類だけは保護育成している(自分勝手だとは思うけれど、我が家の庭では私は「神様」なので、神の意志に沿うものには恩恵がある…笑。たぶん、どこのお宅でも同様であろうと思うけど)。

 今朝(といっても昼に近い今朝)室温をみて笑った。10℃近く低下していて、実に過ごしやすい(私はこれくらいの気温が好きだ)。今年は気温が乱高下するので、汗腺を夏対応にする時期がわからない。本来ならば、そろそろ夏仕様に変えておかなければならない時期なのだが。

 まあ一週間もスゥエットスーツを着て暴れてれば、身体はだいたい夏仕様に変わる。後は夏向きの栄養摂取に変えるくらいのことかな(ビールの消費量は、当然のことながら増えますが…笑)。あとお茶とかコーヒーも変わりますね。果物の摂取量も増えます。小魚は年がら年中食べていますが、これも消費量が増えます。豆腐もそう。肉類の摂取量も倍増いたしますな。

 で、めでたく身体は、夏仕様に変わっていくのですが、今年は春がなかったので(いきなり冬から夏になりました)、食生活を変える、移行期間がなかったなあ(今はもう夏用の食生活になってますけど。これでガ〇▽リ君を馬鹿みたいに食べ始めたら、夏真っ盛り!練習後は▽リガ〇君に限ります(笑)。上昇し過ぎた体温を下げるには、なかなか優れた製品です(笑)。

 さて、今日は『○○を語る会』でございますが、庭で熟したキイチゴでも差し入れいたしましょうか。私一人で食べるには、明らかに多すぎます。爽やかな甘さが、なかなかよろしいので、好きなのですが。

 普段は庭で練習するときは、水分補給に用います。もう少したつと、これがトマトに変わったりします。昔の武芸者の時代には、トマトはなかったのではないかと思うけど、似たようなことをやっていたのではないでしょうかな。

 特に山籠もりなんかした武芸者は、間違いなく食料問題を解決しないといけませんから、果実なんかがあると、絶対に食べていたと思います。実際、山籠もりしたら、食料はどうやって調達したんだろうかと思いますよ。食糧を調達するだけで、相当な時間を取られますからね。下手をすると稽古の時間はなくなります。

 獣と格闘して、これを食ったなんてことを考えるかもしれませんが、獣は賢いので、そうそう簡単には捕まりません。だいたい「こりゃかなわん」と思ったら、彼らは見えも外聞も気にせずに、逃走いたしますから。この逃げる速さは、とても人間の比ではありません。

 たとえばネズミなんてのは、走る速さ自体は大したことはないのですが(人間の方が遥かに速い)、ごみごみした障害物だらけのところで、あの類の動きをされた日には、少なくとも人間ではなかなか捕まえられません。もう猫になるしかない? 蛇に化けるしかない? フクロウに変身する?

 それに冬に山籠もりなんかしたら大変ですよ。食べ物はないし、寒いし(夏は夏で、蚊もいるし、害虫も多いだろうし)。まあどうやって過ごしたのかは知りませんが(私はプチ山籠もりをした経験があるから、それをもとに言っております。現代なので、食糧問題は、食料を買い込むことで片づけましたけど、今みたいにコンビニがあったわけでもないでしょうし。だいたい食材の流通だって発達していなかっただろうし。よく渓流に入って魚を捕ったなんていうじゃないですか。釣るのだって大変なのに、素手でよく捕まえましたよね。それに釣り堀的に、誰も放流なんかしてくれませんから、そんなに数もいなかったんじゃないかな。こうなると、飢え死にしないための食料をゲットするだけで、十二分に大変ですよね。私なんかは多少山菜の知識があっても、「こりゃあ、無理だわい」と思いましたよ)、少なくとも剣豪小説のようではなかったのではないでしょうか(あれはカッコ良すぎです)。

 だって庭で頑張っても大変なんだからね。「あたしゃ神様だよ」なんて言えない深山で稽古するとなったら、一番大変だったのは、「自然との生存競争」だったのではないかと思います。

 ま、これからますます植物は成長していきます。雑草には負けないようにして、作物は大切に育てて、実りの時期が来たら「偏食(実るときには一気に実るので、そればかり食べなければ、腐ったり傷んだりする)」してみますか(笑)。

2018年5月18日 (金)

雨凌ぎ

 雨が降るとも、ことによると雷雨になるかもとも、確かに聞いておりました。だいたい蒸し暑かったし。でも20時頃からの雨は、バケツの底が抜けたのではないかというレベル。さすがに私もPCを使うのを止め(雷が酷かった)、もう便所の火事(ヤケクソです…笑)とばかりに、「ご飯食~べよっと」に移行いたしました。

 先日の備前焼(伊部焼き)の徳利に、限定生産の地酒(名酒です!)を入れて、冷蔵庫で冷やしていたんですね(名酒は冷酒で呑むに限ります。安価なお酒は、熱燗がお似合いです)。で同じく伊部のぐい飲み(これがまた、超絶レベルの味がある。私的には美しいと思う。これでお酒を呑み続けていれば、どんな美しさになることやらと、期待を抱かせるぐい飲みである…備前焼は、使えば使うほど、美しくなります。特にお酒を入れておくと、なんともいえない艶が出ます)で、カパカパ飲んだんだよね。

