久しぶりに母と買い物に出た。朝起きて、ソッコーでかかりつけの病院へ。健康診断である。健康状態の診断だが、みんなこれを不健康な箇所を見つけるための診断にしていたりする。それじゃ、まるで不健康診断だって!! 健康を確認するのが健康診断でありたいものだが、世の中、なかなか個人の健康まで気をつかってくれないので、できるだけ自分で守るようにしなければならない。
で私は、健康診断。思いのほか早く済んだ。それからとても美味な朝ごはんを食べて(腹減ってたの!!)、母の後片付けとか準備ができるまで、屋外でゆっくり練習。そうしたら例の子猫がわらわらと出てきて、人の足といわず腕といわず、すりよってくる。練習は家ではさせてもらえないらしい。
その間、どやどやと見たこともない、どっかのおっさんの集団が、我が家の家の前を通り過ぎていく(髪の毛が白かったり、残り少ない人もいたので、もう結構な年齢の集団だった)。中には無遠慮に、人の家をしげしげと覗きこんでいく無礼者がいる(もちろん、挨拶なし)。身だしなみは十人並み以上だったから、少しは社会的立場がある連中だろうに。
そんな人間達が礼儀知らずだったら、こりゃ、世の中は乱れて当たり前だわな。見えるものが自然に目に入るのは仕方がない。私はそんなことを言っているのではない。わざわざ覗き込むようなまねをするなと言っているのである。世の中には困った奴がいるものだ。きっと自分が無礼なことをしていることにも気がついていないのだろう。
似たことかも知れないが、短いスカートの女性がいたとして、見えちゃったものは仕方がないだろうが、しげしげと中を覗き込んだら、最近では何と言われるのかな? 基本的に、見られる人間の持つ感情は、それほど違わないんだよ。社会的地位がある人間なら、そんなことは自分の頭で考えて、最初からわかっていなきゃならないはずだ。
私の経験から言って、こういった人に限って「最近の若い者は…」なんて言うやつが多い。私も回数はそんなにはないが、言われた時は必ず言い返している。「最近の年寄りは、まったく…!!」ってね。何を言われているのか理解できない人も多いから、まさか自分がそんな見方をされているとは思っていないみたい。その甘えが無礼さにつながっているんだろうけどね。
親友のKさんは、「挨拶は年嵩の者からすればよい」と言う。理由は「若い者は礼儀を知らないものもいるし、経験が不足しているんだから、年上のものから実践して教えればよいではないか」というものだ。私は彼には実に多くのことを教わったが、これなどもその中の一つである。
年齢なんか、飯食って、ク○して、寝て、起きて…を繰り返すだけで、誰だってくえるよ。問題は中身だよね。どんな時間を生きてきて、その中から何を身につけ、どう自分の血肉に変えていったかだよね。ただ年齢を重ねただけでエライのなら、我が家にはエライものがいっぱいある。
子供の頃から化石が好きだった。だからいくつも化石はあるし、コレクションだってある。「これだけのコレクションを集めるのに、どれくらいかかったの?」なんて尋ねられることもなくはないが、決まって答は、「さて、だいたい4億年くらいかな」である。化石なんてものは、そのへんに転がっている石の中にも発見できるが、それに気がついて、それを収集して、整理するとなるとなかなか骨である。
それが生きていた時代がなければ、現在に化石として残ることはなかった。そこまで考えなければ、化石としての値打ちはない。だから気がつかない人には、ただの石でしかない(つまり何の値打ちもない)。だがそれに気づき、整理しておく人間にとっては、何億年かの時間が「価値」に変わってくる。その為には、収集し、調べ、整理するという行為が必要になる。
ただぼけーっとしていても、石は石でしかないが、それに対して何らかの働きかけをすれば、その石の値打ちが発生してくる。ただ生きていても人としての価値は上がらないかもしれないが(生きていくこともしんどいから、それなりには値打ちがあるけどね)、時間を無駄にせず、様々な働きかけをして、自分の価値を上げている人は、たとえ年齢的には若かろうと、エライんじゃないかと私は思っているよ。
社会的地位がそれなりにあり、いい加減年齢がいっているのなら、せめて最低限度の礼儀くらいは知っておいてよね。でないと、若い世代がダメになるかも知れないじゃないか。
もう一つ私がよくわからないのに、ボランティア活動ってのがある。いやいや、ボランティア活動の全部が悪いといっているのではない。特別なことをしているような顔をまったく見せないで、自分にとってたいしてプラスがあるとも思えない公共のことをやってくれている人を見かけることがある。これには頭が下がる思いである。
