2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2017年8月18日 (金)

弘法、筆を選ぶ!

 だいたいボールペンという奴は、最後まで使い切られることが少ない文具ではないだろうか。性格的にきちんとした人ならば、きっちり最後まで使われるかも知れないが、私の場合は、かつては、よほど使い心地が良いボールペンでもなければ、最後まで使い切ったことがほとんどなかった。

 いつの頃からか、やたらとボールペンを使うようになって、もともと色分けが好きな人なので、3色とか4色のものを使い始めたのだが、こうなると黒はなくなったけど、他の色はたっぷり残っている、なんて状態になり、青くらいまではなんとか使いきれていたが、緑とか赤とかになると、使い切るのはかなり難しい。そうこうしているうちに、何処へかとボールペンの方で、姿をくらましてしまう(ネコかいな? 死期が近づくと消えていく、みたいな)。

 で最近は心がけを新たにして、黒は黒でいい。赤が必要な時は、赤のボールペンを出せばいい、ということで3色、4色のボールペンを買わなくなった(結構高いし。最後まで使い切らないと、結局赤とか緑とかのお値段は、無駄になっているからね。もう一つの理由は、ボールペン自体が太くなるし…微妙に手指の疲れに関係するような。特に長時間使い続けると、これはかなり堪えてくる)。

 7月の終りかなあ、黒のボールペンを0.3㎜、0.4㎜、0.5㎜、0.7㎜、1㎜と、各一本ずつ買い、どれが一番使いやすいか試してみた(なんとこの5本、すべて使い切った)。同じサイズのボールペンでもいろいろと個性があるみたいで、若干(というかだいぶというか)使いやすかったり、使いにくかったりするのだが、0.5㎜か0.7㎜くらいのが、ちょいとメモ書きする的な使い方には向いているのだろうか(まだ結論を出すには早すぎるけど。だいたいちょいとメモ書きする程度の使い方で、ほんの3週間ほどで、ボールペン5本は使い切りません…笑)。

 で今日は黒のボールペンの買い出しに行ってきた(なくなっちまったからね)。0.3㎜から0.7㎜のものを各2本ずつである。これでまた使い込んで、用途別(作図なんかになると、線の太さによっては0.3㎜がいいこともある)に、どれを使うべきかを調べてみようと思う。私は弘法大師ではないから、きっちり筆を選ぶんですな。(「文字は書けないけど、恥…はじ…はかける」と、いつも言っているように、書く字にはまったく頓着しない。文字は情報が伝えられればそれで十分と思っているので……書道でいう文字の値打ちも、最近はだいぶわかってきましたけどね)

 なにしろ書くのに疲れてくると、能率が下がる。能率が下がるとイライラし始める。いらいらし始めるとやる気がなくなる。やる気がなくなると、遊ぶことばかり考える。遊ぶことは楽しいので、苦しいことなんか、まったく見向きもしなくなる。見向きもしなくなれば、去る者日々に疎しで、何をやっていたのか、きれいさっぱり忘れてしまう、という素敵な循環に入っちまって、正気に戻った時に、生きているのがたいぎになったりするからね。

 だから快適に仕事が進行するためにも、使う道具は、まずは使いやすくなければならない。使いやすいかどうかは、使ってみなければわからないから、使ってみるところから始まるんですな。

 これはボールペンの話だけど、スポーツなんかだと、使う道具次第で、パフォーマンスが伸びたり、まったく伸びなかったり、それどころか故障したりすることすらありますからね。自分に一番適したものを、慎重に探していかなければなりません。超一流選手ならば、メーカーさんが、ぴったり合ったものを、わざわざ作ってくれたりしますけど、一般の選手とか愛好家には、そんなことはしてくれませんから。

 昔、世界的に有名だった某アスリート(黒人選手でした)モデルなるものを履いた時(スパイクシューズでした)、私の第一声。「うっそ~おっ!」 足の形が全く異なったんですね。よくもまあこんなものを、「○○モデル」とか言って売り出すなあと、呆れかえりましたよ。大方の日本人の足とは、形からしてまったく異なったんだよね。

「こんなもの履いたら、記録が出るどころか、壊れちゃうよ」と感じたのですが、そのタイプの靴はほどなく市場から消えましたから、ユーザーに合わなかったんでしょうね。いくらそれが世界的スーパースターのモデルだからと言って、履く本人の身体に合わなければ、意味ないですもん。

 昔の武芸者なんかだったら、最終的には自分が使う武器は、自分で作ったり、作ってくれる人(これまた名人、達人級の人)に細かく注文してたりしたんじゃないかと思います。たぶん「弘法、筆は厳しく選びます」の世界にいたんではなかろうか。わずかな差が生と死の分かれ道になるとしたら、厳しく選ぶのは、あったりまえのこんこんちきってことになりますよね。

 ま、ボールペンには(きっと)そこまでの厳しさは要求されないと思いますが、それでも使い心地もいいものは、少々お高くても手が出ますね(最近のボールペンは、かなり使いやすくなっていると感じております。昔の使いにくかった頃は、サインペンを使ったり、筆ペンの極細の方を使ったりしてたくらいですから)。さすが日本。たかだか100円もしないボールペンでさえ、ここまでユーザーのことを考えて工夫してくれている。

 いい国に生まれ、暮らしていると思いますよ。大・感・謝っ‼

※ 今月の『○○を語る会』は、明日でございます。よろしくお願いいたします。

2017年8月17日 (木)

脳味噌煮えた?