 徳利(かなりの人の作品でございます)のサイズが、私の晩酌にはちょうどぴったしかんかんなので(最初に容量を測ったら、毎晩私が飲むくらいの量だったんだよね。まるで私のために作ってくださったのではないかと思うくらい)、「これは素晴らしい酒器に出会えたものだ」と上機嫌で、DVD見ながら飲んでおりました。

 ところがどっこい、呑んでも呑んでも終わらない。いつもと同じしか入れていないのに、明らかにいつもよりはたくさん呑んでる感がある。「これは素敵な徳利だ」と、私は感動しましたね。先日も本ブログで書いたように、「呑んでも呑んでもなくならないビンはないか」と思っていたくらいだから。

 しかも備前(伊部)は、お酒を入れていおくだけで、お酒が美味しくなるんだよ。今回は、器に負けないようにと、名酒を入れたので、もともと美味しかったのだが、さらに美味しい。これは酒飲みには「打ち出の小づち」並みのお宝でございますよ。

 で、雷が鬱陶しい間に食事をすませておけばいいわい、などと思っていたんだけど、気がついたら、雷はおろか、滝のように降っていた雨まで止んでいた。こうなると「幸せの徳利」とでも言いましょうか。桐箱に銘と判が入ったものだけど、私が今日命名してもよい(昔から、茶器などには銘をつけるではないですか)、「雨凌ぎ」なんてのはどうかな。

 で今は、「名酒んび悪酔いなし」の法則の通り、気分が良いだけである。いやあ、備前(伊部)はよろしいですな! 酒を呑むなら、酒器は備前(伊部)に限ります(ほとんど、古典落語の『目黒のサンマ』状態である…笑)。

 あとは毎日、この酒器でお酒をいただいて、器が成長していくのを楽しむのがよい(私が成長しないのが歯がゆいけど)。備前は、使えば使うほど、味が出るからね。私がくたばって200年くらい後に、「雨凌ぎ」が残っていたら、これはもう幸せを飛び越えてしまっているんじゃなかろうか。

 人は大切に扱っても、いずれは消えていく運命にあるけれど、器は大切に使えば、いつまででも残るし。途中まででも、私の飲酒とともに育ってくれたら、これは望外の幸せという奴だ。

※ 今月の『○○を語る会』は、明日、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月17日 (木)

字心、絵心

夏ですなあ。昨日も暑かったが、今日もなかなかでしたよ。本日の岡山市の最高気温は30.3℃(14:28)。真夏日でございます(笑)。夏でもなかろうに、と思って旧暦を調べたら、なんと4月3日でした。二日まえから夏だった!

 夏日とは何の関係もないが、私は昔から、文字が書けないと、劣等感を持っていた。家族の字が上手かった(習いもしてないのに)のが、大きな原因であろうと思う。長じて他人の書く文字と比べてみたが、客観的に見ても、まあ「普通」の部類には入りるようだ。

 そういえば「字がキタナイ」と叱られた記憶はない。旨い人に比べれば、下手くそだが(当たり前か)、下手な人に比べれば、まあそれよりも下ということもない。以前、安倍総理の文字がネットで話題になったことがあるが、とてもあんな堂々とした文字なんか書けないし、麻生副総理の文字と比べるにいたっては、「へへーっ」と道端に避けて土下座しとかないといけない。

 中国にも知り合いがいて、だいたい男性は字が上手い。聞いてみると、やはり練習をしたのだそうな。そういえば以前、某お茶屋で茶杯を買ったら、包んである紙は、旦那が字の練習をした紙だった(旦那は警察官)。上手くなるには練習はかかせないのは、どこの国でも同じのようだ。

 アルファベットであるが、仲良しのアメリカ青年のアルファベットは、判読が難しかった。帰国するときに住所を書いてもらったが、この文字が判読できず、手紙が書けなかったことがある。今ならメルアドですむから、苦労はしないんだけどね。

 日本では漢字と平仮名という二種類の文字を併用する。これはとても優れた表記方法だと思う。漢字だけなら、誤解することなんかお茶の子さいさいだ。意思を正確に伝える上で、平仮名の働きは、非常に重要である。平仮名、漢字の併用を採用した我が祖先の、いかに聡明だったことか!

 ただ平仮名も、もとをたどれば漢字に行きつくんだそうで、漢字というやつは(昔、「漢字の書き取り」という奴をやらされましたっけね。今となっては懐かしいけど、当時は止めとはねや点やら、煩かったことを覚えている。確かに「太」と「犬」は点の位置しか違わないもんねえ。人の名前だって「太」ってところを「犬」と書かれたら、嬉しい人は、よほどの愛犬家でも、そう多くはいないだろうけど)象形文字なんてのが土台になっているんだそうな。

 小学生、中学生の頃、私は先にもいったような理由で、書写の時間は苦手だった。上手に書く人を見ていて、どうしてあの人はあんなにもすらすらと、上手に書くのだろうと不思議に思っていた。きっと筆になじむ人と、筆になじめない人がいて、私は間違いなく後者だと、自分では密かに思い込んでいた。

 さらにさらに長じて、口先では「オレは恥は書けるが、文字は書けん」などといいながらも(某銀行の窓口でこれをやったら、行員さんにバカ受けしてしまった)、「筆ペン」なるものを購入して、「とにかく慣れろ」と、数年頑張ってみたが、全然上達しなかった。