我が家の近所にもそんな人はいた(相当な高齢者だった)。いつもニコニコと、感じのよいお婆ちゃんだった。でもこのお婆ちゃんは、ボランティアなんて言葉は知らなかった。でも毎日ボランティア活動をやっていた。私は陰ながら「凄いなあ、このお婆ちゃん」と思っていた(最近は姿を見かけないので、ちょっと心配している)。
こういうのが本物のボランティアなんじゃないかと思っている。特に英雄的な行為をするでなく、毎日、自分にできる公共のことを、淡々と続けている。警察や役所から表彰されたこともなければ、「ありがとう」一つかけている人がいるのを見たこともない(私も、心の中で言いこそすれ、直接言ったことはない。情けない男である)。それでもいつもにこにことされていた。
でも最近のはちょっとおかしいよね。例えば大学で「ボランティアを必修にしよう」。はァ? 必修って、絶対に履修しなきゃならないってことでしょ。それって最初からボランティアじゃないんじゃない? 何月何日にどこそこの地区でボランティア活動を行います。みなさん奮って参加してください、ってのもあるなあ。ボランティアってのは、呼びかけられなくても自分でやっているものなの!! だいたい人を巻き込むなよ。まるで「○○の募金、ご協力お願いしまーす」と同じじゃないか。
働けよ。そして働いたお金を全部募金しなよ。その姿を見て誰かが感動して、その人に金銭的余裕があったら、きっと募金してくれるよ(なんて、言っているけど、ちょくちょく募金したりするんだけどね、私は。それで救われる人がいるんならいいんじゃないかって)。まるでどこかの国(日本ではありません)の女の子みたいじゃないか! 親孝行したいから金をくれってね… 親孝行はてめえの金でやるもんだ!! 働け、働け、死ぬほど働け!!(もちろん、その国の女の子全員ってわけじゃないよ)
駅前で托鉢している雲水には、時折進呈することがあるけれど(いつだったか、買い物のお釣りがポケットにけっこうあったので、手に触ったのをそのまま入れたら、雲水がわざわざ私を呼び止めて、人生の助言を下さったことがある。私は何かで修行している人の気持ちがわかるから、頑張ってね!! 程度のつもりだったんだけど、有難くそのお話をうかがった。私はたまに「人の話を聞かない」と言われることがあるが、実は自分に必要な話は、きっと誰よりも熱心に耳を傾けていると思う。必要がないと思ったら、知らん顔をするけど)、それはボランティアのつもりではない。
誰だって修行をしていく上で、誰かが助けになるってことがあるんだよ。私がその日の気分で、誰かの助けになっても、構わないわけだ。だからまったく損得勘定はない。お返しも不要だし、名前を覚えていただく必要もない。山道でお腹が空いた時に、偶然美味しい木の実があったようなものだと思ってくれればいい。それで生まれる気持ちは、感謝とか、頑張ろうって気持ちになれたり、清清しいばかりだもん。
ボランティアって、こんなものであってもらいたいよね。誰かが見ているから、必修の単位だから、マスコミが取材に来るから、なんとなく自分がいい人っぽく見てもらえるから… そんなのボランティアじゃないよ。自分がいい人っぽく見てもらいたいんだったら、善行ばかり積んでりゃんいいだよ。それだけ。それが当たり前になって、人目が気にならなくなった頃には、本物のボランティアになっているかも知んないし。
そういう人が増えたら、法律で禁止されていないからって、人の家の中まで、じろじろと見ながら通るなんて無礼はやらないだろう。…はい。我が家はいろんな武器がたくさんありますよ時に練習している私を見かけることがあるかも知れないけど。私がいるとき、泥棒に入ったら、きっとタダではすまないと思う。それだけの準備はしているからね。
よその家の中までじろじろ見るなんてのは、泥棒でもなければやらないことだ。頭髪が少なくなったり、白いものが多くになる年齢になったら、やらないのが当たり前。もしも我が家に泥棒が入ったら、その連中に誰かだと、一番に疑うからね(できたら私がいるときに来て下さい。面白い経験をさせてあげますから)。ちなみに我が家周辺は、案外近所の人の目があったりする。忍び込むのは難しいかも。
あ~、気分悪かった。無礼とは相手の気持ちを逆撫でする行為だと思っていたけど(礼儀は相手の気持ちを思いやる心から出ているから)、いい年をしてそんなことすらわかっていないものが、案外たくさんいるんだね。
でもまあ、その後、海の幸と、マツタケを買いに行ったので(途中でカーナビに騙されて、一箇所を3回ほど回らされたけど)、気分は良くなった。これで今年も秋が迎えられた。体重は気にしないで(健康診断もたぶん大丈夫だと思うので)、思いっきり食べよう!! 食欲の秋である!!
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