 暑いですな! で岡山の最高気温は34.6℃。へえ、この程度? もっと暑く感じたけどねと思ったけど、計器は感情を持たないので、きっと正しいのだろう。もちろん、気温の測定は、直射日光の当たらない、風通しのよい場所と決まっているので、条件的には恵まれている。人間さんは、この強い日差しの中、直射日光にあぶられながら動いたりすることもあるわけで、現実には我々が感じなければならないのは、下手な最高気温よりも高いこともしょっちゅうだろう。

 もっとも最高気温は昨日よりも1.9℃高いらしい。2℃近く違えば、暑く感じてもしかたあるまい。ましてや体温に近いあたりの2℃だもんね。平熱36℃の人が38℃に発熱したら、けっこう堪えるもん。

 ということで、国際的な子供喧嘩も「え~かげんにせいよ!」という感じだが、根本的な解決をみない以上、問題は複雑になっていく一方ではないかと憂慮している。ま、誰もが自分の任期いっぱい、どうにか大過なく過ごせればいい、なんてことを考え始めると、世の中ろくな方向に進まないような気がするんだが、私は責任もないし、責任持ちたくても、その資格がないので、一人でぼやいていよう。

 喉元を過ぎれば熱さは忘れるかも知れないけれど、それが毒物だったら大変だ。喉元を過ぎた毒物は、消化器を通って吸収される。いったん吸収されると、排斥するのは難しいから、あとはめんどうだ。その頃には問題に対する対応をいい加減にしていたお年寄りたちは、みんなこの世にいなかったりするので(誰にも寿命はあるからね。ある意味、究極のエスケープだ)、悩むことはない。かくして自分の任期中には、何事も「ことなかれ」主義に陥ってしまいがちだ。お役所なんかだったら、担当者が異動したりするよね。「前の人のことは知らない」と言えば、なんとか逃げ切れるし(それをするなと、十七条の憲法にははっきり書いてあるんだけど。この十七条の憲法というのは、なかなかのスグレモノなので、千年以上も前のものだから…と馬鹿にしてしまうことは危険だ)。

 どうしても面倒と思ったら、最後は必殺「トカゲの尻尾切!」。そんなこんなで、上の者には逃げようとすればいろんな手段がある。「切られるもの」は堪ったもんじゃないけど。なんでこういった方法が発達しちゃったんだろうね。李代桃僵ってのは兵法三十六計の第十一計にあるけど、これは本来、値打ちがあるものを活かすために、それよりは値打ちが低いモノを犠牲にするやりかた。

 でも部下を犠牲にして自分がのうのうと生き延びるんだったら、将来性のある部下の芽を摘むことにもつながるかも。誰だって最初は誰かの部下だったわけで(生まれついての大将みたいな人も、いないではないですが、たいていは部下の使い方を知らず、どこかで失敗いたします。例:項羽)、これを伸ばすことが最終的には自分にもプラスになることが少なくございません。

 だからあまり「トカゲの尻尾切」はやらない方がいいんですよね。尻尾なら切られてしばらく暴れておしまいですけど、人は切られたら怨むし。お役人は比較的「上屋抽梯:三十六計第二十八計」をよく使いますけどね。有能な部下をおだてて仕事をさせ、自分の用事が終わると知らん顔。仕事をした部下は放り出して、自分の手柄とし、それを土台に自分だけは上を目指す、なんてね。これもまあ「トカゲの尻尾切」の一種なんで、人と仕事の契約をしたら、かならずそれに見合う報酬を要求しなければなりません。

 松田優作さんの『蘇る金狼』風に言えば、「報酬は重役の椅子」という奴ですね。それでも『蘇る金狼』では、社長側はまだこすっからい手を講じて、その約束を反故にしようとしますから、力ずくでも報酬を奪い取るくらいのモノを持たなければなりません。こうなると「おつきあい」ではなくて「どつきあい」寸前ですが。(表面は穏やかだけど、内面は暗闘している)

 ま、今回の拍子抜け国際情勢も、これに似たようなものかな。70歳を過ぎたガキ大将が、わからずやのガキ大将に「賢い」などと言ったとしても、これで終わるはずはないからね。お互いに時間を稼いだ気がするけれど、その時間を有意義に使うのは、果たしてどちらなんでしょうか。今までのところ、任期が限られている側が、「ことなかれ主義」に陥って、次第に不利になっているように見えるんですけど。

 ま、私の知ったことじゃないし、知りたいとも思わない(こともない)。でも知っても、どうすることもできないし。

 まあ、ひと汗流して、脳みそをさっぱりさせないといけません。

※ 今月の『○○を語る会』は、今週の土曜日でございます。よろしくお願いいたします。

2017年8月16日 (水)

飲酒後の独り言…かな?

 いやあ、呑んで帰ってきたら、今日はもうニ十分少々しかありませんでした。ああ、美味しかった。美味しい酒は、やっぱり仲間と呑むに限るね!で、今日の残り時間がわずかになっていて、慌ててPCに向かいました。ああ忙しっ!(実は明日の資源ゴミの準備もしてた。さらには小腹がすいたので、そっちの方も… ってことは、この呑み屋さんの改善点が見えてきましたね)

 今日は蒸し暑かったよね~。ただ蒸し暑いできごとは、私の身の上にはなかったんで、私的にはよしとしよう。面倒くさいことは、楽しいことの前にやって、その楽しさの印象深さで消し去ってしまうって高等手段がある。印象が強いほうが記憶に残るからね。で呑みに行く僅か前まで、「草刈」をしていた。見事に左手人差し指を、鎌で切った。

 痛くはなかったので、そのまま放置して草刈を続け、シャワーを浴びて、パンツを換えてバス停に急行。呑み屋に着いたのは一等賞だったので、勝手に飲み始めていた。そのうち、三々五々と仲間が集まってきて(いつも、そうなんですけど)、終りは閉店時刻を越えてしまうという……

 こういうのいいなあ。稽古なんかしてても、なんとなく仲間が集まってきて、なんとなく稽古して、なんとなく帰っていくなんてのが、ね。一同揃って、「お願いしまああすっ!」ってのは、昔からあまり好きではなかったね。これって「教える側に都合がいい」けれど、その時間的制約で、自分のペースを守れない人って、必ず出てくるもんね。

 せいぜい守るとしたら、自分の生理的状況くらいかな。自分の身体が一番活性化するときに、一番活動的なことをやってればいいんじゃないかと思う。ただまあ、社会生活には不適応だと思うけどね。

 ということで、もうすぐ「今日」も終わるので、取りあえず締めときます。はい。

※ 今月の『○○を語る会』は、8月19日(今週の土曜日)でござます。よろしくお願いいたします。

2017年8月15日 (火)

代表!