 これはもう、才能が欠如しているんだから、しかたがない。そういえば、中国からの留学生のある人が、「字の上手下手は生まれつき」とぼやいていたっけ(ちなみにこの人の字は、下手くそだった。少なくとも私よりも…笑)、と諦めた。人生諦めが肝心である。諦めたらその先には新しい道が開ける(こともある?)。

 だいたい書の展覧会などにいくと、芸術的品格にあふれていながらも、ちっとも読めない文字が多い。これは芸術かもしらんけど、果たして「意思を伝える。情報を伝える」という意味で、文字の機能を持っているのか? そんな文字よりは、下手くそでもいい。「あんたの字は読みやすい」と言われる、オレの方がよい(「読みやすい」とは、よく言われます。理科系なので、データ処理する時に読みやすく書くくせがついているんだよね、きっと)などと開き直ったが、それでも私以外の家族の字が上手くて、私だけが劣等生でいるのは忍び難い。

 漢字自体は嫌いじゃないんだよ。そこで漢字の元の形(象形文字)にまで遡ることにした。こうすると、文字の意味がよくわかるんだよね。歴史で出てきた甲骨文字、はっきりいって、さっぱりわかりません。金文、甲骨文字同様でございます。大篆、う~ん…… 秦始皇が統一した(失敗しましたが…笑)小篆、う、う~ん…… 隷書、う~む…

 ただ篆書以前の文字なんかを見ていて気付いたことがある。これは文字の上手下手というよりは、絵心がある人のほうが上手いのではあるまいかと。だいたい書いてて楽しい(もちろん滅茶苦茶時間がかかるので、機能的だとは思いませんが)。童心に戻ってお絵かきをしている感覚になる。

 しかし、こういった文字をたくさん憶えるのは、大変なことだったのではないかと思う。ちなみに秦代の官吏登用試験は、漢字をどれくらい書けるか、みたいなのが行われたという。小篆は、丞相李斯と趙高ら3名に手本を書かせたと言われているが、私的には文字を絵の間くらいの感じだね。

 古代エジプトの文字なんかだったら、人の名前をかくだけで、数十分はかかりそうだし、絵心がない人には、永遠に文字がかけるようにならないのでは(笑)と心配になるが、まあ当時は全員が、読み書きできる必要もなかったので、これでもよかったのかな(読み書きができるだけで、エリート。識字率が高かったわが国では…それでも縄文人が文字を使った後は残っていない。私的には、文字もないのに、かなり高度な文化を築いていた…らしい…のは、どうやったんだろうと不思議に思っているけど)。

 当時もやっぱり、文字の上手、下手があったんだろうね。でもそれを決めたのは果たして、書写の才能だったのか、絵心だったのか、そこが知りたい気がする。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月16日 (水)

責任はオレが持つっ⁉

 蒸し暑い一日でしたな。帰宅後、いつものルーティーンをやってて、汗みずくになっちゃった。誰が責任を取るんだ? もちろん、私しか取れません(笑)。もっともその前に、至福の一時(芸術的に)があったので、笑ってしまうほど、心にゆとりがあったんだけどね。人は心のもちようで、どうにでも変わる生き物だなあ…笑。

 感動の正体は、実は備前焼。とにかくこの分野、何もわからないすっからかんの私ですら…小学生時代、授業だかなにかで作ったことはございますが…感動させるほどの衝撃があったからね。備前焼っていうくらいで、岡山県は東部の工芸品だけど、この素朴な焼き物は、まさに魔法だね(ちなみに私は、毎晩の晩酌…これは皆勤賞です…は、絶対に備前焼の容器でいただいている。お酒の味が変わるんだよ。旨くなるんだね。嘘だと思ったら、私が使っているようなものでなくてもいい…いただきものですが…笑。安価なものでいいから、お試しを。これから夏に向かって冷酒が美味しくなる季節だけれど、呑むほんの2~3時間前に、備前焼の容器に冷酒を入れ、冷蔵庫の中に入れとくだけで、本当に美味しくなるから。岡山県産なので手前味噌、地元贔屓と言われるかもしれないけれど、客観的に美味しくなります!)。

 ワインだってデキャンタ―に移して最後の仕上げをしてから飲むと、これまた美味しいではないですか。備前焼の場合は、少なくとも私が試した日本酒のすべてが、美味しくなった。今日は感動的な出会いがあったので、この夏の冷酒が楽しみである(肝心のお酒のほうも、これまた岡山県産…生産量は非常限られております…のものを準備している)。悲しいことは、お酒は、飲めばなくなってしまうことだ。誰か、呑んでも呑んでも減らない一升瓶とか樽をお持ちではないだろうか。(ちなみにこの部分、未成年の人が読んでしまったら、成人するまで楽しみにとっておきましょうね! 私だって正式にお酒を呑み始めたのは、20歳の誕生日からなんだから。友人のS氏が、サ〇ト▽ーのダ◇マを持ってきてくれたのが、私の飲酒の開幕でした)

 でまあ、蒸し暑いのが嫌いな割には、上機嫌に晩酌をいただき、いつものように(欲求不満解消のために、やたらと副食を作る)大量の副食を摂っていたんだけど、世の中には上機嫌ではない人もいるようです。