 やれやれ、気持ちの悪い一日でしたな。蒸し暑いったらありゃしない。で夕食を食べながら、David Attenboroughの『THE LIVING PLANET』を見てたら、知らない間にいい気持ちで寝てしまっていた。エアコンはさすがだなあ。気持ち悪さが消えるよ。

 今日は死ぬほど気持ちが悪かったので、無理して練習をすることもないだろうと、横着を決め込んだ。現役選手じゃないからね。本来は気が向いた時にだけ、練習するだけで十分なんだから。気分が悪いのまで押して練習して、果たして効果があるのだろうか。逆に何かよくないことが起こりそうな気がするだけだ。

『THE LIVING PLANET』も、以前見たのだが(この時も「いい気持ち」になってしまったのかなあ。記憶がなかった。見ているうちに、いくらかは思いだしたけどね)。BBCのこのテの番組は、やっぱAttenborough節かなあ。見てて何か安心してしまう(それだけ、よく見てるってことだけかも)。

 でPCの前に座ったら、今度はPCの調子が悪いのなんの。立ち上がらないでやんの。で悪戦苦闘数十分、ようやく今に至りました(今日の残りはあと45分?)。いろんなちょっかいをかけてくる「いらんことしい」は、どこの世界にもいるもんですからねえ。しょうがないよ。

「いらんことしい」にも大きく3つあって、その一つ目は、悪意があってやっているもの。その二つ目は、悪気はないんだけど、ついやらかしてしまったもの。三番目は、善意からいらんことをして、人に嫌がられるものだ。

 一つ目はこちらの気分が悪ければ、徹底的に制裁を加えることもないとは言えないが、二つ目と三つめは、なかなか対応が難しい。特に三つめは大変だ。「あなたのためを思ってやってあげているのに」なんてよよと泣き崩れられたら、これはもう始末が悪い。(だいたい泣くのは反則だ。ただの感情をぶつけるだけ…怒りの感情なら、怒りで返せるが、こういった感情に反撃するのに、こちらも泣く? …できないわ)

 こうなればもうやることは一つ。知らんぷり。もちろん知らんぷりしてても、あちらから絡んでくることはあるけどね。で知らんぷりした理由を説明したら、またしてもそこで、よよと泣かれたりしたら、結局は相手の土俵に乗ってしまうので、やっぱり徹頭徹尾、知らんぷり。

 相手がこちらの知らんぷりに怒ってくれたら、これはこちらの土俵になる。怒りには様々な方法の「返し技」があるからだ。なかなか忍耐が必要ですな。でも自分の好みの土俵に相手が乗ってくれるまでは、何事も辛抱が一番。辛抱しないで相手を引きずり回して自分の土俵に入れる手もなくはないけど、平和に暮らしている世界では、あまりいいことにならないかも。

 もちろん特殊な状況なら、これもなくはない。今も世界中でこんなことが行われているよね。いい加減に片付いてほしいもんだけど。

 そうそう、最近急に、新聞紙上で何処だかのミサイルがどうのって記事が増えたよね。NETを情報源にしてれば、そんなことはとうの昔から当たり前だったのに、その頃は、やれM友学園だのK学園だので大騒ぎをしてたよね。本ブログでも何度か取り上げたけど、本当に国会をあげて大騒ぎするような問題だったのかねえ。本当に重大なことを隠すために大騒ぎをしてたのなら、罪は小さくないよ。

 そうこうしているうちに、個人なのに疑惑の総合商社みたいな、某政党の某代表が「代表や~んぴっ」とやっちゃったけど、これは大して取り上げられていないみたいだねえ。その分、NETでは大盛り上がりだったりするんだろうけど。

 報道してくださる方の基本姿勢や意図が、非常によくわかった、この2年ほどの気がいたします。そうこうしている間にも、報道機関の人なのか、ただ騒がせているだけなのか、ご本人すらよく理解されていないのではないかと思えるような存在も登場いたしましたわな。国民の代表とか自称して。

 代表になるのなら、それ相応の手続きを踏んでくださいな。代表とされた方の中にも、けっこうアヤシイ人がいる時代なので、手続きも踏まない人なんか、まったく信じられませんよ。それとも「俺は国民を代表してる」と言えば、誰でも国民の代表になれるんですか?そりゃいいや。私も代表しちゃおうか……

 ご心配なく、私はそんなに自分に自信がないので、国民を代表するなんて、とても、とても…… ま、海外へ出た時には、日本人として恥ずかしくない言動をしようとは思ってますけどね。それったって、特別なことをするわけじゃないし。

 いつも通り、普段通り。誰に対しても、できるだけわけ隔てなく… くらいのもんですね。肩凝らなくていいよ。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、8月19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

 追伸:暑い暑いと思っていた時に、熱い番茶を淹れて飲んだら、これが美味かった! 美味いということは、身体が喜んだ、つまり身体によかったのかも。

 

2017年8月13日 (日)

心身のつりあいをとる

 健康のため、スポーツをやりましょう!という言葉は、よく耳にしたものだ。ところが意外なことに、一流選手であっても、防衛体力面ではさほど強くなく、風邪を引いただの、体調がよくなかっただのと聞くことがある。そりゃあ、人間ですから、いつも体調がいいなんてことはありませんよ。もっとも、このあたりを上手にコントロールできるのが、所謂「いい選手」ってことになるのかも知れない。

 今日もとろとろ走っていて、ふと気が付いた。何かおかしい。なんとなく気持ちが悪い。でますますペースを落として、呼吸や脈拍の関係を調べてみた(普段からこういう習慣がございます)。すると微妙にずれているんだよね。

 若い頃には「ええい!何甘えたことぬかしとんじゃい、この身体は!」とばかりにねじ伏せて、なんとなくその日が終わっていたような気がするのだが、最近は少しズルくなったというか賢くなったというか、他の運動を入れてみるようにいたしました。何もかも、すべてのタイミングとバランスをとる運動を入れてみるんだね。

 するとほんの数分で、見事にタイミングがあってくるんだよね。こうなると同じ労力で、運動した結果がまったく異なってくる。楽に物事が進む。今日もやっぱりやりましたよ(気持ちの悪さ…吐き気とか、腹痛ではなく、動いていてなんとなく、どこかおかしい感じ…が消えるまで、ずっとやってればいいと、気楽に考えていたら、2~3分もかかったかな、すぐに調整できた)。こんな調整方法を知らなかったら、気持ちが悪いけれど「根性だ! 根性さえあれば、気持ちの悪さなど、消えてしまう(な、わきゃないでしょう)」となってしまうかも知れないんだよね。何しろ『巨人の星』世代の影響を受けているから(笑…劇画作品としては秀逸だと認めても、あれを現実にもってきたのでは、困ったことになるんだけど)。

 心拍と呼吸と動きのタイミングがずれていると、何か嫌なことが起こる予感はあるのだけれど、こういう分野の研究は、あまり進んでいないんじゃないかな(測定しにくいし。だっていつ、だれが、どういった状態で運動しているかなんて、さっぱりわからないもの)。で、「苦しい時ほど、それを乗り越えたら、素晴らしいものがある」なんて精神論が、どういう場面でも通用すると勘違いして(通用する場合は、確かにありますが)、健康のために運動しているはずなのに、逆に健康を壊したり、時に取り返しのつかないことが起こったりするんではないかと思う(あくまで私個人の意見ですけどね)。

 これに対して、時に「静かに瞑想している人をごらんなさい。あの人たちは身体を鍛えたりしないのに、健康で長生きする」なんてことを仰る人もいる。確かにそういった生活をされている方に、驚くほど長寿に方がおられるのは事実だ。でも、そういった生活をしている人のすべてが、みんなどえらく長寿かというと、そんな科学的データもないんじゃないかな。

 では「静かに瞑想する(ちなみに私は、こういうのも大好きですが)」のと、身体をガンガン鍛え上げていくのと、どちらが身体に良いのでしょうか、という問題は、どう考えればようのだろうか。

 私的には、人間、その時、その状態で、一番適したことを適した量だけ、適したやり方でやったのが最善だと思っております。若くて大きな超過回復が期待できる年代では、ガンガン鍛えるのもありでしょう(もちろん、ものには限度がありますが)。人間の心身は、年とともに変わっていきますから、いつまでも同じ練習を続けることは、心身の変化を無視していることになります。この矛盾がある程度以上大きくなると、故障であるとか、もっと大きな問題につながっていくのではないかと思っているのですが、どんなもんでしょうか。

 幼い頃に必要なものと、思春期に必要なものと、青年期に必要なものと、壮年期に必要なものと、熟年期、高年期に必要なものは、同じであるはずがありません。「昔できたんだから」と、若い頃やっていたことをやろうとして失敗することを「○寄りの冷や水」などと申しますが、心身の変化を無視すれば、必ずこういった現象に遭遇いたします。

 自分の身体とよくよく相談し、ちょっと異常がありそうだったら、それを矯正する術を身につけなければなりません。私の場合は幸いに、こういった面だけは運命の女神様に祝福されたらしく(できたら他の面も祝福されたかったですが…涙)、いろんな出会いが、いろんなことを身につけさせてくれました。これには感謝しなければなりません。

 じゃあ瞑想していて健康になれるのか? 私は「これもあり」だと思っています。身体の状態と精神の状態がぴったりマッチすれば、健康ではないでしょうか。もちろんこんな生活をしている人に、「じゃあ健康なんだから、100mを10秒で走れ」とか「総合格闘技の試合に出てみろ」というのはいけませんよ。だってそのための心身ではないのですから。

 逆に、運動するのが当たり前の人にとっては、動くことと精神状態や生理状態のバランスが完璧にとれさえすれば、長寿はあると思います(加齢とともに、動きにくくなるのが現実なので…動き続けていれば、全盛期の動きでなくてもいいやと悟りさえすれば、意外なくらい身体は動いてくれますけどね。でも現役時代の癖が残って、無理をしてはイケマセン。何度も言いますが、無理とは理がないことですから…それを敏感に感じ取って、正しく対応することが大切なんじゃないでしょうか)。大切なのは、いつも自分の心身と向き合うことかも(内観は結構重要です)。

 人の心身は、その目的としたことに向かって発達していくわけで、人生の深みを瞑想によって追及したい人に、「走れ」とか「戦え」というのは酷です(もちろん、その逆もまた真なりですが。時にスポーツ選手の中で、座禅を組んだりする人もいますが…ちなみに私は好きです…笑…、専門的な練習を完全にやめて、座禅だけにしたのでは、やっぱりうまくいかないんじゃないでしょうか。瞑想によって、心身の偏りが矯正されることは、大いにありだと思いますけど…でなければ、各スポーツのチャンピオンは、座禅をしている人ばかりになってしまいますね)。

 問題は、目的に対する肉体と精神のつり合いを、いかにしてとってやるかということですね。

 今日の私の場合には、若干、呼吸と心拍と動きの間にずれがあったので、すぐに矯正いたしました。何をやったかって? 健舞ですよ。どうやら本格的に身についてきたみたいです。効果がすぐに現れましたから。これを動く禅と考えてもらってもかまいません。ま、健康で毎日を生きる上では、わりと役に立つかな。

※ ということで、今月の『○○を語る会』は、8月19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年8月12日 (土)

言ってわからない奴には……

 今日はしのぎやすかったですな。でも岡山市の最高気温は32.8℃。結構暑いじゃん!(昨日が34.4℃だから、涼しく感じただけ?) 身体が暑さに適応したのかな? それとも鈍くなった? ま、それなりのことはやっているんだけどね。人間の身体だから、いくら努力しても、超えられない壁はあるわけで(無理して超そうとすれば、死ぬだけです…笑)。一日も早く、うだるような暑さから解放されたいです(凍てつく寒さも嫌いですが)。

 お盆といえばお墓参り。私の場合は毎日お参りしておりますが、周囲のお墓も、すっかり草刈なんかをして、蚊の数がめっきり減りました。夏の草むら=蚊の大群ですからね。それでもまだ、ちらほらと出没しやがります。