 一昨日から私に妙にひっかかっていたのは、「責任はオレが持つ」という一言でした。この言葉は、未成年の頃から今にいたrまで、何度となく耳にした言葉でしたが、今までの私ウの経験から言えることは、「責任は自分しかとれない」ということです。

 今回のスポーツ界を騒がせている、「責任はオレが持つ」って言葉を聞いて、最初に思いだしたのは、かつての人気ドラマ『半沢直樹』の初回、浅野支店長が「私が! 全責任を負うと言っている!」というシーンでしたね。例の西大阪スチールへの5億円の融資の件で。

 結果どうなったかというと(ドラマを見ていた人はご存じのように)、浅野支店長は半沢直樹にすべての責任を負わせようといたしました。ドラマなので、浅野支店長の言葉には「悪意」が充満しておりますが、私の経験でも、「責任は私が取る」と言った人は、ほとんどの場合、いざとなったら逃げます(笑)。

 本当に責任を取ってくれる人は、何も言わないで責任を取ってくれています(他人に心配をかけないところまで、責任を取ってくれます)。だいたい他人に大声で「責任は私が取る!」などということは、責任の重大さを認識していない場合がほとんどなんだよね。(私の人生では数度例外がありましたが、社会人になった時の最初の上司Iさんは、きわめて自然体でした。「みなさんは思うようにやってください。後は私がなんとかいたしますから」 こんなことを言われたら、嫌でもこの人にだけは迷惑をかけちゃいけないと、こちらに気合が入りますよね。こういうのを「私が責任を取る」というのだと、私は思っています。このお方、お酒が大好きらしかったけど、カッコよかったなあ。今でも憧れてますよ。もう一人は、女性の上司だったなあ。この人はいつも泰然自若としておられた。もうほとんど威厳がございましたよ…私はこの人の下で、仕事は頑張るけど、「やんちゃ坊主」をやっていた。残念なことに数年前、逝去されましたが、この方も人傑だったなあ。ほとんど崇拝しておりました。思いだしただけで、今でも涙が出そうになるくらい。でも何も言わないでも、動くべき時には、過不足なくきちんと動いてくださっていた。こちらに負担がかからないように)

 クズみたいな上司も少なくありませんでしたが、凄い上司もおられました。この経験は、私の人生の宝になっています。ただ、本当に「責任を持って」くださった方は、「責任」という言葉を口にされなかったような気がいたします。

「責任はオレが持つ」なんてことを言えば、いかにも親分みたいで、腹が座っているように聞こえるじゃないですか。でもねえ、責任って、そうそう簡単に取れるもんじゃないんで、軽々に「責任」云々しているのは、「責任」の意味が解っていない人が多いような気がするんだよね。(わかって使っている人は、いざとなったら他人に責任転嫁する気満々だったりして…笑)

 で「責任はオレが持つ」と言った人が責任を持ったかというと、持ててない場合がほとんどなんだよね。何らかの行為を指示した人が「責任を取る」などと言っても、現在のように映像で記録されたりすると、実行した人はすぐに特定されてしまうわけで、その人が成年であった場合(未成年でも、ある程度は逃れられない)、「お前には判断力はなかったのか」という話になってしまうから。

 厳しいタテ社会で、閉塞空間に暮らす人間には、「断れない事情」もあることはわかるが(私もそういう集団に属した時期がありますから。数年でしたが)、判断力の有無を問われることになるのは致し方ない。こうなると、指示した人も、全「責任を持つ」ことはできなくなる。

 たとえば競技スポーツであった場合、以後の競技人生が変わる。就職などにも影響が出るかもしれない。なによりも他人に迷惑をかけてしまっていた場合には、罪の意識からは逃れられない。人は自分には、なかなか嘘がつけないから(自分をも上手に騙くらかす人もおられますが)、本来その人が歩むべきであった人生からは離れる。

 こうなってしまうことがわかっても、それでも「責任はオレが持つ」と言い切れる人は、果たしているのだろうか? その人が持つといっていた「責任」は、そこまで深くは考えたものではないのではなかろうか。

 軽々しく「責任」云々などしてはいけない。万一「責任」をいう言葉を安売りしている人がいたら、その人は「責任」の意味を知らないか、「責任」逃れする気満々だと考えていたほうが無難であろう。

 肉体を鍛えるのは(しんどいけど)まあ、たいていの人ならできる。心と頭の鍛えるのは、そうそう容易なことではない。人間の本質にかかわることだけに、表面の言葉だけでは、安易に評価すべきではない。それこそ簡単には責任は持てないよ(笑)。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月15日 (火)

カッコいい生き方?

 今日もなかなか、よい天気でございましたなあ(ちょっと蒸し暑い?気がしたけど)。夜になって気持ちがよい。これで蚊が侵入してさえこなければ(ほんとに、どこから侵入してくるんだろう)、とてもよい夜更けになるはずなんだが。

 先日、我が左のおみあしにとまっている蚊を発見したんだよね。そこから先はもう、完全に反射である。でも単純に叩けばよいはずなのに、ついやっちゃんだよね、「発勁」を。「反射」である以上、無意識の行動で、意識的には制御できなかった。

 いやあ効いた。我ながら、なかなかのもんだ。至近距離からの咄嗟の反応だったのに、現役時代は、相手選手のローキックに耐えきった脚が、しばらくいうことをきかなかった。

 で数日経過した今日、見て驚いた。なにこの青あざ。ローキック、何発ももらったわけじゃないんだよ。座ってて、ちょっと左手でパチンとやっただけなのに。あなおそろし。(ほぼ)毎日欠かさない稽古は、こんなにも威力をあげてるんだと、我ながら恐れ入りました(汗)。

 間違っても人を叩いたりしないように気をつけねば(そういう状況にならないように、細心の注意を払って生活しなければ)と思いましたね。

 ところで競技スポーツの場では、なかなか生々しい事件が絶えないようで、先日、本ブログでも取り上げた女子卓球の問題にもあきれ返ったが(まあ、二月の五輪でもすでにあきれ返っておりましたが。分断された国が仲良くすることは良いことかも知れないけれど、それをスポーツという、まったく異なる土俵に持ち込むのはいかがなものかと。ルールがわからない者は、競技に参加させるべきではないと思ったりしたんだが)、なんと大学のアメリカン・フットボールでも、妙な事件が起こって熱いらしい。

 私は率直に言って、アメリカンフットボールよりはラグビーの方が好きだが、これはこの際関係ないので置いておくとして、明らかに故意の危険行為とみなされるタックルがあったようだ。

 ラグビーにしろアメリカンフットボールにしろ、巨大ながたいの選手が、猛烈なスピードでぶつかりあうシーンがたびたび見られるわけで、もうこれ自体危険行為ではないかと思えたりしなくもないが、それなりに魅力的な競技ではある。(実際、彼らの破壊力は、半端ではない)

 危険だからこそルールで厳しく縛るのが競技スポーツなわけで、相手を傷つけてでも勝てばよいのではすでに競技スポーツではなくなっているような気がする(格闘技なんかは、この「傷つける」ってのが、目的になってしまっていて、競技スポーツではないかなあ…なんて気がしていたりする。古代ローマも、平和に退屈した頃には、剣闘士ってのが活躍いたしましたな。強い剣闘士には大勢ファンがついていて、収入も大層なものだったようですが、これは誰も競技スポーツだなどとは思っていなかったようです。平和に飽きて、血を求めていたのかもしれませんね…とても民度が低いと思いますが)。

 選手が独断でやったとか、監督から指示があったとか、いろいろとあるようですが、監督が公式の場に出て謝罪ないしは弁明していないところをみると、だいたい想像はつきますな。

 先日(今も?)、世間を騒がせた、女子レスリングみたいだね。もう立派な大人なんだから、試合で勝ったときのインタビューだけでなく、こういった問題が起こった時のインタビューにも答えなきゃ。

 カッコいい大人ってのは、自分が不利なのがわかっていても、ちゃんと表に出て責任の所在を明らかにし、真相を公開する人だと思うのですが、どうなんでしょうか。日本一とか世界一とかに絡んでいる人にしては、とても寂しい思いがいたします。こんなことではスポーツの将来が思いやられる気がするんですが、いかがなものでしょうか。

 ということで、今日は久々に県の体育協会の事務所まで行ってきました。

 なかなか多忙で、充実した一日でしたが、何をしたか記憶が定かではございません(ちょっとボケてきたかな?…笑)。明日もいろいろと御用がございまして、「貧乏暇なし、金もなし!」を地でいくつもりでございます(笑)。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月14日 (月)

隠しきれない「個性」

 よい天気でしたな。ずうっとこのままでいてくれたら、と思うような一日でございました(日向は暑かったけど)。

 帰宅したらまたしてもノラが、「ボクのごはん、まだ?」のポーズで、玄関脇に座っていた(どうして猫はあんなにも姿勢が良いのだろう。絶対に「猫背」ではありません…笑)。そろそろ一人(一匹?)圧力団体に変わりつつありますな(ネコはいつだってそう。ネコだけではなくて、小鳥も同じかな。それだけみんな、楽にエサにありつきたいと思っているんだろう)。幸い魚は、人間の耳に聞こえるような声を出さないので(特殊なマイクを使えば、聞こえるんだそうですが)、私は助かっている。

 昔、Kさんの店で、水槽に持たれて煎餅を食っていたら、中にいたダトニオが、水槽をゴンゴン体当たりしてくる。なんじゃらほいと思っていたら、とうとう最後には水をかけられた。奴らは人間がエサを食ってるのを知ってるんだね。で「俺にも食わせろ」と文句を言ってるわけだ。

 こういうのは何十回(どころか、何百回)も経験したので、こちらの思い込みではなく、(きっと)事実であろう。ものを食うという本能的な行動には、みんな敏感なのではあるまいか。(だからこそ、「食い物の恨みは恐ろしい」ってことになるのかも)

 だから我が家では、人間さま(といっても私一人しかおりませんで、少数派の極みですが)の食事が最後である。先にネコさまや、鳥さまや、魚さまの方が食べる。その合間にそそくさと食べる(朝食は。夕食はお酒を呑むので、これは文句を言わせない。お酒は神様の飲み物である!)。

 なにしろ奴らは、言葉がわからない(ふりをしている?)ので、強い。最強の交渉術である。意思が通じなければ、ぶち殺すか、相手のいうことをきくか、二つに一つしか選択肢がない。好きで飼っているものを殺すわけにはいかないから、こちらが相手のいうことを聞くしかなくなる(ノラでもそうである。何しろネズミを退治してもらった恩があるもんで… 私は義理堅い)。