 蚊という奴は当然のことながら、人語を解しません。いくら交渉してやろうと思っても、言葉が通じないんじゃしょうがない。もちろん犬や猫といった、ありふれたペットも、人語は一応解さないとされていますが(私の経験では、難しい学問とか、計算とか、哲学とか、所謂人間界での約束事に関しては理解しなくても、ある程度までは人語を理解しているように思ったことは、何度もありましたけどね)、彼らとはある程度までは交渉が可能です。

 何故かって? それは「価値観を共有できる部分がある」からなんですね。たとえばエサを与える。エサは生きていくうえで非常に大切なもので、その大切なものを与えてくれる存在を、大切だと考えるように教え込めば、これは相手が野生であっても、すでに「エサ」を仲介にした信頼関係が成り立っているんですね。こうなると、少しずつ交渉が成立し始めます。(爬虫類などは、若干ヤバいことがありますが。ワニなんかを飼育していた人が、エサを与えようとしたら、腕ごと食いちぎられたようなケースもあるようですから。私も似た経験があります。私がそいつと出会う前、1年ほど、ろくにエサをもらっていなかったカメにエサを与えたところ、エサを持っていた手に噛みつかれましたからね。奴らは「誰かがエサを与える」という感覚ではものを見ていなくて、「食えるものがある。ならかぶりつこう。おなじかぶりつくなら、大きい方がいい」という本能に従って行動するみたいです。こうなると「信頼関係」ではなく、ただ「目の前に食えるものがあるかどうか」の認識(すなわち本能的な欲求)だけになりますから、交渉は不可能になります。こちらが「エサを与えている」という価値観を持っていても、向こう様には「エサをもらう」という価値観が存在しないわけですから、どうやっても共通項が見つからないんですね)。

 蚊という奴は、本ブログに継続的のお付き合いくださっている方は、すでにご存じだと思いますが、私が最も嫌う昆虫の一つです。だいたい昆虫は我々と、意思疎通なんてものはできないと思っていますから(私はこれを、「口が横に開閉する生き物と、縦に開閉する生き物では、基本的な価値観で共有する部分がない」と言っています)、どちらも自分本来の姿と欲求に従って行動するしかないと思っております。

 だからお墓参りに行くと、きまって蚊の大群が現れます。(普通の日には、周囲のお墓は、雑草ぼうぼうだし)で、いちいち叩き潰していたらきりがないので(そんな生易しい数ではない)、さすがに殺虫剤を噴霧いたします。するとバタバタ墜落して、アリンコのように地面でのたうち回るのですが、仲間はそれを見ているだろうに、またしばらくすると「わっ」と群がってきます。でまた殺虫剤を噴霧します。するとまたバタバタと墜落します。

 普通の生き物だと、いい加減に「学習」して、「あいつのそばに行ったら、毒の霧が発射されて死ぬから、行くのはよしとこう」ってなるじゃないですか。ところが蚊という奴にはそういったところがまったくございません。こちらも「死なねばわからないのなら」という気になりますよね、当然。そうでなくとも蚊という存在は、こちらにとって何の利もないんだから。

 何の利益もないものが存在を許されているなんて、そもそも奇蹟に近いことなんだよ、この自然界(世界)では。ましてや害ばかりがあったら、いの一番に「駆除」される対象になる。かつて人類を襲い、克服された多くの病原体同様、実験室の、すべてが管理されたなかで細々と生き延びる以外は、完全に絶滅させられてしまうのが一般的だ。何故かというと、そうすることで、我々人類が晒された危険を減らすことができたからだ。

 人類全体に危害を及ぼす可能性があるものは、消滅させる。実はこれは、人類の生存競争だったんだよね。そのため、益なく害ばかりを振りまいている存在は、(仮にそれを利用している存在があったとしても。毒や凶器をちらつかせて、自分の意思を押し通そうとしているだけなので、自分の欲求が叶えられたら、不要になる。ましてその毒や凶器の危険性が大きければ大きいほど、真っ先に抹殺される。歴史では常識)、遠からず消滅させられる運命にある。これは「歴史」が証明していることであり、そうでなければ、人類は生き延びることができなかったからだ。

 これは何も、昆虫や病原体だけに限った話ではないと思うよ。そうして有害なものは、大きな被害が出ないうちに消滅させるのが、人類の生存上、有意義な行動だと思いますね。

教訓:長生きしたかったら、他者に対して、価値がある存在になること。そうすれば、他者が自分を活かしてくれます。そのためには、他者の利益になることを、山のようにしなければなりません(私も、まだまだ頑張らないと!)。

※ 今月の『○○を語る会』は、8月19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年8月11日 (金)

お盆なの?

 お盆で帰省中の方もおられるんじゃないかな。新幹線の乗車率なんか、ヤバいことになってません? 車で帰省される方は、昼の運転は眩しいし… でもって、夜間に移動する人もいるんじゃないかな。ちなみに私は夜間の高速のドライブは、嫌いではありません。

 お疲れかとは思いますが、どうぞ、運転には十分お気をつけて、楽しい盆休み(本当は疲れたりして…)にしてくださいね。私も明日、明後日は、気分転換にどこかへ出かけようかな、と一応考えていますが、それも朝、目が覚めたらの話です。なにしろ超深夜型人間ですから。

 ところで、私が高速が好きな理由。信号がない(この時期は、いろんな理由で渋滞するみたいだから、高速に乗らないけど)。もう一つは、道に迷いにくい(その代わり、一つ下りるところも間違えると、とても面倒なことになる…今年も一度、カーナビに騙されて、「あれ? 変なこと言ってるぞ」と思ったけれど、けっこう暇があった日だったので、「ま、いいや、騙されてやれ」と思って、カーナビの指示通り行ったら、大変な目に遭いました。あのカーナビってやつは、都合が悪くなると、黙り込むっていう、とんでもない性悪なところがありますね! 人間でもこういう奴を相手にすると疲れるけれど、カーナビの場合は、時間と金がかかります)。さらに夜間になると、闇の中をヘッドライト・テールライトが輝いて、みゆきさんの『ヘッドライト・テールライト』なんかをかけてると、最高の気分になれます。うるうる。

 とはいうものの、お盆ともなると、だいぶ日が暮れるのが早くなった感じがございます。今日も走ってて、「あれ? もうこんなに暗い?」と思いましたからね。秋の陽はつるべ落とし、ヘッドロックは岩石落とし(昔、ルー・テーズが日本にこの技を紹介した頃には、バック・ドロップなんて言わないで、「岩石落とし」なんて言ってましたっけ。なんで岩石落としなんか、よくわかりませんでしたけどね。岩石を落とすだけなら、前だろうが、横だろうが、後ろだろうが、どこでもいいはずなんで)で返せる、ございます。

 じゃあ、なんで返されるのがわかってヘッドロックをかけるのかというと、よくわかりません。もちろん、正しくヘッドロックをかけられたら、失神ものですけどね。(なんと、ルー・テーズのお師匠さまは、ヘッドロックの達人だったんだそうな。弟子は師匠の得意技の返しを覚えていくもんですね…正しい師弟関係?)

 夕日が西の山にかかるかな?と思ったら、あっという間に暗くなってしまう。こうなるとだんだん、ユーミンの『晩夏』の季節に変わっていくんですな。それからもうちょっと進むと、小田さんの『秋の気配』この歌は、秋の気配ではなくて、完全に秋のイメージですけどね、私的には。この季節には、名曲が多いですね。実際にはけっこう暑かったりするんだけど。

 まあとろとろと走っているので、いろんなことを考えます。凄い大事なことを考えていることもありますが、だいたいは走っている時は、脳みその中で、好きな歌が流れている(私はヘッドホンをつけて走りません。昔…そんなもん、なかった…からの習性です。だいたい、滝のように汗をかくのが目的ですからね…すべては、美味しいビールのため?)ことが多いですね。これも高校生時代からの習慣だけど。きっとリズムがあるから、知らん間にそんな癖がついたんだろうね。もちろん歌は、その時の気分で自動的に選択されます。不思議なもんだなあ。嫌いな曲が選択されることは、ほぼありません(当たり前だ、憶えてないもの)。しかも料金は「タダ」です。人間の脳味噌は、大変に便利よくできております。

 そういえば先日走っていて、野生化したアカミミガメ(子亀の頃、ミドリガメと称して売られているやつ)が産卵しているらしいのを見ちゃったんだよなあ。こいつが特定外来種に指定されているのかどうかは知らないけど(仮に指定されていたとしても、お産をしているカメの邪魔をするほど、無粋なことはやらないよ、私は)、行きがけに身て「おっと、ごめん!」(ちょうど走路…私は舗装した道はあまり走らないので…上にいた)と避けたんだけど、帰路でも、まだ同じところにいた。行きと帰りでは40分くらいは時間が経過していたと思うけど、カメは時間をかけて産卵するらしいので、こういうこともあるのかいな(さすがに翌日にはいなかったけど)。

 孵化したら可愛い子亀が出てくるんだろうけど、飼うつもりがないので、そのまま見守るつもり。かりに特定外来種に指定されても、特に自分に害がなければ(カメの世界では、大変に大きな害があるらしい。最近、野生では、日本固有のカメをさっぱり見かけなくなったもの)、相手にも危害は加えない。私の専守防衛は、かなり徹底していますからね(我が国にも、そうあっていただきたいと希望しておりますが)。

 いずれにしても盆が過ぎていくこれからの季節、いろんな変化があるもんです。できたら自分の生活にも、少しはいい変化が起こらないかと思っていますが、世の中そんなに甘くないかな?

※ ということで、今月の『○○を語る会』は8月19日(第三土曜日)でございます。よろしくお願いいたします。

2017年8月10日 (木)

美しい光景

 お暑うございますな! 今日の岡山市の最高気温は35.7℃だということで、私の平熱とほぼ同じくらいでしたな。平熱と同じなら、何も感じなければよさそうなものなのに、結構暑かったです(そんなこというなら、32℃くらいだったら、寒く感じないといけない?)。

 この暑い日中、とてもうるわしい光景を見て、私は心が和みました。まだうら若いお母さんが、幼い娘さんと散歩されていたようなのですが(出で立ちから、推測しました)、道端にあるお地蔵さんに向かって、手を合わしておられました。

 私が子供の頃には、比較的よく見かけた光景なのだけれど、最近は見なくなったなあと思っておりましたら、こんな若いお母さんが、幼い娘さんと一緒に手を合わしておられる。きっとこれは幼い娘さんにも受け継がれていくだろうな。ぜひそうあってほしいなあと思いました。

 道端のお地蔵さんに手を合わせる行為について述べれば、おそらくは400字詰めで100枚は書いてしまいそうなので、ここでは止めておきますが、とにかく日本人の心の原点に根差していることは間違いありません。もちろん千年をはるかに越える歴史の中で、ほとんどの人は、深くその意味を考えることなく、ただの形として受け継いできたものかも知れませんが、この「形」が大切なのです。

 現に、子供の頃からこういった光景を見ていただけで、別に両親からその意味も意義も教わっていなかった私が、真面目に考えることになったくらいですから。「形」として残ることは、とても大切です。歴史と伝統なんてカッコいいことを言いますが、歴史と伝統を継承している人が、毎日24時間、ずうっと難しい「歴史や伝統」を考えながら生きているわけではありません。人間だから、ご飯も食べれば、トイレにも行くわけですからね。そのどの瞬間も「歴史」や「伝統」を引きずっていたら、きっと生きていることは大変な苦痛になるでしょう(笑)。でも形をして毎日やっている何かは、大切な何かを伝えてくれていると思いますよ。特に深く、その理由を考えたりしなくてもね。

 私はまだ高校生だったかの頃、前の家のおばさんが、早朝、道に出て、東を向いて手を合わせているのを見て、妙に美しい風景だと感じたことがあります。取り立てて学があったわけでもない、そしてとりたてて美人というわけでもないその姿が、何か神々しく感じられたのですが(なにしろ愛想のいい、穏やかなおばさんだった。まだご存命ですが、もう百歳近いはず)、別に太陽信仰をしているわけではなかったと思う(よそんちの信仰までは知らない)。それでも手を合わせていたんだよね。