 我が家の奥手のジャガイモにも、ようやく蕾がつきはじめたのが3株ほどございまして、何度目かの寄せ土をいたしました。でもねえ、どうしてこうも差が出るのかね。同じような種イモを、同じような条件で、同じように育てているのに、成長の早いものと、極度に遅いものの差が大きい。

 だからまだ一回目の寄せ土しかしてない株もある。だいたい同じペースで進んでもらいたいのだが、この様子では歩調がそろうのに、今少し時間が必要な気がする。

 同じ種類の種イモなんで、当然遺伝的にも同じである。条件を同じにすれば、発現形質も同じになるはずなのだが(理論的には。もちろん、そうでなくては作物は「売り物」にならない。男爵を植えたはずなのに、メークインができたら、これはもう商品としての価値はない。ここに「栄養生殖」の重大な意味がある)ある、成長速度にめちゃ差が出るのには閉口している。このままでは同じ品種のイモができるのか心配だ(もちろん、心配はしてませんが。同じ日に産卵されたカエルの卵でも、孵化が早いのもあれば、遅いのもございます。早く孵化したからといって、その個体が必ず早く上陸するとは限りません。これは今までの私の飼育の経験から言えることです……そのために私は、周囲の百均のプラケースを買いつくしたことがございます。プラケースの代金だけで、バカにならない金額になってしまいましたが…今は我が家の庭のあちこちに散乱してます…片付けるのって、面倒いよね~)。

 これが遺伝と発現形質の面白いところだなあと思います。(さすがにカエルやグッピーの顔つきの違いは、見分けるのが難しいけど…模様は簡単ですが…笑) だって私は、ほぼ毎年のように何かしらの生き物を飼育して、卵(あるいは幼生)から成体にまで育てているんだもんね。遺伝的には同じのはずなのに、発原形質が異なるってのは、かなり不思議でございますね。(成育環境が異なれば、それほど不思議でもないのですが)

 やっぱ個性ってのはあるんですよ! 隠しきれない、前歯はピーチパイ~(^^♪ ではないけれど、個性ってやつは、隠しきれるもんではございません(笑)。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月13日 (日)

雨の日曜日?

 夜更かしするつもりはなかったんだけど、「結果夜更かし(別名、気がついたら夜更かし)」をしていたおかげで、目が覚めたらきっちりと、天気予報通り、雨が降っていた。そんなに猛烈ではなかったけど、しっとりと降りましわな。おかげで明日の水やりはサボれそうだ(笑)。

 雨が降れば降ったで、普段できなかったことができたりするので、まんざらでもない。練習にしたって、おんもに出られる時にはついついサボりがちな練習ができたりする。これで片付けが完了して雨天練習場でもできた日には、「雨の日はきつい」という状態になりそうだ(雨の日の方が、練習がきつくなる)。梅雨時は地獄ですよ(笑)。

 気が付けばはや、五月も中旬ということで、ここから先は例の「五月病」というやつも増えてくる(GW開けてすぐよりも、ちょっと経過した方が多いように、私は感じてますけど)。五月病くんのとっては雨は気が滅入るかも知れないけれど、考えようによっては雨の日曜日なんてのは、ある種の救いだ。することがなければ、寝てればいいし、することがあっても「五月病」を楯にして、やらずに休んでればいい(笑)。

 疲れがたまるのはしょうがない。でも気分は、どうにでも持っていけるから。晴れたら、晴れた時のことをやればいいし、降ったら降った時にしかできないことをやっていれば、全然時間は無駄になっていないし。

 それを晴れた時に、降っててもできることをやり、降っている時に、晴れてなきゃできないことをやろうとするから、上手くいかないうえに、気分も鬱~~~~っ!という具合になってしまう。

 タンポポ(この季節はタンポポよりは、ブタナの方が圧倒的に多いですが)なんか見てるとわかると。晴れたら派手派手布く咲いているけど、夜とか雨降りだと、きっちり閉じている。開いていてもお客さん(虫)が来ないのを知ってるんだろうね。

 でまあ私は、今日は、雨天ならではの一日を送りました(若干、動きの激しいのもやりましたけど、それは準備運動みたいなもの。動いてないと、晩酌が美味しくないからね。つまりは「呑むための準備運動」です…笑)。それなりに充実してたと思います。むしろ途中で思ったね、ちょくちょく降ってくれないと、練習が偏る、なんて贅沢を、ね。

 感心だったのは鳥さんたちだったね。こう雨が降ったんでは、エサ探しも大変だろうと、本来の餌場(昨年作成したもの。餌場にはちゃんと屋根がついている)にエサを出して置いたら、雨が小降りになるたびにダッシュ(飛んで)してエサを食べに来るんだね。前の家の屋根をすれすれで越えて、そりゃあもうカッコいい(笑)。

 で、「ありがとう」とも「ごっそさん」とも言わないで、とっとと帰って行きやがんの。まあ恐竜の子孫に何を言っても通じるとは思っていないんだけどさ。(すでに諦めている)でも小鳥が来てれば、害虫をいくらかは食べてくれるだろうし。

 あとはどこから紛れ込んだか、この室内に蚊が一匹いる(入れるところはほとんどないはずで、どこから忍び込んだのだろう)。こいつを血祭に挙げてさえやれれば、今日はさほど悪い雨の日曜日ではなかったことになる。

 あとは一匹の蚊だけだ。こいつを退治できれば、今日はまずまずの日だったことになる。なんとも安上がりな充実だこと。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月12日 (土)

よい天気でしたねっ!

 わりと忙しい土曜日でございましたね(笑)。いい天気だったけど、天気を気にしてる暇がなかったくらい。

 夕方、ノラちゃんが帰って(?)くると、私が庭で「虎」になっていた。いつもはだいたいノラちゃんが待っているんだけど、今日の私は、雑用の合間を縫って稽古していたので、そういう巡りあわせになったんだろうと思う。

 ノラ公、一瞬、凝固っ‼ なんたって「猫」よりは「虎」の方が、迫力がある。それでもそれから30分余りも、「授業参観」されていた。最近、我が家の庭に来る連中は、鳥も獣もおかしいよ。逃げないんだから。よほど安心してるのかね。

 私の動きが「自然」になっているのなら、私は大満足だ。彼らが私の動きよりも、食べ物のほうに重点を置いているのなら、「嘗められている」ので、若干傷つく。さあて、どっちなんでしょうねっ⁉

 ノラは私が飽きもせずに「虎」になったり「龍」になったりしているので、さすがに途中で飽きたのか、どこかへ行った。稽古が終わる頃(すでに真っ暗でしたが)には、どこからともなく現れ、ちゃんと「ボクのごはん、まだ?」のポーズをしていた。

 実は稽古の間、「大国を治めていた」ので、この頃はまだ、猫舌にはキツかったんだよね。(「大国を治める」というのは『老子』の「治大国若烹小鮮…大国を治めるは、小鮮を烹るがごとし…」で、私は小魚を煮るの意味で、勝手に用いてます…笑)。要するに、時間がかかって、見なくてもいいような料理は、稽古の合間にやってしまおうという、横着の智慧だ(笑)。

 で私が「人間に戻った?」頃、ひょっこりと顔を表した。今度こそ「ボクのごはん、まだ?」のポーズである。人間様がまだ準備中というのに。でもネコにも都合があるかも知れないので、そうそうに分け前をあげた。「猫は幸せ、そのしわ寄せで、私は不幸?」 まあ相見互いでございます。

 晩御飯時に最近見る映画は、おおむねアカデミー賞受賞作中心になってしまいました。なんたってほとんどハズレがないからね(こんな横着をしていると、目が曇ってくるんだが。私は映画評論家になるつもりはないので、知ったこっちゃあない)。

 感動している間に、日付が変わりそうになるのが怖い(当然、睡眠不足にもつながる)けど、口からは肉体のための栄養補給を行いながら、目からは心の栄養補給をいう、非常に効率のよい食事だと思っている(お行儀は二の次です!)。

 さておかげで、今夜これからが仕事本番でございます。たまには早く寝たいんだけど、どうせ早めに横になっても、寝られやしないだろうし。輾転反側するくらいなら、もっと有意義な時間の使いようはあるはずだし。

 でも眠いなあ。これは紛れもない事実だ。

※ 今月の『○○を語る会』は、19日の第三土曜日でございます。よろしくお願いいたします。

2018年5月11日 (金)

良い天気だったような……

 とってもとっても良い天気でしたね、昼は。夜になると、ちょっと寒いよ! 

 帰宅すると、ノラが玄関で待っていた。「ボクのごはんは?」 神様はなんでネコという悪魔のような生き物をお創りになったのか? こういう時の猫の顔は、やたらと可愛いから困るのだ! とうとう(ノラの表情と所作に負けて、私の肴…晩御飯の楽しみ…の一部をあげてしまった。情に脆いのは、我が家の血筋なので、これまた致し方ない。

 お蔭さまで、最近では私が稽古していても、小鳥が逃げなくなった(絶対、野生の感覚を失っていると思う。もっとも私がいるおかげで、小鳥の天敵が寄ってこないという利点はあるのだろうが)。私はエサをあげているのではなく、私が捨てるもので、彼らに有益なものがあればと提供しているだけなんだが(だからいつもあるとは限らない)。

 まあ、全部なくなっているところを見ると、全部必要なのかもしれない(時々、お返しに糞を残していくのは止めてもらいたいものだが…笑)。こちらとしては、捨てるはずだった生ごみが、いくらかでも減るのが助かっていたりする(共存共栄! 我が家の庭の神様…実は私…が、そういう方針なんだから、仕方がない)。

 とはいうものの、ここ数日、ちらちら見かけていた蚊が、今日は一気に増えた。私は蚊は徹底的に嫌いなので、こいつにだけは容赦しない。(暇にしている時なら)いつでもおいで。私の蚊という生き物に対する憎しみの深さを知ることになるから(笑)。

 先日K氏のお店にお邪魔したら、外に置いてある水溜りに湧いたボウフラを、ざっと網ですくって、他の水槽に移していた。エサである。天然のエサは、餌代がかからないだけでなく、栄養がよいのか、やたらと魚が元気になる(我が家の魚なんか、もうびかびかですよ。種類が異なるんじゃないかと思うくらい、色が上がっております。色揚げなんて一切してません。ちょっと天然のエサをあげて、住み心地をよくしておいてあげてるだけなんですけどね)。

 人が飼育すると、(理想的な状態での飼育ができれば)野生では決して出せない形質が出せたりするので(ディスカスでよくわかる通り)、野生がすべてよいよか、無為自然が最高の境地だとかという言葉は、一概に信じるわけにはいきません。

 だいたい哲学なんてえのは、どたまの中で練り回して作り上げたものでしかないので、実践して自然に感得したものと比べれば、「頭でっかちだなあ」としか言いようがない場合が少なくありません(だから私は儒家思想を嗤うのと同じように、道家思想も嗤ってしまいます。どっちもどっちなんだよね。こんなもん、有難がってるやつの気が知れんわ、なんて…笑)。

 もちろん、どちらの思想にも「良いところ」はありますよ。良いところは良いと認めたうえで、頭でっかちは使えないと罵るのは、アリだと思うなあ。(私が大嫌いだった男が…すでに故人…孔子のことを「孔子様」と言っていたので、よけいに嫌いになったのかも。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」っていうし。だいたい孔子っていうだけで、本来は日本的に言えば孔先生って意味でしょ。「孔子様」なんて言えば、「孔先生様」ってことになるよね…もし「様」をつけたいのだったら「孔丘様」とでもいえばよかったのに。バカ丁寧だこと!…ちなみにこの、私が大嫌いだった男は、他人の言葉使いには、大変に厳しかった。国語的にどうたら、こうたらと説教するのが好きだった… 一度私と議論した結果、大敗して逃げたけどね。それ以後、生きてるのを一度見た。次に消息を聞いた時には、死んでいた。全然悼む気にはならなかったけど。悼むほどの値打ちはなかったからなあ。

 まあいいや。嫌な奴を思い出すよりは、我が家の庭に集う「可愛い?(時として厚かましい?)」奴らの顔でも思いだしているほうが、私の精神衛生にははるかに良い。

 などといいながらも、ここんところよく遊んだので、やらねばならないことが山積しちゃってるんだよね。加えて遊び疲れか、眠い。できるだけ早く取り掛かって、さっさと片付けちゃおう。なんて思ってます。貧乏暇なし、金もなし! せめてほしいのは、睡眠時間、かな?

2018年5月10日 (木)

融通無碍

 日が長くなると、つい時間の感覚が狂う。特に夕方は酷い。まだまだ明るいと思っていても、時刻は「よゐ子はお休み」の時刻が近くなっていたりする。

 この影響を一番受けるのが、私の場合は睡眠時間だ。寝るのが遅くなるので(そうでなくても遅いのだが…笑)、否応なく睡眠時間が減る。これから暑くなると、暑い日中よりも、涼しい夜間の方が、なにもかもはかどるというのも、大きな原因の一つである。

 平和なのかなと思っていると、つい警戒が緩む。特に、きちんとした価値基準を持っていない場合には酷い。相手が少々おかしなことを言っても、それまでに比べればまだましかな?などと思い始めると悲惨だ。

 この状態から交渉などが始まると、交渉とはお互いの言い分をいくらかは容認するという考え方があるから、肝心かなめのところまでが緩んでしまうことが起こる。なんとなく安心な感じがするところが、一番怖い。

 歴史などというものをきちんと勉強していれば、和平交渉が一番難しいというのは、わかっていて当然だ。項羽と劉邦の戦いを見るとよい。和睦なって引き上げる項羽を、約を平気でぶち破った劉邦(の参謀、張良と陳平)が追撃し、さらに動こうとしなかった韓信と彭越まで無理やり動員して、垓下に腹ペコの項羽軍を破り、烏江に項羽を追い詰め、自刎させた。それでも天下を取れば、皇帝だからね(勝ちさえすれば歴史が作れるから、どんなキタナイ手も許される? 私個人の意見では、項羽が天下を取ったよりは、劉邦が天下を取った方が、民衆にはよかったとは思うけど)

 ましてや、歴史認識がどうたらこうたら言いだす人が、一番にやっかいだ。何故かというと、歴史認識云々を言いだす人々は、「歴史なんか認識の問題だ」と思っているからだ(「勝てば官軍、負ければ賊軍」というなど、基本中の基本)。認識する方向が変われば、いくらでも解釈の仕方は変えられる。

 さらにみょうちくりんな歴史認識に沿って、データを捏造し始めると、「S〇AP▽胞はありま~す!」よりもひどいことは、いくらでも起こる。相手が結果ありきでデータを創造(捏造)することが予想できる場合には、こちらも「結果ありき」で臨まなければならない。つまり、一切の妥協はすべきではないのだ。

 冬だろうと夏だろうと、太陽が何時に昇ろうが沈もうが、いつも決まった時刻に寝て、決まった時刻に起床する人がこういう人であって、「結果ありき」の生活を送り、周囲の状況に影響されない、「規則正しい、よい生活習慣」を確立していると言われるのと同じだ(悲しいことに、私はそうではない。不規則習慣が染みついております…笑)。

 一番大切なのは、生活習慣であろうと交渉であろうと、その場に一番ふさわしい姿勢で臨めるということだ。形あって、形無く。形無くて、形あり。融通無碍が一番でございますな!

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