 何の飾り気もなく、欲望も感じさせず(祈る時って、人は何かお願いするじゃない?それも感じられなかったなあ)、ただ手を合わせているだけなのに、どうしてきれいに見えたのだろうか。今やその時間帯は、通勤途中の車がけっこうなスピードで飛ばし、アブナイったらありゃしない。これは美しくありませんわなあ。

 こういうことがさっぱりわからなくなってくると、世の中、だんだん乱れていきますわな。乱れるから法律で縛る。法律で縛るから、それに反抗したり、法律の成立を妨害したりする(誰だって法律で縛られるのは嫌ですけどね! かくいう私も嫌ですもん)。でも乱れることがすべての発端なんですけどね。

 どこかで大きな花火をあげ、その花火で他国を脅迫しないと気が済まない人がいるようだけど、こんな人には、こういった歴史と伝統は感じられないんだろうなあ。ま、歴史も伝統も、なければしょうがないか。

 でどこかの大統領が、「他にすることはないのか?」と言ったとか。国民のことや、国全体のことを考えなきゃ、為政者ってけっこう暇なんじゃない? 好き勝手やっても、誰も叱ったり、お仕置きしたししないんだもの。多くの国のトップが、滅茶苦茶忙しいのは、国民や国全体のことを考えてるからでしょ?

 必要なことはほとんど部下がやってくれて、自分は準備されたものを食べて、クソして、寝てればいいんだったら、後はわりと暇なんじゃないかな(これって、典型的「バカ殿」パターン)。

 ま、そんな国に、この美しい歴史と伝統と文化を持った我が国が荒らされるのはもちろん、気を使わなきゃならないだけでも我慢なりませんね。

 ……どうか、今日の若いお母さんが、あの幼い娘さんに、日本の美しい伝統を、何の不安も感じることなく伝えていくことができますように。

※ 今月の『○○を語る会』は、8月19日(第三土曜日)でございます。よろしく!

2017年8月 9日 (水)

グッピー隊長、万歳!

 とうとう降り始めました。今日は「曇りのち雨」の予報だったので、いろいろと予定を繰り上げ、できるだけ早くに練習を始めたので、午後8時には上がってたんだけどね。昨日よりは若干、きつかったかな。

 おかげで身体はさらりと乾いて、とても気持ちよい。夏だと思えない爽やかさでございます(天気は悪いけど)。身体の方は、どうやら完全に夏対応になってくれたようです。ただ一つ、夏で最高に我慢できないことがあって、それは「夜が短すぎる」ことですね。

 これは、思春期からすでに「深夜型」になっていた私にとっては、非常に残念かつ睡眠不足の最大の原因になってしまうんですな。なんたって夜は太陽が出ていないから(当たり前だ。太陽が空にない時期を「夜」というんだから)、気温が上がらない。すると暑くならないから集中しやすい。

 もう一つある。昼と違って、突然の来客などに邪魔されることが少ない。これも集中には適した条件だ。さらに外が暗いので、いろんな光景が目に入ってこない。これまた集中の邪魔をされにくい。だから夜が長いのは、私としては好きなんだけどね。夏は夜が短いのが、暑さと、どこで繁殖したか知らない蚊に次ぐ欠点だね。

 夏の初めに、ヒキガエルのオタマジャクシを入れていた水溜りに、ボウフラが湧いていたので(ヒキガエルのオタマジャクシは、ボウフラを食べなかったようだ。結局、全部カエルになったが、「さよなら」も言わないで、脱出していきやがった…入れていた流木が大きかったので、それを伝って脱出したものと思われる…来年は、もっと大量のヒキガエルのオタマジャクシを導入してやろう。私の家の近所では、今はもうすっかりヒキガエルを見かけることがなくなったので、ヒキガエルが人間に害をなしたなんて聞いたことがないし、ちょっと導入してやろうか。なにしろカエルになりたてのヒキガエルは、体長1㎝くらいのサイズなので、生き延びるのが大変だと思うし)、グッピー隊長を入れていたら、雨水が入って溢れ、ほとんどのグッピーが外に出て(外には水がないから、たぶん生きてはいないと思うけど。グッピーは賢くないので、世界中のどこにも水があると思っているらしく、平気で出ていく。世界中のどこでも、自国語が使われていると考えている、某国や某国の人と、わりと良く似ている)、メスが一匹しか残っていなかった。それでも「何とかなるわい」と思うのが私の能天気なところで、昨日見たら、やっぱりなんとかなっていた。

 ヤルことはヤッテたんだね。ちゃんと稚魚が10匹ほど泳いでいた。メス(当然、これが母親)とその子供たちである。入れたのは4匹だったから、すでに増加している計算だ。で、グッピーという魚は、平気で性転換するから、この中から必ず雄雌が現れて、夏が終わる頃には、また「群れ」ができてんだろうなあ(ちなみにグッピーの仲間は、メダカのように、群れを作って、整然と泳いだりはいたしません。ちょうど夏で、我が岡山市も、我が家から1㎞少々南に下ったところまで、カダヤシが上がってくる季節ですが、メダカとカダヤシの見分け方の最も簡単な方法は、この「群れを作って泳いでいるかどうか」で見分けることができます。カダヤシは夏には北上してきますが、水温が下がるにつれて南下しますけどね)。

 なにしろグッピーという奴は、衣食足りて礼節を知る、なんてことはほとんどなく(バカだから仕方がない?)エサを食べながらでも、生殖行為をしますからね。簡単に言えば、食欲と性欲の権化のような生き物です(これって十八禁? じゃないよね)。原種はそれほど美しいとは思わないけれど(以前、ジャパンブルーってのが神奈川県あたりで見つかったけれど、これはきっと近くの人が飼育していたのが逃げ出し、偶然、好適な条件で、素晴らしく美しいコバルトブルーの発色が見られたんではないかと、私は推測している。もちろん我が家でも飼ってますけど)、そこから「生殖欲」の権化を利用して、マニアの方々が、素晴らしい品種を作り出していかれたんではないかと思う。

 遺伝の研究には、わりと向いてますよ(ただし、市販のものは、いろいろと細工が施してあったりするので、その中から純血統のものを作り出すのに、暇と労力がかかります)。純血統のものが作れれば、後はどう交配すれば何がどうなるか、データーを積み重ねていくだけですね。メンデルの法則は、完全には成り立たないけれど(メンデルさんも、実はデータを捏造したという話があるくらいで…笑)、面白い結果が出ます(少なくとも、私がやったのでは、出ました)。

 遺伝と発現形質との間には、単純な算数で割り切れるような関係は、そうそう簡単には出てくれません。第一子(たって何十匹も生まれるんだけど)と第二子では、発現する形質の割合が、まったく異なることだってあるし、第一子に出た形質が、第三子になるとまったくでなかったりしましたからね(もちろん、両親のペアは崩していません。グッピーは成熟すると…実際は成熟しきる前の交配が、わりとうまくいく…3週間から4週間に一度はお産をしますからね。あまり頑張らせすぎると、半年くらいでぽっくりいきますけど。頑張らせ過ぎなければ、だいたい2年くらい生きるかな)。

 特に夏には、ヒーターが必要ありませんから、割と楽しめる遊びです。もちろんこれで殖えすぎて、冬になった時がさあ大変! 純血統を崩したくなければ、ごちゃまぜにはできませんから、それぞれ種類別に分けて水槽に入れ、ヒーターを使わなければなりませんからね(もちろん安上がりな方法はございます。でもショップの人に叱られるかも知れないから、ここでは公開しませんね。『○○を語る会』でなら、平気で教えますけど)。

 ちなみに自分で交配してつくりだした種類なんかで美しいものは、密かに自分の家だけで鑑賞し、「ひひひひ」なんて夜な夜な笑ってたりして(変態だね、まるで)。で、こういうのはそれだけ別に飼育しなきゃならないので(これもf1、f2.f3…と、微妙に形質が変わっていったりすることがある)、もはや家じゅう水槽だらけ。電気代で破産!なんてことになりかねません(だから安上がりの方法があるんですけどね)。私がかつて通った道だ(笑)。

 ということで、我が家ではボウフラ撲滅は、非常に簡単に推進されております。グッピー隊長、万歳!(アホだけど…)

※ 今月の『○○を語る会』は、8月19日(第三土曜日)とさせてください。なにしろ呑み会が立て込んでいまして(笑)。よろしくお願いいたします!

2017年8月 8日 (火)

月食

 昨夜というよりは今朝のことである。そろそろ寝るかと思ってベランダに出てみたら、月が欠けている。あれま、今日は満月のはずだったが(狼男には、台風が来ていても、月齢がわかる?)と思って調べてみたら、やっぱり月食だった。

 月食は、満月の夜にしか起こらないからね(逆に日食は、新月の昼にしか起こらない)。でスマホで撮影したら、エライぼやけたので、しょうがないからデジカメで撮影した(こっちも大してよくは撮れなかったけど、欠けているのはどうにかわかる程度)。速攻で撮影できる準備、しとかないといけないのかね~。

 ということで、午前3時20分をいくらか過ぎたころが、最大の欠け率だと言ってた(ということは、起きてたわけだ。その時刻まで。珍しいことではないんだけどね。夏は涼しい夜の方が、仕事がはかどるから)。台風が去ったばかりの岡山では、けっこう空が澄んでいて、見やすかった。

 いずれにしても月食は、宇宙空間に伸びる地球の影に、月が入るから起こる現象で、地球と太陽の間に月が入る日食に比べれば、シャープな画像は期待できないんだけど、日食に比べればよく起こる。

 昔の中国では、日食は天の狗が日輪を齧るから起こると考えられたんだそうな。日輪ってお煎餅だったのかね? そして天の狗って、続けて書けば天狗ですな。日本の天狗は、例に酔って鼻が長くて赤ら顔で、山伏さんのような恰好をしたものだけど、日本の天狗さんは日輪を齧ったりするような、大それたことはしないみたいですね。

 でも日食が終わっていく、だんだん太陽の丸みが回復されている現象を、古代中国の人はどう考えたのだろうか。まさか天の狗が熱い(最近では太陽表面は、おどろくほど熱くないという研究結果が発表されているようですが。太陽表面6000℃ってのは、間違ってるらしい。我々は長年にわたって間違いを、知らん顔して教えてもらっていたらしい。テストで「✖」をもらった人は、怒らなきゃならないね。でも教科書に書いてたりしたら、教科書の責任は大きいぞ!)からと言って、吐きだしているなんて話じゃないでしょね?(最近の発表では、吐きださなくてもいいくらいの温度だという。ほんとかしら?)

 とはいうものの、これから台風が向かう所の皆さん、大雨には注意してくださいね。私の家では、今日は水やりをしなくてもいい、程度には降りましたが、そんなにたくさんは降りませんでした。(夕方走ってても、川の水かさは、大して増えてはおりませんでした)台風の雨は、場所によって降雨量がまったく違ったりするので、取りあえずは気を付けておかかねればなりません。

 ということで、今日は走った後、スイカにかぶりつきました。これは良いですね。飲料水を飲んで水分補給するより、はるかに身体になじむ感じがあります。難点は冷蔵庫の中で、場所を取ることだけど、そこだけ解決できたり、我慢できれば、夏のジョッグ後には、冷えたスイカがよろしいな(来年は栽培しようか…下手に栽培するよりは、上手に作る人のを買った方がいいかも。近くにJAのショップがあることだし)。

 そういえばSくんはスイカを一度に半分は食べると言ってたし、高校の部の後輩H氏も、やはり一度に半分くらいは食べると言ってたよな。そんな無茶なと思っていたけど、若いうちなら半分は(もしかしたら)軽いかもしれない。第一飲料水と違って、呑んだ後の、お腹がちゃぷん、ちゃぷん言わない感がいい(お腹は重くはなるけど)。

 今年の夏の後半戦は、スイカと二人連れ?がいいかも。でもスイカを一口齧ったあとって、なんとなく半月の前を、黒い未確認飛行物体が通り過ぎてるように見えません? 天体が欠けて見えるって、本当に不思議だよね。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー